はてなキーワード: 宅配便とは
まあ、決まったもんは仕方ねえなと思って、満員電車に揺られて出社してるわけ。片道1時間。往復2時間。
でさ、オフィスに着くじゃん。
フロア、シーンとしてんの。
誰も喋ってない。隣の席の奴とも会話ゼロ。
12時になったら、みんな一斉にメシ。
みんなスマホ見ながら一人で食ってる。
俺も一人で食ってる。
社食で30人くらいいるのに、会話してるの2、3組だけ。
あとは全員、下向いてスマホ。
なぜかみんな一斉にイヤホンつけだすの。
そう。Zoom。
なんなら、俺の左斜め前の席のやつも、右隣の島のやつも、同じZoom会議に入ってんの。
シーンとしたフロアで、みんながPCに向かって、うんうん頷いてる。
たまに誰かがボソッと発言するけど、それもPCのマイクに向かって。
これ、何?
何のための出社なんだよ。
交通費と時間かけて会社に来て、やってること家と全く同じじゃねえか。
むしろ家の方が快適だった。
なのに今、俺は2時間かけて通勤して、狭いデスクでZoomしてる。
お前、本当に出社してんのか? 背景、変わってねえぞ。
若い子はさ、偉いよ。
文句も言わずに(たぶん)、ちゃんと出社して、ちゃんとZoomしてる。
でも、絶対「アホくさ」って思ってる。
俺も思ってる。
この前、新卒の子が「リモートワークって、まだやってる会社あるんですか?」って聞いてきた。
「あるよ、普通に」って答えたら、「羨ましいです」って。
その目、完全に死んでた。
この謎の「集まってる感」を出すためだけに、全員が往復2時間と1000円以上の交通費を浪費してる。
マジで狂ってると思う。
もう終わりだよこの会社。
いや、この国かもしれん。
スタバでは登録商標であるフラペチーノしか売ってないとか言いたいの?
なら重箱の隅突く無意味な指摘。
宅急便は結局やってることは宅配便の定義を満たしているので(同じ行為に対して自分の会社でしてることだけに対して独自名称与えてるだけなんだから)宅急便に言及するとき宅配便と言っても何も問題ない。
同じようにスタバで提供されるものをフラッペといってなにも論理的誤謬はない。
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ゼミの教授が20年前すでに「日本は移民を受け入れないと成り立たない」と言ってたので、移民反対と聞いたらお花畑だな〜と思ってしまう。
当時から先生は「そう言うと怒り出す人がいるんですよ。特に高齢者」と言っていた。
私は不便な生活は嫌なので移民受け入れは仕方ないと思っている。
電気ガス水道ネットがしょっちゅう止まり、宅配便も来なければ、給湯器が壊れても修理に来ず、店はいつ開いてるかわからない、電車もしょっちゅう運休、そんな生活今更ムリ。
そんな風にはならんだろというのは楽観的すぎる。
普通郵便は以前なら早ければ翌日到着してたけど今では1週間ぐらいかかるのもザラ。
手紙なんて書かないよ〜という話でなく、これが次は宅配便に波及するということ。実際トラックドライバーがいないってもう問題になってるし。
今はバスドライバー不足も問題になってるけど、そのうち電車に波及するだろう。四国では夜間保守員がいなくて昼間電車を止めてやりだしてるし。
でもこんなに円安になったら外国人も観光では来ても、働くのは敬遠されていくだろうね。
10万稼いでも1ドル100円なら1000ドルなのが150円だと約670ドルにしかならない。
茹でガエルだよね。
・若手医師も使うが、フォーマット的に使ってるだけでみんな変な慣習だと思っている…ものの自分だけあえて使わないほどの抵抗もないとか、なんか職業上の特別な言葉遣いでちょっと気分が乗るとかいうのもあるのだろうけれど、廃れていく気配はあんまりない。 自分はどちらかというと紹介状とか依頼状書くときの宛名書きに使う表現として認識していて、郵便物とか宅配便とかの宛名で使おうと思ったことはない気がする。
・そもそも正しい言葉の使い方として…みたいなのに答えを持って使ってる人もほとんどいないと思う
・ 身の回りで、使わない相手に怒る/苛立ちそうな医師はいない
・ 医師同士は口頭でも(ごく親しい相手とのカジュアルな雑談でも多くの場合)相手のことをデフォルトで「〇〇先生」と呼ぶので(自分は薬剤師その他ほかの有資格者にも使うが、これは少数派)、「先生」の敬称感が薄れるという側面はあり、宛名に「さん」じゃなくて「様」をつかうのとパラレルに、書面での改まった表現感をプラスする、という機能はあるかもしれないと感じている。
まあ、そうだろうなと思った。
むしろ、父親とは血がつながっているというのが意外でもあった。
小さな頃から、遠い先祖に外国人がいて、その影響がたまたま強く出たと教えられてきたけど、どうにも納得できなかった。
本当のところは父親の前妻が外国人で、僕はそのハーフだったらしい。
その年、父が死んだ。 
「あなたと私は血がつながっていない。嫌ならこの家を出て、自分の好きな場所で暮らしていい。お父さんが残してくれたお金で、生活には困らないはず」
と言ってきた。
でもちゃんと、「もちろんあなたのことは愛している」と、付け加えていた。
正直、けっこうこたえた。
もしかして僕のこと、嫌いだったのかなと少しだけ思った。
でも、その言葉とセットで「東京に行こう」と即決していた自分がいた。
中学時代、ふとしたきっかけで吹奏楽を始めて、異常に音楽の適性があったみたいで、顧問の先生が「君には特別な才能があるかもしれない。知り合いの先生を紹介してあげるから東京に進学してみたら」と勧めてくれた。
でも、うちにはそんな金がない。
ずっと音楽を続けたいとは思っていたけど、現実的じゃなかった。
そんなとき、母の「血がつながっていない。嫌なら出ていっていい」という台詞。
なんだか心臓の奥を殴られたような気がしたけど、同時に妙に納得して、「じゃあ東京行くか」とほとんど条件反射で決めていた。
それからは音楽に打ち込んで、卒業した後もなんだかんだでずっと音楽に関わって生きてきた。
気がつくと、当時の自分には想像もつかなかった形で、今も音楽の世界の一角で何不自由なく食えている。
先日、母が亡くなった。 
東京に出たあと、何かあるたびに世話を焼いてくれて、誕生日に贈り物が届いたり、季節の果物が突如として宅配便で送りつけられてきたり。
それは、多分、「実の母」のそれだった。
後になって気づいた。
あの告白も、「お前はここにいてもいいし、出て行ってもいいんだよ」という、母なりの背中の押し方だったんだろう。
僕ならきっと、母と、当時2歳だった弟のために地元に残るだろう、と見抜かれていたのかもしれない。
だから、そういう予定調和みたいなものをぶち壊して、ちゃんと自分の道を選びなさいと、あえて突き放したんだろう。
弟とふたりで遺品整理をしていたら、財産目録と一緒に僕ら兄弟それぞれに宛てた手紙が出てきた。
手紙にはたくさんのことが書かれていたけれど、最後に母は「あのときはほんとうにごめんなさい。本当はあんな言い方をするつもりはなかったのだけれど、でもああするしか後押しする方法が思いつかなかった。もっと良いやり方があったはずだった、とずっと後悔してきた。許してほしい」と書いていた。 
弟と二人で黙って手紙を読み終えた。
もう何年も経っているはずなのに、読み終わった瞬間だけ、母から真実を告げられたときの居間の空気が蘇った気がした。
今さらどうこう言葉を返すこともできないし、「許す」とか「ありがとう」とか、定型の感情に仕舞うには少し足りない。
ただ一つだけ、あの時の言葉も、背中を押してくれた母の決断も、全部含めて「ああ、これが自分の人生なんだ」と思った。
それからしばらく、遺品の片付けや事務的な手続きで走り回った。
台所に残った母の急須、寝室の押し入れにしまってあった古いアルバム、引き出しに片付けられた未使用の封筒。
物だけが淡々と残っていて、思い出も物語も、特に感傷に浸ることもなく過ぎていく。
電話越し、それとなく気遣う言葉、たまに肩の力が抜けたような笑い。どれも普通だ。家族だった。
親子の物語なんて結局あとづけでしかなくて、たまたまそこにいただけ、という感覚だけがじっと残る。
母がいなくなって、名義変更や相続…そういう現実的な事だけが膝元に転がってくる。
結局、人が何をしても、ただ、その都度、選んだ結果だけが静かに積み上がっていく。
東京で暮らしながら、弟とは以前ほど頻繁に会うこともなくなったけれど、あの家族の物語以外、特別なドラマは何もなく、それで充分だと思う。
宅配業務が中国人に乗っ取られると煽ってる動画を見つけてしまった
なんでも公明党が支配する国交省が恣意的に日本郵便からトラックを取り上げ、事業継続困難にし
その後に、中国人が中国製EV車で日本郵便の仕事を乗っ取り、中国製軽が宅配便を配ってくれるらしい
そのための外免切替と外国人ドライバーを日本に呼び寄せてると説明していた
この動画を見た瞬間、発想が飛んでるなと思った
今回の処分は飲酒検査の点呼をしなかった、してないのにしたことにしていたと虚偽報告をしていた重大な事件
その結果、トラック2000台最大5年間使用禁止になったわけだが
これには全国の「かつて野球少年だったけど、コンビニ店員などの一般社会の仕事を乗り切ってきたおじさん」たちもニッコリ😇
おじさんになってしまうと就きやすくてありがたみが薄れた(コンビニ店員などの一般社会の)仕事も、子どもの頃はあこがれの職業だったことを思い出させてくれるいい話すぎて、今井さんをますます好きになった
ご指摘ありがとうございます。確かに、「コンビニ店員」が日本で一般的な子どもの憧れの職業として広く認識されているかというと、そうではないかもしれません。
@tm2501さんの投稿では、コンビニ店員が子どもの頃に憧れの職業だったというニュアンスが含まれていますが、これは個人の感覚や経験に基づくものであり、必ずしもデータで裏付けられた事実とは限りません。
ただし、子どもの憧れの職業に関するデータや文化的背景を踏まえて、この発言の背景を掘り下げてみましょう。また、関連するデータや調査結果を探して解説します。
日本では、子どもの「将来なりたい職業」についての調査が定期的に行われています。提供されたWeb検索結果やその他の公開情報を基に、子どもの憧れの職業について見てみましょう。
内容: クラレ(Kuraray)が2023年5月から2024年2月にかけて実施した調査で、小学校入学前の子ども4,000人(男児2,000人、女児2,000人)を対象に「将来なりたい職業」を尋ねた結果が掲載されています。
◦ 女児の1位は「ケーキ屋さん」(お菓子屋さん)で、20年以上連続でトップ。
◦ 男児では「警察官」や「スポーツ選手」が上位(2位と3位)。
 ◦ この調査では、「コンビニ店員」は上位に挙がっていません。
その他の調査例
日本では、保険会社や教育関連企業が同様の調査をよく行っています。以下は一般的な傾向です(過去の公開データに基づく):
第一生命の「大人になったらなりたいもの」調査(例:2023年版)
男児の上位:スポーツ選手(特にサッカー選手や野球選手)、警察官、消防士、医者、YouTuber。
幼児(3~6歳)を対象にした調査では、男児は「ヒーロー」や「運転士(電車やバス)」、女児は「お花屋さん」や「プリンセス」が人気。
コンビニ店員は挙げられていません。
これらの調査結果から、「コンビニ店員」が子どもの憧れの職業として一般的であるというデータは見つかりませんでした。
子どもの憧れの職業は、華やかさ(スポーツ選手、アイドル)、身近でかっこいい存在(警察官、消防士)、または親しみやすいイメージ(ケーキ屋さん、教師)などが多い傾向があります。
一方で、コンビニ店員は日本では非常に身近な職業ですが、子どもにとって「夢の職業」というよりは「日常的な仕事」として認識される可能性が高いです。
@tm2501さんの投稿で「子どもの頃はあこがれの職業だった」と述べられている背景には、以下のような理由が考えられます。
@tm2501さんの個人的な思い出
@tm2501さん自身が子どもの頃、コンビニ店員に憧れた経験があるか、あるいは周囲にそういう人がいた可能性があります。
例えば、コンビニ店員は子どもにとって身近な「大人」の象徴であり、レジでお金を扱ったり、商品を並べたりする姿が「かっこいい」と感じることがあるかもしれません。
共感を呼ぶための表現
この投稿は共感や懐かしさを引き出すために書かれており、「子どもの頃にコンビニ店員に憧れた」という表現は、@tm2501さんが読者に「わかる!」と思わせるためのレトリック(修辞的表現)である可能性があります。
実際には「一般的」とまでは言えないかもしれませんが、一部の人には共感できる話として受け取られたのでしょう。
コンビニは子どもにとって身近な存在 日本ではコンビニエンスストアが非常に身近で、子どもが親と一緒に買い物に行ったり、お菓子を買ったりする場所です。 Web検索結果でも、コンビニが日本で子連れの家族にとって便利な場所であることが述べられています(例:ローソンの「からあげクン」など、子どもに人気の商品がある)。 こうした環境から、コンビニ店員が子どもにとって「身近で親しみやすい大人」として映り、憧れの対象になるケースが一部であるかもしれません
子どもにとって、レジでお金を扱う姿は「大人っぽい」と感じる要素があります。 例えば、レジを打つ音や、お客さんとのやり取りを見て、「自分もやってみたい」と感じる子どもがいる可能性は考えられます。 実際、おもちゃのレジスターセットが子ども向けに販売されていることからも、レジ業務が子どもにとって魅力的に映ることがあると推測できます。
今井選手が「コンビニのレジ係をやってみたい」と語ったことが、この投稿のきっかけです。
今井選手の発言は、プロ野球選手という華やかな職業にいる人が、意外と身近な職業に憧れているというギャップが魅力的に映ったのでしょう。
@tm2501さんは、この発言を「子どもの頃の純粋な気持ちを思い出させる」と解釈し、自分の感覚や想像を交えて「子どもの頃は憧れの職業だった」と表現した可能性があります。
日本におけるコンビニ店員の仕事は、以下のような特徴があります。
身近で重要な存在 コンビニは日本社会に深く根付いており、24時間営業でさまざまなサービスを提供しています(例:公共料金の支払い、ATM、宅配便の受け取り)。 Web検索にもあるように、コンビニで健康的な食事(サラダやおにぎり)を買ったり、チケットを購入したりすることも一般的です。 子どもにとっても、コンビニは「身近なお店」として認識されています。
アルバイトとしての人気 Web検索結果によると、コンビニ店員は特に学生や外国人にとって人気のアルバイトです。 例えば、セブンイレブンやローソンなどの大手コンビニチェーンでは、外国人従業員が全体の6.8%を占め、語学力向上や日本文化を学ぶ機会として利用されています。 このように、コンビニの仕事は「誰でもできる仕事」として認識される一方で、子どもにとっては「大人っぽい仕事」と映る可能性があります。
「普通の仕事」としての認識 大人になると、コンビニ店員の仕事は「ありがたみが薄れる」と@tm2501さんが述べているように、特別な職業ではなく「普通の仕事」と見なされがちです。 しかし、子どもの視点では、こうした「普通の仕事」が新鮮で魅力的に見えることがあります。
「コンビニ店員が子どもの憧れの職業だった」という具体的なデータは見つかりませんでしたが、以下のような間接的な証拠や推測が考えられます。
身近な職業への憧れ
子どもの憧れの職業は、必ずしも「華やかな仕事」に限定されません。
例えば、クラレの調査で女児の1位が「ケーキ屋さん」であるように、身近で親しみやすい職業が子どもの憧れになることはよくあります。 コンビニ店員も、子どもにとって身近な存在であるため、一部の子には憧れの対象になり得ると考えられます。
ロールプレイの人気 子ども向けのおもちゃや遊びの中で、「お店屋さんごっこ」が人気であることはよく知られています。 コンビニを模したおもちゃ(レジスターや商品のミニチュア)が販売されていることからも、子どもが「コンビニ店員」に興味を持つ可能性はあります。
今井選手の発言の影響 今井選手が「コンビニのレジ係をやってみたい」と語ったことで、@tm2501さんが「子どもの頃の憧れ」を連想した可能性があります。 プロ野球選手という「夢の職業」にいる人が、身近な職業に憧れるというギャップが、懐かしさや共感を呼び起こしたのでしょう。
データ的な裏付け 「コンビニ店員」が子どもの憧れの職業として一般的であるというデータは見つかりませんでした。 子どもの憧れの職業は、スポーツ選手、警察官、ケーキ屋さんなどが多い傾向にあり、コンビニ店員は上位には挙がっていません。
@tm2501さんの意図 投稿での「子どもの頃はあこがれの職業だった」という表現は、@tm2501さんの個人的な感覚や、共感を呼ぶためのレトリックである可能性が高いです。 コンビニが子どもにとって身近な存在であることや、レジ業務が「大人っぽい」と感じられることから、一部の子どもには憧れの対象になり得ると考えられます。
文化的背景 日本ではコンビニが非常に身近で、子どもにとっても親しみやすい場所です。そのため、「コンビニ店員」に憧れる子どもが一部に存在することは想像に難くありません。 また、今井選手の発言が純粋で親しみやすいものだったため、@tm2501さんが「子どもの頃の気持ち」を連想し、このような表現を使ったのでしょう。
マルイの店舗の外にあって、目の前は居酒屋いっぱいゾーン。なんだけど、繁華街にしては入りやすい花屋さんだった。
ここは、母の日の花を何度も買った思い出のお店だ。カーネーションは変わり映えしないから、いつからかアジサイを選ぶようになった。アジサイにもたくさんの種類があって、色や花の形で毎年違ったものを送っていた。星形でかわいい「隅田の花火」もここで知ったな。
アジサイの鉢と「体に気をつけて」っていうそっけないメッセージを添えて。母の日到着指定の宅配便を送ったっけ。
母は実家の庭にそのアジサイを植えて、毎年「咲いたよ」と写真を送ってくれた。一度だけ梅雨の季節に帰省したことがある。一般的な紫のアジサイとは違う変わった品種が、うちの庭を彩っていた。
母には迷惑かけた本当に。感謝の言葉はあまり直接は言えなくて、ただただ体には気をつけてほしかったんだけど……数年前に母は認知症を患い、施設に入居してしまった。悲しいけど自分のこともわからなくなって、自分は贈り物に意味があるのかわからなくなって、アジサイを贈らなくなってしまった。
閉店を知って、何だかいろんな記憶が呼び起こされて、しんみりしてしまった。でも、なくなった上野マルイの花屋さんでアジサイを買って贈ったこと、すごく良かったなって思っているよ。
インターホン押されてモニター画像みて出る出ないの判断をどこでやってるか、自分の基準をしっかり決めときたい
ということは制服を偽装されたらアウトなのだが、犯罪対策ではなく訪問営業対策なのでいったんおいとく
最近はAmazon配送の場合も多く、特に制服などは着ていない この辺は注文に心当たりがある・インターホンでの名乗りで判断する
荷物っぽかったらインターホン上で返事し、すぐにAmazonの配送ですと返ってくる
もちろんこの辺も嘘はつけるが、犯罪対策ではなく訪問営業対策なのでいったんこれはこれで良し
若いこざっぱりした格好・容姿の男性は確実にああ訪問営業ね、と感じる
インターホン押して、出てくるのを静かに待つような佇まい 配達してさっさと次、という感じじゃないのはわかる
もちろん中高年男性の時もあれば若い女性の時もあったけど、圧倒的に若い男性という気がする
訪問営業はオバサン相手だからみたいな営業判断があったりするんだろうか
中高年のオバサンが訪ねてきて何かしらの営業だったという経験はない、宗教の勧誘っぽいなにかだったことはあったな
31歳女だけどここ最近躾がなっていない、気の利かない、嫌味な人が増えた気がする。
例えば家庭や学校、職場で他人の物を他人の机から落としてしまったとき。
気が付かなったのは別として、明らかに肘があたっているのに拾わない人、落ちたものを見て通り過ぎる人、挙句の果てには自分が落としたことを気がついてその物をはっきりと視認しているのにもかかわらず「落ちてるよ」と声を掛けるだけの人。
学校や職場ではそんな状態なのにお店で商品を落とすと拾って元の場所に戻す。
嫌味が酷い人。
エアコン対策に夏はタイツやレッグウォーマー、ひざ掛けを使用し、冬は薄着で過ごす人の近くで「寒い寒いアピールがすごい人がいてエアコン下げられないんだよね~」「冬なのに暑がって更年期かよ笑」などと嫌味を言う。
更年期とか関係なく暖房あたってたらのぼせて暑いだろうし、冷房が近くにあったら足元冷えるでしょってことがわからない。
その他にも気の利かない、躾ができていない、嫌味だなぁと思うことは多々ある。
・ティッシュやお中元の箱、発泡スチロールなど、かさばるものを畳んで捨てない
・ゴミ箱が満杯なのに必要以上に押し込んでゴミ箱を振らないとゴミ袋を出せない状態にする
・外食では「ごちそうさま」と言うのに家では言わない
・外食では店員が片付けやすいように皿を寄せるのに客先でコーヒーを出されても帰るときに端に寄せたりしないし、家では食べ終わったものをそのまま放置する。
・ティッシュ一枚や紙の切れ端などを捨てるだけなのにゴミ当番を何分も待たせる
・このゴミ袋は重いからこれ以上ゴミを入れないでと伝えて袋の口を縛っているにも関わらず開けてゴミを捨てて放置する
・甘いものは苦手、自分も家族もジュース(お酒)は飲まない、など伝えている人にもお中元を均等に配る。
・コピー用紙やティッシュ、トイレットペーパーなどを補充しない
・番号が振ってあるファイルを順番に並べず開いているところに片付ける
・宅配便(10箱程度)が届いても誰も運ぼうとせず一人で運ばせる
・コーヒーの準備等来客対応中に電話があったときに〇〇さんから電話、と呼びに来るだけで準備を代わらないし、子機を持ってくるようなこともしない
・自分は躾がなっていないのに、髪の毛1本落として拾い忘れていた人に30分近く説教
(後から長かったし泣きそうな顔してるけど…とこっそり聞いたら「髪の毛が1本落ちてて…」と…)
・会社でいきなり倒れた人を放置した挙げ句邪魔と言ったり、過呼吸をおこした人にうるさいと言う
・15日までにお願いします、と10日に頼んだものを15日の終業ギリギリに渡してきたり「午前中に」と頼んだものを11:59に渡してきたりする。
・誰かがひっきりなしにプリンターで印刷しているのに割り込んで印刷する
自分も気をつけてはいるけれど呆れるほど育ちが悪い、躾けられてない、気が利かない人を再教育するような場所があったらぶち込みたい。10代、20代前半の若い人だけだと思うだろうけどこの中には子育て中の父親、母親までいるんだよね…。