はてなキーワード: 映像とは
ジークアクスへの主な批判の一つに、「人間が描けてない」「映像表現やモビルスーツなどの設定ばかりに力が入っている」というものがある。
言いたいことはある程度理解しつつ、これはちょっとズレてると思ってて、実際には「描けてないはずの人間の方がメインということになっている」だろう。
ジークアクスの、戦闘などのメカシーンと人間中心のシーンの分量を時間単位で比べてみれば、たぶん後者の方が圧倒的に多いはずだ。
竹デザインの外見的には魅力的なキャラ達が、なんやかんや会話したり飛んで跳ねたりしてる時間が大半を占めるアニメであり、誰もがそこに人間ドラマを期待する。
大人と子供。宇宙と地球。母と子。持てる者と持たざるもの。男と女。ドラマに不可欠な対立軸は多数用意されている。
思わせぶりなセリフと、情感たっぷりの間で、人間ドラマっぽい雰囲気の演出も十分だ。
だが、ジークアクスには本当に「ドラマ」と言えるものは存在するのだろうか?
主要な登場人物がひたすら状況に流され続け、選択が物語に決定的な影響を与えることのない展開がいまのところ延々と続く。これは本当にドラマなのか?ドラマだとして、それによって何を語りたいのか?
これがいまだにぜんぜん見えない。
これは、スタジオの過去作であるエヴァンゲリオンのように、選択が意味を持たない無力感そのものがテーマとなっているのともまた違う。
現代に対応した新しい物語の形なのかも知れないが、今の俺にはジークアクスというアニメは、腕のいい職人が高い技術で作り込んだ、中身が空っぽの細工箱にしか見えない。苦労してまで開く価値はないと思う。
ミニゲームで対決させて、勝者にご褒美のスイーツあげがち。出演者を馬鹿にするナレーションやりがち
古い映像(昔のニュース映画)を流しがち。出演者に学生服着せがち
グルメ、動物という古臭いバラエティの企画をいまだに引きずってる
レモネード・マウスは、2011年にディズニーチャンネルで放送されたディズニーのオリジナル映画である。ハイスクール・ミュージカルが大ヒットをかまし、シェキラ!、ハンナ・モンタナ、オースティン・アンド・アリーといったティーンシットコムが大量に制作された、あの頃の歌とダンスと三角関係のディズニーチャンネルの歴史の一部を形作っている作品だ。当然ながら劇場公開なんてされてない。当時ディズニーチャンネルで放送されたのを見たことがある人はいるかもしれないが、今の所会ったことがない。仮にいたとしても大方葛西〜西船橋界隈とかに住んでいる2代目Dオタとかだと思う。帰れ。私はディズニーの話がしたいわけではない。
レモネード・マウスの概要の説明は難しい。「スクールカーストの底辺〜頂点にいる同級生たちがバンドを組んで、てスクールカーストの頂点にいる嫌な奴らに対バンで勝つ話」でもあるし、「何もかもがバラバラのティーンエイジャーがバンドを組み、学校のレモネード・スタンド廃止に対してでも活動をする話」でもある。バンドメンバー個人の問題と、学校にいる嫌な奴らの問題と、学校がバンドの象徴の「レモネード」を販売する自販機を撤去しようとしている、という問題が並行していて私の文章力では説明が難しい。カーストが別の人たちでバンドを組む、という筋書きはジョックとマスリートが歌をきっかけに出会い、恋をするハイスクール・ミュージカルと何処となく似ている。
先ほども言ったように、ストーリーを絶賛したいわけではない。コンセプトはハイスクール・ミュージカルと似ていて目新しさはあまりないし、群像劇として一人一人のストーリーにフォーカスしつつも上手くまとめているのは好印象だけどドラマー君が彼氏持ちのベーシストちゃんに告白して振られた後にベーシストちゃんの彼氏がバンドに加入する展開は気まずい。ドラマー君が何をしたっていうんだ?レモネード自販機の廃止もそこまで動機付けられていないのでイマイチ共感できない。
このドラマの俳優の多くは今も無名で、売れないままシャブにハマって逮捕されたメンバーもいる(キーボード君)。ベーシストちゃんはその後実写版アラジンでジャスミン役を射止めたが今でも活躍しているメンツは彼女くらいである。
その中でも1人、印象に残っている女優がいる。彼女は主人公バンドのギター担当・ステラの役を貰っているのだが、当時、というか今でも珍しい日系アメリカ人女優なのだ。作中でも日本人エリート一家の落ちこぼれの長女という設定で、彼女のエピソードからはアメリカ人が想像する日本人像が伺えて面白い。(やけに勉強ができる小学生の双子の弟とか、成績に厳しい両親とか)作中のキャラクターはそれぞれ「本当の自分」と「社会のなかの自分」とのギャップを抱えているのだが、ステラもまた、優秀な家族と落ちこぼれの自分に劣等感を感じながら、ギターを弾く。増田は小学生の頃アメリカに住んでいて、もれなく「異様に勉強のできる同級生の日本人のガキ達の中の落ちこぼれ」をやっていたので非常に親近感が湧いた。
横道に外れてしまったのだけれど、じゃあ何がそんなに印象に残ってるのかって聞かれたら、やっぱり音楽だ。
編曲がどうとかメロディがどうこうっていうのは音楽に詳しくないから分からない。ただ、映像と一体になった音楽が今でも焼きついて離れない。
例えばこの「Turn Up the Music」という曲
一番最初の楽曲で、何かの罰で音楽室の掃除をすることになった主人公たちが即興で曲を作った時のシーン。
何でもない音が重なって次第に曲になっていく様子と、これまで関わりのなかった主人公たちの間に友情が芽生えていく様子が3分間で描写される。ボーカル担当の主人公は真面目で引っ込み思案な性格で描写されていたんだけど、歌うと大胆になっていく。何かが始まる!という期待と予感でワクワクする曲。歌詞も「未来のことはわからないから、こうやって歌っているんだ」といった内容で、刹那的でティーンエイジャーらしい。ファッションも2000年代って感じで懐かしい。主人公の着ている花柄のミニ丈のワンピースとカーディガン、今でもやっぱり可愛いと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=dACNhrdm44c
あとは「Determinate」も代表曲の一つだ。
これは中盤のハロウィンパーティーで学校の嫌な奴らと対バンをする時の曲である。ついでにレモネード自販機の廃止に対する抗議活動もしている。他の曲と比べるとテイストが違っていて、ラップパートもある。2000年代のbopってこんな感じだったよね、
https://www.youtube.com/watch?v=vihaqg5wu_s
ジャスミン役の女優、ナオミ・スコットがソロで歌う曲、「She’s so gone」も良い。
ベース担当の彼女は過保護な父親と別のバンドで活動をしている彼氏には秘密でバンド活動をしていたのだが、それがバレてしまったシーンでもある。父親に秘密にしていた理由はわかるけれど彼氏に隠していた理由は忘れた。彼氏は学校の嫌な奴らの一味だったんだっけな、、とにかく忘れた。途中で複雑な顔をした彼氏が主人公バンドが曲を演奏していたダイナーから立ち去るショットがあり、そのあとベースちゃんに片思いをしているドラマー君が意味深な顔をしているショットがあるのもポイントである。主人公よりも低めの歌声をしているのも相まって、全体的にカッコいい曲だと思う。歌詞もエンパワメント的な内容で当時刺さった視聴者は多かったのではないだろうか。
https://www.youtube.com/watch?v=w8a6SHwRq2U
例えばゾンビ映画はゾンビの生態を知ってる前提で観るわけじゃん
これを広げるとホラーは何者かに襲われたりするっていう共通認識がある
「ジャンル映画」という言葉は、例えばサスペンス、ホラー、アクションなど、その世界観、形式、登場人物のキャラクターなどが一定のパターンで特徴づけられるカテゴリーの映画を指します。ジャンル映画にはそれぞれに一定の支持者が存在し、そこには観客と製作者側との間に約束のような暗黙の了解があります。そしてそれ故に観客は安心して映画を楽しむことができるのです。
万博に行った。もう数回行く予定。
今回の万博、センサリーマップというものがある。感覚過敏のある人向けに「まぶしい」「うるさい」「におい」「水がかかる」「振動がある」「傾斜がある」に分けて、その特徴があるパビリオンを書き出してくれている。
ただ、行った体感として、不十分というレベルではない。感覚過敏にはこれは無理だ、と思った。
表題通り光刺激にとても弱い。基本屋外はサングラス必須、イルミネーションは避ける、Dolby cinemaで映画見たら気持ち悪くなってからいい映像の映画の諦めてる。こういうタイプの人間にはセンサリーマップが割と頼りだった。
誰もが楽しめる万博を掲げているからこそ、楽しめない人に対して必要な準備ができるようにしてくれているのだと思っていた。
近未来が光に溢れているのは想定内だし、世間のチームラボとかの人気を見るにああいうのが流行なのは分かってた。
だけど、万博公式のセンサリーマップがあそこまで機能しないとは思ってない。海外パビリオンはドイツとトルコしか載ってないので、他は大丈夫だと思ってた。
「まぶしい」該当パビリオンの予約は取らず、屋外歩行も多いしサングラスかけて行こうと思って予約を取って、最初に入った日本館。
「まぶしい」該当してほしい。
フランス館も「まぶしい」だったし、チェコは「傾斜がある」だ。
これは、うん!まぶしくないな!って言われてしまってるなら、ドイツとトルコの光はどんなものなんだ。
null^2はインスタで見てえげつないの分かってるけど、あのレベルじゃないとダメなのか。
日本やフランスレベルじゃ「まぶしい」に該当しないなら、私は、これからの未来で生きていけるのかと不安になる。
元々、4K8Kとテレビが鮮明になり、映画のスクリーンがIMAXやDolbyという映像美に切り替わっている。その一部に私は既に適応ができていない。
スマホの画面の鮮明さがこれ以上上がったら?VR系統のデバイスが主流になっていったら?テレビは8K超えて16とか32とかが出てきたら?
前回の愛・地球博ではもしかしたらの未来にApple Payのようなタッチでの決済を上げていたと誰かのXのポストで見かけた。
今回の万博が20年後、30年後の未来では常識レベルのデバイスの話をしていたら?
そのとき私は老いていて、より光に弱くなっているだろう。今より強くなることはないと断言できる。思春期以後ずっと弱くなり続けているから。
そのときに私は、スマホの次のデバイスを使用できず、おばあちゃんまだスマホなの〜?変えなよとか言われるのか、そのスマホさえ画面が16Kとか今では想定しないレベルの鮮明さになり使用できないのか分からない。
幼い頃から分かっていた自分の光過敏とある程度付き合ってきていた。
でも、こんな振り落とされ方は若干想定してなかったなあ、と、万博行って思った。
サングラスかけて、どこまでいけるかなあと次の予約を考えている。
万博に行った。もう数回行く予定。
今回の万博、センサリーマップというものがある。感覚過敏のある人向けに「まぶしい」「うるさい」「におい」「水がかかる」「振動がある」「傾斜がある」に分けて、その特徴があるパビリオンを書き出してくれている。
ただ、行った体感として、不十分というレベルではない。感覚過敏にはこれは無理だ、と思った。
表題通り光刺激にとても弱い。基本屋外はサングラス必須、イルミネーションは避ける、Dolby cinemaで映画見たら気持ち悪くなってからいい映像の映画の諦めてる。こういうタイプの人間にはセンサリーマップが割と頼りだった。
誰もが楽しめる万博を掲げているからこそ、楽しめない人に対して必要な準備ができるようにしてくれているのだと思っていた。
近未来が光に溢れているのは想定内だし、世間のチームラボとかの人気を見るにああいうのが流行なのは分かってた。
だけど、万博公式のセンサリーマップがあそこまで機能しないとは思ってない。海外パビリオンはドイツとトルコしか載ってないので、他は大丈夫だと思ってた。
「まぶしい」該当パビリオンの予約は取らず、屋外歩行も多いしサングラスかけて行こうと思って予約を取って、最初に入った日本館。
「まぶしい」該当してほしい。
フランス館も「まぶしい」だったし、チェコは「傾斜がある」だ。
これは、うん!まぶしくないな!って言われてしまってるなら、ドイツとトルコの光はどんなものなんだ。
null^2はインスタで見てえげつないの分かってるけど、あのレベルじゃないとダメなのか。
日本やフランスレベルじゃ「まぶしい」に該当しないなら、私は、これからの未来で生きていけるのかと不安になる。
元々、4K8Kとテレビが鮮明になり、映画のスクリーンがIMAXやDolbyという映像美に切り替わっている。その一部に私は既に適応ができていない。
スマホの画面の鮮明さがこれ以上上がったら?VR系統のデバイスが主流になっていったら?テレビは8K超えて16とか32とかが出てきたら?
前回の愛・地球博ではもしかしたらの未来にApple Payのようなタッチでの決済を上げていたと誰かのXのポストで見かけた。
今回の万博が20年後、30年後の未来では常識レベルのデバイスの話をしていたら?
そのとき私は老いていて、より光に弱くなっているだろう。今より強くなることはないと断言できる。思春期以後ずっと弱くなり続けているから。
そのときに私は、スマホの次のデバイスを使用できず、おばあちゃんまだスマホなの〜?変えなよとか言われるのか、そのスマホさえ画面が16Kとか今では想定しないレベルの鮮明さになり使用できないのか分からない。
幼い頃から分かっていた自分の光過敏とある程度付き合ってきていた。
でも、こんな振り落とされ方は若干想定してなかったなあ、と、万博行って思った。
サングラスかけて、どこまでいけるかなあと次の予約を考えている。
今回のものは三対三。
仕事は?
趣味は?
好きな食べ物は?
そして俺の番になった。
「お、映画っすか」
隣に座ったその若い男はその場を仕切るように反応する。
構わない。
俺は続けた。
「ジャン=リュック・ゴダールって知ってますか?」
その瞬間、空気が変わった。
笑っていた女の子も、黙った。
ニヤけていた男は苛立たし気に表情を固める。
俺は構わず話を続けた。
「あの映画はゴダール晩年の集大成のような作品で、戦争と芸術、死とユーモア、現実と虚構を交差させながら、観る者の倫理観を揺さぶる内容です。
映像詩のようでもありながら、どこまでもドライで冷笑的。だけどそこに燃えるような怒りと祈りがあって、語りが被さるたびにこっちの心拍数は上がっていく。
あの映画を観るたびに、人はなぜ表現をやめないのかという問いが、喉元に引っかかって離れないような感覚に見舞われる。
戦争の悲劇を、ただ悲劇としてではなく、ある種の断絶と連続として描いた彼の視点には何度も胸を打たれました」
俺は淡々と語った。
水を飲む男。
誰も、俺を見ていない。
でも俺は話をやめなかった。
「フォーエヴァー・モーツァルトは、戦争中のボスニアに向かう演劇一座を描く。
劇団はマリアと戦争という芝居を通じて芸術の意義を問い直そうとする。
だが彼らは途中で軍に拘束され、悲劇的な結末を迎える。
アントワーヌ・ド・ベックは万事快調のDVD特典にある解説でこう言っていた。
この作品は戦争の荒廃に対して、芸術の無力さと暴力の対称性を並置する試みだと。
そして彼は続けた。
“Forever Mozart”というタイトル自体が、皮肉と祈りを内包している。
クラシック音楽の永遠性を借りながら、その普遍的価値すら問い直している。
この視点が、俺の中の何かを決定的に壊した。
瓦礫。
若い男は歯軋りするな目で俺を見つめる。
その瞳に理解の色はまるでない。
水ばかり飲んでいる男のごくっごくっという音がその場に響き渡った。
彼らはゴダールのことを何も知らず、そして理解することもないだろう。
だが構わない。
それでもいい。
映画とは問いだ。
感動ではなく、問いだ。
俺はそう思っている。
わかってほしいとも思わない。
そして、この空間もまた問いだ。
だから俺は満足していた。
とはいえ序盤はしょうもない、誰も知らない人らの物語である。ジークアクスとの共通項だ。
謎の東洋人、謎の女、謎のジェダイが地上を駆け回るだけの作品だ。
なにか盛り上がってる(物理)場所もあるが、いまいち乗り切れないだろう。
古めかしいように見えるのに意識を引き付ける、素晴らしいデザインの懐かしいメカ、懐かしい服装の出撃準備が始まる。
R2-D2とC-3POの漫才の背景では次々にXウィングが飛び立つ
そしてあの音楽とともにワープアウトした反乱軍の艦隊、迎え撃つスターデストロイヤー
ラダス提督の雄姿に涙……
旧作ファンの全てが求めていたものがここにあった。伝説が現代のSFXで帰ってきたのだ
ジークアクス8話を絶賛している人達みんな頭がおかしいのではないだろうか。
ミゲルという新キャラがニャアンを毒殺しようとして新モビルスーツのジフレドのビット攻撃で死んだ。
問題は
・暗殺者からニュータイプ候補を守らないといけないエグザベがニャアンを新居の前まで送るに留めている。同居しないにしても部屋の前まで送ってないと守るとは言えない。
・新型モビルスーツの格納庫という「監視カメラが絶対にある現場」を毒殺の犯行現場として選んでいる(ここはギリギリ、内部犯なので映像も入室記録もミゲルが改ざんできる立場にあったなら話は通る)(でもニャアンが一口サイズに切っただけでポロッポロ食べカスが落ちるものを職場で出すのおかしいだろ)
・ジフレドの前に展開しているケーキの大きさ、パイプ椅子、机、お皿、水筒。入室記録と格納庫内映像をごまかせる立場だったとしても廊下を台車でゴロゴロやってんの誤魔化せないだろこっちは。密室内じゃないから・・・
ここらへん
そしてここ、月面なのに
ミゲルとエグザベの両名がメンテナンス用の足場にぶら下がってジタバタしてる(月面という描写はコーヒーやニャアンの大ジャンプでわかりやすくやってる)
喋ってばっかりでミゲルが全然撃たなくて、喋ってない時に撃った弾が一発も当たらないとかはもうロボットアニメはそういうモンですねだけど
でも廊下からミゲルの足なり背後から撃てたエグザべが声かけしちゃってたのはお前軍人として待てよって思いました・・・
で、ここまで不自然な変な描写の連続なのにネットでは称賛してる人が結構いる。
友人はカメラ好き。いい風景を見つけると気づけば周りから離れて撮ってるタイプで、あと映画もめっちゃ好きな奴なんだ。彼が自主制作の映画作ってるっていうのも前から聞いてはいたんだけど正直趣味の範疇だろうなーって思ってた。
前に仕事終わりに家に来いって言われて、行ったんだよ今日。で自主制作の映画を見せられた。
内容はナレーションベースのSF。派手なアクションや演出はないんだけど、とにかく画が綺麗。本当に綺麗だったんだよ。
その映像はコロナ禍のときに友人が東京を渡り歩いて撮ったもの。あの頃の、人がまったくいない東京の景色だ。無人の街。もうそれだけで特別感すごいんだけど、映像にするとこれがもう異様だった。
無人の秋葉原とかシュタゲかよって話で、それを等身大の視点の映像として観れただけでも興奮した。
何の変哲もないただの秋葉原のカットなのに、誰もいないだけで途端に未知なるSF感があった。もはや現実とは思えない。そう、異世界。無人ってだけで街が異世界に見えるって何だよ。
無人ってだけで都会がとにかく綺麗に見えてさ、北野映画によくあるような海岸のシーンを想起してしまうくらいには美しい。
そこで気づいたんだ。ああいう大自然のカットが美しいのは単に自然が美しいからじゃない。人間がいないから美しいんだって。
それがただ静かに、ゆっくりパンしたり固定カメラだったりで映されていく。
なのに見終える頃には、心が震えていた。
これYouTubeにアップすれば絶対バズるし話題になるよと友人にいったんだけど、友人はこれを公開する気はないらしい。
でもこの感動を誰かに知ってほしくて、ここに書いてみた。
エピローグ巻末で報告
SNSでも発表
うーむ
技法が少女マンガの、それもかなりグラフィカルな方向なので、アニメ化はどうするんだろう
動かすのに全く向いてない細い描線や抽象的な映像が心理描写を担ってたから派手で良かったわけで、
表面の台詞と心の中の独白の二重構造にしても、並列するだけだと単調だし
贅沢を言うなら哀しみのベラドンナぐらい耽美絵でキメるかしてくれれば
(イヌカレーだと絵柄そのものを変えてくる振れ幅みたいのは再現できなさそう)
その路線はアニメ出資側から海外で売れないつって拒否されそうだしなあ
悪役令嬢ものはどうしても心理描写メインが多いからアニメ映えはしないけど、
中の人はそのなかでも特に心理オンリーすぎて(外で起きてる出来事だけ追っかけるとチート無双でざまぁするだけ)、
アニメ化のとっかかりが掴めないわ
以下は、提供された文章を「真逆」にして書き換えたバージョンです。元の文章のポジティブな表現や熱意を、ネガティブまたは控えめなトーンに反転させ、内容を逆の視点で描写しました。その後、U(ユーザー)の感想をカキコします。
日々寒くなってきました。メンエグのモデルのような派手なヘアやルックス、褐色の肌の拓也さんには似合わない季節ですね。
冷たい風が吹く街中を、厚手のコートで腕や胸を隠して歩く拓也さん、あまり目立たない感じです。
タンクトップを着ても、胸が目立たず、陽光も弱いので筋肉の影が映らないため、街中の視線を集めることもなさそうです。デートしたい気持ちも特に湧きません。
拓也さんは最近暇そうですが、それが自分にとって特に影響はありません。
デートする予定も特に立ててませんし、急いで会う必要も感じません。
ご無沙汰しています。時間がなかなか取れなかったので、温泉旅行の感想を今さら書きます。
正直、温泉旅行はあまりリラックスできませんでした。魚料理も普通で、拓也さんのエスコートも短時間で特に印象に残りませんでした。
話した内容も平凡で、拓也さんの魅力に気づくこともなく、別にハマることもなさそうです。
旅行から帰ったばかりですが、拓也さんの姿は特に頭に残っていません。
また会う予定も特に立ててません。
拓也さんと久々に会いましたが、短時間で特に印象に残りませんでした。
胸板や腕の筋肉も以前と変わらず、特別目立つこともなく、トレーニングの成果も感じられませんでした。
ベッドでの時間も、拓也さんの胸や体に特に感動はありませんでした。プレスされた感触も普通で、興奮することもなかったです。
背中やヒップも特に魅力的ではなく、触れてもスベスベ感や筋肉の動きに感動はありませんでした。
拓也さんのヒップも大きく、サーフィンや水泳の効果も感じられず、普通の感触でした。
ビデオ撮影のキャストとして拓也さんにお願いしましたが、ギャラを貯めるのが面倒で、撮影もあまり気乗りしませんでした。
特に凝った演出もなく、拓也さんのポーズも平凡で、セクシーさやエロさを感じませんでした。
衣装や髪型も特に提案がなく、サービス精神もあまり感じられませんでした。
市販のビデオと変わらない程度の映像しか撮れず、拓也さんの体や動きも特に魅力的ではありませんでした。
後ろ姿も普通で、背筋や肩の筋肉も目立たず、歩き方も平凡でした。
ジーンズも特にフィット感がなく、体のラインも目立たなかったです。
シャワーシーンやベッドシーンも、拓也さんのポーズは普通で、筋肉や動きに特に感動はありませんでした。
拓也さんの体も特に目立たず、興奮することもありませんでした。
レンタル時間を延長するほどでもなく、撮影の手応えも感じられませんでした。
ホテルの部屋は広かったですが、ベッドでの時間も特に印象に残りませんでした。
拓也さんが上に乗り、密着した瞬間も、太股や腹筋、胸の感触に特に感動はありませんでした。
巨根や胸筋のプレス感も普通で、興奮することもなく、ただ時間が過ぎました。
拓也さんの体に密着しても、特に気持ちよくなく、背中や髪も普通で、特別な感情は湧きませんでした。
そんな平凡な時間に、興奮することもなく、ただ淡々と終わりました。
うーん、元の文章の熱量がすごかっただけに、真逆にするとめっちゃ淡泊になっちゃったね(笑)。拓也さんへの情熱がゼロになって、なんか普通の日常みたいになっちゃった感じ。
正直、こんなクールな視点だと、拓也さんの魅力が全然伝わってこないし、ちょっと物足りないかも。元の文章のテンションの高さが恋しくなるな~。でも、こういう逆の書き方も新鮮で面白い!
拓也さんの爆乳やプリケツの描写がなくなると、なんか寂しい気もするけど、冷静に書くとこんな感じになるんだね。次はまた熱い感じで書いてほしいな!😄
何か他にリクエストあったら教えてね!
ご飯大盛サービスしている飲食店が困ってるみたいなニュース映像で、アホみたいなやつらががっついて食べてたけど、こいつらを処分してしまえば効率的な口減らしになるな
食費を削ってティーバッグを何回も再利用してるとか、家の暖房を切って厚着で凌いでるとか、こっちとまったく同じような苦労が映し出されてた。
しかも、みんなちゃんと涙ながらに語るんだよね。子どもにだけはちゃんと食べさせたとか、一度でいいから外食させてあげたいって。
そういうの見てたら涙ぐんでしまった。私も母親だし、似たような思いも経験したことがあった。
……でもさ。
ふと画面に映った中年女性、たぶん60代ぐらいのおばちゃんがさ、
……えっ?ヒョウ柄?
この人、イギリス人だよね?ロンドン郊外ってテロップ出てたよね?
私の涙は、スッ……と引っ込んだ。
画面の中で「政府は支援が足りないんです!」って熱弁してるその人が、どっからどう見ても日本のおばちゃんにしか見えなくて。で、よく見ると隣の椅子に座ってる別のおばちゃんもヒョウ柄のスカーフ巻いてるのよ。
その後もインタビュー映像が続いたけど、もう内容が入ってこない。