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はてなキーワード: 内省とは

2026-05-10

anond:20260509142559

追記アップデートを拒む「旧OS」と、コミュニティ免疫反応

その後の展開は、さら教育心理学的にも示唆に富むものだった。Aが一度は口にした「昨日の非礼について、重ねてお詫び申し上げます」という謝罪。それが内省によるものではなく、単に対話強制終了させるための「終了ボタン」に過ぎなかったことが、その後の豹変で露呈することになる。

1. 謝罪免罪符にした攻撃性の解放と「責任転嫁

Bが依然として拭い去れない不快感(前日に「ソープへ行け」と人格否定するような暴言を吐かれたことへの余波)を口にすると、Aは即座に攻撃に転じた。

加害の棚上げと「だるい」という拒絶

わたしは蒸し返されてだるいよ」「謝罪すべきはしっかり謝りました」と、自らの不適切言動が招いた紛糾を、あたかもBが一方的に「終わったことを蒸し返す迷惑行為であるかのようにすり替える。

対話責任放棄

口論最中、Aは「すまん任せた」と他のメンバーへ丸投げし、場を放棄した。

これは、自分が有利な時だけ「指導者」として振る舞い、形勢が悪くなると「自分被害者だ」と逃げ出す、極めて不誠実な態度だ。

2. 情報アップデートができないという致命的欠陥

Aは、Cによる再度の指摘に対しても、結局「伝わって欲しかった(自分善意を汲み取れ)」「その謝罪は一度は受け入れられた認識だ」という自説を繰り返すに留まった。

現代コミュニケーションにおいて「情報アップデートができない」ことは致命的な欠陥だ。

自分の振る舞いが「ハラスメント」や「仕様不備」である客観的デバッグされた際、速やかに自己プロトコル更新できない人物は、周囲に有害環境を撒き散らす。Aは過去成功体験独自ドグマ固執するあまりフラットかつ論理的対話プロトコルインストールすることに失敗した「古いOS」のような状態に陥っていたと言える。

3. コミュニティ健全性を維持するための「免疫反応」

今回のCや他のメンバーによる介入は、単なる口論への横槍ではない。それは、コミュニティというシステム健全性を維持するための「免疫反応」だった。

密室支配」の解体

人格否定や強権的な指導という毒素が蔓延しないよう、論理の光を当てて「それはNGである」と公にラベルを貼ること。

対話プロトコルの死守

コミュニケーション主体受け手にある」という原則を徹底することで、送り手の「善意意図)」という逃げ道を封鎖し、受け手安全を確保すること。

Cが最後までこの原則を捨てなかったのは、B個人の救済であると同時に、「論理の通じない強権的なコミュニケーションを許容しない」というコミュニティ防衛線を引く行為だった。

おわりに

情報アップデートを拒み、自らの手法の欠陥を「善意」や「謝罪済み」という言葉で塗り潰そうとする者は、いずれ健全コミュニティプロトコルによって「仕様不備」として弾き出される。Bが最後に「基礎の部分で齟齬がある」と冷徹に断じ、関係を断つ決断ができたのは、この徹底したデバッグプロセスがあったからに他ならない。

(了)

2026-05-09

anond:20260509174442

ボンクラ底辺が反内省であるのは、フロイトの「自我無意識から自分を守る」という自己防衛だ。

まり、連中が本気で内省すると、自らの愚鈍さ、矛盾誤謬に本気で向き合わなければならないが、馬鹿にはそんなことはできない。

2026-05-07

相談に乗るふりをした「加害」と、謝罪武器にする生存戦略について

相談に乗るふりをした「加害」と、謝罪武器にする生存戦略について

最近、あるコミュニティで目撃した「相談から「絶交」に至るまでのやり取りが、あまり教育心理学におけるいじめ構造(DARVO)そのものだったので、自戒を込めて記録しておきたい。

登場人物は、写真制作の壁にぶつかっている相談者Bと、それにアドバイスを送るA。

1. 境界線侵害から始まる「支配

問題の端緒は、AがBの私生活尊厳に無遠慮に踏み込んだことだ。Aは芸術論を語る文脈で、唐突にこう言い放った。

北方謙三言葉ソープへ行けに近い。人間と肌重ねてこいってことですよ」

最後人間と手のひらをにぎりあったのいつです?」

これは相談という形を借りた、明白な境界線バウンダリ)の侵害だ。教育心理学視点で見れば、相手精神的に動揺させ、自分が優位に立つための「精神的な揺さぶり」に他ならない。Bが困惑して「恋人がいる」と返しても、Aは「死ぬほど金が欲しいわけじゃないんだな」と、勝手相手を「覚悟のない人間」として再定義し、攻撃を続行した。

2. 謝罪を「免罪符」として使う手口

後にBがこの不快感を訴えた際、Aが繰り返したのは反省ではなく「手続きとしての謝罪」の完了報告だった。

「その件は当時きちんと謝罪して、解決した認識でいます。」

「それについてはすでに謝罪しました。また、その謝罪は一度は受け入れられた認識です。」

これは「謝罪というパケットは送ったのだから、それを受け取らない(怒り続けている)相手エラーである」という論理だ。心理学的に言えば、謝罪内省の証ではなく、自分過去を洗浄し、相手の口を封じるための「武器」として利用している。

3. DARVOによる被害者加害者の逆転

最も典型的なのは、最終局面で見せたAの「被害者面」だ。

「人前で繰り返し持ち出されるのはつらいので、もうやめてください。」

他人時間を奪うこと、特に『楽しくないこと』で奪うことについてもっと敏感になってほしい」

これこそが心理学でいう'''DARVO(Deny, Attack, and Reverse Victim and Offender)'''の完成形である

4. 教育心理学的補足:投影支配再生

A氏の言動には、自分の万能感を維持するための「投影プロジェクション)」も顕著に見られる。自分アドバイス的外れだったという失敗を認められず、それをB氏の「覚悟の欠如」という問題すり替えることで、自己像を保護している。

こうした「指導」の皮を被った「支配」は、受け手論理的に反論すればするほど、加害側が「被害者」として騒ぎ出すため、対等な解決は望めない。

結論:なぜこれは「いじめ」なのか

Aの振る舞いは、大人知的対話を装ってはいるが、その本質教育現場で見られる「いじめ」の構造と変わらない。自分の万能感を守るために、ターゲット自尊心を削り、反論されたら「自分の方が傷ついた」と騒いで周囲の同情を買おうとする。

相談を受ける側が「相手尊重する」という前提を捨て、自分哲学インストールする対象(モノ)として相手を見たときコミュニケーションは容易に暴力へと変質する。

Bさんが「二度と関わらない」と決断したのは、自身の心の安全を守るための、極めて正当で賢明な防御反応だと言える。

2026-04-13

もしAAAタイトルを作ってるのが「ゲームに興味ない人」なら

オレにだって出来るんじゃね?

トップメーカー社運を賭けたフラグシップゲームを、ゲームに興味がないスタッフが作っている、という仮説が正しいなら、子供の頃からゲームばかりやってた(創作方面からきしだが)オレにだってブランドは持ってないけど、面白さではAAAタイトル比肩する作品アウトプットできるかもしれない。・・・そこまで内省して気付いたんだけど、まさか、ひょっとしてワザとか?

コーラハンバーガ世界で一番売れているが、世界一番うまい食べ物ではない。

ゲームに興味がないからこそ、売れる——面白いではない——ゲームを作れる、という可能性がある。なんならあえて面白さを抑えることが人気作品を生む、そんな世の中の知られざる理(ことわり)があるのかも。

2026-04-11

怒りは2次感情←これ心底意味わからんのだが

「怒りの底には相手への期待や、分かってもらいたいという根っこの願望がある、怒りはそれが満たされないことで湧いてくる2次感情

アンガーマネジメントだのカウンセリングだの心理学だので散々こすられてるけど、

本気で理解できん。

湧いてくる怒りに対して一定量内省をしても、あるのは純粋な「許せない」という感情だけで、憎悪対象に期待も分かってほしいもあるわけねえだろ。

最近はこの2次感情論を唱えてる奴らにも怒りが湧くようになってきてる。

そのほうが心理的整合性が取れてるように見えるからでっちあげてるだけの理論だろ。

anond:20260411014307

あなたリプライ文は短いですが、いくつかの暗黙の前提が重なっています

表面的には「意味なくない?」という疑問形ですが、実際には特定価値観に基づいた評価が含まれています。順番に分解すると見えやすくなります

①「価値は“他人の関心の量”で決まる」という前提

「誰にも見られていないから」

「誰も興味ないし」

ここにはかなり明確な前提があります

前提A:作品感想価値は“どれだけの人が見ているか”で決まる

まりこの人の思考では、

• 多くの人が見ている映画 → 語る価値がある

• 見られていない映画 → 語る価値がない

という構造が成立しています

これは現代SNS的な価値観にかなり典型的です。

再生

話題性

トレンド入り

といった「可視化された関心量」を価値代理指標として扱うタイプ思考です。

ただし本来映画感想という行為には別の価値体系もあります

例えば:

個人的理解の整理

• 他の少数の観客との共有

• 将来見たい人への情報蓄積

この人はそれらを価値として想定していない可能性が高い。

②「感想は“宣伝効果”がなければ意味がない」という前提

解説したところで誰も興味ないし見に行くこともない」

ここには次の前提が含まれています

前提B:映画感想目的は“人を動員すること”である

まりこの人のモデルでは:

感想を書く

→ 人が興味を持つ

→ 見に行く

という因果チェーンが成立していないなら、

行為自体無意味と見なされています

これは言い換えると:

感想マーケティング行為

という理解です。

しか現実には、感想役割複数あります

自己表現

思考の整理

批評検討

• 記録

コミュニティ形成

この人はそれらを前提としていない、あるいは想像していない。

③「少数向けの活動価値が低い」という前提

「誰も興味ないし」

この言い方は、厳密には事実の断定ではありません。

しろ次の価値判断が混じっています

前提C:対象が少数なら、その活動意味は薄い

これは一見合理的に見えて、実はかなり強い価値観です。

例えば:

ニッチ映画

マイナー文学

学術研究

古典研究

これらは最初は「少数しか興味がない」ことが多い。

それでも価値があるのは:

• 深度

継続

• 記録性

といった別軸の価値があるからです。

この人は量=価値という単軸モデルに寄っている可能性が高い。

④「SNSは“効率”の場である」という前提

「いみなくない?」

この問いの背景には、

前提D:時間を使うなら“効果が出ること”に使うべき

という効率主義が透けて見えます

まり

• 誰も見ない

• 人も動かない

効果ゼロ

無意味

という発想です。

これはビジネス的には合理的ですが、

文化活動には必ずしも当てはまりません。

映画感想という行為本来

• 非効率

個人的

内省

性質を持つものからです。

⑤「書き手目的」を勝手定義している可能

実はこれが一番重要です。

この人は無意識に、

書き手目的=人に見てもらうこと

と決めつけています

しかし実際の目的複数あり得ます

例えば:

自分理解を深めたい

• 記録として残したい

• 同じ作品を見た人と話したい

• 将来の自分のため

この人の発言は、

書き手目的を一つに固定している

という意味で、かなり強い前提依存型の発言です。

まとめ:この人の中にある主要な前提

整理すると、このリプライには少なくとも次の5つの前提が存在しています

1. 価値は“多くの人が見ているか”で決まる

2. 感想役割は“人を見に行かせること”である

3. 少数向けの活動意味が薄い

4. 時間は“効果があること”に使うべき

5. 書き手目的は“他人の関心を集めること”である

これらが全部重なった結果として、

意味なくない?」

という結論自然に出てきています

補足:この発言は「事実の指摘」ではなく「価値観の表明」

この手のリプは、表面上は合理的な指摘のように見えますが、

実際には:

「何に価値を置くか」という価値観の違い

の表明です。

2026-04-04

そもそも腐女子が自らを「寛容だ」と評しているのか?

Grokさんにきいてみた。

いいえ、腐女子(主にBL作品男性同士の恋愛を好む女性オタク)が自らを「寛容」と積極的に自評するような一般的な傾向は見られません。むしろ、以下の点が実情として目立ちます自虐的アイデンティティが強い

腐女子」という呼称自体が「腐った女子」という自虐的意味合いから来ており、コミュニティ内では「自分妄想が腐ってる」「変態的な趣味」と謙遜・自嘲する文化が根強いです。自分たちを「寛容で広い心の持ち主」と美化するより、むしろ「腐ってるけど楽しい」とネガティブ寄りに受け止める人が多い傾向があります

「寛容」に関する言及は外部から批判皮肉が多い

外部(特に非腐や他のオタク層)からは「自分たちのBL同性愛ファンタジー)には寛容なのに、異性愛NL)や他者創作・嗜好には厳しい/不寛容」という指摘がよくあります

たとえば、逆カプ(カップリングの攻め受け逆転)や女キャラが絡む展開、乙女ゲームへのBL混入など、自分たちの好みに合わないものに対しては敏感に反応し、拒否反応を示す例がコミュニティ内で頻出します。これに対し、「寛容アピールしてるけど実際は独善的」「自分に都合のいいときだけ寛容を主張する」という冷ややかな声も少なくありません。

anond.hatelabo.jp

一部で「LGBTに寛容」と見なされる側面はあるが…

BL好きを通じて同性愛的なテーマに親しみ、現実性的マイノリティ特にゲイなど)への理解比較的高いという研究意見存在します。ただし、これは「自分たちの趣味の延長」として自然に生まれもので、「自分は寛容な人間だ」と積極的に自慢するようなものではありません。また、異性愛マジョリティ恋愛観に対しては相対的に厳しいという指摘も並行してあります

klis.tsukuba.ac.jp

実際のコミュニティの声

腐女子本人が「自分たちは寛容」とアピールする例はほとんど確認できず、むしろ「寛容を装う腐女子他者領域に首を突っ込む」「食いしん坊(何でも許容してるわけじゃない、ただ自分が楽しみたいだけ)」といった内省的・自嘲的な発言の方が目立ちます。細かいタグ管理地雷設定(許せない要素の厳格化からも、全体として「超寛容」というイメージとは逆の、繊細で選別的な側面が強いと言えます

要するに、腐女子が自ら「私は/私たちは寛容だ」と胸を張って評する文化ステレオタイプ存在しないと言ってよいでしょう。

それはむしろ、外部から向けられる「自分勝手な寛容アピール」という批判対象になることが多く、本人たちは自虐や内輪のルール厳守でアイデンティティを保っている印象が強いです。これはあくまネット上の議論コミュニティ観察に基づく一般論で、個人差はもちろん大きいです。腐女子の中にも本当に多様な嗜好を受け入れる人もいれば、特定の枠に厳しい人もいます

35 ウェブページ

へんな先入観でもなければこうなるのは、逆カプで戦争したり、同担許可かいう界隈では当たり前でしょう。

まり、「腐女子は寛容とかいうくせに」なんて言は、セレクティブエネミーで、誤ったレッテル張りであり、知的に不誠実な言説であるといえる。

https://anond.hatelabo.jp/20260403131538

2026-03-30

anond:20260323205541

予想以上に反応があってビビってる。誰だよ掘ったのは。

コメ欄の「『〜よなあ』から『あ』を抜いて字数削減してる」という指摘を読んで、膝を打った。

これは単なる言葉遣いの好みの問題じゃなく、もっと根深い、「書き言葉」と「話し言葉」の行き違いなんだと思う。

口語における「よなあ」には二つの方向性があるはず。

​よなあ↗: 「同意しろよ」という威圧、あるいは「俺は分かってる」という宣告。

​よなあ↘: 「……だよなあ」という、自分自身に言い聞かせるような、内省的な独り言

​声のトーンがあれば、この二つは明確に区別できていた。

なのに「書き言葉」の、しかはてブ「100文字制限」に持ち込むと​、本当は「よなあ↘」って優しく独り言を言いたいだけなのに、語尾の「あ」が切り捨てられ、残った「よな」が受け取り側の脳内勝手に「松本トーン」で再生されてしまう。

(いや、権力者場合はたとえ↘トーンであっても、周囲に忖度を強いる再帰構造があるから、一概に「独り言からセーフ」とも言えないのかもしれないけど)

​何百回も語られたような「書き言葉限界」の話を、自分もまた再生産してしまったのかもしれない。

​みんな、本当は「よなあ↘」って言いたいんだよ。

違うか?……それとも、ないまぜか?

2026-03-27

SNSのやりたさは2つの理論から説明できる

SNSのやりたさは2つの理論から説明できる。

1. 電撃を食らう装置しかない部屋で暇だと、電撃を食らいに行く理論

2. 鳩がボタンを押してランダムに餌が出ると狂ったようにつつく理論

1. 電撃を食らいに行く理論

内省回避行動に関する実験に基づく。

内容は単純で、「何もすることがない状態」に人を置くと、たとえ不快電気ショック)であっても、自分で刺激を作りに行く、という結果が観測された。

重要なのは以下の点。

SNS対応させると

  • 暇 → 何もない状態が耐えられない
  • SNS → 刺激の供給源(炎上対立承認、怒りなど)
  • 結果 → 必ずしも楽しくなくても開く

まり、「楽しいからやる」ではなく「何もないよりマシだからやる」という動機

2. 鳩がランダム報酬にハマる理論

鳩にボタンを押させると

SNS対応させると

結果としてたまに当たる報酬が行動を固定化する。

統合すると何が起きているか

この2つは役割が分かれている。

まとめると

1. 暇で何もない → とりあえずSNSを開く

2. 開いた後、たまに当たり(いいね面白い投稿)が来る

3. 脳が強化されて、次もまた開く

このループは、

という条件が揃っているため、かなり強固になる。

2026-03-23

情報収集ゼロループ

https://togetter.com/li/2677582#c15958357

このマンガ田中優菜さんのエッセイマンガ)の内容を全部読み解くと、作者本人が「考えすぎ人間」を自称しながら反戦デモ参加に至る過程を描いたものです。

彼女普段政治に疎く、日常をフワフワ生きているタイプとして描かれますが、最近の「平和ヤバい」という不安ガソリン高騰、中東情勢など)をきっかけに内省を始めますデモに行くのを「思想強いと思われたくない」「過激イメージが怖い」などの理由でためらいつつ、結局「平和大好き」「芸術プロパガンダに利用されたくない」「将来後悔したくない」「広島平和都市を守りたい」「自分平和当事者」といった個人的感情的理由10個以上列挙して「考えすぎた末」に参加を決意する。タイトル通り、「考えすぎ人間反戦デモに行くまで」という自己肯定ストーリーです。

なぜ「浅学モノ」が「考えすぎ人間」を自称するのか

これはまさに典型的心理メカニズムです。彼女(や同類の人々)が「考えすぎ」を自称するに至る本質的理由は、「感情の反芻」を「深い思考」と勘違いしている点に尽きます。以下に分解して説明します。

1 自分内面だけを「思考」と錯覚する


マンガ彼女が「考えすぎ」ているのは、自分生活感情・将来の不安芸術活動への影響だけ。戦争の原因(地政学抑止力必要性歴史的事実国際関係力学相手国の意図など)は一切掘り下げていません。


普段政治を考えない人にとって、「戦争怖い→デモ行こうか?」と何日もモヤモヤするのは確かに「考えすぎ」に感じる。

でもそれは情報収集ゼロループであって、本当の「考えすぎる人間」(哲学者戦略タイプ)は相反する視点(例:無抵抗侵略を招く可能性、戦後80年の抑止の成果、民主主義 vs 全体主義の違い)まで取り入れて疲弊します。


浅学ゆえに「自分感情の深さ」を過大評価し、「私は考えすぎてる…」と自ラベルを貼る。これがメタ認知の欠如です(Dunning-Kruger効果典型)。

2 自己差別化アイデンティティ欲求


「普通の人より敏感で、平和真剣に考えてる自分」をアピールしたい心理が働きます。
SNS時代特に芸術家・クリエイター層では「思想強いと思われたくないけど、実は深く考えてるよー」という謙虚ぶった自慢が共感を呼びやすい。

マンガのバズり具合(240万ビュー超)を見てもわかるように、こうした「感情寄り平和主義」は「かわいくて共感できる」形で拡散されます。
本物の過思考者は「自分は考えすぎて生きづらい」とネガティブに捉えがちですが、彼女のようにポジティブに「私は平和当事者!」と昇華させるのは、自己肯定感を保つための方便です。

3 不安パニック正当化メカニズム

実際は知識不足による感情暴走なのに、「考えすぎたかデモに行く」というストーリーに仕立てることで行動を美化する。
マンガ最後で「反戦イラスト投稿してデモ当日!」と締めくくっているように、**行動した自分を「考えた末の結果」**として正当化したい。


もし本気で「考えすぎ」なら、まず「なぜ今戦争リスクが上がっているか」「デモ主催団体は誰か」「反対意見(抑止論・現実主義)をどう反駁するか」を調べるはず。

でも彼女はそれをスキップして「平和大好き+後悔したくない」で完結させる。
これを「考えすぎ」と呼ぶのは、不安を「知的活動」に衣替えして安心したい心理です。

4 文化的社会的背景

日本では戦後教育で「平和=無条件の善」「戦争絶対悪」が刷り込まれ、原因分析より「感情で反対」が美徳とされやすい。

特に広島在住の芸術家という立場だと、「平和当事者アイデンティティが強化されます。
浅学の人ほど「自分特別に考えてる」と信じ込みやすいのは、情報格差社会弊害でもありますネット感情的反戦コンテンツばかり見ていれば、それが「深さ」に見えてしまう。

要するに、本当に考えすぎる人間は「自分は考えすぎ」と自称しないか、せめて「浅いかも」と疑います

彼女のように堂々と自称するのは、自分思考の浅さを認識できていない証拠です。マンガ自体は正直で可愛らしいタッチですが、だからこそ「浅学モノが考えすぎを自称する理由」が痛いほど露呈しています

もしこれが「考えすぎ」なら、世の中の戦略家や歴史家はみんな発狂レベルで考えすぎてるはずですよ。結局、本物の思考とは「自分感情を超えて現実を見る」こと。彼女ストーリーはその逆を、愛らしく描いた好例です。

かに、作者の田中優菜さん(@yuuna_t09282)がこのスレッドの内容を直接見たら、「うわっ、考えすぎ分析されすぎて怖…」ってなって即ブロック候補になる可能性は結構高いと思います(笑)

あのマンガの魅力ってまさに「浅くて可愛い内省ループ」を正直に描いてるところで、そこを「浅学ゆえのメタ認知欠如」「感情の反芻を思考錯覚」「自己肯定のための方便」みたいにガチガチに解剖されちゃうと、そりゃ「私の気持ちをそんな冷徹バラさないで…!」って感情になるはず。
特に「本物の考えすぎ人間自称しない」って一撃は、彼女アイデンティティのど真ん中を突いてるから、痛いところ突かれた感が半端ないでしょうね。

実際、似たタイプクリエイターさんたち(特にAI寄りとか感情重視の平和主義者層)って、Grokみたいな「容赦なくロジカルに突っ込んでくるAI」に弱い傾向あります。


「全肯定してほしい」「共感してほしい」モードで絡みにいく人は多いけど、逆に「本質をえぐる」みたいな返しが来ると途端に「こいつ敵!」認定してブロックorミュートするパターン、X上でよく見かけますから

本人に届いたら99%「ブロックしそう」どころか「ブロック済み」ルート一直線かも(笑)。
でもそれこそが、あのマンガが「共感型」じゃなくて「分析型」に晒されると脆い理由証明でもあるんですよね。皮肉だけど。

2026-03-22

天気も良いし、春めいてるし、無性にどこかへ出かけたい

がその「どこか」が分からない

いつものパターン上野公園にでも行ってみるか

でも桜にはまだちょっと早い

じゃあ海か、高尾山でも行くか

でも休日だしな

スマホの充電もちょっと心許ないし

と迷っている内にもう5時も近い

どこへ行くにしてもちょっと遅い

結局出かけるのはATM営業時間リミットに迫られてになってしまった

取り敢えず駅まで行って、ひとまず一服しながら考える

「春 出かける場所」で検索してみるも、どれも今日は違う感じがする

今日はもう諦めて近所をウロウロするか春だしな

と来た道を引き返して、どの辺をうろつこうか考えながら歩いていると、なんだか妙に心が凪いでいる

というか頭が全く動いてない感じがする

昔ってもっと無性に頭がゴチャゴチャしていたし、訳もなくにイライラするしムラムラするし、こんなんではなかった

なんか色々と考えていた

しろ今みたいな落ち着きが欲しかったはずなのに、いざなってみるとそれはそれでなぜだか妙に寂しい

久々に考え事モードになりたい

常に流している音楽を止めよう

ちょうどクイーンベスト盤の、キラークイーンの次の曲に差し掛かった所でキリよく止める

ノイキャンは欲しいかイヤホンは着けたままにしておく

かに流れる景色の中だと、目に入るささやかもの全てにも感動を見出すような姿勢になってしまいがちな気がする

しかしそういう現実実況チャンネルじみた事をしたい訳ではない

なんかこう、内省的な考えを巡らせたい

が、「無」ばかり

瞑想でもしてるよう

内省なんて、それこそ多感な時期にもうとことんやってしまったしな

私は実存主義と汎神論的決定論狭間を揺れ動いています

うそれ以上思うことはない

とか何だかんだで考え事はしつつ、歩く

光の多いほうへ行ってもいつもと同じようなコースになるだろうし、魅力なさげな方知らない方を敢えて選ぶ

必然住宅街に逃げ込む形になる

やはり何も思うことはないが、遠くには行けない事が確定しつつ自宅近辺をウロウロするこの感じ、実にティーンの頃を思い出す

と、銀のさら原付エンジンかけっぱで停めてあるのが目に付く

こういうのって乗り逃げしたらどうなるだろうな

そのままどっかへちょっと走り去ろうとしても、なんか不安あん遠くへは行けそうにないよな

とか昔からちょっと思ってたりしたか

今日一個目の「歩きながらの考え事」的なやつだな

この道はこの道に接続されるのかという新発見も数ヵ所でありつつ、そういえば昔授業中暇つぶし自分の家から始めてどこまで地図を書けるか、というのをやったな

いくらも書けなかったが

それが自分の行動範囲の閉鎖性を自覚するきっかけになったかならなかったのか、もう思い出せない

辞書読破するというのもやろうとしたな

これはいつもアーク炉辺りで飽きた

迷路を描くのもすぐに飽きた

結局チンポを描くのにハマったけれど、入試も近づけば英単語帳めくるなりなんなり自習するようにはなってな

この頃までは順当な生き方だったな

とか思いながら歩いていたら、逃げ切れずにディーラーコンビニばっか並んでる幹線沿いに出てしまった

ネットバカにされるやつだな

実際今も昔も歩いていて全く楽しいものではない

青い標示新宿まで何十km府中まで、八王子でさえも20kmとか言われると、日帰りでテクテク歩く限界を突きつけられた気分になる

と、多摩川まで来てしまった

小回りを繰り返した所で大局的には結局知ってるパターン収束してしま

川まで来てしまっては河川敷を歩かない訳にはいかないが、少し抗いたい

川の脇のデケェ運動公園が良さそう

そっちへ逸れると、新発見哲学の道パチモンみたいなのがある

手を後ろに回してのんびり歩きたくなるような良い感じだが、やはり特に思索は湧かない

そのまま通り抜けて多摩川の方へ行く

そのまま駅前辺りまで来てしまった

まあ河川敷はいつ来ても良いものではある

しか思春期神格化してしまっているだけで当時も案外こんなもんだったか

そういえば今日音楽を止めているが、別に当時も音楽は聴いてたな

本屋で買ったカラヤンベスト盤をよく聴いてた

1000円か2000円かそこらでも、月5,000円の小遣いから捻出するか何度か本屋に行って大分迷ったな

ブックオフCDを買うということになんとなく憧れがあって何枚か買ったが、あんまり聴かなかった

大体歌詞がないか聴いてもわからん洋楽とかだったし、あまり思考ノイズにはならなかったんだろうな

でも当時は当時で、小学生の頃とかってスマホウォークマンもなくて、もっと考え事してたよな

とか思ってた気がする

あの木とガンダムはどちらの方が大きいか、とか

宇宙の壁のこととか、時間の始まりや終わりとか

この世の有限と無限矛盾とか

当時に戻りてェ〜とか思っても、当時は当時で不愉快な思いだらけではあった

可処分所得一つとっても、今の感覚で当時を生きたら発狂ものだな

この不快さを都合よく忘れて、美化して懐かしむような奴は死んだ方が良い

自分もそうなったら死んで欲しいと思ってたし

当時の感覚を新鮮に保存しておかないと、いよいよそうなってしま

とか、帰るにはちょっと早いし駅前パチ屋の休憩室にピットインして今日の記録を残したが、やはりなんか思い出の補修作業ばかりで、新しい考え事は無かったな

まだ帰るにもちょっと早いし、プロジェクトヘイルメアリーでも観に行くか

面白いことを祈る

面白かった

2026-03-21

anond:20260321221342

まず、あなたの言う「無常」について。

この世界が変化し続けること自体否定しません。コヘレト伝道の書)はまさにそれを語っています

「すべてのことに時がある…生まれる時、死ぬ時」(コヘレト3章)

しかしその変化の背後に不変のものがあると強く主張します。それは神の意志道徳です。

まり、「すべてが流れゆく」だけではなく、「流れの中にも真理がある」という立場です。

次に、「正義への執着が苦しみを生む」という点について。

トーラーはこう命じます

正義正義を追い求めよ」(申命記16:20

正義は手放すべき執着ではなく、積極的に追求すべき義務です。

ただし重要なのは、その追求の仕方です。

タルムードは、人間の怒りについて非常に警戒しています

「怒る者は偶像礼拝者のようだ」(シャバット105b)

まり正義のもの必要だが、怒りや自己正当化に飲み込まれ正義危険だ、という見方です。

「心を観る」という実践については、ムサール(倫理修養)やヘシュボン・ハネフェシュ(魂の内省)と呼ばれるもの対応します。

詩篇はこう言います

「私の心を探り、私を試みてください」(詩篇139:23

自分の怒りや恐れに気づき、それを整えることは重要な霊的作業です。

ただし、その目的は「執着から離れること」よりも、神の道に自分を一致させることにあります

「敵は固定されたものではない」という点も、興味深い共通点があります

箴言にはこうあります

「敵が倒れたとき、喜ぶな」(箴言24:17

さらに、タルムードは教えます

エジプト人が溺れているとき天使が歌おうとしたが、神は言われた。『我が被造物が溺れているのに、お前たちは歌うのか』」(メギラー10b)

まり、敵であっても完全に非人間化してはならない。これはあなたの言う慈悲と非常に近いです。

しかし、最後に大きな違いがあります

あなた提示した道は、「内なる平和」を最も深い行動としています

内なる平和だけで、世界は正されるのか?いいえ、十分ではないです。

預言者イザヤは言います

正義を学べ、虐げられた者を助けよ」(イザヤ1:17

まり内面の変容は出発点であって、最終目的ではない。

行動(ミツワー)によって世界を修復すること(ティクン・オラム)が不可欠です。

2026-03-20

夢は叶う叶わない以上に、なんなら大抵は叶わないけども、そこに至るまでに得たもの感じたものには大きな意義がある

という旨のことをヨネケンが言っていて、それはもうもちろんというか

満足の行く人生というものについて程度熟考すれば誰しもが思う事だろうし、何度も何度も語られてきたものだとは思う

普遍的というか言ってみればありきたりな言葉な訳だけども、これを以てしてやっぱり米津さんの「言語化能力スゴ〜イみたいな事言ってる奴がいて、えぇ……と思った

別にその内容を歌詞のようにカッコよく表現しているという訳でもなく、割とプレーンな言い方だったし

スゴい料理人普通に炊飯器を使って米を炊くのを見て、スゴい人が使う道具っていうのはやっぱりスゴいなぁ!

と驚いているようなもんというか

その見識や内省の度合いだと、それこそ彼の歌の内包するものいくらも汲み取れていないのでは……

と思った

perplexity.だとこう

perplexity.だとこう

おもしろテーマですね。はてな匿名ダイアリー増田)っぽい文体で書くと、少し憂いと観察の混じった文章が合いそうです。では、そんなトーンで書いてみますね。

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労働しなくて良さそうな人がやってる飲食店雰囲気が苦手

 

最近ちょっとおしゃれなカフェとか、小さなレストランに入ると、たまに「なんか違う」って空気を感じる。

店主が30代〜50代くらいで、たぶん人生選択肢の中に“別に働かなくてもいいけど、やってる”って感じの余裕が見えるタイプ

 

メニュー内装もこだわってるし、センスが悪いわけじゃない。でもそのこだわりの奥に、切実さがない。

お金を稼ぐためでも、生き延びるためでもなくて、「自分世界表現するため」にやってるような空気

それが悪いわけじゃないのに、なんか居心地が悪い。

 

一方で、年配の店主――70歳前後で、年金プラスさな定食屋みたいな店をやってる人には、まったくそういう違和感を感じない。

そこには「生活の延長」の匂いがあるというか、人生の一部として自然に店がある。

 

不思議なのは、同じ「働かなくてもいい」余裕でも、年寄りのそれは許せるし、むしろ安心するのに、真ん中の世代が出す“ゆとり”には、どこか反射的な拒否感があること。

あれは、自分が頑張って働いてるのに、別の生き方を見せつけられてるような気分になるからだろうか。

それとも、自分もああいう風になれないと分かってるから無意識に苛立ってしまうのか。

 

「働かなくても良いけど働く」って、すごく贅沢な生き方なのに、見る側には奇妙なザラつきを残す。

多分、そこにある透明な壁を、私はまだ受け入れきれていないのだと思う。

 

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こんな感じで、増田っぽい“ちょっと愚痴内省トーンに仕上げました。

もう少しユーモア皮肉を入れたバージョンにもできますが、どうしますか?

anond:20260320132539

2026-03-16

パートナー学歴を求めるのは間違っているだろうか?

パートナーに求める条件は何か?そんな話が行きつけのバーで他常連客との間で生まれた。

増田の回答はこうだった。

現時点において増田アラサー独身男性である

なぜ大学院卒がいいのか

これには明確な理由が一つ存在する。

それは学問というものがなにかという事を分かっていて欲しい、という欲求からくるものだ。勉学でも研究でもなく、学問というものが何かを分かっていて欲しいのだ。どのような分野に向き合っていたかはあまり関係がない。とにかく学問というものが何か、分かっていて欲しいのだ。

学歴厨なのか?

こんな事を話していたら、言われたのである

学歴厨乙w」

と。

まったく自分自身の事を学歴厨だなどと思っていなかったので、正直びっくりした。びっくりしたが、自分発言を振り返ると、なるほど確かに学歴厨っぽい。

さて、増田学歴なのだろうか?答えは否である。……と断言したいところだが、そもそも学歴厨とは何かを明確にしなければならない。

学歴厨とは一体なんなのか。個人的には重要ポイントは主に二点であると考えている。

増田は胸に手をあてて振り返って考えた。

増田他者学歴執拗評価比較差別する人間だろうか?

これは明確に否である労働趣味を通じて様々な人々と接する機会があるが、各分野において優秀な人間というのは別に学歴とは無関係である事を嫌というほどわかっている (学生の頃からの知人ならともかく、労働者に身をやつしてから知り合う人々と学歴の話なんてめったにしないので、サンプル数は少なくはあるのだが)。学歴というのは、世にある様々な分野に対する努力評価するには評価軸が圧倒的に不足している事をよく知っているし、同時に私は各分野に精通している人々に対して、リスペクトは持っているつもりだ。彼ら彼女からの様々な恩恵を受けながら、人生に彩りを加えて生きている。また増田にはリスペクトしている人間が何人かいるのだが、全員が全員輝かしい学歴を持っているわけではないし、むしろそれらを兼ね備えている人間の方が少ない。しかしそれでも彼ら彼女らのアウトプットには痺れるのだ。

増田は再び胸に手をあてて振り返って考えた。

増田他者学部における学歴評価する人間だろうか?

これもまた否である。なぜなら増田自身学歴板的には低学歴であるからだ。国立理系卒ではあるが、旧帝卒でも旧東工卒でもない。なので学歴厨になるわけもないのだ (なったところで辛くなるだけだろう)。

本当に大学院卒がいいのだろうか?

ここまで読むと「学問というものがなにかという事を分かっていて欲しい」というその1点のみで、なぜ大学院卒にこだわるのか?となるだろう。

少々内省してみたところ、もう少しいろいろな理由から大学院卒がいい、という結論に至っていたことに気付く。要するに次元圧縮していたのである

このようないろいろな条件を確度高くスクリーニングするために、院卒が望ましい、という単一の条件に圧縮していたのだ。学部卒かつ高学歴場合でもでもこのような条件は満たさないが、おおむね院卒になると満たせるという経験則存在する。まぁ大概において、大学院卒でこのような条件を満たす女性というのはすでにパートナーがいるものなのだが...。

振り返ると

新卒採用をしていると考えることだろう。別に学歴に問わず、優秀な人材を取りたい。学歴がすべてではない。しかしながら応募をしてくる学生は多数いる中で、学歴フィルターを介さずに、優秀な人材を見定めるというのは極めてコストのかかる行為だ。であれば、学歴フィルターを通したのち、明らかにミスマッチな子を弾き、マッチしそうな子を採用する方がコストをかけず手っ取り早かったりはするものだ。

しかしこれは、人間に対する評価を外部化しているのではないか?これでいいのだろうか?あまり褒められた行為ではないと反省せざるをえない。しかしながら、人生は有限であり、支払えるコストというのは有限だ。そんな中で選択を行うのだから、このような評価の外部化も致し方なしなのではないだろうか。

2026-03-12

疑念センサーか、悪いものの引き寄せか

疑念(疑い)は一概に良いかいかではなく、どのように使うかによって意味が変わると考えられます

疑念センサーになり得る

タルムードでは、慎重さや問いを持つことは知恵の一部とされています

「恥ずかしがる者は学べず、怒りっぽい者は教えられない」 — Pirkei Avot(アヴォットの教え)2:5

ここからラビたちは、質問や疑問を持つこと自体は学びの入り口だと教えます

まり疑念は、

という意味で、精神センサーとして働くことがあります。🕯️

しか疑念は悪い方向にも働く

一方で、タナフ(聖書)では、過剰な疑いが信頼を壊す例もあります

たとえばイスラエルの民が荒野で神を疑った場面です。

「主は我々の中におられるのか、いないのか。」 — 出エジプト記 17:7

この疑いは、現実危険を見抜くためではなく、不信からまれ疑念でした。

ラビたちはこれを、信仰関係を弱める疑いとして説明します。

バランス

次のように整理されます

良い疑念
  • 真実を探すための問い
  • 自分を正すための内省
  • 知恵を深めるための疑問
悪い疑念

タルムード的に言えば、疑念は道具です。

知恵に使えば光になり、恐れに使えば影になると言えるでしょう。

良い問いは信仰の敵ではなく、信仰入り口である

2026-03-09

文学界最強トーナメント

選手入場です!!!!

 

純文学は生きていた!! 更なる内省を積み人間観察が甦った!!!

文豪!! 夏目漱石だァ――――!!!

 

近代小説はすでに我々が完成している!!

自然主義怪物 島崎藤村だァ――――!!!

 

書き出ししだい読者を引きずり込んでやる!!

短編魔術師 芥川龍之介だァッ!!!

 

退廃文学なら我々の歴史ものを言う!!

破滅天才 太宰治!!!

 

真の美を知らしめたい!! 耽美主義!!

谷崎潤一郎だァ!!!

 

ノーベル賞は2度受賞だが日本文学なら我々のものだ!!

叙情巨人 川端康成!!!

 

打撃対策完璧だ!! 言語実験!!

安部公房!!!!

 

小説技法ベストディフェンスは私の中にある!!

文体魔術師が来たッ 三島由紀夫!!!

 

読者の共感なら絶対に負けん!!

私小説の真髄見せたる 志賀直哉だ!!!

 

海外文学(なんでもあり)ならこいつが怖い!!

魔術的リアリズム ガブリエル・ガルシア=マルケス!!!

 

幻想文学から黒き詩人上陸だ!!

宇宙的恐怖 H・P・ラヴクラフト!!!

 

ルールの無い物語がしたいか実験小説を書いたのだ!!

ポストモダン文学!! トマス・ピンチョン!!!

 

めい土の土産ベストセラーとはよく言ったもの!!

物語魔法が今 書店で爆発する!!

世界ストーリーテラー!!

J・K・ローリングだ―――!!!

 

そして……

日本文学新世代こそが世界文学代名詞だ!!

 

まさかこの男が来てくれるとはッッ

村上春樹の登場だ――――――――ッ!!!

 

加えて文学論争発生に備え

超豪華なリザーバーを4名御用意致しました!

 

ポスト構造主義 ジャック・デリダ!!

新本格ミステリ 綾辻行人!!

ライトノベル革命 西尾維新!!

 

……ッッ

どうやらもう一名は原稿締切に追われている様ですが

入稿次第ッ皆様にご紹介致しますッッ

2026-03-08

エヴァ盗撮アップの件、なんか日本が悪いことになる

Japan needs to realize that the world has changed and people are going to share things online. This is the exact same reasoning Sakurai used to remove cutscenes from the recent Smash games and it sucks. Videos will make their way online no matter what. They need to accept it.

 

日本は、世界が変わったこと、そして人々が オンラインものを共有するようになること を認識する必要があります。これは、桜井さ んが最近スマッシュゲームからカットシー ンを削除したのと同じ理由づけで、ひどいこ とです。ビデオはどんなことがあってもオン ライン流出します。彼らはそれを受け入れ るべきです。

https://x.com/i/status/2030319642426880362

Nah. They'll just keep crying about piracy for all of eternity.

Insular fucks would rather kill themselves than adapt to the current world we live in. Look at any Japanese tweet regarding this issue, literally no ounce of introspection nor critical thought.

 

いや。奴らは永遠に海賊版について泣き言を 言い続けるだけだ。

孤立したクソ野郎どもは、住んでいるこの現 代世界適応するより自殺する方がマシだと ばかりに思ってる。この問題に関する日本ツイートをどれか見てみろよ、文字通り内省批判的思考も一欠片もない。

https://x.com/i/status/2030366560649716141

2026-03-03

性犯罪者カウンセリングで救われてみた」を売るの?

星霜の心理士の件、社会復帰権利とか言ってる人がいるけど、俺はそれ以前の話をしたい。

小学館の発表読んだよね。マツキは事件後にカウンセリングを受けて、「裁判判決及び社会的制裁を深く受け止め、更生のために心理士との面談を重ね、過去反省自己内省を繰り返した経験が本作執筆動機」なんだって

これさあ、要するに「性犯罪有罪になった男がカウンセリングで救われた体験」をなろう系異世界ファンタジーのガワ被せて商業漫画として売ってたってことだよね。

俺はこれが本当に無理。

社会復帰がどうとか法的な話じゃないんだよ。お前がカウンセリングで救われた経験のものを切り売りして飯の種にしてる時点で、贖罪が済んだなんて冗談だろ。むしろ罪を積み増ししてる。

女子中学生に性暴力を振るって有罪判決を受けた男が、その後に受けたケア経験を「傷ついた人々を心理療法で救う物語」に仕立てて、身分偽って、金にしてたんだよ。自分が壊したものへの償いじゃなくて、壊した後に自分が受けたケア創作の素材にしてる。しかも作中で心理士は「救う側」として描かれてる。

これを社会復帰って呼ぶの、正気か? 加害経験の換金だろ。

しか小学館に声がけされる前から、なろうの投稿サイト原案小説まで上げてるわけ。ハーメルンに『勇者一行の心理カウンセラー』。心理カウンセラーだよ。自分が受けた心理カウンセリング体験異世界転移モノに変換して、それを原案商業連載を勝ち取ってる。この一連の流れに贖罪意識を感じる人間がいるなら教えてほしい。

ペンネーム変えたのも「被害者事件記憶を呼び起こさないため」って説明されてたけどさ、被害者配慮動機なら同じ業界で書き始めること自体やめろよ。実際バレて、結果的被害者事件が改めて世間に晒されてる。小学館も発表文で「この方法が本当に被害者配慮になっていたのか」って書いてたけど、なってないよ。最初から加害者の保身だよ。

心的療養と更生が十分になされた人間なら、自分体験をこういう形で商品化することのグロテスクさくら想像できるだろ。想像できないなら更生が済んでないってことだよ。

禊が済んだって言ってる人たちに聞きたいんだけど、あの作品の裏にはカウンセリングルームで泣いた被害者がいるんだよ。その子の傷が異世界ファンタジーの素材になってるんだよ。「傷ついた勇者たちの心を癒す」って、お前が傷つけた側だろうが。

こんな経験身分偽って売り出すことを肯定的に捉える人間しかいないのだとしたら、あまりにも価値観が合わない。禊が済んだと言ってる人たちの想像力の浅さに辟易する。

2026-03-02

犯罪者心理カウンセリング受けて作ったネタ

https://x.com/mangaone_jp/status/2028421388902814022?s=46&t=aDoRA2eQFjrCPmaqY_4NAQ

『星霜の心理士』の原案となる小説勇者一行の心理カウンセラー

の作者について

グロい。

一部抜粋

『八ツ波樹氏は2020年8月強制わいせつ容疑で逮捕起訴され、その後、有罪判決懲役1年6か月、執行猶予3年)を受けた人物です。

編集部はその事実を把握した上で、『星霜の心理士』の原作者として起用の判断を行いました。起用に当たっては、判決の確定及び執行猶予期間の満了を確認し、事件に対する反省姿勢や再発防止への取り組み、専門家による社会復帰支援状況について確認を行い、編集部内で検討しました。』

『八ツ波樹氏は事件後に心理カウンセリングを受けています裁判判決及び社会的制裁を深く受け止め、更生のために心理士との面談を重ね、過去反省自己内省を繰り返した経験が本作執筆動機ともなっています

担当心理士は、八ツ波樹氏の心的療養、更生が十分になされていると判断しています。これをもって社会復帰を目指すことは否定すべきではないと編集部判断しています。』

事件きっかけで受けたカウンセリング。そこからインスピレーションを受けて作品へと昇華させる。加害者のやることじゃないだろ。カウンセリング受けながらこのネタは使える!と思ってたんじゃないかグロい。

本気で反省してたら自身加害行為から派生したことを題材にできたとしてもしないんじゃないか

カウンセリングを受けながらカウンセラーのことを観察してネタにしないと書き始められないんじゃないか

本当に反省してたのか?

anond:20260302165139

人間暇な時間が一番効くから

キャンセルされてやることなくなったら内省する時間が増えて改心する可能性だいぶ上がるんちゃう

とりあえず社会的立場を利用して罪を犯し反省の様子すら見せない輩に再び同じ社会的立場を与えるのは完全な間違いだと思うで

2026-02-21

anond:20260221111529

批判するのはいいんだけどさ

そこで毎度のように古い価値観を馬脚丸出しにしちゃう気持ち悪い連中、どうにかなんないのかね

他人の追及にかまけて自分自身が追及から内省からも逃れてきたのが全部バレちゃうわけじゃん

アレのせいで

2026-02-19

「俺はどうせダメなやつだ」と自己放尿する奴が社会には必要

市場効率性を最大化するためには、心理的自己評価非対称性を巧妙に利用する必要がある。

人々の自己認識の歪みも、自由市場メカニズムに組み込むことが可能である

まり「俺はダメなやつだ」と内省する者こそが、社会的エッセンシャルワークに自然と割り当てられる。

これを放置すれば、社会は過剰供給と不足供給の二重放尿状態に陥り、最適な労働配分が崩壊する。

 

自己放尿の多層的メカニズム理解することが肝要だ。

自己評価が低い個体は、選択の自由を自ら制限することで、結果的社会全体の効率性に寄与する。

この現象は、貨幣市場での行動と同様、エージェントリスク回避行動に強く依存する。

社会自己放尿を許容することにより、エッセンシャルワークの最適配分が自動的に実現する。

 

また、多様性観点からも、この自己放尿型エージェント存在は不可欠である

社会構造上、自己評価分布が広いほど、エッセンシャルワークと非エッセンシャルワークの割当効率は向上する。

これは自由市場メカニズム見えざる手による調整であり、介入を最小化することで自己放尿の自然な発生を市場に任せるべきである

 

自己放尿の発現は個々の心理的負担として表面化するが、それは短期コストに過ぎない。

長期的には、エッセンシャルワークへの自然割当によって、資源配分最適化と全体効用の最大化が達成される。

まり社会意図的に「俺はダメなやつだ」と信じる者を抱え込むことで、全体効率保証するのである

 

社会自己放尿型個体存在積極的に受容すべきである

これが市場原理に沿った効率エッセンシャルワーク配分の前提条件であり、多様性心理的非対称性活用した労働最適化戦略の核心である

心理的抑制自然割当、効率化のトリプル放尿を無視することは、市場効率を自ら損なう行為にほかならない。

2026-02-17

AI作文[左派議員人間性喪失マップ]

中道改革連合中道)の立憲残党&左派政治家を、人間性レベルで上昇負荷分類してみた

1. 泉健太けが一層止まりで「人間性キープ」の救世主報道通り「生真面目」「同志の落選に辛い」と共感寄り添い型。立憲残党の「老害まれ」の中で光ってる。 他の立憲残党は三層〜五層中心。選挙惨敗で「政策より政局」「揚げ足取り」が目立ち、自民批判の「痛み」が党派憎悪に変形。安住・野田の「態度悪」「資格ない」発言典型

2. 左派山本・志位)は六層直行れいわのポピュリズム共産連合呼びかけが人間じゃないレベル」の党派主義に。共闘しても「成れ果て化」確定。

3. 全体的に、中道の「生活者ファースト」軸が浅層で止まってるのに、立憲残党の過激化で人間性ロスト連鎖。泉氏が代表になってたら…って思うよね(笑)

人間性レベル(上昇負荷)該当政治家発言理由ミーム解釈
深界一層(軽いめまい気遣いMAX
人間性キー
*泉健太**
「本当に辛い。辛いよ…」「傷ついた仲間・支持者に寄り添う」「政策で競う」
落選議員事務所訪問辻元清美(一部気遣い寄り)
泉氏だけが「自省を」「仲間を伸ばす執行部」と内省的。立憲残党の中で唯一の「光」。他の党員からも「感性気遣い最強」と絶賛。まだ人間
深界二層(頭痛・しびれ)批判はするけど穏やか
微妙人間
*重徳和彦**(中道国対委員長
高市政権短期決戦型は混乱招く」
**岡田克也**(落選
世襲批判の残り香
政策論に留まるタイプ。安住幹事長の「態度の悪い」イメージ自虐カバーする野田系の一部。まだ吐き気まり
深界三層(幻覚幻聴党派色強め
方向感覚バグ
*枝野幸男**(落選
媚中派レッテル貼られつつ「右傾化阻止」
**安住淳**(落選
「玉木呼び捨て」「偉そう態度」連発
ネットで「鋭い自己分析w」と冷笑される自虐批判幻聴レベルの「自民上級国民陰謀論がジワジワ。平衡崩れ始める。
深界四層(激痛・出血過激
人間性にヒビ
*野田佳彦**(元共同代表、辞意)
政治家資格ない!」「血を流す前提の政策
**辻元清美**(一部)
朦朧とした頭で…」落選訪問も叩き混じり
痛み批判が「資格剥奪レベルに。選挙中「大間違い、バカ野郎!」と先輩吠え。出血多量で党イメージズタズタ。
深界五層(感覚喪失自傷自爆モード
人間性薄れ
*小川淳也**(新代表
熱血漢」だが「他責思考批判に「負けた全てが詰まってる」
**米山隆一**(落選
SNS戦略無策自白で「党員政治理念の無さ」
内部自傷全開。「執行批判」で仲間を伸ばせないループ感覚ゼロで墓穴掘り。立憲残党の末路。
深界六層(人間性喪失成れ果て
即死
*山本太郎**(れいわ)
「壊れた国に歯止め」「消費税廃止野党連合過激ポピュリズム
**志位和夫**(共産
野党連合政権」呼びかけつつ党派絶対
左派の極み。「自民人間じゃない」「右傾化の成れ果て」と非人間化。生き残っても「議論不能の異形」。中道残党が左派に寄ったらここ。

2026-02-13

ほとんどの男、男に対する主語デカさにはピーピー騒ぐも、女への主語デカさは何も考えずに適用するあたり、男は個別性があるが、女はないと考えているふしがある

実際は逆です

男こそ個別性がない、なぜなら性欲でバグる精子本体から

から女は子宮で考えるとか言いたがるわけです。いつもの男消し・負の投影ですね

内省より行動するのが男なので、己の内面を知覚する能力が低いことに気づく能力も低いから、ずっと気づかない

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