はてなキーワード: 表現規制とは
表現の法規制は、一度導入されると対象が拡大する傾向がある。 これは歴史的に繰り返し確認されてきた事実である。
この構造を理解せずに「嫌いな表現だけ規制してほしい」と主張することは、自らの首を絞める行為になりうる。
以上の諸問題を貫くのは、「自分(たち)の表現・欲望・不快感は正当であり、他者のそれは不当である」という非対称的な自己正当化の構造である。
| 自陣営の行為 | 自己正当化の論理 | 他陣営の同種の行為に対する態度 |
| 未成年キャラのR-18 BL | 「フィクションだから問題ない」 | 「ロリコンは犯罪予備軍」 |
| 男性キャラの性的客体化 | 「女性の手によるものだから搾取ではない」 | 「女性キャラの性的客体化は性差別」 |
| 実在男性のRPS | 「愛情表現の一形態」 | 「実在女性の性的画像は性的暴力」 |
| コミュニティ内の嫌がらせ | 「自浄作用」「マナー違反への指摘」 | 「男オタクのハラスメント文化」 |
この表が示すのは、同一の行為を自陣営と他陣営で正反対に評価するダブルスタンダードである。
本稿で検討した問題群は、いずれも「自分の欲望に対する無自覚と、他者の欲望に対する不寛容」という同じ根から生えている。腐女子文化には豊かな創造性と共同体的な連帯があり、それ自体は文化的に価値のあるものである。しかし、その内部に存在する暴力性・排他性・ダブルスタンダードを直視しなければ、自らが攻撃してきた「不寛容な社会」の鏡像になるだけである。
そして何より、性的表現の法規制という刃は、一度抜けば自分にも向かう。この認識なくして表現規制を軽々しく求めることは、腐女子文化を含むオタク文化全体の存立基盤を自ら掘り崩す行為であることを、すべての当事者が理解すべきである。
BL(ボーイズラブ)文化は、男性同士の恋愛・性愛を描くフィクションを中心に発展してきた。しかし、その消費構造が実在のゲイ・バイセクシュアル男性を素材として搾取しているのではないかという批判は、当事者コミュニティから繰り返し提起されてきた。
具体的には以下の論点がある。
これらの主張には一定の妥当性がある。しかし、「フィクションだから無関係」という論理は、RPSや実在コミュニティへの侵入行為には適用できない。また、「理解の入口になった」という功利的正当化は、当事者が現に被る不快や搾取を帳消しにする根拠としては不十分である。
より深刻なのは、この問題が指摘されたとき、腐女子コミュニティの一部が「ホモフォビアと戦ってきたのは我々だ」という自己正当化に走り、当事者の批判を封殺する力学が働くことである。マジョリティ(異性愛女性)がマイノリティ(ゲイ男性)の表象を占有し、かつその批判に対して「我々こそ味方だ」と主張する構造は、植民地主義的な知の収奪と相似形をなしている。
『イナズマイレブン』(主要キャラクターは中学生)、『忍たま乱太郎』(忍術学園の生徒は10歳前後の設定)など、明確に未成年と設定されたキャラクターのR-18 BL二次創作は、pixiv・同人誌即売会・SNSなどで大量に流通している。
| 論点 | 現行法の状況 |
| 著作権侵害 | 二次創作は原著作物の翻案権・同一性保持権を侵害しうる。権利者が黙認しているに過ぎず、合法ではない。いわゆる「グレーゾーン」は法的に保護された領域ではなく、権利者の好意に依存した状態である。 |
| 児童ポルノ該当性 | 日本の「児童買春・児童ポルノ禁止法」は実在の児童を対象としており、創作物(絵・小説)は現行法上は児童ポルノに該当しない。ただし、国際的にはフィクションも規制対象とする国がある(豪州、カナダ等)。 |
| わいせつ物該当性 | 刑法175条のわいせつ物頒布罪の適用可能性は理論上残るが、同人誌に対する摘発例はほぼない。 |
法律上「違法ではない」としても、10歳や13歳に設定されたキャラクターの性行為を詳細に描写し、それを大量に流通させる行為が倫理的に問題ないと言えるかは別の問いである。
腐女子コミュニティ内では「キャラクターは絵であり実在しない」「被害者がいない」という論理で正当化されることが多いが、この論理は男性向けの「ロリコンもの」に対しても同様に適用されなければ一貫しない。にもかかわらず、後述するように、男性向けの未成年キャラクター性的表現には激しく反対しつつ、自陣営の同種の表現には寛容であるというダブルスタンダードが指摘されている。
一部の権利者はガイドラインで性的二次創作を明示的に禁止している。しかし多くの場合、個別の対応コストや炎上リスクを恐れて黙認しているに過ぎない。この黙認を「許可」と読み替える文化的慣習は、権利者に本来不要な負担を強いている。
近年、英語圏の社会正義運動(いわゆる「Woke」)の言説——特にジェンダー論、ポストコロニアル批評、インターセクショナリティなど——が、日本のSNS上で選択的に翻訳・引用され、特定の表現を攻撃するための武器として使用される事例が増加している。
Woke言説そのものが問題なのではない。ジェンダー論やポストコロニアル批評は学術的に重要な知的伝統である。問題は、それらの理論が本来持つ複雑さや内部批判を捨象し、自陣営に都合の良い部分だけを切り出して「正義の棍棒」として使用する態度にある。
これは理論の誠実な適用ではなく、権威の借用による言論封殺である。そして、この手法が最も頻繁に向かう先が、男性向けのオタクコンテンツである。
「マシュマロ」「Peing」などの匿名メッセージサービスを利用した攻撃的メッセージ(通称「毒マロ」)は、腐女子コミュニティにおいて深刻な問題となっている。内容は以下のようなものである。
毒マロや晒し(SNS上で特定の作者・作品を名指しで批判すること)の結果、創作者がアカウントを削除し作品を非公開にする「筆折り」は日常的に発生している。これはコミュニティ内部の表現弾圧に他ならない。
特に注目すべきは、加害者もまた女性であり、被害者もまた女性であるという点である。「女性が女性を潰す」構造は、フェミニズムの言説では説明しにくいため、しばしば不可視化される。
腐女子コミュニティでは、特定の行動規範(「検索避け」「鍵垢での運用」「R-18はワンクッション」等)について定期的に激しい議論が発生し、「学級会」と呼ばれる。これ自体はコミュニティの自治として機能しうるが、しばしば規範の押し付けと逸脱者への制裁に変質する。
腐女子コミュニティの一部には、以下のような暗黙の序列意識が存在するとの指摘がある。
この序列は、「BLは高尚なフィクションだが、夢小説や男女の恋愛は自己投影で低俗」という偏見に基づく。
ここに深刻な矛盾がある。腐女子コミュニティの一部は、自らの表現が社会から偏見を受けてきた歴史を語りつつ、同じ女性向け創作者コミュニティ内で別のジャンルを蔑視・攻撃している。被抑圧者が別の被抑圧者を踏みつける構造であり、「連帯」の理念とは正反対の実態である。
近年、以下のような事例が繰り返し報告されている。
これらの運動に共通するのは、主観的な不快感(「お気持ち」)を客観的な権利侵害であるかのように主張する論法である。「私が不快に思う」→「それは社会的に有害である」→「規制されるべきだ」という三段跳びは、法的な権利論としては成立しない。
しかし、SNS上の炎上は企業にとって実害をもたらすため、法的根拠がなくとも事実上の表現制限として機能している。これは私的検閲(private censorship)の問題である。
最も深刻な問題は、男性向けの性的表現を攻撃する主体が、自らは第2章で述べたような未成年キャラクターのR-18 BLを消費している場合があるという点である。
児ポ法改正の攻防を、警察・弁護士・研究者から取材した。その経験から断言する。
2010年と今では、CSAM捜査の精度が、構造的に変わっている。
英国の「VTuber逮捕」拡散の件、ここで一度きちんと書いておく。
何が変わったか。
NCMEC(米国・行方不明児童搾取児童センター)、IWF(英国インターネット監視財団)、Project VIC等が運用する既知CSAM画像ハッシュデータベースは、2010年代を通じて飛躍的に拡充された。
アップロードや所持の段階で、実在児童の被害画像が機械的に特定される。
FATF勧告、Visa/Mastercardのアクワイアラー監督、決済プラットフォームのコンプライアンス強化により、CSAM販売・購入の金銭的痕跡の追跡精度が劇的に上がった。
Apple、Google、Meta、Microsoftがクラウド・送信トラフィックでハッシュ照合を実行する。
実在児童の被害画像の検出から始まり、その捜査の過程で、被疑者のデバイス全体が押収・解析される結果として、漫画やイラストも証拠物件に含まれる。
だが2010年頃に比べれば、「漫画一枚で恣意的に逮捕」という事案の発生確率は、構造的に大きく下がっている。
なぜなら、警察が大量のリソースを投じて家宅捜索・デバイス押収・国際法務手続きを動かすには、事前に蓄積された具体的・客観的な手がかりが必要だからだ。
匿名通報や個人の好みだけでは、現代の警察は動かない。動けない。
リソース不足、手続き厳格化、人権訴訟リスクが、それを許さない。
私が2011年頃に取材したスウェーデンのシモン・ルンドストロム事件——
漫画翻訳家が、元妻の「彼はペドファイルだ」という通報を受けたスウェーデン警察に家宅捜索され
実在児童被害の証拠が一切出なかったにもかかわらず、所持していた日本の漫画を理由に起訴・有罪判決を受けた。
最終的に最高裁で無罪になったが、スウェーデン司法の汚点として記録される事案だ。
当時、私はこの事件を「警察の捜査着手判断が甘かった」「個人的怨恨による通報を裏取りなく受理した」と批判的に取材した。
この種の冤罪パターンは、2010年代前半までは確かに存在した。
(a) 実在児童被害コンテンツの捜査の過程で、漫画類が同時に発見・押収された(「漫画が逮捕の理由」ではなく、「漫画も押収物に含まれていた」)
(b) 商業的・継続的な大量制作販売活動の全体が捜査対象となり、その内訳に漫画類が含まれていた
(c) 拡散ナラティブそのものが、当事者または周辺アクターによって意図的に「漫画一枚で逮捕」と縮減されている
Coroners and Justice Act 2009 Section 62の運用も同様だ。
過去判例(2011年・約3,000点、2018年・約2,000点以上、2024年・大量)を見れば
だから、海外発「漫画が理由で逮捕」のニュースは、まず疑うのが現代のジャーナリスティックな基本動作だ。
これが認知の歪みだ。
そして、認知の歪みを構造的に増幅する装置が、今回の英国VTuber事件で複数稼働した。
第二の波:元都議のKら拡散者による「英国規制ディストピア」フレームの増幅(5月1日)
第三の波:「友人」を名乗るアカウントによる保釈書類公開(5月3日)。
第四の波:Kiwi Farms系コミュニティによる「実は本人がペドファイル系作品の長年の支援者だった」という対抗ナラティブ(5月5日)
にもかかわらず、それぞれの波が押し寄せるたびに、私たちは「これで真実がわかった」と錯覚する。
ここで、今回の拡散の主役の一人について明確に書いておく。
これは私の主観的評価ではない。事実関係としてそう判定できる根拠がある。
1:今回の件で、信憑性が確定していない段階の話を「事実」として拡散した。
一次情報は本人の自己申告のみで、英国警察の公式声明も主流メディアの裏取り報道もなかった。
2:作品実態(toddlercon=幼児的キャラのポルノを継続販売していた事実)への言及を完全に欠落させ「自分が描いたイラストを所持していたという理由で」と中立化して提示した。
3:これが最も重要だが、過去、不正確な情報を流布している点を指摘したフォロワーをブロックすることで対応してきた。
私自身、複数回にわたって彼の発信の事実誤認を指摘した結果、ブロックされて現在に至る。
検証可能な事実誤認の指摘に対して、議論ではなくブロックで応じる発信者はジャーナリスティックな批判検証のサイクルから自らを切り離している。
元都議という肩書がその発信に権威を与えるなら、その権威は誤用されている。
私が8月刊行予定の新著では、こうした認知の戦場の構造を扱う。
CSAM捜査の現代的精度、国際金融規制との連動、プラットフォームのスキャン体制、これらを正確に踏まえずに、海外の表現規制を語ることはできない。
正確に踏まえないままの拡散は、表現の自由を守るどころか、規制推進派に弾薬を提供し
規制レジームを強化する自滅的フィードバックループを生む。
最後に書いておく。
X現アルゴリズムは、検証された情報も検証されていない情報も、エンゲージメント効率だけで等価に拡散する。
むしろ感情を煽る未検証情報の方が、慎重な検証記事より速く遠くへ届く。
「英国は北朝鮮」「独裁政治そのもの」というフレーズが80万ビューを獲得する。
だから、規制推進派に「表現の自由派は児童保護にすら反対する連中」という弾薬が無償で供給される。
これは敵失ではない。自殺点だ。
誰がフレームを作り、誰がそれを増幅し、誰が結果として規制レジームを強化するのか。
Mimi Yanagi事件は、Vtuberというネット上の表現の自由の問題だけではない。自分で描いた絵で逮捕されたということも大きな問題。
あまり指摘されてないが、人体のデッサン練習でも、後で服を描くつもりで描いた下書きの裸でも、イギリスでは逮捕されることになったということ。
報道がないのは確かだが、とりあえずこれは理由にはならなそうだな。
「新しいアカウント」ってのは逮捕原因の画像(orそのURL)を投稿していたのと別のアカウントってことで、いつ作ったかは関係なく、認可されたのなら以前から持っていた予備のアカウントでも良かっただけ――で説明できるだろ。
Mimi Yanagi氏について、英語圏では掲示板を中心に以下のような様々な情報が流れているようです。
ただこれらは現状、裏の取れた信頼のおける情報ではなく、日本で言うところの「2chの噂」ぐらいに聞いておくのが良さそうです。
曰く
1.本名をJordan Williamsという。
5.Mimi氏の「自分の絵」はネットで恐らく無名の絵師に依頼したもの
これらはMimi氏の悪い意味での「正体」として流通しているようです。
が、日本の反応は英語圏の感覚とは大きくずれるかも知れません。以下、予想される「日本人の反応」とその理由について海外の方に解説させていただきます。
トランスジェンダーに対して、大抵の日本人は非常に寛容です(最も敵対的なのはTERF系フェミニスト、次にリベラルの一種として雑に嫌悪する人々や頑迷な保守派です)。
女性風Vtuberの正体が男性トランスジェンダーであったことは、仮に事実であったとしても「電磁的に女装しているだけで彼らの自由だろう」というのが多くの理性的な日本人の感想だと思います。
またトランスであるなしにかかわらず、女性風のモデルを使っているVtuberが男性であることは、直ちに「ユーザーを騙していた」という悪印象を意味しません。男性の声を隠さず女性風モデルを用いているVtuberもいます。
日本では数十年前から、現代のVtuberのように、自身が悪魔であるという設定を(一番組内ではなく常に)視聴者と共有しながらTVで人気を博していた芸能人がいました。「デーモン閣下」というタレントです。
そうした、真実でない設定をそうと知りつつ視聴者と共有するという「ゲーム」に対して、日本人は寛容です。
共産主義者であることも別にそれ自体は自由で、嫌いな人はもちろんいますが決定打となるほどではありません。
強いて言えば、実際にはある性嗜好を持っている人物が、それを隠すためにその性嗜好を日頃非難していた(あるいはそのような集団に属していた)場合には批判されます。BBCのプロデューサーが性的虐待者であったという事実に対する日本人の反応はこの種のものです。
そして日本の共産主義政党は、現在かなりあからさまに「萌え」「オタク」文化に敵対的なので、この点で悪印象を持つ人は一定数いるでしょう。
またMimi氏が現実の児童に対する関心を持つ小児性愛者であるという情報は、真実であればセンシティブではあります。
しかし日本人は、実在児童への加害に及ぶのでない限り、心の中での性的嗜好を断罪することについて謙抑的であると思います。
Mimi氏の絵について
日本法において「児童ポルノ」は現実の児童を用いて製作されているかが問題であり、そうでないアニメ絵はいかに際どかろうと特殊な(そして気味悪がられている)性嗜好を表現していようと、日本ではそもそも児童ポルノに含まれていません。そして、Mimi氏の件で英国警察を批判した日本人の多くがその基準を支持しています。
したがって、Mimi氏の絵がどんなものかについての情報には「思ったよりきわどいな。でもだから何?」程度の反応が主流となるでしょう。
Mimi氏の言う「自分の絵」が自作でなかったという点について(であれば未だに絵師が不明なのはなぜか、本当は自作だったのではないかという疑問は、私自身持っています)は、騙されていた!と思う人がいるかもしれません。
しかしもともとの英文において”her artwork”は日本人にとって「彼女が描いた絵」「彼女を描いた絵」「彼女が所有する絵」のどれにも訳しうるものだったので、これが直ちにMimi氏の評価が「嘘つきだった」と反転させるほどのものとは思われません。
以上をまとめると、巷間流れている情報は日本の、特に表現規制問題に関心ある層にとっては、Mimi Yanagi事件の「未確認の細部」であって、全体的な評価をひっくり返すほどのものはなく、まだ静観の対象であるということになると思います。
んで、草津の時みたいにまた間違ってたら「私たち騙されただけですぅ~、私たちが被害者なんですぅ~」って言うつもりなんですか?
@FlowerDemoOsaka
その通りで、日本では「草津事件」で、男性町長をレイプ事件で告発した女性議員が、その事件が完全に虚偽であったことが証明され虚偽告訴で有罪になったにもかかわらず、執行猶予がついています。
日本の一部の表現規制派(特に非実在青少年描写や萌え系創作への厳格規制主張勢力)と現実の性産業の間には、表面的な敵対を超えた構造的共犯関係が存在する。仁藤夢乃氏(Colabo代表)を象徴とする支援・フェミニズム系活動家は、現実の女性性商品化を「男性の構造的搾取」と糾弾しながら、フィクション規制に殊更熱心だ。
自らの商品化行為を「被害」として聖化し、他者(主に創作者・消費者)の参入を排除することで道徳的・政治的優位を独占する。その結果、女性の性産業への流入が促進され、搾取の悪循環がかえって強化される。
性産業従事者やその支援者は、需要(男性の欲望)と供給(女性の性的商品化)の相互作用の当事者である。キャバクラ・風俗・パパ活で男性の歓心を買い、金銭を得る行為は明確に自発的な換金選択だ。
「私たちは『買われた』展」(Colabo主催、2016年開始)は、その典型例である。少女の主体性を極力薄め、買う男性の責任を最大化する演出により、換金事実を「完全被害」に転換する。
現実の自発的商品化(加害的側面:市場を維持・拡大する供給者)は「生存戦略」や「エンパワーメント」として相対化され、外部(男性全体やフィクション)に全責任が投影される。クソ客エピソード、男性性欲の構造批判、DV・パワハラの一般化が、性産業従事の導線として機能する。仁藤氏の場合、高校時代にホストから「救われた」「話を聞いてくれた」と語り、女性が金を払う側(ホスト需要)を肯定的に位置づける一方、男性が金を払う性産業は徹底非難する。この選択的二重基準は、女性もまた性的搾取の加害者である事実を隠蔽するための、心理的・戦略的方便である。
この責任転嫁が可能になる背景には、女性の性を「本物の被害者」だけが管理・語るべき聖域にしようとする独占志向がある。
この独占のインセンティブは明確だ:
• 自らの加害性(需要を満たし市場を活性化する供給行為)を認めれば被害者アイデンティティが崩壊するため、フィクションを攻撃することで責任を外部化する。
• 萌え系表現は「無抵抗な少女像」を低コストで大量供給し、現実の性産業従事者の相対的価値を低下させる競合である。女性の性商品を自分たちだけで「本物」として独占することで、表現市場での優位を確保し、寄付・行政委託・メディア露出を守る。
男叩きで共感を集め、「夜職で自立」「強い女性は性産業で勝てる」と募集・斡旋へシームレスにつなげる。
この独占志向は、現実の性市場変化でより露骨に現れる。国内性産業需要(特にキャバクラ・風俗)の減少傾向に対し、供給側は強い主体性を発揮して適応した:
• キャバ需要の減少 → 「港区女子」として高所得層の飲み会を自ら漁り、潜在客を積極的にスカウト(パパ活化)。
• さらに低迷 → 海外ブローカー斡旋による出稼ぎ風俗・売春(東南アジアなど)へ移行。借金漬け、強制リスク、違法滞在を伴うケースが後を絶たない。
女性の性商品独占志向は、かえって性産業参与を促進する。男叩きで不満を煽り、「復讐としての夜職」を肯定すれば、需要減少下でも女性は「主体的に」市場に留まり、より危険な選択を行う。支援団体はインセンティブ構造(女性側の主体的適応と加害的側面)を直視せず、被害者の聖性維持と表現規制に注力する。結果、本質的支援は後回しになり、搾取が再生産される。
真に女性を守るなら、性市場の需要供給の両面是正、リスクの徹底開示、現実的自立支援に集中し、性的搾取者が表現市場規制に介入するインセンティブを断つ必要がある。
あらかじめ言っておくけど、AI推進派の全員がそうだって言いたいわけじゃないよ。純粋に法的な解釈やテクノロジーの未来について語ってる法の専門家やエンジニアみたいな層もいるし、単にネットでレスバしてマウントを取りたいだけの暇人もいる。
でもさ、X(旧Twitter)とか見てると、明らかに「クリエイター(絵師)という存在そのもの」に対する鬱屈としたコンプレックスをこじらせてるAI推進(というか反・反AI?)のアカウントって結構いるじゃん。
そういう奴に限って、プロフィールには「絵とか創作を適当にやってます」みたいな予防線を張ってるんだよね。自分も創作者の端くれです、みたいなスタンス。でも、肝心の自分の作品は全然上げてないの。毎日やってることと言えば、反AI派の絵師の引用RPをして、相手の矛盾や偽善をチクチクつついて回るだけ。
「BLは女性向けポルノなのに擁護して、男性向けの表現規制には加担するのか、ダブスタだ」
こういうことを、いっつも論理的で冷徹なフリをして長文で語ってるアレね。
あれ、ぶっちゃけ「AI技術の発展」とか「表現の自由を守りたい」から戦ってるんじゃないんだよね。単に、界隈でチヤホヤされてる「絵師様」たちの特権意識や、クリエイターとしてのプライドが鼻について仕方なくて、それを叩き潰すための棍棒としてAI論争を使ってるだけなんだわ。
彼らの根底にあるのって、異常なまでの「クリエイターへの憎悪」なんだよ。
だからそういう奴って、AI論争だけじゃなくて、クリエイターが福祉やセーフティネットに頼ることにも異常に噛み付く。「売れるまで生活保護をもらいながら配信や創作活動をするのはモラルハザードだ」「夢を追うなら人生賭けたギャンブルなんだから自己責任でリスクを負え」とか言って、ガチギレするわけ。
これって結局、何だと思う?
自分は日陰でやってるのに、ちょっと絵が描けたり配信ができたりする連中が、アイデンティティを盾にして被害者ヅラしたり、制度の隙間をついて甘えた環境で創作を続けようとするのが許せないの。「俺はこんなに我慢してるのに、あいつらずるい!」っていう、相対的なフラストレーションの裏返し。
「論理的で公平な表現の自由戦士」を気取って、他人のダブスタや偽善を論破してるつもりなんだろうけどさ。隙あらば界隈のヒエラルキーを呪って、特別な才能やポジションを持ってる(ように見える)連中を引きずり下ろそうとしてるその姿、マジでコンプレックス丸出しで痛々しいよ。
他人の粗探しして一日中お気持ち表明のレスバしてる暇があるなら、お前も創作をアップして、素直に承認欲求満たせばいいじゃんって思うわ。
創作物の規制は、女性の「不快=悪、排除すべきもの」という価値観をハックして推し進められている
この規制がBLなど女性向けも含むものであることはすでに明らかになっているが、女性は止まれない。不快なものの存在を許容できないから。それほどまでに狭量だから
韓国では2010年代後半以降、急進フェミニズムが社会の大きな力となりました。その闘争の果てに生まれたのは、BL(ボーイズラブ)作家たちによる日本人偽装という奇妙な逃避劇です。
韓国フェミニズムは、儒教的家父長制に対する長い抵抗の歴史を持ちますが、決定的に過激化したのは2015〜2016年です。
• 2015年:MERS騒動をきっかけに、男性中心のネット文化に対する女性たちの反発からメガリアが誕生。男性の女性蔑視表現を「ミラーリング」(逆手に取った過激風刺)で対抗する手法が特徴でした。
• 2016年5月:江南駅女性殺人事件が発生。「女性であること自体が標的になる」という恐怖が爆発的に共有され、運動は急速に政治化・急進化しました。
• その後、メガリアからさらに過激化した**ワマドゥ(WOMAD)**が分離。「韓男虫(韓国男は虫)」という表現に象徴される男性全体敵視と、「女性は加害者になりえない」という絶対的被害者二元論が主流となりました。
• 4B運動(非結婚・非出産・非恋愛・非性交)もこの流れの中で広がり、異性愛関係そのものを拒否する姿勢が若年女性層に支持されました。
この運動は「女性と児童を守る」という大義名分で、表現規制の強化を強く求めました。その最大の成果がアチョン法(児童・青少年の性保護に関する法律)の厳罰化です。
2011〜2012年の法改正で、フィクション(漫画・イラスト・BLなど)も「児童・青少年と認識されうる表現」として規制対象に拡大されました。単純所持・頒布も重罰(懲役5年以上など)となり、法は性別中立で運用されます。
BL界隈では「正しい表現か、児童搾取か」を巡って女性同士の相互通報合戦が常態化。同じコミュニティ内で「お前の作品はロリコンだ」「私の作品は芸術的ファンタジーだ」と警察に通報し合う状況が生まれました。
規制の圧力と相互監視に耐えかねた作家たちは、次第に日本人偽装という逃避策を取るようになりました。
• pixiv、Fantia、Twitter(X)などで日本人名義・日本語プロフィールを使い、韓国国内では投稿できない過激なBL・ロリコン作品を発表。
• しかし、この手法もすぐに「日本人偽装リスト」として暴露されるようになり、新たな通報の標的となりました。
• 2025〜2026年にかけては、こうした偽装アカウントの凍結・摘発が相次ぎ、創作活動の場を失う作家が続出しています。
一部の作家はさらに海外プラットフォームへ逃げ、VPNを使いながら活動を続ける「デジタル亡命」状態に陥っています。
韓国フェミニズムは「女性の性的主体性を守る」ために表現規制を求めました。しかし結果として生まれたのは、女性同士が互いに銃を向け合う監視社会と、創作の場を失って国外に逃げる作家たちです。
「女性は加害者になりえない」という絶対的被害者二元論は、現実の女性加害事例や、女性作家同士の通報合戦の前で脆く崩れました。
日本社会において、女性主導のBL(ボーイズラブ)文化は巨大市場を形成し、性的表現の自由をめぐる議論を長年続けてきた。しかし、その根底にある「BL無罪」という思想は、深刻な人権問題をはらんでいる。
「BL無罪」とは、主に女性の性的ファンタジーとして描かれる男性同士の恋愛・性愛表現(やおい・BL)を、
として無条件に擁護する立場を指す。対して、男性向け表現(萌え絵、異性間エロなど)や現実のゲイ表象への批判は厳しく行われる。この性別による二重基準こそが問題の本質である。
• 「ゲイの経験を勝手に商品化・美化・ステレオタイプ化するな」
• 「表象の横奪だ」
• 「女性のファンタジー空間に口出しするな」という反論に対し、ゲイ側は「現実の多様性や苦悩を無視した消費」を問題視した。
現在、商業BL市場は180〜200億円規模(同人含め300億円超)と推定され、年間1,400冊以上の新刊が刊行される。一方、ゲイ向け商業雑誌はほぼ壊滅状態だ。老舗誌が次々と廃刊し、当事者による自己表象の場が激減した。女性消費者主導の巨大資本が、ゲイ表象を「イケメン同士のエロティックファンタジー」として独占的に消費する構造が定着したのである。
特に悪質なのは、弱い立場のマイノリティを対象化している点だ。BLの定番テンプレートである「強い攻め×弱い受け」の力関係・歪んだ支配関係は、現実のジャニーズ性加害事件(権力者による脆弱な少年の搾取)と構造的に重なる部分が多い。それを知りながら、または薄々気づきながら「女の欲望の自由だろ!」と擁護する姿勢は、傲慢そのものだ。
この問題を象徴するのが、東京大学大学院情報学環教授・田中東子氏である。公的立場では、宇崎ちゃん献血ポスターなどの女性モノ化を「ジェンダー規範の再生産」として批判し、表現規制的な議論を展開。一方で、黒澤多香子名義で脅迫・SM・心理支配を主題とした過激BL作品を商業出版していたことが2024年に暴露された。
• 男性のモノ化(特に歪んだ支配関係) → 正義・性的主体性
東大教授という公的権威を背景にこうした二重基準を提示することは、知的誠実性を大きく損なう行為だ。
日本国憲法第14条は明確に定めている。
「女性の性的ファンタジーだから無罪」という主張は、生まれ持った性別を基準に表現の許容度や道徳的価値を分ける属性差別である。表現の自由(憲法21条)も、人権も、性別フィルターをかけるべきではない。最高学府の教授がこれを繰り返すことは、人権侵害的主張を公的に容認するに等しい。
BL市場の拡大は女性消費者の満足度を高める一方で、ゲイ当事者の疎外感、一般男性への表現規制圧力、社会的分断を増大させている。性別で「勝ち組/負け組」を決めるゼロサム的論理だ。
「BL無罪」というスローガンは、表面的には「表現の自由」を掲げながら、実際には人間の尊厳を性別で二分する。 弱い立場の男性マイノリティの経験をファンタジーとして食い物にし、その苦痛を「ほっといてください」で片付ける構造は、人権の選択的擁護といえる。
というわけだ。
真の平等とは、性別問わずオブジェクト化の害・表象の権利・表現の自由を同じ基準で評価することである。最高学府が性別ダブルスタンダードを擁護し続ける現状は、看過できない人権問題である。
表現規制のせいだと思う