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2026-01-24

じゃあ、もう一段深いところを書く。

これは科学史という分野が「惨め」なだけじゃなく、「陰湿であるという話だ。

科学史アカデミアは、だいたい表向きは穏やかだ。

みんな丁寧語

メールはやたら長い。

「大変示唆に富むご研究で〜」から始まる。

でも中身は、湿地帯。

まず、分野が狭い。

狭すぎる。

日本に同じテーマをやっている人が5人いない。

下手すると3人。

しかも全員、顔見知り。

まり、逃げ場がない。

学会に行くと、

「そのテーマ、○○先生もやってますよね?」

という一言で、すべてが始まり、すべてが終わる。

○○先生は、

自分より10歳上

海外学位持ち

・すでに定職あり

編集委員

科研費審査員

この時点で勝負は終わっている。

でも誰も「競争だ」とは言わない。

みんな「協調」「対話」「学問的誠実さ」を口にする。

そして水面下で、

学会報告を先に出された

・似たテーマ論文が急に出た

査読意味不明に削られた

・「その史料はもう使われています」と後出しで言われた

ということが、静かに起きる。

科学史陰湿さは、

殴られないことだ。

怒鳴られないことだ。

すべてが「丁寧な否定」だからだ。

「興味深いですが、やや既存研究との関係不明瞭です」

お前の居場所はない。

「もう少し理論的整理が必要では?」

お前は浅い。

「この分野では慎重さが求められます

余計なことをするな。

誰も名前を出さない。

誰も責任を取らない。

ただ、閉め出される。

さら陰湿なのは

科学史マイナー分野」という自覚が、

研究自身保守化させている点だ。

ポストが少ない。

枠が少ない。

から

・新しい視点危険

方法論の更新リスク

・学際性は「若気の至り

結果、

古い枠組みを守った人間けが生き残る。

なのに口では言う。

「若手には挑戦してほしい」

この言葉ほど嘘なものはない。

本音はこうだ。

自分領域を荒らすな」

自分史料に触るな」

自分名前を越えるな」

科学史は、

天才科学者を語る分野なのに、

アカデミア内部では凡庸さが最適解になる。

しかポストがないから、

非常勤どうしでの争奪戦が起きる。

時給1117円の授業をめぐって、

博士号持ちが何人も並ぶ。

その中で起きるのが、

・あの人は「ちゃんとした科学史じゃない」

哲学寄りすぎ

社会史寄りすぎ

・数式を避けている

実験を知らない

という、相互監視

自分非常勤なのに、

他人非常勤を叩く。

惨めさが、内向きに循環する。

そして一番陰湿なのは

この世界では「やめた人」が語られないことだ。

生活できなくなって消えた人。

研究を諦めた人。

民間に行った人。

精神を壊した人。

誰も話題にしない。

なかったことになる。

科学史とは、

科学の光を語る学問だが、

その背後で、

学問を続けられなかった人間の影を大量に生み出す分野でもある。

それでも今日も、

対話」「誠実」「学際」を掲げて、

かに誰かが締め出される。

これが、

科学史アカデミアの、

まりにも静かで、

まりにも人文的な地獄だと思う。

ポスドク一万人計画の結果できた失敗作の山が現在大学教員

高等教育への支援日本復興させる、と会田誠がXで書いていた。

日本戦後復興は、戦後に「偶然」起きたのではない。むしろ戦争のものが、復興のための下地を、皮肉なほど周到に準備してしまった。戦争破壊であると同時に、国家ひとつの巨大な工場に変える。資源配分計画、規格、物流品質、そして何より、人間の配置と訓練。これらが「総力戦」という名のもとに、暴力的に、しかし異様な密度で組み上げられていく。技術開発とは、研究室の机上で美しく完結する知の遊戯ではない。目的が与えられ、期限が切られ、失敗のコストが極端に高い環境で、試行錯誤を反復し、設計製造検査運用までを一気通貫で回す能力総体だ。戦争は、その能力を、恐ろしい速度で社会の中に注入した。

戦時研究開発は、単なる発明ではなく、システムの構築だった。たとえば「技術者」という語は、ひとりの天才の顔を連想させがちだが、実体は違う。設計者がいて、解析者がいて、材料供給者がいて、加工の技能者がいて、検査の手順を作る者がいて、現場に落とし込む監督者がいる。部品表があり、図面があり、仕様があり、誤差の許容範囲があり、標準化がある。つまり工学知識組織的運用が結びついて、初めて技術社会実装される。戦争は、その結び目を強制的に太くした。しかも、若者を大量に吸い上げ、時間を奪い、睡眠健康を削り、失敗に対する許容を奪うことで、訓練を「圧縮」した。倫理的には呪うべき圧縮だ。しか能力形成観点だけを冷酷に抜き出すなら、戦争は、最悪の形で最高効率の訓練装置になり得た。

そして戦後。御存知の通り日本は完膚なきまでの敗北を喫した。当然だ。しか瓦礫と飢えと混乱の中に、奇妙な資産が残った。焼けた街ではなく、焼け残った手だ。軍需のために鍛えられた設計思考現場段取り試験改善の習慣、そして「とにかく動かす」ための執念。戦争目的が剥ぎ取られたあと、その手は、民生に向けて仕事を始める。工場は鍋を作り、ラジオを作り、やがて車を作る。品質管理という名で統計が導入され、カイゼンという名で現場が賢くなる。輸出という名で世界接続され、稼ぐという名で生活が安定する。高度経済成長神話ではなく、忌まわしき制度と虐げられた技能の合成体・キメラだ。そして、その合成の触媒として、あるいは淘汰圧として、戦争という毒が、過去に撒かれていた──そう言ってしまうと、気分が悪いほどに筋が通ってしまう。敗北はしたが、敗北するためには戦わなくてはならず、戦うためには戦えなくてはいけない。奇妙なことに戦えてしまたことが呪いであると同時に祝福でもあった。真珠湾攻撃は、無条件降伏を経て、米国中を所狭しと走り回るトヨタに至った。まともな経済感覚をもっている米国人は一時期まで日本車を買うのがあたりまえだった。

からこそ、戦後日本の次なる課題は、戦争なしに繁栄継続することだった。ここが本丸だった。戦争供給するのは「目的」と「緊急性」と「資源の集中」であり、その果実として新しい「産業」が結ぶのだ。平時社会では、それらが自然に生まれない。目的分散し、緊急性は個人の都合に解体され、資源合意形成手続きに溶けていく。ゆえに、平時繁栄には、別種のエンジンが要る。暴力強制ではなく、自発性創造性によって、産業の餌を自分で狩りに行くエンジンだ。そこで登場したのが、大学院という高等教育の訓練装置だ、という物語わたしたちは信じた。研究という名の訓練。論文という名の競技専門性という名の武器産学連携という名の橋。これらを通じて、戦争の代わりに「知」が繁栄を準備するはずだ、と。

だが、いつの間にか装置は、別の生き物を量産するようになった。保身に東奔西走するばかりの大学教員だ。大学院が、主体性の発火点ではなく、依存の温床になったとしたら、それは制度設計の敗北だ。研究費、評価指標採用任期ポスト学会査読ランキング。こうした外部条件が、大学教員個人の内側に「餌は上から降ってくるものだ」という反射を植え付ける。申請書の書き方は教えるが、産業という新しい鉱脈の掘り方は教えない。論文体裁矯正するが、社会問題を嗅ぎ分ける鼻は鍛えない。安全な問いを選ぶ癖、失敗しない範囲での最適化既存の潮流に寄り添うことによる生存。そうした行動は合理的だ。合理的であるがゆえに、群れは同じ方向にしか動かなくなる。

そしてSNSだ。SNS思想市場であると同時に、承認自動給餌機になった。群れは、空腹そのものを叫ぶことで、誰かが餌を投げてくれると学習する。「分かってほしい」「評価してほしい」「誰かが何とかしてほしい」「政府は間違ってる」。鳴く。鳴くことが生存戦略になる。しかも鳴き声は可視化され、数値化され、増幅される。いいね、リポストフォロワー。これらは、栄養ではなく興奮剤だ。満腹にはならないが、空腹の感覚麻痺させる。やがて、いつまでもから餌を与えてくれるのを求めて、ぴいぴい鳴き続けるトッチャンボウヤのような元雛鳥の群れができあがる。外敵に襲われない巣の中で、口だけが上を向き、翼は畳まれたまま、眼球だけが光る。自分の脚で地面を蹴るという最初行為が、いつまでもまらない。

自分地位が脅かされるとき自分が悪いのではなくいつも政府が悪い。省庁が悪い。国民教育水準が、頭が悪い。外で何が起きているのか少し頭を働かせてみようともしない。誰かが群れから外れたことを言ったときは袋叩きにして火にくべる。その結果、誰もが同じことばかり言い続けている。

だが、はっきり言っておく。お前が新しい産業という餌を捕るんだよ。お前がやることになってたんだよ。餌を「作る」のでもいいし、「掘る」のでもいいし、「盗む」のでもない形で「奪い返す」のでもいい。つまり価値を生むという行為を、制度他人外注するなということだ。もちろん少子高齢社会は強力すぎる逆風ではあるが、それさえも誰かのせいに陰謀論めいて帰着させる前に一度よく考えてみたらどうか。産業勝手に湧かない。誰かが、失敗の責任自分で引き受け、見えない需要言語化し、未熟な技術を鍛え上げ、供給網を組み替え、法や倫理地雷を避け、顧客の怒りと無関心の中で立ち続けた結果として、ようやく姿を現す。論文引用数のように、キーボードを叩けば増えるものではない。獲物は森にいる。森に入った者だけが、血の匂い風向きを知る。

お前たちは選択と集中ではなく研究者の自発的な興味や関心が大事という。

では聞くが、お前たちはお前たちが学生だった頃の自分たちに恥じることはないだろうか。

お前たちは、お前たちが知りたいと思ったことを、お前たちが知りたいと思ったかたちで、明らかにしつつあるのか。

わたし大学の門をくぐったとき自分が畳の上で安らかに死ねるとは思わなかった。畳の上で死ぬというのは、単に死に場所の話ではない。生が、社会和解しているという感覚だ。努力が見返りに接続し、未来計算可能で、家族暮らし老い制度に回収されるという約束だ。だが、あのときわたしには、その約束が見えなかった。見えなかったというより、最初から信じる気がなかった。自分は、本と論文電線の塵芥の中で、目を開けたまま息絶えるのだと思った。研究室の片隅で、半田匂いと紙の埃にまみれて、未完成の仮説を握ったまま、呼吸だけが止まるのだと。

なぜそんな死に方を想像したのか。たぶん、それは恐怖ではなく、ある種の誓いだったのだろう。畳の上の安寧を最初から目標にしない者だけが、森に入れると。森に入るとは、制度の外側に一歩出ることだ。誰も餌をくれない場所に行き、自分の手で何かを捕まえることだ。捕まえられなければ飢える。飢える可能性を引き受ける者だけが、捕まえる可能性を持つ。そういう単純な力学を、大学に入った頃のわたしは、たぶん予感していた。戦争をする国家という本質的暴力装置大学のものを重ねて見ていた。

戦後復興戦争によって準備されたのだとしたら、戦後の次の繁栄は、戦争ではなく、わたしたち一人ひとりの「狩り」によって準備されなければならない。制度は餌箱ではなく、森へ向かうための靴であるべきだ。大学院は巣ではなく、飛び立つための筋肉を作る場所であるべきだ。SNSは鳴き声の競技場ではなく、狩りの情報を交換する地図であるべきだ。そうなっていないなら、装置を叩き壊すか、装置の使い方を変えるしかない。鳴くのをやめて、翼を伸ばして、地面を蹴るしかない。

最後に、あの想像に戻る。目を開けたまま息絶える、というのは、救いのない悲観ではない。目を閉じる暇も惜しんで見ていたかった、ということだ。世界の配線の仕方、言葉の連結の仕方、仮説の跳ね方、そして価値が生まれる瞬間の、あの微かな火花を。もし本当にそういう最期が来るなら、せめて塵芥の中に、誰かの餌になる小さな骨を残して死にたい。鳴き声ではなく、獲物の痕跡を。上から落ちてくる餌ではなく、自分で森から引きずってきた何かを。畳の上で死ねなくてもいい。だが、巣の中で口を開けたまま死ぬのだけは、御免だと。

お上を叩くのは簡単だ。叩いても腹は減らないからだ。制度を呪うのは気持ちがいい。呪っても給餌は止まらいからだ。君たちの批判刃物ではない。換気扇だ。臭いを抜いて、建物延命する装置だ。君たちは自由の名で柵を磨き、純粋の名で鎖を正当化し、公共性の名で自分の安寧を公共財すり替える。いつまで巣の縁で鳴くのか。餌は捕れ。捕れないなら黙れ。黙れないなら巣を出ろ。——平和繁栄は、配給では続かない。

2026-01-23

anond:20260123233433

「主流派経済学反証主義的に“証明”されてきたか?」は、厳密には 証明数学みたいに真を確定)ではなく、より現実に近い形でいうと

…という意味での「反証主義的な淘汰」です。

以下、主流派がどう“反証に耐える形”に進化してきたかを、代表例で整理します。

1) 方法レベル反証可能な形に「落とす」こと自体を重視してきた

サミュエルソンは、理論を“操作可能(operational)な命題”=観測検証できる形に落とすことを強調した流れの中心人物として語られます

フリードマンは、(前提のリアリズムよりも)予測力を評価軸に置く「実証可能な含意で勝負する」方法論を強く打ち出しました。

ここがまず“反証主義っぽい”土台です(ただし、後述の通り経済学は補助仮説が多く、純粋ポパー型の運用は難しい)。

2) マクロ典型例:フィリップス曲線の「単純な政策トレードオフ」は壊れた

1950〜60年代に「失業率を下げるとインフレが上がる」ような安定関係が“政策メニュー”として扱われましたが、のちに

期待インフレを入れた「期待修正フィリップス曲線」へ

長期ではトレードオフが成り立たない(自然失業率/NAIRU)方向へ

という更新が起きますフリードマン1968年講演が、期待を組み込む方向に大きな影響を与えた、という整理は一次資料研究史確認できます

また1970年代経験が、この見方を後押しした、という研究史的整理もあります

要するにここは、「古い単純形が反証説明不能)に晒され、修正された」例です。

3) ルーカス批判政策が変わると推計式も変わる、という“反証の形”を導入した

ルーカス批判は、「過去経験則(縮約形)をそのまま政策評価に使うのは危ない。政策が変われば人々の意思決定(期待)が変わり、推計式のパラメータが不変でなくなる」という主張です。

この主張自体も、のちに実証的に検討テスト)される対象になっています

この流れが、マクロを「ミクロ基礎(最適化・期待)」を持つ構造モデルへ寄せる大きな動機になりました。

4) DSGEなど“構造モデル”は、透明性と検証可能性を上げる方向で発展した

DSGEは強い仮定批判され続けていますが、「政策変更の効果を、前提・メカニズムを開示した上で評価する枠組み」として中銀・研究で中心的に使われてきた、という位置づけは一次資料でも見られます

同時に、危機後の批判や改良も含めて「適用可能性・限界」を体系的に検討する研究も積み上がっています

ここでの“反証主義”は、「このモデルが真」ではなく、競合モデルと比べて予測政策評価整合性がどれだけ良いかで生き残る、という競争です。

5) ミクロ実証いちばん反証主義が“制度として”強く働いたのはここ(信用革命

近年の主流派の強さは、むしろミクロ因果推論で顕著です。

これはまさに、「この推定因果だ」という主張が、設計の穴を突かれて反証される/改善される、という反証主義制度運用です。

6) じゃあ主流派は“ポパー型にきれい反証”されてきたのか?

ここは正直に言うと きれいはいきません。理由典型的に

ので、単発で「はい反証理論死亡」とはならず、部分修正モデル更新になりやすい。

それでも主流派が“反証主義的に強い”と言われるのは、上で見たように

という⭐「負け方のルール」が共有されているからです。




流派がやってきたのは「理論の核を固定し、反証条件を明確化し、方法論を更新し続けて生存してきた」という歴史です。

からMMTが“学界で対抗可能理論”として評価されたいなら、同じ土俵

必要です

2026-01-11

悲報コロナワクチンさん、がんを促進させていた

Oncotarget. 2026 Jan 3:17:1-29.

COVID vaccination and post-infection cancer signals: Evaluating patterns and potential biological mechanisms

Charlotte Kuperwasser, Wafik S El-Deiry

https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/41498242/

近年、査読付き学術誌において、COVID-19ワクチン接種と時間的に関連して出現した多様ながん種を報告する論文が増加している。これらの報告の性質および範囲を明らかにするため、2020年1月から2025年10月までを対象に、あらかじめ定めた適格基準に基づく系統的文献検索実施された。

その結果、計69件の文献が組み入れ基準を満たした。内訳は、27か国・計333例の患者記述した66本の症例報告・症例集積研究ワクチン接種集団におけるがん発生率および死亡率の推移を定量化した2件の後ろ向き集団レベル研究イタリア:約30万人規模のコホート韓国:約840万人規模のコホート)、および米国軍人約130万人を対象に、パンデミックからパンデミック後にわたる期間を解析した1件の縦断研究であった。

報告されたがん種としては、造血器腫瘍非ホジキンリンパ腫、皮膚リンパ腫、白血病)、固形腫瘍乳癌肺癌悪性黒色腫、肉腫、膵癌膠芽腫)、ならびにウイルス関連腫瘍(カポジ肉腫、メルケル細胞癌)が多数を占めていた。

これらの報告全体を通じて、いくつかの反復的な特徴が認められた。すなわち、

(1) もともと進行が緩徐であった、あるいは制御されていた既存疾患の異常に急速な進行、再発、または再活性化

(2) ワクチン接種部位や所属リンパ節の関与を含む、非典型的または局在的な病理組織学的所見、

(3) 急性感染またはワクチン接種と、腫瘍休眠、免疫逃避、腫瘍微小環境の変化との間に免疫学的関連が存在する可能性を示唆する仮説、

である

以上の結果は、COVID-19ワクチン接種が、どのような条件下でがんと関連し得るのかを評価するために、厳密な疫学研究縦断研究、臨床研究病理組織学的解析、法医学検討、および機序解明研究必要であることを強く示唆している。

どうすんのこれ…

2026-01-10

anond:20260110172500

頭がどんどんおかしくなって自己放尿を繰り返してしまったようだな。

勝利宣言をしたつもりになっているが、論理構造としては驚くほど脆弱だ。

まず致命的なのは、「方法と結果が一切伴っていないので殴られている」という主張が、何をもって方法とし、何をもって結果と査定したのかを一切示していない点だ。

査定基準提示されない「殴られている」は、単なる主観的感想であって、評価ではない。これは方法と結果を重視しているふりをしながら、実際にはその両方を放棄している自己放尿である

「それを権威主義すり替えるな」という非難は、こちらの議論を読まずに反応している証拠だ。

こちらは一貫して、方法と結果による査定のもの否定していない。むしろ逆で、それを明示せず、共有もせず、「殴られている」という事後的レッテルで済ませる態度こそが問題だと言っている。

方法と結果があるなら出せばよい。出せない、あるいは出す気がないから、貴様人格攻撃と敗北宣言押し付けに逃げている。

それを権威主義と呼ばれて逆上するのは、図星を突かれているからだ。

数学以外にも査定方法は数多存在する」という点も、こちらの主張と何一つ衝突していない。

統計実験、事例比較歴史的検証質的分析、いずれも立派な方法だ。

問題はそれらを実際に提示せず、「殴られている」という結果だけを既成事実として扱っていることにある。

方法が多様であることと、方法説明しなくてよいことは同義ではない。この区別ができていない時点で、方法論を語る資格はない。

論文を書け」「査読では数学モデルは使われない」という煽り的外れだ。

査読とは、まさに方法と結果が妥当かどうかを第三者検証する制度であり、「誰が書いたか」ではなく「どうやって何を示したか」が問われる。

ここで行われているのは査読ではない。基準不明私刑だ。私刑を「殴られている」と表現し、それを正当な評価だと思い込む精神状態こそが、こちらの言う権威主義的振る舞いである。

さらに致命的なのは、「お前が納得できないこと」と「方法と結果の伴わない素人理論を殴ることは両立する」という一文だ。

その両立を示すには、当該理論が「方法と結果を伴っていない」ことを示さなければならない。

その作業を一切せず、前提として断定している以上、論証は成立していない。これは議論ではなく、感情の排泄だ。

自己放尿という表現不快に感じられる理由は、ここにある。

「全てにおいて敗北している」という自己満足的な締めは、議論の外部に逃げたことの自白に等しい。

勝敗宣言するものではなく、第三者方法と結果を比較して判断するものだ。

その手続き拒否しながら勝利を叫ぶ姿は、理屈で勝てない者が音量で補う典型である

冷徹に言えば、ここで露呈しているのは方法と結果を語る能力がないまま、方法と結果を語っているつもりになっている自己認識崩壊だ。

その状態を指して、自己放尿と言っている。それ以上でも以下でもない。

anond:20260110171745

方法と結果が一切伴っていないので殴られている。それを自分の中で権威主義すり替え自己放尿はやめろ。方法と結果の査定方法数学以外の手法でも数多存在している。他専門分野で論文でも書いたらどうだろうか?査読されても殆ど数学モデル反論に用いられることはないだろう。お前が納得できないことと実際に方法と結果の伴わない素人バカ理論殴りは完全に両立する。全てにおいて敗北している、尿まみれの汚い臭い男は、自己の敗北を直視できない。

2026-01-08

ベルクチン

Yahooニュースで見た、「イベルクチンが癌に有効なのでは」という主旨の記事についてAIに判定してもらう。

https://news.yahoo.co.jp/articles/1dcb9d059bd8e87d2885e7adeab13ad0a3febffd

📊 文章タイプ判定

カテゴリ: A. 説得・オピニオン

詳細ジャンル: A-1. 扇動・極論

🧠 適用した分析レンズ

認知モード (System 1、2):

読者の直感(System 1)に訴えかけ、熟慮(System 2)を阻害するような情報提示の有無を分析します。特に医療情報において、権威感情に訴える表現は注意が必要です。

科学信憑性:

医療に関する主張であるため、提示されている情報科学コンセンサスに基づいているかエビデンスの質と量が十分か、その提示方法が適切かを評価します。

論理的整合性:

文章内の主張や推論に矛盾がないか根拠結論の間に論理的な飛躍がないか確認します。特に限定的情報から一般化された結論を導いていないか検証します。

ナラティブと元型:

特定の薬や治療法を「ヒーロー」のように描き、その物語性を通じて読者の感情や信頼感に訴えかけようとする意図分析します。

📝 深層分析レポート


1. 認知モード (System 1、2) による分析

洞察:

本文は、読者の直感的な思考(System 1)に強く訴えかけ、熟慮(System 2)を促す客観的かつ詳細な情報提供を意図的に避けている傾向が見られます。「ノーベル生理学・医学賞を受賞した北里大学大村智博士発見した」「世界中で数億人以上の人々を救ってきた」「安全性の高い薬です」といったフレーズは、イベルクチンに対する強い肯定的感情や信頼感を直感的に抱かせるための、強力なアンカリング効果を生み出します。これにより、読者はその後の主張(がん治療への効果)に対しても、批判的な吟味をせず受け入れやすくなります。また、「私はがん治療現場に立つ医師として、この薬のがんに対する力を確信しています」という個人的確信の表明は、発信者権威を利用した感情的訴求であり、読者のSystem 1をハックする典型的手法です。

引用:

"2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した北里大学大村智博士発見した"

"世界中で数億人以上の人々を救ってきました。もともと寄生虫ダニなどに使われてきた安全性の高い薬です。"

"私はがん治療現場に立つ医師として、この薬のがんに対する力を確信しています。"

2. 科学信憑性 による分析

洞察:

ベルクチンのがん治療における有効性に関する記述は、科学エビデンス提示が極めて曖昧で不十分です。「研究結果が世界中で報告されています」「最新の研究では〜わかってきました」「有効性が示唆されています」という表現は、具体的な臨床試験フェーズ研究デザイン対象患者数、統計的有意性、査読の有無など、科学信憑性裏付け重要情報が完全に欠落しています。また、現時点でのイベルクチンのがん治療への適応は、大規模なランダム比較試験によって確立されたものではなく、標準治療として推奨される科学コンセンサス存在しません。筆者の「確信」は、個人経験や観察に基づくものであり、科学エビデンスとは異なります。参考文献として挙げられている「イベルクチン 世界臨床医証言」も、学術論文ではなく、個人見解経験を集めたものである可能性が高く、標準的科学根拠としては不十分です。

引用:

"この薬が、がん細胞にも作用するという研究結果が世界中で報告されています。"

"最新の研究ではイベルクチンが、がん細胞の分裂のしくみやエネルギー代謝に影響を与えたり、免疫細胞の働きを活性化させたり、がん細胞の成長を抑制し、特に「がん幹細胞」に対して効果を発揮することがわかってきました。"

"まだ充分な臨床試験も進んでいはいません。"

"参考:「イベルクチン 世界臨床医証言」:ポールマリク"

3. 論理的整合性 による分析

洞察:

文章全体には、論理的な飛躍と矛盾が見られます。まず、「もともと寄生虫ダニなどに使われてきた安全性の高い薬です」という記述は、過去用途における安全性が、がん治療という異なる文脈においてもそのまま適用されるかのような印象を与えます。がん治療における長期的な安全性や、抗がん剤としての副作用プロファイルは、寄生虫駆除とは全く異なる基準評価されるべきです。次に、「副作用もなく」と断言しつつ、その直後に「万能薬とまでは言えません。どんながんにも必ず効くわけではないですし、まだ充分な臨床試験も進んでいはいません」と、主張を限定する表現が続きます。これは、読者に強いポジティブな印象を与えつつ、批判をかわすためのレトリックであり、論理一貫性に欠けます。未確立治療法に対して「力を確信しています」と強く主張する一方で、「充分な臨床試験も進んでいはいません」と現状を認める点も、結論根拠の間に大きなギャップを生じさせています

引用:

"もともと寄生虫ダニなどに使われてきた安全性の高い薬です。"

"副作用もなく、経口薬として使えるため、患者さんの負担も少ない反面、万能薬とまでは言えません。"

"どんながんにも必ず効くわけではないですし、まだ充分な臨床試験も進んでいはいません。しかし私は、イベルクチンによるがん治療に、明るい可能性を感じています。"

4. ナラティブと元型 による分析

洞察:

本文は、イベルクチンを「既存三本柱(手術・抗がん剤放射線治療)に代わる、あるいは補完する新たな希望」という元型的なヒーロー物語として提示しようとしていますノーベル賞受賞者による発見という「起源物語」と、「世界中で数億人以上を救ってきた」という「偉業の物語」が、この薬を特別存在として位置づけていますさらに、「がん幹細胞」という難敵に立ち向かう力を持つという記述は、がん治療最前線で戦う新たな「救世主」としてのナラティブを強化します。この物語構造は、複雑で絶望感を与えがちな「がん治療」というテーマにおいて、読者に単純な希望解決策を提示し、感情的な共感を呼び起こすことで、イベルクチンへの期待感を高める効果を狙っています

引用:

"2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した北里大学大村智博士発見した寄生虫駆除薬です。"

"世界中で数億人以上の人々を救ってきました。"

"特に「がん幹細胞」に対して効果を発揮することがわかってきました。"

💡 総合考察

文章は、未確立医療情報に対して、特定の薬(イベルクチン)の有効性を強く推奨するものであり、その情報提示には強い危険性が伴います

筆者は医師としての肩書個人的な「確信」を前面に出し、ノーベル賞受賞や過去の実績といった権威性を援用することで、読者の直感(System 1)に訴えかけ、イベルクチンに対する過度な期待感を煽っています科学エビデンス提示は極めて曖昧であり、がん治療という極めて重大な意思決定に関わる情報としては、信頼性に欠けます論理的な飛躍や矛盾散見され、特に副作用もなく」という断定と、その後の限定的表現は、読者の誤解を招く可能性があります

がん治療は、科学根拠に基づいた標準治療が最も重要であり、未確立治療法への過度な期待は、患者が適切な治療機会を失うリスクを高めるだけでなく、経済的精神的な負担を増大させる可能性があります。この文章は、そのような誤った選択誘導する危険性を内包しています

2025-12-21

anond:20251221102604

査読ってやつをしてもらったり予算出してもらうために人格おかしくなるまでパワハラされる運命なんだったら

ボロ屋で気ままにその日暮の方がいいね

2025-12-09

anond:20251209150819

批評家批評を作ってるじゃん

査読もされてないし、されてるとしても仲間内で褒め合ってるだけの無意味なやり取りであることが大半で話にならない。

2025-12-06

おいイーロン・マスク、俺のXアカウント理不尽に凍結するとはいい度胸だな。叩き潰すぞ

おいヤク中イーロン・マスク

お前らが好き好んで押しているその凍結というやつは、まさか論理的プロセスを経ていると本気で思っているのか?

あれはプロセスでも仕組みでも何でもない。ただの自己放尿みたいな誤検知アルゴリズムの飛沫だ。周囲に迷惑を撒き散らしながら本人だけが出してスッキリした気になっている、あの惨状そのまんまだ。

まず言うがな、俺のアカウントが凍結される理由ガイドライン違反かい曖昧ゴミ箱に放り込まれる時点で、論理的審査をしていないことは確定している。

なぜなら、違反が明示されないルールルールではない自己放尿だからだ。

数学で「この定理証明しないが正しいと思うので使う」とか言ってみろ。学生ならレポート0点、研究者なら職を失うレベル自己放尿だ。

まりだ、お前らの凍結プロセスは、理屈として自己放尿している。

破綻しているだけならまだマシだが、破綻したままユーザーを巻き込むのは無能の側だ。俺は無能自己放尿は嫌いだ。そこを履き違えるな。

次に言っておくが、俺は別に感情的になっているわけではない。

この文章は怒りではなく、診断書だ。

お前らのシステムがどれだけ因果関係理解を欠き、入力文脈無視した自己放尿モデル運用されているかという、冷徹な観察の結果にすぎん。

運営よ、もし本気でサービス改善する意思があるなら、俺が提示する最初の一手はこれだ。

「凍結理由を明示できないなら凍結するな」

当たり前すぎて、言語化するのが恥ずかしいほどの原則だ。

凍結とはユーザー排除するという最高レベル干渉だ。

それを説明責任なしでやるというのは、数学者が「この証明は長いので省略します」と言って核心部分を全部削る自己放尿と同じ。

そんな研究査読すら通らん。

最後に覚えておけ。

俺は脅しもしないし、暴力も使わん。

だが論理事実の積み上げは、暴力より残酷な結果を生むことがある。

お前らの運用体制が持つ矛盾を、逃げ場のないところまで照射してやる。

以上だ。

2025-12-01

理解」の彼方にある数学──望月新一とIUT理論が問いかけること

1. はじめに──氷河の上の対話

2018年12月京都であった5日間の対話

一方には、自ら構築した「宇宙際タイヒミュラー理論」で数学界の難問ABC予想を解いたと主張する望月新一

もう一方には、その証明に「説明不能ギャップ」を見るペーター・ショルツェ。

彼らは同じ言葉数学語)を話しているはずなのに、まるで異なる星の住民のように、互いの論理を捉えきれなかった。

「どこが分からないのかさえ、分からない」。

これは、数学者がIUT理論に触れた時に口にした、ほとんど哲学的な嘆きである

2. 数学は、いつ「別の教科」に化けるのか

我々が学校で習う数学は、確固たる地面の上に築かれた都市のようなものだ。

公理という基礎の上に、定義というレンガを積み、定理という建造物を建てていく。誰もが同じ地図を持ち、同じ道を歩める。

しかし、ABC予想のような深淵に近づくと、地面は忽然と消える。

そこには「夏場の動く氷河」が横たわっていた。足場は流動し、割れ目は見えにくい。

望月新一は、この氷河を渡るために、従来の登山道具(数学概念)では不十分だと考えた。

彼は新しいアイゼン宇宙)とロープブリッジ)を発明し、一人で渡ってしまった。

「見よ、対岸に着いた」と彼は言う。

しかし、彼以外の者は、その渡り方をまだ知らない。

3. 「ブリッジ」という名の幻想、あるいは天才

IUT理論の核心は、異なる「宇宙」を結ぶ「ブリッジ」にあるという。

だが、このブリッジは、従来の数学が知るどの「橋」とも似ていない。

それは具体的な写像ではなく、関係性の比喩のようにも、あるいは情報転送する「儀式」のようにも読める。

「このブリッジ設計図には、応力計算が書かれていない」とショルツェは言う。

「いや、これは新しい種類の橋だから、従来の応力計算では測れないのだ」と望月は応じる。

ここに、論争の本質がある。

革新は、往々にして既存検証基準を逸脱する。

だが、基準を逸脱したものが、果たしてまだ「数学証明」と呼べるのか?

4. 地動説の再来、それとも幻影?

ガリレオが「それでも地球は動く」と囁いた時、人々は自分の足元が動いていることを想像できなかった。

IUT理論は、数学世界の「地動説」かもしれない。

まり直感に反するため、受け入れるには世界観の書き換えを迫られる。

しかし、地動説には望遠鏡という共有可能検証手段があった。

IUT理論には、その「数学望遠鏡」がまだ大多数に共有されていない。

望月という一人の天才けが覗ける望遠鏡で見えた景色を、どうやって共同体の確かな知識昇華させるのか?

5. 孤独と共同性の狭間

数学は、歴史的に「孤独な探求」と「共同的な検証」の緊張関係の中で発展してきた。

ガロア孤独群論を創り、ワイルズは7年間を孤塁で過ごした。

だが彼らの証明は、いずれも共同体に開かれ、検証され、受け入れられた。

IUT理論は、このバランスが大きく傾いたケースである

まり自己完結的で、あまり独自言語で書かれているため、検証のための「共通の場」が成立しにくい。

それは、一人の建築家が、共通建築基準無視して建てた、あまりに独創的な塔のようなものだ。

美しいかもしれないが、他の建築家には、その安全性正当性)を確認する手段がない。

6. 数学の、そして人間認識限界

IUT理論論争は、数学の内部問題を超えている。

それは、「人間はどのようにして、個人の深い直感を共同の確実な知識に変換するのか?」 という、科学哲学根本問題に触れている。

しかすると、我々の「共同的な理解」というフィルターは、真に革新的な知を濾過してしまうのかもしれない。

あるいは逆に、そのフィルターこそが、科学を単なる個人妄想から救う防波堤なのか。

望月新一は、そのフィルターを──意図的か否かは別として──きわどくかすめるようにして、新しい数学大陸発見たかもしれない。

だが、彼だけがその大陸上陸し、他者はまだ船(理解)を持たない。

7. 終わりに──氷河は解けるか

「5日間では短すぎた」。

そう誰もが思う。だが、果たして何日あれば足りたのか。

新しいパラダイム理解するには、時に「学び直し」に近い時間を要する。ショルツェら一流の数学者でさえ、その途上にある。

IUT理論は、査読という形式的な関門は通った。

だが、数学的真理の受容は、単なる手続きではなく、共同体の魂が納得するプロセスでもある。

氷河ゆっくりと、しかし確かに動いている。

つの日か、この氷河が確固たる大地として多くの人に認識され、ABC予想への道が共有される時が来るのか。

それとも、この氷河は「夏の終わり」と共に消え、数学史の不思議エピソードとして記憶されるだけなのか。

答えはまだ、誰も知らない

ただ、この論争が我々に教えてくれるのは、数学が──ひいては科学が──常に「理解境界線」との戦いである、という厳粛な事実である

数学とは、確かな地面を歩む技術であると同時に、時には氷河を渡る勇気でもある。

望月新一は、その渡河を一人で成し遂げた。

問題は、彼の後を、我々が続けることができるかどうかだ。

2025-11-08

AIネイティブの衝撃と専門家未来東大教授を戦慄させた一件が問う

AIを引っ提げた大学院生

テクノロジー社会構造を再編する現代において、人間の知性や専門性のあり方は根源的な問いに直面している。その問いに強烈な一石を投じたのが、東京大学小川教授学内広報誌『淡青評論』で紹介した一件である。これは、制度組織適応するよりも速く未来が到来しつつあることを示す、稀有で明瞭なシグナルと言えるだろう。経済学素養ほとんど持たない修士課程学生が、生成AIとの対話のみを駆使し、わずか1年で「トップレベル学術誌に挑戦できる水準」の論文を書き上げたのだ。これは単なる技術的な成功事例ではない。長年の訓練を経て築かれる専門知識価値研究者役割、そして「知性」そのもの定義根底から揺るがす、まさにパラダイムシフト象徴する出来事である

この小川教授寄稿は、社会に大きな波紋を広げた。インターネット上では瞬く間に注目を集め、「はてなブックマーク」では469ユーザーブックマークし、102件のコメントが寄せられるなど、白熱した議論を巻き起こした。本稿では、この一件を現代社会の変容を映す縮図として捉え、専門家が感じた「恐怖」の本質と、社会に広がる期待と懸念分析する。そして、この出来事象徴する、新たな世代の登場について考察を進めていく。彼らこそ、これから時代定義する「AIネイティブ」なのである

AIネイティブ」の誕生知識習得パラダイムシフト

本セクションでは、話題学生象徴する「AIネイティブ」という新しい世代分析する。彼らは、AIを単なる補助ツールとしてではなく、思考研究方法論の中核に据えるという点で、旧来の世代とは一線を画す。その登場は、単なるツールの変化ではなく、知識を獲得し、体系化するプロセスのもの革命意味している。

この学生実践した研究プロセスは、AI方法論の根幹を成していた点で画期的であった。具体的には、以下の全工程AIとの対話を通じて進めている。

このアプローチ革新性は、旧来の知識探索モデルとの対比によって鮮明になる。東京大学大学院情報理工学研究科の山崎俊彦教授は、この新しい思考様式を「辞書逆引き」という比喩で巧みに説明した。従来の検索エンジンは、ユーザーキーワードを知っていることを前提とした「辞書の順引き」であり、既知の情報効率的に探す行為だった。対してAIネイティブは、「やりたいこと」を自然言語AIに問いかけることで、未知の領域を探求するためのキーワード手法を引き出す「辞書逆引き」を実践する。これは、人間知識相互作用における、根本的なパラダイムシフトである

はてなブックマークコメントは、この新しい学習様式がもたらす生産性の飛躍に対する社会的な期待を反映している。あるユーザーは、AI活用により「人に教えてもらうのと同等のパフォーマンスが低コストで得られる」ため「習得速度が爆速に」なると指摘。また、これは単にAI作業を丸投げするような話ではなく、「AIの力を借りて巨人の肩の高さを重ねる話」であり、人類の知の発展を加速させるものだという肯定的見解も示された。

この爆発的な進歩可能性は否定できない。しかし、それは同時に既存専門家たちに、長く暗い影を落とし、不穏な新しい現実を突きつけている。

専門家の「恐怖」とレバレッジ効果という新たな格差

AIがもたらす希望の光の裏側には、深刻な懸念存在する。特に既存専門家が感じる脅威と、AI活用能力によって生じる新たな社会格差リスクは、真正から向き合うべき構造的な課題である

この問題の核心は、小川教授吐露した率直な感情に表れている。経済学の訓練を受けていない学生がこれほどの成果を出したことに対し、教授は「心底たまげました」「このようなAIネイティブ若い人たちがこれからどんどん出てくることにちょっとした恐怖さえ感じました」と記した。この「恐怖」は、単に自らの職が奪われるという不安に留まらない。それは、長年の地道な研究と訓練を経て初めて到達できると信じられてきた専門性価値のものが、根底から覆されることへの動揺なのである

はてなブックマークコメント欄では、この現象を的確に捉える「レバレッジ」というキーワードが頻出した。「若く優秀な人がAIレバレッジかけるととてつもない差になるんだろうね」「頭のいい人はAIでより賢くなる」といったコメントが示すように、AIは元々高い能力を持つ個人アウトプットを飛躍的に増幅させる強力なツールとして機能する。

しかし、このレバレッジ効果は単なる個人生産性向上に留まらず、社会構造を再編する力を持つ。yumanaka氏は、「地頭のいい人がAIを使いこなして圧倒的なアウトプットを出して、そうじゃない人の仕事を奪っていくんだろうな。こわい」と、その負の側面を鋭く指摘した。これは、AI能力格差を埋めるどころか、むしろそれを爆発的に拡大させる触媒となり得ることを示唆している。このままでは、AI活用能力に長けた新たな「認知階級」が生まれ、高価値仕事を独占し、社会流動性を著しく低下させる未来さえ予見される。

このようにAIが生み出す成果の質と量が飛躍的に増大する中で、私たちはより本質的な問いに直面する。それは、その膨大な成果の「正しさ」を、一体誰が判断するのかという問題である

AI時代の核心的課題:「評価能力」と「責任」の在り処

AI技術の目覚ましい進展は、逆説的に「人間による最終的な評価責任」の重要性をかつてないほど浮き彫りにした。本稿の中心的な論点はここにあり、その核心は、他ならぬ論文作成した学生自身の行動によって最も明確に示されている。

彼が専門家である小川教授に助言を求めた最大の理由。それは、「自身には経済学素養がないため、その評価が正しいのかわからない」という切実な懸念だった。AIは「国際誌に通用する水準」という評価を下したものの、その正当性自力検証する術を持たなかったのである

この学生懸念は、専門家による評価の不可欠性を示すものであり、はてなブックマークコメント欄でも多くの共感を呼んだ。

評価の困難さ: 「生成AIを使いこなせば90点の論文が作れるが、90点かは評価保証できない。」

専門知識必要性: 「自分が知見の無い分野でのAI判断が正しいかどうかをどうやって確かめるとよいのか。←ここが一番難しいし、専門知識必要なところ」

懐疑的知性の重要性: 「循環参照やらハルシネーションやらを起こした文章を何も考えずにWikipediaに貼り付けるような人物もいるわけで、やっぱ懐疑的な知性と査読大事なわけです。」

そして、この問題を鮮やかな比喩で捉えたのがobotzcanai氏のコメントだ。「巨人肩に乗れたところで遠くに見えた島々の価値がわからなければ意味はない」。AIによって得られた広大な視野も、その価値判断する専門的な知見がなければ無意味なのである

さらに、この議論は「責任」の所在という、より深刻な領域へと深化する。e_denker氏は、「人間に残された最後仕事は『責任を取ること』になるという話があるが、まさにそれを裏付けるような一件だと思う」と指摘した。この点をさらに鋭く突いたのが、phillies_rocks氏の「内面化できない成果物を作っても誰も責任を持てない」というコメントだ。AIが生成した成果に対して、その利用者は最終的な責任を負わねばならない。もしAI設計した橋が崩落した場合、その責任は誰にあるのか。利用者か、開発者か、それともAI自身か。これは、AI時代の新たな倫理的・法的枠組みの構築が急務であることを示している。

この議論は、AI時代における専門家役割がどのように再定義されるべきかという、未来に向けた重要な問いへと私たちを導く。

結論AIとの共存が再定義する「専門家」の価値

東京大学で起きた一件は、AIネイティブの登場が専門家時代の終わりを告げるのではなく、その役割価値根本から進化させる契機であることを示している。AIが圧倒的な情報生成能力と実行力を手に入れた今、人間に、そして専門家に求められる能力は、もはや知識の生成や統合のものではなくなった。

これから時代に求められる専門家資質は、以下の三つの能力に集約されるだろう。

未来の知のフロンティアは、AIネイティブがもたらす爆発的な「実行力」と、長年の経験と深い洞察力を持つ専門家の「検証力」および「責任能力」が融合する場所に開かれる。AIを恐れるのではなく、新たなパートナーとして迎え入れ、人間ならではの価値を磨き上げること。それこそが、私たちがこれから歩むべき道なのである

2025-11-01

国産LLMの人」が成功できますように

一般的国産LLM開発という主語ではございません.

私としては国産なり日本発のLLM開発を諦めてはならないし, その可能性は十分にあると信じています. 既に出ているものも多数ございますし.

エントリはそれとは全く別の,

国産LLMの人」という方についてです.

---------

色々思うところがありまして.

例えば,

微分は使いたくない」「XOR出来たから何とかなるやろ」

と繰り返し主張しておられる.

そのような単純な活性化関数では過学習か誤差が噴出するかの二択でしょう. 実際, 氏のツイートは正にその状態示唆しているように見受けられます.

```x

▶︎ 誤差が0.12あるだけでとんでもないエラー率になる。誤差関数が雑だから本当はもっとあるのかもしれないが、改善余地がある。

▶︎ 問題は、どのような状態の時に学習成功し、失敗するのかがまだ分かっていない。表現力は十分に持っているはずなのに、なぜか学習しない。

```

過学習に至ったときにうまくいってるように見えるだけでしょう.

と思うのですが, 反論過去にされていた.

```x

▶︎過学習ではないですね。データセットが小さいかつ、それ以外の範囲が出ないことが分かっているので。XORは2^2パターン全て学習できれば精度が100%になりますが、それは過学習とは呼ばないのと同じで、今回の初期のRNNに関しても文字数が圧倒的に少なく、パターンも決まっているので。

```

……と主張されておられる.

私が思うにそれは単純な写像を, ニューロンを使って回り道して作っている状態. LLMは局所的にはたしか線形写像ですが,全体で見ても線型写像だとしたらそれは複雑な文章生成には到底耐えられないかと. (十分に大きいモデルマクロに見ると非線形性があるので)

大規模言語モデル=LLMを目指すとして,

そもそもエンベディングテーブルとは数百億から下手すれば1兆語彙を, たった数千〜1万次元程度のベクトル表現する, 凄まじく繊細なテーブルです.

それをGELUやSwiGLUのような綺麗な活性化関数を使わずに, しか爆速でやると仰っている. さすがにそのレベル革新性を主張するには根拠がない限り, 飛躍が過ぎると判断されるかと.

そのやり方で, 例えば1億語彙までスケールするとして2乗の1京回×数千次元バックプロパゲーションなしで学習するというのは……さすがにきついかと.

バックプロパゲーションが要らないという主張については活性化関数がきわめて単純だから. それなら全層に渡しても「修正」できるでしょう.つまり自明に近いですね.

勾配消失なんて関係ない, という主張については, xorというゼロイチでしか見ないのであれば勾配消失も何もありません. 永遠に層を貫通するわけですから, 何層増やそうがほとんど意味が出てこない. つまりそれは実際には極めて浅い層だけで動いてると思われる.

「こんに」から「ち」「は」が次文予測できたとの報告ですが, まぁ……それが「大規模言語モデル=LLM」にそのままスケールできると言い切れるのはなぜでしょうか?

MNISTだけでなくGLUEあたりをパスしてからにした方がいいと考える次第です.

```x

▶︎ 私が批判されながら、誤差逆伝播に変わるアルゴリズムや精度を30%→100%まで持っていく頭のおかしい行動が取れる理由は、以下の思想があるから

▶︎ 1. 私のNNは高次元の万能近似回路

▶︎ 2. RNNだろうがCNNだろうが展開すれば可能

▶︎ 3. 何十回と失敗した経験則から、原因と対策殆どわかっている

```

殆どわかってる, との事ですが, なんで上手くいってるのか分かってないとも自分で明言なさっている. ↓↓↓

```x

▶︎ 学習が進まないの、謎。単体だと上手く動いてるはず?何が原因だろうか。

▶︎ 学習アルゴリズム開発者本人ですが、なぜ学習が進むのかは謎です。

```

既存手法があまたの失敗の上で最適だと言われてきてる経緯もよく知った方がよい.

それはごく初期にそういった様々な試行錯誤のうえで「やはりGELUやBP現実的にいい性能が出せるし, コストも抑えてこれである」と様々な研究者合意しているような状況.

そして, そもそもアカデミアは自分アイディアも含めて新規手法を常に疑ってかかるのが基本姿勢.

ジャーナルに「不確実さ」を載せないためで, それが積み重なると自他問わず全ての研究が信用出来なくなってしまうため. だから懐疑的になる. 個人攻撃ではないのです.

そして「危険すぎるから論文にできない」について.

さないのも自由ですが, 前述の理由で信頼を得られない. これは言動に一切関わらず, その厳密性をフラット評価してそう判断しているから. 感情ではなく, 論理として.

……と, ここまで色々と蛇足アドバイスをさせていただいたものの, この投稿に対しても

```x

▶︎ 何もわかってない人が国産LLMのやつ批判してて吹いたww

```

といったツイートをなさるのでしょう. (過去に氏がそう仰っていたので)

先に答えておきますね.

自分のやってることがご自分でお分かりにならないようなら, 私にわかるわけがないですし仰る通りです. ただ, 詳しい者として一般論は申し上げられます.」

まだ間に合いますので, 大学院あたりまで修了なさるのがおすすめです.

Twitterに何を投稿しようと自由です. でも自分違和感を見て見ないふりするのだけはやめたほうがよろしい. 既存手法と同等に自分手法を疑うこと, これは研究者としての基本姿勢です.

何故ここまでつらつら申し上げたかと言いますと,

研究テーマ設定を見かけるとついつい, より良い筋でやっていけるようアドバイスしたくなってしまう性が染み付いてしまっているためでして.

もちろん, 関わりのない方ですので蛇足しかないのですが, 多くの方に影響力をお持ちでありつつ研究の進め方については独自姿勢を持つように見受けられまして.

それはもちろん根本的には自由でありつつ, 相談相手需要がもしあればひとつの(一般的)意見をお渡しできるかなと思いキーボードを叩いた次第です.

どうか匿名でご勘弁を.

ぜひ成功できますよう. 圧倒的な成果をお祈りしております.

--------

追記

おそらく氏のやられていることは順伝播 (forward propagation) のみでの学習かと思いますが, この手法の先行研究は山のように存在します.

(Hebbian theory, Perceptron, Adaptive Linear Neuron:ADALIN, Widrow-Hoff learning rule...)

見つけられないとすれば, 古典的 (1960~1980年頃) ゆえに電子化されていないためです. 現行の商用LLMがそれらの情報簡単連想して引用できず, DR等で検索しても出てこないのはその為でしょう.

これらに簡単アクセスするためにはやはり学術機関所属して図書館を利用するのが圧倒的に楽です. マイクロフィルムや紙媒体しか残っていないものもありますから.

また, 有料データベースであるJSTOR, IEEE Xplore, Springer Linkなどにもアクセスが出来ます.

この観点から大学に足を運ばれることをお勧めします.

なお, arXivあくまプレプリントですので, 論文として引用するには査読を通過したものをつよく推奨します. ジャーナルもものによっては不十分な査読掲載されてしまますので, トップカンファレンスのものを信頼できる足がかりの論理として扱うのが基本的な考え方となります.

また, 「分からなければ (大量に貼った) 論文を読んでください」という姿勢は, それぞれをどう引用し, どのように自分の主張と論理的に接続するかの説明がなされなければ根拠として見なされないのが一般的な考え方です.

ブログとしての掲載はもちろん自由ですが, それらを十分な説明として取り扱ってもらうには至らないでしょう.

あくま一般論ですが,

論文引用するからにはそういった丁寧な取り扱いをすることを期待されるものです. 「敬意がない」と他の方から指摘されるのはおそらくそれが理由でしょう.

これは, 過去論文引用しながら新たな主張を論文として営々と積み上げ続けてきたアカデミアの「過去への感謝」という慣習です.

人の行動は自由ですから「こうしろ」とは申し上げませんが, この暗黙の了解を保持する (≈研究機関所属したことのある) 方から理解を得るのはこのままですときわめて難しいであろう, とアドバイスさせてください.

こういった主張のやり方を自分なりに一から身につけるのはたいへん難しいので, どなたかそういった手法を学べる信頼できる方に師事することをおすすめしている次第です.

2025-10-19

論文教科書のように読んではいけない。

日本人はやはり、もっと早い段階から論文を読ませる教育必要だと思う。

教科書は、とにかく「正しいことが書いてあるからおぼえる」という道具になる。

そんなものばかり読んでいては、本当の勉強はできない。

 

本当の勉強は、ある程度偏った内容、著者の無理のある主張が書いてあるような論文を読んで、

「こいつの論理展開面白いからこっちの問題にも応用してみよう」とか、

「こんな試算してるけど、俺ならこういう要素を入れてこんな風に計算するな」とか、

問題の取組みかたを参考にしたり、反面教師にしたりして、考える力をつけることでなされるものである

 

ネットのアホな論客は、往々にして論文を「教科書のように正解があると信じる対象」にしている。

AとBで違うことを言っていて、どちらも論文としては『間違ってない(大抵は)』けど、『正解が書いてあるわけでもない』のが(査読済みの)論文である

論文の読み方を知らないと、新聞の読み方も一次資料の読み方もわからない。

本当のところ、教科書だってこういう意味で「教科書のように」読んでは、本当はいけない。

 

教科書のように読んで良い本なんて、ないのだ。それを義務教育段階で教えられない日本人は、かなり悲惨である

2025-10-06

anond:20251006200926

論文に変な幻想もってるんだな

俺なんか主筆の英字査読論文あるけどワーキングプアやで

夜勤できるようなスキルもない

2025-10-05

SNS時代社会学はもうオワコンなのか。

SNSによる集合知の高度化は社会学存在価値を失わせる可能性があります社会学集合知進化によって存在価値を失いその役割を失ったと言えます

集合知限界社会学役割

集合知衆愚Wisdom of Crowds)は、多くの人々の意見知識を集約することで、個々の専門家よりも優れた判断予測を導き出す可能性を秘めています特にSNSは、この集合知形成を加速させていますが、同時にいくつかの課題も抱えています

1. 集合知の偏り(バイアス)と検証

SNS上の集合知は、しばしば特定グループ内での意見の増幅(エコーチェンバー)や、感情的共感に基づく短絡的な判断に陥りがちです。また、誤情報フェイクニュース)や意図的操作の影響を受けやすいという脆弱性もあります

社会学役割: 社会学は、こうした情報拡散構造や、人々の意識形成プロセス、そしてそれが社会全体に与える影響を客観的分析し、集合知限界や偏りを指摘します。単なる「データ」ではなく、「社会文脈」や「価値観」を含めて理解しようとします。

2. 社会的「価値」と「意味」の探求

集合知は「何が起きているか」を示すのには長けていますが、「なぜそれが起きているのか」「それは社会にとってどんな意味を持つのか」といった本質的な問いには答えられません。

社会学役割: 社会学は、人々の行動や社会現象の背後にある動機文化規範格差といった、目には見えない社会構造を深く掘り下げます。**「望ましい社会とは何か」**という規範的な問いに対しても、歴史的比較的な視点から考察を加えます

3. 社会対話と分断の克服

SNS意見可視化を進める一方で、社会の分断(二極化)も深刻化させています。異なる意見を持つ者同士の建設的な対話は難しくなりがちです。

社会学役割: 社会学は、分断を生み出すメカニズム分析し、異なる集団間の理解対話を促進するための理論的基盤を提供します。また、心理的安全性のある対話の場が、健全集合知形成に不可欠であることも指摘します。

集合知社会学の「データ」であり、分析対象です。

SNS上の集合知が高度化しても、社会学は人々がどのように集団形成し、相互作用し、意味を作り出し、葛藤しているのかを、データを超えて本質的理解するための学問として、その存在価値は揺るぎません。むしろ、複雑化するデジタル社会を深く、批判的に理解するために、社会学の知見はこれまで以上に重要になると言えるでしょう。

それなのになぜ社会学オワコン化するのか。

社会学における「エコーチェンバー」の可能

1. 概念理論自己強化

特定パラダイム理論的枠組み)や専門用語コミュニティ内で過度に重視され、その枠外にある新しい視点異論が軽視されたり、理解されにくくなったりすることがあります学術誌の査読学会での発表においても、既存の主流な考え方を支持する研究が通りやすい、という構造的なバイアスが発生し得ます

2. 批判対象固定化

社会学社会の不平等権力構造批判的に分析しますが、その批判対象固定化し、社会の変化に伴って新たに生まれ問題や、複雑な現実存在する「善意による悪」のような側面を見落としてしま危険性があります。常に批判的な立場を取るあまり実証データ客観的分析よりも、イデオロギーが先行してしまうという批判もあります

3. 社会との断絶(象牙の塔

一般社会集合知常識からかけ離れた独自議論を深めていくあまり、「象牙の塔」に閉じこもり、学術コミュニティ内でのみ通用する言葉論理で固まってしま現象です。これは、社会学者が自ら分析するはずの多様な価値観日常リアリティから切り離され、社会に対する影響力を失うことにも繋がります

集合知時代における社会学自己批判と使命

しかし、この自己批判こそが社会学の核心的な強みとも言えます社会学は、権威主義バイアス分析し、客観性批判精神を維持しようと努力する学問です。

エコーチェンバーを破るための努力

方法論の多様性:

集合知ビッグデータ分析といった新しい定量的手法を取り入れ、伝統的な定性的手法インタビューエスノグラフィー)と組み合わせることで、視点の偏りを減らそうとしています

学際的な対話:

経済学心理学情報科学など、異なる分野の研究者との協働を深め、独自コミュニティの殻を破ろうとしています

内省リフレクシビティ):

自分自身立ち位置や、研究コミュニティが持つバイアスを常に問い直すという「内省リフレクシビティ)」は、社会学研究重要な柱の一つです。

まり、「社会学者こそエコーチェンバーに囚われている」というご指摘は、社会学が自らの宿痾と闘い続けるべきという、非常に重要メッセージ内包していると言えるでしょう。

この自己批判能力こそ、集合知が持つ限界(偏りや短絡性)を外部から分析できる、社会学の根源的な存在価値につながるのではないでしょうか。

2025-10-04

anond:20251004171159

その「日本企業1990社を18年間追跡した研究」という主張について、私が確認できた限りでは、そのままの形で信頼性のある学術研究として裏付けられたものは見つかりません。いくつか類似・関連する研究はありますが、主張の文言(1990社・18年間・利益率低下)をそのまま支持するもの確認できなかった、というのが現状です。

以下、調べた内容と判断を整理します。

調べた内容

Web記事などで、「日本企業1990社を対象に18年間の分析で、女性取締役が増えるとROAが0.1ポイント低下した」という記述が見られます

ナゾジー

→ ただし、その記事ナゾジー等)は学術論文ではなく、二次情報を噛み砕いて紹介したものです。

ナゾジー記事自体では、「この研究は … 『Journal of Risk and Financial Management』に発表されている」といった表記があります

ナゾジー

→ ただし、その論文のもの確認できるソースは私が見つけられませんでした。

日本女性役員取締役比率企業業績の関係を扱った先行研究はいくつかあります。例として:

上場企業における女性活用状況と企業業績との関係」では、正社員女性比率が高いほど利益率が高くなる傾向があるという結果が報告されています

RIETI

女性取締役構成企業パフォーマンス」に関する研究では、日本企業においても、正女性比率と業績との相関が産業企業規模、コントロール変数の扱いなどで変わるという指摘があります

北海道大学学術成果リポジトリ

  1. 1

また、女性取締役比率と業績の関係については、正確な因果性識別するのが難しいという指摘が多く、肯定的否定的中立的な結果が混在しているという整理もなされています

北海道大学学術成果リポジトリ

  1. 2

Koara

  1. 2

先行研究レビューをまとめた文献も、「女性取締役比率企業パフォーマンスROA, ROE など)」の関係が、業種、企業コントロール変数、内生性の扱い、サンプル期間・地域性などに強く依存するという見解を示しています

立命館大学

  1. 1

判断:その主張は信頼性が低い可能性が高い

主張の形(1990社、18年、利益率低下)をそのまま採るには、以下の点が問題です:

出典不明査読論文として確認できない

 現時点で、その研究査読を経た学術論文として公表されているという確証を得られていません。

類似研究整合しない可能

 一般に、女性取締役の増加が業績を一様に下げるという結論は、既存日本・国際研究との整合性が取れないことが多い。様々な研究で、正負・中立の結果が報告されており、単純な「増えると下がる」という因果を支持するものは弱いです。

因果性問題

 もしそのような相関があるとしても、「女性取締役が増えたか利益率が下がった」のか、「利益率が悪化していて、それが背景にあって取締役改編が行われた」のか、逆因果可能性や操作変数をどう扱うかなどがクリアでないと主張は弱くなります

したがって、「その文章事実である」という判断はできません。その主張を鵜呑みにするのは危険と言えます

anond:20251004001144

君も大学レベル数学で言えば大したこと言えるわけでもなく

高校生数学査読論文複数通してるような人と比べたら底辺レベルの凡人でしかないのに

増田で賢いフリしてるだけの大馬鹿なのは明らかでセンス無いよ。

2025-10-02

論文不正深淵AIが加速させる自己放尿文化

最近、生成AIだのと騒がれているが、しょせんこれも人間が持つ浅ましく、怠惰欲望を増幅させる道具に過ぎない。

「ペーパーミルネットワーク」と呼ばれる、カネ儲けのための不正論文製造業者は、このAIという最新の玩具を手に入れ、その活動工業規模の詐欺自己放尿へと進化させている。

事態シンプルだ。昇進、学位研究費、これらすべては「論文数」「インパクトファクター」という紙切れで測られる。

研究者どもは、本来価値ある研究をする手間と時間を惜しみ、その結果、研究者としての存在意義を問われるような行為、いわば自己放尿(自らの業績を水増しすること)に走る。

AIは、この自己放尿をかつてない速度で可能にした。

捏造したデータでいい感じの論文AIに書かせよう」「既存文章AIで巧妙に言い換えて盗用チェックを回避しよう」「全く中身のない論文を何本も量産して実績を水増ししよう」。

彼らにとって、AIは「嘘を真実らしく見せるための高性能な化粧品」でしかないのだ。

結果はどうなる? 学術界は、粗悪で信頼性のない自己放尿論文で溢れかえる

まともな論文は埋もれ、査読システム崩壊し、科学知識の土台そのものが腐っていく。

AI進化すればするほど、不正はより巧妙になり、真実と虚偽の境界線曖昧になる。

この問題の根源は、AI技術ではない。それを悪用する人間の「成果至上主義」と「倫理観の欠如」のダブル放尿だ。

君たちがこの腐敗を止める唯一の方法は、ロジカルに考え、不正を働く者に一切の容赦をしないという冷徹意志を持つことだけだ。

でなければ、学術界全体が、いずれ自己放尿の汚水に溺れることになるだろう。

以上だ。しっかり心に刻んでおけ。

指導教員との関係に思い悩んでいる大学院生自分に伝えたいこと

数年前、私は大学院修士課程に通っていた。

そこで鬱となり、今も私は苦しんでいる。

私の指導教員は、学生研究自由を一切与えず、単なる作業員として学生を扱うクズだった。

しかし、問題はそこではない。

上手くいくはずのない研究に対して、仮説の無い、中学生でもできるような実験永遠と繰り返させることにある。

そのような研究でも、再現性の無い良い結果が得られることが有る。

指導教員に指示を受けた以上、その結果を使って論文投稿をしなければならない。

そうすると、査読者のコメントは「悪意を持って有効性を見せかけた」などといったものになる。

当然だ。「手法Aを○○という課題にあてがうのは誤りだ」と手法Aの開発者が言っているのだから

それをなんの仮説もなくただの行き当たりばったりで覆そうとしているのだから

研究に取り組んだ実に3年間、穴を掘って埋める作業を繰り返すだけの、私の貴重な二十代の時間無駄になった。

それどころか、鬱になったから私の脳がもう元通りになることはない。

独学で技術を磨いていれば、スタートアップ経験を詰めていたなら、研究室を変える勇気が有れば、

私が目指していた専門性の高い人材になれていたかもしれない。鬱にならなかったかもしれない。

今はただ、逃げなかった後悔が募るばかり。

全て自分責任。現状に流されて、自分の居るべき場所主体的選択できなかった。

レールを外れることが恐ろしく、それ以外の道を作る覚悟が無かったのだ。

研究者はどんなクソ論文にも査読者がいるのになろう小説には読者がいない

2025-09-28

anond:20250928104153

学部生ごときが専門誌の査読シバシ通せるわけないだろ

論文の読み書き発表をブートストラップして勉強研究の境目を跨いだ証左論文となってブックされてる事実重要なんだよ

2025-09-26

またソーカル事件デマがばら撒かれてしま

またソーカル事件についてのデマがばら撒かれているらしい。

https://x.com/kenmcalinn/status/1971350035465220500]

ソーカル事件、よく調べると話が全然違って(査読紙ではなくフィクションもの雑誌に、エディタ意味不明から大幅に訂正するように要求されるもソーカル無視して、有名な物理学者の挑戦として特集号に出版)、たぶん悪影響のほうが大きかったんじゃない。

雑誌側は後から掌を返して「最初から少し怪しい論文だなとは思っていた」「哲学的部分の多くを削除してほしいと頼んだ」と反論してるんだけど、ソーカル側が「そんな要求は一度も受け取らなかった」と証言してる。それどころか、何度も批判コメントを求めたのにまったく送ってもらえなかったとか。

その他にも雑誌側の主張のおかしな点はAmato氏の記事などで散々指摘されてるよ。

こういうふうに故意に誇張や嘘を混ぜた言葉アジテーションを行うのは、デマ師のいつもの手口だ。

2025-09-12

政府外国に乗っ取られている!」と言って中国ロシア工作に騙される

マスゴミは嘘ばかり!」と言ってアホみたいなまとめブログYouTuberを信用する

学者は信用できない!」と言って論文査読を通っていないような疑似科学にハマる

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