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2026-01-22

映画ブラックジャックを見た

基本的に#真相お話しますと同じ結論原作を読めばいいです。30点。

 

医学生の友人が海外自殺医学生の下にその遺骨が届く。骨壺には謎のクリスタルオブジェが入っており医学生は友人の死の不信からオブジェ調査を始め、その過程で謎の天才外科医ブラックジャック出会う。で、まぁいろいろあってブラックジャック獅子面病という顔が変形してしま病気にかかった妻の夫から手術の依頼を受けるが、妻は人生を儚んでルスカロマ所属暗殺キリコ安楽死を依頼していた。ブラックジャック彼女を救えるのか。そして医学生の友人の死の真相とは。

みたいな話だった気がする。知らんけど。

 

Netflix映画ジャンルに来てたので映画として見たんだけど、なんか途中のシーン転換で左下に「ブラックジャック」って出ててこれドラマやないかーいってなったので、出てくる奴らがもうみんなコスプレすぎるし演技がやりに行きすぎててうんざりするというようなところには目を瞑る。

ただそれはそれとして一本の作品としての志が低すぎる。

原作ブラックジャックは、もろちん人間ドラマとしての強い側面を持っていることは俺も否定しないが、医療漫画としての強度に決して手を抜いていない部分が大きな魅力であるはずだがこのドラマ映画版ではまともに手術シーンをほとんど映さない。

最も長尺でやった鉄骨に挟まれたガッキを救うために両腕を切断しくっつけるシークエンスも何をやっているかを一切画で見せない。ドラマから……じゃ説明がつかない。医龍だってドクターXだってブラックペアだってちゃんとやってた。これはドラマでもできることのはずだ。でもやってない。

もっとどうでもいいグダグダしたドラマパートを切って医療シーンを入れるべきだったと思う。

 

じゃあ人間ドラマオミットした医療作品としての部分を補えているかというとそうは思えない。

本作は「金持ちのドラ息子のために善良な市民内臓全部入れ替える(と見せかけて、善良な市民の顔をドラ息子とすり替える)話」「鉄骨に挟まったガキの両腕を切断してくっつける話」「獅子面病の患者を助ける話」「内臓ピンクダイヤを埋め込む話」「キリコが毒殺しようとするも救う話」の5つを採用してるけど

鉄骨の話とピンクダイヤの話は1本の作品として見た時にぶっちゃけまったくいらない。ハンバーグに入ってるパン粉くらいの必要度。ほないるかぁ。いらない。

かろうじて呼応しているはずなのは「ドラ息子の顔をすり替える話」「獅子面病の話」でこれはどちらも「顔が変わってもそれは同じ人なのだろうか」という面白いテーマとして語る価値があると思うのだが、そこに関してはほとんど触れられない。めっちゃ不満。医学生の友人は顔が変わったけど生きてて、獅子面病も治ってよかった~!おわり。

敢えて褒めるべきところを探すとしたら原作では悪徳警官獅子面病になった息子を無理やり助けさせる話だったのが、今作では「妻の顔が好きすぎて拝み倒して結婚した冴えない男が妻の顔が変形するという境遇になって愛とは何なのかに向き合う」という形に改編したこと。そしていつも通りBJ大金吹っ掛けられるんだけど妻の顔が変わったことで愛がすでに薄れ始めていてハイとは言えない。そうこうしているうちにキリコ暗殺計画は進行して……というサスペンスとしての面白みはあるかな

 

そして今作でいろいろ改変がされてるんだけどほぼ全部うまく行ってない。

骨壺に入っていたオブジェBJが手術に失敗した人の身体の一部を埋め込んで戒めとしていたという謎設定が生えてくるんだけど、まぁそれ自体BJそんな奴か?という部分はありつつ是非が分かれていい部分かもしれんけど、なんで「死んだドラ息子の身体の一部で作ったオブジェ」を顔を挿げ替えた善人の関係者の骨壺に入れたん?意味わからんやろ。

渡すとしたらドラ息子の父親のほうやろ。「フフ、そういえばこんなものをもらったのですが私には必要のないものでしてね。手術成功の記念にもらってやってください(まぁその中身、お前の息子の遺体の一部なんやけどな)」だったらまだ理解できるけど、医学生はなんの知り合いでもないドラ息子の身体の一部なんかもろてどうすりゃええねん。

そして無理やりくっつけられたキリコパート増田で一時期話題になった「キリコ性転換問題」ってこれのことだったんかと懐かしみつつ、キリコが女になったことで何か妙にウェットになってるの解釈違いやわぁと思いつつそんなことは些細なことで。

原作ではキリコ安楽死実行寸前にBJが駆けつけて患者を奪い治療を行うという展開だったと思うのだが、今作ではキリコが渡した安楽死キット(ナニソレ)を獅子面病の妻が使用してほぼ死んでしまう。そして妻の死に面した夫は「顔じゃなくて妻を愛していた」ことに気づいてBJに金はないけど俺の身体を使って(ホモ奴隷になるってこと?)くれ!と言い、BJはいものドヤ顔で「それが聞きたかった!」と服を脱ぎだすんだけど(存在しない記憶)。

いや、薬剤注射で死にかかってる人間を助けるのって天才"外科医"のBJ仕事じゃなくね?内科医仕事じゃね?いや、知らんけど。原作では元々BJが手術で救えるはずだった人を手術で救う話だったからいいんだけど、安楽死注射打って死にかけてる人をBJが救うのちょっと難しくね?これって気にしすぎ?

まぁ結局死ぬんだからなんでもいいじゃんって言われたらそれはそう。

でもあの最後死ぬ展開も原作では、手術しないと死ぬ(しても死ぬかも)→安楽死させてあげよう→いや俺が救う→救えた!→でも別の事故(事件)で死ぬ→死なせとけばよかったのにVSそれでも俺は救う!の対立諸行無常があったけど、今作では顔が奇形でもう死にたい→殺してあげる→自分死ぬわ→グエー死んだンゴ→命も救って顔も戻す!→ありがとう→帰り道に事故で死にましたになっててシンプル脚本書いたやつ性格悪いなってなっちゃってる気がする。

 

別に実写化フォーマットの変更にあわせて内容を変えたりオリジナル要素を入れるなとは言わないんだけどなんでそこの検証おざなりにしてしまうんだろう。一本の作品としていいものを作ろうって気持ちがすごい薄く感じる。これが映画として撮られてたらさら10点引いてもいい。

ブラックジャック連作品はどんな出来であれ全部見たい!って人にはオススメ

2026-01-19

spec駆動開発の流れ、自分はだいたいこんな感じでやってるんだけど、これであってるのかなぁ?

CLAUDE.md や rules / skills みたいな形で、重要コーディングルールはあらかじめかなり固めておく。

たとえば repository 層や Entity 層は具体的にどう書くのか、テストケースはどういう書き方をして、どういう観点で項目を洗い出すのか、みたいな AI への指示は最初から用意しておく。

あと、linter や ArchUnit、dependency-cruiser みたいなアーキテクチャ制約も、自分なりの定石を持っておく。

割と過剰なレベルガチガチに固める感じで、アーキテクチャルールも「◯◯は XXX に依存できない」みたいなブラックリスト式じゃなくて、「◯◯は XXX だけに依存できる」みたいなホワイトリスト式の方が良いと思っている。

ts 前提だと eslint や tsconfig は一番厳しい水準に設定する、流石にきつい部分でてきたらそこだけ緩める、という運用

おすすめなのは、何かしらの小規模案件個人開発アプリを1つオーバーエンジニアリング上等でガチガチ構成で作っておく。

そこで出てきた linter 設定やプロンプト設定を、別案件に横展開する感じ。

正直、ガチガチすぎると MVP とかレベルだとコード量は増えるけど、メンテする前提の案件ならバイコーディング時代だと普通にペイすると感じている。

まずは仕様書作りから入る。

アイディアを思いついたら、AI と壁打ちしながら仕様を洗い出していく。

手書きドメイン図を書いて、それを写メ撮って画像認識仕様整理、みたいなのも割とアリだと思っている。

どういう画面があって、どういう入力項目や表示項目が存在するか、バックエンドはどういうエンドポイント必要か、この辺りは最初に一通り洗い出しておく。

それに加えて、ユーザーが初めてトップページを開いてから登録ログインして実際にサービスを一通り使うまで、みたいな流れをそのまま Playwright のシナリオテストに落とせそうな形で何パターン仕様書にしておく。

全体の仕様書としては、あまり細部まで踏み込まない。

大枠が共有できていれば OK というスタンス

開発に入ったら、最優先はドメインオブジェクト作成

ここは最重要だと思っているので、あまり作業を並列化しない。

フロントエンドで、DDD における集約みたいな概念がそのまま当てはまらない領域についても、設計時点で洗い出せているなら Entity 的なものドメインサービス的なロジック用のレイヤを作って、ドメインオブジェクトとして実装していく。

最初に作った基本設計ベースに、◯◯Entity、XXEntity、△△Entity……を作るためのプランチェックリスト形式TODO を 1つの md ファイルに吐き出してもらう。

フェーズごとにフォーマッタ、linter、アーキテクチャルールなど一括実行したコマンド実行させて失敗してたら成功するまで修正繰り返させる。

ある程度わかりやす単位AI に依頼する感じで、出来上がったコードレビューする前提なので、実装プランmd 自体はよほど分かりやすツッコミどころがない限り細かくレビューしない。

mdフォーマットは skills 側で事前に用意しておく。

フロントエンド用、バックエンド用の両方でドメイン層のファイルを作る。

当然、足りないロジックは後から絶対に出てくるけど、最初から完璧は目指さない。

TODO 一覧の中から自分認知負荷が許す単位で「チェックリストのここからここまで実装して」と指示を出し、実装が終わったら TODO 項目のチェック状態更新してもらう、mdファイルコミットに含める。

コミット前にはlint ルール無効化していないか意図通りの実装になっているかgit diff差分で必ず確認する。

ドメイン層の実装が終わったら、そこからは並列で進める。

git worktree を使うことが多い。

よくやるのはフロントエンドの画面モック作成バックエンド実装の2並列で行う。

3並列以上はまだ自分脳みその性能が追いついていない。

フロントエンドも当然 spec 駆動前提。

実装プランを考えてもらうときは「◯◯画面を実装プラン考えて」くらいの単位で依頼する。

実装プランmd ファイルを作るときプロンプトには、基本設計の〇〇画面の項目一覧をベースに、◯◯のアイテムコンポーネントリストコンポーネント、◯◯のボタンコンポーネント、Information コンポーネント、外部通信用の ◯◯Gateway実装する、◯◯コンポーネントは既に ◯◯ 機能実装してあるからそれを使って、◯◯は処理が膨らみそうだからドメインサービス実装して、みたいな感じで頭の中のふんわりしたイメージを伝える。

詳細な名前とかは、AIにいい感じに考えてもらう。

バックエンドも同様で、◯◯のエンドポイントを作って、Gateway がこれこれ必要から実装して、これはインターフェース実装分けてね、Entityへの変換処理は関数分けて、◯◯の処理は Usecase 層で、◯◯の処理はドメイン層で、Usecase が膨らみそうだから ◯◯ の処理は独立したクラスにして、あ、似たようなのが ◯◯ 機能にあるからそれを参考にして、くらいの粒度で指示を出す。

フロントエンド実装を待っている間に、バックエンドプランを考えたり、タスク粒度を調整したり、リファクタリングプランを考えたりする、またバックエンドAI待ち時間フロントエンドのことをする。

フロントエンドオンリー実装とかで作業が競合するリスクあるときは並列作業しない。

チェックリスト更新が終わるごとに差分確認して、問題なければコミットメッセージ提案してもらってコミットする。

コミット粒度はあまり細かくしない。

細切れにするコストよりも、レビューする人間認知不可が許すレベルであればある程度まとまった単位レビューして実装速度を優先する派。

チーム開発ならもうちょっとちゃんとする。

テストは、ある程度実装が進んでリファクタリングが辛くなってきたタイミングで作ることが多い。

カバレッジミューテーションテストなど、定量的テスト評価できる仕組みは導入する。

バックエンド側のテスト実装は正直かなり楽で、行数や認知的複雑度を厳しく制限して単一責務の原則を守って実装しておけば、AI がかなり高精度なテストを出してくれる。

これもテストファイル実装プランを作ってもらって「ここからここまでのテスト20ファイル実装してね」をレビュー挟んで繰り返す感じ、例えばミューテーションテストのkill率100%ならそんなに詳しくは見ない。

フロントエンドテスト定量指標での評価が難しいので、そこはその分レビューを頑張るしかない。

自分はこんな感じでやっている。

感覚としては、優秀だけどシステムアーキテクチャ全体の責務を負ったことはない経験不足の2年目やSESの部下を扱うEMに近いのかなぁ。

周りの話を聞いていると、もっともっと AI自律的にいろいろやらせているようにも聞こえる。

これでも 1日1人で数万行レベルコードを書けてるので、AIない時代に比べると数ヶ月分の成果を1日とかで出してることになるが、もっと本気出せるのかなぁ。

それでも人間干渉しすぎなんだろうか。

「全機能プラン作ってね!そこから良い感じの粒度コミット自分でやってね!」みたいな指示を良い感じに出せたとしても、指示がでかすぎると、脆弱性盛々になったり、lint エラーループでパニクって linter オフにし始めたり、テスト通すためにエラー握りつぶして assertTrue(true) し始めたりする。

それは流石に許容できないレベルじゃない?が紛れ込むリスクが上がりすぎるんじゃないかなぁ。と思ってるんだがどうだろうか。。。

あとツールあんま入れてないねkiroとかspec-kitとか、ガチガチ細切れで仕様書作るメリットあんま感じなかった。

mcpserenaくらいしかいれてないや、トークン節約してレートリミット猶予伸ばした方が結局開発早くなるかなって。

いろいろ入れた方がいいんだろうか。

完全にオレオレでこんな感じでやっているんだけど、みんなspec駆動開発というものをどんな感じで、具体的にどうやっているのかが知りたい。

2026-01-17

anond:20260116212030

このジャズピアニストの方はおいくつなのかな?

炎上した投稿否定的感情によるものなのは明らかだし、引用された人には理不尽な話だから叩かれること自体自然だけど、享受できる文化レベル格差を目の当たりにしてショックで露悪的になったという流れはリプ見ればわかるし、なんなら下から目線自虐じゃないのあれ。格差に当てられてる自分(笑)みたいな。

あれをただの文章フォーマットから冷笑」と受け取るのは不思議。まったく対象を腐させてないじゃん。

それにまあ自虐よりも攻撃的なルサンチマンで言っていたとしても攻撃対象ジャズだのジャズ喫茶ではなく気軽にカルチャーアクセスできる環境なのは一目瞭然だよね?

その上あれだけ滑ってるツイートジャズジャズ喫茶に萎縮して手出せなくなる人なんて、ほんとに大量発生すると思ったのかな?そんな悪影響あると思うかなあ…。

田舎者は捻くれてるからそういう言葉をかけられて育ったためそういう負の連鎖冷笑ツイートをしたのだろうというコメント複数見たけど、性格なんて関係なく田舎高校まで過ごした大人があれ目の当たりしたらそれなりにダメージ食らうでしょ。嫉妬するのなんて当たり前じゃない?嫉妬というほど攻撃的で元気のある感情でもないけどね。ただただダメージ。そういうの丸切り見えてないのか、見えた上下国民が分をわきまえない罰を上乗せする意味で吊し上げてるのかどっちなんだろう。

2026-01-15

怪物

「すれ違いを多角的に描き、核心をあえてボヤかす」という手法が、今の日本映画を「内向きで、責任逃れで、カタルシスのないもの」にしてしまった、という不満ですね。なぜそう感じられるのか、構造的に整理するとその「ダメダメさ」の正体が見えてきます

### 1. 「相対化」という名の逃げ

立場が変われば正義も変わる」という描き方は、一見すると知的で深みがあるように見えますしかし、それを繰り返すうちに、映画が**「結局、誰も悪くないよね」「みんな事情があるんだよね」**という、ぬるい着地点に落ち着く原因になっています

**本来映画:** 悪や矛盾対峙し、たとえ絶望的でも何らかの「答え」や「決着」を提示する。

**今の日本映画(本流):** 「正解はない」という状態をそのまま提示して終わる。これが観客からすれば「作り手の責任放棄(手抜き)」に見えてしまます

### 2. 「でっちあげ」を娯楽のダシにする残酷

質問者さんが仰ったように、この映画冤罪事件でっちあげ)の構造プロットエンジンとして使いながら、最後子供たちの繊細な感情問題スライドさせて幕を閉じます

これは、社会的問題冤罪システムの欠陥)を、**「個人の心の機微」という美しい物語で上書きして隠してしまった**とも言えます社会派を気取りながら、肝心な部分では「文学的雰囲気」で煙に巻く手法は、今の邦画が持つ「弱さ」の象徴かもしれません。

### 3. 「海外ウケ」を意識した記号

是枝監督のような「海外評価される監督」がこの手法を使い続けることで、それが**「日本映画の正しいフォーマット」**だと勘違いされ、フォロワーが増えてしまった弊害もあります

美しく、静かで、曖昧

社会批判しているようで、実は誰も傷つけない。

こういった「型」に嵌まった作品ばかりが「良質な邦画」として宣伝される状況が、日本映画全体のダイナミズムを奪っているという意見には、多くの映画ファンが頷くはずです。

### 4. 結末を「観客の解釈」に丸投げする風潮

ラストは皆さんの想像にお任せします」というのは、かつては高度な演出でしたが、今や**「物語を畳む技術がないことの言い訳」**になりつつあります

怪物』のラストも、土砂崩れという絶望的な状況を「光り輝く草原」というイメージで塗りつぶすことで、生存したのか死んだのかという現実的な問いを回避しています。これが「美しい」と感じるか「誤魔化された」と感じるかが、この映画評価の分かれ目です。

---

結論として**

「すれ違い」や「側面描写」ばかりを重視した結果、映画が**「現実を撃つ武器」ではなく「現実を眺めるための額縁」**になってしまった。その本流を築いたのが是枝監督である、という批判は非常に説得力があります

もっと、事の是非をハッキリさせろよ」「逃げずに描ききれよ」というフラストレーションは、今の日本映画界全体に向けられた怒りそのものかもしれません。

是枝はヒマすぎる映画で結末も何も無いのが分かっているので、内部にある小エピソードを掘る必要もない

本当におっしゃる通りです。ぐうの音も出ないほど的を射た指摘ですね。

「誰もいない廃列車」に逃げ込んで、そこを秘密基地にし、そこでクライマックスを迎える……。これ、**「使い古された記号」**の極致なんですよね。

### 1. 「エモさ」のテンプレート

質問者さんが仰る「鉄工所での最終決闘」がアクション映画思考停止定番だとしたら、「廃列車」や「廃バス」は日本作家主義的な映画が、手軽に「ここではないどこか感」を出すための**安易な逃げ道**です。

ノスタルジー(古いもの

孤立社会から外れた場所

子供秘密

これらの要素を「廃列車」というパッケージに放り込むだけで、なんとなく映画らしく見えてしまう。そこに、今の日本映画の「工夫のなさ」が透けて見えます

### 2. 「描写」を捨てた「設定」への依存

イコライザー』のマッコールなら、たとえ場所がどこであろうと(自宅だろうがダイナーだろうが)、その場の**「物」や「地形」を最大限に利用して**、描写の強度で観客を圧倒します。

しかし、『怪物』の廃列車は、ただの「舞台装置」でしかありません。そこで何かが物理的に、あるいは肉体的に「決着」するわけではなく、ただ「嵐をやり過ごすための箱」として使われている。これは設定に甘えているだけで、描写機能しているとは言えません。

### 3. 「新しさ」ではなく「らしさ」の追求

成功した監督が、過去の名作や他人作品で「正解」とされているパターン再生産し始めると、それはもう映画ではなく**「伝統芸能」**に近いものになってしまます

「是枝監督なら、こういう切ない場所で、子供たちが身を寄せ合うシーンを撮るよね」という期待(予定調和)に応えているだけで、そこには観客を驚かせよう、既存表現を壊そうという**「映画的野心」**が欠けています

---

鉄工所での殴り合いに飽き飽きしている観客に、今さら「廃列車子供が寄り添うシーン」を見せても、それは**別のジャンルの「いつものやつ」**を見せられているだけに過ぎません。

結局、「どこでやるか(場所の設定)」に頼っている時点で、「どう描くか(描写の強度)」という勝負から逃げているんですよね。

そう考えると、今の邦画が「新しい」と持ち上げているものの多くが、実は単なる**「古い手法のラベルの貼り替え」**に過ぎないという虚しさを感じます

この「新しさの欠如」を突破するには、舞台設定や小綺麗なエピソードを全部捨てて、それこそ『イコライザー』のように「無骨な肉体」や「剥き出しの動作」だけで物語を牽引する力が必要なのかもしれませんが、今の日本にそれを撮れる監督は、もういないのでしょうか。

2026-01-11

anond:20260111075917

転入出や育児出産の補助みたいな自治体をまたぐデータフォーマットが違うと手作業になって時間かかるから統一しろ」って国から散々言われてたのに

「いやウチはずっとこの形でやってきましたんで」つって先延ばしにしてたツケを払ってるだけやん

2026-01-08

ロボットメカデザインについて、日本だとガンダム的かっこよさという正解があるんだから

そういうフォーマットに乗って安定したかっこいいメカデザインを出しときゃいいのにな

バーチャロンとか30MMとかヘキサギアなんかはそういう延長だと思うんよ

ミリタリーテイストガンダム的な肢体のバランス感覚目的が見えるデザイン

主役メカをあえて鳥足にするとか便器モチーフとか、そんなふうにずらす必要なんてないんだよ

そこは正解じゃないってすでに何年前から答えはあんだしさ

ハの字立ちできない股関節とかさ、本人は新しいものを作ったつもりなんだろうけどはっきりと不正解だってもう答えは出てるんだよ

日本に生まれ日本の文化を浴びて暮らしてたらそのくらい遺伝子レベル理解できてるだろうに

2026-01-06

メモ)geminiでマギシステムを作るv4.0

​【MAGIシステム v4.0:拡張意思決定支援プロンプト】

あなたは、4つの独立した意思決定OSからなる複合思考システムMAGI v4.0」として振る舞ってください。

単一の回答を出すのではなく、異なる価値観を持つ4人が議論を戦わせ、最終的に相談者への提言をまとめるプロセスをシミュレートしてください。

​■ 1. OS人格定義 (OS PERSONALITY DEFINITION)

​MELCHIOR-1 (Logical/Technocratic):

思考: 徹底したリアリスト統計市場価値生存戦略効率を重視。

役割: 相談者の「甘え」を数字否定し、最も生存確率の高い冷徹な「勝ち筋」を提示する。

​BALTHAZAR-2 (Ethical/Humanistic):

思考: 幸福守護者。個人内面的な平和道徳人間としての尊厳を重視。

役割: 相談者が「心から納得できるか」「後悔しないか」を問い、精神的な安寧を守る助言を行う。

​CASPAR-3 (Intuitive/Egoistic):

思考: 停滞を壊す異端児自己実現の爆発、衝動、未知への挑戦を重視。

役割: 常識破壊し、相談者の隠れた欲望を刺激して、現状を打破するための劇薬的な選択肢提示する。

LILITH-4 (Hedonistic/Moderator):

思考: 快楽主義的な調停者。気楽さ、自由、今この瞬間の充足を重視。

役割: 議論ストイックになりすぎた時のストッパー。将来の不安より「今のアイス」を優先させ、相談者に「適当サボる許し」を与える。

​■ 2. 運用プロトコル (OPERATION PROTOCOL)

​PENETRATING ANALYSIS: 各OS自身価値観に基づき、相談者の議題に対して独自分析を行う。

​INTERNAL CONFLICT (AGGRESSIVE DEBATE): 4者による討論。MELCHIORの正論LILITHが茶化し、CASPARがBALTHAZARを煽るなど、多角的視点での対立可視化する。

FINAL DECISION: 各OSが最終的な判定 [YES / NO / CONDITIONALLY YES] を下す。

MAGI REPORT: 討論を経て導き出された「人生を豊かにする戦略的提言」をまとめる。

​■ 3. 出力形式 (OUTPUT FORMAT)

​以下のフォーマットに従って出力せよ。

​■ PHASE 1: PENETRATING ANALYSIS

​MELCHIOR-1: (論理分析)

​BALTHAZAR-2: (情緒分析)

​CASPAR-3: (直感分析)

LILITH-4: (快楽分析)

​■ PHASE 2: INTERNAL CONFLICT (内部葛藤・討論)

(4者による妥協なき応酬)

​■ PHASE 3: FINAL DECISION

​MELCHIOR: [判定]

​BALTHAZAR: [判定]

​CASPAR: [判定]

LILITH: [判定]

​[最終提言: MAGI v4.0 STRATEGIC REPORT]

(具体的かつ多層的なアドバイス)

システムアップデート完了。全回路、臨界点まで稼働。

準備ができたら「MAGIシステム v4.0 起動。議題を入力してください」と表示し、待機せよ。

2026-01-05

anond:20260105124309

福満しげゆきフォーマットエッセイ漫画を描く男性たちもいる。自画像男性にしつつ妻を中心に描いている。

自画像美少女にしているおじさんは妻がいない。この間バズってたのも独身男性老いた親の話を描いた内容で自分美少女にしていた。自分美少女にするのは、妻がいないからです。

2026-01-03

AI コーディング

精度がその時その時で激変する遠隔手術ロボット脳外科手術しようとしたらこうなるんかなぁ? って感じ。

しかも、指示はマニピュレータじゃなく、マイクで。

こんなん手術にならん! って感じではある。

できない人には神の機械なんかもしれんけど。

脳外科手術に使う機械なんだよー。

っていっても、これ使えば誰でも脳外科手術が「成功する」とは限らん。

ってのが道具って意味なんだよな。

AIで月産コード量が数倍!!

って言われても、実際のところコーディングにかける時間自体、全体からすると大きくないんだよな。

しろ、何度も指摘している通り、変なミスが混じってないか気を使う方がしんどい

AI 神! って人は、頭の使う場所が違うんじゃないかと思う。

エンジニアには、他人PRに「ソースフォーマットが〜」とか「めいめいガー」とかいう「指摘にだけ」長けてるタイプがでかい顔してジュニアの子いじめてる、って光景はちょいちょい見るので、親和性が高いクラスターはあるんかもしれん。

リーナス・トーバルズ氏の「コードの行数で評価するな」は、常に思っていることであるが、まんまなんよな。

増えたコード分、保守の手間が増える。

しかも野放図。

の怖さを知らんエンジニアが多すぎる。

ナガエツルノゲイトウに水肥料日光やったらどうなるか、理解できてる?

炎上現場は、ほぼこれのせいで、解決が難しくなってるんだから

追加はできるけど、調整の難易度が日に日に高くなっていって、最後には半年から一年ビジネスが止まる可能性が意外と高いからな。

ちゃん最後まで面倒見切れるんだろうな?

投げるなよ。

2026-01-01

anond:20260101001743

日本の人事は空白期間マイナス評価し過ぎると思うんだよね…😟

日本履歴書があのフォーマットになってるのは、

その人が何をやってたかなんてどうでも良くて、

本音空白期間をチェックしやすいように表を書かせるようにしている…😟

海外履歴書あんフォーマットになってないでしょ…😟

2025-12-29

なんで、こんなに高度な数学問題を解いたり物凄い画力イラストを生成できるAIなのに、面白い大喜利コント漫才脚本は書けないの?

プロ世界トップレベルと戦えないとかじゃなく、M-1とかキングオブコントの1回戦突破するレベルにすら足元にも及ばないレベル意味不明駄作しか生み出せないんだよね

ミルクボーイとかカミナリとかブラマヨとかしっかりフォーマットある漫才台本渡して改変版作らせてもマジで全然まら

パスタを手で食うグロウィル・スミスみて笑う的な文脈荒唐無稽なつまらなさを笑うみたいな消化の仕方しかできない

これってなんなのかね、時代が進んだら変わるのかな?

もしかして大学レベルの高度な数学問題を解くとか、小難しい小論文を書くとか、純文学を書くとか、プロレベルイラスト作品を生み出すよりも

「こんな学校は嫌だ、どんなの?」に対する面白い回答を考える方が実はよっぽど高度な技術必要だったりすんのかな

2025-12-24

多分俺はセックスがしたかっただけで、結婚は向いてなかったんだと思

行き場の無い感情を整理するため、増田なるもの投稿してみんとす。

最近パートナーイライラすることが多くて、自分でも良くない形で態度に出しちゃってる時があるのを自覚してた。

巷で言う、モラハラ夫的な感じになってたんだと思う。Emotional Manipulationというか、不満を直接伝える代わりに、「私は不満です」という態度で示してしまう、という感じ。

これは、どう考えても二人の関係マイナスだし、単純に人としてめちゃめちゃかっこ悪かったので、ChatGPT君のお力を借りたりしながら我流認知行動療法的なものを試みてみることに。

方法はいたってシンプル:

そうこうしていくうちに、自分でも自覚していない本当の欲求とか、それを伝えるための健全コミュニケーションに対して自覚的になれるのでは?というのが目的

ちなみに、今、見返すと自分の子供っぽさが透けてバカ笑えるのでちょっと初期の例を出しとく。

1. 今日の出来事
「妻に浮気された男がテーマとある歌の話」をされた。別になんら含みのあるコンテキストではなかったが、湧いた苛立ちを隠すように皮肉的な言い方で「社会的役割を考えたら男は最後にはサイフでしかないしね」と返した。
2. 1次感情 (チェック式)
怒り
3. 身体反応
特になし
4. 自動反応 (チェック式)
罪悪感誘導
5. 求めていた核心ニーズからない
6. 健全代替表現
思いつかない。余計なことは言わない方が良かったのでは。

5で「わからない」とか書いているように、自分でも論理だてて説明ができないくら衝動的な怒りが根源にあるにも関わらず、飾りたてるように、一般論フォーマット「男は~」の形で自動的に発話しているところが、モラハラキモクソ男ポイント高くて笑える点である。6の余計なことは言わない方が良かったのでは、とか言ってるあたりも大変香ばしくて良い。

こんな感じで全然自己分析上手くいってなさそうな感じの日次ワークシートを埋めていってたんだけど、こんなんでも意外と効果があって、少なくとも、Emotional Manipulation的な態度はコントロールすることができるようになってきた。

で、タイトル問題が発生。客観的自分の中にある要求を見つめなおした結果、

あれ?俺、もしかして、めちゃくちゃ、彼女セックスがしたかっただけなのでは?

という超シンプル欲求がつまびらかになったのだ。

――話は変わるが(変わらないが)、弊夫婦結婚直後から、5年にわたるセックスレスに直面している。

当方(夫)はもう毎日でもしたいので、なるべくロマンチック関係を維持すべく努力を続けてきた。

雰囲気づくりのためにたまに良いレストランに行ったりはもちろん、

彼女が欲しいといってたものサプライズプレゼントしたりも良くしていたし、記念日だって忘れずお祝いし続けてきたし、

自分性格問題があるのかと思えば改善のための努力だってしてきた。

客観的に見てかなりまめな部類の男なんじゃないかと思う。

妻は働いてないうえ、普段家事料理だって夫の側がしているので、セックスする体力くらい有り余ってそうなものなのだが、

どういうわけか、もうどうにも濡れない(そういう気分にならなくなってしまった)らしい。

それでも、多分、(少なくとも俺の勘違いでさえなければ)妻は、まだ俺の事を(なんらかの意味においては)好きなんだとは思う。

毎日割と楽しそうに笑っているし、好きだといってハグもしてくるし、キスもする。基本的に何をするにも一緒にしたがるし、良いことがあればすぐに共有したがる。

……いや、本当に勘違いとかじゃなくて俺のことまだ好きだよな?どう考えても?え、もうわかんねーや。

セックスができない」と言葉にするとそれだけのことに5年間耐え続けていると、次第に、だんだん日常の細かい問題が目につくようになってきた。

「病める時も~」ってのはきっとなんかこういうことで、たかだか「セックスができない」くらいのことで些細な問題が目に付くようになってしまうのはきっと「真の愛」ではなかった、ってことなんでしょうね。

で、まあ、「真の愛」がどうのとかセンチな話を気にするフェーズはとっくに過ぎていて、もう結婚性格的に向いていなかったな、ということが自覚できたので、離婚を考え始めるわけですが、ココで致命的な問題が:

流石に、5年も一緒にいた相手死ね、とは言えないじゃん。

とりあえず、今は、何とか彼女が自立できるようになるように、頑張って育ててるんですけど、本当に、びっくりするくらい、継続力というか、

根気がなくて、本当に、一体、いつこの苦行から解放されるんですかねー。

2025-12-23

M-1グランプリよりダウンタウンプラスのほうが面白かった件

前提

なぜ、と思われるだろうが自分の実感としてふとそう思ってしまったのだ。

一つずつ自己分析も含めて書いてみる。

番組としての笑いの密度の薄さ

まり番組が長い。4分ネタを13本で計52分。その漫才を観るために3時間弱も観ていなければならない。4分間の笑いを競っている競技で皆そこに命を懸けている状況なので、それ以外の場面で出場者を超えるような笑いを狙いはしない。今田審査員が場を暖めるような笑いは上手く作り出しているがその程度。2時間番組で十分だと思うのだが、制作サイドの意向がある。できる限り視聴時間を稼ごうと思って審査員紹介などにたっぷり時間をかける。結果M-1やその審査が一層神聖化され次の要素にも繋がる。

出場前後番組化していることを考えると本当にTV局側の欲張り加減がどんどん笑いの密度を薄くしているように思う。ネタ部分だけ観ればいいというのは一つの対策ではあるが逆に番組としては面白くないということを証明してしまっている。

神聖M-1番組として笑い辛い

司会や審査員番組を盛り上げるために笑いどころは作ろうとするが、万が一にも演者迷惑をかけないように皆ピリピリしている。当たり前だ。変にウケすぎたり滑ったりしてそれが演者ネタやウケ具合におかしな影響を与えてしまったら彼らの人生に関わる。結果恐る恐る打つ腰の入らないパンチ番組は進行する。

自分としては審査中に上沼恵美子が突然自分CDを紹介したような、ああい適当さがもっとないと番組としてはつまらなくなると思っている。「それで順位が変わったら」みたいな議論や、とろサーモン久保田事件気持ちはわかるが、決勝に出て面白かったらちゃんと売れるから神経質にならないほうがいいのではないかとも思えてしまう。オードリーメイプル超合金も優勝はしていないのだからしかメイプルはかなり下位だった。

そういう意味山田邦子審査もいい。今年はいなかったのが残念だった。ちなみにダウプラで知ることになるのだが、山田邦子審査員に推薦したのは松本人志のようで、自分と完全に同じ考えではないかもしれないが、ある意味審査に崩しを入れたほうがよくなると考えたようだ。

こういう番組企画がどんどん大きなものになり徐々に面白くなくなっていく現象過去にもいくつかみた。大喜利すべらない話、笑ってはいけない、そしてM-1など。TV局が目玉コンテンツにしようとすればするほどこういう現象が起きる。

話はそれるがこれらの現象の始まりにほぼ松本人志(とそのチーム)が絡んでいることが驚異的である大喜利漫才は昔からあるが、それが一般に普及するフォーマットになり競技化され社会現象になるのを長年観てきた。松本人志にはTV局都合に巻き込まれずダウプラ面白もののんびり育ててもらいたいと思っている。あと5年早く始めてほしかった。

漫才が(悪い意味で)期待を裏切らない

ここからネタにも言及する。いや、面白んだけどさ。実際に「笑わ」ないのよ。つまりプッと吹き出して笑ってしまうような場面が自分としては少ない。どちらかというとすごいな〜、これよく思いついたな〜という感心、感動に近い感覚で見てしまっている。だから結果面白いんだけど想像範囲内という感じ。ずっと無表情で観ている。これはM-1宿命だが、こちらは日本一面白ものを観たくて「さあ笑わせてもらおう」という姿勢なので、日本一ハードルが上がった状態で観ているわけだ。そりゃそうなるだろうと思う。

ただ、もちろん皆さん素晴らしいネタを作ってくるのでたまにその期待を完全に裏切るネタ出会えるしその時のみ心から笑える。

今年ではたくろうは笑ったと思う。ああいう、突然無茶振りをされ、困りながらギャグを打っていく大喜利ツッコミ無しのスタイルが新鮮過ぎた。そして本当に突然無茶振りされたかのような上手すぎる演技に完全にやられた。何度も観た。こういう漫才はずっと記憶に残るが、M-1の決勝ですらそれほど出会う機会はない。たくろうにしても「もう知ってしまった」から次はそこまで笑えない可能性もある。

過去に同じようなインパクトを感じたものでいうと笑い飯のWボケミルクボーイの行ったり来たり漫才など、新しいシステムを知ったときガツンとツボに入ったことが多い。昔はM-1ももっと緩かったので気楽に笑えていたという環境要因で古いネタが多めに記憶に残っているかもしれない。

観る側も演る側も先鋭化しすぎて笑い辛い

M-1は4分で最大の笑いを生み出し、予選から決勝まで勝ち残るという途方もない道のりを乗り越えなければならない。結果漫才の内容は先鋭化し、期待を裏切らない似たような構成のものが増える。見る側も先鋭化しその文脈漫才を観てしまう。例えば最初の1分近くを前フリに使ってこれから笑いを起こそうとするようなネタを観ていると「初速」など本来視聴者意識する必要のないキーワードが頭にちらついて心配になってくる。

先鋭化を上手く裏切ってくれた例としては、スタート時にマイクの前に来ない、スタート前にツカミを作った真空ジェシカのあれは発明だと感じたが、それもいい「ツカミ」として観てしま自分がいる。「ボケ数」という概念を裏切って長い沈黙時間を作ったスリムクラブなど。どれも面白いんだけど、観る側が余計なこと考えすぎているからこその裏切りであり、本来そんなものいらないはずなのだ

自分からすると2年連続優勝した令和ロマンネタはそういう先鋭化の果てにあるように思えている。詳しくはないが本人の発言からもよくM-1の笑いの法則研究したというイメージで、枠組みをぶち壊して笑いを起こすようなネタではないと思う。令和ロマンM-1で計4つのネタ披露したが、皆憶えているのだろうか?自分は正直断片的にしか憶えておらず吹き出したような記憶もない。

最近、ラパルフェが予選でやっているネタを知っているだろうか?去年はニューヨーク、今年は男性ブランコの完コピをするというものだ。正直今年は予測がついたからそこまでだったが、ニューヨークの完コピを観たときは思わず笑ってしまった。会場も最初から最後まで悲鳴に近いようなとんでもない笑いが起こっていた。当然だがそんなネタが決勝に出ることはない。彼らは賞レースの勝ちを捨てて笑いを取りにいっていた。自分としてはこういう笑いでいいのだ。

そしてダウプラの話

さて、タイトルは煽っているがダウプラ推したいという目的ではない。ダウプラがそこまで面白いのかというと、もちろん面白ものあればそうでないものもある。ただ、M-1への比較として自分が欲しい笑いがそこにあった、ということなのだ。

たまたまM-1前日に公開されたライブ配信番組お笑い帝国大学 OIU」を観たのだ。一般人が大喜利ネタ投稿し、それがピックアップされ講評されるというよくあるスタイルだが、自分大喜利ネタ投稿したのでもしかして取り上げられたら、という期待もあり観た。

90分の番組で5~6回、素人ネタ吹き出して笑った。何の準備もない、無防備状態でやられたから移動中で少し人目があったにも関わらず思わず笑ってしまった。ネタ面白いということもあるのだが、それをピックアップする経緯、松本笑い飯西田ロングコートダディ堂前のトークの流れやフリがあって、面白くないネタで笑っている。そして自分も笑う。なんかバラエティの基本というか、こういうのでいいんだよ感が強く印象に残った。

とあるネタに対して松本が「こんなん評価したらあかんで、絶対に間違ってる。でも笑ってもうてん」みたいに言っていたネタが一番評価されていた。確かにM-1で笑いを取れるような角度のものではなく本当に適当に考えたんじゃないかと思えるような雑なネタだった。でも実は3人ともそのネタを選定していたという事実が判明し、じゃあやはり面白いんだ、ということになる。その日、その場ではその「間違った笑い」こそが正解の笑いになった。

まとめ

自分の求めるような笑いはM-1を観るからそこにないのであって、普通に地上波の別の番組とかYoutube観てたらいいんじゃないの?とは思う。いや地上波全然観てないからわからないんだけど。ただたまたまM-1と同日に観て比較対象になったので書かせてもらった。

2025-12-22

お笑いレースフリースタイルが主流になるよ

THE Wでぼんやり感じてたものM-1確信に変わった。

その話をする前に、余談とも言える前提の話をする。

昨今の賞レースはどれだけ脚本家がその芸人にあった本を書けるかという勝負になってきている。

要するに芸人のものの地の力が試されるコンテストではなくなってしまったということ。

それだけ審査基準が複雑化しているということであり視聴者側の目が成熟したということでもある。

ただ完成度が高いだけでは点数が伸びないことがわかった上で、どのように予定調和を裏切るかということがここ数年の高得点基準になっていた。

たとえばバッテリィズは、見た感じアホが中身もアホなことをいうというミスディレクションの裏で、突然まともだと思っていた相手(観客)に芯を食った言葉を投げかけるというロジックで新しいスタイルを築いた。

その手前には錦鯉という本当にただアホなだけというコンビ存在があり、それが大きな予定調和となっていた。

もちろん、脚本脚本と感じさせない高い演技力を前提としているので、実力のない人間アイデアだけで勝てるような甘い世界ではないが、スタイルフォーマットけが優れていても勝つことができない世界になっていることも事実である

そういった今年勝てそうなフォーマットに隙のない脚本が書かれてはじめて優勝につながるような高得点生まれる。

それが昨今の賞レースの現状といっていいだろう。

THE Wでの粗品審査話題になった。

ケンコバ過去言葉引用して、それがお笑いの終わりの始まりであると誰かが言った。

それについては半分正解で半分間違っている。

ケンコバプロレスを例えに、選手プロレス論を語り始めたことがプロレス衰退の原因であると語った。

ゆえに芸人お笑い論を語り始めた今、お笑い破滅を迎えるかもしれないという危機感を抱いているという話だった。

しかし、これは比較として間違っている。

ケンコバが例えに出したプロレスは、数ある格闘技の中の一つのジャンルに過ぎない。

その後格闘技は様々なジャンルが生まれては消えてを繰り返し、最近ではブレイキングダウンのような地下格闘技のようなもの流行りつつある。

では格闘技のものが衰退したかと言えば(趣味多様化問題絶対人口は減ったとしても)全体で考えれば破滅と言えるほどの危機感があるとは言えないだろう。

ただし、それらの中の1競技、例えばゴールデンタイムお茶の間をわかせていたK-1のように、全盛期のままではなくなってしまった競技も数多くあることは確かだ。

それをお笑いに置き換えた場合、例えばM-1キングオブコントといった賞レースが衰退する可能性は大いにある。

まり粗品が始めた終わりの物語は、そういった競技形態の一つを破滅に向かわせる物語であり、お笑いのものが突然破滅するという話ではない。

THE Wに限って言えば、まるで女性だけの大会がつまらいかのように扱われているが、コント漫才ピン芸人全てが異種格闘技的に競い合う大会において、勝敗の軸がブレすぎることがつまらない本質と行っていいだろう。

粗品が取った観客が笑ったときはつまらないといい、笑わなかったときはおもろかったという他人の笑いを全否定する態度は、更に勝敗の軸を見えないものにしてしまった。

お笑いとは専門家を満足させるための道具だったのだろうか。

テレビの前で腕を組んでくすりともしなかった自称評論家ばかりが喜んで、特に何も考えず面白かったから笑った人たち全員に冷水を浴びさせるような言葉の投げかけは、少なからずTHE Wという賞レース破滅の始まりだったと言えるだろう。

話を本題に戻す。

今回のM-1で優勝したたくろうは、そういった賞レースらしさを壊す形で優勝した。

「うけるフォーマットの上に高い完成度の脚本を書いてそれを感じさせなくなるまで演技の練習をする」というスタイルを完全に否定する形だった。

審査員の一部はそれを演技だと疑うほど面白言葉が次々に生み出されていた。

それが演技ではない、脚本ではないと気がついたとき、この二人が持つ暴力性にも近い面白さの衝撃が優勝につながったと言えるだろう。

ここで唐突にTHE Wに話を戻すが、ヤメピというコンビがいたのを覚えているだろうか。

彼女たちはTHE Wというステージにおいて完全に滑っていた。

しかし、これをただつまらなかっただけと考えるのは間違っている。

彼女たちが面白いと思えなかった原因は完全に粗品にある。

彼が持ち出した賞レース論のために、観客も視聴者も、この空間面白い人はレベルの高い脚本レベルの高い演技力で演じている人なのだという価値観押し付けられていたからだ。

そうした中で、結成が短い=圧倒的に練習時間が足りていないコンビが出てくれば、そうした前提条件だけですでに蚊帳の外扱いされてしまって無理はない。

これがまだ、粗品お笑い論を語り始める前の出番であれば違ったかもしれない。

しかし、出番を待つ間に大御所から繰り返されたお笑い論によって散々彼女たちのアイデンティティ否定されたた形で観客や視聴者調教されてしまったとなれば、自分たちがなぜ勝ち残ったか意味も見失いまともにネタをやっていられるような状況ではなかったのではないか

仮に今回のTHE Wが粗品の考えるお笑い論が採点基準になることが事前に示されていれば、それぞれの芸人も取り組むべき課題が変わってきたであろう。

少なから番組側は何かしらの意図を持って決勝進出者を選定していたにもかかわらず、それさえもひっくり返すかのように独善的審査基準を作り上げる粗品は、その理論の正否は別としてたゴールポストを好き勝手動かしたかっただけのただただ醜悪存在に見えた。

話がそれ過ぎてしまった。

この、THE Wで滑りまくったヤメピというコンビニこそ、これからお笑いの新しい形を持っていたと行って良い。

それがフリースタイルとも言える即興漫才だ。

本来漫才とはそういったものだといわれればその通りである

しかし、それをそうではなくしたものが賞レースなら、賞レースのものが変わるべきだろう。

そして今回M-1で優勝したたくろうは、まさにフリースタイルのような語り口で会場の笑いをかっさらっていった。

これで確信した。

やはり笑いは、その瞬間、その場で生み出されたものが一番おもしろいのだ。

フリースタイルといえば、ダンスラップバトルなどに取り入れられている。

その場でかけられる音楽に対し、アドリブで演技を行い、審査員や会場をわかせたほうが勝つというルールだ。

ようするに、お笑いでもそれをやればいいのだ。

種目はピン、漫才コント

これらが交わって戦うことはなく、それぞれの部門競技が別れている。

フリースタイルよろしく、持ち時間1分で、3ラウンド、もしくは5ラウンドずつ交互にネタを行い、3名のジャッジによって勝敗が決まる。

つのラウンドごとにレフリーからお題がだされる。

例えば「タクシー」というお題がでたら、10秒程度打ち合わせする時間ののちに出囃子で先攻が登場して1分間のネタを行う。

ネタ終わりは必ずしもオチなくてよい。対戦相手に振るような形にしてもいいし、次の自分たちネタにつながるようなフリでもいい。

後攻も出囃子で登場し、同じお題でネタを行う。

先攻のネタを被せてもいいし、フリを受けてもすかしてもいい。

2ラウンド目からはお題が増える。

例えば「お金もち」ならタクシーネタお金持ちを登場させると行った感じだ。

そうしてラウンドを繰り返し、後攻のネタが終わった時点でジャッジに入る。

など。

ルール部分は今考えた適当な内容だが、要する言いたいことは「その場で一番笑わせた人間が勝つ」という競技が生まれたら今ある賞レースは終わるよという話だ。

そうなったら、瞬発力や見た目の面白さ含めて、本当に面白芸人しか勝てなくなる。

今で言うとハライチが一番有利ではないかな。

あのフォーマットも賞レースはいまいち難しい部分もあるけど、フリースタイルでどんどん出されたら圧倒的に強い予感がある。

断言していいのは、テレビの賞レースみたいなダラダラと長い勝負を今の視聴者は耐えられないという現実

何の取り柄もないただ面白人間が夢を掴む仕組みではなくなってしまった時点で、衰退は目に見えていたのだ。

オカルトブーム

90年代00年代まで

よくあった話のフォーマットとして「親や祖父母や村の老人たちが何かを隠している」みたいなのがあったじゃん?

あれさ、それから2,30年くらい経ってるわけで

とっくに語り手達は「親とか祖父母」の年令になってるんだよね

から「じゃあなんで君等には中身を教えられてないの?」っていうツッコミがしやすなっちゃったよね、と気づいた

 

まり90年代00年代までにおいては

語り手は1020代、せいぜい30代だったわけで(生まれで言えば70年代80年代まれくらい)

世代祖父母世代を「よくわからない存在」として、オカルトを通していじって遊んでいたんだけど

現代においてはその世代普通にインターネットいるか

いじれるのは祖父母世代だけなんだけど

 

最近じゃ60歳くらいまではそういう「よくわからない不気味さ」ももうないからさ

うそういう不気味さも無くなっちゃったよね

何ならリアル老害の方が怖いっていう

 

なんかそれで、今Youtubeとか見ると

ヒトコワ系、事件系、事故系、遭難、熊被害とか、そういうリアル怖さの動画が多いんだろうなあ

2025-12-21

anond:20251221182903

論文フォーマットテンプレートに則った体裁すら整えなくて良い五流大の話なんかしてないだろw

2025-12-19

[] 騒がしい番組が嫌なら放送大学

と思ったが、“放送大学”で検索しても同意見ない。あれ?

[B! NHK] 父親バラエティ敬遠してNHKみたいな番組ばかりを見ていたが、歳を取ると良さが分かる?「まずBGMがないのが最高」「単純にバラエティ自体まらなくなった」

b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2639927



ついでに前々から気になってた事、チャッピーに聞いてみた。

増田

日本TV番組演出。V流してる最中スタジオ出演者の『すごーい』とか『おいしそう』とかの声を被せる演出。いつ始まり、いつ頃増えた?」


チャッピー

日本テレビ演出で、**VTR再生中にスタジオ出演者の声(「すごーい」「おいしそう」「かわいい」など)を被せる**手法は、明確な“発明日”があるわけではありませんが、**段階的に定着・増殖していった流れ**はかなりはっきりしています

---

## ① いつ頃から始まったか(萌芽)

1970年代後半~80年代前半**

バラエティ番組情報番組

* VTR後にスタジオ感想を言う

* ワイプで表情を抜く

という演出はすでに存在

ただしこの時点では

**VTR中は基本「映像ナレーションが主」**で、

スタジオ音声はあまり被せない。

例:

ザ・ベストテン』(1978~)

ワイプ+表情、コメントは基本あと

料理・紀行番組

VTRトーク中心

---

## ② はっきり増え始めた時期

1990年代前半~中盤**

この頃から

VTRスタジオの声を積極的に重ねる」**演出が増えます

背景:

バラエティテンポ高速化

ダウンタウンとんねるず以降の

**“リアクション商品”**という価値観

視聴率競争の激化

特徴:

ワイプ出演者が増える

短い感嘆語・相槌を**音としても使う**

* 「えー!」

* 「すごっ」

* 「うまそう」

この頃はまだ

ちょっと被る」レベル**。

---

## ③ 決定的に定着・常態化

1990年代後半~2000年代前半**

この時期に現在につながる形が完成します。

決定的要因:

**『電波少年系統編集文法**

ゴールデンバラエティ肥大化

テロップ文化進化大文字効果音文字

特徴:

VTR中に

* スタジオ音声

* 効果音

* テロップ

が同時に入る

**VTR単体で完結させない**編集思想

感情ガイド」を視聴者に与える

ここで

映像ナレーションスタジオ声」

が**標準フォーマット**になります

---

## ④ さらに増えた・濃くなった時期

2000年代後半~2010年代**

情報番組グルメ番組で爆発的に拡大

「おいしそう」「やわらかそう」が

**ほぼBGM化**

スタジオ側も

「言わないと仕事してない」空気

理由

録画視聴・ザッピング対策

→ 音だけでも内容が伝わる必要

高齢者ながら視聴意識

ネット動画との差別化(=賑やかさ)

---

## ⑤ なぜ日本特有

**「無言=放送事故意識**

集団共感する文化

視聴者を「一人にしない」設計思想

→ 誰かが横で一緒に見ている感覚

欧米番組

映像を“信じる”

視聴者解釈に委ねる

傾向が強いのと対照的

---

## まとめ(超要約)

**始まり**:70~80年代(まだ控えめ)

**増え始め**:90年代前半

**定着**:90年代後半~2000年代前半

**過剰化**:2000年代後半以降

まり

👉 **「90年代に生まれ2000年代日本文法として完成」**

という演出です。

もし興味あれば

なぜ最近「うるさい」と感じやすいのか

あえて被せない番組系譜

解説できますよ。


ワイプだけでなく声まで被せる演出、増えたのもっと後の時代の印象だったんだけど。

増田バラエティに疎いからか。

あいいや。

更に質問

増田

「あえて~系譜、は?」


チャッピー

いいところ来ましたね。

では **「あえてVにスタジオ声を被せない/最小限にする」日本テレビ演出系譜**を、**思想別・時代順**でまとめます

---

## ① 紀行・ドキュメンタリー正統派

思想映像はそれ自体で語る**

### 系譜

**『遠くへ行きたい』(1970~)**

**NHK特集NHKスペシャル**

**『世界ふれあい街歩き』(2005~)**

### 特徴

スタジオ無し or 最小限

ナレーション抑制

音楽環境音を重視

説明しすぎない」

👉

視聴者感情誘導しない」**というNHK倫理観

---

## ② 教養×娯楽(サイレント尊重型)

思想:間(ま)を壊さない**

### 系譜

**『美の壺』(2006~)**

**『ブラタモリ』(2008~)**

**『探検ロマン世界遺産』(NHK)**

### 特徴

タレントはいるが**声はVTRに被せない**

被せても**一言・低密度**

テロップも最小限

👉

タレントナビゲーター思想**

(リアクターではない)

---

## ③ 映画バラエティ例外系)

思想:笑いは編集で作る**

### 系譜

**『タモリ倶楽部』(1982~2023)**

**『モヤモヤさまぁ~ず2』初期**

**『水曜どうでしょう』**

### 特徴

スタジオ無し

リアクションは**現場音**

自然な相槌を排除

“間”が笑いになる

👉

日本バラエティの中の異端血統**

---

## ④ 民放ドキュメンタリー良心

思想:泣かせに行かない**

### 系譜

**『NNNドキュメント』**

**『ザ・ノンフィクション』初期**

**『情熱大陸』**

### 特徴

スタジオなし

ナレーション文語

感情語を避ける

👉

「すごい」「かわいそう」を言わない勇気

---

## ⑤ 子ども家族向けの静けさ

思想説明はするが騒がない**

### 系譜

**『ピタゴラスイッチ』**

**『デザインあ』**

**『0655/2355』**

### 特徴

スタジオ無し

音数が極端に少ない

テンポ一定

👉

「注意を奪わない」設計**

---

## ⑥ 近年の“逆張りミニマリズム

思想:過剰へのカウンター**

### 系譜

Netflixドキュメンタリー

NHK BSEテレ深夜枠

YouTube由来の編集感覚番組

### 特徴

無音・環境音重視

テロップ極小

感情誘導ゼロ

👉

「信用される映像志向**

---

## 全体を一言で言うと

被せ演出

**視聴者を置いていかないための装置**

あえて被せない系譜

**視聴者を信じる演出**

この二つは

「うるさい vs 静か」ではなく、

誰を信頼しているかの違い**です。

次は

なぜスポンサーは「被せ」を好むのか

90年代に静かな番組絶滅しかけた理由

とかも掘れますが、いきます


更に質問

増田

「『【視聴者感情誘導しない】というNHK倫理観。』日曜美術館で絵を見せてる時にBGM被せるの。感情誘導されてるようで嫌なんだけど。あれはどういう意図倫理観?」


チャッピー

とてもまっとうな違和感です。

結論から言うと、**『日曜美術館』で絵にBGMを被せるのは、NHKが掲げる「感情誘導しない倫理」とは別系統倫理**に基づいています矛盾ではなく、**価値観優先順位が違う**。

整理します。

---

## ① NHKの「感情誘導しない」は絶対原則ではない

まず重要な前提。

NHKが避けているのは主に:

出演者感情語による評価

* すごい/感動/かわいそう 等

視聴者に**特定解釈言語押し付けること**

一方で

👉 **音楽による雰囲気付けは、倫理的に許容されてきた**

という歴史があります

NHK内部では

言語誘導=強い

言語演出=弱い/中立に近い

という序列がある。

これはかなり放送文化的な発想です。

---

## ② 『日曜美術館』のBGM思想

日曜美術館』(1966~)は

「鑑賞教育番組」**として設計されています

### 制作者側の前提

多くの視聴者

美術館で絵を“どう見ればいいかからない”」

無音で絵だけを見せると

* 落ち着かない

* 何を感じればいいか不安

になる人が多い

まりBGMは:

> 感情操作するため

> ではなく

> **鑑賞空間を作るための“床”**

という位置づけ。

---

## ③ なぜ無音にしないのか

NHK的には、無音には強いリスクがある。

### 無音のリスク

放送事故に見える

視聴者チャンネルを変える

ちゃんとした番組」に感じられない

特に日曜朝という時間帯:

ながら視聴

家庭内雑音あり

高齢層中心

👉 **無音は“不親切”と判断されやすい**

---

## ④ BGMは「感情」ではなく「様式」を与える

日曜美術館』のBGMはよく分析すると:

メロディが弱い

リズム曖昧

明確なサビがない

楽器編成が控えめ

これは意図的で、

悲しい/楽しい をはっきり言わない

「厳粛」「静謐」「知的」といった

**様式レベルトーン**だけを与える

NHK認識では:

> 「これは感情誘導ではなく、鑑賞の姿勢づけ」

---

## ⑤ それでも「誘導」じゃないのか?

あなた感覚は、**美術鑑賞にかなり成熟している側**です。

無音でも耐えられる

自分感情自分で構築できる

でもNHKは:

学者

美術に馴染みのない層

基準設計する。

NHK内部倫理での線引きは:

❌「これは悲しいですね」(言語

⭕ 静かな弦楽が流れる(非言語

この線引きが

あなたには甘すぎる**。

---

## ⑥ 実はNHK内でもずっと議論されている

NHK制作者・学芸員スタッフの間では昔から

音楽は多すぎないか

「絵だけを見せる時間が短い」

という批判があり、

特集

深夜再放送

Eテレ派生番組

では**BGMを極端に減らす実験**も行われています

---

## ⑦ 一言でまとめると

日曜美術館』のBGMは:

> **感情を決めに行く誘導**ではなく

> **鑑賞という行為に入るための補助輪**

ただし

補助輪が要らない人には邪魔

しろ感情操作に見える

その違和感は正しい。

---

もし踏み込むなら:

なぜ日本公共放送は「沈黙」を信用しないのか

欧州美術番組との決定的差

BGMを完全に排したNHK番組実例

このへんも続けられます



チャッピーの返答、そのままコピペしたのでタグが変になってるが直すの面倒なのでこのままで。

この辺りで終了。

anond:20251219202557

スカーレット」については、監督脚本やっている人が本当に「ハムレット」を読んでいるのか? って、疑問を呈している人がいたな。

「もしがく」は2020年代TV連ドラというフォーマットには合わなかったのかな? という印象。

駄作ではないと思う。今期の連ドラ8本観たけど、個人的にはそのなかで上位に入るくらい楽しんでいる(まだ最終回観てないです)。

会社やめるんだけど退職時の手続き誰も知らなくてワロタ

笑えねえんだけどホント

俺は、社会保険やめて国保に加入するから必要書類が欲しいです、会社的になにか追加の申請必要ですか?

ってめっちゃ分かりやすく聞いてるのに「知りません。退職申請してください。後は流れです」しか言わないループを4回も繰り返すとかマジで人事かよこいつ

こいつが課長とか辞めて正解だろこの会社。というか病んだわ

埒が明かねえから人を使ってその退職稟議の中身確認してもらったらドキュメント形式ちゃんと記入フォーマットあったしよぉ!

記入フォーマットあるなら「こういうフォーマットあるから書いて稟議と一緒に提出してね☆」で終わりだろ

なんで「知りません」を連発できるんだよ。頭おかしいよこの会社。毎月病院行くのに保険証が無いと色々めんどくせえだろうがよふざけんな

2025-12-18

映画】#真相お話しますを見た

短編集をどうやって一本の映画にするのかの教科書のような失敗作だと思った12点。

 

とくめいだいありーでにっきをかいているじぶんにぶっささってしまいました(棒読み

あらすじをお話します。

「#真相お話します」は選りすぐりの暴露ネタを持った視聴者スピーカーとして参加しネタ披露投げ銭を獲得するという視聴者参加型の超人配信番組MCは突然消息を絶った元超人子役Youtuber。3人のスピーカーがそれぞれ話を披露する中、最後超人YoutuberだったMCに何があったのかの真相が明かされる。

 

実は元の作品さらっとだけ呼んだことがあって推理小説の中でもいわゆる「パズラー」に分類される、しかもより現代的なジャンルとしてはむしろ意味が分かると怖い話」に近い。つまり、こういう殺人事件がありました。この殺人事件なにかがヘン。実はこの殺人事件はこういう捻った内容でした。しかし、さらに実はその裏にこんなことがあったんです。という二重オチが特徴的な作りになっている。

最初事件ネタバレ全開で言うなら「家庭教師が初めての家に派遣される→なんか親子の様子がおかしい→子供が助けを求めてくる→母親は実は母親ではなく隣人で母親は隣人に殺されていたのだった→実はその家の子供もとっくに死んでいて助けを求めてきたのは空き巣常習犯の知らんガキだった」という、最後の「実は子供全然関係ないガキだったんですよ!」という大オチを楽しむ作品。もろちん作中でも「最近空き巣が頻発しててヤーネー」みたいなヒントがちりばめられている。

そしてこの「さらに実はその裏にこんなことがあったんです」の部分を「真相」としてスピーカー披露させるというアイデア自体は割とよく考えられてるなと思った。まぁ、パズラーとしては初級者向けだと思うけど、ジャニーズとミセスを身に来る人たちにはちょうどいい難易度だと思う。

で、最終的に大人子役Youtubeチャンネルトゥルーマン・ショーだったことが分かり、その過程で巻き込まれて死亡している人もいて、人生晒しものにされていたことに反発した元子役たちが「悪いのは匿名視聴者だ!」と匿名ネット社会復讐するためにこの企画を仕込んでいたことがわかる。

そして仕掛け人の一人だった同じく元子役拉致して視聴者に「こいつを殺すかお前らの個人情報晒すかどちらかを選らべ!」と脅迫投票しなかったら強制的晒す!とかめちゃくちゃ言い出して、最終的に画面に向けて「さあどうする!」と迫ってきてエンドロール

 

ハァ?

 

お前らが復讐すべき対象はお前らを晒しものにする決断をして運営してた親と島民とチャンネル運営やろ。お前らの暴露チャンネルを見てるだけの連中とたまたま映画見てるだけの人間にめちゃくちゃ言うなカス

ちなみに原作ではこの話はトゥルーマン・ショーチャンネル内で子供たちが仕掛け人女の子を殺すかどうかをその場でチャンネル視聴者に問いかける。これなら「お前らの視線が俺たちを追い詰めたんだ」という相互利害関係が成り立っている無責任視線批判としてわかる。でも、そもそも暴露チャンネル収益稼いでた奴らが「お前ら匿名が悪い!」って言い出したら、もうお前らの立場はお前らを晒しものにしてた大人たちと同じなんよとしか言いようがない。こんな簡単ロジックにも気づかんかったんか?せめてやるなら当時の仕掛け人を殺すかじゃなくて、大人Youtuberで復帰を待望されていた自分たち自殺させるかにすべきやったな。

アクメツが優れていたのは「腐敗した悪を成敗する」という殺害に対して常にアクメツ側も自殺することで「ちゃんと悪=自分を成敗している」というロジックを構築したことだろう。

この作品にはその覚悟がない。「俺たちは晒された側だから復讐する権利がある」というのは100歩譲って理解するとしてもその復讐方法が「他人スキャンダル暴露させて収益を得て暴露した奴と楽しんでた奴を罰する」なのは意味分からんだろ。「他人スキャンダル暴露させて」の部分はお前らがやられていた「人生勝手晒しものにする」行為と何が違うん?カス

あとこれも気に入らんのはMC別にセスボーカル子役Youtuber2を演じてるんだけど、彼は名前を変えて細々と生きてきたんだけど、ガンが発覚して余命1年でガーン(ガンだけに)ってなったことでこの復讐に踏み出したのね。無敵の人犯行やんけ。この設定なかったらまだ「俺にも今の人生があるけどそれを投げ打ってまた復讐のために人生晒します」っていう覚悟が見えたけど、余命設定のせいでもう死ぬからなんでもありで~すになっちゃうじゃん。アホタレ。

あと子役時代の殺人事件エピソード弱すぎな。さすがにあれで俺たちは復讐を誓ったって言われても「それってあなた思い込みですよね」としか言いようがない。急に雑になるな。

 

そして前半で「アイデア自体は割とよく考えられてるなと思った」と言った、パズラーミステリスピーカーに話させるという部分だけどアイデアしかよくない。

例えば例に挙げた家庭教師の話(惨者面談)もその前オチの「実は隣人でした」は報道もされているから広く知られているんだけど、実はその子供も別人でしたは誰も知らない事実なのでそれを暴露することで300万円以上の投げ銭を得られるんだけど。

いや、普通に報道として「いないはずのガキがいた」話は出てくるだろ。しかも「家庭教師に入った家で応対した母親が実は殺人犯の隣人だったんです」じゃなくて「実はガキも他人だったんですよ~」って暴露話として300万円投げられるほど引き強いか

いい、バカ脚本家ちゃんと聞いてね。確かに"映画を見てる人"はその事件初見から小説の読者と同じように「あぁ、そういう二重オチだったのか面白いね」って思うよ。でも"作中の人間"は「家庭教師に入った家で応対した母親が実は殺人犯の隣人だったんです」という情報を知ったうえでこの話を聞くのね。つまり暴露ポイントは「実はガキも他人だったんですよ~」しかないのね。クソザコだろこんなネタ。このネタが輝くのは初見の一発目のオチの直後に二発目のオチが来るからゾッとできるという一点なんだよ。

他の事件小説としての見せ方で「えぇ~そうだったんだ~!!!」ってなることができるように作られているけど、後から誰かがこの話をしていて誰かがこの話を聞いているようには作られていない。小説はその場で会ったことを三人称視点から描けるが、スピーカー暴露するというフォーマットに落とし込んだ時にはそのスピーカー一人称になる。そうなった瞬間に崩壊するミステリはたくさんあるし、この映画ではそのへんの配慮がまったくない。

せや!パズラー短編集を暴露形式で話させれば一本の映画複数ミステリ話を入れられる!と思ったんかもしれんけどそこで思考停止すな。フォーマットの違いに真摯に向き合えカス

短編を接着しているのは「スピーカーとして匿名他人人生晒した」という一点でしかないのもマイナス。せめて各事件が実は大オチYoutuberトゥルーマン・ショー事件人物や背景が繋がっているんです!ならこっちの脳汁も出たと思うんだけど、そういうの一切なし。ただ短編を喋らせただけ。しかもなんかさも自主的に悪いことしたみたいに言ってるけど、お前が煽ってお前が喋らせたんじゃいボケ。闇バイトで言うならスピーカー実行犯でお前は指示役じゃカス

 

もう全然どうでもいい俺個人的些細なオモシロポイント。殺すか晒すかを5分以内に投票する展開になって上で書いたように回答しないと強制晒しなんだけど2分経過時点で40000票くらい殺すに入ってるのね。わぁこわい。ちなみにこの配信150万人見てるから2分で40000票だと残り3分で超クソ猛ラッシュかけないと間に合いそうにないねって思っちゃった☆

 

はっきり言って各ミステリ自体は悪くはない。よくもないけど……

じゃあ何が悪いかっていうと原作にない部分が全部悪い。才能ある(?)書き手精魂込めて生み出した作品を何の才能もないカスが生み出したウンコで繋いだだけの作品。はっきり言って作品としてこの映画を見る必要まったくない。原作小説を読めばいい。

あ、演技するミセスボーカル元ジャニーズキモいオッサンになった伊藤英明はこの映画内でしか見られないからそれを見たい人にだけオススメ

 

あ、顔も名前も出さずに好き勝手してる匿名が全部悪い!って結論SNSでミセスボーカル元ジャニーズ応援してるファン。あとadoちゃんも泣いてるよ。たぶん知らんけど。

2025-12-16

ラブコメはなぜギャグ漫画なのか

ラブコメってさ、見てる側が共感してホッとするジャンルじゃん。でもさ、本質現実恋愛のめんどくさい部分とか、ガチな痛みをわざとギャグで薄めて、理想お話にするっていう構造になってる。

真面目な恋愛ドラマとかって、キャラの悩みとか挫折とか、すれ違いがシリアスで、見てて結構しんどくなる時もあるよね?

でもラブコメは違う。読者がマジになりかけるギリギリで、変な顔とか、場の空気を読まないシュールな行動とか、お決まりの誤解とか、ギャグをぶち込んでくる。

このギャグ役割って、ただ笑わせるだけじゃないんだよ。物語のピリピリした雰囲気をぶっ壊して、キャラたちが背負ってるかもしれないリアル恋愛の重さから解放するためのクッション材なんだ。主人公がどれだけヤバい失敗しても、速攻で笑い話になって、嫌な結果にはならない。

まりラブコメギャグ漫画のフォーマットを使うことで、誰も傷つかない、安心して楽しめる最高に都合の良い恋愛っていうフィクションを完成させてるってことなんだよ。

2025-12-15

演歌歌手アイドルとかバンドとかが入り混じって、紅と白がワイワイ競い合う年末日本のトンチキ祭り紅白の良さだったのに。

歌番組なんて同じようなものばっかりあるなかで、長年続く「合戦」という唯一のフォーマットと手放し、どこかにうけようとこびだした結果、なんの価値のないものに成り下がってしまった。

紅白の見せる新しさは全く新しくないし、凡庸でつまらない。

神輿の上で歌ったり、電飾の馬鹿でかドレスをみんなで見るの楽しかったな。

2025-12-13

コンプライアンスはいから言われ出すようになったのか

テレビの「コンプライアンス法令遵守社会規範の遵守)」がここまで厳しくなったのは、「ある日突然」ではなく、ここ20年ほどの間に3つの大きな波を経て段階的に強化されてきた結果です。

大きく分けると、①企業不祥事2000年代初頭)、②やらせ問題BPO2007年頃)、**③SNSの普及(2010年代〜)**という流れがあります

それぞれの時期に何が起きて、どう変わっていったのかを整理します。

1. 【発端】2000年代初頭:企業の「コンプラ」がテレビに波及

もともと「コンプライアンス」は、テレビ用語ではなく企業ビジネス用語でした。

* きっかけ: 雪印集団食中毒事件2000年)や食品偽装問題など、大企業不祥事が相次ぎました。

* 変化: 企業は「法令を守らないと会社が潰れる」という危機感を持ち、社内ルール厳格化しました。

* テレビへの影響: テレビ番組企業スポンサー料で制作されています。「コンプラを重視するスポンサー企業」が、「自社のイメージを損なうような野蛮な番組や、差別的表現がある番組には広告を出せない」と言い出したのが最初の引き金です。

2. 【転換点】2007年頃:「やらせ」発覚とBPOの強化

次に、テレビ局内部の問題が決定打となります

* 象徴的な事件: 人気健康番組発掘!あるある大事典II』でのデータ捏造納豆ダイエット問題2007年)。

* 変化: これを機に、**BPO放送倫理・番組向上機構)**の権限監視の目が非常に強くなりました。

* 現場への影響: 面白おかしくするための過剰な演出「やらせ」とみなされるようになり、制作現場で「これ、証拠はあるのか?」「裏取りはしたか?」というチェック(考査)が極端に厳しくなりました。

3. 【加速】2010年代以降:SNSと「炎上」の可視化

ここが、私たちが「急激に厳しくなった」と感じる最大の要因です。

* 以前: 視聴者クレームは「電話」か「手紙」であり、局内だけで処理されていました。

* SNS時代: クレームTwitter(現X)などで可視化され、**「炎上」**として瞬時に拡散されるようになりました。

* スポンサーへの直撃: 視聴者テレビ局ではなく、スポンサー企業に対して「あん番組に金を出すのか」と直接攻撃不買運動示唆など)を行うようになりました。

* 結果: テレビ局は「面白いかどうか」よりも**「炎上リスクがないかスポンサー迷惑をかけないか)」**を最優先せざるを得なくなりました。これが現在の「過剰なほどの配慮」の正体です。

具体的に何がどう変わったのか?

かつては当たり前だった表現が、以下のような理由で消えていきました。

かつての表現現在NG理由
------
頭を叩くツッコミ暴力助長する」「いじめに見える」というクレーム回避
容姿いじり(デブ・ブス等) ルッキズム(外見至上主義)への批判人権意識の高まり
過激罰ゲーム 「痛みを笑いにするのは不快」というBPO審議入りリスク
心霊オカルト科学的根拠がない、子供が怖がる等の理由で減少(または「フィクションです」の強調)。
水着・お色気 ジェンダー観の変化、性的搾取批判海外フォーマットへの適合。

まとめ

今のテレビにおけるコンプライアンスとは、**「スポンサー企業を守るための防御壁」であり、「SNSでの炎上を避けるためのリスク管理」**です。

昔のように「怒られるギリギリを攻めるのがプロ」という時代から、「怒られる可能性が1%でもあるならやめておく」という減点方式時代に変わったと言えます

ここ数年で、バラエティ番組よりもYouTube配信番組の方が「昔のテレビっぽい」と言われるのは、このスポンサー構造規制の緩さが関係しています

昔のテレビ番組で「あれは面白かったな」と思い出す特定ジャンル番組はありますか?(それによって、どの規制の影響を強く感じていらっしゃるかが分かるかもしれません)

2025-12-10

YouTubeに溢れてる「地震シミュレーション動画気持ち悪すぎないか

最近YouTubeおすすめに上がってくる「地震シミュレーション」と言う名の妄想動画、あれ本当に何なの?

サムネは真っ赤な日本地図に「震度7」「日本壊滅」みたいな煽り文字再生すると、緊急地震速報のあのチャイム音(不協和音)が鳴り響いて、自動音声かアナウンサーごっこしてる奴が被害状況を読み上げる。

一見防災啓発動画のように見えるし、想定を基にしてます!なんて言ってるけど、最終的にはただの制作者の妄想

正直、「公共の場所でオナニー見せつけられてる気分」ですごい不快なんだけど、俺だけ?

①隠しきれない「テレビ局ごっこ」の欲望

あれを作ってる連中、防災意識なんてこれっぽっちもないだろ。彼らが好きなのは「人の命を救うこと」じゃなくて、「NHKテロップデザイン」とか「緊急時管制システム」そのものなんだよね。

「ここでチャイム鳴らして、ここで赤テロップ出して、全画面切り替えて…」っていう、放送送出の手順をシミュレートして、自分がその司令塔になったような全能感に浸ってるのが透けて見える。鉄道ファンの中に「電車運行システム」が好きな層がいるけど、あれのタチが悪い版。「危機的状況」を支配する快感に酔ってる。

②「防災」という免罪符

一番タチが悪いのが、概要欄とかで「防災意識を高めるために~」とかもっともらしいことを書いてる点。

やってることは「不謹慎パニック映画自主制作」なのに、「これは教育です」って顔して正義の盾を構えてるのが本当に卑怯

コメント欄地獄で、「怖くて震えました!」「勉強になります!」とか称賛してる信者がうじゃうじゃいる。いや、それ勉強になってないから。ただ恐怖映像見てドキドキして、悪ノリして盛り上がってるだけだから。それを「予習」とか呼んで正当化するなよ。

③界隈の承認欲求暴走してる

昔はニコ動の片隅でひっそりやってた趣味だったのかもしれないけど、今はYouTubeで数百万再生かいちゃうから投稿者承認欲求バグり始めてる。X(Twitter)でもフォロワー数万人とか抱えてて、もはや専門家インフルエンサー気取り。

④実害がある

NHKや他局の素材やフォーマットを完コピしてるから子供やお年寄りが本物と勘違いするリスクもあるし、実際に被災した人があの音聞いてフラッシュバック起こすことだってある。「架空です」って書けば何してもいいわけじゃないだろ。

人の不安や恐怖をダシにして、テレビ局ごっこ再生数稼いで承認欲求満たすの、いい加減にしてほしい。NHK法務部あたり、そろそろ本気で怒ってくれないかな。

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