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はてなキーワード: 思考とは

2025-12-09

anond:20251209100039

男はまさにこういう奴がいるんよな。あまり物事を考えてなくてマスキュリズム支配されてる人

高学歴男だと色んな状況を想像する能力があって愚痴にも理解を示し、無思考でマスキュリズムしてる奴はあんまいないが

映画ルームロンダリングを見た

小さくまとまってはいもの普通に ( ;∀;) イイハナシダナーってなれる佳作だった。71点。

 

ここで一句

春すぎて 池田エライザ 乳でっか

作品の大筋とは特に関係ありませんが最も印象に残ったので書き記しました。

 

大筋としては幼少期に母親に捨てられ育ててくれた祖母を亡くして叔父である日本一小汚いイケメン俳優オダギリジョーに引き取られた陰キャ池田エライザは、彼が運営する心理的瑕疵物件(事故物件)に一時的に住むことで告知義務を解除するルームロンダリング業に従事している。霊が見える彼女出会う霊と隣人との交流を通じて成長していくのであった。

 

自分を受け入れること」という普遍的ポジティブメッセージに溢れていてよかった。

エライザは「母親に捨てられた自分」を受け入れられず他人拒否して人とうまく話せない。しか事故物件に住む地縛霊とはちょっと話す。特に冒頭の30分くらいはマジで幽霊とだけしかさないのでなんかギミックでもあるのかと思うくらいだったけど別にそんなことはなく、普通に心が解けていくと同時にポツポツ人間とも話しはじめていてそれはそれでよかった。

自殺したロッカーであるキミヒコは才能がないかもしれない自分が受け入れられず、結局デモテープレコード会社に送ることもできずに世を儚んで自殺してしまうし、刺殺された光宗薫は冴えないOLとしての自分が受け入れられずコスプレ承認欲求を満たしその結果刺殺されてしまう。

その中で唯一ポジティブなド陰キャ伊藤健太郎は光宗が刺殺された夜、隣の部屋で助け声を聞いていたのに怖くて何もできなかった自分を受け入れて、次に隣人が越してきたらその人には積極的声をかけようと決めていて、その結果、隣に越してきたエライザに介入して心を少しずつ変えていく役割を果たすのは作中のロジックとして正しいと思った。

オダギリジョー干渉せずに見守るポジションだしね。

母が出て行ったのは自分にこんな力があるからではと悩むエライザは一度はその力を拒否するも、その辺をうろついてる地縛霊に気まぐれで些細な親切をして大感謝されたこから「本当は私にできることがあったんじゃないか」と自身を見つめ直し刺殺光宗事件解決に乗り出し成功。最終的にオダギリの紹介で母親と再会する。母親は死んでいて、しかエライザが霊をみえる力があったことで再会がかなったということ、そしてオダギリにも母親にも祖母にも同じ力があったことが分かり、力があってもいいということ、孤独じゃないんだいうことで自分を受け入れてFinish!

( ;∀;) イイハナシダナー

 

地縛霊ものとしては最終的になんか感動させて除霊してめでたしめでたしとなりがちだけど、この作品はあえてそこに踏み込まない誠実さがある。まぁ、パンクロッカーのキミヒコの残されたデモテープエライザがレコード会社に送った結果認められて成仏ちゃう展開はあるんだけどこれは他人拒否していたのアグレッシブな誠意の成就だということでご愛敬

刺殺された光宗は今でも同じ部屋で次に越してきたイケメンに取り憑いたろうとしてるし、学芸会へ向かう途中で交通事故で死んだカニ服装をしたガキもずっとはしゃいだままだし。ちなみにこのガキは学芸会で猿蟹合戦をやる予定で、そのカニ役が潰れて死んだってのもアレだし、最終的にとある事件解決にその猿蟹合戦が生きてくる展開はめちゃくちゃ無理やりでベタだけどまぁ本筋ではないしな。必然性頑張ったのかなと苦笑い

後は自殺パンクロッカー編と刺殺OL編に大まかには分かれてるんだけど、エライザがデモテープを持ってきてしまたことでそれに憑いてきたパンクロッカーと光宗が邂逅して地縛霊同士気が合ってなんか仲良くなっちゃう展開は面白くてよかった。

 

あえて苦言を呈するならテーマ先行で登場人物の行動と思考が常に前のめりなので常にこっちが予想しているより半歩早くてつんのめる感じがあるなっていうのとあとはまぁ起きることがすげー地味なので緩急に弱いというところ。

ただ陰キャ池田エライザめっちゃ可愛いし出てる演者、みんな頑張ってて画面見てて飽きることはなかった。

小ぶりでもなんかい映画見たいな―って時にオススメ

会社組織におけるのチンパンジーの種類。そして人の愚かさについて。

これに言及する。

https://qiita.com/jesus_isao/items/29b878e137f46c675d89

これに言及するにあたり匿名しか発信できない私の弱さを許してほしい。

記事概要

元の記事はおそらく組織におけるマネージャーであろう筆者が、過去に発生した、文化背景思考全てが組織ミスマッチであった人間を、人間似て非なる存在であるチンパンジーに例えて、どのようにマネジメントするかについて考察し、それがどれだけ難しい事かを表現した良い記事であった。

私はこの記事にとても感銘を受けたのだが、Xでの炎上の後、投稿実質的に削除してしまった。

 

以上概要

私はチンパンジー代表として、そして貴様人間チンパンジーと罵る存在に相対してきたマネージャーの一人として、元記事筆者に敬意を表し、補足する投稿をする。

チンパンジーの種類について

お前

そこのお前だ。ちょっと頭が良くて調子乗っているお前。

お前なんてサバンナチンパンジーの群れに放り投げられれば、途端に役立たずだよ。

パソコンが使えてコードがかけても生きていけない、群れのお荷物よ。

お前が組織社会でやっていけるのは、属する群れと時代が偶然お前にとって都合がよかっただけという事を忘れるな。

 

もうちょい具体的に言うなら、会社が買収されたりして自分組織が土台から吹き飛んだ状況を想像しろ

そこでお前が活躍できるような優位性を持っていなかったら?

違う倫理観の人たちばかりだったら? 違う言語を話す人ばかりだったら?

お前は霊長類のどれになるんだろうね。

暴力的チンパンジー

ここからは真面目に書く。

記事であるような、人間とは倫理観の違う存在

彼らは暴力が無ければ生きていけない世界の住人であったり、その暴力程度では群れの中で傷つく者はいないような群れの住人。

あるいはその暴力暴力として認識していない存在かもしれない。

 

もうちょい具体的に書くならパワハラ気質のある人だろうか。

ブリリアントジャークとも言うかもしれないね

 

殆ど場合殆どの人は幸せを求めていると思っている。彼らもまたそうであり、自分の振る舞いで周りを困らせ自分が不幸になることを望んではいない。

記事チンパンジーだって、本当はサバンナの群れで生きていたかっただろうに。

怪我したチンパンジー

組織に迎え入れたときは元気に働いていたが、本人あるいは本人の家族などが重篤怪我を負ってしまい、今まで通りに働くことが難しくなった存在

怪我というのはメタファーであり、実際には肉体的な損傷よりも、精神的な損傷のほうが今の世の中では一般的かもしれない。あるいは、家族介護とか。

彼らの問題解決することは容易ではない。彼らは生活するための報酬必要とするが、何の怪我も負っていない人と同じパフォーマンスを出すことができない。

本人たちがどれだけ活躍を渇望していても、だ。

 

彼らには悪意や罪はないし、話も通じる。でもあなた怪我を負っていない幸せ存在である場合、根っこの部分では分かり合えない可能性がある。

彼らを活躍させて収益につながる活動をさせなさいと言われたあなたはどうする?

 

この記事を見た怪我人へ。負い目を感じると想像しています

少しずつ出来ることからやっていきましょう。それしかないんだろうけど。

沈黙チンパンジー

世の中はわかりやす暴力ばかりではない。沈黙という暴力をふるう存在もある。

度々遅刻する、謝罪はする。仕事はうまくできない、謝罪はする。指摘するが理解してくれない。泣いたり笑ったりもしてくれないから、何を考えているかからない。

どんなキャリアを歩みたいか聞いてもうまく答えられない。

分かりやすく激昂して周りに危害を加えはしないが、存在振る舞うだけで周りにストレスを与える。これもまた暴力の一つかもしれない。

 

どのような扱いをすればいいかのヒントを一切与えてくれない存在もまた、実質的に会話不能存在として扱いに困るだろう。

さあ君も彼のキャリア開拓してみましょう!

 

彼らもまた、望んで沈黙しているわけではない。彼らもまた、人間になり切れないことに悩んでいたりする。

お互い素直に喋れるといいよね。

人の真似をするチンパンジー

良く喋るし仕事もする。一見すると普通人間に見える存在

ただ根っこの部分では他人と分かり合えないものを持っていたり、倫理観の違いが表面化していないだけで、実は周りとは価値観が違う人。

予期しないところで迷惑な行動をとり、周りを困らせてしまう。でも、本人は本人なりの正義必要性で行動したつもりである

 

記事の筆者も、言い換えればこのチンパンジーである。彼にとってはあのような記事を世に出すことは、彼の倫理抵触しなかった。

そして私もまた同類なのだろう。

愚かな人間どもへ

そもそも人には、チンパンジーを含め人間以外の霊長類。豚、蛆虫、ばい菌などを、蔑称として用いている愚かさがある。

生存戦略が異なるが故に高い知能を持つことなく発達した他の生命体を下等な存在とみなし、その生物を用いた例えに侮蔑的意味付与している。

大体なんだよ霊長類って。自分たちの存在勝手生物最上級として捉えやがって。しか霊長類の中でもさらに Tier 分けして差別してやがる。

 

記事チンパンジーという表現は、単に言語が通じず価値観の異なるマネジメント難易度の高い人材メタファーとして解釈することもでき、その名称侮蔑的意味見出しているのは、お前の矮小傲慢差別意識から来るものではないか

まあ元記事筆者でさえ人間以外を下等とみなしている可能性は、文脈から否定できないけどさ。

 

まあ、もしもチンパンジー差別意味が含まれていたのなら、同僚(あるいは同僚だった人たち)をチンパンジー呼ばわりするのはちょっと酷いのかもしれない。

でも、もうちょい中身を見てもいいんじゃないの?

2025-12-08

anond:20251207000327

「あの時手に入れられなかったのだからもう手に入れても意味はない」という思考言い訳として便利すぎるので濫用されてるんだよね。

何もしないことを正当化して怠惰で成長しない人間が増えるデメリットが大きいので、一律で「そんなことはない」ということにしておく方がマシ。

今日特に抑うつが酷かった。

昼過ぎ頃に布団から這い出るも思考に靄がかかっていて体が重くて気持ちが悪かった。

先月くらいか抑うつ状態悪化している自覚があった。おそらく冬季うつというやつだ。

私は気分変調症を患っており年中うっすら抑うつ状態が続くのだが、時期によって程度がまちまちなのだ

お腹が空いてはいるが何を食べればいいか思考がまとまらなくて、とりあえずお菓子を食べた。

まだお腹が空いている気がしてレトルトカレーを食べた。

気持ち悪さが増した。

前回不調でキャンセルした精神科受診の振替日だったのだがあまりにも体が動かなくてすっぽかした。

休職している職場から休職延長の診断書を取得するよう言われているのに。

頭が働かないなりにぼんやり絶望した。

気がついたらそのまま眠っていて病院電話対応時間が終わっていた。

気持ち悪さが強くなっていて嘔吐した。

胃があまり動いていないようで昼に食べたカレーがそのまま出てきた。

クレカの引き落とし日が迫っているがまだ口座に入金をしていない。

通院のついでにするつもりだったから。

明日の私が動ける保証が無さすぎるので這うように外出の準備をして真っ暗な外に出た。

ついでに3日くらい放置してしまった回覧板を回しに行った。

無性に死にたくなった。

私は過去に親が自殺している。

自殺が周りに及ぼす影響を強く理解している。

そのためほとんど死にたい気持ちになることはない。(なっても実行する気に全くならない)

でも今日世界がいつも以上に冷たく見えて、死の感覚が私の背後にそっと寄り添っていた。

頭に熱がこもって不快なので車の暖房はつけない。

運転中の安全確認がいつもよりもおろそかだった。

信号ぼんやり眺めて、アクセル踏み込みたくなった。

視野が狭まっている感覚がある。

銀行では忘れ物がないかいつも以上に確認した。

寄り道せずまっすぐ帰路についた。

車載オーディオから「きゅうくらりん」が流れた。

「たとえば今夜眠って目覚めた時に起きる理由ひとつも見つからない朝が来たら私はどうする」

歌詞を聞いて涙が出てきた。

激鬱の時に聞く「きゅうくらりん」はこんなにも響くものなのだ

この感動のまま終わりたいかもしれないとぼんやり思った。

同時に、成功しても失敗しても良い結果にならないんだよなと思った。

特に失敗したら自分がより生きづらい未来が待っている。

玄関の扉を開けたら、猫が扉に張り付くようにして私の帰宅を待っていた。

猫は私を見つめて、たくさん鳴いて、喉を鳴らして、全身全霊で私の帰宅を歓迎していた。

私は玄関うずくまってわんわん泣いた。

猫はそんな私にまとわりついて体を擦りつけてシッポをピンと立てていた。

君はこう言ったよね。

普通の人は高市氏を批判することは日本批判する事じゃないわけ

anond:20251208125236

私もそれに同意するけどさ、高市批判に対する高市エクストリーム擁護派の典型的な反応は、まさに批判者に対する「反日」「非国民」呼ばわりなわけ。彼ら彼女らの頭の中ではまさに高市政権=日本の図式が出来上がってる。

普通の人は国旗を燃やしたりしないけど、汚損することはあるかもしれないよね。でも今回検討されてる法案って汚損でも犯罪とする可能性があるし、汚損か否か、故意か否か、どんな形状のもの国旗認定するのかなど、様々な細則が今のところ良くわからない。なので現状、恣意的運用される可能性もある。そんな状況なのに、それを今から手放しで容認するのって思考放棄だろう。

仮に汚損程度で罪になるなら、日本=高市政権)みたいな思考回路の人たちの前でうっかり国旗を汚損しようものなら、まさに国家政権侮辱したとみなされかねないわけで。それが大政翼賛的でないというなら何なんだ?

典型的左派戯言よな

国民の口をふさぎ全体主義への道を開く」

軍靴の音とか、大政翼賛とか、全体主義とかを並べとけば勝ちみたいな

二次元絵については「差別」一辺倒だけどさ

そういう、レイヤーの違う話で細かいことを論じずに相手罵倒して気持ちよくなるのやめなよ

からもついてこねぇんだよ

anond:20251208164554

マックスベネット著『知性の未来』の解説記事を読んで

越境する知性:AI時代における「感情」と「他者」の復権

――身体、環世界、そして間主観性から読み解く知性の未来

序論:計算の果てにある「知性」の空白

人工知能AI)の急速な進化は、私たち人間に突きつけられた実存的な問いである。「計算能力において機械人間凌駕したとき人間に残される価値とは何か」。この問いに対し、多くの議論は「創造性」や「直感」といった曖昧領域に逃げ場を求めてきた。しかし、マックスベネット著『知性の未来』と、それを翻訳解説した脳科学者・恩蔵絢子氏の洞察は、より生物学的かつ哲学的深淵へと私たちを導く。

彼らが提示する結論は、逆説的である。「AI時代人間が持つ最大の能力は、感情になる」。そして、「本当に頭が良い人とは、他者に興味を持てる人である」。

一見すると、これは道徳的スローガンのように響くかもしれない。しかし、認知科学進化生物学現象学の知見を総動員してこの命題を解剖するとき、そこには「知性」という現象構造的な転回が見えてくる。本稿では、二重過程理論、ユクスキュルの環世界身体認知社会脳仮説、そして間主観性という5つの視座を補助線とし、AIが決して到達し得ない「知性」の本質と、これから時代に求められる「知的生き方」について論じる。

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第一章:感情というエンジン

――二重過程理論による「知性」の主従逆転

まず、私たちが「知性」と呼んできたものの正体を、ダニエル・カーネマンらが提唱した「二重過程理論」の枠組みで再考する必要がある。

1. システム2の暴走AIの正体

伝統的な知能観において、知性とは「システム2(遅い思考論理計算)」の能力を指していた。複雑な数式を解き、論理的な推論を行い、未来を正確に予測する力である現在AI特に大規模言語モデル(LLM)は、このシステム2の機能を極限まで外部化・高速化した存在と言える。彼らは感情を持たず、疲労を知らず、膨大なデータから論理整合性を出力する。

しかし、ベネット氏が描く脳の進化史(5つのブレイクスルー)は、この「システム2至上主義」を根底から覆す。進化歴史において、論理言語といったシステム2の機能は、常にシステム1(速い思考感情直感)の要請によって開発されてきたからだ。

2. 感情論理駆動する

初期の生物線虫など)は、「快・不快」という原始的システム1のみで生きていた。進化過程で「予測」が必要になったとき魚類)、予測誤差としての「失望」や「安堵」という感情が生まれた。さらに複雑なシミュレーションマウス)が可能になったとき、反事実を嘆く「後悔」という感情が生まれた。

ここで重要なのは、「論理感情抑制するために進化した」のではなく、「感情をより細やかに処理し、生存確率を高めるために論理進化した」という事実であるシステム2は、システム1というエンジンの出力を最大化するためのトランスミッションに過ぎない。

AI限界はここにある。AIには「エンジン生存への渇望、快・不快感情)」がない。あるのは精巧トランスミッション計算能力)だけだ。エンジンを持たない車が自律的にどこへも行けないように、感情という基盤を持たないAIは、自ら「問い」を発することも、「意味」を見出すこともできない。人間の知性の本質は、論理のものではなく、論理駆動し続ける「感情熱量」にあるのだ。

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第二章:身体というアンカー

――身体認知と「意味」の発生

なぜAIには感情が宿らないのか。その答えは「身体」の欠如にある。「身体認知(Embodied Cognition)」の視点は、知性が脳という密室出来事ではなく、環境相互作用する身体の中に宿ることを教えてくれる。

1. 傷つく身体が「意味」を作る

記事の中で恩蔵氏は、老いによる身体の変化を「老年しか味わえない内的な経験」として肯定的に捉えている。これは非常に重要示唆を含んでいる。

生物にとっての「意味Sense)」は、身体的な脆弱性から生まれる。身体があるからこそ、空腹は「苦痛」となり、食事は「快」となる。皮膚があるからこそ、他者との接触は「温もり」となる。死ぬ定めの身体があるからこそ、時間は「有限」となり、焦燥や希望生まれる。

AIが扱う情報は、どこまで行っても「記号であるAIにとって「痛み」という単語は、辞書的な定義統計的な関連語集合体に過ぎない。しか人間にとっての「痛み」は、回避すべき切実なリアリティである。この「切実さ(Stakes)」こそが、世界に色を塗り、価値判断の基準を作る。

2. 老いと知性の変容

身体認知視点に立てば、加齢による能力の低下は、単なる「劣化」ではない。それは身体というインターフェースの変化に伴う、世界との関わり方の「再構築」である

若い頃の強靭身体で見えていた世界と、老いて動きが緩慢になった身体で見える世界は異なる。その変化を受け入れ、新たな身体感覚を通じて世界を再解釈することは、高度な知性の営みであるAIは「劣化」しない代わりに、「成熟」もしない。身体の変化を通じて世界モデル更新し続けるプロセスこそ、人間特有知的冒険なのである

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第三章:孤独な泡から脱出

――ユクスキュルの環世界他者への越境

身体を持った生物は、それぞれの感覚器官が切り取った主観的世界、すなわち「環世界(Umwelt)」の中に生きている。ユクスキュルが提唱たこ概念は、知性の進化を「孤独から脱出劇」として描き出す。

1. 閉ざされたシャボン玉

ダニにとっての世界は「酪酸匂い」と「温度」だけで構成されているように、すべての生物自分の環世界というシャボン玉の中に閉じ込められている。本来他者の環世界を知ることは不可能である。私はあなたの痛みそのものを感じることはできないし、あなたが見ている「赤」が私と同じ「赤」である保証もない。

この「絶対的孤独」こそが、生物としての初期設定であるしかし、ベネット氏が指摘する第4、第5のブレイクスルー(メンタラジング、発話)において、人間はこの壁に挑み始めた。

2. 想像力という梯子

他者に興味を持つ」とは、自分の環世界という安全地帯から身を乗り出し、他者の環世界を覗き込もうとする無謀な試みである。「あの人は今、何を考えているのか?」「なぜ悲しい顔をしているのか?」。これは、自分感覚データシステム1)だけでは完結しない。高度な推論と想像力システム2)を総動員して、見えない他者内面シミュレーションしなければならない。

恩蔵氏が「他者に興味を持つことは難しい」と述べるのは、これが認知的に極めて高コスト作業からだ。自分の環世界自分の話、自分の関心)に浸っている方が楽なのだしかし、あえてそのコストを支払い、他者世界へ「越境」しようとする意志。それこそが、人間人間たらしめている知性の正体であるAIには環世界がないため、そもそも他者世界」という概念自体存在しない。

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第四章:生存戦略としての共感

――社会脳仮説とコストの支払い

なぜ人間は、これほどまでにコストのかかる「他者理解」という能力を発達させたのか。ロビンダンバーの「社会脳仮説」は、それが「集団での生存」に不可欠だったからだと説明する。

1. 複雑系としての「他者

自然界の脅威(猛獣や寒さ)に対処するだけなら、これほど巨大な脳は必要なかったかもしれない。しかし、人間にとって最大の環境要因は「他の人間」であった。誰が味方で、誰が裏切り者か。誰と協力すればより多くの食料が得られるか。

他者の心は、天候や物理法則よりも遥かに複雑で、予測不可能な「変数である。この変数を読み解くために、脳は巨大化し、知性は進化した。記事にある「会話の70%は噂話」という事実は、私たち情報の交換以上に、人間関係メンテナンス社会グルーミング)に知能のリソースを割いていることを示している。

2. 「頭が良い」の再定義

この文脈において、「頭が良い」という定義は劇的に変化する。それはIQテストスコアが高いことでも、計算が速いことでもない。

真に知的個体とは、「他者意図を正確に読み取り、共感し、信頼関係を構築して、集団としてのパフォーマンスを最大化できる個体である

他者に興味を持てる人」が頭が良いとされる理由は、単なる優しさではない。他者への関心は、複雑な社会マトリックスの中で生き残るための、最も強力なセンサーであり、武器からだ。自分の殻に閉じこもることは、社会動物としては「死」に等しい。他者への好奇心は、生命力のものの発露と言える。

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第五章:「私」から私たち」へ

――間主観性と共同世界の構築

そして、知性の進化の到達点は、個人脳内にも、個別身体にも留まらない。「間主観性(Intersubjectivity)」の領域、すなわち「私とあなたの間」に生まれる知性である

1. 指差し奇跡

記事の中で触れられている「指差し」は、人間特有の驚くべき行動であるチンパンジー報酬を得るために手を伸ばすが、人間幼児は「見て!あそこに犬がいるよ!」と、ただ注意を共有するためだけに指を差す。

これは、「私が見ている世界を、あなたにも見てほしい」という強烈な欲求の表れである。ここで初めて、孤立していた二つの世界接続される。

2. 共同幻想としての現実

言葉文化ルール、そして愛。これらはすべて、物理的な実体ではなく、私たちが共有することで初めて存在する「間主観的」な現実である

AIは「客観的データ」を処理することはできる。しかし、「あなたと私の間だけで通じる冗談」や「阿吽の呼吸」、「信頼」といった、主観主観の間で紡がれる現実を作り出すことはできない。

恩蔵氏が翻訳を通じて感じた「人間の宝」とは、この「心の共有」の可能性そのものであろう。私たちは、他者の心に触れることで、自分一人では決して到達できない豊かな世界拡張された環世界)を生きることができる。知性とは、個人の所有物ではなく、関係性の中に宿る現象なのだ

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結論AI時代における「知的生き方

以上の分析からAI時代における「知的生き方」の輪郭が浮かび上がる。それは、AIに対抗して計算能力を磨くことでも、AI仕事を奪われないように効率化を目指すことでもない。むしろAIが捨て去ったもの、あるいは持ち得ないものを、徹底的に深める生き方である

1. 効率から離脱と「ノイズ」の愛好

AI効率最適化権化である。対して、人間の知性の源泉は「感情」や「身体」といった、一見効率ノイズの中にある。

知的生き方とは、効率を追求するあまり感情の揺らぎや身体の実感を切り捨てないことだ。迷い、後悔し、喜び、痛むこと。これらの「ノイズ」こそが、世界意味を与え、独自価値判断を生み出す土壌となる。

2. 環世界越境者となる

「本当に頭が良い人」になるためには、意識的に「他者への旅」に出る必要がある。

SNSアルゴリズムは、私たちが心地よいと感じる情報だけを見せ、環世界をより狭く、強固なものにしてしまう(フィルターバブル)。知的な態度は、その快適な殻を破ることから始まる。

自分とは異なる意見、異なる背景、異なる身体性を持つ他者に対し、「なぜそう感じるのか?」と問いかけること。自分の正しさを一旦脇に置き、相手の環世界に身を浸すこと。この「認知的負荷」をあえて引き受ける勇気を持つことだ。

3. 「問い」と「物語」の紡ぎ手へ

AIは「答え」を出すことにおいては人間凌駕する。しかし、「問い」を立てることはできない。問いは、「こうありたい」「これはおかしい」という、身体的な違和感理想感情からまれからだ。

また、AIデータを羅列できるが、「物語」を生きることはできない。私たちは、他者との関わりの中で、それぞれの人生という物語を紡いでいる。

これからの知性とは、正解のない世界で、他者と共に悩み、対話し、新しい「納得解間主観的な合意)」を形成していくプロセスのものを指すようになるだろう。

結び:温かい知性へ

マックスベネットと恩蔵絢子が示したのは、冷徹計算機としての脳ではなく、熱を帯び、他者を求め、身体を通じて世界と震え合う臓器としての脳であった。

AI時代において、私たちは「賢さ」の定義を、Cold Intelligence(処理能力から Warm Intelligence共感接続能力) へとシフトさせなければならない。

老い記憶力が衰えようとも、計算が遅くなろうとも、目の前の人の手の震えに気づき、その心に思いを馳せることができるなら、その人は最高に「知的である

他者の心という、宇宙で最も複雑で、不可解で、魅力的な謎に挑み続けること。その終わりのない探求こそが、機械には決して模倣できない、人間の知性の最後の聖域となるだろう。

https://news.yahoo.co.jp/articles/be7a5812ddaf607d08bb52f0663554ab39a9389c

anond:20251208113433

子供いないけど推し活なんてナンセンスしか思わない。

そもそも子供を「推す」のもナンセンスだと思うわ。

まともに子育てして子に愛情を感じてれば、推し活したり宗教にはまったり愛国活動なんてししないから。マジで

歴史を鑑みないこの手の生活保守的な短絡思考の人が元気だよね最近ネットは。

零細企業経営とかしてて仕上がった感じのおっさんに多いイメージ。半径5mで自分王国が完結してて外に出ようとしない感じというか。

anond:20251207000327

今この瞬間の自分存在してるのに

自分記憶の中にしか存在しない「過去自分」という観点から

>「最終的に報われるために努力する」とか「いつかやろうと思って今我慢する」みたいなのって本当に正しいのか?

という思考につなげるのがわからん

過去自分が救われてたか救われてないかと今の自分が救われれてることは全く関係ない話だろ

anond:20251208101955

ゴールは「自分の中のそういう醜い感情(?感覚思考?)を無くすこと」かなぁ。マウントについて考えている時に「まあ、俺はそういうのとは無縁だし。。。いや、待てよ無縁か?例えばこんな話を友人とできるか?」みたいな思考実験。

それを考えている時に「ああ、俺は友人が羨ましい、のか?」みたいに気が付いた、という感じ。

それで、こういうの、他の人はどうなんだろうって気になった。だから思考実験してみて欲しいなと思って。

でも、今のところ、こうなるのは俺だけのようなので、俺が馬鹿の側だったのだとおちんこ出てる。

2025-12-07

もうドラえもんちびまる子ちゃん放送しちゃダメでは?

話が色んな方向に飛ぶのでご注意を。

月曜から夜ふかしという番組大山のぶ代に声の似ている方が紹介されていたのを記憶していた。それで少し考えたけど(既に水田わさび氏の演じる回が放送されているので仕方ないが)大山のぶ代によるドラえもんが新しく演じれなくなった時点で、テレ朝ドラえもんを終了させなくてはならなかったのでは?と考えるようになった。酷な現実だが、ドラマキャストビジュアルと声がどうしても必要だけど、アニメでは究極的にキャストビジュアルは不必要で声だけが必要でしょ?(という解釈が出来るでしょ?という意味で申し上げている)大山のぶ代の声は後にも先にも恐らくは唯一のもので、それを演じれる者がいなくなった時点で時代ピリオドが打たれたと言って過言じゃない。と言うか、個人的ピリオドを打たなければならなかったと考えている。

何でこんなことを言い出すのかと問われれば、新キャストに対する制作側の非常に厳しい指導を見ていて強い違和感を抱いたから。制作側(局側)はドラえもんをどうしても続けたいという意向が強かったのだろうが、これから時代にああいポリシー肯定されても良いというのは、何か違うんじゃない?と思った(上手く言語化出来ない)。「昔の方が良かった」論ではなく、物凄く嫌な言い方をすると「既得権益にどっぷり浸かっている」論で見ている(この論で言うと現在のちびまる子(TARAKO)やポケモン(松本梨香)等は少なからず該当するが、ポケモンアニメというよりゲームの印象が強いので若干例外な気もする)。

ドラマの話で例えると、例えばフジショムニ最初キャストと最新キャスト全然違う、同じくフジHERO踊る大捜査線も。古畑任三郎と言えば田村正和だけど、じゃあ新キャスト制作側が新作検討するだろうか?(私の論の抜け穴として、TBS水戸黄門渡鬼は、前者は何度もメインキャストチェンジしてるし、後者泉ピン子ではなくとも何とかなってしまうのではないか?と思ってる節があるので、やはり上手く言語化というか主張出来ない)

アニメに話を戻すと、キャストビジュアルは決して重要ではなく、第一優先は声じゃない?(この理屈で言うと、宮崎駿庵野秀明キャストとして採用した理由や経緯がよく分からない)。であれば、暴論を承知で言うけどドラえもんは「大山のぶ代の声を可能な限り忠実に再現出来る者にバトンタッチしなければならなかった」のではないかと考える。

多分だけど、私がどちらかと言うと右派思考をしているからこんなことを言い出したのだと思う。

直接関係は無いが、ホリエモンが劇に手を出したのは肯定して良いことだと思ってて、新陳代謝を促している例だと思う。

つのものを長く続けるのは結構だが、数を増やす(選択肢やチャンス)のも必要だと思う。緒方恵美氏が「声優は選ばれた者しかなれない」といった旨を言っていた気がするが、果たしてそれが本当に正義?演じることってそんなに難しく村社会でならないといけないもの

寧ろ、トムとジェリーみたいなキャストレス(準キャストレス/例えるならチャールズ・チャップリン)アニメーションが日本流行らないことの方が、些か問題だと思う。

如何でしょうか?

anond:20251207180514

思考の順番が逆

不安に耐えきれなくて無理やり理由を探してるだけ

精神異常者の集まり

やっぱり、少なくとも物語を作る立場クリエイターはある程度インテリ(最低限の知識教養思考力を持った人間であるべきなんじゃないかな。

絵だけ描いてる分にはその限りではないけどさ。

必ずしも作品に直接反映させる必要はないけれど、作り手がインテリかそうでないかって

結構作品如実に反映されるよな…

女→男のトランスが少ない理由

実は男→女と同数くらいいるが、目立たないだけ。なんでかというと心が男だったら女の体でいることはむしろメリットという思考になる確率が高いから。

女の体で女と交わることを熱望するのはむしろ心が男である証拠

体も男のままでないと違和が解消されないという思考もあるが、それはマイノリティの中でもさらに少数派なので目立たない。

大抵の男は心が男のままで女の体になれる。

心が男の女も体が女のままで男になれる。

anond:20251207063050

ちなみに文章じゃなくて陰謀論動画にしてyoutubeに上げると、思考0の高齢者共が割と信じてくれます

anond:20251207103836

気に入らない相手批判したいときだけこういうゼロイチ思考だと想定するのってアホ臭いからやめたほうがいいよ

anond:20251207093542

まあそれすると

一番早いマシンドライバーの組み合わせが独走して終わり

になるのは

歴史証明してるんだけどな

今年とか2021年とかの異常な盛り上がりのチャンピオンシップが展開される一因になっているのが現在ピレリタイヤではあると思う。

ワンメイク体制とかだと、何の縛りもなくタイヤメーカー自由に作らせると、絶対に壊れないガッチガチタイヤしか持ってこなくなる。

だって競争がないんだからさ速さを追求して自社の製品が壊れるところを見せるのなんてなんのメリットもないじゃん。

からひたすら安牌のタイヤを持ってくる。

そうするとタイヤ最後まで極めて小さな劣化のままで、そして壊れない。

それはどういう事を意味するのか?

まり不確定要素が減るということなんだ。

そうすると

速いマシン

速いドライバー

の組み合わせが独走を始めると誰も止めることができなくなる

そういったセメントマッチ的な競技思考をやめて

より、ある意味エンタメ的な方向へ

魅せるレースをする方向へと

バランスを調整しながらも振っていってるのが現代F1

たぶん、今年、ピレリガチガチの安牌タイヤばかりを持ち込めるレギュレーションだったら

とっくにノリスか、ピアストリかが、チャンピオン決め終わってるんじゃないかな。

あるいは驚異的なことにフェルスタッペンだったらマシンの性能差を覆してドライバー能力チャンピオンを決めてるかも。

と考えることが出来るくらい、タイヤ意図的劣化というのは競技ゲーム性を高めていると思う。

anond:20251207095835

🟥 第10章:タタルスキー虚構支配者としての完成

10章は、『ジェネレーションP』のクライマックスおよび結末 であり、

タタルスキー広告魔術師として完全に覚醒し、

虚構現実言語権力境界が溶ける最終形態を描く章です。

ここで物語テーマである 「消費・広告権力神話相互作用」 が完結します。

◆ 1. 広告魔術の究極実践

タタルスキーは、広告を通じて 国家規模の神話を完全に操作 する段階に到達します。

コピー映像は、個人の購買意欲だけでなく、国民全体の意識作用

メディア、街頭広告テレビSNS…すべてが統合された巨大キャンペーン

虚構現実より強い影響力を持ち、国民意識せずに操作される

現実を信じる必要はない。虚構こそが現実だ。」

ここでタタルスキーは、広告魔術師としての力を完全に自覚する。

◆ 2. タタルスキー心理的完成

最終章では、彼の心理描写象徴的に描かれる。

1. 絶対的快楽

言葉イメージ世界を動かす陶酔

個人の消費から国家意識まで支配する快感

2. 罪悪感の昇華

操作倫理的問題はもはや快感権力の前に消失

• 「操作危険だが、力は放棄できない」と悟る

3. 完全覚醒

自分現実を“デザインする神話創造者”である認識

個人社会国家歴史レベルまで思考と行動を操れる存在

タタルスキーはもはや個人ではなく、虚構現実統合体として描かれる。

◆ 3. 消費者社会国家の完全統

広告魔術が全レベル作用する描写

1. 個人レベル

消費者商品イメージ幻想無意識に信じる

2. 社会レベル

• 街頭広告テレビメディア国民価値観や行動を統一

3. 国家レベル

国家イメージ神話化され、国民意識操作される

虚構現実支配する状態が完成

ペレーヴィンはここで、広告現代社会宗教・魔術であること を最終的に象徴化する。

◆ 4. タタルスキー象徴覚醒

この章の核心は、タタルスキー自身存在象徴化 です。

言葉イメージの力で現実を作る存在

広告儀式コピー呪文国家神話

個人意識はもちろん、歴史文化さえも操作可能

「私は現実を語る者であり、虚構現実にする者だ。」

彼の覚醒は、個人成功物語ではなく、

現代文明イメージ操作権力構造寓話 として提示される。

◆ 5. 終章としての意味

10章は、物語テーマを総括します。

項目 内容

主要イベント 国家規模の広告キャンペーン完成、虚構現実が融合

象徴 広告=魔術/コピー呪文ブランド神話/タタルスキー虚構支配

心理 快楽・陶酔・罪悪感の昇華・完全覚醒絶対権力

物語役割 タタルスキー広告魔術師として完成し、物語主題(消費・権力神話)を最高潮体現する章

◆ 6. 結論意味

広告権力関係性:広告は単なる商業ツールではなく、社会国家を動かす魔術

個人社会関係性:個人操作されるが、魔術師(タタルスキー)は現実デザインできる

現代社会寓話:消費、イメージ権力神話が不可分の関係にあることを示す

タタルスキーは、個人としては虚構に操られる側でもあるが、同時に虚構現実化する側でもある、

現代社会における「詩人魔術師」の究極像 として描かれています

10章は、

虚構現実広告権力個人国家境界が完全に溶けるクライマックス章 です。

ジェネレーションP』全体の哲学的テーマを最も象徴的に提示し、物語を締めくくります

anond:20251207095759


🟥 第9章:タタルスキー虚構現実の完全融合

第9章は、タタルスキー広告魔術の力を最大限に発揮し、国家規模で現実を“再構築”する段階 です。

ここで、物語テーマである 言語イメージ権力の融合 が極点に達します。

タタルスキーはもはや単なるコピーライターではなく、

社会認知のもの操作する存在 となります

◆ 1. 国家キャンペーンの完成

タタルスキーは、広告代理店と国家関係者の共同プロジェクト遂行

対象国民全体

目的国民意識の統一ブランド化(=国家イメージ神話化)

言葉映像シンボル・色彩・リズムが完全に統合される

彼のコピーは単なる文章ではなく、**人々の思考感情に直接作用する“呪文”**として機能する。

◆ 2. 虚構現実になる瞬間

第9章の核心は、広告虚構現実境界消失する描写 です。

• 街頭広告テレビSNS新聞…すべてが統合され、国民無意識イメージを受容

• 実際の現実よりも、広告提示する虚構の方が強い影響力を持つ

• 人々は気づかぬうちに操作され、国家神話を信じ始める

タタルスキーはこの瞬間、自分現実創造していることを実感する。

◆ 3. タタルスキー心理的頂点

タタルスキー心理的にも絶頂に達します。

1. 快楽と陶酔

言葉イメージ社会全体を動かす快感

コピー一行で人々の思考や行動を変えられる実感

2. 罪悪感の昇華

• もはや罪悪感すら力の一部となる

操作危険でも、快感と達成感が倫理を超える

3. 覚醒の完成

自分現実を“デザイン”できる存在

個人消費から社会国家さらには歴史まで操作可能

「オレの言葉世界のものだ。」

ここでタタルスキー広告魔術師としての最終形態に到達 する。

◆ 4. 社会政治個人統合

第9章では、タタルスキーの魔術が 三重レベル作用 します。

1. 個人レベル

消費者商品イメージ無意識に信じる

2. 社会レベル

• 街頭広告メディア国民価値観や行動が統一される

3. 国家レベル

国家イメージ神話化され、国民意識が操作される

虚構現実支配する状態が完成

◆ 5. 第9章の象徴的整理

項目 内容

主要イベント 国家キャンペーン完成、虚構現実

象徴 広告現代魔術/コピー呪文国家神話

心理 快楽・陶酔・罪悪感・覚醒絶対権力

物語役割 タタルスキー広告魔術の究極的成果を実感し、虚構現実の融合を達成する章

第9章は、

タタルスキー広告魔術の頂点に到達し、虚構現実境界を完全に溶かすクライマックス手前の章

です。

ここで物語は、広告権力言語神話のすべてが一体となる瞬間を描き、

最終章への布石を打ちます

anond:20251206024723

「女に告白したら受け入れられて成就する恋愛けが正しい、俺の告白を断って恥をかかせる女は死ね

30代童貞ってこんな感じの異常思考からね、そんなんが恋愛したいと主張してもそら女は冷ややかになるわな

2025-12-06

趣味子育ても飽きたら辞めるように、人生も飽きたら辞めてしま危険性があるので、

辞めるのではなく、判断保留にするのが大事だと思うんだよね…😟

趣味を辞める=趣味の道具を全部捨てる

子育てもうイヤだ辞める=子供を捨てる

人生もうやめりゅ!=自〇する

ではなくて、低空飛行気味な現状維持に徹するとか、なんか他のことをするのがいい

やはり、困ったときは寝る、寝て思考リセットする、

お金暴力の前に、まず睡眠!おいしいご飯!😟

たぬかな投げ銭ホビットおじが認知できる女向けコンテンツは「ジャニーズ」「スタダ」が限界理由

女と会話する機会もない

周囲に若い娘持ちの友人知人もいない

スマホを開けばゲームエロコンテンツに女叩きにレスバに夢中で若い女向けコンテンツを把握する暇は1秒もない

固有名詞もわからないのでサーチすらできない

「女向けコンテンツ」に触れるのは朝の出勤時や昼メシ時に休憩室で自然に目に入る地上波芸能情報のみになる

なので女向けコンテンツといえば地上波に出られる芸能事務所所属男性アイドルグループしかからないので「日本の女は全員ジャニーズが好き」と真顔で主張する

もちろん芸能男性アイドルグループが女向けコンテンツの主流から外れた事すら理解できない

Kポファンは新しいの出てきたらすぐに乗り換えるだろうからどうでもいいが

スタダの方が歌もルックスも圧倒的にいいのにジャニオタってどうしてジャニオタなの?って一生思ってる

おばさんは何が好きなん?

スレタイに反応していきなりおばさん呼ばわりで喧嘩

魂までホビットになっとるね

器が小さいよね

なるほど

かつてオタクをしていたジャニーズオワコンっぷりから離れてしまう罪悪感を正当化したいのと

孤独BBAの仲間だと思ってたたぬかなが、実は既婚者だった恨みから

君のようなモンスターが帰る場所を見失ってしまったという事か

日本の女は皆ジャニーズに夢中」と長年自分に言い聞かせてないとこういう思考にならないよな

ジャニーズの人気は永久に不滅!昔より人気ないと言ってる奴はジャニ未来を憂いてるジャニヲタ!」だもんな

そもそもお前はたぬかな信者だのホビットだの煽られてたからしつこくレスしてるんだろ

Xで次々とホビットがたぬかなに呪詛を唱え、世間も「たぬかながホビット逆恨みされてビビって返金やイベント出演中止w」と失笑する中

「たぬかなを恨んでるのは独身女!俺らホビホビはノーダメ!」と孤軍奮闘するホビット自分から正体を晒すスタイル

たぬかな信者ホビットおじさんのワードに切れて噛みつき最初はスタダ好きの女を装っていたのに、たぬかなに投げ銭していた自分恥部をなかったことにしようとして正体をバラ茨城ホビットおじさん

たぬかな投げ銭ホビット50代おじがジャニーズの次に覚えた固有名詞が「スタダ」

ガチで女向けコンテンツといえば芸能アイドルグループしか理解できないジジイなんだな

じゃああと何があるんだよ BL同人誌とかか?

ホストもあるのにな

東京秘密基地行かないの?

推し活する女よりペットを溺愛する女の方が圧倒的にマジョリティ女性向け風俗に至っては業者数も検索数も少なすぎて論外

だがたぬかな投げ銭ホビットおじさんは女は男に依存しないと生きていけない生き物だと主張し続けてるから女はみんな芸能風俗依存しているという設定になる

https://anond.hatelabo.jp/20251205154314

今年読んで印象に残ってる本

今年特に心に残った10冊を、ジャンル横断的にまとめてみた。

『一億年のテレスコープ』春暮康一

ベストSF2024国内篇第1位に輝いた傑作SF

ハードSFとしての正統性を保ちながら、宇宙探査という壮大なテーマを描き切った力作だ。

フェルミパラドックス」を題材にした異文明との交流メガストラクチャーなどの概念主人公たちの旅を通じて、人類未来像を投げかける。

理系の読者はもちろん、哲学的思考を求める人にもおすすめできる傑作。

『習慣と脳の科学ラッセル・A・ポルドラック(著)

習慣がいかに脳の構造を変えるのか、神経科学アプローチ解説した一冊。

単なる「習慣を作ろう」という精神論ではなく、脳可塑性に基づいた実践的なアドバイスが詰まっている。

ネガティブ思考こそ最高のスキルオリバーバークマン

ポジティブシンキング限界を指摘し、「不安」や「恐怖」をいかに使いこなすかを論じた意欲的な一冊。

ストレス社会を生きる私たちにとって、心理学的に根拠のある思考法は本当に貴重だ。

バッタを倒すぜアフリコで』前野ウルド太郎

アフリカでのバッタ研究の奮闘記。

バッタ研究するためにアフリコに来たのにバッタがいないという自虐的な始まりから、その後の現地での奮闘が描かれる。

「令和のファーブル昆虫記」と評されるほど、学問的知見とユーモアが融合した傑作。

動物のひみつ』アシュリー・ウェルズ

動物たちがいかに協力し、社会形成し、生存戦略を立てているのかを、最新の研究に基づいて解説したノンフィクション

人間社会にも通じる共生メカニズムを学べる一冊。

『もしも世界からカラスが消えたら』松原

カラスという身近すぎる存在を改めて見つめ直すことで、生態系全体への理解が深まる。

アンチから悪友へというカラス愛も素晴らしい。

コードブッダ 機械仏教縁起円城塔

仏教思想AI古典テクノロジーが融合した野心的なSF

現代的な課題人類精神遺産を結びつける知的興奮。

『一番大切なのに誰も教えてくれない メンタルマネジメント大全』ジュリースミス

心理学者による実用的なメンタルケア本。

自己啓発系の中でも「実践的で医学的根拠がある」と高く評価された一冊。

感情管理というテーマは、今の時代ビジネススキル以上に重要リテラシーだと痛感させられる。

ビジネスパーソンはもちろん、日常的な不安ストレスに向き合うための方法論が体系的にまとめられている。

2025-12-05

崩壊スターレイルのver3.7は失敗している

キュレネのキャラがめちゃくちゃなので。

先手を打って表明しておくと【崩壊3rdキャラクターの顔で崩壊:スターレイルに別人として実装することには特にどうとも思ってない】です。素裳やブローニャ、姫子などはうまく行っていると思います。羅刹はキャラクターの根幹に謎であることが含まれているっぽいのでそこらへんで同じ顔の人と重ねられてるところはありますが、大きなミスリードにもなったみたいですね。

本題に戻ると、マジであれなんですが3.7を大正解とすると3.0〜3.6までが失敗になっちゃうので3.7だけを失敗とすることで3.0〜3.6までを守ろうとしております。3.6までは3.5、3.6の尺の冗長さを指摘されることもありますが、かなり気に入ってるんです。

そして3.7が失敗になったのは【キュレネのキャラ付けがうまくいってないから】です。

キャラ付けっていうかね、キュレネは怒らないんですよ。負の感情の中の悲しみしかない。

千万回の中で読み聞かせに徒労感を覚えて俯くくらいです。壊滅に対する怒りが無い。運命への怒りが無い。ファイノンとまでは行かずとも、他の黄金裔たちのような怒りは無い。

怒りって、一種のみっともなさです。しかし、同時に限りない人間性の発露でもあります

何に怒るのかはその人を理解するのに役立ちます。キュレネにはそれがない。一種空虚さを覚えるほど、ただ綺麗なだけのキャラクターです。

そもそもキュレネには掘り下げがほとんど無いです。

最終的にミュリオン=キュレネ(デミウルゴス)=モモが成立したとはいえ別個に扱われていた時期が長いので統合するのに厳しい。

その掘り下げが本編で無くとも、キャラクターを理解するのにふさわしい実装のチャンスも役に立っていません。

キュレネはウエディングドレスらしきものを着ていますが、3.6までのキュレネにウエディングドレスらしきものを着る理由がありません。

3.4で提示された小さなキュレネは祭司的あるいは魔導士的な服を着ています彼女儀礼剣を用いていますし、魔導士的です。華やかなドレスに対する執着も描写されていません。

【3.6までのキュレネ像と実装に際してのキュレネ像には乖離があります。】

なぜキュレネ大きくなったのかは、最初の知性の種が開花したということで良いでしょう。直接のネタバレになるので3.7ではなく仮定したオンパロス3.8(仮題:さよならオンパロス)で実装するべきだという意見が付随しますが。

ウエディングドレスは、頑張って納得するなら、モモ読み聞かせの中に結婚式の話でもあったんじゃないですかね。

弓を持っているのは、三月なのかを見ていたからと説明がありました。三千万回の読み聞かせで聞いた他の黄金裔よりも最後輪廻しかいなかった三月なのか(なのかを批判したいわけではなく、単に回数の問題です)に影響されているのは疑問に思います

必殺技で出てくる左手薬指の指輪は、結婚ですか? 開拓者と? どんな理由で?

同じく必殺技のキュレネが口づけている星は、キュレネが口づけているからとしか理由がありませんが、新生オンパロスでしょうかね。なぜ今の∞のオンパロスではないんでしょうか。

まとめると、【キュレネはキャラクター像がぼんやりとしています。】

3.7実装プレイアブルキャラクターとしてのキュレネが、3.7序盤で出現するには奇妙な造形をしているからです。

3.8にありえた「さよならオンパロス」で実装するならまだ理解できたと思います。でも3.7実装なので……。

そういった最初出会った小さなキュレネのキャラクターから離れたプレイアブルのウエディングキュレネが出てきて、ウエディングキュレネのキーワードで3.7、ひいてはオンパロスが終幕しました。

3.0~3.6でやった洞窟囚人比喩運命への反抗といったテーマはあまり生かされなかったな、というのが感想です。

仮に3.7でやった「愛」「真我」の話を3.0~3.6のどこかに挟み込めていたら変わっていたんじゃないでしょうか。キュレネの言う「愛」は一般的な愛ではないですよね。アガペー的な愛です。そこの説明をサクっと済ませたので唐突に感じたのかもしれません。

【3.0~3.6で主役を張った他の黄金裔たちと、3.7の主役であるキュレネはテーマが違いました。】

テーマが違うので、3.6までのオンパロス編を総括するには、3.7でしか掘り下げがなくその掘り下げも違う方向に向かったうえに十分ではなかったキュレネでは、力不足でした。】

更新から一か月近く経って比較的冷静になった自分の答えはこれです。

3.4でのファイノン実装を無くして3.7に移し、キュレネ自体は3.8実装にしたらまだなんとかなった可能性もややありますが、実際はそうなっていませんので、後出しでの意見表明はこれを最後にしたいと思います

こうは書きましたが、3.0~3.7までの間、インターネット上でオンパロスについて他のプレイヤーと話したことは楽しかったです。考察し、二次創作をし、笑えるようなこじつけをしたり、ネットミーム的に会話をしたり、夢中になりました。そうした時間を各ページの注に、この思考整理のための文章を本の遊びや見返しに書きつけて、自分だけのオンパロスにします。

お疲れさまでした。

高市政権誕生後の日本社会を語る

中国戦争しかねない右翼政権危険を、日本人は感じ始めてきた。右翼政権がなぜ危険なのか。実は、高市早苗総理らの右翼勢力は、西側先進諸国の通常の国家観(第一国家観)とはまったく別の国家観(第二の国家観)を有していることが根本的な問題だ。これを理解せずに右翼リスク理解することはできない。この二つの国家観を理解すると、現在政局国防上のリスク、これから日本がめざす方向がはっきりと見えてくる。次の文章高校卒業程度の国語力で理解することができる。新聞社説一つ分ぐらいの分量)を読むことで基本知識が頭に入る。ぜひお読みください。

賛同なさるかたはリツイートしてください。多くの人がこの二つの国家観を理解すれば、日本現在危機を脱することができます

世界が警戒する日本の「極右化」〜私たちはいま、重大な岐路にいる https://gendai.media/articles/-/51438

より抜粋

つの国家

つの国家観(人間のためにつくられたしくみとしての国と、人間を超えた集合的生命としての国=国体)を対比させて考えると、「ウルトラナショナリスト勢力行動様式や、そのめざすもの理解やすくなる。そして、現状を放置すれば、これから日本社会がどのような被害をこうむるかも予想できる。

第一国家観では、国家を、ひとりひとりの人間共存福祉のための公共財である機械装置と考える。

国は水道電気医療交通網のように、ひとびとの生存にとってきわめて重要ものだ。その意味で、危険国家メンテナンス業務をおこなっている自衛官は、高圧線上で危険業務をしている技師と同様に、尊敬されて当然である

また、国に軍隊があるのも当然である(この観点から日本普通先進諸国なみのリベラル国家になった後で憲法9条改正すべきだと主張する筆者は、「リベラルタカ派」と呼ばれることがある)。

この第一国家からすると、「ウルトラナショナリスト勢力のいう愛国心は、水道管や電線を愛の対象にするような、奇怪なフェテシズムの情熱である。すくなくとも、日本愛国心というとき、そのような意味で語られることが多い。

そのような愛国心ではなく、苦労して磨き上げた、ひとりひとりの人間のための公共財機械装置の性能のよさに対するプライド、という意味での国家プライドはあるかもしれない。

国家愛国心などというフェテシズムを万人に要求する制度は、日本装置の性能の悪さとして、国家プライドを大いに傷つけるだろう。ただし、この国家プライドを新しく「愛国心」と名づけることも可能である

それに対し、第二の国家観では、国家はひとりひとりの生命を超えた、より高次の崇高なる集合的生命とみなされる。このような現実感覚を生きるひとびとにとって、国家装置防衛メンテナンスのための危険業務組織軍隊)は、集合的生命男根のように感じられる。

アメリカに負けて憲法九条を押しつけられたのは、「全能感を断念しなさい」と去勢されてしまったような、屈辱体験である

また集合的生命根本にあるはずの神聖にして侵すべからず天皇を、単なる「象徴」にされてしまったのは、河童に尻子玉を抜かれ、腑抜けにされてしまったような屈辱である

そして雄々しき大日本帝国は、自由だの人権だの民主主義だの甘ったるいおしろいをぺたぺた塗られて、女にされてしまったと感じる。

国体ひかり輝かせること

第一国家観は、ひとびとの安全生命を守りながら繁栄をもたらそうとうするリアリズム政治のための基本である国益計算戦略的思考も、この国家観を前提としなければ何の意味もない。また軍隊は、この国家観にしっかり基礎づけて保有されなければならない。

第二の国家観は、非常時に短時間「だけ」、ひとびとを狂わせるための興奮剤である必要がないときに使ってはならない。そして21世紀世界でそれが必要になる時は、もうない。いまではこういったドラッグは、貧しい国々で誤用され、悲惨な流血や国土の荒廃をもたらす廃棄すべき毒物しかない。

この毒物ともいうべき第二の国家観はどのようにして生まれたか江戸幕府支配していた日本列島は、列強植民地にされる危険さらされていた。

クーデター成功後、最弱国日本、最弱明治政府を背負った指導者たちは、ゆっくり変化する時間的余裕がないなかで近代国家をつくりあげるために、集合的生命感覚酩酊させるしかけを、当時入手可能な素材からでっちあげるしかなかった。

それが天皇を中心とする集合的生命としての国体(という共同錯覚である。そしてこの興奮剤は効いた。国家集合的生命感覚は、天皇を中心とする国体として、ひとびとの魂の底に埋め込まれていった。

生存のための必要に駆られてこのような興奮剤を使うときは、そのまえに目覚まし時計をセットしておき、時がくれば醒めるようにしておかなければならない。目覚まし時計管理すべき指導層は、大衆を騙すための薬物にのめりこんではいけない。

しかし、昭和初期から敗戦にかけて、指導層のあいだでも「〇〇は国体にそぐわない」やら「不忠」やらといった、自家中毒蔓延するようになっていった。ヤクザが売り物の覚醒剤に手を出すように、国家の中枢までもが、緊急用大衆操作劇薬自家中毒にやられたのだ。

狂気の興奮剤におかされた指導層は、アメリカ戦争をするといった愚行に走り、敗戦の条件交渉にいたっては国民生命安全という本来目的第一国家観)よりも国体護持(第二の国家観)などという幻想の薬物を大切にするありさまであった。国家指導者として、これほどでたらめな酩酊者たちは類をみない。

学者も含め多くの人たちは、昭和初期から敗戦までの日本ありさまを「軍国主義」と呼んできた。軍国主義社会であれば、軍事的成功第一の優先事にするはずである

しかし、戦争中の日本はそうではなかった。合理的国益を追求したり、戦争に勝ったりすることよりも、国体を護持すること、国体ひかり輝かせることが優先された。

集合的生命としての国体は、単なる全体への外形的服従の積み重ねから成るものではなく、臣民ひとりひとりが自発的個人であることをやめ、〈全体において永遠の今になる〉ことの内側から高次の命としてひかり輝く。

カミカゼ自爆攻撃などで死ぬ瞬間こそが、その永遠の今であり、人として生まれた最高の栄誉であり、「本当に生きること」である。それは華やかに花が咲いたような生のきらめき散華)でなければならない。

このような国体覚醒剤的な疑似哲学作用は、軍隊合理的運用すら破壊した。

太平洋戦争では、みこまれ戦果自軍の損失を計算すれば無意味であることが明白であっても、散華の輝き自体目的となった軍事作戦がなされた(これは即身仏のような自殺儀式であって、軍事的な「作戦」とは言えないのかもしれない)。

毎日新聞記者栗原俊雄は、このような輝きを後世に残すためと称して、自爆特攻作戦が続けられた例を紹介する(栗原俊雄日本人終戦まで「特攻」を止められなかった、驚きの理由」)。

また、航空機の援護なしに戦艦大和沖縄派遣するのも、国体を輝かせるための集団自殺である。これが抗いがたい空気となったのである

もちろん、国体のなかでは「西欧流」の個人主義は徹底否定され、すべての臣民自発的集合的生命の一部で「あらねばならぬ」のであるから、すべてが強制である戦争終結の成り行き次第によっては、一億玉砕というすさまじい「自発的」な散華が、すべての人に強制されたかもしれない。

世界が警戒する日本の「極右化」〜私たちはいま、重大な岐路にいる

gendai.media

世界が警戒する日本の「極右化」〜私たちはいま、重大な岐路にいる(内藤 朝雄) | 現代ビジネス | 講談社

日本中、さら世界中で「森友疑惑」が報じられ、ひとびとの関心を集めている。国内で芝居見物のようににぎわっている一方で、世界では、日本の現政権右傾化がどうなるかという関心からこの疑惑を報じている。現政権日本戦前社会に戻そうとしている「ウルトラナショナリスト政権であると考えられており、日本戦前タイプ社会に戻るかどうかは、大きな関心事だからだ。この社会は、これからどうなってしまう...

最終更新

午後0:31 · 2025年11月28日

·

https://x.com/naitoasao/status/1994247826122133583

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