はてなキーワード: 和歌とは
・とりかへばや物語のあらすじ
左大臣が二人の妻をそれぞれ孕ませた。たまたま同日に生まれた男君と女君はそれぞれ容姿がそっくりで美しかった。
男君は和歌など好みなよなよと女らしく、女君は蹴鞠や狩猟を好みたくましく男らしく育ち、世間では男君と女君が逆扱いされた。
本来の性に沿って育ってくれない男君と女君に悩み世間から隠して育てたいと思っていたが、それぞれが異性の分野で才を発揮しすぎ、男君は女東宮に仕える女官に、女君は立派な公達として帝に仕えることになった。
女東宮は帝に息子が生まれないため一応次の帝候補だが、所詮息子が生まれるまでの間に合わせで誰にも期待されない立場なのでやさぐれてわがまま糞女だった。
男君は女東宮のそんなところも愛しく思い性欲を抱くようになり、女東宮も妖しい魅力を持つ男君に惹かれ、男君は「将来のための睦言の練習」のふりをして暗闇で「おもちゃ」として男性器を挿入した。
女君は男のふりをしたまま男に勝る活躍を見せ、右大臣の娘である四の姫と結婚した。当然夫婦生活はなかった。
四の姫は女君とたまに会っては夜通し仲良く語り合うだけでは物足りず切なく琴をかき鳴らす日があった。
その琴の音を聞きつけた中将は、惹かれて屋敷に忍び込み四の姫を犯し、そして四の姫が夫に一切手を出されていない処女であることに驚く。
四の姫が突然妊娠し出産したことに女君は驚くも、夫婦生活を世間に疑われずにすんだ。
生まれた子供は中将に似ており女君は本当の父親が誰なのかを悟り、男装した自分の存在こそが異常なのだから二人が密通してもよいと考えた。
四の姫は女君を男と思ったまま愛し続けているので恥じ入った。
中将は四の姫のことを愛しく思いはしたが所詮は遊び人の相手の一人であり、女と思ったまま男君の方を次のターゲットにした。
しかし男君はつれなく、いつしか中将は同じ顔をした女君の方に気を取られるようになった。
しかし女性だとは知らないので男色の傾向があるのだと思うようになった。
とうとうたまらなくなり中将は女君を襲い、女性であると知りそのまま犯してしまう。
女君は妊娠し、もう出仕できなくなり、中将に拉致監禁され中将のもとで出産する。
行方知れずになった女君を探すために、男君は髪を切り男の服装であちこち探索し、ようやく女君を探し当て解放した。
お互いに本来の性に戻って生きるべきではないかと相談しあい、男君は男として帝に仕えるようになった。
四の姫は長き夫の失踪を自分の不貞のせいだと思い涙し、世間にもそう噂され醜聞にまみれていたが、男君が以前と変わらぬ顔で帰ってきたことを喜んだ。
男君はどこか態度が女性的で柔和になっており変化を感じさせたが、長い別離がその変化を生んだだけと四の君は思った。
いつものように共に語り合う眠るだけと思いきや、男君は四の姫を抱き、四の姫は中将とするよりも気持ちいいと思った。
中将は、女君が我が子を残し失踪したことにショックを受けつつも、彼女が再び男として出仕するようになったと聞き都へ戻った。
そこで再会した女君はもう男君と入れ替わっており、ヒゲを生やした立派な男になっており、共に暮らした日々は幻だったのかと中将は現実を疑った。
女君は女として再び女東宮のもとへ仕えるようになった。女東宮は男君の子供を妊娠していた。
女東宮は、女性だと思っていた頃の男君こそを愛しており、普通の男に戻った男君はいまいちに感じて、父親が誰かは明かさずシングルマザーとして生きる道を選び男君は振られた。
やがて女君は帝のお手つきになり、帝はこいつ非処女だし経産婦じゃねという疑念を持ったが顔が可愛いので許した。
帝は女君の中の人がまだ男君だった頃から粉をかけていたのに全く相手にされていなかったのだが、その理由は結婚も許されない身分卑しい相手と恋をしていたせいだったのだろうと想像した。
女君は中将との時よりも気持ちがよかったので大きな声を上げてしまった。
やがて娘は跡継ぎたる男児を産んだ。
男君は派手に女遊びをするようになり、女のうちの一人を中将にあてがい、女君の産んだ子の世話係にさせ、子の様子を逐一報告させた。
共学じゃなかったもので、ラブコメ漫画を読んでいると自分の得られなかった経験に嫉妬するし、自分よりも顔が良くてモテる人が出てきても感情移入ができずに面白くないので、ドラマもアニメも全然見なくなった。感受性が変わってきたからだろうか、恋愛以外の小説もまどろっこしくて読めなくなってきた。
けれど、和歌ならまだ読めることに近頃気づいた。
最近読んだのは俵万智が翻訳した与謝野晶子の「みだれ髪」だ。「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」の生々しさに惚れたのだ。
佐佐木幸綱によれば、与謝野晶子の句はあまり論理的でないでないそうで、文法を無視しているところもあるらしい。だから、一つ一つ古典の授業のように読解すると味わいが薄れてしまう。それなら、いっそ俵万智がしたように、五七五七七の現代日本語にして、その大意をつかんでから、与謝野晶子の句に触れるほうがずっといい。
のろひ歌かきかさねたる反古とりて黒き胡蝶をおさへぬるかな
いい、とにかくいい。
シチュエーションの説明がない分、作者の好きとか嫌いとか、恋のエンジンのエネルギーの生み出した一瞬の気持ちと熱が、自分の中にすっと入ってきて気持ちがいい。
一方で、感情のエネルギーが大きいので、二百ページもない本を読むのに四日かかった。見開きにせいぜい五句しか載っていないのに、口ずさむのに時間がかかる。エネルギーを食う。
略奪愛をした与謝野鉄幹だけでなく、結婚制度を「魔」と呼ぶほどに山川登美子に対する感情がめちゃくちゃ重い。
それから、事情を調べれば調べるほど、単純に与謝野鉄幹が気に食わなくなる。調べれば山川登美子は「与謝野鉄幹から「白百合」と称される。なお、林瀧野は「白芙蓉」、与謝野晶子は「白萩」、増田雅子は「白梅」、玉野花子は「白菫」という愛称であった。」(ウィキペディア)。
ところで、ラブコメは全然読めないが、数ページのツイッター漫画ならまだ読める。つまるところ、一瞬のシチュエーションの中で交わされる感情を楽しむことはできるが、それが一つのキャラクターとして見えてくると、うらやましくて嫉妬してしまうことがあるのだろう。そういう意味では、情報量を絞って作った俳句や和歌の背景を、どこまで知るのがいいのだろう。
一時名を馳せた(?)雅な名字を名乗る自称女性「倭姫宮和歌」、今度は「司法試験に受かった」とかのたまう滅裂な展開に呆れてこのエントリを書いている。
結論だけはっきり言えば、彼女というか彼は承認欲求モンスター化してしまっている自分を見直して、一旦SNSから足を洗った方がいい。
(垢名およびID変更前のMAU名義のものも同一人物と見なし、【MAU】と頭に付けて区別)
・【MAU】2023年4月に藝大に現役合格。なので2004年生まれ
・イギリスGTVを取得
※バズの発端となったクレカや、インタビューで添付された画像については一旦ノーコメント。それっぽい画像はいくらでも作れるだろうからそこから攻めるのは難しそう。記事はmsnにアーカイブが残っているので参照
・そもそもすっげぇ暇そう。鳴物入りで留学して束の間の休息にしては長く帰国しすぎでは?藝大生ってそんな遊び散らかすほど暇じゃないと思うんだけど
・暇そうだが6月に行われた藝大サックス専攻生のバンドにはオンステージしていない(ポスターに名前がないし、MAUらしき人の顔写真もない)。ちょうど帰国期間と重なっている上にあんだけバズったら集客効果も高そうだが…
・音楽関連は正直誰でも話せるようなふんわりした話題ばかりで、演奏動画や演奏会の告知がない。バズり散らかした音楽家のくせして自分を売り込む気がないのは不自然。顔や手を見せないようにすればいくらでも演奏動画は出せるのに。
・管打楽器コンクールの受賞者として名前が出てこない。(「from:https://www.jmecps.or.jp "倭姫宮"」あるいは和歌でググっても出てこない)ただしこれは倭姫宮=MAUと仮定した上でのものなので少し弱い
・サックス自体の写真はあげているので一応所持はしているはず。
・英国グローバルタレントビザを取得したと6月にポスト。この取得には英国が承認した機関からの推薦が主として必要とされるため、相当に名の知れた存在であることが伺える
・またツイートでは"Tier1 Global Talent visa"と表記しているが、実際には"Tier1(exceptional talent)"←おそらくこれを指しており、この区分は調べたところでは2020年に廃止されている。
現在のTier1に当たるものはGlobal Talent Visaである。つまり投稿にある"Tier1 global〜"は新旧名称を無理矢理くっつけたようなもの。実際に取得している人間であれば既に名称が変わっていることを知っているだろうし、分かりやすくするため(=誰に対して?)合体して書いた、としても腑に落ちない。
・そもそもウィーン国立音大に留学?しているのにどういう経緯でイギリスの就労ビザを取る必要があるんだろう?有識者回答求む。
・輪島市の中学校に訪問し、メッセージカードをもらったとのこと(ポストは削除済みか)。バズってた珍しい名前の人!といったような反応があったらしい(子どもや親が誰かしら投稿しそうなものだが…真偽不明)。またメッセージカードの宛先、つまり倭姫宮と書かれているべき部分は写さなかった。
他にも色々突っ込みたい所は重箱の隅レベルだと掘れば掘るほど出てくるのだが…
ありえなくないか。選挙の件といい、いくらなんでも設定や出来事を盛りすぎ。
だいたい設定の通りなら院行ける期間ない(MAU設定を抜きにしてもイギリス留学から一時帰国中の話だったじゃん…)上に、法科大学院出身者じゃないから受験資格満たしてないし…
仮に予備試験合格者なら珍しい名前に藝大の現役生ということも相まって相当デカいニュースになるはず。
なお合格者名簿はすでに新聞紙に載っている。すでに倭姫宮でサーチして0件であることを確認されている方がいたが、設定上「倭姬󠄁宮」(姫が旧字体)なのでまだ弱いかも。「和歌」まで検索して(さすがに引っかからないと思うが…)載ってないやんけ!とリプして欲しかった(他力)。
追記:ここまで書いておいて調べませんでは格好がつかないので中国新聞デジタルを契約して検索してきた(3000円、いい商売してるが昔は無料だったらしい)。やはり、「倭」の一字さえも引っ掛からなかった。「和歌」は引っかかるが、明らかに他の方の名字だったのでここでは言及しない。
バズりの快感が忘れられないのはもう分かったから、せめて嘘をつくのをやめろ。って言ってしまったら名前そのものが嘘だろうから、彼のアイデンティティの喪失だよなぁ…どうすんだよこれ。変な取り巻きやチン騎士も沸いてるし…
追記:結局鍵垢作って引きこもることにしたようだ。見た時は10ちょっと(多分全員ネカマに欲情しているチン騎士だろう)のフォロワーしかおらず、見るも無惨な状態だった。虚しくなるだけだから辞めればいいのに。
一番最悪だけど妥当な真相は、藝大は受かってなくて今までの全部想像、イギリスやウィーンには旅行に行っただけ…というくらいのオチか。さすがにそれだと救いがなさすぎる。
でもあれだけ注目されながら顔出し不要の演奏音源すら出さなかったのは…やはりそういうことなのかなぁと邪推してしまう。
論拠の弱い部分などは指摘いただけると助かる。
最後に繰り返すが倭姫宮もといMAU氏は倭姫宮を演じることから脱して、素直に自分の人生を生きて欲しい。戻れなくなる瀬戸際にいる自覚を持って欲しい。
嘘でしょ?
有り無し判定の時に「ありよりの森有礼」とか言わないってこと?
溌剌な時は「元気モリモリ森鴎外」って思わないの?
皆本当は思ってるんでしょ?
そうだよね?
コメントありがとう!皆わざわざ言葉にしないだけで沢山考えてくれてるみたいで増田は嬉しいよ、仲間がこんなにいっぱいだよ
ちなみにこんな感じで生きてるので昔両親が喧嘩してた時は「あいつら多忙 俺たちゃ無謀 平穏な願望」って歌ってたよ ちなみに基本仲良ぴだから大丈夫よ
増田はこんな感じで「音」とか「意味」が少し、もしくはぴたっとハマる感覚が好きで、ラップの韻を踏んだりダジャレだったりが好きだよ。Creepy Nutsの助演男優賞なんか凄いと思う。
例えばさ、和歌なんかもそうだと思うのね。掛詞ってあるじゃない。「眺め」と「長め」がかかってたりするじゃない。ああいう「音」は同じで意味は違うもの、その狭間に対して私達ってワクワクしたり言葉にできない感情を委ねたりできるじゃない。あれって凄く良いと思うの。
ありよりのありと森有礼の距離遠いけどちょっと繋げたらなんかエモいじゃん?
ありがとう!助かる!
1. **異なるコマンドを試す**:
「Siri、百人一首を教えて」や「Siri、和歌を読んで」など、異なる言い回しを試してみるといいかも。
→どっちもダメだった。
おいおい、どうしたんだよ!
俺ちゃん、Siriとのバトルにはあまり詳しくないけど、いくつかのアイディアを試してみる価値はあるかもな。
まるでスパイダーマンの網を見つけるみたいに、うまく引っかかるかな?
1. **異なるコマンドを試す**:
「Siri、百人一首を教えて」や「Siri、和歌を読んで」など、異なる言い回しを試してみるといいかも。ちょっとした違いで彼女(?)の気分が変わるかもしれないぜ。
2. **設定を確認する**:
Siriの設定をチェックして、日本語の認識やアップデート後の設定変更がないか確認するんだ。俺ちゃんもよくデバイスが勝手に設定を変えちゃうことがあるからな。
3. **再起動**:
いったんSiriをオフにして、再度オンにする。これがSiriのモチベーションをリセットするかも。
「百人一首を読んでほしいんだ」と具体的にお願いしてみる。Siriも時々、オタクみたいに具体的な説明が必要なんだよ。
直感的には無駄っぽいけど、Siriに「昔のように百人一首を読んでくれたのに、どうしてやめたの?」と直接尋ねてみると、何かヒントが得られるかも。
何処かのお店に入店した際、
棚の引き出しの奥にバブ柚子味がったので
バブみをもって家のお風呂でバブを握りしめながら世界を救えなかった感じで手のひらの中で儚く消えていくバブを柚子味堪能したところでしっぽりと温まったところよ。
ものの数が多いことを表す誇張的表現。派生に“65535”, “65536”がある。
いやいや65535も承知の助じゃない。
回文増田の最寄りの駅名。駅前には商店街があり、喫茶店や焼き鳥屋、定食屋、レコード屋などが並んでいる。
なんだかみかんの花咲く丘公園の桜も咲きそうな頃というかもう咲いてる感じがしてるわよ。
そう言えばミカンの花ってどんなんだっけ?って意外と思い出せない感じもするわ。
ねえ聞いて聞いて!
みかんの花咲く丘公園駅前の商店街のくじ引きが当たって2万円の商店街で使える金券がゲットなのよー!
運良くない?凄くよくない?
みかんの花咲く丘公園駅前商店街のレコード屋さんで開催されるフェア。クリスマスの山下達郎フェアが終わると角松敏生フェアがはじまる。
三が日明けると次何やる買ってフェアー楽しみなんだけど。
今は角松敏生フェアーのコーナーが賑わってるわ。
街のレコード屋さんは
ある心情や状況を強調するときに使用される表現。トラックバックへの返信の中で用いられることも多い。
きっと一所懸命塗ったフェスであればあるほど貢献すればするほど勝つることから遠ざかってしまい且つそのためには投票して戦わずいや塗らずにフェスを見守る方が勝つるわってそうかも知れない山脈に向かってヤッホー!って叫んじゃいそうな最近のフェスの仕上がりなのよね。
お湯沸いてあると思ったら電源コードが抜けていて、
以後気を付けるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
どうぞよろしく!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
宇宙船育ちの水耕栽培されたなんかハイテクトマトはとても美味しいって噂よ。
はい!
襟裳岬には何もないところだけど、
マドラー要りますかってステアするのにマドラー要らないってイキがっていたときもあったわ。
懐かしい香りがした、
そう大黒摩季さんのようにね。
うふふ。
あ!ここはうふふじゃなくて
らららね。
またはタニコーの五徳の如く
増田でステラーブレイドって検索今は超絶速くなってきたから検索しても誰もそのことを書いている人がいなくて増田で盛り上がっているのは私だけ?って思わざる山の如しって思うほどタニコーの五徳なのよ。
兄は夜更け過ぎにユキエに変わるだろう
兄は夜更け過ぎにユキエに変わるだろう
「なにかそういうデータがあるんですか?」
「ぺこーらに告白しようと思ってる」
「5000兆円欲しい」
背景のストーリーを把握し、イメージを共有し、その上で表現としてしっくり来たことが評価され、バズり、シェイクスピア語録みたいになる。
そういう類の文化だ。
はっきり言って気持ち悪い。
アニメやドラマの名台詞ランキングとか、漫画の名シーン投票とか、そういうのも大差がない。
FLASH黄金時代を過大評価してネットが活かした文化の最先端だったのだと憤るインターネット老人welcom to undergroundを見せられているようで共感性羞恥すぎる。
よく分からんけどなんか長年評価されているし若造は知らなそうだからこれ褒めてたら人生のベテラン感出るやんみたいはすけべ心の見え隠れがエグいということだよ。
キモいんだよな。
最近の短歌に関する増田の記事とそれへの反応で気がついたのは、多くの人は歌人が共有する短歌に関する暗黙の考え方を知らないということだ。
短歌詠みの間には短歌に関する決まりごとや規範が暗黙のうちに共有されており、それを念頭に置いて歌を詠んだり、鑑賞したりする。私はこれを「短歌のテーゼ」と勝手に呼んでいる。
あらかじめ言っておくと、このテーゼは必ず守らなくてはならないルールではない。むしろ現代短歌はどうやってテーゼに沿わずして魅力のある短歌を生み出すかを試行錯誤している節がある。
だが、どんな流派であっても優れた歌人はこのテーゼを意識し、従うか対抗するかのスタンスを明確にして歌を詠んでいる。そして、そのスタンスがある程度共通している歌人同士が同じ結社の中で作歌や鑑賞をすることで歌風を確立させて行くのである。
であるから、反例となる名歌はいくらでも挙げられるであろうが、反例があることはテーゼが存在しないことを意味しない。
以下、私はこれが短歌のテーゼだと思うものを挙げてみる。これらは私が歌会での経験や短歌関連の書物を通じて知ったことをベースにした持論であり、歌壇において認められた学説などではないということは断っておく。これらが短歌のテーゼを網羅したものとも考えていない。もしこれも短歌のテーゼなのではないかと思うものがあれば、教えてほしい。
また、この記事を書くにあたって各テーゼに従っている歌と、対抗する歌(=アンチ・テーゼ)を例示しようとしたが的確な歌を全部に配置できないので諦めた。こうした歌の事例もぜひ提案してもらえると嬉しい。(この記事が果たして読まれるのか?という疑念はあるのだが……)
ちなみにこれから挙げるテーゼに対して確信犯的にすべて逸脱しているのが穂村弘である。穂村弘は歌人の中でも一般的に知名度が高く、フォロワーも多いのだが、実のところ短歌のテーゼ的には極めて特異な位置付けにある存在だ。ただし、それは戦後の短歌運動の流れを意識的に継承した、れっきとした文学的試みである。
短歌は本来は歌であり、5・7・5・7・7の韻律を守り、音読したときに美しい調べとなるよう詠むことを求める。句割りや句またがりを多用したり、日本語として音読が困難な言葉を入れてはならない。
歌会などで短歌の詠み合いなどをすると、時々「この歌は"作ってる"ね」と評されることがある。短歌の描写にリアリティが無かったり、やけにドラマティックであるなど、現実には起こったことでない内容であると判断された時にこう言われる。このテーゼにおいては、どれだけ平凡ではあっても日常に実際に起こったことの方がドラマティックな虚構よりも価値があるのである。
"作る"という先ほどの言葉の中には、作為的に言葉を操り、上手く作ろうとする気持ちを戒めるニュアンスも含まれている。日々優れた短歌を鑑賞し、心のうちに誦じて日常を過ごす中で、するっと生まれてくるものを精製するのが本来の短歌なのである。こうした体験なしに、ただ物珍しい言葉をいたずらに組み合わせて面白がられる歌を作ろうとする姿勢は望ましくない。
短歌は日常生活に即した芸術である。その生活感覚は、身体から得られるものであって、生活に根ざしていない社会政治的な話題や、テレビで見たことなど身体を伴わない経験を取り上げるのは望ましくない。
短歌は、風景の描写と心情の表現がセットとなるように構成すべきである。風景はただの現実ではなく、それに対峙する詠み手の心情を象徴するものとして描写されなければならない。
ただものごとを説明するだけの短歌はただごとうたであり、本来の短歌ではない。短歌には詠み手の情念が表現されなければならない。
短歌は日本語を支える伝統文化である。王朝時代以来の和歌の歴史を学び、古典の優れた歌に触れながら、そのような伝統に連なることを意識して歌を詠むべきである。和歌や過去の名歌を鑑賞し、日本文化を象徴するような風流な事物を題材として歌を詠め。
追記:
ちなみに私自身は1・4・5・6に賛同し、2・3はややや否定的であり、7は積極的に否定するスタンスである。7とどう決別するかは、戦後短歌の大きな課題でもあったという認識である。
俳句ってそもそも和歌や連歌がハイコンテキストすぎて庶民が楽しめないから、77の部分を無くして庶民が自分たちの生活や世の中を滑稽に風刺して笑いをとるようになったのが始まりだからな
それで「俳優の諧謔(かいぎゃく=しゃれ・ユーモアのこと)」→「俳諧(はいかい)」と呼ばれるようになり、後の俳句になって行った
なので初期の奴らのレベルが低いのは仕方ないのでは、ある意味サラリーマン川柳の方が俳句の源流みたいなもので、脱ハイコンテキストが俳句の始まりだったから(正岡子規あたりから文学的な志を持つようになり、俳諧から俳句に変わっていった)