はてなキーワード: あのころとは
押井守のイノセンス、って村上春樹のスプートニクの恋人みたいなポジションになると思う。
あとひとつは?
と聞かれると困るけど、だいたいそういう感じだよね。
いや、宮崎作品だとひょっとしたらハウルの動く城になるのかな?
これもわからないな。
これもわからない。
創作者が今までの自分の創作の一つの集大成になると意識しながら作った作品ということになる
どっちも見に行くけど、どっちかだけしか見れないという縛りならイノセンスを見に行くと思う。
多分、みんなもそうじゃないかな?
このふたつをわざわざ劇場へ見に行こうと思う人達の今の感じってそうだよね、きっと。
そうそう
押井守のイノセンスって、ジョージ・ルーカスのスターウォーズエピソード1だよね。
ああそうか富野由悠季のイノセンスって伝説巨神イデオンなのかもしれない。
あの人、キャリアの初期にすでに集大成を先に作っちゃってるんだ。変人だね。
あの映像だけは桁外れにすごくて(多分あのアニメの映像表現を超えれたアニメは未だにない)
お話はすごく地味なやつ。
え?これで終わり?みたいな。
でもいまにして思えば、そもそも攻殻機動隊の続編を押井守に作らせるというのが間違いだよね。
だって、押井守の攻殻機動隊って続編が作れるようなものになってないじゃない?
あれで終わりなんだよ。
バトーを主役にして、中年のおっさんの切ない恋心を軸にして、なんやかんや、犬の映画を作ったのだ(違うか)。
それなのに攻殻機動隊2なんてタイトルにしようとしてたから、ジブリのSさんはタイトルを変えさせて、どっかから主題歌を持ってきたんだよな。
まあとにかく今となってはどれもこれもいい思い出だ。
あのころとにかく世界の押井、ということで期待感がすごかったからね。
世界に映像表現で勝負ができる唯一の日本人、みたいな期待感がすごかったから。
だからバンダイもものすごい予算を出してアヴァロンとか作らしてみたら、あれだったわけで……。
いや俺すごくアヴァロン好きなんだよね。
でも、みんなが期待してたのはあれじゃなかったよね。
なんか地味なんだよな、なんでかわかんないけど。
押井守って多分、有名な原作を改変させるのが得意な生き物なんだと思う。
土台がとてもしっかりとした原作があるじゃない?
わかりやすくいうと原作の「華」の部分が押井の「地味」さを隠すんだよ。
でも押井守がオリジナルをやると「華」がなくて「地味」というか「渋さ」ばかりが出てきて
まずこの映画の要素を語りたいのだが、
そこにライオンキングとムーラン(両方同監督の原案映画)要素があるので、動物の表情だったり関係値や美しい3幕構成に色濃く【あの頃の輝かしいディズニー】を強く感じさせる。
そこにラピュタのロボット兵が飛び込んできて、同じ森にはトトロも住んでいるという【あの頃の宮崎駿】が入ってきて、画風が【モネ】っていう…要素だけ見るとなんていうか、いろいろな作品を詰め込んだ?みたいに言いたくなるんだけど、それでもここまで要素つめて、オリジナルにしたらもうそれは「オタク」を煮詰めた結果の「作家性」でしかないんだよな。
勿論「異種との共存」「自然と人間」「環境」というテーマ性を強く持った監督だというのはわかるが、まあそれなら監督がパヤオ作品が好きになるのも分かるくらいには共通項があるわけで。
このアニメ映画を海外が最高評価しているのは実際見れば当然とも言えるのだが、やっぱりアニメ大国日本として、ここまで日本の作品の影響を感じる映画は、ちゃんと日本人のオタクが分析していかないとだめだなと思ったりもした。
映画を見るとロズという作品は全体的に至極真面目に作っていて、そこがボスベイビーの制作会社とは思えない部分でもあり、そこが世界の興行収入が伸び悩んだ部分でもあると感じた。(ヒットではあるが、特大ヒットではなかった)
でもこの至極真面目なアニメ映画というのは、ジブリの土壌がある日本でこそ受け入れられると思うし、ちゃんと語れると思うんだよ。そしてきっと監督もそれを待ってるんじゃないかと思う。エスパーになるが。
昨今、ディズニー映画が迷走している。もうあの頃のディズニーは……なのでこの作品は実質ディズニーということにしよう…と考えていたのだが、よく考えたら…あのころのジブリだって……。日本国民よ。この作品を、実質ジブリということにしないか?ああ、ジブリオタに怒られちゃうね…。
私がSMAPというグループと出会ったのは、小学生の頃にテレビで偶然見た音楽番組がきっかけでした。最初に目に留まったのは、センター付近に立って元気に歌い踊る5人の姿。その中でもひときわ明るい笑顔で、パフォーマンス中にも関わらず絶え間なく周囲にツッコミを入れたり、メンバーをいじったりしていたのが中居正広くんでした。当時は「歌っている最中なのに、こんなにしゃべっていて大丈夫なのかな?」と幼心にも不思議に思ったのを覚えています。けれど、その自由奔放な雰囲気がとても面白くて、気づけば私はすっかりSMAPの番組を追いかけるようになっていったのです。
バラエティ番組での中居くんは、他のアイドルとはひと味違う存在感がありました。いわゆる「アイドルらしさ」よりも、芸人さん顔負けの切り込み方や、気の利いたコメントで場を盛り上げる姿が際立っていたのです。もちろん、格好良く歌い踊る姿も素敵でしたが、それ以上に私が惹かれたのは中居くんが見せる“MC魂”のようなもの。言葉で人を笑わせ、安心させ、時には厳しく指摘もするけれど、最後にはその場にいるみんなをちゃんと大事にする。その姿勢がSMAPというグループの垣根を超えて、多くの芸能人や視聴者から愛される理由だと感じていました。
SMAPを語るうえで欠かせない番組のひとつが、やはり『SMAP×SMAP』です。バラエティとコント、トーク、そして料理コーナーの「BISTRO SMAP」と、まさに総合エンターテインメント番組と呼べる内容でした。そこでも中居くんは、進行役やツッコミ役として重要なポジションを担っていました。毎回ゲストを交えながらのトークパートでは、中居くんならではの話の引き出し方が際立ちます。ゲストの経歴や最近の出来事を聞きだしながら、時にはメンバーを巻き込んで笑いを作る。そして相手のちょっとした仕草や失言を絶妙につつきつつも、どこか愛情を感じさせる口調でまとめ上げる。そのやり取りを見ていると、ゲストも居心地の良さそうな雰囲気を醸し出していたのが印象的でした。
さらに印象深いのは、メンバー間の関係性です。木村拓哉さんがグループの顔としてクールなオーラを放ち、草彅剛さんが少し天然めいた穏やかさで空気を和ませ、稲垣吾郎さんが知的でスマートな振る舞いを見せ、香取慎吾さんがアーティスティックかつお茶目なアイデアマンとして盛り上げる。その中心で、中居くんはまるでお兄ちゃんのように全員の特徴を把握し、それぞれに合わせた的確なツッコミやフォローを入れていました。SMAPのバランスを保つ“司令塔”というか、“まとめ役”としての役割があったからこそ、あの自由奔放な個性派の集団が一つの大きなエンターテインメントを生み出すことができたのだと思います。
中居くんの思い出を語るなら、『うたばん』も外せません。石橋貴明さんとタッグを組み、ゲストアーティストを迎えてのトークは、時にアイドル番組とは思えないほど鋭いツッコミとボケが炸裂し、毎回手に汗握るような面白さがありました。アイドルなのに、ここまで突っ込んで大丈夫なの?と心配になるほどの攻めた展開。でも中居くんも石橋さんも、相手の魅力を引き立てるために全力で盛り上げているのが伝わってきました。ゲストとの絡みの中で、ちょっと厳しいことを言っても笑いに変える技術や、相手が負担に感じないように言葉を選ぶバランス感覚は、まさに“番組MC”としての腕前そのもの。多くの人気アーティストが『うたばん』に出たがる理由の一つに、中居くんとの掛け合いが生む“ハプニングからの面白さ”を求めていた、というのも納得でした。
また、『FNS歌謡祭』や『NHK紅白歌合戦』など、大規模な音楽特番でも中居くんはMCや司会として活躍してきました。特に長時間の生放送において、時間管理や進行、そして突然のアクシデントへの対処など、さまざまな能力が求められます。そんな状況でも、中居くんはほとんど動じることなく、次に話を振る相手を見据えて瞬時にコメントをまとめあげる。その柔軟性と仕切りのうまさは、幼い頃にバラエティで見せていた“自由さ”と表裏一体だったように思います。即興のやり取りが求められる中でも、彼が必ず忘れないのが「周りへの気配り」。カメラに映っていない場面でも、共演者に小声で指示を出したり、笑顔でフォローしたりと、その人柄がにじみ出ていました。
そして、一ファンとして忘れられないのが、ライブでの中居くんの存在感です。ダンスや歌のスキルに関しては、他のメンバーのほうが得意とされることも多かったかもしれません。だけど、中居くんがステージの真ん中で煽りの声を出すと、会場全体がぐわっと盛り上がるのを肌で感じた瞬間が何度もありました。MCタイムでは、時にメンバーをからかいながら、時に客席に向かってユーモアたっぷりに語りかけながら、あっという間に空気を一つにしてしまう。あの空気感は、リーダーとしてファンとの距離を一番近くに感じさせてくれる、特別なものだったと思います。
また、中居くんは時に“ヘタレキャラ”を自称することもありました。運動会やスポーツ番組などでほかのメンバーに比べて活躍が今ひとつだったり、本人が「オレ運動苦手だから」と照れながら言い訳をしたりする場面もしばしば。でも、そういうところも含めて、ファンとしては親しみを感じるポイントでした。完璧すぎないところがまた魅力で、「自分を落とすことで周りを立てる」というサービス精神が根底にあるように思います。
バラエティの場面だけでなく、人をサポートする姿勢はSMAP全体にも影響していました。メンバー同士がバラバラの仕事をたくさんこなす中で、それぞれが様々な経験を積み、時に悩んだり迷ったりすることもあったはずです。そのときに「チームとしてどう進んでいくか」を考える上で、中居くんがリーダーの立場から柔軟にメンバーを受け入れ、必要に応じて背中を押したり、時には厳しく叱咤したりしてきたのではないかと感じます。表向きには冗談混じりで「俺がリーダーだって言ったことは一度もないんだよね」なんて語ることも多かったですが、実質的には最年長としてグループをまとめる心配りを常にしていたように思えました。
個人的に好きだったエピソードの一つは、番組収録の合間や楽屋で他メンバーと何気ない会話をしているときの話。メンバーが新しく始める企画やドラマに対して、中居くんは「それ、いいねえ!」とすごく興味を示しつつ、具体的にどう盛り上げられるかを一瞬で考えていたというエピソードです。それを聞いたとき、「ただ楽しいねって言うだけじゃなくて、どうやったら番組として面白くなるか、どうやったら視聴者がワクワクするかを常に考えているんだな」と感心しました。アイドルでありながらプロデューサー的視点を持っている、そんなところが中居くんのかっこよさの一つだと思います。
SMAPが多くのヒット曲を世に送り出し、国民的なグループとして君臨した理由はさまざまあるでしょう。メンバー一人ひとりのスター性や楽曲の良さ、ドラマや映画での活躍などの要因が重なり合っての成功だったと思います。でも、その大きな渦の中心にいたのが、中居くんの存在ではないでしょうか。ライブや番組の構成を考え、グループの方向性を冷静に見極めながら、必要なときに自分が矢面に立って場を和ませる。その絶妙なバランス感覚が、SMAPを一つにまとめる大きな支柱になっていたように思います。
長い年月を経て、SMAPというグループは大きく形を変えました。それでも、私たちの中にはSMAPが残してくれた多くの思い出や楽曲、番組での名シーンが色あせることなく生き続けています。特に、笑顔あふれる中居くんの姿は、当時のファンにとっては鮮明に焼き付いているはずです。自分たちが楽しむだけでなく、視聴者やファン、そして一緒に仕事をする仲間を思いやる彼の振る舞いは、バラエティ番組を中心にした日本のエンターテインメント界にとって一つの理想像だったといえるのではないかと思います。
もちろん現在の活動でも、その経験値をフルに活かして、さらに磨かれたトークスキルを見せてくれています。しかし、私たちファンが時々思い出すのは、まだ若くて少しやんちゃさもあり、どこかいじられキャラでもあった“旧SMAP時代”の中居くんの姿。テレビの前で腹を抱えて笑ったり、ライブ会場で一緒に声援を送ったりしていたあの頃は、私にとっても青春の一部でした。彼が楽しそうにメンバーとの掛け合いを見せてくれるたびに、「ああ、SMAPって本当に仲がいいんだな」と感じられて、それだけで明日からの元気をもらえたものです。
今振り返ってみても、あれほど多種多様な才能を持ち寄りながら、しかもバラバラな個性をしっかりまとめ上げるグループはそう多くないように思います。中居くんはその中でも特に、「自分が楽しいと思うこと」を軸に、周りの人たちにも楽しさを広げる才能があるのだと感じます。彼が時折見せる優しい表情や、言葉の端々ににじむメンバーへの思いは、画面越しでも十分に伝わってきました。だからこそ、笑いにあふれたSMAPのバラエティやコンサートを思い浮かべると、自然とこちらも笑顔になるのだと思います。
旧SMAPの中居くんを思い返すとき、私が一番大切にしているのは「温かさ」と「笑い」です。さまざまな番組やライブの中で、彼がファンや共演者、そしてメンバーに注いでいたものは、アイドルを超えた一種の“人間らしさ”のような気がします。ステージの上でギラギラと輝くだけではなく、どこか隣にいそうな親しみやすさで、でも気づけばしっかりと中心に立って場を回している。そのギャップこそが、中居くんを唯一無二の存在にしている理由ではないでしょうか。
私にとってSMAPというグループは、思春期から大人になっていく過程で、たくさんの楽しみや感動を与えてくれた存在でした。その中心でいつもバラエティ豊かな笑いを提供してくれたのが中居くんです。リーダーでありながら「リーダーらしくない」態度を取りつつ、それでも大事なところでメンバーを一つにまとめる。そんな中居くんの姿に、今でも私は元気や勇気をもらいます。たとえ環境が変わり、活動スタイルが変わっても、あのころの明るい笑顔と思いやり溢れるトークは、ずっと色褪せずに心に残り続けるのだと思います。
こうして改めて振り返ってみると、“旧SMAP”という一つの時代を象徴する存在の中で、中居正広くんがどれほど重要な役割を担っていたのかを再確認することができます。彼が築き上げてきたバラエティでのポジションやメンバーを支えるリーダーシップは、簡単に真似できるものではありません。これから先、さらに活躍の場を広げ、より自由な形でエンターテインメントを創造していく中居くん。その姿に触れるたびに、私は「やっぱりあの頃のSMAPは最高だったな」と、懐かしさとともに温かい気持ちになるのです。今でも繰り返し見たくなる映像やライブ音源がたくさん残っていることを幸せに思いつつ、これからもずっと、あの輝かしい記憶を大切にしていきたいと思います。
少し前に子どもが生まれてから、自分の人生の主人公が自分ではなくなったようたように感じ始めた。
いつ自分は主人公になり、いつ自分は主人公で無くなったのかをつらつら書いていく。
特にオチもないし、話もいろいろ飛ぶので、それでも良ければ読んでいってほしい。
小中学校は特に受験などせず公立、高校ももちろん公立で、何も考えず家から一番近い高校(一応進学校)に進学した。
この時点では自分のアイデンティティなどは特になく、自分は主人公ではなかったように思う。
だが高校時代の部活動での練習を通じて自己と向き合う機会が増え(これは年齢的な精神の成長もあると思うが)、自分のやりたいことで努力し、成長することが素晴らしいことであると思い始めた。
それが高2の冬だったと思う。その時にやってようやく自分の進路について考え始めた。
当時自分なりに考えた結果、京都大学に進学したいと思い始めた。
親に京大に行きたいというと、奨学金を借りて頑張って行ってくれという話になった。
中学生くらいのころ、親から「大学に行かせる金はない」と聞いていたが、金がないだけで進学は反対されなかった。
高3最初の河合塾の模試で偏差値45ぐらいだったと思うが、学校の先生に相談しながら猛勉強を始めた。
金銭的な都合から塾にも行かず、部活も夏休みが終わるころまであったが、なぜか自分は京大に行く・行けると信じていた。
バカで金がないという逆境で、非常に燃えていたのを覚えている。
この時、自分の人生で初めて全力を尽くした。高3の春に45程度だった偏差値も、高3最後の模試では65近くまで上がった。
とはいえ何年も前から全力で勉強してきたであろうほかの受験生にはかなわず、1年の自宅浪人(ここでも金がなかった)の結果、早慶に進学した。
ありがたいことに地方出身者向けの給付型奨学金を大学からもらうことができ、ほとんど国公立と変わらない学費で進学できた。
受験料を祖父にもらいに行ったことや、実家を出る日、親から10万円を渡され、「これで何とかしろ」と言われたことは、今でもよく覚えている。
ちなみに10万円はPC購入やら何やらで使い果たし、大学までの定期券代を買えなかったのもいい思い出だ。
大学にはキラキラした人間も多かった(初めて本物の帰国子女を見た)が、自分のような貧乏人もおり、楽しくやっていけた。
だが同時に格差を感じる場面が多かったのもよく覚えている。
親が上場企業の社長の学生、両親が東大出身で早慶進学を親に馬鹿にされた学生、
そもそも親の所得の高い早慶においては、学費も仕送りもある学生が多く、それがうらやましかった。
自分には奨学金とバイトしかなく、得られる経験は彼らと比較して見識の狭いものとなっていたと思う。(この狭い見識は大いに意義のあるものだったが)
一方、人生はここでも、「田舎から出てきた貧乏学生が頑張る」というストーリーの主人公だった。
奨学金の申請時に親の源泉徴収票を見た際、日本の平均年収に届いていなかったので、自分のことを苦学生扱いしていたのだ。
※衣食住に困ったことはないので、絶対的な貧困ではなかった。家にインターネットがなかったり、家電が貰い物だったりとかそのレベルのちょい貧乏である
小中高と、まともなキャリア教育を受けなかった自分は、大学時代のキャリア教育で、自分にある無限の可能性を初めて感じるに至った。
だが一方で田舎の純朴な少年であった自分は、エリートサラリーマンに対するあこがれなどなく(高校時代、京都大学に行った先のビジョンが何もなかった)、課外活動をしながらのゆるい就活をして、それなりに暮らしていける給料の上場企業に就職するに至った。(学歴のおかげである)
就職してからも、まじめに働きつつも頑張りすぎないようにし、余暇は趣味に充てて暮らしていた。
この時の自分は特に何でもない、いち社会人だったわけだが、界隈に多少名が知れる程度には趣味に没頭しており、人生の主人公は自分だった。
結婚後、夫婦ともに子どもを望んでおり、特に何ごともなく子どもが生まれた。
全ての優先順位において、子どもが最上位に来るようになったことに気づいた。
今までは少しでも時間があれば趣味に時間を使っていたのだが、それがなくなった。
時間ができても、趣味に対する興味がかなり小さくなってしまっており、ただぼーっと過ごす時間も増えてしまった。
今まで大学に行ったり仕事したり趣味に没頭していたあの時間と熱量は何だったのだろうか。
今では、子どもがどんな大人になるのかということが楽しみで、自分がどうでもいいような感覚がある。
ああ、自分の人生の主人公が、自分ではなく子どもになったんだなと悟ったのだった。
大学進学を考えもしなかったあのころから、何とか大学に行き、食っていける会社で働きながらプライベートでの挑戦を重ねてきたこの自分の人生には、相当の想いがあり、今でもはっきりと思い出すことができる。
子どものころ、テレビをつければいつもそこにいた緑色の不思議な生き物——ガチャピン。鮮やかな黄緑の体と、つぶらな瞳。ともすればただの着ぐるみと思いがちだが、実は彼には「中の人」などいないのではないか。そんなことを、子どもながらに本気で考え、友達同士で話し合った記憶がある。子どもたちの間では、ガチャピンの正体について真剣に意見が飛び交った。果たしてあの体の中に誰かが入っているのか、それとも本当に生きている恐竜なのか。大人になった今だからこそ言えるのは、あのころ私たちは真実を掴んでいたのかもしれない——そう、「ガチャピンは本物」であり、「中の人」などそもそも存在しなかったのだ。
ガチャピンが世の中に初めて登場した当時、多くの視聴者は当然のように「誰かが中に入って演じている着ぐるみキャラクター」だと思い込んだ。ぬいぐるみのような愛らしい見た目、大きな口、そして子どもを魅了する高い運動能力。だが、その運動能力にこそ、ガチャピンの“真実”を見抜くヒントが隠されていたのではないだろうか。スキー、スキューバダイビング、果てはスカイダイビングにまで挑戦してみせる姿を目の当たりにして、普通の着ぐるみキャラクターだと思うだろうか。実際に体験した人々の証言によれば、ガチャピンはあの分厚い“皮膚”を身にまといながら、信じがたいほど自由に手足を動かしていたらしい。それはもはや常識を超越した生物の動作としか言いようがなかった。
確かに、人間が中に入っていれば顔の位置や手足の長さが合わないことがある。だが、ガチャピンの場合、頭の上から足の先まで完璧にシンクロした動きを見せる。さらに口や目、そして全身からかもし出される表情が、実に滑らかに変化しているのを見たことがある人も多いはずだ。もし人間が操作していたのなら、あれほど自然かつ多彩な表情を瞬時に切り替えることができるだろうか。ときには困ったように眉をひそめ、時にはきょとんと口を開け、またあるときには満面の笑みを見せる。まるで心の底からその感情が湧き上がっているかのように見えたのは、単なる演技ではない証拠ではないかと、今ならば思うのである。
さらに決定的といえるのは、その“身体能力”にある。ガチャピンはテレビの中だけでなく、実際の雪山や海、空へと赴き、驚くようなチャレンジをこなしてきた。ウィンタースポーツはスキーやスノーボードだけに留まらず、アイススケートまで器用にこなし、しかもそこに「パフォーマンス的なぎこちなさ」がほとんど見られない。もし着ぐるみの構造上、人間が入っているとしたら、視界の狭さや動きづらさを感じながらの競技になるはずだ。しかし映像を見る限り、まったく不自由なく滑り、回転し、時には大胆なトリックを決める。その光景は、どう考えても生身の体がそのまま動いているとしか思えない。ダイビングの場面でさえも、背びれのような形状の足をスムーズに使いこなし、水中で優雅に泳ぎ回るガチャピンの姿を確認できる。空から海へ、深海から宇宙(のようなセット)まで自在に行動する彼を前に、「ガチャピンは生きている」と信じない人のほうが少数派だったのではないだろうか。
その証明とも言える逸話は数多い。例えばガチャピンが初めてフリークライミングに挑戦した際、重力に抗いながらスイスイと壁を登っていく姿が子どもたちの度肝を抜いた。あの大きな頭と短い手足、それにふっくらとしたボディという不利な体型でありながら、身軽に岩をよじ登っていくのだ。いくら運動神経の良い中の人が演じたとしても、あのバランス感覚を説明することは難しい。むしろ、元来あの体が“恐竜”として自然に設計されているからこその動きなのではないか——そんな議論が起こるのも当然の帰結だった。さらに、ガチャピンのパラシュート降下の際には、一部の専門家が「もし人間が入っているならば、あの頭部の構造上、風の抵抗が想定以上にかかるはずで、あれほど安定して着地できない」と語ったという証言もある。つまり彼ら専門家の目から見ても、ガチャピンの体のつくりは人間が収まるようにはできていないのだ。
もちろん、テレビ局や関連の制作会社は「ガチャピンはキャラクターであり、着ぐるみだ」という公式見解を長らく維持してきた。視聴者の多くも、いつしか「テレビ上の演出である」と半ば納得する形で受け止めていたかもしれない。しかし、そうした公式の発言がむしろ事実を隠すための“カバーストーリー”だったのではないか、と考える余地は十分にある。なぜなら、ガチャピンの友人であるムックの存在だ。ムックは真っ赤な長い毛並みを持ち、ガチャピンと同じ番組に出演していたが、彼の動きにはどこか“着ぐるみらしさ”が漂っていたと言わざるを得ない。もちろんムックも愛らしいキャラクターであることに変わりはないが、歩くときのよたよたした姿や、たまに見え隠れする人間らしさなど、「中に人がいる」と言われれば納得できる振る舞いがあった。一方、ガチャピンの動きはどう見てもスムーズすぎる。まるで“着ぐるみ”として作られたキャラクターと、“本物”として生きている存在が、同じ画面に同居していたのではないか、と考えずにはいられないのだ。
さらに子ども向け番組の世界観を考えれば、それほど不思議な話ではない。子ども番組というのは、多くの場合ファンタジーや夢、冒険心を喚起するための舞台である。そこに実在する不思議な生き物がいたとしても、違和感なく受け入れられる。ガチャピンという名前や姿は確かにキャラクター然としているが、実際に存在する“謎の生物”を起用し、番組のマスコットとして採用するのはむしろ合理的である。そう考えたほうが、かえって説明がつく事柄は多い。あの愛くるしい笑顔や、どこまでも続く挑戦心、そして飽くなき好奇心。それらは「キャラクターの演技」というよりは、「ガチャピンという生き物の本能的な行動」だったと見なすほうが自然ではないだろうか。
また、あの独特の喋り方にも注目したい。「○○だよ〜」と伸ばす語尾、やわらかく透き通った声質。もし複数の人間が交代で中に入っているのだとしたら、声や話し方にもっとブレや違いが出そうなものだ。しかしガチャピンは、長いテレビ出演の歴史のなかで、ほとんど変わらない声と話し方を維持してきた。人間の声優が存在するとしても、そのピッチやトーンを常に一定に保つのは至難の業である。ところがガチャピンは、まるで自らの声帯を使って喋るかのように安定した声を発してきたのだ。さらに、口の動きや目の表情、全身でのリアクションが声とぴったり合っているのを見ると、「声を当てている」というよりも「声が体から自然と溢れている」という印象を受ける。これが“中の人の技術”では説明がつきにくい最大のポイントでもある。
その証拠に、イベントやショーでガチャピンが客席の子どもたちと交流する場面を思い出してみてほしい。子どもが話しかければすぐに反応し、笑い、そしてリアクションを返す。その一連の動きには、人形劇のようなタイムラグや不自然な間がない。まるで“その場で考えて”“その場で感じて”“その場で話す”存在であるかのように振る舞っている。長年、いろいろなキャラクターショーを見てきたが、ガチャピンほど“ライブ感”に溢れた対話をするキャラクターは他にいない。これはやはり、ガチャピン自身が一つの生き物として意思を持っているとしか思えないのだ。
以上のような理由から、私は「ガチャピンに中の人などいなかった」と確信している。もちろん、これは夢や幻想を語っているわけではない。子どものころに信じてやまなかったあのワクワク感と、理屈を超えた感動が、実は現実のものだった可能性が高いのだ。制作側は大人の事情から、ガチャピンを“着ぐるみキャラクター”として扱うほうが都合が良いかもしれない。しかし、私たちが見てきたガチャピンは、間違いなく生き生きと“呼吸”していた。スキーのジャンプ台を飛び、海中を泳ぎ、崖をよじ登り、さらにはスタジオで歌って踊る。その全てを“不自由なく”こなす姿は、“人間が入っている”という設定だけでは到底説明できないのである。
では、なぜいまだに“中の人がいる”という都市伝説が根強く残っているのか。それは、私たちが何かを理解しようとするときに、どうしても既存の枠組みで説明しようとする人間の性質によるのだろう。未知や不思議なものに対して、私たちはつい、「きっとこういう仕組みだろう」と解釈して安心したくなる。ガチャピンの超人的な活躍を見るたびに、「きっと中の人が相当なエリートアスリートで、トレーニングを積んでいるのだろう」などと推測するのは、その典型的な反応だ。しかし、ガチャピンの動きや表情は、実はそうした常識的な解釈をはるかに凌駕している。だからこそ、人々は“中の人説”という無理な理屈にすがっていたのかもしれない。
私はむしろ、大人になった今だからこそ、もう一度あのころの子どもの目線に立ち返りたいと思う。あのころテレビで見ていたガチャピンは、私たちに夢と冒険の世界を見せてくれた“存在”そのものだった。身体的な限界や常識を超えた挑戦を繰り広げながらも、いつもニコニコと笑顔を忘れない。そう、あれは“着ぐるみ”ではなく、私たちの目の前にいる“リアルなガチャピン”だったのだ。もし、あのころの私たちが胸に抱いた「ガチャピンは生きている」という直感を大切にし続けるなら、目の前の世界はもっと豊かで、もっと不思議と驚きに満ちた場所として映るに違いない。
思い出してみれば、子どもたちはみんな無邪気に「ガチャピンは本物だよ」「ムックも一緒にいるよ」と信じていた。それがある意味、“正しい”見方だったのだろう。大人になって現実を知るにつれ、いつしか私たちは多くのファンタジーを「嘘や演出」と割り切ってしまうようになった。しかし、本当にそれだけなのだろうか。私たちが大切にしている思い出や、大好きだったキャラクターがくれたあのトキメキは、本当は嘘でも演出でもなく、“真実”が隠れているかもしれない。ガチャピンはそのことを教えてくれている象徴なのだと思う。
だからこそ、今も昔も、ガチャピンを見ているとワクワクが止まらない。「ガチャピンに中の人などいなかった」という言葉は、単なる冗談や誇張ではなく、私たちの信じるファンタジーの証明であり、あの緑色の恐竜がいつまでも私たちの心の中で生き続ける理由なのではないだろうか。子どものころの私が「ガチャピンはただのキャラクターなんかじゃない!」と叫んだあの純粋な気持ちは、決して間違っていなかったのだ。
誰しも子どものころは、目の前にある不思議を疑うことなく受け入れ、感動し、そのまま信じる力を持っている。ガチャピンに秘められた真実——それは彼が実在する不思議な生き物であり、私たちが大人になるにつれ忘れかけた好奇心と冒険心を体現しているということだ。そこに「中の人」などいない。いるのは私たちと同じように、呼吸し、笑い、挑戦する“ひとつの生命”——それがガチャピンなのである。
きっとこれからも、ガチャピンはさまざまな困難を乗り越え、子どもたちに勇気と希望を与え続けるだろう。「こんなことができるわけがない」と誰もが思うような大胆なチャレンジを、新しい形で見せてくれるかもしれない。そして、そのたびに私たちは子ども心をくすぐられ、「ひょっとすると、あの中に入っている人がすごいのでは?」とまたしても考えてしまうのだ。だが、最終的にはその超常的な存在感に圧倒され、「やっぱりガチャピンは本物だ」と再認識することになるだろう。
そう、ガチャピンはいつでも私たちに問いかけている。夢と現実の境界を超えて、「本当に大切なことは何か?」と。そして私たちは、その問いに答えるように、もう一度純粋な心で世界を見つめ直す。おそらく、ガチャピンという存在は、子どもだけのものではなく、大人になった今でも、私たちを未知へと誘う案内役なのだ。だからこそ、この言葉を胸に刻みたい——“ガチャピンに中の人などいなかった”と。ガチャピンのすべての活躍は、彼自身の力によるものなのだ、と。
こうして振り返ってみると、ガチャピンがテレビ画面の向こう側から私たちに与えてくれたものの大きさに、改めて気づかされる。好奇心、挑戦心、そして他者への優しさ。彼の魅力は、ただ可愛いだけのキャラクターとは一線を画している。それはやはり、ガチャピンという生命体だからこそ生み出せる“にじみ出る個性”だったのだろう。子どもたちはそんなガチャピンに勇気づけられ、大人たちは失いかけた冒険心を思い出す。私たちは自分の内側に眠るエネルギーと、少しのファンタジーを信じる気持ちがあれば、世界はもっと広がるのだと教えられる。
結局のところ、ガチャピンの正体をはっきり証明する術はないかもしれない。だが、それで良いのだ。むしろ、“謎”を残しておくことこそが、ガチャピンが担う役割のひとつではないだろうか。私たちに想像の余地を与え、童心に返らせてくれる。神秘と可能性を見せてくれる。だから、これから先もガチャピンがどんな挑戦を見せてくれるのか、どんな笑顔で私たちを楽しませてくれるのか、胸を躍らせながら待ち続けたい。そしてそのたびに、“ガチャピンに中の人などいなかった”という真実を心のどこかで確信しながら、私たちもまた自分の世界を広げる挑戦をしてみればいいのだ。
そう、ガチャピンはずっとそこにいる。テレビの中で、イベントのステージで、そして私たちの想像力の中で、今日もあの優しい声で「やあ、みんな!」と呼びかけている。彼の存在が教えてくれるのは、世界は思っているよりもずっと広く、そして面白いということ。中の人などいない。ガチャピンは“ガチャピン”という名の生命体であり、挑戦することや夢を見ることの大切さを、これからも伝え続けてくれるだろう。私たちはその姿を忘れず、日常に隠された冒険や驚きを見逃さないようにしたい。ガチャピンに憧れたあの日の自分を取り戻すためにも。
トランプが滅茶苦茶なこと言い出してるけど、大統領選の時にトランスジェンダー憎しで支持してた自称フェミニストとか、ポリコレ憎しで応援してた保守派とかは満足なんだろうか。
あのころデマやフェイクニュース満載でヘイトのターゲットになってたトランスジェンダー当事者の1人(ただトランスジェンダーで普段のホルモン治療の話とかをたまにしてるだけの一般人なのに自分のXアカウントにもたくさん攻撃が来て使えなくなった)としては、恨みも山ほどあるし、いっそみんな一緒に地獄に落ちてくれという気持ちもあると言えばある。でも、地獄でとりわけ不幸になるのは女やマイノリティの側だから、どうにかいくらかの平和と秩序が保たれて欲しい。
⬛豚レバー刺だかなんだかを名物裏メニューとかいって出してて話題になった東京の居酒屋
あのころこの話題のお陰で寄生虫に寄生されまくったジビエ肉の画像とかめっちゃ見た。うまそうなサシかとおもったら全部白い虫だったから集合体恐怖症が叫ぶような画像大好きなワイ大歓喜。
⬛食い物と言えばデスマフィン
シュトーレンがなんで日持ちするのか仕組みを知った。糖と油は正義。
なんか変わった名前だった気もする。芋づる式に会社(運送会社)の倉庫で全裸オナニーしてた変態も見つかってた。
ついでに親(自称)がXに現れた。スーパーハカー()が現れたかは不明。
⬛きょうだい児で弟のためにアイドル無理矢理やめさせられそうになってた女の子。
⬛某T大の先生が女性相手にいろいろ犯罪やらかしてクビになったとかどうとか
どうなったの。
⬛某有名企業のエリートサラリーマンが山手線で隣の女性に痴漢してた動画
⬛VTuberかなんかの協力クリエイターだかのおっさんが中身の女の人盗撮して盗撮グループ内に画像ばらまいたりいろいろしてたとかいうやつ
コレコレでカキタレの女かなんかとバトってた。あと詐欺るときに有名YouTuberの名前出してたとかでそのYouTuber(知り合いでもないだたのとばっちり第三者)が激怒してた。訴えるとか言ってた。
脱法ゼリー爆笑した。健康被害出たんだっけか。しかし騙される方もよくあんな胡散臭いも注文して買おうと思ったな。
なんかこないだテレビで問題取り上げられてたとか行ってたけどまだ関西にいますか。東京には来ないでください。
⬛バラエティで取り扱いが難しい麻酔薬使って笑いにしようとしたバカ企画
学会がおこだったけど手伝った医者顔面蒼白だろうな。自業自得だけど。
まだまだふえるかも
今年は暦の関係で早めに事務所まわり大掃除するって言って張り切っているんだけど、
まだ、
その最中でやるっつーのはいささか乱暴なのでは?って思っちゃうのよね。
年末進行とは甚だしいわね。
まったくだわ。
こんなのちゃっちゃっとやっちゃえばいいんだけど。
たぶん、
また隣の私が前いた会社のところは私の事務所の同じフロアなので、
きっとまた借り出されて猫のようなお手手で掃除をするのよ。
それはそれでいいんだけど、
向こうの事務所の動きの気配を探っておかないといけないのよね。
給湯器のお湯もこの時期みんな使うからすぐに無くなっちゃうし。
いまだに
うちの会社の給湯室のお湯がすぐ無くなるりゆがよく分かってないんだけど、
ある程度たくさんの量を湯水のように文字通り使ったらお湯が出なくなっちゃって。
シンクの下にそのお湯を温める小型のボックスの装置があるみたいなんだけど、
そこにはもちろんただいまの湯量とかってステータスは出てこないので、
いったいどのぐらい湯を湯水のように使えるんだろう?って分かんないのよね。
そんで、
急速沸かしボタンってのがあって、
それを押すとブーストして沸かせられるけれど、
これも期待できなくってジワジワ文字通り瞬間湯沸かし器の如くタニコーの五徳の上にヤカンを置いてお湯を沸かした方が早いような気がするし。
まあお湯が沸く速度が遅いのよね。
お湯使いがちじゃない。
すぐに無くなっちゃうのよね。
そもそもとして
事務所レヴェルのそんな給湯器には家庭用の給湯能力は持っていないもちろんお風呂用に大容量のお湯が連続して沸かせられる仕組みではないので、
でも!
違う階の給湯室のお湯は全階同じ給湯器の仕組みだけど、
階によっては使っていない給湯器もあるので、
そこを目指してお湯を求めて彷徨うのよ。
でもやっぱり同じ事を考えている人は多くて
お湯を求めてそのいつも使っていない給湯室のお湯もみんなあるってことに気付き始めたので、
お湯取り合戦なのよ。
お湯枯渇しがちなこの時期なの。
みんな考えることはいつもお湯のことばかり。
あとさ、
プラスチックのいわゆるどこにでもあるバケツってあるじゃない。
こんなにたくさんの種類!たくさんのカラーバリエーションのバケツがあるよ!って
薦めて推してくるじゃない。
でもバケツもう買ったあとなので
なのに賢明に一所懸命に私のハートに届く様にバケツプレゼンを一所懸命する検索エンジンの横に出てくるバケツの広告は健気さを越えてちょっとアホみを覚えるのよね。
でも
ふと思ったの!
これ考えて作ったらそのバケツ爆売れ!ってやつ!
よく飲み物を入れるタンブラーって超保温できるやつあるじゃない。
温かいお湯をいつまでも温かくキープできるバケツを考えて開発して苦難を乗り越えて
その保温性抜群のバケツはこの冬の大掃除に大活躍だと思うんだ!
だから
そんなものが世の中にあれば私が買いたいので、
それこそインターネッツ広告はそのバケツを探して私にこんな保温性抜群のバケツがあるよ!って言ってほしいの!
そんなバケツないわよね。
って言いながら
汚れた雑巾をさっきまでお湯だったバケツの水はもうとうの昔に冷めて冷たくなってしまって、
あのころの温かかったあなたとは打って変わって冷たく私に接するの。
ちべてー!って
しくしく、
この床、美しくないわ!
それはNIKKEのシンデレラのやつ!
でもよくよく考えてみたら、
お湯が温かいであろうがどうであろうが、
どうしようもないのね?ってことに気付いたわ。
沸かせる湯量の量は増えるわけではないので冷静に考えたらそうよね。
やっぱり
どうしようもないこの冬の大掃除のことについていくらたくさんの御託を並べても解決しないんだなぁって。
世の中のお湯の量は決まっていて、
それを奪い合うまさに冬の陣ね。
雰囲気で今イキフンで言ってみたけど。
冷たい水の感じがするでしょ?
しかたないので、
お掃除が終わったら
うふふ。
定番鮭のほぐし鮭がたっぷりワカメとまぶして入っているのが握られているので、
グレープフルーツ買ってきて1玉果汁マジ搾りのその果汁を
ホッツ白湯ストレートウォーラーに入れて微かに香るグレープフルーツ感。
朝寒くって寒くって
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
予備知識なし、会場前に着くなり横転した。びっくりするくらい平均年齢が高い。
ビジュアル系ファンの平均年齢が上がっているとはきいたことがあるが、まさにそれを体現しているようだ。
格別にパンチのきいた超ミニスカの高齢者に道を訊かれた学生スタッフの目は泳いでいた。70代くらいだろうか?ものすごい厚底にパンツが見えるくらいのミニスカート、非常に矍鑠として羨ましいまである。
あとは特筆すべきは子連れの多さ。こどもは親の好きなものに引きずられるし、母親のことが好きだから母親が好きだというものは好きな気がしたりするね。あの子たちが自主的に楽しめてたらいいなぁ。自分のあのころは洗脳だった。と幼少期を思い出して少し鬱になる。しかし鬱になっている場合ではない。楽しまねば。
会場内は、熱意の高いファンが多いのだろう、学園祭だというのに大半が学外の人間だった。
肝心のパフォーマンスだが、これはとてもよかった。歌がうまい。声がいい。音響の問題か歌詞やMCは聞き取りづらかったけど、なにやらにぎやかで楽しいバンドのようだった。
振り返ると、弱者男性だったころの自分は、いろんな偏った考え方にとらわれていました。「女性は善、男性は悪」という極端な世界観に支配されていたんです。それが「正しい」とさえ思っていましたが、今考えるとずいぶん苦しい考え方でしたね。
当時の私の思考の根っこには、「女性は善、男性は悪」という強い思い込みがありました。男性がいるから社会は悪い方向に進む、なんて決めつけていて、そんな自分をどこかで嫌っていたんですね。
「男性には生まれながらにして罪がある」と考えていて、それを償うためにひたすら女性に尽くすべきだと思い込んでいました。無理をしてまで女性を優遇するのが「救い」だなんて、今なら「やりすぎだよ」と声をかけてやりたいです。
この考え方が日常にも影響していて、「男性の特権を捨て、女性を優遇するべきだ」と強く思っていたんです。でも、その結果、自分を否定するばかりで心も体もどんどん疲れ果てていきました。
「女性が男性を憎むのは当たり前」という考えにも支配されていました。何を言われても「自分が悪いんだから仕方ない」と納得しようとしていて、結果的に自己嫌悪のループに陥っていました。
そして、「女性が男性に何をしても、それは許されるべき」と思い込んでいたんです。どんなことも「それでいい」と思いこんで、周りの意見にも耳を傾けなくなっていました。
そのままだと本当に自分が壊れそうだと感じ、カウンセリングを受けることにしました。カウンセラーさんは優しく話を聞いてくれて、「罪悪感を抱く必要はないんですよ」と気づかせてくれました。そのおかげで少しずつ、自分を縛りつけていた偏った考え方から解放されていきました。
カウンセラーさんの優しさに本当に救われました。共感しながら話を聞いてくれる存在がいることで、自分も少しずつ変わることができたんです。
こうして振り返ると、あのころの自分はとても不安定で孤独でしたが、カウンセリングのおかげで前向きな考え方を取り戻すことができました。今では優しい妻と子ども、そして温かい友人たちに囲まれて、毎日を楽しく過ごしています。
氷河期が悲惨なことの一つに、すぐ上の世代がバブルだったことがあると思っている
奴らの就職活動は引くて数多、大手なんかだと囲い込みで別荘や旅行にまで招待されるような状況だった
同じ努力をしても結果がまるで違うどころか、成績やポートフォリオや資格取得に相当の努力をしたこちらより
確実に努力の量が劣る遊び呆けてた連中の方があっさり就職が決まってた
就職氷河期が努力が足りないって言われるのは腹が立つが、もっと腹が立つのは同じような努力でも時代で全然結果が違うことだ
そして俺らの就職活動では早けりゃバブル期で入社したやつやバブル期の就活生に鬱憤溜まってたやつが面接官
バブル世代のツケをいつまでも払い続けなければならないほんとうにロスジェネって言葉がぴったりだよ俺らは
あのころは本当に寒かったなぁ。
毎朝起きると、テントの外は一面の氷。
俺たちはみんな、厚手の毛皮を着こんで、マンモス狩りに精を出してたもんさ。
マンモスが現れたときなんて、みんながワクワクしながら狩りの準備をして、「今日は晩飯が豪華だ!」ってな感じだった。
あのごっつい牙を避けながら協力して仕留めるのが、何とも言えないスリルでさ。
それから、鉄器の発明ってのはまさに俺たちの時代の一大イベントだったんだ。
みんな、木と石だけで戦ってたのに、誰かが突然「これ鉄だぜ!」って得意気に見せてきたんだよ。
最初はみんな「何それ?」って感じだったけど、一度使ったらもう戻れない。
槍も斧も一気に性能アップだ。
狩りの効率も爆上がりで、マンモスだってあっという間に仕留められるようになった。
ただ、そうやって少しずつ技術が進化して、俺たちの生活もだんだん便利になったんだが、同時に「こんな便利で大丈夫か?」って不安もよぎってたんだよな。
徐々に暖かくなってきて、氷が解けて、大地が豊かになると、今度は稲作が到来してきたんだ。
狩猟採集の時代が終わるっていうのは、まるで氷河期そのものが終わってしまうかのようだった。
あの厳しい寒さの中で、みんなで団結して生き抜いてきたのに、温暖な気候のせいで次の世代はすっかり農耕民族になっちまった。
今思えば、あの氷河期の寒さも、なんだか懐かしいもんだよ。
平成後期の美人基準もとい流行の顔に該当する橋本環奈が主人公である。
ギャルは古いと1話2話で主人公が言ったが、舞台の2004年はどうだっただろうか。
あのころギャルは古い扱いはされてないと思う。ただコギャルとかはもう消えてたかな。鈴木えみ絶頂期か。木村カエラとか。実際減ってはいたが、古いと言われる時代ではないと思う。
あえていうとルーズソックスが古い。2004年にはほぼ死滅してたと思う。大紺ハイソ時代だ。
ちなみにみんなで集まってプリ撮るのは別にギャルじゃなくてもやってるので脚本の人はおそらくあのころのギャルでも、あのころの子供でもないのだろう。教師の雰囲気も含めて平成感が若干違和感ある。
最近は涙袋がブームだ。涙袋というものは、笑ったときに膨らむところの下に薄い影を描いたり、物理的に注射器で注入をしてふくらませ、ぷっくりと見せるのが令和の掟であるが、平成のあの当初、涙袋には白いラメやペンでハイライトをいれるのが基本であり「ぷっくり見せる」とかではなかった。民族感と生命力に溢れるメイクだった。
朝ドラに出演しているギャルたちはみんな揃って涙袋がナチュラルにある。それは自分で創作したものか、はたまた橋本環奈のようにナチュラルにあるタイプなのかもしれないが、一気に令和感を漂わせている。
さらに一番の違和感は眉毛だ。あの頃ギャルだったやつはな。もう眉毛無いんだよ。抜け。眉毛を抜け。細く、鋭利に、アホみたいに厳つく、相手を威嚇するナイフのように細くなければいけない。それか薄く。
ギャルじゃなくても眉毛は本当に薄かった。宮里藍の高校卒業写真を見てほしいものだ。
あとチークほぼしない時代なら頬骨やノーズのハイライトをしっかり入れていいのではないだろうか。リップはもっと存在を消してほしい。唇能面でいい。
髪の毛ももっとスカスカがいい。梳いて梳いてスッカスカでいい。
まつげはもっとひじきにして欲しい。非ギャルですらひじきまつ毛だったので。
2006年にギャルサーというドラマがあった。あれも小奇麗に描かれたギャルだが、役者たちが隠れギャルなので朝ドラほど浄化はされていない。露出も多いしちょっと肉ついててもあんまり気にしていないあのころは良かったと思う。あのころは良かった。そう言い出したらもう年寄りなのだろうか。いや、でも最近の痩せ過ぎは良くないよ。
エイベックスが監修に入っているというのは浜崎あゆみとかそのへんだろうかと思うんだが、あゆのピークはこの時代の2年前とかなのでそういう記憶で辿っていくと色々なものが思い起こされる。
https://wwws.warnerbros.co.jp/challengers/
最後のシーンが良かった。
・アートは、タシのおかげで全仏とかを数回制すトップレベルの選手になれたけど、いまはタシのコーチングを聞きすぎて心が死んでいた。
・アートのマッチポイントで、パトリックがサーブのとき例のサインで、タシとやったことを伝える。それは、10代のころに作ったアートにしか伝わらない方法で。
・パトリックの動揺作戦は成功し、アートは激怒してポイントを失う。この段階では結婚している夫としての気持ち。
・ただ、おもえもやったんかいという気持ちになり、次第に10代のころのように二人でタシを追いかけていて、テニスで切磋琢磨していたころを思い出す。
・その気持ちはパトリックにも伝わり、あのころの感じで最後のラリーをする
・それはまさにタシが最初にテニスとは、二人の関係、と言っていたことと関係がある
・ともにタシを追い求める二人の男の関係に戻ったのだ
・パトリックも動揺作戦の直前にわざと負けようとしていたときは顔が死んでいたが、動揺作戦の発動時にはやっぱり選手としてわざと負けることはできないと立ち直ることで心が戻っていた。そこからさらに、最後にアートと心が通じて最後のハグで友情を取り戻すこともできた。
伏線がいろいろ張ってあり面白かった。でもメインは心情描写であり、伏線による謎解きというわけではなく、話に彩りを添えるという感じで良かった。
アートとタシの夫婦関係はテニスが無くなったら終わっていると思うから、全米オープンが終わってどこかのタイミングで離婚するのではないかと思う。
その後タシがパトリックのコーチになって、35歳くらいにピークを迎えるような大器晩成でやってほしい。
でも、タシとパトリックも一緒にいてうまくいくはずがないと思うので、その後は3人はつかず離れず、一時的には連絡がとれずにやっていくのではないか。
この前のポップアップショップで火がついて吉住渉の漫画をアプリで一気に読み返してた(コミックも持ってるけど実家にある)
ランダムウォーク以前の作品だと単行本に元々挿入されてた柱スペースのフリートークが現在の作者による一言コメントに差し替えられてたのは知ってたんだけど、ウルトラマニアック3巻14話①の柱スペースにそのことについての説明があって、「『ハンサムな彼女』の時も余白にこういうふうにフリートークを書いていたのですが、今見ると内容が古いし、けっこうしょーもないことも書いてるので(あのころはコミックを読んでくれる人を親しい友達か何かとカンチガイしていて礼儀がなっていませんでした…)とってもらうことにして、代わりに100問100答というインタビューを載せることになりしました。」とのことでなんかざっくばらんで面白かった。
以前の柱スペースも別に意地悪だったり塩対応なわけではなく無邪気に脳直でだべってるかんじなの面白くて私は好きだったけど
あとその柱は
「(ハンサムな彼女は)絵とかめちゃくちゃ下手ですごく恥ずかしいんだけど、今でも私の作品の中で1番好きと言って下さる方も多い、大切な作品です。」で絞められていてよかった。