はてなキーワード: アクトレイザーとは
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このへん見てたらなんとなく書きたくなったので。
2D時代のゲームから選出したけどだいぶ偏りが出ちゃったかも。海外のものは詳しくないのでパス。
ゲーム中にBGMがついた最初のビデオゲームとも言われる。楽曲としてはおそらく翌年発売のNEWラリーXのほうが有名で、大野木宜幸が手がけたメロディは当時のゲーマーに強烈な印象を残した。
たった2小節からなるメインBGMは作品の神秘性を高め、日本初のゲームサントラが制作されるきっかけにもなった。細野晴臣によるリミックスも発売され、最先端のサブカルチャーとして強く認知されることになった。
おそらく世界一有名なゲームミュージック。何度も作り直したというメインテーマは絶妙なテンポ感でゲームにマッチしている。ゲームサウンドとしてはじめてアメリカ議会図書館に登録された。
ファミコンの二〜三和音で見事にクラシックを表現し、オーケストラによるゲームミュージック演奏という道も切り開いた。また、洞窟の下層に行くほど音程が低くなるという、今でいうインタラクティブミュージックのようなアイデアも取り入れられている。
ハードの進歩とレースゲームというジャンルの特徴により、イントロからソロ、アウトロダクションまでを兼ね備えたおしゃれなフュージョンが表現可能になった。セガ体感シリーズの系譜は後にS.S.T.BANDを産み、ゲームミュージックバンドの先駆けとなった。また”Outrun”は80年代シンセを使った音楽ジャンルのひとつにもなっている。
Ⅱではなく2。ファミコンを含め、ROMカセットに拡張音源を載せたゲームは数あるが、知名度が高いこちらを選出した。透明感と重厚感を兼ね備えたSCC音源はMSXユーザーの自慢のタネであり、様々な方法を使い自作曲を鳴らす文化まで生み出した。
映画のような演出のアドベンチャーゲームは多数つくられたが、ゲームでしか実現できない仕掛けによってそれ以上のものになっているのが本作。作曲にあたっては難しい条件があったと思われるが、美しいメロディでそれに答えている。
FM音源の迫力あるドラム、うねるようなリード音が響くオープニングは当時のパソコンユーザーの度肝を抜き、以降のパソコンゲームの音のレベルを引き上げた。
PCエンジン版では米光亮によるアレンジ音源が使われ、CD-ROMの優位性を見せつけた。
企画段階から音楽をキーとしていたという本作は、ギターの奏法を再現するなど独自の手法も編み出し、ドラクエとはまた違ったタイプのRPGサントラを作り上げた。「エイト・メロディーズ」は特に有名で、音楽の教科書にも掲載された。
容量の厳しいスーパーファミコンの音源を最大限に活かし、オーケストラサウンドを実現して業界を震撼させた。植松伸夫がこの作品に衝撃を受け、完成間近だったファイナルファンタジーⅣの音色を全て作り直したという逸話が知られている。
決戦:ファイナルファンタジー6
お尋ね者との戦い:メタルマックス2
バトル#2:エストポリス伝記2
七英雄バトル:ロマンシング サ・ガ2
四魔貴族バトル1:ロマンシング サ・ガ3
宿敵:新桃太郎伝説
ラストバトル:ポケットモンスター赤.緑.青.ピカチュウ
決戦:バハムートラグーン
オープニング:ソルスティス
さきごろ第2弾の発売も発表されたメガドライブミニ。メガドラと来たら次はサターンだろうという期待も高まるのは無理からぬこと。
というわけで今回はセガサターンミニが実現すれば入るであろうソフト、入ってほしいソフトをセレクトしてみた。
まず便宜的にセガがパブリッシャーのゲームを20本、セガ以外のゲームの20本とする。メガドラミニよりはややサードパーティーの比率が増えることになる。
さらに以下の縛りを設ける。
『レイアース』はキャラゲーながら、SSの初期において最も評判の良かったRPGのひとつである。キャラゲーも収録できることはメガドラミニで証明されているため、今回のリストに加えた。『ばくばくアニマル』は落ち物パズル枠。サターン互換基板のST-Vで動いていたアーケードからの移植作。『バーチャ2』はSSのローンチタイトルである『バーチャ1』と迷ったが、セガ初の国内ミリオンセラー樹立という記念碑的なタイトルであり、1995年の年末商戦におけるSSのひとときの勝利を牽引した存在でもある。『クロックワークナイト』は既発売の上下分作をまとめたもの。収録されている『クロックワークナイト ~ペパルーチョの大冒険・上巻~』はローンチではないもののハード発売から2週間後に発売されたというハード初期に強い印象を残したタイトル。『ガーディアンヒーローズ』はトレジャー枠。Xbox 360でHD版が配信されたが、プレイできる環境はさほど多くない。『NiGHTS』はソニックチームが開発したSSを代表する新規IP。でもこれ入れるならコントローラーはマルコン必須になるね。『デカスリート』は気楽に遊べるゲーム枠。アーケード版はST-V基板。コンビニ専売だった『MR.BONES』は洋ゲー枠。『ファイターズメガミックス』は移植作ではないSS独自の格闘ゲームということでリストアップ。『デイトナUSA CE』は出来のよろしくなかった無印版とは違い、SS版『セガラリー・チャンピオンシップ』のスタッフが手掛けた再移植+追加要素版。権利関係が問題ない場合『セガラリー』でも良い。『ダイナマイト刑事』はこちらもアーケード版はST-V基板。『ソニックR』はSSでは貴重なソニック枠であり、洋ゲー枠でもある。『AZEL』は既に『ツヴァイ』もリストアップしてるパンツァードラグーンシリーズの一作だが、ジャンルが違うから入れてもいいだろう……と判断。これまで移植もされておらず、サターンミニを出すならまず入るでしょ。『バーニングレンジャー』はソニックチーム開発の3Dアクション。この時期の3Dアクションは正直現在やると相当厳しいと思うが、このタイトルをプレイする手段はSS以外にない。『せがた三四郎 真剣遊戯』はハードのシンボル的存在であるせがた三四郎のゲームであり、また気楽にプレイできるミニゲーム集でもあり、さらにエコール開発という微妙にデス様成分もある。
『ヴァンパイアハンター』はヴァンパイアシリーズの2作目。本作と近い時期にPSでは前作『ヴァンパイア』が移植されたのだが、その出来は散々なものであり、当時SSユーザーはそれらを較べてSSの優位性をこれでもかと誇っていたのだった。『ダークセイバー』はメガドラミニにも収録された『レディストーカー』の精神的続編。『ポリスノーツ』はPSなどでも発売されたタイトルだが、最後に発売されたSS版は追加要素を加えた完全版である。『ネクロノミコン』は、高品質なデジタルピンボールでSSにおいて存在感を見せたKAZeの代表作のひとつ。『エネミー・ゼロ』は『リアルサウンド ~風のリグレット~』と迷った。ゲームとしての評価は分かれるが、飯野賢治は当時のSSユーザー、メディアのとってのアイドルだった。『月下の夜想曲』はPS版より後に発売されたため追加要素が加えられている。『心霊呪殺師 太郎丸』はカルト的な人気があるプレミアソフト。『グルーヴ・オン・ファイト』は豪血寺一族シリーズの中の一作。最近、表現上の理由によりシリーズの復刻が断念されたが、問題(とされる)シリーズキャラは本作には登場していない。ついでにアトラス枠。『バルクスラッシュ』は元テクノソフトのスタッフが手掛ける3D箱庭アクションシューティングでマイナーだがSSユーザーからの評価は高い。『七ツ風の島物語』はエニックスのSS参入第一弾。こだわり抜いた世界観とグラフィックが特徴のアドベンチャーだが、現在までSS以外に遊ぶ手段がない。『グランディア』はPSにも移植されているものの、やはりSSのRPGのと言えばこれだろうことで選出。『ソロ・クライシス』は同じクインテットの『アクトレイザー』のシミュレーションパートを膨らませたようなゲーム。ミニにはこういうマイナーゲーが一つくらい入ると予想。『センチメンタルグラフティ』は発売前に一大旋風を巻き起こした恋愛アドベンチャー。SSの一大勢力だったギャルゲーが不足気味なのでここで補充したい。『リンダキューブ 完全版』はPS版より後発だったおかげで完全版として発売された。『レイディアントシルバーガン』はトレジャーの傑作シューティングだが、実機以外では『ガーディアンヒーローズ』と同じくXBLAでの配信にとどまる。
『街』、『クロス探偵物語』、『カルドセプト』、『ソウルハッカーズ』、『サンダーフォースV』、『シルエットミラージュ』はPS版にバージョンアップ(諸説あり)を含む移植版が発売されたため優先度が大幅に低くなる。
だいたいは権利関係で面倒くさそうなやつ。『セガラリー・チャンピオンシップ』はセガ公式サイトに掲載されているアーケード版のプレイ画像でCastrolロゴにボカシがかけられている。 → https://sega.jp/history/arcade/uploads/2019-01-03_ss01_segarally-1-1.jpg 。でもPS2には移植されてる。
※この旧版になります。完全版は無料でnoteで公開中ですので、是非そちらの方をご覧下さい。
https://note.com/syosin_kai/n/nb97f2a0a193a
ちょっとゲームの歴史をかじったことがある人なら聞いたことがあるだろう言葉『初心会』。
とにかくこの言葉へのイメージは最悪だ。「真っ黒組織」「ゲームヤクザ」「歴史の闇」「悪の秘密結社」etcetc。
そんな初心会だが、はたしてどれだけの人が正確に初心会とはなんなのか、どのような悪どいことをしてきたのか、そして最後はどういうふうに消えていったかを語ることができるだろうか? おそらく、ほとんどいないのではないだろうか。
この初心会について、私が調べたことをゲームの流通の歴史を絡めてまとめて書き出すぞ。これで君も初心会マスターだ! ちょっと長いけど勘弁な!
もともとの任天堂は花札屋であり、そこからトランプやおもちゃを売り出したことは知っているかな? 創業は明治時代だ。
1960年代前半の任天堂は問屋を通じてテリトリー別に小売店を団体で集め、トランプやかるたの特売セールの景品といった形で温泉招待旅行などを行ったりしていた。そうした中、「ダイヤ会」という親睦会が問屋内で自然発生する。このときはあくまでローカルな親睦団体という形でしかなかった。
1973年2月、光線銃といったヒット商品が出始めたのをきっかけに、このダイヤ会を全国規模のきちんとした親睦会の形にしようとして生まれたのが初心会だ。ファミコンが生まれるずっと前だ。そしてファミコンはこの初心会に参加している問屋(59社加盟、その中でゲームに力を注いでいたのは30社ほどだったそうだ)を通じてのみ、流通させようとした。これには理由がある。
ファミコンのゲームはROMカセットだ。ROMカセットはCDと違って作るのが大変だ。発売日の三ヶ月前にはどれくらいつくるか数字を決めなきゃならない。一本つくるのに1000円以上かかる。もちろん任天堂は自前の工場を持っているわけではないから、他社の工場にお金を払って作ってもらうわけだな。(ドラゴンクエストシリーズは京セラがつくっていたらしい)
つくってもらったゲームソフトを売る。売れればいい。残ったらどうするか? ROMカセットはとにかく廃棄しづらい。体積があるから倉庫の在庫としては大変だ。処分するにも金がかかる。そのため在庫なしの売り切りスタイルであることが求められた。第一、このときの任天堂に「日本全国どこでどれほど、どのファミコンゲームが売れるか」という予測を立てる能力はまったくなかった。
それゆえ当時の任天堂社長山内は初心会の力を借りることにした。ファミコンとゲームソフトは全量初心会への返品なし買い切り制。在庫は持たず、追加の注文が重なってきたら再販というスタイルだ。ファミコンの専売権を与えるかわりに返品は勘弁してくれということだ。初心会は全国にその配下の二次問屋があるので、彼らを通じて全国の小売店にファミコンを売りだした。ちなみに当初の初心会参加問屋の意見としては「こんなもの絶対に売れない」だったそうだ。
ややこしいのがこの後、ファミコンの登場に衝撃を受けたハドソンとナムコがサードパーティとして参加することだ。当時の任天堂はサードパーティが現れることを予測していなかった。というか、まさか他社がファミコンソフトを作れるとは思っていなかった。そのためサードパーティ参加用の契約書をあわてて作る羽目になったという。(このときアメリカにてアタリがサードパーティであるアクティビジョンを販売差し止めで訴えていたが、後に和解し、サードパーティが合法化された経緯があるため、そもそもサードパーティを認めない、という選択肢はなかったものと思われる)
このときのナムコは簡単だった。ナムコは自前でROMカセットを作ることができたからだ。アーケードの雄はハードウェアを扱う力に長けていた。ナムコに対しては自社生産を認め、1本100円のロイヤリティを収めてくれれば問題ないという契約を交わした。
ハドソンが問題だった。ハドソンは能力こそずば抜けていたが、なにぶん会社の規模が小さかった。とても自前でROMカセットは作ることができず、任天堂に頼ることになった。
任天堂からしたらさらに想定外の事態だ。どうやればスマートにサードパーティ用のソフトを流通させることができるのか。任天堂はリスクを負うことなく、かつゲーム市場が適正に伸びていくための方法を模索する必要があった。
最終的な仕様は、まずサードパーティは一括して任天堂に製造委託費を払う。その中からロイヤリティを差っ引き、任天堂は工場にROMを発注する。作る数は任天堂、サードパーティ、初心会の3つで相談して決める。初心会はサードパーティが任天堂に委託したROMを全数買取、支払いする。これで決まった。
もちろんこれが全てではない。年末はクリスマス商戦を狙って多数のソフトメーカーがソフトを投入してくるので、思ったような数が生産できないので任天堂が拒絶する場合もある。初心会の見込み以上に売れると意気込んだサードパーティが、自前で在庫を抱えてリピートを狙う場合もあった。ROMカセットは作るのにとにかく時間がかかるから、リピート発注が来てもそのとき在庫がなければ応えられるのは早くて三ヶ月後だ(半導体の在庫事情によっては半年待たされることもあったらしい)。そうなればすでに需要は中古で落ち着いてしまう。そういう理由で初心会の注文数よりも多くつくるメーカーもあった。そのままリピート注文が来ず在庫になった? その場合は大特価で二次出荷するしかない。君はかつてゲーム屋でファミコン版グラディウスが新品980円で売られているところを見たことはないか? あれはつまり、そういうことだ。
この中で任天堂を非難する流れがあった。サードパーティがソフトを出すにあたり、任天堂はなんのリスクもなくロイヤリティを徴収していると。しかしこれはそもそもファミコンという当たるかどうかわからないプラットフォームを立て、リスクを負った会社が得るリターンとしてはむしろ当然ではないだろうか。不満があるならセガのように自社プラットフォームを出せばいい。ナムコも自社プラットフォームを計画していたらしいが、結局世に出ることはなかった。
ファミコン時代の流通はこういうことで決まった。このあたりの動きでは初心会があまり悪の組織っぽくなくて意外かもしれない。こんな証言がある。スクウェアの創設者鈴木尚が2003年岡山大学にてインタビューを受けたときの発言である。
>初心会っていう問屋集団が、ある時期は全くファイナンスの役割を果たしてくれてたわけですよ。あまりに量が大きくなると「すみません、お金ないんですよぉ」って言うと手形をくれるわけです。その手形を担保に銀行からお金を借りるわけです。実質的には、ある日突然ファミコン・ブームが終焉しない限りは、返ってくるだろうという。
この時期はスクウェアがファミコンに参入したての頃を指す。任天堂はROMの製造委託費を前払いで求めてくるので、どこかが銀行の代行をしなければならない。そこで初心会が(正確にはその中の一つの問屋だろうが)その役割を果たしていたということだ。
スクウェアはこの後ファイナルファンタジーで有数のRPGメーカーとして名を馳せることになるが、実は完全覚醒するまでにはもう少し時間がかかった。初代ファイナルファンタジーの初回出荷数は40万本で、これが最終的には80万本まで伸びる。次回作ファイナルファンタジー2にて70万本超えの実績を得たが、実はこれ、途中でかなり問屋内で在庫が残って大変だったという。しかしファイナルファンタジー3では初のミリオン超え(最終的には140万本)を果たす。それに伴い過去作も売れるようになって、リピードがかかったというわけだ。このあたり初心会はうまくスクウェアのバックアップに動いているように見える。
そう見えるのは、それはスクウェアが一流メーカー入りを果たしたからだった。ファミコン末期の他のメーカーはどうだったか? 1990年8月晴海にて「ファミリーコンピュータ・ゲームボーイ展示会」「スーパーファミコン発表会」が行われた。年末発売のソフト中心に初心会や小売店に対して各ゲームメーカーが披露する展示会だ。この展示会自体は1988年からやっている。
しかし1990年ではついに「受注ゼロ」のソフトが出始めたのだ。しかも一つや2つではなく、この展示会で並んだソフト(約100タイトル)のうち、3割が受注ゼロだった。この時点でファミコン市場は売れるソフトと、そうではないソフトの差が尋常ではなく離れていた。
この場合、メーカーには2つの道がある。一つは発売中止。もう一つは「任天堂には最低限の発注を行い、初心会には最大限の営業活動を続ける」というもの。もちろん初心会に対して売る気を見せるために大規模な広告活動をやれば発注はくるかもしれないが、その分当然損益分岐点はどんどん高くなる。もっとも有効なのは卸値自体を下げてしまうことかもしれない。
そうしてギリギリの攻防が続けられなんとか出荷したゲームはどうなるだろうか? 端的にいうと、人気ソフトの添え物として扱われた。初心会問屋は二次問屋や小売店へ向けて1本の人気ソフトに対してこういった不人気ゲームや、在庫の売れ残りゲームが抱合せで売りつけた。このときのレートによって「1対3」「1対4」などという言葉が生まれた。(場合によっては1対8なんてのもあったらしい)
さらにはバッタ屋ルートなるものも存在した。問屋の不良在庫を捨て値で買取、独自のルートで小売店に売る。このときの小売店はゲーム屋とは限らない。スーパー、ディスカウントストア、リサイクルショップと様々だ。なかには「お楽しみ袋問屋」なるものもでてきて、中身が見えないファミコンソフトの詰め合わせが一山いくらの世界だったそうだ。こういった不人気ソフトはワゴンセールをとてもよく賑わしてくれた。
ちなみに抱合せ販売は違法なので、公正取引委員会による排除勧告が初心会問屋に入ったことがある。ドラゴンクエスト4の頃だ。そのためかわりに「新作ドラゴンクエストの受注を行います。なおドラゴンクエストの他にあの大人気ソフト郡(大人気とは言っていない)のリピート販売を行いますので、ぜひ同時注文してくださいね」なんて手法が取られた。
これらの状況を任天堂は当然良く思っていなかった。もともと任天堂はアタリショックを目の当たりにして、「クズソフトの氾濫は市場を殺す」と認識していた。そのため、サードパーティには本数制限をかけた。が、サードパーティ自体が増えれば意味がなかった。子供向けのおもちゃであるために表現規制を敷いたが、クオリティチェックはまだこの時行われていなかった。どんどん増えるソフトと初心会の流通在庫は市場を殺す材料になりえた。どこもが不良在庫を減らそうとやっきになって価格をディスカウントしてしまえば、プレイヤーは適正価格でゲームソフトを買おう、という意欲が損なわれる恐れがある。
そこで任天堂はこの状況を打破すべくスーパーマリオクラブという組織を立ち上げる。一般のモニタープレイヤー2000人超を使い、彼らに発売前のゲームを二時間実際にプレイしてもらい、どこがどう面白いのか、つまらなかったのかを評価をする。評価は項目ごとに点数付けされ、集計されたデータは問屋や小売店に送られる。このデータは雑誌ファミリーコンピュータマガジンなどにも送られ掲載されていたので、知っている人は多いんじゃないかな。そしてこのスーパーマリオクラブはソフト売上の予測も立てるようになった。意外なことにこの素人集団の予測が的中した。後年はマリオクラブの参加者自身が慣れてきてしまい、その予測が外れるようになってしまったが。余談だがマリオクラブはこの後正式な任天堂の品質管理部門となった。さらにその後分社化が行われ、マリオクラブ株式会社となった。
任天堂としてはスーパーファミコンを機に一度市場をリセットしようと試みた。品質管理に売上予測、あまりに多くなりすぎた流通在庫。今ではピンとこない話だが、当時のゲームメーカーは「いったいどれほどのゲームが実際にプレイヤーの手に渡っているのか、どれほど流通在庫が眠っているのか」を把握する方法がほとんどなかった。商売相手は小売店やプレイヤーではなく、あくまで初心会だからこんなことになったわけだ。
当時の任天堂社長山内はこう語っている。「どれほどのソフトが売れるか、我々にはわかりようがない。流通のプロに任せるしかない」。これは初心会オンリーの流通を自己弁護した言葉と思われた。しかしこの言葉には「流通のプロでもわからないのなら、任せる意味がない」ということを含んでいる。この言葉の本当の意味はこの後判明する。
そうして新たなスタートをきったスーパーファミコン市場だったが、これは結論からいうと、なんら変わらなかった。むしろますますカオスになっていった。このあたりからいよいよ初心会の初心会らしい悪行が目立ち出す。厳密にいうとこの美味しい市場に目をつけた業者が、なんとか流通に入り込もうとし、初心会の中の一部(ここはもしかしたら一部ではないかもしれない)が彼らと手を組んだ結果なのだが。
・スーパーファミコン本体がほしい場合はアクトレイザーとの抱合せで(違法? 知りません)。しかもスーパーファミコン自体の掛け率は98%。場合によっては小売超え。別売りのケーブル(スーパーファミコンはAVケーブルが別売りだった)を売るほうが利益がでる状況だ。
・80万本の出荷実績があるサッカーゲームの第二弾が登場したとき、初心会のとある問屋一社が初回出荷数50万のうち25万を買い占めた。この25万は発売日に大量には卸さず、自前で在庫として抱え、市場在庫が枯渇して小売店や二次問屋が注文してくるのに対し、他のクズソフトとの抱き合わせ(違法? 知らない子ですね)で売りさばいた。
・とある問屋がメーカーに対して「うちは来週から社員旅行にでかけるんで、申し訳ないのですけど一週間早くソフトを卸してくれませんか?」と要望があった。それに応じて一週間早くソフトを送ると、なんとそのまま発売日よりも一週間早く小売店にソフトが並んでいた。社員旅行なんてそもそも嘘だった。
・メーカーに対してゲームソフトを大量に仕入れることを約束する見返りとして、その担当者個人の口座にリベートを送るように要求した。
(続く)
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