はてなキーワード: 早生まれとは
4,5,6月生まれの子は、1,2,3月生まれの子よりも、有意に成績が良い。
では、この9か月でついた差は後者の子たちが9か月余計に勉強すれば埋めることができるのか、というと、到底埋まらない。
小さい頃に肉体的な成長度によるアドバンテージでついた相対的な差は、おそらくは勉強の好き嫌いや苦手意識などを生み、最終的には9か月の時間だけでは埋められない差になるわけだ。
こういう点を重視すると、他の子よりも早く学び始めるということはとても重要に思える。
実際、より早期からの教育は、最終的な学歴や所得の有意な差を生むことが知られているしね。
追記:
もし、早生まれの子供がこの文章を読んで「当てはまる」と思ったとしたら、私がその人に言いたいのは
「あなたは、実態以上に自分の能力を過小評価している可能性がある。努力は、あなたが思っている以上に成果を挙げている」
ということだ。
もともとの投稿は親に向けたものであり、9か月では到底埋まらない」というのも「親が子供を今まで通りにして9か月分の成長を待つだけでは到底埋まらない」という趣旨で書いた。
ブコメの「出産費用は保険適用外なので一回は全額支払わなければならないです。申請しないと国とか県から一時金は支払われません。」が知ったか100%で恥ずかしすぎる。星つけてる奴らも反省しろよ。
まず、出産一時金の出所は健康保険な。国とか県ってなんや?赤ちゃんファーストとか妊婦支援給付とかと混同してんのか?
そんで、出産一時金を病院に直接支払ってくれる仕組みがあって(対応してないところもあるけど)、手続きをちゃんとやれば本人が全額支払う必要はなくて、一時金で賄いきれなかった不足分だけ病院に払えば済むようにできてる。普通はそうする。
ちなみに児童手当は申請しないともらえないからしっかり申請しろよ。特に児童手当は申請が遅れると遡っては支払われないクソ制度なので出産後は急げよ。クソ制度と言えば高校卒業相当までしかもらえないので、早生まれは4月生まれと比べて9か月分(=9万円)以上損するという意味でもクソ。
はじめての妊娠は、心拍確認後に流産になってしまった。8wくらいで稽留流産、検索して怯えていたよりも痛みも出血も意外と平気だった。自然排出で、仕事も休まなかった。よかったね、ってかんじの流産。
わたしは心拍が止まってしまった胎芽のことを、インターネットや漫画で見るほどには「赤ちゃん」とまで思っていなかった。それでもピコピコしてたのがすーごくゆっくりになってるのを見て、なのに前よりとても大きくなってるのを見て、最後に渡されたエコー写真は見返せなかった。そのあとの、日曜日くらいだろうか。きっと完全に心拍が止まってその後出血した。
生理よりちょっと多いかなくらい。会社はふつうに行けた。でも電車乗ってておじさんに肘鉄されて、心のなかで「わたしは今流産中なんだぞ!」とか思った。妊婦なんですけど!ならともかく、流産婦なんですけど!とか言ったらヤバい女だよなとか思って笑った。翌週、病院に行って完全に排出されてると言われた。その時はエコー画面見れなかった。帰りの満員電車でちょっと泣いた。泣いたけどこれって、ほんとに悲しいのか、流産した女は悲しんだほうがいいでしょと思って泣いてるのかよくわからなかった。
正直さいしょに心拍確認したときに、ちいさすぎないか?大丈夫なのかな?と思って、常にわるいほうを考える性格だから、心の準備はできてしまっていた。
それでもやっぱりその頃はまだ、無事と無事じゃない、両方のパターンを考えていた。
会社の先輩と飲みに行ったとき明日血液検査なのでお酒やめときますって嘘をついた。
同期との食事会でも、飲んでる薬のせいでお酒だめなのと嘘をついた。ワインバーだったから、ごめんねって謝った。
来月や再来月の予定、安定期前だけどつわりとか大丈夫かな?と心配をした。
万博安定期なら行っていいかな、妊婦なら優先レーン通れるのかしらとか調べた。
冬のイベントに参加するか聞かれて、(順調ならばその頃臨月だし)ちょっと難しそうだと答えた。
産休はいると来年のボーナスは貰えないのかな?とか就業規則めちゃくちゃ読んだ。
あの時心配してた予定がなんの問題もなく訪れるたび、流産したんだなという事実がチクッとくる。
暫定の予定日だった来年まで、
たぶんずっと遅れてチクチクし続ける。
ちょっとはやく妊娠した友人に、何事もなければ同級生だと報告したかったな。
いやもう産むのは難しい年齢なんだけどね、氷河期末期だし
大学卒業して大学院に行って資格取ったり(一時期)仕事に邁進したり、相手のあることもあって(結婚は一人ではできないからね)35歳で第一子、間に流産等挟んで38歳コロナ禍で第二子出産
産まない理由は山程あって、
でも一番大きかったのが、もし健常児じゃなかったら、ということ。年齢的にも可能性は高かったし、そうなったら共働きなんてまず無理で結局辞めるとしたら私になるし、そうなっても障害児手当の所得制限で逆転現象も生じるレベルで、しかも預け先もなくて逃げ場がなさすぎる、そうしたらしわ寄せは今いる子供たちにも行く
それに対して産みたい理由は「欲しかったから」の一点だけだったんだよね
産んでみればかわいいというのはわかってるから欲しかったけど、理性と希望(欲望)だけで考えたら普通に理性が勝るじゃん???
さらにリスク過敏な性格(つまりビビリ)だからなんか確率低くても次は私かもと思うと、どうしても踏み切れなかった
でも小さい子たちを見るとまだ「いいなー可愛すぎるいいなー産みたかったなー」と思うあたりが成仏しきれてない
過去形になってきたからまあ気持ちの問題は時間が解決するとは思うんだけども
で、 N=1で少子化問題が解決するわけでもないんだけどさ、振り返って何があったら三人目を産んだかって???どう思う???
※N=1です。
俺はずっと◯◯たかった。小学生ぐらいの頃にはもう◯◯たかった。
早生まれなのもあってクラスでワースト3のチビ。親譲りの乱視で低学年からメガネ。子供の頃から空気が読めないギリ診断書がつかないADHD。
空気の読めないのび太という絶対的負け組だった。親の本棚に「運動できない子供」「自閉症」といった本が何冊もささっていた記憶が実家を離れて10年たった今でも頭を離れない。
俺はずっと◯◯たい〇〇たい言いながら生きてきたし、そうすることで自家中毒が加速し人生がゴミみたいになっていた。
俺は今まで何度も◯◯たいと思ってきていたが具体的な行動を起こさないでダラダラ◯◯たい◯◯たい言っていた。
そんな日々が続く中で、一度本気で親に相談したら「プププ……◯◯たい◯◯たいとかただのお前の口癖んじゃん。今更その程度で希死念慮ぶっちゃってwww」と煽られた記憶は今でも頭を離れない。
ある日、俺は本気で◯◯ことにした。ネットで「首吊り 耐えられるロープ」で検索してオススメされていたロープをポチった。
家に届いたぶっといロープは200kgぐらいの荷物でもぶら下げられそうで、絶対◯ねるという信頼感とリアリティを俺に与えた。
それから数日、俺の目はずっとこのロープを吊るせるような場所を探し回っていた。
ロープが200kg支えられそうでも、それを吊るす場所があっさり崩れたら意味がないのだ。
ネットではドアに引っ掛ける方法なんかがあったが、試してみるとドアに背中が引っかかって体重がいい感じにロープに伝わらないリスクがあることが判明した。
いい具合の枝を探したが、試しにぶら下がってブラブラしたらいきなり折れてしまったので諦めた。折れた枝が見つかると怒られそうだからその辺の茂みに蹴り込んだ記憶は今でも頭を離れない。
首吊ポイントを探して街を練り歩き、ふと気づいたのは確実に邪魔をされないで◯ねる場所の少なさである。
首吊りをするためにはロープをしっかり巻く必要があるし、蹴り飛ばすための脚立を持ち歩く必要もある。
目をぎょろぎょろさせて脚立を持ち歩いている奴がいると通報されたらアウトだと考えていくと、持ち前のネガティブ思考は「家でやるしかない」と結論付けた。
そして家の中でアレコレ試すも、確実性を担保できるものがないことが分かり首吊は断念となった。
余ったクソ太ロープは立ち入り防止用のロープが盗まれたまま放ったらかしにされていた近所のゴミ捨て場に寄付してやった記憶は今でも頭を離れない。
首吊未遂に失敗したあと、俺は◯ぬ方法を探すことよりも今の人生から◯◯たさを取り除くほうが楽なのではと考えるようになっていた。
まずは自分の人生を苦しめていた様々な問題を金で解決することにした。
ワキガ、鼻炎、レーシック、数々の手術をしたことで、ワキガ鼻垂れメガネから、ちょっとワキガちょっとクシャミ多い伊達メガネになった。
キモメンは裸眼よりメガネの方がまだ骨格がマシになることを知った日、今までメガネを外すと鏡に写っていたイケメンが単にぼやけた姿を脳が修正した結果だとしった衝撃は今でも頭を離れない。
親が遺伝子ガチャに失敗したツケをある程度払い終えた俺は、ギリ健ゆえに残されたADHDさえも「まあゆーてガチガイジやないし。ゆーてただ健常者なだけで俺よりゲージムーブのイキリ脳筋とかいくらでもおるしマジあいつら◯◯だほうがいいわ」と開き直っていた。
困難を乗り越えた経験が俺を男にした。ようこそ男の世界へ。君も親からもらった体にメスをぶっ込んで運命に打ち勝とう!
手術をしても半分残ったワキガさえも「は?ただの体臭だが?これでアウトっていうなら小便臭いジジイを街で見かけるたびに暗殺でもしてこいよ。まずはそっちじゃね?」と開き直れるのだから、男すぎるぞ俺。
強さを手に入れた俺が次に始めたのは転職だ。そして俺は知る。やだ……俺の市場価値低すぎ……となった心の傷が今でも頭を離れない。
ネガネガして底辺を転がってきた日々が単に時間を無駄に浪費して市場価値の低い中年を作った事実を前にしても、俺はギリギリで精神を保っていた。
まあ、ええわ。金がまったくないわけじゃないし。
まあ、ええわ。職場のカスどもは大嫌いだけど、アイツらも仕事で用がある時はお互い冷静に接する分別はあるし。
まあ、ええわ。恥とか外聞とか気にせず、仕事で失敗しても「ヒャハっ!面白くなってきたねぇ!」と開き直ればええだけやん。
まあ、ええわ。なんでも開き直って生きてれば、◯んで無になるよりはちょっと楽しいし、苦しいことを「世の中マジでクソすぎ!こんな社会で出生主義やってるキチガイ共早く◯◯だ方がいいよ!!」とか冷笑してれば楽しいし。
今、俺はそんな感じだ。
これもそれも、あの日思い切って◯のうとしたことから全ての扉が開いたんだ。
ある界隈のオタクです。
絵も字も、まあ上手くはないけど趣味で若干書いてて、数名には毎回反応もらえるような人間。
で、最近気づいたんだけど、私多分趣味に〆切をつけるの向いてないっぽい。
前の作品で「次はA書きます!」って言ったのにAほとんど完成してないし。
フォロワーさんへ。今Bの方書いてるよ。ごめん。
誕生日とか周年へのも何回か書こうと頑張ったけど実際に書けたのは確か2回。
本当に毎回途中で飽きるんだけど。なんでみんな書けてんの???
別にそんなのなしで小説書く分には好きだし楽しいんだけどな〜……
最近このままだとBの方が絶対完成早いんだけどどっち先に出すべきかな……Bでいいかな……で永遠に悩んでる
何で1月だけで誕イラ4つとか描かなきゃいけないんですか あの
シンプルにそれがしんどすぎて……
そういえばそのタイミング以外で嫌気さしたことはそんなないか?どうだっけ
でもやっぱ1月組だけ描かないの嫌だしな……誰か描くんなら全員描きたい というか描かなきゃいけない気がしちゃう
何か絵を描くことに義務感感じ始めたらダメってなんか誰かが言ってた気がする やっぱ誕イラは描かない方がいいかな。
……っていう半分独り言でした。
一般的には、日本の学年制度では4月1日から翌年3月31日までの期間に誕生日を迎える子供が同じ学年になります。10歳の子供の場合、通常は小学4年生ですが、以下のようなケースではそれ以外の学年に所属している可能性があります。
考えられるケース:**
🤗
やめてください!😡
一般的には、日本の学年制度では4月1日から翌年3月31日までの期間に誕生日を迎える子供が同じ学年になります。10歳の子供の場合、通常は小学4年生ですが、以下のようなケースではそれ以外の学年に所属している可能性があります。
考えられるケース:**
🤗
一般的には、日本の学年制度では4月1日から翌年3月31日までの期間に誕生日を迎える子供が同じ学年になります。10歳の子供の場合、通常は小学4年生ですが、以下のようなケースではそれ以外の学年に所属している可能性があります。
**考えられるケース:**
- **早生まれや遅生まれの影響**: 年齢は10歳でも、誕生日が学年の区切りと関係していて、小学3年生または5年生である場合。
- **海外の教育制度**: 海外の学校に通っていて、日本の学年と異なる場合。
- **飛び級や留年**: 何らかの特別な事情で学年を変更している場合。
という終わった性癖持ちなのだがこれには理由があるから聞いて欲しい。
理由も何も実際に起きたエピソードから性癖が歪んでしまっただけだからその時の話を綴るだけだ。
前提条件含めての文章になってしまう為、長くなってしまうのは許して欲しい。
・
小学1年生の10月頃、親の都合で突然学童に放り込まれそこで仲良くなった女の子がいた。(以下Aちゃん)
どうやって仲良くなったのかは覚えていない。ドラゴンボールの漫画を読んだりポケモンの絵を描いたりするのが好きな自分にとって、彼女とは趣味が微塵も合っていなかったような気がする。
小学3年生の頃、彼女が住むアパートに呼ばれたことがある。彼女は以前に自身の口で「母親しかいない」と言っていた。
そうして扉が開かれ眼前に広がるのは荒れに荒れまくった室内。放置されたゴミや衣服、靴でさえも碌に整えられていない。独特の匂い。
――ああ、虐待児か。そう思った。悲しくも自分もそういう家庭なせいで思ったより冷静に目の前のことを受け止めていた。
似た者同士が惹かれ合うというのは本当にあると思う。自分はこの日そう思った。
彼女が虐待児であろうという確信めいた思いを抱きながら、それなら自分は彼女の良い友人であろうと思った。
勿論自分が友達でいて楽しいからというのもあったし、彼女が学校では嫌われ者であることを知っていたからだ。Aちゃんに自分以外の友人はいなかったように思う。
小学生の女子の陰口なんて大した意味はないだろうと思っていたが、何となくの雰囲気で皆が毛嫌いしていたのかもしれない。
一人が寂しく辛いことは自分も家庭で感じていたし、道徳の授業でも散々人に優しくしましょうという話を聞かされていたのでAちゃんと仲良くすることに何も抵抗はなかった。
ところが、ある日。
いつものように公園で遊び門限の18時近くになったから帰ろうと話しているとAちゃんが怒り始めた。
今思えばこの日以外ももうちょっと遊ぼうよと誘われることはあったが、怒られたことは無かったので相当驚いた。
この台詞、現実で言われることあるんだ……と大人になってから思う。紛うことなくAちゃんはメンヘラ女子だった。
しかし小学3年生の自分はメンヘラという存在を知らない。そしてノンデリだった。
「門限」
言い訳となってしまうが門限を守らないと暴力暴言が1時間以上は飛んでくる家庭だったので、この返答になってしまうのは仕方のないことなのだ。
結局Aちゃんに腕を鷲掴みにされた自分は18時を回った真っ暗な公園に佇むしかなく、探しに来た親が回収してくれたものの上記のようなことになってしまったのは言うまでもない。
ここで異変に気付けば良かったがノンデリ天然だった自分は「まあ、無限に遊びたいよな」と納得し翌日からも普通に遊んでいた。
但し、ちゃんと「18時に帰らないと次からAちゃんと遊べなくなる」とは伝えた気がする。
気がする……のだが
この日記の冒頭を思い出してほしい。
事件も同年に起きた。
いつかと同じようにAちゃんは「今日母親いないから家で遊べるよ」と嬉しそうに誘ってきた。
あの荒れた家で遊ぶのかと内心乗り気ではなかったが、彼女の笑顔を見ると断る訳にも行かない。
あと、この時既に察していたが断ると無理矢理連れていかれるか機嫌を損ねるかの二択だった。力では勝てるが自分を好いてくれている可愛い女の子の友人に手荒な真似はしたいと思わなかった。
扉を開けると相変わらずゴミ屋敷手前のような部屋が見える。それでも誘う為に綺麗にしてあったのか以前訪れた時よりもリビングは綺麗にされていた。
部屋を見ながらどこに座ろうかと突っ立っているとAちゃんが声を掛けてきた。
「鞄は私が持っとくね」
Aちゃんとおままごとをする時はいつも決まって自分が夫役だった。
学童でもこのやり取りは何度か行ったことがある。そんなことを思い出しながら鞄を渡した。
……?
何か返す間も無く、Aちゃんはそう言って鞄を持って機嫌よくキッチンへ姿を消した。
これって、門限までに家に帰してくれるのか?
いつものおままごとであれば何の問題も無い。しかし彼女は「ここで暮らすの」と言ったのだ。
以前の公園で腕を掴まれ、逃げられずにいた時を思い出し嫌な予感がした。
また門限を破れば自分が家でどういう仕打ちを受けるのか分からない。最悪殺されるところまで見据えた。
逃げるか留まるか、どうしようかと悩む時間も短くはなかったと思う。
だがAちゃんは”用意”に時間をかけていたようだし、こちらへ来る前にお手洗いを利用するのが確認できた。
玄関にはチェーンが掛けられていた。防犯の点で見ればとても偉いのだが、以前来た際はわざわざチェーンを掛けておらずこんなに些細なことでさえ動揺したのを覚えている。
そして何より玄関前のゴミ袋が倒され、出させないという意志をひしひしと感じた。
挙句には靴が無い。
流石に目の前のこれらを見て焦らずにはいられない。
門限までには帰りたいという考えから明確に”Aちゃんが怖い”に移り変わっていた。
小学3年生の監禁はあっさりと突破出来た。ゴミ袋は別の所に移動して、チェーンは外して、鞄と靴は放置したまま裸足で逃げた。
幸いにもこの日、学童から直接向かったのではなくキックボードに乗って来ていた為、走って逃げるより随分と足への負担は無くて済んだ。
ただ、やっぱり怖くてちょっと泣いた。
後日、「何で何も言わずに帰ったの?」と詰め寄られた。
何と返したかもう覚えていない。
鞄と靴は学校で返してもらった。
さらにその後、流石に危機感を習得した自分は家に呼ばれる度にやんわりと断った。
また閉じ込められたら今度こそ逃げられないかもしれないと思ったからだ。
このおかしな関係は、Aちゃんが突然引っ越したことで幕を閉じた。
引っ越したことを知った時はほっとしたような、友人がいなくなって寂しくなったような妙な感情だった。
・
そしてこの件を終えて大人になった自分は無事性癖が歪み、年上お姉さんに監禁されたいなと思うようになってしまった。※同い年だが自分が早生まれだったからかAちゃんはお姉さんらしく見えていた。
この時は門限という縛りがあったから逃げることを選択したが、正直多少後悔している。今同じ状況になったら全然喜んで一緒に暮らしたい。
マジでさー
4\1生まれで良い事なんてひとっつもないんだけど
今後子ども産む予定のあるヤツに
どんだけ4/1生まれが最悪か教えてやる
揺るぎない最悪の行事
「お前の存在自体が嘘」って生きているうちに100回は言われる
また、この行事のせいで4/1生まれは何となく嘘つきっぽく思われる
行事自体もクソつまらなくてゴミほど寒いので潜在的なネガキャンが物凄い
はよ廃れろクソ
子供の頃は地味に嫌
なんでお前の誕生日は祝われて俺のはないんじゃってなる
本来感じなくていい劣等感を幼少期にこれでもかと植え付けられる
子供をチー牛にしたのは4/1に生んだお前のせい
4/1生まれは3/31の24時に歳を取るとかいう意味わからんロジック
無料ワクチンだの予防接種だの健康診断だのは一年ズレると受けられない
翌日に生まれた日を誤魔化してくれる事があるらしいが
提案されたら即受け入れろ
○○部の部長、○○委員長、学級委員長、イベントの実行委員…こういうのを兼任させられた。
長になれば、責任があるし、仕事ができるし、周りの協力を得るためにお願いしまわったり、
いう事を聞かない生徒を注意したり、しんどいばかりで碌なことがない。
周りが楽しく盛り上がってたりするところを、こちらは戒めないといけない。
中には信じられないような馬鹿なことをしだすやつもいる。
内申書に良いだろうと言われたりもするが、別にそんな加点はいらない。欲しいと思ったこともない。
部活の部長は仕方ないと思うけど、生徒会のナントカ委員長とか実質不要なものもあるし、やめた方がいいと思った。
少なくとも兼職させるのは、その生徒に負担が多いのでやめるべき。