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2024-12-14

神奈川県雰囲気を書いてみる

千葉県の北の方の市から神奈川県横浜より西の市に引っ越してきたので感想

神奈川の人って、普通の人でもヤンキー的な文化共感というかシンパシーがあるよね?

どこでもヤンキー的なワルの人たちって先輩後輩のタテの繋がりがあったりするけど、そのダサさというか、ダサいと思ってる人が少ない。

それは結構タテの上の方の先輩がそのままカッコいい大人になってて、店やってたり職人やってたりして、

なんかライフスタイルバイクとかファションとか嫁さんとか)ごとカッコよく暮らしてたりして、

ああこりゃ確かにカッコいいのね、尊敬されるかもねという元不良の大人が街ごとに、そこかしこにいる感じ。それが神奈川

で、同級生同学年がワルでダサいと思ったとしても、ああいう上の方のカッコいい先輩を認める気持ちでは共通してるから

なんかわかるよお前のその気持ち、という感覚があるよね?ヤンキー的なワルが排除されないでいられる雰囲気

でも高校大学偏差値高めの県外、という人はそのまま県外に就職するコースなので、そこで地元就職した人とはちょっと分断があるらしいんだが、その辺は自分にはわからない。

悔しすぎて初めて推しの切り抜き動画を作った

と言っても編集も何もない、配信から任意時間指定するだけで作れる切り抜き動画だ。

そして『推し』と言わせていただくには私の情熱は半端だと思うのだが便宜上推し』と言わせていただく。

予め……

まり健全なオタ活の話ではない。

私には推し配信者が複数いるが、2窓以上で配信を見られるような聖徳太子にはなれない。

推しが同時に配信を始めると嬉しいが何方かに絞って見るしかできない。

余裕がないと全ての活動を追いかけるのは難しい。

しかし、そこに!

推しが切り抜き動画投稿してくれたので有難く見させてもらった。

ノットフォーミーだった。味がしない情報を詰め込まれたような感覚

視点から見た推しには面白い場面が沢山あったのに推し視点の切り抜き動画ではピックアップされていなかった。

私が魅力に感じて推している部分は、推しが見せたい部分ではないのだと寂しくなった。

そんな寂しさは独りよがりに過ぎない。オタク勝手に楽しませてもらう。

余裕ができたので配信を追いかけ始めた。

いや……

やっぱりめっちゃ面白い場面あるじゃん!!!!!!

こんなに面白いのにあの切り抜き動画だけを見た初見さんに「ふーん、コイツってこんなもんか」って思われたら悔しいよ!!

いやこれはあくまで私の感覚で、あの切り抜きが一般的面白いとされるのかもしれないが!慣れない連日の長時間配信でいっぱいいっぱいなのに頑張って作ってくれたから味がしないんじゃないかななんて可能性も邪推してしまうわけですよ。自分に都合のいい方に考えてしまうわけです。

好きなものが伝わらないのって本当に悲しくて悔しい。

から切り抜き動画作成した。

推しが見せたくない部分だったらすまない。

配信アーカイブとして残っている部分だからいいよな。

こんな言い訳を書いてる暇があったら切り抜き動画作れたな……でも濫造しても邪魔になるよな……等と、一人のオタクに過ぎない癖に色々考えずにはいられない。

恐らくあまり健全なオタ活ではない(心身に支障が出そう)なので程々に自重したい。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

LEGOって最高なんだが

中古のしか組み立てられないんだよ。

なんでかって言うと新品は開封できないから。新品を開けると価値が下がるじゃん?置いておけば値段が上がるのが確定してるのに開封なんてできるかよ。俺は他人ベタベタ触ってても全く気にならないか中古一択なわけ。わかる?ここまでオーケー

 

それで中古で買うんだけど、そうすると組み立てた状態で届く事が多いのね。

そうするとそのまま飾ってるうちに飽きて売ってしまう事も多いんだよ。

 

だいたい売る時は値段が上がってるので全く損はしてないんだけど、一度も組み立てずに売ってしまうのが切ないんだよ。

「じゃあバラバラにして組み立ててから売れば良いじゃん」って思うよね?

俺も思う。

でも実際にそれができるかと言われると無理なんだよ。

それはわかるよね?説明不要だよね?

 

でさLEGO醍醐味ってやっぱり組み立てる時の「うほほー、ここ、こんなんなってんの?すげー!うひょー」感にあるんだよね。

こんな組み方よく思い付くな、とか、外から見えないのにここまで再現すんのかよ!とか、そういう感動が楽しいんだよ。

更に「ここはこんな風に改造したら俺好みになるんじゃないか」とか考えて、その為のパーツを買って改造したりするのも楽しいんだよ。

 

から組み立てたいの。でも中古から最初から組み上がってるの。

からってバラバラにしてからまた組み立てるのはなんか無理なの。わかる、この感覚

あれ?もしかしてからない人居たりする?それどころか誰にも全く共感されてないなんて、、いや、それはないよね?いや、まさかね。

皆んな首がもげるほど首肯だよね?

タイタニック号をバラせないよね?俺はおかしくないよね?

 

でさ中古LEGOの神は何かと言うと「送る時はバラバラにして説明書の通りにパーツを番号分けして梱包しますね」って人これ神。あなたですかと、あなたが神ですかと。そうですかと。

 

で、今日もさっきまでLEGO姫路城を作ってたんだけど、これマジで最高なんよ。そして神から授かったものなのでパーツが順番通りに袋に入れられてて、説明書通りに組み立てる事ができるんよ。これ最高なんよ。

斉藤知事はこのLEGO姫路城を新品でもらって知事室で組み立てたのかな?そりゃもちろん中古より新品が良いに決まってるわな。開封できるならな。知事なら開封できるよな。いや知事じゃなくても、というか普通開封して組み立てるんだよな。そもそもそういう人が居ないとおれが中古で買えないもんな。

 

え?おまえは新品でレゴを買わないのかって?いや普通に買うよ?エンデアランス号ってイカした名前の船なんて見た瞬間にポチったよ。

ただ開封が出来ないので誰かが中古で出品してくれないと中身が見れないし組み立てる事もできないって話なんだよ。

え?じゃあその未開封レゴはどうするんだって

どうするもこうするも永久保存に決まってるだろ。資産だよ資産。未開封LEGOはな、永遠に価値が上がり続けるんだよ。つまり売ったら損をするんだよ。だってあと5年待てば更に値が上がるんだぜ?売ったら損だろうが!アホか。

ん?じゃあ中古も売れないだろって?いやいや、マジで言ってんの?え?いや、マジで??

はぁー、これだから素人は。。。

あのね、中古LEGOは値上がり確定じゃないんよ。上がる事が多いけど、袋から出してる時点で劣化が進むから必ずしも値上がるとは言えないってわけ。

わかるかなー。わかんねーか。

 

で、LEGO姫路城なんだが、これすげーよ?お前らも買え。買って組み立てろ。おまえら姫路城行った事ある?俺はあるんだけど、中まで完璧再現されてて「この城を攻撃するときはここから侵入して、あ、ここの穴から狙われたらヤバいじゃん」とかまだ完成してないのにぐるんぐるん回しながら観察して妄想で組み立てが先に進まないんだよ。それぐらい最高of最高なんよ。

でも中古宿命のパーツが足りない攻撃を喰らってるのもまた事実しかしこれはパーツを袋にわざわざ順番通りに入れてくれた神からの授かり物なので、そんな事でいちいち怒ったりしない。粛々と手持ちのパーツ(ほぼどんなパーツでもだいたい倉庫にある)を探してきて組み付けてるよ。神に文句なんて言わない。というかかなり昔に買ったものなので今から文句を言う手段がない。

え?なんで買ってすぐに組み立てないのかって?そりゃ積みLEGOを順番に消費してたらそうなるでしょうが。何言ってんだ。

anond:20241214000026

ファミコンとかインベーダーゲームなんていまのとっつきやすグラフィックのものと違ってもり男子だけの世界だろ

女の感性じゃもう目に入っても何やってるんだろー素通りーでしょ

ハドソンキャラバンに集まる奴も男男男

俺らが統一教会信者奇行を見るぐらいの感覚だと思うぞ。見ても深入りしてみようなんて発想自体でてこんだろ

2024-12-13

anond:20241213195210

ターミナル駅普段よく使うかどうかで感覚が違いそう

コロナちょっとからターミナル駅は完全に終わってる

東京駅の頭おかしい混雑っぷりを見てなお大した問題じゃないとか言ってる人いたら単なる強がりだと思う

anond:20241213195210

こういうのって実際のところ単なる老化だったりコロナ感覚が変わってしまっただけだと思う

通勤者数は確実にコロナ前より減ったままだし、休日の人出も実のところはコロナ前より微減に留まっていると思われるデータしか見当たらないので

小5の頃、ほんの少しのあい特別支援学級にいた

交通事故で膝の骨が粉々になり、半年くらい車椅子生活を強いられていたことがある。俺はその間、一時的に「ひまわり学級」いわゆる特別支援学級に登校することになった。もといた教室までの階段を登れなかったし、エレベーターもなく、車椅子が入れるフラットトイレも1階にしかなかったのが理由だ。

でもひまわり学級は身体障害者向けと言うよりは少し知能や精神問題のある児童のためのものだった。3〜6年生のそういう児童が集められて、各自の進行度に合わせたプリントを進めたり、先生が一対一で教科書を読んで説明したりする。先生は二人いて、一人は児童勉強を見て回り、もうひとりは大人しくしていられない子どもを落ち着かせたり指導をする、という感じだった。

俺は車椅子用に広めのスペースを開けてもらった教室の右後方からそれを眺めながら「こりゃヤバいところに来たな」と純粋に焦った。常に奇声が上がっているし、自閉症ダウン症の子もの顔つきは申し訳ないけど同じ日本人とは思えず怖かった。先生たちが優しくしてくれるかというとそうでもなく、教科書を読み上げて事務的言葉をかけてくるだけで、聞きたいことがあってもすぐに他の子ものところに行ってしまうし、基本的自習に近い状態が続いて勉強もどんどん遅れていく気がした。授業と休み時間が交互に来る、という感覚希薄で、無為時間がダラダラと続いて一日がひどく長く感じる。最初のうちは大休憩にもとのクラス友達が顔を出してくれたが、ひまわり学級の異様な雰囲気の気圧されるのか一週間もすると来なくなった。下校時も親が迎えに来るので学校での俺は孤独だった。当時、ひまわり学級のクラスメイトや先生人格のある人間とは認識できていなかったんだと思う。

そんな日常が変わるかもしれない兆しを見せたのは、数週間経ってからだった。

新しい児童ひまわり学級に移ってきたのだ。そいつ女子で見た目は普通というか頭はまともそうに見えたし、何なら顔が結構好みだった。ついでに言うと胸もデカかった。当時の俺は別に巨乳に対して性的興味を覚えなかったが、それより何よりとにかく奇声を発したりよだれを垂れ流したりしないクラスメイトができたのが嬉しくて「なんでこのクラスに来たの」と声をかけた。

そいつは冷めきった顔で俺の足のギプスを見て、「あんたは怪我? じゃあ普通人間だ?」と言った。冗談かと思って半笑いになったが相手全然笑ってなかった。

わたしは違うよ。頭イカれてるから

そう言って今度は笑った。超でかい声で笑った。びっくりしたし、やっぱりこいつもだめだと思った。

でも結局このイカレ女が俺の初恋相手だったんだと思う。プリントに見向きもせず窓際の席でずっと校庭を睨んでいる彼女の横顔を毎日3時間くらいは眺めていた。顔が好みだったから。

会話した記憶はあまり残ってない。一度、そいつが6年生なのに俺と同じ教科書を使ってたのが気になって「どこまで進んでるの?」とか聞いたときに「なんであんたに教えなきゃいけねーんだよ!殺すぞ!」って超でかい声で怒鳴られたのが怖くて、あまりしかけられなかった。

そいつは生傷を作って来ることが結構あった。その頃は「荒っぽい性格から喧嘩とかもするんだろうな」なんて思っていたが、今思うと虐待を受けていたのかもしれない。

俺がひまわり学級にいる期間内運動会があった。もちろん俺は競技に出れるような状態ではなかったが、一応ひまわりの連中と一緒に出席だけはした。イカ女子が借り物競争に出て、借りるものが書かれた紙を見ると会場全体をキョロキョロして、俺の方に向かって走ってきて「あんたにする!」とでかい声で叫んだ。俺は正直ちょっとときめいた。いかれてはいるが顔が好みの女の子車椅子を押してもらえると思うと、思わずときめいてしまった。

でも違った。彼女は「走れ、走れ」と怒鳴るだけだった。俺は必死車椅子を走らせたが、校庭の砂の上だし、そもそも普段そんなにスピードは出さないので勝手がわからず、隣であいつに怒鳴られながら一分くらいかけてなんとかゴールした。ゴールすると会場から障害者の健闘を称える盛大な拍手が巻き起こった。俺は恥ずかしくて顔が熱くて燃えそうだった。イカ女子はまだ怒っていて「なんであんた遅いの?負けたじゃん!」と超でかい声で怒鳴られ、俺は悔しくて泣いてしまった。昼休み、見に来ていたうちの親がそのことで怒ってイカ女子の親に抗議しに行くといい出した。やめてくれと頼んでも聞いてくれなかったが、結局何も起こらなかった。あいつの親は来ていなかったのだ。

彼女は午後の選抜リレーにも出る予定だったが、昼飯から戻ると席から消えていた。俺は気になって、トイレに行くと言ってひまわり学級の教室車椅子を走らせた。俺の直感通り彼女教室にいた。ただ上半身裸だった。体操着を脱いで私服に着替えているところだった。

ごめんと言って逃げようとしたが、車椅子を回すのに手間取っているうちに彼女が半裸のまま近づいてきて胸ぐらを掴まれた。そして超でかい声で怒鳴った。

わたし帰るから! あんたが遅いせいで負けてやる気なくなったから帰る!!」

目を閉じようとしたができなかった。体は引き締まっているのにとにかく胸がでかい。乳輪が盛り上がっている。

「帰るなら、俺も一緒に帰ろうかな」

なぜか知らないが俺はそう口走ってしまった。怒鳴られるかと思ったが彼女はびっくりした顔でじっと俺を見ていた、それから過去一優しく笑って、

「無理でしょ。あん車椅子なんだから、遅いんだから無理」

 怒鳴らずにそう言って俺を開放し、そそくさと着替えて走って教室を出ていってしまった。追いかけようとしたが、もちろん車椅子では追いつけなかった。上履きを履いていなかった彼女の、裸足の足の裏がぺちぺちと廊下の樹脂を鳴らす音が誰もいない校舎に響いていた。

戻って先生イカ女子が帰ったことを報告すると「いいよいいよ」と興味なさそうに言うだけだった。彼女が消えたひまわり学級の観戦席には、奇声を発したり虚空を見て独り言を言い続ける子どもたちと疲れた様子の先生がいて、俺の車椅子のために広めのスペースが開けられていた。でもなぜだろう、唐突にここは俺の場所ではないと思った。最初からそうだったんだと思った。

その日のうちに俺は元のクラスに戻してもらうよう親に頼み、翌日から学校に行く日数を減らして代わりに病院でのリハビリを始めた。ギプスを付け替えて、松葉杖練習をして階段を登れるようになるまで2週間かかったが、とにかく俺は元のクラスに戻ることができた。何ヶ月もいなかった俺をクラスメイトたちも何事もなかったかのように受け入れてくれ、ほっとした。変な感じにならないか少し怖かったのだ。まあ元からクラスで目立つ存在ではなかったから、いてもいなくても変わらなかったのかもしれない。

それ以降、俺がひまわり学級に顔を出すことはなかった。だから俺がイカ女子を見かけるとき彼女はいつも歩いていた。登校中か、下校中か、校庭をかけているか。俺は声をかけられなかった。あんたは無理、松葉杖で遅いから無理、と諦めたように言われるのが怖かった。

あれから随分立つが、今でも彼女が夢に出てくる。胸のでかい女子小学生はいつも歩いている。そして俺は決して追いつけないのだ。車椅子も、松葉杖もないのに。

anond:20241213212714

キモいと感じるのは自由では。

なんで差別意識」や感覚差別とみなすのかわからぬ。

法制度の問題だけを扱うべき。

意識感覚問題まで扱うのは宗教ではと思うよ。

anond:20241213195210

混雑=限界 の理屈わからん

自分感覚的には震災のあった2011年(1,319万人)頃はまだここまで混んでる印象がなかった。

これに関しては嘘乙。当時から港区仕事してるが朝の満員電車は多少快適になった。

新ジャンル筋トレホラー文学

暇なのでAI筋トレテーマにしたホラー創作させているが、オチが激弱で仕方がない。

一応怖い話なので苦手な人は閲覧注意です。

スクワット怖い話を考えて」

古びた洋館重厚な扉が開き、若者たちの緊張感が高まる。薄暗い廊下を進み、各部屋を探索していく。

その中に、筋トレ好きの太郎がいた。

彼は、広々としたホールを見つけると、いつものようにウォーミングアップを開始。

そして、スクワットを始めると、足元から冷気が流れ込んできたような感覚に襲われた。

「なんだ、この寒気は…」

太郎は、周囲を見渡すが、何も変わった様子はない。

しかし、スクワットを続ける度に、冷気はますます強くなり、背後から誰かの視線を感じ始めた。

恐怖に震えながらも、スクワットをやめようとするが、足が動かなくなってしまう。

その時、突然、ホールのシャンデリアが揺れ始めた。

そして、一斉に電気が消え、真っ暗闇に包まれる。

恐怖に耐えかねた太郎は、必死スクワットをやめようとするが、体はまるで鉛のように重く、全く動かない。

しばらくすると、かすかな足音が聞こえ始めた。

足音は徐々に近づき、太郎のすぐそばまで来たところで止まった。そして、彼の耳元で囁くような声が聞こえた。

「…もっと…深く…」

その声に、太郎は全身が震え上がり、気絶してしまった。

翌日、太郎病院のベッドで目を覚ました。医師によると、彼は過度の恐怖からショック状態に陥っていたという。

退院後、太郎は再びその古びた洋館を訪れた。

そして、あのホールスクワットを始めた男の霊が、彼の体を乗っ取ろうとしていたのではないかと考えるようになった。

東京限界なんじゃない?

2020年まで20年以上東京に住んでて、コロナタイミング地方政令都市移住をしたんだけど、先日久々に東京に行って、この街はもう限界なんじゃと感じた。改めて人、多すぎでは?

自分田舎から東京に出てきた90年代後半ももちろん東京は人は多かった。でも、ここまで酷くはなかったよ。もちろんインバウンド客が増えているのが混雑の一因だとは思ったけど、調べてみたら2000年の東京都の人口は1,206万人、2023年は1,408万人で、なんと20ちょっと200万人も人口が増えてるんだよね。しかもこれは東京都の人口から首都圏で見たらさらに増えてるわけでしょ?街のサイズは変わらないのに人口が増えてるんだから、そりゃ異常な混雑にもなるよなと。

自分感覚的には震災のあった2011年(1,319万人)頃はまだここまで混んでる印象がなかった。1,300万人から1,400万人の間に都市インフラとかの対応限界値があって、そこにインバウンドが加わって、いよいよ限界を越えちゃったのかなという気がしている。

自分が久々に東京に来たからそう感じただけなのかな?東京に住んでる人たちは今の混雑どう思ってるんだろう。

クイズ】なんで缶のおしるこカロリーが高いのか

多分砂糖がたんまり入ってるんだろうなぁ

100gで88kcal

180g入りだから160kcalくらい

あとあずきも入ってるしなぁ

仕方ないなぁ

太りたくないけど、飲みたいから飲むかな

ゴクッゴクッ

あれれ?

このおしるこ、甘くないぞ??

「やあ、こんにちは。君が飲んでるのは缶の鯛茶漬けだよ」

あっ見知らぬおじさん、どうしたの?

「さっき仕事を無断で遅刻して15時に出勤したらクビになったんだ!」

そ、そりゃ解雇もされるよね…。

それより、僕が飲んでるのはおしるこなはずなんだけど…

「それは違う!おじさんは自販機を補充するベンダーって仕事してたんだけど、そこの自販機の鯛茶漬けのラベルお汁粉に変えておいたのさ!」

そんなことできるの!?違法じゃないの?

「もちろん違法さ!だから解雇されたのさ!」

かに…納得のいく理由だね…

「じゃあ今から君の家に遊びにいっていい?」

いやダメだよ…ママが怒りそう

 

「おじさん、実はNintendo Switch次世代機を持ってるんだけど」

えっ!?本当に?

「本当さ。なんせ犯罪者からね!守秘義務なんて簡単に破るんだよ!」

カッコよく言ってるけど普通にアウトだけどね…

「さあ、君の家に行こう!」


(僕くんの自宅)


「おお、意外と大きい家に住んでるんだね!」

意外とか一言多いよ…それより、次世代機見せて!

「もちろん!これさ!!」

えっ…なにこれ…ただのお菓子の箱じゃん

「ごめん。おじさん嘘ついた。お詫びにこれでも飲んでくれ」

あっありがとう…ってこれおしるこじゃん!

「もちろん中身は鯛茶漬けだよ」

いらないよ!もうおじさん出ていって!居座ったら住居侵入罪通報するよ!

「ごめん、本当はあるんだ…Nintendo Switch次世代機。これだよ」

えっ、これ…すごい!

見た目はNintendo Switchに近いけど、明らかに画質がいい!そしてこのソフトは、マリオの新作!?

「そうだよ。おじさんは実は任天堂取引がある会社で、解雇されたついでに開発機を盗んだのさ。

 でもその代わり、脳がメロンパンになる病気なっちゃった

「えっ脳がメロンパンになる病気って…どういうことなの?」

僕が恐る恐る聞くと、おじさんは急に真剣な顔になった。

文字通りさ。脳がメロンパンになるんだよ。ほら、触ってみる?」

そう言っておじさんは頭を差し出してきた。

「え…触っていいの?」

僕は恐る恐るおじさんの頭に手を伸ばした。すると、ふわっとした感触とともに、かすかに甘い香りが漂ってきた。

「え、これ本当にメロンパンじゃん!」

驚いて叫ぶ僕に、おじさんは満足げに笑った。

「そうだろう?実はこの病気任天堂の極秘プロジェクトに関わっている人間けが感染するんだ。

脳がメロンパンになると、ゲームの発想が異次元になるらしいよ」

「いやいや、それってデメリットしかなくない?だって頭の中メロンパンで考えられるの?」

「おじさんも最初はそう思った。でもメロンパンの脳って、実は天才的なんだ。

ほら、このマリオの新作、見てごらんよ!」

僕は半信半疑次世代Switch操作してみた。画面に映し出されたのは、見たこともないマリオだった。

なぜかマリオ帽子クリームパンになっている。ジャンプするとクリームが飛び散り、敵を倒すたびにカロリーが増えていく。

「え、これ、なに?」

「“スーパーマリオカロリークエスト”だよ!任天堂の新たな挑戦だ!」

僕は唖然としたままプレイを続けた。妙にクセになるゲーム性があった。

「おじさん、これ…すごいけど、やっぱり脳がメロンパンの人が作ったゲームだよね…」

おじさんはニヤリと笑った。

「そうだろう?君もメロンパン脳にならないかもっとすごいゲームが作れるぞ」

「いや、怖いよ!僕は普通の脳で十分だから!」

するとおじさんは寂しそうに肩を落とした。

「そっか…。じゃあ最後にこれを飲んでくれ」

また渡された缶を見てみると、そこには「新作おしるこ」と書かれていた。

「どうせまた鯛茶漬けなんでしょ?」と疑いながら飲んでみると、なんと今度は本当に甘いおしるこだった。

「おいしい…!これは普通の…いや、待って、頭がなんか熱い!?

次の瞬間、僕の視界が急に甘い香りに包まれ、何かが変わっていく感覚が…。

「ようこそ、メロンパン世界へ!」

おじさんの声がやけに遠くに聞こえた気がした。

その日から僕の人生は、メロンパンとともに新たなステージに進んだのだった。




クイズ時間です】

さて、どこでAIの文に変わったでしょうか?

答えはトラバを見てね!

anond:20241213173445

しかに、目が見えないなら相手がブスだろうが濡れるし勃起するよな

感覚器官が一つ潰れてる訳だから、その分感じやすくなっている

anond:20241211222900

元々応援意味が強かったのかもしれない(言葉的にも)。自分が知ったのはアイドル文化での利用なので。

手の届く(一方的な援助とかでも)のが推し。で二次元などで手は届かないが身近な存在拡張アニメなどの推し(まあライブとか以外でも課金やすい)

買って支える投票するみたいなのがうっすらか結構分厚くか含まれてる。(個人感覚

推しという言葉が広まる前に元々好きだった人達は、自分ときが支えないでもよいし、推してる感はない。

ただ最近では推させていただいてる感は生まれてきた。

若い世代他界からの人たちだと、身近であるや支えなきゃならない、一緒に成長していく(こっちは疑似体験だが)要素が含まれないことも増えて来てそっちが主流になりそうな(なってる)気はする。

若い人にとっての圧倒的な存在でかつかなり若いって人がそんなには居なさそうなので、一気に傾くか? というとわからん

27歳が若者ぶるのは割と痛々しい

https://shueisha.online/articles/-/252430

例のパーカー着てるおじさん批判の人の集英社からインタビュー見たんだけど

どうもこの人はもう27歳なのに若者立場として色々言ってるっぽいんだよね

パーカーどうこうの前にその27歳が若者ぶってる姿が痛々しいと思う

はてなとかだと20代なら若いとか言うが、「おじさんおばさん」という言葉を使って何かを批判する時点で

その「おじさんおばさん」と言われるような存在自分も入っている事を忘れちゃいけないと思う

数年前に自分より上の世代批判していたEXITの兼近さんとか見ても思ったけど

もうすぐ30歳になる人は大人なんだから若者ぶらずそういう客観視はしようよって話です

彼ら彼女らはもしかしたら普段から40代以上とかの人達相手にしてて

自分若者だと思う感覚から抜け出せないのかもしれない

ただ自分は数年前に大学20代後半で入ったから思ったんだけど

周りの大学生が中学高校の話をつい最近かのように…いや最近だな…

最近の話として語ってる時にはどうしても差を感じてしまった

サークル飲み会徹夜麻雀とかやってる時はもう関係ねえ!とばかりに

一緒に盛り上がる事も出来たが、大学生活で何もかも新鮮な事として経験してく人達

自分の間には根本的な違いがあった

まぁ今は日本人殆どがおじさんおばさん以上の年齢だから、もうすぐ30歳の人が若者ぶって

その違和感は誤魔化せるのかもしれんが、ただやっぱり自覚くらいしないとダメだよって思う

anond:20241213035308

いや、星4の確定ルールモダンガチャにも旧来の10方式ガチャにもある。

1回ずつ10回まわしても、10回以内には星4でるみたいになってるから10回分のまとまった石用意して回さないと確率アップ補正や確定補正を受けられない旧式ガチャよりも完全上位互換

その分、ガチャ履歴をチェックして星4や星5の確定タイミングを見定めておく手間や必要性が生まれるが、むしろそのおかげで、排出タイミングを調整するゲーム性計画性がガチャ生まれる。(星5確定枠は次のガチャバナーまで取っておこう、星5直前まで回して今出る星4をなるべく狙おう、的な)

モダンガチャは、旧来ソシャゲガチャ感覚で利用すると果てしなく渋いように感じるが、むしろ渋いことこそが強みで、射幸性ランダム性を抑えて弱毒化しつつ、結果的にはバランスよく定期的に収穫を得られる、心理的にもおサイフ的にも安心感のある設計な所に意味がある。

ヌードフュージョンかいサイトキモ過ぎる。AI案の定チー牛オタクミソジニーとオナネタ道具になったな

女性写真を裸に出来る!」じゃねえんだよ。よくこんなもの堂々と出せたな。いかにもまともな人権感覚を持ってないチー牛弱者男性が考えたって感じのキモサイトだわ。流石AIアノン(勿論褒めてない)

https://nudefusion.com/ja

理系=オタク=チー牛=ミソジニーの構図は前々から言われてたが、AIも結局弱者男性のイキりツールミソジニーポルノツールになったな。AI推進者も人権侵害クソオスネトウヨが多いし。さっさと規制しろよ。

anond:20241213032521

原神や鳴潮はガチャあるけど月パスログボだけの微課金なら600~1800円で済むのでただの定額制ゲーム感覚やけどな。

ガチャ天井あるし武器やらキャラやらは運が良ければ安く入手可能買い切りの追加コンテンツという感じやね。

無課金でも普通にプレイ出来るしガチャも引けるし。

anond:20241212111627

女だけどずっと正社員転職で五回で着実に地位を上げてきた技術氷河期なんだけどさ、そんなバカを飼い慣らしてる会社なんて碌なもんじゃないしそんな会社寄与したって何も得にならないよ。他にも気づかないレベルやばい人いっぱいいたんじゃないの?

あるからそういう会社時間使っただけ無駄だけど、忍耐は自覚ないままべらぼうに今着いてるから。次の会社ゆっくり探していい所にはいりなね、あと、この間に旅行とか金をかけて場所を変えて非日常をつくるの無理してでもやっときなね。時間の使い方の感覚人間らしく戻すの大事から。あとは幸あれ。

2024-12-12

時間と回数

毎週録画してる番組があって4つ溜まったんだ。数にしてみれば4は大きな数字ではない。ちゃちゃっと見れる分量。

でも、これって1か月経った証拠でもあるんだよね。1か月だよ!マジか、と。12回繰り返したら1年終わり。はえー。

これに関連した話だと普段当たり前に週に1度の何かを楽しみにしているのだけれど、ふと、「50回で1年かあ…」なんて思っちゃう訳よ。

大体70前後まで生きるとして20歳を起点にすると約50年、2500回。死へのカウントダウンじゃないけど残機が確実に減っていくこの感覚。恐ろしいね

anond:20241211231514

他者への加害(性犯罪ではない)をきっかけにカウンセリング受けてる者だけど、

犯罪に向き合おうとすると負のコマンドに触れそうになる感覚というのがすごく分かる。

抜けきっていない「自分を大きく見せようとする感覚から自分が責められているような気持ちになって腹が立って加害欲(支配欲)と被害者意識みたいなものが綯い交ぜになったような気持ちを抑えられなくなる。

ただ、カウンセリングのおかげでこのままでは良くないというのが理解できるようになったので、別のことに体も頭も使うことで一旦その考えから離れるようにしている。

本質的な更生とか反省は難しいと感じる。

再犯しないを地道に続ける以上のことをしようと思ってもすごく難しい。

anond:20241212202625

ハマスの襲撃で死んだ人数位。勿論俺の感覚やで

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