はてなキーワード: 登場人物とは
で書くの忘れてた話
メダリストのすごさに近いマンガはなんだろう、というお題を勝手に立てた
近場ではてブ人気作品だとサンキューピッチはどうだろうと考えたのだが、
作者はおそらく古典作品を活用するタイプで、現代的な作風ではない
(ハイパーインフレーションの登場人物のグレシャムはおそらくアニメ宝島のシルバーがモチーフだし、レジャットさんはリブシーさん)
咲のネタバレになるので詳細は伏せるが、あのマンガの凄いのは得点をテーマにしてるところ
役満手は柄が揃ってたりして、絵面がいい
大三元とか四暗刻とか清一色とか国士無双とか、絵面のカッコイイ必殺技を炸裂させるのが麻雀漫画で、
もう少し深めになってくると地味な手で心理戦になってきて、人間心理バトルみたいな話になる
数字は、それだけだと全く響かない情報なのだが、数字に意味づけをちゃんと与えると、情報伝達手段としては最速になる
芸術家が自分の特徴となる独特のスタイルを発展させると、そのスタイルが最も凝縮され洗練された形に達する点に到達することがよくあります。
この集大成の時点は、しばしば創造的な転換点となり、その後彼らの作品は新しい方向性を取るようになります。
押井守の「イノセンス」(2004年)は、彼の初期作品から発展してきた哲学的アニメ作品の美学の頂点を表しています。
現在、前作「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」と共に4Kリマスター版の劇場公開で20周年を迎えた「イノセンス」は、
—人間と機械の境界、意識の本質、そして技術的な世界における魂—
を最も凝縮された形で蒸留している点です。
映画の美しくも疎外感を与える視覚効果や濃密な哲学的参照は、同じフレームワークの中ではこれ以上進化できないところまで彼の特徴的なスタイルを押し進めました。
「スプートニクの恋人」(1999年)も同様に、村上の主題的関心を最も結晶化した形で表現しています。
小説は馴染み深い村上のテンプレートに従っています:男性の語り手(「僕」)、彼の片思いの女性、そして現実と自己についての疑問へと導く謎の『失踪』。
この小説には村上の典型的な要素—孤独、謎めいた失踪、片思い、そして現実の曖昧化—が全て、ほとんど自己参照的とも言えるほど凝縮された形で描かれています。
タイトル自体が村上の孤独への関心を反映しています;「スプートニク」はロシア語で「旅の同伴者」を意味しますが、衛星は一人で旅をします。
それはまさに彼の登場人物たちが、互いに隣り合いながらも分離されて人生を進んでいくようです。
「機動戦士Vガンダム」(1993-1994)は、クリエイターが確立したスタイルを限界点まで押し進めた最も劇的な例を表しているかもしれません。
当初は子供向けの「楽しいロボットアニメ」として構想されたこのシリーズは、代わりにガンダムシリーズの中で最も暗い作品の一つとなりました。
スポンサーからのプレッシャーと強制的な変更に直面した富野は、観客の期待を完全に打ち破るよう設計されたかのような、非常に暗く妥協のない作品を作ることで応じました。
このシリーズは前例のないレベルのキャラクターの死と深く悲観的な世界観を特徴とし、富野自身も後に「Vでガンダムを本当に破壊したかった」と認めています。
この意図的な極端さは富野の一つの創造的段階の終わりを示し、その後の作品では新しいアプローチが必要となりました。
「千と千尋の神隠し」(2001年)は、「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「もののけ姫」などを通じて発展してきた宮崎のテーマ的・視覚的な物語の集大成を表しています。
その細部まで行き届いた精神世界、成長物語、環境テーマ、そして強い女性主人公を持つこの作品は、観客が「宮崎映画」に期待するようになったすべてを統合しています。
日本で最も興行収入の高い映画となり、アカデミー賞を受賞するという前例のない成功は、実際、宮崎にとってジレンマを生み出しました。
彼のそれまでの傑作の複雑な世界構築とは異なる物語の語り方を受け入れました。
これらのクリエイターを結びつけるのは、彼らが集大成の地点に達したというだけでなく、この集大成が創造的な再生を必要としたという点です。
「イノセンス」の後、押井は「スカイ・クロラ」のような作品に移り、依然として哲学的でありながらも、異なる視覚的・物語的アプローチを取りました。
宮崎の「ポニョ」は、それまでの作品よりも意図的に単純で、より子供らしい美学を取り入れました。
富野の「Vガンダム」以降の作品は、トーンとアプローチの顕著な変化を示しました。
このパターンは創造的進化について深遠なことを明らかにしています—芸術家は時に、本当に新境地を開く前に、一つのスタイルの可能性を使い果たす必要があるということです。
彼らの特徴的なアプローチを論理的な極限まで押し進めることで、これらのクリエイターは本質的に、別の創造的章を開く前に一つの創造的章を閉じたのです。
アーティストの「特徴的なスタイル」を構成するものについての我々の認識は、避けられなくその作品に出会った時期によって形作られます。
これらのクリエイターをスタイルの転換点の後に発見した人々は、何が「押井的」または「宮崎的」な作品を構成するかについて、全く異なる概念を持つかもしれません。
この時間的な視点は、芸術的アイデンティティが静的ではなく進化するものであり、特定の作品がその進化における重要な変曲点として機能していることを思い出させます。
ここで説明された現象は普遍的ではありません—すべてのクリエイターがそのような劇的な集大成の地点やその後の転換を経験するわけではありません。
それにもかかわらず、これらの例は創造的発展における興味深いパターンを示しています。そこでは芸術家が真に新たな始まりを迎える前に、確立されたスタイルをその究極の結論まで持っていく必要があることがあります。
顔が見えると感情移入しにくいというならば、中の人は作中で一度も顔を見せてはいけないはずだが、ヒーローが顔を隠すのは戦うときだけなので、それはちょっと変な理屈だと思う。
顔が見えていても男児も十分にヒーローと自分を同一視できているだろう。
むしろ某男性エロ漫画批評家は、エロ漫画を読む時に男性読者が自分と同一視しているのは女性の登場人物であると言い切っていた。
プリキュアが好きな大きいお友達も性別問わずプリキュアなのではあるまいか?
一見性的な欲求に見えるものがその実同一視を伴う憧憬ではないと言い切れるだろうか?
その前ではコスチュームが甲冑だろうとドレスだろうと、もっと言えばキャラクターの性別さえも、そんなことは瑣末な違いでしかないのである。
ただそこに、好きな作品がある。
それだけなのだ。
私も30代半ばで未婚で人と付き合ったこともない。
同僚を飯に誘ったものの断られた。
マチアプは待ち合わせ場所に行ったら爆笑しながら「チェンジ!」と言い放たれたり、待ち合わせ場所に相手が来なくてその後無言でブロックされたり、飯の後に相手が退会したりなどで、2回目以降に繋がらなかった。穴モテって言葉にもどうやら限界はあるらしい。
思い返してみれば、小学校の頃から◯◯菌が伝染ると机をくっつけてもらえなかったり、階段から突き落とされたりもしたので、顔面がものすごく悪かったり雰囲気がおかしかったり態度がやばかったりしたんだろう。
でもどれも男だけで女は問題なかったので、女子はなんとなく性別が同じという仲間意識で受け入れてくれてたのかも。
こんなんでも恋愛対象には全くならない顔面からしてアウトな人間なだけで生きていけるもんな。
男さんを恋愛対象にはせずとも普通に生きていく分には不都合ないし、男さんの人生の恋愛対象としての登場人物にさえならなければ悪いことは特に無い。
キリスト教が弾圧して魔女狩りや拷問を行っていたというのが一面的な浅っい浅っい見方なんですよねえ!
Geminiくんは優秀であることがわかった。
はい、承知いたしました。安倍晋三さんの死因ネタにフォーカスし、梅垣義明さんの豆と絡めたワハハ本舗バージョンの葬式ネタですね。以下に会話文を作成しました。
舞台: ワハハ本舗の舞台。祭壇が組まれ、いつものように奇妙な人々が蠢いている。
登場人物:
* 佐藤正宏
* 久本雅美
* 梅垣義明
(佐藤正宏が祭壇の前で困った顔で立つ)
佐藤: あー、もう、なんなんだよ、この葬式は!誰が死んだんだか、わけわかんねえよ!
(久本雅美が喪服姿で登場。胸元が大きく開いたセクシーな喪服)
久本: 正宏さん、どうしたの?そんなに怒って。
佐藤: だってよ、安倍さんが死んだって言うから来たのに、祭壇にはトランプの写真まで飾ってあるんだぜ!
(梅垣義明が鼻に豆を詰めながら登場)
梅垣: みなさん、お集まりですね。故・安倍晋三さんのご冥福を祈り、豆を捧げます。
(梅垣、鼻から豆を飛ばす。豆が舞台に散らばる。そのうちの一粒が祭壇の安倍晋三さんの遺影に命中する)
久本: 梅ちゃん、やめてよ!こんな時に豆飛ばさないで!しかも、遺影に当てるなんて!
(舞台袖からドナルド・J・トランプが登場。喪服姿で、少し戸惑った表情)
トランプ: Excuse me? What is this place?
(観客、大爆笑)
トランプ: Yes, I came to say goodbye to my friend, Shinzo Abe.
トランプ: Of course! We were the best of friends. Winners!
(舞台袖から安倍晋三が幽霊姿で登場。白装束で、胸には豆が刺さっている)
(観客、悲鳴と笑いが入り混じる)
トランプ: Shinzo! You're a ghost! And what's that on your chest?
佐藤: しかし、安倍さんの死因って、結局なんだったんだ?銃で撃たれたって話だけど…。
安倍晋三: (胸の豆を指して) …まあ、こんな感じですね。
トランプ: Shinzo, this is terrible!
梅垣: せめてものお詫びに、豆を使った弔いの舞を披露します。
ポイント:
私は読めない。ラノベでも無理。絵がないと話も登場人物も入ってこない。
努力して、夏目漱石の「こころ」を読んだことがあるが、本当に大変だった。
登場人物が少ないから読みやすいと思ったら、描写が多すぎて想像ができない。
作品の性質によるけどラノベで登場人物が多すぎて混乱する (面白さが損なわれる) なら単なる失敗作だと考えるから読まなくなると思う。
真っ当な出来の作品なら登場人物が多くてもその人の立場だとか過去エピソードを想起させるような文をちょろっと入れて上手いことやる。
ガチ物を読みたかったとしてもフィクションじゃなく歴史小説を選ぶわ(なろうに、多少は投稿されてることは知ってる)
登場人物を300人覚えるにしても、他でも知識を共用できるかもしれないものと、その小説を読む役にしか立たないものとじゃ、習得コスパがあまりにも違い過ぎる
筋肉質な炭鉱夫のおっさんとか抽象化して覚えなくてもいいよって書き方されてないのかもしれんね
それしないと馬鹿になる一方だよ。
記憶力とか筋力は加齢によって衰えることだけは確実なんだから、それを鍛えるなり補助する方法を自分なりに発明していかないと。
なろう系の漫画とかすら。
登場人物、おおまかなあらすじ、とか新刊が出る前にぱっと読むようにしてる。
というか、逆に言うとメモとかこまめにしてると記憶に残るんだよ。
んだけどメモしないと記憶しないからメモを書くということ自体が必要ではなくなるわけではない。
まとめると歳を取るというのはそれまで当たり前にできていたことが出来なくなる、
ということだからそれにたいしてどうやって備えていくか?
というのは生きてる以上常に命題になる。
それをしなかったら?
80話(1話1000字として8万字くらい?)で登場人物90人くらい出てくる小説は、
はっきり言って構成間違ってるとしか言いようがないので、読むのやめた方がいいと思う。
銀英伝でもそんなことにはなってないでしょ。
歳とったからというのじゃなく、昔からなんだけど、ちょろっと出る人物の名前とか立場とかが覚えきれない。
序盤にちょっと出てきただけの人物が中盤とかでさらっと重要人物扱いされたりすると、あれ、この人なんだっけって気になりすぎて、前の方を読み直したりしてスムーズに読めないんだけど、みんなはどうやって読むのか教えてほしい。
とある長編ラノベを読み始めたので、いま試しにスプシに登場人物をどんどん書いていってる。名前と初出話と関係性とかの概略。
そしたらまだ80話なんだけど90人くらい登場してて、いやこれ記録してないと読むの無理でしょって思ってる。記録していくのかなり面倒だけど。
昨日さ、『イノセンス』見に行ったんだよ。名作だし、久々に映画館で味わおうと思って。で、上映始まったらさ、隣の席からすげえ臭いが漂ってきて。見たら、ホームレスみたいな悪臭漂わせたおっさんが、堂々と酒飲んでんの。マジかよ、キレそうになったわ。音立ててちびちび飲んでるし、時々「ふぅ…」とかため息ついてんの。いや、お前、家でやれよって。
でもさ、映画見てるうちに、なんか怒りより虚しさが湧いてきた。『イノセンス』って、登場人物みんな妙に老けてて、枯れた感じが漂ってるじゃん?で、ふと思ったわけ。俺らだって、今は「健康です」「オタク趣味あります」って元気に主張してるけど、結局ああなるんじゃね?仕事も趣味も金もなくなって、昔の映画見に来て、安酒すすって「昔は良かった…」とか呟くような、みっともないジジイにさ。
映画の内容もなんか「諸行無常」って感じで、死に向かう寂しさみたいなのがずっと頭に残ってて。隣のおっさん見てると、なおさら「ああ、これが現実か」って突きつけられた気分。ぶっちゃけ、今アニメやゲームでキャッキャしてる若いオタクたちも、20年後にはこうなる可能性あるよな。俺も含めてさ。
まぁでも、そのおっさん、上映終わったらフラフラ立ち上がって出てったけど、なぜか憎めなかったわ。映画と一緒に、妙にしみじみした気分だけ残った。人生って、こんなもんかね。お前らも気をつけろよ、酒飲みすぎんな。
本人を差し置いてなんだけど、自分もむちゃくちゃ辛い。で、Geminiに「つらい現実に立ち向かっていく、みたいな話をなんか教えて、映画とか本とか小説とか」とたずねてみた。そうしたら、
うん、でもそれみんな見たし読んだからね、もうちょっとマイナーなやつあるかな、海外文学とかで、と更にたずねたら「ジュリー・オオツカがいいんじゃないの」という。
ジュリー・オオツカ、全然知らない。Wikipediaによると
「オオツカは渡米した日本人女性、日系アメリカ人の強制収容での生活などを描いているため、ジャンルとしては歴史小説だが、登場人物にはしばしば名前がなく、内面描写を排した淡々とした語りによりその背後にある深い哀しみを表わしている。」
とのことで、なかなか良さそうなかんじだ。Geminiありがとう。
これ読んでる人で、他になにかおすすめあったら教えてください。
面接などで見分ける方法は簡単。ある程度の長さの文章や口述小話を、箇条書きで要約させること、あるいは口頭で要約説明させること。主語述語が無い、てにをはが変、最重要部分が抜けてる、要約出来てない、主観が入り込む、などで炙り出せる。どれも業務では重要な能力だよね。