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2026-01-23

anond:20260123190714

そろそろCD-ROMも通じなくなってるぞ

自炊」の由来を知らない人が出てきたんだなあ

これ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/forest.watch.impress.co.jp/docs/news/2079681.html

タイトル違和感。「紙書籍自炊」だと紙の本を自分で作るってことにならんか?

こういうのは定期的に誰かが発信していかないと、いとも簡単に失われてしまうんだなあ

媒体(書籍かどうかは問わない)をスキャナで取り込み電子媒体化する行為を「自炊」と呼ぶ由来は、古くはアーケードゲームの基盤から中のゲームデータパソコンで「吸い出す」行為に由来する

自分で吸い出す」が「自吸い」となり「自炊」になっていった

俺の分かる範囲では2000年代初頭時点で既に定着していた用語だが、アーケードゲームPCエミュレータで遊ぶアングラ文化90年代の終わり頃には既に存在していたので、もしかしたらその頃から使われていた可能性もある

それから少し遅れて、音楽映画アプリケーションなどが記録されたディスク全般(CD-ROMDVD-ROM)をパソコンに取り込む行為も連動して「自炊」となり、やがて元の媒体デジタルアナログわずパソコンデータとして取り込む行為全般」が「自炊」として認知されるようになっていった

なので「自炊」の本来意味である自分食事を作ること」から逆算して考えようとすると、引用元みたいに混乱するんだよな

2026-01-18

anond:20260118125353

続き

PSON PC-486SE

そのうち、世の中はウィンドウ時代突入し、パソコンも16ビットパソコンから32ビットパソコンへと移行していったのである。…といっても、ウィンドウズ3.1は、とっくに発売されていたが、ゲーム世界が未だにDOSベースだったので、それまでは何とかなっていたのであった。が、こう周りがウィンドウズだらけになってくると、流石に不安になって、DOSからの移行を考えざるを得なくなってしまったのであった。

上述のPC-286VEでも、ウィンドウズを試してみたことがあった。そのころは、ウィンドウズは3.0で、フロッピー5枚組という、今から考えればささやか構成であった。当時は、ウィンドウズ3.0対応ソフトほとんどなく、これは試してみるだけで終わったが。

実は、32ビットパソコンへの移行の際に、一つの考えがあったのである。つまりMacへの移行である。当時、Mac世界も変革の時期を迎えていたらしく、小さい筐体が却って可愛らしいマッククラシックカラーマック(多分これでいいんだよな…)が発売されると共に、通常のサイズマックも、そこそこの(ウィンドウマシンと変わらない)価格で発売されるようになっていたのである

しかしながら、相変わらずゲームユーザーであった私は、ゲームソフトのコーナーを一瞥して、やっぱりゲームはDOSベースが多い、とばかりに、ウィンドウマシンを選んだのであった。思えば、ここが運命の分かれ道であった。

まぁ、ウィンドウズがいいかマックがいいかは、今でも議論が分かれるところではあるが、このときマック選択していれば、今の私のパソコンライフは、かなり違ったものになっていただろうことは、疑いのないところではある。

で、購入したマシンは、16ビットに引き続き、EPSONの、いわゆる「ジャケットサイズ」(…といっても、今はもうLPレコードのものマイナー存在であるが…)の小さな筐体がウリのマシンであった。CPUは、486DXの廉価版の486SXで、クロックは20MHzだった、確か。この辺は記憶曖昧。120MBのハードディスクと8MBのメモリが付いていた。一応、ウィンドウズ3.1は動くというスペック

このPC-486SEは、当然のことながら、後にいろいろと手を加えた。

こんな具合に。

サウンドボード追加(メルコ製)

グラフィックアクセレータ追加(メルコ製、サウンドボードに装着するタイプ

メモリ8MB追加して16MBに。

ハードディスク中古で購入した340MBのものと交換。

CD-ROMドライブ追加(メルコ製のサウンドボードに直結のタイプ、2倍速)

オーバードライブプロセッサ(確かIOデータ製)追加して、CPUPentium 75MHz相当に。

ディスク圧縮ツールを購入し、340MBのハードディスクの容量を540MB相当に。

これだけの改造(とはいわないか…)を施し、やっとウィンドウズ3.1が快適に動作するようになったのだ。しかし何ですな、よくこれだけ発展性のない改造をやったものだと、我ながら思う。CD-ROMは、インターフェイスが専用なので使い回しができないし。

因みに、CRTは、グラフィックアクセレータを追加するまでは、8801の頃から使っていたNECのPC-854Nを使っていた。アクセレータ購入後に、CRTがマルチスキャン対応ではないことに気づき、CRTを買い換える。ソフマップブランドの、Susteenのものでした。安い割には結構画質が良かった。

ウィンドウズ3.1にしてからインターネット接続も始めた。最初は何がなんだか分からなかったので、接続ソフトは、取り敢えずインターネットオフィスという、パック品を使用接続は、スムーズであった。付属ブラウザは、今や懐かしい「モザイクであるモデムは友人から譲り受けた14,400bpsのものだったが、このころはこれで十分なのであった。

ホームページもこのころから作り始めた。かねてから懸案のFrank Zappaのページ作りを始めるに当たり、ジャケット取り込みのためのスキャナを購入。このころは、真裸婦ラットベッドの製品は非常に高価であったので、ハンディタイプのものを購入。LPジャケットを8回に分けてスキャンし、付属の合成ソフトで合成するという、涙ぐましいものであった。

このPC-486SEでも、ゲームはずいぶんとやった。でも、以前ほどたくさんはやっていないのだな。

同級生

上述したELFの「同級生」の続編。こちらの作品は、「兄と妹」という設定で大ヒットしたという記憶がある。前作のシステムやノリをそのまま引き継ぎ、内容をさらに充実させた、名作。

メルクリアスプリティ

ホムンクルス妖精)を育てて人間にするという、育てものゲームキャラデザが、イラストレーター中村博文(どじ)氏だということで購入。そこそこやったが、何故か私が育てるとみんな悪魔になってしまい、そのうち断念。

…印象に残っているのは、このくらい。この時期は、ゲームスパーファミコンを中心にプレイしていたような気がする。パソゲーが少ないのはそのせいかな。

自作DOS/Vマシン

さて、ここでウィンドウズ95の発売となるのだが、EPSONがEPSOパソコン対応ウィンドウズ95の店頭販売を断念し、注文販売だけにしてしまったので、これは先が無いことが判明してしまった。新規パソコンを買う予算も、早々には調達できない私は、しばし呆然とし、どうしようかと思いあぐねたのだった。

1.メーカー不詳MB

そのとき、天の導きかはたまた悪魔の誘いか職場の先輩から、1枚のマザーボードが私の下へ転がり込んだのである。この1枚のマザーボードを発端として、今に至るまでの私のパソコン自作時代パソコン大散財時代へと突入するのであった。

この譲り受けたマザーボード製作した最初システムは、以下の通り。

MB(Mother Board):メーカー不詳、P54C対応マザー

CPU:Pentium 120MHz

RAM:EDO-RAM 32MB(16MB×2)

HDD:Quantum FB1280(1.2GB)

SB(Sound Board):Sound Blaster互換バルク品

Graphic Card:Canorpus PW-3DV

FDD:Mitsumi 2mode

CD-ROM:Mitsumi バルク品、4倍速

以下は、PC-486SEのころのもの継続して使用している。というか、このころは、PC-486SEも併用して使っていた。

Printer:HP DJ-560

Modem:Microcore 28.2kbps

CRT:Susteen 15inch

とにかく安く上げようとして組んだ結果がこれである。ま、最初にしては上出来だったのかもしれない。

確か、このシステム半年くらいは稼働させていたと思う。

2.GIGA-BYTE GA586HX

で、そろそろこのシステムでは物足りなくなり、もう少し上のシステムに組み替えようと思い立ったわけである

さらに、ホームページ作りに役立てようと、スキャナを購入したのも、このころかな。

MB:GIGA-BYTE GA586HX

CPU:Cyrix PR166+ (Clock=133MHz)

RAM:EDO-RAM 64MB(16MB×4)

HDD:Quantum FB1280(1.2GB)

SB(Sound Board):Sound Blaster互換バルク品

Graphic Card:Canorpus PW-3DV /VRAMを4MB増設ビデオキャプチャ機能増設

FDD:Mitsumi 2mode

CD-ROM:Mitsumi バルク品、4倍速

SCSI:Tekram DC-390

Scanner:EPSON GT-5000wins

Printer:HP DJ-560

Modem:Microcore 28.2kbps

CRT:Susteen 15inch

MBにGIGA-BYTEを選んだのは、メーカー名が気に入ったのと、当時大攻勢だったASUSのものは使わないというコンセプト(?)からである。それと、SIMMのスロットが6本あるというのも、魅力であった。結局、SIMMは4本しか使わなかったが。これは、RAMマッピングするTAG RAM増設億劫がったためであるTAG RAM増設しないと、64MB以上のメモリ空間に対してアクセスが遅くなり、全体的にパフォーマンスが悪くなるらしいのだ。

さらに、このシステムに対して、CD-Rドライブ増設ヤマハのCDR-400t-VKである。I/Fは、SCSIである。このころから音楽製作関連にも大散財時代が訪れたのであった。

CD-Rを使って、現在も続いているPSY-DOLLというバンドCDを焼きまくったのであった。当時は、CD-Rの原盤の質もそれほど良くはなく、結構エラーが発生して板を無駄にすることが多かった。

この後、システムは急速に変遷を続け、私は、大散財を続けるのであった。

1999/05/05現在システムは、下記の通り。

MB:DCS S7AX

CPU:AMD K6-2 400MHz

RAM:DIMM PC-100/CL2 192MB(64MB+128MB)

HDD:Quantum FB CR8(8.4GB)

SB:Sound Blaster Live!

Audio Card:emagic Audiowerk8

Graphic Card:Creative Labs Graphics BLASTER/RIVA TN

CD-R:YAMAHA CDR-400t-VK

CD-ROM:Mitsumi バルク品、4倍速

FDD:Mitsumi 2mode

SCSI:Adaptech AHA-2940AU

Scanner:EPSON GT-5000wins

Printer:HP DJ-560

Modem:AIWA PV-BW5605

DISPLAY:MITSUBISHI RDT141X(LCD)

PC履歴(~1999年

フォルダを漁っていたら、1999年5月に書かれた、自分PC履歴が発掘されたので、貼り付けてみる。

特に面白いものではないけども。

私のパソコンHistory

なんだかんだ言って、私がパソコンを使うようになってから、10年近く経ってしまったのであるプログラムを組んで実行できる最初マシンは、高校ときに購入したCASIOのプログラム電卓FX-502Pであるが、これはあくま電卓であり、パソコンとは多少趣を異にするものであった。

パソコンとして最初に購入したのは、NECの8ビットマシンPC-8801MA2であり、完全なるゲームマシンであった。以下、16ビット時代突入してEPSON PC-286VE、32ビットマシンのEPSON PC-486SEと続き、とうとう自作DOS/Vマシンをメインのマシンにするようになってしまうのであった。

これから、私のこのしょ~もない足跡を辿ってみたいと思う。PC-8801MA2~PC-486SEの項には、そのときハマったゲーム感想なども記してある。暇な方はこちらもどうぞ!?

そもそもの始まり

小さい頃から電気電子関係が好きで、親にマイキット(パネル上にトランジスタとか抵抗コンデンサなどが並べられており、スプリングになった端子にコードを挟んでそれらを繋いで回路を作る)や電子ブロック(透明なブロックトランジスタ抵抗などが入っており、ブロックボード上に配置して回路を作る)などを買ってもらい、それでラジオなどを作って遊んでいたのである。マイキットでラジオを作り、夜中にこっそりと深夜放送を聞いていました。(^^;

アマチュア無線免許なども取ってみた。

因みに、私がアマチュア無線免許を取得したのは、小学生ときである。これは、ちょっと自慢してもいいと思う。

当時、「初歩のラジオ」とか「ラジオ製作」、「電波科学」などの雑誌をよく読んでいたのだが、流石に、中学生の私にはディジタル回路は難しく(というよりも、何をするためのものなのか、イマイチ理解できなかった)、ボードマイコンTK-80などに手を出すには至らなかった。

まぁ、何しろ当時は、マイコンといっても論理回路動作から入る必要があったので、当然といえば当然であろう。

カシオ FX-502P

そして、関数電卓などをいじくり、「このキーとこのキーを同時に押すと変な表示になる!?」などと遊んでいた私が、最初に手にしたコンピュータらしきものは、カシオプログラム電卓FX-502P」である

これは、512ステップまでのプログラムが組めるというもので、ちゃんと「GOTO」キーや「GOSUB」キー、「LABEL」キー、条件判定を設定するキーなどが用意されていて、結構本格的なものでした。レジスタも10個使えた。ランダムに数値を出力するキーも付いていたな。

プログラムライブラリ(本ですが)なども付いてきていて、掲載されている通りに打ち込むと、科学計算をやったりゲームなどを楽しむことができた。もちろん、プログラムを外部に記録しておくこともできたのだ。オプション必要だが(買った)、普通ラジカセなどを使ってカセットテーププログラムを記録するのである

あと、FX-502Pでは、キーに4分音符や16分音符などが割り当てられていて、短音だが楽曲を打ち込むこともできた。上述のオプションを利用して、ラジカセなどで鳴らすのである

因みに、このFX-502Pは未だに現役で動いてます

NEC PC-8801MA

学生時代は、ビンボーだったせいもあって、パソコンには縁がなかった。友人宅でシャープのTurboIIIなどでゲームをさせてもらうのが関の山なのであった。

で、就職して最初に購入したパソコンが、NECの8ビットパソコンの最終形態ともいうべきPC-8801MAである

当時は、既に16ビットパソコンPC-9801Vm2なども発売されていたのだが、私の選択したのは8ビットマシンの「ハチハチ」なのであった。何故か?

それは、パソコンゲームがしたかたかである。当時は、違法行為に限りなく近いレンタルソフト屋が横行していて、ゲームソフトなどが比較的安い価格で入手できた(ソフト毎のパラメータファイルコピーを行うFile Masterは必需品)。また、ゲーム市場も8801主体であって、9801用のものはごく少なかったのである

とにかく、とても全部やりきれないくらい、ゲームを借りまくった。

その中で、印象深いゲームを、記憶を頼りに書き綴ってみよう。

マイト・アンド・マジック

何を隠そう、私が8801を購入して、最初に買ったゲームがこれである。何で、最初からこんなに難易度の高いゲームを、と疑問を持つ向きもあろうが、要するに、当時はパソゲーなるものが全く分かっていなかったのであるしかも、あろうことか、購入時には、アクションRPGの先駆け的存在であるソーサリアン」とこの「マイト・アンド・マジック」を天秤に掛けていたのである

世間では、「クソゲー」との評価一般的であるが、私は、このゲームは名作であると信じている。とにかく、世界存在していて、プレイヤーはその世界に住むところから始まるのであるストーリーは、最初は与えられず、発見したものけがストーリーに参加できる。しかし、ストーリーに参加しなくても、とにかく世界が広大・深淵なので、アイテム探しやダンジョン探検だけでも、十分堪能できる。私は、後述する16ビットパソコン時代まで、約3年以上もこのゲームにお世話になったのである

アンジェラス

ドラクエシリーズで有名なエニックスアドベンチャーゲーム(AVG)。

不気味な感じが大変心地よい秀作。本作では謎を残したまま終結し、後に「アンジェラス2」が発売されるが、時期を完全にはずしていたし、余り面白くなさそうだったので私はやっていない。

水龍士1,2

今はHゲーのメーカーになってしまった、しゃんばらのRPG。私の大好き(だった)漫画家松田紘佳がキャラデザ他を手がけている。音楽もこの人だったな。もしかすると、「2」は後述のPC-286VEでプレイしたのかもしれない。海が舞台の、異色のRPG。とにかく海なので、3次元的に自在に移動できるのがミソ。階段を使って他の階へ移動する一般的ダンジョンとはひと味違うのである

ストーリーも大変感動的なもので、キャラデザも秀逸であった。

ただ、惜しむらくは、これは私がコピー品でプレイしていたから良くないのであろうが、2作ともエンディングを見れなかったことだ。

1作目では、「ピー」とビープ音がしてゲームハングアップ。2作目では、たぶん最終場面であろう画面から1歩も進めず、アウト。

今あったら、正式に購入して再度挑戦してみたいゲームではある。

カオスエンジェルス

かのアスキーが発売していた、Hゲー。ダンジョンを歩き回るRPGである

このゲームは、とにかくノリが非常によく、テンポが軽快で楽しいゲームであった。ゲーム自体は、6階+αの「ウロボロスの塔」を探検して、秘密を探るというもので、出てくるモンスター女の子で、ダメージを与える度に女の子が1枚ずつ服を脱いでいくという、他愛もないものである

このゲームをして最初に驚かされたのは、グラフィックの描画の早さである何だかんだ言っても、8ビットパソコンであるので、当時のゲーム特にグラフィックを強調したゲームでは、描画に恐ろしく時間がかかった。一枚の画像を出すのに数秒、ひどいものでは、数十秒、なんていうのもあった。

そんな中で、この「カオスエンジェルス」は、とにかく、一瞬で画像が描き換わった。これは、当時ではとても新鮮なことであった。

また、そのBGMもとても斬新で、簡単なFM音源を使いながら、とてもハイセンス雰囲気を醸し出していたのだ。音楽の秀逸さでは、水龍士といい勝負かもしれない。

しかし、このゲームの最大のポイントは、「洒落っけ」にあると思う。ダンジョンの壁に、前に探検した人の落書きがあって、これがまた奥が深く面白い。この落書きゲームのヒントにもなっているのだが、関係のない落書きもあって、これを探すだけでも、結構楽しめた。

うる星やつら」のゲームタイトル忘れた)

当時、特にスタジオピエロ系のキャラクターものゲームを数多く出していた、マイクロキャビンのAVG。マイクロキャビンでは、この後も、「めぞん一刻」や「気まぐれオレンジロード」などのキャラゲームを続々と発売していた。

このゲームは、少年サンデーに連載されて、アニメ化もされ一世を風靡した、高橋留美子の同名の漫画うる星やつら」をゲーム化したものである

ゲーム内容は、確か、面堂家の誰か(終太郎か、了子か、どっちか忘れた、たぶん了子だ)の誕生日に招待されたお馴染みのメンバーが「迷路」を探索しながらゴールにたどり着くというものである。何かのイベントを経る毎に、時間が経過していき、それにより結果が変化するというのと、途中の行動で結果が変化するということで、数種類のエンディングが用意されていたように思う。

マルチエンディング時間概念は今でこそ珍しくもないが、当時では結構画期的なことであったのだ。

リップスティックアドベンチャー

フェアリーテール(ELF)の伝説的名作AVGである。確か「2」もあった。フェアリーテール(ELF)のAVGは、何かこう、独特の雰囲気があって、それが私は非常に気に入っていた。なんていうか、どことなく寂しげな感触というか、ちょっと空虚な感じとでもいおうか。キャラクターや展開、秀逸なBGMなどが、この雰囲気を醸し出しているのだ。

フェアリーテール(ELF)のAVGは、この他にも相当やった。「ELLE」なんかは、最後どんでん返しが強烈でした。

そのほかにも、いろいろゲームはやったが、とんでもねーゲームを一つだけ…

番外:世紀末美少女伝説

これは、要するに当時大流行の「北斗の拳」のパロディーHゲーである

ゲーム内容がくだらないのもさることながら(あまりにくだらなすぎて、ケンシロウのようなキャラが出てくること以外、忘れた)、その作りがとにかく凄い。

これは想像だが、このゲームは、おそらくN88-BASICで組まれている。なぜなら、まず、ストッキーゲームが止まってしまう。そして、そのとき、画面の左上隅に「>C^」が出る(分かる人には分かるね!?)。

そして、NECの8801,9801シリーズパソコンには必ず付いていた、画面のハードコピーを取るキー「COPY」を押すと、押したときに表示されている画面をプリンタ印刷することができる。

なんか、「流行から適当に作って一発当てよう」という意図の見え見えなゲームでありました。

PSON PC-286VE

…そうこうしているうちに、8ビットパソコンは衰退し、ゲームソフトも発売されなくなって、世の中は16ビットパソコン時代へと、大幅に突入したのだった。

そこで購入したのが、NECではなくて、EPSONのパソコンなのである。ここいらへんに、私の偏屈さがにじみ出ていますね~。(^^;

パソコンに金をかけだしたのも、このころからである。…まぁ、8801じゃあ、金をかけようにもかけるところがないですが。(^^)

先ずメモり。1MB(!)のメモリを積んだ。

今ではもう信じられないが、当時は、1MB/1万円がメモリの相場であった。しかも、メモリをパソコンに組み込むには面倒な設定がいくつも必要で、さらに、汎用のスロットを一つ占有してしまうのだった。また、今でこそ、SIMMとかDIMMとかいって、大容量がコンパクト収納されているが、当時は、たとえ1MBでも、12cm角くらいの基板にチップがびっしり載っていたのだった。

それでも、1MBあると無いとでは、雲泥の差があった。

そして、ハードディスク。奮発して40MB(!!)を買った。

これも、今ではもう信じられないが、当時は、例えば40MBで8万円位した。しかも専用のインターフェイスが要る。これでまたスロットが一つ埋まったのであった。

でも、当時のソフトは、40MBでもお釣りが来るくらいの容量だったんだよね~。

あと、このマシンからパソコン通信を始めた。当然NIFTY Serveから

当時は、WTERMを使い、通信速度も2400bpsであった。50kBの画像ダウンロードするのに何分もかかり、さらにその画像を表示するのに何分もかかった。大変な時代であった。

このPC-286VEは、後に友人の手に渡り、そこでVRAM異常が発生してお亡くなりになってしまいましたとさ。合掌。

このマシンでも、ゲームはずいぶんとやった。中で、印象深いものをいくつか紹介しようと思う。

マイト・アンド・マジック

上述したものと同じである。当然、続きではなくて、新規に始めた。やはり8ビットのものと比べて速い。何しろ、8ビット版は2DDのディスク4枚組で、地上、ダンジョン、城、と場所を変える度にディスクの入れ替えが必要だった上、そのたび毎に、システムディスク書き込み(1分くらいかかった、マジで…)をしていたのだ。それがなくなっただけでも、快適である。ただ、8ビット版の頃はあったBGMがなくなってしまったのは、ちょっとしかったが。

プリンセスメーカー

いわゆる「育てゲー」の元祖存在

なかなかハマった。各エンディングも味わい深いもので、30数種類あるといわれているエンディングを20数種類まで見て、飽きてやめた。プリンセスと謎のエンディングは見ていない。けど、いいや。

ドラゴンナイト1~5

これもELFのゲームで、RPGである

「1」と「2」は、3Dダンジョンもの。当時は3Dダンジョンでさえ珍しかったのに、Hゲーで3Dダンジョンというのは、相当なインパクトがあった。ゲーム的にもよく練れており、ダンジョンの仕掛けも良くできていた。Hゲーという観点排除して、単にゲームとしてみた場合に、非常に完成度の高いゲームであった。

「3」は、確かドラクエタイプの2DのRPG。「4」は、ダンジョンに戻ったのだっけかな?この辺はあんまり印象にないのだな。「5」は、私の大嫌いなシミュレーションで、遂にエンディングを見ることができなかった。…と言うよりは、途中でつまんなくって止めた。「4」と「5」は、多分、後述のPC-486SEでやっている。

同級生

これは、今更説明するまでもない、ELFが世に放つ名作中の名作。このゲームが今までのゲームの流れを一気に変えたといってもいいでしょう。味のあるキャラクタ(しか大勢!)に、深みのあるストーリー。それぞれが練りに練られたマルチエンディング。とってもシビア時間概念。所持金の存在も内容に深みを与えています

さらに、複雑なフラグ制御がすばらしい。よくあれだけの条件設定をして、ゲーム破綻しないものだ。

そして、何より高校最後夏休みという、絶妙のセッティング

とにかく、この「同級生」は、何遍やっても違った展開になるし、違った楽しみ方ができるゲームという、画期的ゲームでした。

このゲームは、マニュアル本見ない方がいいと思う。

後に「2」も出て、共通するキャラクタも出演している。私は、「2」は後述する32ビット版でやったのだけれど、その面白さは全く失われてはいませんでした。恐るべし、ELF。

PSON PC-486SE

そのうち、世の中はウィンドウ時代突入し、パソコンも16ビットパソコンから32ビットパソコンへと移行していったのである。…といっても、ウィンドウズ3.1は、とっくに発売されていたが、ゲーム世界が未だにDOSベースだったので、それまでは何とかなっていたのであった。が、こう周りがウィンドウズだらけになってくると、流石に不安になって、DOSからの移行を考えざるを得なくなってしまったのであった。

上述のPC-286VEでも、ウィンドウズを試してみたことがあった。そのころは、ウィンドウズは3.0で、フロッピー5枚組という、今から考えればささやか構成であった。当時は、ウィンドウズ3.0対応ソフトほとんどなく、これは試してみるだけで終わったが。

実は、32ビットパソコンへの移行の際に、一つの考えがあったのである。つまりMacへの移行である。当時、Macの世界も変革の時期を迎えていたらしく、小さい筐体が却って可愛らしい Permalink | 記事への反応(1) | 12:53

2026-01-05

anond:20260104181004

あー、あるある!

Yellows見たいがためにCD-ROMドライブ買っちゃったもんなww

当時けっこう高かった。7万円くらいしたような...

2025-12-10

ひさしぶりに「特打」がやりたい

Flashキーボード練習ゲームなんだけど。

さすがにもうCD-ROM版は売ってないか。。。

2025-10-13

飯野賢治」を理解するには当時のゲーム雑誌文化についても理解する必要がある

[B! 人生] 飯野賢治はいつ “クリエイター飯野賢治”を演じ始め、そして演じることをやめたのか?飯野賢治生誕55周年トークライブから見えたこと【飯野賢治とは何者だったのか】 | Game*Spark - 国内海外ゲーム情報サイト https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.gamespark.jp/article/2025/10/11/158293.html

kuruse_haya 飯野賢治は当時のゲーム雑誌でのインタビュー記事が圧倒的に面白かったんだよね。ゲームは二流・三流なんだけど。だから飯野賢治を語るには彼のゲーム作品ではなく当時のゲーム雑誌から語る必要があると思う

トップブコメのこの意見、まじでそうなのよ。

飯野賢治理解するには当時のゲームメディアを知る必要がある。

90年代日本雑誌文化の最盛期( https://current.ndl.go.jp/ca1697 によれば1996年に1兆5,984億円。この年は『エネミー・ゼロ』の発売年だ)で、もちろんゲーム情報ゲーム雑誌から入手するのが主流だった。セガサターンに限っても、ソフトバンクの『セガサターンマガジン』、徳間書店の『サターンFAN』、毎日コミュニケーションズの『グレートサターンZ』、メディアワークスの『電撃セガEX』/『電撃セガサターン』、さらCD-ROM付きのアスキー『TECHサターン』があった。

飯野ゲームスタークリエイターであったが、まずなんといってもゲーム雑誌におけるスターであった。

 

SFC時代まではゲーム雑誌でおなじみの人気クリエイターといえば、堀井雄二糸井重里さくまあきら広井王子といったフリーランスの人が多く、ゲーム会社所属しながら彼らと同等レベルで扱われるのは、宮本茂坂口博信といった上澄みも上澄みの人間に限られていた。SFC時代までに岡田耕始と金一馬が『ファミ通』に揃って登場した回数は2度しかない(それも他の人間を加えた座談会形式のものであった)。メガドライブ以前のセガハード専門誌を読むと驚かされるのだが、中裕司鈴木裕クラスですら滅多に誌面には登場しない(PCエンジン専門誌だと割とハドソンの人が出てたりはするのだけれど)。

 

ゲーム雑誌においてゲームクリエイター露出が広まったのはPS1時代というのは間違いないだろう。

――他に音楽業界手法で言うと、クリエイタークレジットちゃんと出す流れも、丸山さんのときに生まれものですよね。

 

川上氏:

 当時は、みんなゲームクリエイター名前は隠していましたからね。

 

丸山氏:

 でもさ、レコード映画クレジットを作るのが当たり前だし、あれば頑張る気になるじゃない。それに名前を隠すのはそもそも自然だし、親しみも湧かないでしょ。だいたい、高橋名人【※】みたいにプレイヤースターがいて、クリエイタースターじゃないというのはヘンじゃない。だからメーカーはみんな嫌がったけど、「名前を出した方がプロモーションやすいよ」と説得したんだ。

 

高橋名人

1959年まれゲーム関係者本名高橋利幸ファミコン全盛期にハドソン(現・コナミデジタルエンタテインメント所属ファミコン名人として一世を風靡した。ゲーム機のコントローラボタンを1秒間に16回押す「16連射」が有名。

 

 実際、これは有効なんだよ。だって普通に紹介したら雑誌で2ページ程度しか取れない作品でも、クリエイターが登場して苦労話を喋って、カメラに向かってポーズでも取ってくれたら、もう5ページくらいに露出が増えるわけ。どんどん可能なことが増えていくんだよね。

 

――つまり音楽プロモーションの「人を立てていく」手法を持ち込んだということですか?

 

丸山氏:

 そうそう。で、クリエイターには「ミュージシャンは顔出してやってるから、どこ行ってもモテるんだぜ」と教えてまわった。

https://news.denfaminicogamer.jp/interview/ps_history/3#i-2

 

PS1では現在でいうところのインディーゲームのようにいろいろな変わったゲームが登場し、フロム・ソフトウェアをはじめとする聞いたこともない会社ゲームを出すようになり、そして専門誌ではページを埋めるために開発者インタビューを大々的に載せるようになった。そうやってソニー・マガジンズの『ハイパープレイステーション』に頻繁に取り上げられていたクリエイターの一人が(セガサターン移籍前の)飯野賢治だった。

 

飯野賢治のなにが良かったか。まず見た目がインパクトある。ほかのゲーム開発者いかにも会社組織所属するサラリーマンオタクのような風貌のなか、巨体かつ長髪で眼光が鋭い。そして話すことが面白い。しがらみなく同業他社ゲーム言及するし、『ファミ通』のクロスレビューのありかたも批判する。ゲーム雑誌なのにビョーク坂本龍一の話をずっとしてたりする。セガサターン移籍前なのになぜかセガサターン専門誌で連載記事を持ってたりする。FMラジオMCもやっていたし、大阪ではピエール瀧と一緒にゲームバラエティ番組もやっていた(これ結構面白かった記憶あるんだけどネット動画上がってるの観たことないな)。『ゲーム批評』にいたっては飯野賢治だけの別冊号を出した。あと飯野賢治奥さんゲーム雑誌に連載コラムを書いていた。

彼はトリックスターとして面白かったし、次々に新しいなにかを起こしてくれるという期待があった。勢いのある深夜ラジオパーソナリティや、現代ならばSNSインフルエンサーのような受容をされていたといえば伝わるだろうか。

 

飯野ゲーム雑誌への露出が極まっていたのが『リアルサウンド風のリグレット〜』のときだった。映像のない音声だけのゲームである同作では、画面写真が使えないものから、そのぶん誌面を文字で埋めるしかない。だから飯野インタビューに登場する。ほかのゲームがせいぜいゲーム紹介記事1P+開発者インタビュー1Pという構成であったりするところを、『リアルサウンド』は飯野インタビューが2Pまるまる載る。そしてそれが毎号続く。もはやハックと言っていいだろう。誌面埋めのために飯野インタビューを取る→宣伝になるから飯野インタビューに出る→読者ウケがいいからまたリアルサウンド記事が載る、というサイクル。『セガサターンマガジン』は一時期は刊行ペースが週刊になっていたものから、誌面を埋められる人材は重宝されまくった。

 

いま飯野賢治を振り返ろうとすると、どうしても成果物ゲーム)をとっかかりにしてしまうが、あの時代における飯野賢治の受容を理解するには、それよりも当時の『ファミ通』、『ハイパープレイステーション』、『セガサターンマガジン』、『ゲーム批評』を読むほうがいいんじゃないのという話。

 

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参考までに1990年代ソフトバンクセガハード専門誌からスタッフインタビューリストアップしてみた。32ビット(64ビット級)時代になった途端に開発者が一気に表に出てくるようになったのがわかるだろう。

Beep!メガドライブ 1993年12月

バーチャレーシング - 永田浩一(セガ

ファンタシースター ~千年紀の終りに~ - 小玉理恵子、津川一吉、西山彰則(セガ

矢野一隆(セガファルコム

重田守(セガ

 

セガサターンマガジン 1996年12月27日号(エネミー・ゼロ表紙)

ファイターズメガミックス - 片桐大智、片岡洋、光吉猛修セガ

エネミー・ゼロ - パーラム飯田和敏(※開発者ではない)

デイトナUSA CIRCUIT EDITION - 瀬上純、澤田朋伯(セガ

サイバーボッツ - 醤野貴至、澤田悦己(カプコン

ときめきメモリアルSelection藤崎詩織 - 流石野考(コナミ

新世紀エヴァンゲリオン 2nd Impression - 小林正英、茂木幸樹(セガ

意見無用 - 池袋サラ、新宿ジャッキーブンブン丸、柏ジェフリー

天外魔境 第四の黙示録 - 広井王子森本レオ桜井智

シャイニング・ザ・ホーリィアーク - 高橋宏之ソニック

EVE burst error - 藤田正人、野口征垣(シーズウェア)、鈴木達也イマジニア

佐々木建仁セガ)×後藤友恵、片平貴子レースクイーン

電脳戦機バーチャロン - 亙重郎セガ

セガサターンワープロセット - 大鹿敏宏(光栄)、中村憲二(エルゴソフト

センチメンタルグラフィティ - 為我井徹

サクラ大戦 - 田中公平牧野幸文(セガ)、原太郎ティーズミュージック

セガスキー スーパーG - 菅原誠(セガ

ラストブロンクス - 山下信行(セガ

電脳戦機バーチャロン - 亙重郎セガ

Digital Dance Mix Vol.1 - 安室奈美恵 鈴木裕セガ

スカッドレース - 名越稔洋宮本英明西村英士(セガ

 

Dreamcast Magazine 1999年12月31日号(D2表紙)

小島弘和、荷宮尚樹(セガ

シェンムー 一章 横須賀 - 松風雅也安めぐみ、岡安啓司(セガ

電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム - 小林健太郎セガ

クレイジータクシー - 菅野顕二(セガ

スペースチャンネル5 - 水口哲也セガ

セガ ソフト7研 - 大場規勝、小玉理恵子、伊藤知行、瓜生貴士、大原徹、西山宗弘、松浦剛、西野陽

プロ野球チームで遊ぼう! - 瀬川隆哉、地宏之加藤真樹、石原学(セガ

Dの食卓2 - 飯野賢治ワープ

ROOMMANIA #203 - 牧野幸文、佐々木朋子(セガ

東京バス案内 - 泉麻人

ベルセルク 千年王国の鷹篇 喪失花の章 - 平沢進

爆裂無敵バンガイオー - NON、MURATA(トレジャー

央華封神 央華咲きし刻 - 金月真美田沼雄一郎

お・と・い・れ - 中村立行(ワカ製作所)、光吉猛修(※開発者ではない)

2025-10-02

anond:20251001142227

増田がどういうバックグラウンドの人か知らないから、一応IT界隈でずっとやってきた人間から言わせてもらうとだね。

まず、日本人って物理ブツを作るのが得意なんよ。

から増田の言ったCD-ROMとかCD-Rとかが覇権取ったのはそういうこと。

MIDIローランドが作ったようなものなので、まあ、日本人が作ったと言ってもいいだろう。

フィーチャーフォンも、最後の方はKDP+とかでぐらついたけど、やはり物理ブツという意味では良い仕事してた。

ところが、風潮が変わったのはiPhoneショックだよね。

スマホが浸透してから、あらゆるものをある程度企画化されたデバイス上で、

ソフトウェアで何かを実現する、っていう方向に変わってしまった。

そのほうが効率良い面が多かったから。

そうなると、それまでブツを作ってた奴らは、プログラミング言語を覚えないといけなくなる。

プログラミング言語英語ベース。また、抽象化されたシステム理解必要になる。(物理の要素が限りなく少なくなる)

日本語って、英語からは一番遠い言語って言われていて、

例えばアメリカ外交官が赴任先の言語を学ぶ研修で、日本語が一番研修期間が長い。

まりそれだけ、我々はプログラミング言語を学ぶのに不利なのだ

から理屈で言えばアメリカ人やイギリス人が一番有利で、その次にヨーロッパ語圏とかが有利になる。

(それでも知人のロシア人プログラマーは、アメリカ人の方が有利だよな、と愚痴をこぼしてたが)

ここで中国が強いっていうのは2つあると思ってて、

1つは人口の多さ。母数がデカければ、それだけ技術者も多いし、有能な奴も絶対数が増える。

次に、言語漢字文化だが、文法や構文の構成英語に似ているので、

日本人よりは英語学習のハードルが低い。

と金門に囲まれて入るものの、深圳ハードウェアの産地が近いのも有利だと思う。

イランの状況は知らんけど、国際的孤立してるから、そりゃ自国産業の育成も必死だと思う。

戦闘機なんか、アメリカヨーロッパの機体をコピーして自前で改良するぐらいだから

そもそも工学ベースは高いんよ、あの国

日本2008年以降の状況で言うと、まさにこの物理メカだけで戦えてた時代の終わりだと思う。

いつぞやのテレ東ニュースで、アメリカIT評論家が「日本デジタルサービスは、BtoCはたくさんあるが、BtoBに見るべきものがない」

辛辣コメントを残していた。

でも、それはしょうがない。BtoBはもうMicrosoftに焼き尽くされてしまった。

あとは、日本の商習慣に合わせてカスタマイズするSaaSしか残らない。

日本中途半端大国から国内マーケットで満足しちゃう、ってのもある。

日本から世界通用するものが出てないと増田はいうが、

逆にアメリカ以外のデジタルモノで、他の国から出てるものある?

まあ、ないよ。GAFAMNも全部アメリカ会社やん。

せいぜいインドZOHOぐらいかな?

なんせ、漢字ひらがなカタカナがあって、変なマナー因習、複雑な帳票が大好きな国が、

それらで思考したものを、一旦英語に変換してプログラムを書いてくって、

そんなのアメリカ英語ベースで考える奴らと比較したら、数倍も差が開くのは自明なんよ。

もっとも、国が厳しい規制をしなかったから、今の楽天とかヤフーLINEとか使えてる、ってのはあると思うんよ。

善かれ悪しかれ、日本日本語日本という文化島国という特性から、とりあえず「日本国内」って枠組みの中で生活しがちな我々なんだけど、

ネットで繋がった瞬間から(厳密に言えば、1994年?)グローバリゼーションはグッと近づいていて、

スマホ最後トドメを刺しにきた黒船って感じかな。

でも、これらの不利も、生成AIで解消されるはずだから

これからもっとシステム工学とかを意識して、柔軟な発想でデジタルビジネスを思いつく奴が増えたら、

また日本グローバルスタンダード製品が生まれるかもね。

anond:20251001142227

ぶっちゃけ日本IT技術者のレベルが元々低いだけ」論、読んだけど、雑に日本叩き→雑に海外持ち上げの“気持ちよさ”に全振りしてて、論としては穴だらけだよ。順に潰す。

  

1) 比較の軸がぐちゃぐちゃ問題

あなたの主張、国×時代×指標が毎段落で入れ替わってる。

ある段では「発明(基礎技術)」、次は「産業規模(GDP寄与)」、その次は「起業件数制度)」、さらに「一般人知名度文化)」を指標にしてる。

指標が動けば結論も動く。これ、移動ゴールポストね。

イランアメリカ並みのITインフラ」って“並み”の定義は?普及率?帯域?可用性?クラウド事業者選択肢?輸出管理の制約?定義不在の形容詞議論の死因。

  

2) 「2008年以降に発明がない」→定義すり替え

発明”って規格?論文OSS製品?この区別曖昧にして「思い浮かばない=ない」をやるのは主観事実化。

反例を淡々と置く(全部2010年代以降の「世界で通る」技術・成果):

インターネット標準の中枢

HTTP/3 / QUIC系仕様・QPACKの主要貢献者のひとりは日本エンジニア(例:Kazuho Oku)。IETFRFCはまさに“世界標準”。「世界通用」どころか世界の土台。

深層学習実用基盤

Chainer / CuPy(Preferred Networks)は動的計算グラフフレームワークの先行例。PyTorch隆盛の流れに技術的影響を与えた。CuPyはいまも広く使われてる。

産業を支える半導体×ソフトの複合領域

ソニーCMOSイメージセンサ世界シェア筆頭。これは“ハード”に見えて、設計製造信号処理ツール群までソフトの塊。スマホカメラ品質AI前処理の土台。

大規模分散配信実装

日本人が中心メンテに関与した高性能HTTPサーバH2O等)はCDNや低レイテンシ配信採用例多数。

ロボティクス/製造DX

産業ロボットFANUC安川)周辺の制御通信ツールチェーンは世界現場で常用。表に出にくいB2B領域は“見えないだけ”。

LINEが~」みたいなB2Cの派手さだけが発明”じゃない。基盤を握るのは地味仕事あなたが気づかない=存在しない、ではない。

  

3) 「一般人が知ってた技術」を物差しにする誤り

Winny一太郎CD-ROMMIDIを“国民知名度”で持ち上げて、以後は「思い浮かばない」って、知名度技術力の誤用

2000年代以降、ITは不可視化クラウドプロトコルライブラリ半導体サプライチェーン)へシフト。見えないところほど難しくなった。派手なガジェットが減ったかレベル低下、ではない。

  

4) 「C言語嫌い=低レベル」論の短絡

問題領域言語は変える。Webは「5歳児でも」動かせる?今のWebは、

CD/CIIaCK8s、SRE、ゼロトラスト分散トレーシング暗号化フロントの再レンダリング戦略……

これらを運用で落とさないのが本番。Cが偉い/Webが軽い、は90年代教養で止まってる。

  

5) 「許認可が厳しい国ほどIT強国」って本気?

起業に国の試験?それ、フィルタにはなるけどイノベーション十分条件じゃない。

厳格許認可=「基礎がわかる経営者」ではなく、官許ビジネス忖度の温床にもなる。
起業件数6,500社って、定義登記区分/国策インキュベーションの延べ数)次第でいくらでも膨らむ。数字は分母と定義を見てから

  

6) 「トップダウン国家が正しい」論の危険単純化

トップダウン国家プロジェクトやインフラ敷設には強い。しかし、

検閲・輸出規制外資退出リスクが高いと国際的エコシステム痩せる
ボトムアップOSS文化標準化活動多様性越境が命。これは民主的開放的ガバナンスに寄る。

分野で強弱は揺れる。制度の一軸で「勝ち負け」を断ずるのは幼い。

  

7) 「北朝鮮フィンテックで負けてる」=カテゴリーエラー

それ、犯罪としてのサイバー強盗の話でしょ。規制準拠金融基盤と国ぐるみハッキングを同じ土俵で比べるのは、

「百メートル走で銃使えば最速」って言ってるのと同じ。比較土俵設定から破綻

  

8) 産業構造の話を“エンジニア能力”に押し付ける雑さ

日本ITが伸び悩んだ要因は複合要因:内需構造調達多重下請け英語コミュニケーションストック報酬の弱さ、エクイティ文化大学産業距離IPO市場の質、人口動態、為替

これを全部「技術者のレベル低い」で片付けると、説明力を失う。制度資本設計問題制度資本で解くのが筋。

  

9) 「じゃあ日本は何で勝ってるの?」に答える

インターネット標準・高速配信HTTP/2/3実装仕様貢献、超低遅延配信
半導体×光学×AI前処理:CMOSイメージセンサ周辺のHW/SW統合世界スマホ車載の目。
ロボットFA制御安全規格・現場統合は“地味に”世界標準。
数値計算/機械学習基盤:CuPyや各種最適化ツール学術産業で常用。
モバイル網の仮想化オープン化:Open RAN系の実証事業化で世界選択肢を増やした。

「勝ってる」を“B2Cバズるアプリ”だけに限定するから見落とす。

  

10) まとめ:感情理解する、でもロジックは直そう

主観の羅列と定義曖昧さで「結論ありき」。
2000年代後半以降の日本IT問題だらけだった——それはそう。でも「技術者のレベルが低いだけ」は説明になってないし、反例が普通にある。
正しくは、制度資本需要言語標準化への投資が薄い領域可視的なB2C成功が少ない。一方で不可視の基盤では普通に世界を支えてる。

  

最後に一個だけ。

「“思い浮かばない”から存在しない」はあなた検索能力問題であって、世界事実ではない。

そこを直さないと、次の10年も気持ちよく叩いて終わりだよ。

2025-10-01

anond:20250930113832

2000年前後3DCG個人制作アニメが盛り上がった時期があったんだよ。

テレ朝のD's Garage 21とかNHKデジスタとか個人制作アニメ投稿番組があったりPC雑誌付録CD-ROMとかで投稿コーナーがあったりした。

そこから出てきた人も自分作品を出し続けてるのは新海誠とか富岡聡くらいで他の人気のあった人たちはアニメスタジオ就職して一スタッフとして働いてる人ばかり。

手間がかかりすぎて個人制作商売にならなかったんだよな。

生成AIに期待する向きもあるけど、「作品作り」に耐えるだけコントロールが効くUIが出てきても手間がかかりすぎてかつての3DCG自主制作アニメと同じ結果になると思う。

増田も当時、高校生なんでレベルたかが知れてるけど3DCG個人制作アニメをやってた。

2025-08-30

プログラマーって別に稼げる職業じゃなかったんだよ

プログラマーって聞くと今の若い人は稼げる業種って思うかもしれない。でも昔は、そのイメージとはまるで真逆だったんだよ。

90年代初頭、日本バブルの余韻が残ってたけど、IT業界なんてまだオタクの延長みたいに見られていた。NECPC-9801シリーズオフィス定番で、OSMS-DOS 3.3とか、その後にWindows 3.1が出ておお、マウス操作できる!なんて騒がれていた時代だ。

もちろんインターネットなんて一般にはまだ普及してなかった。せいぜいパソコン通信ニフティサーブPC-VANアスキーネット回線速度は2400bps。ピーヒョロロっていうモデム音が夜中の住宅街に響いていた。

俺らはそういう環境C言語アセンブラを叩いてたんだ。コンパイル時間がかかるからトイレに行って戻ってきてもまだ終わってなかったりした。

今みたいにGitHubコードを共有なんて夢のまた夢。ソースのやり取りはフロッピーディスクで手渡しだ。5インチのぺらぺらのやつな。運が悪いと磁気にやられて一発で飛ぶ。だから俺たちはよくフロッピー神社に参拝とか冗談言ってた。

当時のプログラマー給料なんてひどいもんだよ。

正社員手取り20ちょっと下請けフリーランスだともっと安い。今でいうSESの走りみたいな人売りも普通にあった。客先常駐COBOLやらされてバグが出れば徹夜オフィスに寝袋持ち込んで、カップヌードル缶コーヒーの山を築く。徹夜明けに食う吉野家の牛丼が唯一のご褒美。今みたいにエンジニア市場価値が高いなんて考え方はなかったからな。ただの駒だよ。

バブル崩壊後はさらにひどくなった。

仕事は増えるのに単価は下がる。Windows 95の発売で世の中はインターネット元年なんて浮かれてたけど俺たちプログラマー現実は泥臭いコード修正の山。Visual Basic 6.0やDelphiが出て「これで開発効率が上がるぞ」なんて言ってたが、結局は納期に追われるだけ。SunJavaが登場したときも「Write once, run anywhere」なんて夢を見せてくれたけど、実際には動かないアプレットと格闘する日々。

Linuxが台頭してきたのもこの頃だ。

SlackwareRed Hat Linux 5.2をCD-ROM雑誌付録で手に入れて、夜な夜なインストールに挑戦。LILOがうまく動かなくて起動しない、ネットワークカード認識しない、X Windowが真っ黒。そんな壁に何度もぶつかっては2ちゃんねる(当時はまだ草の根BBSが多かったが)やUNIX USER誌を読み漁って解決する。それが楽しくて仕方なかった。でも金にはならなかった。オープンソースに貢献しても無償善意で済まされるだけ。Red HatMySQL ABが上場するまでは、ただのボランティア活動と見なされてた。

今思うと、あの頃は純粋だった。

技術のものが楽しくて、ASCIIOh!Xを小脇に抱えて徹夜コードを書いた。秋葉原ジャンクパーツを漁って自作PCを組み立ててベンチマーク数字一喜一憂した。

飯代を削ってもSCSIハードディスク投資したし、月刊アスキー付録CD-ROMに入ってたシェアウェアを片っ端から試した。儲けようなんて意識はなかった。ただ、面白いものを作りたかった。

それが今じゃITは完全に拝金主義コードの美しさより投資家の顔色を見てる。エンジニアもどこが年収いかばかりで、言語フレームワークを選ぶ基準が金になっちまったPython流行るのもAIブームに便乗してのことだし、ブロックチェーンやNFTなんかバブルがはじける前提のネタ探ししか見えなかった。

もちろん、技術商業化されて豊かになった面もある。AWSGCPのおかげで誰でも世界規模のサービスを立ち上げられるようになったし、GitHubDockerで開発環境も夢みたいに便利になった。だがその一方で楽しいからやるという純粋さはどこへ行ったんだろう。GitHubの草がどれだけ生えてるかが採用基準になる時代Qiita記事投稿するのも、技術共有じゃなくて転職市場でのポイント稼ぎ。

あの頃には確かに、金ではなく面白さに突き動かされる熱があった。それが今は金の匂いに上書きされてしまったように感じる。

プログラマーって、本当は稼げる職業じゃなかったんだよ。

でも稼げなくても、やる価値があった。

今の若いエンジニアたちにその気持ちがどれだけ伝わるかは分からない。

当時「Hello, world.」と表示されるだけのプログラムに、30年前の俺は心を震わせていた。

その震えを知っているからこそ、今の金の匂いにむせ返る業界がどうにも虚しく見えてしまうんだ。

2025-06-24

ウィイイイイイッス!どうも〜、█████で〜す。えー、今日はですねぇ、この前!やっと手に入れました、日向坂46の最新アルバム、『脈打つ感情』をですねぇ、パソコンに!取り込んでいきたいと、思いますぅ。いや〜、待ってましたねぇ、これ。

 

ほんで〜、これを取り込むのが、まぁ、いつも使ってるこいつなんですけどもぉ…。

 

(カメラが年季の入った外付けDVDドライブをアップで映す。よく見ると少し傷がついている)

 

こいつがねぇ、最近ちょっと調子悪くてぇ…。なんか読み込むときに「ガガガウィーン…ガッ…」みたいな、変な音がするんですよ。まぁ、でも動くとは思うんで、多分…。やっていきましょうかねぇ。

 

(ドライブCDをセットし、PC接続する。ドライブから「ウィィィン…ガッ…ガガッ…」と不穏な音が鳴り響く)

 

うわっ、今日の音、なんか一段とすごくないすか…? 大丈夫かなぁ…。

えーっとぉ、デスクトップに…アイコンが…出てくるはずなんだけど…

 

あれ…?

スゥゥゥ…読み込まない…。なんで?

え、マジで? おい、どうしたぁ…?

 

(ドライブを何度かPCに抜き差しする。そのたびに「ウィーン…ガッ」という音がする)

 

いや、ダメかぁ…。えぇ…。

いや、このドライブがもうダメなのかなぁ…。困ったなぁ…。買ったばっかなんですけどねぇ、このCD…。

虚しい…。

 

…あ、そうだ。

なんかぁ、前に視聴者さんから教えてもらったソフトがあったなぁと。えーっとぉ…

 

(おもむろにGoogleで「CD 取り込み 高音質 ソフト」と検索し始める)

 

あ、これだこれだ。『EAC』?

『Exact Audio Copy』でしたっけねぇ。なんか、これでやると傷ついたCDでも読み込める、みたいな…? まぁ、傷はついてないと思うんですけどもぉ…。藁にもすがる思いで、やってみますかぁ。

 

うわっ、なんか全部英語だ…。

えぇ…? なんだこれ…。

えーっとぉ…『Please select your CD-ROM drive for use with EAC』…?

プ、プリーズセレクト…? ドライブを選んでください…ってこと、かなぁ…?

 

これでいいのかなぁ…ポチッとな。

 

うわー!また英語の画面出てきた!

『AccurateRip』…? アキュレート…リップ…? なんだこれ…えぇ…。

『Configure』…? コンフィグ…? 設定ってことかなぁ…?

スゥゥゥ…もう分かんないなぁ、これぇ…。

 

あいいや。 次へ! 次へ!

 

お、なんかそれっぽい画面になりましたねぇ。

えーと、それで、取り込みは…どれだ…?

左側に『CMP』とか『WAV』とか書いてある…。これかなぁ…?

 

あ。

 

うわっ!なんか赤いバツが出た…。

え…ろー?って書いてある…。

スゥゥゥ…

ダメだこりゃ…。はぁ…。

 

なんでだろう…。なんでうまくいかないんでしょうかねぇ…。

いや、ていうか、なんでこんな難しいんですかねぇ、このソフトは…。もうちょっと、こう…日本人にも優しくしてほしいですよねぇ、ほんとに。英語読めないと使えないじゃん、これぇ…。

 

まぁ、でも!

今回のこの失敗は! 次に活かされると思うんで! えぇ!

 

ていうわけで! 今日ちょっと、残念ながらリッピングできませんでしたけどもぉ…。

次回!『日本語化パッチを探してEACリベンジ編』を、やりたいと思いますんで!

みなさん! 是非是非! お楽しみに!

 

まぁ、今日ちょっと凹んでますけどもぉ…。えー…

 

ていうわけで!次の動画でお会いしましょーう!んまたのーぃや!

2025-05-29

ウワサのeコマース体験しよう!

たぶんISDNからADSLに切り替えたときに一緒に入ってた資料だわ

2ちゃんねるがあったり

顔文字事典CD-ROM付きのYahoo!パソコン雑誌(?)がでてたりとか

ヤフオクでは送付先住所連絡から何まで手打ち相手とやりとりしてたわ

初めまして。○○(ヤフーID)こと○山○子です。とかいって

多分2003年とかかな?

2024-11-14

anond:20241114145226

同様のことがコミケの中でもある

紙の本とCD-ROM

紙の本は禁書レベル無修正NGだしなんなら印刷もしてもらえないかもしれない

でもCD-ROMならおっぴろげな写真が入っていても検閲無しになってそう

2024-11-08

レトロゲームミュージック史上最も重要作品10

https://anond.hatelabo.jp/20241106140729

https://anond.hatelabo.jp/20241106183428

https://anond.hatelabo.jp/20241106112459

このへん見てたらなんとなく書きたくなったので。

2D時代ゲームから選出したけどだいぶ偏りが出ちゃったかも。海外のものは詳しくないのでパス

ラリーX (1980/ナムコ/甲斐敏夫)

ゲーム中にBGMがついた最初ビデオゲームとも言われる。楽曲としてはおそらく翌年発売のNEWラリーXのほうが有名で、大野木宜幸が手がけたメロディは当時のゲーマーに強烈な印象を残した。

ゼビウス (1983/ナムコ/慶野由利子)

たった2小節からなるメインBGM作品神秘性を高め、日本初のゲームサントラ制作されるきっかけにもなった。細野晴臣によるリミックスも発売され、最先端サブカルチャーとして強く認知されることになった。

スーパーマリオブラザーズ (1985/任天堂/近藤浩治

おそらく世界一有名なゲームミュージック。何度も作り直したというメインテーマ絶妙テンポ感でゲームマッチしている。ゲームサウンドとしてはじめてアメリカ議会図書館登録された。

ドラゴンクエスト (1986/エニックス/すぎやまこういち)

ファミコンの二〜三和音で見事にクラシック表現し、オーケストラによるゲームミュージック演奏という道も切り開いた。また、洞窟の下層に行くほど音程が低くなるという、今でいうインタラクティブミュージックのようなアイデアも取り入れられている。

アウトラン (1986/セガ/Hiro

ハード進歩レースゲームというジャンルの特徴により、イントロからソロアウトロダクションまでを兼ね備えたおしゃれなフュージョン表現可能になった。セガ体感シリーズ系譜は後にS.S.T.BANDを産み、ゲームミュージックバンドの先駆けとなった。また”Outrun”は80年代シンセを使った音楽ジャンルひとつにもなっている。

グラディウス2 (1987/コナミ/古川もとあき)

Ⅱではなく2。ファミコンを含め、ROMカセット拡張音源を載せたゲームは数あるが、知名度が高いこちらを選出した。透明感と重厚感を兼ね備えたSCC音源MSXユーザーの自慢のタネであり、様々な方法を使い自作曲を鳴らす文化まで生み出した。

ジーザス (1987/エニックス/すぎやまこういち

映画のような演出アドベンチャーゲームは多数つくられたが、ゲームしか実現できない仕掛けによってそれ以上のものになっているのが本作。作曲にあたっては難しい条件があったと思われるが、美しいメロディでそれに答えている。

イースⅡ (1988/日本ファルコム/古代祐三永田英哉・石川三恵子)

FM音源の迫力あるドラム、うねるようなリード音が響くオープニングは当時のパソコンユーザーの度肝を抜き、以降のパソコンゲームの音のレベルを引き上げた。

PCエンジン版では米光亮によるアレンジ音源が使われ、CD-ROMの優位性を見せつけた。

MOTHER (1989/任天堂/鈴木慶一田中宏和

企画段階から音楽キーとしていたという本作は、ギターの奏法を再現するなど独自手法も編み出し、ドラクエとはまた違ったタイプRPGサントラを作り上げた。「エイトメロディーズ」は特に有名で、音楽教科書にも掲載された。

アクトレイザー (1990/エニックス/古代祐三

容量の厳しいスーパーファミコン音源を最大限に活かし、オーケストラサウンドを実現して業界震撼させた。植松伸夫がこの作品に衝撃を受け、完成間近だったファイナルファンタジーⅣの音色を全て作り直したという逸話が知られている。

2024-11-03

セガサターン史上、もっと重要ゲーム10

触発された増田

はじめに

セガサターンは、セガから発売され「32bit次世代ゲーム戦争」に参戦していたゲームハードの一つであるソニーの初代プレイステーションを始め、多くのゲームハード覇権を競った。稼働時期はおよそ1994年11月2000年12月で、1998年11月にはセガサターンの次となるドリームキャストが発売され、以降は発売タイトルも下火となっている。

選定レギュレーションとしては、ドリームキャスト発売前後までに登場したタイトルであることを重視、またこ時代から徐々に増えたプレイステーション3DOなどでも同一タイトルリリースする「マルチタイトル」は選外とした。

10タイトル

1. バーチャコップ1995年11月セガ

セガサターンといえば豊富アーケードゲームタイトルを持つセガ移植作が家庭で遊べることが強みの一つであり、本作は光線銃コントローラーバーチャガン」も同時発売され、ゲームセンターと同等の遊びを家庭に持ち込んだ。

3Dゲーム黎明期当時のセガは『バーチャ○○○』といった名前複数作品リリースしており、『バーチャコップ』はカメラズームインズームアウトを多用した緊張と緩和の演出や、コンボ的な爽快感など、後の大ヒットタイトルTHE HOUSE OF THE DEADシリーズにも繋がるガンシューティング史の重要作品である

2. バーチャファイター2(1995年12月セガ

ゲームセンターで社会現象にまでなっていたお化けタイトルで、かつセガサターンプラットフォーム初となったミリオンセラータイトルであることから選定。ハードローンチタイトルの初代『バーチャファイター』も当然ながら重要タイトルであるが、8,800円と高額(本作は6,800円)だったこと、ライバルだったプレイステーションを上回るハード普及台数に貢献した(この時期だけであり、すぐひっくり返されている)ことから、『バーチャファイター2』の方を選出した。

セガサターンスペックは、当時のアーケードタイトルで主力だったMODEL2基板を採用された3D作品移植するには性能不足が否めず、完全移植とならずナーフされがちで、本作も例外ではない。また、初代『バーチャファイター』と同時発売されていた周辺機器バーチャスティックもお世辞にも操作感が優れているとは言えず、1996年アストロシティー筐体を再現した後期バーチャスティックや豪華版バーチャスティックプロ登場まで、レバー派は耐えることとなる。

3. セガラリーチャンピオンシップ1995年12月セガ

体感筐体で人気を博した『セガラリーチャンピオンシップ』の移植タイトル。『バーチャ2』と同じく、3D表現ナーフされての移植ではあったが再現度はかなり高く、先行して移植された『デイトナUSA』と同時発売された周辺機器レーシングコントローラーにも対応していた。

とにかく1995年年末商戦は次世代ゲーム戦争が佳境を迎えており、同時期に『真・女神転生デビルサマナー』など他メーカーによる良タイトル供給もあったが、セガから特に気合の入ったタイトルが多かったと言える。

4. ヴァンパイアハンター1996年2月カプコン

2D対戦格闘ゲームヴァンパイアシリーズ2作目。セガサターン後期には拡張RAMカートリッジ活用し、アニメーションパターンを削らず高い移植度を誇る2D対戦格闘ゲームが多く発売されたが、本作はハード発売1年ちょっとにして、拡張RAMカートリッジを頼らずとも高い移植を実現しており、当時多くのハード移植タイトル供給していたカプコン技術力がよく分かる作品である

セガサターンには『KOFシリーズや『ストZEROシリーズなど、高い移植度を誇った2D格闘ゲーム作品が多くリリースされたが、本作はコンボや起き攻めなど、後の2D対戦格闘ゲームにも続いて行く要素が入っていることから選定した。セガサターン標準のコントローラーであるサターンパッドは6ボタン式で、カプコン格闘ゲームと相性がよかった点も特筆しておきたい。

5. パンツァードラグーンツヴァイ1996年3月セガ

高いスプライト処理機能を持ち、多くの秀作2Dシューティングゲーム移植されたセガサターンであるが、3Dシューティングゲームの傑作『パンツァードラグーンシリーズからも挙げておきたい。少年ドラゴンの背に乗って終末文明を駆ける世界観も印象的で、とくに本作『ツヴァイ』では子供ドラゴンの愛らしい形態テレビCMを見た人も多かったのではないだろうか。

高い威力を誇るロックオンレーザーを使って攻略するシステム面では、同時期にタイトーから発売されていた『レイヤーセクション』(『レイストーム』)の影響も感じられる。シリーズは『AZEL -パンツァードラグーンRPG-』を最後に長く沈黙を続けることとなり、次に挙げる『NiGHTSシリーズと共に、オリジナルIP作品を育成するのが下手なセガというイメージが定着することとなる。

6. NiGHTS into dreams...(1996年7月セガ

セガサターン前後となる世代セガハードであるメガドライブドリームキャストと比べ『ソニックシリーズ供給があまり目立たないハードであった。しかしながら、ソニックチームから完全新作としてリリースされた『NiGHTS』は国内外から高い評価を得る。日本国内においては廉価版「白サターン」に特別ステージを遊べる『クリスマスナイツ』が同梱され、売上以上に多くの人が触った作品である

ゲーム性は同時期に発売された『マリオ64』のような自由度が高い完全3Dアクションには遠く及ばない、3D風の空間を決められたルートで飛び回りハイスコアを狙う、レーシングゲームシューティングゲームに近いものとなっており『ソニック』にも通じる爽快感があり、マルチコントローラー通称マルコン)での操作気持ち良い。『バーニングレンジャー』と並び、ソニックチームからリリースされたセガサターン重要タイトル

7. サクラ大戦1996年9月セガ

ホンダからセガに移った当時の副社長・入交昭一郎氏(通称イリさん)が、ゲームプロデューサーの広井王子氏を口説き落としてキャラゲー制作を依頼して生まれた、セガの家庭用ゲーム機を代表するシリーズ戦隊モノTVアニメ意識した演出や、一度聴いたら忘れられない『ゲキテイ』など、1作目にして完成度が高い。

キャラクター原案に『ああっ女神さまっ藤島康介氏、シナリオに『爆れつハンター』『セイバーマリオネットあかほりさとる氏を迎え、多くのアニメ音楽を手掛ける田中公平氏に作曲を依頼する座組で制作された。スチームパンク世界観シミュレーションRPG恋愛ゲームを融合させ、高い人気を誇った楽曲キャラクター活用した「歌謡ショウ」も多くの公演が開催され、今で言うところの「中の人」によるライブをさせる興行形態先鞭をつけた重要作品

8. エネミー・ゼロ1996年12月ワープ

3DアドベンチャーゲームDの食卓』で時代の寵児となった飯野賢治氏が手掛けたSFアクションゲームプレイステーション代表するシリーズとなった『バイオハザード』の影響を感じさせるゲーム性で、初見殺し要素が多く『デスクリムゾン』ほどではないがクソゲー評価もそれなりにある。

そんな本作であるが、ゲーム史を語る上で欠かせないのは、元々プレイステーションで発売を予定していたにも関わらずソニー主催の「プレイステーションエキスポ」でセガサターン移籍をイリさんのビデオメッセージと共に大々的に発表するという、センセーショナルな告知手法が採られたことにある。未発売となった『300万本RPG』ともども、未だに語り草となる飯野賢治氏の破天荒な行動を象徴する1本として選出した。

9. EVE burst error1997年1月イマジニア

プラットフォームとしてのセガサターンを語る上で外せないのが独自レーティングシステム存在で、「18歳以上推奨」「18歳未満販売禁止」といったカテゴリ販売されたタイトルがあったことだ。むふふな脱衣シーンがナーフ移植されがちな脱衣麻雀タイトル乳首券発行で完全移植された上に、いわゆる成人向け美少女ゲーム、平たく言ってしまえば「えっちゲーム」が移植されて遊べる家庭用ゲーム機だったのだ。このレーティングシステム存在によって、それまでアンダーグラウンドで傍流な存在だったPC向け美少女ゲームの名作群が、メインストリームと言える家庭用ゲーム機に移植が実現しより多くのユーザーに「発見」されたのは、日本ゲーム史においても重要出来事だったと言える。

EVE burst error』は令和になっても続編が制作される『EVEシリーズの1作目で、2人の探偵役の視点を切り替えながら(セガサターンではCD-ROMを入れ替えながら)謎解きの進行するアドベンチャーゲームであり、ゲームデザイナー菅野ひろゆき氏を代表する作品の一つ。他にも『同級生』『下級生』『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』など、豪華な声という付加価値を付けてセガサターン移植された名作タイトルは幾つもあり、このカテゴリからの選出作品は遊んだ人の思い入れに応じて読み替えて欲しい。また、次世代ゲーム戦争においてプレイステーションの優位が確定してからは、『To Heart』のようにエロ要素を完全排除してセガサターンではなくプレイステーション移植されるタイトルがあったことも記しておきたい。

10. グランディア1997年12月ゲームアーツ)

スーパーファミコン代表するRPGシリーズの最新作『ファイナルファンタージ7』がプレイステーションへの独占供給が発表され、お通夜状態だったセガサターン陣営にとって希望の星とされ並々ならぬ期待を背負って発売されたオリジナルRPG。当時のサターン専門誌でも毎号のように特集記事が組まれていた。

スチームパンク世界冒険家を夢見る少年ジャスティンの成長を描いた「王道中の王道」で、仲間との出会いと別れが感動を呼ぶストーリーや、攻撃側有利な戦闘システムも人気を博した。売上で『ファイナルファンタージ7』には遠く及ばなかったものの、RPGが弱いと言われ続けたセガサターンの中でも(プロモーション主導とはいえ)強い存在感があったこと、ドリームキャストなどに続編が供給されたことを考慮し選出。

選外タイトル

魔法騎士レイアース

2Dゼルダ神々のトライフォース』にインスパイアされたアクションRPGの名作。

ときめきメモリアルポリスノーツ

どちらも時代代表するタイトルだがマルチタイトルのため選外。コナミはこの時代からマルチタイトルが多い。

怒首領蜂

弾幕シューティングとして重要タイトルかつ良移植だったが、マルチタイトルだった気がするため選外。

電脳戦機バーチャロン

個人的にはとても思い入れがあるが、セガアーケードタイトル移植には重要作品が多くて選び切れない。ツインスティックを5,800円で家庭用ゲーム機の周辺機器として発売するなんて頭イカレてるよね~(褒めてる)。

ダイナマイト刑事

バカゲー史に刻まれる名作。

サターンボンバーマン

なんと10人同時対戦が可能だったボンバーマン

街 〜運命交差点

サウンドノベルの超名作。10選に入れるか最後まで悩んだが、アドベンチャーゲームでは、レーティングシステムによって移植実現した美少女ゲームから1作を選んだ方が妥当判断し選外に。

Jリーグ プロサッカークラブをつくろう!

雑に言うとダビスタサッカークラブ経営版。2作目めっちゃ遊んだ

カルドセプト

マジック・ザ・ギャザリング+モノポリー+いただきストリート任天堂ハード携帯機と相性がよく今ではすっかりそちらのイメージが強い。

DEAD OR ALIVE

マルチタイトルであること、バーチャ2のインパクトには負けることから選外。おっぱい

スーパーロボット大戦F・F完結編

ボイスイベントが入ったこからロボットアニメ作品クロスオーバーさせるスパロボシリーズに新しい価値を持ち込んだ重要作品位置付けられるが、完結編の敵雑魚インフレバランス崩壊気味だったため選外。プレステから始まったスパロボαの方がシリーズ全体としては重要と言えそう。

ガーディアンヒーローズ

むちゃくちゃ好きだがマニアック過ぎると判断し選外。異世界おじさんが選んだら10選に入ってた。

レイディアントシルバーガン

むちゃくちゃ好きだがマニアック過ぎると判断し選外その2。トレジャー作品にはこういうものが多い。

仙窟活龍大カオスシード

むちゃくちゃ好きだがマニアック過ぎると判断し選外その3。

クロス探偵物語

むちゃくちゃ好きだがマニアック過ぎると判断し選外その4。

2024-09-27

半年ROMってろ」

もうROMって言葉、見なくなったね。

ゲーム機カセットじゃないしパソコンでもCD-ROMは使わなくなったし。

2024-09-12

anond:20240912103257

90年代インターネットは既にありましたし一般に急速に復旧した時代です

インターネットちょっと前はCD-ROM需要があって令和の時代で言うところのコスプレROMみたいな感じです違法ブルセラROMとかが街の至る所で売られていました(ビデオじゃないかモザイク処理がなくても犯罪じゃないんでしょうか…)

それに90年代はまだバブルの惰性があったからみんなお金持ちでした今みたいに貧乏だカネがない政府が悪いアメリカが悪いなんて雰囲気微塵もありませn

90年代パソコンは令和で言うとこのiPhoneみたいな扱いだよん

2024-06-12

anond:20240612180650

CD-ROMの内容をまるごとHDDに取り込むくらいじゃないと革命とは呼べないんだよな

2024-05-18

メルカリいい加減にしろ

メルカリアダルト商品誤判定され度々利用制限かけられて困っている。

私が出品しているのは ROM写真集というやつ。コスプレイヤーグラドル写真データが収録されているCD-ROM

知らない人は検索してみて欲しい。

もともと発行数も販売期間も少なく、すぐに入手できなくなるので中古市場大事

伊織もえ」「けんけん」「HaneAme」あたりは高値取引されているけど私が売っているのはほとんど定価以下。

メルカリではアダルト商品が出品禁止物なので運営に見つかると削除されるが、私が扱っているのはもちろんアダルトではない。

セクシー寄りな作品もあるけど、グラドル写真集とかイメージビデオ禁止物ではない(ヌード写真集運営の匙加減みたい)ので同じくらいのものしか出してない。

禁止かい潜ってまでやりたいとは思っていないので、規約は穴が開くほど読んで細心の注意を払っているが、事務局のきまぐれとしか思えない基準で予期せず削除され、本当に困っている。

私は本人確認してメルカリ個人情報提供して利用している。

メルカード還元率3%まで上がっているし、毎月8日の8%還元の日もめいっぱい利用している。

過去に削除され運営に問い合わせたときのやりとりを載せるので如何に酷いのか見て欲しい。

■お問い合わせ本文

上記出品につき、「18禁アダルト関連」とのことで削除されましたが、当該商品18禁指定のものではなく、「「18禁アダルト関連」に該当するか判断が困難な場合」にも当たらないと思われます。仮に当該商品アダルト判断されるのであれば、メルカリでも大量に取引されているグラビアアイドル写真集イメージビデオの類はほぼ全てアダルトとなってしまます担当者ミスだと思いますので取消しをお願い申し上げます

パッケージの無いDVDBlue-ray等の映像記録媒体」として判断されたのかもしれませんが、商品説明にも記載の通り、こちらは掲載画像状態で当初から販売されていたROM写真集画像電子データが記録されたCD-ROM)です。下記URLの通り、大手ネット通販でも取扱のある商品であることが確認できます

https://www.suruga-ya.jp/product/detail/ 略

https://www.suruga-ya.jp/product/detail/ 略

再出品にあたり、パッケージ裏面の画像必要であればアップします(何も印刷されていませんが)ので教えてください。

不明瞭な理由で削除され出品制限履歴が残るのであれば大変困ります。もし取り消しされないのであれば本件の経緯はウェブ上の記事として問題提起したいと考えております。お手数おかけしますが、よろしくお願い申し上げます

事務局

お問い合わせいただきありがとうございます

メルカリでは、18禁アダルト関連の出品を禁止しております

該当の商品は、商品画像から商品の詳細情報確認することが困難であることから、「18禁アダルト関連」に該当するおそれがあると判断し、削除いたしました。

上記に該当しない場合は、下記に注意して出品いただきますようお願いいたします。

《出品時の注意点》

DVDBlu-ray等の映像記録媒体書籍は、パッケージの裏表両面が明確に確認できる商品画像を必ず掲載してください。商品説明記載があっても画像確認できない場合や不鮮明な場合削除対象となります

パッケージの無いDVDBlu-ray等の映像記録媒体の出品はお控えください

コメントのやりとりで「販売する商品を追加・変更」をする場合も同様に、追加・変更された商品の裏と表、全体が確認できる画像掲載してください

皆さまに安心安全にご利用いただくため、ご理解とご協力のほどよろしくお願いいたします。

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メルカリ事務局

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先の説明の通り、他社通販サイト18禁指定なく販売されていますので「「18禁アダルト関連」に該当するおそれ」はないと明らかになったと思います

出品の再開をお願いします。

削除されないためには、パッケージ裏面の画像掲載すればいいですか?

それとも、当該商品メルカリでは出品禁止であるという判断でしょうか?

はっきりと明言いただければ今後出品しないので教えてください。

事務局

お問い合わせありがとうございます

このたびは複数回お問い合わせいただくお手間を取らせてしまい、誠に申し訳ございません。

前回のご案内に不足がございましたため、改めてご案内させていただきます

パッケージ裏面の画像掲載すればいいですか?」とのご質問ですが、下記注意点の通りでございます

《出品時の注意点》

DVDBlu-ray等の映像記録媒体書籍は、パッケージの裏表両面が明確に確認できる商品画像を必ず掲載してください。商品説明記載があっても画像確認できない場合や不鮮明な場合削除対象となります

パッケージの無いDVDBlu-ray等の映像記録媒体の出品はお控えください

コメントのやりとりで「販売する商品を追加・変更」をする場合も同様に、追加・変更された商品の裏と表、全体が確認できる画像掲載してください

皆さまに安心安全にご利用いただくため、ご理解とご協力のほどよろしくお願いいたします。

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メルカリ事務局

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何度も申し訳ないですが、お願いですからこちらの質問に答えててください。

1.当該2件の商品自体は、出品禁止物「18禁アダルト関連」ではないということでいいですか?

先の説明の通り、私は該当しないと思っておりますので、再出品したいです。

ここをまず明確にしてください。

2. パッケージスキャンした鮮明な画像掲載しておりますので、「注意点」も満たしていると認識しております

出品禁止物でないにも関わらず削除されたとすれば、何が不足しているのか教えてください。

私は利用規約を守って出品したいと思っております

何が問題なのか教えて頂けないと予測可能性が担保されず大変困ります

事務局

お問い合わせいただきありがとうございます

お問い合わせの商品は、いただいた情報判断する限りではメルカリで出品いただくことが可能です。

しかしながら、実際に出品いただいた後に、「商品自体問題がある」または「出品方法問題がある」と事務局判断した場合には、削除等の対応をする可能性もございますので、予めご了承ください。

◆出品時の注意点

DVDBlu-ray等の映像記録媒体書籍は、パッケージの裏表両面が明確に確認できる商品画像を必ず掲載してください。商品説明記載があっても画像確認できない場合や不鮮明な場合削除対象となります

商品画像は、商品の全体が収まるよう写してください

画像加工や付箋などで表示を隠す行為はおやめください

パッケージの無いDVDBlu-ray等の映像記録媒体の出品はお控えください

コメントのやりとりで「販売する商品を追加・変更」をする場合も同様に、追加・変更された商品の裏と表、全体が確認できる画像掲載してください

パッケージスキャンした鮮明な画像掲載しております」とのご申告ですが、注意点にございますように、裏表両面の掲載をお願いいたします。

また、禁止されている出品物については下記をご参照いただければ幸いです。

◆関連ガイド

18禁アダルト関連

https://www.mercari.com/jp/help_center/article/885/

皆さまに安心安全にご利用いただくため、ご理解とご協力のほどよろしくお願いいたします。

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メルカリ事務局

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回答ありがとうございます

・(現時点の判断では)商品自体は出品禁止物ではない

パッケージ裏面の掲載がないことが問題である

という見解確認しました。

パッケージ裏面は無地のケースですので意味があるのか分かりませんが、

上記を踏まえて再出品したいと思いますので、よろしくお願いします。

しかし、確認ですが、この「出品時の注意点」というのは御社サイト内で公表されていないものですよね?

規約は遵守して出品するよう心掛けていますが、公表していないルール後出しで持ってこられて違反なので削除したと言われても困ります

今後同様なことがあり、累積で悪質と看做されて利用制限や退会処分などされると大変な不利益を受けます

全てのルールを事前に公表することと、今回の件をペナルティ対象にしないことを明確にして頂けるでしょうか?

事務局

お問い合わせいただきありがとうございます

このたびは事務局からのご案内にご理解いただき、誠にありがとうございます

メルカリでは、18禁アダルト関連の出品を禁止しております

該当の商品は、商品画像から商品の詳細情報確認することが困難であることから、「18禁アダルト関連」に該当するおそれがあると判断し、削除いたしました。

上記に該当しない場合は、下記に注意して出品いただきますようお願いいたします。

《出品時の注意点》

DVDBlu-ray等の映像記録媒体書籍は、パッケージの裏表両面が明確に確認できる商品画像を必ず掲載してください。商品説明記載があっても画像確認できない場合や不鮮明な場合削除対象となります

パッケージの無いDVDBlu-ray等の映像記録媒体の出品はお控えください

コメントのやりとりで「販売する商品を追加・変更」をする場合も同様に、追加・変更された商品の裏と表、全体が確認できる画像掲載してください

また、お問い合わせの件について、このたびはメルカリのご利用に際し、お客さまにご満足いただける環境をお届けできておらず、大変申し訳ございません。

今回お客さまよりお寄せいただいたお声は、真摯に受け止めさせていただき、皆さまに安心安全にご利用いただける環境をお届けできますよう、今後のサポート改善および向上に尽力してまいる所存でございます

なお、出品する際にご不明な点がある場合は、実際に出品予定の商品画像の添付および説明文をご明記のうえお問い合わせいただければ、事務局にて確認のうえ出品可否のご案内を行いますので、お気軽にご相談ください。

皆さまに安心安全にご利用いただくため、ご理解とご協力のほどよろしくお願いいたします。

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メルカリ事務局

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メルカリに限ったことじゃないが、ネット企業プラットフォーマー)のカスタマー窓口というのは木で鼻を括ったようなコピぺ文の対応で本当に腹がたつ。

しかし、長文でダラダラ書いてもあいつらろくに読まない(読めない)ので、冷静に冷静に。

たぶん激昂して思いをぶちまけた文を書けばモンスタークレーマーカテゴリされて話を聞いてもらえなくなるだけだろう。

要点に絞って主張を明確に書き、相手が答えやすいような質問形式を心がける。

しつこく問い合わせてようやく削除された品が出品禁止物ではないということを認めたが、パッケージ裏面の画像がないことが規約違反だと言い張った。

しかしこの「出品時の注意点」というのは、私が指摘したようにメルカリ内で検索しても出てこない。

完全に後出しで持ってきた公表されていないルール

全く納得はいかないが、それでも市場管理者ルールには従うしかない。

その後は必ずパッケージ両面の鮮明な画像掲載するようにした。

が、私の違反履歴は記録され、運営マークされたのかその後も削除を繰り返されることとなった。

ちなみにこの削除された2点の出品はその後、恐る恐る慎重に「事務局確認済み」であることを明記して再出品し、削除されることはなく、取引が成立して買われていった。

2024-01-27

最近の若者が知らなそうな昔のインターネッツ

YouTubeコメント欄2000年代まで欧米ユーザー実名を表示していた

スマホができる前はホムペBBSが主なコミュニケーション手段だった

PC壁紙とかBGMのためだけにCD-ROMを買ってインストールしていた

あと1つは?

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