はてなキーワード: 出来事とは
先週の土曜日、朝起きて玄関を開けると、ポストの上に一枚の手紙が置かれていた。薄い白い封筒に、黒のボールペンで「〇〇様へ」とだけ書かれている。差出人の名前もなく、表面にはそれ以上の情報はない。
正直、こういうのは映画やドラマの中だけの話だと思っていた。現実でこんな手紙を見つけたら、普通なら警戒するだろう。でも、興味本位が勝った。封を開けてみる。
「お願いだから、気づいて。」
…何に気づけばいいんだ?何の話?意味が分からない。まるでホラー映画の冒頭みたいだ。
その日は1日中、手紙のことが頭から離れなかった。「気づいて」って何?何か忘れていることがあるのか?重要な出来事を見逃しているのか?家の中を見回しても異常はなし。身の回りの人にも特に変わった様子はない。
夜になっても答えは見つからず、半ば諦めて眠りについた。
翌朝。
玄関を開けると、また手紙が置いてあった。昨日と同じ白い封筒。震える手で開ける。
「もう遅い。」
…何が遅いんだ!?怖くなってすぐに警察に相談しようかとも思ったが、ふとあることに気づいた。
慌てて電話をかけると、「忘れてるかと思ったよ」と少し拗ねた声が返ってきた。手紙のことを話すと笑いながら、「そんなことするわけないでしょ!」と呆れられた。
じゃあ、あの手紙は一体誰が?
…今でもその答えは分からないままだ。ただ、あの手紙のおかげで母の誕生日を思い出せたのは確かだ。
これが偶然か、誰かのいたずらか、それとも…?
『ビフォアサンライズ』→『ニューシネマパラダイス』
って感じだった
さとうもかの予定とかりとる革命ってこういうシチュエーションなのかな
自分の言った暴言が自分にブーメランで帰ってきてそれをちゃんと受け止めるのはスカッとジャパンでもあり偉いとも思った
文体は甘いが、描いてる出来事はシビア。でもそれを受け止めたから幻想を逃れて自分の人生を歩めるって話でもあるよね。自分の人生を生きるための、相手の瞳にそう映りたかった幻想の自分殺し、夢殺しにちゃんと向き合った話。
キツい感じで終わるけど、だからこそその先には地に足をつけて生きていける未来が暗示されているという意味ではヴィットリオデシーカの『ひまわり』でもあるかも。
綾子は年齢も経歴も当時の著者に近似しすぎてるからそういうことなんだろうけど著者の本来の夢は漫画家でそれは(執筆時点では)諦めていたことを考えると0.5パーセントは進にも投影されているんだろうか。なりたかった集英社系列の漫画家、である谷川史子が表紙なのも、漫画家の夢に対するレクイエムなのか。
谷川史子の絵かわい〜
今年の漢字決まったわよね!
なにかななにかな?って
ワクワクがもう止まったと同然な結果発表を結果ハッピャーが華麗にも発表していたけど、
そもそもあの崩した毛筆書体が「金」だって言うことはフィフティーフィフティーで分かりにくいものよね。
大谷翔平選手のワンチャンのお利口な始球式を美事空気を読んで成し遂げたデコイにだって読めないわ。
そんなところを感じてしまうわ。
無難な感じね。
まあオリンピックイヤーはもうもれなく金だっつーことを皆薄々気づきまくりまくりすてぃーで
今年も金なんでしょ?って
もうこすり倒し続けている
谷でも金!亮子でも金!とは笑ってられないわよね。
あれ自由記述の今年の漢字にするなら集計も簡単でしょ?って思うし、
1回やってみたらいいのよ。
私は今年の漢字はビャンビャン麺の「ビャン」よ!
既に漢字で書けてないけれどインターネッツ界隈ではその「ビャン」にキャンセルすることは無いと思う話題沸騰だったと思うの。
たぶんみんなビャンビャンって言いたいだけなのよ。
でも、
だって私はその肝心の「ビャンビャン麺」って食べたことないもの。
世の中にそんなビャンビャン麺って本当にあるの?って感じだし、
コンビニのカップラーメン売り場のコーナーの陳列棚の上から下左右見渡しても「ビャンビャン麺」のビの字も見つからないわ!
一瞬「ビ」って見付けたけれど「ビーフン」だったしあれは米粉よ!ビャンビャンしてないし。
その今年の漢字をあまりにもみんなが予想していたものと裏切らない度100パーセントを達成するように、
あれ本場漢字の中国では今年の漢字!とかってやってんのかしら?
それも気になるところだけど。
でもやっぱり今年の漢字が安直に「金」と決まってしまう世の中の危うさは皆普通の一般的な無難な変な感じを選んでも後ろ指を指されない程度の大人しめな投票になっちゃってるのかも知れないわ。
いくら漢字が表意文字でアイコン的に1文字で多くの意味を一瞬で捉えられる情報量が詰まっているとは言え、
例えば
これで栄養満点だ!って言われても
それと一緒で漢字一文字で今年1年の出来事を現すっていうのがそもそもとして無理があるのかも知れないわ。
私がなにげに見た短歌のテレビで新聞や雑誌を切り抜いたものでアトランダムで作った川柳に
でも攻めきれなかったってところがジワるわ。
まあそれはともかく、
みなが予想していた「金」に選ばれて、
もう一度選ばれた漢字は選考候補に挙げない投票できないって仕組みにしたらもう「金」が選ばれることがなくなるから
なんかでもあれが清水寺の偉いお寺のお師匠様が書く金の漢字がどうしても金に読めないぐらい達筆すぎてそれはそれでいいのかしら?って思うところもあるし
なんとかは筆を選ばずとは言うけれど、
もうちょっと読みやすい「金」でもいいんじゃない?って思うし、
あの筆の太さなら細かい総画数が多い漢字が書けない問題も新たに直面するからなおのさら
「ビャンビャン麺」の「ビャン」って漢字が今年の漢字になったなら
半紙が真っ黒になっちゃうわよね。
何書いてあるのかよく分からないビャン!って
でもまあみんな年末になればすっかり今年の漢字のことも忘れちゃって
現に今年何年だったっけ?ってみんな覚えてないでしょ?ってのもあると思うの。
でも例外があってオリンピックイヤーは必ず今年の漢字は「金」になるから
今年の漢字は「金」ですなー!「金」でしたねー!って
田村さんと谷さんが話していたら笑えるけれど。
谷さんも「金」の今年の漢字を気にしているしってことで
忘年会盛り上がると思うの。
今年の一皿の漢字一文字も「ビーフストロガノフ」ってもうみんな忘れちゃってるでしょ?
みんなビーフストロガノフって言いたいけれど
実体はなに?って食べたことない人も多いかもしれない憧れを込めつつ、
本場の「ビーフストロガノフ」ってどこで食べられるのかしら?
実際何屋さんの何を専門にしている料理店に行けば、
「ビャンビャン麺」や「ビーフストロガノフ」を食べられるのかしら?って思うの。
今年の私の漢字は憧れを込めつつ「ティーボーンステーキ」ってやってもいいかもしれない。
「ティーボーンステーキ700グラム!」って凄い勢いで注文してみたいわ。
そして大将もそんな大きなステーキを焼くのが久しぶりだから張り切っちゃって
「へい!ティーボーンステーキ700グラムいっちょう!」って張り切って焼いてくれるの。
おまち!って出てきた鉄板に盛られたティーボーンステーキ700グラムの鉄板の縁には大将の親指が入っていて、
ティーボーンステーキ700グラムを焼くのに大将張り切りすぎ!って女将さんがフォローするのよ。
そして女将さんは付け合わせのお芋の煮っ転がしの小鉢を渡してくれるの。
私は早速そのティーボーンステーキ700グラムにかぶりつこうと思ったけれど、
先に食べてしまおうと思った、
付け合わせのお芋の煮っ転がしのお芋が小さくてお箸でつかみにくくてそこに苦戦している皮肉さがあって、
もー!お箸で煮っ転がしのお芋が上手につまめないジレンマにも駆られて
二兎追うものは一兎をもーなんてティーボーンステーキは牛だけど!って思うの。
私は付け合わせのお芋の煮っ転がしは一旦置いといてティーボーンステーキに夢中になるはず!
そんな大将と女将さんがやってる小料理屋で美味しいティーボーンステーキいってみたいわね。
手間の掛からない儲けのあるものを注文して頼んでくれると顔に出るところが面白いわ。
そんな女将さんの笑顔に「金」を与えたいわなんて安直なオチにはしたくないけれど
いかに「金」って漢字が使いやすいってことをいつも4年に1度ぐらいのペースで思い出すには
やっぱり今年の漢字は4年に1回のペースで「金」になるってのが決まりになっているんだわ。
うふふ。
キャベツがたくさん挟んであってソーセージが挟まっているやつ!
おー!しんなりキャベツの千切りとソーセージが美味しいマッチングよ。
ここなんかお店行列がたくさん出来ていて久しく寄れていなかったけれど
前を通ったらタイミング良く買えてよかったし、
今日は幸先いい感じよ!
なんか甘みが欲しかったので
朝起きた身体を温めるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
嘘松。本当に友人が自殺したなら、詳細な出来事や状況をここまで長々と具体的に書ける精神状態ではないはず。感情的に混乱している中で、文章を書くことが難しいはずなのに、これほど詳細に物語を進められるのは不自然。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E7%B4%80%E6%B4%8B
60%減の8,000万円(推定)の単年契約を提示された。中村はこれを戦力外通告と判断し自由契約を申し入れるが、球団はこれを認めずに交渉は長期化した。
中村の退団が決定する。その後、トレードを試みるも、獲得球団はなく、1月17日に正式に自由契約選手となった。
それに引き換え、2億以上もらって1勝もできない、
それでいてプライド高いように見せかけて、日本に帰ってきて燦々たる成績で
楽天に10億くらい返金するくらいの男気あるかと思えば、逆に1勝もできないのに金を要求する
最近流行ってるゲーム史上の重要性とは何も関係ないが何となく思いついたのでやってみることにした。
フランツ・リスト(1811-1886)はハンガリー王国の寒村ドボルヤーン(現オーストリア・ライディング)に生まれた作曲家。リストはハンガリー人としての自意識を持っていたようだが、両親はドイツ系であり、他方でパリで成功を収めた関係上フランス語を使って生活していたと思われる。いわゆるコスモポリタンであり、○○国の音楽家とは言いにくい。音楽史上の重要性ではバッハやベートヴェンには劣ってしまうから義務教育では名前は出てこないだろうが、少なくともピアノ音楽史上は絶対に避けては通れない。無尽蔵の超絶技巧によってピアノの表現可能性を著しく拡張したからだ。膨大なリストのピアノ作品から7選ではきついので、リストの活動時期に区切って7選ずつということにした。
クラシック音楽の紹介をする以上、演奏(録音)の紹介は避けて通れない。まさか自分で弾いて確かめろというわけにもいかないだろう。筆者は、リストの豪華絢爛な超絶技巧音楽が大好きである一方、特に晩年に多い宗教的、内向的な音楽は未だにあまりピンと来ない感がある。努力はしたが、晩年作品を中心にうまく推薦ができていないのは好みの関係で、あまり色々な音源を聞き比べていないことが一つの理由だ。
リストのピアノ作品はあまりに膨大で、しかも抜群の技巧を要求する作品も多い。一曲ごとの規模の違いを無視していうが、大量のピアノ曲を残した作曲家であるショパンの場合作品数は200強。単独ピアニストによる全集も作られているし(ギャリック・オールソン、アシュケナージ、横山幸雄も作ってますね)、レコード会社の企画モノで複数のピアニストを起用して制作されることもある。横山氏みたいにぶっ続けの連続演奏会を開いてしまうことも不可能ではない(https://www.afpbb.com/articles/-/2784123)。
しかしリストの場合は単純な作品数の多さ、別稿・異稿が多く存在すること、難易度の高い曲が非常に多いことから、「全集」の制作は困難を極める。複数のピアニストを起用しているNAXOSのリスト・ピアノ曲集シリーズも未だに全曲をカバーできていない(もし完結していたら教えてください)。その点で単独でリストのピアノ作品全集という前人未踏の大偉業を成し遂げたレスリー・ハワードのCD(Hyperion)は本編と別巻(新たに発見された別稿・異稿)あわせて99枚というとんでもない分量がある(全曲試聴可能/https://www.hyperion-records.co.uk/dc.asp?dc=D_CDS44501/98)。優れたピアニストであるハワードでも、短期間に、といっても10年以上あるが、大量の作品を録音しなければならない計画故、詰めの甘い演奏がかなりあるように感じられ、何も考えずにハワードの全集を推薦するわけにもいかない。とはいえ、ハワードのおかげで取り敢えずリストのピアノ曲のほとんどをまともな「音」として把握できるようになった。ここで敬意を示しておきたい。ハワードのCDを一巻ずつ紹介している古くからのサイトがあり、本当に頭が下がる(https://www.katch.ne.jp/~hasida/liszt/liszt.htm)。良くない演奏もバシバシ指摘している。
リストの生涯について。作曲家の生涯を知ることが楽曲の理解に必ずしも結びつくわけではないが、それでも、どのような作風を意識しているのかとか、どのようなモチーフを描こうとしたのか(特に標題音楽の場合)ということを知ることは有益だろう。作曲家の置かれていた状況を知ることはその理解の助けになり得る。リストの場合、ざっくりいえば大スターとして活躍した1840年代までの時期(前期)、ワイマールの宮廷楽長としての活動が中心になる50年代(中期)、そして50年代末の波乱、特に愛人カロリーヌとの結婚が認められず、子どもの早世などの不幸に連続して見舞われた後、ローマに腰を落ち着けて作曲活動を再開し、亡くなるまでの晩年の時期(後期)に活動を区切ることができる。このあとは単に前期・中期・後期とのみ述べる。ここで紹介するのは、前期、少年時代からピアニスト時代までのもの。父を失って本格的にピアニストとして稼がねばならなくなり、大スターになっていくが、仕事ばかりで事実上の奥さんとは破局する。そして後年の恋人カロリーヌと出会い、ヴァイマールの宮廷楽長に就任するまでだ。
作品番号について。クラシック音楽には、出版社のつけた出版順序を示す作品番号(op. xxみたいなやつ)がついていることが多い。クラシック音楽では、抽象的に「ピアノソナタ」とのみ名乗る曲が多いので、作品番号は楽曲の区別にとって大事になる。しかし、リストの作品番号は出版社ごとに全然違うなど滅茶苦茶で(こういうことはシューベルトにも言える)、作品番号では把握できない。そこでよく使われるのは、イギリスの音楽学者ハンフリー・サールが整理して付番したサール番号(S. xx)である。Wikipediaにもサール番号順のリストの作品一覧があるので参照されたい。
彼の代表作の一つ、「超絶技巧練習曲」の初稿にあたる作品。48とあるが、実際には全12曲。「超絶」を聞いたことがある人なら驚くはず。リスト15歳の頃の作品。リストはハンガリー貴族たちから奨学金をもらってチェルニーの元で学んでいたのだが、本作品は明らかに影響が見て取れ、微笑ましいと思うか、チェルニー××番を思い出して頭が痛くなるかは人次第だろう。録音は多くない。筆者はハワードを一聴したことがあるのみ。ウィリアム・ウォルフラム(NAXOS全集20巻)は未聴。パガニーニの影響を受けたあとの改訂版(24の練習曲 S.137)は異常に難易度が高い割に第三版にあたる「超絶技巧練習曲」ほど演奏効果がないのでやはりほとんど取り上げられない(ハワードは録音している)。
2. 「ある芸術家の生涯の出来事」 S.470(1834年出版)
タイトルでもしやと思った方、あなたは正しい。ベルリオーズの「幻想交響曲」のピアノ編曲だ。実は原曲よりも出版自体はこちらの方が早いようだ。ふられた作曲家がヤクをやって彼女を殺して処刑されて悪魔のサバトに遭遇するという夢、というとしょーもない話だが、この曲は初演当時多数の人々を熱狂に巻き込んだ。リストも熱狂した一人だった。それでピアノ編曲までやってしまったのだが、当時は録音技術がないので、家でちょっと味わおうとCDだのSpotifyなどというわけにはいかない。ピアノで弾くしかないわけだ。とはいえ、よくあるオケ作品のお手軽編曲ではなく、オーケストラの生み出す音響を可能な限りピアノで再現しようとした意欲的な作品だ。演奏難易度は極めて高い。フランソワ=ルネ・デュシャーブル(EMI)とニコライ・ペトロフ(原盤は知らないがVeneziaの再版盤を所持)の演奏が世評高く、特に後者の演奏は凄まじいが、まだまだこの曲のポテンシャルを完全には引き出していないような気がする。ジョヴァンニ・ベルッチ(CD未所持)は公式YouTubeに演奏動画をアップロードしている(https://www.youtube.com/watch?v=bSqunBoj0cY)。これが一番アクセスしやすいだろう(録音は一番良い気がする)。
3. パガニーニによる超絶技巧練習曲S.140(1840年出版)
1828~34年に欧州でコンサート・ツアーを行ったヴァイオリニストのニッコロ・パガニーニは極限まで高められた演奏技巧と表現力によって多くの熱狂的ファンを獲得した。リストもパガニーニに狂った一人(またかよ)。全6曲、すべてパガニーニ作品からの編曲だ。ヴァイオリンの技法をピアノに映すというよりも、パガニーニから霊感をもらってピアノ技巧の拡張を試みたものと言って良い。第3曲が「ラ・カンパネッラ」(ヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章の編曲)だが、有名な「ラ・カンパネッラ」は、実は本曲集の改訂版S.141(1851年出版)の方であり、本曲集を聴くと、違いに驚く(逆にパガニーニの原曲を知っているとそちらに忠実ということに驚く)と思われる。そしてこの曲集は何よりも演奏難易度の高さで悪名高く、特にひたすら重量級かつ幅広い跳躍のある和音アルペッジョが続く第4曲(の第2稿)はピアノマニアの間では語り草になっている。また第6番「主題と変奏」(原曲は24の奇想曲第24番)の第9変奏も地味ながら恐ろしく難しい。
かつては本曲集といえばペトロフ(原盤Melodiya、VeneziaとOlympiaの再版盤で所持)、大井和郎(Deutsche Shallplatten)、そしてハワード全集しかなく、マニアたちがアップロードしているMIDI演奏の非人間的超絶技巧を楽しんでいたのだが、現在ではゴラン・フィリペツ(NAXOS全集42)とヴァレチェク(Capriccio)が挑戦している。現在でもペトロフの演奏が最も高い水準にある思われるが(映像もある https://www.nicovideo.jp/watch/sm12879344)、フィリペツの演奏もそれに並ぶハイレベルな演奏であり(流石に6番の第9変奏は苦しそうだが)、CDの入手可能性もあるので今ならフィリペツを聴くと良い。
困ったことにペトロフの映像は中々手元を写してくれない。ニコニコ動画で「国家機密の指」と揶揄されているが、確かこれはペトロフがカメラに写されることを非常に嫌っていたからだと思う(出典は忘れた)。
4. 旅人のアルバム S.156(1836年~1842年出版)、「巡礼の年 第一年:スイス」(1855年)、「巡礼の年 第二年:イタリア」(1858年)、「第二年補遺:ヴェネツィアとナポリ」(1859年改訂版)
ダグー伯爵夫人マリーは当時のパリ社交界を代表する人物で、たいへんな美貌の持ち主だったという。リストは1834年頃からマリーと逢瀬を重ね、35年にマリーは妊娠している。大胆なスキャンダルは芸能人の特権。
特に社交界でつまはじきにされることもなかったようだが、人目を憚るように二人は(それぞれ一時的なパリ帰国も挟みつつ)スイスやイタリアへの旅行に順次出かけている。鉄道もない時代なので妊婦には大変な重労働だったはずだが、ジュネーヴで36年12月、長女ブランディーヌが誕生した。
旅人のアルバムは、スイス旅行で見聞きした風景や民謡をモチーフにした曲集で、全19曲ある。このうちの数曲が改訂を経て「巡礼の年 第一年:スイス」 S.160(1855年)に結実する。また、37~38年に訪れていたイタリア旅行で見聞きした風景や芸術作品から受けた霊感を表現した「第二年」と「補遺」も出版は後年だが、大部分は39~40年頃に完成していたらしい。
旅人のアルバムはほとんど聴いたことがない。NAXOS全集32のアシュリー・ウォスもハワード全集でも聴いてない。巡礼の年の方は、第三年も含めた全曲盤ならラザール・ベルマン(Deutsche Grammophone)が有名。村上春樹の小説中に登場したせいでクラシック音楽のCDにしては珍しく再版がかかった。個人的にはルイ・ロルティ(CHANDOS)の演奏がとにかく美しく、大好きである。巡礼の年は、大曲もあるが、短めで肩肘張らずに聞ける曲も多いので、リスト入門にはもってこい。第一年の大曲「オーベルマンの谷」単独ならアルカーディ・ヴォロドス(SONY)がホロヴィッツ編曲を織り交ぜながら気合い入りまくっている(https://www.youtube.com/watch?v=4ADtxG-b8ik)。第二年、そして本曲集最大の大曲であり、リストの最高傑作の一つである「ダンテを読んで:ソナタ風幻想曲」は、評判の高いベルント・グレムザー(Koch Schwann)は未入手。ロルティ(CHANDOS)は全集版も第二年だけの旧録音どちらも良い(とにかく超絶技巧を味わいたいなら若い頃の旧録音が良い)。有名曲なので演奏動画をアップしている人はプロアマ問わず色々いる。
5. ベッリーニのオペラ「ノルマ」の回想 S.394(1844年)
幻想交響曲もそうだが、リストの作品の多くを他作品の編曲が占めている。特に多数のオペラ編曲があるが、この曲が最高傑作だと思う。中盤の鍵盤を駆け巡るアルペッジョは明らかにジギスムント・タールベルクの「三本の手」を取り入れたもので、聴いていて気持ちが良い。後半の「戦争だ、戦争だ!」のテーマに基づく部分は極めて難しく、ここを上手く弾けるかどうかがこの作品の見所。しかもいかにも難しいという様子で弾いては興ざめ。
今ならフィリペツの映像(https://www.youtube.com/watch?v=0TMypN1gW5k)が一番良い。CDもあるらしいのだが自主制作盤と思われ、未入手。他は、かつては表現意欲にあふれるベルッチ(assai)、ヴィルトゥオーゾ的な迫力あるトム・ウェイクフィールド(Symposium Records)、そして我らがスーパーヴィルトゥオーゾ、マルク=アンドレ・アムラン旧録音(Music & Arts)が三大録音だったと思う。アムラン新録音(Hyperion)は若干遅くなったが、抜群に録音が良くなり、総合的にこちらの方が好きかも。若手だと韓国のノ・イェジン(NCM)やイギリスのベンジャミン・グロヴナー(Decca/https://www.youtube.com/watch?v=OVKTEoxBIKE)が大変良い。
40年代に作曲されたもの。全3曲。演奏会用練習曲は、チェルニーのような練習のための曲ではなく、コンサートで披露して喝采をさらうための曲であり、いわゆる「性格的小品」の一種。リストはこういう曲をひっさげてコンサートに臨んでいたわけだ。第1曲から「嘆き」、「軽やかさ」、「ため息」と標題がついているが、出版社がつけたものに過ぎない。第2番の標題通り、全体的に軽やかな作風。特に「ため息」は有名でよく弾かれる。
第2、あるいは有名な第3番の録音はよく見るが、全曲録音というと意外とない。福間洸太朗(アクースティカ)のCDに全曲入っている。確かロルティ(CHANDOS)にも全曲録音があったはず。
スイス、イタリアでマリーと過ごしたリストだったが、ピアニストとして忙しく飛び回るためにマリーを放置してしまい、結局二人は破局する。ひどい話で、破局した後もリストは演奏活動をしていたので、リストの母が子どもたちの面倒を見ていた。
41~43年の夏にリストとマリーはライン川の中州にあるノンネンヴェルトの古い修道院で子どもたちと共に過ごしているが、これがマリーとの最後の親密なお付き合いだった。この曲は、当時同地に夫妻を訪ねてきたリヒノフスキー侯爵の詩に音楽をつけたもの。シャルルマーニュの武将ローラン戦死の誤報を受けて絶望した妻がノンネンヴェルト修道院に入ってしまい、ローランは二度と妻と会えなくなったことを知って修道院を見下ろせる土地に住み着き、妻を思う歌を歌った・・・という救いのないストーリーだ(歌詞:https://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S4212.htm)。マリーとの破局に後悔していたのか、リストはこの曲に相当執着していたようで、ピアノ独奏用を含めて複数のヴァージョンを作り、何度も改訂している。晩年のバージョンをアンスネス(EMI)などが録音しているが、重苦しい。当時のバージョンはそこまで重苦しくないと思う。推薦音源はあまり思いつかない。全集を録音しているハワードもライナーで"beloved"と書いていて、気に入っているみたいである。
華麗なオペラものやシューベルトの歌曲の編曲(魔王を含めてかなりの曲を編曲しており、どれも魅力的)など、編曲を中心にまだまだ色々な作品があるが、そろそろ次の時代に進もう。
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副題: 「暗い路地と甘い毒」
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物語の舞台は、どこか寂れた小さな街。平凡な日常の中にどこか不穏な空気が漂っています。
ここには、二人の奇妙な住人がいます。
この街の片隅に住む、いつも灰色のパーカーを着た中年男性。彼は人と深く関わろうとせず、いつもフードを目深に被っている。町の人々は彼を「変わり者」として避けていますが、その正体は…かつて闇社会で名を馳せた“伝説のヒットマン”。今は過去を隠し、ひっそりと暮らしています。
街の中心部の喫茶店で、ひときわ目立つ存在のゴスロリおばさん。フリルに包まれたドレスと黒いレースの傘、鋭い眼差しが特徴的。彼女は謎めいた薬草や香水を扱うアロマ店を経営しているが、その裏では「依頼人の悩みを解決する毒の調合師」として知られている。
二人はお互いの存在を知りつつも、決して交わることのない関係でした。
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しかし、会話の端々にお互いの「裏の顔」を匂わせるフレーズが交錯し、二人の間には緊張感が漂います。
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翌日、ゴスロリおばさんが再びパーカーおじさんの家を訪れます。彼女は驚くべき依頼を持ちかけます。
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二人の対立するスタイルが、コミカルでありながらも緊張感を生む展開を描きます。
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物語のクライマックスでは、組織のボスとの直接対決が描かれます。
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最後のシーンでは、二人が一緒に喫茶店でコーヒーを飲む姿が描かれ、物語は静かに幕を閉じます。
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なんかそんな感じの名前の漫画かアニメか知らんけど、盛り上がってたからふと思い出した。
つか、ダダダダーンの方、ググってみたらクイズ番組扱いされてるけど、そうだっけ?なんか、アンビリーバボーみたいな内容で、運命を変えてしまった出来事を紹介する番組だったと思うが……。
数年以内に台湾有事が起こるのは間違いなさそうだ
10年以上前なら"まさか"と思うようなことが現実に起き続けている
まだまだ連鎖するのだろう
これまで何となく俺の中では、現代の戦争はすぐに終わるイメージがあった
そうなったら俺は志願兵に応募する
俺の学生時代や仕事での出来事は、他の人には普通のことかもしれないけれど、
俺にとっては全てが痛みを伴う経験だった
どんなに努力しても、何も報われないような気がして、どんどん自分が小さくなっていった
同級生との関係はあまりうまくいかなかったし、運動も得意じゃなかった
もちろん、俺は得意じゃないから、参加するのが嫌だった
でも、無理にでも試合に出させられた
その時、誰も俺をパスしなかった
ボールが回ってくることはなく、俺が何かしようとしても誰も助けてくれなかった
それどころか、ボールが来ても周りの奴らは意図的に避けるような素振りを見せていた
自分がいかに無価値で、誰からも必要とされていないかを実感した瞬間だった
その後、俺がサッカーの試合でゴールを決めたわけでもなく、チームに貢献したわけでもない
他の生徒たちがグループで楽しんでいる中で、俺だけが一人でいることが多かった
誰からも声をかけられず、逆に誰かに声をかけることもできなかった
サークルに入ろうとしても、すぐに自分が必要とされていないことを感じた
特に、勉強面ではみんながどんどん先に進んでいく中で、俺は取り残されているような気がした
ある日、ゼミのグループワークで、課題を一緒にやろうと声をかけられた
最初は嬉しかったみんなで協力して何かを成し遂げることができると思った
しかし、いざ作業を始めると、他のメンバーたちは次々と仕事を分担していくのに、
俺には何も振られなかった
最初は気にしなかったが、時間が経つにつれて、自分だけが何もできていないことに気づいた
そして、他のメンバーたちがどんどん作業を進めていくのを見て、俺が必要ない存在だと痛感した
結局、そのグループは俺をほとんど無視する形で、最終的に提出物をまとめ上げてしまった
その後、ゼミの教授からも、「君は積極性が足りないね」と言われ、
自分はただ、流されているだけの存在だと感じて、心の中でどんどん孤立していった
俺は他の学生たちと同じように準備をして、いくつかの企業の面接に臨んだ
しかし、面接で何度も落ちた面接官に言われた言葉が今でも忘れられない
「君は自分に自信がないように見えるし、仕事に対する熱意が伝わってこない」と言われた
その言葉が刺さった
自分でもわかっていた
何度面接を受けても、結果は同じだった
最初に配属された部署では、先輩たちがすでにチームとしてうまく回っていた
最初の頃、上司から与えられた仕事を必死でこなしていたが、何度もミスをしてしまい、
同僚たちに迷惑をかけた
すると、同僚たちは徐々に俺を無視するようになった
ランチの時間になっても、みんなで食堂に行くわけでもなく、俺だけが一人で食べることが多くなった
すると、言われた
「君が積極的に動かない限り、チームに溶け込むのは難しいよ」と
そんな中で、ふと思ったことがある
しかし、何もできないまま生きていくのは、
そしてふと「戦場に行けば死ぬことで何かを残せるんじゃないか」という考えが頭をよぎった
戦争に行くことで、
今までの無意味な時間を終わらせることができるんじゃないかと思うようになった
停戦になると俺は思っていた
台湾有事も実際に起きれば長引くのだろう
事実上、「弱者が戦場へ構造的に連れて行かれ早死する」ということが
あらゆる時代で起きる
それに自覚的に乗ろうと思う
誰にも惜しまれない命として
この文章自体は創作だと思うが、素人っぽさ(それゆえの真実味)を出すためにわざとやってるのではないかな?
日本ネット最高峰の日本語運用能力を持つはてなー達は忘れがちだけど、普段まとまった文章も日記も書かない人に経験した出来事を書かせると過去・現在・未来の時制があいまいな文章になるのはよくあることで。
たまに面白いポストがあってフォローしてた人がなんか苦しそうだった。
2次元はよく分からないけど、3次元でオタクすると解釈不一致というか、推しの言動で傷つくことはたまにあると思う。好きであれば好きであるほど苦しそうだし、「私はこの人の外見だけじゃなくて中身のこういうとこも好きだ!」って思ってるほど傷つくんだと思う。
そもそも好き勝手応援して元気パワーを貰えるはずの所詮娯楽で苦しんでんのも意味わからん話で。
去年どうしても解釈不一致すぎる出来事があり、よくよく考えた結果、一切中身に期待しないようにしてから途端に楽になった。一年以上この状態で楽しくオタクしてる。別に中身に期待せずとも、現場で見られる「顔・歌・ダンス」だけで、現場で見るもの感じるものだけで楽しいと思えた。まあ究極の現場厨だね〜グッズもいいなって思ったやつだけ、いつかメルカリで全然値段がつかなくなってゴミ同然になっても買ってよかったって思えるものだけ買ってる〜
特に左派はパレスチナ応援アピールのパレスチナ国旗マークやスイカアイコンを掲げながらどうして無関心でいられるのだろうか
アサド政権はこの10年でサリンなどの化学兵器を用いた大量虐殺や、多くの対立者を刑務所に送り片っ端から死刑にするなど、数十万人のシリア人を死に至らしめており、冷戦後で見ても最悪の指導者だったが日本では岩波がアサド政権のプロパガンダを垂れ流したりしていた影響なのか、状況がよく理解できていないようだ
今回のシャーム解放機構による宗教や民族や外国に依存しない政権打倒はそれこそ韓国のデモなんかよりもよっぽどすごいことで、ロシアとイランとヒズボラの弱体化が生んだ奇跡とも言うべき出来事なのだが…
[追記]
そもそもシリアの事を知らない人が多いようなので、端的にわかりやすく識者のアカウントをいくつか紹介しておきます。信頼できる人、留保がいる人、プロパガンダな人と色々いるので見比べるといいと思う
〈信頼できる人々〉
アサドとプーチンを追ってきたジャーナリスト。シリアについてフラットに一番詳しいと個人的には思っている
・石田昌隆
リベラル写真家。中東には以前から詳しく、特定のイデオロギーに偏っていない貴重なリベラル
・直立演人
・露探【円谷猪四郎】
・内藤正典
トルコをメインとするイスラム学者。トルコについては信頼がおけるがシリアに対してもトルコ寄りの視点なのは留意しないといけない
・異常者
イスラエルを中心とした中東事情に詳しい現地人物。視点としては基本的にイスラエル寄りだがイスラエル全支持とまではいかない
〈信頼出来ない人々〉
・青山弘之
アサドべったりのプロパガンディスタ。アサド政権と深い関係を築いていた
https://news.yahoo.co.jp/expert/authors/aoyamahiroyuki
・青木健太
・篠田英朗
現職大統領のクーデター未遂とも呼ばれる戒厳令の布告による大混乱の渦中にある韓国社会。
その様子を見ると、とても情緒的に人々が物事の判断をしているように見えて怖い。
ユン大統領と前国防大臣の出身高校に対して苦情の電話が鳴り止まない、などという論理的思考からかけ離れた行為をする人々が多数いることなどはまだかわいい話としてもいいと思うが、
実際問題として韓国軍が最高司令官からの命令にサボタージュを行ったというのはまさに情緒に支配された社会というものを象徴していると思う。
たとえ正しくない命令だとしても最高司令官が命じたのならば、最低限の命令実行を行うのが然るべき民主主義社会におけるロジックだと思うのだが、
現場の指揮官などがなんとなくこれは従わなくていいだろう、と判断してなんとなく命令を無視し、
そしてそのことに対してなんとなく許容されていることなどは驚異的な出来事と感じる。
たとえ正しい行動だったとしても形だけは命令違反サボタージュを行ったことに対しての責任追及が行われて当然である。
あくまで理論的にせよ、命令違反を実行したのだからそのことはそのこととして問題化したうえで、あらためてその行動を不問とするべきである。
しかし、全く持って、正しいことをしたのだからそこは追求しない、などというのは理解しがたい。
このようななんとなくの雰囲気に流されがちな社会だからこそ、そもそものロジックな思考からかけ離れたクーデター騒ぎのようなものが起こるのだとも言える。
まあ、日本も他国から見たら甚だしくロジックな国ではないのだろうが、それは東アジア社会に共通したなにかがあるからなのだろうか。
トランスジェンダーの性自認に関しては世間で散々疑われてるけど、個人的には解離性同一性障害もなかなか胡散臭いと思ってる。
多重人格とかただの中二病としか思えないし、犯罪を犯しても「別の人格がやった犯行で〜」とか言い訳してるのを見ると「は?」ってなる、責任能力がないとかふざけんな。
記憶を共有してない()とかいうのも嘘っぽい。どんな人格がいるか質問するのもタブーって、結局思い込みでしかないから辻褄が合わなくなるってだけでしょ。
幼少期のトラウマとか言ってるけど、本当にそんなのある?誰しも幼少期にショックな出来事の一つや二つあると思うけど、多重人格になんてならないんだわ。
トランスジェンダーもそうだけど「私は体は男だけど心は女なの!」とか「俺の中には何人もの人格があるんだ!」とか、統合失調症の集団ストーカー妄想と同じただの病気なんだから、真面目に取り合っちゃダメなんだって。
統失の妄想を真に受けて「それじゃあSPを雇いましょう!」って言う奴がいるか? お前のそれはただの病気で思い込みだと切り捨てる方が、絶対その人のためになるんだよなぁ…。
打姫オバカミーコ、猟子が2索をツモって優勝する所
※猟子があがれるのは2索だけなのだが、4枚中3枚がドラとして出てきてしまい、
そこには2索がいた…というシーン
→2索とそれを持ってる猟子の指だけの大ゴマ(1頁全面)の衝撃がすごい。
そのコマに至るまでの助走(盛り上げ)がすごいことに気づいた。
追い詰められて追い詰められてもうこれは本当に無理だろという状況に陥って、しかし最後に逆転というのも
言ってしまえばそういうふうに書かれた話だからというだけのことに過ぎない、
しかしそういった嘘臭さや、都合のよさを感じさせない
隣の部屋からテレビの音が聞こえてくる。たぶん、俺が寝落ちする前につけっぱなしにしてたんだろう。まぁ、よくあることだ。面倒くさいけど消しに行くか、と立ち上がった。
ドアを開けてリビングに入ると、確かにテレビがついてる。ニュース番組だ。ソファには毛布がかかってて、誰かがさっきまで座ってたような形跡がある。「あれ、俺こんなとこで寝たっけ?」と首をかしげながら、毛布をめくると、そこには誰もいない。
「まぁ、いいか」と思ってテレビを消そうとした瞬間、画面が急に真っ暗になった。リモコンにも触れてないのにだ。少し不気味に感じたが、次の瞬間、隣の寝室からまたテレビの音が聞こえてきた。
「ん? 隣の部屋?」そう思って覗こうとしたけど、なぜか足が動かない。背中には冷たい汗がじっとり。「そもそも…」と頭の中で声が響く。
俺は一人暮らしのはずだったよな?
あなた:
「ひらがなで書くと、意味の異なる複数の解釈ができる」という視点で、単語または文章を考えてください。長いものであるほど優秀です!
ChatGPT:
面白いテーマですね!以下に、ひらがな表記によって複数の解釈ができそうな長めの文章を考えてみました。
- 「さくらいろのはなびらのり」
- 桜色の花びら乗り(桜色の花びらに乗っている様子)
- 桜色の花びら糊(桜色の花びらで作った糊)
- 桜色の花びらのり(桜色を塗るための糊)
「ひらがな」ならではの曖昧さが楽しいですね!もし他にも具体的なテーマや長さのリクエストがあれば教えてください。
あなた:
ありがとうございます。「複数」と私がお願いしたので3つずつ書いてくれましたが、やっぱり2通りだけでよいです。
ChatGPT:
以下はその例です:
この文は少し冗談や言葉遊びが含まれているように見えます。「部長が社食の券売機で温泉卵を買い占めていた」という部分は、文字通り「部長が会社の食堂の券売機で温泉卵の食券を大量に購入していた」ことを示しています。
一方、「食券卵用」という表現には、以下のような可能性が考えられます:
1. 言葉遊び
「食券卵用(しょっけんたまごよう)」は、「食券」と「卵用」をかけた冗談の可能性があります。つまり、部長が「温泉卵を買うための食券を多く購入した」という行動をコミカルに強調しているのでしょう。
2. 意味の補足
「卵用」とは、文字通り温泉卵のために購入されたことを指しているか、単に買い占めを強調するためのユーモア的な追加表現かもしれません。
文全体は、部長の少しおかしな行動を面白おかしく伝える軽い話題として使われているように感じます。特に「買い占めていた」という表現が、部長の行動を過剰に描写してユーモラスにしているのではないでしょうか。
温泉卵(やわらかくゆでた卵)を
大量に(買い占めるほど)購入していた
「食券卵用」の部分は、食券で買える卵という意味合いと、「食べる用」という意味が混ざっているように見えます。
おそらくこの状況には、以下のようなニュアンスがあるでしょう:
それが何らかの不適切な行為や面白いエピソードとして語られている
文脈によって、より正確な意味は変わってきますが、基本的には「部長が食堂の食券で温泉卵を大量に買っていた」という状況を描写しています。
これは「職権乱用(しょっけんらんよう)」という言葉をもじったダジャレ表現です。
元々の文脈は、部長が会社の食堂の券売機で温泉卵の食券を買い占めていた、つまり「職権を乱用している(職権乱用)」状況を、似た読みの「食券卵用」と書き換えることでユーモラスに表現しています。「職権乱用」を「食券卵用」に置き換えることで、「食券(しょっけん)」と「職権(しょっけん)」、さらに「乱用(らんよう)」と「卵用(たまごよう)」をかけ、部長が温泉卵を大量購入する行為を笑いに変えています。
要するに、部長が温泉卵を独り占めする行為を「職権乱用」ならぬ「食券卵用」と言い換えて、ちょっとしたシャレとして表しているのです。
自分の体験で言うと、そもそも若い時から内面はヤバい部分が確実にあった。
異性にちょっと好意を持たれただけで勘違いして距離を詰めてしまったり、
つまり若い時はそういう言動があったとして許される部分が多い。
問題はなにかというと、独身のままのおっさんは客観性を維持する機会が圧倒的に減ること。
結婚などして子供を持ったり家庭ができると自身のステージの変化が分かりやすく、かつそれが日常になっていく。
独身でも少なからずそう感じる出来事は増えていくが、家庭を持つほどの継続性はなかったりするから刷り込みが薄くてすぐ忘れる。
そうやって30代くらいから徐々に客観性を見失っていった積み重ねが、悪い意味で花を咲かすのがたぶん40~50代くらいなんじゃないだろうか。
簡単な話「他人に今どう見られてるか」すら意識できなくなっていくのだ。
なので狂っていくのではなく、本来どんな人でも持ち合わせるべき「他人に対しては隠すべき、我慢すべきもの」というのがダダ漏れになりやすいという事だと思う。
(ストーカー行為に走るとか社会的に明らかにヤバいレベルの狂い方についてはもはや別の要因では?とも思う)
一方で歳を取って独身でも変なクセがなく若い人からも慕われる人というのはいる。
自分となにが違うのか、そういう人を観察して分かるのは一見自己中に見えても案外ではないということだ。
自分の好きなように生きていると言いながら他者にとても気を配る人が多い。
そして割と重要なポイントなんだが、ファッションがその人に似合っている。
これはすごくオシャレとかってわけでもなく、ただ単にその人に合ってるなという見た目なのだ。
その人自身が自分の事をよくわかっているから、周りも安心できるのだと思う。
そして「自分の事は分かりたくない」という気持ちも少なからずあるような気がする。これもまた問題ではある・・・
十代の頃にはクセになっていた「自分を映すカメラが常に頭の斜め上にあって、そこからの映像を思い描く」を意識するようにしている。