はてなキーワード: 微熱とは
あらすじ
一昨年百日咳になり、診断出るまでに悪化し、3ヶ月のあいだ咳が止まらず、筋肉痛になり、炎症が炎症をまねき咳止めが効かず、最終的に肋骨を折った
骨が繋がるまで辛い暮らしをおくる
治りはしたが今でも折れた肋骨が疼く
あらすじ2
絶対早めに抑える
1日目
鼻の奥がいたい
3日目
のどがいがいがしてきた
加湿します
5日目
咳が出てきました
微熱もでてきた
この時点で可能な限り全ての人に会う予定を停止
8日目
咳が止まんねえ!
メジコンを購入
百日咳の記憶が頭によぎりつつも、百日咳ってそんな頻繁になるもん?と疑問を抱きながら……
15日目
メジコン使い切った
咳が止まんねえ!!
み咳な咳ぎ咳っ咳て咳き咳た咳
のようになっている
病院へ
喉腫れとりますねえ
様子見で超強咳止めが出る
抗菌剤が早めに欲しいが様子見は大切
22日目
超強咳止めを使い切った
夜は超強咳止めでも止まらん咳に
マイコプラズマ陰性
「百日咳は血液検査で1週間かかるからもう抗菌剤出しちまいましょう」
超強咳止めと抗菌剤をゲット
29日目
カフコデと抗菌剤を使い切る
咳は落ち着いてきたものの、夜になるとまだ出てくる
「長引いとりますね 追加で」
追加の超強咳止めと抗菌剤をゲット
34日目
咳止まってきた
36日目
せき治った!!!!
肋骨も無事!!
筋肉痛もない!!
完全勝利
軽症で済んだのが早めの対応なのか
前回のレポート見ると、薬の咳止めなしで4日強力な咳をしつづけた結果筋肉痛になってゲロを吐いていた
今回は薬のおかげなのか、安静のおかげなのかもわからない
なんなら今回は確定診断出てないから百日咳じゃないかもしれない
しかし、これだけは確実に言える
長くなってしまったけれど、まとめると――
大学時代は、周囲が楽しそうに見えたこともあり、「親元を離れれば人生は良くなる」と思っていた。けれど卒業後、その考えを維持するのが難しくなった。社会人で楽しそうにしている人は、学生時代からすでに人間関係や生活がうまくいっていた人たちなのだと気づいたから。
ただ、もし実家暮らしのまま就職して人間関係が増えた場合、また親の干渉に苦しむことになるのではないか、という不安もある。
「お母さんは心配性すぎると思っていた。前から感じていたけれど、孫とはいえ他人の家庭に口出しできなかった。でもこれからは母親と話し合う」
また、大叔母が祖母にこう言っていたとも聞いた。
「弟は言いたいことを言えるから大丈夫だけど、(私)はこのままではダメになるのではないか」と。
どうして今になって、こうした言葉が出てくるのだろうと感じた。
私は、人が周りにいる学生時代にこそ自由に外出したかったし、新卒のタイミングでこそ自由に仕事を選びたかった。
実は昨年の夏頃、祖父から「男に興味がないのか?」と聞かれたり、大叔母からは「コンタクトにしなさい。結婚も考える年齢なんだから、見た目を活かさないと」と言われたりした。今思い返すと、親族は私の将来をうっすら心配していたのだと思う。
私自身は、大学卒業時点でもう“詰んでいる”と感じていたのだけど、親族の視点では「そろそろ結婚適齢期。今のうちになんとかしなければ」と思っているのかもしれない。
ネットではよく「職場結婚が多い」とか「学生時代からのつながりで結婚する人が多いから釣り合う」なんて話を見る。
そういう情報を信じているせいで、「いまから逆転なんて無理」と思い込んでいるところもある。……ネットに毒されているのかもしれない。
ちなみに、主治医の転勤により新しい医師に変わったところ、強迫性障害の可能性を指摘された。
小学生の頃に診断され、すでに寛解したと思っていたが、今の「フラッシュバック」だと思っていたものは、実は強迫性障害による**侵入思考(不快な考えが繰り返し浮かんでしまう症状)**かもしれない、とのことだった。
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以下に、文章のトーンや内容を保ちつつ、読みやすく・伝わりやすいように校正したバージョンを提示します。匿名ダイアリーの文体に近づけて、リアルな語り口を残しながら整理しました。
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捜索願〜帰宅〜現在までの話を書く。成人なのに警察から電話来たのでその話をします。
1/2 喧嘩勃発
1/7 朝に帰宅
喧嘩のきっかけは私(以下、増田)が物に当たること。それを「面前DV」と弟に言われた。弟が小中学生の頃、私が高校生の時に父が母を殴っていた話を持ち出して「そっちの方が面前DVでは?」と返したら、弟が手を出してきた。私は咄嗟にハサミで応戦しようとした。
弟「死ね」
弟「出てけ、俺が追い出す」
親がめちゃくちゃ慌ててた。セルフ首絞めで死ぬケースってそうそうないし、なんで同じく養われてる弟に私が追い出されなきゃいけないのか。
大学4年のとき、就活で引っ越し資金を貯めたくて、親の許可を得て遅番週4でバイトしてた。でも「シフトを昼にするか、できないならやめればいい。引っ越す必要はない」と言われた。単発バイトに行こうとしたら、出勤前に母に羽交い締めにされ、父にメガネを隠されて止められた。地元では病気の関係で免許が取れず、まともな仕事が無いのに。
その事件以降、通学中や面接に向かう途中で泣くようになり、就活どころではなくなった。やる理由は説明して許可も得ていたのに、あとから反故にされた。
その話をある質問箱に投げたら、「大人になってから無料で貰えるものなんて無い。お前は過去の話がしたいんだな。ゴミ、死ね(要約)」みたいな返答が来た。私は「働きたかったのに制限されて辛かった」って話をしたかったのに、「無料で貰えるものは〜」って言われて、頭に来た。「“説明してる”んだね笑」って返されても、そうしないと「お前のせいで死ぬ!」って親に怒鳴られるからそうしてるだけなのに。
そういう出来事や反応がふとした瞬間にフラッシュバックして、メガネケースやスマホで壁を殴ってしまう。イライラしても、殴ったあとは正気に戻って作業に戻れるから、そういう処理方法になってる。
両親に怒鳴られたあと、弟が祖母宅に風呂だけ借りに行った。その間に母と話していたら「お前反省してないだろ」と言われ、代わりに祖母宅へ行くことに。1泊のつもりで最低限の荷物しか持たず。
実は喧嘩の前から家出を考えていた。病気のせいで車の運転は禁止されていて、地元にいるだけで人権がない感覚。家に居るだけなのに、ストレスで発熱することもあった。家事を母に任せても、時間を有効に使えなかった。
障害雇用の面接では「地元民がいい」と言われる。精神障害者は遅刻が心配だからと。じゃあ出てっちゃえばいい。
祖母が「もう一泊していきなさい」と言い続けて、結局4日いた。「何日かいれば弟も懲りるだろう」「増田は大人しいからストレス溜まる。言い返せばスッキリする」って言われたけど、言い返したら倍言い返されるんだよね。しかも「感情的に物を考える」「被害者ぶるな、韓国人みたい」とか。別に韓国関係ないだろ。
親に「地元では働けない」と言おうとしても、「薬をやめれば運転できる」って勘違いされてるし、弟には「地方差別だろ」と言われる。こっちが差別されてるのに。
「話し合う」「向き合う」をやってもダメだったから、もう無理だなと。
一旦帰宅したら親に「お父さんも反省してる、弟は特性があってまだ子どもだから大人になってやれ」的なことを言われた。
その時ふと思った。「同い年の子が『セフレかも』『彼氏と結婚イメージできない』とか悩んでる脳のスペースに、私はずっと『お父さんが〜!弟が〜!』って情報を詰め込むのか」と。
アニメみたいに目がグルンってなって、気づいたらスーツケース出してた。着替え、飲み物、TOEIC本、スーツを詰め込んで出発。
駅までの途中、後ろからママチャリの音。母だった。すごく疲れた顔をしてた。
「話だけでも…」と言われた瞬間、「イヤーーー!」と金切り声をあげてスーツケースを捨てて逃走。電車には乗れたけど、荷物とはさようなら。
大宮のカプセルホテル「イージーステイ」へ。ネカフェ併設、無料カレー食べ放題(うどんは売り切れ)。
薬もスーツケースと一緒に捨ててしまい、その夜は寝られなかった。
早すぎる時間だったので無視したが、何か事件でもあったかと心配になって出た。父が弟に暴力でもふるったのでは…と悪い想像がよぎった。父は一頃まで物を殴るたまに人も殴る人だったから。お父さんに弟をビンタするよう指示されたこともある。
電話に出たら「このまま出なければ捜索願を出すつもりだった。親御さんがいて、印鑑も押したところ。薬もないし心配してるから帰ってこないか」と。成人でも精神疾患があると「特異行方不明」で捜索対象になるらしい。届けには最近の写真が必要だけど、私の最近の写真なんて無い。成人式とか卒業式の写真使ったんだろうな。
私が帰った理由は「お父さんがダメになったら、みんなが困るから」。お母さんに色々言われたけど、戻った理由はそれだった。
子どもは産まないでおこう、と思った。
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1月は、チャトレ体験に行ったり、メガネメーカーの障害雇用で間違い探しをさせられたり、在宅チャトレを始めたら親にバレたり。
2月末に高熱が出て、雨の日で自力で病院に行けず、6日目にやっと連れて行ってもらった。抗生剤で一旦熱は下がったが、白血球が減っているらしく、37度後半の微熱が1ヶ月続いた。
バイトの面接を受けたら、「就労移行支援の方が就職に繋がる、バイトは怪しい(?)」など言われた。医者も移行を勧めてくるけど、いいところに就職できるか分からないし、通う期間も自分で決められない。実家暮らし期間が伸びるのがしんどい。コールセンターのバイト受かっちゃったし。
移行への不安を口にすると「ひねくれてる!」と、向こう側のテンションで言われたので、また家出するかも。でも、家出したらバイトは辞退になっちゃうんだよな…。
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Xでこのポストがバズってたのがきっかけ。このポストについては「パートナーの体調不良の訴えを面白がってネタにするって性格悪いな」くらいの感想だけど、結局、マンフルなるものはあるのかないのか気になったので調べてみた。
マンフルについて簡単に言えば、男性が風邪やインフルエンザにかかったときに、女性よりも大袈裟に症状を訴えるという多分に男性を揶揄するミームで、欧米圏ではすっかり定番らしい。日本にもここ10年くらいで輸入されたのか時々みることがある。俺は正直「男性側がわざわざおおげさに症状訴える動機が存在しないし、怪しいんじゃね?」と最初から思ってたけど、ともあれまともな文献を調べてみようと。
結論から言うと、やはり"マンフルー"を「男性の大袈裟な態度」と見るのは無理があるみたい。
まず、平熱について。最初、男性の方が平熱が低いので、微熱でも男性の方が辛いのではと言う仮説を持ってたけど、こちらはちょっとハズレぽい。一応、最近の大規模研究によると、統計的には男性の方が女性よりわずかに平熱が低い傾向がある。スタンフォード大学の2023年の研究では、約61万件の体温データを解析した結果、全体平均が36.64℃で、女性の方が男性より平均体温が高かった(Parsonnet et al., 2023, JAMA Intern Medの論文)。日内変動や年齢、体格といった他の要因もあるけど、それらを調整してもこの性差は残る。ただ、重要なのはその差がせいぜい0.2℃程度で、これだと男性が微熱でも辛く感じる根拠にするのは微妙そう。
じゃあ何がマンフルーの正体なのか?と思って他の文献を調べてみた。
面白いのは、免疫反応やホルモンの違いが、男女の症状の出方に影響を与えている可能性があるってこと。例えば、女性ホルモン(エストロゲン)は免疫を活性化させる傾向があり、男性ホルモン(テストステロン)は抑制する方向に働く。実際、ワクチンへの抗体応答も女性の方が強いという研究がある(Furman et al., 2014, PNASの論文)。
加えて、COVID-19のパンデミック中には、男性の方が女性よりも重症化しやすく、死亡率も高かったというデータが世界中から報告された(Global Health 50/50, Sex, Gender and COVID-19 Project)。インフルエンザでも似たような傾向がある。
つまり、男性の方が感染症に弱いというのは言えそうで、マンフルと呼ばれる現象も(確定じゃないけど)その線で説明できそうに思う。もちろん男性全員がそうというわけではないし、症状の訴え方に社会的なバイアスもあると思う。「男は弱音を吐かないべき」とい男性規範が女性から「情けない」という感想を引き起こした面も考えられる。ただ、この辺はあまりにも憶測がまじりすぎるのでいったんおいてく。
他には副鼻腔炎についての話もあった。オーストリアの研究チームが副鼻腔炎の経過を男女で比較したところ、女性の方が症状の自己評価は高かったものの、回復は早かった。男性は症状が長引く傾向があったとのこと(Brandstetter et al., 2021, Journal of Clinical Medicineの論文)。この研究では「マンフルーというステレオタイプを裏付ける明確な根拠はない」と結論づけている。
結局のところ、マンフルーという怪しげな話が「何故」広まったのかについて言うと、
のあわせ技で、女性から見たときに「おおげさに辛さを訴えてる用に見える」となるんじゃないかなというのが暫定的な結論。
日本の「マンフル」では、嫁側が辛さを吐露したときに男性が被せるように俺も辛いというのを「マンフル」と呼ぶケースもあるらしいけど、そっちは夫婦の信頼関係とかの話になるし、旦那側の「証言」がないケースで一方的に言ってるケースが多いので、判断はおいとく。
新卒で就職して2年で退職して、実家に帰り、しばらくニート生活をたのしもうと思っていた。
夜は3時に寝てそのまま昼過ぎまで寝る生活を繰り返し、気分転換にドライブしたりネット漬けの毎日を過ごして2ヶ月。
貯金は当時少しあったが最初の1ヶ月で引っ越し代と車のローンの支払いと年金の支払いに加え車検やら保険やらでお金が飛んでった。
それから数ヶ月過ごして所持金がいよいよ残り10万を切ったとき、舌がめちゃくちゃ痛くなった。歯医者に行くが異常なし。舌が痛すぎて飯はろくに食えず、体重はみるみる減った。
その上のどが痒くなって四六時中喉をケアしていないと咳が止まらない。微熱が下がらないのとついに肺炎になりかけて病院に行くが原因不明。
何のやる気も起きなくなり、一日中寝て過ごすことが増えた。
さすがにやばいと思い大事に至る前に急いで就活を始めたんだが、就職するや否や一連の症状がすべて収まった。
ニートも大変だな。
わちきは高校生のときからメンタル不調で、いちばんやばかった時期は異常なほどの孤独感と焦燥感がつねに頭から離れず、微熱が2、3ヶ月ほどつづき、食欲はなく、寝ることも起きることつらくて、ただ存在してるだけでつらいみたいなかんじだった。もしかしたら鬱病とか自律神経失調症とかいうやつだったのかもしれん。そんなメンタル不調のときにしてたいくつかの習慣について書いていく。
「なぜ世界は存在してるのか?」「宇宙がはじまる前にはなにがあったのか?」「意識とは何か?」とか考えてた。でもこういうことをじっくり考えると気分が悪くなる。たとえば「意識とは何か?」という疑問について考えるとする。てはじめに自分の意識というものを観察してみる。自分の内側に注意を向けてみる。でもそこにはなにも見つからない。観察前は自分という「かたまり」がどこかにあるはずだと直感的に信じていたけど、観察後にはそのようなものはどこにも見当たらないことに気がつく。その事実を頭ではなく体で理解したとき、まるで真っ暗な真空空間になげごれたみたいな恐怖感をおぼえる。「自分とはなんなのか」「そもそもこの世界ってなんで存在してるんだ」みたいな「存在に対する疑問」がうまれてやがて死ぬ。
人生がうまくいかない原因は自分のパーソナリティにあるんじゃあないかとおもい心理学を学んでた。フロイトとかカール・ロジャースとか加藤諦三などの本を読んだ。心理学では無意識に抑圧されたトラウマ(幼少期の親との関係など)が現在起きているさまざまなトラブルの原因だと説明されることがよくある。わちきはトラウマを克服する方法をいくつか試した。すると一時的に気持ちが軽くなることもあるが、たいていはすぐ元にもどった。
エッセイを読んでた。たとえば又吉直樹のエッセイ「東京百景」を読んだことがある。暗い人間の陰鬱とした日々みたいのが書かれてて、暗い人間であるわちきはとても共感し、ページをめくる手がとまらなかった。ところが読み終わったあとの気分はあまりいいものじゃあなかった。ネガティブなエッセイを読んだあとというのは「やっぱり生きることはつらいことなんだ」という価値観がより強固になるだけで、「気持ちが晴れわたる」「将来に希望をいだく」みたいなことはおきない。そういえば又吉が「言葉は事物を確定させる作用がある。書いたり話した言葉は、タトューのように体にきざまれる」と書いていたけれど、わちきもそう思う。ところで本に書かれている文章ってSNSやブログに書かれている文章と違ってなんか普遍的かつ絶対的な真実という印象をうけてしまうのだがなぜだろう。
哲学や心理学やエッセイのほかにもいろいろな本を読んだ。本のなかには共感する文章とか役立つ文章があり、それらを読むと勇気が湧いたり心の傷が癒やされたりした。本は人生をよりよくするものだと信じていた。家庭や仕事でつらいことがあると本を読んだ。本が精神安定剤のような役割をしてた。
「その日あった嫌なこと」「いまかかえている人生の問題とその解決策」「幸せになるためにするべきこ」などを日記に書いていた。そうすることで明日以降にやるべきTodoリストをつくることができた。日記を書くことは、人生の問題を効率的に解決するために役立つと信じていた。
「幸せになるにはどうすればいいか」ということを真剣に考えた結果、ネガティブコンテンツから離れることが必要不可欠だと考えるようになった。ネガティブコンテンツとは「触れたあとに気分が晴れないコンテンツ」のことである。ネガティブコンテンツに該当するものは哲学とか心理学とか暗いエッセイなどだ。これらは共感するけども「生きるのつらいよね」で止まってしまい希望が持てない。家にあったそれらの本はすべて捨てた。だが本当にお気に入りの本は捨てられず、視界に映らないクローゼットの中にしまいこんだ。くわえて日記を書くこともやめる事にした。日記を書くことで過去のつらい出来事を掘り起こして再体験したり、必要以上に将来について考えて不安を感じることになると考えたからだ。たしかに日記はやらなければいけないことを洗い出せる。だがそれはやらなければいけないことが常に頭の片隅にあるということでもある。わちきはそれがストレスだった。
かくしてわちきはネガティブコンテンツから離れる事に。最初は気持ちが落ち着かなかった。哲学することや本を読むことは、不安から意識をそらせて苦痛を低減させる効果があったのだろう。読書はある種の依存症だったのかもしれない。わちきは気分転換がてら新しい趣味をはじめることにした。まずコロコロコミックを小学生ぶりに買って読んでみた。いまだにフルカラーのページを見るとワクワクする。あと恋愛系の漫画を読んでみた。「不思議の国のアリス」とか「推しに甘噛み」とか。あとアニメをたくさん観た。「Aria」とか「スペース・ダンディ」とか。アニメはいつも「悲しいことがおきない物語」または「悲しいことがギャグとして消化される物語」を選んだ。悲しいことをみると気分が落ち込むので。あと3DSを買ってエクストルーパーズとかダンボール戦機をプレイした。小学生の時に遊びたかったけどしたお金がなくて買えなかったゲーム。まあこんなかんじの日々を数ヶ月すごした。んでさまざまな変化があらわれた。
だんだん哲学について考えないようになった。そして哲学なんてどうでもいいと感じるようになった。いま哲学の本を読むと「あほくさ」という印象がある。言葉という虚構をつかったただの論理ゲームで、現実に地に足がついていないというか。ところで、「なぜ世界は存在してるのか?」「宇宙がはじまる前にはなにがあったのか?」「意識とは何か?」みたいな疑問にたいする答えを仮に「真実」と呼ぶとすれば……真実がわかったところでわちきたちの生活はどのように変わるのだろうか。きっと何も変わらないんだろう。もしも科学技術がめちゃくちゃ発展して、これらの真実がわかったとしても、わちきたち人間の生活になんの影響もおよぼさない。「朝にパンを食べる」「風呂に浸かる」などの動作にはなんの変化もおきなくて、わちきたちはただ生きるだけだ。わちきのなかで哲学的な疑問は解決された。それは真実わかったからではなく、真実をわかる必要性がなくなったからだ。そういえばカーネギーの本「道を開ける」に「人は人生をわかるために生まれてきたのではなく、生きるために生まれてきた」みたいなことが書いてあったが、わちきもそう思う。理屈でなく直感でそう思う。
心理学には意識と無意識という概念があるけども、本当にそんなものはあるのか?心の中に意識という空間と、無意識という空間がある……みたいな認識をわちきはもっていたのだが、いまになるとそんなわけあるかと思う。あと現在の問題の原因が過去のトラウマだというのも疑っている。「数十年まえの出来事」と「いま感じていること」にそこまで強い因果関係が本当にあるのか?「意識と無意識があって、トラウマを処理したないと……」っていう話は言葉のうえではきれいにまとまっているけど、現実は本当にそうなのだろうか?
わちきは論理的な文章が好きだった。たとえば主語・副詞・動詞の順番はいつも同じにするとか、ルールががっちりと決まっている数学のような文章が好きだった。でもそうやって書いた自分の文章を読むと、「自分らしくない」という妙な違和感があった。自分の文章に納得できなかった。そこで思い切って自由に文章を書いてみることにした。小学生の日記帳みたいに文法や単語はぐちゃぐちゃでいいから、おもいついた言葉をなんの加工もせずにただ吐き出していく。最初はただそれだけの作業が難しかった。どうしても修正したくなった。でも次第になれた。そしてわちきの意思は「もっともっと自由に書く!」という方向に進んだ。読んだときにわかりやすい文じゃなくて書くときに気持ちいい文を書きたい。わかりやさは大事だけど、言葉ってのは相手のためだけでなく自分のためのものでもあるんじゃあないか。この意識の変化は話すときにも影響をあたえた。これまでわちきは話すときにも書き言葉を使っていたけど、だんだんとその傾向はなくなった。結局、人はありのままの自分で生きるしかないのだなと。わちきは自分をすごい人だと相手におもってほしかった。実際以上の自分の能力を相手に植え付けようとしていた。でもそれは最悪の試みだった。この試みをして、仮に成功した場合、その高いイメージを保たなければならないプレッシャーに苛まれることになるし、失敗した場合、恥ずかしくて死にたくなる。つまり「自分を賢く見せたい」という試みは、成功しても失敗しても、その先に楽しい未来は待っていない。
さっき「本当にお気に入りの本は捨てずにクローゼットにしまった」と書いたけど、いまではそれらの本もすべて捨てることができた。もう魅力を感じなくなった。いまはメンタルがめちゃくちゃ回復してる。家庭や仕事で嫌なこともあるけど以前に比べたらめちゃうまくいってる。人生でもっとも暗い時期から抜け出したと思ってる。それができた要因の一つにネガティブコンテンツから離れたことがあると思う。ネガティブコンテンツから離れるのは容易いことではない。ネガティブコンテンツにはDIOのような不思議な魅力がある。だがぜひ離れることに挑戦してみてほしい。アリーヴェデルチ。
3/5夜、右側腹部・背中の発疹を発見、熱なし痛みなし→はじめて帯状疱疹を疑い翌日午後受診→抗ウイルス薬とタリージェ、B12を処方。
3/8-9 水泡が割れ始める。痛みほとんどなし。微熱。片頭痛の兆しあり
3/10 数秒に一度くらい右側頭部の激痛が日中夜続き、耳鳴りが始まる。ロキソニンなど併用するも効いているかわからない。再受診→タリージェ増量。
3/12-13 頭痛の頻度が1分に一度、2分に一度くらいのペースまで収まってゆく。ただ車の運転などとてもできない。
3/14 頭痛収まる。疱疹がかさぶたになり始める。右目に正体不明の目ヤニがボロボロと落ちる。
3/15 頭痛がおさまると今度は、腹部右側が軽くジンジンとし始める。
3/16 シャツを着れないほど腹部がこすれに敏感になり痛み出す→以降今日にいたるまで、自宅では極力、服を脱いで生活することになる。カイロやヒーターを駆使して患部の加温に努める。
3/17-21 腹に布団が触れるだけで痛みが走り、布団をかぶれず、シャツも着れない。暖房を強めにする。寝不足になる。着衣による痛みで外出がしんどい日々が続く(有休休暇を取る)。裸でじっとして過ごしていれば問題ない。車の運転はどうにか可能だが危険。
3/22 背中にかゆみを感じ始める→次第に痛みになり、あおむけ姿勢もつらく寝不足が続く→再受診(ペインクリニック紹介状の話がでるが様子見)
3/24 痛みの質が患部全体に変化。じくじくとした痛みかゆみに加え、筋肉痛のようなタイプを併合してしてくる(帯状疱疹後神経痛というやつか?)。
早く普通に外出できるようになりたい。
あれからさらに一週間たった。まだ痛い。今は突然つねられるような痛み。
4/6追記
さらに一週間経つ。まだ痛い。
4/14追記
自分が情報収集する際に情報が少なく感じたので書こうと思いました。
・性交時の挿入が痛すぎて、というか入らなくてずっと悩んでいた。
・調べて「自分は処女膜強靭症なのでは?」と思うようになった。(病院で診てもらった結果、処女膜強靭症というより処女膜が大きくて穴が狭い状態というようなことを言われた。ただ、このキーワードで検索する人に読んでもらいたいなと思いタイトルにあえて入れました)。
・最近恋人ができ、一度性交渉に臨んだが入らず(処女ではない)、こんなに無理ならもう医療に頼っちゃお!と思った。
・指は1本なら入るが2本は入らない。
・タンポンは入れようとするとほとんど入らずに止まる。これほんとに押し込むの?無理では?という「拒絶」を己の膣から感じる。
・過去に一度だけ性交渉時にちゃんと挿入した。かなり性交渉に慣れた人だったようだが苦戦していた。また、「膣の中が硬い」というようなことを言われ「私の膣ってなんか変なのかな?気持ちよくないってこと?」と気にしていた。
・ 美容整形をやっている病院ばかりヒットするので、ここで初めて保険対象外か……と気付いた。
・いくつかサイトを見ていくと、「処女膜強靭症の人はほとんどいない」と言っているサイトや、「性交痛の原因は処女膜強靭でない可能性がある(なんか膣周辺の筋肉?の硬さ?が原因とか)」と言っているサイトがあり、どんな施術をしたら良いのかよく分からなくなる。
・自分で「処女膜強靭症」と断定できないため、複数の治療の選択肢がありそうな病院を選んだ(治療メニューに処女膜切開しか書いていない病院もある)。
・なんとなく美容整形外科より婦人科のほうが行きやすい気がする…と思い池袋の婦人科を見つけたものの、予約できるのはかなり先とのことで断念。たしかに堕胎とかアフターピルのほうが優先度高いもんね……
・残るは美容整形外科での施術という選択肢。いつくかの病院の口コミを調べたが、小陰唇の形を整える?みたいな施術の口コミは多いんだけど、処女膜切開の口コミがほとんどなくて困った。
・結局口コミはあまり参考にできずでフィーリングで東京駅近くの病院のカウンセリングを予約。こういうとき病院名って言っていいのかな?結論めっちゃ良かったと思っているので悪い口コミじゃないんだけど。
・カウンセリング当日までのメールのやり取りもとても丁寧で安心できた。カウンセリング当日に施術も可能で、その場合は陰部の毛を剃っておくこと、生理用ナプキンとガードルを持ってくるようにということだったのでそれに従って来院。あまりいろんな病院を見比べる気がなく、できそうなら早くやってしまおうという気持ちがあった。何度も病院に通うのめんどくさいし。
・お医者さんでも看護師さんでもない女性スタッフさんに個室に通され、カルテを記入。
・スタッフさんにどういう症状なのか聞かれ、指が1本しか入らないこと、タンポンも入れられないことを伝えた。
・スタッフさんより、医師による診察があること、担当するのが男性の婦人科専門医であること、膣に指を入れて確認すること、痛み止めの入ったジェルを使うが痛みを感じる場合があることを伝えられ、男性の医師による診察で問題ないかを確認された。まあそりゃ女性の方がいいけど、お医者さんって男性のこと多いし仕方ないよね、と思って承諾した。
・スタッフさんは「診察の際は私も一緒に部屋に入ります。男性に言いにくいことも多いと思うので何でも私に言ってください」と言ってくれてすごく寄り添ってくれるなと思った。
・下半身裸でプールの授業の時に使った巻きタオルみたいなやつを履き、陰部をウェットティッシュで拭く。
・ふつうのベットに横になり、足を開いた状態でお医者さんと対面。恥ずかしい格好だし、ガサツなおじさまとかだったらどうしよう……とさすがに緊張していたが、若くて誠実そうな雰囲気の男性で安心した。
・改めてお医者さんからもいくつか質問された。性交痛があるのかを聞かれ、痛いではなくそもそも入らないことが多いと伝えた。
・ジェルを塗って触診。痛いことがあると聞いていたので怖がっていたが全然痛くなくて「あれ??何でもないですよって言われたらどうしよう!!あの痛さで今後も性交渉を頑張るしかないのか…?」と内心焦った。
・着替えて別室でお医者さんから説明があるとのことだったので移動。このタイミングですぐ何も言われないので余計に不安になった。
・部屋を移動して改めてお医者さんより診断結果を告げられた。ちなみにここもスタッフさんが一緒に入ってくれて優しかった。処女膜の大きさは人それぞれだが、結構大きい方で、今まで感じていた痛みはそのためだろうと言われた。やっぱり!と思った。
・施術について色々説明を受けた。質問にも答えてもらった。全部は書けないけど印象的だったことは以下。
・施術内容は処女膜の切開。また、処女膜には4カ所ほど処女膜を支える靭帯があり、痛みが強い人はこの靭帯が強い場合が多い。処女膜だけでなくこの靭帯も切ることで、性交時により痛みを感じにくくなる(後で書くけど靭帯を切るのは別料金)。
・痛みのピークは2〜3日。どの程度痛いですか?と聞いたが人によるということだった。それはそう。
・1〜2週間で出血や腫れが引く。2週間は激しい運動(自転車やバイクに乗ることも含む)、入浴、性交渉は禁止(シャワーは翌日から)。サイトに性交時は1カ月後からと書いてあった記憶があり、思ったより早くて少し驚いた。
・処女膜の切開は傷が完全に塞がる=元に戻ったら意味がないので、むしろ2週間過ぎたらたくさん性交渉をしてください、と言われた。お医者さんにたくさんセックスをするように言われるなんて初めて。今の恋人と遠距離のためどうしようと思った。
・ 膣ダイレーターを使うこと推奨。ダイレーターのことはこのタイミングで初めて知った。お医者さんによると「なんか…棒」。医療器具で膣を広げるためのものらしい。たぶん恋人とすぐ会えないため使おうと思った。性交渉以外の選択肢があって良かった。
・オプションだけどという前置きありで追加の麻酔をお勧めされた(名前を忘れてしまった)。通常の局部麻酔は2-3時間で効果が切れてしまうが、72時間効果の持続する麻酔とのこと。切った箇所の痛みを感じにくくするには鎮痛剤を飲むより効果があるということだった。
・ちなみにお医者さんは医学用語をバリバリ使う方で(「痛み」のこと「疼痛」と言ったり)、私は身体仕組みとか専門的な話を聞くのが好きなのでこの時間は楽しかった。
・また最初のカウンセリングルームにて最初のスタッフさんより改めて注意事項や金額について説明を受けた。丁寧でありがたかった。
・靭帯の切開:5万円
・追加麻酔:3万3000円
⇒合計21万5000円
・サイトに書いてあるのは一番上の13万2000円のみ。笑気麻酔込みのところは少ないのでお得とのこと。
・美容整形外科の口コミを調べているとき、サイト上の値段とカウンセリングの際に提示される値段の乖離は頻繁にあるんだな、と思っていたのでまあこんなもんかと思う。
・追加の72時間効く麻酔は完全にオプションだからつけない選択肢もできたし、靭帯の切開も「しない方もいます」という説明はされた。無理やりこの値段にされた感はなかった。とは言えどちらもおすすめですよ、とは言われた。
・施術も今日がおすすめですよ、と言われた。婦人科専門のお医者さん(診察してくれた方)は月2回ほどしかいないので今日はラッキーとのこと。別のお医者さんも施術はできるがやはり専門医のほうが詳しいので…ということだった。
・別の病院にカウンセリングに行かせないためのセールストークなのか、ほんとにおすすめなのかは分からなかったが、私は大きな懸念がなければ今日やる気できたし、べらぼうに高い値段とも感じなかったのでそのまま施術することにした。
・産婦人科の診察みたいなあの足を上げるタイプの診察台で再度下半身裸+巻タオル。
・これから痛い思いするのか〜と思ったらさすがに緊張した。
・笑気麻酔は初めてで、「半分くらいの方は眠ってしまいます」と説明を受けていたので「眠ってしまえたらいいのに。いや意識ないところで施術される方が不安かな…?」とぐるぐる考えていた。
・ 消毒を2種類されたんだけど、2つ目の消毒は「ピリピリ熱を持ったように感じるかもしれません」と看護師さんに言われ、実際そうなって結構嫌だった。ちょっと身体に力が入る感じの嫌さ。しばらくしたら気にならなくなった。
・アイマスクを付けられ(付けてもらえて良かった)、血圧と酸素の測定装置(笑気麻酔のときは必要らしい)を付けられ笑気麻酔開始。
・笑気麻酔開始→痛み止めジェル→局部麻酔→施術→オプション麻酔の順番
・ほぼ痛みはなかった。当たり前だけど局部麻酔は最初なので若干痛い。笑気麻酔でちょっとぼーっとした状態でう、って声は出るくらい。
・こちらの呼吸とか身じろぎとかを敏感に察知して、「痛いですか?」「大丈夫?」と頻繁に声をかけてくれありがたかった。
・「少し痛いです」と伝えると施術中に局部麻酔を追加してくれた。施術中は自分の感じる「少し痛い」が序の口の痛みなのかピークなのか分からないので伝えたが、結果的にはほぼ痛みはなかった。
・私は笑気麻酔で眠れない方の人間だった。なんか、意識はしっかりあるけどそれはそれとして眠りに落ちる直前みたいな感覚だった。たしかに意識がはっきりしてる状態より痛みを感じにくいと思う。
・施術終了後に5分ほど待ってから止血確認。再度痛み止めジェルを塗って触診された。
・先生より「施術前には指が1本しか入らなかったが3本入るようになった」と言われ、ここで初めて最初の触診の際は指が1本しか入れられなかったことを知らされた。やっぱりそうだったの?!となった。
・「今後の性交時は、痛みが全くないことはない。初めのうちは最初からジェルを使うのがおすすめ」と言われた。回数を重ねたら自分がリラックスすれば大丈夫になるだろうとのこと。これはふつうの人もそうだからそうだよね。
・患部に塗る薬(イソジンをジェル状にしたもの)1日1回シャワー後1週間、抗生剤1日3回3日、止血剤1日3回3日、鎮痛剤3回分が処方された。
・直後から歩くと少し痛い。ゆっくり歩くようにと言われたのでのろのろ歩いて帰った。痛いといっても耐えきれないほどではなくじんじんするな、これ局部麻酔切れたら痛くなるか…?という予感のような痛み
・今これを書いているのが施術当日、施術から5時間ほど経った時間。局部麻酔はもう切れている今、座ると痛い、横になると痛くない。座ったときの痛みは、我慢できるけどそれはそれとして痛いぞ、くらいの痛さ。
・ブーツのファスナーを下げる、深くしゃがむなどは座るよりちょっと痛い。
・ お小水するのは痛くない。良かった〜
・ むしろトイレットペーパーに血がつかず、ナプキンにもほぼ血がついておらずこれで大丈夫なのか?ないと思うけどもう傷塞がってない?とちょっと不安
・ ダイレーター買った。私の罹った病院では売ってなかったのでネットで買った。わりと高くてびっくりしたけど、自分で検索したほうが値段の相場が分かったからむしろ良かった。
総じて安心した!!!という気持ちが強い。性交渉のあれこれって個人差がとてもあるしあまり話せないので病院でちゃんとふつうよりも処女膜が大きい=痛みを感じやすい状態と言ってもらえて良かった。これで「あなたは異常ないから痛がりなだけ」とか「みんなこのくらい我慢してる」とか言われたら絶望するところだった。
今まで人と付き合うたびに性交渉しないといけないよね…やだな…という気持ちだったのでそれがなくなったらいいなと思う。2週間経ったら処女膜が癒着しないよう頑張って自瀆に耽ります。
・結局ほぼ痛みを感じず出血もないまま最初の1週間が終わった。処方された痛み止めを飲まずともほぼ痛くなかった。
・出血についても、術前には「膣は治りが早いが出血は多い部位」と言われていたがおりものに血が混じっているかな?くらいしかなくて、途中からガードルの締め付けが嫌すぎて付けなくなったけど問題なかった。
・4日目以降とかはナプキンでなくておりものシートにしたけどこれもなんの問題もなかったくらい出血が少なかった。
術前にリスクとして感染症になる可能性があること、とはいえ傷口が痛んだり腫れたりはふつうにするから、熱が出たりしたら連絡して、と言われていたのでちょっと焦った37.5℃までしか出なかったので、ただの風邪…?人体を切られた疲れ…?とか思って結局行かなかった…良かったのかな。でも今別に困ってない。たぶん。
・2週間経ったのでついにダイレーター使い始めた。
・あまりにも痛みや出血がなかったので、切ったところ元の通りくっついてたらどうしよう!とはやる気持ちがあった。
・今日1日目だけど6種類の太さのうち、3番目の太さまで入った!直径1cmから初めて0.5刻みに大きくなるので今入るのは直径2cm。明らかに人差し指より太い。すごい。
・下から2番目の太さのものを入れたらふつうに傷口っぽいところが痛くて、あ、痛いんだ……ってなった。元に戻ってないってことではあるけど。
当方女。妊活について調べ始めてるんだけど、「女の体って、やっぱ妊娠のためにできてるんやな……」と萎える。
生理前の微熱、情緒不安定、排卵期のおりもの、排卵痛、このへん全部あらためて考えてみると妊娠関連。仕事が忙しくても、遊びたい時でも、体は勝手に妊娠のためにうおおと準備してるわけで。お前誰の身体やと思ってんねん。私妊娠するためだけに生きとるわけちゃうぞ。そう思うのに、マジでどうしようもない。
女性も仕事を!自己実現!みたいなの学生時代から授業で叩き込まれてきたけど、妊娠前からこんな身体と付き合いつつ、セックスのタイミング見つつ、夫にはプレッシャーをかけないようにしつつ(こっちは身体に毎日プレッシャーかけられてるねん)、食事制限しつつ、適度な運動しつつ、排卵検査しつつ、たまに通院しつつ、それらがない男と同程度かそれ以上の成果を出しなさい!って現実的に無理じゃね?何なん?
当方女。妊活について調べ始めてるんだけど、「女の体って、やっぱ妊娠のためにできてるんやな……」と萎える。
生理前の微熱、情緒不安定、排卵期のおりもの、排卵痛、このへん全部あらためて考えてみると妊娠関連。仕事が忙しくても、遊びたい時でも、体は勝手に妊娠のためにうおおと準備してるわけで。お前誰の身体やと思ってんねん。私妊娠するためだけに生きとるわけちゃうぞ。そう思うのに、マジでどうしようもない。
女性も仕事を!自己実現!みたいなの学生時代から授業で叩き込まれてきたけど、妊娠前からこんな身体と付き合いつつ、セックスのタイミング見つつ、夫にはプレッシャーをかけないようにしつつ(こっちは身体に毎日プレッシャーかけられてるねん)、食事制限しつつ、適度な運動しつつ、排卵検査しつつ、たまに通院しつつ、それらがない男と同程度かそれ以上の成果を出しなさい!って現実的に無理じゃね?何なん?
続き
兄として
夜、今日の夕飯は外で済ませたものの、家に帰ると咲がリビングのテーブルで宿題を広げていた。どうやら英語の長文読解がうまくいかないらしい。
「ねえ、あんた。帰ってくるの遅い」
妙な言いがかりだ。事前に遅くなるとメモをくれたのは咲自身なのに。
「そうだけど。…いつもより遅い気がしただけ」
まるで僕が何か悪いことをしていたかのような口調だが、心配してくれてるんだろうと勝手に解釈しておく。
「英語、わかんないんだろ? 手伝おうか?」
「いらない。どうせあんたでも正解わかんないし」
「またまた、そんなツンケンして。じゃあちょっとだけ見せてみろよ。もし僕にもわかんなかったら、一緒に解説書を読もう」
「……別に、いいよ」
一応は了承してくれたらしい。咲はツンとした顔で長文読解のプリントを差し出す。僕は椅子を彼女の隣にずらして、問題を一緒に眺め始めた。
「ここの単語の意味さえ把握してれば、あとは前後の文脈で答えがわかるかも」
「うーん…」
咲も真剣になって考えている。こんな風に妹と同じ机を囲んで勉強するのは、かなり久しぶりだ。小学生のころまでは一緒に漢字ドリルをやったりしていたけれど、中学生になってからはほとんどこういう時間はなかった気がする。
なんだかんだで一時間近く、僕らは問題と格闘した。咲の目がしょぼしょぼしてきたので、「今日はここまでにしようか」と僕が提案すると、彼女は素直にプリントを閉じた。
「それはよかった。お役に立てて光栄です」
「…ふん」
一瞬だけ、咲が目を合わせて笑う。ほんの少しだったけれど、確かに笑顔が見えたのだ。
“ツンデレ妹”とのすれ違い?
翌週の月曜日、ちょっとした事件が起きた。僕が風邪をひいて学校を休んだのだ。朝、熱を測ったら三十八度近くあったので、母が無理せず休むようにと布団で寝かせてくれた。
咲は「学校は休まないけど、あんたうるさいし家にいるの嫌なんだよね」と言い放ちつつ、「保険証はここにあるから病院行きたくなったら行きなよ」とテーブルに置いていった。ツンデレ感全開だが、まあ気遣ってはくれている。
ところが昼前、微熱に下がってきたのでそろそろ大丈夫かとスマホを見ていると、咲からLINEが届いた。
「調子どう? 熱は? 買い物して帰るから必要なものがあれば言って」
短い文章ながら、妹がわざわざ学校からこんな連絡をするなんてなかなかない。僕は「だいぶ良くなったから何もいらないよ」と返した。するとすぐに既読がつき、「わかった。ゆっくり寝てて」という返信が。
一言ずつに愛想のない文字ばかりなのに、その中にしっかり優しさがあるような気がする。いや、確実に優しい。
ところが、その日の夕方、咲は中途半端な怒りを抱えて帰宅した。
「なんで電話出なかったの?」
「え? 気づかなかったけど…」
「昼休みにかけたんだけど。もしかしたら倒れてるかもって思ったのに!」
考えてみれば、僕がスマホを確認したのはLINEの通知のみ。電話の着信は見逃していたらしい。
咲は顔を赤くして、「あんたが心配で仕方なかったわけじゃないからね」とか言いながら、早足で自分の部屋に引っ込んでしまった。それでも「スープ用に野菜買ってきたから食べたいなら言えよ!」とドア越しに怒鳴っているのだから、やっぱり気遣いがにじみ出ている。
知られざる妹の心理
夜、少し体調が回復した僕は、リビングでぼうっとテレビを観ていた。母は遅番の仕事らしく、家には咲と僕の二人。しばらくすると、咲がこちらへ顔を出す。手には何やら小鍋を持っていた。
「食べる?」
妹が作ったと思しきスープ。湯気がほんのり漂い、鼻をくすぐるいい香りがする。
「いいの? わざわざ作ったのか?」
「冷蔵庫に野菜が余ってたからね。あんたが風邪引いてるのに放っておくと、治りが遅くてまたうるさいから」
「…ありがとう」
と、そっけなく言いつつもテーブルに小鍋を置き、スープ皿にきれいによそってくれる。味も美味しく、僕は思わず「うまい!」と声を上げた。すると咲は、そっぽを向きながら少し嬉しそうに口元を緩ませる。
「そ、そりゃまあ、いちおうネットのレシピくらいは調べたから」
それでも照れくさいのか、すぐにリビングを出ようとする。
「待って、俺に何か手伝えることある?」
「は? …いらない。あんたはさっさと食べてさっさと寝て。無理してぶり返したら迷惑だから」
彼女なりのやさしさというのは、なかなかストレートに受け取りにくい。でも、それがツンデレ妹の魅力といえばそうなのかもしれない。
兄としての悩みと期待
正直、彼女のツンデレ対応に翻弄される日々は疲れなくもない。けれど、妹がどうやら僕のことをちゃんと気にかけてくれているのは、なんだかんだで嬉しい。
ただ、ひとつ気になることがある。咲は僕とふたりでいるときは少しだけ甘えてくるような雰囲気になるときがあるが、家族や友達がいるときは徹底して素っ気ない。まるで僕と二人きりになるまで“ツン”を貫き通し、“デレ”の面を一切見せないのだ。
もしかしたら「兄と仲良し」というのを周囲に知られるのが恥ずかしいのかもしれない。年頃の女の子にはありがちな話だし、それは仕方ない。けれど一方で、妹としてちゃんと頼りにされている兄になりたいという思いも少しある。
そんなある日、咲がヘアアクセサリーを探していて慌てていたことがあった。デパートで買ったお気に入りのシュシュが見当たらないらしい。
普段はツンツンしているくせに、「あんた、私のシュシュ知らない?」と部屋を覗いてくる。僕は「いや見てないよ。もしかして洗濯物と一緒に紛れてるんじゃない?」と提案してみた。
「え、それどこにあるかわからない」
咲は少しもじもじしながら、「一緒に探してくれない?」と恥ずかしそうにお願いしてきた。
「…うん」
咲は滅多に「お願いする」「手伝ってもらう」といったことを言わない性格だ。僕は少し驚きつつも一緒に洗面所を探し、ラックやバスケットの中を確認した。すると奥底に埋もれていたそのシュシュを発見することができた。
「あった、これ?」
「そう、それ。よかった…ありがとう。まあ別にあんたがいなくても見つかっただろうけど」
「それでも、手伝えたならよかったよ」
「…うん、ありがとね」
咲は小さくお礼を言い、そのまま洗面所を出ようとする。照れてしまったのかもしれない。僕はすぐ後を追いかけて、「咲、よかったら次は一緒に買い物でも行こう。シュシュがなくなるほどお気に入りなら、予備を買っておくのもいいんじゃない?」と声をかけてみる。
「はあ? どうして私があんたと買い物に…いや、行かないわけじゃないけど、別にあんたと行きたいわけじゃないんだから」
「どっちだよ」
「うるさい。まあ予定が合えば、考えとく」
ツンデレの中に「嫌じゃない」という気持ちが混ざっているのが、もう手に取るようにわかる。何度も繰り返しになるが、妹のそういうところがなんだか愛おしくもあるのだ。
熱も37度後半まで上がっていたみたいだけど、市販の風邪薬も解熱剤ロクに飲まず、もちろん病院にも行かない。
とはいえ24時間一緒にいるわけではないし、自分も1ヶ月くらい前に、熱はないが長く続いた風邪を引いたので、いつも通りにのんきに過ごしていた。その間も同居人はマスクや薬も飲まずに、ビタミンゼリーで栄養取ってとにかく汗をかけば治ると自己流で対処してた。
クリスマス明けたくらいから自分も少しずつ喉に違和感が出てきて12/27の夜に発熱… 楽しみにしていたテレビも全部見る体力がなく、悔しかったけど就寝。翌日も微熱が続いていたのと、月曜日から帰省する予定だったので念のためと思って病院に行ったら見事にインフルエンザ陽性だった。
同居人に伝えたら自分から感染させた自覚はあるようで、申し訳ない、とは言われた。
実家でゆっくり過ごすお正月を楽しみにしていたのに、結局全てをキャンセルした。東京にいても初売りにも初詣にも一般参賀にも、人混みには行けないから結局家で掃除してるだけ。