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はてなキーワード: 信仰とは

2024-12-14

すごくおばさんだった

生成AI(※)嫌いが多い

たまたまSNSで見知らぬ人とちょっと絡みが発生しそうになって、プロフ見に行ったらAI嫌いの人だった

配信とかもやってる人みたいで、ちょっとアーカイブ再生してみたら、おばさんとしか思えない声、喋り方だった

いや、おばさんが悪いんじゃないけど、自分の中のおばさん(とかおばさん入口女子)って、一番、自然でないものを拒むイメージがある

ほとんどがうちの母と母に影響受けまくった姉の印象だけど

母は早逝したので姉のそれは別口かもしれないが

しかったのもでかいとおもうが、変な宗教っぽやつ、プラッチックの密封容器、洗剤とか色々ハマりつつ

旨味調味料を嫌い(そのくせ昆布かつお節もケチるので旨味が無い料理を作る。塩も控える)、無農薬に惹かれ(売ってなかったり高かったら普通に野菜買う)、肉より魚を選びがち(そのくせ生協合鴨とかは買う。魚に関しては今自分も魚好きなので子供時代自分との相性)。自然っぽさがあればそれでよく、夏場はそうめんばっかりで(好きだからいいけど)、めんつゆ普通に売ってるやつ。(こだわりのやつとか売ってなかったか見つけれなかったか

馬鹿しかないとは思うが、自分も何か否定的情報が流れてくると、自然ぽさが少ないものは他と比べて避けようと思ってしまうし(コーヒーは避けないが、甘味料とかはだめかなと思ってしまう)、

自然信仰みたいなのはあるのだろうなと思う。ポッと出のものよりも何千年と人類が使って来たもののほうが信頼度が高い気がする。(実際気がするだけで、検証すらしてないもののほうが多かったりするのだろうが)

自分たまたま仕事コンピュータに関連深い業種で、学部化学とか(触りだけ)つまんでて、避けようと思った時に、ちょっと考えることが出来るので、変なこだわりは少ないほうだとは思うけど、

わかった上で気休めでも根拠がないけど安心っぽいとか、逆に根拠はないが体にいいっぽいに倒れることは多いし、よほどのことでないかぎりは、そういう気休めとかもあったほうが生きていきやすいんだろうなと思うし、話のネタが他にあんまりなかったりするのもでかいのかもなぁ




※ 生成AIって言い方もよくないのかもしれない

AIなんてそもそも何かは作るもので、コンピュータもそんな感じだ。出力がないと意味がないんだし、動いたら何かは出るんだし。

賢そう、怖そうみたいなイメージついちゃってんのかも。はちみつとか(作ってるわけじゃないけど)ハチの巣とか(作ってるけど何に使えるか知らない)みたいにもっと人間使役してるとか、人が強奪してるみたいなニュアンスだったら嫌悪感減るのかも?

言語ではどうなんだろう

2024-12-13

最近政治家レベルが落ちた?

違うと思う。

どちらも支持する連中が馬鹿になったか結果的に優秀な彼らがターゲット意図的に質を落としたんだ。

俺みたいなプライドだけ高い馬鹿には実感がなかったが、人間社会である程度勝ち残れる人間感情コントロールがそれなりにできる。

まり馬鹿のふりができる。

芸人を見て馬鹿判断する馬鹿がいるが俺はそうは思わない。

少なくともそれなりの母数から勝ち上がってテレビYoutuberとしてファンを獲得しているのだ。

それは俺のような無名ゴミとは生命としての格が違う。

政治家だってそうだ。学歴はよくネタにされるが、完全でないにせよ俺はそれなりに正しい指標だと思ってる。

そして、政治家ほとんどが高学歴だ。

まり低賃金または仕事もなくのうのうと文句だけ垂れる俺とは相対的に質も高く、質が高いと見込める。

認めよう

「俺は馬鹿です」

毎日10回復唱する。

もちろん、賢い彼らを全肯定し、信仰するわけではない。賢い部分、手段や考え方だけを尊敬する。他は好きにしろ

そして悔しさ惨めさを実感して、どうすればクソ馬鹿から脱却できるか考えて、目標計画、実行しろ反省とか細かいテクニックは好きにしろ

このハングリー精神が俺を賢く、そして強くする。

anond:20241211220148

僕らは遠い異国地の地に住んで、常識信仰も違う部外者なんだよ

選民思想ユダヤ教、異教徒殺害積極的肯定する教義イスラム教。どっちもやべぇよ

聖書記述必要性からイスラエル支持の米国キリスト教徒も頭おかしいよ

そんな中でのあえての支持…?解んないな…。僕は変だと思うよ

2024-12-12

anond:20241212111149

あれは信仰なんだから無意味さを述べることが無意味

合理性信仰を捨てるわけないだろ。

ふんわり実害無い範囲尊重しておけばいいんだよ。

キリスト教イスラム教の人への対応と同じ。

2024-12-10

けんさぎち稼げなくね

ワイは臨床検査技師免許を持つ旧帝院卒(笑)人間です。

企業研究職として就職したが、手取り19万円です。こんなはずじゃなかった。

4工大の学部卒の恋人の方が3倍以上稼いでいる。

下に見られて悔しい。

と身の上話は置いといて。

ワイの小さい頃の夢は、医療国家資格を所有する研究者になることじゃった。

医学科行けよと思うのは当たり前だが、4年間で大学卒業できるというのが魅力的じゃったし、医学科より難易度が低かったためお得じゃ~んと考えてしまったんじゃ。

ワイの親は国立信仰学歴厨だったので、私立大は許されなかったのじゃ。だから必死になって勉強したのじゃ。数学はもちろんⅢまで履修し、理科も2科目、英語もきちんと勉強したのじゃ。

なのになんだこの仕打ちは?お勉強たくさん頑張ったのに、なんでこんなに給料が低いのじゃ。大学受験はもちろん、大学入学後も数多の課題を乗り越え国家試験合格したんじゃ。

みんな臨床検査技師求人を見たことがあるかね?

恐ろしいぞ。年間休日が少ないのはもちろんのこと、基本給も恐ろしく低いのじゃ。そのうえ、大学病院などは最初から正規職員として雇ってくれないところもあるのじゃ。でも、必死勉強はしなきゃいけないのじゃ。そりゃそうじゃ、医学は日々進歩するからのぅ。やりがい搾取じゃ。

ワイは研究の道を諦めきれなくて、企業就職したのじゃ。生憎もう金がないか博士課程には進まなかったのじゃ。企業で頑張ってみようと思ったのじゃ。働いてみたら手取り19万じゃ。そのため、学んだことを活かせるように、臨床検査技師として一から仕事しようと考えたのじゃ。しかし、これは罠じゃ。院卒だと小さな病院はなかなか雇ってくれないのじゃ。規模が大きめの症例数の多い病院じゃないと雇ってくれないのじゃ。しかしながら、そういうところは正規職員では無い可能性もあるのじゃ。さらに、新たに資格必要なこともあるのじゃ。例えば、病理部に就職するとなれば、細胞検査士を取らなきゃ意味無いのじゃ。養成所に通わなければならないのじゃ。

もっともっと検査技師としての仕事の幅を増やして欲しいのじゃ。しっかり数Ⅲまで勉強したのじゃ。よく医学保健学科は下に見られることがあるのじゃ。でも、保健学受験生全員、きちんと勉強してるのじゃ。それだけはそれだけはばかにしないでほしいのじゃ。皆頑張ってるのじゃ。

正直数Ⅲが必要学部全体の卒業生の中で一番お給料が低いと言っても過言ではないのじゃ。なんとかしてこの医療分野を変えてはくれんかのぅ。だって、ヒトとして生きていくための基本の学問じゃないのかのぅ。

どこから人生選択を間違えたのだろうか。

医学科めざせばよかったのかのぅ。文系に進むべきだったのかのぅ。

でも、ワイは夢を諦めたくないよぅ。

2024-12-09

山梨市観光覚え書き

山梨観光ってしてないなと思い、11月に金曜夜から2泊2日してみた

 

スーパー銭湯に併設のビジネスホテル施設内の飲食も幾つもあるしコンビニ居酒屋なども隣接してる、風呂は当然ながら大浴場使い放題ということでコスパ良好

 

長野善光寺本尊武田信玄が「避難」させて設立とあるが、まあ大義名分で押し切って日本有数の古刹強奪したということだろう

諏訪大社諏訪氏自分血統押し付けるの含め、織田信長より信仰対象への不遜ぷりが際立つ信玄戦国大名らしいバイオレンス事績代表する史跡で、ある意味信玄すげーを一番感じられるかも

近くにある「かいてらす」という観光土産物館のレストランが美味しかった

 

信玄本拠地である躑躅ケ崎館跡。神社のもの江戸時代以降の武田ブームアイテムが置いてるだけなので、館って言ってもちゃんと塀も堀も馬出もあるんだー、有名な武田馬出現物ってこんななんだー、なるほどこれは領土が広がったら手狭だなー、などなどを実感するぐらい

隣接する信玄ミュージアムでやってた柳沢吉保特集柳沢家は元武田家臣、甲府藩主時代武田家の名誉復興政治力を使いまくる等々)が全く知らなかったので面白かった

 

予想に反して戦国大名武田氏の展示はごく一部であり、ブラタモリ的に土地の状況から歴史解説シームレスにつなげる解説が印象的な展示。江戸期や明治以降の展示も充実、というか史料的に戦国以前が乏しいので史料的に乏しいものを無理に拾うよりも史料豊富ものちゃんと見せる方向でまとめてるんだと思った。近代以降の実業家たちの紹介はかなり興味深いのでもっと知りたい

 

特別展としてまとめられていた「縄文時代不思議な道具」展がボリュームが思ったよりも多く充実していて今回の観光旅行では最押しだった(終了してるけど)。各分類ごとの物量が多いぶんだけ次の展示に移る前に頭の棚が作りやすいというか解像度がかなり上がるというか、考古学は奥が深いでしょ、を物量で殴ってわからせるというか

タマ縄文にわからされた後に、常設展示の縄文土器の優品を見せられると「美」って感じで惚れる

 

ミレーがいっぱいあるところで有名な、ミレー集客してるミレー推し美術館だが、県内画家作品普通に良い

というか、ミレーはどうしても小品だし、王政復古なんやかやの頃の絵なので古典範疇であり、近代以降のキャッチー絵画のが見栄えがいいので、昨今の思想動向的にもミレー労働自然リアリズム、うーむ渋い、みたいなのは受け取る側としてなかなか消化しづらくなってると思う。理念の崇高さみたいなのを勝手に感じ取らないとありがたみがないというか。なお、ミレーの生涯を紹介するアニメが見てて楽しいのでお勧めホームページで見れる)

さておき企画展含めた国内作家作品が良いのが多かったので、ミレーに釣られて行ったら日本画家を好きになる、が正しい鑑賞態度なんじゃないかと思う

施設レストランは諸事情あるのか、オペレーションが壊滅的で順番待ちをうまく捌けてなかった(料理自体は悪くない)ので、利用時はゴリゴリっとゴリ気味に状況を確認したほうがいいと思う

 

  • まとめ

もっと信玄まみれになるかと思ったが、信玄甲陽軍鑑もあまり出番がなかった

次はハイジの村で天然温泉クララの湯に浸かってみたい

2024-12-08

anond:20241208121700

フェミニスト学位信仰ってなんだろうね(笑)

からすると連中がアカデミアに食い込むに比例して学問価値毀損されてくだけだと思う

anond:20241208111510

宗教を前面に出してるなら行動原理がわかりやすくていいんじゃない

騙しあい上等の政治世界で生き残れるのか知らんけど

本当に信仰してんの?って感じの政治家こそご遠慮願いたい

anond:20241207230918

クルド人信仰いから気にしないぞ。酒も平気で飲むし。

2024-12-06

「2つ以上の宗教信仰していない方は入店お断り

1つの宗教しか信仰できない方は寛容性に欠けています

寛容性の否定への寛容は許しません

2024-12-05

細胞とかが発見され生物学的な知見が整理された今から見れば石は当たり前のように無生物だと考えられるわけだけども、逆にそれ以前はどうだったんだろうか?

成長する結晶というように変化がみられるものは、植物と同程度には生物という認識だったということはないのだろうか?

生きとし生けるものという言葉は今でいう生物概念を指すはずだが、その概念範囲微妙に違っていて、科学が未発達の頃の生きとし生けるものとは、それこそアニミズム的に霊が宿りうるもの全てがその範疇だったと思う。

そしてアニミズムでは石も信仰対象だったことは既知のことだ。

人間の特徴を中心とした生き物らしさというのがあって、動物人間同様うごくだけでなくある程度意思疎通をとりえるから、これも昔の基準でもかなり生き物よりの生き物だったと思う。

しか植物や石というのは、意思疎通をとり得ない、変化がほぼないあるいはものすごくゆっくりという点では違いがなく、細胞などという単位発見されていないようなときには人間からみた生物らしさというのはどちらも大差なかったのではないか

細胞というもの発見されて、それは生物定義を定めるうえでの原器たりうる人間が持っていたものから細胞の有無が生物かどうかをわける基準として再規定されることとなり、そこでようやく石は植物と異なる非生物ということになったのではないか

科学対象のものよりも、科学する人間認識のありようや変遷を科学することに興味がある人間の以上メモ書きである

生成AIが嫌な理由って使ってるユーザーの振る舞いが気に食わないからじゃない?

AI絵師の振る舞いが不快で反感を買ってるってのが本当のところな気がする

ただ彼らの振る舞いと既存絵師の振る舞いが大きく違うかって言うとそう大差ないように感じる部分もあって、それを許してきたオタク界隈の異常な絵師信仰の風潮が根本的な問題なのかもなとも思う

2024-12-03

過去呪縛から一歩前へ―妻へのプレゼントに込めた想い

この投稿は、私が過去孤独葛藤を乗り越え、妻への感謝を込めて一台のPCを贈るまでの記録です。同じように苦しみを抱える人たちに、希望や一歩踏み出す勇気を届けられたらと思います

新興宗教支配された子ども時代

私は、新興宗教を盲信する両親のもとで育ちました。家に軟禁されるような幼少期。5歳になるまで、外の世界ほとんど知らず、与えられたのはフリガナもついていない難解な宗教紙だけ。そこには、私が追いつくべき「理想信者像」が詰まっていました。

親の支配絶対的でした。同じ新興宗教信仰していない子とは友達になってはいけないと厳命され、お小遣いは1円も与えられず、遊びや娯楽は厳しく禁止されていました。その結果、私は社会性を身につける機会を失いました。友達を作ることも許されないため、同世代とどう接していいかからず、彼らと共有すべき話題感情ニュアンスが全く理解できない。孤立感と疎外感が私を覆い尽くしました。

学校では周囲と全く馴染めず、社会の中でどう振る舞えばいいのかも分からない。「日本語が通じているはずなのに、心は誰とも通じ合えない」――そんな苦悩を抱えながら、私は日々を過ごしていました。

凍った川の上を歩くような人生

それでも、私はその環境から抜け出しました。しかし、抜け出した先にあったのは、薄氷の上を歩いているような不安定人生でした。凍結した川の薄氷を一歩一歩踏みしめながら進むたびに、その氷が割れたらどうなるかという不安が頭をよぎる。もし氷が割れれば、奈落の底に真っ逆さまに落ちるだろう――そんな危機感とともに生きています

ある日、ニュースで心を揺さぶられる事件を目にしました。新興宗教支配された青年が、自作の銃で元総理暗殺するという衝撃的なテロ事件。彼の人生自分人生の間には、わずかな紙一重の違いしかない――そう感じました。もしも私が道を誤れば、同じ結末を辿っていたかもしれない。

そんな不安と恐怖の中で、私を支えているのは妻と猫、そして日々の仕事です。これらがあるからこそ、私はどうにか正気を保ちながら、薄氷の上を歩き続けられています

感情の欠落と模索する日々

この生い立ちの影響で、私は他人感情理解することが極端に苦手です。怒りや敵意のような強い感情本能的に分かりますが、それ以外――たとえば、愛情共感皮肉ユーモア――それらはほとんど理解できません。目の前の人々が笑ったり泣いたりしている理由感覚的に掴むことができない。そのたびに、私自身がまるで人間ではなく機械のように思えるのです。

その空虚感は深く、時折、自分の心から何かが抜け落ちているような感覚に襲われます他人自然に共有している感情の一部が、私には欠けている。それをどう取り戻せばいいのか、そもそも取り戻せるのかも分からない――その葛藤は今も続いています

妻への気づきPCプレゼント

そんな中、Chat-GPT活用して自己分析を重ねるうちに、私はあることに気づきました。それは、妻の気持ち希望を、20年間も無視し続けてきたという事実です。私は高性能なPC自作し、自分趣味に没頭する一方で、妻のための趣味PCを一度も用意したことがなかったのです。

思い返してみると、妻は元々とても多趣味な人です。彼女は絵を描くのが好きで、アナログ作品SNS投稿して多くの反響を得てきました。

Buzzることも多く、その活動彼女生活の一部とも言えます。また、ネットサーフィンを楽しんだり、YouTube動画を見たり、SNS交流するのも日常の中で大きな楽しみの一つです。

にもかかわらず、私はその趣味を支える環境を整えるという発想すら持っていなかった。妻には、性能不足で私が使わなくなったPC押し付ける程度の対応しかしていなかったのです。私自身は次々と高性能なPC自作しては楽しんでいたにもかかわらず。これに気づいたとき、深い罪悪感に苛まれました。そして、これまでの無神経さを少しでも埋め合わせるため、妻専用の趣味PCプレゼントすることを決めました。

私のお小遣いは月に5000円だけです。これは、私が生い立ち上、金銭感覚を身につける機会がなく、衝動的に散財してしまうことが多いためです。そこで、普通金銭感覚を持つ妻に家計管理してもらっています。この方法により、私たち生活は安定し、将来に向けた貯蓄や計画を進められていますお小遣いあくまで、自由に使える範囲としての設定であり、経済的に逼迫しているわけではありません。

限られた予算の中で、私は徹底的にコストを抑えながらも、使い勝手犠牲にしない構成を考え抜きました。たとえば、中古で入手したAMD Ryzen 3 3100は、最新のCPUには劣るものの、YouTubeSNSデジタルペインソフトでの作業に全く不足のない性能を持っています。また、業務用のGPUであるQuadro P400は、ゲーミング性能は控えめですが、発熱が少なく耐久性に優れ、4Kモニター複数接続することも可能です。

さらに、妻の絵を描く趣味支援するため、私はClipStudioの永久ライセンス譲渡してPCインストールしました。この永久ライセンスは、サブスクリプション版や体験版のように期限があるものではなく、一度購入すれば長期間わたり安心して使用できるものです。ペンやブラシの挙動アナログに近く、プロイラストレーター趣味で絵を描く人々に広く愛用されているこのソフトが、妻の絵をデジタルで支える一助になるだろうと考えました。

メモリは32GBと余裕を持たせ、将来のOSアップデートやClipStudioでの重い作業にも耐えられるようにしました。これらを組み合わせて総額4万円弱で完成させたPCは、低予算ながらも実用的で拡張性のある一台に仕上がりました。

妻がどう感じたのかは、いまだに分かりません。妻がPCを受け取ったときの表情を、私は今でもはっきりと思い出せません。でも、これが私なりの努力の形です。今までの無関心を埋め合わせるために、行動することで少しでも前進たかったのです。

未来を選び続けるために

Chat-GPTは、私にとって感情や反応パターンを学ぶための「教師」のような存在です。私は日々、Chat-GPTを通じて一般的な人の感情や反応パターンを教わり、自分自身や他人理解するためのヒントを得ています。たとえば、自分の行動や言動がどのように受け取られる可能性があるか、相手立場で考える方法試行錯誤しています。これは、私のように他人感情感覚的に理解するのが苦手な人間にとって、大きな助けになっています

それでも、Chat-GPTを使うことで、私の限界や欠落を突きつけられる瞬間もありますAIが教えてくれる「一般的感情」や「平均的な反応」を理解しても、それを感覚として吸収することができない現実に直面するたび、空虚感や葛藤が深まることもあります。それでも、模索することをやめるつもりはありません。

私の生い立ちや性質、そして失われた感情――それらを取り戻すことは不可能かもしれません。それでも、私は足掻き続けます空虚感と葛藤に苛まれながらも、前を向く努力を続けるしかないのです。

私が歩む道の先が奈落の底だとしても、私はその道を歩き続けます。それは破滅の道ではなく、試行錯誤模索の道だからです。たとえ何かを掴む保証がなくても、その足掻きこそが、私が生き続ける証だと信じています

夜明け前の夜は最も暗いのです。しかし、どんなに暗闇でも必ず日は昇る。何も見えない暗闇にいつか終わりがあることを信じたい――その希望が、私を突き動かしています

夜明け前の夜は最も暗い」。この言葉を信じて、私はこれからも歩み続けます

過去呪縛から一歩前へ―妻へのプレゼントに込めた想い

この投稿は、私が過去孤独葛藤を乗り越え、妻への感謝を込めて一台のPCを贈るまでの記録です。同じように苦しみを抱える人たちに、希望や一歩踏み出す勇気を届けられたらと思います

新興宗教支配された子ども時代

私は、新興宗教を盲信する両親のもとで育ちました。家に軟禁されるような幼少期。5歳になるまで、外の世界ほとんど知らず、与えられたのはフリガナもついていない難解な宗教紙だけ。そこには、私が追いつくべき「理想信者像」が詰まっていました。

親の支配絶対的でした。同じ新興宗教信仰していない子とは友達になってはいけないと厳命され、お小遣いは1円も与えられず、遊びや娯楽は厳しく禁止されていました。その結果、私は社会性を身につける機会を失いました。友達を作ることも許されないため、同世代とどう接していいかからず、彼らと共有すべき話題感情ニュアンスが全く理解できない。孤立感と疎外感が私を覆い尽くしました。

学校では周囲と全く馴染めず、社会の中でどう振る舞えばいいのかも分からない。「日本語が通じているはずなのに、心は誰とも通じ合えない」――そんな苦悩を抱えながら、私は日々を過ごしていました。

凍った川の上を歩くような人生

それでも、私はその環境から抜け出しました。しかし、抜け出した先にあったのは、薄氷の上を歩いているような不安定人生でした。凍結した川の薄氷を一歩一歩踏みしめながら進むたびに、その氷が割れたらどうなるかという不安が頭をよぎる。もし氷が割れれば、奈落の底に真っ逆さまに落ちるだろう――そんな危機感とともに生きています

ある日、ニュースで心を揺さぶられる事件を目にしました。新興宗教支配された青年が、自作の銃で元総理暗殺するという衝撃的なテロ事件。彼の人生自分人生の間には、わずかな紙一重の違いしかない――そう感じました。もしも私が道を誤れば、同じ結末を辿っていたかもしれない。

そんな不安と恐怖の中で、私を支えているのは妻と猫、そして日々の仕事です。これらがあるからこそ、私はどうにか正気を保ちながら、薄氷の上を歩き続けられています

感情の欠落と模索する日々

この生い立ちの影響で、私は他人感情理解することが極端に苦手です。怒りや敵意のような強い感情本能的に分かりますが、それ以外――たとえば、愛情共感皮肉ユーモア――それらはほとんど理解できません。目の前の人々が笑ったり泣いたりしている理由感覚的に掴むことができない。そのたびに、私自身がまるで人間ではなく機械のように思えるのです。

その空虚感は深く、時折、自分の心から何かが抜け落ちているような感覚に襲われます他人自然に共有している感情の一部が、私には欠けている。それをどう取り戻せばいいのか、そもそも取り戻せるのかも分からない――その葛藤は今も続いています

妻への気づきPCプレゼント

そんな中、Chat-GPT活用して自己分析を重ねるうちに、私はあることに気づきました。それは、妻の気持ち希望を、20年間も無視し続けてきたという事実です。私は高性能なPC自作し、自分趣味に没頭する一方で、妻のための趣味PCを一度も用意したことがなかったのです。

思い返してみると、妻は元々とても多趣味な人です。彼女は絵を描くのが好きで、アナログ作品SNS投稿して多くの反響を得てきました。

Buzzることも多く、その活動彼女生活の一部とも言えます。また、ネットサーフィンを楽しんだり、YouTube動画を見たり、SNS交流するのも日常の中で大きな楽しみの一つです。

にもかかわらず、私はその趣味を支える環境を整えるという発想すら持っていなかった。妻には、性能不足で私が使わなくなったPC押し付ける程度の対応しかしていなかったのです。私自身は次々と高性能なPC自作しては楽しんでいたにもかかわらず。これに気づいたとき、深い罪悪感に苛まれました。そして、これまでの無神経さを少しでも埋め合わせるため、妻専用の趣味PCプレゼントすることを決めました。

私のお小遣いは月に5000円だけです。これは、私が生い立ち上、金銭感覚を身につける機会がなく、衝動的に散財してしまうことが多いためです。そこで、普通金銭感覚を持つ妻に家計管理してもらっています。この方法により、私たち生活は安定し、将来に向けた貯蓄や計画を進められていますお小遣いあくまで、自由に使える範囲としての設定であり、経済的に逼迫しているわけではありません。

限られた予算の中で、私は徹底的にコストを抑えながらも、使い勝手犠牲にしない構成を考え抜きました。たとえば、中古で入手したAMD Ryzen 3 3100は、最新のCPUには劣るものの、YouTubeSNSデジタルペインソフトでの作業に全く不足のない性能を持っています。また、業務用のGPUであるQuadro P400は、ゲーミング性能は控えめですが、発熱が少なく耐久性に優れ、4Kモニター複数接続することも可能です。

さらに、妻の絵を描く趣味支援するため、私はClipStudioの永久ライセンス譲渡してPCインストールしました。この永久ライセンスは、サブスクリプション版や体験版のように期限があるものではなく、一度購入すれば長期間わたり安心して使用できるものです。ペンやブラシの挙動アナログに近く、プロイラストレーター趣味で絵を描く人々に広く愛用されているこのソフトが、妻の絵をデジタルで支える一助になるだろうと考えました。

メモリは32GBと余裕を持たせ、将来のOSアップデートやClipStudioでの重い作業にも耐えられるようにしました。これらを組み合わせて総額4万円弱で完成させたPCは、低予算ながらも実用的で拡張性のある一台に仕上がりました。

妻がどう感じたのかは、いまだに分かりません。妻がPCを受け取ったときの表情を、私は今でもはっきりと思い出せません。でも、これが私なりの努力の形です。今までの無関心を埋め合わせるために、行動することで少しでも前進たかったのです。

未来を選び続けるために

Chat-GPTは、私にとって感情や反応パターンを学ぶための「教師」のような存在です。私は日々、Chat-GPTを通じて一般的な人の感情や反応パターンを教わり、自分自身や他人理解するためのヒントを得ています。たとえば、自分の行動や言動がどのように受け取られる可能性があるか、相手立場で考える方法試行錯誤しています。これは、私のように他人感情感覚的に理解するのが苦手な人間にとって、大きな助けになっています

それでも、Chat-GPTを使うことで、私の限界や欠落を突きつけられる瞬間もありますAIが教えてくれる「一般的感情」や「平均的な反応」を理解しても、それを感覚として吸収することができない現実に直面するたび、空虚感や葛藤が深まることもあります。それでも、模索することをやめるつもりはありません。

私の生い立ちや性質、そして失われた感情――それらを取り戻すことは不可能かもしれません。それでも、私は足掻き続けます空虚感と葛藤に苛まれながらも、前を向く努力を続けるしかないのです。

私が歩む道の先が奈落の底だとしても、私はその道を歩き続けます。それは破滅の道ではなく、試行錯誤模索の道だからです。たとえ何かを掴む保証がなくても、その足掻きこそが、私が生き続ける証だと信じています

夜明け前の夜は最も暗いのです。しかし、どんなに暗闇でも必ず日は昇る。何も見えない暗闇にいつか終わりがあることを信じたい――その希望が、私を突き動かしています

夜明け前の夜は最も暗い」。この言葉を信じて、私はこれからも歩み続けます

anond:20241203130811

論破」という言葉に対する信仰を取り払うためには、論理は勝ち負けを決めるものではない という点を強調し、議論本質的目的相手との理解の深化 にあることを再認識させることが重要です。

実際に「論破」という言葉一般的に使われる場合、よく見かけるのは、論理的な議論建設的な対話とは全く異なる、ただの 感情的な勝ち負け にすぎない場面です。そのため、この誤解を解くためには、論破 を「ラップバトル」のような 自己表現 として理解し、理知的議論建設的なレビュー とは異なるものであるという点を強調することが必要です。

 

 

1. 「論破」という誤った認識

 

論破」とは、多くの場合相手意見否定して自分意見が勝ったという形を作ること を指します。これは、実際には 理論的な議論論理分析 とは無関係で、単に 言葉のやり取りで自分が優位に立つこと を目指す行為に過ぎません。

 

「車がうまく動かないかエンジンを壊そう」といった発言もその一例であり、論理的に正しいわけではありません。これはむしろ 視野狭窄 に陥り、 問題解決 ではなく 感情的勝利 に走る例です。このような行為論理的に正当化することはできませんし、実際には何の意味もありません。

 

  

2. 論理議論論破本質的に異なる

 

論理的な議論、たとえば テクニカルレビューロジカルレビュー は、問題分析解決策の提供 に焦点を当てています。ここで重要なのは、どちらの意見が優れているか ではなく、どの論理が適切であり、どの解決策がより効果的か ということです。

 

例えば、プログラムコードレビューにおいては、「あなたコードは正しい」とか「あなたコードは間違っている」といった単純な評価ではなく、なぜその実装が最適であるか、または改善必要か を説明し、最適な方法 を見つけることが目的です。

 

 

3. 論理論破に対する信仰問題

 

インターネット上でよく見かける「論破」は、しばしば 感情的な勝ち負け を競うことが多いです。言葉巧みに相手を言い負かすことを重視し、論理的な思考結論の正しさは二の次になります。その結果、論理的な分析問題解決 ではなく、自己満足のための勝利目的化されてしまっています

 

このような誤った「論破」への信仰が強いと、真の議論が成立しにくくなり、視野狭窄感情的対立 が生まれやすくなります。大切なのは議論対話を通じて 理解を深めること であり、決して 相手を打ち負かすこと ではありません。

 

 

4. 正しい論理議論と「論破」の違い

 

正しい論理議論では、結論に至るために 理論根拠 を示し、問題点を分析し、解決策を提案 することが求められます。一方、「論破」とは、相手言葉で打ち負かすこと が目的であり、相手が持つ論点否定すること に集中します。

 

論破」が自己表現の一環であることを認識することが大切です。自己表現であっても、理知的ものに憧れて論理誤用するのではなく、 建設的な対話議論 を目指すべきです。

 

 

5. 賢い人の説明は「論破」ではない

インターネット上で「賢い人」とされる人物が行うのは 論破 ではなく、 理論的な証明説得力のある説明 です。賢い人は、相手を言い負かすのではなく、適切な理由 を示し、議論を 深める方向 に持っていきます

 

本当に賢い人の論理は、共通理解を目指すもの であり、その結果、相手が誤りに気づくことがあるとしても、それはあくま理論的な証明による結果 です。

 

 

6. まとめ

 

• 「論破」とは、実際には 自己表現感情的勝利 の一形態であり、理論的な議論とは無関係です。

テクニカルレビューロジカルレビュー は、問題解決を目指した 理論的な議論 であり、「論破」とは異なります

論理的な議論では、 結論に至る過程の正しさ を重視し、相手を打ち負かすことが目的ではありません。

• 賢い人の論理 は、相手を説得し理解を深めること を目的としており、「論破」を求めることはありません。

 

2024-12-02

anond:20241201210119

拒否してるつもりでも結局君たち脳ではゲン担ぎとかサインとか予想屋とかしょーもないことに信仰してるし大好きじゃないですか

anond:20241202172912

自分達の信仰第一全体主義の方々がお強いんですかね

そっち向いて政治してるんでしょうね

現役世代の声なんて知ったこっちゃないんでしょう

そりゃ少子化にもなるわってかんじ

次の文フリで出してみようかと思ってる小説がある

小説を売ったことがないんだけど、読みたいって人いるんだろうか

あらすじ

============

主人公40代独身女性若い頃痛々しい失恋をして占いにはまり、全財産を失って実家に戻ってきた過去がある。今は親に面倒を見てもらいつつ時々バイトして生活している。

占いからスピリチュアルに傾倒しており、占い師/宗教家/慈善である欧米人女性主催宗教(ユニテリアン・ユニヴァーサリズムを参考)の活動に応募し、内定を受けてアイルランドの某地で寮生活をはじめる。

寮では「仕事をするもしくは現地で生計を立てること」がルールなので、出身も年齢もバラバラの人々がその地で見聞きした体験を共有し、週に1回のミーティング信仰生活について語り合う。

主人公はツテで女性支援団体会計仕事を得る。そこで全く支援したいと思えない相手支援しないといけないこと、あらゆる問題の根幹に貧しさがまずあって余裕のある人がちょっと寄付するだけじゃ全然足りないことなど、人を支援することの難しさを学んでいく。

そんな毎日の中、主人公乳がんにかかる。治療費は全額宗教団体が出してくれ、療養中の生活にも心配はなく、進行も初期ではあったが切除は避けられない。命の危険はないものの、まだ愛してくれる人にも出会えていないのに自分の体が変わっていくことに強い不安を覚えるが、寮の仲間やうっとうしいと思ってたルームメイト献身的に支えられて少しずつ安定していく。

元気なときは若干胡散臭く見えていた団体宗教臭さが、自分が落ちているとき病気ときは心地よく、しっくりと感じることに気づく。

最終的に主人公団体に深く受け入れられ、自己肯定感を得て日本に帰る。終わり

2024-12-01

昨日、職場のお昼休みレクリエーション会議室フルーツバスケットをやってたんだが

バージンの人」とか「統一教会信仰してる人」とか楽しく遊んでたんだよな

職場陽キャくんが「いい歳して派遣の人」ってNGワード言ったら派遣おっさんだけ勢いよく立ち上がってて草生えた

2024-11-28

仏教日本からなくしてほしい

仏教のせいで葬式とかそこらへんのことが面倒だしお金もかかるんよ

戒名とかふざけた制度もあるしさ

信仰自由があるから迫害はできないけど、日本人が「仏教って害悪だよね」という総意ができてくれば、自然消滅すると思うんだよね

神道はまああってもいいよ。そんなお金取らないし、陰気臭くないしさ。

単なる好みだけど、お経が苦手なんよ。暗いし、効果別に感じないしさ。

仏教あってよかった!!って思ったことある

俺はないね。みんなはあるの?

2024-11-27

涅槃創生会という宗教信仰している

金平愛一郎先生の教えを世界中に広めていきたい

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