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はてなキーワード: ラッセルとは

2026-05-11

映画】ザ・エクソシズム を見た

ヴァカチンなエクソシスト。34点。

 

エクソシスト映画撮影前、主人公神父役の役者が変死してしまう。その代役にアル中業界を干されているラッセル・クロウが選ばれ、なんかうまく行ってない娘は付き人として撮影に参加。しかし、アル中で脳が委縮したラッセルはろくに台詞も覚えられないし体調も悪い。そうこうしているうちにラッセルの様子がどんどんおかしくなっていき、撮影現場では異変が起き始める。もやしこの映画は呪われているのでは、ラッセル親子の行く末は……

みたいな話。

 

ちゅ~~~~~~~~~~~と半端やなぁ(ちゃらんぽらん感)。

いや、やらんとしてることはわかるんよ。トラウマの苦悩、演技で自分を追い込むことによる変容、信仰の脆さ、親子の絆、そしてエクソシスト映画。でもこれらを全部やろうとした結果、全部中途半端になってる。

ラッセル敬虔キリスト教徒だったんだけどいつも通り幼少期に神父にケツ掘られててそれがトラウマになっている。その後、役者として大成するもトラウマから逃れるために酒と薬の日々を送り、妻が大病を患って死んだ際には更生施設に入っていて死に目にも会えてないので娘との間には距離がある。

そんな彼が皮肉なことに敬虔神父の役をやることになってストレスはたまりディレクターから過去のこと、酒浸りだけではなく幼少期のことまでをチクチク責められるしどんどん様子がおかしくなっていくが、そのうち本当に悪魔に取りつかれてしまう。

でもここの"役に押しつぶされる"展開がめっちゃいから、悪魔に憑かれる展開へのジャンプめっちゃ弱い。序盤からラッセルはずーっと鬱々してるし様子がおかしいから、悪魔に取りつかれておかしくなるっていうギャップが薄い。もろちん、これは悪魔?それとも本人?っていうサスペンスはあるんだけど見てる側からすればどっちでもよくね?ってなっちゃう。悪魔だろうが本人だろうが様子がおかしいのには変わりないし。

また、ラッセルが抱えているトラウマが作中で解消されるという展開もない。後半はもうずーっと悪魔に取りつかれて様子がおかしラッセルが大暴れしていて、これを親子の絆で取り戻す展開かと思いきやまったくそんなことはなく。映画アドバイザーとして参加していたプロ神父が「ワイがラッセルの中の悪魔を引き受ける!」つって悪魔を吸収し、ラッセルと娘、あとなんかぬるっといてた共演女優みんなでお祈りを唱えた結果、爆発炎上して終了。

別にトラウマの解消はそんなに簡単ものじゃないにせよ、何らかの進展があってもええやん。っていうか、あるべきでしょ。神父様の自己犠牲によって助かりました、まぁ、神父に性加害されたことがトラウマだったのが神父にもいい奴もいるんだよ!で和らいだという考え方ができなくもないけど。でもラッセル悪魔に取りつかれた神父の脳天に十字架ぶっ刺してるんだよな……殺人だよ……ハッ!?神父の恨みを神父で晴らしてスッキリした!ってこと!?

どんな映画やねん。

信仰の脆さに関しては敬虔神父として娘に寄り添いこの事件解決に動いてくれてた神父悪魔を吸収する際に、彼自身父親である神父から強制的洗礼を授けられた存在だったことがわかるんだけど、まぁ、だから何?って感じで。そのことが今回の悪魔祓いに特に有効に働く要素もなかったし。

そりゃ、俳優として神父を演じることで悪魔化したが本心で神を信じていたラッセルと、神父であることを強要されてある意味神父を演じていた神父という対比と、最後最後神父として神の御業を見せて大往生してよかったねって感じなのかもしれないけど、少なくともそう見えるように脚本が作られていない。

つーか、神父燃えて死んで次のシーンでラッセルがなんか手紙書いてるシーンで終わるの適当すぎないか

結局何の話やってんってなるわ。

やりたいことがいろいろあるのはわかるけど少なくとも映画としての接続はうんちだったからか、かなり退屈だった。

 

まぁそんな感じかな。

あと冒頭から画面が一生薄暗いから目が疲れるしメリハリもなくなってると思う。ラッセル悪魔に憑かれた表現も、今日日それ?って感じの既視感があるものばっかりでナンダカナーって感じ。ジャンプケアはちょいちょいあるのでビックリホラーとしてはギリ楽しめるかな。

なので、まぁ、悪魔祓い映画コンプ勢にはギリオススメ。ラッセル悪魔祓いする映画だったらヴァチカンの方を見た方がいいと思いました。

2026-04-28

anond:20260428200920

“ Theologian Russell Moore Has a Message for Christians Who Still Worship Donald Trump

—— “TimeJAN 21, 2021 7:55 PM JST


‘ So perhaps it’s not surprising that shortly after the events of Jan. 6, the guy whose actual paid job it is to try to get those in power to think about a higher power got about as ticked off as a polite Southern gentleman of faith is allowed to get.’


結論から言うと、その一文は誰かの発言をそのまま引用したものではなく、記者による描写パラフレーズ表現)です。

あなたが挙げた文が出てくるのは、Time記事で、対象人物神学者ラッセルムーア。ただし、

“the guy whose actual paid job it is to try to get those in power to think about a higher power …”

この部分自体は、ムーア本人の発言として引用符付きで載っているわけではなく、記者が彼の立場皮肉まじりに説明した地の文です。

英語ニュース記事ではこういう書き方はよくあって、

引用符つき → 本人の直接発言(直接引用

引用符なしでユーモラスに言い換え → 記者表現(間接的な説明

今回のは後者です。

なので、「引用っぽい語り口」ではあるけど、厳密には引用ではない、という理解が正確です。

2026-04-13

anond:20260412141232

10代で読んでいないと恥ずかしい必読書

プラトン国家』 

アリストテレスニコマコ倫理学』 

ショーペンハウアー意志と表象としての世界』 

ヘーゲル精神現象学』 

デカルト省察』 

パスカルパンセ』 

ライプニッツ『単子論』 

カント純粋理性批判』 

キェルケゴール死に至る病』 

バークフランス革命省察』 

ジェイムズ『宗教的経験の諸相』 

ニーチェ道徳の系譜』 

ベーコン『ノヴム・オルガヌム』 

フッサールヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』 

メルロ=ポンティ『知覚の現象学』 

ハイデッガー存在と時間』 

アーレント精神生活』 

ヨナス『責任という原理』 

サルトル存在と無』 

ベルグソン時間自由』 

ミンコフスキー『生きられる時間』 

レヴィナス全体性無限』 

フロイト快感原則彼岸』 

ドゥルーズ=ガタリアンチオイディプス』 

フォーダー『精神モジュール形式』 

ヤスパース精神病理学総論』 

エレンベルガー『無意識発見』 

ラカン精神分析の四基本概念』 

フーコー言葉と物』 

ソシュール一般言語学講義』  

ヴェイユ重力と恩寵』 

ディルタイ精神科学序説』 

ブーバー『我と汝・対話』 

ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』 

ミンスキー『心の社会』 

ライル『心の概念』 

バタイユエロティシズム』 

アガンベンホモ・サケル』 

ラッセル西洋哲学史

ルソー社会契約論』 

スピノザエチカ』 

ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』  

リップマン世論』 

オルテガ大衆の反逆』 

マンハイム『イデオロギーユートピア』 

フロム自由からの逃走』 

ミルズ『パワーエリート』 

リースマン孤独群衆』 

パーソンズ社会行為構造』 

デュルケム『自殺論』 

イリイチシャドウ・ワーク』 

M・ポランニー『暗黙知次元』 

バレーラマトゥラーナ『知恵の樹』 

ルーマン社会システム理論』 

ブルームアメリカンマインド終焉』 

シオラン歴史ユートピア』 

バーマス『晩期資本主義における正統化の諸問題』 

ロールズ正義論』 

ブルデューディスタンクシオン』 

オング『声の文化文字文化』 

アドルノホルクハイマー啓蒙の弁証法』 

フランシス・フクヤマ歴史の終わり』 

サイードオリエンタリズム』 

ジジェクイデオロギーの崇高な対象』 

アンダーソン『想像の共同体』 

シンガー実践倫理』 

マッキンタイア『美徳なき時代』 

ホイジンガホモ・ルーデンス』 

カイヨワ『遊びと人間』 

フレイザー金枝篇』 

モース『社会学と人類学』 

レヴィ=ストロース悲しき熱帯』 

ギアツ文化解釈学』 

キャンベル『千の顔をもつ英雄』 

ブローデル地中海』 

ウォーラーステイン近代世界システム』 

クラウゼヴィッツ戦争論』 

アダム・スミス国富論』 

ゾンバルト恋愛と贅沢と資本主義』 

ベンタム『道徳立法原理序説』 

ミル自由論』 

マルクス資本論』 

アルチュセール資本論を読む』 

シュンペーター経済発展理論』 

フリードマン資本主義自由』 

ハイエク『法・立法自由』 

ケインズ雇用・利子および貨幣の一般理論』 

ヴェブレン『有閑階級理論』 

ポランニー『大転換』 

ボードリヤール消費社会の神話と構造』 

セン『貧困飢饉』 

ベル資本主義文化矛盾』 

ドラッカー『「経済人」の終わり』 

サイモン経営行動』 

ギデンズ『近代はいかなる時代か』

ホワイトヘッド過程実在』 

クリプキ『名指しと必然性』 

ポパー『推測と反駁』 

クーン科学革命構造』 

ラカトシュ方法擁護』 

デイヴィドソン『真理と解釈』 

パトナム『事実価値二分法の崩壊』 

ベイトソン精神生態学』 

ベンヤミンパサージュ論』 

デリダ『法の力』 

クール時間物語』 

ペンフィールド『脳と心の正体』 

スローターダイクシニカル理性批判』 

シュミット政治神学』 

ダールポリアーキー』 

ヴァイツゼッカーゲシュタルトクライス』 

チョムスキー文法理論の諸相』 

ヴィゴツキー思考言語』 

パノフスキー『イコノロジー研究』 

ソンタグ『反解釈』 

ウィルソン生命多様性』 

ドーキンス利己的な遺伝子』 

ギブソン生態学視覚論』 

ケストラー機械の中の幽霊』 

ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』 

イーザー行為としての読書』 

イーグルトン『文学とは何か』 

ホフスタッター『ゲーデルエッシャーバッハ』 

ド・マンロマン主義レトリック』 

ブランショ文学空間』 

ガダマー『真理と方法』 

ローティ哲学自然の鏡』 

セラーズ経験論と心の哲学』 

レイコフ『認知意味論』 

ダマシオ『生存する脳』 

クワイン『ことばと対象』 

ウエルバッハ『ミメーシス』 

ミード西洋近代思想史』 

ネグリ構成権力』 

クリステヴァ『詩的言語革命』 

ランシエール不和あるいは了解なき了解

クリシュナムルティ『生と覚醒コメンタリー』 

バルトエクリチュールの零度』 

マクルーハンメディア論

ボルツ『グーテンベルク銀河系終焉』 

キットラー『グラモフォン・フィルムタイプライター』

2026-03-27

anond:20260326174938

左派戦争反対意味が違う、という認識が間違いなんじゃない?

 

要は、ラッセルアインシュタイン宣言の言い換えだもん。

現代では人が死に過ぎるので戦争してはならない」←→「人が死に過ぎなければ戦争してもいいがそんなのは無理」

左派理論的支柱じゃん。

2026-03-08

からないのはメルセデスけが異常に速くて、メルセデスPUを積んだ他のチームがそれほど圧倒的なスピードがないことなんだよな。

これ、どういうからくりなんだろ?

今のレギュレーションでは、ワークスチームに供給するPUカスタマー供給するPUで性能差があってはならないと規定されている。

から物としては、全く同一のもののはずなんだ(品質は別だけど)。

からメルセデスPUを使うマクラーレンあたりはもっと競争力があって然るべきなんだよ。

だって0.7秒も速いポールタイムラッセルが刻んでるんだぜ?

なのになんでマクラーレンが他のチームとどんぐりの背比べをやってんだよ?って話。

メルセデスのことだから規定の裏をかいてなんかやってるよな絶対

2026-02-05

anond:20260205085943

核兵器禁止基本的原則を示した、ラッセルアインシュタイン宣言の要点は、核兵器は一度に死ぬ人の量が多すぎるし影響も長年残りすぎる、ということであった。

 

核兵器個人拳銃に例える比喩は、抑止力理解するための例えで使われるんだけど、つまり核兵器禁止や反対とは無関係だ。

2026-01-28

映画ランド・オブ・バッドを見た

現実戦争で起こっている現場基地の分断を描く意欲作だが作品自体が分断されてしまっている印象でちょっとノレなかったので62点。

 

新米JTACの弟ヘムズワースはフィリピン小島に囚われた情報員の救出作戦アサインされる。敵を発見するも敵が民間人虐殺し始めそれを救うために戦闘になりてんやわんや、チームは壊滅状態に。リアムは基地無人機オペレーター更新しながらあちこちを逃げ回る羽目に。で、まぁチームの生き残りと合流したり敵の基地に乗り込んだら捕まっちゃったりそこで拷問を受けて爆撃と同時に脱出して敵のボスを倒したりいろいろあってなんだかんだ脱出する。

みたいな話。

 

俺が見る映画に出てくる弟ヘムズワース、なんかいつも血まみれで命からがら逃げ回ってから逆転に転じてるな。

というのは置いておいて、まず冒頭、出撃前の主人公テーブルに載っている2種類の味のシリアルのうち、どっちを持っていくかをなんかずっと悩んでるところからまり、同様に基地から作戦を援護するラッセル・クロウの登場シーンは出勤後にコーヒーメーカーポーションがぐちゃぐちゃにされていることにブツクサ文句を言いながら設置し直すところから始まる。ここからもう既に軍人でありながら生活軍事作戦という意識で生きてしまっているということが提示される。

そして実際に現場戦闘に巻き込まれ生死の境を彷徨うことになる主人公基地からそれを必死に支えるラッセルのバディものとして展開していくが、ラッセル基地では同僚がみんなで集まってテレビバスケ試合熱狂しており、作戦が進むと「超過勤務からお前はもう帰れ」と引継ぎもそこそこにラッセルが指令室から追い出されるという、「戦場」と「基地」の分断が加速していく。

空軍基地という非常事態の場でバスケ試合に集中したいか電話も取らないという同僚らに対してラッセルが冒頭では「ちゃん電話には出ろ!俺の嫁今日出産するかもしれねぇんだ!」と怒るシーンが最後に「ガチ緊急事態の連絡すらおざなりに処理する」というサスペンスにつながり、ラッセルが怒りを爆発させテレビ破壊する展開は主人公との遠い共闘を経て「現実感を取り戻したラッセルVS能天気軍部」の対立構造として趣深い。

おそらく過去であれば空軍は「自分たち戦場まで飛んでって爆撃する」というリスク戦場を共にする覚悟を背負っていたので連帯感があったが無人機がメインとなった今では「なんか遠いところで戦ってる奴がいるらしい知らんけど」みたいな、もはや画面の前で戦争を見ている一般市民と同じ感覚になってしまっているという現代の軍のリアルを描きたいんだろうなというのはわかる。

主人公をJTAC(統合末端攻撃統制官)という現場で端末使って航空支援要請する担当にしたというのも現代戦闘リアルを描こうという観点から見れば面白い方法だと思うし、実際ド派手な戦争が始まるまでは結構興味深く見られた。

 

ただ、そういう2024?2025?年のリアル戦争というテーマが一面にはあると思うのだが、いざ戦闘が始まってから現場パート1990年代2000年初頭のようなアクション映画としてのミリタリーアクションになってしまう。個人的に一番近いのはエネミーラインとかかな。

新米JTACというポジションでオドオド戦闘に出るというのが面白ポイント最初戦闘ではチームの陰ではわわ~って感じだったのにいざ一人になると急に近接戦闘は強くなるし敵の銃は主人公には当たらず主人公の銃はなぜか当たり、都合のいいところで生きてた味方が合流し捕らえられ殺害される。水責め拷問を受けていたので爆撃による炎を避けられたって展開はちょっと面白かったけど、でもお前風呂から腕出して暴れてたたけど平気そう?ってのは気になるし、敵のアジト通路という通路を炎が覆ってたけど捕虜はみんなピンピンしてるし敵のボスもなぜか平気。

急にリアリティライン下がったな……って気になっちゃう。

敵のアジトを壊滅させようと爆撃指示をしたあとに捕らえられてしまい、自分が捕らえられている基地への爆撃を自分で指示してしまうという皮肉な展開は悪くない。拷問を受け基地の中を逃げ回りボスをぶち殺し最後の爆撃までに基地脱出しようと苦労する主人公とのカットバックで、指令室から追い出されたラッセルスーパーヴィーガンの妻の指示で買い物というミッションアサインされ苦労させられるってのも嫌いじゃないし、主人公がようやく電波が通じる場所に出て基地電話するもあしらわれ、ラッセル電話するもラッセルは妻と電話中。ようやく繋がってラッセル基地に急ぎながら電話するも基地バスケに熱中してつながらない。という「現場基地の分断」からくるサスペンス面白い

でもその結末が「いそいで基地まで戻って廊下を走って指令室に爆撃のゼロコンマ何秒前に何とか間に合って回避される」ってのぶっちゃけどうなん?いまさらそれ?90年代ミリタリーアクションを参照してるのはわかるし、そういうテンプレートとしての楽しさはあるけど、2020年中盤の戦争現代性をテーマとして打ち出しながらそれ?って冷めてしまった。

 

そんなこんなで航空支援無人化による現場基地の分断をテーマに描きながら、同時に現代リアル作戦事情90年代ミリタリーアクションの分断が俺としては非常に気になる。リアルにやりたいんかファンタジーやりたいんかどっちやねん!と座りの悪い思いをずっとし続けることになった。

とはいえ90年代ミリタリーアクションとしては予算感はないけど工夫とCGで迫力はあるしやろうとしていることの面白さは十分あるのでそういう映画として見るなら全然及第点はあると思う。実際、文中で挙げたエネミーラインって俺の中で75点くらいはあるからね。別にミリタリーアクションが嫌いなだけではないのよ。現代技術90年代アクションを撮ることが目的ですってことなら70点後半くらいはつけられると思うので、金ロー感覚で見るのがオススメ

2025-12-10

映画】アオラレを見た

正体不明サイコパスに追い詰められる系ホラーとしては骨太でよくできてるとは思うんだけど主人公にまったく感情移入できなかった。63点。

 

まぁ主人公交差点信号が変わったのになかなか発進しないピックアップトラックに全力全開クラックションを連発した結果、無敵の人ラッセル・クロウ死ぬほど追い回される話。

 

まず、俺はたぶん平均的増田思考人間なのね。被害者であっても瑕疵があれば被害者も悪いと思うし、それが女性だったらなお悪いと思っているタイプ匿名じゃなければ許されない発言)。

主人公の女は遅刻癖があって自分本位のくせに他責思考自分寝坊してガキは学校に遅れそうだし自分仕事に遅れそう。焦ってガキの制止を振り切って高速に乗るも大渋滞。度重なる遅刻に加えて本日遅刻(しか自分が予約が入っていたことを忘れていた)でついに太客にも愛想をつかされ「こんなに車が多いのが悪い」と車の中でブチ切れ。下道に入ったところで前のピックアップトラックがなかなか発進しないのでイライラにまかせて爆裂音量のクラックションを連発し、横からパッシングついでに手のひらヒラリのアメリカ侮辱ジェスチャーかます

しかしその先で渋滞につかまり、隣にはラッセルピックアップトラックが。落ち着いたトーンで「長尺のクラクション無礼では最初は軽くパッパッと鳴らすと習わなかったか」と話しかけてくるラッセルに対して「お前がいつまでも発進せんからやろ」と煽り返し、「考え事をしてた。いろいろイラついてて」と話すラッセルに「それはこっちもだよ!」とまた煽り返す主人公。「ぼーっとしてたのは謝る。ゴメンゴ。お前も無礼を謝ってくれたらおあいこにしよう」と提案するラッセルに「お前に謝ることなんかない!」と告げ、ラッセルブチギレ。

うん、主人公が悪いよ。

ラッセルが乗ってるピックアップトラックがいいよね。ちゃんカンガルバもついてて有害男性性の化身って感じがする。でもたぶんあそこで主人公が謝ってればたぶん何事もなく終わったんだよなぁ。

このあとキレたら一番怖そうなハリウッド主役級俳優ランキング上位入賞常連ラッセルピックアップトラック主人公を散々負いまわしながら片手間で主人公離婚弁護士をブチ殺し、主人公の弟のフィアンセをぶち殺し、主人公の弟を火あぶりにするという無敵の人すぎるだろ……という暴虐を働くのだが、これを怖いっていうかなんかスッキリするというか微妙感情になってしまう。

この手の映画にしては作中のロジックが割としっかりしていてなぜラッセルが周囲の人たちを次々と手にかけられるのか、なぜ追いかけてこられるのかということがちゃん説明されているのはよかった。そして、その一番大きな原因が「スマホロックの解除にいつも失敗してイライラするからからロック外したったわ!」というバカ主人公なのが、またこうアァン?って気持ちになる。

そして最後にはラッセルの目に商売道具のハサミを突き立てて「これが私からの回答よ!」つってハサミを根元まで蹴り込んでFatal KO。結局、イライラに任せてクラックション全開に大煽りしたことについては何も反省しない主人公であった。まぁ最後事件直後、信号無視して突っ込んできた車にクラックション鳴らそうとして思いとどまるシーンがあるんだけど、あん惨劇の直後にとどまれなかったらもう病気だよ。カウセンリングに行けとしかならないから、これをもって主人公が成長したとは取れなかったかな。あと火あぶりにされてた主人公の弟が生きてたのもマイナス

冒頭で主人公暮らしている地域貧困、それに伴う治安不安定化が報じられていて、この作品テーマとして他者への受容であったりコミュニケーションの欠如が巻き起こす悲劇であったり、危機感の欠如がもたらす悲劇であったりと言いたいことは明白でそこはよいとはいえ主人公が全部持ってないシンプルクズなので、クズVS無敵の人っていう誰に感情移入してみればいいの?ってなっちゃった

 

90分のほぼワンアイデア映画にしては意外と予算かけてるっぽいのも見られて、ゴア描写も頑張ってるし冒頭のラッセル最初事件では家一軒爆破してるし、カーチェイスではしっかり車の大破壊も見られてエンタメ映画としてのサービス精神も旺盛でよい。最後にはお家の中でのフィジカルアクションも見られるしこの手の映画で見たいものは大体全部見られる。

トラブルが起きて以降は次々と手を変え品を変えどんどん事件が起きるので見ていて中だるみするなみたいなこともほとんどないし、そのバリエーション豊富だしちょいちょい主人公こちらの裏をラッセルかいてくるのでスリラーとしての戦闘力は高い。

 

主人公イライラさせられっぱなしなところ以外はスゴイ面白い映画だったので、主人公みたいな人間を「うんうんそんな子いるよね」ってくらいにスルー出来る人だったら普通に楽しめる映画だと思う。もしくはこのイライラ自体を楽しんで最後に「やっぱイライラしてるとよくないことが起きるよね!」という他山の石映画として楽しむのもよいかもしれない。路上に出ないでロードレイジを味わえると考えればよくできてると思う知らんけど。

なのでオススメ

2025-12-07

でも実際のところ、フェルスタッペン首位を走ってるときに、ラッセルあたりがノリスと3位争いをしてたとして、果たして本気のバトルが出来るのかな?

別にルクレールでもいいんだけれど。

チャンピオン争いをしている当事者であるノリスとフェルスタッペンピアストリ以外の人間が彼らと本気のバトルが出来るのかな?

例えば、ラッセルが3位を走ってて、4位のノリスは、ラッセルを抜かないとチャンピオンになれない、って状況。

絶対にノリスはオーバーテイクしようとしてくるけど、そのときラッセルはどれだけ厳しい走りができるんだろうか?って話。

まあ、無理だろうな。守りきれるわけはない。そういう意味でもノリスは圧倒的な有利だ。

からノリスが自滅するとか、マクラーレン戦略的ミスをしない限りチャンピオンを逃すことは考えにくい。

ただ、それはただの理屈であって勝負事にはそんな理屈無意味であることも多い。

2025-12-06

今年読んで印象に残ってる本

今年特に心に残った10冊を、ジャンル横断的にまとめてみた。

『一億年のテレスコープ』春暮康一

ベストSF2024国内篇第1位に輝いた傑作SF

ハードSFとしての正統性を保ちながら、宇宙探査という壮大なテーマを描き切った力作だ。

フェルミパラドックス」を題材にした異文明との交流メガストラクチャーなどの概念主人公たちの旅を通じて、人類未来像を投げかける。

理系の読者はもちろん、哲学的思考を求める人にもおすすめできる傑作。

『習慣と脳の科学ラッセル・A・ポルドラック(著)

習慣がいかに脳の構造を変えるのか、神経科学アプローチ解説した一冊。

単なる「習慣を作ろう」という精神論ではなく、脳可塑性に基づいた実践的なアドバイスが詰まっている。

ネガティブ思考こそ最高のスキルオリバーバークマン

ポジティブシンキング限界を指摘し、「不安」や「恐怖」をいかに使いこなすかを論じた意欲的な一冊。

ストレス社会を生きる私たちにとって、心理学的に根拠のある思考法は本当に貴重だ。

バッタを倒すぜアフリコで』前野ウルド太郎

アフリカでのバッタ研究の奮闘記。

バッタ研究するためにアフリコに来たのにバッタがいないという自虐的な始まりから、その後の現地での奮闘が描かれる。

「令和のファーブル昆虫記」と評されるほど、学問的知見とユーモアが融合した傑作。

動物のひみつ』アシュリー・ウェルズ

動物たちがいかに協力し、社会形成し、生存戦略を立てているのかを、最新の研究に基づいて解説したノンフィクション

人間社会にも通じる共生メカニズムを学べる一冊。

『もしも世界からカラスが消えたら』松原

カラスという身近すぎる存在を改めて見つめ直すことで、生態系全体への理解が深まる。

アンチから悪友へというカラス愛も素晴らしい。

コードブッダ 機械仏教縁起円城塔

仏教思想AI古典テクノロジーが融合した野心的なSF

現代的な課題人類精神遺産を結びつける知的興奮。

『一番大切なのに誰も教えてくれない メンタルマネジメント大全』ジュリースミス

心理学者による実用的なメンタルケア本。

自己啓発系の中でも「実践的で医学的根拠がある」と高く評価された一冊。

感情管理というテーマは、今の時代ビジネススキル以上に重要リテラシーだと痛感させられる。

ビジネスパーソンはもちろん、日常的な不安ストレスに向き合うための方法論が体系的にまとめられている。

2025-10-18

ラッセル諸島北部小島群に点在しているカライリ族の人々が話すカライリ語に日本語に似た語彙が含まれていることを確認した。

特筆すべき例として、男性器を指す単語は 「シンポ」 と発音される。意味島内で「神聖象徴」を指す語として用いられ、日常会話の中で一般的使用されている。

その他、日本語に似た単語として「タマゴ」「ウミ」といった語も存在するが、意味日本語とは必ずしも一致せず、音声上の偶然による類似と考えられる。

2025-08-23

野良レモンです。ミックスリスト過去ログを溜めていました。9

こんにちは野良レモンと言います

テラボの登録名はNoralemontan、ノラレモンタン、になっていて変ですが、Tanを付けないと、当時のGoogleがなぜかアカウントをくれなかったからです。

でも、Tanを取って、ノラレモンよろしく

ここには、ユーチューブミックスリスト説明文の過去ログを溜めていたので、3つずつ載せて行きます

【まずユーチューブミックスリストの紹介を。】・

ADHDADD)/ASグレーゾーン Noralemon見た後のリスト

https://www.youtube.com/playlist?list=PL6rI5QtoBePzBZK17qNPaYJE9GcZ5pX3v 

ここの説明文の過去ログを、ここに3本ずつ置いていきます不定期です。1~2カ月に1~2回ぐらいにしようかと考えてます

ユーチューブ自動設定で付いている『後で見る』を公開しようか考えたことがきっかけで、やはり私が一度以上は見て、健全か、恐くないか心配事を確かめからが良いだろうと考え、『見た後の』リスト名前を付けました。

通常は10本前後動画と、説明文を入れ替え、入れ替えしているので、2本目のSNSのように利用しています

無料安全、難しい手続きなしで使えるらしいので。リストに載せたもの感想連想や思い出や言いたいことを、書きまくった場所

その説明文を、全部じゃないけどログを取っておきました。3本ずつ載せます。元の動画、URLがあるものも、無いものもあるけどごめんなさいね

【そしてブログの紹介。】・

ブログ名。『とまれ妖怪ゲンゴカー! シーサー版』

https://5502r4gengoka.seesaa.net/

ブログ記事の中にも、ユーチューブミックスリストリンクあります

▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ 

発達障害女子当事者のまとめ【HSPの方は注意】

他にもね、配偶者発達障害疑いで、カサンドラに陥って耐えて耐えている人たちのまとめもありました。胸が痛過ぎて載せられません(泣泣泣)

こちらは始めのほうで、元A〇タレント美女の話もなぜか出てくるから、そういう世界免疫の無い人は対策を推奨します。倍速で聞くとか。でも十数秒で終わりますねぇ。チョロッとで終わります

参考になる情報があるかは置いといて、悩んでる個人が大量にいて、ほんと社会の受け入れ体制とか、認知度とか、まだまだだなと。

日本先進国地位も手放さないし、国力も諦めずに上げていくつもりのはず。本当にするかどうかは知らんけど。社会はこれから進化して、進化していくつもりなら、フィットしない大人子どももまだまだ出てくるんだから、なにもしないわけにはいかないと思うのだ。置いてけぼり、許さない。私たちは、そう思うだけでも思う人権自由があるはず。

https://www.youtube.com/watch?v=BCAr2cv1cEk&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=102

https://www.youtube.com/watch?v=AF2rw4xajCY&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=105

https://www.youtube.com/watch?v=JlncPD8Gesw&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=110

市販薬の話。

ワクチン副反応なり、体調不良なり、とくに私のように雪に閉ざされる土地の民にとっては、命を救ってくれる市販薬。命は大げさでも、自力では耐えられない夜間の痛みとか、勤務中の痛み、病院に掛かってもどうにもしてくれないレベル女性特有の症状の痛み、二次障害などでどんなに救われてることか。感謝してます

からね、市販薬自由に使えなくなるかもしれない状況はとても怖い。自分意志が反映されない救急的な入院や、逮捕留置、薬を持ってない状態での山や海で遭難。こういうことを想像してしまうから私たち当事者たちのバックはパンパンに物で膨らむ。

この動画から読み取れることは、つまりは、眠くなる成分入っていますよ。この成分は危ないですよ。入っていない薬を紹介しますよ、ですよ。

症状が解決したら、市販薬は服用を打ち切りましょう。残りは収納場所を決めて取っておきましょう。治らなければ通院しましょう。眠気が出過ぎるなど体質を把握しておいて、それでも運転して通院したければご近所の病院にする。またはちょっと眠って、眠気を飛ばしてよーく考えてからにする。衝動的に動かない。自分判断力を超えたらしかるべき機関電話相談する。とりあえずごく当たり前のことをすべきだなと、そう思わされました。

https://www.youtube.com/watch?v=PAQQbvd_UMA&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=101

●『承認欲求』に支配されることの不幸さ

ラッセルという、アインシュタインとも組んで功績を出したことがある学者先生の話。(ラッセンじゃないよ。お絵描きはしないよ。物理哲学だよ。)

幼少期が、経済的身体虐待を受けて、まあよくこんなに真人間に! という努力に導かれた奇跡は、素晴らしいですが横に置きます

『認められることばっかりにとらわれると視界が狭くなるよ』ということだと私は捉えました。

自分欲求の充足ではなくて自分職業の使命をまっとうしなさいと。自分で目指した分野の向上を目指して、掘り下げたいところを見定めて、人からの評判に惑わされず研究しなさいと、そういうことなのではないかと私は考えました。

ネットには、社会適応挫折したので配信業になりました、という人をよくお見掛けしますが、お気の毒なのは、認められて数字を入れてもらわないと生計に関わるということです。だからテーマ無し、扱う分野無し、おしゃべりだけしましょうとか、視聴者の人テーマ決めてくださいとか、そういう人はお勧め(リコメンド)にいつしか出て来なくなります

私はなかなかに年を取ってしまいましたのでブログで、発達障害傾向の話、人生挫折してきたグレーゾーン当事者立場の話ができるし、読者の人たちへ向かって呼び掛けられますが、力不足で読者の人たちのニーズを上手に汲み取れていません。掘り下げたいことを掘り下げてもお金を誰もくれないから、働いていなければ、実家行政から「働きなさい」と言われるばかりですよね。でも働けないのが一部の当事者さんたちなのですよね。私も社会で決められた65歳よりも早く、そういう日が来る可能性が大いにあります。働いても向上とか功績とか残せるわけないくせに、他に生きられる方法が無いのです。

私たちは煽られやすく、つられやすいので、「認められたがりなさい」と言われればなにかしようと騒ぎます(たぶんネットですが)。

「静かにしなさい」と言われれば嗜癖依存に陥り二次障害悪化させるでしょうが、よく分かんないので言われるままに口を閉じます

本当の意味私たちが、他人に左右されない主体性を持って意志表示をしたら、私たちの非常に多くは「働きたくないです欲求満たしたいです」と言ってしまう気がします。

社会は、私たちに「頑張りなさい」「普通になりなさい」「病んでなさい」「休んでなさい」なにを言いたいのか何十年間経っても分かりません。お金要求したいですが「なにをさせたいですかちゃんと分かりやす提示してください」を、ふざけることなく、お仲間を振り回すことなく、社会要求として言うこと。言わないと詐欺のような人ばかりしかはっきりものを言ってくれない現実が続きますよ。

https://www.youtube.com/watch?v=ndDvAEUVGio&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=116

2025-08-04

dorawii@執筆依頼募集中

わかった気にさせる本が悪いとは言わないが、自分もっと厳密に分かりたいと思っていて、それで数学書を読むんだけど、こっちはこっちで「難しい議論をしている割に言葉足らず過ぎて分かりようがない」本になっているものが多すぎて、どないしろっちゅーねんって思いになる。

中学では十分証明問題になるような命題が、なんの説明もなくこれこれが成り立つ、だから~という調子フォローなく証明が続けられるのを見てきた。

それが許されるのなら中学生は「~相似であることを証明せよ」という問題に対して「相似が成り立つからだ」とだけ書けば正解答案として成立してしまうことになる。

思うに証明はいかに証明らしい言い回し言葉以外使ってはいけないかのような暗黙の了解もあるように感じる。

その割には術語を定義したときのその概念説明には割と自由度を持たせている傾向が見られる。

その概念が関わる具体例を使って概念目的を丁寧に説明していることも多い。

また証明といっても対角論法証明は初めて見る人間へのそのとっつにくさがさすがに自覚されるのかなぜ証明が成り立つのか表なりを書いてイメージの力の存分に援用するもうちょっとカジュアルな内容になっていることがある例外もある。

しかほとんどの場合そういった態度が証明(モード)では見られない。さらっと済まされてしまう。

これはある意味中学以来の伝統なのかもしれないと思った。

計算問題では途中式前後でも自由につまづきやすポイント解説した文章が挟まれたりするが、証明問題解説は模範解答でもって代えていた記憶がある。

まり模範解答の文章が難しく感じる人にとってはもうその解答を暗記するしかない。論語の丸暗記みたいなもの

そのままテストとかで通用するようにそういうような解答になっているのだろうか。

数学書論文として書いて格好悪くないものを、なんていう数学本質ではないことに配慮して「真似るべきもの」としてそういうスタイル証明記述しているのではないかと思える。

であるなら、証明全体が一番目の文、二番目の文…というふうに出来ていたとして「(一番目の文)と書けるのはこれこれがこのような理由で成り立っているからです。しっくりこない人のためにこの理由さらに掘り下げると~のようになっています。よって(数式)を証明最初に書くことになります。次に~なのでこの式が二番目に来ることになります~」という解説ではダメなのだろうか?

たこ解説はそのまま証明の一つの形にもなってないのだろうか?

そもそも証明とは万人にその事実が成り立つことを理解できるような形で書かれたものを言う。

一部の人にとって意味も分からず丸暗記するしかないようなものはもはや証明本来目的を満たしていない。

オーソドックス証明構成する文の全てが含まれてさえいるなら、それの言わんとすることをさらにわかやす説明した肉付けの部分が加わった上記のような形の解説証明の一つの形としていいのではないか

それをしていいという感覚がないことが世の中の数学書証明言葉足らずになっている一因になっているのではないか

もしそれが蛇足証明全体の厳密性を損ねるというのなら、コメントアウトのような記法を使えばいいと思う。

本来あるべき証明の一文

//これの言わんとするところは~

とか、必要に応じて

式//<は~

みたいな書き方をするとか。二番目の例はサクラエディタで一文が続いているときに折り返しで便宜上改行されていることを示す記法を参考にした。

証明が長くなりすぎてその始まりと終わりが分からなくなるという懸念については既に証明の行頭のさらに横の余白に記号をつけて開始や終了を示すようにした数学書存在するのでそれを他の数学書も参考にすればいい。

そもそも自然言語で書いている時点で完全な厳密性は諦めているわけなので、厳密だなんだと言うのはよりわかりよく書くことに対する言い訳にはならないと思う。

かといって従来の証明構成要素を押さえた書き方なのであれば、それは一般書籍にあるような「わかったつもりにさせる文章」というのとも一線を画す。

数学証明を完全に厳密に書こうとするとブルバキ数学原論ラッセルプリンピキアマセマティカみたいになってしまい、後者数学者には読む価値の無い本とされているし、前者にしても30年以上かけて刊行し続けて今だ数学の興味ある話題には到達できていないということになっているということから数学書は省略するということが好まれるらしい。

でも既に数学基礎論レベルの厳密さを求めてはいない一般的な数学書証明レベルの厳密さにわかやすさという要素を足し合わせたところで、原論並みに極端に嵩が増すということにはならないと思う。

自分で考えないとその概念とかが身につかないから省略しているという反論に対しては、逐一圧倒的な量の具体例を持ち出すことで十分に補えるのではないかと思える(それでもメリハリをつければ原論ほどのボリュームにはならない)。

数学書は本当にチンプンカンプン状態の本も多いので、考える力を身に着けさせるとか以前に、もっと理解できるような教えを工夫することに焦点を当てるべき。

考える力だろうがなんだろうが、そもそも書いてあることがわかんないってような構成の本ではしょうがないと思う。

コストがかかる割に日本語というローカライズされた市場で本が少しでも分厚くなるようなことはコストが回収できなくなるから避けたいという考えもあるのだろうが、それこそよほどの天才じゃなければはっきり言語化しないだけで私のような考えをしたことがある人はむしろ大半を占めていると思うし、比較的私の考えと同じ考えを持っていそうな裳華房の手を動かして学ぶシリーズがその出版社内のランキング上位を占めていた。

言葉足らずな数学書がまだまだ多い状況ではむしろどこぞのwebデザインの本のように何万部と売れるチャンスがごろごろ転がっているんじゃないかな。

わかりやす解説証明の一つの形として通用するようになれば、中高での試験答案においても純粋数学論文でもそういう文章証明として書いていいことになるのだから参考書数学書証明部分も丸暗記するしかないようなわかりにくいものではなくなると思う。

丁寧な証明

https://id.fnshr.info/2017/12/10/polite-proof/

というジョーク記事があるけど、挨拶から書くとかは全く数学的な主張の分かりやすさにはつながらないか意味がないとしても(とはいえ親しみやすさもわかりやすさにつながることを完全否定もできないんだけど)根っこの部分ではもしかすると書き手は私と同じ問題意識を持っていたのではないかと感じさせる。

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2025-07-20

参政党の憲法草案擁護する!

A(憲法学研究者):参政党の「新日本憲法(構想案)」に対する批判を見てると、驚くほど表面的で感情的な反応が多いよね。某教授の「怪文書発言なんて、学問議論とは程遠いもんだ。

B(政治哲学専攻):まさにその通りだ。彼らは「国は、主権を有し」という表現だけを取り上げて「国民主権否定」と断じてるけど、これは完全な誤読だよ。尾高朝雄の「ノモス主権論」を理解してれば、国家政治的統一体として主権を有することと、その内部での国民主権は何ら矛盾しないことが分かるはずなんだ。

A:カール・シュミットの『政治的もの概念』を読んでれば、参政党の発想が理解できるでしょ。むしろ抽象的な「国民」ではなく、具体的な政治的統一体としての「国」が主権を有するという考え方は、政治哲学的に極めて洗練されてる。

B:しかも、この草案根底にある思想は、ヘーゲルの『法の哲学』における「人倫(Sittlichkeit)」の概念と深く共鳴してるんだ。「家族社会の基礎であり、思いやりの心をもって互いに助け合う」という第7条は、まさにヘーゲル的な家族市民社会国家という人倫の発展段階論の現代表現だよ。

A:「主体的に生きる自由」という概念も、西田太郎の「絶対無場所」やエマニュエル・レヴィナスの「他者への無限責任」という思想とも共鳴する。「権理には義務が伴い」という発想は、存在論を超えた倫理学の地平からまれてるんだよね。

B:批判者たちは「個人尊重」がないと騒いでるけど、それこそ近代西欧個人主義限界を露呈してる。ルイ・デュモンの『ホモヒエラルキクス』やチャールズテイラーの『自我の源泉』が示すように、個人主義は一つの歴史的文化的構築物に過ぎないんだ。

A:参政草案は、そうした個人主義的前提を問い直す「ポスト近代」の憲法思想として読むべきだ。アラスデア・マッキンタイアの『美徳なき時代』が批判した「感情主義」的道徳観を克服し、共同体美徳回復しようとする試みだよ。

B:「天皇元首とする」ことを「戦前回帰」と批判する声もあるけど、これも浅薄だ。ヴァルター・バジョットの『イギリス憲政論』やカールレーヴェシュタインの『現代憲法論』を読めば、立憲君主制近代民主主義と十分に両立することが分かる。

A:エドマンド・バークの『フランス革命省察』以来の保守主義思想系譜から見れば、歴史的連続性を重視する参政党の発想は極めて正統的だ。ラッセル・カークの『保守主義精神』やロジャースクラトンの『保守主義とは何か』が論じる「伝統の知恵」の継承こそ、真の政治的知性なんだよ。

B:比較憲法学的に見ても、参政草案は決して特異ではない。モーリス・デュヴェルジェの『政治制度』やアレンド・レイプハルトの『民主主義民主主義』が示すように、「最善の憲法」なんてもの存在しない。各国の歴史文化社会状況に応じた最適解を探るのが真の憲法学だろ。

A:ところが、日本法律家の多くは完全に「司法試験脳」に毒されてしまってる。芦部信喜佐藤幸治といった「基本書」の記述金科玉条として崇拝し、それ以外の思考は一切受け付けない。まさに「暗記マシーン」の量産だ。

B:司法試験制度弊害は本当に深刻だよな。受験生は「基本書に書いてあること=絶対的真理」と刷り込まれ、独創的思考は「減点要因」として徹底的に排除される。その結果、弁護士になっても「権威への盲従」しかできない知的奴隷大量生産されてる。

A:特に憲法学なんて、本来政治哲学最前線であるべきなのに、司法試験受験生は「通説暗記」と「判例丸暗記」しかやらない。カール・シュミットもハンス・ケルゼンも読まず、ただひたすら「芦部憲法」を暗記してるだけ。これじゃあ学問じゃなくて職業訓練だ。

B:参政憲法草案を「読んでない」まま批判する弁護士がいたって話も象徴的だ。一次資料すら読まずに、某教授の「怪文書発言鵜呑みにして批判する。これこそ「司法試験脳」の典型的症状だろ。

A:参政憲法草案の「教育勅語尊重規定も、アリストテレスの『ニコマコ倫理学』以来の「徳倫理学」の復活として読めば、極めて現代的意義がある。マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』の議論を踏まえれば、功利主義的・義務論的倫理学限界を超えて、共同体美徳の涵養こそが真の教育目標であることが分かる。

B:「自衛軍」の保持を明記することへの批判的外れだ。ジョン・ロールズの『政治的リベラリズム』でさえ、国家自衛権基本的権利として認めてる。ケネス・ウォルツの『国際政治理論』やジョン・ミアシャイマーの『大国政治悲劇』が示すように、国際政治アナーキー自助システムなんだ。

A:結局、参政憲法草案への批判は、「司法試験脳」による知的怠慢と教条主義産物だ。彼らは「基本書」以外の思想世界存在することすら知らない。ポパーの『開かれた社会とその敵』が警告した「部族主義」に完全に陥ってるんだよ。

B:まさに「反知性主義」の権化だ。皮肉なことに、最も「知的エリート」を自称する連中が、最も知的探究心を欠いてる。司法試験という「暗記ゲーム」の勝者が、真の学問議論破壊してるんだからな。

A:トマスクーンの『科学革命構造』が論じる「パラダイム転換」が、日本憲法学にも必要だ。でも「司法試験脳」に支配された法曹界では、そんな知的革命は起こりようがない。

B:レオ・シュトラウスの『自然権歴史』が指摘した「歴史主義危機」を克服し、普遍的価値特殊伝統統合を図る参政憲法草案は、21世紀政治哲学が直面する根本問題への一つの回答として評価されるべきだ。ハンス・ヨナスの『責任という原理』やフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』後の新たな政治的可能性の探求として、この憲法草案は読み直されるべき知的財産なんだよ。

2025-07-19

参政憲法草案擁護する

A:「新日本憲法(構想案)」に対する批判を見てると、驚くほど表面的で感情的な反応が多いよね。某教授の「怪文書発言なんて、学問議論とは程遠いもんだ。

B:まさにその通りだ。彼らは「国は、主権を有し」という表現だけを取り上げて「国民主権否定」と断じてるけど、これは完全な誤読だよ。尾高朝雄の「ノモス主権論」を理解してれば、国家政治的統一体として主権を有することと、その内部での国民主権は何ら矛盾しないことが分かるはずなんだ。

A:シュミットの『政治的もの概念』や『憲法論』を読んでれば、「主権者とは例外状況において誰が決定するかを決める者である」という有名な定義からも、参政党の発想が理解できるでしょ。むしろ抽象的な「国民」ではなく、具体的な政治的統一体としての「国」が主権を有するという考え方は、政治哲学的に極めて洗練されてる。

B:しかも、この草案根底にある思想は、ヘーゲルの『法の哲学』における「人倫(Sittlichkeit)」の概念と深く共鳴してるんだ。「家族社会の基礎であり、思いやりの心をもって互いに助け合う」という第7条は、まさにヘーゲル的な家族市民社会国家という人倫の発展段階論の現代表現だよ。

A:それに加えて、「主体的に生きる自由」という概念は、単なる近代自由主義を超えた深みがある。これは西田太郎の「絶対無場所」における「個と全体の論理」とも通底するし、エマニュエル・レヴィナスの「他者への無限責任」という思想とも共鳴するんだ。

B:レヴィナスの『全体性無限』や『存在するとは別の仕方で』を読めば、「権理には義務が伴い」という発想が、存在論を超えた倫理学の地平からまれてることが理解できる。これは「顔と顔の関係」における根源的責任制度化なんだよね。

A:批判者たちは「個人尊重」がないと騒いでるけど、それこそ近代西欧個人主義限界を露呈してる。ルイ・デュモンの『ホモヒエラルキクス』やチャールズテイラーの『自我の源泉』が示すように、個人主義は一つの歴史的文化的構築物に過ぎないんだ。

B:まさに。参政草案は、そうした個人主義的前提を問い直す「ポスト近代」の憲法思想として読むべきだ。アラスデア・マッキンタイアの『美徳なき時代』が批判した「感情主義」的道徳観を克服し、共同体美徳回復しようとする試みとも言えるだろうね。

A:「天皇元首とする」ことを「戦前回帰」と批判する声もあるけど、これも浅薄だ。ヴァルター・バジョットの『イギリス憲政論』やカールレーヴェシュタインの『現代憲法論』を読めば、立憲君主制近代民主主義と十分に両立することが分かる。

B:むしろエドマンド・バークの『フランス革命省察』以来の保守主義思想系譜から見れば、歴史的連続性を重視する参政党の発想は極めて正統的だ。ラッセル・カークの『保守主義精神』やロジャースクラトンの『保守主義とは何か』が論じる「伝統の知恵」の継承こそ、真の政治的知性なんだよ。

A:それに、比較憲法学的に見ても、参政草案は決して特異ではない。ドイツ基本法の「戦う民主主義」、フランス第五共和制憲法の強力な大統領制さらにはシンガポールの「共同体自由主義」など、多様な憲法モデル存在する。

B:モーリス・デュヴェルジェの『政治制度』やアレンド・レイプハルトの『民主主義民主主義』が示すように、「最善の憲法」なんてもの存在しない。各国の歴史文化社会状況に応じた最適解を探るのが真の憲法学だろ。

A:ところが、日本法律家の多くは完全に「司法試験脳」に毒されてしまってる。芦部信喜佐藤幸治といった「基本書」の記述金科玉条として崇拝し、それ以外の思考は一切受け付けない。まさに「暗記マシーン」の量産だ。

B:司法試験制度弊害は本当に深刻だよな。受験生は「基本書に書いてあること=絶対的真理」と刷り込まれ、独創的思考は「減点要因」として徹底的に排除される。その結果、弁護士になっても「権威への盲従」しかできない知的奴隷大量生産されてる。

A:特に憲法学なんて、本来政治哲学最前線であるべきなのに、司法試験受験生は「通説暗記」と「判例丸暗記」しかやらない。カールシュミットもハンス・ケルゼンも読まず、ただひたすら「芦部憲法」を暗記してるだけ。これじゃあ学問じゃなくて職業訓練だ。

B:しかも彼らは自分たちが「法律専門家」だと勘違いしてる。実際は条文と判例検索能力しかないのに、哲学思考力があると錯覚してるんだ。マックス・ヴェーバーの『職業としての学問』が説く「知的誠実性」からは程遠い状況だよ。

A:参政憲法草案を「読んでない」まま批判する弁護士がいたって話も象徴的だ。一次資料すら読まずに、某教授の「怪文書発言鵜呑みにして批判する。これこそ「司法試験脳」の典型的症状だろ。

B:結局、司法試験制度が作り出してるのは「思考停止した権威主義者」なんだよ。ニーチェの言う「価値の転換」を恐れ、既存の枠組みから一歩も出ようとしない。真の知的勇気なんて微塵もない。

A:参政憲法草案の「教育勅語尊重規定も、表面的には批判されてるけど、アリストテレスの『ニコマコ倫理学』以来の「徳倫理学」の復活として読めば、極めて現代的意義がある。

B:マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』やアルフレッド・マッキンタイアの議論を踏まえれば、功利主義的・義務論的倫理学限界を超えて、共同体美徳の涵養こそが真の教育目標であることが分かる。

A:それに、ユルゲンハーバーマスの「憲法愛国主義」論も、単純な個人主義民主主義では共同体統合は困難であることを示してる。参政党の「国体概念は、そうした統合原理模索として理解すべきだ。

B:ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』が論じる「国民概念の構築性を考えれば、「日本らしさ」を憲法に込めることの重要性も理解できる。単なるノスタルジーではなく、アイデンティティ政治学の観点から極めて現代的な試みだよ。

A:また、「自衛軍」の保持を明記することへの批判的外れだ。ジョン・ロールズの『政治的リベラリズム』でさえ、国家自衛権基本的権利として認めてる。むしろ現実安全保障環境直視しない「平和憲法」の方が非現実的だ。

B:ケネス・ウォルツの『国際政治理論』やジョン・ミアシャイマーの『大国政治悲劇』が示すように、国際政治アナーキー自助システムなんだ。理想主義平和論では国民生命財産は守れない。

A:結局、参政憲法草案への批判は、「司法試験脳」による知的怠慢と教条主義産物だ。彼らは「基本書」以外の思想世界存在することすら知らない。ポパーの『開かれた社会とその敵』が警告した「部族主義」に完全に陥ってるんだよ。

B:まさに「反知性主義」の権化だ。皮肉なことに、最も「知的エリート」を自称する連中が、最も知的探究心を欠いてる。司法試験という「暗記ゲーム」の勝者が、真の学問議論破壊してるんだからな。

B:その通りだ。トマスクーンの『科学革命構造』が論じる「パラダイム転換」が、日本憲法学にも必要だ。でも「司法試験脳」に支配された学界では、そんな知的革命は起こりようがない。彼らは「減点される」ことを何より恐れる臆病者の集団からね。参政党の「創憲」の試みは、そうした硬直した知的風土への根本的挑戦として、歴史的意義を持つだろうね。

A:最後に、レオ・シュトラウスの『自然権歴史』が指摘した「歴史主義危機」を克服し、普遍的価値特殊伝統統合を図る参政憲法草案は、21世紀政治哲学が直面する根本問題への一つの回答として評価されるべきだ。

B:まさに。ハンス・ヨナスの『責任という原理』が提起した未来世代への責任や、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』後の新たな政治的可能性の探求として、この憲法草案は読み直されるべき知的財産なんだよ。

2025-06-07

anond:20250602170052

なんか意味のあるようなことを言ってるつもりになってるかもしれんがラッセルパラドックスみたいな無意味な主張してるってことはない?

dorawiiより。

2025-06-03

三大バスケファンしか知らない選手

・アントワン・カー

ジェフ・ホーナセック

ブライオン・ラッセル

あとひとりは?

2024-12-11

Shogun』に黒人はどこにいるのか?

ウィリアムスパイビー 2024年3月8日 3分で読む

日本の諺に「侍が勇敢であるためには、黒人の血を少しは受け継いでいなければならない」というのがあります。もしそうだとしたら、FXの大ヒット作「将軍」には、怯える剣士がたくさん登場します。

(略)

2024年版は、日本人の視点に大きく焦点を当てている。ポルトガルスペインイギリスオランダ代表する最初エピソードに登場する白人キャラクターは、英雄的とは到底言えない。しかし、現在コスモジャーヴィスが演じる ジョン・ブラックソーンというキャラクターは、すでに重要人物であり、数人の日本キャラクターとともに英雄となるだろう。他の人々は、すでに10構成の新しいシリーズを、1980年から文化的な大転換として賞賛している。私は、1980年に無邪気に尋ねなかった質問を今尋ねる。黒人はどこにいるのか?

(略)

歴史家ジョン・G・ラッセルは、 「排除された存在将軍吟遊詩人ボディーガード、そして日本黒人との遭遇」という論文執筆しました。彼は、黒人がさまざまな立場日本に到着したこと、そして黒人の中には日本人の使用人を所有し、奴隷にしていた者もいたことを記録しまし た。

ショーグンの主な舞台大阪で、 このドラマ放送間中大阪日本経済の中心地であり文化の中心地でした 。日本黒人がいたとしたら(実際にいた)、彼らも大阪にいたはずです。必ずしも人々の中に自由に住み、歩き回っているわけではありませんが、ヨーロッパ使節団の一員としていたことは確かです。おそらく、2024年版のショーグンは、将来のエピソード画期的なことをして、当時存在していた黒人を登場させるでしょう。1980年にはそうではありませんでした。描かれている日本人にはさまざまな色合いがあり、そのうちの1人が黒人であることが明らかになるかもしれません。日本船とヨーロッパ船が戦う海軍のシーンがいくつか予定されているため、黒人船員の一部が歴史的正確さを反映していることが期待されます

https://www.levelman.com/where-black-people-fx-shogun/

2024-10-21

あの場面、ノリスとフェルスタッペン立場が逆だったら、

フェルスタッペンレッドブルならポジションをすぐに返していたはずだ。

それも自分たちに一番都合の良い場所で一瞬ポジションを返してすぐさま再オーバーテイクしかけていたはずだ。

マクラーレンが甘いのはエイペックスがどうのこうのと主張して、これまでの過去の判定やこの日のスチュワート判断を全く無視していることだ。

この日は同じシチュエーションでガスリーに5秒ペナルティラッセルも5秒ペナルティ角田にも5秒ペナルティとかなりわかりやす判例がすでに示されていた。

にも関わらずポジションをフェルスタッペンに一度返すようにノリスに指示しないのはボーンヘッドと言われてもおかしくはない判断といえる。

フェルスタッペンなら絶対にそんな甘いことはしない。

そもそもフェルスタッペンがあれだけラフプレーが多いのになぜペナルティを受けないのか?

そこを真面目に考えたことがあるのだろうか?

ワールドチャンピオンに対してスチュワートペナルティを与えるのに及び腰になっているとても考えているのか?

そうではない。

フェルスタッペンルールで何が許されていて何が許されていないか、その部分を熟知している。

たぶん強烈に勉強したのだと思う。

じぶんでルールブックを読んだのか、頭のいい人に読ませて教えさせたのかはわからないが。

とにかく彼はルールを熟知してる。

それはデレク・ワーウィックもそのようなコメントをしていたように記憶してる。

「彼がどれだけ高度なテクニックを使っていると思っているんだ?」

(彼は巧妙にペナルティを受けないようにドライビングしているんだ。というような意味。F-1ではドライビングログが残るのでスチュワート判断に迷うときにはそのログを見てルール違反した動きだったかどうか判断する場合がある。)

そんなことを言っていたはずだ。

フェルスタッペンがよくやる行動のひとつとして、直線からのブーレキング時に進路変更を何度もしているように見えるという行動がある。

マグネッセンあたりがやったら一発でペナルティをもらうような走らせ方だ。

でもフェルスタッペン場合ノートすらされない。

なぜか?贔屓されているのか?

もちろん違う。

彼はどのような手順で車を動かせばルール抵触しない形でえげつないブロックを出来るかを熟知し、そして驚異的なマシンコントロール技術でそれを実行しているのだ。

彼はおそらく2021年の熾烈なルイス・ハミルトンとのチャンピオン争いのときに痛感したのだと思う。

自分が、いかルールに対して無知であるか?ということについて。

この行動がペナルティを受けるのかそうでないのか?明確に理解していないままハミルトンと強烈なバトルをしていたことを反省したのだと思う。

あのときスチュワートワールドチャンピオン争いに水を指すのをためらって二人のバトルに関しては極力ペナルティを与えないようにしていた。

あのときは本当に忖度があった。

それによってフェルスタッペンは救われた場面が一度や二度ではなかった。

とくにブラジルグランプリであのときペナルティを受けなかったのは本当にラッキーだった、と後にヘルムートマルコが語るような無茶なことをやってしまっていた。

でもいまのフェルスタッペンは違う。

彼はしっかりと何が許されて何が許されないか正確に理解している。

もちろんだけれど他のドライバールールは知っている。

しかしフェルスタッペンと他とではオタク非オタクくらいに知識量の範囲と深さが違うはずだ。

それほどフェルスタッペンドライビングは巧妙である

2024-09-15

ラッセルの黄旗無視ペナルティ適用されず。

まただよ。

また英国ドライバー限定優遇措置だよ。

黄旗がちょうど位置的に死角になっていたということで情状酌量されてるんだけど、

コースオフしているマシンは見えているわけなんだから当然イエロー判断して減速するべきだった。

よってグリット降格ペナルティ……という裁定が非英国ドライバーであれば下されていたはずだ。

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