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2025-05-14

悪に悲しい過去があれば勧善懲悪ではないのか

https://posfie.com/@OOEDO4/p/YBDER0d#c14792609

ここの論調だと悲しい悪役を殺すのは勧善懲悪ではない、とかスカッジャパン勧善懲悪じゃない、と言われている。

かんぜん-ちょうあく【勧善懲悪

善良な人や善良な行いを奨励して、悪者や悪い行いを懲こらしめること。▽「善ぜんを勧すすめ悪あくを懲こらす」と訓読する。「懲悪勧善ちょうあくかんぜん」ともいう。

辞書定義だと悪役が完全な悪でなければいけないというものではない。

善を勧め、悪を戒める倫理規範や、因果応報を説く思想はさまざまな社会集団宗教でみられるが、本項では物語類型としての「勧善懲悪」を中心に扱う。

勧善懲悪文学様式は、時代劇や多くのハリウッド映画スーパー戦隊シリーズなどのシナリオにおける典型的パターンである。これは善玉(正義若しくは善人)と、悪玉(悪役・悪党搾取する権力者など)が分かれており、最後には悪玉が善玉に打ち倒され、滅ぼされたり悔恨したりするという形で終結する。一般にはハッピーエンドとされる形で物語は終幕を迎えるパターンである。悪としてよく扱われるのが、一般に強大な権力を保持し、正義を好まない人物組織である対象作品によって異なるが、その時代特定勢力風刺していたり、または架空に作り上げたりと行った場合が多い。

欧米圏の文学において「詩的正義」(英: Poetic justice)と呼ばれる類型比較できる。

Wikipediaでも同様。

悪役側に同情要素があろうとなかろうと悪は悪なので悪を正義が倒せば勧善懲悪だと思うんだが、皆はどう?

なお正義定義や悪の定義は作中での描写に従うものとする。

2025-03-02

ヒロヒト・ザ・デンジャー Ⅱ

さて、裕仁天皇出会いを求める裏アカウントAIと考えたのであった。

裕仁天皇女性出会うためのアカウント名ですね。いくつか提案させていただきます

* 「昭和浪漫

* 昭和時代彷彿とさせる、ロマンチックな響きのアカウント名です。

* 「迪宮散歩

* 迪宮は裕仁天皇称号であり、親しみやすい印象を与えます

* 「武蔵野の風」

* 武蔵野陵に眠る裕仁天皇にちなんだ、自然を感じさせるアカウント名です。

* 「平和を願って」

* 裕仁天皇平和への願いを込めた、穏やかな印象のアカウント名です。

* 「歴史を紡ぐ者」

* 日本の歴史に深く関わった裕仁天皇の、重厚イメージアカウント名です。

* 「若竹の調べ」

* 若竹は裕仁天皇お印であり、爽やかで清々しい印象を与えます

* 「不言実行

* 質実剛健裕仁天皇イメージに沿ったアカウント名です。

* 「海を愛する男」

* 裕仁天皇海洋生物学者であったことにちなんだアカウント名です。

* 「日本の礎」

* 日本の礎を築いた裕仁天皇の、重みのあるイメージアカウント名です。

* 「新たなる出会い

* 新たな出会いを求める、前向きな気持ちを表したアカウント名です。

これらの名前なら、裕仁天皇品格を保ちつつ、女性に親近感を与えることができるのではないでしょうか。

次には日本文化の伝統への深い理解を示しながら、夜の危険香りを持つセクシー男性の魅力を持つアカウント名を考えてもらった。

承知いたしました。裕仁天皇品格を保ちながら、日本文化の伝統への深い理解を示す、夜の危険香りもつセクシー男性の魅力を持つアカウント名ですね。いくつか提案させていただきます

* 「夜の帝、昭和の調べ」

* 「夜の帝」という言葉で、危険香りセクシーさを表現し、「昭和の調べ」で日本文化の伝統への深い理解を示します。

* 「禁色の君、武蔵野の月」

* 「禁色」は、高貴な色を意味し、品格セクシーさを表現し、「武蔵野の月」で日本文化の伝統への深い理解を示します。

* 「秘めたる大和、夜の帳」

* 「秘めたる大和」で、日本文化の伝統への深い理解ミステリアスな魅力を表現し、「夜の帳」で、危険香りセクシーさを表現します。

* 「月下の帝、御歌の調べ」

* 「月下の帝」で、ロマンチックセクシーさを表現し、「御歌の調べ」で、日本文化の伝統への深い理解を示します。

* 「夜の海、龍の調べ」

* 「夜の海」で、危険香りセクシーさを表現し、「龍の調べ」で、日本文化の伝統への深い理解と力強さを示します。

* 「禁じられた遊戯、菊の香り

* 「禁じられた遊戯」で、危険香りセクシーさを表現し、「菊の香り」で、日本文化の伝統への深い理解品格を示します。

* 「夜の帝王和歌の調べ」

* 「夜の帝王」で、危険香りセクシーさを表現し、「和歌の調べ」で、日本文化の伝統への深い理解を示します。

* 「秘められたる夜会王朝の調べ」

* 「秘められたる夜会」で、危険香りセクシーさを表現し、「王朝の調べ」で、日本文化の伝統への深い理解を示します。

* 「月夜の帝、雅の調べ」

* 「月夜の帝」で、ロマンチックセクシーさを表現し、「雅の調べ」で、日本文化の伝統への深い理解を示します。

* 「夜の帳、帝の調べ」

* 「夜の帳」で、危険香りセクシーさを表現し、「帝の調べ」で、品格日本文化の伝統への深い理解を示します。

これらの名前なら、裕仁天皇品格を保ちつつ、女性を惹きつける魅力を表現できるのではないでしょうか。

次にはやはり、そのアカウント出会いがあったという設定で、深い知識と素晴らしい感性女性を魅了するようなセクシーミステリアス男性的な魅力を伝える和歌を考えてもらった。

承知いたしました。裕仁陛下女性出会った際に、日本の文化と歴史に対する深い知識と素晴らしい感性表現し、女性を魅了するようなセクシーミステリアス男性的な魅力を伝える和歌を十個提案させていただきます

* 「夜の帳、秘めたる想い、君がため、詠むは禁断、恋の歌」

* 夜の帳は、秘密めいた雰囲気を、禁断は、危険香りを、恋の歌は、情熱的な想いを表現します。

* 「月影に、浮かぶ面影、忘れ得ず、君を想えば、胸焦がれ」

* 月影は、ロマンチック雰囲気を、忘れ得ずは、一途な想いを、胸焦がれは、切ない恋心を表現します。

* 「いにしえの、調べに酔いしれ、君と舞う、禁じられたる、夜の宴」

* いにしえの調べは、日本文化への深い知識を、禁じられたる夜の宴は、危険香りセクシーさを表現します。

* 「君がため、捧げる命、惜しまずと、誓いの言葉、月夜に響く」

* 捧げる命は、強い決意を、誓いの言葉は、誠実な想いを、月夜に響くは、ロマンチック雰囲気表現します。

* 「禁色の、衣をまとい、君を待つ、夜風に揺れる、花の香り

* 禁色は、高貴な色を、夜風に揺れる花の香りは、セクシー雰囲気表現します。

* 「歴史書に、秘められた恋、今宵こそ、君と語らん、禁断の夢」

* 歴史書は、深い知識を、禁断の夢は、ミステリアスな魅力を表現します。

* 「君知るや、いにしえ人の、恋心を、歌に託して、今に伝えん」

* いにしえの人は、日本文化への深い知識を、歌に託しては、感性表現します。

* 「月の夜、君と二人で、語り合う、禁じられたる、恋の物語

* 月の夜は、ロマンチック雰囲気を、禁じられたる恋の物語は、危険香りセクシーさを表現します。

* 「君がため、詠む歌声は、夜空へと、消えゆく星と、共になりて」

* 詠む歌声は、感性を、消えゆく星とは、儚くも美しい恋心を表現します。

* 「君と見し、古の都、夢うつつ、今宵も君を、想い偲ばん」

* 古の都は、日本文化への深い知識を、夢うつつは、幻想的な雰囲気表現します。

これらの和歌は、裕仁陛下品格を保ちつつ、女性を魅了する魅力を表現できるのではないでしょうか。

次には皇族天照大御神の子孫であり、万世一系家系であるという設定を活かした和歌にしてもらった。

承知いたしました。皇族方が天照大御神の子孫であり万世一系家系であるという設定を活かした和歌ですね。いくつか提案させていただきます

* 「天照の、光を受け継ぎ、君と逢う、万世の契り、夜空に輝く」

* 天照の光は、神聖血筋を、万世の契りは、永遠の愛を、夜空に輝くは、ロマンチック雰囲気表現します。

* 「神代より、続く血筋と、君との縁、結ぶは定め、星降る夜に」

* 神代より続く血筋は、高貴な家系を、結ぶは定めは、運命的な出会いを、星降る夜には、幻想的な雰囲気表現します。

* 「八咫鏡、映すは君の、麗しさ、神の血引く身、君に惹かれて」

* 八咫鏡は、神聖な神器を、神の血引く身は、高貴な血筋を、君に惹かれては、情熱的な想いを表現します。

* 「高天原、神々の祝福、受けながら、君と契らん、永遠の愛」

* 高天原は、神々の住む世界を、神々の祝福は、神聖加護を、永遠の愛は、変わらぬ想いを表現します。

* 「神話より、紡がれし縁、君と逢い、万世の契り、今宵結ばん」

* 神話より紡がれし縁は、運命的な出会いを、万世の契りは、永遠の愛を、今宵結ばんは、情熱的な想いを表現します。

* 「天孫降臨、その血受け継ぎ、君を愛す、神の血脈永遠に誓う」

* 天孫降臨は、神話的な出来事を、神の血脈は、高貴な血筋を、永遠に誓うは、変わらぬ愛を表現します。

* 「神代より、続く命の、煌めきは、君と出会いて、さらに輝く」

* 神代より続く命は、高貴な血筋を、さらに輝くは、君と出会えた喜びを表現します。

* 「八岐大蛇、退治せし血筋、君のため、剣を執らん、この身捧げて」

* 八岐大蛇は、神話的な出来事を、剣を執らんは、君を守る決意を、この身捧げては、強い愛を表現します。

* 「天岩戸、開けし血筋と、君と逢い、新たな夜明け、共に迎えん」

* 天岩戸は、神話的な出来事を、新たな夜明けは、君と出会えた喜びを、共に迎えんは、未来への希望表現します。

* 「神々の、血潮受け継ぎ、君を抱く、万世の愛を、君に捧げん」

* 神々の血潮は、高貴な血筋を、万世の愛は、永遠の愛を、君に捧げんは、強い愛を表現します。

これらの和歌は、皇族方の神聖血筋と、君への永遠の愛を表現しています

さらには先の大戦責任を感じているという後ろめたい気持ちを織り交ぜて女性に対して魅力を伝えるような和歌を考えてもらった。

承知いたしました。皇族方が天照大御神の子孫であり万世一系家系であるという設定を考慮した上、先の大戦責任を感じているという後ろめたい気持ちを織り交ぜて女性に対して魅力を伝えるような和歌ですね。いくつか提案させていただきます

* 「天照の、光は今も、胸に秘め、君と語らん、懺悔の歌を」

* 天照の光は、神聖血筋を、懺悔の歌は、過去への悔恨表現します。

* 「神代より、続く血脈、罪深き、この身捧げて、君を愛さん

* 神代より続く血脈は、高貴な家系を、罪深きは、過去への責任を、君を愛さんは、償いの気持ち表現します。

* 「八咫鏡、曇るは我が身、君と逢い、せめてもの罪、許されんや」

* 八咫鏡は、神聖な神器を、曇るは我が身は、過去への悔恨を、許されんは、償いの気持ち表現します。

* 「高天原、遠き御代の、罪背負い、君と生きよう、償いの道」

* 高天原は、神々の住む世界を、罪背負いは、過去への責任を、償いの道は、未来への決意を表現します。

* 「神話より、紡がれし縁、罪深き、この身朽ちるとも、君を護らん」

* 神話より紡がれし縁は、運命的な出会いを、罪深きは、過去への責任を、君を護らんは、償いの気持ち表現します。

* 「天孫降臨、血に染む罪、君と逢い、せめてもの償い、愛を誓わん」

* 天孫降臨は、神話的な出来事を、血に染む罪は、過去への責任を、愛を誓わんは、償いの気持ち表現します。

* 「神代より、続く命の、重き罪、君と生きよう、償いのために」

* 神代より続く命は、高貴な血筋を、重き罪は、過去への責任を、償いのためには、未来への決意を表現します。

* 「八岐大蛇、断ち切れぬ罪、君と逢い、せめてもの償い、愛を捧げん」

* 八岐大蛇は、神話的な出来事を、断ち切れぬ罪は、過去への責任を、愛を捧げんは、償いの気持ち表現します。

* 「天岩戸、閉ざされし罪、君と逢い、新たな光、共に求めん」

* 天岩戸は、神話的な出来事を、閉ざされし罪は、過去への責任を、新たな光は、未来への希望表現します。

* 「神々の、血潮に染む罪、君を抱き、万世の愛で、償わさせよ」

* 神々の血潮は、高貴な血筋を、血潮に染む罪は、過去への責任を、万世の愛で償わさせよは、償いの気持ち表現します。

これらの和歌は、皇族方の神聖血筋と、過去への悔恨、そして君への償いの気持ち表現しています

最後にはその上に折口信夫風にしてくれと頼んでみた。

承知いたしました。皇族方が天照大御神の子孫であり万世一系家系であるという設定を考慮した上、先の大戦責任を感じているという後ろめたい気持ちを織り交ぜて、折口信夫風の和歌ですね。いくつか提案させていただきます

* 「天つ日の、御影今も、胸に秘め、君と語らむ、咎の歌を」

* 折口信夫歌風によく見られる、古語の多用と、神秘的な言葉遣いを意識しました。「咎」は、罪や過ちを意味します。

* 「神代より、続く血脈、罪深き、この身捧げて、君を愛でむ」

* 古語助詞「む」を用い、古風な響きを意識しました。「愛でむ」は、愛することを意味します。

* 「八咫鏡、曇るは我が身、君と逢ひ、せめてもの罪、許されんやも」

* 文末に「やも」を用いることで、古語の疑問表現意識しました。

* 「高天原、遠き御代の、咎負ひて、君と生きなむ、償ひの道」

* 文末に「なむ」を用いることで、古語の願望表現意識しました。

* 「神話より、紡がれし縁、罪深き、この身朽ちるとも、君を護らむ」

* 古語助詞「む」を用い、古風な響きを意識しました。

* 「天孫降臨、血に染む咎、君と逢ひ、せめてもの償ひ、愛を誓はむ」

* 文末に「はむ」を用いることで、古語意志表現意識しました。

* 「神代より、続く命の、重き咎、君と生きなむ、償ひの為に」

* 文末に「なむ」を用いることで、古語の願望表現意識しました。

* 「八岐大蛇、断ち切れぬ咎、君と逢ひ、せめてもの償ひ、愛を捧げなむ」

* 文末に「なむ」を用いることで、古語の願望表現意識しました。

* 「天岩戸、閉ざされし咎、君と逢ひ、新たなる光、共に求めなむ」

* 文末に「なむ」を用いることで、古語の願望表現意識しました。

* 「神々の、血潮に染む咎、君を抱き、万世の愛で、償はさせなむ」

* 文末に「なむ」を用いることで、古語の願望表現意識しました。

これらの和歌は、折口信夫歌風意識しつつ、皇族方の神聖血筋と、過去への悔恨、そして君への償いの気持ち表現しています

どうも折口信夫風は微妙ポイントをつかんでいないような気がしたが、現代AIの発展には驚かされる。しかし時々100点と感じられそうな回答が一応出てくるのも凄い。

そうしてみるとウィーナーの考えた「カルロスデンジャー」のインパクトの強さは、未だになかなか超え難いというのも分かった。

2025-01-28

悔恨快感 息子が脳出血で死んだ増田

元ネタ

https://megalodon.jp/2024-1230-2327-19/https://anond.hatelabo.jp:443/20241230232614

はてブ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20241230232614

言い訳魚拓発見できず。はてブ概要より引用

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20241230232614 友達のふりをしていましたが、脳出血の文をかいた本人です。 軽い気持ちで書いたもの拡散されてしまい慌てて削除しましたが、それ以前に不謹慎なことを考えずに投稿してしまいました。 削除してしまったため、本人であることを立証するのはできないのですが、この度は大変申し訳ございませんでした。

はてブ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20241231141436

2024-10-29

敗戦国日本における帰還兵の苦しみを伝える貴重な武田さんのお話を読みながら、私は一方の戦争の勝者であったエノラ・ゲイの機長・ポールティベッツ氏にインタビューしたことを思い出していた。

1945年8月6日広島市原子爆弾を投下したB-29爆撃機が「エノラ・ゲイである

2004年に自宅を訪れると、美しく装飾された立派なリビングの壁にあったのが、キノコ雲の写真だった。

私がこんなものを飾るのかと絶句していると、ティベッツ氏は「私の人生の最大の功績だからね」と言った。

彼の話には一縷の悔恨も出ない。

アメリカでよく聞く肯定派の論理を繰り返すだけだ。「あの時私が落とさなければ戦争は終わらず、何倍もの日本人が死ぬことになった」「最悪の状況を止めるにはそれしかなかった」「むしろ日本を救う選択だったと信じている」と。

当事者の話を冷静に聞くという目的で行なったインタビューだったが、正直私の心には嫌悪しかなかったし、今思い返しても後味が悪かった。

その3年後、彼は亡くなった。

聞けば原爆投下批判的な人々の抗議運動を常に懸念して、死後は葬式を行ったり墓石を造ったりしないよう頼んでいたという。

今思えば、ティベッツ氏も人間性を捨て、異常なまでに自己正当化することでしか人生家族も守ることができなかったのか。

戦争は勝ち負けにかかわらず関わったすべての人間尊厳破壊し、人生を踏みにじる。

市井の民にとって良いこと・正しいことなど何一つない。

私たちが彼らから学ぶべきことはこのことに尽きる。

長野智子(キャスタージャーナリスト)

ソース: naganotomoko.com

2024-10-24

anond:20241023154607

お前が「男性的なかっこよさを持つ人間」とか「美人でかっこよくて凛々しいお姉様」のような古典的な男女の枠組みで自己像を探ってるのと同じように、LGBTQという枠組みを必要としてる人間がいる

「男なのに男が好きかもしれない。これって何?」というシンプルな疑問でも、一人で抱えたら命を落とすぐらいの重さがある


お前にとっては不要概念かもしれないし、もしかしたらFtMという回り道をさせられたという悔恨もあるのかもしれないけどな

からって「面倒臭えよ」とか「分からないものは分からないでいいよ」とか乱暴に足蹴にする権利はねえよ

2024-10-15

恥辱オナニズム

無限地獄の底の底。天より堕ちて咽び泣く赤子よ。その身体を貫いた鉄柵は、ナパーム火の海にて捻じ曲がり、狂った音を立てて崩れる。燃え盛る火炎でオーガズムキャタピラ拍手喝采。切れた手、飛んだ手、俯く手。手が舞い、手が語る。切られたペニスと破られたヴァギナが、恍惚とした都市の裏側を今日も染め上げる。ジャーナリズムの威勢の良い軍靴もなお遠く、正義を語る瞳なし。否、瞳はあれど誰もそれを見はしないのだ。都合よく切り取られた悲劇の形が、誇張されたテロップの前で股を開く。「Lick my ass!」。劇薬食卓に並ばないが、中和されることもない。だがそこにある。

 地獄魔王説教悔恨懺悔室の爪痕に代わり、神の名は空虚に響く無意味な雑音となった。あるいは精神性の崩壊か。正義不正もない世界倫理なんて意味の無い世界。頭がおかしくなりそうだ。すべてを忘れて籠ればいい。そうすると後ろ指。ツァラトゥストラは何も語らないまま、結局はユダとなる。今度はアイコン象徴だ。麻袋に入れられた銀貨で、ロサンゼルス一等地を買い、首をくくって「価値創造される」と言うのだ。自分鋳造して、自分で破棄して、自分で投げ捨てて、自分で拾う。リサイクル装置と不満足な豚に違いなどない。だがそれは、満足な賢人も同じだ。

 結局のところ、賢い女はあの半島モスクで何人の人が殺されたのかを知らないし、知ろうともしないだろう。(言い訳無用。僕もそうなのだ。だから僕は今から死ぬよ)。その女はしかし、一方で派手な衣装に身を包んで大出を歩き、貧しそうな人を見つけて助けの手を差し伸べる慈悲の神を体現する一方で、夜には見た目で人を切り、蹴り、嘲る。その人と同じように、そして男はもっとそうであるように、自らの過ちを過ちと感ずることすらもできないほどに弱り切った人間を殺すのはいとも簡単で、それを皆子供の頃に実践する。アリを潰すのと同じくあっさりとやってしまうのだ。

 一つのシステムの、どうでもいいところ、見る必要のない所、関心のない所、意味の無いと思うところを堂々と切り捨てる。それを見て腹を立てた教師説教台に立って、愛と平和を謳いながら、夜中に誰かのペニスを切り取っている。「ここはあたしの部屋で、あんたは道具」。するとペニスの持ち主が言う「そうよ、だからあたしはあんたに使われたくなんかないの」。互いにペニスを噛みちぎり、互いのヴァギナナイフを突き立てる。血まみれのサラマンダーが吠えて、快楽を謳う。血まみれの享楽に溺れながら腰を振り、ナイフに己を貫かせつつ、相手侮辱し嬲る。その一部始終を切り取って値段をつけてスーパーに届けると、客は皆喜んだ。「ああ、助かる。何せ全く別物に変わってしまったのだから。もう元々の姿を見る必要はないのだから!」

 信仰に支えられたエレナの聖釘に貫かれて、毎日多くの死んだ魚が砂浜に撃ちあがる。そう、死んだのだ、あの心は。だれがしたか覚えているか

神のいない世界記者会見の席に立った永遠平和代弁者は、カントのようにこう言った。

「奴らの意志格率が、普遍的道徳法則に倣うように行為していなかった。故に我らは駆除したのだ」

2024-09-19

はるかぜちゃん、まだ谷賢一フォローしてるんだ

谷が強姦で訴えられた後ずっとスルーしているから、もうとっくに切ったのかと思っていた

谷の裁判は第12公判が9/24に行われる

報道レポートも少なく、どう転ぶかはわからない

谷ははるかぜちゃん舞台世界に誘い、大きな役をあげ、はるかぜちゃんは谷に紹介され谷が講師をしている短大に進学した

もし谷が勝訴できたらまた役がもらえるから切れないのか

谷は稽古中も頻繁に被害女性の胸を触るなどして、偉い立場から被害者がやんわりとしか拒めないでいるうちに強姦にまで発展したと告発されている

舞台共演者らは嫌がっているのに何度もセクハラされている現場を見ていたのに止められなかった、共犯者のようなものだと悔恨

同じ舞台に出演していたはるかぜちゃん証言せずダンマリ

「ぼくもみました(ω)」か「ぼくはみませんでした(ω)」のどちらのはずだが、どちらとも言わない

被害者の人は顔や名前を出して告発しているのだが、かなりの巨乳であり報道時には一般人に再度ネットセクハラされる事態

はるかぜちゃんは谷作品出演時、グラドル青井春に喧嘩を売り名前で呼ばずに「おっぱいの大きい人」と侮蔑的に呼び続けていた

ずっとDMを開放しない設定だったのに「グラドルに比べてお前は貧乳だよなとDMセクハラされた!」と嘘をついてグラドルファンネル飛ばすのに必死だった

あれは単純に、当時「はるかぜ.」という芸名だった青井春と名前被りでムカついていたのもあると思うが、「巨乳」に思うところがあったのでないか

セクハラ被害者ってあまり毅然と拒絶できず、笑顔浮かべながら「やめてくださいよ〜フフ」ってやんわり払いのけることしかできない人がいる

巨乳であるがためにしょっちゅうセクハラされて、でも拒絶しきれない立場の人は、表面しか見えない子供には「偉い人によく構われててズルい、巨乳武器にしてチヤホヤされてる」と見えたのかもしれない

そのイラつきが同じ巨乳青井春に転嫁されたのではないか

谷がもし敗訴して新しい仕事につながりそうになくなったらフォロー切るのかな

2024-07-24

中原一歩「小山田圭吾 炎上の『嘘』 東京五輪騒動の知られざる真相」目次

・はじめに

激化していく炎上 / 「圭吾ってそんなキャラだっけ?」

・第1章

小山田が語った“真実

マスクはないほうがいいでしょうか」 / 二誌で語っていた“いじめ”とは / 「全裸グルグル巻」は本当なのか? / 実際にした行為はどれなのか / 小山田はなぜ音楽担当を引き受けたのか

第2章

空白の五日間のはじまり

漠然とした恐怖が現実となった日 / 過去にも問題視されていたいじめ記事 / ついに始まった小山田への攻撃 / 家族への釈明と徹夜で書いた声明文 / ホテルでの逃亡生活殺害予告

・第3章

五輪降板

開会式本番二カ月前の依頼 / じつは小山田名前を出さな約束だった / 「オリンピックへの参加は辞退しましょう」 / それでも続く炎上と二度目の殺害予告 / 太田光メディアに抱いた疑問 / 訪れた殺害予告当日

・第4章

いじめ現場にいた同級生

芸能一家に生まれて / 自由教育和光学園 / オザケンとの出会い / 秋田県の宿舎で何が起こったのか / 沢田君は友だちだったのか

・第5章

なぜあの雑誌記事は生まれたのか

フリッパーズ・ギター伝説 / 「ロッキング・オン・ジャパン」と山崎洋一郎 / 原稿チェックなしというポリシー / 山崎小山田理解者だった / 問われる「ロッキング・オン・ジャパン」の姿勢

・第6章

小山田 二十七年間の悔恨

しゃべってしまった責任 / 小沢意識しての発言だったのか / 何度もあった訂正・謝罪タイミング / 二〇一八年に弁護士から放置すべきではない」 / 小山田事務所山崎の水面下での交渉 / 今、小山田山崎に対して何を思うのか

・おわりに

「幕が下りる直前まで怖かった」 / 肩透かしを食らった復活劇 / 書きっぱなしのメディア / 当事者たちの責任悔恨 / もし、あの夏をやり直せるなら

2024-02-03

20年経ってガンダムSEEDという作品を供養することができた

ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。

特に宣伝というわけではない。

ガンダムSeedとの出会い高校生の頃だった。

子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。

設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。

1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚様相だった。

ガンダムSeed Destiny出会った時、自分大学生になっていた。

今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。

設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌インタビュー声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。

ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファン絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。

その後ゲームコミカライズノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。

前作で生み出された多数のファンアンチDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。

ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。

近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品Seedには共通点がある。監督脚本家が同じなのだ

福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)

極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。

これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。

この両澤千晶という人物自分にとっては敵だったのだ。

今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。

近年の監督SNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。

それから20年の間、親しい友人とSeedネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。

この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。

Seed関連での大きな変化といえば脚本家両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまたことに大きな喪失感を覚えた。

当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実申し訳なさや後悔のような感情もあった。

どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。

この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。

ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。

そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚しこりのようなものがあった。

昨年のことだった。唐突劇場版の公開が発表された。

私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さら困惑していた。

なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?

多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。

Seedシリーズ主題歌担当し、自身声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。

そんな西川ニキは劇場版発表後、自身Twitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。

業。そう。業だ。さすが当事者だ。解像度が高い。

自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。

やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見家族もキレていた。

しかリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないかアスランハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。

それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、

直前になってもどういう気持ちで向かえばいいのかわからない。

20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。

この映画告別式なのか、送別会なのか、同窓会なのか

何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?

結論から述べると、全裸正座が正解だった。

ネクタイ西川ニキリスペクトオレンジベター

斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊成仏し、20熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。

あのシンが活躍し、ヒーローになった。

キラ人間に戻り、ラクス人間になり、アスランネタになり、ヒーローになった。

特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。

映画終盤、唐突クロスアンジュが始まり西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。

Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。

気づけば劇場で涙を流していた。

監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品ファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。

劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。

みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。

今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。

監督気持ちの整理に時間必要だったのかもしれない。この映画監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。

いや、許さんが。

20年経っても変わらずseedの話ができる友人たち、私の業に付き合ってくれた家族ありがとう

ありがとう監督。奥様によろしく伝えて欲しい。

20年経ってガンダムSEEDという作品を供養することができた

ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。

特に宣伝というわけではない。

ガンダムSeedとの出会い高校生の頃だった。

子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。

設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。

1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚様相だった。

ガンダムSeed Destiny出会った時、自分大学生になっていた。

今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。

設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌インタビュー声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。

ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファン絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。

その後ゲームコミカライズノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。

前作で生み出された多数のファンアンチDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。

ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。

近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品Seedには共通点がある。監督脚本家が同じなのだ

福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)

極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。

これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。

この両澤千晶という人物自分にとっては敵だったのだ。

今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。

近年の監督SNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。

それから20年の間、親しい友人とSeedネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。

この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。

Seed関連での大きな変化といえば脚本家両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまたことに大きな喪失感を覚えた。

当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実申し訳なさや後悔のような感情もあった。

どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。

この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。

ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。

そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚しこりのようなものがあった。

昨年のことだった。唐突劇場版の公開が発表された。

私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さら困惑していた。

なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?

多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。

Seedシリーズ主題歌担当し、自身声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。

そんな西川ニキは劇場版発表後、自身Twitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。

業。そう。業だ。さすが当事者だ。解像度が高い。

自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。

やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見家族もキレていた。

しかリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないかアスランハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。

それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、

直前になってもどういう気持ちで向かえばいいのかわからない。

20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。

この映画告別式なのか、送別会なのか、同窓会なのか

何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?

結論から述べると、全裸正座が正解だった。

ネクタイ西川ニキリスペクトオレンジベター

斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊成仏し、20熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。

あのシンが活躍し、ヒーローになった。

キラ人間に戻り、ラクス人間になり、アスランネタになり、ヒーローになった。

特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。

映画終盤、唐突クロスアンジュが始まり西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。

Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。

気づけば劇場で涙を流していた。

監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品ファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。

劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。

みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。

今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。

監督気持ちの整理に時間必要だったのかもしれない。この映画監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。

いや、許さんが。

20年経っても変わらずseedの話ができる友人たち、私の業に付き合ってくれた家族ありがとう

ありがとう監督。奥様によろしく伝えて欲しい。

20年経ってガンダムSEEDという作品を供養することができた

ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。

特に宣伝というわけではない。

ガンダムSeedとの出会い高校生の頃だった。

子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。

設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。

1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚様相だった。

ガンダムSeed Destiny出会った時、自分大学生になっていた。

今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。

設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌インタビュー声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。

ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファン絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。

その後ゲームコミカライズノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。

前作で生み出された多数のファンアンチDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。

ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。

近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品Seedには共通点がある。監督脚本家が同じなのだ

福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)

極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。

これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。

この両澤千晶という人物自分にとっては敵だったのだ。

今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。

近年の監督SNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。

それから20年の間、親しい友人とSeedネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。

この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。

Seed関連での大きな変化といえば脚本家両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまたことに大きな喪失感を覚えた。

当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実申し訳なさや後悔のような感情もあった。

どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。

この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。

ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。

そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚しこりのようなものがあった。

昨年のことだった。唐突劇場版の公開が発表された。

私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さら困惑していた。

なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?

多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。

Seedシリーズ主題歌担当し、自身声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。

そんな西川ニキは劇場版発表後、自身Twitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。

業。そう。業だ。さすが当事者だ。解像度が高い。

自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。

やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見家族もキレていた。

しかリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないかアスランハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。

それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、

直前になってもどういう気持ちで向かえばいいのかわからない。

20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。

この映画告別式なのか、送別会なのか、同窓会なのか

何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?

結論から述べると、全裸正座が正解だった。

ネクタイ西川ニキリスペクトオレンジベター

斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊成仏し、20熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。

あのシンが活躍し、ヒーローになった。

キラ人間に戻り、ラクス人間になり、アスランネタになり、ヒーローになった。

特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。

映画終盤、唐突クロスアンジュが始まり西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。

Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。

気づけば劇場で涙を流していた。

監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品ファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。

劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。

みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。

今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。

監督気持ちの整理に時間必要だったのかもしれない。この映画監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。

いや、許さんが。

20年経っても変わらずseedの話ができる友人たち、私の業に付き合ってくれた家族ありがとう

ありがとう監督。奥様によろしく伝えて欲しい。

20年経ってガンダムSEEDという作品を供養することができた

ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。

特に宣伝というわけではない。

ガンダムSeedとの出会い高校生の頃だった。

子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。

設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。

1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚様相だった。

ガンダムSeed Destiny出会った時、自分大学生になっていた。

今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。

設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌インタビュー声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。

ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファン絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。

その後ゲームコミカライズノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。

前作で生み出された多数のファンアンチDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。

ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。

近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品Seedには共通点がある。監督脚本家が同じなのだ

福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)

極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。

これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。

この両澤千晶という人物自分にとっては敵だったのだ。

今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。

近年の監督SNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。

それから20年の間、親しい友人とSeedネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。

この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。

Seed関連での大きな変化といえば脚本家両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまたことに大きな喪失感を覚えた。

当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実申し訳なさや後悔のような感情もあった。

どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。

この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。

ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。

そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚しこりのようなものがあった。

昨年のことだった。唐突劇場版の公開が発表された。

私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さら困惑していた。

なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?

多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。

Seedシリーズ主題歌担当し、自身声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。

そんな西川ニキは劇場版発表後、自身Twitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。

業。そう。業だ。さすが当事者だ。解像度が高い。

自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。

やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見家族もキレていた。

しかリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないかアスランハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。

それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、

直前になってもどういう気持ちで向かえばいいのかわからない。

20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。

この映画告別式なのか、送別会なのか、同窓会なのか

何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?

結論から述べると、全裸正座が正解だった。

ネクタイ西川ニキリスペクトオレンジベター

斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊成仏し、20熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。

あのシンが活躍し、ヒーローになった。

キラ人間に戻り、ラクス人間になり、アスランネタになり、ヒーローになった。

特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。

映画終盤、唐突クロスアンジュが始まり西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。

Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。

気づけば劇場で涙を流していた。

監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品ファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。

劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。

みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。

今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。

監督気持ちの整理に時間必要だったのかもしれない。この映画監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。

いや、許さんが。

20年経っても変わらずseedの話ができる友人たち、私の業に付き合ってくれた家族ありがとう

ありがとう監督。奥様によろしく伝えて欲しい。

2024-01-23

anond:20240123211048

ツイフェミとかのクラスタ比較的穏健な人がパージされ、そうされた人が反省悔恨を述べる様を嘲笑憐憫するまとめがたまに流れるじゃない

その焼き直しが起こるんじゃないの

2023-10-26

オタク代表する政治家として絶対にやっちゃいけないことじゃん。不倫なんて。

これからずっとフェミがネチネチとそこを突いてくることが目に見えている。

どんなにオタクが良いことを言っても「でも山田太郎は…」と言ってくるだろう。

実際、いまでもオタクは「草津」「草津」の大合唱だ。

草津の件について、フェミ謝罪文で「わが人生最大の痛恨事」「痛恨の極み」と悔やんでいたのを思い出す。

山田太郎謝罪文を見てもそれほどの悔恨があるようには見えないんだよな。

2023-10-02

望月衣塑子氏と共にジャニーズ会見で質問外しをされた怒りの投稿

ジャニーズ事務所の会見。最前列の真ん中に座って、ずっと手を挙げ続けた私と望月さんを絶対に当てないことを事前に決めていたとしか思えない会見で、失望し、憤りを覚えました。井ノ原氏は「ルールを守って」と私に言い、隣の芸能レポーターたちは拍手していました。しかし、厳しい質問をするであろう私と望月さんを絶対に当てない、という八百長のような不正ルール容認するわけにはいきません。

最初は当然質問が当たるだろうと思って、黙って手を挙げていました。が、ジャニーズ事務所司会者側の最前列私たちを当てないという意思が、会見が進むにつれて明白になりました。途中から、会場で声を上げざるを得ませんでした。

米国など主要国の普通記者会見最前列の人たちから順々に当たっていくのが常です。それは、私が出てきたトランプ大統領会見や、オバマ大統領会見でもそうですし、安倍元首相日本の会見もそうでした。芸能リポーターたちの芸能人の囲みの会見でも一番前にいる人たちがまず質問します。今回の会見は、芸能リポータータレントを二重か三重で囲んでいる会見で、その輪から遠く離れた部屋の向こう側にいる人をわざわざ探して当てているような、不自然まりないものでした。

ジャニーズ事務所今日行った会見https://youtube.com/live/jfMqNazPRuMは、こうした世界日本の会見のルールとは全く違い、私たちArc Timesをとにかく当てない「八百長会見」でした。井ノ原氏は、「大人ルールを守って」という趣旨のことを言いました、しかし、そもそも八百長といっていい「ルール」を敷いていたジャニーズ事務所こそが、日本世界の会見のルールを守っていないと思います。私はオバマ大統領会見やスペースXイーロン・マスクCEOの会見など世界各地で信頼を得て質問してきましたし、「ルールを守れ」などと言われたことはありません。むしろ海外では、質問させるべきだ、と他の記者が加勢してくれるのが常です。

最前列にいる記者質問するためにかなり早い時間に来て待っています私たち今日、受付の1時間上前から並んで待って最前列に座りました。最前列は、記者の意欲の表れです。だからトランプ大統領でも、イーロン・マスク氏でも、安倍元首相でも、近くにいる記者から質問を当てていました。その世界日本普通の会見と比べて、今日の会見は異常でした。あそこまで、私たちから質問から逃げるジャニーズ事務所は、一体何を怖がっているのでしょうか。性加害問題で、説明責任を逃げずに果たすつもりはないのでしょうか。

驚いたのは、真面目に質問しようとする私たちに対する、テレビ新聞大手メディアのスチールカメラマンビデオカメラマンたち、芸能リポーターたちからのヤジでした。不正な「ルール」であってもジャニーズ事務所意向に従え、と言う彼ら彼女らの忖度共犯性が、ジャニー喜多川氏の性加害を50年にわたって続けさせてきた原動力であり、その共犯関係がいまも根強く続いていることを思い知りました。

カメラマンが私をヤジりながら、レンズを私に向けたので、私も彼らを動画におさめました。

多くのメディアが、私や望月さんを批判する記事を書くでしょう。私は彼らに問いたいと思いますあなたは、八百長強要するルールを守れと言うのか。そして、あなたたちはジャニー喜多川氏の数十年に及ぶ性加害のなかで、何をしてきたのか。メディア人としての悔恨や怒り、責任感は全くないのか、と。

今日あったのは、1950年代から、少なくて数百人、2週間前に開いた補償窓口にすでに400人超が問い合わせていることを考えれば、おそらく数千人の子供たちへの性加害を容認してきた企業記者会見です。これは、米国ジェフリー・エプスタイン事件ハービーワインスタイル事件よりおぞましい、戦後史に残る、世界でも最悪といっていい性加害事件です。

その場で、新社長や新副社長説明責任を求める私たち質問からジャニーズ事務所は徹底して逃げようとしました。東山氏は私の質問に少しだけ答えましたが、マイクを持った質問はさせてもらえませんでした。

そしてその状況を、社会の公器である記者カメラマンたちが、性加害問題を解明しようとは全くせずに、逃げるジャニーズ事務所同調して私たち匿名でヤジを浴びせ、ジャニーズ側に同調して拍手までしている。

今日の会見で性加害問題を数十年隠蔽してきたジャニーズ事務所の体質が全く変わっていないことが露呈しました。そして共犯であるテレビ新聞が、追及しようとする記者たちに怒号を浴びせる、おぞましい姿を目の当たりにしました。

この問題は全く終わっておらず、むしろ解明が始まったばかりであり、ジャニーズ事務所やそれを取り巻くメディア必死隠蔽を続けようとしているのだ、ということを体感しました。それは多くの方に伝わったと思います



https://x.com/ToshihikoOgata/status/1708775014458372199/

より。

広島サミットの「逃げるんですか」でも話題になったアークタイムズの尾形聡彦氏による投稿

不正ルールのある会見だったと訴え、芸能界マスメディアの体質についても問題提起している。

内容の真偽は現時点ではなんともいえない。

望月衣塑子氏の独善的姿勢には度々問題を感じるが、オリコンが名指しの記事を即座に上げてネット批判が盛り上がっている現状には疑問もある。

あなたはどう考えるだろうか?

2023-07-20

anond:20230720165240

あの日小保方晴子

贖罪酒井法子

LIVE未成年白書加護亜依

「紅い棘」奥菜恵

「いっぱい、ごめんネ。」小向美奈子

「泣いて、病んで、でも笑って」今井メロ

ハダカの美奈子林下美奈子

「生きたい」三原じゅん子

「負けじ魂」鈴木早智子

「凛として…。」花田憲子

「結愛へ 目黒区虐待事件 母の獄中手記」船戸優里

「父と母 悔恨の手記 「少年A」 この子を生んで……」「少年A」の父母

「母という呪縛 娘という牢獄齊藤

2023-07-02

水星魔女を見て老害だと自覚した

勢いで書いた。

最初は「水星魔女に対する少し辛口感想」みたいなタイトルにしようかと思ったが、少し書き上げて他の人の匿名を見てから、「これは水星魔女ダメというより、俺たちが老害なんじゃないか」と思ったので、こちらの内容で投稿する。

水星魔女最終話ネタバレが入るので、見たいけど見れてない人は見た後に来てね)

https://anond.hatelabo.jp/20230702215132

https://anond.hatelabo.jp/20230702192323

まず水星魔女面白かった。ストーリーは完遂したが、どんどんつまらなくなっていった鉄血や、新しい単語が多過ぎてストーリーについていくのがやっとだったGレコと比べればとっつきやすい。というかこのレビューを書いて、やっぱり水星魔女ってスゲェなと思った。

では、水星魔女が「ガンダム」として面白かったか…というとそうは思えなかった。勿論面白くなかったガンダムは他にもある。例えばガンダムAGEの時は、やりたいことに対してストーリーを畳みきれなかったように見えたし、客層もあやふやだったと思う。

一方でAGE水星には違うストーリーの粗さを感じている。ガンダムAGEの時はストーリーに粗が目立つのは、「目指した事が大きすぎて話数や丁寧さが足らなかった」のだと思ったのだが、今回の水星魔女は「ストーリーを畳むことをほとんど放棄して話題性を選んだ」ように思えている。

ストーリー完璧にたためるとは思ってない。ツッコミどころのない作品なんて無い。24話もある作品ストーリーに対して疑問として湧き上がるのは当然である

まぁ、色々ある。

それに作中提示された問題が全てが解決されるとも思ってない。今までのガンダム勧善懲悪じゃないし、作中でアーシアンスペーシアンが和解してハッピーになるストーリーになることを期待してたわけでもない。ユニコーンのように、パーメットの力で死者が喋り出すのは、ニュータイプみたいなもんなんだよと言われれば理解は出来る。

でもそこに突っ込むことより、自分もっと気になるのは、そこのストーリー的に後ろめたいものを隠してまで、本作が押し出してきたのが怒涛の展開といえるような驚きの連続や(それは大体回収されずに置いてけぼりにされる)、キャラクター性や、狙ったようなキャラクターカップリングや、感動してくださいと言わんばかりの死者達の赦し、みたいな内容だった事に困惑している自分自身である

かにアニメとしてはハッピーエンドの方が正しい気もする。これで鉄血のような終わり方やパーメットから放たれる謎の光に飲み込まれて、行方不明になったとしても批判が出たと思う。

でも宇宙世紀として提示されるガンダムは、ロボットオタクモビルスーツプラモを売らなくてはならないという商業的な面があるにしろ、否応なしに命を奪われる厳しい世界で成長をしていくむさ苦しい戦争戦記や暴力や抑圧に対する命懸けの抵抗を示した作品だった気がするのだ。

本作の内容ならば、最初からGガンダムのようなガンダムファイト(決闘)に終始するか、ビルドファイターズのようなホビーガンダムであると主張してくれた方が嬉しかった。

勿論、これを肯定的に捉えることは出来る。ガンダムストーリー性というもの戦争作品としてのメッセージ性ではなく、ストーリー展開の話題性カップリング表現されるというのは、商業的な面での成熟なんだろう。間違いなく近年のガンダムでは話題をかっさら作品だったはずで、今後しばらくのガンダムは安泰だろうし、ロボットオタク以外もプラモを買ってくれるはずだ。

色々書いたが、間違いなく鉄血やGレコなんかより水星魔女の方がウケる作品であると分かっている。そもそもGガンダム宇宙世紀だし、初めて見た日は「これは本当にガンダムなのか?」と思ったはずなのだ。だから水星魔女困惑をしているのは、多分俺が歳を重ねてガンダムという作品に対して期待値を調整できなくなったかなのだ。(鉄血が可愛いのは、出来の悪い子ほど可愛いと思う気持ちなのだ。そして内心パーメットの光に飲み込まれ主人公が消えれば良かったのではないかとも思っている)

ガンダムキャラクターなんて個人主義じゃないか…そう考えてみれば水星魔女個人主義まりない内容をやっていて、非常にガンダムらしいじゃないか

そう己に言い聞かせてみるが寂しさを感じる。

あ〜あ、俺も老害なっちまったのかな。

というわけで皆も今から水星魔女見てね。

2023-04-27

世の「母親」の被害者面が凄い

「母ちゃんごめん。冷たかっただろう、寒かっただろう」4月の朝、90歳の母は自宅で「凍死」した 同居していた62歳の息子が法廷で語った悔恨

https://news.yahoo.co.jp/articles/b48935480ee8ced12fd3d094a7b431526c83ec2c

このニュース

『息子』が『母親』の介護を怠って死なせた事件なのに、娘と母親でも娘と父親でもなく、

母親』が『幼い子供』を殺した事件を引き合いに出す人が多いのが怖い。

特に数年前の三つ子殺しの母親事件を持ち出して、「母親子供を殺したら責められるのに…」と言っている人達

はぁ!?

(母親だろうが父親だろうが、どっちでも)親が子供の面倒をみるのは当たり前の事だが?子供を死に追いやったら厳しく責められるのは当たり前だが?

それと違って子供には親の面倒を見る義務なんて本来ないでしょう。

だって子供は親から無理矢理生まれさせられた訳だし。

上記ニュース母親だって、年齢的に多少同情の余地はあるにしろ、好き好んで子供を産んで息子を甘やかしたって時点で

正直自業自得だと思うわ

どうして、親の責任という至極当たり前の話を全く掛け離れた性別の話にしてしまうのか。

「親から子供」と「子供から親」は全く違うものだし、そこには親の性別なんて何ら関係ないと思うんだが。

息子が母親介護をするのと母親が幼い子供の面倒をみるのが同列に並ぶと思っている、世の「母親」に何処までも甘い世論が本当に怖い

2023-02-11

anond:20230211014505

だって議論論破目的だったことに気づいて悔恨の涙の一粒でも流してもらわんとこっちの溜飲が下がらんじゃん。

2023-01-04

カズオ・イシグロ大体読んだけど好きかわからなくなった

わたしを離さないで」(2005)

臓器移植のために育てられた人間の子どもから大人になるまでの記憶を綴る。

かに美しい小説だ。子供から大人になるにつれて、見える世界は広がっていく。たとえそれがどれほど酷なものであろうとも、子供たちはそれを受け入れねばならない。語り手は振り返り、ひとつ出来事を大切に手の中で壊れやすい卵を計るように並べている。

読者も少しずつ、まるで語り手と一緒に育っていったかのように、事の真相を知らされていく。細やかな、性格を端的に示すエピソードミルフィーユのように繊細に重ね、誰もが持つ幼いころの記憶登場人物シンクロさせる手際は見事と言っていい。主役三人の性格の違いとそれによっておこる対立の見事さは、この小説SFというよりも性格劇に分類したくなるほどだ。夢中になってはまる本とは違うけれど、読む価値はとてもある。

しかしながら、感情描写文章リズムがうますぎるあまり、根幹のSF的設定が、ふと荒っぽい夾雑物にまで見えてきてしまう瞬間がないでもない。細密な建造物を支える、太すぎる柱にたとえればいいのだろうか。

そもそも臓器移植のためだったら、人間を育てるんじゃなくて臓器だけ培養すればいい。

どうも舞台となっている世界技術水準や、テクノロジー社会に与えるインパクトの細部の詰め方が幾分甘い。

日の名残り」(1989)

かつて仕えた主人が第二次世界大戦中に対独協力者で、それを理由戦後に没落したため、その屋敷を買った米国人に仕えることになった執事の話だ。カズオ・イシグロ本領である、決定的な本音事実意図的にあるいは無意識に隠したまま語り続ける居心地の悪さ、気持ちの悪さがいかんなく発揮されている。

熟読すると面白いが、何があったかは作中では基本的には明確に語られているのもいい。

かつてはほのかな思いを寄せていた同僚であった女中からも、今となっては過去の人とみなされており、最後自分人生って何だったんだという悔恨にさいなまれるシーンは最高だ。

かつての美しいイギリス風土と、失われた執事美徳悪徳について。感情に蓋をしがちで、行動原理自分の「したいこと」ではなく「なさなければならないこと」になっているひとにおすすめしたい。面白かったので英国メイド執事の本を何冊か読んだ。

遠い山なみの光」(1982)

長崎出身現在イギリスの片田舎に住む悦子(語り手)の所へ娘のニキがロンドンから訪ねてくるところから始まる。ニキが言及する悦子の生涯を、ニキからのまた聞きや、写真の印象だけから詩にしようとする詩人が出てくるのだけれども、なんだか作者自身創作する自分のことを批判的に見ている姿が透けてみえる。全体として、シングルマザーとしての苦しみが複数語られている。

これは褒め言葉としていうのだけれど、読んでいてずっと不穏な感覚をぬぐうことができず、いいようのない気持ちの悪さがある。たぶんその正体は登場人物の会話が互いの自己主張に終わっていて、基本的相手の話を全然聞いていないところにあるのだろう。会話の形をしているのに、対話になっていない。むしろ並行する独白だ。映画脚本のお手本的でもある。

最初のうちは、この違和感終戦直後日本人ならこんなあからさまな会話なんてしないだろうからにも思われた。しかし、明治文豪の名作だって、会話が人工的であることも少なくはない。ただ、この作品ほどのひどい噛み合わなさはまれな気がする。少なくともあちらでは噛み合わせようという努力はしている。

台詞説明したり議論したりする手法は、大抵は粗削りというか不器用な印象を与えるので好まないのだが、この場合コミュニケーション不全というか、相互理解の失敗の雰囲気をよく伝えていて、効果的だった。

浮世の画家」(1986)

情けないかつての画家の話。老い第一線を退いた後も、自分はまだ影響力があると思いこんではいたが、世間自分存在などすっかり忘れている。自分のしてきたことなど、大したことではなかったのではないか、それどころか完全な誤りだったのでは。歴史によってそう裁かれることに怯えている。老人にとって、今までのお前の人生は何だったのか、と問うことほど残酷なことはあるまい。

そのくせ、隠しようのない自己満足防衛がどこまでも続いており、かつては地位のあった老人はどこまでのその虚飾から自由になれない。計算したうえでのことかどうかわからないが、この翻訳日本経済新聞の「私の履歴書」の文体そっくりだと思ってしまうのは、私のやっかみであろうか。

やはりカズオ・イシグロ真骨頂は情けのない自己弁護にある。

充たされざる者」(1995)

よく、入り組んだ官僚機構カフカ的というけれども、どっちかといえばこの作品みたいなのがカフカ的な気がする。過去というか記憶曖昧で、自分そもそも何をしたいのかわからず、その場の判断だけで物語全体が動いており、映画なんかでは必須の究極の目的・ゴールも曖昧だ。「夜想曲集」所収の旅する芸術家あるある話がベースになった作品と同じにおいがする(この短篇集は切り口の優れた良き英国短編集といった趣だ)。

すべての事件が宙ぶらりんのままにされて進み、星新一ショートショートでその場限りの対応しかしない軽薄な男を主役としたこんな作品があった覚えがあったことを思い出したが、読んだときにはどうしてもタイトルが思い出せなかった。それは結局「未来そっぷ」に収録された「熱中」であるとわかるんだが、一番満たされていないのはきっと読者だ。

カズオ・イシグロテーマひとつコミュニケーション不全が前面に出ているだけでなく、筒井康隆虚人たち」を思わせるような、自分が何者であるかわかっていないのにさほど気にしていない空疎さがあり、何かを風刺しただけではないのだろうが、それはまだ読み取れず。

奇妙だ。自分他人記憶の壁が溶けて無くなってしまったみたいな語りであり、語り手は身内だと感じるとちょっとしたことですぐに激昂したりすすり泣いたりして、いったいどういう人物なのかとらえどころがない。すべてが宙づりで半端なまま物語が終わる。語り手はどの街を訪れても、延々と同じことを繰り返すのだろうか。

わたしたちが孤児だったころ」(2000)

両親に置いていかれたのはなぜか、そして母はどこに行ったのか。著者の中では一番残酷な話かもしれない。物理的な暴力よりもその結末が。地獄の寝取らせ小説であり、真理に近づこうとして全員が不幸になる。それでも、なお、愛そうと試みたし、愛されてはいたのだ。

息子が親父と同じ道ならぬ愛という過ちを犯しかけるのは残酷ユーモアがあふれているようでいて、ある種の試練であったのだろう。試練に打ち勝ったからと言って直接幸福になるわけではないのが皮肉でいい。

追記】目の前に日本軍軍艦が停泊してるのにのんきにパーティーしている租界の人々って嫌なリアリティがあった。

忘れられた巨人」(2015)

忘却テーマだが、P・K・ディックのようにアイデンティティ曖昧になっていく離人感よりも倫理的な面を問うているようだ。つまり戦争責任とか政治的意図的隠蔽とか。

国家組織的に目を背ける行為と、個人がつらい過去を忘れることによって救われることの両方が描かれている。ファンタジーもある程度は書けるのがすごい一方で、見たくないものを見ようとしない描写や、自分のことばかりで会話が成り立たない場面は健在。

ファンタジーにしては「危険度」とか「スタミナ」の訳文がちょっといかなとも思ったけれども(別に嫌だと感じるレベルではない)、これは現代日本語としては普通に受け入れられてるのかな。

あと、サクソン人の穴を掘った(ホビットみたいな)家の描写があるんだけれど、これって実際にそうだったのかな? サクソン人の家とググっても出てこなかった。

ちなみにル・グインはこの作品を好まないらしく、ウィキペディアには両者の対話引用されている。

のしようとしたことには敬意を払いますが、私には効き目がありませんでした。うまくいくはずがありません。どの作家文学ジャンルの表層だけをうまく使えません。その深みはなおさらです。そのジャンルと同一化することを恐れるほど軽蔑している限りは。読んでいて痛ましく感じられました。まるで、高いロープから落下しながら聴衆にこんな風に叫んでいるみたいでした。「私は綱渡り芸人と呼んでもらえるのかな?」と。

ル・グインには私の本が好きか嫌いかを決める資格がありますが、私に関する限りは誤ったほうの肩を持っているようです。私は(註:作中では不可解で不気味な存在として現れた)妖精や竜の側に立っています

シグロ氏のご意見をうかがえてうれしく思います。同氏の「私の作品ファンタジーだと人々は思うでしょうか?」という質問に対する、私の明らかな早急な返答に傷つけるような内容があったことをお詫びします。

クララとお日さま」(2021)

人工知能太陽光病気回復させる効果があると思い込むことで起きる珍妙な話だ。

どう考えても不合理で奇妙な信念に従い、偶然によって祈りが叶えられる話で、しか最後はただゴミ捨て場で朽ちていく。これは無神論者による宗教パロディではないか? と勘ぐってしまう。無神論者からすれば、いかなるかたちであれ神を信じる人々は、誤った信念にすがり、存在しない相手効果のない祈りをささげる哀れな人々だ。

カズオ・イシグロSFは、SF主食人間からすると、不合理か古い知識に基づくように感じられる設定が多く感動すべきシーンもそこが気になってしまう。

たとえば、明らかに危険能力向上処置子どもにするような社会は、現代から相当な価値観の変遷があったはずだし、かなりの時間を経ていないと起こりえないだろうが、長い時間経過に伴うテクノロジーの発達については述べられていない。スマホさえ出てこない。

カズオ・イシグロSF設定がときどきザルなのはリアリティレベル小説よりSF風の映画テレビドラマくらいにまで下げていて(下手をすれば寓話絵本レベルまで)、それは脚本家でもあったからなんじゃないかって考えたんだけど、そこまでたくさん脚本を書いていたかまではわからなかった。

かに技術的細部に立ち入らないので古くなりにくい一方で、そこが物足りなく感じられる。新しい技術だけをポンと現代に放り込んだ感じで、今と地続きな感じがして生活感があるのはいいけれど、技術によって完全に変容してしまった人類の心性がもっと欲しいと感じる。未来を描く意味はそこにあるんじゃないだろうか。

だいたい、フレーム問題解決というか一般常識インストールされてないスタンドアローン親友ロボットなんて危険すぎるだろう。誰もアップデートされないスマホなんて使っていない。SFはどこまでリアリティのある技術を出すべきかという問題もないではないが、短編ならともかく長編でこのネタをこれをやるのは、平均的理系知識を持つ読者にとってはかなりしんどい

結論

以上。読んだ順。

私が好きなのはカズオ・イシグロではなく「日の名残り」だった。

追記

わたしを離さないで」だけ既読、似た感想。この小説SFというより寓話に近いと思う(増田も書いてた)。ドナー人権周りの描写も臓器を貰う側の葛藤も削ぎ落とし、搾取される者の命の輝きのみに焦点を絞ってる感じ

こちらのブコメがとても素敵だったので引用させていただきました。不都合がありましたらお知らせください。

2022-12-11

中古品を買う習慣が抜けない

しかった学生時代の名残だろうかと思いながら生活してきたが、30代になっても全然変わらない。それどころか使い古されたものの方が好きになってしまった。中古品には誰かの影が残っていて、耳を傾けるとものを言う。昔の何気ない日常を熱心に語る。そういうのを聞くのがすごく好きだ。

車も中古車だし、服も靴も半分は中古だ。椅子中古コンテッサ。パナの加湿器モンベルテントクリステルの大鍋も中古。これは蓋が別売りなのだが、それも中古。鏡面仕上げの隅に磨き傷がある。その他に目立った傷はない。気軽にクリームクレンザーか何かでひと拭きしたところで、粒度が粗すぎたことに気づいたのだろう。

フェールセーフ機能したが、蓋を閉めるたびに自分ミスを突きつけられているようで我慢ならなかったのだ。ところが私は他人である他人些細なミスを引き受けるのは容易い。その蓋は「本来そういうものなのだ。少し奮発してぴかぴかの鍋を買い、うっかりから無用の傷をつけてしまたことにどうしても耐えられなかった。この悔恨の情が彼女の影を色濃くし、おでんを味わい深くする。

オーブントースターは知り合いの厨房お下がりだ。ボロボロの佇まいが妙に魅力的で、もう使えないというのに無理を押して譲ってもらった。洗い場の棚にあったもので、戦場罵声と泡まじりの飛沫にさらされ続け、2015年製とは思えない錆び方をしている。引き取るときグラタン用だったから...」と口を濁していたのが印象的だったが、電源を入れると漂うチーズ香りで腑に落ちた。私の好きな磯辺焼きがまずくなるため、しばらく使っていたのだが捨ててしまった。

正直にいうと中古電気シェーバーを買ったこともある。先回りしておくが、いくらなんでも刃は取り替える。一応健康リスクという言葉くらいは知っている。だが日常的に使いこんだ道具には特別な魅力がある。いずれ中古住宅も買うだろう。割れ石畳が並び、炭酸カルシウムのこびりついた亀の子格子がついているといい。長く使われた板の間はゆるやかに窪んでいて、松の木は取り返しのつかないほど枯れているといい。秋めいてきて、私は出どころのわからない隙間風を止めるのに必死になる。これは懐古趣味が行き過ぎていると思う。

食器中古の方が好きだ。それもできるだけ多くの人の手に渡ったものがいい。骨董屋も好きだが、掘り出し物を探しに行くというよりは単に古い食器を見に行く。欠けたり萎びたりしているもの、古いものほどよい。こういう目線も一つの美観だと思えなくもないが、その一方で品評基準技術的なことはあまりからない。開き直ったように、不完全な主観を甘やかしながらものを愛している。貴重性のようなわかりやすものなら理解できるのだが、知れば物怖じの原因になるだけだ。かといって知らないまま使って台無しにしてしまっては寝覚めが悪い。人並みの道徳心が働く。したがって、ただ古いだけの日用食器が一番よい。器の前に座った昔の人々を想像しながら、手の中でくるくる回して欠けやひびに入った汚れを眺めるのが好きだ。あまり酒は飲まないが、熱い湯を李朝の徳利に移してから注ぐと、300年前の丸い赤ら顔がうっすらと蘇ってくる。底座はすり減っていないがヒビは濃く色づいている。清潔な卓の上で大切に使われていたに違いない。奥の間の文机には美しい硯が置かれていて...

状態が良い中古もまた良い。大切に扱われてきたものには独特の緊張感がある。タグが破れかかるほど繰り返し洗濯されているのに、型崩れもせずきれいに保たれている服。裏返しにしてネットに入れ、丁寧に洗って乾かしてもらっていたんだろう。自分几帳面な人ではないので、几帳面の染み込んだ服は神々しくさえ見える。隅に手垢がつくほど読み込んであるのに、折り目の一切ない本を見たことがある。それは大正後期の本で、日焼けして小口にはポツポツとカビが生えていたが、中は一昔前のCGみたいに均一だった。人が何度も開いた本は湿気を吸ってごわごわしていくので、それとわかる。奥付に強い朱色で購入年月日が書いてあった。尾の長い達筆だった。日常生活勝手に楽しまれるのは気味の悪いことかもしれないが、増田に書くぐらいはよかろと思う。

本は好きでも間の悪いことに古典思想書が好きだ。浅学なので最先端思想技術吟味するような知識はない。開拓された新天地を後から眺め、「おお」とのけ反ることしかできない。だから勧められて読むことはあっても新刊あさりをすることはない。死ぬまで教わる側だろうと思う。買うのは電子書籍を優先しているが、それはスペースが足りないからだ。遠慮なくびっしり引いた傍線や、付箋や、日付入の署名はいつでも恋しい。折り目もないよりはあった方が好みだ。

新しいものというのは、誰にも使われていないものだ。時代の御沙汰を経ていないものだ。自分には後世に残すべきものを見抜く目がない。最大多数の最大幸福というものが、わかるようでまるでわからない。誰かが作ったもの勝手理屈でうなずき、あるいは名批評情熱を譲り受け、誰かの生活勝手に愛することくらいしか幸福に向けた積極性を持っていない。でも世の中の多くのもの価値は、そこにくっついた誰かの影ではないかという気がする。誰かの生活を愛する時間時間の間に、それらの記憶記憶の隙間に、ガスのように後の未来からゆっくり幸福が満ちてくるのではないかという気がする。中古品を買い漁っているとき、この作用に期待しているという自覚がある。それらを構成するのは自分記憶でなくとも良いのだ。

作った場所から直接やってきたものが、何か恐ろしい未知の存在に見えることがある。そこに何が宿っているのか、自分の目には判断がつかない。それはひとりでに明らかにはならない。誰かが指摘してはじめて、私達は宿るものの姿を見ることができる。ここまであえてこの言葉を使わずに来たが、どうしても気持ちが悪いので書いておく。私はこれが魂だと感じている。私が勝手ものの中に見出し、呼びかければ話し出す誰かの姿。恋人にもらったネクタイに宿ると感じるもの。死んだ犬の首輪に宿るもの。それに触れた子供の指に宿るもの。それを見た私の目に宿るもの。こうして文字したことでどこかのあなたの目に宿るもの言葉と物とが受け継がれる中で、それは形を変えながら宿主を移り、誰かの指摘によって唯一性を獲得しながら無限に増えてゆく。歴史生活の集合であり、魂の集合であり、決して失われない無限価値だ。こういう虚構を片手に中古品を愛でている。あと中古品は安い。そこもいい。

2022-10-03

陰キャオタクが30歳超えてからジャニーズに落ちた理由を考える

 おはようございます


 ここ何日か表題のことをしばらく考えていて、自分なりに納得できた気がしたので残しておきます

 ……というのは建前で、本音は何も知ろうとしていなかったのに食わず嫌いをしていた自分の愚かさへの悔恨懺悔でもあります。あらかじめご了承ください。


 まず前提条件を軽くおさらします。

 『私』は典型的陰キャオタクです。

 学生時代からカーストの最下層に位置して、テレビゲーム視線をずらして現実から逃げて、流行りのテレビ番組忌避していた系統人間です。


 学生時代に抱いていた『ジャニーズ』に対する印象はと言うと……あろうことか敵愾心でした。

 何も知らない、ましてやファンですらない部外者人間思い込みだけで抱く印象が敵愾心と聞くと、いかに幼稚か分かる人には分かると思います

 学生時代の『私』が恐ろしく幼稚で狭量だったのは全く否定余地がありません。


 強いて言い訳をするなら、当時の『私』はカースト上位の男女問わずそれなりに過度ないじりをされていた、ということです。


 坊主憎けりゃ……のあれです。


 キャラソンを聞いて妄想して1人でニコニコしていた過去の『私』と、ジャニーズのかっこいいアイドルを見てときめいていた人達に優劣などありはしないのに。


 こんな簡単なことも気づかず、気づくチャンスもなくアイドルとは無縁の世界で生きた『私』は順調に年齢だけを重ねていきました。


 そして時は現在2022年に至りました。


 『私』は突如としてアイドルしかもよりにもよってかつて嫌悪に近い感情を抱いていたジャニーズの沼に全身突っ込むことになります

 きっかけは些細なものです。


 友人に勧められたか何となく聞いてみよう——

 友人がいつもカラオケで歌ってるから歌詞はどんなものか見てみよう——

 この程度のものだったと思います


 どうあれ『私』は生まれて初めて彼ら、ジャニーズに興味を持ち、自発的に近づいたのです。

 こちから距離を縮めようと努力し始めたら、あとは簡単に転がり落ちていくだけです。


 熾烈な競争の中で、彼らは1人でも多くの人の目に留まろうと努力していると知りました。そしてより強く光り輝こうと、勝ち抜いてやるという強い生命力のようなものを感じられたのです。

 歌に目を向けても、聞いてる人間が容易に感情移入出来るように計算され尽くしたキャッチーかつ明瞭なものばかり。


 ありがちで陳腐だと感じるときもあるかもしれないけれど、『私』は三十路の、社会の荒波で心がすり減ったちっぽけなオタク

 ありがちでも、それを嗤う反骨心はどこにも無く、むしろその陳腐さに有難みすら感じてしまいました。


 だって社会は、同僚は、誰もすり減った『私』をよく頑張ったとは労わってくれないのだから

 家族は、友人は、画面の向こうのあなたも、『私』の息苦しさの全容は分かりっこないのだから


 理想の『私』と、現実で苦しむ『私』を比較して萎えて、それでも頑張ることが出来ずに不完全燃焼だった『私』にとって、高みを目指す彼はとてもかっこいいと思いました。

 ジャニーズの歌は、頑張る姿は、こんなちっぽけで狭量な『私』すらも、許してくれているような……そんな気すらしました。


 所詮これもくだらない個人妄言です。

 真に受けず、そうなんだ〜、1へぇ〜くらいの気持ちで忘れてもらえると幸いです。

2022-03-29

送別会の夢を見た。

送別会の夢を見た。

前の会社には新卒で入った。終身雇用は夢見ていなかったが、会社愛着はあったので、数ある危機も、会社の死に水を取るつもりで敢えて脱出することは無かった。

いくつかの危機の後、激務の果てに、周りの人間脱出を試み、そしてある時自分もこの会社を支えることが出来ないと自覚した。

なんとか業務健全に保てないかと8am-11pmで奮闘し、慣れない英語人材を確保し、人材派遣の会社と闘いながら日々の業務改善を進めて行った。

しかしそれも叶わず、とうとう心が折れ、内に籠って休職し、うつ診断後闘病し、フェードアウトするようなリタイアを選んだ。

収入支出をしっかりと検討した結果、今の貯蓄で充分年金まで持ちこたえることが出来、そして年金だけでその後もやっていける見通しがついた。

なので失職後は再就職を目指すことなく、FIREの道を進んだ。隠居

休職から退職、在籍中の人からは消えるようにいなくなったと思われただろう。

挨拶も何もなく、ただ消え失せたと思われただろう。

退職後、幾度も「どうやって退職するか」を苦悩する夢を見た。既に退職しているのに。

それほど、仕事自分の中で大きな要素だった。

20年以上、自分生活の中で大きな部分を占めてきたのが、仕事だった。

仕事が好きか嫌いか、聞かれれば「好き」だった。

しかしいろいろな面で、「嫌い」な仕事だった。

そのアンヴィヴァレンツな状況のまま膨大な作業量プレッシャーに耐えられなくなり、休職した。

休職後は、復職するだけのモチベーションを見つけられず、退職を選んだ。

20年、見続けていた職場を、逃げるようにして退職した。

(傷病休暇中という立場で、会社から復職するか意図を聞かれたが、それにどうしても「ハイ」と答えられなかった)

辞めた身から、まだ現場にいる同僚には自身の辞職については何も言い訳ができない……と思っていた。

「お前が弱いからだ」「お前がしっかりやらなかったからだ」という責めについては表立って受けたことは無いが、退職を選んだ時にすべての関係者から責められてもいたしかたないと思っていた。それだけ罪悪感を感じていた。

後ろ指を指されて当然と思いながら退職した。

しか自分には、その過去の知人友人同僚を捨ててでも、あの立場から脱出する必要があると考えていた。

自死や希死観念と戦いながら、「周りにいる人を悲しませない」ために取れるただ一つの手だと思っていた。

そこは、後悔ばかりの選択の中で、胸を張って「間違っていない」と言える選択だった。

今でも会社在籍中の出来事は、思い出すだけで心拍数が上がる。

罪悪感、諦念、悔恨、黒いしこりが渦を巻く。

それは在籍中の楽しい思い出(20年も務めているのだから、そりゃあ色々楽しい事もあった)を失う羽目になった、という思いも少なからずある。

人生の半分をその会社と共に過ごし、それを失ったのだから、当然そう感じるだろう。

そんな思いに折り合いを付けながら、隠居生活を3年ほど続けた。

そして、先日夢を見た。

その夢の中では、どんな理由かはわからないが、自分退職して、そしてその送別会に参加していた。

仕事上縁があった沢山の人たちが酒を交わしながら、これからも頑張れよと声をかけてくれた。

今では名前も思い出せないが、確かに顔は覚えている元同僚が、沢山集まり、一緒に飲んでいた。

目を覚ましてしばらく茫然とし、そして泣いた。

彼らにお別れを告げられぬまま退職したという後ろめたさ、祝福されて次のステージに移りたかったという想い、その両方から泣いた。

今となっては彼らにどうやって3年前の別れを説明して良いかもわからない。

自分に耐えられるだけの力があったら、もっと頑張って仕事で彼らを支えたかった。

しかしそれはもう無理だと判断し、捨てることで自分を保ってきた。

忘れようとして忘れていたのに、こんなことで思い出すとは。

彼らからしたら「いつも見ている同僚が一人いなくなった」「仕事で縁がある人が一人いなくった」ということだろう。

自分がいなくなったとしても次の担当者が取って代わるだけで、本来仕事には支障がないはずだ。いや、支障が無いからこそ自分退職という道を選ぶことが出来た。

自分退職が、彼らの負担にはならないと思ったから。そう信じたかたから。

あの時の自分はそう選択したけど、そんな選択をしなくても良い状況だったら良かったのに、とは常に思う。

しかった仕事もあった。みんなに挨拶して、笑顔でお別れを言いたかった。

でも休職の果てに退職を選ぶしかなかった。

あの時挨拶出来なかったみなさん、ごめんなさい。

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