はてなキーワード: 馬鹿野郎とは
1年半付き合った彼女で、ショートカットで背が小さくでとてもかわいかった。私は背が高く当時はイケメンと評価され、私達は美男美女のカップル(死語)だった。
25年後。
私は別の女性と結婚し、2人の子供がいる。若い時は家族連れでフードコートに来るなんてひもじい感じがして嫌悪していた。俺はあんな大人にならない。
馬鹿野郎!!タイムマシーンがあったら過去の自分にビンタしたい。
「〇〇君?」
声をかけられ後を振り返ったら、知らない人がいた。
「あれ?わかんない。〇〇だよ」
ショートカットで背が小さくかわいかった彼女は控え目に見てもブタだった。
そこにはブタとハゲ丸が写っていて、「お互い老けたね〜」と笑い合った。
お父さんお母さんと声がしたので、「じゃ」と別れた。
写真は消した。
昔は輝いていた?
いや、今も輝いている。頭が。
シーンをそれなりに真剣に追っている者として、ウメハラがメナに勝つ確率は低いと思っている。
そのあたりをデータで語りたい。
ウメハラの昨年度の戦績はこうだ。
国内外を問わず、ある程度までは行くがトップ層にはしっかり負ける。
それはそれで凄いという話もあろうが、「格ゲーの王」としては物足りない。
これらのトーナメントに参加するプレイヤーの大きな目標は、巨額の賞金が懸かった二つの大会、
「Esports World Cup (EWC)」と「カプコンカップ(CC)」への出場権獲得だ。
ウメハラはどちらの出場権も獲得できなかった。
すでに世界のトップ層が別のトーナメントで出場権を獲得している状況で上位10人というのは、
さすがに最近奮わないウメハラでもいけるかと思われたのだが、そこでも33位だった。
実に安定している、悪い意味で。
World Warriorは、カプコンカップ(CC)の予選大会だ。
上で挙げた国内外のトーナメントとは別に、CCへの出場権を獲得するチャンスとなる。
全5回の開催で、
がCCに出場できる。
ウメハラの戦績はこうだ。
上振れただけ、という結論だろう。
それは他の大会の戦績を見れば分かると思う。どちらがデフォルトなのか。
もし、「それでも1回だって2位になるなんて凄い!」と言うなら、
その大会でウメハラを完封して優勝したひびきのことを、あなたたちはどれくらい評価しているのだろう?
結果を正当に評価しているとは到底思えない。
ウメハラは、弱くないが、プロとして「強い」と言うのは難しい。
ちなみに、メナは数千人が参加するEVO JAPANを2年連続で優勝している。
近年の戦績で言えば圧倒的にメナが上というのは、誰もが認めるところだ。
ここは強調しておきたい。
「つまらない調整」だったのだ。モチベーションを保つのが難しい。
「豪鬼はものすごい弱体化を受けた」と思っている人がいるのだとしたら、それは話を聞かず印象で語っている人だ。
なぜそんな印象になってしまうのだろうか?
それは、豪鬼が「胴着」と呼ばれるスタンダードキャラの一種だからだ。
豪鬼のように波動拳・昇龍拳で戦うキャラクターは「胴着」系と呼ばれ、
だから胴着使いはキャラの乗り換えが比較的容易で、より良い選択肢に移住しやすい。
結果として豪鬼はごっそり減った。
だがそれは胴着キャラという特性ありきで、「極端に弱くなったから」ではない。
(と言うか、スト6において戦えないキャラなどいない。奇跡的にバランスがいい)
だが、勝ちに拘る上位層ほど、胴着キャラでは容易にキャラ替えする。
つまり「勝率の高いプレイヤーほどいなくなりやすいのが胴着キャラ」ということだ。
https://www.streetfighter.com/6/buckler/ja-jp/stats/dia_master/202602
キャラ同士の組み合わせで勝率の割合を示しており、「5」ぴったりなら完全に五分となる。
そこから増えれば有利な相性で、減れば不利な相性だ。
最上位帯となるULTIMATE MASTER(アルマス)帯の相性を見ていこう。
確かに数値は悪くなっている。
しかしここで重要なのは、「勝ちにこだわる上位層ほどキャラを乗り換える」という事実だ。
胴着キャラは人口が多いので、移住による勝率変化がもっとも顕著に出る。
つまり、実際に強くなった・弱くなった度合いよりも、勝率変化が大袈裟に出やすいということだ。
ナーフ後は、4.968。
数値だけ見ると豪鬼の方が下げ幅が大きいが、
上位層でもそのまま粘って使い続ける人が多いだろう。
このあたりの事情を加味すると、豪鬼とブランカの弱体化度合いは、せいぜい「どっこい」だ。
少なくとも「ウメハラは超絶ナーフを食らった豪鬼で頑張っている」というのは大きな勘違いと言えるだろう。
ちなみに、
で、これは五分と見ていいだろう。
これはアルマス帯の統計で、対戦相手はアルマス帯以外も含まれるので、綺麗に足して10にはならない。
データとして、近年の戦績の部分ではメナが圧倒的に優勢、キャラの部分では五分、ということが分かってもらえたと思う。
だから俺はメナが勝つと思う。
ドミニカのコミュニティのために、それこそかつてのウメハラのように、あるべき姿を示している。
尊敬すべき男だ。
唯一ウメハラに分があるとしたら、圧倒的ホームの環境というところだ。
メンタルの部分でもメナは臆せず戦えるだろう。
俺が言いたいのは、過去の栄光とか、実態に基づかない願望とか、
そういったことでウメハラを「格ゲーの王」などと言って持ち上げるのはもうやめて欲しいということだ。
「格ゲーの王」を自認して、それを誰も突っ込めない。
「馬鹿野郎!全然勝ってねえくせに、"王"なんて調子こくな!」と誰かが突っ込んでやらないと、痛々しいだけだ。
つい先日、SFL ワールドチャンピオンシップという団体戦の世界大会の説明を受けているときに、
他のプレイヤーがちゃんと話を聞いているなか、ウメハラだけスマホを横にして、だらしない姿勢で何か別のゲームをしていたのをご存知だろうか。
あまりにも酷い態度で、「チームメイトのレシャーが機嫌悪そうなのはウメハラがあんな態度だからではないか」とときど・ふ~どが心配したほどの醜態だったが(実際は頭痛が辛かったかららしい)、
そのことでウメハラを「シャドバやってたんすか?」と軽く問い詰めたら、「いや、スレスパだから。しかも1」などと言ったらしい。
笑えるが酷い話だ。シャドバだろうがスレスパだろうが選手として姿勢がなってないという話だろう。
でもウメハラはふんぞり返る。ふんぞり返り続ける。
なぜなら王だから……。
こんな時代はもう終わりにしないといけない。
ウメハラはその場でいい感じのことを言う才能だけは格ゲーよりもあるのでみんなコロっと騙されるが、
しっかりウメハラの動向を追っていると幻滅することだらけなのだ。
メナよ、頼んだぞ。
予想通り、メナが勝った。順当な結果だった……とは思わない。
正直、2-10でウメハラが負けてもおかしくないと思っていた。
結果は6-10。
ただ、これから先、
こうなってくると何をいうても、直ぐそこへ持ってくるので話がゆきつまってしまう。二人の内でどちらか一人が、すこうしほんの僅かにでも押が強ければ、こんなに話がゆきつまるのではない。お互に心持は奥底まで解っているのだから、吉野紙を突破るほどにも力がありさえすれば、話の一歩を進めてお互に明放してしまうことが出来るのである。しかしながら真底からおぼこな二人は、その吉野紙を破るほどの押がないのである。またここで話の皮を切ってしまわねばならぬと云う様な、はっきりした意識も勿論ないのだ。言わば未まだ取止めのない卵的の恋であるから、少しく心の力が必要な所へくると話がゆきつまってしまうのである。
お互に自分で話し出しては自分が極りわるくなる様なことを繰返しつつ幾町かの道を歩いた。詞数こそ少なけれ、その詞の奥には二人共に無量の思いを包んで、極りがわるい感情の中には何とも云えない深き愉快を湛えて居る。それでいわゆる足も空に、いつしか田圃も通りこし、山路へ這入った。今度は民子が心を取り直したらしく鮮かな声で、
「政夫さん、もう半分道来ましてしょうか。大長柵おおながさくへは一里に遠いッて云いましたねイ」
「そうです、一里半には近いそうだが、もう半分の余来ましたろうよ。少し休みましょうか」
「わたし休まなくとも、ようございますが、早速お母さんの罰があたって、薄すすきの葉でこんなに手を切りました。ちょいとこれで結わえて下さいな」
親指の中ほどで疵きずは少しだが、血が意外に出た。僕は早速紙を裂いて結わえてやる。民子が両手を赤くしているのを見た時非常にかわいそうであった。こんな山の中で休むより、畑へ往いってから休もうというので、今度は民子を先に僕が後になって急ぐ。八時少し過ぎと思う時分に大長柵の畑へ着いた。
十年許り前に親父おやじが未だ達者な時分、隣村の親戚から頼まれて余儀なく買ったのだそうで、畑が八反と山林が二町ほどここにあるのである。この辺一体に高台は皆山林でその間の柵が畑になって居る。越石こしこくを持っていると云えば、世間体はよいけど、手間ばかり掛って割に合わないといつも母が言ってる畑だ。
三方林で囲まれ、南が開いて余所よその畑とつづいている。北が高く南が低い傾斜こうばいになっている。母の推察通り、棉は末にはなっているが、風が吹いたら溢れるかと思うほど棉はえんでいる。点々として畑中白くなっているその棉に朝日がさしていると目まぶしい様に綺麗だ。
民子は女だけに、棉の綺麗にえんでるのを見て嬉しそうにそう云った。畑の真中ほどに桐の樹が二本繁っている。葉が落ちかけて居るけれど、十月の熱を凌しのぐには十分だ。ここへあたりの黍殻きびがらを寄せて二人が陣どる。弁当包みを枝へ釣る。天気のよいのに山路を急いだから、汗ばんで熱い。着物を一枚ずつ脱ぐ。風を懐ふところへ入れ足を展のばして休む。青ぎった空に翠みどりの松林、百舌もずもどこかで鳴いている。声の響くほど山は静かなのだ。天と地との間で広い畑の真ン中に二人が話をしているのである。
「ほんとに民子さん、きょうというきょうは極楽の様な日ですねイ」
顔から頸から汗を拭いた跡のつやつやしさ、今更に民子の横顔を見た。
「そうですねイ、わたし何だか夢の様な気がするの。今朝家うちを出る時はほんとに極りが悪くて……嫂ねえさんには変な眼つきで視られる、お増には冷かされる、私はのぼせてしまいました。政夫さんは平気でいるから憎らしかったわ」
「僕だって平気なもんですか。村の奴らに逢うのがいやだから、僕は一足先に出て銀杏の下で民さんを待っていたんでさア。それはそうと、民さん、今日はほんとに面白く遊ぼうね。僕は来月は学校へ行くんだし、今月とて十五日しかないし、二人でしみじみ話の出来る様なことはこれから先はむずかしい。あわれッぽいこと云うようだけど、二人の中も今日だけかしらと思うのよ。ねイ民さん……」
「そりゃア政夫さん、私は道々そればかり考えて来ました。私がさっきほんとに情なくなってと言ったら、政夫さんは笑っておしまいなしたけど……」
面白く遊ぼう遊ぼう言うても、話を始めると直ぐにこうなってしまう。民子は涙を拭うた様であった。ちょうどよくそこへ馬が見えてきた。西側の山路から、がさがさ笹にさわる音がして、薪たきぎをつけた馬を引いて頬冠ほおかむりの男が出て来た。よく見ると意外にも村の常吉である。この奴はいつか向うのお浜に民子を遊びに連れだしてくれと頻しきりに頼んだという奴だ。いやな野郎がきやがったなと思うていると、
「や政夫さん。コンチャどうも結構なお天気ですな。今日は御夫婦で棉採りかな。洒落しゃれてますね。アハハハハハ」
「ハア吾々なんざア駄賃取りでもして適たまに一盃いっぱいやるより外に楽しみもないんですからな。民子さん、いやに見せつけますね。余あんまり罪ですぜ。アハハハハハ」
この野郎失敬なと思ったけれど、吾々も余り威張れる身でもなし、笑いとぼけて常吉をやり過ごした。
「馬鹿野郎、実に厭なやつだ。さア民さん、始めましょう。ほんとに民さん、元気をお直しよ。そんなにくよくよおしでないよ。僕は学校へ行ったて千葉だもの、盆正月の外にも来ようと思えば土曜の晩かけて日曜に来られるさ……」
「ほんとに済みません。泣面なきつらなどして。あの常さんて男、何といういやな人でしょう」
民子は襷掛け僕はシャツに肩を脱いで一心に採って三時間ばかりの間に七分通り片づけてしまった。もう跡はわけがないから弁当にしようということにして桐の蔭に戻る。僕はかねて用意の水筒を持って、
「民さん、僕は水を汲くんで来ますから、留守番を頼みます。帰りに『えびづる』や『あけび』をうんと土産みやげに採って来ます」
「私は一人で居るのはいやだ。政夫さん、一所に連れてって下さい。さっきの様な人にでも来られたら大変ですもの」
「だって民さん、向うの山を一つ越して先ですよ、清水しみずのある所は。道という様な道もなくて、それこそ茨いばらや薄すすきで足が疵だらけになりますよ。水がなくちゃ弁当が食べられないから、困ったなア、民さん、待っていられるでしょう」
「政夫さん、後生だから連れて行って下さい。あなたが歩ける道なら私にも歩けます。一人でここにいるのはわたしゃどうしても……」
「民さんは山へ来たら大変だだッ児になりましたネー。それじゃ一所に行きましょう」
弁当は棉の中へ隠し、着物はてんでに着てしまって出掛ける。民子は頻りに、にこにこしている。端はたから見たならば、馬鹿馬鹿しくも見苦しくもあろうけれど、本人同志の身にとっては、そのらちもなき押問答の内にも限りなき嬉しみを感ずるのである。高くもないけど道のない所をゆくのであるから、笹原を押分け樹の根につかまり、崖を攀よずる。しばしば民子の手を採って曳ひいてやる。
近く二三日以来の二人の感情では、民子が求めるならば僕はどんなことでも拒まれない、また僕が求めるならやはりどんなことでも民子は決して拒みはしない。そういう間柄でありつつも、飽くまで臆病に飽くまで気の小さな両人ふたりは、嘗かつて一度も有意味に手などを採ったことはなかった。しかるに今日は偶然の事から屡手を採り合うに至った。這辺このへんの一種云うべからざる愉快な感情は経験ある人にして初めて語ることが出来る。
「民さん、ここまでくれば、清水はあすこに見えます。これから僕が一人で行ってくるからここに待って居なさい。僕が見えて居たら居られるでしょう」
「ほんとに政夫さんの御厄介ですね……そんなにだだを言っては済まないから、ここで待ちましょう。あらア野葡萄えびづるがあった」
僕は水を汲んでの帰りに、水筒は腰に結いつけ、あたりを少し許り探って、『あけび』四五十と野葡萄一もくさを採り、竜胆りんどうの花の美しいのを五六本見つけて帰ってきた。帰りは下りだから無造作に二人で降りる。畑へ出口で僕は春蘭しゅんらんの大きいのを見つけた。
「民さん、僕は一寸『アックリ』を掘ってゆくから、この『あけび』と『えびづる』を持って行って下さい」
「『アックリ』てなにい。あらア春蘭じゃありませんか」
「民さんは町場もんですから、春蘭などと品のよいこと仰おっしゃるのです。矢切の百姓なんぞは『アックリ』と申しましてね、皸あかぎれの薬に致します。ハハハハ」
「あらア口の悪いこと。政夫さんは、きょうはほんとに口が悪くなったよ」
山の弁当と云えば、土地の者は一般に楽しみの一つとしてある。何か生理上の理由でもあるか知らんが、とにかく、山の仕事をしてやがてたべる弁当が不思議とうまいことは誰も云う所だ。今吾々二人は新らしき清水を汲み来り母の心を籠こめた弁当を分けつつたべるのである。興味の尋常でないは言うも愚おろかな次第だ。僕は『あけび』を好み民子は野葡萄をたべつつしばらく話をする。
民子は笑いながら、
「政夫さんは皸の薬に『アックリ』とやらを採ってきて学校へお持ちになるの。学校で皸がきれたらおかしいでしょうね……」
僕は真面目に、
「なアにこれはお増にやるのさ。お増はもうとうに皸を切らしているでしょう。この間も湯に這入る時にお増が火を焚たきにきて非常に皸を痛がっているから、その内に僕が山へ行ったら『アックリ』を採ってきてやると言ったのさ」
「まアあなたは親切な人ですことね……お増は蔭日向かげひなたのない憎気のない女ですから、私も仲好くしていたんですが、この頃は何となし私に突き当る様な事ばかし言って、何でもわたしを憎んでいますよ」
「アハハハ、それはお増どんが焼餅をやくのでさ。つまらんことにもすぐ焼餅を焼くのは、女の癖さ。僕がそら『アックリ』を採っていってお増にやると云えば、民さんがすぐに、まアあなたは親切な人とか何とか云うのと同じ訣わけさ」
「この人はいつのまにこんなに口がわるくなったのでしょう。何を言っても政夫さんにはかないやしない。いくら私だってお増が根も底もない焼もちだ位は承知していますよ……」
「実はお増も不憫ふびんな女よ。両親があんなことになりさえせねば、奉公人とまでなるのではない。親父は戦争で死ぬ、お袋はこれを嘆いたがもとでの病死、一人の兄がはずれものという訣で、とうとうあの始末。国家のために死んだ人の娘だもの、民さん、いたわってやらねばならない。あれでも民さん、あなたをば大変ほめているよ。意地曲りの嫂にこきつかわれるのだから一層かわいそうでさ」
「そりゃ政夫さん私もそう思って居ますさ。お母さんもよくそうおっしゃいました。つまらないものですけど何とかかとか分けてやってますが、また政夫さんの様に情深くされると……」
民子は云いさしてまた話を詰らしたが、桐の葉に包んで置いた竜胆の花を手に採って、急に話を転じた。
「こんな美しい花、いつ採ってお出でなして。りんどうはほんとによい花ですね。わたしりんどうがこんなに美しいとは知らなかったわ。わたし急にりんどうが好きになった。おオえエ花……」
花好きな民子は例の癖で、色白の顔にその紫紺の花を押しつける。やがて何を思いだしてか、ひとりでにこにこ笑いだした。
「民さん、なんです、そんなにひとりで笑って」
「政夫さんはりんどうの様な人だ」
「どうして」
「さアどうしてということはないけど、政夫さんは何がなし竜胆の様な風だからさ」
民子は言い終って顔をかくして笑った。
「民さんもよっぽど人が悪くなった。それでさっきの仇討あだうちという訣ですか。口真似なんか恐入りますナ。しかし民さんが野菊で僕が竜胆とは面白い対ですね。僕は悦よろこんでりんどうになります。それで民さんがりんどうを好きになってくれればなお嬉しい」
二人はこんならちもなき事いうて悦んでいた。秋の日足の短さ、日はようやく傾きそめる。さアとの掛声で棉もぎにかかる。午後の分は僅であったから一時間半ばかりでもぎ終えた。何やかやそれぞれまとめて番ニョに乗せ、二人で差しあいにかつぐ。民子を先に僕が後に、とぼとぼ畑を出掛けた時は、日は早く松の梢をかぎりかけた。
半分道も来たと思う頃は十三夜の月が、木この間まから影をさして尾花にゆらぐ風もなく、露の置くさえ見える様な夜になった。今朝は気がつかなかったが、道の西手に一段低い畑には、蕎麦そばの花が薄絹を曳き渡したように白く見える。こおろぎが寒げに鳴いているにも心とめずにはいられない。
「民さん、くたぶれたでしょう。どうせおそくなったんですから、この景色のよい所で少し休んで行きましょう」
「こんなにおそくなるなら、今少し急げばよかったに。家の人達にきっと何とか言われる。政夫さん、私はそれが心配になるわ」
「今更心配しても追おっつかないから、まア少し休みましょう。こんなに景色のよいことは滅多めったにありません。そんなに人に申訣のない様な悪いことはしないもの、民さん、心配することはないよ」
月あかりが斜にさしこんでいる道端の松の切株に二人は腰をかけた。目の先七八間の所は木の蔭で薄暗いがそれから向うは畑一ぱいに月がさして、蕎麦の花が際きわ立って白い。
「何というえい景色でしょう。政夫さん歌とか俳句とかいうものをやったら、こんなときに面白いことが云えるでしょうね。私ら様な無筆でもこんな時には心配も何も忘れますもの。政夫さん、あなた歌をおやんなさいよ」
「僕は実は少しやっているけど、むずかしくて容易に出来ないのさ。山畑の蕎麦の花に月がよくて、こおろぎが鳴くなどは実にえいですなア。民さん、これから二人で歌をやりましょうか」
お互に一つの心配を持つ身となった二人は、内に思うことが多くてかえって話は少ない。何となく覚束おぼつかない二人の行末、ここで少しく話をしたかったのだ。民子は勿論のこと、僕よりも一層話したかったに相違ないが、年の至らぬのと浮いた心のない二人は、なかなか差向いでそんな話は出来なかった。しばらくは無言でぼんやり時間を過ごすうちに、一列の雁がんが二人を促すかの様に空近く鳴いて通る。
ようやく田圃へ降りて銀杏の木が見えた時に、二人はまた同じ様に一種の感情が胸に湧いた。それは外でもない、何となく家に這入はいりづらいと言う心持である。這入りづらい訣はないと思うても、どうしても這入りづらい。躊躇ちゅうちょする暇もない、忽たちまち門前近く来てしまった。
「政夫さん……あなた先になって下さい。私極きまりわるくてしょうがないわ」
「よしとそれじゃ僕が先になろう」
僕は頗すこぶる勇気を鼓こし殊に平気な風を装うて門を這入った。家の人達は今夕飯最中で盛んに話が湧いているらしい。庭場の雨戸は未だ開いたなりに月が軒口までさし込んでいる。僕が咳払せきばらいを一ツやって庭場へ這入ると、台所の話はにわかに止んでしまった。民子は指の先で僕の肩を撞ついた。僕も承知しているのだ、今御膳会議で二人の噂が如何いかに盛んであったか。
宵祭ではあり十三夜ではあるので、家中表座敷へ揃そろうた時、母も奥から起きてきた。母は一通り二人の余り遅かったことを咎めて深くは言わなかったけれど、常とは全く違っていた。何か思っているらしく、少しも打解けない。これまでは口には小言を言うても、心中に疑わなかったのだが、今夜は口には余り言わないが、心では十分に二人に疑いを起したに違いない。民子はいよいよ小さくなって座敷中なかへは出ない。僕は山から採ってきた、あけびや野葡萄えびづるやを沢山座敷中じゅうへ並べ立てて、暗に僕がこんな事をして居たから遅くなったのだとの意を示し無言の弁解をやっても何のききめもない。誰一人それをそうと見るものはない。今夜は何の話にも僕等二人は除のけものにされる始末で、もはや二人は全く罪あるものと黙決されてしまったのである。
「お母さんがあんまり甘過ぎる。あアして居る二人を一所に山畑へやるとは目のないにもほどがある。はたでいくら心配してもお母さんがあれでは駄目だ」
これが台所会議の決定であったらしい。母の方でもいつまで児供と思っていたが誤りで、自分が悪かったという様な考えに今夜はなったのであろう。今更二人を叱って見ても仕方がない。なに政夫を学校へ遣やってしまいさえせば仔細しさいはないと母の心はちゃんときまって居るらしく、
「政や、お前はナ十一月へ入って直ぐ学校へやる積りであったけれど、そうしてぶらぶらして居ても為にならないから、お祭が終ったら、もう学校へゆくがよい。十七日にゆくとしろ……えいか、そのつもりで小支度して置け」
学校へゆくは固より僕の願い、十日や二十日早くとも遅くともそれに仔細はないが、この場合しかも今夜言渡いいわたしがあって見ると、二人は既に罪を犯したものと定められての仕置であるから、民子は勿論僕に取ってもすこぶる心苦しい処がある。実際二人はそれほどに堕落した訣でないから、頭からそうときめられては、聊いささか妙な心持がする。さりとて弁解の出来ることでもなし、また強いことを言える資格も実は無いのである。これが一ヶ月前であったらば、それはお母さん御無理だ、学校へ行くのは望みであるけど、科とがを着せられての仕置に学校へゆけとはあんまりでしょう……などと直ぐだだを言うのであるが、今夜はそんな我儘わがままを言えるほど無邪気ではない。全くの処、恋に陥ってしまっている。
あれほど可愛がられた一人の母に隠立てをする、何となく隔てを作って心のありたけを言い得ぬまでになっている。おのずから人前を憚はばかり、人前では殊更に二人がうとうとしく取りなす様になっている。かくまで私心わたくしごころが長じてきてどうして立派な口がきけよう。僕はただ一言いちごん、
「はア……」
と答えたきりなんにも言わず、母の言いつけに盲従する外はなかった。
「僕は学校へ往ってしまえばそれでよいけど、民さんは跡でどうなるだろうか」
不図ふとそう思って、そっと民子の方を見ると、お増が枝豆をあさってる後に、民子はうつむいて膝の上に襷たすきをこねくりつつ沈黙している。如何にも元気のない風で夜のせいか顔色も青白く見えた。民子の風を見て僕も俄に悲しくなって泣きたくなった。涙は瞼まぶたを伝って眼が曇った。なぜ悲しくなったか理由は判然はっきりしない。ただ民子が可哀相でならなくなったのである。民子と僕との楽しい関係もこの日の夜までは続かなく、十三日の昼の光と共に全く消えうせてしまった。嬉しいにつけても思いのたけは語りつくさず、憂き悲しいことについては勿論百分の一だも語りあわないで、二人の関係は闇やみの幕に這入ってしまったのである。
十四日は祭の初日でただ物せわしく日がくれた。お互に気のない風はしていても、手にせわしい仕事のあるばかりに、とにかく思い紛らすことが出来た。
十五日と十六日とは、食事の外用事もないままに、書室へ籠こもりとおしていた。ぼんやり机にもたれたなり何をするでもなく、また二人の関係をどうしようかという様なことすらも考えてはいない。ただ民子のことが頭に充ちているばかりで、極めて単純に民子を思うている外に考えは働いて居らぬ。この二日の間に民子と三四回は逢ったけれど、話も出来ず微笑を交換する元気もなく、うら淋しい心持を互に目に訴うるのみであった。二人の心持が今少しませて居ったならば、この二日の間にも将来の事など随分話し合うことが出来たのであろうけれど、しぶとい心持などは毛ほどもなかった二人には、その場合になかなかそんな事は出来なかった。それでも僕は十六日の午後になって、何とはなしに以下のような事を巻紙へ書いて、日暮に一寸来た民子に僕が居なくなってから見てくれと云って渡した。
朝からここへ這入ったきり、何をする気にもならない。外へ出る気にもならず、本を読む気にもならず、ただ繰返し繰返し民さんの事ばかり思って居る。民さんと一所に居れば神様に抱かれて雲にでも乗って居る様だ。僕はどうしてこんなになったんだろう。学問をせねばならない身だから、学校へは行くけれど、心では民さんと離れたくない。民さんは自分の年の多いのを気にしているらしいが、僕はそんなことは何とも思わない。僕は民さんの思うとおりになるつもりですから、民さんもそう思っていて下さい。明日は早く立ちます。冬期の休みには帰ってきて民さんに逢うのを楽しみにして居ります。
十月十六日
政夫
民子様
学校へ行くとは云え、罪があって早くやられると云う境遇であるから、人の笑声話声にも一々ひがみ心が起きる。皆二人に対する嘲笑かの様に聞かれる。いっそ早く学校へ行ってしまいたくなった。決心が定まれば元気も恢復かいふくしてくる。この夜は頭も少しくさえて夕飯も心持よくたべた。学校のこと何くれとなく母と話をする。やがて寝に就いてからも、
「何だ馬鹿馬鹿しい、十五かそこらの小僧の癖に、女のことなどばかりくよくよ考えて……そうだそうだ、明朝あしたは早速学校へ行こう。民子は可哀相だけれど……もう考えまい、考えたって仕方がない、学校学校……」
独口ひとりぐちききつつ眠りに入った様な訣であった。
船で河から市川へ出るつもりだから、十七日の朝、小雨の降るのに、一切の持物をカバン一個ひとつにつめ込み民子とお増に送られて矢切の渡へ降りた。村の者の荷船に便乗する訣でもう船は来て居る。僕は民さんそれじゃ……と言うつもりでも咽のどがつまって声が出ない。民子は僕に包を渡してからは、自分の手のやりばに困って胸を撫なでたり襟えりを撫でたりして、下ばかり向いている。眼にもつ涙をお増に見られまいとして、体を脇へそらしている、民子があわれな姿を見ては僕も涙が抑え切れなかった。民子は今日を別れと思ってか、髪はさっぱりとした銀杏返いちょうがえしに薄く化粧をしている。煤色すすいろと紺の細かい弁慶縞べんけいじまで、羽織も長着も同じい米沢紬よねざわつむぎに、品のよい友禅縮緬ゆうぜんちりめんの帯をしめていた。襷を掛けた民子もよかったけれど今日の民子はまた一層引立って見えた。
僕の気のせいででもあるか、民子は十三日の夜からは一日ひとひ一日とやつれてきて、この日のいたいたしさ、僕は泣かずには居られなかった。虫が知らせるとでもいうのか、これが生涯の別れになろうとは、僕は勿論民子とて、よもやそうは思わなかったろうけれど、この時のつらさ悲しさは、とても他人に話しても信じてくれるものはないと思う位であった。
尤もっとも民子の思いは僕より深かったに相違ない。僕は中学校を卒業するまでにも、四五年間のある体であるのに、民子は十七で今年の内にも縁談の話があって両親からそう言われれば、無造作に拒むことの出来ない身であるから、行末のことをいろいろ考えて見ると心配の多い訣である。当時の僕はそこまでは考えなかったけれど、親しく目に染しみた民子のいたいたしい姿は幾年経っても昨日の事のように眼に浮んでいるのである。
余所から見たならば、若いうちによくあるいたずらの勝手な泣面と見苦しくもあったであろうけれど、二人の身に取っては、真にあわれに悲しき別れであった。互に手を取って後来を語ることも出来ず、小雨のしょぼしょぼ降る渡場に、泣きの涙も人目を憚はばかり、一言の詞ことばもかわし得ないで永久の別れをしてしまったのである。無情の舟は流を下って早く、十分間と経たぬ内に、五町と下らぬ内に、お互の姿は雨の曇りに隔てられてしまった。物も言い得ないで、しょんぼりと悄しおれていた不憫ふびんな民さんの俤おもかげ、どうして忘れることが出来よう。民さんを思うために神の怒りに触れて即座に打殺さるる様なことがあるとても僕には民さんを思わずに居られない。年をとっての後の考えから言えば、あアもしたらこうもしたらと思わぬこともなかったけれど、当時の若い同志どうしの思慮には何らの工夫も無かったのである。八百屋お七は家を焼いたらば、再度ふたたび思う人に逢われることと工夫をしたのであるが、吾々二人は妻戸一枚を忍んで開けるほどの智慧ちえも出なかった。それほどに無邪気な可憐な恋でありながら、なお親に怖おじ兄弟に憚り、他人の前にて涙も拭き得なかったのは如何に気の弱い同志であったろう。
僕は学校へ行ってからも、とかく民子のことばかり思われて仕方がない。学校に居ってこんなことを考えてどうするものかなどと、自分で自分を叱り励まして見ても何の甲斐もない。そういう詞の尻からすぐ民子のことが湧いてくる。多くの人中に居ればどうにか紛れるので、日の中はなるたけ一人で居ない様に心掛けて居た。夜になっても寝ると仕方がないから、なるたけ人中で騒いで居て疲れて寝る工夫をし
「あ、鳴つた。」
と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾をかぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。
「近いやうだね。」
「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」
「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」
「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」
「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐるから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます。
母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段は絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。
この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである。物語を創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ。
ムカシ ムカシノオ話ヨ
などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである。
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瘤取り
ムカシ ムカシノオ話ヨ
ミギノ ホホニ ジヤマツケナ
このお爺さんは、四国の阿波、剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐるものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近に於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語を舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽、歌舞伎、芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、
ムカシ ムカシノオ話ヨ
と壕の片隅に於いて、絵本を読みながら、その絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)
このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独なものである。孤独だから酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然に孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである。若い時から無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。
「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、
「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しますから。」と言ふ。
お爺さんは浮かぬ顔になる。
また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。
けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのである。しかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。
「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」
言はなくたつていい事である。
お婆さんも息子も、黙つてゐる。
「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。
「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。
「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。
アルヒ アサカラ ヨイテンキ
このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、
「よい眺めぢやなう。」
と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、
「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、
「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、
「いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分の可愛い孫のやうに思ひ、自分の孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのである。けふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、
「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである。
カゼガ ゴウゴウ フイテキテ
春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、
「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」
と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、
「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である。
「はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」
とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜の大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、
「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである。
ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ
この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、
「これは、いけない。」
と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。
「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、
ミレバ フシギダ ユメデシヨカ
といふ事になるのである。
見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議の光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いからである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪の性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇の鬼才何某先生の傑作、などといふ文句が新聞の新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実を暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉を使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万の醜悪な綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供の絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである。
見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである。
お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、
「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり、隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物ともつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐる種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山の隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである。地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林の賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山の隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐるから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山の隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人と呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかいふ言葉は、まるで無意味なものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、
「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく。
スグニ トビダシ ヲドツタラ
コブガ フラフラ ユレルノデ
お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、
赤い襷に迷ふも無理やない
嫁も笠きて行かぬか来い来い
とかいふ阿波の俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、
大谷通れば石ばかり
笹山通れば笹ばかり
とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。
ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ
ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ
ソノ ヤクソクノ オシルシニ
と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。
お爺さんは驚き、
「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。
コブヲ トラレタ オヂイサン
ツマラナサウニ ホホヲ ナデ
オヤマヲ オリテ ユキマシタ
瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。
「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。
「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失してゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである。
家に帰るとお婆さんは、
「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。
「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議な出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。
「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。
「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。
「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。
「うむ。」
「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」
「さうだらう。」
結局、このお爺さんの一家に於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるとかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24
親がマルチにハマった話とか、増田に常駐する人なら百回聞いたと思う。
感じが良くてニコニコ相槌を打つ相手に乗せられて、喫茶店で勧誘、気が付いたら銀行から下ろしたお金を自宅で手渡し、貯金を丸裸にさせられていたといういつもの流れだ。
うちの親がハマったマルチはファイナンシャルプランナーの資格を持つ塾講師の兄ちゃんだった。
怪しい塾講師の筆頭といえば、今も昔も、定番は、児童・生徒相手のグルーミングからの性行為の強要、盗撮なんかになるだろう。
ところ変われば品変わると言うが、最近は朝遅く時間の自由が利くファイナンシャルプランナー…というか、株屋崩れの一攫千金を夢見る若者が塾講師になるようである。
職場にあるパソコンにビットコインの取引サイトを登録しておけば、朝から仕事をしながら取引の動きを察知できるのである。
そうして、普段は株やビットコインの取引を続け乍ら、うちの親のような、ほいほい他人を家に上げてもてなしをしたい田舎のカモを待つのである。
子ども相手の商売と言う表の生業があれば、確かに他人は簡単に騙されるものなのかもしれない。
父親は、ヤフー知恵袋で社名を検索すれば三秒で解決、これはマルチ商法(に限りなく近いねずみ講)と出て来るはずの会社に、コロッと騙されてしまったのだ。
ねずみ講の手口も年々巧妙になっている。
銀行の窓口で「今の仕事で入り用だ」と言うように指示されたのだという。
正直に「投資資金にするつもりだ、そういう風に説明されたのだ」と言っていれば、と思うが、結局投資が何かも分からない自分の愚かさを認め、窓口の女性たちに救いを求める勇気がなかったのだ。
そのせいで、詐欺を疑うはずの銀行の詮索を避け、現金を手渡しする羽目になった。
二十数年前ならともかく、都会では町のあちこちに監視カメラや仕掛けられており、現ナマを下ろした後のやりとりが直接写ってなくとも色々難しいのだろう。
田舎であればそれも解決だ。警察も次の犯行があるまでは何も動かない。
その少なからぬ金額のうちの一部は、特捜部Qよろしく、市役所の陰気な地下室で期間任用の職員として働き、冬でも男物よりもずっとぺらぺら暖かくもない肌着を身に着けてしもやけに苦しんでいたもう一人の、今はこの世にいない親が自らの勤労の血と汗で蓄えた金である。
警察にとってはただの数字でしかないが、おれにとっては、金塊よりも重い。
亡くなった親がもし生きて入れば、上昇志向のあった妹のように姪が海外に留学したいと言った時にそれをへそくりとして出したかもしれないが、生きている方の親は、知り合って一年足らずの塾講師にそれを呉れてやったのである。
親は高い勉強料だったと、これから気を付けると言ってへらへらと笑う。
馬鹿野郎。
馬鹿野郎。
馬鹿野郎。
ほんなわけないやろ馬鹿野郎
高市はバカだしトランプは余計なことして世界を混乱に陥れた大馬鹿野郎のクソだと思うが、それはそれとしてXの左派の一部(あくまで一部だが)がイランを無辜の国みたいに扱いはじめてるのはちょっと危うく感じる
自己放尿とは、個人が自らの効用を毀損する非合理的選択である。
すなわち、限界便益が限界費用を下回るにもかかわらず実行される行動であり、価格理論的に言えば誤った主観的評価に基づく資源配分の失敗である。
しかしここで重要なのは、この自己放尿が誰の計算主体の中で完結しているかという点である。
市民の自己放尿は、ミクロ的には単なる効用関数の歪み、あるいは情報コストを節約した結果としての合理的無知の副産物である。
人間は完全合理ではないが、観察される行動は制約下での最適化の結果として解釈されるべきだ。
つまり市民の自己放尿は、外部から見れば愚かでも、その主体にとっては制約付き最適化問題の一解にすぎない。
自己放尿する自由、すなわち自らの資源を非効率に消費する自由は、市場経済の本質的帰結である。
なぜなら、価格システムは情報を分散的に処理する装置であり、その前提は各主体が自分の選好に従って行動することにあるからだ。
誤った選択、すなわち自己放尿もまた、その分散的秩序の一部であり、外部から矯正されるべき対象ではない。
政府の自己放尿は、単なる個人の効用毀損では終わらない。それは強制力を伴う再配分メカニズムを通じて、他者の資源配分に介入する。
つまり政府の自己放尿は外部不経済を制度的に強制する装置である。市民の自己放尿が内部化された損失であるのに対し、政府の自己放尿は社会的費用として拡散する。
さらに公共選択論的観点から見れば、政府の自己放尿は構造的に不可避である。
なぜなら政治市場では、有権者は合理的無知に陥り、政策の限界的影響に対するインセンティブが極端に低い。
結果として、政策決定者は集中利益と分散コストの構造を利用し、自己放尿的政策を選好する。
ここでの自己放尿はもはや比喩ではなく、制度的に誘発された非効率の均衡状態である。
市民の自己放尿は競争過程の中で淘汰される。誤った選択を続ける主体は資源を失い、市場から退出する。これは価格システムの自動操縦装置としての機能である。
一方で政府の自己放尿は淘汰されない。なぜなら政府は予算制約がソフトであり、失敗のコストを税やインフレによって外部化できるからだ。
ここにおいて、自己放尿は単なる愚行ではなく、持続可能な制度的歪みへと堕落する。
市民の自己放尿は愚行権であり、自由の副産物である。政府の自己放尿は強制的再配分であり、自由の侵害である。
前者は市場の中で修正されうるノイズであり、後者は市場そのものを歪めるシステムエラーである。
いよいよ30を超えたあたりで結婚してぇ!って思った。
でも相手が居ない!ってなってさ、そうしたら友人がは?っていうわけ。
お前さ、結婚したいなら行動してるの?と。
別に何もしてないって言ったら心底呆れられた。
いや仕事忙しくて出会いとかないし…って言ったら馬鹿野郎と。アホかと。さらに呆れられた。
腹減ったら飯食うだろ?欲しいものあって金あれば買うだろ?それって行動してたんだよ。でもお前はそうやって行動しない理由だけあげる。行動するだけのことだろ。
そういわれてハッとした。それから身嗜みについて調べるようになり、結婚相談所にも登録した。
数年後には結婚した。で、今に至る。あの時の友人の言葉は金言だったと思うし、大人は単純なことを難しくいうことで誤魔化す癖があるのだと思う。
ポケットモンスターがなぜか海外ではポケモンと省略してる!だめだ!ポケットモンスターにしろ!
ゴッドガンダムがなぜか海外ではバーニングガンダムになってる!ふざけんな!神だろ神!神がなんで燃えてんだよ!イエスかバカ!!
ロックマンがなぜか海外ではメガマンとかわけわからん名前になってる!なんだよメガマンって!?バクマンじゃねえんだからよ!
それで同じメガなのにメガドライブはなんでジェネシスとか創生しちまってんだよ!
な!ん!で!
おおツラかせよ!
これはてめえらの大喜利じゃねえんだよ!
俺はキレてんだ!
大抗議だ!
前にこういうこと書いたらホッテントリのしくさりやがって何が大喜利だバカやろう!
大喜利はジャイアントキリングとか読むんだろお前らは馬鹿野郎!!!!
もっと真面目になれ!
わかったか!
俺は先日、仙台から高速バスの樹氷号とかいうどう考えてもマジックミラー号しか思い出せなくなるバスを予約した。
知ってるか?マジックミラー号ってのはなんかえっちなことを車内でやる車なんだよ。
そして俺は樹氷号を電話予約したらなんか補助席しか空いてないと言われた。
補助席?なんかこう、いかがしい補助をしてもらえるとか?と脳内がマジックミラー号に支配された俺は電話を切り終わった後
マジックミラー号のAVを見た。あんあんあんとっても大好きジャイアンあん。
さて蔵王は山奥なので寒いらしい。Geminiに聞いたら氷点下いかになるのであったかくしていけと言われた。
何が氷点下だよ馬鹿野郎が。俺の装備は全身モンベルだよモンベル。
用意してあるのは手袋。手袋を買いにとゴンぎづねとはじめ人間ゴンがごっちゃになっちゃう手袋、反対から読むとろくぶて。
けどよ聞いてくれよ!スマートフォンが操作できるっつーふれこみなのにこれよ!
だから実質あんまり役に立たないレベルだったんだよこんちくしょう!
次にゴーグル。グーグルの進化系じゃない。ゴーグルってほら水中ゴーグルしかしたことなかったんだけどな俺。
あとなんだっけあの、毛糸の帽子なんつーんだっけ、マッチだかエッチだかグッチだかワッチみたいなそうあの帽子。
そして出発は仙台駅東口だった。
朝っぱらから仙台駅からマジックミラーじゃねえや樹氷号に乗り込んだ
補助席って何かと思ったらあのあれだ
折りたたみできる椅子が真ん中にあってそこをガコガコってやると座れる奴だったよ
なんだよそういう補助かよほっとしたぜ。
んで俺独り身なんだよ。
そんな俺に当てつけかってくらいのことがあった
斜め前の席にカップル、カップル、カアアアアアアアアアアアアアアアアアップル!
カアアアアアッペ!って痰を吐きたくなったよ毒づくよそりゃ俺だって
でもな。補助席はみんな、あのなんていうかな老人だけだったんだよ。マジで。
ふふっ俺もお年なんだなぁと思ったよ。左右のカップルどもがずっとくっちゃべっているところ
そうして待つこと2時間くらい。
車から降りてデスマウンテンみたいなマウンテンなんとかって場所についてまずはそこで待機。
だったんだけど
ひゃあああああああああああああああああああああああ寒い!!
ごめん許してみんな!モンベルパワーだけでなんとかならんかったごめんまじつらい!
ひゃああああああああああああああああああさむいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい
ホッカイロしてるけど寒い!寒い寒い寒い寒い寒い!ナニコレ!?
て思ったらどうなったかっつーと!
冷たい風がコートも服も靴も手袋も貫通してくるってことなんだよ!🌪️🌪️🌪️🌪️🌪️🌪️🌪️🌪️🌪️
geminiが中にもちゃんと着込めって言ってたのにコートの中はトレーナーとシャツだけだった俺が馬鹿でしたあああああ!
ひゃあああああつらあああああいさむいいいいいいいいいああああああ!
すぐに建物の中に入りガクガクブルブルした肌をあっためた。ふん雑魚か。
トイレに行きしばし待ったあとついに乗り込むぞ!
ワイルドモンスター号だあ!!!なんだそれかっけえな!オラわくわくしてきたぞ!
キャタピラーっつーんだっけあのベルトコンベヤーみたいな戦車みたいな車に乗る。
え?社内?全員ほぼカップルで独り身は俺とじいさんだけだったぞ。じいさんと向い合せ。ふっ。
ワイルドモンスター号でガタガタガタガタゆれながら、突き進んでいく。
窓はなんか曇っていてろくに外が見えん状態。うわぁなんだそりゃ。
おい、地獄さ行ぐんだで!
蔵王の樹氷はスノーモンスターとか言われてるらしい。あぁだからワイルドモンスター号って名前でもあるのか。
ゆっくりと確実に山奥に突き進んでいく。
気分は魔導アーマーに乗ってナルシェに向かうビッグスとウェッジとあとえーっと緑色の髪の女は名前忘れた。
そしてついに!樹氷に来た。外に出る!いざ出陣!!
雪がtueeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee!!!!
視界がホワイトアウトおおおおおおおおおお
天気曇りで山頂とかやべえかなーって思ってたけどホワイトアウトおおおおおおおおお
でもくっそでかい樹氷が近づくと見えるしクソサムイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ
やべえよこのやばさ!雪山で凍死するのは至極当然だと俺は理解した、
遅すぎた始まりさあ何を憎めばいい
寒さを甘く見たのも軽い気持ちで来たのもすべてその両手ってオンリーロンリーグローリーを歌いたくなった
口の中もつめたい!みんな冷たい!
どこが地球温暖化だ!!これのどこが地球温暖化だああああああ!!!
全然あのどこかで見たようなきれいな樹氷が見えてきゃっきゃうふふなんてできねえだろ!
カップルどもはキャッキャウフフしてやがったよバカヤロウ!雪山で遊んでんじゃねえ!なめるな雪山を!
なめてたのは俺だよ!俺だった!
しかしすごい経験だった。一面が真っ白。木も真っ白。雪で真っ白。でもすごい勢いがある。
晴天の樹氷のきれいな写真しか見たことがなかったが、こんなエキサイティングな経験ができるなんて
ある意味貴重だったかもしれないな。レアだよレア。そう思わないとやっていけないだけだけど!
20分くらい外出て見学してあとは戻る。ワイルドモンスター号の中にはいる。
あ~生き返るわぁ~🧙♀️
デスマウンテンなんとかみたいな建物に戻ったあと、さらに遠刈田温泉まで移動した。
ZAO BOOってとこでハンバーガー食ったけどなかなかうまかったぜ
そのあと土産物屋があるのだがここがやばかった。口コミ通りのやばさだった。
自分の目で確かみてくれ!
雪山を甘く見るな!防寒対策はきっちりしてけ!風が貫通するんだよ貫通!!
写真みたいな樹氷を期待するな!ここが真の氷河期かってくらいだったぞ!
ふー書いた書いた。
仕事帰りのサラリーマンも多い都心を歩いていたら「すみません、すみません!」と後ろから声を掛けられた。
かなり必死な様子だったのでお困りごとかと思い振り返ると、黒マスクをずらしたスーツ姿の若めの男が「今見えたんですけどすごいタイプで~」ときた。
がっくり。「そういうのいいです」と一言言って去りました。
そんな隙のありそうな女に見えたのか。
確かに今日はたまたま休みだったので私服だし、私服かわいい系なのに黒リュック背負ってるからちぐはぐな感じはあった。
靴は新品だったのに!…でも私に落ち度がなかった~とは言えない。言えないか?ナンパ野郎が馬鹿野郎じゃないか?それは自明。
しつこくない奴で助かった。それは良かったところ。
彼女さんに申し上げる。今すぐ別れた方がいい。
さもなければ、あなたは一生後悔しながら、不幸な日々を送ることになるのでは、と私は同じ女性として心配している。
なぜなら、あなたの彼氏はクズとしか呼びようのない男であり、不良物件以外の何者でもないからだ。
ならば、小学校の時点でキモいだ何だと女子達に敬遠されたり、いじめの標的にされたりしていた理由に、その体型が大きく関わっていたのだろうということは、想像に難くない。
ここで、1人のYouTuberさんを紹介したい。
有名な方なので知っているかもしれないが、1年間ダイエットを頑張って、137キロから68.5キロまでの大減量を成し遂げた人である。
ダイエット開始時点のルイボスさんは、正直に申し上げて、めちゃくちゃキモい。
電車で彼の隣が空いていても、私は多分座らなかっただろう。
しかし、劇的ビフォーアフターを成功させた今の彼は、超絶イケメンナイスガイである。
彼のように、ダイエットで見違えた先達たちの実例は、検索すればネット上にいくらでも転がっている。
引き締まった肉体に、達成感と確かな自信に満ちた表情を浮かべる彼らは、生まれ持った目鼻立ちなど無関係に、誰も彼もが魅力的である。
ならば、幼少時からデブ人生を全うしてきた、村一番のブスの胎から生まれたというバキ童も、痩せさえすれば、キモい非モテを脱却できる可能性は大いにある。
にもかかわらず、奴は30代も半ばを過ぎた現在に至るまで、醜い肥満体型を保ち続けて生きている。
それどころか、ますます肥えて、市販の服ではサイズが合わずに、オーダーメイドでシャツを仕立てる始末である。
ダイエット情報がうんざりするほど溢れ返ったこの世の中で、なぜバキ童は痩せようとしないのか。
簡単だ。努力ができない、根性の甘えきったクズ野郎だからである。
バキ童チャンネルを立ち上げたのは、確か、周囲が勝手に進めてしまった企画案に乗る形で、といった経緯に過ぎなかったはずである。
しかし、会社は辞めて本気でお笑いの道を目指すと言っていたのに、以後何年もブックオフの店長として働き続け、「ねえ、いつになったら」と土岡を苛立たせていたようだ。
そして、実際に退社したのは、レジの脇にエロ本を置くというキモすぎる手法で立てた前年の売り上げを越えられず、全国最下位という業績を叩き出してから、ようやくである。
大学時代に所属していた落語サークルでも、遊ぶばかりでろくに活動しないために干されていた、とどこかの動画で土岡辺りが語っていた。
定例発表会のような重要な行事の際にも、選抜メンバーに選ばれたにもかかわらず、一切練習せずに臨まんとするふざけた真似をしでかし、降板させられたのではなかったか。
それは結局、スベってしまった時に、「でも俺が考えた訳じゃないし」と責任を相方に押し付けるためなのでは、と私は勘繰ってしまうのだけれど、どうだろうか。
こいつはいつもそうやって、楽な方、楽な方に逃げるばかりで、まともな努力をせずして生きているのである。こいつはそういう男なのである。
その極めつけとなるのは、母親への扱いだ。
バキ童は、自身に暴力を振るっていた父親に対して、恨みの念を向けている。
だが、母親に対してはそうではない。
今もなお父親からの被害を受ける可哀想な存在として、憐憫めいた感情を向けている。馬鹿かと思う。
まともな母親は、我が子が旦那に虐待されていたら、家を出、離婚し、守らなければと動くのだ。
なのに、奴の母親は、なぜ尚も家に留まり、我が子と旦那をひとつ屋根の下に置き続けたのか。
本人に聞いてみれば、きっとさぞ尤もらしい回答の数々が返されることだろう。
だが、違う。現状維持が一番楽だったから、子供を犠牲に保身を図る選択をした。女手一つで子供を抱えて働かされる人生なんて送りたくない、子供の安全よりも旦那の金の方が遥かに大事。結局はそれだけだ。
それが的外れな邪推などではないということは、バキ童が地元に帰った時の動画を見れば分かる。
そこに出演している奴の母親に、「ちゃんと守ってあげられなくてごめんね」という罪悪感は欠片も見えない。
むしろ、「育ててやった」と恩着せがましく胸の一つも張っていそうな態度である。
にもかかわらず、バキ童自身は、母を気遣い、親孝行に励んでいる。
絶縁なり敵対なりするよりも、ママに甘えていられる方が楽だから、都合の悪い事実からは目を背けているのだろう。
さっすが親子!そっくりですねえ!すごーい!と失笑を禁じ得ない限りである。
そして、そんなクズ男を、バキ童チャンネル御一同様はじめ周囲の馬鹿が、どこまでも底の見えない生温かなぬるま湯へ、引きずり込んでいるのである。
そんな最低限の清潔感すら皆無の状態では、相手の女性にあまりにも失礼だ、夢にまで見た初彼女、初体験なんだろ、と一言叱ってやれた者が誰かいたのか。
お前、ほんとにその女性に幸せにできるのか、と疑問を抱き、尋ねることのできた者が、1人でもいたのか。
どいつもこいつも、おめでとうだの何だのって、お前ら、女を物か何かと勘違いしてんじゃねえのか。馬鹿野郎共が。
彼女さん。あなたは、男と肉体関係を結ぶということが、女にとってどれほど重いことか理解できているだろうか。
現代社会の最新技術をもってしても、どんなに徹底しても、100%の完璧な避妊法は存在しない。
体を許した時点で、女には自動的に、妊娠のリスクが生じてしまう。
避妊するか否か、すなわち、出すかどうか、出すならどこに、の最終的な決定権は、結局男に握られているのだから、尚更である。
万が一妊娠した時、女に取れる選択肢は、たったの2つだけしかない。
堕ろすか、産むか、だ。
どちらにしても、母体にとっては負担である。身体的にも、精神的にも。
妊娠初期のつわりがいかに苦痛を極めるかということは、多少なりとも誰でも知っているところだろう。
もし堕胎を選択するなら、つわりと戦いながら、法律で定められた期限までに、お腹に宿った命を殺す決断をしなければいけない。
もし迷って期限間際を迎えてしまえば、既に胎動を感じ始めていたりもする。
そして、それを無理やり引きずり出すために、薬を使って人工的に陣痛を起こすのだ。
陣痛とは、普通に望んで出産する場合でも、耐え難いものである。
それでも、十月十日の長きの果てにやっと会える、と思うからこそ、母親たちは何とか必死に乗り越えてきたのである。
そんな一世一代の地獄の痛みを、あなたは、何の罪も無い無垢な命を殺めるために、味わわされることになるかもしれない。
とはいえ、それは、産むのに比べれば、遥かにマシな道ではある。
だってそうだろう。こんなクソキモマザコンクズ野郎と、過酷な育児をこなしていける訳がない。
人生のありとあらゆる局面で逃げてばかりいた奴が、育児だけはきちんと向き合ってくれるなんて、そんな思考はお花畑も甚だしいというものだ。
こいつ絶対逃げるぞ。表立ってはイクメンぶるだろうが、例えば夜泣きが酷くても寝たふりを貫くとか、うんちのおむつは気付かないふりをするとか、仕事と言って家を空けるとかして、面倒なこと、嫌なことは人任せにする男だと思うぞ。
だって童貞博士のピーターだって、出産直後の嫁と生まれたての赤子を放っぽり出してフィリピン来たし、とか心の中で言い訳して。
更に、そこへお仲間の馬鹿共が、「俺も」「分かる」と同調意見を並べ立ててくるのである。
そのお仲間というのは、バキ童チャンネルご一同様の非モテ共ばかりとは限らない。
仕事仕事で一切家庭を顧みない男どころか、孕ませるだけ孕ませて責任を一切取らない男でさえも、芸人、特に、彼らが崇める大御所たちの中には、嫌というほど存在していることだろう。
その上、よりによってバキ童の母親が、姑かつ祖母として、あなたとあなたの産んだ子供に関与してくるのである。
奴の母親が、子供の健康管理一つまともにできない、頭のおかしい毒親だったからである。
親として育てる責任のある、実子にすらそうだったのだ。
孫なんて、考えなしに甘やかすのは目に見えている。
そして、お菓子やお金、物品等を与えないでと注意するあなたのことを、「いいじゃないの、ちょっとくらい」「怖いママでちゅねー」などと子供の前で悪く言い、「ママには内緒」と尚もやらかし続けるまでがセットである。
さて、その時、あなたの夫となった男は、事態を上手く解決し、嫁と姑の関係性を良好に保つことができるのだろうか。
というか、それ以前に、あのコロナ禍を経てもなお、手を洗う習慣が無いとか吐かす不潔を極めた姑に、自身が産んだ子供を近付けたいと思える女がいるのかどうか、甚だ疑問だけれども。
加えて。他はともかく、せめて、どうかこれだけでも心に留めておいて欲しい。
そもそも、女にとっては、妊娠や出産自体が、命に関わる危険なものだということを。
先進医療が整っている現代日本の中においても、出産で命を落とす母親は存在している。確か年間30人とか50人とか、数はそのくらいである。
年間何十万という出生数を鑑みれば、なんだ全然少ないじゃんと感じるかもしれない。
だが、その1人に自分が含まれてしまうかどうかは、いざその時を迎えるまでは、医者にもあなた自身にも、誰にも分からないのである。
その上、妊娠中においても、つわりが治まり安定期に入ってしまえばもう安心、とは相成らない。
胎児が大きくなるのに伴い、おのずと内臓は圧迫されるし、ホルモンバランスも変動するので、結局ずっと体調不良は続くからである。
あまつさえ、人によっては、産むまでずっとつわりに苦しまされる場合すらもあるのだ。
それでなくとも、腹の中に数キロもの塊を抱え込んだ、文字通りの身重である。
そんな体で、もし事故や災害、事件に遭遇した時、普段のように素早くその場を離れることが、果たしてできるのだろうか。
また、逆に、あなたは無事だが、バキ童側に万が一の事態が、という場合もある。
妊娠中に夫を亡くしてしまうのも悲しいことだが、まあ、それならまだマシだ。
もし、要介護者となったバキ童の世話をしながら生きることになったら、そこに育児も加わったら、と考えてみてほしい。
あなたにとってバキ童は、それでもいい、と覚悟を決めるに足るだけの男だろうか。
一生後悔しながら不幸な日々を送ることになるかも、と私が冒頭で述べた意味が、きっと理解できるだろう。
それと、これは書くかどうか迷ったけれども、大事なことだと思うのでやはり書く。
私は専門家でも何でもないので、ただの素人判断でしかないけれども。
弟が昔から病的な風呂嫌いで、今は月1でしか入浴しないとか、東京にライブを見に来た父親が、空気の読めない頓珍漢な発言をしていたとかいう話を聞いて、もしかすると、と思った。
そうだとすると、このままバキ童と一緒にいれば、あなたの子供は彼らの特質を受け継ぐことになるかもしれない。
発達障害でも、社会の中で立派に活躍し、家庭を築いて愛される生活をしている人も、たくさんいる。
だが、それはあくまで氷山の一角に過ぎない、ということは、分かっておいた方がいい。
以上のことを踏まえた上で、彼女さん、あなたに改めて申し上げたい。
性交渉とは、女にとっては一生、時には命すらをも左右し得る、重大なリスクを伴う行為である。
あなたにとって、山口大樹は、この人となら将来何があっても、と確かな覚悟を抱くことのできる相手だろうか。
山里亮太と結婚記者会見をしている時の、蒼井優の最高に可愛い顔と同じものを、あなたは、あなたの彼氏の隣で浮かべていられるだろうか。
自信を持って首を縦に振れないのなら、取り返しのつかない事態に陥る前に、そんな男はさっさと捨ててしまいなさい。
努力しなくても手に入る女、などと軽んじられていい女性なんて、この世に1人もいる訳ないということを、どうか忘れないでほしい。