はてなキーワード: バッシングとは
Amazonのレビューにもいるんだが、「ちゃんとするようになった」じゃなく「穏健路線になった」って認識する辺りに、古参の空想科学読本ファンの救いようのなさを感じるんだよな
ありえないという結論を導き出すためにデータや実現可能条件を取捨選択している、というふうに古参おたくから批判されたのが初期の空想科学読本じゃん
それを改めたのなら、穏健になった、ではなく、ちゃんとしたものを書くようになった、という評価になるはずなんだ
これってつまり、あれを読んで「いいことを知った」と自尊心が高まる心地になった馬鹿には古参おたくが指摘した問題点がまるで理解できてなかったってことなんだよ
第一、SF等に対する科学考証はすでに確立されているジャンルなんだから、ちゃんとした内容ならあんなにバッシングされるわけがないだろう
1980年代以前にインターネットがあった世界線の人…?それともパソ通か?
でもパソ通の時代にはそんな大っぴらな女オタ叩きはなかったし、インターネットで匿名掲示板が繁栄したのは宮崎事件よりも遥かに後の1990年代後半以降だろう
そこで女オタクが叩かれていたのは否定しないけれど、その中でもBL愛好家いわゆる腐女子は数が多い事もあって力関係が強かった方だし
少女漫画や男女カップリング(特に非公式)愛好家へのバッシングへの方がよっぽど酷かったよ
単に叩きスレがあったかどうかで言ったら男オタ叩きのスレだってあったし
笙(しょう)
@ebosikariginu
そういうこと書きたくないんでしょ 調べたくないんでしょ
そういうとこなわけ
なんかまたSNSで空想科学読本がバッシングされてるけど、定期的にこの話題繰り返してないか特撮クラスタ
確かに初期の空想科学読本って「こんな事科学的に起こらねーよ」的な考証あげつらい路線だったから特撮ファン的にはムカつくのはわかるんだけど、
でもそのあげつらい路線はかなり早い内に是正されて、「作中のこの描写は科学的にどういった事が起こってるのか考えてみよう」みたいな穏健路線にシフトしたんだよね。
でも未だに特撮クラスタは"あの頃"の空想科学読本をいつまでもいつまでもいつまでも何十年も叩き続けてるの、傍目に見て異様だよ。
これだから特撮クラスタには関わらないほうがいいって思われて特撮自体がどんどん衰退していくんだよ。
そんなに「空飛ぶウルトラマンは首がちぎれる」が許せなかったの?
何十年も前の柳田理科雄の亡霊を叩き続けてて楽しいか?いい加減歩を進めたら?
(ちなみに近年の空想科学読本はシン・ウルトラマンも取り上げてたけど「劇中で科学的考察されてるからワシの出る幕無かった」とか言ってただのシンウルの感想で終わってた)
だいたい特撮クラスタの何が嫌って、基本的に犯罪者的思考なんだよね。
ちょっと前にウルトラセブン欠番回の存在するはずのない4Kリマスター映像がニコ動が違法アップ(明らかに内部の犯行)されて話題になったけど、
この音喜多って人もそうだけど、子連れ再婚を批判するなと訴える人が悉く、親の立場からの主張なのはどうしてなんだよ。
言っていいとしたら、自分も親が再婚したけれど幸せだったという子供の立場の人だけ。
親には何も言う資格ないよ。
仮にこの人の子供が幸せだと言っていようが、そんなのは親に気を遣って我慢しているだけかもしれないし。
子連れ・シンママ再婚にバッシング過熱…音喜多駿氏も苦言「私も継父。属性だけで危険視するような言説は立ち止まってほしい」 京都男児遺体遺棄事件巡り
https://news.yahoo.co.jp/articles/122a241742724b299e8c57a466bd52f5a9d8678c/comments
まあ、正直子供の立場だろうと、本当は言う資格はないと思っているけれど。
たとえ自分の家庭が幸せだろうと、それを一般化して批判を封じるべきじゃないと思う。
どう考えたって、親の再婚を嫌がる子供やそれに寄り添う声が多いのは当たり前なんだからね。
私自身もシングル家庭育ちだけど、親が再婚するのは本当に嫌だったし、それをわざわざ主張して波風立てたりマザコン認定されたりするのが怖かった。
憤りの話です。今更過去の話だと言われてもやっぱり許せないことがある。
本当になんで自分たちのせいじゃないのに、あんなに日本中からメディアから毎日罵られる世界で思春期や学生を生きてたんだろうって。
いま、その世代にあたるだろう人達が自己肯定感が低く、病気がおおいといわれてる。それでいつも思う。「多感な思春期を叩きまくったあなたたちメディアも原因の一つだよね?」って。
ネットで、twitterでバカッターとかゆとり笑とか、2chあそばれてたのは全然許せる。見なきゃいいし、そもそも個人の行いだから。
でもメディアは許せない。自分の都合では防げない、毎日目や耳に入る状態で罵られて、肩身狭くされて、個人が努力してもゆとりって世の中で罵られるようになって。
それって、多感な思春期にしていいこと?いい歳した大人が、小学生や小学生に上がりたての子供に対して。社会に出てからもあったよね。
一般家庭ってみんな度合いは違えど、機能不全家庭だったよね。きっと今もそうだけど、その状態に加えて何年間も連日メディアからのバッシングってどうなのかな?自己肯定感が育つかな?低くする理由にならないかな?
ゆとり教育そのものは、7歳くらいのころ4時間授業だったのが、土曜がなくなることにより5時間目や6時間目が追加された。同級生も私も午後には疲れて眠たがっていた。土曜も家にいることになったことは、親から「子供がいるせいで今までみたいに午前ゆっくりできない!」と面倒臭がられた。金土で分割してた学校の持ち帰り荷物が金曜全てに集中して、いつも小さい身体に大荷物だった。まあ施策自体もキツいとこあったけども、問題はそこじゃない。
あんなバッシングし続けてきたくせに、謝罪することもないメディアってなんなの?
自らの役職や会社がした行いが良かったか悪かったか、そんなことも振り返ることもない…。
アナウンサーもニュースもずっと嫌い、制作や会社の気風、そういう上から言われて仕事だからやってるっていっても。
そう言ったら、無罪で許されるの?
平気な顔でずっと罵り続けた職種は、コメンテーターより悪質だとおもってるんだ。
たまに擁護や同情する記事もあったけど、それって全部ネットの記事とか小さい派閥だった。まあ当時のメディアって総理おろしとかもやってたけど…。
そういうのも含めて、ほんと無責任で無責任でずっと許せない。ずっと嫌い。
当時の子どもたちをバッシングして、自己肯定感を奪ってお金もらって、無責任で。
最近の「自己肯定感の低い平成初期勢の病気率」みたいな特集見かけるたびに「お前も加担してただろ」って言いたくて仕方なかった。沸々と湧き上がる。あのころと同じ人が制作に関わってるとは言えないのにね。上の人なんて、もうとっくにしんでるかもしれないよ。
平成リバイバルどうのと見るたびに、世間から絵描いて漫画よんでたら犯罪者予備軍扱いだったり迫害だった時代のこととかも、思い出してほしい。あんな風に「ゆとり世代は愚か、バカ、あきれちゃう」ってずっと言ってたよね。
学校みたいな個人間なら「いじめたやつがわるい、地域環境が悪かった」で折り合いつくんだけど、メディアは違う。メディアは情報操作のできる世間で組織だよ。
人から自己肯定感を奪える十分な環境であったと自覚してるんだろうか、関与してた彼らは。憤りを感じる。きっと罪を自覚してほしいんだと思う。そんな日来ないのにね。
肯定感で苦しんでるゆとり世代が多いのは、親のせいだけじゃない。メディアも原因のひとつでしょって思ってるんだ。
この日記を書いたのは、誰かに叫びを知ってほしかったから。恨みが届いて罪の意識が芽生えたらいいのに向こうに芽生えることはないだろうから、せめて聞いてほしかった。それだけ
まだ読んでないけど話題が気になる人は下記を一読してね。
HERO'S Web公式アカウントによる春泥先生からのご伝言
・ヒットし海外にも届く
(※原作の方がアニメより性が濃かったり、春泥先生個人垢のセルフFAでは先生×生徒のもうちょっと大胆めな描写があったりしたらしい)
です。
女性を題材とした性的表現を含む他の表現を売って自分だけ助かろうとする言い分であり、未成年者を題材とした表現の自由を狭めるバカな言い分でもある。
しかし、春泥先生をあくまで庇いたい腐女子たちはこう言います。
「(男共は)自分向けじゃない作品でまで女性の性的描写を求めるな」
「春泥先生は自分の作風に合った描写をスタッフさんにお願いしただけですよ! 何が悪いの?」
「別に他の表現なんか売ってない! 自分の方針を言っただけ!」
可哀想なので解説文を置いておきます。可哀想なので。あなたたちはとてもとてもとてもとても可哀想で文章が読めなくて幼稚で愚かでおそらく今後の進歩も望めないみじめな生き物なので。
『乙切と広瀬の距離を近づけすぎず、あくまで教師と生徒の関係であることを意識して描写してほしいこと、
普通は話の流れを把握してここを読んだだけで「女性を題材とした性表現を売ったな」とわかるんですが、わからないようなので教えましょう。
先にノイズを取り除くと、この部分に関しては『軽々しく引き合いに出してはいけない言葉を引き合いに出した』ことでも怒られています。
それを除いた上でも、「他人を売ったことにはならない」と言い張る腐女子も多いですね。
いいえ、売っています。
春泥先生がやったことはこうです。『怒られてもないことを釈明しだした。それも、悪事ではないことを悪事のように』。つまり、キャラの年齢のことで炎上したのに何で女のこと言い出した? ということ。
職場に例えましょう。
昼休憩の取り方について理不尽な怒られをしている同僚が急に言い出したんです。
「それに私、女の子に残業頼むなんて酷いことしたこともなくて……」
別に女子に残業頼んじゃいけないような職場環境でも業務内容でもありませんし、全然残業ばっちこいな女子もいます。
そしてあなたは普段からなるべく公平に――つまり男女どうこう関わりなく女子にも残業を振って仕事を回している社員です。
「あんた昼休憩の話で詰められてなかった⁉︎ ってか急に売られたな私⁉︎」
ってなりません? あ、ならないですか?
なになに、『私の大好きな春泥先生はそんなひどい意図で言ってないと思う』? ……バカか?
作者は過去に、BLというジャンルにおいて、年齢差の開いたカップリングや教員と生徒といった大人と未成年のカップリング作品をいくつか作ってきましたが、
……引用していて、現実と結びつけるなミソッカスが。で終わらせたくなってきました。
創作上の話であれば、年頃の娘が靴を履くために母親に爪先や踵を切り落とされてもいいし、小中学生がセックスしたっていいんだ本来は。
それをバッシングに屈して『昨今の犯罪の多さを鑑み』なんてそれっぽい理由で全面降伏したらどうなるでしょうか。
だって春泥先生は『私は今後、あなたたちに許される範囲じゃないと創作しません』と白旗を振ったも同じなので。
それはつまり、理不尽なバッシングにお墨付きを与えてしまったということですから。
折角なので引き続き職場に例えましょう。
昼休憩の取り方について理不尽な怒られをしている同僚が最後にこう締めました。
「私、今後は当然の業務遂行態度として昼休憩が終わる20分前には席について電話番し始めます」
なんか私が職場に例えちゃったせいで「そいつと上司が間違っているし労基に相談しろ」で終わりだし「同僚なんだから助けてやれよ」になるんですけど、
現実の作家先生の話に戻してみますと最悪ですよ。一定以上の発言力を持つアニメ化作品を持つ商業作家が「私が悪かったんですぅ〜」してしまったの。
まあこうやって『なんて書いてあるか』を解説したところで、春泥先生を慕うことを第一に考えている雛鳥ピヨピヨ腐女子どもは『先生のお考え』として一番穏当でしっくりきて自分達の心が安らかであり続けられる受け取り方を探してそれを信仰するんでしょうけどね。
日本の二次元文化、特にBL(ボーイズラブ)文化と西洋の道徳観の対立については、近年、英語圏の「Woke(ウォーク)」界隈や宗教的な価値観との間で深刻な摩擦が生じています。
英語圏のWoke界隈では、「西洋のクィアメディアは道徳的に善であり、アジアのクィアメディア(BLなど)は道徳的に悪である」という認識が広まっています。彼らは、自分たちのコミュニティにおけるLGBTQ+表現の「道徳的神聖さ」を維持するために、アジアの表現を「不道徳」として攻撃し、自らの偏見を道徳的に正当化する傾向があると指摘されています。
日本のBL文化は、西洋の右派・左派双方から異なる理由で攻撃対象となっています。
日本の腐女子層は、左派(ゲイフレンドリーな層)を味方だと誤認しがちですが、実際には「未成年表現」を理由に激しい拒絶に遭っています。
この対立の背景には、「アジア人差別」や「オリエンタリズム」が根深く存在しているという指摘があります。
日本では「二次元(創作)」と「三次元(現実)」を明確に区別し、ゾーニング(区分け)さえされていれば表現は自由であるという考え方が一般的です。
しかし、西洋の道徳観(特に宗教的道徳観をOSとする思考)では、この区別が重視されません。彼らにとっては、創作物であっても未成年を性的に描くこと自体が「道徳的な悪」であり、現実の被害の多さから二次元を「架空のもの」として切り離して考えることが困難であるとされています。
こうした対立が表面化した象徴的な事例として、漫画『ガンバレ!中村くん!!』の作者が英語圏のユーザーから猛烈なバッシングを受け、アカウント削除に追い込まれた騒動が挙げられています。
また、こうした「外圧」はSNS上の批判に留まらず、クレジットカード決済の制限といった実害を伴う形でも日本の表現文化を脅かしており、日本側も単なる「内輪ノリ」では済まされない状況に直面しています。
Hatelabo::AnonymousDiary The Movie。75点。
酒屋の自販機を破壊した罪で逮捕された自称サトウジロウを取り調べることになった染谷将太。そんな染谷にサトウは自分は霊感があり、秋葉原で何か起きる気がすると言い出す。何言うてるねんと思っていたら秋葉原で爆弾が爆発。サトウはこれはあと三度起きると言い染谷の説得もむなしく2発目が爆発。本庁から乗り込んできたゴリキャリの渡部篤郎と天才肌の山田裕貴にバトンタッチ。警察組織VSサトウジロウの戦いが幕を開ける。
みたいな話。
いや、面白かった。
佐藤二朗オンステージって感じで多くの福田作品で見せる感情の入ってないクソ演技をさせたら日本一の異名を持つ佐藤らしい空虚な異物としてのサトウジロウを完全に演じきっていて意外にいい役者だなぁって思った。一方で一見柔和が陰気で神経質で権力的な渡部や、覇気のない染谷、無邪気な天才山田あたりはなんか"いつもの感じ"で弱く見えたかな。製作的にも今回は佐藤二朗を見てくださいって感じだったんかな。
で、話としては激ヤバ組織である警察相手にそのヤバいところをサトウがガンガンに打ち返してそれを突き付け崩していく。恩義のある刑事を庇った結果冷や飯食わされて無気力な染谷、功名心とエリート意識にとらわれる伊勢、自身を規律と権力の代表者であると思い込んでいる渡部、自分を天才と思い込んでいる山田、そしてなんか外にいるやっぱり功名心に囚われた矢吹巡査。それぞれの抱える火薬にサトウが口巧みに火をつけて次々と爆破していく。
一方でサトウ本人に実は主張はない。この計画自体も元々はサトウのものではなく、殺人現場に夜な夜な忍び込んではシコっていたことが週刊誌に取り上げられ大バッシングを受けて自殺した刑事の家族が計画したもので、サトウはそれに後乗りしただけ。途中で犯行声明動画が投稿され、そこで動機らしきものを語るがそれも元の犯人の動画を模倣しただけ。取調室内で語るほとんどのことはウソであり、相手を翻弄したいだけ。
途中、功名心から足を吹っ飛ばされた矢吹のバディである伊藤沙莉がサトウを罰しようと取調室に乗り込んできた際にサトウはその悪意を一身に受け射精する。また、渡部を執拗に挑発し渡部が自負する規律と倫理の代表者という仮面を強引に剥がし自分の指をへし折らせる際にも笑っている。彼はブラックホールのように相手の感情を取り込むことだけを目的に動いているように見える。
つまるところ彼は空虚な内面にSNS上で得た空虚な情報を吸収し、それを凶悪なエントリやトラックバックで発散することで他者の感情を煽り怒らせ自分に対するレスを誘発しそのことでシコる増田の化身のような人間であると言える。つまりこの映画もまた増田である。
最もサトウに近い無邪気な天才山田を徹底的に煽り最終的に彼が天才ゆえに持つ厭世観や世間への身下しを引き出し彼は取調室を去る。そして組織という社会の中で抗えない大きな流れの中で無気力な一般人としての染谷と再会したサトウは「お前、この大騒動でワクワクしてただろ」と社会不安が起きると急にウキウキしだしSNS煽りをはじめ、「お前はこのままダラダラ生きていくのか」と煽るが、染谷は「俺は別にそれが不幸だとは思わない」ときっぱりと線を引く。
それを見たサトウは「今回は引き分けと山田に伝えろ」と告げる。
彼は今回の事件で出会ったすべての人間、渡部、山田、伊勢、伊藤、矢吹、明日香の心の中の爆弾すべてに火をつけることに成功したが、唯一今回の事件の発端となったシコり刑事に寄り添った染谷の爆弾には火をつけることができなかった。だから彼は今回の勝利をいったんは放棄したんだろうと思った。どれだけ煽っても煽りに乗ってこなかった増田に、まだ増田も捨てたもんじゃないなと独り言ちる俺のように。
空虚なサトウがその空虚さゆえに相手にの心の爆弾を爆破するという作品のメインテーマに全部りしているので、ロジックで見れば決していい出来とは言えない。犯人はシコり刑事が電車に飛び込んだことで多額の借金を背負って一家離散したという設定だが、金だけならそんなもんは相続放棄すればよくね?と思うし、元々山手線を爆破する予定で爆弾を作っててその計画自体はもうほぼ完遂してたのに何で爆弾そんなに余ってたん?って感じだし、その爆弾も缶やペットボトルに仕込んで自販機に入れてたって話だけど山手線の自販機に売れ行き的にもさすがにリスク高すぎね?
渡部を破壊したホームレスと園児を秤にかけた爆破事件も実際にはホームレスの炊き出しと幼稚園、両方に爆弾を仕掛けていて渡部に幼稚園を選ばせて「お前は死んだのがホームレスでほっとしただろ!」って突き付けてたけど、これうまいこと爆弾が見つからなくてどっちも爆発してたらどうするつもりだったんやろかと思うし。
真面目に見たらツッコミどころ満載でう~んってなるけど、サトウジロウの暗号ゲーム自体がフィクションラインだいぶ低いよねって言われたら確かにな~、なんか悪役がなぞなぞ出してくるレベル帯の作品、アメコミとかそういう感じで見るべきなんだろう。
まぁそんな感じかな。
画で言うと冒頭のアキバ爆破シーンめっちゃ頑張ってたし、何よりサトウジロウと警察たちの鼻詰まる攻防戦をたっぷり楽しめる。ぶっちゃけ俺は大したメッセージ性は感じなかったけどサトウジロウは増田だったと考えると、俺の中にもサトウジロウという爆弾は眠っていると言えたり言えなかったりするかもしれないししないかもしれない。
もう誰かが書いてると思うけど書く。
俺は同志社国際ではないが、同志社の附属高校出身のおじさんだ。修学旅行は長崎とかだった。
俺は高校時代に生徒会の役員をしていた。その時に教師から教えてもらった情報なんだが(そして自分が高校生の頃の話だから今はどうなってるか知らんが)同志社の附属高校には教員組合が2つある。
共産党系と体制派系。言わずもがな、共産党系は日教組とかともつながりが強い。附属高校の教師になったら、そのどちらかに入るらしい。そしてその2つは当然ながら仲が悪い。
共産党系は少数派なんだが、声の大きい組合員が多く、学校行事などにも口をはさんでくる。年間を通じた最大の活動は「私学助成金」の署名活動だった。
当然、修学旅行の行先や活動内容なんかにも口を出してくるだろう。今回の同志社国際みたいな活動も、口のうるさい共産党系の組合員の意見を採用して、昔から実施されてたんだと思う。
そして今回、そこで悲しい事故が起きた。だから今は同志社国際の内部ではここぞとばかりに、共産党系の教員組合に対するバッシングの嵐が吹き荒れてるはずだ。これはしかたない。命が失われてるんやし。やがてはそれぞれの附属高校で、共産党系の教員組合の勢力が弱まることだろう。
ただ俺は、それもちょっとどうかな、とも思う。共産党系の教員組合が弱まり、体制派の組合の発言だけが通るようになるというのも、少し危険な気がするのだ。別に「軍靴の足音が聞こえる」などと使い古されたクリシェを言いたいわけじゃない。実際俺も、共産党系の空論とか極論は好きじゃないし。
でも、世界で唯一の被爆国の国民として「戦争反対」とは言い続けたいし、子どもを戦争には絶対行かせたくない。だから世の中がもしドンパチ側に向かおうとすることがあるなら、そんな時のために、共産党系が持つ「体制に反対する時に出る馬鹿力」みたいなものも温存しておきたいと、ちょっとだけ思ったりもする。
今回の同志社国際の事件は本当に痛ましいし、あの行事を主導したであろう共産党系の教員組合には大いに反省してもらいたいが、シなない程度にボコるくらいにしておいていいかも、とも思う。
現代の結婚や育児における男女の役割と葛藤について、提供されたソース(オンライン掲示板の書き込み)に基づくと、以下のような根深い不信感や構造的な歪みが浮き彫りになっています。
現代の親にとって、子供をどのように育てるかは大きな葛藤の種となっています。
かつての「専業主婦」モデルから共働きが当たり前の社会へと変化する中で、男性の役割に批判が集まっています。
女性の生き方に対する社会的な評価が、時代とともに変化しつつも常に批判に晒される状況が葛藤を生んでいます。
かつての「子供が親を看取る」という家族の役割は崩壊しつつあります。
これらのソースからは、経済的な負担(子供一人に2000万円かかるなど)だけでなく、精神的な消耗や、ネット社会における異性間対立の激化が、結婚や育児をより困難なものにしている現状が伺えます。
ネット上の異性叩き、特に女性に対する論調が変化した理由については、ソース内で以下のような背景が指摘されています。
2026年3月16日、辺野古沖で起きた抗議船転覆事故は、17歳の女子高生・武石知華さんの命を奪いました。
事故からわずか2日後の3月18日、母親は眠れぬ夜を耐えきれず、突然「知華が呼んでいる」と感じました。そして一人で辺野古漁港へ向かいました。知華さんのパーカーと帽子を着て、静かにホテルを出たのです。
父親はそれを止めませんでした。
漁港に着いた母親は、事故船「平和丸」が意外にも制限なく置かれていることに驚き、船の端に触れ、知華さんの名前を呼びながら写真と動画を撮影しました。
その一方で、運動側からの反応は、冷たく、痛いほど無情でした。
事故後も「活動に事故はつきもの」という声が一部から上がり、公式な深い謝罪や遺族への直接的な連絡はほとんどありませんでした。父親はメモにこう記しています。
3月19日、遺体を神戸へ搬送する飛行機の中。母親は何度も「知華、寒くない?」と声をかけ、父親は胸が張り裂けそうな思いでこう思いました。
通夜の準備では、知華さんの好きな服や小物を棺に納めながら、家族全員が泣き崩れました。
これが、遺族が味わった現実です。
ところが、左派メディアの多くは、この痛みを真正面から受け止めようとしませんでした。
事故の本質である反対協の安全管理のずさんさや、平和学習の政治的偏向にはほとんど触れず、「安全対策強化」と「デマ防止」に軸足を置いています。
朝日新聞も同様に、事故を「平和学習中の不幸な海難事故」と位置づけ、学校や行政の対応を前面に押し出しました。遺族の痛みや外部委託の構造的問題を深く掘り下げることはありませんでした。
服部良一社民党幹事長は事故直後の街頭演説で、こう述べました。
事故の直接的原因を検証せず、すべてを辺野古工事のせいに転嫁する——こ被害者の痛みを政治的に利用する冷酷な態度です。
遺族の父親は、こうした冷たい対応を静かに、しかし痛切に記録しています。
「平和」という言葉が、違法行為や思想誘導を覆い隠し、遺族の悲しみを相対化する免罪符として機能している——その現実を、遺族メモは淡々と、しかし胸を締め付けるように描き出しています。
あなたたちが大切にしている「平和」「反戦」「いのちの大切さ」という価値は、本来、尊いものです。しかし、それが被害者の痛みを矮小化し、責任を曖昧にし、冷たい態度を正当化する道具になってしまっているとしたら、それは本末転倒です。
遺族のメモは、ただ事実を記しているだけです。その中にこそ、人の心を取り戻してほしいという、静かで切実な呼びかけがあるように感じます。
どうか、左派メディアと左派政治家の方々が、この事故を機に、人の心を取り戻すことを、心から願っています。
(引用元:武石知華さん父親のnote「辺野古ボート転覆事故遺族メモ」3月18日・3月19日分、琉球新報2026年4月13日記事、服部良一社民党幹事長2026年3月19日発言、玉城デニー知事2026年4月10日会見など)
戦後から1980年代までの日本は、「優れたハードウェアを安く大量にコピー・改善して輸出」という最適化において、世界最強の実行速度を誇っていた。
加工貿易・中継貿易をやって円の価値が低かった時期に自動車やコンピュータ部品などを大量生産大量輸出して中国みたいな世界の工場になっていた。
当時、アメリカは貿易赤字に苦しんでいた。そこで日本や西ドイツなどの主要国をニューヨークのプラザホテルに集め、「ドルを安くして、君たちの通貨を高くしろ。さもなくば制裁だ」と強制した。
1985年のプラザ合意で円とドルが変動制になって急激な円高になった。その後しばらくの間は日本人は日本経済は青天井に伸びると信じていて有頂天になってた。
札束振ってタクシー止めないとタクシーが止まってくれないぐらい2.5%の金利で円が有り余ってて不動産投資をしまくった。大手商社がアメリカのロックフェラー・センターを買った。
働けば働くほど儲かった時代だった。
ところがその見せかけの経済成長は続かなかった。
ーーー
1989年12月29日、日経平均株価は史上最高値(終値38,915円87銭)を記録。その後、日銀の金融引き締め(金利引き上げ)や総量規制などの影響で急落し、株価と地価が暴落、バブル経済は崩壊しました。これにより日本は、長期間にわたる低成長と不良債権問題(失われた30年)に突入しました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E9%87%8F%E8%A6%8F%E5%88%B6
女性おたくは1990年代の宮崎勤に端を発したオタクバッシングの時もそうだが、"道徳的"に善良ではないとみられることに非常に弱い。
そのため男性オタクと異なり世間から排除されても自らの趣向を誇示するという選択肢を取らなかった。
今回の騒動は、『ガンバレ!中村くん!!』の作者が、自身の作品の公式カップリング(男子高校生同士)とは異なる、「教師と生徒」のイラストをSNSに投稿していたことが引き金。
作者がファンサービスとして、先生(成人)と広瀬(未成年)という、教師と生徒の恋愛を想起させる落書きをX(旧Twitter)に投稿した。
これが、特定のカップリングしか認めない「固定派」と呼ばれる一部のファン(腐女子)の逆鱗に触れた。
騒動を激化させた大きな要因は、英語圏、スペイン語圏、ポルトガル語圏の腐女子がWokeを動員したことにある。
作者はもともとメンタル面で不安定な状態にあったそうだが、多国籍アカウントからの絶え間ない誹謗中傷や「ペドフィリア(小児性愛者)」とのレッテル貼りに耐えきれず、SNSアカウントの削除に追い込まれた。
こうした騒動をきっかけとして、日本だろうが南米だろうが北米だろうが、どこの腐女子も文化的背景が同じであることが露呈した。
今回の騒動は「ファン内部のカップリング論争」が「Woke思想の武器化ノウハウ」と結びつき、SNSを通じて作者個人を社会的に抹殺しようとした過激なバッシング事件だ。
以下は、2026年3月の辺野古沖転覆事故(平和学習中の同志社国際高校生徒が乗船した抗議船転覆事故)に関する左派系政治家とその他の政治家の主なコメントを抜粋し、比較したものです。焦点は教育基本法第14条(政治的中立性)や安全管理・責任の所在に対する姿勢です。
「われわれ沖縄県の平和学習の基本的な考え方と共通している」「安全性を確保した上で、生徒の考えや議論が深まるようさまざまな見解を提示し、現地を視察することによって、活動の趣旨、目的、安全性、中立性が確保された上での教育の一環であるという考え方は、共通していると思う」
批判的比較:中立性を形式的に主張する一方で、反対協運航船の実際のプログラム内容(反対派一方的案内、政府側視点の不足)への検証を避けています。教育基本法の精神(多角的視点の確保)を軽視し、県の平和学習理念との「共通性」を優先する姿勢が見られます。
「平和学習に対するバッシングが来ないよう、力を合わせて、この危機を乗り越えていきたい」「そもそも辺野古の新基地建設をいつまでも続けるのが悪い。埋め立てるのが悪い。こんなことをしなかったら、こういう事故も起こり得なかった」
「コメントする立場にない」「詳細を知らない。報道ベースで分かっているが、それについて議論したりしていないので、コメントは差し控える」
批判的比較:事故原因を辺野古工事に転嫁し、教育基本法違反の可能性や反対協の安全管理責任をスルー。党首も党幹部の問題発言を積極的に訂正せず、責任回避とイデオロギー優先が顕著です。
「平和教育そのものはとても大切なものだ」「事故の究明を捜査当局が行っている。究明が求められる以上には、私からコメントのしようがない」「反対協が安全上の不備を認めて謝罪し、事故原因究明への全面協力を表明している」「日本共産党としてもこの立場で真摯な対応をしていきたい」
批判的比較:党が反対協の構成団体である事実を事故後2週間以上伏せ、他人事のような「究明待ち」姿勢。平和学習の偏向性や教育基本法第14条への抵触を検証せず、運動の擁護と責任の矮小化が目立ちます。
主なコメント(2026年3月24日・4月3日 記者会見など):
「特定の見方や考え方に偏った取り扱いにより、生徒が主体的に考え判断することを妨げることがないよう留意することが必要」(教育基本法に基づく一般論)
「一般論として、活動の目的が政治的意義を持ち、その効果が政治に対する援助・助長になるような行為であれば教育基本法第14条第2項の政治的活動に該当し得る」
「学校側の対応について安全確保に向けた取り組みの不備(事前の下見欠如、保護者説明不足、引率体制不備など)を把握している」
特徴:個別事案への直接コメントは控えつつ、教育基本法の政治的中立性と安全管理の徹底を明確に意識。左派系が「平和学習の大切さ」を強調するのに対し、多角的視点の確保と生徒の主体的判断を繰り返し指摘し、検証を促す現実的・法令遵守の姿勢です。
「事故原因や学校外における活動の安全確保に向けて、政府と連携しながら対応していく」
特徴:左派系が責任転嫁や「究明待ち」に留まるのに対し、偏向教育の可能性と背後関係の究明を正面から問題視。教育ガバナンス全体の検証を求める積極的な姿勢です。
「過激な活動をする人が多いのは沖縄の特殊事情。問題意識を持ってもらわない限り、一般人が巻き込まれて命が失われるリスクは無くならないのではないか」「希薄な安全意識は今回の事故のみならず、辺野古の移設反対活動で従前からあった」「一件一件対処するしかない」「どこか仕方ないのでは」と見過ごされたことから若い命が失われたのではないか。
特徴:抗議活動の安全意識の希薄さを「沖縄の特殊事情」として指摘し、一般人(生徒)が巻き込まれるリスクを問題視。左派系が運動擁護に傾くのに対し、安全優先の現実的視点を強調しています。
「この出来事は人災です」「教育の歪み、特定思想の暴走、教師と政治家の責任。大問題です」「何故学校は生徒を抗議船に乗せたのか?それも親に無断で」「右翼の街宣車に子供達を乗せていたら世間は怒るだろ。同じだよ」 特徴:左派系が避ける「特定思想の暴走」と「教師・政治家の責任」を直球で批判。双方向の公平性を求める論点を提供。
「辺野古という場所が、平和学習の場として本当に安全で適切なのか。高校生を船に乗せて現場の海に連れて行く教育のあり方についても、社会全体で冷静に考える必要がある」 特徴:場所の適正性と教育内容の検証を冷静に求める中立的視点。
哀悼・「平和学習の大切さ」・「デマ反対」を強調し、事故原因を辺野古工事に転嫁したり「究明待ち」に留まる。教育基本法の中立性検証や反対協の安全管理責任に踏み込まず、運動継続を優先する印象。
教育基本法第14条の政治的中立性、安全管理の不備、偏向の可能性、背後関係の究明を正面から指摘。文科省や自民党は法令遵守と全国的な再検証を促し、参政党などは「一般人が巻き込まれるリスク」を現実的に問題視。立川志らく氏などは「特定思想の暴走」として強い危機感を示す。
漫画『ガンバレ!中村くん!!』が海外で炎上し、作者がアカウントを削除するに至った経緯は以下の通りです。
このように、海外の特定の層による「存在が許される創作物」の基準から外れたことで、理想の作品としての称賛が一転して激しいバッシングへと変わったのが事の経緯です。
多くの人が「戦争には反対だ」と思っていると思う。
私もそうだ。
ただ、その先の話になると、正直よくわからなくなる。
たとえば憲法9条。
今の状況を見ていると、確信が持てない。
「何もしないこと」が本当に安全につながるのか、
そしてもう一つ気になるのは、
憲法9条によって、仮に侵略を受けたときに初動の判断や対応が遅れる可能性がある、という指摘だ。
ただ、そうしたリスクが指摘されている以上、
その不確実性ごと引き受ける立場でもあるのだと思う。
もしその結果として何かが起きたとき、
たとえば、
過去の石油備蓄に関することを批判した政党が現在になってバッシングされることもある。
一方で、はっきりと意見を表明できる人の存在はすごいとも思う。
後から批判される可能性も含めて引き受ける立場に立つということでもあるはずだからだ。
「改憲反対」と言い切れること自体は、ある意味ですごいことだと思う。
私は、そこまでの覚悟を持てていない。
人に対して表明しなくてもいいのかもしれない。
まだ情報も足りていないし、納得もできていない。
十分に理解しきれていないまま、
自分自身を裏切ることになる気がしている。
私は、戦争には反対だけど、それと改憲を結びつけて強く賛成とも反対とも言い切れない。
どちらか一方だけが安全だと言い切れる状況ではないと思うからだ。
最近、
イラン・イスラエル衝突や、そこに関与するアメリカ合衆国政府、各国の動きを見ていて改めて感じたことがある。
どこかの国で起きている出来事も、完全に他人事として切り離せるものではない。
自分たちが何を提供し、どういう関係の中にいるのかを考えること。
それが、今の自分にできる一つの行動なのではないかと思っている。
私はまだ答えを持っていない。
簡単に言い切らないこと、
そして考え続けることだけはやめたくないと思っている。
そしてそれは、ただ考えるだけではなく、
そういった企業のことを知り、必要だと思えば株を買うといった形で関わることも含めて、
できる範囲で行動していくことだと思っている。
多くの人が「戦争には反対だ」と思っていると思う。
私もそうだ。
ただ、その先の話になると、正直よくわからなくなる。
たとえば憲法9条。
今の状況を見ていると、確信が持てない。
「何もしないこと」が本当に安全につながるのか、
そしてもう一つ気になるのは、
憲法9条によって、仮に侵略を受けたときに初動の判断や対応が遅れる可能性がある、という指摘だ。
ただ、そうしたリスクが指摘されている以上、
その不確実性ごと引き受ける立場でもあるのだと思う。
もしその結果として何かが起きたとき、
たとえば、
過去の石油備蓄に関することを批判した政党が現在になってバッシングされることもある。
一方で、はっきりと意見を表明できる人の存在はすごいとも思う。
後から批判される可能性も含めて引き受ける立場に立つということでもあるはずだからだ。
「改憲反対」と言い切れること自体は、ある意味ですごいことだと思う。
私は、そこまでの覚悟を持てていない。
人に対して表明しなくてもいいのかもしれない。
まだ情報も足りていないし、納得もできていない。
十分に理解しきれていないまま、
自分自身を裏切ることになる気がしている。
私は、戦争には反対だけど、それと改憲を結びつけて強く賛成とも反対とも言い切れない。
どちらか一方だけが安全だと言い切れる状況ではないと思うからだ。
最近、
イラン・イスラエル衝突や、そこに関与するアメリカ合衆国政府、各国の動きを見ていて改めて感じたことがある。
どこかの国で起きている出来事も、
日本もまた、
他国に対してさまざまな形で関わっている。
だからこそ、
どういう関係の中にいるのかを考えること。
それが、今の自分にできる一つの行動なのではないかと思っている。
私はまだ答えを持っていない。
でも、だからこそ、
簡単に言い切らないこと、
そして考え続けることだけはやめたくないと思っている。
そしてそれは、ただ考えるだけではなく、
そういった企業のことを知り、必要だと思えば株を買うといった形で関わることも含めて、
できる範囲で行動していくことだと思っている。
多くの人が「戦争には反対だ」と思っていると思う。
私もそうだ。
ただ、その先の話になると、正直よくわからなくなる。
たとえば憲法9条。
今の状況を見ていると、確信が持てない。
「何もしないこと」が本当に安全につながるのか、
そしてもう一つ気になるのは、
憲法9条によって、仮に侵略を受けたときに初動の判断や対応が遅れる可能性がある、という指摘だ。
ただ、そうしたリスクが指摘されている以上、
その不確実性ごと引き受ける立場でもあるのだと思う。
もしその結果として何かが起きたとき、
たとえば、
過去の石油備蓄に関することを批判した政党が現在になってバッシングされることもある。
一方で、はっきりと意見を表明できる人の存在はすごいとも思う。
後から批判される可能性も含めて引き受ける立場に立つということでもあるはずだからだ。
「改憲反対」と言い切れること自体は、ある意味ですごいことだと思う。
私は、そこまでの覚悟を持てていない。
人に対して表明しなくてもいいのかもしれない。
まだ情報も足りていないし、納得もできていない。
十分に理解しきれていないまま、
自分自身を裏切ることになる気がしている。
私は、戦争には反対だけど、それと改憲を結びつけて強く賛成とも反対とも言い切れない。
どちらか一方だけが安全だと言い切れる状況ではないと思うからだ。
最近、
イラン・イスラエル衝突や、そこに関与するアメリカ合衆国政府、各国の動きを見ていて改めて感じたことがある。
どこかの国で起きている出来事も、
日本もまた、
他国に対してさまざまな形で関わっている。
だからこそ、
どういう関係の中にいるのかを考えること。
それが、今の自分にできる一つの行動なのではないかと思っている。
私はまだ答えを持っていない。
でも、だからこそ、
簡単に言い切らないこと、
そして考え続けることだけはやめたくないと思っている。
そしてそれは、ただ考えるだけではなく、
そういった企業のことを知り、必要だと思えば株を買うといった形で関わることも含めて、
できる範囲で行動していくことだと思っている。