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先日このようなことを書きました
同性婚を認める議論を始めるなら、兄弟姉妹婚、親子婚、小児婚、一夫多妻、一妻多夫、その他諸々もOKの方向で検討しないといけないけど準備できてるんかなあ?落とし所は法定婚の制度廃止しかないと思ってる
すると以下のようなエアリプがありました
同性婚を認めるならナントカ婚も認めろ~な人が湧いてるけど、現代のまともな先進国でおよそ認められてない権利を主張されてもな。本気でそう思ってるなら同性婚の当てこすりじゃなくて普段から真面目に活動なさいよ
「現代まともな先進国でおよそ認められてない権利を主張されてもな」というコメントですが、これを通して、現在の法定婚として認められない婚姻の形について考えられるという点でとても良いコメントだと思ったので紹介させてください。
まず、「現代のまともな先進国でおよそ認められてない権利」とありますが、私があげた婚姻の形のうち、幾つかはある程度の規模の国において実際に法定婚として認められています。
例えば
昨今幾つかの国で認められつつある同性婚もかつては「現代のまともな先進国でおよそ認められてない権利」だったことも重要です。その状況から同性カップルも異性カップルと平等に扱われるべき、という社会正義としての平等を主張し、現在までに世界各地で「活動」を行ってきた結果、同性カップルの法定婚が認められつつあるという現状があります。
では、この「平等」が兄弟姉妹婚、親子婚、小児婚、一夫多妻、一妻多夫にも与えられないのは何故でしょうか。
親子婚、小児婚については本人の同意などの点から問題がありそうなのはなんとなくわかります。(子供の自己決定権や人権の観点からやや危うい話ではありますが)
しかし宗教的、文化的な背景があって日本以外の国では法制度化されている国もある兄弟姉妹婚、一夫多妻、一妻多夫についてはどうでしょうか?公平の観点からは同性婚と同じく法定婚として認めるべきではないでしょうか?
認めるべきではないならその理由はなんでしょうか?同性婚とはどこが違って認められないのでしょうか。
しっかり考えてみると意外と難しい問題であることがわかるかと思います。また考える過程で「現代のまともな先進国」のような自分の中に気づかずにある差別意識にも向き合うことができるかと思います。
ここで言いたいのはお前は差別者だ!と指摘したいわけではなく、自分の中の歪みに気づいた上で話してほしい、ということです。
私も個人的な感情としては一夫多妻などは認めなくないという思いがあり、自分で実践するとは到底思えません。ただ、ムスリムの家族の方の権利という観点で考えると異性間での法定婚制度があるのであれば、一夫多妻の夫婦も公平性の観点から法定婚として認めるべきだろうとは思っています。
法定婚の未来や公平なあり方について考えると、自分の中の常識、ここでいう「まともな」という基準の外にある文化の人々の婚姻の文化をどう尊重していくべきか、という話になります。その中でどうしても認め難い婚姻の形についても考えないといけないこともあるでしょう。
その時に嫌だと思ったことことに対して正当化するような理路を作るのではなく、自分の中にある差別的な考えとして認識してほしいと思っています。
(「本気で〜」以降は私の書いた内容に対する直接的な意見ではないし、荒唐無稽な主張であるのは一読でお分かりいただけると思うので本項では言及しません。)
なんとなしに漫画だけを買うつもりだったんだけど、ボーナスも出たことだし目に入った興味が惹かれるような本を5冊くらい一緒に買ったんだよ。
8月27日 勾留質問 特記事項 タチィ!!!!!!!!!! 22時から弁護士面会
8月29日 中間 三摩哲也 言ったこと お前クソガキじゃん 反応 ガキ・・・・
9月1日(日) 便箋購入
9月4日 勾留延長
「トランプさんは意外なことに酒をのまないとい」うポストに貼られた動画を見たら、トランプさんが子供に、酒を飲むな、タバコを吸うな、入れ墨をいれるなって言い聞かせてる動画だった。
外人が「入れ墨は自己表現だ。入れ墨を差別する日本人はおかしい」とか言ってるのを見たことあるけど、アメリカでもまともな人はしないって認識なんだろうな。
今朝は部屋の点検で朝から人が来るというので珍しく10時には起きて掃除をした。
普段は起きた瞬間から寝るまでパジャマだが、今日は一応着替えた。
点検の人が来る前にほうじ茶豆乳ティーを作って飲んだ。美味しい。
毎朝、今日は何を飲むかとても迷う。
夏は水ばかり飲むのに、冬になると味が欲しくなる。
家にいる時はどうしてもパジャマがいい。
話を作るのも絵を描くのも楽しい。
やりたいことにやっと技術が追いついてきた感覚があって、長くやってて良かったなと最近思う。
最近まで締切のことを考えて焦る日々だったけど、ふと、技術が上がりスピードも上がってるので、そこまで焦る必要はないのかもという思いに至った。
完成まで何があるか分からないから早めに作業するに越したことはないんだけど。
それでも、気持ちがずっと焦ってるのはメンタル的にも良くない。
休日は休日を半分楽しみつつまったり作業することを心がけたい。
15時を過ぎて、小腹が空いてきた。
朝ごはんは一応軽く食べたけど、冷蔵庫を見たらバナナが2本余っていた。
ので、それを使ってパンケーキを作ることにした。
パウンドケーキを作るか迷ったけど、よく考えたら先週も先々週もパウンドケーキを焼いた気がする。
GPTに聞いたら、バナナの他にシナモンとダージリンの茶葉を入れるといいと言われた。
茶葉はあったけど、シナモンが切れててなかった。
代わりにその辺にあったカルダモンを適当に入れた。ついでにジンジャーも。
瓶を振ってたら、思ったよりカルダモンが多めに入ってしまった。まぁいいか。
料理を作るのはなかなか苦手で、フライパンの前に立って火の管理をしている時間が嫌いだ。
イライラする。楽しくない。
でも、お菓子を作るために材料を混ぜたら、火を使ったりするのはとても好きなのでいつも不思議な気持ちになる。
甘くて美味しいものがこのあといっぱい食べられる!っていう幸福感がいいんだろうか?
美味しそうな匂いがしてくる。
この時のワクワク感が本当に好き。
火加減を間違えて、1枚目は若干焦げてしまった。
チャイの味がする!
チャイ味のパンケーキは食べたことが無かったので、やったぜという気持ちになる。
美味しい。
出来立てだけど、部屋が寒いためみるみるうちに冷めていくのがちょっと悲しい。
でも美味しい。手が止まらない。
明らかに食べ過ぎだ、と思いながら食べる。
でもそれを見越して小麦粉は使わず、米粉とオートミールのパンケーキにしてある。
夕飯も炭水化物は控えよう…。
美味しくて幸せ。
お菓子が作れるようになって良かった。
休日こそ早く起きる方がいいな。
今日はまだ終わってないけど、現時点で割と完璧な休日を過ごせた。
トランプ氏が大統領になる世界線では生きていてくれたら心強かっただろうな。
あの暗殺はひょっとしたら歴史を変えたことになるのかもしれない。
動機として納得するのはおかしいはずなのになぜか納得できているのがおかしいんだよね。
2024年は54冊読みました。
ブロガーとかがやっているピックアップ記事を自分もやってみたかったので書きます。
行ったところで食事をして、言いたくもないことを話して、キャラじゃないことをやらされる。
そんな感じだった。
しかし、本書を読んで、やはりそういったイベントが微妙に思えるのは当然のことだったと思えた。
など。
集まりとは多くのことに繋がると思う。
日常生活で店に入ったり、テレビを観たり、そういう誰かの注目を得ることも、大きく「集まり」と言えるのではないか。
具体例が色々。エンパイアステートビルが100年前、18ヶ月で建てられたことや、日本の「もんじゅ」がどのように延期して廃止に至ったかも書いてある。オペラハウスの歴史も知らなかった。
上手くいくアプローチが紹介されていて、
など。
メガプロジェクトは数字が大きく、工期の延期や予算の超過や採算が合わないものが99.5%という。
ただこれはメガプロジェクト特有の性質ではなく、小さなプロジェクトにも当てはまるという。
本質的には同じなんだろうなあ。
科学は真実に近づく方法であり、科学が真実というわけではない。
小保方さんの話も出てきて、そういえばその上司が自決していたな……と思い出し、不正はお金や見栄だけの問題では無いと感じた。
読みながら、「見てきたものや聞いたこと 今まで覚えた全部 デタラメだったら面白い」と、ブルーハーツの情熱の薔薇が流れていた。
疲労についての本。
疲労とは身体からのアラートであり、無理やり無くそうとしても逆に身体を壊す。病的な疲労(うつなど)は脳の炎症であることが多い。
うつ病について疲労の視点から触れられていたのも良かった。まだ病気だと思っていない人もいるから。生理的な観点からの考察だけど、心因的な観点は証拠が弱くなりがちだし。
4. 脳が「疲れていない」と解釈。
軽い運動で疲労が回復する理由や、なぜ疲労があるのかというのも考察されていて面白かった。
疲労で鬱になるとかは今後修正されるかもしれないけど、休むことに若干の罪悪感みたいなものがあったので、疲れたら気兼ねなく休むようにしよう。
詩篇?
『NEEDY GIRL OVERDOSE』というゲームをプレイして、モチーフに『好き?好き?大好き?』があると知った。
読んだ感想としては……よくわからなかったです……。状況とか人間関係とかが。
ただ小説や物語は何回か読んで自分の感じ方の違いを感じるものだと思うので、よくわからないという感想もアリだと思う。
「能力」が「高い」「低い」、だから「選ぶ」「選ばれる」。当たり前のようで、見えもしない「能力」で人を判断している。これが正しいのだろうか?
油断するとすぐに能力の優劣での説明に傾いてしまうので、『「できる」「できない」は状態のこと。固定的な能力ではない。』という言葉を忘れないようにしている。
警察に捕まる瞬間、大人しくして素直にお縄につく姿勢を示せば、実際に手錠をかけられることもなく警察に任意同行・任意出頭という形になることもある。
殺人やひき逃げとかの重罪ではさすがに無理だけど、それほどでもない罪なら実名報道されないというのはかなりでかいぞ。
あと留置場についても、逮捕の場合でもぶちこまれずにその日のうちに一旦帰宅できるケースは珍しくないが、任意だと帰れる可能性はもっと上がる。
ただどちらの場合でも帰るときには身元引受人になれる人に連絡して来てもらう必要はあるかもしれない。
オタクが結婚相手にオタク(この増田はインドア趣味って書いてあるけど似たようなもんだよね?)であることを望む理由って、自分の趣味を大事にしたいし自分の価値観を尊重してほしいからでしょ?
オタクならそうでない人よりも自分のオタク趣味を理解してくれるはずだって思ってるから。
こう考える人は少なくないし、オタクだってだけで対オタクの婚活ではアドバンテージなんだよな。
でも、大多数のオタクは他人の価値観なんてまるで尊重しないからうまくいかないんだよ。
自分が知らないこと、自分がやってこなかったことは全部無価値で無意味でこの世にあってはならないものだと思ってる(そしてそのような決めつけができる自分を賢い人間だと信じてすらいる)。
これは特定の誰がどうこうではなく、オタクという属性そのものがそういう方向を向いてるから。
見た目についてろくに考えてこなかったくせに、人から何を言われようが見た目を気にするのは無意味に決まっているのだからそんなことを言うのはおかしいとしか言わない。
こんなの、自分が考えてこなかったことを何も知らないまま否定しているだけなのにね。
ただ、裏を返せばそういう考えに染まらずに、他人の価値観を尊重するという人として当たり前のことができるだけでちゃんとした人扱いされてしまうイージーモードなんだよねオタク同士の婚活は。
でもまぁ、増田自身だって会ったことも話したこともないアウトドア趣味の人を勝手に自分に趣味を押し付けてくる嫌な奴扱いして切り捨ててしまっているんだし、そりゃそういう人には同じような人間が寄ってくるよね。
働く意味がいよいよわからなくなってきた。朝起きて仕事し、家に帰ると疲れて寝るだけ。このループをあと30年続けるとか、正直耐えられる気がしない。完全に人生消化試合。
趣味は特にない。YouTube見るくらい。人生で何かにハマったことはない。
上司からの詰めもきつい。仕事中に涙が出てくる。休日も仕事のことが頭から離れない。辞めたいと思っても、辞めた後のことを考えると動けない。周りのやつらはどうしてるんだ?これが普通なのか、それともわいだけおかしいのか?
周りを見てると、楽しそうに働いてるやつもいる。あれはなんなんや。家でゴロゴロしてる方が楽しいやろがい。
今まで辛かったことはあった?
心が軽くなったきっかけとかあった?
思ったより売れなかったからクビになっちゃったのかなとかもちょっと考えた
でも今回ミニアルバムだすっつーことでいろいろ好き勝手やれるだとか
レーベルだとタイトルとかも自由に決められなかったみたいな愚痴ってて、
あーつきのみと敵にはこっちのほうがでかかったんだなと納得した
言われた話だと、定時出勤とかなんだよね、評価されるのは…
安定した勤務態度が優先されて、能力はまったく評価されない…😟
障害者には仕事は適当に低いレベルのものを渡すから、とにかく勤務態度が安定していて、波風立てないでくれ、みたいな感じ…
効率化するためのちょっとしたスクリプトだろうが、コードなんでもガリガリ書きますよ、みたいなのは評価されなかった
障害者雇用で躍起になってたときは、まだコード書く意欲があったけど、もうそれも失せてしまった
ChatGPTとかの登場も大きかった
生成AIのことは論文レベルで、どんなことができそう、というのは漠然と知ってたけど、
こうも急激に一気に総合力で実用化されるとは自分は想像してなかった
今となっては、テレビでも自分の両親みたいなITリテラシーが低い人でも普通にAIを使ってるし、
学校の教員とか、小学生でさえAIを、それこそ自分なんかより使いこなしてる可能性がある
いわゆるコマンドプロンプトとか、terminalが使えることが意味があった時代があって、
それがGUIになって、CUIが使えない人でもできるようになって、生成AIのプロンプトは更に人間寄りのUIということなんだろう
そのうち、コマンドプロンプトや端末エミュ経由でやってたこと、というかシェルというべきか、
その辺のレイヤーがAIのプロンプトっぽいものに置き換わる日は近いと思ってる
こうなってくると、プログラマーとか、ITリテラシーが高いみたいなアドバンテージは急速に失われていくだろう
社会の方向性としては正しいけど、アドバンテージがあることで仕事にしていた人たちの意味はなくなっていくわけだ
プログラムを書くこと、少なくとも自分が書くことは社会に必要とされてないわけだから、
もう仕事は自分のできる範囲であればいいが、何でもいいし、定時出勤だけが評価されるような仕事でももういいかな、とは思ってる
思ってるけど、それでも厳しいね、やっぱり年齢なんだろうね…😟
たまに「これは厚生年金制度にだけ存在する異常な制度である」という理解の元で話をしている人がいるが、そんなことはなく、協会けんぽや健康保険区意味合いなど、健康保険制度の方が扶養制度は手厚い。
協会けんぽなどは、扶養家族が増えても保険料が上がらない。これはあまり遡上に上がらないが、子ども3人専業主婦ひとりの5人家族でも、同じ収入の独身者でも健康保険料は同じである。
同じ構造であるにもかかわらず、3号被保険者だけが誤った認識でやり玉にあがるのは「ずるい」と言う様なシンプルな感情による者だと思われるが、それを削減することが良いとは言えない。
単純に3号を廃止したあと、無職の配偶者に何が起こるかというと、今まで強制的に収入から徴収されていた保険料が徴収されなくなるので、家庭内で調整を付けて、収入を得ている人のお金から無職の人の国民年金保険料を支払ってもらわないといけなくなる。
が、それがスムーズに出来る場合ばかりではない。払ってもらえないとどうなるかというと、無年金まっしぐらである。
例えば妻が内助の功的に支えている……といえば聞こえがいいが、妻を働かせず閉じ込めていた様な輩の場合、こうなってくると妻に自動的に入っていた年金資産が入ってこないことになって、余計経済的な自立を阻害するのである。何があっても離婚できないし、依存はさらに高まる。
こういったことがないように、また現実問題、適用されるのは女性が圧倒的に多いわけだから、女性を保護するための制度であるという事を頭に入れておかないといけない。
その点で、連合会長の芳野らは、女性の敵は女性であると言う事を体現していて、なぜフェミニストから称讃されるのかが私には理解できない。
2号被保険者の加入義務を激しく下げて、一週間に5時間程度で働いただけでも加入を義務化するべきだ。しかしそれでは当人達の負担が大きくなってしまう。
そこで、基礎年金の部分は当人らだけが支払うのではなく、厚生年金全体で支える仕組みにする。週5時間、月25時間=2万5千円程度働けば、2万円の国民年金保険料を支払わなくても良いと言うインセンティブにするのである。また、自営業などの1号についても、無職の家族に週5時間程度働いた事にして賃金を支払えば、国民年金保険にシンプルに加盟するよりも有利だという環境と制度を作る。
そうして3号被保険者の割合をさらに減らした上で、3号の制度は引き続き継続する。
3号廃止論は、扶養の壁があるからそれ以下で抑えてしまう人がいる、と言う問題もこれで解決する。確かに手取りは減ったように見えるが、それは将来自分が受け取る年金である。全体では損がないと言う事を周知していくのだ。
単純に廃止すると、社会保障の網で捉えきれずに落下して致命的な事になる人が多く出る可能性がある。
廃止は行うべきではない。