はてなキーワード: 自分たちとは
そこでにじさんじはVTAからの同期セット売りに切り替わってるし、最近のデビューの子たちはみんな個人の才覚で稼いでいるというより、チームの一員って意識強いからな
委員長は出ていける側だし、出て行っても変わらず人気はあると思うけど
でも委員長は委員長でにじさんじを自分たちが作った箱だって自負はあるみたいだし、にじさんじを愛してくれているから、ありがたいって思うよ
可能ならこれでやめたりせずに続けて欲しいな
武庫川女子大は、2018年から教育事業はずっと赤字で、資産の処分と運用でどうにかやりくりしてきているのが現状。
予算規模で毎年1800億円が動いてて、資産は1000億なので、そろそろ決断しないとヤバい状況になってる。
共学化の計画は、
言い換えれば自分の価値観が通用しない世界がどんどん増えるといういこと
こういうこというと女さんやチン騎士が非モテが現実逃避してるwとか言いそうだけど
女が必要とされない場面を増やしてきたのは当の女さんやチン騎士だからね
女だからって家事をさせるのはやめろ!→あ、いいっすよ。自分でやりますから
女だからって性的搾取をするのはやめろ!→あ、いいっすよ。いろいろありますから
女くらい口説けないと出世できないぞw→セクハラとパワハラのダブル役満ですねありがとうございました
まず、関東で生きていると大半の人の出身地を知らない状態で生きることになる。
・出身地アピールをしないのに出身地を知っている人は深くかかわった人であり、深く関わった人数は少ないというnの少なさ
という2つの原因での偏りは生じる。
大阪に住んだことはないので、就職や転勤で東京に来て大阪アピールをする人の嫌いだったところになる。
・大阪のお笑いの型はボケとツッコミのコンビがいての漫才が基本で、ボケ単体では成立しないという強固な意識がある。伝統芸能として権威化されており、こだわりが強い人がいる。あと日本の「笑い」という感情や文化のトップとして大阪が君臨してるという自負がある。
・目の前でボケられたのにツッコミが入れられずに呆然としたり黙ったりすることが、大阪的感覚からすると「フリとして上の句を言ったのに下の句で返せない無教養」みたいになる。コール&レスポンスでレスポンス無しとか、「よっ、中村屋!」と言わないといけないところで無言みたいな。無粋かつ無能。大阪で生まれ育ったのにツッコミがうまく入れられない人とかって小学校でものすごくいじめられたりしないんですか?心配になります。
・こういうボケにはこういうツッコミ、がある程度パターン化されている。パターン認識の話であり、「大阪ローカル教養」の話。枕詞とおんなじ。でもあんまりローカルという意識がない。お笑いでは大阪がトップに君臨しているので、ほか全部が大阪のお笑い教養に合わせるべきだと思ってる。大阪的な型を外れた笑いに対して、下に見たり、憎んだりする。着物の着方が間違っている人、柄の意味について分からずに着ている人を見下すような感覚を、お笑いについてのプライドでやっている。外国のお笑いに対してはやらない。大阪のお笑いが日本代表だと思ってるから国内から変なモンが出るのは許さない感じ。日本の大阪以外の地域は、大阪に合わせるべき。傲慢な植民地主義。
・サッカーしかやったことがない人に、いきなり160kmの球を投げつけて「なんでキャッチャーミット持ってないの?一番優れたスポーツは野球なのに。無粋だねぇ、だからサカ豚は」って言うような暴投コミュニケーション。それで「東京の人間はおもんない」って地元で悪口を言うからね。じゃあ、帰れよ!
関東では害悪大阪人が突出して目立っているだけで、害悪でない大阪人は黙っているから分からないのではないかとも思う。でも郷に従わない人として大阪人が異常に目立つのは事実としてある。
「ヒジャブしない日本人女性を攻撃」とか「日本に土葬墓地作ることを強要」に比べたら文化ギャップは少ない。でも断固として郷に従わずに嫌われるのは本当に土葬問題とか、ロマがヨーロッパの都市で浮いてる問題とかに近いと思う。種類が同じで、ギャップがまだ小さい。
私自身は生まれも育ちも関東の没個性新興住宅地なのだけど、両親が九州出身で盆正月には必ず帰省して親戚の宴会というのがあったので、九州っぽいノリというのをそこから感じ取っていた。
・お調子者が一人いて、ちょけて、周りが囃すというお笑いの傾向を感じる。ボケとツッコミのコンビ型とは違い、1対多。ピン芸人的で、宴会芸的。技巧的というよりは、目立ちたがり屋が酒の勢いを借りて熱をまとめあげるという感じ。ネイティブじゃないから掴めてないかもしれないけど「にあがりもん(表記不明)(目立ちたがりの人みたいな意味)」という言葉がある。お祭りの、山車に乗っている人みたいな印象もある。血の話をすればルーツみたいなお笑いなのかもしれないけど、騒がしいだけで何が面白いのかはわからない、勢いのお笑いがメインストリームのような。(といってもタモリも九州ではある。…陽ではないピン芸の素地も探せばあるのかも)
・酒乱エピソードが多い。父が中学生の時から親戚に酒を飲まされて、高校生の時には同級生と打ち上げと称して居酒屋で飲んでおり、泥酔したおじさん(知らない人)に「ガキが」と絡まれている。父が大学進学で東京に出て大学生の飲みをやらされても「地元のほうが酷かった」。結局、父と母は大学で上京してから一度も地元に住まうことはなく出ていきっぱなしなので、酒乱カルチャーに合わせることもできたが、本音では好きではなかったのではないかと思う。いまの父は仕事では飲むけど個人では飲まず、母は一切酒を飲まない。母は本当に嫌な思い出があるのか、理由については話さないが酒が嫌い。父のほうが苦笑いしながら、子供の時に酔った叔父に殴られて柱に頭をぶつけて数秒気を失った思い出とかを話す。
・親は二人とも関東に出て方言が消失した。帰省した直後は地元の言葉が話せなくなっており、1日目か2日目くらいで地元のイントネーションを取り戻す。でも関東に出てまで九州出身者と結婚して、盆正月は欠かさず帰省しており、地元愛が強いのか離れたがっているのかよくわからない。地元との適切な距離を模索している愛憎みたいなものを感じる。血縁者や同窓生への情や絆と、アルコールと粗暴と飲酒運転に対する嫌悪や悲しみ。関東の新興住宅地で理屈が通じやすいことを冷たいとは感じずありがたがる。
・いとこが生まれも育ちも九州だけど酒乱ではない。私の祖父母の世代が相当酷く、アル中と男同士の突発的な殴り合い、男から男への一方的な殴打、妻や子供への家庭内暴力が当たり前で、両親の世代も地元残留勢はまあまあ酷く、私より下の世代は「日本のZ世代の傾向」として酒離れしているのかもしれない。いとこは21歳。
ソースは仙台出身者2人、福島の「なかどおり(で、合ってるんでしょうか)」出身者1人、山形出身者1人。
・4人中4人とも、苦虫を嚙み潰したような顔で仕事をしている。ハードスキルが高くて責任感が強く、仕事で自己実現というよりは「やらねばやらぬことをやる」という印象。マネジメントよりは職人。
・最初の印象は寡黙で人間が嫌いそうな人だったのに、ちょっと仲良くなると意外と人好きで意外と喋るんだな、さらに仲良くなるとめちゃくちゃ喋るんだな、ってなる。でもハイテンションにならない。考えていることの量が多そう。
・山形の1人を除いた3人が、仲良くなったらめちゃくちゃエロい話をする人。飯も好きではあるけど圧倒的にエロの比重が高い。ボケとツッコミの大阪、宴会ピン芸人の九州、と比べて東北の笑いが掴めない。エロの話題になると、すごく嬉しそうであることしか分からない。福島の1人は風俗大好き。
・巨乳などの形状のフェチより、猥褻解釈のプロみたいな人。相模原出身者が「巨乳は至高で貧乳はゴミ・ババアはカスで若いピチピチこそ至高」という上下の話、勝ち負けの話を積極的にしていたけど、東北的エロはそれとは対照的に相手の形状によってストライクゾーンを縮めることをよしとせず、猥褻解釈力ですべてを頂くし、解釈力にプライドを持っているように感じた。自分たちこそエロの真髄や哲学を『分かっている』側なので…という選民意識すら感じる。形状のマウントではなく猥褻な解釈をする能力のマウント。行間野郎、教養野郎、コンテキスト野郎みたいな知能自慢センス自慢の方向性の…乳比べのような定量化をパージあるいは小馬鹿にした方向性の。ただ、行間野郎よりもマウントに重きをおいていなくて、エロいことを考えること自体をすごく嬉しそうにしているので、マウントがとれなかろうが本質的にエロが大好きなのかもしれない。窓が結露でビシャビシャで壁紙までしけっている湿度100%みたいなドスケベ。
・全員、魚の食べ方がものすごくきれいだった。先端が角柱になっている割りばしで、あんなにきれいに骨だけ残せるのが謎。食べ物を無駄にしたり箸の使い方がダメだと特に強く教育される傾向でもあるのでしょうか。
・明るい人が一人もいない。暗い雰囲気の人か、サンドウィッチマンの富澤のような気難しいような混沌としているような不思議な風情か。明るい東北人はいるのかもしれないけど、関東で東北出身という話をせず、見つけられないのかもしれない。
職場で知り合った人に限られるので、両親や祖父母の世代については分からない。
・実家が戸塚にあって恵比寿の賃貸に住んでたやつが「Fランは黙れよwFランに喋る権利ねえんだよw」と言って笑いを取っていて、この感じは嫌い。クソ関東人というとまずコレが真っ先に来る。
・関東人の全員がそうとはもちろん言わないけど、両親が上京者というケースが多いので、競争に勝ち抜けという子育てがマウント脳を作ったような関東人は結構多いと思う。逆に先祖が目黒区→子孫が高円寺をうろつく浮世離れしたフワフワヒッピーとかもある。
・IQ低い階層だと前述の相模原のような貧乳ババア下げになるし、中受界隈だとwakatte.tvを安心毛布にしてる感じの学歴厨になっていく。貧乳ババア下げは田舎のヤンキーにも居そうだけど、中受界隈の腐り方は関東ローカル的なのでは。
(悪目立ち大阪人のことをメチャクチャ叩いたけど、人生の中で一番嫌いなのはバイト先にいた生粋の関東生まれ関東育ちの相模原のやつ。バイト先で一番弱そうな人間を探していたぶって辞めさせるのを繰り返していた。この種の人間が飲食のバイトにも、建設業にも、MARCH出身の広告代理店勤務にも居る)
・代々東京で気性がぬるく上昇志向が薄い家は、年寄りが死んで代替わりするたびに地価上昇と相続税に耐えられず、都心から郊外に転居して引っ込んでいっているケースがある。先祖が桜新町にいたけど親がたまプラに家買って自分の世帯は港北NTに家買ってみたいな徐々に引っ込んでいくけど治安だけは妥協しないというやつ(さすがに知人の情報丸出しではなく、思い切りフェイクを入れています)
・代々東京で、飛行機や新幹線の移動が必要な旅行をしたことがなくて、ほかの地域を何も知らない人もいるなって思う。アメリカ人がアメリカ以外のことを少しも知らない現象を思い出す。これも東京的傲慢さなのかもしれない。不思議と、百貨店で買い物してる。ネット民とは文化的にかけ離れたグループ。昭和の粗暴の気配が全然しないのに妙に祖父母っぽいというか。
結論としては関東で大阪アピールする大阪人と、関東のwakatte.tv的人間や雷獣的人間が嫌いだってことだったわ。
ほかの地域については解像度低い。広島の広島市から出てきた女の子と、北海道の苫小牧から出てきた女の子が、ろくでもない男に引っかかって爆速で破滅したりもしてた。ろくでもない男も地方出身者。堅実にやっているのは名古屋出身者というイメージもあるかも。nが極度に少ない。
日本だけでも一万社はあるし
ごくごく一部が買ってるだけ
そのうち2100社が参加して
買い占めできちゃうのな。
自分たちが買って希少性を高めれば
高まるほどビットコインの値段は上がっていくわけで初期に大量に購入する動機になる
今は初期だと思うの80しかねえもん。
たった80社でも85万ビットコイン。
みんな意欲的に増やしてると。
プログラマにも色々いて
50代60代のプログラマで現役は
低年収で雇われてるのが多い
とりあえず今の賃金で定年まで逃げ切れればいい
それで40代は管理職に逃げてるのが多いから自分自身はプログラミングしない。今後AIが必要になるなら、自分は人材を採用する側だと信じているからやはり何も勉強しない(知ったかぶり程度のワードは学ぶ)
(だが、この年代こそ勉強しないと定年まで生き残れないから勉強してるのがいる)
20代は一部の高学歴がAI開発に引き抜かれる以外は危機感を持って真面目に勉強する奴は職場にいないし(いても30代は勉強してることは隠す)
20代は「自分たちも40代みたいにそれっぽいワード拾ってれば勉強しなくていい」「50代とか60代なんてAIに少しも焦ってない。自分は何もしなくていい」「誰も焦ってないから自分の仕事は永遠に消えない」
ということを学んで本気で何もしてないという地獄絵図がある。
そしてその業界の地獄得図を見た素人が「これからはプログラマは仕事を失う!!」っていう微妙にあっててあってない妄言をほざいているということなんだ
まずこういうのがド素人の危険な考えってやつなんだけど、ほとんどのプログラマは説明したところで理解するかもわからない他人の間違いをいちいち修正するような面倒なことはしないから。
そしてプログラマはやはりそれもどうでもいい(伝えるだけ無駄、そもそも自分を馬鹿にする相手に説明する必要が?)ので
世の中にはどんどん、プログラミングなんて誰でもできるはずなのに自分たちのアプリやWeb申請がうまくいかない!!
ってほざいている哀れな連中でひしめくのでした
それでこのプログラマがいちいち説明しない内容ってのは本に載ってるから
Webに公開されてるドキュメント、どこにでも売ってる本の前書き
その程度のことを
知ろうともしないだけなんだ
そもそもなんだけど、年金や医療が老後に破綻する破綻するって言われ続けているので、自分たちは十分な社会福祉を受けられないことに気が付いている
どれだけイスラエルが空爆しても地下施設を破壊することは出来ない。
また米国が協力して攻撃を実施して施設の破壊に成功したところでイランの核開発を完全に止めることは出来ない。
また再度準備を進めていくことだろう。
どれだけ空爆したところでイランほどの国家を空爆だけで倒壊させることは不可能だ。
いったいどうなるんだ?
私たちが 居間の古いテーブルを囲んで座っていると突然 奇妙な足音が聞こえてきた。窓から外をうかがうと ふらふらと歩く痩せ細った人々の列だった。丸刈りの頭に 青白い顔。しま模様の上着とズボンが 体のまわりにだらりと垂れさがっている。
彼らは かぼそい脚で 木製の靴を引きずるようにして歩いていた。肩から自動小銃を下げた親衛隊の監視たちが その横を歩いている。
その1人が玄関をたたいた。自分たちはヴィーゼングルント収容所から来た作業班で麦わらと豆を運びに来たのだと言う。
前日の雨で 地面は ぬかるんでどろどろになっていた。麦わらの俵は かなり重い。積み上げられた俵を降ろそうとよじのぼった囚人たちは足を滑らせ 俵もろとも転がり落ちてしまった。
母は薪まきで火をたき大鍋でジャガイモをゆでていた。
『あの人たちは飢えている。とにかく 何か食べさせなければ』。
そう言って 母は 鍋のふたを開けみんなに ジャガイモがゆで上がったことを知らせた。
囚人たちが殺到し 大鍋がひっくり返ってしまった。ゆでたてのイモが地面に転げ落ちる。
彼らは やけどするほど熱々のイモを奪い合い泥だらけのまま がつがつとかぶりつき始めた。
両手で 口の中に 目いっぱい詰め込んでもっと つかもうとしてぬかるんだ地面に はいつくばる。
1つでも多くのイモを手に入れようと必死になって奪い合っている。
『この人たち 一体 何なの?』。恐れおののく母に『ユダヤ人だよ!』と監視が答えた。『ご覧のとおり 人間以下だよ』。
その時 突然 背後からつぶやく声がした。流暢なドイツ語で 静かな怒りがこもっていた。
『あんたらが 僕らを獣に変えたんじゃないか。この仕打ちは いずれ自分自身に返ってくるだろう』。
振り返ると 青白く やつれた顔が目に入った。大きな灰色の瞳は不気味な光を放っている。
それは 年若い囚人だった。彼だけは ジャガイモに飛びつかなかった。離れた場所に立ち 拳を握りしめてイモをめぐる争いを見つめていた。
回想録「谷間を覆う闇」ヴェンデルガルト・フォン・シュターゲン著
NHK Eテレ ドキュランドへようこそ「独・うちの敷地には強制収容所があった」
アングル:物資求めるガザ住民に「死の罠」、配給所付近でイスラエル軍が銃撃 | ロイター
https://jp.reuters.com/economy/DLCNLT63JVIIBAKE6FAAS3QK3M-2025-06-11/
物資配給所では、開門前から長蛇の列ができていた。その先には砂の壁で囲まれた場所があり、テーブルや地面に物資の箱が置かれていた。
開門と同時に数千人が殺到した様子を、サラマさんは「死の罠」と説明した。
「生き残るのは強者だ。体力があって人より早く到着し、人を押しのけて箱を手に入れられる者だ。自分の肋骨同士がぶつかり合っているのを感じた。胸が内側に押し込まれるような感覚だった。呼吸が、できなかった。人々は叫んでいた。まったく呼吸できなかった」
配給現場との往復途中、頭上を弾丸が飛び交い、はいずり回ったり身を隠したりした
援助を受けるのは困難だと分かっていたが、5人の子どもには食料が必要だったと話す。子どもらはこの数カ月間、レンズ豆やパスタしか食べておらず、1日1食の日も多いという。
「米国企業(GHF)の援助拠点に行くのはまったく嫌だった。どれだけ屈辱的なことかを聞き、知っていたからだ。だが、何が何でも家族を食べさせる必要があり、やむを得なかった」
ガザの保健当局は9日、新しい配給システムが導入されてからの2週間、ほぼ毎日銃撃があり、物資を受け取ろうとしたパレスチナ人127人が死亡したと発表した。
ガザ配給所攻撃で死者300人 イスラエル軍の銃撃相次ぐ:中日新聞Web
https://www.chunichi.co.jp/article/1082863
米国とイスラエル主導で設立した「ガザ人道財団」の物資配給拠点周辺での攻撃による死者が300人に上ったと発表した。負傷者は2600人以上。財団の拠点付近では殺到する住民へのイスラエル軍の銃撃が相次いでいる。
邦訳本
https://b.hatena.ne.jp/entry/4771992451894495297/comment/Vincent2077
国民は自国のトップを自分たちで批判する分にはいいが他国から批判されるとムカつくのは根源的な感情だよね。まして宗教指導者へ、しかもザコ評価という馬鹿のしかたである。イランの世論の抑制が効かなくなりそう。
そうかな?
日本で石破を批判してる人は、トランプが石破を雑魚扱いして罵倒したら
「日本の恥wwwww」
って嬉ションしながら狂喜すると思う
夫婦や親子が別の苗字でもいいのか、男性同士・女性同士でも結婚できるようにすべきかというのは徹頭徹尾国民感覚の問題でしかない
それを少数の政治家(しかもおじいちゃん)が決めようというのがそもそもおかしい
例えば
のような仕組みで
これは何も国民投票をすれば必ず夫婦別姓や同性婚が通るはずみたいな自分たちに有利だから言っているのではない
でもそれならそれで国民の総意なのだから政治家に決められるより納得感があるし
数年後には再チャレンジできるので社会の変化に期待して希望を持つことができる
(実際、古い考えを持つ世代の数が減っていくので可能性は高まる)
少なくとも今のような何をしても少数の政治家にブロックされて結局変えられないという絶望感はない
なぜジャニーのやったことを自分たちが解散した原因として結びつけようとしているのか?
思うんだけど大野の休止期間とジャニーのが話題になった時期って前後してないか?
こいつらがジャニーさんの被害者で、しかもそれが表ざたになったから芸能活動することが後ろめたくなって、メンバーの足並みが乱れ、解散ということになったのではないか?
「ジャニーさんがそういうことしなかったら解散とか独立とかすることにならなかったのに」という発言がこれで説明をつけれてしまう。
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20250618152539 -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaFJb5AAKCRBwMdsubs4+ SBbOAP4gxwmmRgMEz9EHjxA9ZuiOGjjPqgkI5AswnVSXnQx1dwD/TaoFQ8DdSGdb shYIpepJwXJY5QEUuRom6wPZrnbMrwc= =gQKZ -----END PGP SIGNATURE-----
SNSは「がんだむだ~♪」って大騒ぎだけど
すげぇ醒めた
全部が全部軽い
マチュがクラバあたりまでは、そっち方向なのね、ガンダムでソレやるのもありかねとか思って
赤いガンダムをどう維持してたんだ?とかも含めてフィクション特有の「ノリ」として飲み込めるが
飲み込ませたものを消化不良にしちまう
で、ゴタゴタの先でPONと時間経過して
なんかマチュもニャアンも軍属になるんだけどさ
あの世界描写じゃ、そこに暮らす人間の価値観みたいなもんが見えてこない
ミハルをみて、16歳のJKがあんなに覚悟決まってるわけないとか、エグザベみたいなのに遭遇したらキモって思うに違いないとか感じるか?
ミハルはちゃんと戦争被害者として描写されていたけれどマチュもニャアンもそれがない
まぁ、マチュはあえての上流階級設定なんだろうけれど、実際に戦争被害にあって難民化したニャアンにすらそれが見えてこない
徹底して「軽い」のだよ
自分たちが描きたいと思ったもの以外なにも表現してないってくらい「軽い」
結局どんな話だったのか、なんにも残ってない
最終回で全部が繋がったら神、みたいに言う人もいるけどさ
そもゼグノヴァとわ?みたいなの全部
駄作だと思うわ
ユダヤ人は第二次世界大戦時のホロコーストの迫害を受けてきた。
イスラエル建国の経緯も、それが直接的なトリガーになっている。
そのユダヤ人が、なぜパレスチナ人に対して同じホロコーストを仕掛けているのだろう。
こういうことは言いたくないが、虐げられている弱者が自力で立ち直ると、自分たちを虐げてきた強者と同じことをするようになるのではないか。
内務大臣は、ケーシー男爵夫人(貴族院議員)が実施した集団ベースの児童性的搾取・虐待(「グルーミング・ギャング」)に関する全国監査について下院に報告した。
議長、議長の許可を得て、政府がケイシー男爵夫人に依頼した児童の性的搾取とグルーミング・ギャングに関する監査、およびこの卑劣な犯罪に取り組むために我々がとっている行動(加害者を刑務所に入れ、これらの犯罪の罪のない被害者に支援と正義を提供する)について、議場に報告します。
金曜日に、2000年から2006年にかけてロッチデールで起きた最も恐ろしい犯罪の犯人として、7人の男が有罪判決を受けたことはご承知のことと思います。
彼らは10代の少女を性奴隷として扱い、不潔なアパートや路地、倉庫で繰り返しレイプした罪で有罪判決を受けた。加害者にはパキスタンの血を引くタクシー運転手や市場の商人が含まれており、彼らを裁くのに20年を要しました。
私は、長い年月の間、自分たちのストーリーを語り、正義のために闘ってきた女性たちの驚くべき勇気に敬意を表したい。彼女たちは、これほど長い間、失望させられてはならなかったのです。
グルーミング・ギャングによる児童の性的搾取は、最も恐ろしい犯罪のひとつである。
10歳にも満たない子どもたちが薬物やアルコールに溺れ、暴力団に残忍にレイプされ、彼らを保護し安全を守るはずの当局に何度も失望させられている。
このような卑劣な犯罪は、被害者や遺族に生涯を通じて想像を絶する被害をもたらし、私たちの社会の汚点となっている。
5カ月前、私は下院で、最も重要な課題は加害者を阻止し、刑務所に入れることだと述べた。
その作業は加速していると報告できる。
私は1月に、グルーミングと児童の性的搾取の申し立てに関わる事件で、それ以上の措置をとらずに終結したものを特定するよう各警察に求めたが、現在では800件以上が正式な見直しのために特定されている。
そして、この数字は今後数週間で1,000件を超えると私は予想している。
はっきりさせておこう。このような卑劣な犯罪の加害者は、路上から立ち去り、刑務所に収監され、自らの行いの代償を払わなければならない。
また、7年にわたる「児童虐待に関する独立調査委員会(Independent Inquiry into Child Abuse)」を含む、過去の調査や見直しの勧告を最終的に実行に移すための、さらなる迅速な行動も進行中である。
グルーミング・ギャングによる児童の性的搾取は、最も恐ろしい犯罪の一つである。
私が10年以上前に求めた、長年の懸案であった報告義務の義務化。
また、グルーミング犯罪者に対する加重犯罪を導入し、彼らの刑が犯罪の重さに見合うようにします。
さらに今年初め、私はルイーズ・ケイシー男爵夫人に、ギャングによる搾取の性質、規模、特徴に関する迅速な全国監査を依頼した。
私は特に、民族性の問題と、この種の犯罪の文化的・社会的要因について調べるよう彼女に依頼した。
そして私は、彼女が発見した現在および歴史的な失敗に対処するために、どのようなさらなるレビュー、調査、行動が必要なのかについて助言するよう求めた。
私は1月に議会で、ケイシー男爵夫人が2015年にロザラムについて作成したのと同じようなインパクトのある、遠慮のない報告書を提出することを期待していると述べました。
そして、ルイーズと彼女のチームが、わずか4ヶ月で非常に広範な評価を行い、まさにそれを成し遂げてくれたことに非常に感謝している。
その核心は、子どもを子どもとして扱わない根深い失敗を明らかにしたことである。レイプや搾取、深刻な暴力から子どもたちや10代の少女を守ることに失敗し続けている。そして生涯続く傷跡から。
彼女は、当局の対応があまりにも断片的であること、情報の共有があまりにも不十分であること、欠陥のあるデータに頼りすぎていること、否定しすぎていること、正義があまりにも希薄であること、犯罪者があまりにも多く釈放され、被害者があまりにも多く失望させられていることを発見した。
・10歳にも満たない被害者(多くの場合、介護を受けている子どもたちや、学習障害や障がいを持つ子どもたち)が、まさにその脆弱性ゆえに、グルーミングの対象として選別されている。
しかし、私が調査を依頼した民族性に関する重要な問題については、何年も前から懸念が指摘されていたにもかかわらず、適切で確固とした全国的なデータが収集されていないことが明らかになった。監査が調査した3つの警察の地域データでは、アジア系やパキスタン系の男性が容疑者に過剰に含まれているという明確な証拠が確認されている。そして、「人種差別主義者と思われたり、地域社会の緊張を高めることを恐れて、この話題を完全に避けている組織の例」についても言及している。
しかし、ケーシー男爵夫人が明言しているように、最も気がかりなのは、これらの調査結果のあまりに多くが新しいものではないという事実である。
ケーシー男爵夫人の監査が示しているように、こうした子どもに対するレイプ、搾取、暴力犯罪については、15年にわたって報告書、レビュー、調査、捜査が行われてきた。
私たちは10年以上を失った。今、それを終わらせなければならない。
ケイシー男爵夫人は、変革のための12の提言を示している。私たちは、そのすべてについて直ちに行動を起こす。
これ以上無駄な年月を過ごすわけにはいかないので、我々は以下を導入する:
これらを合わせると、グルーミング・ギャングと児童の性的搾取の惨劇を根絶するための、これまでにない大規模な活動プログラムとなる。
当局が見て見ぬふりをすることに慣れてしまった卑劣な加害者たちに、隠れる場所はないに違いない。
ケイシー男爵夫人の最初の提言は、子どもたちを子どもとして見なければならないということです。
ケーシー男爵夫人は、13歳から15歳の子どもが、加害者とのセックスを『愛していた』あるいは『同意していた』と認識されたために、あまりにも多くのグルーミング事件が不起訴になったり、強姦罪から軽い罪に格下げされたりしてきたと結論づけている。
そして、法律を変更して、レイプ犯が無罪になったときに児童売春罪で有罪判決を受けた人々は、有罪判決が無視され、犯罪歴が抹消されるようにします。
ですから、警察はグルーミングギャングに対する新しい国家犯罪作戦を開始することを発表できます。国家犯罪庁が監督し、初めて警察対応のすべての武器を集め、全国のすべての軍隊が採用できる厳格な新しい国家作戦モデルを開発します。
グルーミングギャングが常に重大で組織犯罪として扱われるようにする。
したがって、犯罪が数十年前に犯されたか、現在も犯されているかにかかわらず、子供をグルーミングするレイプ犯は、刑務所に入れられる可能性があります。
ジェイ教授の独立調査を含む、過去の調査からの勧告の実施を開始しました。
そして、私たちは、地元の地域で説明責任を得るために、さらなる問い合わせが必要であると言いました。
私は1月に下院に、これらの問い合わせが機関に適切に説明責任を負わすために必要な証拠を得る方法を検討するために、さらなる作業を行うと伝えました。私たちは地方議会からも回答を求めました。
私たちは、ケイシー男爵夫人に、これらの回答、および過去の調査や問い合わせで使用された取り決めと権限を検討し、真実にたどり着くための最善の手段を検討するよう依頼しました。
彼女の報告書は、さらなる地方調査が必要であるが、法定調査権限を持つ国家委員会によって指示および監督されるべきであると結論付けている。
ケイシー男爵夫人は、アレクシス・ジェイ教授が実施したような別の包括的な調査を推奨していません。彼女は、調査は時間制限を推奨しています。
しかし、その目的は、監査が地方機関間の継続的な否定、抵抗、法的争いと表現するものに異議を唱えることでなければならず、私たちは適切な時期に全国調査に関するさらなる詳細を述べます。
議長、私は1月に、前政権から受け継いだ民族に関するデータ収集は完全に不十分であると警告しました。そのデータは容疑者の37%からしか収集されませんでした。
ケイシー男爵夫人の監査は、グルーミングギャングの加害者の3分の2の民族データが記録されていないことを確認しており、彼女は「国家レベルでのグループベースの児童性的搾取犯罪者の民族性に関するいかなる声明も支持するのに十分ではない」と述べています。私はその結論に賛成です。
率直に言って、この基本情報が収集されていないことはばかげており、誰の役にも立ちません。特に、犯罪のパターンが理解され、対処されるのを妨げる加害者に関する悲惨なほど不十分なデータについて、13年前にさかのぼる警告と勧告があった場合。
私が1月に発表した警察の記録慣行への即時の変更は、データを改善し始めていますが、私たちはもっと先に進む必要があります。
ケイシー男爵夫人の監査は、3つの警察地域の地域レベルのデータを調べました。グレーター・マンチェスター、ウェスト・ヨークシャー、サウス・ヨークシャーでは、パキスタンの遺産の男性に関する注目度の高い事件が長い間調査され、報告されてきました。そこで、集団ベースの児童性犯罪の容疑者は、アジア人男性である可能性が不釣り合いであることがわかりました。
彼女はまた、深刻なケースレビューで不釣り合いな兆候を発見しました。
はるかに堅牢な国家データが必要ですが、これらの調査結果を敬遠することはできませんし、避けてはいけません。ケイシー男爵夫人が言うように、「問題を無視し、調査して明るみにさらすのではなく、少数の男性の犯罪と堕落がコミュニティ全体を疎外するために利用されることを可能にする」からです。
私たちのイギリス系アジア人とパキスタン人の遺産コミュニティの大多数の人々は、これらの恐ろしい犯罪に愕然とし続けており、彼らはすべてのコミュニティの病気の捕食者と加害者の犯罪的少数派は、刑法によって強力に対処しなければならないことに同意します。
ケイシー男爵夫人のレビューは、アレクシス・ジェイの調査がすべての民族とコミュニティが恐ろしい児童虐待犯罪に関与していると結論付けたのと同じように、白人のイギリス人、ヨーロッパ人、アフリカ人、または中東の加害者に対する起訴と調査も特定しています。
したがって、重大な犯罪に対処するのに役立つ正確な情報を提供するために、児童の性的虐待と搾取のすべてのケースについて、民族と国籍の両方のデータを収集することを初めて正式に要求します。
そして、ケイシー男爵夫人が推奨したように、児童の性的搾取、女性蔑視、女性と少女に対する暴力の文化的および社会的要因に関する新しい研究を依頼します。
監査からの勧告の最後のグループは、重要な情報を共有したり、リスクの明確な兆候に基づいて行動したりするために、子供たちを安全に保つべき機関の継続的な失敗についてです。
心配なことに、監査では、警察への児童の性的虐待と搾取の報告が増加している一方で、地元の児童サービスによって保護計画のために特定された児童の性的虐待事件の数は、過去最低レベルに減少していることがわかりました。しかし、誰もその理由に興味を持っていませんでした
そして、監査は、機関間協力の失敗に関する15年分の勧告と警告に対応するひどい失敗を詳述しています。
ですから、私たちは、機関間の情報共有の義務化と、子供たちのためのユニークな参照番号に関するケイシー男爵 Permalink | 記事への反応(0) | 10:50
最近、声優の林原めぐみさんのブログが「排外主義的だ」と批判され、大きな議論を呼びました。ある記事は、その主張を過激な団体と結びつけ、
「事実を理解できない人々」と断じました。この記事に対し、「酷い記事だ」「何も解決しない」と感じた人も少なくありません。
なぜ、移民や外国人の問題は、このように「データや正論をぶつけ合うだけの不毛な罵り合い」に陥ってしまうのでしょうか。
なぜ「お前は右翼だ」「あなたは日本が嫌いなんですね」といったレッテル貼りで、対話が終わってしまうのでしょうか。
その原因は、どちらかの側が一方的に「馬鹿」だからではありません。実はそこには、人間の思考や感情に深く根差した「仕組み」**が存在します。
この仕組みを理解することこそが、無益な分断を乗り越え、建設的な議論を始めるための第一歩となります。
「外国人が増えるのは何となく不安だ」「今の生活が変わってしまうのは嫌だ」――。
こうした感情は、しばしば「非合理的だ」「感情的だ」と切り捨てられがちです。しかし、これは決して特別なワガママではありません。
イギリスの思想家マイケル・オークショットは、「保守主義」とは難しい理論ではなく、「未知なものより、慣れ親しんだものを好む」という
人間の自然な気質だと述べました。急激な変化は、私たちが築き上げてきた安定した生活を脅かすかもしれない。
だから、まず警戒し、慎重になる。これは共同体を守ろうとする、ごく自然な自己防衛本能なのです。
私たちの脳は、日々膨大な情報に晒されているため、なるべくエネルギーを使わないように「思考の近道(ショートカット)」をするようにできています。
この近道は便利な反面、時として私たちを誤った認識に導きます。これを**「認知バイアス」**と呼びます。
【簡単な説明】あるものの「典型的なイメージ」で、物事全体を判断してしまう思考のクセ。
【例】メディアが「外国人による凶悪犯罪」を繰り返し報道すると、私たちの頭の中に「犯罪者=外国人」という典型的なイメージが作られやすくなります。
すると、街で外国人を見かけただけで、無意識に「危険かもしれない」と直感してしまうのです。
【簡単な説明】記憶から思い出しやすい情報ほど、それが頻繁に起きていることだと勘違いしてしまう思考のクセ。
【例】「日本人によるありふれた窃盗」よりも、「外国人グループによる強盗事件」の方が衝撃的で記憶に残りやすいため、
統計データ上、外国人犯罪率が日本人と大差なくても、私たちの「直感」はメディア報道や衝撃的なイメージに強く影響されます。
この**「データ vs 直感」のギャップ**を無視して、「事実を見ろ!」と叫んでも、話は通じないのです。
「人道的見地から受け入れるべきだ」「多様な社会は豊かだ」――。これらは移民受け入れを推進する側がよく口にする「正論」です。
しかし、この正論が、かえって反対派の強い反発を招くことがあります。なぜでしょうか。
心理学者のジョナサン・ハイトは、人々の「正義感」にはいくつかの種類(土台)があると提唱しました。これを**「道徳基盤理論」**と呼びます。
【簡単な説明】人の「何が正しく、何が間違っているか」という感覚は、いくつかの共通の「心のボタン」のようなもの(道徳基盤)から成り立っている、という考え方です。
【主な心のボタン】
ハイトによれば、政治的にリベラル(左派)な人々は主に「ケア」と「公正」のボタンを重視する傾向があります。
一方、保守(右派)な人々は、これら全てのボタンを比較的均等に重視します。
この”正義のカタチ”の違いが、移民問題ですれ違いを生みます。
推進派が振りかざす「正論」は、彼らにとっては絶対的な正義です。しかし、反対・慎重派にとっては、自分たちが大切にしている別の「正義」を脅かす、
危険な思想に聞こえてしまうのです。互いに違う”正義のボタン”を押し合っているため、議論が噛み合うはずもありません。
自分の正義が通じないと、人はどうなるか。しばしば「相手は話の通じない、劣った存在だ」と考え始めます。これが「お前は馬鹿だ」「レイシストだ」という、相手を打ち負かすための論法です。しかし、この戦略は最悪の結果を招きます。
長年、移民を受け入れてきたヨーロッパの現状が、その何よりの証拠です。
政治家やメディアなどのエリート層は、「人道」や「経済」を盾に移民受け入れを進めました。そして、それによって生じる負担(治安、雇用、文化摩擦)に苦しむ庶民の声に対し、
「それは差別だ」「時代遅れだ」とレッテルを貼り、封じ込めようとしました。
自分たちの不安を「不道徳なもの」として切り捨てられた人々は、既存の政党に絶望しました。そして、彼らの怒りや不安を代弁してくれる、
反移民を掲げる極右政党を熱狂的に支持するようになったのです。結果として、社会は深刻に分断され、対立はより過激化しました。
相手を「無知な大衆」と見下し、正論で殴りつけ、レッテルを貼って黙らせようとする態度は、健全な議論を破壊します。それは対話ではなく、ただの攻撃です。
相手は心を閉ざし、より頑なになるか、より過激な主張に救いを求めるようになります。問題解決から最も遠ざかる、愚かな戦略なのです。
では、どうすればこの不毛な対立を乗り越えられるのでしょうか。カギは、人々の心を動かす**「物語(ナラティブ)」と、その物語を裏付ける「仕組み(制度)」**を、根本から作り直すことにあります。
まず、なぜ反対意見がこれほど強い力を持つのかを理解せねばなりません。その根底にあるのは、
「移民推進派(グローバル企業や政治家)だけが儲けて、俺たち普通の国民は損をするばかりだ」という、非常に強力な物語です。
この物語は、「ズルは許さない(公正)」という正義感や、「エリートは我々を裏切っている(忠誠)」という怒り、「生活が脅かされる(損得勘定)」というリアルな不安を同時に刺激するため、絶大な共感を呼びます。
この強力な物語に対抗するには、小手先の説得では歯が立ちません。
「安価な労働力」「助けるべき弱者」――。これまで外国人は、どこか他人行儀な「道具」や「お客様」として語られてきました。これをやめなければなりません。
目指すべきは、「私たち日本人と、新しく来た外国人が、共にこの社会の未来を創り、共通の利益を生み出していく『パートナー』である」という新しい物語です。
この物語は、「仲間(忠誠)」という感覚や「共通の目標(権威)」といった、これまで無視されてきた”正義のボタン”にも響きます。
しかし、物語が口先だけでは、誰も信じません。その物語が真実だと誰もが実感できる、公平な「仕組み」をセットで構築することが不可欠です。
最終的に人々が求めるのは「自分たちの生活が損なわれず、安心できること」です。これを実現できるという信頼感なくして、
いかなる移民政策も国民の支持は得られません。「私たちも得をするし、社会の秩序も守られる」と誰もが実感できるような、誠実な「物語」と、それを裏付ける「仕組み」作りこそが、唯一の解決策なのです。
はてなブックマーク創設期(2005年前後)には、ITリテラシーの高いユーザーが集まり始め、政治・社会系の記事にもコメントが付くようになりました。当初はユーザーコミュニティの規模が小さく、議論は活発でしたが、コメント内容には玉石混交の傾向もありました。例えば2007年頃には、ある有名ブロガーが「もしネット右翼のメッカが2ちゃんねるだとすれば、ネットイナゴ(烏合の衆)が集まるのははてなブックマークだ」と苦言を呈しています。
実際この時期、記事内容を論理的に批判するコメントは少なく、**「バカ」「○ねばいいのに」**といった過激な罵倒やスラングが人気コメント欄に並ぶこともあり、2ちゃんねる的な粗野さが指摘されました。
はてなブックマークのコメント欄は当初、必ずしも洗練された言論空間ではなく、極端な言葉遣いや叩きがスターボタンによって増幅されるケースも見られたのです。 とはいえ、この黎明期には既にリベラル寄りの思想傾向が芽生えていました。長年自民党政権が続く中、ネット上では反権力・改革志向の声も強まり、はてなユーザーも例外ではありませんでした。たとえば当時「はてな左翼(はてサ)」と呼ばれる進歩的ブロガー/論客が台頭し始め、歴史認識や人権問題で保守派を批判する動きが散見されます。
実際、南京事件や憲法9条などの論戦では左派的スタンスのユーザーが詳しい知識で議論をリードし、右派的主張に反論・説教するといった場面も見られました。
極端な例では、ある著名ユーザーが「『自衛隊は人殺し』『日本人という存在自体が悪だ』」とまで発言し物議を醸したこともあります。
こうした過激な表現はさすがに例外ですが、総じて反権力・リベラル志向のコメントが共感を集めやすい土壌が形成されつつありました。2009年の政権交代(自民党から民主党へ)の際にも、はてなブックマーク上ではそれを歓迎・期待するリベラル派ユーザーのコメントが多く見られ、長年の保守政権に対する変革への期待感が読み取れます。もっとも、この時期のコメント欄はまだ手探り状態で、思想的スタンスよりもコメント文化自体の模索が続いていたとも言えます。スター(★)による評価システムも始まったばかりで、どのようなコメントが支持を集めやすいか(ユーモア、皮肉、批判精神など)コミュニティ全体で試行錯誤している段階でした。
2010年代前半になると、はてなブックマークの政治系コメント欄ではリベラル(左派)的な論調がいよいよ優勢となっていきました。民主党政権(2009〜2012年)の発足や2011年の東日本大震災・福島第一原発事故といった出来事を契機に、反原発・反権力の声がネット世論で高まり、はてなでも人気コメントとして多くの支持を集めました。たとえば震災後の原発政策を巡っては、政府や電力会社を批判するコメントがスターを集め、「脱原発」「政府の隠蔽体質批判」などリベラル色の強い意見が目立ちました(※当時、多くのはてなユーザーが原発推進派の政治家・官僚に厳しい目を向け、代替エネルギーや市民運動を支持する姿勢を示していました)。また、2012年に第二次安倍政権が発足すると、保守色の強い安倍政権の政策(憲法改正論議や国粋主義的発言など)に対し、はてな人気コメント欄では批判的な論調が一貫して支配的になります。「はてな左翼(はてサ)」**と総称された進歩的ユーザーコミュニティがこの頃確立し、彼らが多くのスターを集めるコメントを量産したのです。
具体的な傾向として、保守・ナショナリスト的な対象への批判や揶揄が盛んでした。たとえば2012年前後には、大阪市長・橋下徹氏(保守的・改革派の政治家)に批判的なコメントや、石原慎太郎都知事の過激発言を皮肉るコメントが多数支持を集めています。実際、あるユーザーは「坊主(橋下)が憎けりゃ袈裟まで憎い」という諺をもじり、橋下氏の行動全般を痛烈に批判してスターを集めました。
またヘイトスピーチなど社会問題化したテーマでは、右派的な差別扇動に対する強い糾弾が人気コメント欄を賑わせました。2013年頃から在日コリアンに対するヘイトデモが問題視され始めましたが、その際もはてなでは反レイシズムの立場から「表現の自由を履き違えた差別は許されない」といったコメントが支持を集めています(2016年のヘイトスピーチ解消法成立に至る世論形成にも、そうしたネット上の批判世論が背景にありました)。このように、2010年代前半のはてなブックマークはリベラル志向の論者が主導権を握り、保守的な主張や差別的言説には厳しい反応が集まる傾向が強かったのです。 同時に、ジェンダーやマイノリティの権利に関するトピックでもリベラル寄りのコメントが目立ちました。例えば女性やLGBTQの権利問題についての記事では、「多様性の尊重」や「男女平等」を訴えるコメントが人気化しやすく、ミソジニー(女性蔑視)的な発言や古い価値観への批判が数多く見られました。はてなコミュニティ内でもフェミニスト的観点を持つユーザーが増え、「はてな村」のフェミニズム論争が活発化します。これに対し一部では反発も生じ、2014年には匿名日記上で「はてブって女性のことになると、ネット右翼よりも全体主義の低能集団。集合知ではなく集合恥だな」という辛辣な批判も投稿されました。
この発言者は、はてなブックマーク上で女性擁護やフェミニズム的主張ばかりがスターを集める状況に苦言を呈したものです。「日本人だからすごい!女性だからすごい!──ネット右翼とはてフェミってどっちも変わらん」とも綴られており、愛国心を拗らせたネット右翼と同様に、はてなのリベラル・フェミニスト層も思考が偏っていると批判していました。このような反発意見自体が注目されるほど、当時の人気コメント欄はリベラル(時に急進的)一色になりがちだったと言えます。実際、2012年にはあるユーザーが右派系新聞記者(産経新聞の阿比留記者)への個人攻撃をたしなめたところ、「相手があの記者だから何を言ってもいいのか」と諫めた彼自身が「はてなサヨク」層から猛反発**を受けたというエピソードも伝えられています。
このように2010年代前半は、リベラル派ユーザーが結束してスターを投じ合い、彼らの価値観に合致しない意見には容赦なく批判が向けられる風潮が強まりました。 **まとめると、2010〜2014年のはてなブックマーク政治ジャンル人気コメントは「リベラル派が主導し、保守派・差別的言説への対抗言論が突出した時代」でした。民主党政権期のリベラルな改革期待、そして第二次安倍政権開始後の保守回帰への反動もあり、左派的なスタンスのコメントが常に上位を占める傾向が続きました。もっとも、コメント全体のトーンとしては皮肉や辛辣さも増し、しばしば断定口調で上から目線の批評がスターを集めるという独特の「はてな語り」**も醸成されていきました。
実際あるユーザーは2010年時点で「妙に上から目線で断定するコメントがスターを集めていて、いつの間にか自分まで嫌な人間になりかけた」と感じ、はてなブックマーク熱が冷めたと告白しています。
それでもなお、この時期は活発な左派言論によって他のネットコミュニティにはない独特の盛り上がりを見せていたと言えるでしょう。
2015年以降も、はてなブックマーク上の政治的コメントは基本的にリベラル(左派)優位の傾向が継続しました。 第二次安倍政権下で保守色の強い政策が次々と打ち出される中、人気コメント欄ではそれらを批判・揶揄する声が依然として主流でした。象徴的な出来事として、2015年の安全保障関連法案(いわゆる安保法制)強行採決があります。このときは国内で大規模な反対デモ(SEALDsなど若者中心の抗議運動)が起きましたが、はてなでも法案に批判的な意見が圧倒的多数を占めました。「憲法違反だ」「民主主義の危機」「戦争法反対」といったコメントが軒並みスターを集め、安倍政権の右傾化への強い警戒感がうかがえました。また2017年前後の森友・加計学園問題(政権スキャンダル)でも、真相解明を求める論調や「安倍晋三首相は責任を取れ」といった厳しい批判コメントが人気上位に並び、政権追及一色の様相でした。このように安倍長期政権に対する不信・批判がはてなでは一貫して根強く、人気コメントの思想的スタンスは反権力・リベラル路線が盤石だったといえます。 同時期、社会文化的な論争でもはてなの人気コメントはリベラル派に軍配が上がることがほとんどでした。例えば2018年には東京医科大学の入試差別問題(女子受験生の点数を一律減点)が発覚しましたが、このニュースに対しては「時代錯誤な男女差別だ」「女性の機会を奪う不公正」という糾弾コメントが大量に付き、スターを集めました。さらに2017年頃から世界的に#MeToo運動が広がり、日本でも伊藤詩織さんの性暴力被害告発が注目されましたが、はてなブックマークでも彼女を支持し日本の性暴力問題に警鐘を鳴らすコメントが多数賛同を得ました。逆に、杉田水脈議員による「LGBTは生産性がない」発言(2018年)など保守政治家の差別的な発言に対しては、「公人として許せない」「差別そのものだ」と厳しく非難するコメントが目立ちました(抗議デモの記事にも「まず謝罪を」「議員辞職すべき」といったユーザーの声が集まっています)。
このように、ジェンダー平等やマイノリティ人権の擁護など進歩的価値観を支持するコメントが引き続き優勢であり、はてなにおけるリベラル志向は揺るがないままでした。 しかし、2010年代後半になると、そのリベラル優勢が「行き過ぎた内輪化」として指摘される場面も増えてきます。活発だったユーザー層が次第に高年齢化し、新規参入者や多様な意見が減ったことで、「同じメンバーによる同じような主張」が目立つようになったのです。実際2020年直前のある分析では、「最近のはてブは負のオーラがすごい。一般感覚とかけ離れた左寄りコメで埋め尽くされ、陰謀論じみた人気コメントがトップになることもある」と嘆く声がありました。
このユーザーは「明らかにユーザーが高年齢化し、40代前半くらいのおっさんばかりになった」と指摘しています。つまり、ネット上で極端なイデオロギーを露わにする層は中高年男性が多く、はてなブックマークは左翼のおじさんの溜まり場になってしまったという自己分析です。この指摘の通り、2015〜19年頃の人気コメント欄では、同じ論調・メンバーがスターを付け合って盛り上がるエコーチェンバー化が進行した側面があります。「安倍政権=悪」「リベラルこそ正義」という大枠に沿うコメントは容易に支持を集める一方で、それに異を唱える意見は最初から敬遠・排斥されやすい空気が醸成されていました。 もっとも、当のリベラル派ユーザーたちは自分たちの主張を**「正論」「市民感覚」だと信じていたため、そうした内輪化を自覚しにくかったようです。はてなブックマークを長年使ってきた一部のユーザーには閉塞感も広がり、2010年代後半には「最近のはてブはひどい」「昔はもっと面白い情報が拾えたのに」という懐古的な意見も増えました。例えばある匿名日記では、「2年以上前から“はてブは終わった”と言われているが、最近本格的に面白い情報が見つからなくなった気がする」と嘆かれています。この背景には、政治ジャンルに限らずホッテントリの固定化(いつも似たような記事・コメントが上位に上がる)や、新興メディア(NAVERまとめ、Togetter、Twitter等)への関心分散がありました。 総じて、2015〜2019年はリベラル優勢が定着する一方で、その強い傾向ゆえの弊害(画一化・内輪化)も指摘された時期と言えます。依然として人気コメントは「右派批判」「市民目線の政府批判」が主流でしたが、その論調はどこかマンネリ化し、新鮮味に欠けるとの声も出始めたのです。
ただ、この頃まではまだ保守的論調が人気上位に食い込むことは稀で、基本路線としては**「反自民・リベラル」**の牙城が守られていたと総括できます。
実際はアメリカ、ドイツ、フランス、日本あたりと普通に仲良し。経済も軍事もガッツリ支援されてる。国際社会から孤立?どこが?
一方で、パレスチナ支持の声が強いのって中国・ロシアとか、アメリカにケンカ売ってる側じゃん。むしろ「世界を敵に回してる」感あるのはパレスチナのほうだろ。
SNSでイスラエル叩いてる人って、自分の見てる情報空間が世界のすべてだと思い込んでるよね。でもそれって、ただの偏った界隈の声。
怖いのは、自分たちの側こそ国際社会から浮いてるのに、それに全く気づいてないこと。