はてなキーワード: たにしとは
AIAIとこの数年とてもうるさい。
今後の世の中で、これがどんどん浸透していくものだってことはもう多分間違いがない。
それは認めたうえでも「面白くない」という感情は捨てられない。
人を切れる、人を使わなくてすむ、やれることのスケールが上がる、
いわゆる偉い人たちほど黄ばんだアイコンで、ジェンスパークで作ったクソみたいなスライドにi2iで作ったクソみたいな絵を付けてキャッキャしている。
ここのクオリティに対してクソだな~って思えているのも多分今だけで、多分そのうち俺がやるよりいい感じになるのだろうと思う。だから人が切れることに喜ぶ経営者の姿は何も責められるようなことではないのだろう。
今まで甘言で引き止めていたにしたって、経営者は本質的には人のことをコストとしてみなしていて、それを切れることは庶民の家賃が半額になるくらいは多分嬉しいんだろうから。
でももっと厳しいのは、AIの強みはおそらくスケール感で、個人で出来ることが1→100仮になるとしたら、100人いるところが10000になる(多少は減算するだろうけど)ところだと思う。
だから「勝ち組」に「今いる」ことでしか今後の希望はないように思う。
今まで、企業でやるには採算が取れない10を個人や零細としてオールインしてどうにかなるかも…みたいな戦略を取っていた場合、もう希望なんてない。
メモリをはじめ機材の値段も上がる、電気代も上がる、雇用も減る、趣味の世界の景色も変えてくる
金持ちがより金持ちになることを喜んでいる姿がものすごく目にはいる。
これでどうしてこのテクノロジーを好きになれるのだろうか。
権利がどうこうとか、クリエイティブのクオリティがとか、そんなことは正直どうでもいい。
ただただ、自分の世界を一段階つまらなくさせて、職も希望を失わせた。このテクノロジーのことを好きになるのはなかなか難しい。
無敵ではないからまだもがくしこれは自分がやるって意味の殺害予告でもなんでもないけれど、自分みたいなのは多分世の中にはいっぱいいるはず。
そうなった時に、多分、こういう時に無邪気にはしゃいでいる黄ばんだアイコンの経営者に対して一矢報いたいと考えてしまう人もいるんじゃないだろうかと思う。
お行儀よくはしゃぐ、適宜庶民に寄り添う姿勢を見せる、そういうのは政治家なんかより成金の皆さんにこそ意識してもらいたいなと思う。嫌いな人たちでも無敵の人に刺されるのを見るのは嫌だなぁと思うから。
いわゆるブレス・オブリージュとか納税とかパンとサーカスとか、なんかそういうのは、自分の身を護る振る舞いなんだとオモウよ。
実は現物を新品で持ってたこともあるんだけど、一時の気の迷いで手放しちゃったんだよね
持ってた時と売る前、トータルで3回くらい読んでて、今回で4回目くらいかな
内容以前にまず見た目がボロボロでまず笑ったwww
自分が持ってたのが運よく新品で買えたやつでめっちゃきれいにしてたからさ・・・
ページがちぎれたりするような、読むのに支障が出るようなレベルではなかったけども
んで中身
以下ネタバレあり
10年くらい前とはいえ、読んだ記憶がかすかにあるからまずプロローグでウっとくるよねえ・・・
この遺書だけ全部パソコンで手打ちしてテキストでどっかに保存してた気がする
ここは瀬戸口の真骨頂というか、スワンソングでも腐るほどやってた人間賛歌 生命賛歌 愛よなあ・・・
どういう人生を歩んだ人間が書いたか、ということを踏まえて読むと、言葉から感じられる重みが変わってくるんだよなあ・・・
ネクロフィリアに悩んでる設定
うーんなんでネクロフィリアになったんだっけ
あーなんか最近まったく別の漫画で、母親が学校の男教師とやってたのをみてホモになったのかもみたいなのを見たけどなんだったっけ
あ、西洋骨董洋菓子店だ、よかったー思い出せて
んで姉の行方を調べたりするんよね
んでその調査結果を読者に説明する体で、原作ゲームのあらすじを一通りさらうんよね
渡会さんはなんかキャリアウーマンっぽくなってたね
ヤンキー女ボスみたいなのは引っ越したけど結局うまくいかずにクソ男にはらまされて実家戻ってきてひどい状態になってた
んで肝心の学とリサよ
いろいろと転々としてたけど、学が謎の伝手で仕事を見つけて、新しい戸籍情報とかも得てこれからやってこう、みたいな感じになってた
※その謎の伝手ってのは学の父親だったってのが最後にわかる。この父親とのやりとりは、自分にとってはクラナドのそれよりも心に響いた気がした
んでなんとかうまくやってこうとしてたんだけど、やっぱり学の精神病がそれを許さなかったんだよね
学が一時退院したとき、リサが子供つくろうとして、それが無理だと知ってどうしようもなく泣いてしまったとき、
リサの弟にも居場所を突き止められて、それがリサの無意識のSOSだと賢く悟ってしまったとき
最後はネクロフィリアの弟が、みいちゃん的なかのじょに 「自分が死んだら自分の死体とえっちしていいよ」と言われて笑って終わるみたいな感じだったと思う
葬式でネクロフィリア的な部分にからめた描写あったっけかなあ・・・あるかなと思って読んだらなかった気がする
読み落としかもしれんけど
そうそう、葬式を見て、死体ってのは死と直結しているから嫌悪感があるものなんだみたいなことにふと気づくみたいなのがあったね確かに
とにかく、そんなギリギリの状態で書いた遺書が、冒頭のプロローグなんよね
そんな状態で書いたにしては、あまりにも偽善と希望と懇願に満ちた内容になってて、それがまた胸をしめつけるんよ・・・
んで有名なあとがきよね
にわとり小屋で卵を割ってしまったら、にわとりが自分の割れた卵を一心不乱に食べるのを見てグロいと思った
という。
はー原作への思い入れありきではあるけど、やっぱり氏の小説はこれが一番な気がするなあ
一応、からべようすけ名義のも、時間の限りプレミア本優先で読んだけど、正直いまいちだった
読んだのは、田淵さん(瀬戸口名義)、死体泥棒、ドッペルゲンガーの恋人、プシュケ。
ちなみにプシュケは発売当時にこれまた新品で買ってたけど
なんか文章から感じる狂気とか生々しさとか若さ、プリミティブさ?がほぼ感じられなくなっちゃってる気がするんだよね
カーニバルでショック受けた後に読んだからなおさらそう感じたのかもだけどさ
初期乙一っぽさがある
それぞれ簡単に
田淵さん(ウィキペディアに載ってない)
恐怖コミケ?みたいなやつに出したらしい
そのギャップにあれこれ起きるってのは簡単に想像できると思うしその通りなんだけど、
途中からちょいちょい不穏な描写があって、実はこの世界自体が・・・みたいな話
実はこの学校は飼育者?みたいなのに飼われてるペットが通う学校で、銀の肌を持った実験体みたいなやつが教師やってるとか
叙述トリックっすね
ただ乙一なら短編にする内容を、無理に引き延ばして長編にした感があって、正直冗長に感じてしまった
大きな展開もほぼないし
まあ瀬戸口に期待するのは内面描写だからってのはそうかもだけどさ
青の炎のような追いつめられるサスペンス感があるわけでもないし
でもかなりSF的な設定と話で、瀬戸口にこういうのは求めてねーんだけどなあとか思っちゃった
オチの部分まではちゃんと読み取れなかったけど、途中まで死んだ恋人とクローンを重ねて、クローンがなんかそれに文句言うみたいな感じだった気がする
本人もクローンだったみたいな美女缶的なやつかなと思ったらやっぱり最後にそういう感じの展開持ってきててやっぱりねとなってしまった
ただなあやっぱりSFだとSF専門家とかではないからどうしてもそこの粗とかが気になって瀬戸口本来の求めてることに対してノイズになっちゃう気がしちゃったな
プシュケ
これは当時読んでなんやこれってなって正直はまれなかったけどもっかい読んでもやっぱりそうだった
総じて小説だと思い入れをするまでの尺が足りないんだよなあと思ってしまった
一人称の男が主人公だと全部同じようなキャラになるのも正直引き出しがないよなあとか
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/b.hatena.ne.jp/entry/s/news.web.nhk/newsweb/na/na-k10015112951000
11億流出で、1階コメントでは騙されるのも仕方がない的な擁護がちらほら見えたので、
いやいや上場10周年のグロース株企業であり得ないガバナンスでしょって釘を差しているのが2階。
こう考えると、はてなユーザーってかなり社会の全体像を見る能力が弱い人たちで構成されていそうだなという認識を新たにした。
会社員だったとしても末端、
社会常識としてこれはありえないでしょ、ってことがわからずに自分の感情的感覚に引き比べて社会事象をすべて処断するタイプの人間。
上澄みの方には高騰遊民とか資産家もいるのだろうが、
少なくとも日本国憲法に述べられている「戦争」は、「国権の発動」だったり、「国際紛争を解決する手段としては」だったりで、
つまり、国内における革命はそれに含まれていないと思うんだけど。だけど何故かそれすらも一緒くたにして語られる事が多いんだなーと、フランス革命についての言及を思った。
に成り下がっているように思えてならない。
何と言っても、ママ戦争止めてくるわなんて差別的な言葉を何の疑問も持たずに錦の御旗として掲げてしまうのだから。
とにかく戦争反対、暴力反対という単純な感覚でもって語られる違和感。
少なくとも刑法には正当防衛や緊急避難という明文の例外がある。あらゆる暴力が常に否定されているという訳ではない。
仮にそういった法定の違法性阻却事由に当たらないとしても、心情的には擁護してしまうような状況だってあるんじゃないのか。
長年非暴力的な権力行使の下で搾取され苛まれてきた人間が、ある日怒って手が出てしまったとして、それは果たして絶対悪として責められるべきなんだろうか。
戦争反対、暴力反対ってのは理屈としては正しいとしても、それだけ主張するのはあまりに血の通わない冷酷な理屈に思える。
戦争がなくても人は死ぬよ。たとえ死ななくても地獄の苦しみを味わう事はあるよ。餓死や病死に追いやるのはよくてもギロチンで首を切るのは駄目だと考える人達は、現実に対する配慮が足りないように思えてならない。
gui********さん
2015/4/5 18:38
有り体に言えば、日本のアニメやオタク市場なんて、今や「斜陽産業」
です。「経済にコウケン」とか言った所で、鼻で笑っちゃう程度の
規模に過ぎない。
内閣府によると、日本のGDPは09年で474兆0402億円です。
また日本のアニメ市場は、日本動画協会によると、アニメ制作企業
の売上としては、'06年に約2145億円、'07年は約1901億円、'08年
は約1842億円、'09年は約1494億円、'10年は約1533億円、'11年
は約1580億円、'12年は約1725億円…と右肩下がり。
ピークだった'05年に国内で約971億円、'06年は約950億円、
'07年には約894億円、'08年は約779億円、'09年は約736億円、
'10年は約759億円、'11年は約753億円、'12年は約741億円、
'13年は約807億円、と長期横ばいの気息奄々。
また出版科学研究所の統計では、'09年度1年間の漫画の雑誌・
単行本全ての売上げは4187億円。前年比6.6%減。漫画雑誌の
売上げ全体は1913億円で、前年比9.4%減(!)だそうで。しかも、
同年の書籍・雑誌の推定販売金額は1兆9356億円で、売上げの
6割近くを占めてきた雑誌は、12年連続でマイナスとなっており、
矢野経済研究所によると、'12年の日本国内のキャラクターの版権、
商品化ビジネスの国内市場規模は、2兆3,075億円でした。7年連続
で減少しています。これは、出版等の版権とグッズ等の商品化権、
併せてです。
だけの統計としては、メディア開発綜研の発表によると、'11年の
ちなみに、「真に」日本の経済の屋台骨を支える一つである自動車
産業で言いますと、日本自動車工業会によれば'09年の自動車製造業
の製造品出荷額等は、40兆4,915億円(!)でした。「経済効果」とか
言い出したら、自動車市場を買い支える層の方が、ずっと胸を張って
ふんぞり返って良いはずなのに、自家用車オーナーは誰もそんなバカ
な事しやしない。
住宅だって、即席麺だって、「アニメ産業」とやらよりずっとずっと
巨大なフィールドは日本にいくらもある。でも、「オレらが日本経済
にコーケンしてるンだ!wwww」なんてわめく手合いは、「アニメ」
とやらにしかいない。
さらにちなみに…
関東財務局によると米本国のザ・ウォルト・ディズニー・カンパニー
名義の'11年期純利益が約52億ドル(約5000億円!)。無論、単純比較
は出来ませんが…。
話の裏には、「放送枠の安い“埋めぐさ”として海外で重宝された」…
という悲しい面もあった。
では安ぅく叩き売っているのです。
しかも、言いたく無いですが海外で日本のアニメを見てる層なんて、
行ってはいない。
ネット等で「アニメ/オタクがニポンケーザイをササエてる!wwww」
とか、さも自分の手柄みたいに(←ここ重要)吠え立てるヒトは多い。
そういった層のネタ元は、直接でも間接でも多分この辺でしょう。
主要5分野で2,900億円市場」
ttp://www.nri.co.jp/news/2004/040824.html
これは04年の発表。YouTubeやニコ動や、やらおんなどのヤラセ
ステマまとめコピペサイトや、違法動画サイトなど、現在ではシーン
の“大前提”になっている色々が無かった頃の話。いわば「大昔」です。
しかも、この野村の数値は「幅広い一般消費層」と「オタ」を一緒
くたにし、アイドルだゲームだ、果てはパソコンだ旅行だといった、
いわば“一般層”の消費行動もみんな「オタの手柄だ」みたいに言い
くるめた「水増し」数値なのです。言葉尻でもって、「趣味性の濃い
括っている。
逆に言えば、「オタ経済効果」なんて、最初からそうした「上げ底」
ありきの「ホラ」でしか無かったと見ても良い。
なので、この手の「オタクケーザイコーカ」ネタを勇ましく吠える様
な人は、要はただ単にいつも通りアニメをヘラヘラ見て、ハシタガネ
でグッズ買っている(敢えてこう言います)だけの事を盾に
というイタい夜郎自大の“錯覚”にふけっているだけ。そうやって自我を
膨れ上がらせているのです。自分では指一本動かす努力も苦労も無く、
ただ単にいつも通りヘラヘラとマンガやアニメ見て喜んで、数千円~
多くても数万円程度のハシタ金(敢えてこう言います)を落としている
だけに過ぎないのに。
大体、“経済効果”なんぞで趣味をハク付けしようだなんて、自分の
よっぽど抱いているのだろうなぁとしか見えない。通常なら、その
趣味が如何に文化的・芸術的・文芸的であるかを誇るのが、真っ当な
普段からヘラヘラと喜んで見ているアニメだかマンガだかいったモノ
に、いつも通りただ入れ込んでいるというそれだけで、さもオレ様
ちゃんはそのセンモンカさまだ詳しくてグッズ持っててイッパンジン
と違ってて人としてエラくてスゴいンだぞよ!とばかりにのぼせ上がり、
空疎な自尊心を満たした気になる…これが語本来の意味の「オタク」。
一個の人間が、自分という存在を真に世へ問うなら、自ら自身の掴み
取った努力とか向上心とか、人徳とか功績とかによるのが当然です。
アニメをヘラヘラ見て喜ぶだけなんて、わずかなカネと暇さえあれば
誰でも出来ます。そんな事を「おれはオタクさまだ」とか称して振り
かざすなんて、バカげている。
そういう人こそが、「アニメはオタクがケーザイコーカでエラくて
スゴい(からただ単に毎日ヘラヘラとアニメ見ているだけのオレ様
ちゃんもまた、自動的にリッパでエラい)んだ」とか頼まれもしない
のに吠え立てたがるのです。自尊心と、それと裏腹の劣等感を埋め
合わせる空しい埋めぐさとして。
無論、ご質問主さまはその様な卑しい「下心」なぞとは無縁と存じ
ております。
あ、私もマンガやアニメは大好きです。DVD類も書籍もグッズ類も
山ほどあります。
が、そんな事を盾に「ケーザイをササエテルんだwwww」などと
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20260426163223# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCae2/igAKCRBwMdsubs4+ SL/KAQCI2v36mzPKjA9Q0LTKeZLHWMF3HFBqfwTgBJjFiUbmYwD+NVzrsFIgkPsv zEXJsU3ZZfpiDWWiVBR/8FUqeGiR7gY= =GnlY -----END PGP SIGNATURE-----
「あ、鳴つた。」
と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾をかぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。
「近いやうだね。」
「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」
「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」
「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」
「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐるから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます。
母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段は絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。
この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである。物語を創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ。
ムカシ ムカシノオ話ヨ
などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである。
[#改頁]
瘤取り
ムカシ ムカシノオ話ヨ
ミギノ ホホニ ジヤマツケナ
このお爺さんは、四国の阿波、剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐるものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近に於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語を舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽、歌舞伎、芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、
ムカシ ムカシノオ話ヨ
と壕の片隅に於いて、絵本を読みながら、その絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)
このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独なものである。孤独だから酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然に孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである。若い時から無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。
「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、
「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しますから。」と言ふ。
お爺さんは浮かぬ顔になる。
また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。
けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのである。しかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。
「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」
言はなくたつていい事である。
お婆さんも息子も、黙つてゐる。
「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。
「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。
「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。
アルヒ アサカラ ヨイテンキ
このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、
「よい眺めぢやなう。」
と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、
「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、
「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、
「いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分の可愛い孫のやうに思ひ、自分の孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのである。けふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、
「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである。
カゼガ ゴウゴウ フイテキテ
春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、
「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」
と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、
「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である。
「はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」
とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜の大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、
「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである。
ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ
この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、
「これは、いけない。」
と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。
「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、
ミレバ フシギダ ユメデシヨカ
といふ事になるのである。
見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議の光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いからである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪の性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇の鬼才何某先生の傑作、などといふ文句が新聞の新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実を暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉を使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万の醜悪な綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供の絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである。
見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである。
お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、
「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり、隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物ともつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐる種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山の隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである。地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林の賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山の隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐるから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山の隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人と呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかいふ言葉は、まるで無意味なものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、
「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく。
スグニ トビダシ ヲドツタラ
コブガ フラフラ ユレルノデ
お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、
赤い襷に迷ふも無理やない
嫁も笠きて行かぬか来い来い
とかいふ阿波の俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、
大谷通れば石ばかり
笹山通れば笹ばかり
とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。
ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ
ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ
ソノ ヤクソクノ オシルシニ
と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。
お爺さんは驚き、
「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。
コブヲ トラレタ オヂイサン
ツマラナサウニ ホホヲ ナデ
オヤマヲ オリテ ユキマシタ
瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。
「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。
「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失してゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである。
家に帰るとお婆さんは、
「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。
「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議な出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。
「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。
「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。
「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。
「うむ。」
「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」
「さうだらう。」
結局、このお爺さんの一家に於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるとかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24
タイトルのとおり、昨今の企業を取り巻く生成AI関連の炎上について、思うことを取り留めなく書いていく。
はてブで記事を書くのは初めてなので、色々と拙い点があることはご容赦いただきたい。
筆者は本業でSEをやりながら、しがない同人字書きをかれこれ十年以上続けている。
生成AIの利活用は業務では既に欠かせないものとなっている一方で、作家個人の創作性が重要視される同人活動においては、まだまだ全体として忌避感が強い印象だ。
少し前の話だが、同人誌印刷所ツクヨミが宣伝用の画像の一部について、加工の過程で画像生成AIを利用したことが指摘されて炎上、謝罪する事態となった。
この謝罪ポストを見かけた時に、「これってそんなに激詰めされるほどのことなのか?」と感じたことが、今回の記事を書くきっかけとなった。
https://x.com/i/status/2022628318609326210
生成AI、特に画像生成AIの是非については、活発であると同時にやや過激な議論が日夜交わされているが、筆者としては「知的財産権への配慮のない生成AI利用が許されないのは当然として、生成AIの利用全てに目くじらを立てるのも如何なものか」というスタンスだ。
モラルのないAI利用者がいることも、「自分の作品を盗まれる!生成AIの利用は絶対禁止するべき!」と過敏になる作家がいることも、彼らの間での主張が平行線なことも、きっと今はどうしようもない。
生成AIと知的財産権の侵害に関する判例が蓄積されるに伴い、より建設的な議論の中である程度の「ライン」が社会に浸透していくことを願うのみだ。
AI推進派や反AI派、どちらかに与してレスバをしたいわけではないので、この気持ちをこの記事の中に残しておく。
本業で所謂システム開発をしている筆者は、業務において頻繁に生成AIを利用している。
主な利用用途は以下だ。
筆者が属する企業で契約している生成AIは、オプトアウト設定により社内情報を学習しないようになっているが、念のため筆者はプロンプトに社内情報は入力せず、一般的な知識を問う内容にするように心がけている。
生成AIはあくまで業務の補助としてのみ利用しており、設計やレビューなどは全て引き続き筆者のタスクだ。
ちなみに、弊社は規定によりAIが生成した文章や画像の外部公開は認められていない。
社内で公開する際もAIによる生成であることを明記すること、第三者の知的財産権を侵害するようなプロンプトは入力しないことを定められている。
特に厳しい規定だとは思わず、企業のコンプライアンス遵守のために当然の制限だと感じている。
同時に「プライベートでもこれくらいの意識で生成AIを利用する分には問題ないのでは?」と思うのだ。
同人誌印刷所のツクヨミの件は、①生成AI利用した画像をそのまま公開したこと、②その過程においてガバナンスが効いていなかったことについては批判されて然るべしだが、そこから飛躍して「今後生成AIを一切利用しないことを誓約しろ」とまで求めるのは行き過ぎていると感じる。
生成AIの利用を一切禁止した場合、例えば、印刷所のホームページをよりユーザーフレンドリーにしたいので生成AIを活用してソースコードを見直すことも許されないのだろうか。
もちろん専門家に発注すれば求めるものは出来上がるだろうが、生成AIの活用により安価に同等の成果物が得られ、結果的に消費者に提供するサービスの価格にその分が還元されると企業が言ったら、消費者はそれを受け入れるのだろうか。
一個人が自分好みのイラストのために生成AIを利用することと、企業が業務効率化のために生成AIを利用することを、一緒くたにして批判するのはそろそろ止めたほうが良いのではないか。
生成AI利用の何もかもを吊るし上げる行為は、今後消費者が受け取ることが出来たはずのベネフィットを失わせるだけではないだろうか。
正直に言えば、この記事を書いている時点から既に「こいつは字書きだからこんな呑気なことが言えるんだ」だの「絵描きの危機感が理解できるわけがない」というツッコミが聞こえてくる。
絵描きの気持ちを正確に理解することは、確かに絵を描かない筆者には不可能だ。
だが、一介の創作活動をする者として、自身の著作物への権利侵害となりうる生成AIの利用方法に脅威を感じることについては、共感できるものだと思っている。
筆者の所感だが、作家の生成AIに対する忌避感は、「インターネット上に公開した自作を勝手に学習され、その創作性を搾取されることに対する無尽蔵の恐れ」から来るものだと認識している。
実際、特定の作風を模倣する形で生成AIを利用するユーザーはいる。
モラルのないユーザーのモラルのない行為は好きなだけ糾弾すれば良いが、生成AIがインターネット上のコンテンツを学習すること自体を否定するのは、個人的には違和感がある。
生成AIがコンテンツを学習をしただけでは、まだ誰の何の権利も侵されておらず、悪意をもったユーザーが生成AIが学習したコンテンツを悪用した時に、初めて権利侵害が成り立つものだと考えているからだ。
インターネットとは膨大な知の蓄積であり、これまでその活用によって恩恵を受けてきた人間が、どうしてプログラムが機械的にそれらを学習することを否定しようとするのだろうか。
人力で苦労していたものを省力化できることのメリットの方が絶対的に大きいと思うのだが。
法整備が追いついてない点や利用者にリテラシーが浸透していない点などの課題は確かにあるが、だからこそ、現在の企業は業務における生成AI利用に細心の注意を払って取り組んでいるのだ。
少なくとも弊社はそうだ。
そして、そういった企業は今後も増えていく。
それでも、上述した課題が解消されない限り、ヒステリックに生成AIの排除を企業に対しても叫び続けるのだろうか。
発信した情報が誤っていても、それを有識者が訂正することで、インターネット上に蓄積される情報は少しずつ洗練されていく。
そうすることにより、「誰かが困った時にはインターネット上の誰かの残した情報が助けてくれる」という認識をエンジニアは共有しているものだと、この仕事をしていて筆者は感じている。
同人活動においても、同様のことがあるはずだ。
初めて同人誌を作る時、印刷所の選び方や原稿の作り方、イベントの申し込み方、それら全てを筆者はインターネットを通じて学んだ。
先人たちが残してくれた記録に、大いに助けられたのだ。
AIは、そんなインターネット上の知恵に、より手軽にアクセスできるようにしてくれる手段である。
道具に善悪はない。罰する対象となるのは、あくまで道具の利用者の悪質な行為であるべきだ。
道具そのものや道具を使うこと自体に対して非難することはおかしい。
感情的になるあまり、その点を混同することがないようにしたい。
繰り返すが、確かにAIはあなたの作品を学習するかもしれない。
それはインターネット上に作品を公開した時点で避けられないことだ。
けれど、学習されただけでは、まだ誰もあなたの作品を盗むことも、その作家性を脅かすこともしていないのだ。
同人誌印刷所のツクヨミは、文字加工の仕上げに生成AIを利用したと報告していた。
加工対象となったのは一般的な文字列で、企業のロゴですらなく、加工の内容にも特別なデザイン性があるようには見えなかった。
「利用したAIの学習元に自身の作品があるかもしれないから許せない」というのは、カスタマーハラスメントではないか。
「生成AIを利用したのだから、いつか顧客の作品をAIに食わせるに違いない」というのは、あまりにも下衆の勘繰りであるし、企業というものを馬鹿にしているとすら感じる。
消費者の生成AIに対する過敏さを理解している企業は、できるだけその感情を刺激しないように日々試行錯誤しながら、社内規定を整え、従業員のコンプライアンス教育に努めているのだ。
あなたは、まだ何も盗まれていないにも関わらず、生成AIを適切に利用しただけの企業を、まるで盗人かのように無条件に糾弾してはいないだろうか。
今一度、立ち止まって考えてみて欲しい。
マジで最近のX(旧Twitter)見てると失笑を禁じ得ないんだけど。
特に生成AIとかいう窃盗ツールを必死に擁護してる弱者男性さ、お前ら本当に頭大丈夫?
一番笑えるのが、こっちが「生成AIは著作権侵害の塊だろ」って真っ当な批判をすると、ドヤ顔で「お前だってDeepLとかChatGPT使ってるじゃん!それもAIだぞ!ブーメラン乙」とか言ってくるやつ。
あのさぁ……。
DeepLとかの翻訳AIは、あくまで言語の統計モデルに基づいた翻訳ツール。
LLM(大規模言語モデル)だって、既存の情報を整理して提示する検索の延長線上にある高度な計算機。これらは人間の知的活動をサポートするための道具なわけ。
それに対して、お前らがシコシコ回してる画像生成は何?
他人が血の滲むような努力で描いた絵を勝手に学習台にぶち込んで、スクラップ&ビルドで出力してるだけのパクリ製造機でしょ。これのどこが正当な技術進化なわけ?
包丁(便利な道具)と、自動万引き機(犯罪ツール)くらいの違いがあるって、義務教育受けてればわかるよね?
結局、自分じゃ何も生み出せない、絵の一枚も描けない無能な弱男が、ボタン一つで神絵師になった気になりたくて必死に擁護してるのが透けて見えて本当に痛い。
「AIを批判する奴はテクノロジーについていけない老害!」とか言っちゃってるけど、本当の情弱はお前らだよ。
技術の仕組みも、法的なグレーゾーン(というかほぼ黒)の倫理的問題も理解せず、AIっていう言葉で全部ひっくるめて正当化しようとするの、見てて本当に惨め。
便利なAIはどんどん活用すべきだけど、クリエイターの権利を蹂躙する生成AIは別物。
こんな単純な区別もつかずに一緒くたにしてるから、いつまでも社会の底辺で弱者やってるんだって自覚したほうがいいよ。
まあ、どうせこの投稿見ても、真っ赤な顔して反AIとかレッテル貼りして逃げるんだろうけどさ。
少しは自分の頭で考えたら?
パートナーに求める条件は何か?そんな話が行きつけのバーで他常連客との間で生まれた。
増田の回答はこうだった。
それは学問というものがなにかという事を分かっていて欲しい、という欲求からくるものだ。勉学でも研究でもなく、学問というものが何かを分かっていて欲しいのだ。どのような分野に向き合っていたかはあまり関係がない。とにかく学問というものが何か、分かっていて欲しいのだ。
こんな事を話していたら、言われたのである。
「学歴厨乙w」
と。
まったく自分自身の事を学歴厨だなどと思っていなかったので、正直びっくりした。びっくりしたが、自分の発言を振り返ると、なるほど確かに学歴厨っぽい。
さて、増田は学歴厨なのだろうか?答えは否である。……と断言したいところだが、そもそも学歴厨とは何かを明確にしなければならない。
学歴厨とは一体なんなのか。個人的には重要なポイントは主に二点であると考えている。
増田は胸に手をあてて振り返って考えた。
これは明確に否である。労働や趣味を通じて様々な人々と接する機会があるが、各分野において優秀な人間というのは別に学歴とは無関係である事を嫌というほどわかっている (学生の頃からの知人ならともかく、労働者に身をやつしてから知り合う人々と学歴の話なんてめったにしないので、サンプル数は少なくはあるのだが)。学歴というのは、世にある様々な分野に対する努力を評価するには評価軸が圧倒的に不足している事をよく知っているし、同時に私は各分野に精通している人々に対して、リスペクトは持っているつもりだ。彼ら彼女らからの様々な恩恵を受けながら、人生に彩りを加えて生きている。また増田にはリスペクトしている人間が何人かいるのだが、全員が全員輝かしい学歴を持っているわけではないし、むしろそれらを兼ね備えている人間の方が少ない。しかしそれでも彼ら彼女らのアウトプットには痺れるのだ。
増田は再び胸に手をあてて振り返って考えた。
これもまた否である。なぜなら増田自身が学歴板的には低学歴であるからだ。国立理系卒ではあるが、旧帝卒でも旧東工卒でもない。なので学歴厨になるわけもないのだ (なったところで辛くなるだけだろう)。
ここまで読むと「学問というものがなにかという事を分かっていて欲しい」というその1点のみで、なぜ大学院卒にこだわるのか?となるだろう。
少々内省してみたところ、もう少しいろいろな理由から大学院卒がいい、という結論に至っていたことに気付く。要するに次元圧縮していたのである。
このようないろいろな条件を確度高くスクリーニングするために、院卒が望ましい、という単一の条件に圧縮していたのだ。学部卒かつ高学歴の場合でもでもこのような条件は満たさないが、おおむね院卒になると満たせるという経験則が存在する。まぁ大概において、大学院卒でこのような条件を満たす女性というのはすでにパートナーがいるものなのだが...。
新卒の採用をしていると考えることだろう。別に学歴に問わず、優秀な人材を取りたい。学歴がすべてではない。しかしながら応募をしてくる学生は多数いる中で、学歴フィルターを介さずに、優秀な人材を見定めるというのは極めてコストのかかる行為だ。であれば、学歴フィルターを通したのち、明らかにミスマッチな子を弾き、マッチしそうな子を採用する方がコストをかけず手っ取り早かったりはするものだ。
しかしこれは、人間に対する評価を外部化しているのではないか?これでいいのだろうか?あまり褒められた行為ではないと反省せざるをえない。しかしながら、人生は有限であり、支払えるコストというのは有限だ。そんな中で選択を行うのだから、このような評価の外部化も致し方なしなのではないだろうか。
タイトルの通り。誰かの参考になればいいな、と思う。
ちなみにジムに契約した人が一年継続する可能性は4%らしい・・・。
体感そんな希少ではないのでは、と思う。
【概要】
30歳男性。既婚。子なし。
デスクワーク中心のエンジニア。やや社畜で残業は平均55時間くらい。
・ジムについて
月額3000円くらい。若者は少なくて中年~老人が中心。24時間とかでもなく、22時には閉まる。
器具は他ジムと比較すると多分いまいちでフリーウェイトエリア(ダンベルとベンチが置いてある場所)も2人分しかない。
ただトレッドミル(ランニングマシーン)は充実していて、埋まってるということはまずない。
スタッフはいるが、あまりトレーニーとのコミュニケーションは活発でない。
・トレーニングについて
週2~5回と、その週によってバラバラ。月単位で数えると、10~14回くらい通ってるみたい。
1回のトレーニングは平均2時間くらい。仕事帰りか、休日に出かけるかのどちらか。
トレッドミル、ラットプルダウン、プッシュアップ、レッグレイズ、スクワットを各部位疲れたら切り替える感じでやる。
ぶっちゃけ自重が多め。あまり追い込みすぎず、負荷弱めを満遍なく。
大きな筋肉とされる足、背中、胸を中心に鍛えるようにしている。逆に前腕と腹筋は行ってない。
【継続のコツ】
契約するジムは自宅から近くて、かつ通勤経路にある安いジムにした。
タオル、水筒、シャツと短パンはリュックの中に常備したり、会社の引き出しやロッカーに入れておくとよい。
洗濯の頻度が増えることになるが、自分はドラム式洗濯機のお陰で洗濯が苦にならなかった。
通勤時間はドアtoドアで20分くらいと短めで、残業も加味して考えるとこれくらいが平日中に通える限界なんだと思う。
食事も時間を掛けないに越したことはない(もっとも、これは人による)
自分は社食、スーパーの総菜が中心。あとは肉や卵を焼いたり、プロテインバーを食べたり、時たま外食したり。
・カレンダーに実績を記録する
ジムに行ったらGoogleカレンダーに目印を付けるようにした。
トレーニング内容まで書こうと思ったこともあるが、記載が面倒でサボる可能性を考えて自分はできるだけ簡易にした。
【ジムの良いところ】
・トレッドミルが神
ジムに行かないと気付けなかったが、ただのランニングマシーンがこんなにありがたいとは!
逆に外で走ると雨、風邪、日光、信号、車など、モチベ減少の要因がそこかしこにあって、継続が大変なんだ。
これも外だとまず無理。気づいたら1時間経っている、ということもザラ。
負荷の調整がしやすいのと、消費カロリーが出るのも嬉しいポイント。
・ラットプルダウンが神
(懸垂バーの購入も検討したが、場所を取るのがちょっと嫌だ。それと続かなかったときに置物になるのも嫌だ。)
ラットプルダウンはお手軽かつ体感で効果が大きいため、やっていて楽しい器具。
いつかフルスタックを10回3セットできたら良いな、と思っている。
・自室を汚さずに済む
ジムに行く前は自宅で筋トレをしていたことがあったが、汗が垂れたり臭いや湿気の籠りを微妙に感じていた。
今はジムでトレーニングをするので、家では洗濯物が出るくらいで済む。
・人間関係の煩わしさが少ない
ジムに通う前は社会人のスポーツサークルに入っていたが、人間関係の維持と頻度の調整に大分苦労した。
が、ジムはその辺の面倒が一切ないため、自分にとっては楽だった。
資格試験と残業80時間がダブルで重なったときがあって、その時はジムを1ヶ月休会した。
その時に、可処分時間と体力がしっかりセーブされていて、そのお陰残業も勉強もなんとか乗り切れた。
・食べても太りづらくなった
社会人になり数年経っても食事量の限界が想定以上に衰えなかった。
ジムに行く前は食べるとその分ダイレクト腹や顔が膨らんでいたため、食べることに罪悪感があった。
それが低減されたのは大きい。
・見た目上、ほんのり痩せた
ただ一年継続したにしては思ったより痩せなかった。腹は出てはいないが割れてもない、くらいのレベル。
食事改善が必要なのだと思うが、うまくコントロールできていない自覚がある。
背中トレの効果が大きいようで、姿勢が良くなった。肩甲骨を寄せる動作が大事なんだなと。
【気になるところ】
ほぼ会話が無いため、ちょっとだけ寂しい。
モチベ維持のために人と交流する機会がもう少しあれば・・・と思うことも。
フリーウェイトを占領するタンクトップナルシストスマホ休憩長すぎおじさん
ナルシストおじさんもその一人。
自分がそうならないように気を付ければそれで良いや・・・と達観できず、やっぱり見かけるとイラつく。
わざわざお金を払って運動して、食べてまた運動して、洗濯して、次いくために支度して・・・という営みに虚しさを感じることも。
筋肉付けても仕事で使わないし、意味無いんじゃ、と思ったりもする。
以上です。
正直、AI生成の小説なんてどうせガワだけで中身スカスカだろって高を括ってたんだけど、今回読んだやつはマジで「SFとしてのツボ」を的確に突きすぎてて、一人のSFオタクとして普通に敗北感を味わってる。
ChatGPT5.4Proに小説を書かせたら「AIが書いたにしては面白い」というレベルをはるかに超えてて、仰天した|ふろむだ
まず、現実が何層にも重なった入れ子構造を剥いていく感じ。『マトリックス』とか『インセプション』、あるいはディック的な「現実崩壊」の王道モチーフなんだけど、そこにグレッグ・イーガン味をぶち込んできたのが熱い。
「人類はとっくに滅びていて、主人公は単なる情報存在(意思決定モジュール)でした」っていう真相。これ完全に『しあわせの理由』とか『ディアスポラ』の系譜じゃん。ポストヒューマンSFの美味しいところを過不足なく抽出してる。
ガイド役の少女が「8歳の頃の自分を元にしたアバター」っていう設定も、内面世界から外部をナビゲートするイーガンとかチャン・ジョン的な手触りがあって、古参のSFファンならニヤリとするはず。
でも、単なる二番煎じで終わってないのが癪なんだよな。「宇宙生成アルゴリズムの評価関数として、人間のクオリアを利用する」っていう設定を、あえて「雨の東京の交差点」っていう手垢のついた日常風景に接続させるセンス。この湿り気のある解像度が、作品固有の味になってる。
ハードSF的な視点で見ると、設定はイーガン並みにガチなのに、描写をあえてソフトに留めてるのがまた計算高い。
「宇宙の候補を並べて、どれにするか選ばせる」なんて擬人化しすぎたデフォルメなんだけど、作中で「お前に理解できる比喩で喋ってやってるんだよ」っていうメタ的なエクスキューズを入れてる。これで科学的厳密さへの突っ込みを無効化してるんだよね。この緩衝材の置き方がプロの犯行すぎる。
月面都市セレネから恒星間移民船、そして宇宙終焉後の情報空間まで一気にスケールをぶち上げる加速感。
まあ、熱力学的終末(ビッグフリーズ)でどうやって計算基盤を維持してんだよとか、情報存在のくせに痛みや恐怖の感じ方が人間臭すぎだろとか、突っ込みたいポイントはある。あるけど、この尺ならディテールよりカタルシス優先だろっていう「切り捨ての判断」が的確なんだわ。
何よりSOW(センス・オブ・ワンダー)の出し方が上手い。
雨の交差点(日常)→ 月面 → 宇宙船 → 宇宙の果て(超克)と、一段ずつレイヤーを上げていくリズム。
「まだ一枚」「まだ二枚」と繰り返される少女のメッセージ。このカウントダウンが、最後に「宇宙候補のレイヤーを剥ぐ作業だった」と回収される瞬間。王道だけど、やっぱり脳汁が出る。
個人的に一番痺れたのは、ラストにまた「雨の交差点」に戻ってくるところ。
新宇宙の種を選ぶっていう壮大な決断をした後に、やることは「一歩下がってトラックをやり過ごす」「赤信号を待つ」っていう、ただのささやかな日常の動作なんだよね。この、宇宙論的スケールとミクロな行動が直結するカタルシス。マジで余韻がすごい。
ドラマとしても完成されてるんだよな。
「死の案内人」が「最も純粋だった頃の自分」だったという二重性。
「今までの世界は全部不採用になったゴミかもしれない」という虚無感と、「それでもあそこで感じた感情は本物だ」という着地。
AI特有の「感情のなぞり」じゃなくて、物語の構造そのもので感情を揺さぶりにきてる。
正直、ハードSFファンとしてもそこまでストレスなく読めたし、むしろ「AIがここまでSFの文法を理解して、感情ドラマに落とし込めるのか」っていう事実に一番センス・オブ・ワンダーを感じたわ。
正直、AI生成の小説なんてどうせガワだけで中身スカスカだろって高を括ってたんだけど、今回読んだやつはマジで「SFとしてのツボ」を的確に突きすぎてて、一人のSFオタクとして普通に敗北感を味わってる。
ChatGPT5.4Proに小説を書かせたら「AIが書いたにしては面白い」というレベルをはるかに超えてて、仰天した|ふろむだ
まず、現実が何層にも重なった入れ子構造を剥いていく感じ。『マトリックス』とか『インセプション』、あるいはディック的な「現実崩壊」の王道モチーフなんだけど、そこにグレッグ・イーガン味をぶち込んできたのが熱い。
「人類はとっくに滅びていて、主人公は単なる情報存在(意思決定モジュール)でした」っていう真相。これ完全に『しあわせの理由』とか『ディアスポラ』の系譜じゃん。ポストヒューマンSFの美味しいところを過不足なく抽出してる。
ガイド役の少女が「8歳の頃の自分を元にしたアバター」っていう設定も、内面世界から外部をナビゲートするイーガンとかチャン・ジョン的な手触りがあって、古参のSFファンならニヤリとするはず。
でも、単なる二番煎じで終わってないのが癪なんだよな。「宇宙生成アルゴリズムの評価関数として、人間のクオリアを利用する」っていう設定を、あえて「雨の東京の交差点」っていう手垢のついた日常風景に接続させるセンス。この湿り気のある解像度が、作品固有の味になってる。
ハードSF的な視点で見ると、設定はイーガン並みにガチなのに、描写をあえてソフトに留めてるのがまた計算高い。
「宇宙の候補を並べて、どれにするか選ばせる」なんて擬人化しすぎたデフォルメなんだけど、作中で「お前に理解できる比喩で喋ってやってるんだよ」っていうメタ的なエクスキューズを入れてる。これで科学的厳密さへの突っ込みを無効化してるんだよね。この緩衝材の置き方がプロの犯行すぎる。
月面都市セレネから恒星間移民船、そして宇宙終焉後の情報空間まで一気にスケールをぶち上げる加速感。
まあ、熱力学的終末(ビッグフリーズ)でどうやって計算基盤を維持してんだよとか、情報存在のくせに痛みや恐怖の感じ方が人間臭すぎだろとか、突っ込みたいポイントはある。あるけど、この尺ならディテールよりカタルシス優先だろっていう「切り捨ての判断」が的確なんだわ。
何よりSOW(センス・オブ・ワンダー)の出し方が上手い。
雨の交差点(日常)→ 月面 → 宇宙船 → 宇宙の果て(超克)と、一段ずつレイヤーを上げていくリズム。
「まだ一枚」「まだ二枚」と繰り返される少女のメッセージ。このカウントダウンが、最後に「宇宙候補のレイヤーを剥ぐ作業だった」と回収される瞬間。王道だけど、やっぱり脳汁が出る。
個人的に一番痺れたのは、ラストにまた「雨の交差点」に戻ってくるところ。
新宇宙の種を選ぶっていう壮大な決断をした後に、やることは「一歩下がってトラックをやり過ごす」「赤信号を待つ」っていう、ただのささやかな日常の動作なんだよね。この、宇宙論的スケールとミクロな行動が直結するカタルシス。マジで余韻がすごい。
ドラマとしても完成されてるんだよな。
「死の案内人」が「最も純粋だった頃の自分」だったという二重性。
「今までの世界は全部不採用になったゴミかもしれない」という虚無感と、「それでもあそこで感じた感情は本物だ」という着地。
AI特有の「感情のなぞり」じゃなくて、物語の構造そのもので感情を揺さぶりにきてる。
正直、ハードSFファンとしてもそこまでストレスなく読めたし、むしろ「AIがここまでSFの文法を理解して、感情ドラマに落とし込めるのか」っていう事実に一番センス・オブ・ワンダーを感じたわ。
https://anond.hatelabo.jp/20260303185118
無編集。ざっとみた感じ、やはり主張が一貫している人が多い感じ。
ユーザー: nandenandechan
記事1のコメント: 思考やその過程がわかって面白かった。自分を大きく見せようとする行為が端から見て、滑稽なのかわかれば、やらないと思うんだけどね。他人との境界が怪しく、認知が歪んでる人たちなのだと思っている。
記事2のコメント: また、別の原作者の問題か。併せて説明する必要はあったのだろうか。分けても、何で分けたんだという事になるのか。
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ユーザー: m7g6s
記事1のコメント: 蛙の子は蛙やな。母親は罪を認めて謝罪し自らが産み出した悪魔を監視してるので偉いと思いました
記事2のコメント: 第三者委員会設置は初手で出さないといけなかった声明な
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記事1のコメント: ここまで書いてあっても伝わらない人がいるんだからま、難しい人はいるんですよ/↓揶揄が問題というわけじゃなくて、他人の尊厳を認めてないというのが犯罪までのハードルをとても下げているという話がされてるのよ
記事2のコメント: アクタージュ事件をどんな気持ちで見てたんだろうの答え合わせ(最悪の形/別にね、マツキタツヤは更正したと思うので起用自体の判断はいいよ?ただアクタージュ潰された件で死ぬほど恨んでる人はたくさんいる(ry
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ユーザー: nekomottin
記事1のコメント: 母親に見捨てられてないと思ってて草 文章からは、見限ってるけど責任感から面倒は見ているように読める つまり、次はない お母さんに最悪の選択をさせないようにね
記事2のコメント: SNSにすでに犯罪者の社会復帰が云々っていう人が沸いてるけど、若い読者の思想に否応なく影響を及ぼす漫画原作という仕事に関わらせる必要なくない?生徒に手を出した先生を学校で雇うようなもの 他の職業でいい
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ユーザー: n_vermillion
記事1のコメント: ”AVやエロ漫画でもいわゆる尊厳を踏みにじる行為としての「ひどいことをする」というのをエロに結びつけすぎ” 尊厳壊すエロ漫画も供給してる民としては、犯罪に走ったのはお前のせいであって全体化すんなとしか。
記事2のコメント: 当該原作者は禊済んでるからこれ以上責めるのは酷やろって話と小学館がクズムーブ連発しているのを責めるのは両立するわな。人の心案件やろこれ。小学館は解体的出直しした方が良いんじゃねーの?
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記事2のコメント: 見てるかエンコ、お前と同じようなやつが二人も…
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ユーザー: yykh
記事1のコメント: “頼んでないのに技マシンで増やされた必殺技かコマンドみたいな感じだと、カウンセラーの人と話してそう客観的な認識をすることにした。そしてそれは使ってはいけないコマンドとしておかなくてはならない”
記事2のコメント: 問題と思わないなら正々堂々やれよ/出版業界も、教育業界も芸能界もどの業界も、性犯罪者には甘い…執行猶予期間満了したといってもそもそも判決が甘い(何故執行猶予?)。被害者の損害が賠償されきれていない
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ユーザー: sionsou
記事1のコメント: ブコメにもこじらせてるやつがスター集めてるなー。誰も女が悪いなんてことは書かれてないのにそんな男が多数いるみたいな書き方で嫌だね。自分をダイヤだと思ってもっと他者へ思いを馳せてみたら?
記事2のコメント: まぁアクタージュの件は一応この話を信じるなら筋は通しているし原画は承認しているので、被害者との関係はどうなっているかわからんが今回よりはまだましなのだろう。一生漫画書くなとは言えないしな。
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ユーザー: nomono_pp
記事1のコメント: なるほどね。「他人の価値」は「親に粗末に扱われてきた自分の価値」とトレードして考えてしまうので、「自分とは無関係に存在してる価値」の象徴が「100億のダイヤモンド」なわけね。しかし、佐藤優樹はえらいな
記事2のコメント: 夜な夜な自転車で走り回りながら痴漢してた異常者が一年二年のカウンセリングで真人間になれるもんかよ。カウンセリング受けながらネタ探してただけだよ。
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ユーザー: gcyn
記事1のコメント: 読んだよ(無機物という記述になるほどでした)。
記事2のコメント: 『弊社』ときましたね。ひとつの人格を感じさせる文章だなと思いました。でも、小学館名で出されてるんですね。私の感想としては、個人がいる立場役職の名前で出せば良いのにと思いましたけれども。
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ユーザー: kori3110
記事1のコメント: どこまで事実かなんてわかりようもないけど、興味深い内容だった。「被害者尊重(当然)」と「加害者も一人の人間として尊重」が両立する社会という理想が、冷笑されない社会を目指したいものだ。難しいことだけど
記事2のコメント: 本件は作画の方に最低限筋は通しており、原作者の現在のスタンスも山本氏とは大分異なるようなので、一緒くたにして言及するのは良くなさそう。過去の罪は当然罪だが、本件に関してはもらい事故の側面はあるかな
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ユーザー: hecaton55
記事1のコメント: 言語化お疲れ様増田。「使い勝手が良いと判断して優先順位が上がってしまう」というのはそうなんだろうなと思いつつ、抑止するための方法は人それぞれなんだろう
記事2のコメント: 後半の対応はだいぶまともに見えるようになった。ただしこれは難しい問題でもあって、被害者救済も必要だが加害者側が刑罰後社会復帰をどうするかというお話でもある。何らかのメディアに名義を出す必要がある場合か
去年行われた参院選で「日本人ファースト」をうたう参政党が大躍進しました。彼らの主張を見るに排外主義政党という評価が妥当でしょう。欧米で起こった極右の台頭の波がいよいよ日本でも表面化してきたようです。
外国人、特に中国や韓国に対する悪口、嘲笑はかなりネット上で広く行われております。「嫌中」だの「嫌韓」だの「ネトウヨ」だの言われる連中です。ヘイトスピーチとまでは言わないまでも、両国の悪いところをことさらに取り上げて攻撃したり、文化をバカにしたりといった言説はよく見受けられます。
そしてこの「中国や韓国」への悪口・ヘイトですが一緒くたになってやっている人が多い。中国も韓国もどちらも嫌いなので両国の悪口を言ったり、悪口を見聞きして喜んだりする。
でも、中国と韓国って同時に罵倒することって結構難しいんじゃないのかと思います。なぜなら両国は全然違う国だからです。
民族構成で見ても中国は多民族国家ですが、韓国は事実上の単一民族国家
経済状況も異なります。規模で言えば中国がGDPははるかに日本と韓国をうわまわります。が一人あたりのGDPは中国はそうでもない。韓国は日本と同水準です
外交安保面でも中国は旧東側陣営であり、現在もアメリカと対立関係にありますが韓国は戦後一貫してアメリカの同盟国です。
言葉も違います。たしかに韓国は日本同様語彙が漢語まみれですがあくまで語彙を中国から直接輸入しただけ。中国語と韓国語は全く別系統の言語です。中国語はシナ・チベット語族。韓国語は系統不明言語です。系統不明ですが少なくともシナ・チベット語族ではないことは間違いないです。
歴史も両国は相当異なってますし、当然文化も違う。もちろん、東アジア諸国は中国の影響を受けていますので共通する面もありますが、その共通点は日本もあずかっていることが多い。儒教や仏教なんかが代表例ですね。あと漢籍文化も。
かくも違う中国・韓国ですから、いっぽうを非難するともう一方を非難できない、ということが起こります。
例えば政治体制で見ますと、「中国は独裁国家、民主主義がない」と非難しますと韓国は民主主義国家ですから韓国を非難することはできない。
国の規模でみますと韓国を日本より小国と馬鹿にすれば人口・GDP・国土面積で日本を遥かに上回る中国を尊敬しなければならない。
さりとて中国を馬鹿にしようと一人あたりのGDPで日本の優位性を主張せんとすれば、哀しいかな、一人あたり名目GDPで日本は韓国の後塵を拝しております。
外交安保面では言わずもがな、中国を敵視すれば必然的に韓国とのアメリカを介した同盟関係を意識せざるを得なくなります。
と、これまで見たように、中国と韓国は全く異なる国であり、日本との関係性もまたそれぞれ異なっております。そういうわけですから「日本人」の立場から中国と韓国を同時に嫌ったり、バカにしたりするには、ちょうどよい攻撃材料に乏しいのです。(あえて言えば領土問題や歴史認識問題ですが、そもそも争う対象がやはり中国韓国は違います。領土で言えば中国は尖閣諸島、韓国は竹島について日本と争っているのであって中国・韓国が同じ領土に関して対日共闘しているわけではない。)
ようは中国・韓国を「同時に」嫌う連中というのは両国の「反日」的傾向が気に食わないのであって、お気持ちベースで一緒くたにしますから、論理的整合性を取るのが難しいのです。
ですのでこの種の非難をする連中で最低限の論理的思考力を持っている人間は攻撃対象を一方に絞ることになります。内心中韓どちらも嫌いなことは言葉の端々に出てしまっても、そこはぐっと我慢して主に攻撃するのはどちらか一つにするのです。といいましても最近ではトンデモ陰謀論を堂々と鼓吹してなおかつ相当のインプレッション数を得るインフルエンサーも多いですのいで、この程度の破綻など可愛いものですが。
ちなみに「中国と韓国は同じ国」という理論が巷であるようです。詳しくは「学問がすべて」さんの記事https://aynis2.doorblog.jp/archives/20250129を読んでほしいのですが、どうも「嫌中」「嫌韓」に限らず、日本社会には中国と韓国を区別できない人たちが一定数いるようです。中国に通じる理屈がそのまま韓国に当てはまるはずで、逆に韓国に通じる理屈がそのまま中国に当てはまるはずという理論です。トンデモ理論ですが、日本人の東アジアイメージに染み付いた偏見のようです。偏見ですからそれに基づいた言説はすぐさま論破できる粗雑なものです。偏見とは恐ろしいものです。自分で自分の首を絞めてしまいます。