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2024-11-18

【速報】N党立花地域政党設立兵庫県内の市長刺客を立てる

【速報】兵庫の真ん中から上らへんに向かった刺客、山で遭難し全滅

2024-11-17

少し早めに家の大掃除してたら梅田望夫ウェブ進化論」出てきた

2006年刊行

時代的にネット未来についてはポジティブな予想が多い。

序盤にネット世界にはリアル世界の違いとして「三大法則がある」と書かれていて、これは現在どうなったかと言うと

(1)(企業に膨大な顧客データが集まることにより)神の視点を獲得できる

 → その後、ビッグデータ活用とかデータサイエンスの話になって現在進化中。

   ただし神の視点を獲得するのは人というよりAIになった。

(2)リアル仕事をしている間もネット上に作った分身で金を稼げる

  → アフィリエイトブログを経て現代ではYoutuberになった。

    しかYoutuber同士の競争が激しく、結局はみなリアルで体を張っており、お気楽副業というよりは専業職と化しつつある。

(3)(≒無限大)×(≒0)= something (塵も積もればなんか新しい価値が見つかる。「「一億人から3秒ずつの時間を集めてなんかやる」的発想)

 → この方向性ニッチな分野での活用に留まったように思われる。

   00年代には「数十万人の個人PCの余った計算資源白血病ゲノム解析を!」みたいなプロジェクトがあり(名前忘れた)、参加者も多かった。

   しか計算資源の確保というジャンルでは結局データセンターで集中的にやる方が効率的という世の中になった。

   他には大人数でGoogleEarthの衛星写真から遭難者を探せ、とかもあったな。

   現代でも、散歩してる人にそのへんの電柱撮影してもらい写真保全チェックに使う、というタイププロジェクトはあるが、そこまでメジャーではない。

その他に触れられているケースとして、OSSの拡大と学習高速道路だけは順調に発展したと言えそう。

しかし当時の人達が夢見たWisdom of crowdsという言葉には諸行無常の響きがある・・・

2024-11-03

anond:20241103230833

そもそも日本人のうち砂漠に行く可能性があるのって人工のうち1パーぐらいなんじゃ?いや、準備すりゃいいとは思うけどさ。わざわざ、砂漠に言って遭難する可能性があるのに、行くってひとがいるんか?え、あっ、そうか「砂漠遭難しても、衛星通話で救援を養成できる。そう、iPhone ならね!」って話ですか?

2024-09-30

anond:20240925221708

生徒諸君

男2人と主人公三角関係でどうなるかと思ってたら終盤男の1人が雪山遭難して死んで上手く収まった

2024-09-28

さユりの死因を公表してほしい

この内容がひとつ当事者の声として、実際に関係者に届いてほしいのか、

それとも自分の心情を吐き出す場所がほしいだけなのかはわからないが、

書かないと、どうにかなってしまいそうなので書く。

彼女訃報を知ってから半日経つが、率直に言ってかなり精神的にまいってしまっている。

普段物事に対して必要以上に感傷的になったり、映画などを見ても大泣きしたりはしないタイプ人間なのだけれど、

このあまりにも唐突で受け入れがたいニュースに触れてからというものの、

仕事大学の授業が終わり一人になると、納得できない気持ち言葉がどんどん頭の中をめぐって、

よくわからない感情で涙が出そうになるし、

私生活特別な不満もなく、心身ともに健康に日々を過ごしていた自分でさえこうなるのだから

希死念慮を抱えて生きるような人々にとって、著名人自殺報道がどれだけ影響を持ちうるだろうか、ということも考えてしまう。

自分彼女に心酔する大ファンだったかと言うと、多分そうではない。

ただ、家で一人作業している時に流すiTunesプレイリストの数%は彼女の曲であり、

人生彼女の曲を聞いた時間を一つにつなげると、大抵の友人や家族と過ごした時間よりよっぽど長いのではないと思う。

彼女楽曲は、巷で「生きづらさ」として語られるような感情ベースにしたものが多くて、

それが彼女の内なる思いの発露なのか、商業作家としての生存戦略であったのかはわからない。

もうとうに中年差し掛かった自分にとって、

彼女に対しての感情は同年代ならきっと抱くのだろう「共感」とはすこし違っていて、

突出した作家性で、歌声で、演奏で、唯一無二の音楽を聞かせてくれる存在だった。

彼女の曲の中で、自分が最も強く印象に残っているのは

記憶にすがるように罰が下るのを待っていたように

僕が僕自身をこの部屋に閉じ込めていた

((「来世で会おう」作詞作曲 さユり))

という歌詞だ。鬱屈して閉じこもる心を「罰が下るのを待つ」と表現する感性

彼女にとって自分内面とは、けして外界とのつながりを断つための境界手段ではなく、

それはまるで彼女の内側に広がる「世界」であり、それを統べる神様とさえ繋がる場所だとでもいうような、

強烈な自意識のあり様、彼女作家性の一端に触れた時は、まさに殴られたような気分だった。

そこからひたすら彼女楽曲を聴き漁って以来、

自分プレイリストの中には、自分が今まで出会ってきたアーティスト達と並んで、高確率彼女が入るようになった。

(この曲を含め、彼女歌詞には「君」や「あなた」という表現がよく出てくるが、

 彼女にとってはそれもまた客体化された、向き合うべき自分自身であり「神様であるように思えてならない)

一度だけライブにも行った。

コロナ禍の中、東京名古屋まで遠征して、人もまばらな新栄町ライブホール彼女を見た。

落ち着いた会場の中で見た彼女の印象は、楽曲の持つ強烈な存在感とは裏腹に、

どこか年相応で、満員の観客と向き合うには何とも頼りなく見えた。

路上ライブ時代楽曲なども含めた弾き語り中心の穏やかなセットリストと、

苛烈さを秘めた内容に対して、いつでも「聞いて下さい」から始まるあまりにも低姿勢で飾らないMC

大満足と言うよりは、次もまた見に行こう、というような気持ちになったのを覚えている。

まりリアルタイムアーティストの動向を追うこともないタイプなので、

彼女結婚病気活動休止といった直近のニュースはまったく知らなかった。

ただ、毎日の在宅デスクワーク、その時の気分で音楽を延々と流す日々のワンシーンに彼女がいる、

そんな生活の中で突然彼女訃報を聞くことになった。

好きなアーティストの死に触れることは初めてではない。

1970年代洋楽もよく聞くので、ルー・リードデビット・ボウイが死んだ時もショックだった。

ただ、、寂しくはあってもどこかで覚悟していた大御所の死とは違い、

彼女の死に直面して、色々な感情が駆け巡って、最終的にたどり着いたのは「納得がいかない」という思いだった。

音楽歴史の中で、若くして死ぬ事によって、伝説的に昇華されてしまったようなアーティストはたくさんいるが、

もはやそんな時代ではないと思う。

生み出された作品とその作者の人生生活は切り離して考えられるべきであって、

劇的な死に方をすることで、楽曲意味が何らかの方向性を持って印象的に底上げされる、

なんて事は受け入れてはいけないと理性では思っている。

ただ、彼女楽曲がまとう空気価値観は、

自死」という究極の自己決定と紐づけた時に、そのありかたが容易く変質してしまう類のものだと個人的には思う。

内側に閉じられた世界自意識の中で、

彼女自身感性で研ぎ澄まされた強さと繊細さ、息苦しさがたどり着いた結果が「それ」だとしたら。

到底受け入れられない。結びつけてはいけない。

彼女がどんな人生を辿ったとしても、彼女楽曲に込めた表現意味は変わらないはずで、

自分にとって、これから先も、生活の一部として聞き続けるであろうたくさんの音楽の一つとして、

年月が移り変わっても、変わらないものとしてありつづけてほしい。

彼女言葉歌声音楽で生み出した、暗くもあたたか世界は、私自身の居場所でもありました。

彼女が、向き合うだけで精一杯だといった現実との対峙の中で、

自分だけの、二人だけの、生まれながらに全てが正しくて、善であるのだと強く歌ったはずの世界を、

彼女自身が、自ら”指パッチン”で終わらせる対象として塗りつぶしてしまったのではないか

彼女が歌の中で生み出して、繰り返したモチーフひとつひとつが、

彼女が選んでしまたかもしれない現実の結末と、それを知った自分自身類推に過ぎないイメージで上書きされてしまう事があまりも怖くて、

自分はいま、彼女の死を知ってからまだ一度も彼女楽曲を聞くことが出来ずにいます

ここまで来てやっと本題です。

今回の「死因非公表」というご遺族の意向による報道内容によって、自分は落とし所を見つけられずにいる。

まず大前提として、著名人の死に当たっては、今回コメントを出した彼女パートナーを初め、最も近しい人達が、

彼女の死という重大な出来事に対して向き合い、たとえ時間がかかっても心の折り合いをつけていく、

そのための時間絶対必要で、「ファンお気持ち」なんて物とは比べるまでもなく優先すべきで、

ニュースやその視聴者が、それが興味本位であっても切実な悲しみであっても、

彼女の死の原因のあれこれを詮索して、彼らに必要時間を踏みにじるような事はあってはならないと思う。

その意味において、詳細な死因を公表しない、と決めたご遺族の判断第一尊重したい。

ただ、それと同時に、自分を初めとして、彼女楽曲日常的に触れてきたファンも、

突然の訃報のショックと抑うつ、行き場のない感情彼女楽曲を以前と同じように聞けなくなった辛さを抱えています

その中で、彼女の死がはたして「自殺」なのか「病死事故死」だったのかを知ることは、

彼女の死を受け入れるにあたって大きな意味を持ちます

いや、大きな意味など本当はないのかもしれない。

あるのは、彼女の死が、病死事故死といった本人の意志によらないものであってほしいという祈り

でもおそらく報道コメントが暗に示すように、もし彼女が死を選んだという事が真に明らかになったとしたら、

自分の中で、彼女楽曲に対する「受け入れがたい変化」がより決定的な物になってしまうだけなのかもしれない。

ただ、海や山で誰かが遭難して数ヶ月が経ち、たとえ見つかるのが遺体だとわかっていても、

その家族が捜索活動をつづけてしまうように、

長い人生の中で避けられない大切な人の喪失を受け入れるにあたって、

その理由や結果を知ることは、たとえ残酷結論だとわかっていても、必要過程なのではないでしょうか。

見返すと何やらと淡々理屈を述べてしまいましたが、

今まさに現在進行系で心の行き場と日々の平穏を失ってしまった自分にとっては、

彼女の死因を知ることが、とても切実な問題であるように思えてならないのです。

自殺報道が最大限の配慮を持ってなされるべきだ、ということももちろん承知しています

その一方で、ペットロスといった身近な死を乗り越えるためのサポートなども社会課題として捉えられる時代においては、

一定社会的支持を持つアーティストの死に対して、ファン重要事実を知ることも、

私達が「大切な存在の死」という逃れられぬ現実を乗り越えるためには必要手続きなのではないかという事を、

いままさに行き場のない思いを抱える当事者として切実に感じています

自分は、彼女の死を知って以来、まだ彼女の曲を一度も聞くことが出来ていません。

乗り越えるのには時間必要かもしれませんが、

いつかまた彼女の曲たちを、これまで同様に、そして私の生活を彩る他の数多のアーティストとも同様に、

自分人生にとってかけがえのない存在として共に過ごしていく日々がまたいつか来ることを切に願っています

長くなってしまいましたが、

私は、以上の理由からご遺族の方の精神的な負担にならないタイミングであることを前提として、

さユりさんの死因公表を望みます

2024-09-19

この人の言い草だと何で男に参政権あるの?

タイタニックで女が女子供より男を助けろと言わなかったから、女性参政権は遅れたって言うが、じゃあ海難事故の平均で女より生存率が2倍高い男は何で参政権あるの?

女子供押しのけて自分生存第一で生き残るのは正義からってこと?

https://x.com/kouei52/status/1836340819957297423?t=G_Y0RebRlBz2swnerA8igw&s=19

タイタニック号の生存率:女性74%、男性20%、子供52%

女性子供が優先の原則に、女性の大半は異議を唱えなかった」

この結果、女性参政権運動は後退する事になる。普段男女平等要求しても、戦争災害等でいざとなると男に危険押し付けるのは現代も変わらない

船が遭難した際、一般的には女性子供が優先的に救助されていると見られがちだが、実はこの説は間違っている。スウェーデン学者1852年から2011年までに発生した18件の海難事故分析した結果、助かるのはもっぱら男性であることが分かった。中国新聞網台湾「聨合新聞網」の報道引用して伝えた。

 調査対象となったのは、海難を起こした18隻の船に乗っていた30カ国あまり乗客・船員ら約1万5千人。

 研究によると、船長や船員の多くはわが身の安全第一とする傾向があった。海難事故における男性生存率は女性の2倍で、子どもは最低だった。

 18件の海難事故のうち、女性生存率が男性を上回ったのはわずか2件のみだった。そのうちの1つが、1912年タイタニック事故だ。タイタニック号の事故では女性子どもの7割が助かったのに対し男性わずか2割で、「例外的」と言える。

2024-09-13

繊細さんの行動原理

ちょっと前、所属していた趣味コミュニティとある繊細さんが加入したことゆっくり活動ブレーキが掛かり、ついに事実上解散状態になった。

その顛末については本人に伝わると良くないので書かない。

そういう内容を期待しているひとはこれ以上読む必要はない。

ただ繊細さんを間近で目撃して、なんとか活動を盛り返せないかと色々努力してコミュニケーションをとってみた(無駄だったけど…)経験から、繊細さんの行動原理何となく分かってきたので書いておこうと思う。

行動原理は単純で「繊細さんは常に命の危機を感じている人間である」ということ。

この前提が分かっていれば、いろいろな行動に説明が付く。

命の危険に瀕した人間、例えば船で遭難した人間が仲間の死体を食べる、あるいは殺して食べることは罪ではあるが理解はできると思う。

命の危機を感じている人間が、公平性や遵法性をいったん棚上げして利己的に行動することはごく自然なことだ。

繊細でない人間は命の危機を感じていないので、他人の行動にどの程度干渉するかは多少の個人差はあってもある種のフェアネスに基づいて判断している。

多少自分不快であっても、客観的に見て相手の行動に自分干渉するのは不適切である判断すれば、その不快は受け入れる。

しかし繊細さんとは常に喉元にナイフを突きつけられて生活している人間なので、その不快を少しでも受け入れればそれは即ち死を意味する。

そのため公平性を踏み越えてでも自分不快排除しようとする。というか、そうせざるを得ない。

最初、まだ行動原理理解していなかったころは繊細さんのことを傲慢人間だと思っていた。

でもどうやらそうではなく、死との距離が近いひとなんだということが分かった。

また、繊細さんは自らが弱者であるという強い信念を持っている。

当然だ。常にナイフを喉元に突き付けられているのだから主観的には、それはそれは圧倒的な弱者だろう。

大した上下関係もない緩い趣味コミュニティの中であっても、その意識は変わらない。

圧倒的弱者なのだから配慮をされなければ生きてはいけない。

配慮されることは特別扱いなのではなく、生存のための大前提なのだ

から常に配慮されている「べき」で、それが無いということは加害されているのと同義である

この意識にも最初は戸惑った。何しろ向こうはお客さんでもなければこちらも仕事でやってる訳ではないのに、当然のように特別扱い要求されるのだ。

そして繊細さんは生存のための武器として、態度や間接的な言葉他人コントロールする術に長けている。

その技術は彼、彼女が唯一持ちうる武器であり、命綱であり、呼吸をするようにほとんど無意識に使っている手足でもある。

繊細さんのコミュニケーションは常に前提として「被害者たる自分」が置かれており、そのため、相対した人間自由自在加害者に変えることが出来る。

そして何より厄介なことに、このような行動に「相手を陥れよう」だとか「自分が優位に立とう」という意識は、一切無い。

上記説明した通り、これらの行動は生存のための命綱に過ぎないので、罪の意識も無ければ、相手自由を奪っているということに気付くこともない。

繊細さんからしたら自分被害者であり、相手加害者であることは決定事項であり、覆ることのない真実なのだ

例え、客観的に見て言いがかりだとしても、目の前の人間から加害者扱いされて平気な人間はあまりいない。

まして、そんな思いをしてまで趣味コミュニティを維持しようと思う人もいない。

繊細さんを除いてこっそり再結成すればいいと思われるかもしれないが、万が一そのことが相手に知られたらと思うと、気が重い。

我々はもうすでに、あの人が恐ろしくなっている。

さて、そんなわけで私の所属していたコミュニティは緩やかに死を迎えた。

私の経験から言えることはひとつ

コミュニティに繊細さんが入ってきたとき自分が善人でいたいなら、そのコミュニティのことは諦めろ。

2024-09-09

琵琶湖遭難は草

と思った貴方

ここで琵琶湖豆知識琵琶湖は波が立つ」

マジだぞ

2024-08-23

anond:20240822203137

「体力」をなにか物理的なエネルギー(あるいはお金のようなもの)と思うのが間違いの元なんだ

そりゃ確かに人間カロリーを消費して生きているしそこから逃れる術はないが

摂取カロリー消費カロリーが量そのものとして影響してくるのは雪山遭難したときくらいだ

使わなければ溜まっていくようなものではないし使えば減るようなものではない

2024-08-18

anond:20240818003812

恐山か…

遭難して亡くなられた人に聞いても

anond:20240817211616

山に登る人は、安心安全な山と思って登っているケースのほうが圧倒的に多いんだよね。

遭難して亡くなられた人に聞いても「こんな厳しい山とは思わなかった」とか、

「こんなに寒くなるとは知らなかった」みたいに言ってて、無知と油断が原因だったとしか思えない。

2024-08-15

anond:20240815105105

お前みたいな部外者がいちいち「迷惑かけるな」とか「知識不足が」とか騒いで登山キャンプに敷居高いイメージ持たせるんだよな

低い山なら半袖短パンクロックスでも登れるしヤマップインストールしとけばまず遭難しないよ

こういう奴こそやりもしない外野のくせに迷惑だわー

anond:20240814222009

あんお金からない奴

・超低山登山

300m以下の山に登る登山。山によるがメジャールート存在すれば登山装備がなくても登れる。YAMAPを使えば無料遭難対策可能

博物館巡り

博物館は私設も含めるとかなりの数があり、隅から隅まで見て回るとかなり時間が潰せるうえ、色々な知識が身につく

映画鑑賞

ほぼ毎週無数の映画化公開されるのでひたすら見る。気が向いたら色んな映画館で見て比較するなどの遊びができる

2024-08-12

登山遭難多くね?

最近Xで遭難者がいますって言うのをちらほら見るけど登山届出してないとか、アホなのかと。

いや、遭難するような人間はそういうことすらできないアホなのか。

登山に何の魅力も感じないので、何でそんなことするんやろ?と思うのだが、ちゃん登山をやってる人にとっては迷惑なんだろうな。

いっそ資格制度にしたらいいのにね

2024-08-07

「行けるところまで登れればいい」か…。

平出和也のK2西壁遭難と20年前の想い出|大石明弘

まるで濁流を渡渉しようとするようなものなんだろうな。

山に登らない人々までもが、彼らの挑戦に心を打たれ、日常生活を進めるエネルギーに転化していた。もちろん彼らと同じように、私も平出に影響を受けていた。

そういえば、俺は誰かの挑戦に心を打たれたりしたことがないな。

かっこよさに憧れはしても、自分日常生活を進めるエネルギーになったことがない。

誰かの挑戦をみて、よしがんばろうと思う気持ちって、そもそもよくわからない。

しろ、がんばろうと思うときというのは、自分を育ててくれた先人を思い出すときだ。

自分の両親であったり、会社上司であったり。

自分がかつての親と同じ年齢になったとき、亡くなった父のすごさを思う。

それは憧れとも違うし、親父の歩んだ道をたどって登る、岩登りの言葉でいえば、セカンドで登っていく感覚に近い。

親父はここを乗り越えてきたんだな、そしてここからは息子よトップで登れ、という感覚

日常生活を進めるエネルギーというと、俺的にはそういうイメージ

それに対して、憧れのクライマーが何か偉業を成し遂げた、無念に死を遂げた、というインパクト

アイドルへの思いであって、自分人生に引っかかるようなところがあまりない。

あの記事を「無謀な挑戦」とか「困難に挑戦」とか誤読が酷い

無謀(困難)な挑戦を断念したけど「せっかくだからちょっとそこまで」と余裕ぶっこいた結果遭難した、って記事だろ。

不謹慎だなと分かっているからここに書くのだが、私は登山で死んだ人の話が大好きだ。別の言い方をすれば、興奮するっていうのに近い。危険まりない行為をする人の映像がなんでも好きなわけじゃないが、登山で挑戦した結果、結局死んだ、というのが特別に好きだ。でも、普通趣味で登って無謀なことして遭難して死んだという話も大好きだ。可哀そうとかは全然思わない。私は共感性が高い方だと思うが、不思議なことに登山で死んだ人のことは全然可哀そうじゃない。くやしかっただろうな、とはうっすら思うが、でもその苦痛の中で絶望して死んでいくことに興奮する。うらやましいのかもしれない。私も趣味登山をするので、絶望して死ぬかもしれない体験は何度かした。あの感じがたまらないのだけど、それも関係しているのかもしれない。

2024-07-31

とある女性クライマー最期・・・

2015年12月21日午後2時50分ごろ、

北海道上川郡上川町大雪山系黒岳1984メートル)の北壁を男性4人との5人パーティーで登攀中、

山頂付近で用を足すためロープを外し
仲間から見えない岩陰へ移動した後に滑落[7][8]。

岩陰には両手の手袋が残されていた[7]。悪天候のため捜索が難航したが、

翌22日午前9時35分頃、登攀終了点より約700m下の黒岳沢において、

北海道警山岳遭難救助隊とともに捜索していた登山仲間により

雪に埋もれ心肺停止状態発見された。

2024-07-28

富士山みたいなかっこよくて手軽に登れる山

そういうのがあればええんよな、っていうか江戸時代は作ってたんだよね

富士まではいけない連中のために、富士遠征した人が富士から石パクってきて

それを集めて丘みたいに仕立て上げて

「これが不二家で!」

ってしてた。蹇・腰弱でも安全安心なやつ。そういうユーザーフレンドリー文化、戻ってこないか

登る側に想像力がないとダメから難しいんだろうけども、昔はそれで「富士に登ったつもり」になる文化が根づいてたのだから

そういうので遭難回避に繋がらないもの

外国人富士山に無謀な登山をする!ってマスコミが報じまくっていたのに…

実際に富士山で死にまくっているのは日本人

やっぱり母数が多いからかな?

それにしても…

追記

母集団か?(まだ調べずに書く)

追記

富士山みたいな単純な地形の山で遭難した外国人遺体が見つかっていない仮説は無理がありそう

仮に捜索願がなくても他の遭難者を探しているときに見つかるんじゃないか

意図的に隠れた場所で亡くなりでもしないかぎり

2024-07-25

anond:20240725161329

あさま山荘事件映画化もされたし、カップヌードルに絡めて話題に出されることも多いから、自然知識として入ってくるけど、山岳ベースは正直なんのこっちゃ?って感じだかな。

名前だけ見ると、登山遭難した事件みたいだし

山で交わす「こんにちはー」の意味って

遭難対策よりも、「私に敵意はありません」という意味かと思っていた。

だって、山奥で見知らぬ人とばったり、って結構怖くね?

実際、人が少ない山のほうが、よく挨拶をする。

逆に、賑わってる山だとあまり挨拶しない。

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