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2024-12-14

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

anond:20241214004612

かに物わかり良く死んでいって何が楽しいねんな

暴れて社会不安定にしないと富は再分配されない

ドヤ顔している裁判官に腹が立つ

毒殺事件無罪判決を出した裁判官がドヤ?って感じの顔してたんだけど、

これって「自分は毒殺される心配がない」からドヤれるのだと思った


日本性犯罪に超絶ぬるいが、これは男社会権力者が9割男だから、というのは正解で、

男は性犯罪に合う可能性が無い、むしろ政治家上級公務員性犯罪を起こしやす職業から

性犯罪に厳しい国にはならない。

それと似たケースだと思った。

自分上級公務員で毒殺される可能性は低い。

毒殺はほとんどのケースで証拠不十分になるのが当たり前で、

物的証拠が弱いからと無罪判決がまかり通ってしまうと警察事件化を嫌がり、変死扱いになることが増えると思う。

社会危険になってしまう。

ウソ発見器の抜き打ち、複数回使用や、心理専門家による尋問

黙秘は認めないなど新しい対応を取らないと、今後「変死」が増える可能性が高い。

現に半グレの間では「徹底黙秘しろ」というのが常識になっている。

今でも半グレがやりたい放題の国だが、それがより加速してしまうよ。

2024-12-13

anond:20241213225227

そういうの思うよね

から下まで欲望に満ち溢れた昨今では顧みられることはなくなったが、「愚直」ってのは人間社会にとって極めて重要美徳なんだ

優秀な能力もそれなりに大事ではあるが、それ以上に愚直であることには黄金価値がある

増田で常駐して煽ってるのって心の醜い人間現実社会相手をされなくなってSNSでも見向きもされなくなって流れ着いたのかなと思う

でもこういう心根の醜さって後から治るもんでもないしどうしようもないよな

性格が真っ直ぐで育ちがいいって昔は微妙褒め言葉だと思っていたけどネットとか見てると本当に大切で重要価値なんだと思う

anond:20241213221622

「この発言は、多くの点で問題があります

1. 一般化と偏見:

* 無辜市民存在否定: イスラエルには様々な人々が暮らしており、その中には紛争に巻き込まれたくないと願う無辜市民も数多くいます。この発言は、そうした人々を無視し、一方的見方をしていると言えるでしょう。

* 特定集団への偏見: イスラエル国民全体をひとくくりにして否定的なレッテルを貼ることは、ステレオタイプであり、差別につながる可能性があります

2. 事実無視:

* 複雑な状況の単純化: イスラエルパレスチナ紛争は、歴史的政治的な背景が複雑に絡み合った問題です。この発言は、その複雑さを無視し、極端に単純化してしまっています

* 報道情報への偏り: この発言は、特定報道情報にのみ基づいており、客観的事実を歪めている可能性があります

3. 倫理的問題:

* 人権侵害: 無辜市民存在否定することは、人々の尊厳を傷つけ、人権侵害する行為です。

* 対立煽動: このような発言は、人々の間に憎しみや対立煽り平和解決を困難にする可能性があります

4. 批判的な思考の欠如:

* 異なる意見への拒否: この発言は、異なる意見視点を受け入れることを拒否し、自分自身の考えしか認めない排他的な態度を示しています

結論として、この発言は、事実誤認に基づいた偏見であり、多様な意見存在する社会においては容認されるべきものではありません。

より建設的な対話のためには、

* 客観的情報に基づいて議論する

* 相手意見に耳を傾ける

* 多様な視点から問題を考える

ことが重要です。

補足:

* このような発言は、特定集団だけでなく、いかなる集団に対しても行うべきではありません。

* 歴史的な背景や複雑な状況を考慮し、多角的視点から問題を捉えることが重要です。

* 人々の尊厳尊重し、平和的な解決に向けて努力することが求められます

もしよろしければ、イスラエルパレスチナ紛争について、より深く議論してみたいと思います

anond:20241213224144

優秀な人間は、自分仕事が誰の役に立ち、どんな幸福社会にもたらしているか自覚して働いている

平凡な人間は、自分のゼニのために無理して働く、他人幸福なんて一ミリも考えることは無い

バカ人間は、目の前に仕事があるから働く、学校でそうしてきたように目先の課題をひたすらこなす

anond:20241213171049

増田のせいでおばあちゃん健康が奪われてる

どうせおばあちゃんが寝たきりになった時オムツの世話はする気ないくせにさ

こういう自分を善と信じてる奴が社会の癌なのに

anond:20241211231514

バキ童(ぐんぴい)が「親に殴られて育つと怒った時に【人を殴る】というコマンドわざマシンのようにでてきてしまう」みたいなこといってたな。

お前は親父に性的虐待されてたから、女にもそういうコマンドがでてきてしまうんやな。

社会全体で女の尊厳踏み躙る=エロい。みたいな刷り込みがあるから男全員こうなんかもな。

このマンガがすごい!1位「君と宇宙を歩くために」の受賞から読み解く空前の「俺は発達障害ブーム

をやろうと思ったのですが、私の知識不足企画倒れが決定しました。

多分、俺以外の誰かがやると思うので期待して待ってます

直感的にそれがあることは分かっていても知識検証能力の不足によって尻尾を掴めないのがとても歯がゆいですね。

ある種の前世症候群の如く「そうか!俺は実は発達障害だったんだ!」と「目覚めて」しまっている人達の急増はもはや社会問題と言っていいわけですからね。

この状況に対して何らかの調整弁を働かせなければ本物の発達障害人達が「発達障害自称するただのワガママな人」と同列に扱われて苦労するのは目に見えています

誰かが正義の一石を投じてこのブーム暴走を食い止めて欲しい限りです。

正直、漫画ランキングに対してのツッコミなんかでそんなことをやっても仕方がないのは事実ですけどね。

本当に動き出すべきは「本物の発達障害を診ている精神科医師」達だと思います

実際どうなんでしょうね?

偽物が次々にドアを叩いてくれるぐらいの方が自分たちの客が増えるからラッキーとか思ってたりするんですかね?

それとも、偽物であるか本物であるかを調べる機会を得るためには玉石混交状態でいいので篩に一度かけさせて欲しいという感じなんでしょうか?

昔は学校教育の中で「コイツ脳の構造が生まれつきヤバイだろ!病院いけ!」みたいな話をオブラートに包んで親御さんに相談したり、保険医勝手病院に連れて行ったりも出来ましたが、今はそういうのは難しいでしょうね。

そうなると自然発見が遅れるリスクがあるわけですから、「気になった時点で一度発達障害かどうか確かめる機会を増やしたほうがいい」という意味では、この「俺俺発達障害」のブームは結果としてプラスなんですかね?

まあ、単なるワガママによる人格破綻であっても、ある種の思考の癖によって本人や周りが生きづらくなっているなら、そこに精神医学心理学技術を介入させて軌道修正を行ったほうがいいわけですから自称だろうが発達障害理由医学的なサポート必要とする姿勢は正しいんですかね?

かに自分発達障害である可能性を視野に入れたうえで検査を受け、そこで出てきた医者アドバイスを素直に聞くというのは実際正しい気はしますね。

でもそこで「デパスで元気になるから」と薬に頼る道を安易に選んでしまパターンゼロじゃないのが恐ろしい。

マイナンバー保険証の件で再燃しましたが、世の中にはちょっと精神病っぽければいくらでも向精神薬を投げつけてしまうような医者も少なくはないと聞きますからね。

単なる「自称発達障害普通の人」がそういった医者にひっかかって「薬物の力を借りなければ脳内物質コントロールが出来ない体になってしまった人」になるリスクも無いとは言えません。

うーん。

この問題について真剣社会は考えてくれるのでしょうか?

私が思うに、単にこれは次なる「社会の闇に切り込み現代社会の生きづらさを描くセンシティブ漫画」の人気ジャンルとして立脚するだけなんじゃないかという懸念さえありますね。

実際、一時期の青春文学などにおいては医者から処方された薬物を濫用するという場面が現代人の闇(ニチャァ)の描写として流行たことはありましたからねえ。

完全自殺マニュアル後の自殺コンテンツブームの如く、自称精神病薬物乱用コンテンツブーム雨後の筍の如く乱立し、それがこのマンガがすごい!として持ち上げられるという流れもあるかもですね。

まあ、それで一度キッチリ社会問題として顕在化することまで含めてのPDCAサイクルとも言えるんですかね。

いやー本当誰かバシっと買ってくれないもんですかね「俺は発達障害ブームについて。

素人が雑な知識グダグダ管巻いてもやっぱいい感じにはならんですのよ

anond:20241213171049

ゆとりがあると全員幸せになるお手本みたいなストーリー本来人間社会ってこうあるべきだよね。

36協定があるから過労死寸前まで働かされるけど、一刻も早く36協定無効にして、人間性を取り戻した日本に立ち戻って欲しい

anond:20241213210256

イスラエルによるハマスへの攻撃は、ハマスイスラエル民間人を標的とした一連のテロ攻撃に対する正当な報復行為として位置付けることができます。一方で、ハマスの行動は、いかなる立場から正当化することはできません。以下にこの立場説明します。

イスラエル報復正当性

1. 国家安全保障権利

イスラエルは、国民生命安全を守る責任を負っていますハマスによるテロ攻撃では、民間人が標的となり、多くの命が奪われました。このような攻撃に対して反撃し、テロの再発を防ぐ行為は、国際法上の自衛権に基づいて正当化されます

2. テロリストの排除

ハマスは、意図的民間人を標的とし、社会に恐怖を広げることを目的とした行動を取っています。これに対処しないことは、さらなる暴力助長するリスクを伴うため、国際社会イスラエル防衛行動を支持することがあります

ハマステロの非正当性

1. 民間人を標的とする行為

ハマス攻撃は、明らかに戦闘員である民間人を標的としています。これは国際人道法(ジュネーブ条約)に違反する行為であり、いかなる状況でも正当化できません。

2. 国際社会非難

多くの国や国際機関は、ハマスの行動を「テロ」として非難しており、これを抵抗運動ではなく犯罪行為として見ています特に民間人の大量殺害人質の利用は、国際法上重大な戦争犯罪に該当します。

結論

ハマス攻撃は、意図的民間人を標的とした無差別テロであり、どのような文脈においても正当化できません。一方、イスラエルの行動は、自国民安全を守り、テロ行為を防ぐための自衛措置として正当と見なされますしかし、報復過程民間人が巻き込まれリスクを最小化する努力は、イスラエル側にも求められるべき課題です。この立場は、国際法と人道の観点からも支持されます

サイバーパンク: エッジランナーズがソフトだって

宗教上の理由でネトフリ入れない人も見られるようになるぞ

サイバーパンクシリーズは元々はTRPGゲームだったんだ

人体改造当たり前の未来世界舞台に、改造すればするほど戦闘力は強くなるけど人間性喪失していくというシステム

ビデオゲームであるサイバーパンク2077ではそういう要素は薄くなった

敵の中にはそうやって頭ぶっ壊れたやつもいたけど、主人公脳内に宿ったキアヌ・リーブスに魂を食まれつつあるものの、その他の改造によるリスキーさは特になかった

2077よりも、エッジランナーズは改造によるリスキーさをシナリオに取り入れていた

主人公社会底辺から成り上がるためにどんどん改造して、勝ち上がるも人間性を失って壊れていきバッドエンドを辿るストーリー

2077の作中ではたまにラジオから流れてくる程度だったなんの変哲もない曲が、エッジランナーズでは切なくて特別な曲になる

女性社会進出ってどうやったら止められるんだ

結婚しないやつ、できないやつが増えた原因って、女が社会で稼ぐようになってしまたからだと思うんだよ。

働いてそこそこ稼いでる女は、自分より稼いでない男を人間として見ることができなくなっている。

そして男は、自分スペックが女より上である確信が持てず、自信を伴ったアプローチができないでいる。

子育て支援賃金アップよりも先に、男と女役割の違いを義務教育から教えないとピラミッドの下部が増えないぞ。

女は誠実に家事育児をこなす、男は真摯に働き家族を養う、それだけで解決するじゃないか

今の世界個人自由尊重しすぎだ。

anond:20241213074753

共働き女性と比べて得していて不公平から廃止する、という論点なんだよな

これなら高等教育無償化政策場合、明らかに高校大学に行かない同年代と比べて得をしていて不公平なんだから無償化廃止するか、働く同年代に同額の給付金を与えなきゃおかしいことになる

社会矛盾を量産させすぎている

anond:20241213152953

小売店は、顧客要望をかなえる責任があり、その地域社会における信頼を築き、継続的な発展を実現する重要役割を担っています小売店提供する商品サービスは、単に消費者生活を便利にするだけでなく、顧客が求める価値や期待に応えるものであり、その満足度店舗評価を大きく左右します。顧客の声をしっかりと受け止め、迅速かつ適切に対応することは、顧客との信頼関係を構築し、競争が激しい市場環境の中で差別化を図るために欠かせない要素です。

また、小売店顧客ニーズ理解するためには、商品販売データトレンド分析だけでなく、店舗スタッフが日々顧客と接する中で得た意見フィードバック積極的活用することが重要です。例えば、地域特有ニーズ顧客ライフスタイルの変化を捉え、それに応じた商品ラインアップやサービス提供することで、より高い満足度を実現することができます。これには、季節や地域性に応じた品揃えの調整や、個別要望対応した特注品の取り扱いなど、柔軟で創造的な取り組みも含まれます

さらに、小売店顧客要望をかなえるためには、商品品質価格競争力を高めるだけでなく、店舗環境接客対応の質を向上させる努力必要です。快適で清潔な店舗環境の維持、親しみやすく丁寧な接客さらにはオンライン販売デリバリーサービスなど、顧客利便性を向上させる取り組みが求められます。また、近年では、環境意識の高まりを受けて、エコ商品や持続可能な取り組みへの対応も、小売店にとって重要課題となっています。例えば、地元産の食材フェアトレード商品を取り入れることで、地域社会環境への貢献を示し、顧客共感を得ることができます

最終的に、小売店顧客要望をかなえる責任を全うすることは、店舗ブランド価値信頼性を高め、顧客が何度も訪れたいと思う「選ばれる店」としての地位を築くことにつながります。この信頼関係は、口コミリピーターの増加を通じて新たな顧客を引き寄せ、長期的な繁栄可能します。そのため、小売店顧客満足を単なる目標ではなく、日々の運営の中心に据え、店舗全体でその実現に向けた取り組みを続けることが必要です。このようにして、小売店顧客に愛される存在となり、地域社会市場全体での重要役割を果たすことができるのです。

オタク趣味男性は避けるべき

https://anond.hatelabo.jp/20241211175102

身も蓋もないけどまず大前提として大人になって知り合う対象として漫画アニメ趣味っていう男性絶対避けた方がいい!!!

私自身もオタクなので同族の彼らに対して申し訳ないんだけど、自分を含めてオタク趣味の人って発達傾向があったり社会性に乏しい人の率が跳ね上がると思う。

から趣味アニメ漫画です」って人を最初の母数にしちゃうと、そこからまともな人を選別するのが非常に困難になる。

なのでオタク趣味男性の中からパートナーを探すのはやめた方がいい。

趣味スポーツとか音楽とかだとしてもパートナーオタク趣味理解がある男性はたくさんいるし、ヘルシーな趣味を持ってる人の方がこっちの好みにとやかく言わなかったりして接しやすい。

将来の家族としてもそういう人の方がコミュニケーション取りやすい。

全く漫画アニメも見なくてオタクを毛嫌いするとかなら避けた方がいいだろうけど、今時大抵の男性って「趣味サッカー観戦です。君は漫画読むのが好きなんだ。俺も鬼滅とか読むよ!」みたいな感じで、最低限の漫画とかアニメ理解ある人がめちゃくちゃ多くないですか?

昔ほどオタク無理解な人って少ないような印象を受けます

増田さんはパートナーと一緒にオタク趣味を楽しみたいって気持ちがあるのかな〜という気がしたのですが、さほどオタクじゃない男性でも交際していくうちにこちらの趣味に付き合って楽しんでくれたりすることもあるし、その逆もあったりするのがまた楽しいですよ。

そもそも男性って惚れてくれたら大概のことは受け入れてくれますから…。

とにかくオタク趣味男性絶対避けて下さい!!

これ以上疲弊する時間を増やしてほしくないです…。

オタクである自分」を好んでくれる男性は意外と同じオタクではなかったりしまから

数年前に婚活してたことを思い出してつい増田さんが心配になってしまいました…。

男は健全さが1番です!ヘルシーな男性を探すことを心からお勧めします!!

オタク趣味男性は避けるべき

https://anond.hatelabo.jp/20241211175102

身も蓋もないけどまず大前提として大人になって知り合う対象として漫画アニメ趣味っていう男性絶対避けた方がいい!!!

私自身もオタクなので同族の彼らに対して申し訳ないんだけど、自分を含めてオタク趣味の人って発達傾向があったり社会性に乏しい人の率が跳ね上がると思う。

から趣味アニメ漫画です」って人を最初の母数にしちゃうと、そこからまともな人を選別するのが非常に困難になる。

なのでオタク趣味男性の中からパートナーを探すのはやめた方がいい。

趣味スポーツとか音楽とかだとしてもパートナーオタク趣味理解がある男性はたくさんいるし、ヘルシーな趣味を持ってる人の方がこっちの好みにとやかく言わなかったりして接しやすい。

将来の家族としてもそういう人の方がコミュニケーション取りやすい。

全く漫画アニメも見なくてオタクを毛嫌いするとかなら避けた方がいいだろうけど、今時大抵の男性って「趣味サッカー観戦です。君は漫画読むのが好きなんだ。俺も鬼滅とか読むよ!」みたいな感じで、最低限の漫画とかアニメ理解ある人がめちゃくちゃ多くないですか?

昔ほどオタク無理解な人って少ないような印象を受けます

増田さんはパートナーと一緒にオタク趣味を楽しみたいって気持ちがあるのかな〜という気がしたのですが、さほどオタクじゃない男性でも交際していくうちにこちらの趣味に付き合って楽しんでくれたりすることもあるし、その逆もあったりするのがまた楽しいですよ。

そもそも男性って惚れてくれたら大概のことは受け入れてくれますから…。

とにかくオタク趣味男性絶対避けて下さい!!

これ以上疲弊する時間を増やしてほしくないです…。

オタクである自分」を好んでくれる男性は意外と同じオタクではなかったりしまから

数年前に婚活してたことを思い出してつい増田さんが心配になってしまいました…。

男は健全さが1番です!ヘルシーな男性を探すことを心からお勧めします!!

anond:20241213074753

家事という大雑把なくくりは止めて、腑分けしてそれぞれ自らの要求レベルに応じて行いましょうってことに尽きる。

幼保の無償化など子育て支援の拡充や、介護保険による介護サービスの普及など、昔は家庭で行われてきたことをどんどん公的サービスとして実施するようになってる。

現実的にはもう外注するのが当たり前の社会になってきてるでしょ。

コロッケは家庭で作らず買ってくればいい」

この精神よ。

子育て負担が大きいなら子育て世帯への支援を、介護負担なら介護世帯支援を。

そうでなければ専業主婦のいない世帯はどうすればいいのさ。

anond:20241213074753

両方働いて、完璧主義求めない家事をすればいい。技術も使ってね。日本人って何で乾燥機食器洗浄機自動調理器、食材配達使わないんだ?あと、家事だって自分で全部やるのが間違いで、月1、2回くらい外注して、手分けしてやって貰えばいい

教育を受けた女性がずっと自宅に引き籠るのは社会として不健全だよ。あと、パートタイムとして作業だけするのも良くない。時短勤務でもいいけど、正社員として能力に見合った仕事をすべき。

anond:20241213113647

AIにその解決策を聞いたら「富の再分配を行わないことにより社会不安定になるデメリットを強調する」と言われた

まりどんどん働いてどんどんパワハラセクハラ嫌がらせしてクソな社会を作り上げれば大麻ハッピー人生がいつか得られるかもしれない

anond:20241212214152

社会からいらない扱いされてるのに、仕事を求めるって意味からなくてさ。

ほんまそれなんだよな

俺たちの前に出てこないでください、お願いしますって頭下げて2億渡すべきなんだよ

外界と隔絶されたところでAIロボットインフラと食料生活用品揃えてもらって大麻吸いながらシンギュラリティを待ちたい

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