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はてなキーワード: 神聖とは

2026-05-14

anond:20260514122555

ウンコトイレでしてろ政治

増田という神聖な場を汚すな

2026-05-13

リベラルオタク差別など存在しない」

オタク迫害史観」というどう考えても捏造されているオタクたちへの違和感地雷

https://note.com/jiraygyo/n/nf00b167468aa

Xで「オタク迫害」が話題になっているが

左翼サブカルフェミニスト界隈は「そんな事実はない」「むしろオタク加害者だ」と反論を続けている。

 

これは今に始まったことではなく

大昔にLGBTへの差別について話題になった時も、はてサ界隈の連中は

LGBTの方々が性的指向いじめられるのと、お前らオタクがその趣味いじめられるのを一緒にするな。

お前らのはただの趣味なんだから、お前らがオタク辞めればいいだけじゃん(笑)」と言っていた。

 

彼らの言動を見ていると、逆説的に彼らが「被害者」という属性神聖不可侵な錦の御旗と考えていることがよくわかる。

その属性を名乗ってよいのは、彼らのイデオロギー合致した、被害者としての見栄えが良い人だけなのである

彼らの言うところの「オタク」のように、自らに賛同せず、見栄えの悪い「汚れた」連中は、錦の御旗を触ることは許されないのである

2026-05-12

オレンジレンジへの近年になっての持ち上げ

リアルタイム流行していたときパクリと叩かれていたのに今になって平成象徴みたいにイケナイ太陽が持ち上げられているのって、当時は若い女がキャーキャー言っていてムカついたというだけだと思う

オレンジレンジ以外にもリアルタイム流行はクソミソに叩かれて、20年30年してから持ち上げのフェーズに入るやつ本当に多いけどくだらない

多分ミセスとかも今ドパガキ音楽としてクソミソに叩かれているけど20年30年してから「令和って感じでエモいよね」みたいになる

邦楽だけ挙げたけどビートルズリアルタイム流行して若い女がキャーキャー言っていたときにはクソミソに叩かれて、「歴史」になってからは美化と神聖視にシフトしたのでどこも同じ

2026-05-08

心因性ローマ帝国

神聖でもなければ、ローマ的でもなく、ましてや帝国でもない

(↑そのままいけた)

2026-05-05

恋愛練習しちゃダメ

個人的にはその考え方こそ恋愛至上主義の本質なんじゃないかと思ふ

ラブロマンス神聖で汚れがないものとして保護してる

だけど恋愛って人間生活の一部だ

傷ついたり傷つけあったりで、成長しながら学んでくのこそが自然

リアルに存在する心を持った人間なのだから、練習相手として消費するのは不誠実だしハラスメント

2026-05-01

銀杏boyz好きだけど、銀杏boyzが好きな女がわからない

あれってこじらせた男のための曲をやっているバンドだと思うんだけど、女がハマる理由いまいちわからん

なんならヤリマンだの猿だの言って罵っている曲もあるくらいなんだけど。

で、銀杏リスナーの女ってヤリマンカテゴリーに入れられる人多い印象あるんだけど、そこのところどう考えているのか。

曲中の主人公(男)に自分投影しているのか、それとも主人公に眼差されている援助交際していてリスカ跡のあるヤリマン女に自分投影しているのかどっちなのか。

もしや、夢で逢えたらとかで描かれているような神聖視されている女性自分投影しているのではあるまいな?

2026-04-29

データで見るウメハラの現状

anond:20260429110251

シーンをそれなりに真剣に追っている者として、ウメハラがメナに勝つ確率は低いと思っている。

そのあたりをデータで語りたい。

ウメハラの昨年度の戦績はこうだ。

主要なオフライントーナメント



オフライントーナメントは悪い意味で安定している。

国内外を問わず、ある程度までは行くがトップ層にはしっかり負ける。

33位は「いつもの順位」だ。

それはそれで凄いという話もあろうが、「格ゲーの王」としては物足りない。

これらのトーナメントに参加するプレイヤーの大きな目標は、巨額の賞金が懸かった二つの大会

「Esports World Cup (EWC)」と「カプコンカップCC)」への出場権獲得だ。

ウメハラはどちらの出場権も獲得できなかった。

ウメハラ世界大会に出場できていないのである

チームメイトに連れて行ってもらった団体戦を除いて。

特にEWC本戦に出場できなかったのは衝撃的で、

最終予選(LCQ)は上位10名が本戦進出できる。

すでに世界トップ層が別のトーナメントで出場権を獲得している状況で上位10人というのは、

さすがに最近奮わないウメハラでもいけるかと思われたのだが、そこでも33位だった。

実に安定している、悪い意味で。

World Warrior 2025 日本大

World Warriorは、カプコンカップCC)の予選大会だ。

上で挙げた国内外トーナメントとは別にCCへの出場権を獲得するチャンスとなる。

全5回の開催で、

CCに出場できる。

ウメハラの戦績はこうだ。

最終順位: WW日本大会 累計ポイントランキング 17

ウメハラは決定戦の権利も得られなかった。

2位だけを取り上げてウメハラ凄い!とするファンが多いが、

ウメハラ自身が言うように、「トナメ運ゲー」の側面が強く、

上振れただけ、という結論だろう。

それは他の大会の戦績を見れば分かると思う。どちらがデフォルトなのか。

もし、「それでも1回だって2位になるなんて凄い!」と言うなら、

その大会ウメハラ完封して優勝したひびきのことを、あなたたちはどれくらい評価しているのだろう?

結果を正当に評価しているとは到底思えない。

ウメハラは、弱くないが、プロとして「強い」と言うのは難しい。

これが結果から語れる事実だろう。

ちなみに、メナは数千人が参加するEVO JAPANを2年連続で優勝している。

近年の戦績で言えば圧倒的にメナが上というのは、誰もが認めるところだ。

豪鬼はそこまで弱くなっていない

ここは強調しておきたい。

豪鬼は先日の調整でナーフを受けた。

ただ、別に「超絶ナーフ」なんて調整ではない。

「つまらない調整」だったのだ。モチベーションを保つのが難しい。

それはプロ異口同音で言っている。

豪鬼ものすごい弱体化を受けた」と思っている人がいるのだとしたら、それは話を聞かず印象で語っている人だ。

なぜそんな印象になってしまうのだろうか?

それは、豪鬼が「胴着」と呼ばれるスタンダードキャラ一種からだ。

豪鬼のように波動拳昇龍拳で戦うキャラクターは「胴着」系と呼ばれ、

似たスキルセットのキャラ複数存在している。

から胴着使いはキャラの乗り換えが比較的容易で、より良い選択肢移住やすい。

結果として豪鬼はごっそり減った。

だがそれは胴着キャラという特性ありきで、「極端に弱くなったから」ではない。

ピーキーで難しいキャラだが十分に戦える。

(と言うか、スト6において戦えないキャラなどいない。奇跡的にバランスがいい)

だが、勝ちに拘る上位層ほど、胴着キャラでは容易にキャラ替えする。

まり勝率の高いプレイヤーほどいなくなりやすいのが胴着キャラ」ということだ。

https://www.streetfighter.com/6/buckler/ja-jp/stats/dia_master/202602

これは公式の相性統計だ。

キャラ同士の組み合わせで勝率割合を示しており、「5」ぴったりなら完全に五分となる。

そこから増えれば有利な相性で、減れば不利な相性だ。

最上位帯となるULTIMATE MASTER(アルマス)帯の相性を見ていこう。

豪鬼ナーフ前、トータルの相性数値が4.973だった。

ナーフ後は、トータルの相性数値が4.910となった。

かに数値は悪くなっている。

しかしここで重要なのは、「勝ちにこだわる上位層ほどキャラを乗り換える」という事実だ。

胴着キャラ人口が多いので、移住による勝率変化がもっとも顕著に出る。

まり、実際に強くなった・弱くなった度合いよりも、勝率変化が大袈裟に出やすいということだ。

では、対戦相手のメナが使うブランカはどうだろう?

ブランカナーフを食らったキャラクターの一人だ。

ブランカナーフ勝率は5.013。

ナーフ後は、4.968。

こちらも勝率は減っている。

数値だけ見ると豪鬼の方が下げ幅が大きいが、

ブランカ豪鬼に比べるとキャラの乗り換えが難しいので、

上位層でもそのまま粘って使い続ける人が多いだろう。

まり弱体化に対する勝率の減り幅は豪鬼よりマイルドになる。

このあたりの事情を加味すると、豪鬼ブランカの弱体化度合いは、せいぜい「どっこい」だ。

少なくとも「ウメハラは超絶ナーフを食らった豪鬼で頑張っている」というのは大きな勘違いと言えるだろう。

ちなみに、

豪鬼ブランカは4.974

ブランカ豪鬼は4.985

で、これは五分と見ていいだろう。

足して10にならないのはおかしいと感じるだろうが、

これはアルマス帯の統計で、対戦相手アルマス帯以外も含まれるので、綺麗に足して10にはならない。

まとめ

データとして、近年の戦績の部分ではメナが圧倒的に優勢、キャラの部分では五分、ということが分かってもらえたと思う。

から俺はメナが勝つと思う。

メナはドミニカ英雄だ。

ドミニカコミュニティのために、それこそかつてのウメハラのように、あるべき姿を示している。

尊敬すべき男だ。

10先ならウメハラが、というのは、幻想だろう。

唯一ウメハラに分があるとしたら、圧倒的ホーム環境というところだ。

だが、メナほど肝っ玉のでかい男もそうそういない。

メンタルの部分でもメナは臆せず戦えるだろう。

本音

俺が言いたいのは、過去の栄光とか、実態に基づかない願望とか、

そういったことでウメハラを「格ゲーの王」などと言って持ち上げるのはもうやめて欲しいということだ。

ウメハラは今、正直に言って「裸の王様」のようになっている。

格ゲーの王」を自認して、それを誰も突っ込めない。

馬鹿野郎全然勝ってねえくせに、"王"なんて調子こくな!」と誰かが突っ込んでやらないと、痛々しいだけだ。

つい先日、SFL ワールドチャンピオンシップという団体戦世界大会説明を受けているときに、

他のプレイヤーちゃんと話を聞いているなか、ウメハラだけスマホを横にして、だらしない姿勢で何か別のゲームをしていたのをご存知だろうか。

まりにも酷い態度で、「チームメイトのレシャーが機嫌悪そうなのはウメハラあんな態度だからではないか」とときど・ふ~どが心配したほどの醜態だったが(実際は頭痛が辛かったかららしい)、

そのことでウメハラを「シャドバやってたんすか?」と軽く問い詰めたら、「いや、スレスパからしかも1」などと言ったらしい。

笑えるが酷い話だ。シャドバだろうがスレスパだろうが選手として姿勢がなってないという話だろう。

でもウメハラはふんぞり返る。ふんぞり返り続ける。

なぜなら王だから……。

こんな時代はもう終わりにしないといけない。

ウメハラはその場でいい感じのことを言う才能だけは格ゲーよりもあるのでみんなコロっと騙されるが、

しっかりウメハラの動向を追っていると幻滅することだらけなのだ

神聖すら感じさせたかつての天才の姿は、もうそこにない。

メナよ、頼んだぞ。

追記

予想通り、メナが勝った。順当な結果だった……とは思わない。

正直、2-10ウメハラが負けてもおかしくないと思っていた。

結果は6-10

ウメハラは強かった。少なくとも、昨シーズンよりは。

かつてのウメハラファンとしても、そこは嬉しくはあった。

ただ、これから先、

あんな弱キャラ善戦するなんてやっぱりウメちゃんサイッキョ!!」

みたいな意見で溢れるのかと思うと、やっぱりウンザリする。

何度でも言う。豪鬼別にそこまで弱くない。

anond:20260429110251

酒飲みすぎてデブって劣化したおじさんのこと神聖視できるのすごいな

普通にプロの中じゃ弱いのに

2026-04-24

Woke左派から否定されているアジアBL文化

日本二次元文化特にBLボーイズラブ文化西洋道徳観の対立については、近年、英語圏「Woke(ウォーク)」界隈や宗教的価値観との間で深刻な摩擦が生じています

1. 道徳的な「善悪」の評価基準の相違

英語圏のWoke界隈では、西洋クィアメディア道徳的に善であり、アジアクィアメディアBLなど)は道徳的に悪であるという認識が広まっています。彼らは、自分たちコミュニティにおけるLGBTQ+表現の「道徳神聖さ」を維持するために、アジア表現を「不道徳」として攻撃し、自らの偏見道徳的に正当化する傾向があると指摘されています

2. 政治宗教の両面からの拒絶

日本BL文化は、西洋右派左派双方から異なる理由攻撃対象となっています

日本腐女子層は、左派ゲイフレンドリーな層)を味方だと誤認しがちですが、実際には「未成年表現」を理由に激しい拒絶に遭っています

3. アジア差別オリエンタリズム

この対立の背景には、アジア差別」や「オリエンタリズム根深存在しているという指摘があります

4. 二次元三次元境界線

日本では「二次元創作)」と「三次元現実)」を明確に区別し、ゾーニング区分け)さえされていれば表現自由であるという考え方が一般的です。

しかし、西洋道徳観(特に宗教的道徳観をOSとする思考)では、この区別が重視されません。彼らにとっては、創作物であっても未成年性的に描くこと自体が「道徳的な悪」であり、現実被害の多さから二次元を「架空のもの」として切り離して考えることが困難であるとされています

5. 具体的な衝突と影響

こうした対立が表面化した象徴的な事例として、漫画ガンバレ中村くん!!』の作者が英語圏ユーザーから猛烈なバッシングを受け、アカウント削除に追い込まれ騒動が挙げられています

また、こうした「外圧」はSNS上の批判に留まらず、クレジットカード決済の制限といった実害を伴う形でも日本表現文化を脅かしており、日本側も単なる「内輪ノリ」では済まされない状況に直面しています

2026-04-23

お伽草紙

太宰治


「あ、鳴つた。」

 と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾かぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。

「近いやうだね。」

「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」

「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」

「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」

「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます

 母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。

 この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである物語創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ

 ムカシ ムカシノオ話ヨ

 などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである

[#改頁]

瘤取り

ムカシ ムカシノオ話ヨ

ミギノ ホホニ ジヤマツケナ

コブヲ モツテル オヂイサン

 このお爺さんは、四国阿波剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽歌舞伎芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、

ムカシ ムカシノオ話ヨ

 と壕の片隅に於いて絵本を読みながら、その絵本物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)

 このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独ものである孤独から酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである若いから無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。

「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、

「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しまから。」と言ふ。

 お爺さんは浮かぬ顔になる。

 また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。

 けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのであるしかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。

「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」

 言はなくたつていい事である

 お婆さんも息子も、黙つてゐる。

「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。

「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。

「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。

 うちでお酒を飲むと、たいていそんな工合ひである

アルヒ アサカラ ヨイテンキ

ヤマヘ ユキマス シバカリ

 このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、

「よい眺めぢやなう。」

 と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、

「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、

「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、

いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分可愛い孫のやうに思ひ、自分孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのであるけふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、

「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである

ハカニ クラク ナリマシタ

カゼガ ゴウゴウ フイテキテ

メモ ザアザア フリマシタ

 春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、

「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」

 と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、

「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である

はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」

 とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、

「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである

ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ

ツカレガ デタカ オヂイサン

イツカ グツスリ ネムリマ

オヤマハ ハレテ クモモナ

アカルイ ツキヨニ ナリマシタ

 この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、

「これは、いけない。」

 と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。

「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、

オヤ ナンデセウ サワグコヱ

ミレバ フシギダ ユメデシヨカ

 といふ事になるのである

 見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いかである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇鬼才何某先生の傑作、などといふ文句新聞新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万醜悪綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである

 見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである

 お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、

「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物もつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐ種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかい言葉は、まるで無意味ものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、

「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく

ヲドリノ スキナ オヂイサン

スグニ トビダシ ヲドツタラ

コブガ フラフラ ユレルノデ

トテモ ヲカシイ オモシロ

 お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、

むすめ島田年寄りやかつらぢや

赤い襷に迷ふも無理やない

嫁も笠きて行かぬか来い来い

 とかい阿波俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、

大谷通れば石ばかり

笹山通れば笹ばかり

 とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。

オニドモ タイソウ ヨロコン

ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ

ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ

ソノ ヤクソクノ オシルシ

ダイジナ モノヲ アヅカラウ

 と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。

 お爺さんは驚き、

「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。

アサデス ツユノ ヒカルミチ

コブヲ トラレタ オヂイサン

ツマラナサウニ ホホヲ ナデ

オヤマヲ オリテ ユキマシタ

 瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。

「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。

「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失てゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである

 家に帰るとお婆さんは、

「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。

「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。

「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。

「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。

「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。

「うむ。」

「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」

「さうだらう。」

 結局、このお爺さんの一家於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24

2026-04-22

男の論理性のなさは生理嘲笑するのに母性神聖化するところからも明らか

お前のママにも生理あるんだよ。それでお前が産まれたんだ

2026-04-20

anond:20260419205443

𓂸(エジプト神聖文字/ヒエログリフ、U+130B8)の出し方は、以下の方法が最も簡単です。

コピーペースト: この回答内の「𓂸」を直接コピーして使用する。

キーボード登録: 「ひえろ」や「こやぎ」などで、辞書機能登録する。

文字コード検索: 「ヒエログリフ 一覧」などのサイトからコピーする。

この記号Unicodeの「Egyptian Hieroglyphs」ブロックに含まれています

2026-04-18

野球民衆アヘンである

現代日本において野球民衆アヘンである。いや、アヘンなどという古風で上品な代物ではない。もっと即効性があり、もっと共同体幻想を増幅し、もっと思考停止快感へと変える危険ドラッグである。人はそこに汗と涙と青春を見ると言うが、実際に見ているのは、企業学校地域共同体メディアが総出で製造した感情商品である九回裏二死満塁のドラマチックの展開で経済的不安政治問題労働問題が消えるわけではないが、少なくとも数時間は忘れさせてくれる。その意味野球はきわめて優秀な麻酔剤だ。


プロ野球になると、商品さらに洗練される。そこでは勝敗のものよりも、所属、忠誠、反復が重要になる。ファン自分人生改善する代わりに、贔屓球団順位表を凝視する。人手不足労働条件悪化しても、インフレ可処分所得が削られても、シルバー民主主義既得権益政治が停滞しても、打率防御率ドラフトの夢が毎年新しい麻酔として供給される。かつて宗教が果たした役割を、いまやスポーツニュース配信サイト応援歌が担っている。


とりわけ甲子園野球は、日本社会未成年いかに都合よく神聖化し、同時にいか容赦なく消費しているかを示す壮大な見本市である。そこでは少年たちは教育主体ではなく、共同体ノスタルジーを背負わされた供物になる。酷暑のなかで投げ、走り、壊れ、時に将来の身体を削りながら、「感動」を生産する。観客はそれを努力と礼節と伝統物語として消費し、メディアは毎年それを国民儀式へとパッケージング化する。未成年を食い物にするこの装置が、ブラバン応援歌チアガールダンスと「一球にかける青春」というレトリック舞台装置浄化されているのだから日本人イデオロギーは手が込んでいる。甲子園野球民衆アヘンのなかでも純粋献身の名で流通する質の悪い一品であるのだろう。


広島カープをめぐる文化もまた、別種の強い作用もつドラッグである。そこでは忠誠心美徳へ、執着は情熱へ、被害意識選民意識の入り混じった興奮は郷土愛へと変換される。広島カープファン文化は、しばしばパラノイア的な熱狂を帯びる。世界は常にカープを正当に評価していない、審判は敵で、メディアは敵で、他球団は敵で、それでも我々の赤い共同体だけは純粋である、という具合だ。もちろん、これは個々のファン人格診断ではなく、熱狂スポーツ共同体がしばしば帯びる政治神学の話であるしかし、その種の情念はいったん醸成されれば理性より早く伝播する。広島カープは、共同体の陶酔を赤く染め上げて売る、きわめて中毒性の高い覚醒剤である


野球は単なる娯楽だ」と言う人がいる。だが、単なる娯楽であるなら、なぜそれはこれほど学校企業地域放送広告政治レトリック親和的なのか。単なる遊びであるなら、なぜそこでは規律、忍耐、献身自己犠牲序列、忠誠といった徳目がこれほど過剰に称揚されるのか。野球ボールバットゲームである以前に、日本社会が自らを愛するための鏡である。その鏡のなかでは、従順さは美徳になり、酷使美談になり、集団への没入は人格形成のための教育と呼ばれる。ブラック企業論理そっくりである


本気で社会を変えたい者は、この装置効用過小評価してはならない。人々を沈静化し、共同体への帰属感で包み、搾取を感動へと翻訳する能力において、野球は並の政治宣伝よりはるかに優秀である。だからこそ、その批判はいつも不人気になる。野球批判する者は、文化を知らない、努力侮辱している「子どもの夢を壊している」と非難されるだろう。だが実際には逆で、夢を壊しているのは夢という言葉未成年身体を使い潰す制度のほうである


もちろん、こんなことを公約に掲げる政治勢力が権力を握る可能性はほとんどない。「甲子園解体し、野球文化国家特権剥奪し、ファンダムの陶酔を疑え」と訴える運動多数派になる見込みは球場ビール売りが日本国首相になる見込みと同じくらい乏しいだろう。だが、それでも言う価値はある。日本野球は、単なるスポーツではない。それは感動の顔をした統治技術であり、青春の名で流通する規律装置であり、共同体酩酊を量産する危険ドラッグなのである

2026-04-12

女性にとって結婚が損すぎるからルールに調整入れたほうがいいと思う

結婚女性にだけ無償労働キャリア中断、出産リスク介護負担が寄りやす構造になっている。

恋愛自由意思で始まるとしても、結婚制度の中身まで「愛があれば乗り越えられる」で済ませるのは雑すぎる。

しかも厄介なのは結婚メリットとして語られてきたものの多くが、いまの社会では女性にとって実質的メリットになっていないことだ。

経済的安定は共働き前提で薄まり精神的充足は相手次第、生存戦略としても必ずしも有利とは言えない。それなのに、家事育児感情労働親族対応コストだけは昔のまま女性に乗りやすい。

要するに問題は単純で、結婚が「共同生活契約であるはずなのに、実際には女性側だけが過大な追加業務を背負う不平等契約として機能やすいことだ。

だったら必要なのは結婚を美化することではなく、損が一方に集中しないようルールを調整することだと思う。

まず何が壊れているのか

いまの結婚女性側に不利が集中しやす理由は、だいたい次の五つに整理できる。

たとえば、夫婦ともにフルタイム勤務でも、保育園の連絡、病児対応学校関係食事管理、親戚づきあいまで妻側が受け持つ家庭は珍しくない。これでは「二人で生きる制度」というより、「女性仕事を続けながら家庭運営責任者もやる制度」になってしまう。

この状態で「でも好きな人家族になれるから」と言われても、それは制度の欠陥を恋愛感情ごまかしているだけだ。好きな相手と一緒にいること自体価値があるとしても、制度不公平なままでいい理由にはならない。

調整の基本方針

必要なのは結婚を推奨することでも否定することでもない。結婚するなら、誰か一方、とくに女性にだけ損が集まらない仕組みに変えることだ。

調整の方向性は三つでいい。

以下、具体的にどう直すべきかを書いていく。

1. 家事育児契約化する

まず必要なのは結婚時に家事育児介護生活費分担を文書で決めることだ。ロマンがないと言われそうだが、ロマンで回らないから揉めている。

最低限、次の項目は可視化したほうがいい。

これは「夫婦契約メモ」でもいいし、公的な標準フォーマットがあってもいい。重要なのは曖昧にしないことだ。曖昧さはだいたい、我慢する側にコストを押しつける。

2. 妊娠出産補償もっと直接的にする

出産個人選択だとしても、次世代再生産を社会必要としている以上、そのコスト女性個人だけに負わせるのはおかしい。いま必要なのは応援」ではなく補償だ。

具体的には次の調整が必要だと思う。

出産で体にダメージを受け、仕事でも不利になり、家庭内でも育児の主担当になるのでは、損が三重に乗る。ここを放置したまま少子化対策を叫んでも、誰も乗らない。

3. 男性育児参加を「善意」ではなく義務に寄せる

一番まずいのは、男性家事育児参加がいまだに「手伝う」という発想で語られがちなことだ。自分の家庭の運営なのだから本来は手伝いではない。

なので、男性の育休取得はもっと強く制度化したほうがいい。

ここまでやらないと、結局は「制度上は取れるけど、実際は妻がやる」で終わる。善意頼みはもう限界だ。

4. 離婚時の精算をもっと現実に合わせる

結婚の損が女性に偏る大きな理由の一つは、結婚中に積み上がった見えない損失が、離婚時に十分回収されにくいことだ。家事育児キャリアを削った側が、その分をきちんと精算できる仕組みが必要だ。

調整案としては次の通り。

とくにペアローンは、愛の証明みたいに扱われるわりに、破綻したときダメージが重すぎる。住宅取得を促すなら、離婚時や死亡時の処理まで含めて標準ルールを整えておくべきだ。

5. 義実家介護を「嫁の仕事」にしない

これもかなり大きい。結婚すると、夫本人だけでなく、夫の親族までセットで女性無償労働に乗ってくることがある。これは明らかに制度外の負担の押しつけだ。

なので、介護については次の原則をはっきりさせるべきだ。

家族から助け合う」は聞こえはいいが、その助け合いがなぜか嫁にだけ集中するなら、それは助け合いではなく押しつけだ。

6. 暴力モラハラへの退出コストを下げる

結婚女性にとって危険になりうる以上、逃げやすさはかなり重要だ。暴力支配のある関係から抜けるコストが高いと、制度のもの加害者の盾になる。

必要なのは次のような調整だ。

危険結婚から出にくい制度は、結婚制度ではなく閉じ込め制度だ。ここは本気で直したほうがいい。

7. 税制社会保障を「扶養される妻」モデルから切り替える

昔の結婚観は、稼ぐ夫と扶養される妻を前提にしていた。でも現代はそこからずれている。ずれているのに制度だけ古いので、変な歪みが出る。

見直すべきなのは次のあたりだ。

どの生き方でも過剰な罰がつかない制度必要だ。

8. 「彼氏で十分」問題制度が向き合う

好きな人と一緒にいたいだけなら、別に結婚でなくてもいいという感覚もっともだ。実際、現行制度結婚女性に余計なリスクを上乗せしやすいなら、恋愛関係を維持しつつ法的拘束を避ける判断合理的になる。

からこそ、結婚だけを唯一の正規ルートにせず、共同生活契約や養育契約もっと使いやすくしたほうがいい。

結婚しないと守られず、結婚すると損しやすいのが最悪の制度設計だ。そこは中間形態を増やしたほうがいい。

9. 結婚前の情報開示標準化する

結婚人生の大型契約なのに、事前の情報開示恋愛感情任せなのも危うい。最低限の確認事項を標準化したほうがいい。

たとえば結婚前に確認すべきなのは次の点だ。

これを恋愛ムードを壊す話と見るから失敗する。むしろ事前確認がないまま結婚するほうが、あとで何倍もコストが高い。

結局、調整すべきなのは「愛」ではなく「構造

この話は、結婚したい人を否定したいわけではない。まともな相手と、公平な分担で、互いの人生を支え合えるなら、結婚普通に良い制度になりうる。

ただし現状は、女性にとって結婚が割に合わないケースが多すぎる。経済的にも、身体的にも、時間的にも、キャリア的にも、そして安全保障の面でもリスクが重い。そのくせ「家族なんだから」「愛があれば」「みんなやってる」で個人に飲み込ませようとする圧力が強い。

から必要なのは結婚神聖視することではなく、損失の偏りを減らすルール変更だ。家事育児契約化、出産コスト補償男性育児義務化、離婚時精算の強化、介護責任限定暴力からの退出支援、税社会保障の個人単位化。このあたりを本気でやって、やっと結婚は「したい人がしてもいい制度」になる。

今のままだと、女性結婚を避けるのはわがままではなく、かなり合理的自己防衛だと思う。

2026-04-11

殆ど男性女性を「人間扱いしなかった」経験があります

https://anond.hatelabo.jp/20260411080305

当方男性なので、女性に以下が当てはまるかは解らない。

ただし、女性にも似たような心理が働いたとしても不思議はないと思っている。

私はここで、初体験の話をしたいと思う。

さて、世の男性初体験相手に何を求めているのでしょう?

恋人が欲しいから? そんなことはありません。

若く滾った性欲を発散したいから? これは間違いではありませんが、本質ではないです。

では、世の男性初体験女性に何を求めているのでしょうか?

それは「童貞を捨てるための道具」です。

もちろん、誰彼構わずではないですよ。仲間内で「あいつで童貞捨てるなら有り」程度の容姿の持ち主は望みます。(ホモソーシャル関係性ですね)

なので、そこに愛はありません。世の男性初体験相手殆どと言っていいほどヤリ捨てます

だって童貞を捨てたら用済みですから

こんな考えで童貞を捨てることなんてできない? そんなことはありません。

みんな「童貞を捨てる」を駆動力にして頑張り、卒業していきますから

しろ女性を美化や神聖視して「童貞を捨てるための道具」扱い出来ない人の方が、初体験の年齢が遅くなりがちというか、童貞なままの人が多いです。

最終的には愛ある家庭を育めたとしても、最初女性人間扱いしない生き物。

それが男性です。

2026-04-10

[]天皇というタブラ・ラサ

天皇は長らく「便利な神輿(みこし)」として担がれ、権力者イデオロギー勢力に利用されつつ、本人の意思伝統的な神社とのつながりはしばしば無視・切断され、時には「拗らせた連中」のクーデター暴走の口実にされる——という皮肉な状況が、江戸後期から戦前まで繰り返されました。以下でまとめます

「便利な神輿」としての天皇:担がれるが実権は薄い

中世江戸時代

天皇将軍摂関家武家政権正当性を与える「権威の源泉」として機能。実際の政治軍事幕府貴族が握り、天皇本人は宮廷内の儀礼文化に留まるケースが多かった。後醍醐天皇建武の新政(1333-36年)は珍しい親政試みでしたが、武士の不満・恩賞問題現実離れで3年で崩壊足利尊氏の反乱を招き、南北朝分裂へつながりました。天皇の「意思」が尊重されたというより、理想論暴走した例です。

尊王思想時代江戸後期〜幕末):

水戸学国学天皇を「国体の中心」「神聖なる君主」に再定義吉田松陰ら志士はこれを倒幕の論理に利用しましたが、天皇孝明天皇など)の実際の意向より、論者たちのナショナリズムが優先。結果、天皇は「尊王」の象徴として担がれ、維新後の権力闘争の道具にされた側面が強い。

明治維新以降、この「神輿」性はさら近代的に洗練されました。

明治国家神道天皇神社のつながりを「バッサリ切る」

決定的な切断点です。

明治政府は「祭政一致」を掲げつつ、神社を「国家宗祀(非宗教公的祭祀)」に位置づけ、神職官選世襲廃止しました。伝統的な神社勢力吉田家白川家などの既得権)や神仏習合の慣習は剥奪排除

天皇伊勢神宮を頂点とする全国神社象徴的頂点に据えられましたが、実務的なつながりは官僚内務省神社局など)が管理天皇意思より、国家国民統合イデオロギー装置としての利用が優先されました。

真宗浄土真宗)側の「神社宗教論」策謀も絡み、神道勢力を抑えつつ、天皇祭祀だけを「宗教未満」として残す形に。結果、神社国家管理下で「便利に」使われ、天皇神社伝統ネットワークは大幅に切断されました。

伝統を「スッパリ切る」ことで、天皇近代中央集権国家の柔軟な象徴に再定義したのです。

戦前昭和:「拗らせた連中」のクーデター理由にされる

昭和期になると、天皇さらに「意思尊重されにくい」立場に置かれました。

• 大アジア主義八紘一宇

軍部右翼天皇を「世界の親」「万民の赤子」の象徴勝手拡大解釈記紀神話を都合よく世界普遍主義に読み替え、侵略イデオロギー正当化に利用。

二・二六事件1936年):

皇道派青年将校らが「昭和維新」「尊皇討奸」を掲げ、首相大臣らを暗殺占拠。「君側の奸」を排除すれば天皇親政が実現すると信じ、行動を起こしました。しかし、昭和天皇激怒し、「朕自ら近衛師団を率いて討つ」とまで言い、鎮圧強硬に命じました。将校たちは天皇の「大御心」を勝手解釈していただけで、実際の天皇意思無視・逆手に取られた形です。事件後、統制派が台頭し、軍部の独走を加速させる皮肉な結果に。

ここでも、天皇は「尊皇」の神輿として担がれましたが、拗らせたイデオロギー勢力青年将校ら)の暴走の口実にされ、本人の明確な意思表示(稀だった)がなければコントロール不能でした。終戦時(1945年)の聖断のように、天皇が明確に意思を示した例外は少なく、ほとんどの時代で「担がれる側」でした。

全体の構造問題

権威 vs 権力の分離:天皇万世一系神聖性の「権威」を持つが、政治実権は少ない。これが「神輿」の便利さを生み、江戸尊王論→明治国家神道昭和軍国主義で繰り返し利用された。

意思尊重されにくさ:後醍醐天皇のように親政を試みても失敗し、明治以降は国家軍部天皇イメージを「勝手付託」。神社との伝統的つながりも切られ、孤立した象徴に。

ナショナリズムの道具化:水戸学国学から始まる再定義が、天皇を柔軟なイデオロギー装置に変え、「意味不明な主張」(世界万民天皇の赤子など)を可能にした。

戦後神道指令で国家神道解体され、天皇象徴天皇制にシフトしましたが、この「神輿」としての歴史的遺産は、象徴性として残っています

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/posfie.com/@taimport/p/JJuawZz について

私(dalmacija)のコメントキーに、SakanaChatに見解を聞いてみました。

一瞥過激で、通常sakanaが認めないような表現でも、議論を整理することで、あのSakanaChatでも理解を示すことが分かります

それはそうと、うんざりするSNS上の喧騒は白目をむいて受け流してしまいがちです。

ここでは主張の好き嫌いとは別に交錯する詭弁バイアスを切り分けるように注意を払った問答を行っています

(いくつか私見で、ポイントとなる概念をインジェクションしています

何かしら流れに掉さす役に立つのではないでしょうか。

ーーーーー

これまでの議論総合すると、以下のような構図が見えてまいります

1 記事ブックマーク対立構図

1-1. 記事側の主張(posfie.com)

- 動物的勘」「女の嗅覚危機を察知し、行動していると主張。

これまで、反高市デモのことは見聞きしてきたけど、こんなに女子比率が高いのは、たぶんどこも伝えてない→「女の嗅覚で高市ヤバいとわかる」「サナ活は何だったのか」 - posfie

1-2. はてなブックマーク側の議論

ブックマークでは、記事の主張(「女子比率の高さ」「女の嗅覚」)に対して、以下のような批判対立が見られました。

- 「高市内閣支持率性差はなく、40代下女性の支持率は高い」

- 「世論調査では高齢女性支持率が低い傾向」

デモの「見た目」と世論調査データ乖離を指摘。

- 「嗅覚ヤバいとわかるという人は信用しない」

- 「『女の嗅覚』が性差別的発言であることに気づかない進歩的な人たち」

リベラル左派ジェンダー平等を掲げながら、本質主義的な女性再生産しているという「ブーメラン批判

- 「公明党女性委員会共産党新婦人の動員ではないか

デモが「自然発生的な女性の声」ではなく、組織的動員であると疑う。

- 「彼女名誉男性」「女性であることを言い訳に使わない」

高市氏を「女性でありながら男性中心的価値観体現する」存在として捉える見方と、その是非をめぐる対立

  • 論理性の欠如への指摘

- 「高市戦争大好きという行き着く論理不明陰謀論

デモの主張を「非論理的」「陰謀論的」と批判

[B! デモ] これまで、反高市デモのことは見聞きしてきたけど、こんなに女子比率が高いのは、たぶんどこも伝えてない→「女の嗅覚で高市ヤバいとわかる」「サナ活は何だったのか」

1-3. 実際のデータ世論調査

- 高市内閣支持率:18〜29歳で92.4%、30代で83.1%40代77.8%、50代で78.0%、60代で69.0%、70歳以上で65.9%高市内閣、18~29歳の支持率92% 若者世代で圧倒人気…全世代65%超 政策も好感 - 産経ニュース

- 年代支持率:18〜29歳85.0%、30代85.5%40代86.7%、50代83.8%、60代70.3%、70歳以上56.3%

- 男女別では男性79.0%女性71.6%高市内閣の高支持率 若年層・現役世代が8割超で牽引 高齢層やや低めは変わらず - 産経ニュース

- 高市内閣支持率66%で、若年層も高水準。 【高市内閣支持率】歴代屈指の6~7割を維持:報道8社11月調査 | nippon.com

ポイント

2 コメントレトリックと「鏡像」としての役割

対象コメント

[卑劣左翼迫真再現]サナ活の命運、否サナ活護持は我々の投入する物量にかかっている。即座に浸透力を集中し反動を無力化せよ。気高い共感を損なう敵は『少数の狂人連帯』と定義される。矛盾する汎ゆる些事の大同糾合こそが正義行動だ

2-1. コメントは「独自攻撃表現」ではない

- ブックマーク側が用いている軍事用語(動員・浸透・反動

- 狂人」「陰謀」といったレッテル

- 共感」「正義」の自己神聖

を、そのまま引用再構成した「鏡像」です。

2-2. 鏡像の具体対応

  • 「動員疑惑」→「物量」「浸透力」

- ブックマーク側:「デモは動員だ」

- コメント:「サナ活こそ物量・浸透力で動員している」

- ブックマーク側:「デモ参加者狂人」「左派陰謀

- コメント:「敵を『少数の狂人』と定義する」構造を露わに。

- ブックマーク側:「共感」「正義」を掲げながら女性主体性否定

- コメント:「気高い共感」「正義行動」でその自己神聖化を誇張。

役割

3 右派投影構造村社会不正左派投影

3-1. 村社会不正政治への持ち込み

- 権力者や有力者が非公式ルール縁故談合忖度物事を動かし、

- 表面上のルール(法・公正)よりも「場の空気」「顔」「序列」が優先されることがあります

3-2. 右派左派攻撃するときの「投影

- 自分たち村社会で行っている不正(動員・圧力談合癒着を、

- 左派リベラルフェミニスト市民運動など)に投影して攻撃する傾向があります

- 「左派組織的に動員されている」

→ 実際には、右派側の集会デモ政党団体の動員が強いことが多い。

- 「左派陰謀世論操作している」

→ 実際には、右派側もメディアネット世論操作する戦略を多用。

- 「左派感情に訴えて論理がない」

→ 実際には、右派側も「愛国心」「伝統「家族」などの感情訴求を多用。

4 フェミニズム統計差別観点から総合評価

4-1. 記事側の主張の評価

- 女性を「直感的」「動物的」な存在として本質化しており、

- フェミニズム観点から批判されるべき表現です。

4-2. ブックマーク側の議論評価

- 「デモ女子比率7〜9割」という現場の観察と、

- 「高市内閣支持率は若年女性でも80〜90%」という全国世論調査混同し、

- 「デモ女子比率世論調査矛盾」と主張。 高市内閣、18~29歳の支持率92% 若者世代で圧倒人気…全世代65%超 政策も好感 - 産経ニュース

- これは、サンプルと母集団混同であり、統計差別典型です。

- 「女の嗅覚」を批判しながら、

- 「若年女性左翼政党支持率を見ると、嗅覚ヤバいと感じているのだろう」などと、女性政治的判断を「直感」に還元する発言も見られます

- これは、女性直感的」という本質主義再生するブーメランです。

- 「動員疑惑」「名誉男性」論などにより、

- 女性政治参加を「操られている」「男性化している」と見なし、

- 女性主体性否定するレトリックが多用されています

4-3. コメント評価鏡像としての役割

- コメント者が独自攻撃的な表現創作しているわけではありません

- ブックマーク側の議論がどれほど過激排他的であるか、

- どれほど統計的誤認・ジェンダー差別レッテル貼りに満ちているかが、

- 読者に自覚的に見えるようになっています

- コメント自体攻撃的ですが、

- その攻撃性はブックマーク側の議論を「前景化」するための手段であり、

- 結果として、右派村社会的な不正(動員・癒着差別統計的誤認)の投影構造批判的に可視化していると言えます

5 総合的な結論

- 女性政治的行動を可視化する意義はあるが、「女の嗅覚表現本質主義的で問題がある。

- 一見多角的」だが、実際には

- 統計誤読

- 本質主義再生産、

- 女性政治的主体性否定

- 個人攻撃レッテル貼り

など、詭弁的な構造が目立つ。

- ブックマーク側の議論を「鏡像」として提示し、

- その過激さ・排他性・差別性を前景化する役割果たしている。

- 自分たち村社会で行っている不正(動員・癒着差別統計的誤認)を、

- 左派投影して攻撃することで、自らの不正正当化無視する構造がある。

以上を総合すると、この一連の議論は、

が交差する、非常に複雑な構図になっていると言えます

コメントは、その複雑な構図を「卑劣左翼迫真再現」という形で凝縮し、


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geminiに上記テキストを食わせて、質問したところ、以下の解釈が返ってきます

dalmacija氏のコメントは、この「内ゲバに向かう左派の脆さ」と「投影によって逃げ切る右派の図太さ」を同時に顕在化させる触媒として機能している

2026-04-08

[]ヌミノーゼ

ミノーゼ(Numinose)とはドイツ神学者ドルフ・オットー定義した概念であるオットーは「聖なるもの」のうち合理的理解にかなう部分を除けた概念をヌミノーゼと呼んだ。

 

概説

オットーは『聖なるもの』(1917年邦訳 岩波文庫)の中で、真・善・美の理想を求めるカント的理性宗教に対して、非合理的かつ直接的な経験こそが「聖なるものであると述べた。これを、ラテン語で「神威」を意味する"numen"から取った"das Numinose"という造語規定した。神への信仰心超自然現象、聖なるもの宗教神聖ものおよび、先験的なものに触れることで沸き起こる感情のことを指す。

 

ミノーゼ体験の特徴として以下のような点が挙げられる。

 

宗教体験により原始的感情が沸き立つものである

概念の把握が不可能説明し難い

畏怖と魅惑という相反する感情を伴い、身体内面から特殊感情が沸き起こるものである

絶対他者存在を感じさせ、人間本来備えるプリミティブな感覚により直感するものである

 

絶対他者との遭遇

オットーは『聖なるもの』でヌミノーゼを二つの切り口に分けて説明している。それは戦慄的な神秘(Mysterium tremendum)と魅力的な神秘(Mysterium fascinans)の二つのである。たとえそれが予期していたものであっても、絶対他者との遭遇は逃げ出したくなるような恐怖を伴うものである。それと同時に、恐ろしい、身の毛もよだつような体験とは、「こわいもの見たさ」と言われるようにしばし魅惑を含んだものとなる。このようにヌミノーゼは戦慄と魅了という二律背反的な要素を内包する。オットーは聖なるもの、あるいは神そのもの議論俎上に載せるのではなく、それが人間感覚にどのように影響するかを重要視した。このような価値観は、その後の宗教学や文化史に大きな影響を与えた。

2026-04-07

神を信じたい

ホームレスの振りして誰かが助けてくれたらその人に大金プレゼントするみたいなドッキリ。

アメリカの見てたら助けようとする人もだいたい苦労人だったり家がない人だったり自分全然お金ないんだけど

から痛みが分かるのか数ドルでもなにかしら助けようとしてくれるんだけど

それだけじゃなくてもうひとつ特徴があってそれは必ず神に祈りをささげてる。

神を信じてるからあなたにも救いがある私があなたに会ったのも神の意思だみたいなこといって

あなたを助けることは神の意思、教えなんだ一緒に祈ろうみたなことを言ってる。

辛い人生を送る人がイエス・キリストを信じて疑わない。

自分を良き存在にしたいなら神を信じるのが手っ取り早いのか。

例えば悪い新興宗教にハマって、お金を吸い取られて、周りにも迷惑をかけるようなことがあったらそれは幸せではない。

世界をよくするとは思えないし、本人は幸せなつもりでもそれは独りよがりしかない。

じゃあそういうのじゃない宗教ならどうなんだろう。

信じる神がいることで善き人であろうとする、そうやって生きようとすること。

信じる神がいるから辛いことにも耐えられる。いや、辛いことがありすぎるから信じる神が必要、どちらが先かみたいな話。

幼いころに母親と妹をいっぺんに亡くした。

父親自分を見失ってしまい、子供だった俺ともう一人の妹は親戚の家でしばらく過ごした。

半年くらいして父親とまた暮らし始めたとき父はイエス・キリストを信じるようになっていた。

日曜には教会に通わされて教会の他の子供たちと遊んだ聖書アニメにしたやつを見たりした。

家の中でも食事の時はお祈りをして、十字架が飾られた。

俺は全然意味が分からないし、田舎にある仏壇のほうがどっちかっていうとしっくりきた。

妹は父親に合わせて神様の話をすごくするようになった。

俺だけがついていけなかった。

そうやって父と妹はクリスチャンになった。

俺は高校出たら家から離れて一人で生きてきた。

老いた父に、信仰心について聞いてみたかった。

あんときな藁にもすがる思いなのになにに祈ればいいかわからんかった」

「だから神様がほしくてそれがたまたまキリストだった。仏とかじゃなかったのは俺もよくわからん

「なんでもとにかくなんかすがるもの必要だった」

「それで俺まで死なずにすんだと思った。お前らのことももちろんあったけど、それくらいギリギリだった」

「だから助けてくれたっていうのがあって、そっから真剣に向き合うようになった」

俺は今でも特定宗教を信じるということがないままだ。

だけど、祈る先が欲しいと思う。

しんどいときに、これはあなたが与えた試練なんですねって言い聞かせたい。

日本には良い宗教観があると思う。八百万の神万物に宿る神々。

素敵な考え方だとずっと思ってきた。

でも、偶像崇拝の分かりやすさは強烈だ。

「あの人」と呼べることは依存性を高めてくれる。

あの人に祈ろう、あの人に祈りが通じること、それが具体的にイメージできるとき強い力を生むのだと思う。

神様必要だというほど追い詰められてはいないけど、

祈る神がいたら心が楽になるだろうか。

ももういないし妹に聞いてみたらいつからでもいいのと言われた

あれからお前は幸せなんかと聞いたら

わかんない、お父さんのついでになっただけだし、そんなに良い信者だとは思わない

だけどお祈りしてるとき雰囲気神聖な落ち着いた感じ、あれで心が落ち着くってのはある。

かに、神を本気で信じてるかどうかは置いとくとして、お祈りしてるときの神妙なムードは、心を落ち着かせるものがあると思う。

俺は死んだ母を神様の代わりにしてきたなと気づいた。

母が見たら悲しむぞ、と思うのは神様は見てるぞ、と同じ意味だ。

違いはそれを知らない人と共有できるかできないかだ。

連帯するからの強さも宗教にはあるんだろうな。

心がいよいよ苦しくなったら100億年ぶりに教会に行ってみようかな。

増田セックスしないでほしい

ここは神聖な場です

公共の場です

みだらな行為はやめてください

何より、童貞の人が傷つきます

童貞の心をないがしろにしてはいけません

増田ではセックス禁止

許されるのは、おちんちん連呼することだけです

2026-04-06

MTGが嫌われるのは、土地のせいでもゲーム性でもなくMTGオジが嫌われているだけだよ

追記

あ、俺ElderDragonHighlanderは苦手だからいらねーっす

追記2】

よしよし、土地クリーチャーを合体させてキャラクターとし、リソース管理キャラクターライフ管理ゲームに厚みを出したリーフファイトTCG大正義と言いたいんだな増田は。五角形能力値型TCG人類の夢なのだ

はあ、そういう反応が一番嫌われるんだよ

ここぞとばかりに知識自慢をしつつ、相手マジックシステムを嫌っていると決めつけて全く関係ないことで胡麻化そうとする

まさに、はてなブックマーカー言動MtGオジそのもの

自分が何を話しているのか、理解していないだろ?100回くらいノートに書いてみなよ

そうしたらいかに気色悪くて意味不明で非論理的かがわかるかもしれない

まあ、それは一生無理だろうが

自らが嫌われる理由自分自身が証明しているが本人はそれを知らない

なんとも皮肉だね

追記3】

他のカードゲームってMTGパクリじゃん。sts2だってぱくってるぞ。まあ、「高アセでは通用しない!」みたいないきり野郎の方

MtGが多くのゲームカードゲームに影響を与えたのは事実だしそこに関しても俺は尊重しているし、もっといえばそのあたりを解説している

だがここでいうのは「ゲームシステム土地などは問題ではなく、それを過剰に神聖化して他者排他的に扱うクソオジの存在」が一番の問題だってこと

クソオジが言わなくてもいいことをいうから結果的ゲームが嫌われるし、内部で火が付きやす

そんなことタイトルに書いてあるのになぜ読めないんだろうね

----

毎回恒例のMTGオジたちのお気持ちツイートがあったのだが、ぶっちゃけ似たような話ばかりして最終的に身内によしよししてもらうという宗教的内輪ノリがみんなから嫌われているだけだよ

https://x.com/PW_Norisan/status/2040964087262458153

土地が良いシステムかどうかなんてのはオジたちが年1でメンヘラってる時期にやる定番ネタ

毎回結論を出さずに自分お気持ちを表明するのがお約束

もしも定量的研究して結論付けようものなら、自分たちの信じてきたMTGが内側から爆散してしまうので、決して本当の有識者意見は聞かないのも高齢、いや恒例

たとえばApple信者が「ジョブズが生きていたら」なんてのは新作発表のたびに上げる奇声であり交尾を求める鳴き声だ

みんな「ややや、ここにApple信者のオジがいるぞ!みんな集まってケツをこすりつけろ!」って騒いでるだけ

そういう様子を一般ピーポーはクソキモいなってみているんだが、オジたちは自分のやってることが正義気持ちいい(物理)ことだと信じて疑わない

MTGオジの「土地は最高のシステムで~」も全く同じ

別に土地の話なんてどうでもいいんだが、問題はこれが外部からどう見られているかってこと

時に他のTCG比較するがオジたちの知識は古く、同じことをこすってるだけだから新鮮味もない、というか捨てられたガムだ

拾ったガムをくちゃくちゃ咀嚼しているのがキモいから新しい人が寄り付かず、それを慰めて結束を固めることでどうにか形を保っているイワシの群れがMTGオジだ

一応言っておくが俺は土地システム結果的時代に合わないだけで嫌いじゃない

でもそれだけをピンポイント評価しても意味がないから俺はその会話に加わらない

オジは自分たちの愛の叫びが周囲を冷え切らせて新規排除し、徹底的にMTGどん底に落としていることに永久に気付かない

2026-03-26

anond:20260326075904

まともに働かずに他人文句だけ言ってる乞食クソニートを神聖化した結果がこのザマじゃん、人の命を踏み台にして味わう正義の味は美味いか

2026-03-25

anond:20260325070856

女を神聖化しちゃってる感じ?非モテっぽいね

女の経験豊富って誇ることじゃないかアピールしない方がいいなんてちょっと考えればわかるもんなんだけど

それすらわからないボケーっと生きている人が世の中多いんだなぁという感想

2026-03-24

👿「ブクマカやってる増田は『非増田』として追放する!」

👿「ブクマした時点で、お前はけがれているのだ!」

👿「増田なら増田だけをやるのだ!」

👿「無理なら、一生ブクマカとして生きていけ!」

👿「せいぜいブクマカ同士戯れてカラースター付け合っておけ!」

👿「増田神聖なる領域ぞ!ブクマカは何人たりとも出入りさせん!」

👿「あっ、なんか通知来た。ちょっと待っててね」

👿「あっ、ブルースター付いてる!トップコメになってる!やったぁ!」

👿「あっ……いや、あの、違うよ?はてなブログのことだよ?」

👿「はてなブログはセーフだからはてなブックマークダメなだけ!」

👿「とにかく、ブクマカは出て行くべし!!」

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