はてなキーワード: 拒否とは
ひと渡り見渡して日本の人は誰も言いたがらないようなので、わしが書きますが、まだ紛糾が続く中東情勢のなかで、日本だけが外交上の大敗を決めて、これまでの外交蓄積をすべてご破算にしてしまった。
他に功績が色々あるのでしょうが、これだけは、単に高市首相が外交努力を拒否したからで、普通の国なら、これだけで退陣です。
国民に圧倒的に支持されているので、地位は揺るがないが、ここに至って「アメリカに付き従う」という最悪のポジショニングを取ってしまったことで未来永劫日本人が受ける不利益は膨大なものです。
実は高市首相がゴールデンウィークにどこへ外遊するかは世界が注視していました。
中国はもう正面からの敵対で仕方が無いとして、最もおおきな期待は「イランを含む湾岸諸国歴訪」だった。
ほんとに休暇を取ってしまった
日本は言われるほど「アメリカの飼い犬」ではなく、特に中東に関しては時にアメリカを激怒させるほど独自の外交方針を堅持してきたが、ここに至って、みずからの優位と独立性を、他国がびっくりするような無造作さで捨ててしまった
こんなナマケモノ外交をやる国だと思っていた国はないでしょう。
各国の内輪の反応を見ると、びっくりびっくりびっくりの階乗で、驚きの後は、いまの日本の外交の甘さにほくそ笑んでいる
わしもびっくり。
日本がどうなっていくか、はっきり見えたような気がしたゴールデンウィークでした。
ほんとうは、またヘンなのが来るので、言わんとこ、と思ってたんだけど
黙っているのも不誠実だと思い直して最低限の事実を書いておきます
https://x.com/gamayauber01/status/2052672180484473289?s=46&t=VPaTgnS-4jVhH1cpAukinA
日本のネットユーザーの一部に、奇妙な「勝利条件」が定着している。リアルでのコミュニケーションを避け、オンラインでも積極的に拒絶されること、すなわち無視・ブロック・炎上・排除されることを、むしろ自分の正しさや純粋さの証明として受け止める人々だ。彼らにとって「勝ち」とは、相手に反応されないこと、集団から弾き出されること、沈黙の海に沈むことである。こうした病理は、匿名性に守られた日本のネット文化が長年育んできた特有の歪みと言える。
背景には、1990年代後半からの2ちゃんねる文化がある。実名を晒さず、顔も見せず、責任を負わないまま攻撃や皮肉を浴びせ合う空間。そこで培われたのは「空気を読む」ことの逆説的な極端化だ。反応されれば負け、絡まれると面倒、褒められても胡散臭い。理想の状態は「存在を認められず、静かに漂う」ことなのだ。この傾向はSNS時代に加速した。彼らにとって拒絶は「俺は間違っていない、周りが腐っている」という自己肯定の証拠になる。ひきこもり研究でも指摘されるように、社会的つながりの希薄化と承認欲求の異常な形骸化が重なる。リアルで拒絶される恐怖を、ネットで「自ら選んだ勝利」として再解釈することで、心のバランスを取っている。
病理の根は深い。長時間労働、低賃金、将来不安、人間関係のストレスで疲弊した人々が、ネットを「安全な逃げ場」とする一方で、そこでも本物のつながりを恐れる。匿名性が攻撃性を増幅し、集団極性化を起こす環境では、穏やかな会話より「叩かれること」や「無視されること」の方がエネルギーを消費せずに済む。結果、コミュニティは細分化し、エコーチェンバー内でしか生きられなくなる。外部の声は即座に「荒らし」認定され、拒絶される。
こうした人々は、決して少数ではない。40代ひきこもり問題や、若者の「ドライ志向」の裏側にも通じる。日本社会の「調和優先」「不都合な真実の拒絶」という構造が、ネット上で極端に増幅されていると言える。コミュニケーションを拒絶されることを勝利条件に選ぶのは、究極の防衛機制だ。しかしそれは、孤独を美化し、成長を拒否する悪循環を生む。本当の勝利は、拒絶されることではなく、拒絶されてもなお繋がろうとする勇気にあるのかもしれない。ネットがリアルを侵食する今、日本人はその病理からいつ目を覚ますのだろうか。(約980文字)
認知症が出ても施設に入るのを拒否して半ば騙すように施設に入れてたまに会いに行っては家に帰る帰ると文句言われる
高度成長期からバブルまで結構好きに遊んでバブルの崩壊とともにお金がなくなったので自分は借金取りから電話がかかる中受験して大学は授業料免除で通いJTCに入って毎日夜遅くまで働く隙を縫って妻を捕まえて結婚
自分は親に育ててはもらったけどもし恩を帰すなら自分の子供にという考えで稼ぎはほとんど家のローンと子育てに使いなんとか子供も成人
子供は自分のためにお金も時間も使うのが当たり前で親の言うことは聞かないが欲しいものねだりは熱心
今後結婚して誰かと住むなんて考えもしていない
家から出ていこうということも考えてなさそう
非モテ女性より非モテ男性の方が圧倒的にトラブルを起こす理由はこれ
自分を選んで死ぬまで添い遂げる異性が存在しないのを認められない上に改善を拒否(女に主従関係を押し付け、女の為に僅かでも労力を払った時点で崩れるという認識)
ポルノグラフィは声の封殺という言語行為も遂行するのではないかと示唆されてきた。次の架空の例を見よう。チャールズは次のようなポルノグラフィにたびたび出くわす。そこでは、セックスをしたくないと言ってはいるものの、実際にはセックスを望んでいる女性として作品内で特徴づけられている。するとチャールズは、女性は実際にはセックスをしたいと思っているときにセックスをしたくないと言う、社会的慣行があると信じるようになる。その後彼は、ある女性との親密な状況に至る。その女性は、セックスをしたいからどうか尋ねられ、「いや、セックスはしたくない」と言う。チャールズは、ポルノグラフィから得た信念の結果として、この発話を本当の主張として扱わない。彼はそれを、性交渉に関わる「ちょっとした演技」だと受け取る。ここで示唆されているのは、その女性は声を封殺されているのではないかということである。すなわち、彼女はその状況において何かを主張することが阻止されているので、性交渉を拒否することが実際にはできなくなっているのではないか、というわけだ。
ある性産業従事者の女性はポルノグラフィ産業を告発する抗議本を書いたが、それは事実上、ポルノグラフィとして売り出された。この事例は、女性の言葉を捻じ曲げる性犯罪者をふくめた多くの人に見られる、お馴染みのパターンだ。性犯罪者たちは、「常に被害者の行動を再解釈し、そして被害者がその気にさせたのだとか、誘惑したのだとか、求めたのだとか、望んだのだとか、楽しんでいたのだ」と言う。
つまり、女性はしばしば、公私にかかわらず性的な会話において、自分の意図する仕方で言語ゲームのルールを変更できないと気づく。例えばそのルールには、女性によるノーはしばしばイエスを意味するという、ポルノグラフィによって持ち込まれ強化された前提がふくまれている。
https://togetter.com/li/2694689
昔話+古い風習+昭和の親のノリが全国的に定着した文化現象。要するにガチモンのミーム。
ただし定説としてよく知られているのだが決定的な論文などは見つからなかった。
親が元ネタをちゃんと知っていたら厄落としの愛を表現できたんだけどね。
知らずにやってたならその親はギルティ
桃太郎(川から流れてきた桃から生まれる)、一寸法師、瓜子姫など「川や水辺から子どもが授かる・拾われる」話がたくさんある。
水=命の源・神秘的な場所というイメージが強いんです。橋の下=川岸というイメージが重なって「拾ってきた子」という言い回しが生まれたと言われています。
江戸時代〜戦前まで実際にあった習慣に「拾い親」というものがある。
体の弱い子・厄年に生まれた子を一度「捨て子」に見せかけて道端や橋の下に置き
別の人が「拾う」まねをすることで厄を落とす・丈夫に育つように願う儀式だった。
これが形骸化して、親が子どもをからかうときの定番フレーズになった
特に馬鹿な親は「本当の子じゃないよ」「拾ってやったんだから感謝しろ」という恩着せがましいニュアンスまで付加した。
『お前はうちの子ではない 橋の下から拾ってきた子だ』でも、この風習がそのまま言い習わしになったと分析されている。
https://www.amazon.co.jp/dp/4791104072
地域によって「紀の川で拾ってきた」「多摩川の橋の下」などバリエーションがあり
関西では特に「わがまま言うたら橋の下に返しに行くで!」という発展形も多かった。
「実はお前は私の息子じゃない」も同じノリで、血のつながりを否定してショックを与える・恩を着せるための定番バリエーションとなっていた。
昭和生まれ・70歳前後の親世代が「鉄板ギャグ」として使っていた話が大量に集まってますが現代の親(特に40代以下)は「絶対言わない」「トラウマになる」と明確に拒否する声がほとんど。
2020年代後半の記事やSNSでも 「今は子どもに傷つく冗談は言わない」 「時代錯誤」「ハラスメント」という認識が主流。
昔は「親の愛情表現のつもり」「子どもが泣くのが可愛いから」だったのが、今は「相手が嫌がったら即やめる」が当たり前になった
男の性欲って女にも分かるように説明すると下痢漏らしそうな状態みたいな必死さだろ?
ウォシュレット付きの洋式便器、ウォシュレット無しの洋式便器、和式便器、地面に掘られた穴、みたいな感じでクソをぶつける先を評価してるのと同義なわけ
性欲弱い男:下痢しにくい男
みたいな感じよ
先天的にそんなに性欲激強じゃない男はたいして苦しんでないからな
男がゲイを恐れて叩くのも男の性欲の本質が何か分かったうえで自分がそれをぶつけられることを嫌悪してるからだし
オタクへの迫害とオタクからの加害の歴史みたい話題、コミケ帰りエロ紙袋みたいなエロ絵を見せびらかすオタクの存在の影響は大きいと思うんよな
あれで「オタクっぽい絵柄=エロ=エロを公共の場で見せびらかすオタク」が脳内で結びついてしまった非オタクは多いんじゃなかろうか
というか身近にかつてそのスタンスだった人がいたから実感として影響あったと思う
最近だとカップうどんのCMのあれとか、ASMR音声も含めてエロ作品の文脈で作られたエロではない作品だと思うんだけど、上記の図式が脳内に出来上がってる人だとよりエロ文脈を強く感じ取ってしまってより強く拒否反応が出てしまうみたいなね
(一応言っておくと、あのCMは相当好き嫌いわかれる作風だけど燃やす側に正当性はないとは思ってるし、その上で嫌いだと表明するのも表現の自由の範疇かなって考え)
社会学には2つの極端なアプローチがあります。一方は、統計的・因果推論的に厳密にデータと解釈を分離し、反証可能性を担保する科学的手法です。
もう一方は、自分のイデオロギー・ナラティブ(構造的抑圧、弱者発見、権力批判など)を支えるためにデータを「都合よく選ぶ」(cherry-picking)手法です。この記事では後者を「ストーリーテラー(Storyteller)」と分類します。
統計・大規模調査・因果推論手法(差の差法、操作変数法、傾向スコアマッチングなど)を用い、相関関係と因果関係を明確に区別。
データ事実(Results)と研究者の解釈(Discussion)を厳密に分け、矛盾するデータも提示し、反証可能性と頑健性(robustness)を担保する。社会科学として「科学」の基準を守る。
「社会科学」の看板を借りて、自分のイデオロギー・ナラティブ(物語)を広める人。データはあくまで「自分のストーリーを魅力的に補強する道具」に過ぎず、都合の良い部分だけ選び(チェリーピッキング)、相関を即因果にすり替え、解釈をデータに混ぜ込む。文学的・運動的アプローチが強く、X(旧Twitter)やメディアで声が大きい loud minority として目立つ。
自説に有利な数字・事例だけか、全データ範囲と感度分析を示すか。
相関を即「構造的抑圧が原因」と断定し、因果推論手法名を明記しない。
結果セクションですでに文学的なナラティブ(「これは権力の証左」)が入っていないか。
質的研究・批判理論(Foucault、Butler、上野系)が先行し、計量・因果推論論文の引用が少ない。
批判されると「文脈が違う」「差別者」とレッテル貼りするか、データで再検証を提案するか。
X・メディアで構造批判・弱者発見・PC擁護が熱く、エンゲージメントが高い。
論文・発言・X投稿をチェックすれば、9割以上見分けられます。
ストーリーテラーは、社会学を「科学」ではなく「物語を語る運動の場」に変える存在です。彼らはデータを使いつつも、最終的に一貫した
を構築・拡散します。これは、イデオロギーを補強するための選択的物語化です。データは「証拠」ではなく「感情を揺さぶる小道具」として機能し、矛盾データは無視するか、「より大きな構造のせい」として相対化されます。
• 1970-90年代の「質的転回」(qualitative turn)でインタビュー・参与観察・理論解釈が主流化した歴史的土壌がある。
• X・メディアでは「弱者発見」「構造批判」といった感情に訴えるストーリーがエンゲージメントを稼ぎやすい(loud minority効果)。
• 結果、学問の「科学性」が薄れ、活動家ごっこのイメージが強まる(古市批判の核心)。
「弱者が弱者のままで尊重される社会を」「頑張っても報われない人がいる」 → 努力や個人の責任を「環境・構造のせい」に還元し、永遠の被害者像を描く。
例:東大入学式祝辞のような「恵まれた環境のおかげ」強調。データ(合格率差)を使っても、逆差別や努力差はスルー。
「家父長制・資本制・権力構造がすべてを決めている」 → 格差・ジェンダー・移民問題を「システムのせい」に帰結。解決策より批判が優先。
例:家事=「不払い労働」、教育格差を即「構造的抑圧」と断定。
「日本人は多文化に耐えられない」「加害者性・反省不足が原罪」 → 戦後教育の延長で、日本人全体を「構造的加害者」に位置づけ。
例:日本社会の「単一民族神話」批判や、歴史問題での自虐的ナラティブ。
「異性愛規範・性二元制がマイノリティを抑圧」「性自認尊重が正義」 → ポリティカルコレクトネスを「進歩の物語」として語り、反対意見を「差別」と一蹴。 例:女子枠反対を「弱者男性のワガママ・ミソジニー」とレッテル貼り。
「政府・権力の干渉が学問の自由を脅かす」「新政権のツッコミどころ」 → 学術会議問題などで「権力 vs 専門家」の二元論を展開。
「相手は差別者・歴史修正主義者・ミソジニー」 → 都合の悪い女性政治家を「中は男」と属性攻撃するなど、二重基準を隠した攻撃的ナラティブ。 ラベリング理論を武器化。
結果、社会学は「文学の亜流」や「運動の道具」と見なされやすくなります。
代表的発言:「あなたたちが『がんばったら報われる』と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたちがいます。」(2019年東大入学式祝辞)
代表的発言:「女子枠に反対するのは弱者男性のワガママ」「ミソジニーとルサンチマンに溢れた快哉を叫ぶコメント」(2026年頃、女子枠反対論に対するnote引用・投稿)
代表的発言:「安倍さんが女装して現れた」「言っていることは安倍さんそのものだ」「だから、中は男でしょ。安倍さんでしょ」(2024年、立憲民主党集会での高市早苗氏批判)
代表的傾向:「病ませる社会」が弱い人を症状化させる(近年、人生相談・社会病理関連発言)
代表的発言:「なんで、いま、みんな日本学術会議に関心を持ってるの? 新政権のツッコミどころだからというだけでしょう」(2020年、学術会議任命拒否問題時) → 権威主義・体制批判。
ネット右翼を「1%未満の愉快犯」と矮小化するなど、日本社会の構造・歴史ナラティブ批判。
「学術会議法人化法案が可決されてしまいました。日本は、アカデミーの自律性を弱めることに加担した国の列に加わりました。」(2025年、X投稿) → 学問の自由危機ナラティブ。
大規模調査データで家族・格差を統計分析。因果推論を意識した学術告知中心。
X・メディア・学術会議・ジェンダー/PC分野で目立つのは圧倒的にストーリーテラー。彼らのナラティブは感情に訴えやすく拡散されやすい一方、実証派は論文・データで静かに勝負するため声が小さい。結果、社会学は「科学」より「物語を広める運動」が強まりやすい構造になっています。社会科学を本当に科学に戻すには、実証派がもっと積極的に声を出していくことが重要です。
Xやメディアで目立つ文学的・批判理論寄りの事例をピックアップ。統計・因果推論重視の実証派とは対照的に、「構造批判」「ナラティブ」「弱者発見」が優先されやすいパターンを示します。
「あなたたちが『がんばったら報われる』と思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。」 「世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたちがいます。」 (全文は東大公式HP掲載。医大不正入試を挙げ、女子学生の入りにくさを統計で指摘しつつ、新入生に「恵まれた環境のおかげ」と諭す内容)
「家事は不払い労働」「愛の行為だからお金に換算できない」で本当に正しいのか? → 断固として「不払い労働」と呼ぶ。 (1980年代から一貫。家父長制と資本制の搾取構造として位置づけ)
努力や個人の責任を「環境のせい」に還元し、弱者発見を強調。統計(医大合格率1.2倍)を挙げるが、解釈は「構造的女性抑圧」一色で、男性の努力や逆差別(例:理3類の微妙な数字)はスルー。家事「不払い労働」論も、男性の家事・育児負担増やDV被害男性のデータは無視しがちでダブスタ。ポストモダン的「客観性への懐疑」を体現し、「がんばっても報われない社会」を前提のナラティブ優先志向。
高市早苗氏について:「安倍さんが女装して現れた」「言っていることは安倍さんそのものだ」「女性がどういう歴史を歩んできて、どんな目に遭って今まで生きてきて、政治がそれに対して何をしないといけないのか一度も考えたことないのだと思う」「だから、中は男でしょ。安倍さんでしょ」 (会場爆笑。TBS「サンデーモーニング」出演者としても知られる)
通常なら「女性政治家への性差別」「属性攻撃」「トランスフォビア」と猛批判する側が、自ら女性議員を「中身は男」と貶下。女性首相誕生を「恥ずかしい」と選別し、政敵のイデオロギーを「女装」喩えで攻撃。フェミニストの権威を盾に、都合の悪い女性を「名誉男性」扱いする典型。古市批判の「文学的」路線を超えた、感情的・属性依存のイデオロギー亡者ぶりが露呈。
「女子枠に反対するのは弱者男性のワガママ」「ミソジニーとルサンチマンに溢れた快哉を叫ぶコメント」 (UNESCO報告書を巡る議論で、反対論を「弱者男性のワガママ」と一蹴)
女子枠(ポジティブアクション)を「構造的抑圧是正」と位置づけ、反対意見を即「ミソジニー」「弱者男性のワガママ」と人格攻撃。教育社会学者としてデータ(格差統計)を使うはずが、相手の動機を悪意で決めつけ、議論を封殺。 **弱者男性の「ワガママ」を問題視しながら、女性枠優先の「ワガママ」はスルーする二重基準。
「なんで、いま、みんな日本学術会議に関心を持ってるの? 新政権のツッコミどころだからというだけでしょう」 (菅政権批判の文脈で投稿。学問の自由より「政権叩き」の文脈を強調)
学術会議を「専門家」の聖域として守り、外部(政権)批判を「新政権のツッコミどころ」と一蹴。自分たちの権威を盾に、任命拒否自体を問題視しつつ「本当の危機は大学改革」とずらす。ポピュリズムを非難しながら、左派迎合的なナラティブを優先。実証派なら「学術会議の実質的影響力や再現性問題」をデータで検証するはずが、イデオロギー優先。
「ネット右翼の数はネット利用者の1%未満」「愉快犯」「言説の広がりは深刻」。 近年も『日本社会のしくみ』などで「大企業型・地元型」の暗黙ルールや二重構造を批判し、右傾化ではなく「左が欠けた分極化」と分析。
日本社会の「暗黙のルール」やナショナリズムを構造的に解体するが、自陣営(左派)の歴史解釈は絶対化。ネット右翼を「少数愉快犯」と矮小化しつつ、反対意見の広がりを「深刻」と警戒。データ(調査比率)を使うが、解釈は左翼迎合で「日本人原罪論」の延長。
「援助交際を主体的選択」「まったり革命」と肯定的論じる(後に一部修正)。
安倍銃撃事件で統一教会問題を「世直しとして機能した」「安倍の死で瓶の蓋が取れた」と発言。
初期はサブカル肯定的だったが、近年は統一教会・安倍批判で「構造的問題」を強調。事件を「自力救済」の文脈に置き、社会包摂不足を政権のせいにする。データ(非正規雇用拡大)を使いつつ、左翼迎合のイデオロギー優先。
ダブスタ・レッテル貼りが特に目立ち(田中・本田)、権威を盾にした体制批判(西田・上野)が学問の看板を借りて活動家に寄りやすい。Xで目立つloud minority。実証派(計量社会学)は論文で勝負してるから静かだが、社会学を「科学」に戻すにはこうしたアホ発言の構造的問題を暴くしかない。
え、ごめん、Firefoxの通常モードだと、私はNHKの正規の契約者としてログイン済みだからプライベートウィンドウにしただけで、意図としては「新規のユーザーがアクセスしても見れるっぽいよ」という意味だよ。
NHKからログアウトして、NHKのクッキーをすべて削除※ した状態の通常モードで改めて
ふつうに見られるぞ。
※ クッキーを削除するのは、NHKを初めて訪れるユーザーと同じ状態にするための手続きで、何も特殊じゃない。ふつうにパソコンの知識も何もない一般人が、新品のパソコンや新品のスマホからアクセスしたのと同じ状態という意味。もしも増田自身が上記の手順に失敗するとしたら、増田が過去に行ったなんらかの操作のせいで(何かを拒否したとかなんとか?)、一般の新規ユーザーとは異なるFirefoxになってしまっていると思われる。Firefoxで新規プロファイルを作って新しいユーザーとしてアクセスしてみてほしい。
また、近年の防衛政策は「経済安全保障」「デュアルユース(軍民両用)」といったキーワードに見られるように、防衛省・自衛隊だけでなく、企業活動や学術活動、SNSの通信など、様々な生活領域を防衛政策に巻き込んでいく特徴があります。ここでは、営業の自由や学問の自由、刑事訴訟における適正な手続きがおろそかにされる危険があります。実際、大川原工業の経済安保がらみの冤罪(えんざい)事件や学術会議の任命拒否問題などが起きています。防衛政策の領域拡大の中で、市民の自由を守るためのルールが作られるべきです。
■トレンド追うだけではなく
――不安や怒り、国際情勢のトレンドのなかで憲法が定めている「自己拘束」を安易に手放してはならない……。
憲法学者として毎年5月に講演する機会が多いなかで、ある集会では女性差別の問題を中心に話しました。9条を守ろうといった定番の話を期待していた年配の男性参加者は困惑の表情でしたが、自分たちの話だと受けとめた女性の参加者が明るい表情を見せたのが印象的でした。女性の選挙権(婦人参政権)獲得を含む男女平等の原則が確立したのは、戦後憲法の大きな成果の一つです。しかし、女性の権利は見落とされがち。だからこそ、常に意識しようと憲法に書いてあるわけです。
――現行憲法の成果は大きい。マンネリに陥らない語りかたが大いにありうるということですね。ただ、近年は若い世代の政治意識に変化が見られ、従来型の「左」か「右」か、護憲か改憲かという対立軸にこだわらない若者や現役世代が増えていると言われます。
憲法の意義そのものは世代により変わるわけではない。憲法の語り直しも世代で区切る意味はあまりないのではと考えます。
どの世代にもトレンドに影響されやすい人たちがおり、そうではない人たちがいる。世論調査の推移を見ると、いまの日本の人々の価値判断や思想の傾向に大きな変化は生じておらず、どの世代にも「右」から「左」まで一定の分布が見られます。
とすれば、トレンドを追いかけたい人たちに働きかける社会運動や報道が必要になる一方で、トレンドに左右されず、じっくり考えたい人たちの期待に応える言論や学術研究の必要もあるということでしょう。
「時は来た」と高市首相、憲法をどう変えたいのか 持論は「国防軍」
――戦後日本の社会と人々の暮らしを支えてきた憲法は、地に足のついたものになっているでしょうか。
憲法が示している戦後日本の基本原則は揺らいでいないと思います。平和主義や国民主権、人権の尊重を捨て去りたいという人はごく一部でしょう。ただ、気になる点もあります。憲法学者として人権や差別解消の問題に長く取り組むなかで、昨年出した『幸福の憲法学』ではこう指摘しました。
「本来は『人権』という言葉を使うべき場面で、それを避ける例もある」「『人権』という言葉は避けられている」と。
――80年近くを経て、憲法の価値観が空洞化しているということでしょうか。昨夏の参院選では外国人政策が急に争点化し、排外的な政策を掲げる政党や政治家が広く支持を集めました。
社会経済の先行き不安や怒りが広く存在するとき、人はその原因を何かに「帰属」させようとします。何が不安や怒りの原因かは目に見えるほど明確ではないので、その帰属先はしばしば操作されます。哲学者のスローターダイクは、中世のカトリック教会や共産主義が、人々の怒りの矛先を操作して自分たちのエネルギーにしたことを論じています。怒りや不安を人の属性に帰属させれば、差別の出発点となります。
例えば、外国人に見える観光客のマナーが悪かった時、その人の問題とするべきですが、外国人差別を煽(あお)る人は「外国人観光客全員」あるいは「在留外国人も含む外国人全員」の問題とする操作をします。
――メディアも、目に見える誰かのせいにして差別に加担しないようにしたいです。
差別を防ぐには、不安や怒りを安易に誰かのせいにしないという意味での「自己拘束」が必要です。メディアが、因果の流れを丁寧に説明する必要があるでしょう。例えば、原油高に伴う物価高のメカニズムを報じることは、日常のイライラを「外国人」に向けず、適切な対策を打たない政府や、戦争を続けるロシアやイスラエルの問題を意識させることにつながります。
――不安や怒りのはけ口を探して、誰かを標的にする。そうして自分の感情を操作された結果、差別に加担するのは嫌です。
憲法の掲げる人権や差別解消の理念は、憲法学が最前線で扱うテーマの一つ。最近の研究では、プライバシー権をめぐる議論も差別の問題とつなげながら掘り下げて考えています。
プライバシー権は、個人の尊重と幸福追求権を定めた憲法13条にもとづき、発展してきました。
プライバシー権は「一人で放っておいてもらう権利」に由来します。この権利は、他者に自分を標的として認識されない状態を守る権利とでも言いましょうか。あの人は、一人暮らしの女性だ、老人だ、と認識されると、犯罪に巻き込まれるリスクが高まり、緊張します。そう認識されないことで安心する。その安心感を守ろうというのが出発点です。
その後プライバシー権は、人に知られたくない個人情報を知られずに、隠したいことを隠すための権利として発展しました。さらに、性的指向や被差別部落の出身であることなど、被差別情報を隠す権利としてもプライバシー権が使われるようになってきました。
――混乱とは?
個人情報のなかには、裸や家の中など、①認知されるだけで苦痛な情報と、認知されることよりも、②それを使った違法行為や差別が心配な情報があります。
プライバシーとは、もともと①を隠すことだったわけですが、最近では、②もプライバシーにすることで違法行為や差別を防ごうという議論になってきています。
しかし、違法行為や差別に使われる情報のなかには、公開されているものもあります。例えば、大学や新聞社の電話番号は公開されていますが、「いたずら電話をしよう」という呼びかけとともにSNSに投稿されたら迷惑です。また、性別や肌の色は、隠されたプライバシー情報とは言えませんが、それを差別のために使われてはたまりません。
これらの問題は、プライバシーとは別の権利、つまり、違法行為を誘発する形で公表されない権利や、差別に使われない権利で対応した方が明快です。ところが、最近のプライバシー権の議論は、これらの問題も隠したい情報を隠す権利の応用で対処できるとして、プライバシー権の射程を広げて対応しようとします。
――プライバシー権とは別に「差別されない権利」があるということですか。
はい。隠したいものを隠すプライバシーという概念で対応しようとすると、性別や肌の色、出身地といった公開情報での差別は防げません。
「差別されない権利」なら、公開情報だろうが、非公開情報だろうが、それを不当に利用してはならないと議論できます。プライバシー権は、個人情報を「認知させない」権利だとすれば、差別されない権利は個人情報を不当に「使用させない」権利です。
肌の色や話す言葉など、公にされた情報で外国人かどうかを推測できることがあります。ここから、「外国人お断り」のような差別が生まれます。
「外国人お断り」をする人からすれば、公開情報を使っているだけだから、プライバシー権を侵害していないと思うでしょう。しかし、外国人だという個人情報を差別に使うことは、差別されない権利の侵害と捉えるべきです。
他にも、LGBTQの性的指向や性自認などを本人の許しを得ずに暴露する行為を「アウティング」と呼びます。こうした行為はプライバシー侵害だと言われてきました。ですが本来、性的指向や性自認は「隠したい恥ずかしい情報」ではなく、当人のアイデンティティーの根幹となる情報です。アウティングが問題なのは、恥ずかしい思いをさせたからではなく、差別をするかもしれない人に情報を開示して、差別を誘発する危険を作ったからだと考えるべきです。
プライバシー権のおかげで、私たちは他の人の個人情報を認知するときに慎重になれました。ただこれだけでは足りない。プライバシー権と「差別されない権利」を区別すれば、既に認知した情報でも、「この場面でこう使っていいのかな?」と使用の場面で慎重になれます。権利を知ることで、差別を防ぐ「自己拘束」ができるわけです。
――個人情報の差別的な使用とそうでない使用は、どう違うのですか?
個人の選択の結果を、国籍や性別に帰属させると差別になります。例えば、犯罪をするかどうかは個人の選択ですが、それを国籍や出身地のせいにするのは差別だと言わざるを得ません。
雇用の場面でも、「この人は女性だから辞職する可能性が高い」とか「外国人だからこういう行動をとるはずだ」と判断するのも、性別や国籍の情報の差別的な使用の例でしょう。不安やイライラを「外国人」のせいにしがちなトレンドを止めるには、「差別されない権利」の考え方を根づかせることが重要です。
■憲法に書き込む影響力
――そうしたトレンドの一つと言えるのかもしれませんが、高市早苗首相は4月12日の自民党大会で「時は来た」と述べ、改憲に意欲を示しました。
国会の憲法審査会などの議論は始まったばかりで、高市首相が目指す改正案はまだ示されていません。
自民党のものとしては、安倍晋三政権下の2017年に示した「改憲4項目」がありますが、いまなぜ改正が必要かという根本的な理由づけが希薄でした。参議院の合区解消には実務的な必要性があるかもしれませんが、残りの3項目、自衛隊の明記や緊急事態対応の強化、教育環境の充実については、現行の憲法や法律でも不足はない。仮にあっても、法律の改正で済むような話ばかりです。
日本への武力攻撃があった場合の防衛行政は、現行憲法でも禁じられていません。緊急事態に際し、あらかじめ法律の定めた条件の範囲で政令を出すことも、禁じていません。実際、災害対策基本法には、その例があります。
――自民党の狙いは改憲の実績づくり、いわば「お試し改憲」だとの見方もあります。
もともと自民党の方々は、憲法9条2項を削除して軍を創設すると言ってきました。自衛隊明記案というのは、軍創設案の支持が広がらないため、「現状維持なら実現しそう」と出てきた妥協案なのでしょう。新しい条項ができると、「これまでできなかったことができるようになったのだ」と解釈される危険が生じ、何が起きるか不透明になります。当たり前ですが、現状維持したいなら、現状を維持するのが一番です。
――それでも、少しでもよい改憲なら賛成するという人もいるのではないでしょうか。
憲法は国の最高法規。条文に書いていない要素を書き込むことによる影響を慎重に検討する必要があります。
例えば、明治憲法における都道府県の位置づけはあいまいでしたが、戦後の憲法92~95条に地方自治の原則が書き込まれ、そのことで地方分権が大きく進展しました。もしいま自衛隊を憲法に明記すれば、国家権力を執行する警察や海上保安庁などのほかの行政組織にはない強固な地位を得て存在感を増すでしょう。それでよいのかどうか。
――日本を取り巻く国際情勢は厳しさを増しています。災害救助だけでなく有事の切り札として自衛隊に期待する世論は高まっているように思います。
災害救助や国際貢献の面で自衛隊の活動を評価する世論のトレンドは理解しますが、慎重な分析が必要です。
憲法9条は、日中戦争や太平洋戦争の反省の下で外国の領土を侵略するような武力行使を制限する「自己拘束」です。
憲法制定から80年近くが経ついま、国際情勢が悪化していても、湾岸戦争やイラク戦争、ロシアのウクライナ侵攻、米国やイスラエルのイラン攻撃などの戦地に自衛隊を派遣すべきだという世論が国内で盛り上がる気配はありません。国連の平和維持活動(PKO)で自衛隊を戦闘地域外に派遣する道はありますが、世論も、武力行使には非常に厳しい態度をとり続けています。
9条改憲を長年目指してきた自民党の保守派でさえ、戦力の不保持をうたう9条2項の削除などではなく自衛隊の明記を目指す妥協策を打ち出すようになったことは、同項の平和主義の精神が改憲派にまで浸透したことを意味しており、「護憲派の勝利」とさえ言えるのかもしれません。
――心配性かもしれませんが、そうした日本の世論も台湾有事などの危機に直面すれば、大きく転換しうるのでは。
もし中国が台湾に武力侵攻した場合、在日米軍基地や自衛隊の基地も攻撃対象になるでしょう。必然的に、日本への武力攻撃事態となり、個別的自衛権の発動場面となります。台湾有事は、海外での集団的自衛権の行使とは違う事態だと考えるべきです。
――もう一つ気になるのは、自民党の日本国憲法改正草案(12年)や「創憲」を掲げる参政党の新日本憲法(構想案)(25年)のような全面改憲の可能性です。
憲法の基本原則、すなわち国民主権と平和主義、基本的人権の尊重を廃棄するような全面改憲ができるとは思えません。ただ、逆説的ですが、そうした憲法の価値観がしっかり浸透しているからこそかえって警戒心が薄れ、「自己拘束」の歯止めが利かなくなっていることが問題だと見ています。
――どういうことでしょう。
高市首相は4月21日、防衛装備移転三原則の改定を閣議決定し、武器輸出を全面解禁しました。これは、安倍政権による集団的自衛権の解釈変更(14年)や、岸田文雄政権が22年改定の安全保障関連3文書に盛り込んだ敵基地攻撃能力の保有、防衛費の国内総生産(GDP)比1%枠超え(23年度予算)などに続く出来事です。
憲法9条に、「武器を輸出してはいけない」とか、「防衛費はGDP比何%まで」と具体的に書いてあるわけではありません。しかし、9条からは、日本が紛争を煽らないようにする「自己拘束」の原理や原則を生み出し続けるべきだという規範が導かれると考えられてきました。武器輸出の禁止などは、そこから生まれたルールです。こうしたルールを守ってきたことが、政府や自衛隊の信頼を作ってきました。
こうした信頼の蓄積は、「このルールをなくしても、めったなことはしないだろう」という方向にもつながります。ただ、信頼を食いつぶしていけば、いつかは破綻(はたん)します。だからこそ、憲法9条の下で作られたルールは安易には手を付けない方がいいし、新しい状況に対応するために変える必要が生じたとしても、別の「自己拘束」のルールを作ることとセットで変えるべきです。現状の敵基地攻撃能力や武器輸出の解禁は、ただルールをなくしただけで、新しい「自己拘束」のルールや原則が示されていません。
――敗戦直後の日本が軍国主義の復活を警戒したのは分かります。でも冷戦が終わり、米中ロなど大国の横暴が目立つ21世紀の日本にとっても「自己拘束」は必要でしょうか。
イスラエルのネタニヤフ政権を見れば分かりますが、権力者にとって、対外武力行使は権力を維持する魅力的な手段です。どんな状況でも「自己拘束」が不要ということはないでしょう。
――防衛費のGDP比2%は、25年度補正予算で達成されました。高市政権は安保3文書改定にも乗り出しています。
憲法に具体的な数字が書き込まれておらず、準備すべき防衛装備に幅があるからといって何でもやっていいわけではない。
少なくとも、GDP比率に代わる新しい財政規律のルールを考えておくべきでしょう。武器輸出についても、内閣の裁量で変えられる政令から格上げして法律化し、対象国や対象品目を国会で決めるルールに変えるなどの対応は考えるべきでした。
また、近年の防衛政策は「経済安全保障」「デュアルユース(軍民両用)」といったキーワードに見られるように、防衛省・自衛隊だけでなく、企業活動や学術活動、SNSの通信など、様々な生活領域を防衛政策に巻き込んでいく特徴があります。ここでは、営業の自由や学問の自由、刑事訴訟における適正な手続きがおろそかにされる危険があります。実際、大川原工業の経済安
・女性幹部が「あんたのアジア妻はこんな“大砲”なんて持ってないでしょ?」と言いながら突然オフィスで胸を 露出し誘惑してきた
・さらに「あんたの運命は私が握ってる。あんたが私を今夜メチャメチャにしないなら、あなたのキャリアは終わりよ」と言われた
実際↓
経緯は以下
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米大手金融機関JPモルガン・チェースで、匿名の男性「ジョン・ドゥ」が女性上司から性的暴行を受けたと告発
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報酬を交換条件に性的行為を強要、薬物を混入された上で性交されたと主張
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しかし女性は別のチームにおり、男性の報酬に対する一切の権限を持っていなかった
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通話やメールの記録照会などの調査からは根拠となるものが何一つ見つからなかった
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社内聞き取り調査では同僚が男性に対し「社交性に問題があるが、一定の能力要件を満たしている人物」と述べた
一方、女性は「トップクラスの業績をあげる人材」と見なされていた
※ 余談だが、告発された女性は仕事の合間をぬって恵まれない若者の大学進学を支援する非営利団体「Minds Matter」にて精力的にボランティア活動している
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多くの社員が調査に協力する中、男性自身は一切協力せず、主張の核心となる根拠の提出も拒否
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男性は訴訟以前に穏便に済ませる条件として数百万ドルの退職金を要求していたことが判明
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しかし、すでにデイリー・メール紙が撤回された裁判資料を報じてしまい、Twitter上で騒ぎが拡散してしまった
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どんなにアドレス帳メールのみの受信設定にしても、ドメイン拒否しても、PCからのメールをブロックしても、受信する仕様になっている。
迷惑メールフォルダに受信すること自体が誤った運用にも関わらず、全ユーザーの端末に迷惑メールを受信する仕様に変更したドコモ。
ク◯仕様に改悪した理由→銀行等の重要メールが迷惑メールとして受信されないユーザーがおり、奴らが迷惑メールを受信したいと希望出した結果らしい。
いや、普通に銀行やネットサービスはメアド登録時に「このドメインを受信するよう設定してください」って注意書き表示してるし。それをやらずにメール受信しないの完全に自己責任でしかない。
こんなことすらできない奴らのせいで、大量の迷惑メールがブロックできない仕様に改悪された。
サポセンが言うには迷惑メール受信の仕様に迷惑していることを大勢のユーザーから直接連絡がきたら、改善される可能性があるかもしれないらしい。ただし早急対応は約束はできないとのこと。ク◯かよ。
あとはみんな頼む。
作文の先生として、ご提示いただいた文章(はてな匿名ダイアリーのエントリ)を採点・添削させていただきます。
この文章は、いわゆる「増田(匿名ダイアリーの投稿者)」らしい、感情のほとばしる独白形式ですね。日記やSNSの投稿としては臨場感がありますが、「作文」という観点で見ると改善の余地が多くあります。
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### 【採点】**52点 / 100点**
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1. **一文を短く区切る**:
冒頭の文が非常に長く、読者が途中で息切れしてしまいます。句点(。)を適切に打ちましょう。
2. **主語と述語を明確にする**:
「知らない人いるし……行かないってなんなんだよお前」の部分は、奥さんの台詞と投稿者の心の声が混ざっています。カギカッコを使うか、地の文として整理すると読みやすくなります。
3. **状況説明の補足**:
「その日はばあばと潮干狩りだからとか俺前々から誘ってたじゃん」という一文は、「妻の言い訳」と「夫の反論」が繋がってしまっており、論理が飛躍しています。
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### 【添削例】
より読者に状況と感情が伝わりやすくなるよう、構成を整理した「清書案」です。
小学校時代からの親友たちとバーベキューをすることになった。子供たちも集まるので「家族で行こう」と妻を誘ったのだが、彼女は拒否した。「知らない人もいるし、他に家族で来る人がいないなら、今後そういう集まりには行かない」と言うのだ。一体どういうつもりなんだろうか。
「その日は(自分の母親である)ばあばと潮干狩りに行くから」とも言っていたが、バーベキューの件は俺の方がずっと前から誘っていたはずだ。友人たちからも「奥さんと子供に会えるのを楽しみにしてるよ」と言われていたのに。
もちろん、俺のエゴを押しつけている部分も少なからずあるだろう。しかし、それでも人との繋がりは大切だと思うし、自分の知らない世界や価値観を持つ人と出会う楽しさを、なぜ分かってくれないのか。
悔しさや怒りを通り越して、今はただ呆れている。そういう人なのだと、諦めるしかないのだろう。彼女を選んだのは自分自身だ。
今後、こうした行事がある時は子供と二人だけで出かけようと思う。申し訳ないが、もうこれ以上歩み寄るのは無理だ。
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文章から、あなたが大切にしている「人との繋がり」や「新しい価値観への期待」が、最愛のパートナーに共有されない寂しさが強く伝わってきました。
感情が高ぶっている時ほど、あえて「一文を短く」してみてください。短い文を積み重ねることで、あなたの「決意」や「冷めた感情」がより鋭く読者に突き刺さるようになります。
また、読者はあなたの家庭の事情(「ばあば」が誰を指すかなど)を完全には知らないので、少しだけ説明を加えると、より多くの人の共感を得られる「読ませる文章」になりますよ。