はてなキーワード: ゼミとは
人生のどのシーンでも(少なくも自意識が芽生えてから)、何者かになれるという希望をどこかに持ち続けて、嘘をつき倒してきた。
それでも、わかりやすい堕落や挫折をすることなく、この歳になった。何者にもなれなかった嘘つきの人生には価値があるのか?よかったら読んで欲しい。
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公務員の子として関東のベッドタウンタウンに生まれる。公立小学校〜公立中学校。成績は中の上。足は遅い。クラスの人気者では決してなかったが、奇抜なことを繰り返して周りの注目を引くことに固執する、特別支援ギリギリのムーブをかまして得意気になっていた。幼少期から虚言癖が酷く、何を話すにも少し自分の現状よりも上を言ってしまう悪癖があった(今も治ってない)。
この辺は特筆すべきことがない。
高校受験でマーチの附属校に落ちた。でも周りには受かったと吹聴してた。でもあれ、みんな気づいてたんだろうな、死にたい。親が塾とか通わせてくれたおかげか、エリアで2番か3番かの高校に受かった。
高校ではマイナースポーツをやった。トーナメントで3回ぐらい勝てば県大会決勝になるようなスポーツ。それでインターハイに出た。そしてすぐ負けた。どうしてもあのスポーツ体験が価値のあるものに思えなく、以後文系/サブカルに傾倒していく。(その話はさらにつまらなくなるのでしない)
あと、全然モテなかった。普通にブサメンだったし、自意識ばっかり高く女子の前でカッコつけた虚言ばかり吐くし、必然だったと言える。でも部活の友達には、地元に彼女がいてやりまくってる、って言ってた。地元の友達には、高校に彼女が(ry 。
大学は念願のマーチにいった。これも普通に塾とかいかしてくれた親のおかげだと思う。大学でできた友人には、国公立を蹴ってこの大学に来た、と抜かしていた。2年から私立文系クラスだったのに、なぜそんなことを言えたのか。
入学後は文化系のサークルに入ってその活動に熱中した。いわゆる大学デビューしたい隠の者が集まるサークルだったから、そんなに時間がかからず彼女ができた。人生初の彼女だ。ただサークルのメンバーには、中学で童貞をとっくに捨てたと言っていた。初めてのSEXの時、どこに挿れればいいか分からずニヤニヤ焦る俺を見て、彼女は何を思っていただろうか。
そのサークルで年次があがるにつれてそれなりの地位を得て、女子(大学デビューしきれてない子)と恋愛関係になる術を覚えた。そこで、高校時代全くモテなかった反動が来た。とにかくサークルに入ってくる新入生みなにツバをつけ、付き合おうとした。気がつけば3〜4股をかけるような状態になっており、その時は人生の栄華ここに極まれりだと思っていた。今思えばしっかり貞操観念がある子、あるいは、まれに現れる陽キャの子には、いかなかった。自分が優位に立てる(と思い込んでいる)相手にだけ節操なくアタックしてモテると勘違いしていた。その頃の自分を知る人間とコミュニケーションを取るのが辛すぎて、大学時代の人間関係はほぼ切った。(それ以外の過去の友人もだいたいそんな感じで疎遠だが)
4年になり、大手キラキラ企業を2社ぐらい受けて普通に落ちて、就活を辞めた。これ以上自分が凡人だと突きつけられるのが怖かったからだ。でも周りには総合商社に受かったと言っていた。サークルの後輩にイキるぐらいならまだいいものの、そんなに仲良くもないゼミの知り合いや教授にも伝えていた。今思い出しても消えてしまいたくなる。
そしてなんの当てもなく上京し、中央線沿いに住んだ。アルバイトしながら何者かになろうとしていた(バンドマンとか、劇団員とか、そう言う類だ)。でも上京半年で、定職についてないプレッシャーに体が耐えられなくなり、誰でも入れるやりがい搾取の業界に派遣で飛び込んだ。普通に激務で半年もたずに飛んだ。不思議と焦りはなかった。
その経歴だけを武器に、面接で嘘をつきまくり、それなりの大手企業の正社員になった。そこはハッタリを効かせて顧客を納得させる香具師みたいな仕事で、俺には天職だった。入社3年ぐらいでプレイングマネージャーになり、年収も600〜700を超えた。
その時期、一緒に上京してきた大学時代の本命彼女(笑)に浮気され別れた。自分はさんざん遊んできたにも関わらず、相手の浮気は許せなかった。それで、大学時代の彼女もどきが東京で就職したので半同棲してたら子供ができた。だから結婚した。愛はないが、抵抗もなかった。
子供ができて、責任感が芽生えたとかはなかった。嫁が里帰りしている間に、マチアプで女漁りを続けていて、3人か4人と付き合ったり別れたりしていた。これはモテてるとかではなく、付き合うと言う約束をしないとSEXができなかっただけだ。
ハッタリ仕事がいよいよ板についてきて毎日がイージーモードになりつつあった。が、なにぶん虚構なので慣れてくると達成感みたいなものはない。このままでは何者にもなれない(何者ってなんだ?)と感じて、より規模の大きい大手企業に転職した。
年収は800から700ぐらいまで下がったが、その業界ではトップ企業なので虚栄心は満たされていた。やっと自分の理想としていた本来の姿になれた気がした。
ただ、別に前職でスキルを磨いていたわけではないのでレベルの高い環境に身を置いた瞬間に化けの皮が剥がれた。周りの人間に追いつかない。頭の出来が全然違った。その負い目そのものは定着した現在も消えていない。
慣れとは怖いもので、半年ぐらいで勘所を抑えてからは、結局ここでもハッタリムーブでそれなりの評価を得ている。あと何年かやったら年収1000万ぐらいになるかもしれない。そこまでにバレなければ、だけれど。
※ハッタリというか、すごい成果を出してる風のブランディングを周りにしまくり、細かいところを口八丁で誤魔化し、その勢いだけで評価を得てる、とかそんな感じだ。もちろん営業職ではない
今も隙があればマチアプ発のヤリマンと会っている。もうオナニーの方が楽しいが、配偶者以外との性行為をすることで自分はモテていると思い込まないと自尊心が保てない。
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終わり。サラリーマンをし、子供をつくり、家を買った。世間では人並み、ネットでは底辺予備軍。こんなはずじゃなかったと言う気持ちと、まぁ上出来でしょと言う気持ちの差分を埋めるため、今日も嘘を吐き続けている。
父は片耳が重度難聴でもう一方も加齢によって聞こえにくくなってるみたいだった。
それに対して母は、難聴の人が聞き取りやすい話し方などするのを拒んで、声を掛けては父が聞こえていないことに、また聞こえてない…と毎回イライラぶつぶつ吐いている。
そりゃ聞こえないものは聞こえないだろう。
聴力が落ちると認知症が進むとも聞くし、家族以外と過ごしてる場面に立ち会った際も聞き取れてない様子で相手が困っていたり、会話が噛み合わなくなっていたので、さすがにどうにかしたい。
テレビも聞きにくいようだが、音量を大きくすることも字幕を出すことも母が許さない。字幕邪魔!!!とまくしたててリモコンで消していた。
父が見ている時くらい字幕出したままじゃダメなの?と聞いたことがあったが、お母さんは字幕が気になって見れないの、と言っていたときの表情や口ぶりが、性格の悪い人間のそれで辛くなってしまった。
補聴器を本人が嫌がっているのも状況を難しくしている。
お金出すから検査してつけてみない?と言っても数十年前の補聴器のイメージのまま頑なに嫌がっている。
ゼミの鳴き声のようなノイズがある難聴らしく、これもまたどうしたらいいんだろう。
母を父のことをASDだASDだと私に愚痴を向けてきて、高齢父から生まれてきた私や兄弟も特性っぽい困りごとで苦労しているので、血がつながってる私達にとっても聞いてて嫌な気分になる愚痴だった。発達障害への恨みが半端じゃない。
たしかに父による嫌なことは本当にたくさんあったし、母自身も昔、洗濯物の畳み方が気に食わないだとかで怒鳴られたりしていたらしい。
長年の苦労も、積年の恨みで優しくできないのも気持ちはよくわかる。昔二人の喧嘩や物音に怯えていたのだが、とにかく性格の相性の悪い二人が結婚してしまったんだなと大人になって気づいた。
別に放っておけばいいんだが、まだ働いてるとはいえ私と会っているときにも変にぼうっとする様子の時もあるし、特に趣味や友人もいないタイプの人だからこのままいけば本人も家族も困りごとが増えるだけだ。
どうしようかなぁ…
学生の頃はまだよかったけど、社会に出てから「あ、女ってだけで損するんだな」って瞬間が何回もあった。
会議で発言してもスルーされて、後から男の先輩が同じこと言ったら「それいいね!」ってなるやつとか。
優しくあれ、ニコニコしろ、感情的になるな、でも冷たくするな、仕事できすぎるな、でも無能と思われるな。
無理ゲー。
昨日もコンビニでおにぎり買ったら、店員に「温めますか?」って訊かれた。おにぎりって温める?
ごめんね店員さん。でも、温めるって何?
心を?魂を?記憶を?
あれ、温めてたのは電子レンジじゃなくて神だったかもしれない。
それで帰って部屋のカーテンのシワが全部顔に見えて、「お前はもう間に合わない」って言われた。間に合わないって何?どこに?いつの話?
とりあえず布団に入ったんだけど、布団の中に風が吹いてて、しかもその風がわたしの過去を知ってた。
小3のときに男子トイレ入ったのも、大学で誰にも言えずにゼミを休んだ日も、全部知ってた。
あと冷蔵庫がずっと「コッ、コッ、コッ」って音を出してて、それが妙にリズム感あって、耳を澄ましたら「おまえが悪いおまえが悪いおまえがわr…」ってリピートしてて、ああこれはダメなやつだと思って目をつぶったら今度はまぶたの裏にWi-Fiのパスワードが表示されてて、それがわたしの本当の名前だった。
会社にオリックスファンの後輩の女性がいる。彼女は毎朝キラキラした目で「昨日の試合見ました?」と話しかけてくる。私の日課はその女性からオリックスの選手がどうだとか、今後の試合はどこでやるとか、先週は仙台まで試合を見てきただとか、いわゆるオリックスの推し活話を聞かされるのだが、なぜそこまで「推し」の存在ができるのかよく分からない。
「◯◯選手のホームランすごかったですよ!あの瞬間会場が沸いて、私も思わず立ち上がって…」
彼女の目は輝き、声のトーンが上がる。その姿を見ていると、何かに熱中できる彼女が羨ましくもある。一方で「そんなに熱くなれるものって何だろう?」と不思議に思う自分がいる。
思えば私の人生で推しはいなかった。中学時代、周りの友達が嵐やKAT-TUNにハマってCDを集め、コンサートのチケットを必死に取ろうとしている横で、私は「ふーん、そうなんだ」と思っていた程度だ。
というか、もう少し主語を大きくすると物事にそこまでのめりこむ経験がなかったように思う。大学時代そこそこの体育会を続けていたりしたが、引退後はたまに後輩の応援に行くくらいでさっぱりである。「あの頃は青春だったなぁ」と懐かしむ程度で、OB会にも半分義務感で参加している。
長く続いている趣味も特になく、アニメもたまに見る、音楽も流行りをたまに聞く、スポーツもテレビでたまに見る、以上、という感じなのだ。「たまに」の連続。深くではなく、広く浅く。それが私の生き方だ。
冷静になって他の友人を見回すと、サッカーが好きで毎週見に行くとか、好きなアーティストのライブによく行くとか、車が好きでしょっちゅう整備しているとか、みんな何らかの推しやのめり込む趣味を持っていたのだ。SNSを見れば、推し活あるあるで盛り上がる投稿に「わかる〜!」とコメントが殺到している。世の中は「推し」のある人間で溢れているようだ。
そこでこれを機に自分に推し活ができない原因をなんとなく考えてみた。
よく言われる器用貧乏というものだ。最初からいろいろと何でも出来ちゃえば、そもそものめり込む動機もない。「これができないから頑張りたい」という原動力が生まれにくい。
しかし、これは自分に当てはまらないと感じる。大学時代のゼミでは「君は要点をつかむのが下手だね」と言われ続けた。職場でも「もう少し要領よくできないか」と上司に言われる。どちらかというと要領は悪いのでこれは当てはまらない。
そこで私は以下の3点が推し活ができない原因と考えた。
子供の頃、親が「うちは貧乏だから」という話をよく聞かされていたため、自然とお金がかかるものは避け、親におねだりすることは一切しなくなった。
小学4年生の時、クラスメイトがみんな持っていたデジモンのおもちゃが欲しくて、母に「友達みんな持ってるんだよね」と遠回しに伝えたことがある。すると母は「そういうのに流されるのはダメ。うちにはそんなお金ないからね」と言った。それ以来、欲しいものを口にすることはなくなった。
ただ、大人になってから気付いたが、別に貧乏ではなくむしろ裕福な方だったのだろうと思い、なぜあそこまで悔しがりながら辛抱強く我慢していたのか、たまに虚しくなる。実家の本棚を整理したら、母の「節約生活のすすめ」的な自己啓発本がずらりと並んでいた。あれは母の趣味だったのか…。
話はそれたが、推すためにも金がかかる。オリックスファンの後輩は、遠征費、グッズ代、チケット代など、月に3万円ほど「推し活」に使っているらしい。「それだけあれば…」と考えてしまう自分がいる。投資信託を増やすとか、老後資金に回すとか。
今は給与的に正直何不自由ないくらいにはサラリーマンをやれているので、なんてことはないのだが、なんとなくこの出費に意味はあるのか?と考え、結局手が伸びない。「楽しいから」という理由だけでお金を使うことに罪悪感がある。
推すきっかけには友人関係のなかで生まれてくるものもきっとあるはずだが、私は残念ながらあまり友達が多くない。大学の同級生とはほとんど連絡を取っておらず、職場の同僚とも飲み会以外で会うことはない。
推し活をしている人たちを見ていると、SNSで仲間を見つけたり、現地で知り合った人と交流したりと、コミュニティの中で推し活を深めているように見える。オリックスファンの後輩も「ファンクラブのLINEグループがあって、みんなで遠征計画立てるんですよ〜」と楽しそうに話していた。
私にはそういう「一緒に熱くなれる仲間」がいない。もし誰かに「このアーティストいいよね」と言っても、「へー」で終わりそうな気がする。推し活の楽しさの半分は共有体験にあるのかもしれない。
私は感受性不足な面がある。映画とかで泣いたり、結婚式とかで泣いたりする人、正直よく分からない。友人の結婚式で周りがハンカチで涙を拭いている中、私だけ「写真撮っとこう」と冷静にスマホを取り出していた。
感動する体験が少ないのかもしれない。オリックスファンの後輩は「初めて生で見た試合で、逆転サヨナラホームランが出て、その瞬間からファンになった」と言っていた。そういう「心震える瞬間」に出会ったことがあるだろうか。思い返しても特にない。
あるいは、感動する回路が弱いのかもしれない。何かを見て「すごい!」と思っても、すぐに「でもまあ、別に…」と打ち消してしまう。常に一歩引いて物事を見ている。
で、この3点が組み合わさるとどうなるか。
どれが初期のきっかけかはわからないが、3点が相互に連関しているように思う。
お金がない→人付き合いが悪くなる→推し活のきっかけも生まれにくくなる→感受性が育たない→人付き合いが悪くなる→…
こんなサイクルが私の中で永遠に回っているのかもしれない。貧乏性のせいでお金を使わないから友達と一緒に推し活ができず、友達がいないから感動体験が生まれにくく、感動体験が少ないから「これにお金使おう!」という衝動も生まれない。
ただ、最近ふと思ったのは、「推し活ができないこと」自体が問題なのか?ということだ。別にみんながみんなのめり込める何かを持っているわけじゃないし、持っていなくてもそれはそれでいいんじゃないか。
でも、オリックスファンの後輩が試合後に「最高でした!」と目を輝かせて話すのを見ると、どこか羨ましくもある。何かに全力で打ち込む姿、心から楽しんでいる姿は、やっぱり美しい。
そんなことを考えながら、今日も私はオリックスファンの後輩の熱い推し活トークを聞くのだった。「それで、宮城選手がどうしたって?」
自分にとっての「推し」、いつか見つかるだろうか。それとも、推し活のない人生を歩み続けるのだろうか。どちらでもいいような気もするし、何か変わりたいような気もする。
そんな、どっちつかずの気持ちも、私らしいのかもしれない。
・1年前期
将来の夢は非常に漠然としていて、志望の専攻もなかったので偏差値や得意教科的に自分にマッチしているだけの大学・学部に入る。
モチベーションは勿論低い。さっそくドイツ語など教養科目をたくさん落とす。専門科目は全滅。
・1年後期~2年後期
正直あまり記憶がないが、サークル活動が楽しかったということだけは覚えている。
楽しい刹那的な記憶と単位を落としまくるという日常的光景は忘れやすいということか。
まあでもこの時期に自分の学部の魅力みたいなものに気づきましたね。
・3年前期
さらにゼミや大学の公務員講座に入るなど環境が変わったが、ここで突然将来に対して恐怖を感じる。
ある日いつものように学校をサボったのをきっかけに日中に外に出ることができなくなり1ヶ月ほど部屋に引きこもり、携帯電話の電源はずっとオフにする。
自殺願望が高まっていき何度も首を吊ってみたが失敗。久々に携帯の電源をオンにしたら、メール数や着信数がとんでもないことになっていた。
あの時は友人にも両親にも先生にも心配をかけさせまくって本当にごめんなさい。
・3年後期
周りが就活の準備をする中、単位が不足している俺はまた精神的に不安定に。
このあたりに留年することを決意し親に通達。何もやっていないという不安感から、春休みに運転免許を取得。
・4年前期~5年前期
完全におかしくなっていた。
学校には一切行かず毎日家でネットばかりし、それでいて「自殺すれば全てから逃げられる」と楽観視する退廃的な生活。
食事は1日1食でコンビニの弁当かマックか宅配ピザのローテーション、おかげでこの1年半で20kg体重増加。
大学の友人達が卒業するときに久方ぶりに顔を見せたけど、みんなから太ったねって言われたね。
5年の夏休みに地元の自治体の試験を受けると親と約束していたが、部屋から出れず地元に帰らなかったことをきっかけに、ここで退廃的な生活に終止符。
・5年後期
ある程度改心。
学期開始前に精神科で検査したが、異常なしという結果だったので大学復帰に自信を持てた。
とりあえずまだ取り終えていない英語とドイツ語の単位を取りに行った。
・6年前期
地域で言うと日本海側→日本海側への移動なのでめちゃくちゃ時間かかります。
月曜日に4つ授業を入れていたが就活の日程的に休みすぎたせいで全滅し卒業できるかどうかでかなり焦り始める。
あ、念願のドイツ語の単位はここで取れました。ちなみにドイツ語の教科書は通算で6冊くらい買いました。
就職が決まってから心の中に「責任」というものが芽生え始めたように思える。
立場が人を作るってやつだろうか。
・6年後期
6年間の中で最も真面目に学校に行ってたし充実してた気がする。皆出席を達成。
卒論は書かなくても一応卒業できる大学だったので、その代わりと言ってはなんだが図書館の本を読書をする毎日。
24年間の人生で初めて読書の楽しさに気付けたし、勉強をする意味みたいなものにも気付けた。もう少し早くこの感覚を持ってていたらねえ。
マ~~~ジ納得いかん。
いやさ、n=2の話でしかないって言われるのはわかるんだけどさ。
俺って、性体力がないタイプなのね。
性欲自体は普通にあるんだけど、精神的、肉体的なストレスがかかると性欲どころじゃなくなるっていうか
ゼミの課題忙しすぎワロタとか繁忙期頭おかしすぎて草とかそうなると
マジでセックスしたいって欲がまったくなくなる、つーか陰茎が奮起しなくなる。
その結果、大学時代と社会人3年目に当時の彼女に「自分が求められてない気がする」って別れを切り出されてる。
けどそれって本当に"女性"ってそういうもんだよに当てはめていい話かって思うわけ。
肉体関係を求められたくない女性もいるし、求められたい女性もいる、そういうもんじゃないの?
むしろ一人の女性の中でもどっちの時期もあるみたいな、グラデュエーションがあるもんじゃないの?
性欲ありますって男だって24時間365日、常にセックスしたいわけじゃないでしょ。
んで、そこをちゃんとお互いがお話し合いで埋めていくのが恋愛っていうか、人間関係じゃないの?
お前それに失敗しとるから別れとるんやんけって言われたらそりゃそうなんだけどさ~~~。
「どうです?これが現場を知る俺のリアルな分析です。反論ありますか?(笑)」
ブログ記事の公開後、フミヤの予想通り、記事は瞬く間に拡散された。
「よく言ってくれた!」 「エンタメ業界の闇を暴いた!」という称賛コメントも一部にはあったが、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。
「エンタメ業界を一括りにするな。まともな会社もクリエイターもいる」
「カバーの件とアニメ業界の構造問題を混同してる。無知すぎる 」
「『ヒステリー起こして暴れ狂う』?どの世界のファンだよ。偏見酷すぎ」
「『SHIROBAKO』の例えも的外れ。制作進行の苦労を知らないのか」
「資格や標準化の話も、分野が違うものを同列に語るな。契約書や著作権法は法律じゃないと?」
「『甘えてる』?お前が現場の苦労を何も知らないだけだろ」
エンタメ業界で働く人々、業界に詳しいライター、さらには労働問題の専門家からも
フミヤの主張の穴や事実誤認、乱暴な一般化、そして何より業界とそこで働く人々への敬意の欠如に対する厳しい批判が殺到した。
彼の自信に満ちた言葉は、「現場を知らない学生の浅はかなマウント」
あっという間にフミヤの本名、大学名、学部まで特定されて晒し上げられた。
「〇〇大学の恥」
フミヤは、スマホに鳴りやまぬ通知と、画面に表示される罵詈雑言の嵐に顔面蒼白になった。
最初は反論しようとしたが、あまりにも的確で容赦ない指摘と、数の暴力に、なすすべもなかった。
彼の「鋭い分析」は、薄っぺらな知識と偏見の塊であることを徹底的に暴かれ、嘲笑の的となった。
数日後、フミヤは憔悴しきっていた。
大学にも顔を出せる状態ではなく、自室に引きこもるしかなかった。
自信作だったはずの記事は、彼にとって消せないデジタルの汚点となり、痛すぎる「学び」を刻みつけたのだった。
さらに数日が過ぎた、昼下がり。
文学部の真矢講師は、研究室でパソコンに向かい、次の講義の準備をしていた。
ふと目に入ったネットニュースの見出しに、彼女は眉をひそめた。
明らかにフミヤくんと思われる学生のブログ記事の内容とその後の顛末が書かれていた。
理系現場の経験を盾にエンタメ業界を激しく批判し、事実誤認や偏見を指摘され大炎上した、と。
真矢は溜息をついた。「…ああ、やっぱりこうなってしまったのね」
あの時、彼の危うさに気づき、言葉を尽くして諭そうとしたが、彼は聞く耳を持たなかった。
もしあの時、彼が少しでも立ち止まれていたら…
「…というわけで、今日のテーマは『異文化理解と情報発信の作法』について考えてみたいのだけど」真矢は穏やかに切り出した。
「その導入として、最近ネットで大きな話題になった、ある大学生のブログ炎上騒動について触れておきましょうか。知っている人もいるかしら?」
数人の学生が頷く。
「彼の主張自体、例えば労働環境の問題提起という点では、もしかしたら一理あった部分もあったのかもしれない。
彼なりに問題意識を持っていたのでしょう。
でも、結果として、彼は多くの人を傷つけ、自分自身も深く傷つくことになってしまった。なぜ、そうなってしまったのだと思う?」
「…内容が偏っていたから、ですか?」
「他の業界のこと、よく知らないのに断定しすぎたとか…」
「ええ、どれも的を射ているわね」真矢は頷いた。
「彼の一番の問題点は、自分の限られた経験や知識を絶対的な基準にしてしまったこと、
そして、異なる分野や価値観を持つ人々への敬意を欠いていたことだと思うの」
彼女は、かつてフミヤに語った言葉を、今度はゼミ生たちに向けて語り始めた。
「自分の経験から学ぶことは、とても大切よ。でも、その経験が『世界の全て』ではないことを、常に忘れてはいけない。
特に、自分が詳しくない分野について語る時、あるいは他者を批判する時には、より一層の慎重さが必要になるわ。
『俺は現場を知っているから正しい、知らない奴は間違っている』…こういう考え方は、非常に危険よ。
それを理解しようとせず、自分の物差しだけで相手を測り、断罪するような言葉は
真矢は続けた。
「情報発信する際には、感情的になったり、過度な一般化をしたりせず、
特に批判的な内容を発信する場合は、『これは自分の思い込みではないか』
一度立ち止まって考える癖をつけてほしいの。
知識や経験は、他者を打ち負かしたり、見下したりするために使うものではないわ。
むしろ、他者を理解し、より広い世界を知り、そして社会をより良くしていくために使うべきものなのよ。
今回の彼のケースは、私たち全員にとって、他人事ではない教訓を示していると思うわ。
それが、この情報化社会で私たちが身につけるべき、大切な作法の一つではないかしら」
学生たちは、真矢の言葉を噛みしめるように、真剣な表情で頷いていた。
静かに映し出しているようでもあった。
春一番が吹き抜ける午後、窓際のカーテンがふわりと膨らみ、干したばかりのタオルに淡い日差しが透けた。小学三年生の私・千春は、帰宅した兄・湊にランドセルごと抱え上げられ、ソファへぽすんと降ろされた。「今日も頑張った?」と頭を撫でる手の温かさに、胸の奥がぶわっと熱くなる。母に叱られた算数の宿題も、クラスで言い返せなかった悔しさも、兄の笑顔一つで溶けていった。リビングに満ちる石鹸と洗濯糊の匂いを深く吸い込みながら——私はこの人を一生守り、一生守られよう、と幼いながら胸に誓う。
第二章 音を立てて開く距離
兄が中学に入り、部活で遅く帰るようになると、食卓に並ぶ椅子の一つはいつも空いた。母が「冷めないうちに食べなさい」と言うたび、私は味噌汁を啜りながら廊下の先を気にした。深夜、蛍光灯の下で英単語帳をめくる兄の背には、近寄りがたい影が宿っていた。「美緒、静かに」と囁かれるたび、胸の中で小石が転がった。子どもの私は、その小石に名前を付けられず、ただ足元で鳴る兄の成長の足音を数え続けた。
第三章 メール越しの声——市外への進学
合格発表の日、掲示板に貼られた番号を見つけた兄は空を仰いで笑った。県下一の進学校、通学片道一時間半。私の「行かないで」は、騒ぐクラスメートの声にかき消えた。春の風が吹く玄関先で兄は「千春は強い子だろ」と頭を撫で、あっさりと黒い学生鞄を担いで出て行く。夕方、カレーの匂いしかない台所で、私は思わず携帯を開く——「今日どうだった?」。既読の横に「部活」「課題」「眠い」の三語。短い返事ほど恋しく、通知音が鳴るたび息を呑む日々が始まった。
私も中学生になり、バスケ部で汗を流した。だけど練習後のシャワー室、タイルに落ちる水音を聞きながら、兄のことばかり考える自分に気づく。友達が「今度みんなで遊園地行こう」と誘ってくれても、私は曖昧に笑って断った。帰宅後、母に「お兄ちゃんは夕飯要らないって」と告げられるたび胸が縮む。兄と私の距離は物理的なものだけではなく、生活のリズム、語彙の選択、夢のスケール——地図全体が塗り替わるように拡がっていった。
第五章 高みを目指す風——兄と同じ大学へ
兄の進学一年後、私は「湊の隣がいい」と進路希望欄に一行だけ書いた。担任は「姉妹・兄弟で同じ大学は珍しくないさ」と笑ったが、動機の濃さまでは見抜けなかった。深夜、蛍光灯の明滅を睨みながら英単語を暗唱し、机に伏した額の下で涙と鼻水が混ざった。——お兄ちゃんの隣に並ばなきゃ私の世界は未完成。そう思うほどに参考書の余白まで兄の横顔で埋まっていく。
合格発表の掲示板で番号を見つけるより先に、正門前で待ち構えていた兄に抱きついた瞬間、世界は再び等速回転を取り戻した。大学近くの築四十年のワンルーム、押し入れを改造したロフトに布団二枚。「家賃、生活費、ちゃんと折半だぞ」と兄は念を押したが、私の頭には花火のような歓喜しかなかった。狭い流しでインスタント味噌汁を作り、共有の机でレポートを書く。夜、ロフトの布団で横になり、「お兄ちゃん起きてる?」と囁くと「寝ろ」と小さな声。そのやりとりだけで心臓が跳ね、眠れない夜が続いた。
第七章 亀裂の手触り——兄の新しい世界
五月の新歓期、兄は同ゼミの先輩・綾瀬沙羅と親しくなっていた。駅前のカフェで偶然見かけたとき、兄が笑う横顔には私の知らない柔らかさがあった。帰宅後、狭い玄関で「ただいま」を言う兄の声が少し弾む。その裏にある感情を知らないふりをして「おかえり」を返すと、胸の奥で小さくパチンと弾ける音——それは嫉妬という硝子玉だった。
夜中、机に伏せながらLINEの通知履歴を追った。画面に浮かぶ「今度のゼミ発表、手伝ってくれてありがとう!」「映画、ポップコーンはキャラメル派?」。私は震える指で既読もつけずアプリを閉じた。
第八章 病室で交わした本音
七月、期末試験前の無理がたたり、私は高熱で倒れた。扁桃炎で点滴を受ける私の側で、兄は氷枕を替え、額を冷たいタオルで拭いた。ぼんやりする視界の端で兄の眉間が寄る。「千春、無理し過ぎるな」。私の唇は乾ききってうまく動かない。それでも「お兄ちゃんは……誰と映画に行くの?」とかすれ声で問うと、兄は少し目を見開き、やがて真剣な表情でこう答えた。
「……千春に嘘はつきたくない。沙羅先輩だ。でも、恋人とかじゃない。ただ仲間として誘われて——」
言い訳のような説明を遮るように咳き込む私を、兄は抱き起こして背を摩った。「なぁ、俺は千春に甘え過ぎてたのかもしれない。けど俺たちは兄妹で、これ以上——」兄は言葉を飲み込む。点滴の機械音が病室に滲む沈黙を裂く。私は熱に浮かされながらも悟った。兄が私の「全世界」ではあっても、兄にとって私は「世界のすべて」ではないのだ、と。
第九章 掌に描く境界線
退院して帰宅した夜、私は狭いロフトで兄と向き合った。裸電球が二人の影を歪ませる。「私、サークル入る。友達とも遊びに行く。……お兄ちゃん以外の毎日を持つ」。意地で張った声は震えていたが、兄は静かに頷いた。
「俺も就職考えなきゃいけないし、研究室のプロジェクトも本気出す。千春が自分の場所を見つけるのは嬉しいよ」
その夜初めて、私は兄の背中ではなく、正面から兄の眼を見た。そこには幼い日には見えなかった迷いと覚悟が交差していた。布団に潜り込み、細いロフトの梁越しに聞こえる兄の寝息を聞きながら、私は気づく。この人を一人の男性として愛してしまった気持ちは消えないけれど、同時に私は自分の人生のハンドルを握らなければならない、と。
第十章 私の日々、兄の日々
秋学期、私は文学研究会に入り、週末は古書店を巡るバイトを始めた。分厚い全集を運ぶたび腕が悲鳴を上げるけれど、店主の「助かったよ」の一言が嬉しかった。サークルでは同級生の新と意気投合し、文芸誌の編集を任される。帰宅が深夜になり、狭い部屋に残る兄のブラックコーヒーの香りが、自分の知らない兄の時間を想像させた。
一方兄はロボット制御研究室に配属され、週末は企業コンテストの試作機に没頭。リビングには配線だらけの基板、冷蔵庫には徹夜明けのエナジードリンク。顔を合わせれば「今日はギアが思った角度で回らなくてさ」「文芸誌の特集、締切伸びそう」と、互いの話を交わし、笑い、すれ違う。寂しさは濃淡を変えながら残るが、どこか甘やかな痛みだった。
第十一章 再定義される「好き」
二月、文学研究会の合宿で雪深い山荘へ向かうバスの車窓に、私は兄の面影を探していなかった。かわりに隣席の新が差し出したホットココアの湯気を見て、「あ、兄と同じ匂い」とふと笑えて驚く。夜、薪ストーブの前で原稿をチェックしながら、新が真顔で言った。「千春、誰かに遠慮してない? 本当に好きなものを選びなよ」。
帰路、携帯に兄から「風邪ひいてないか?」とメッセージ。私は画面を見つめ、初めて返事を後回しにした。雪解け水のせせらぎのように、私の中の「お兄ちゃん大好き」が形を変え始めていた。
春、兄の卒業式。体育館のステージでガウンを揺らす兄の背を見つめながら私は悟る。かつて追いかけた背中は、今や尊敬すべき一個の人間の輪郭をまとっている。記念写真を撮る流れで、沙羅先輩が兄の腕にそっと手を添えた瞬間、胸に尖った痛みは走ったが、私は自然と微笑めた。
式後、学内の並木道で兄に呼び止められた。「千春、就職決まった。都内のロボットベンチャー。……それと、沙羅先輩に告白された」。兄の声が少し震えた。「答えは保留したけど、たぶん——」。私は風に舞う花びらを掴み、そっと指先で千切った。「お兄ちゃん、おめでとう。幸せになって」。驚く兄に背を向け、歩き出す足は震えたが、止まらなかった。
一方私も、新から「卒業まであと一年、俺と付き合わないか」と真剣に告げられた。夕焼けに染まるログハウス風カフェで、私は一拍置き、首を縦に振る。ただし「まだ兄のことを特別に思っている自分がいる」と正直に打ち明けた。新は少し考え、「それを含めて、千春だ」と笑い、手を差し伸べた。
兄の引っ越し前夜、段ボールが積み上がった部屋でカップ麺を啜る。蛍光灯の明かりが段ボールの影を濃くし、狭いはずの部屋が異様に広く感じられた。「千春、この一年、一緒にいてくれてありがとう」。兄の言葉に私は笑い、「私こそ」と返す。
夜半、ロフトに上がる梯子を見上げながら、私はそっと尋ねた。「お兄ちゃん、今でも私のこと、守りたいって思う?」。兄は真っ直ぐな目で「妹を守るのは当たり前だろ。でも千春が前に進むのを邪魔したくない。だから、守るってより、応援するかな」。私は梯子を一段上り、振り返り、にこりと笑う。「なら私は、あなたの一番のファンでい続ける。世界一のね」。
四月。兄は都内のシェアハウスに移り、私はキャンパス近くの女性専用アパートへ。ガランとした新居の机に、文学誌の校正紙と、新からもらった栞付きの詩集を並べる。窓を開けると桜吹雪と同時に、遠くで電車の発車ベルが聞こえた。その音に、兄が乗った始発を想像しながらも、今の私は畏れより期待で胸が膨らむ。
一方兄は新入社員研修に追われ、深夜に帰宅しては泥のように眠る毎日。それでも週末、動画通話を繋ぐと「ロボットアーム、ようやく規格通った!」と少年のように嬉しそうで、画面越しにハイタッチする私たちは、確かに兄妹であり友であった。
夏、私はゼミ論集で最優秀賞を受け、教授に海外学会への参加を勧められた。喜びと同時に襲ったのは、兄から離れて飛行機に乗るという恐怖だった。夜、通話でその迷いを口にすると、兄は一瞬驚き、そして静かに笑った。
「千春、飛行機の中でも俺のLINEは届くさ。大丈夫、怖くなったらメッセージして。……でもまずは自分が見たい景色を見てこい」
受話口から聞こえる兄の声に、幼い頃のヒーローの面影と、同じ高さで語りかける同志の温度が重なる。私は涙ぐみながら、「行ってくるね」と告げた。
第十六章 旋回する眼差し——空の果てで
ヘルシンキ行きの機内、私は窓外の雲海を見下ろし、兄の存在が地球の裏側まで伸びる糸のように感じた。学会の壇上で英語発表を終えた夜、フィンランドの森を背にした会場ロビーで新が「よくやった」と抱き寄せる。その温もりの中で、私はようやく己の恋心が兄とは別の場所に芽吹いていることを自覚する。ロビーの片隅で兄にビデオ通話を繋げば、薄暗い日本の夜明けの部屋で、兄が寝癖のまま「誇らしいぞ」と親指を立ててくれた。
第十七章 再会、そして告白
帰国翌日、私は兄のシェアハウスを訪れた。駅前の桜並木はすっかり青葉に変わり、照り返すアスファルトの匂いが夏の到来を告げる。兄の部屋に入ると、壁いっぱいに貼られたロボットアームの設計図が、昼下がりの光を浴びて銀色に反射していた。
「千春、どうだった?」という声に、私はスーツケースを置き、深呼吸。「お兄ちゃん、私ね——好きな人ができた」。一瞬、兄の眉が僅かに上がる。「そっか」と短く呟き、柔らかく笑う兄。「で、その人は俺に挨拶しに来るのかな?」。私は肩を竦め、「そのうちね」と笑い返す。手土産のフィンランドクッキーをテーブルに置き、二人で半分こした甘い味は、初めて兄と分かち合えた「恋の報告」の味だった。
第十八章 エピローグ——それでも「大好き」
私の卒業式。袴姿の私は、門前で兄と写真を撮った。兄は背広の胸ポケットに小さなチューリップの飾りを挿し、「社会人二年目、少しは板についてきたかな」と照れ笑い。カメラのフラッシュを受けた瞬間、私はふと思う。——この人がいなければ、私は空を飛ぶ翼を持てなかった。
式後のパーティー会場で、新と兄が固い握手を交わす。私の恋人と、かつて世界のすべてだった人。その光景に胸が温かく満たされる。パーティーが終わり、夜風に揺れる街路樹の下で、私は兄に改めて向き合う。
「お兄ちゃん、大好き。だけどそれは、私が私であるための、永遠の合言葉」
兄は優しく頷き、子どもの頃と同じ仕草で私の頭をくしゃりと撫でた。私はその手を振りほどかず、ただ目を閉じて春の匂いを胸いっぱいに吸い込む。そうして再び目を開けたとき、私たちは同じ高さで未来を見ていた。
——終わり——
https://x.com/de_Bilitis/status/1910536750398922935?t=WfvGZ3-ns8IA2RVCRa7c4Q&s=19
「ジェンダー系専攻してますが、おじさんウケが悪すぎるので就活時は専攻内容を誤魔化すのが学生内で常識になってるのエグい。」
これはね、ウケが悪いって話ではないんだよ。
元人事部でまさに就活面接担当してたおっさんがちょっと説明します。
理系だけでなく文系の学生、いわゆる人文系の哲学、現代思想、ジェンダー等々のゼミ出身の学生からも割りと応募があります。
私は人事部時代、ES審査から二次面接(個人面接)までを主に管轄していました。
まさに当事者の子が見ているかもしれないのでアドバイスとしても書くけど
「あなたが大学で学んだこと、研究したことは弊社でどのように役立つと思いますか?役立てたいですか?」という質問が非常に苦手です。
ESから面接にかけて同様の意図で表現を変え何回か質問を投げ掛けますが、質問の意図に合致した回答をしてくれる学生が少ない。
よくあるのは「私の研究は"社会"の役に立ちます」と答えてしまうパターン。
回答だけを読めば、筋道立てて説明していて分かりやすいんですよ。真面目に勉強してきたんだなと感じる。
"社会"のことは聞いてないんですよ。うちの会社のことを聞いてるのに滔々と社会全般の話を語られても中々困るわけです。
そもそもの話になりますが、就活の面接で面接官が質問を行うのは
質問の意図通りに回答できるか、ロジカルに考え説明ができるかといった能力を見るためという点が大きく。
上記の質問で言えば「大学の勉強内容と弊社の業務をロジカルに関連付けて考えられているか?」を問うているわけです。
ここで大事なのが、業務に対する理解の浅深は大きな問題じゃないということです。
普通の学生が、面接の時点で事業や業務全体をきちんと理解するのは無理で、当然そんなことは求めていません。
彼氏いない歴年齢、そして男友達どころか、家族以外だと会社にはいって初めて男とまともに話したかもしれない女。
中高6年女子校、大学は入ったサークルが飲みサーだったので即退部で、ゼミ以外はボッチ。大人になった今でも女子校時代の人間しかつるまない。
結婚願望はあったので、さすがにまずいかと思い、街コンやアプリで真剣交際を探すも嘘つき野郎ばかりで無駄時間。あとヤリモク。
年齢:28(今年29)
身長:167cm
体重:66kg
見た目:キメたときは新〇結〇を1000倍希釈して、一般人にした感じと言われた。最低の時は丸〇 礼と一般人をエッセンスした感じと言われた。
収入:400万後半(30代で500行く予定)
その他:料理は得意で家族の分をほぼ毎日作っている。家事全般私がやっている。海外旅行のために節約と投資でやりくり有り。
海外旅行では遺跡と博物館と食事。夢はマチュピチュ。考古学が好き。インディージョーンズ最高。
年齢:35以下
身長体重:基本不当(どちらかと言えば丸い人が好き。病的デブガリNG)
収入:私同等~以上(年齢で加算)
好奇心があって元気な人。夕食を一緒に笑いながら囲みたい人。
海外旅行は書かない方が良いかと思ったが、相談所の人曰く「隠しても今後辛いだけなので書いた方が良いです」とのことなのでプロフに書いた。
顔の好みは、歯並びと人相がよければそれでいい。イケメンはこんな私に近寄るわけなくて怖い。例えが出てこない。不細工芸人と言われる人だって見んな見た目を綺麗にして出てきているし。男の耐性なさ過ぎて会社の男、全員イケメンに見える。
こんな感じ。1年で誰とも真剣交際行かなかったら自分は結婚に向いていないとして結婚を諦める。
1年たって退会か、成婚退会したら追記する。
渡邊芳之 @ynabe39
15年1月5日
ああなるほど認知スタイルか。場依存型と場独立型。なんと今は亡き指導教官の研究テーマではないか。「左右識別困難と認知スタイルの関係」www.jstage.jst.go.jp/article/cogpsy...
posted at 16:05:49 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月14日
仕事とはいえ普通の人たちが発達障害の子どもについてあれこれ語る場に身を置くと自閉症の子どもの親としては幾度か辛い瞬間がある。そりゃないだろう、アハハじゃないだろうと。仕事だから黙ってちゃんとこなしてきたけれど。
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月15日
この20年くらいの間の日本人に「目的の正しい暴力」への嫌悪が著しく強まっていることは考慮しないとうまくいかないと思う。
posted at 04:01:07 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月15日
これは別に「日本人がよくなった」みたいな話でなくて、国家権力による暴力の独占が著しく進んだということ。学園紛争やそれに連なる学生運動の失敗、オウム事件などの影響がある。
posted at 04:03:39 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月16日
「著名な心理学者の98%が血液型と性格には関係がないと言っている」と言われたって血液型性格判断をやめたりしないよね。
posted at 06:45:47 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月16日
そのうちに実学の危うさも見ることになる。
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月16日
posted at 07:42:59 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月16日
東大京大の文学部教育学部がなくなるわけないのだから,「文系学問の価値」の議論になっちゃってる時点で的外れだと思う。
posted at 13:30:46 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月16日
自分の学部がなくなる心配のない旧帝大文系の先生方が「自分の学問の価値が否定された」と思って反論しているのは間違いとまでは言わないとしても的外れだし地方の文系学部を守る力にもならない。むしろ文系の評判をますます落とすことを心配する。
posted at 13:36:26 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
けっきょく表現や言論の「意図や目的が正しいもの」には最大限の自由を与え「意図や目的が悪いもの」には自由は必要ない,くらいに考えている人が主流なのではないかと思う。
posted at 07:27:14 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
そうだけど「日本はダメだ」「日本は遅れている」という人がまさにそういう人権意識だったりするんだから。
posted at 07:34:09 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
為政者や宗教指導者が「よい」と認めることだったら中世のヨーロッパでも封建時代の中国でも全く自由だっただろう。
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
自分はヘイトスピーチ規制も差別表現規制も性表現規制もすべて「ほんらい自由であるものを公共の福祉から制限するもの」という点では同じだと思うし,それぞれの規制を認めるかどうかはそれぞれ「規制が必要になるような実害がどれだけ著しいか」の判断によると思う。
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
いくら「汚い自由」「悪い権利」であっても自由や権利を制限するんだからあくまでも限定的でなければいけない,むやみに拡大されないようにしないといけない。
posted at 07:54:00 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
よいか悪いかは時代を超えて決まっていて、昔それが容認されていたのは「遅れた社会」だったからだ、という考え。
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
家庭でたいへんがっかりする出来事があってしょんぼりしている。
posted at 16:58:18 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
「表現とはよいものであるから自由にすべきだ」「言論には価値があるから自由であるべきだ」というなら,自分から見てよくないものや価値のないものは表現でも言論でもないから自由である必要はないということになる。
posted at 22:09:53 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
国立大学にももう「教官」はいません。われわれは教員。それどころか最近の国立大学法人では教員も事務職もまとめて(以前のように教職員とは言わずに)「職員」と呼ばれることが多いと感じます。
posted at 22:38:34 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
教官というのがまだいるのは文科省以外の省庁立の「大学校」などだけではないか。
posted at 22:39:16 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
大学教員の意見は「その先生は堀ちえみのファンだった」というところに収斂しました。
posted at 22:55:34 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
「定年」もむかしは「停年」と書いた。
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
一難去らずにまた二難。
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月30日
教育と職業とのマッチングの問題だよね。大学進学率が高くて大卒に見合った待遇の仕事が少ない国で満足度が低いのだと思う。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月1日
「人文系の知識なんか大学で勉強しなくても独学で十分に身につくだろう」というのは半分本当で半分ウソ。
posted at 18:15:37 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月1日
いっぽうでそうした知識全体を体系付けて俯瞰したり整理したりするメタな技術や能力は大学で専門教育を受けないとなかなか身につかない。
posted at 18:18:29 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月1日
そういう意味では学問としての人文学というのは「人文学的教養」みたいなものに対してはメタな位置にあると思う。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月1日
一連の「人文系学部の価値」「人文学の価値」についての議論では,こういう知識や教養の価値と専門の研究教育の価値とがごちゃまぜになってると思うんですよ。
posted at 18:53:52 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月1日
それこそ「国立大学人文系学部が必要かどうか」という問題と「若い時に夏目漱石や森鴎外を読むべきか」みたいな問題はそもそも別だろうという話です。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月1日
@AJSCT 学問について専門的な評価は研究者にしかできないと思います。文科省だって学問の専門的評価が必要な時には学者を雇ってやらせますから。ただ「学問の価値の評価」はおそらく学問の外側の問題だから、学問の専門性ではむしろ判断できないのではないかと思います。
posted at 19:40:45 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月1日
なにしろ人文学系の研究者が「人文系の学問や大学は大切だ」という自分の価値をきちんと相対化できなかったら「それでなにが人文学系だよ」ということになると思います。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月2日
教職や教養に限らず,いまいる大学で「自分の専門分野の心理学」だけを教えて暮らしている人なんてもともとごく少数だと思う。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月2日
「大学の語学の先生」たちの多くだって大学院で「外国語教育」を専攻したわけではないだろうし。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月2日
この数年で大切な先輩や知人がさっさと亡くなってしまうのを何人も経験したな。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月3日
「津波からすぐ逃げた人」と比較できるのは「津波からすぐ逃げなかったが助かった人」だけで「津波からすぐ逃げずに亡くなった人」とは比較できないよね。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月5日
アメリカンビューティーのレコードがなかなか手に入らない。アメリカ盤なんかずいぶんプレスされたはずだが。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月5日
「ベルマークなんか集めないで募金を集めればいいじゃないか」と女房に言ったら「ベルマークは学校が集めて決まったやり方で送らないとお金にならないので,着服などの心配がない」と言われた。そういうことも大事なんだよね。
posted at 14:25:03 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月5日
将来がどうなることが子どもたちにとって幸せかなんてことは親にはわからないよ。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月5日
大人になってからの不幸なんて15歳の時には想像もつかない種類のものがほとんどだよ。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月5日
臨床心理学科を卒業して精神神経科病院に心理士として就職して主要業務は送迎車の運転,というのは昔よく聞かされた。
posted at 19:51:36 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月6日
血液型性格判断を信じる医師や看護師には何度も会ったので「疑問の前提になる現状認識」の時点で異なる。
posted at 02:53:57 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月6日
posted at 03:13:34 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月6日
右に行っても左に行っても大混乱の時代には秩序が皆の憧れになる。
posted at 03:22:38 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月6日
自分の気に入らない内容が報道されると「マスゴミを信じるな」みたいなことを言い,いっぽう自分に耳触りのよい報道は全く疑わないのは不徹底だと思う。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月6日
一難去らずにまた三難。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月6日
長男去ってまだ二男。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月6日
「自分の政治性は政治的だと思わない」というのはほとんどの人に共通する特徴だよね。どんなに偏っていても自分の政治的立場は「中立」にみえる。
posted at 13:53:59 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月6日
「政治的」に見えるのは自分より大きく右か左に位置するものだけである。
posted at 14:02:00 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月8日
大人ワールドで起きる問題の半分くらいは原因が嫉妬や個人的怨恨。
posted at 06:27:54 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月8日
posted at 07:52:38 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月8日
足りなくならないと価値を感じない。
posted at 07:53:03 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月8日
他人からは「不可解な動機」と思われるものでも当事者がおかれた文脈や状況から見ると必ずしも不可解とは限らない、という話なのだが。そのうえで「どんな動機であれ殺人は許されない」というのは言わずもがなだと思う。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月8日
この先生の気持ちもわからないでもない。毎日ルーティンで大量にやらされているとこうなる。だからこそ、学生生徒に簡単に「気持ち」を書かせて提出させたりしてはいけないと思う。
posted at 08:50:45 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月8日
たいへんなことほど目立たずに始まるのだ。
posted at 19:04:01 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月9日
多くの人は「理由」と言うのを「行為の原因」「行為のきっかけ」といった客観的な意味ではなく「その行為について自分が納得できる説明」のような意味で考えているのだと思う。「そんなの理由にならないと思う」という言い方はまさにそういうことだ。
posted at 04:57:38 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月9日
「そういう理由であれば自分もそうしただろう」「そういう理由であればそうしても不思議ではない」と思える時だけ、ある説明や経緯を「理由」として受け入れる。そうでない場合には「そんなの理由と言えない」「そんな言い訳は成り立たない」と考える。
posted at 05:00:06 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月9日
「理由なき反抗」だって映画を見れば主人公個人には反抗する「理由」が山ほどあるわけだが、それらが大人や社会から「理由」として認められなければ「理由がない」とされてしまう。
posted at 05:46:08 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月9日
犯罪やその報道、裁判などについて自分がもっとも違和感を持つのは「どうしてそんなに犯行動機を重視するのか」ということだ。警察もマスコミも「動機を追求する」ことに躍起になるのだが、いざ動機が語られ
リーマンショック直後の大不況時代。大企業がリストラや内定取消しに走る中、「ベンチャーに飛び込んで会社の看板が無くても稼げるようになろう!」だとか起業だとか、そういう意識高い系の主張が流行り始めていた。ノマドワーカーという概念が流行るのはまたさらに少し後のことだ。
在学中に経験したガラケーからスマホへの転換は、中身は無いが語りたいことだけが山のようにある俺たちの声を世界に発信する絶好の機会だった。
いち学生の俺の思いついたもっともらしい発言に、知らない学生からいいねがつくのは楽しくて仕方なかった。
当時はそういう学生の粗探しをする向きも少なかったし、今ほどコンプライアンス重視でもなく、本当の意味で自由な発言ができた空間だったように思う。(潮目が変わったのは3.11だったが、その話はここではしない)
学生団体に所属していた俺も、当時の意識高い系の大学生がみんなそうだったように、プロフィールにスラッシュをたくさんつけて、自分が何者であるかを説明しようと躍起になっていた。
◯◯大◯◯学部/学生団体◯◯/◯◯ゼミ/何かしらの名言ぽいフレーズ/◯◯に興味あり、といった具合だ。
今思い返せばその大半は一過性のステータスで、ひどく無駄なことに時間を費やしたような気がしなくもない。何しろスラッシュとスラッシュの間に何を書いていたのか、そこで誰に会って何をしたのか、今となってはほとんど何も思い出すことができない。Twitterでやっていたのと同じように、なんだか思いついたことを喋りあっては互いに賞賛していたような気がする。一過性のステータスのために生じた出会いは所詮一過性でしかなく、皮肉なことに卒業後も続いている人間関係はそのどれにも該当しない、なんでもない交流の中から生まれたものだ。
ただ、正解を持たない日々が許される大学生というモラトリアムにおいて、なおかつ世紀の大不況という状況下において、実績のように所属団体やらグループやらをかき集め、それをバッジのように見せびらかす行為は、自分が前に進んでいるという実感を与えてくれる慰めだったのだと思う。多くの学生が頼まれてもいないのに同じフォーマットをなぞっていた。あれはきっとあの時代がもたらした特異点のような流行だったに違いないのだ。
今や俺たちは中高年に差しかかり、語りたいこともないのに正直大した中身もない。
語るという習性だけは僅かに残っているが、「何か」がないと語り始めることができない。大抵その「何か」は生活や社会への不安・不満だったりする。
昔は面白いことを語っていた奴が、いつの間にか政治ネタを延々リツイートするbotと化すのを何人も見てきた。やがてはそれさえも飽きてみんなどっかに行ってしまった。
たぶんこの社会のどこかで俺と同じように働いたり疲れたりしているんだろうと思う。はじまりはTwitterであんなに簡単に出会うことができたのに、今はもう一生会うこともない気がする。
SNS勃興とテキストベースのコミニュケーションが主軸だった最後の時代がもたらしてくれた奇跡だったんだなぁと、古いフォロワーを整理しながら思ったのであった。
1ヶ月前、処女を捨ててきた。
思ったよりあっけなかった。
セックスなんてこんなもんかと思った。
30にもなれば、処女なんてただの呪いだ。他の人はどうだか知らないけど。
小説映画漫画、友人たちの恋バナ曰く、「セックスは気持ちいいもの」である。私には生まれてこの方彼氏がいないからできない。みんなが経験済みのことを自分は出来ていないという事実が、ひたすらに惨めだった。
興味と劣等感と「普通になれない」感覚。それに加え、少し前に親族が不倫をした。不倫相手からのラブレターにはエッチ気持ちよかったねと書いてあった。そんなにいいの?不法行為に走るほど、いいの?オナニーじゃダメなの?棒は人間の棒で、肌と肌を重ねないといけないの?
分からなかったからした。経験値が欲しかった。理解したかった。きっかけなんてそんなもんだ。
年明け前にもセックスを経験したい欲は湧いていて(ただの性欲かもね)、マッチングアプリに登録し、いろんな男性と話をしていた。こいつら全員セックスしたくて私の機嫌取ってんのかな?と考えて気持ち悪くてやめた。恋愛を経て行為をするのが面倒だった。心を通わせるのなんて、ただ経験したいだけの私にとっては無駄な時間に過ぎない。
そしてつい一ヶ月前、某有名な出会い系アプリで、どうでもいい男と出会い寝た。
「高齢処女・ブス・デブ・彼氏いない歴=年齢」という四重苦を抱える厄介な女と寝てくれる男性は、アプリをインストールして相手を探す投稿をして1時間も経たずに見つかった。はっや。え?こんなに簡単なの?もっと早くヤっときゃよかった。そうすれば拗らせずに済んだのに。
連絡を取った翌日に私たちは邂逅した。相手は同年代の普通体型の柔らかい雰囲気の人だった。
「処女デブスなんかとヤっていいんですか?」と聞いたら、「むしろ処女なのにこんなのが初めてでいいの?大切にした方がいいんじゃないの?」と丁寧に返してくれた。ん〜俺めっちゃキミとエッチしたいハアハア!みたいなタイプの人だったら嫌だったけど、まあこの人ならいいかと思った。
そう、「いい人だな」と処女の私は思っていた。非処女になった今なら分かる。出会い系アプリでその場限りの関係を持つなんて普通じゃない。風俗で5倍近くのお金を払ってプロと寝るか、ホテル代だけでそのへんのどうでもいい女と寝るか。手っ取り早く手軽なのはそのへんのどうでもいい女だ。軽く安上がりな女として、私を選んだのだ。
やる前にお食事でも、とかそういうのはなく、駅前で会ってホテル直行。初めてのラブホテルにテンションが上がりつつも、緊張でずっと指先は冷え切って言葉数も普段の倍以上になっていた。緊張しますよそりゃ、と寄り添ってくれた男に感謝した。初対面のブスなのに、すごいな。性欲ってすごい。
風呂に入って歯を磨いてから、2人で布団に入った。手を握られた。こうやって手を繋いだのは、大昔に仲良しだったTwitterのフォロワー(男性)とご飯に行って突然性欲を見せられた時以来だった。これから挿入行為をするのにこんなので恥ずかしがっててどうする?と考えながら握り返した。
バスローブみたいなやつを脱いで裸になった。全然恥ずかしくなかった。おかしかったんだと思う。
唇、耳。体の至る所を触られた。私の乳首は米粒より少し大きいくらいしかなくて、ものすごいコンプレックスだったが、彼は可愛いと言った。すげえな性欲って、こんなゴミみたいな体にも欲情するんだ。気持ちよくはなかった。
いわゆるディープキスをした。これ、映画で見たやつだ!(進◯ゼミ?)と思いながら、自分も唇を開いて舌を舐め合った。なんか、舌が合わさってるな……と思った。唾液でぬるぬるしていた。
栗はいくら触られても大きくならなかった。私は男性ホルモンが多く分泌される病気持ちなので、普通の人よりもそこが大きい。コンプレックスだった。1人でするときは気持ちいいのに、人に触られても全然気持ちよくない。それでも女性の防衛本能が働き、ちゃんと濡れるのだ。気持ちよくないけど、そこを触られているというだけで濡れるのだ。身体が性行為をするための準備を始めるのだ。私は素直に感心した。人間の神秘というか、進化の軌跡を見た。
程よく湿ったそこに、指を入れられた。オナニーするときに指を入れたことがあるので、別に処女でも痛くはなかった。うーん……入ってるな、と思った。自分の指じゃない何かが入ってる。それくらい。
相手のものを舐めさせてもらった。これは男性とシないと分からない事だったので経験できてよかった。ちゃんと大きくなっていてこんなカスの身体で勃起するんだ、とここでも素直に感心した。そしてここで、男性器って全部固いわけではないのか、という知見を得た。亀の頭って柔らかいんだ……舐めている時、竿は固いのに亀はぷりぷり。肉。これが今から入るんだなぁ。
そしていよいよ本番。齢〇〇年、初めて避妊具を見た。ゴムのにおいがして、想像より薄かった。それをつけた男性器を見、こんなに大きいの入るのかな……(少女漫画?)と思ったものの、ローションを使ってもらったら思ったよりすんなり入って何なら大した痛みもなかった。男性の前戯と日々の自慰行為の積み重ねが、自分の身を守ることに繋がった。天晴れ。
処女喪失時の感想は、中に何かがある、という感覚に尽きた。無機物ではない、生物の一部が入っている。初めての感覚。初めての内臓圧迫感。途端に襲い来る羞恥心。男性が動き始める。肉のぶつかる音と、粘り気のある液体を介して物体が擦れ合う音、ベッドの軋む音がした。行為に臨む前に読んだ体験談で、女体は突かれると声が出るようになっているのではと書いてあった。声は出なかったが、奥に当たるたびに吐息が漏れた。相手の吐息も聞こえた。肌の感触、棒状のものが体の中を出たり入ったりする感覚と、いろんな音。これがセックスか。私は今、処女を喪失し、本名も好きなものも嫌いなものも知らない行きずりの男とセックスをしているのだと思った。
ここまでで私は少しも興奮していなかった。途中から「私はこの人を満足させられているのだろうか?」という不安感に襲われ始めた。でも何をすればいいか分からない。性器を貸与することか相手の性器へ刺激を与えることしかできない。なんなんだろう、これ。途端に不安になってきた。
途中からずっと謝罪していた。申し訳なかった。やり方が分からない、喘ぐこともできない、なにもわからない。私はただ謝った。すみません、ごめんなさい。吐息と謝罪とが、ホテルの一室に充満していた。
ムードもクソもない行為だったのに、男性は最後までしてくれた。初めて精液を見た。自分のお腹の上にポツリと乗っている精液。においを嗅ぐと、ほんのり粟のにおいがした。なんでこんなんでイけるんだ、と思いつつも正直ほっとしていた。体から力が抜けていて、歩くときにふらふらした。正常位でするとこんな感じになるんだ。腰が痛くなるってやつ?
男性が事後のシャワーを浴びている間、私は虚無を浴びた。最初から最後までを思い返し、これがいいの?と思った。気持ちの通い合っている男女がセックスしたら、気持ちいいのか?でもなんだこれ。え、みんな、こんなのがいいの?これでいいの?決定的な不倫の証拠となりうる悪き行為であり、映画や大好きなエロ漫画等であんなに扇状的に描かれていたセックスへの期待値が瞬く間になくなった。みんなこんな行為に身を滅ぼしてしまうんですか?期待していたほどじゃなかった。
ぼんやりしながら自分もシャワーを浴び、ホテル前で解散した。純粋に後ぐされのない良い経験をさせてもらったので、深々と礼を言った。男性には「あのアプリはやめた方がいい」と言われたが、もう二度と使うつもりはなかった。体験できたから、もういい。
2時間前までは男性と付き合ったこともない処女は、男性と付き合ったことはない非処女にバージョンが変わった。別にバージョンアップもダウンもしていない。明日見る朝日はいつもより眩しいのかな、なんて考えていた2時間前の自分にそんなことないと思うと教えてやりたかった。どうでもいい処女の日々が、どうでもいい非処女の日々に変わるだけ。電車の中にいるカップルたちや、社内のどうにも仲のいい男女の社員に対して「あいつらもセックスしてんだな」と軽蔑していた日々が、少しだけ自分の非行と中和されるだけ。
家に帰って親と話すのが申し訳なかった。初対面の男と寝てきた娘なんか、汚れだ。家でもう一度風呂に入って、舐められた乳首に触れた。男性器を咥え込んだ入口に触れた。私もう処女じゃないんだなあという、無にほんの少し安堵と自分への嫌悪感が混ざった感情が胸の中にぽつりとあった。その日は泥のように眠った。翌日は足と子宮がずっと痛かった。
というわけでセックスした感想ですが、まあ、こんなもんかに尽きる。これが高校生や大学生だったらまた違ったろうし、好きな人との行為だったら相手を喜ばせたいと身も入るのだろう。
行きずりのどうでもいい男と寝るのは、正直申し上げるとおすすめはできない。私と同じような自己肯定感皆無で且つ劣等感を払拭したい社会不適合者には、うってつけだとは思う。でも、日常生活で好きでもない名前も素性も知らない男と寝た記憶が蘇ってくるの、結構キツイよ。
そして今、私が考えているのは、セックスって承認欲求を満たす行為として満点なのでは?ということである。男は性欲のままに女に可愛いエロい気持ちいいと吐きつける。女はそれで満たされる。気持ちいいか気持ちよくないかじゃなくて、「自分を媒介として相手を気持ちよくさせることができるか」。自己肯定感の低い劣等感の塊は、相手の喜ぶ姿を見るために生きている。これにハマったら最後だ。性依存症ってこうやって陥っていくのかもしれない。
それはともかく私はもう一生男性とは寝ないと思う。次にするなら女の人がいい。元はと言えば、私は男性嫌いで女性の方が好きなんです。
こんな文章を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
私はこの約十年間、市町村議会選挙・知事選挙・衆参院選挙を問わず、あらゆる選挙の投票先を、ランダムに決めている。
文字通りサイコロを使って(候補者が七人以上の場合はちょっと複雑になるけど)、とにかく自分の意志であるとかを介在させないようにやっている。
(一方で最高裁判事国民審査は全部バツを付けているがちょっとこれは別の話にしたい)
なぜこのようなことをしているのかの発端は、前の自民民主の政権交代劇の際に、「無党派層」というものの存在というか意義?について、考える機会があったからだ。
私は大学のゼミで、戦前の男子普選の時代に「無党派層」というものは勢力としてあまり認知されなかった、と学んだ。
(↑かなりはしょっているが、つまりそれらが育つ前に社会が硬直化し戦争に突入してしまったのと、地域社会や院外団活動の関係で○○党の支持をやめたら××党の支持者になるしかないみたいな短絡さがあったらしい。これも本題じゃない)
選挙権を行使する機会を得たばかりの私にとって、「無党派って一体、どういう立場なのだろう?」と常々考えていた。無党派って、本当に「党派」じゃないのか?みたいな。
報道、職場や労組、近所付き合い、フットサルやジムのサークル……もろもろの影響を受ける中で「無党派」というのはただ「選挙に行く気がないか、投票所の門をくぐった瞬間何かの党派に空気で入った人」を指す言葉でしかない。
党名を隠して政策だけでアンケートを取ると、共産党が一位になったという結果がどこかであったらしいが、しかしその結果を知ると、「共産党?うーんやっぱり自民党」みたいな行動を取る人がいるわけである。
あるいは単に「負ける候補者に入れたくないから都知事選では石原に入れるし、2009年の選挙では民主党に入れる」みたいな人もいる。
筋金入りの、自党が優位であろうが劣勢であろうが投票し続ける支持者をのぞいて、選挙に本当に「意志」を見出せるのか?その様な選挙が何十年と続いて日本は良くなっているのか?
良く分からない。その分からなさを理解するために、試しにやり始めたのがきっかけなのだ。
やり方は前述の通り、本当にランダムである。私の場合は選挙公報に番号振ってサイコロを使い決めるだけだ。
具体的な党名は出さないが、泡沫というか「無党派層」が入れなさそうな党に「入れることになった」(ランダムなのでこういう表現ができる)こともあれば、勝ち馬の議員に入れることになったこともある。
私の選挙区は、勢力があまり拮抗しておらず、ある党や議員が優位を保っている。この勢力を基準に考えると、数万票単位の優位さに、私の「ランダムな一票」が加勢するのか・抵抗するのかみたいな問題になってしまっている。
つまりランダム投票行動は選挙区によっても意義がかなり変わってくる。
日本ではなくアメリカになるが、前の大統領選挙でも、カマラとトランプの双方の選挙パフォーマンスを見るたびに支持候補を変える人々や、「隠れトランプ」(おそらく「隠れハリス」も)支持者など、
選挙活動にほぼランダムと言っていい影響を与える人が・・・言ってしまえば、「選挙に行く日の朝、最後にテレビかネットで見た顔の候補者の方に入れる」人が何百万人といるのだ。
私は個人的に、皆さんには、制度的に意味のない白票であるとか、「支持政党なし」のような党名ハックではなく(ランダムな投票先であれば仕方ないが)、
自分の意思を介さない、何か人為的ではない要素や乱数による「ランダム投票活動」をお勧めしたい。この活動が何万票という力を持った時に、はじめて「選挙」の意義や「無党派層」の価値というものがわかってくると思えるからだ。
そして議員が、「自分の存在が乱数の上の存在でしかない」ことを意識すれば、よりマシな政治活動を行うようになるのではないかとも思っている。そう考えながら、私は今後の投票にも臨んでいく。
また友人を失うかもしれない。
原因ははっきりしているのだけれど、それの帰責性が自分にあるのか相手側にあるのかが分からず(もちろん自分では自分に責めを負うべきところがないと思っているのだが(あれば治すし))、また、失いそうになっている。まァ帰責性の存否にかかわらず関係の維持は可能だとは思うが、これは後で検討する。
はてな匿名ダイアリーを初めて利用するのは、決してアドバイスや共感を得たいわけではなく、ただ文章に直す作業がしたかっただけなので、この文章に関しては一切の責任を負わないし、二度と思い出すこともない。
筆者は2002年生まれの現役の大学生で、一年、浪人している。関東出身。男。彼女はいない。いたこともない。最近オナホを買って心底がっかりした。冷たかった。東京の山手線の内側の狭い部屋で一人暮らししてる。社会科学系。専攻している分野が世間的にはマニアックなので、人との交流は少なく、一週間で会話することがあるのは先生(教授)と、バイト先の生徒や関係者など、片手で数えられる程度の人数しかいない。それでも、社会性を失いたくない(社会にアクセスするハードルを上げたくない)から身だしなみも整えてはいる。年がら年中オフィスカジュアルみたいなものを着て、いい酒が飲める店にいつでも入れるくらいの格好しか持っていない。もしかしたら自分がおかしい(もしや統合失調症でも発症しているのか!)のかと思い、精神科や家族に相談してみたものの、極めて正常ということらしい。彼らと相談する際によく耳にしたワードとして「時代だから」というのがあり、いささか疑問がありつつも、自分にもそう言い聞かせ、またそうするようにしている。なぜなら、理由は単純な方が良い。だけど、友人と自分は同じ時代を生きているし、同じ時代で育ち、同じ地域で、同じ中高で、同じ部活で過ごしたはずなのに、なぜ?
友人Aの場合
Aとは、本来であれば今年で10年超えの付き合いになる。Aは旧帝に落ちて私立大学に現役で進学した。たまさか、学部は違うけれど同じ大学に所属している。彼女はいない。チー牛という言葉が出始めた頃、漏れなくチー牛を自称していたが、そんなことはなく、月並みかそれ以上だろう。Aは、サークルに所属しており、友人と先輩と後輩がいる。Aが大学に入ってからは、「ちょっと変わった」先輩(男)のお世話をしていることを嬉しそうによく話していた。「ちょっと変わった」先輩の話というのは、おかしな行動や、服薬している薬の名前、就活の動向や、就労後の話など。確かに、「ちょっと変わっ」ていた。
書いていなかったけれど、筆者は大学院に進むので就活はやっていないし、大学院のあとにもその技能を評価してくれる機関があるので、レールは敷かれている(ただしそのレールは「完全に」壊れている!)。Aはそのことをあまり良く思っておらず、酒が回ってくると「お前はいいよな」といった風な言葉をかけてくれる。じゃあお前も俺と同じ孤独を大学の6年間とその後の人生をもって味わえ、とは言わない。分別があるから。
おそらく、Aには特殊な技能はない。英語も普通、スペイン語は自己紹介も忘れ、ゼミでは経済?に関してやっているらしい。人当たりもよく、声もデカいし、健康な、世間の求める「普通」が服を着たような大学生だ。そのため、「普通の就活」が必要だった。ただ、彼はそれをしなかった。
さっきの「ちょっと変わった」先輩の真似をして、大手とベンチャー合わせて10社くらい?しか受けず、結局小売大手に決まったらしい。この文を見ることはないだろうけど、おめでとう。体を壊すなよ。Aから聞いた話では、不動産大手の二次面接?に進んだがあえなくやぶれ、ベンチャーと大手の2つが手札にあった。そのことを聞いたのはAと今度失いそうな友人Bと、共通の友人Cが同席しているときだった。
大手は、CMでもよく流れてる企業。我々の地元だったらみんなが口を揃えて納得する企業だ。業績も悪くはないし、払いもそこそこ。いいじゃないか。
ベンチャーは、SIer派遣会社。「独自のシステム」をもとに「円滑な」派遣を行っているらしい(又聞きなので詳しくはわからない)。報酬は基本給と地域制限付きの家賃補助とボーナス代わりのストックオプションか新株予約権付きのストックオプション。新株予約権!?
悩む理由がわからねぇ~!!!マジで!!ポンジスキームもいいとこだろ!
仮に上場できたとして流通価額の低いゴミ株なんか持ってたってなんの役にも立たねぇし、最終的に株式合併して希釈されるのがオチだ。しかも持株会で買わされるのは目に見えてる。人材派遣会社の株式の価値が上がる要因ってなんなんだ、このAI時代に。
もちろん、Aを引き止めた。大手に行ったほうがいいともそのまま伝えた。が、彼は納得しなかった。彼の言い分は、「社長の人格に惚れた」、「成長する見込みはある」、「自分を認めてくれた」、「頑張りたいと思ってる」など。
今は、頑張れるのかもしれないし、きっとできる。でも1年後は?3年後は?10年後30歳を超えたお前はなんの技能も持たずに転職して別の業界に身を投じたいと「現時点で」考えているのか(そういう趣旨のことを言っていた)?という言葉がでてしまった。言ってしまった。
ああ、言ってしまった。言っちゃだめなのに。本当のことは話しては、いけない。
Aはしばらく考え込み、我々は、楽しい話をし、酒をたくさん飲むことになった。
そのあと電車で各自帰路につき、帰り道が同じAと筆者は散歩がてら話をした。桜の良い季節だった。
そして、AからAの意中の女子と上野に行く計画を聞いた。西洋美術館かなにかに初デートで行くとのことだった。桜の季節の上野の初デート?コロナ解禁のタイミングだったため、混むのは目に見えている。だから、助言をした。
「絶対混むから展示が終わったら速やかに上野を離れろ。飯を上野で食おうと思うな。歩かせたら文句が出る。散歩しながら店を見つけようとするな。地下鉄で移動しろ。バスっていうのも悪くないな」と。さっきも言った。これは、言ってはいけない。言っちゃいけなかったんだ。言い方が悪かったのか?それも、そうだ。とにかく、悪かった。
Aは怒ってしまった。曰く、筆者の「正しい価値観(原文ママ)」を押し付けてくれるな、ということだった。本当に、そうだろうか。
別に、筆者の助言を聞くのはAの義務ではないし、また、それをAが実行に移さなかったところで、筆者は何も思わない。聞き入れられなかったのか、と思うだけで、しかもそれは筆者の自由だ。Aの気にすることではない。さらに言えば、仮に筆者の予想が的中したとしても、それはそれで初デートかくあるべきというやつなのだろうから、それも、味かもしれない。苦みかもしれないが。
Aは筆者に怒りながら言い訳を始め、筆者はそれに真っ向から対応してしまった。いかんせん、二人共酔っていた。Aはそれを認めなかったが(己の適量というやつを知らんのか?)。
そうして小一時間ほど深夜の野外で大声で話し合ったが、トイレに行きたくなった。当たり前だ。春の夜は、寒い。
筆者が「俺、帰るから。もしまた同じことを聞きたくなったら電話してくれ。必ず同じ内容をもう一度言ってやる。何度でも、だ。今日はもう、寒くてトイレの限界だ。」と言ったら、Aは「これは喧嘩別れじゃないんだ!もういい年なんだし!」と漫画で見たような捨て台詞を吐いて帰っていった。
その後、彼からの連絡はない。こちらからも、電話はしない。きっと、恥ずかしいだろうから。風の便りで、行方は知っている。
もう分かっていると思うが、筆者は伝えてしまうのだ。論理的に考えれば当然の帰結や、大人かくあるべき社会人かくあるべきという規範から導かれる「正しい価値観」に基づいてした思考を、伝えてしまうのだ。言い過ぎてしまうというよりも、簡潔に伝えてしまうのだ。言ってはいけないのに。
もちろん、言わずに流すこともできる。今っぽく「へぇ~ そうなんですね~なるほど~いや~わかんないです~笑」みたいに言うのも可能だ。ただ、それは可能だ。友人が痛い目に会おうとしているところに、なぜ、助言してはならないのか。痛みに慣れるのは、あまりよくない。余計なお世話だろうし、たしかに、余計なお世話だ。でも、友人である俺が言わなければ誰が言うんだ?親か?上司か?先輩か?それとも後輩?はたまた八奈見さんみたいなマニック・ピクシー・ドリーム・ガールか?八奈見さんだったら言ってくれる。ケアも、ある。でも、八奈見さんは、現実には、いない。そう、いない。
きっと誰も、言わない。なぜなら、波風が立つから。
彼らからすれば、筆者は「不和を生み出す存在(原文ママ)」らしい。これを居酒屋で言われたときは泣いちゃうかと思った。もう、22の大人なのに。酒が入ってなかったら泣いてたんじゃないかな。それくらいに、悲しい。嘘は、つかない。
多分、彼らからすれば人から何かを言われることそれ自体が、加害性を含むものなのだ。そして筆者は、その意図がないにも関わらず、きっと加害性に溢れている。それは怒られることとか褒められることとかは一切関係ない。自分の世界とそうじゃない世界の区別が全然ついていない。自己免疫性疾患みたいなもので、感受性と言う名のレセプターが過剰に反応しすぎるんだろう。ガラス症みたいな若者で現代は溢れている。そしてそうじゃない奴は、加害性を一見伴わないフェードアウトをされて(実際は加害そのものだ!)、彼らの社会から排除される。確かに、彼らからすれば筆者は脅威で、筆者からしても彼らは異常な世界に住んでいる。関わりはなくても良い。でも、同じ時代を生きているし、同じ時代を生きていた。
「過去に見捨てられたのではなく、過去を見捨てたのだ!」という悪役のセリフがあったような気がするが、筆者は明らかに過去に見捨てられている。過去を捨てはしないが、過去が筆者を排除しており、またそうせざるを得ないのだろう。筆者は過去を懐かしむこともできず、自分の頭の中で改変されたナラティヴを都合のいいように楽しむ不誠実なことを実行する直前のところまで来ている気がする。防衛反応だったとしても、やっちゃだめなことはやってはいけない。でも、やるしかないかもしれない。やってはいけないんだけど、やるしかないかもしれない。許してくれなくてもいい。自分を許す権利は自己にしか存在しないし、また、そうあるべきだから。いや、そうでなくてはならない。俺は俺自身を許す。必ず、必ず