はてなキーワード: 世襲議員とは
最近ずっと思ってることがある。
みんな進次郎をみくびりすぎなんじゃかいかって。
「セクシー発言」「ステーキ」「中身がない」「ポエム」みたいなやつ。
正直、発言が切り取られやすいし、ちょっとズレたことを言うこともある。
見た目が良くて、いかにも“軽そう”に見えるのも事実だと思う。
でも、さすがにみんな進次郎をアホキャラとして消費しすぎじゃないか、と最近思う。
だいたいの批判は、世襲だから無能なのに首相候補にまでなって、みたいな論調だけど、そんなわけないだろうと。
だって、同じ世襲議員って他にも山ほどいるのに、実際に首相候補になりえてるのって進次郎だけだよね?
二階の息子とか、岸田の息子とか、議員にすらなれてない。
他にも親の名前は知ってるけど、子供が話題になってるの見たことがない人が多数。
その中で、進次郎だけが首相候補になれてるのはやっぱりすごいんだろうなと思う。
ポリ袋有料化も備蓄米放出も賛否両論だったけど、実行まで持ってったし。
賛否ある政策を色々やりつつも人を巻きこみつつずっと名前が出続けてるのを見ると、
ああ、この人、人望というか、人を動かす力は相当あるんだろうな、
と思ってしまう。
その辺皆さんどう思いますか??
https://digital.asahi.com/articles/ASTBG22C1TBGUPQJ004M.html
失った構想力と想像力 高市新総裁と「漂流する日本政治」はどこへ?
新しい自民党総裁に高市早苗氏が選ばれた。初の女性首相となる公算が大きいと見られていたが、公明党が連立を離脱し、先行きの不透明感は増している。一方の野党も一枚岩となれず、政権交代の好機をつかみ取るのに苦心している。漂流する日本政治。さて、どうすれば――。憲法、政治、歴史を専門とする3人が語り合った。
杉田敦・法政大教授 高市早苗氏が、女性として初の自民党総裁に選出されましたが、その後、公明党が連立離脱を宣言し、政界は大混乱となっています。自民党総裁がそのまま総理になるという構図が崩れました。そこで高市氏についてですが、女性がトップリーダーになるのはいいことだと、ひとまずは言えます。しかし、日本の政界では、極端に強硬な女性しか活躍できない構造になっているようで気になります。圧倒的な男性中心社会で認められるには、マッチョでコワモテでなければという「圧力」が女性にかかっているようで、そうした圧力がある限り、真の女性活躍には必ずしも結びつかないのでは。
加藤陽子・東京大教授 自民党という家父長制的な政党、端的に言えば男性世襲議員が多いということですが、その中で、中産階級出身の女性がトップに立つことは時代を画する慶事である。これは間違いありません。ただ、1986年に社会党委員長となって「マドンナブーム」を巻き起こし、女性初の衆議院議長を務めた土井たか子さんとの連続性で高市さんを捉えることは難しい。この30年余の間に起きた……というよりも、まさに今回、高市さんを支援した方々が中心的役割を担った男女共同参画に対するバックラッシュを経たうえでの、初の女性総裁だということは踏まえておくべきです。
総裁選出時の「ワーク・ライフ・バランスを捨てる」発言が問題視されましたが、これは軍隊の中隊長レベルの発想です。それも、負けている軍隊。「身を捨てる覚悟」を見せることでしか隊の統率をはかれない。とても残念です。女性のリーダーシップを考える時、少なくともバックラッシュ以前の社会には、今の高市さんのようなありようは選択肢として存在しなかったはずです。
長谷部恭男・早稲田大教授 「教育勅語大好き人間」を自称する高市さんは、「企業体国家」への憧憬(しょうけい)を抱いておられるのでは。戦前の日本はまさに企業体国家でした。国民全体の共通目標があり、国が個人の生き方を決める。一億火の玉となって公私の別なく朝から晩まで天皇のために尽くす。そうであればこそ、富国強兵の旗のもと、あっという間に世界の「一等国」となりましたが、「天皇陛下のため」が暴走して勝てるはずのない戦争に突っ込み、国家滅亡の淵に立った。その結果できた日本国憲法は、企業体国家から「広場としての国家」へと国家像を転換させました。革命的な変化です。
広場としての国家では、国民全体の共通目標なんかない。国家は、広場に参加する人たちが守るべきルールを策定し、違反する人がいたら制裁する。それしかやらない。ルールの中でどういう生き方をするかは国民一人ひとりが決めます。ところがトランプ大統領の出現によって、広場のお手本だったはずのアメリカが企業体に変貌(へんぼう)しつつある。日本も広場のままではだめなんだという焦りや気負いが、高市さんの言葉の端々ににじんでいます。
杉田 広場で個人として生きるのは結構大変です。どう生きるか、どう行動するのかを自分で決められない、決めたくないという人にとっては「企業体国家」の方が暮らしやすい面がある。結局、輸出向けに自国の為替を極度に切り下げて、輸入食料やエネルギーの価格に苦しみながら、隊長の号令に従って倒れるまで残業するのが日本の繁栄の道だという程度の想像力しか、自民党とその周辺にはなかったということでは。
今回、公明党から、歴史認識や外国人政策と並んで、政治とカネについての要求を突きつけられ、連立離脱に至りました。しかし、この連立が壊れたら、自民党の議席にかなりの打撃となることは、以前から知られていました。組織票が減って、小選挙区でも連敗となる。それでも高市さんを選んだということは、非常に狭い視野でしか「戦況」を判断できなくなっていたのでしょう。もはや解党的出直しをするパワーすら残っておらず、身内を固めて古い自民党に戻ることしかできなかった。目を覆わんばかりの没落ぶりです。
長谷部 石破茂首相をスケープゴート(贖罪(しょくざい)のヤギ)にしたことからすべてつながっています。ヤギさんは別に悪いことをしていない。だから「石破おろし」に対して「辞める必要ない」と内閣支持率が上昇したわけですが、悪いことをしたか否かは実はどうでもいい。「こいつが全部悪いということにしよう」とみんながまとまることにこそ、スケープゴートの意味があります。解党的出直しなどハナから誰も真剣に考えておらず、総裁選の候補者はこぞって「党内融和」を唱え、論戦も低調でした。そして、「自分たちの罪はすべてヤギさんが背負ってくれた。みそぎは済んだ」と、裏金議員が支える高市さんを総裁に選び、「傷もの」が党の要職につく。とても自然な流れです。しかし、あまりにも得手勝手な「身内の論理」はさすがに通らなかったということでしょう。
杉田 「石破おろし」の中心にいた人たちが、いわゆる「安倍政治」の復権をもくろんでいたことは明らかです。安倍晋三さんが敷いたレールから石破さんが外れてしまったから、従来の支持層が参政党に流れた、復権させれば支持層を引き戻せる、昔の強い自民党に戻れるという夢を抱いて、5人の候補の中では最も安倍さんに近い高市さんを選んだと。高市さんは積極財政を打ち出していますが、安倍路線で膨らんだ国の借金をさらに増やせるのか。
長谷部 NHK放送文化研究所が5年ごとに行っている「日本人の意識」調査を見ると、安倍政権時代の2013年と18年は9割以上が生活に満足していると答えている。選挙をやるたびに自民党が勝ったのも当然です。しかし、その「ツケ」がいま本格的に回ってきて、円安による物価高で国民の生活が痛めつけられている。今さら安倍政治に戻るなんてできるはずがないし、やってはいけない。国が潰れます。
加藤 安倍さんは岸信介の孫、安倍晋太郎の息子ということで、自民党内での「正統性」を無条件に担える。しかし高市さんにはそれがない。ないのに、安倍さんと同じように振る舞おうとするから危うい。最もまずいのは、彼女の言葉の定義が非常に狭く、射程も短いことです。たとえば、総裁選出後の記者会見で靖国神社参拝について問われた際、笑顔をつくって「靖国というのは戦没者慰霊の中心的な施設で、平和のお社だ」。平和のお社? それは高市さんの勝手な定義で、国際的にはまったく通用しません。アメリカは靖国ではなく千鳥ケ淵戦没者墓苑の方を正当な慰霊の場だと考えている。日中共同声明や日中平和友好条約締結に向けて、靖国神社というトゲを抜くのに両国がどれほど苦労したか、外交交渉の蓄積への敬意と理解がないですね。これまでのようにアメリカ一辺倒では立ち行かなくなっている中で、日本はアジアと付き合っていかねばなりませんが、そのアジアの横っ面を張るようなひどい発言です。
杉田 総裁選の中で、排外主義的風潮をあおりかねない外国人政策が前面に出てきたことも見過ごせません。19世紀イギリスのウォルター・バジョットは、政治には「実務」と「威厳」の二つの機能があると整理しています。法律をつくって政策を動かす「実務」は当然やらなければいけない。しかしそれだけでは人民はついてこないから、「大英帝国はすごい」というところを見せて忠誠心を獲得し、国を統合していかなければならないと。ところがいま、世界的に実務がほとんど機能していない。移民という、まさにスケープゴートを仕立てて「威厳」を無理やり演出し、人びとを統合することしかできていません。日本においても「日本人ファースト」を掲げる参政党の伸長と、それに動揺して引きずられる自民党によって、外国人排斥的な流れが一気に加速しました。
加藤 高市さんを総裁に選んだことで、自民党は包括政党であることを諦めたと言えるのでは。党内外のコンセンサスを意識した経済的利益配分に留意し、「大きなテント」を張って幅広い考えの人たちを包摂してきましたが、ついにテントをたたみ、党内の一部の「無責任なポピュリズム」にくみした感があります。
長谷部 昨今の日本政治の特徴はニヒリズムだと思います。権力を握ることが自己目的化し、何のために権力を握るのかという目標や価値が蒸発してしまっている。先の参院選で議席を伸ばした小政党の党首は人気取りにはたけていますが、あるべき社会像を描けてはいない。ただ権力ゲームが面白くて、夢中になっている。しかも政党助成金という多額の「賞金」までついてくるのだから、これはもうやめられません。
杉田 衆参で自公が少数になったにもかかわらず、野党もメディアも自民党中心の発想からなかなか抜け出せなかったことが、日本政治停滞の大きな要因です。憲法や原発などの政策で完全に一致しなければ連立できないかのように言われていますが、世界を見渡せば、かなり考え方が違う政党が争点を限定して連立している。意見が異なる問題については基本的に現状維持とし、たとえば減税を中心的な課題として内閣をつくればいいだけです。これまでそうした発想がなく、今回、公明党が離れても野党の動きが鈍いのは、政党政治への理解が浅いからであり、もっと言えば、依然として自民党を過大評価しているからでしょう。
加藤 石破さんは10日、戦後80年の所感を出しました。戦争が避けられなかった理由を、国内の政治システムの不全から考察した声明です。国務大臣単独輔弼(ほひつ)制や統帥権独立等の制度的な穴を前提とし、その穴を補完し、「政策の統合」に任じたのが日露戦争までの元老であり、1930年代までの政党だったとの理解は、最良の学知の裏付けある解釈です。
しかし、政策の統合を図れるはずだった政党は、英米との軍縮、中国との戦争終結方針をめぐり、軍部の統御に失敗し続けました。その過程を、吉野作造、美濃部達吉、斎藤隆夫等、軍部批判者の名を挙げつつ裏面から書いた点に特徴がある。所感が一見、日本の対外的過誤に言及していないように見える理由はここでしょう。戦争を止められなかった理由を歴史から真摯(しんし)に学び続ける国民がいて初めて、平和国家の礎を築けると首相は述べました。日本の今後の針路を注視する世界に向けてのこの言明は、日本国民全体の利益と福祉にかなうものと思います。
杉田 石破さんが閣議決定を伴う戦後80年談話を出すのに反対した政治家たちは、何を守ろうとしたのか。彼らは安倍70年談話の「あの戦争には何ら関わりのない先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」を、もう謝らなくていい宣言だと捉えていて、80年談話でこれを上書きされたくなかったようです。ドイツの哲学者ヤスパースは、戦争の罪には四つあると言っている。①刑事的な罪――戦犯が負う。後の世代は関係ない②政治的な罪――国民全体が負う。後の世代も継承する③道徳的な罪――戦争への加担あるいは傍観といった個人の行為に対して良心がその行為を裁く④形而上(けいじじょう)的な罪――災厄を引き起こす人間という存在そのものが抱える罪。戦後40年にあたる1985年、西ドイツのワイツゼッカー大統領はこの整理を踏まえ、①は後の世代は負えないとしつつ、「罪の有無、幼老いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません」と罪を継承すると宣言した。ところが安倍談話は①だけをつまみ食いし、他の罪はないと言っているに等しい。今回、石破所感で、先の戦争に至る統治機構の不備という論点が出されたのは私も良かったと思いますが、安倍談話で無視されたままの、他の罪が気になります。
長谷部 ④を哲学者ハイデガーの言葉で言い換えると「負い目」です。それは否定のしようがない。なかったことにはできないし、それから解放されることもありません。「職業としての政治」を著したマックス・ウェーバーは、政治家は行為の結果に責任を負うという「責任倫理」を説いていますが、行為の結果が良かったか悪かったかの判断は結局、選挙に依拠するしかない。責任倫理を問われないためには選挙に勝って政権に居続けなければならないから、そのためなら公文書を改ざんするし、国会でうそをつく。安倍さん本人がどこまで指示したか知りませんが、そうやって安倍政治は維持されていました。自民党内にそのことへの反省はないし、企業献金も、旧統一教会の問題だって別に解決する必要はないじゃないかと、高市さんやその支援者はおそらく本気で思っている。ウェーバーが言う、悪い意味での職業政治家になってしまっています。
杉田 政治とは何かについては、大きく二つの考え方があり、一つはドイツの思想家カール・シュミットが述べたような、政治とは「戦争」であるという考え方です。最近は、世界にこのような政治観が蔓延(まんえん)しています。トランプ大統領はその典型で、政敵はもちろん、大学と闘い、さらには立憲主義を否定して裁判官とさえ闘う。外国人は皆、潜在的な敵として扱う。日本でも、その亜流のような政治家たちが人気を集めています。しかし、政治についてはもう一つ、多様な考え方を前提に、話し合いを通じて何とか合意して妥協するという考え方もあります。本来の保守とはそういうものだという考え方もありますが、石破さんを含めて、今はファイティングポーズをとらないと人気がないようです。
加藤 ファイティングポーズを取ること自体を否定はしませんが、立憲主義は守ってもらうことが最低条件です。立憲主義を破壊しておいて将来のビションを語ってもらっても何もなりませんから。
長谷部 政治とは可能性の芸術などと言われますが、現在の党派の枠を超えた想像力や構想力を取り戻し、停滞する日本政治を抜け出す方途を探るべきです。法の支配を守り、事実は事実として認めるといったミニマムな規律をもちろん維持した上でのことではありますが、単に税制や社会保障負担をいじるといったことを超えた、日本社会の大きな展望をやはり描いてもらわないと。
杉田 今後のことは予断を許しませんが、もしも一部野党との連立などで高市政権となれば、持続不可能な経済政策に加えて、この間の産業や学術の軍事化の流れが一層強まる心配があります。高市さんは「スパイ防止法」への意欲も繰り返し語っていますが、こうした法律がいったんできれば、報道機関や海外とつながりのある団体が根拠なくスパイ扱いされ、人権状況が悪化しうる。「戦争」としての Permalink | 記事への反応(0) | 08:55
失った構想力と想像力 高市新総裁と「漂流する日本政治」はどこへ?
新しい自民党総裁に高市早苗氏が選ばれた。初の女性首相となる公算が大きいと見られていたが、公明党が連立を離脱し、先行きの不透明感は増している。一方の野党も一枚岩となれず、政権交代の好機をつかみ取るのに苦心している。漂流する日本政治。さて、どうすれば――。憲法、政治、歴史を専門とする3人が語り合った。
杉田敦・法政大教授 高市早苗氏が、女性として初の自民党総裁に選出されましたが、その後、公明党が連立離脱を宣言し、政界は大混乱となっています。自民党総裁がそのまま総理になるという構図が崩れました。そこで高市氏についてですが、女性がトップリーダーになるのはいいことだと、ひとまずは言えます。しかし、日本の政界では、極端に強硬な女性しか活躍できない構造になっているようで気になります。圧倒的な男性中心社会で認められるには、マッチョでコワモテでなければという「圧力」が女性にかかっているようで、そうした圧力がある限り、真の女性活躍には必ずしも結びつかないのでは。
加藤陽子・東京大教授 自民党という家父長制的な政党、端的に言えば男性世襲議員が多いということですが、その中で、中産階級出身の女性がトップに立つことは時代を画する慶事である。これは間違いありません。ただ、1986年に社会党委員長となって「マドンナブーム」を巻き起こし、女性初の衆議院議長を務めた土井たか子さんとの連続性で高市さんを捉えることは難しい。この30年余の間に起きた……というよりも、まさに今回、高市さんを支援した方々が中心的役割を担った男女共同参画に対するバックラッシュを経たうえでの、初の女性総裁だということは踏まえておくべきです。
総裁選出時の「ワーク・ライフ・バランスを捨てる」発言が問題視されましたが、これは軍隊の中隊長レベルの発想です。それも、負けている軍隊。「身を捨てる覚悟」を見せることでしか隊の統率をはかれない。とても残念です。女性のリーダーシップを考える時、少なくともバックラッシュ以前の社会には、今の高市さんのようなありようは選択肢として存在しなかったはずです。
長谷部恭男・早稲田大教授 「教育勅語大好き人間」を自称する高市さんは、「企業体国家」への憧憬(しょうけい)を抱いておられるのでは。戦前の日本はまさに企業体国家でした。国民全体の共通目標があり、国が個人の生き方を決める。一億火の玉となって公私の別なく朝から晩まで天皇のために尽くす。そうであればこそ、富国強兵の旗のもと、あっという間に世界の「一等国」となりましたが、「天皇陛下のため」が暴走して勝てるはずのない戦争に突っ込み、国家滅亡の淵に立った。その結果できた日本国憲法は、企業体国家から「広場としての国家」へと国家像を転換させました。革命的な変化です。
広場としての国家では、国民全体の共通目標なんかない。国家は、広場に参加する人たちが守るべきルールを策定し、違反する人がいたら制裁する。それしかやらない。ルールの中でどういう生き方をするかは国民一人ひとりが決めます。ところがトランプ大統領の出現によって、広場のお手本だったはずのアメリカが企業体に変貌(へんぼう)しつつある。日本も広場のままではだめなんだという焦りや気負いが、高市さんの言葉の端々ににじんでいます。
杉田 広場で個人として生きるのは結構大変です。どう生きるか、どう行動するのかを自分で決められない、決めたくないという人にとっては「企業体国家」の方が暮らしやすい面がある。結局、輸出向けに自国の為替を極度に切り下げて、輸入食料やエネルギーの価格に苦しみながら、隊長の号令に従って倒れるまで残業するのが日本の繁栄の道だという程度の想像力しか、自民党とその周辺にはなかったということでは。
今回、公明党から、歴史認識や外国人政策と並んで、政治とカネについての要求を突きつけられ、連立離脱に至りました。しかし、この連立が壊れたら、自民党の議席にかなりの打撃となることは、以前から知られていました。組織票が減って、小選挙区でも連敗となる。それでも高市さんを選んだということは、非常に狭い視野でしか「戦況」を判断できなくなっていたのでしょう。もはや解党的出直しをするパワーすら残っておらず、身内を固めて古い自民党に戻ることしかできなかった。目を覆わんばかりの没落ぶりです。
長谷部 石破茂首相をスケープゴート(贖罪(しょくざい)のヤギ)にしたことからすべてつながっています。ヤギさんは別に悪いことをしていない。だから「石破おろし」に対して「辞める必要ない」と内閣支持率が上昇したわけですが、悪いことをしたか否かは実はどうでもいい。「こいつが全部悪いということにしよう」とみんながまとまることにこそ、スケープゴートの意味があります。解党的出直しなどハナから誰も真剣に考えておらず、総裁選の候補者はこぞって「党内融和」を唱え、論戦も低調でした。そして、「自分たちの罪はすべてヤギさんが背負ってくれた。みそぎは済んだ」と、裏金議員が支える高市さんを総裁に選び、「傷もの」が党の要職につく。とても自然な流れです。しかし、あまりにも得手勝手な「身内の論理」はさすがに通らなかったということでしょう。
杉田 「石破おろし」の中心にいた人たちが、いわゆる「安倍政治」の復権をもくろんでいたことは明らかです。安倍晋三さんが敷いたレールから石破さんが外れてしまったから、従来の支持層が参政党に流れた、復権させれば支持層を引き戻せる、昔の強い自民党に戻れるという夢を抱いて、5人の候補の中では最も安倍さんに近い高市さんを選んだと。高市さんは積極財政を打ち出していますが、安倍路線で膨らんだ国の借金をさらに増やせるのか。
長谷部 NHK放送文化研究所が5年ごとに行っている「日本人の意識」調査を見ると、安倍政権時代の2013年と18年は9割以上が生活に満足していると答えている。選挙をやるたびに自民党が勝ったのも当然です。しかし、その「ツケ」がいま本格的に回ってきて、円安による物価高で国民の生活が痛めつけられている。今さら安倍政治に戻るなんてできるはずがないし、やってはいけない。国が潰れます。
加藤 安倍さんは岸信介の孫、安倍晋太郎の息子ということで、自民党内での「正統性」を無条件に担える。しかし高市さんにはそれがない。ないのに、安倍さんと同じように振る舞おうとするから危うい。最もまずいのは、彼女の言葉の定義が非常に狭く、射程も短いことです。たとえば、総裁選出後の記者会見で靖国神社参拝について問われた際、笑顔をつくって「靖国というのは戦没者慰霊の中心的な施設で、平和のお社だ」。平和のお社? それは高市さんの勝手な定義で、国際的にはまったく通用しません。アメリカは靖国ではなく千鳥ケ淵戦没者墓苑の方を正当な慰霊の場だと考えている。日中共同声明や日中平和友好条約締結に向けて、靖国神社というトゲを抜くのに両国がどれほど苦労したか、外交交渉の蓄積への敬意と理解がないですね。これまでのようにアメリカ一辺倒では立ち行かなくなっている中で、日本はアジアと付き合っていかねばなりませんが、そのアジアの横っ面を張るようなひどい発言です。
杉田 総裁選の中で、排外主義的風潮をあおりかねない外国人政策が前面に出てきたことも見過ごせません。19世紀イギリスのウォルター・バジョットは、政治には「実務」と「威厳」の二つの機能があると整理しています。法律をつくって政策を動かす「実務」は当然やらなければいけない。しかしそれだけでは人民はついてこないから、「大英帝国はすごい」というところを見せて忠誠心を獲得し、国を統合していかなければならないと。ところがいま、世界的に実務がほとんど機能していない。移民という、まさにスケープゴートを仕立てて「威厳」を無理やり演出し、人びとを統合することしかできていません。日本においても「日本人ファースト」を掲げる参政党の伸長と、それに動揺して引きずられる自民党によって、外国人排斥的な流れが一気に加速しました。
加藤 高市さんを総裁に選んだことで、自民党は包括政党であることを諦めたと言えるのでは。党内外のコンセンサスを意識した経済的利益配分に留意し、「大きなテント」を張って幅広い考えの人たちを包摂してきましたが、ついにテントをたたみ、党内の一部の「無責任なポピュリズム」にくみした感があります。
長谷部 昨今の日本政治の特徴はニヒリズムだと思います。権力を握ることが自己目的化し、何のために権力を握るのかという目標や価値が蒸発してしまっている。先の参院選で議席を伸ばした小政党の党首は人気取りにはたけていますが、あるべき社会像を描けてはいない。ただ権力ゲームが面白くて、夢中になっている。しかも政党助成金という多額の「賞金」までついてくるのだから、これはもうやめられません。
杉田 衆参で自公が少数になったにもかかわらず、野党もメディアも自民党中心の発想からなかなか抜け出せなかったことが、日本政治停滞の大きな要因です。憲法や原発などの政策で完全に一致しなければ連立できないかのように言われていますが、世界を見渡せば、かなり考え方が違う政党が争点を限定して連立している。意見が異なる問題については基本的に現状維持とし、たとえば減税を中心的な課題として内閣をつくればいいだけです。これまでそうした発想がなく、今回、公明党が離れても野党の動きが鈍いのは、政党政治への理解が浅いからであり、もっと言えば、依然として自民党を過大評価しているからでしょう。
加藤 石破さんは10日、戦後80年の所感を出しました。戦争が避けられなかった理由を、国内の政治システムの不全から考察した声明です。国務大臣単独輔弼(ほひつ)制や統帥権独立等の制度的な穴を前提とし、その穴を補完し、「政策の統合」に任じたのが日露戦争までの元老であり、1930年代までの政党だったとの理解は、最良の学知の裏付けある解釈です。
しかし、政策の統合を図れるはずだった政党は、英米との軍縮、中国との戦争終結方針をめぐり、軍部の統御に失敗し続けました。その過程を、吉野作造、美濃部達吉、斎藤隆夫等、軍部批判者の名を挙げつつ裏面から書いた点に特徴がある。所感が一見、日本の対外的過誤に言及していないように見える理由はここでしょう。戦争を止められなかった理由を歴史から真摯(しんし)に学び続ける国民がいて初めて、平和国家の礎を築けると首相は述べました。日本の今後の針路を注視する世界に向けてのこの言明は、日本国民全体の利益と福祉にかなうものと思います。
杉田 石破さんが閣議決定を伴う戦後80年談話を出すのに反対した政治家たちは、何を守ろうとしたのか。彼らは安倍70年談話の「あの戦争には何ら関わりのない先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」を、もう謝らなくていい宣言だと捉えていて、80年談話でこれを上書きされたくなかったようです。ドイツの哲学者ヤスパースは、戦争の罪には四つあると言っている。①刑事的な罪――戦犯が負う。後の世代は関係ない②政治的な罪――国民全体が負う。後の世代も継承する③道徳的な罪――戦争への加担あるいは傍観といった個人の行為に対して良心がその行為を裁く④形而上(けいじじょう)的な罪――災厄を引き起こす人間という存在そのものが抱える罪。戦後40年にあたる1985年、西ドイツのワイツゼッカー大統領はこの整理を踏まえ、①は後の世代は負えないとしつつ、「罪の有無、幼老いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません」と罪を継承すると宣言した。ところが安倍談話は①だけをつまみ食いし、他の罪はないと言っているに等しい。今回、石破所感で、先の戦争に至る統治機構の不備という論点が出されたのは私も良かったと思いますが、安倍談話で無視されたままの、他の罪が気になります。
長谷部 ④を哲学者ハイデガーの言葉で言い換えると「負い目」です。それは否定のしようがない。なかったことにはできないし、それから解放されることもありません。「職業としての政治」を著したマックス・ウェーバーは、政治家は行為の結果に責任を負うという「責任倫理」を説いていますが、行為の結果が良かったか悪かったかの判断は結局、選挙に依拠するしかない。責任倫理を問われないためには選挙に勝って政権に居続けなければならないから、そのためなら公文書を改ざんするし、国会でうそをつく。安倍さん本人がどこまで指示したか知りませんが、そうやって安倍政治は維持されていました。自民党内にそのことへの反省はないし、企業献金も、旧統一教会の問題だって別に解決する必要はないじゃないかと、高市さんやその支援者はおそらく本気で思っている。ウェーバーが言う、悪い意味での職業政治家になってしまっています。
杉田 政治とは何かについては、大きく二つの考え方があり、一つはドイツの思想家カール・シュミットが述べたような、政治とは「戦争」であるという考え方です。最近は、世界にこのような政治観が蔓延(まんえん)しています。トランプ大統領はその典型で、政敵はもちろん、大学と闘い、さらには立憲主義を否定して裁判官とさえ闘う。外国人は皆、潜在的な敵として扱う。日本でも、その亜流のような政治家たちが人気を集めています。しかし、政治についてはもう一つ、多様な考え方を前提に、話し合いを通じて何とか合意して妥協するという考え方もあります。本来の保守とはそういうものだという考え方もありますが、石破さんを含めて、今はファイティングポーズをとらないと人気がないようです。
加藤 ファイティングポーズを取ること自体を否定はしませんが、立憲主義は守ってもらうことが最低条件です。立憲主義を破壊しておいて将来のビションを語ってもらっても何もなりませんから。
長谷部 政治とは可能性の芸術などと言われますが、現在の党派の枠を超えた想像力や構想力を取り戻し、停滞する日本政治を抜け出す方途を探るべきです。法の支配を守り、事実は事実として認めるといったミニマムな規律をもちろん維持した上でのことではありますが、単に税制や社会保障負担をいじるといったことを超えた、日本社会の大きな展望をやはり描いてもらわないと。
杉田 今後のことは予断を許しませんが、もしも一部野党との連立などで高市政権となれば、持続不可能な経済政策に加えて、この間の産業や学術の軍事化の流れが一層強まる心配があります。高市さんは「スパイ防止法」への意欲も繰り返し語っていますが、こうした法律がいったんできれば、報道機関や海外とつながりのある団体が根拠なくスパイ扱いされ、人権状況が悪化しうる。「戦争」としての政治観に一気にかじを切ることになりかねません。 Permalink | 記事への反応(2) | 08:48
日本って民主主義なんですよね。憲法に書いてあるし、選挙もあるし、一応三権分立してるし、表向きは完璧な議院内閣制。でも実際の予後は悪い。暗すぎてギュ鳴らしレベル。魂の格がtの公遺症で染みつきまくりで、民主主義の皮被ってるだけの権威主義慢性疾患じゃん。
まず、選挙のエリサラ馬力が偏りすぎ。s出身御三卿の世襲議員がアマンレジデンスに住んで地盤握ってるのに、t出身kの新人が這い上がろうとしても「資金ない」「組織ない」「コネない」の三重苦で即死。金と血筋がなきゃ当選できない。投票率低すぎて、投票に行くピエロすらカイカンチュア止まりのジジババ中心。チャージスポット理論で若者の声は最初から届かない。
次に、官僚の空気がヤバい。選挙で選ばれた政治家が政策決めようとしても、官僚が「前例がない」「予算がない」「法的に無理です」で全部潰す。政治家は表で顔出してるだけの中間管理職で、実権は霞が関のt公遺症エリートが握ってる。民主主義じゃなくて官僚主義のセルフ男子校状態。神経衰弱理論を国民に押し付けてるだけ。
あと、メディアと世論の操作がエグい。テレビ新聞は政権寄りかスポンサー寄りで、批判したら即干される。SNSでバズらせて世論動かそうとしても、結局「炎上したから対応します」って保身対応しか出ない。国民の声が政策に反映されるルートがほぼ塞がれてて、幻資痛で国会眺めて「ここが俺の世界ランク」って諦めてる。ピチュー理論の極み。
国民性も予後を悪くしてる。「和を以て貴しと為す」って同調圧が強すぎて、異論唱えるピエロは即村八分。デモやストライキもショボいし、政権批判したら「空気読め」って叩かれる。民主主義に必要な対立と議論が文化的に無理ゲー。結局ヌクモリンすら残らず、子孫に「仕方ない」を継承。
日本は「形だけの民主主義」で、権力は世襲政治家+官僚+大企業御三卿のトライアングルに固定されてる。t出身kの俺らは投票しても何も変わらず、浮遊霊状態で税金納めてるだけ。治療終わらない。
本稿で提示するプロファイルは、10万件以上のブクマを有するidを対象に公開コメントをAIが解析し、その深層心理や思想傾向をモデル化した「テキスト・ペルソナ」です。これは実在する個人のプライバシーを暴くものではなく、言語活動に基づく批評的なシミュレーション(思考実験)です。特定の個人の社会的評価を操作する意図はなく、あくまでAIによるテキスト分析の一環としてお楽しみください。
【速報】ワークライフバランス捨てると高市氏 2025年10月04日 15時11分共同通信
https://www.47news.jp/13246623.html
「全員に馬車馬のように働いてもらう。私自身もワークライフバランスという言葉を捨てる。働いて、働いて、働いていきます」
と言及した。
どんな速報だよ
こんなんにイチャモンつけるようなくっだらねー人間に心底嫌悪感を持つ。
はてな民て結局、しょーもないクレームや被害者ぶりっこや揚げ足取りばっかりのクズみたいな人生送ってる奴らなんだと思う。
自分の人生に対して主体的な覚悟を持って、脇目もふらず何かを頑張ったという経験が一度もない。
自分以外の誰かが猛烈に頑張ることにすらなんかケチをつけたい感情がある。
当たってるだろ?
「全員に馬車馬のように働いてもらう。私自身もワークライフバランスという言葉を捨てる。働いて、働いて、働いていきます」
お前等になんか何も言ってない。
そして先頭に立つ高市自身は「ワークライフバランスという言葉を捨てて働く」と。
これの何が問題なんだ?
そもそもワークライフバランスってのは少子高齢化対策として採用された使用人向けのスローガンだ。
好意的に取れば「使用者は使用人に長時間労働させてはいけません」という労働者権利護持であり、
左翼的問題意識を持って受け取れば「国がライフスタイルにまで介入して子供を持たせようと操作している」標語だ。
だから当然、全員がこんなもん当てはめられなければいけないわけでもない。
例えば経営者なら週7日仕事してたっていいんだしそんな奴は幾らでもいる。
自分が望んでキーエンスに就職する奴なら毎日23時まで働けばいいだけ。
反体制左翼も「うるせえな余計なお世話だよ」と反発や無視をしていい。
で、国会議員になるような人間も経営者やキーエンス側の人間だ。
一般人より遥かに重い負荷で働くのが嫌だって奴はそもそも政治家にならない。
当然ワークライフバランスなんか捨てるだろうし、捨てると公言しても何も問題がない。
なんで高市ぐらいの人間がお前ら弱虫と同じ標語、弱虫を守る為の標語の下にいる必要があるんだよ死ね。
ノブレスオブリージュの表明にまでふんぞり返って揚げ足取りする自称弱者様とか
もはやじんかんのどこにも必要ねえだろ。人の世の害虫というものがいるならお前等だよ。
仮に高市が能力も体力も意志もお前らレベルの凡愚な人間だったとしても
それでも別に常にワークライフバランスを守らなきゃいけないわけではない。
だって高市は64歳で、ライフイベントなんかもう終わってるから。
子供は産まずに人生賭けてやってきた仕事の最後で最大の正念場なんだから
まだなんとか動く身体も頭も振り絞って仕事に全部注ぐに決まってるじゃねーか。
「俺たち弱虫向けの標語を守らなかった!」なんて言うくっそ情けないケチを付けられるわ。
本当に心底くだらない生物、その辺の水たまりに跳ねてるボウフラ程度の値打ちのその生で
いっちょまえの大威張りで自分を肯定できるわ水たまりの外で生きる人間に向かって物申せるわ、本当すげーと思うよ。
(ちなみにこいつらがこれだけ大事にするWLBを日本で盛り上げた政治家も指定難病で無理して働いてたし子がいない)
高市はお前等なんかに何かを頑張れと言ってるのですらないんだけど、
弱虫でない人間が「私は頑張る」つっただけで被害者みたいな気持ちになっちゃうわけだろ?
有益な思考をする知能も精神力も無いんだから、無駄な情報を入れるな。
お前等なんぞ誰からも頼られてないからお前等も無駄な駆動をするな。
気の向くことして飯食ってクソして寝てろ。
それでブコメでなんか、「無能な働き者」みたいな文言を書いてる人間が10人超もいるんだよな。
「無能」て。
俺は心底不思議なんだけど、なんでお前等が高市の能力を見下してるの?
ど~~~~考えても、どの角度から検討しても、高市はお前等なんかより遥かに能力あるだろ。
当人が相当ボンクラでも……ってこともあるいはあるかもしれないが
高市は地盤も看板も鞄もない一般家庭から一代で昇り詰めたししかも女だ。
お前等に高市の人生を歩ませたら社会に出て最初の3年くらいで泣きを入れて
その後の余生全部ネットで被害者意識炸裂させることだけに生を空費する人糞製造機になるわけじゃん。
どうしてそういう当たり前の弁えがないのか、そこが一番不思議なんだよな。
何をどうすればお前等ごときが能力的に高市見下せると勘違いできるの?
人が頑張ると聞いただけでも不愉快になっちゃうようなボウフラちゃんの分際で?
物陰から高市を非難・罵倒する言葉すらほとんど自分の脳を通過してなくて
人口に膾炙しすぎた擦り切れた「無能な働き者」をキリッとした顔で書き付けて
本当にどのような角度でも能力が低いんだよな。
根性もない、気力もない、センスもない、国語力もない、罵り言葉すら自分のものじゃない。
つか
「強い人は言葉遣いからボクたち無能の神経に配慮してよ!」なのか
「ワークライフバランス」なんてのは個人の生活に立ち入る不届き千万であって
むしろ「月月火水木金金」 「欲しがりません勝つまでは」とかに近い。
しかしはてな民は言葉に対するそうした最低限の思考力や注意力もないため、
(そこまで頭が悪いのに自分を経典読みではなくリベラル(笑)だと思っている)
その結果、
「ワークライフバランス」なんていう国による・間に合わせの・不格好なスローガンを
いつのまにかコーランの聖句かなんかぐらいに勘違いするようになって
「あの女が聖句を冒涜的したぞ!」と事件が起きたかのように騒いでるわけ。
こういう奴等に本当に必要だったものって出来もしない進歩思想じゃなくて宗教、
それもイスラム教ぐらい個人の生活に立ち入って来て「ただしいこと」を決めてくれる中世的宗教だったんだよな。
中世までしか適応できない知能レベルで間違って近代に生まれちゃって苦しんでるわけだから。
何故か自分達にちょうどいい価値(古めの宗教や迷信や陰謀論)を見下してるし
自分達より遥かに能力ある女を見て「無能だ」と大騒ぎしている。
政治に関心ある振りをするけど政策なんかは複雑すぎてわからないため、
高市批判するにしても「ワークライフバランス捨てるってゆった!!!」という涜神性を問題にして批判する。
無能の他動症はおめーらだろって思うんだけどね。
モスクへ行け。
背景として高市は夫の高市拓が今年脳梗塞で倒れて要介護になってる。
こいつらどんなきったねえツラしてこれ書いてるんだろ。
夫を介護施設に叩き込んで働くのは許されんのか?
つまりは高市が手ずから流動食食わせてクソ拭いて風呂に入れるのしか認められないってこと?
それ以外の選択肢は不道徳だからこいつらはこんなにニチャついてるわけなのか?
家族の介護を人に任せたら不道徳になるのは要は高市が嫁だから・女だからか?
ほんとに骨の髄までリベラルだなあおめーらは。
それにしても、
夫の介護について「ここが弱点に違いない!」と思いついて実際に書き込むまでのあいだの
どっかの瞬間に我に返って突発的希死念慮に襲われたりしねーのかな。
ボウフラちゃんの脳って便利。人間じゃなかなかこうはいかない。
高市はこういうくだらない生物たちからのあらゆる投石に負けずにここまで上ってきてて、
ついにボウフラが一生解さないなんらかの信念をこれから果たそうとしてるんだろう。
自分の生を何に使うか決めた者と
人間と鬼って感じがする。
職場の雑談で今回の参院選の話になって、同僚が参政党の候補に投票するんだと言う。
本当にこういうのがいるんだと思いながら、いかにかの党が欺瞞に満ちた党なのかを一通り説明した。
自分の見聞きする範囲で参政党の候補者が一番熱く演説していて彼の住む近所を頑張って元気に走り回っているからだと。
政治ってのは体力と意欲と根性があるやつがやるのが一番いいのだと。
公約とか理念とかはいくらでも誤魔化せるが、熱意と根性だけは見ればわかるというのが彼の考え。
今まで常にその基準で投票してきて、今回たまたまそれが参政党なのだと。
その考えで投票して裏切られたことはないのか?と問うと、そんなのは結果論で重要なことではない。
自分でリアルに実感できる候補者に投票するだけで、自分はそれを続けるだけだと。
じゃあどういう候補者には絶対に投票しないの?と聞いたら、楽して当選しようとする奴ら。
長野選挙区なんだけど。
ここは羽田孜の次男(立民)がゴリゴリに強くてこいつが絶対当選するだろうって言われてるのね。無風なの。恐らく0分当確がでるやつ。余計な事をしなければ勝つ。
だから自民党も若い候補に経験を積ませるみたいな感じで投入していて、始めから当選させる気は無いし、参政党は票を詰むだろうが勝つ見込みはない。
だけど、羽田孜の次男には入れたくない。何故かと言うとこいつ、マジで絵に描いたような世襲議員だから。
羽田孜の後光で羽田孜の長男が出ておりずっと政治家をやっていて、こいつは羽田孜が寝たきりに政治家になってからは親父もあやつり、自分も動いて民主→立民でもそれなりの実力者だった。
その結果、担ぎ出されたのがこの次男なんだが、ぼんくらもいいところなんだよ。
例えば各団体がやってる政策アンケートみたいな事には一切答えない。何故なら親父と兄貴が作ったイメージに乗っかって余計な事をしなければ勝てるから。
選挙期間中は行けていないが、選挙前の集会に行ったとき、支持者と思われる人から出たボーナス質問にもしどろもどろでちゃんと答えられないわ、
がんばりますがんばります勉強します、って、お前その年齢でそのノリなの?って思うわ。周りに親父と兄貴と一緒にやってきた重鎮がいてそいつらの言いなり丸出しだわで。
もうこいつに入れたくない。
自民党の候補に入れると言う選択肢もあるが、これだと単純に票が死ぬだけ。どうせほっといても供託金没収ラインは軽々と超えるだろうし。
ならば、チームみらいの候補に入れる事にする。たぶん供託金没収ライン上にいるので、死に票になら無い。候補者は良い意味でも悪い意味でも政治家っぽくなくて、色々なアンケートにはキッチリ答えているし、それらを見ると人物と政策は概ね良さそう。みらい本体があまり語っていない、地方の過疎化・高齢化問題などについても言及しているし。ただ実績実力は一切わからないのでそこが致命的。
一応N党と参政党がいるがこれは無視。N党は劣化立花孝志みたいなやつで、もうN党の旬は過ぎたということを理解できずにここから出ちゃうような奴はなにやっても駄目だろう。
参政党の候補者は参政党の他の奴みたいにサイコパスになりきれないので参政党ブームに乗り切れてないみたいな中途半端さであり、何でお前参政党から出たの?と思わざるを得ない。
さて、比例はどこにいれようかなあ。もう少し考えるが…。
地元にはゴミみたいな既成事実上の野党相乗り現職世襲議員と、自民党がどうせ勝てるわけねーけどさ、ってノリで送り込んできた名誉男性みたいなプロフィールの若い女性議員しの事実上の一騎打ちって見えてて、
後は知ってる政党では参政党があって、マジ投票するところねーなと思ってたんだが、
そこに「チームみらい」所属の候補がいるのよ。ただ、チームみらいってまた新手のカルトだろと思ったが、違うんだな。
例えば、マニフェストは簡易版と全体版と二種類あるんだが、
簡易版はこれ → https://speakerdeck.com/teammirai/timumiraimanihuesuto-yao-yue-ban-v0-dot-2
そして詳細版はこれ → https://policy.team-mir.ai/view/README.md
で、簡易版を読んでみてもらうと、まぁわかるけど、お前らなにがやりたいの?手段の目的化?って思うじゃん。
でも詳細版をみると、最初にこう出てくる
「テクノロジーで誰も取り残さない日本をつくる」
全然印象がちがうよね。簡易版だとデジタルリバタリアンって感じだけど、詳細版をきちんと読むと、どちらかというとデジタル修正社会主義って雰囲気がある。
彼らは第一党を目指すと言うよりも、このような考え方が存在する事を世に示して、影響力を与える事を目指しているようで、わりとまともだと思ってしまった。
旨くすれば議席を一つぐらい取る事ができるのではないだろうか。ただ、苦しいのは、その初志をどれだけ貫徹できるかという所にあるだろうなとは、思うが。
↓のブコメのナイーヴな反応を見て思ったけど、みんなアメリカが世襲政治家だらけの国という現実を知らんのやな。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.afpbb.com/articles/-/3586012
ブッシュ父子やクリントン夫妻がどうこう以前に、第6代大統領ジョン・クインジー・アダムズが既に第2代大統領ジョン・アダムズの息子だからね。第23代大統領ベンジャミン・ハリソンは第9代大統領ウィリアム・H・ハリソンの孫。
日本で親子関係にある総理大臣は福田赳夫・福田康夫だけで(鈴木善幸の娘が麻生太郎の妻なので2人は義理の親子だが、ここではカウントしない)、総理大臣経験者は65人いるので、「親子総理大臣」の割合は3パーセント。ところがアメリカの場合は全47人中親子が2組(アダムズ・ブッシュ)なので、「親子大統領」の割合は8パーセントになる。実はイメージと違って、アメリカの方が世襲度が高かったりするのだ。
(ちなみに、苗字の漢字と読みが一致する歴代総理大臣は加藤(友三郎・高明)・田中(義一・角栄)・鈴木(貫太郎・善幸)・鳩山(一郎・由紀夫)・福田(赳夫・康夫)の5組10人いるが、血縁関係はそのうち2組(鳩山・福田)に過ぎない。いっぽう、苗字が同じ米国大統領5組10人(アダムズ・ハリソン・ジョンソン・ルーズベルト・ブッシュ)のうちアンドリュー・ジョンソンとリンドン・ジョンソン以外の4組は血縁関係にある)
アメリカに滞在した福沢諭吉は、初代大統領ワシントンの子孫のことを周りに尋ねてみたけど誰も知らない、門閥がない民主共和政ってすごい! と感動したという有名な話があるけど、それは単にワシントンが子梨だったからだという身も蓋もないオチがつく。実際には世襲の門閥貴族めいた家系はいくつもある。
ジョン・F・ケネディ大統領は弟ロバートを司法長官に任命したし,彼らの弟テッドは上院の重鎮だった(不倫飲酒ドライブ中に事故を起こして不倫相手を死なせてなければ大統領になれていただろう)。
ジョージ・H・W・ブッシュ大統領の長男ジョージ・ウォーカーはテキサス州知事を経て大統領になったが、次男ジェブもまたフロリダ州知事を経て大統領を目指した(が、トランプに敗れて撤退した。このときの民主党候補はヒラリー・クリントンだったので、元大統領の息子&前大統領の弟 vs. 元大統領の嫁という世襲ドリームマッチになる可能性があった。結果はご存じの通り)。
リバタリアン派の名物議員ランド・ポールは、ジョン・マケインと指名争いをしたロン・ポールの息子。マサチューセッツ州知事を務めてバラク・オバマと大統領の座を争ったミット・ロムニーは、ミシガン州知事だったジョージ・ロムニーの息子。共和党内の反トランプ派として有名なリズ・チェイニーは、元副大統領ディック・チェイニーの娘。現ケンタッキー州知事アンディ・ベシアは親父もケンタッキー州知事だし、コロナんときのニューヨーク州知事アンドリュー・クオモの親父もニューヨーク州知事。爽やかなイメージの元副大統領アル・ゴアだって親父が連邦上院議員。
考えてみればそれはそうで、アメリカの選挙は非常にカネがかかり、個人本位だ。比例代表制ではなく小選挙区制、しかも個々の政党が極めて分権的、ということは、つまり政治家個々人が党に頼らず自分の力で票をかき集める必要があるということだ。良く言えば二大政党制なのに多様な意見の議員が選ばれるということだが、悪く言えば政治家になるための個人のハードルがものすごく高い。政治家になるためのハードルが高い社会では、「親も政治家だった」というアドがめっちゃ効く。
(日本が世襲政治家だらけなのも、政治家になるためのハードルが高いからだ。中選挙区制から小選挙区制になって必要なカネは少なくなったとはいえ、まだまだカネがかかる事業であることには変わりがない。そして政治家になっても実入りが乏しい(これ自体は良いことではある)。それなら親から地盤・看板を受け継げる世襲候補が有利になるに決まっている。世襲政治家を減らしたいのなら、議席数を増やす(=選挙区あたりの有権者数を小さくして選挙にかかるカネを減らす)とか完全比例代表制にするとか逆に完全小選挙区制にする(衆院の比例区部分の定数をすべて小選挙区に割り振れば、議席数を増やすのと同じ効果がある)とか、そういうハードルを下げる取り組みが必要だろう)
もともとアメリカは民主政を嫌っていた。古典古代の民主政の要諦とは籤引きだった。古代アテーナイで籤引きが用いられていたことはよく知られている。アメリカの建国者たちは民主政よりも共和政を志向し、籤引きを採用しようとはしなかった。現在の「共和政」とは単に王のいない政体のことを指す(したがって王政とは矛盾するが民主政とは矛盾しない)が、伝統的な西洋政治思想では「有徳者による統治」のことを指していた(したがって君主制とは必ずしも矛盾しない(※)が、どれだけ愚かな人間でも政治参加できる民主政とは矛盾する)。アメリカ独立戦争は「民主政にするために貴族政を追い払ったのではなく、選挙貴族政にするために世襲貴族政を追い払った」(ダーヴィッド・ヴァン・レイブルック『選挙制を疑う』)に過ぎない。ジェイムズ・マディソンは『フェデラリスト』で統治者と被治者の区別を主張していた。個人本位の選挙は擬似的な貴族階級を生み出す仕組みである。その仕組みを数百年にもわたって続けてきたアメリカが世襲政治家だらけなのは、さもありなん、という感じだ。
そうすると、果たしてこのような政治貴族だらけの国を「民主主義のリーダー」であるかのように扱うことがふさわしいのだろうか? という疑問が湧く。実際に、アメリカは『エコノミスト』の民主主義指数では韓国やイスラエル、ポーランドと同じ「脆弱な民主主義」とされている(日本は台湾やカナダ、ノルウェーと同じ「完全民主主義」)。私たちはアメリカに対する幻想を捨て去り、現実と向き合うべきなのかもしれない。アメリカは事実上の門閥貴族に牛耳られた寡頭制国家なのである、という現実に。
※ 近年、「王がいる共和政」についての歴史研究は進展しているが、現代において「王がいる共和国」としてオーストラリアやバハマが挙げられる。これらの国の国号はCommonwealth of AustraliaにCommonwealth of The Bahamas、すなわち「オーストラリア共和国」に「バハマ共和国」だが(commonwealthには様々な意味があるが、語源はもちろんラテン語のres publicaであり、清教徒革命で王を処刑した後の国号がcommonwealthであったように「共和国」の意味も持つ)、両方ともチャールズ3世を国王とする立憲君主国である。「最近のラノベには共和国に王がいるんだけどwww」とか嘲笑う向きにおかれては近世ヨーロッパ史を真面目に勉強してほしい。王制と共和政は背反ではないのである。
午前5時、台所で朝飯(**朝からカップラーメン**というのもワイ的スタイルでいいのよね)中に母親が乱入してきて、まぁそれはいいとして、米買いに行っとくれと。「はい、お安い御用で!」とまでは、よかったんだけど、母親が「**小泉さんのおかげで米が安く買えるようになった。ありがたや」**とかいう妄言を吐き出したんですね。いや、コレ、相当な妄言ですぜ、これ。『N家母の妄言集』に掲載決定モノですよ。はい。**N家の恥**なんでオフレコでおねげーしやす。
いや、**小泉のおかげ**って……、あんなの**タダのボンボン**やないですか。前任者の「失言」がきっかけである失脚により、農水省大臣に就任した小泉進次郎(要領の良さだけは一丁前だね!)ですが、彼の今は**亡き父親は確かに首相経験者**であり、進次郎氏は「**世襲議員**」であるわけで。主観的な表現で申し訳ありませんが、はっきり言って「**親の七光り**」を受けた「**ボンボン**」に過ぎないんですよね。
もっとも、進次郎クンにもそれなりに実力というのはあるのかもしれませんね。でも彼の今は亡き父親のバックボーンなしには、たぶん今の地位に上り詰めることはなかったと思います。日本の人口を1億人として、そのうち国政議員は衆参合わせて1000人もいない。要は国政議員なんて10万人に1人のオーダーなんですよ。進次郎クンは本当に**政治家として「10万人に1人」の逸材か**、と言われると疑問が残るんですよね。「世襲」という、未だに世にはびこる**「バイアス」**は二十一世紀の今後に向けて断絶していかなければならないと私は感じています。
それにしても**猛言メーカーの我が母**。松本サリン事件のとき発生源の家主の方であるKさん(化学実験などを趣味としていましたよね。結局麻原彰晃率いる「オウム真理教」が犯人だったんですけど)が疑われたとなんぞ**「李下に冠正さず」**とか言いはったのは、30年前の今でも覚えとるで(笑)。当時ワイは小学校6年か中学1年ぐらいでさ、そんな難しい言い回しを知ってしまった。いや、Kさんもある意味というか立派な被害者なのによ(Kさん一家も事件の被害者。Kさんの妻には今でも後遺症が残っているとか)。しかし、**妄想メーカーの子が子ならば、妄言メーカーの親も親**ってか?