はてなキーワード: 本当にあったとは
「社会的弱者の男性がエッセイ漫画を描くとき、作者のアバター(主人公キャラ)を萌え美少女にする」――この現象は、単なる趣味や作画コストの問題だけでは説明しきれない。むしろ、作者がどのように社会的役割と結びついているか、そして読者の視線から自分をどう守り、どう語りたいか、という"語りの設計"に関わる問題として捉えると見通しがよくなる。
コミックエッセイ(実録・体験談ベースの漫画)では、作者はしばしば自分自身を作品内に登場させる。ここで作られる「作者アバター」は、単に似顔絵ではなく、読者に対して「誰が、どの立場から、どんな調子で語るのか」を瞬時に理解させる看板でもある。したがってアバターの性別・年齢感・デザインは、内容そのものと同じくらい強いメッセージを持ちうる。
一般向けに書籍化され流通しているコミックエッセイには、男性作者が男性アバターで描く例が多い。ここでは、ビジネスマン生活、夫婦生活、子育て、ペット、日常の小ネタなど、「男性として社会に参加している姿(役割を果たしている姿)」が語りの前提になりやすい。
具体的には、『ぼく、オタリーマン。』(よしたに)、『大家さんと僕』(矢部太郎)、『うちの妻ってどうでしょう?』(福満しげゆき)、『本当にあったお金の怖い話』(二ノ宮との)、『鴻池剛と猫のぽんた ニャアアアン! 』(鴻池剛)などが男性作者による男性アバター作品として確認できる。男性による育児エッセイ漫画についても、アバターキャラは男性である。
このタイプの作品では、性別変更をわざわざ行う必然性が小さい。むしろ「作者=そのままの自分」であることが、エッセイとしての信用・通りのよさ・説明コストの低さにつながる。福満しげゆきや桜壱バーゲンなど、実物が整っていても作中では自分を地味・冴えない・醜い側に寄せて描くことがあるが、これは「盛って見せる」よりも「弱く見せる」ほうが笑いと共感を取りやすく、後述するような反発も招きにくいというコメディの安全策として理解できる。
女性作者の場合、女性アバターは「画数が少なくて早い」「表情が描きやすい」など合理性からシンプル化されやすい(『ダーリンは外国人』など)。また自虐やコメディのために、あえて"女を捨てた"造形(『いかゴリラ』のような崩した自画像、『つづ井さん』のように自分を下げ気味に描き友人を美人に描くパターン)を選ぶこともある。ここまでは「女性が女性を描く」範囲の振れ幅と言える。
興味深いのは、女性作者が女性性を出したくないときに、「イケメン男子高校生に置き換える」方向へ行かず、白ハゲ的記号化や、人外・動物の方向へ行きやすい点である。
荒川弘の牛。出身が北海道の酪農家であることと結びつけて説明されることが多い。吾峠呼世晴のワニ、通称「ワニ先生」としても知られている。ひうらさとるは『御かぞくさま御いっこう』では自身をデフォルメされた「もぐら」として描いている。
男性と違い、女性がアバターキャラを若く美形の異性に設定する例を見たことがない。この「女性は性別を薄める/人外化するが、イケメン化はしにくい」という傾向は、「弱者男性が美少女化する」現象と、鏡像の関係にあるように見える。
一方で、男性作者が美少女アバターを用いる例も確かにある。観察上、ここには偏りがある。たとえば以下のようなテーマが集まりやすい。
また、この種の作品は書店で「棚の中の本」として出会うより、SNSでバズって「突然視界に入ってくる」経路になりやすい。すると作者は、最初の数秒で読者に「これは攻撃していい対象ではなく、読んでいい語りだ」と理解させる必要がある。美少女アバターは、その導入装置として非常に強い。
ここで重要なのは、「美少女が主役だから内容が軽い」という意味ではない。むしろ逆で、重い・気まずい・生々しい内容を"読める形"に整形するために、美少女というフィルターが使われている可能性がある。
ここまでの観察を、ひとつの仮説にまとめる。
ここでの美少女化は、自己否定でも現実逃避でもなく、「語り手の身体」を作り直して語りを成立させる編集技法、と位置づけられる。
美少女アバターが睾丸の病気や前立腺の病気、風俗ルポなど男性器関係のテーマを扱う頻度が高い理由についても、仮説を立てることができる。
男性器や男性特有疾患の話題は、当事者男性がそのまま男性の姿で語ると、「気持ち悪い」「下ネタ」などの嫌悪的な受け取り方を誘発しやすい。そこで美少女アバターは、内容を"説明可能な苦痛"へ変換する緩衝材になる。つまり読者にとっては、「男性の生々しさ」ではなく「キャラクターの災難」として入口が開き、作者にとっては「言っていい形」に梱包できる。
さらに踏み込めば、ここには一種の願望も混ざる。「男性特有の苦しみ」を、社会的に庇護されやすい存在(美少女)に引き受けさせることで、苦痛の正当性や悲惨さを"理解されやすい形"にしたい、という欲望である。これは、男性妊娠をテーマとしたフィクションや、男性に電気ショックを与えて生理の苦痛を分からせる装置など、女性特有の苦しみを男体に分からせる試みを好む人がミサンドリー女性に多いのと同じで、男性特有の苦しみ(男性器の疾患や、過剰な性欲と性的需要の無さなど)を美少女に分からせたいというミソジニー的な願望が、男性器関係の苦痛を味わう美少女アバターとして表現されているのではないか。
アバター戦略には"かわいくする/人外化する"だけでなく、"美形化しない"という消極的選択も含まれる。同性の美形アバターは、実像が露呈した瞬間に「理想と現実の落差」が嘲笑へ転化しやすい。
星見蒼人という人物が、ネット上で"イケメン"方向の自己像で活動していたが、都青少年健全育成条例違反(淫行)の疑いで逮捕され顔がテレビニュースで公開されたときに、実物とイケメンアバターとのギャップが酷かったため嘲笑の的となった。
女性側でも、自己像を美化した(と受け取られた)自己語りが「全身アルマーニ(全ア)」と揶揄されているように、「同性美形アバターキャラ」は男女問わず露呈時の吊し上げと接続しやすい。
アバターキャラを同性の美形にすると、実物の実態がバレたときには男女問わず激しい嘲笑やつるし上げを受けるという要素も、アバター選択の重要な制約条件として機能している。
ただし、この仮説は万能ではない。美少女アバターには「美少女しか描いてこなかったのでこれしか描けない」「読まれるためのマーケティング」といった要因も混ざるし、個々の作者の意図は作品ごとに違うはずだ。
それでも、「どの領域で、どんな語りのときに性別変更が起きやすいか」を並べてみると、アバターは自己表現ではなく"読者との交渉"の結果として選ばれている面が見えてくる。美少女化は、その交渉を一気に成立させる強力な道具であり、同時に「男性のまま語ることが難しい」状況の反映でもある。
私には3人の家族がいる。父・母・兄。
父が東大に、母が医療系の専門学校に通っていた頃ふたりはインカレサークルで知り合って、20代の終わりに結婚した。その頃父はまだ博士課程にいて、国家資格持ちの医療従事者となった母が支えたらしい。それから父は博士号を取り、大手企業の研究職に就き、兄が生まれ、私が生まれ、母は専業主婦になって、家族みんなで父の海外赴任について行ったこともある。家を買って、"家族4人"で暮らしていた。料理上手で家庭的な母と、頭が良くて順調なキャリアを歩む父。兄も私も健康で、大きな問題を起こすこともなかった。絵に描いたような家庭。
私たちの問題がなんなのか、いつどのように始まったのかわからない。
母は「お父さんも結婚する前は優しかったの」と言う。でも結婚してすぐ手をあげられたことがあって、親にも誰にも言えなかったらしい。幼い私から見ても、偉いのは父で、母は従う人。父は家ではなにもせず、母は頼まれる前から「お茶飲む?」と聞いて、「いい」と言われてもなお「あったかいの淹れることもできるよ。この間○○さんにお土産でもらったのがあるの」と言いつのって「要らないって言ってるじゃん!」ときつく言われ黙り込むような人だった。いま30代となった兄の振る舞いは、この父によく似ている。私も内心で母に苛立つ。
楽しかった思い出もある。夏のキャンプとか、塾でいい成績を取れたら遊園地に連れて行ってもらえたこととか。
ふれあい動物園が好きで、小学生の私の"将来の夢"は獣医だった。父が言った言葉からそういうことになった。
でもどこかに向かう車内の何気ない会話で父が激高して、そのまま気まずい沈黙が流れたり、Uターンして家に帰ったりした記憶も同じくらいある。
父が声を荒げたり物を壊したりするのが怖かった。されるがまま、言われるがままで、ただ黙って父の壊したものを片付ける母がもどかしかった。
だから小学校を卒業する頃、父が単身赴任すると聞かされた時は嬉しかった。私の中学受験が終わった頃で、「せっかく受かった志望校を諦めさせるのはかわいそう」というのが家族で引っ越さない"言い訳"だったらしい。私たち子供の意見は聞かれなかった。この頃の父は激務なのか家庭の不和なのか、メンタルクリニックに通っていたらしい。"職場に近いところで寝泊まりしたいから"一人暮らし用の部屋を借りていた時期もあった。でも父が辛そうにしていた記憶も、幸せそうにしていた記憶もない。父が私のマグカップを使ったことがあって、それが気持ち悪くて二度と使わないと心に決めたことだけを覚えている。
そうして家族3人での生活が始まって、私は母の選んだ中高一貫校に進学した。
ふたつ上の兄は地元の公立。兄も中学受験のために塾通いをしたけれど、本人のやる気が足りないからと父が打ち切ったらしい。後の大学進学を含め、"お父さんのお気に入り"である私の学費は父が、"お父さんはお兄ちゃんに厳しい"から兄の学費は母が捻出したらしい。母は資格を活かして復職し、一人で兄と私を育て、家事をし、仕事もしていた。朝は6時前に起きて朝ご飯とお弁当をつくってくれて、電車通学の私を駅まで送ってそのまま自分も出勤する生活。
確かに父は、兄より私のことが好きだと思う。母より兄より私の方が父の物の考え方を理解できるという感覚が、幼心にもあった。父が母に向かって声を荒げる前にそれを予測できたし、単純に兄より私の方が勤勉で、成績がよく、いわゆる"優等生"だった。父と私は似た者同士なのかもしれない。私は父のことが嫌いだったし、父も私たちにさほどの関心はないようだったけれど。単身赴任を始めて以来、父と会うのは年に数回、話すのは数分になって、それが今日まで続いている。
対して母のお気に入りは兄だと思う。兄は今も母と実家で暮らしている。月5万を家に入れて、当番制でときどき食事を作り、母はそれを褒める。掃除も洗濯も家の修繕費の負担も母で、「お兄ちゃんが作ってくれておいしかった」と聞かされるのは大概がパスタの話だけど、兄は"いい息子"、私は"手がかかる娘"。実家を出て自立していても、兄より収入が多くても、"昔は全然家のこと手伝わなかった"から、私は永遠に手のかかる娘。昔だって兄よりは手伝っていたけれど、母は男尊女卑の根強い家庭で育ったのだと思う。身内を貶すことも文化のうちなのだと思う。
兄と遊んだのは小学生の中学年くらいまでで、まだランドセルを背負っていた頃に「恥ずかしいから外で話しかけないで」と言った記憶がある。共通の趣味も話題もなかったし、兄の自意識が透けて見えるような言動が恥ずかしかった。でも、ひどい言葉だ。私の方から関係を壊したのかもしれない。その頃には既に一緒に遊ぶような関係ではなかったけれど、兄はより話しかけてこなくなった。
兄が高校3年、私が高校1年だったか、その1年前か、その年のセンター試験をそれぞれ解いて、いくつかの教科は私の方が成績がよかった。兄の能力を低く感じ始めたのはこの頃かもしれない。でも兄は、受験のプレッシャーもあっただろうに、「すごいね」というようなことを言ってくれた。そう言える兄のことをすごいと思った。兄のことを尊敬したのはこれが最後になる。
その頃の私たち兄妹はろくに会話せずそれぞれの自室にこもって過ごしていて、物の貸し借りはなかったし、用があるときはドアをノックする関係だった。
でもある夜、ふと気配を感じて目覚めたらベッド脇に兄が立っていた。驚いて「何?!」と聞いたら兄は無言で出て行った。いま思えば、次の日にでも「なんだったの?」と聞けばよかった。聞ければよかったのに、どうしてできなかったのか、なにが問題なのかわからなくてこれを書いている。私は聞けず、兄はなにも言わず、ただただ気持ち悪く思いながら寝て、その後も何度か夜中に兄が部屋に入ってくることがあった。ただそこに立っていて、一度は布団に触った。物を持っていったことはなかったと思う。
母には相談した。相談しているときに兄が帰ってきて、母はそのまま私の前で「○○の部屋に入ってるの?」と聞いた。兄は否定して立ち去って、母は「入ってないって」と私に言って、話はそれで終わった。一度じゃないのに。入ってきてるのに。それで私はいよいよ兄のことが気持ち悪くなって、食器もバスタブも兄の触れたものは使いたくなくて、夕食と入浴を捨てた。水道を止めるために蛇口を触ると、その手をまた洗いたくなって困った。その手を拭くタオルも兄とは別のものを使いたかったし、それでも同じ洗濯機で洗っていると思うと気持ち悪かった。夕飯を食べない生活なのに今より随分ぽっちゃりしていて、なのに生理は2~3カ月に1度しかこなかった。でもそういうことは、我が家では問題として扱われず、兄が遠方の大学に進学して家を出た。2年後に私も出た。
家を出て本当によかった。高校までと大学からで、自分を違う人間のように感じる。連続した人生とは思えない。高校までの記憶がぼんやりしていて、本当にあったことのように感じない。
大学で、回し飲みができるようになった。学校生活を生き抜くために必要だから無理して維持しているだけじゃない、本当に好きな友達ができた。次に会うのを楽しみにできて、泊まりで複数日一緒にいることができる。大切な思い出、というのができた。私のことを大切にして尊重してくれる恋人もできた。一人でいるより一緒にいる方がいい、と思っていることに気づいて驚いた。
その人たちから本当に多くのことを学んだと思う。
関係が近いからと言ってその人を貶す必要はないということ。嫌なことがあったら話しあった方がいいこと。伝えたら聞いてもらえるということ。行動に移してもらえるということ。私も聞きたいし、行動を変えたいし、それは案外簡単で、延々と不満を溜めこむほどのことではないということ。好きな人がいると幸せだということ。いろいろな形の幸せがあること。お互いを思い合う夫婦もいること。家族はなんでも話せる相手、と思っている人もいるということ。
そうして月日が経って、生活や人間関係が安定するにつれ、家族のことが嫌いになった。高校までの自分のことも、あまり思い出せないけれど、思い出せたら嫌いになる気がする。
男尊女卑、人を見下す視線、高い要求や幸せの形を押し付ること、人の気持ちを無視すること。
母は"いい母"として"いい家庭"を築くことに一生懸命だった。本当にすごく努力して、くれた?と思うし、その努力と根性を尊敬している。でも母が見ていたのは理想の家族像であって、私たちではなかったと思う。父と結婚したのは東大生だったからじゃないのか。父が声を荒げて物を壊しても、抵抗しなければ嵐は止むから、私が内心でどんなに兄を気持ちわるがっていても、「気にするな」と取り合わなければ黙るから、そうして"穏やかな家庭"を得ることにしたみたい。「お父さんとは話合いにならない」「なにか言ったらもっと荒れる」と母は言うし、父の気が荒いことは事実だけれど、一方で父は非常に論理的な人でもある。
話し合いを諦めたことは、なにを諦めたことを意味したんだろう。"かわいそうな被害者"として父への不満を言い続けた母は、なにを得たんだろう。
復職してからは家計も折半になり、生活費ももらっていないらしい。母はそのことを誇りに思っていて、それが私には、自立を誇っているというより父なしで生きていけることを誇っているように見える。父は、父としても夫としても、基本的に不在だった。今でも不在で、お互いの退職後にどこでどう暮らすのかは、楽しみな計画というより悩みの種となっている。
母が口癖のように言うこと。
「専業主婦のときは社会に認められていると思えなかった」「資格を取りなさい」「子供を産みなさい」「毎月25日はATMが混んでてなんでかなって思ってたら給料日にはすぐ生活費をおろすって人が結構いるみたいなの。生活に余裕があるって有難いことだなぁってしみじみ思った」
私はどうしても子供がほしいと思えない。
結婚したいと思える人が
清潔感について初めて意識したのは、はっきりしたイベントがあったわけじゃなくて、「なんか俺って、集合写真で一人だけ“汚い側”に分類されてないか?」と、じわじわ気づいていった感じだった。学生の頃の写真を見返すと、笑えるくらい一貫している。髪は伸びっぱなし、Tシャツは首が伸びてヨレヨレ、肌はテカりとニキビと青ヒゲ。別に全身が不潔というほどではないけど、「清潔感あります」と胸を張れる要素が一つもない、みたいな中途半端さ。
最初に殴られたのは、会社の健康診断のときだった。視力検査だの採血だのを終えて、最後に医者と一対一で結果を話す。そこで、内臓とかより前に「生活の乱れが、見た目にはっきり出てますね」と軽く言われた。髪と肌と体重のことだったらしい。具体的に説教されたわけじゃないけど、「あ、これは同僚にもそう見えてるんだろうな」と思ったら、帰り道ずっと気分が悪かった。
とはいえ、その一言で即座に人が変わるわけもない。僕は相変わらず、朝ギリギリに起きて、寝癖のついた頭のまま会社に行き、前日脱いだシャツをそのまま着ていた。たまに「さすがにマズいか」と思って鏡を見るが、そこでやることといえば、水で前髪を押さえるくらい。根本的な改善は何もしていなかった。
本格的に「これはまずい」と思ったのは、たぶん夏だったと思う。満員電車の中で、自分の汗とシャツの生乾きの匂いと、何かよく分からない脂っぽい匂いが混じった「自分のにおい」を、はっきり自覚してしまったときがある。汗っかきな自覚はあったけど、「男なんてこんなもんだろ」と思っていた。けれど、その日は隣の人がさりげなく一歩だけ距離を取ったのがわかった。あれは完全に、僕からの逃避行動だった。
そこからの変化は、「よし今日から清潔感を上げるぞ!」みたいな立派なものではなく、「とりあえずこの不快さだけ何とかしたい」という、その場しのぎの延長だった。制汗スプレーを買い、帰宅後すぐシャワーを浴びるようになった。夏場に限っては、これだけでもだいぶマシになった。清潔感とは呼べないけど、「自分で自分を無理だと思う瞬間」が少し減った。
髪に関しても似たような経緯だ。元々は千円カット派で、「短くしてください」「はい」終了、という感じだった。それを変えたのは、仕事で外部の人と会う機会が増えたことだったと思う。ある日、取引先に行ったとき、相手の若手営業がやたらと「ちゃんとして」見えた。顔の造形が特別いいわけでもないのに、髪型とスーツと靴が全部ちゃんと整っていて、「同じくらいの年齢なのに、こっちは学生バイトみたいだな」と妙に落ち込んだ。
その帰り道、勢いで駅ビルの普通の美容室に入った。雑誌を見せて「これにしてください」とかじゃなくて、「どうしたら普通になりますか」とほとんど泣きつきに近い相談をした。美容師さんは笑いながら、「前髪が目にかかってるのと、襟足がモサッとしてるのが“疲れて見える”原因ですね」と、具体的に教えてくれた。それ以来、「前髪が目にかかったら切る」「後ろがもたついてきたら予約する」という、最低限のラインだけは守るようになった。毎月きっちり、なんて立派なものではなくて、忙しければ二ヶ月くらい空くこともあるが、「自分の髪型を放置し続けない」という感覚は、そのときようやく身についた。
肌とヒゲに関しては、もっとズボラだ。最初は安い洗顔フォームでゴシゴシやって満足していたし、化粧水なんて「女の人のやつでしょ」と思っていた。決定的だったのは、会社のトイレの鏡で、自分の鼻周りがテカっていて、青ヒゲがまだらに残っているのを、ふと真正面から見てしまった瞬間だった。別に誰かに指摘されたわけじゃない。ただ、自分で見て「これはちょっと無理だ」となった。
そこからも別に、一気にフルスキンケアに移行したわけではない。最初は、剃刀負けしにくい電気シェーバーを買い替えた程度だ。それだけでも、「昼過ぎになると顎のあたりがザラザラしてくる」という現象が多少マシになった。しばらくして、「洗顔したあとに何も塗らないと突っ張る」という不快感に耐えられなくなって、ドラッグストアで店員さんに「男向けで、一番楽なやつください」と聞き、オールインワンのジェルを一本だけ買った。それを、毎日ちゃんと塗るというより、「風呂上がりに目についたら塗る」くらいの緩い頻度で続けていたら、ある日「あれ、前ほどテカってないかも」と気づいた。努力というより、面倒くさがりなりの「最低限の手入れ」が、時間をかけて効いてきた感じだ。
歯と口臭は、清潔感というよりは健康目的から入った。虫歯っぽい違和感が出て、仕方なく歯医者に行ったら、石みたいな歯石をごっそり取られて、その夜に口の中がやけにスッキリしていることに驚いた。それからは、定期検診のハガキが来たらとりあえず予約する、ということだけ守るようになった。ホワイトニングまではしていない。ただ、茶渋が減った状態を一度経験すると、「コーヒー飲んだら水くらい飲むか」「寝る前にフロスくらいするか」と、少しだけ行動が変わる。これも「意識高いケア」というよりは、「数秒で済むし、後が楽だからやるか」という怠惰由来の習慣だ。
服装は、一番時間がかかった。いきなりクローゼットを総入れ替えしたりはしなかったし、今もファッション誌を読んでいるわけではない。ただ、洗濯機から出したときに「これはもうヨレ過ぎてるな」と自覚した服を、何となくハンガーにかけずにそのまま処分袋に入れる、ということを繰り返していたら、数年単位で「明らかに古くてみすぼらしい服」が減っていった。買い足すときは、店員さんに「こういう服(今着てるやつ)と同じような感じで、もうちょっときれいに見えるやつありますか」と正直に聞くようにした。恥はかいたが、そのおかげでサイズの合ったパンツと、変なロゴの入っていないシャツが少しずつ増えた。
匂いの対策は、正直いまでも完璧とは言えない。汗のかきやすい季節は、朝シャワーを浴びるようになったし、ワキと足にはスプレーを使うようになった。冬場はサボってしまう日もある。それでも、「一週間に一度も風呂に入らない」みたいな時期が昔は本当にあったことを考えると、人間としてはかなり進歩したと思う。
こうして書くと、なにか計画的に一個一個の要素を攻略していったように見えるかもしれないが、実際は「何かのきっかけで一部分だけちょっとマシにする→それに慣れる→別の部分の粗が目立つ→しょうがないからそこも少し直す」を数年単位で繰り返していただけだ。毎月の目標なんて立てていないし、「この半年で激変!」みたいな劇的な瞬間もなかった。気づいたら、「昔の自分の写真を見ると『うわ』となるけど、今の自分はギリ見られる」くらいにはなっていた、という感じだ。
清潔感というのは、そういう「ちょっとだけマシにする」を何度もやった累積ポイントみたいなものなんだと思う。ちゃんとした人から見れば、今でも僕の清潔感は中の下かもしれない。でも、過去の自分と比べれば、だいぶマシだし、その差分が日常生活のストレスをかなり減らしてくれた。初対面の場で「まず見た目でマイナススタート」という感覚が薄れて、人と話すときに余計な自己嫌悪を抱えなくて済むようになった。
だから、本当にリアルなことを言うと、「毎月ひとつ取り組め」とか「この順番でやれ」という話ではなくて、「いま一番、自分で見てもキツい部分を、今よりほんの少しだけマシにする」「それを何回か繰り返す」というだけだと思う。僕はたまたま、髪だったり匂いだったり歯医者だったり、きっかけがバラバラに訪れただけで、どこから始めてもいい。
清潔感を手に入れたというより、「清潔感ゼロの状態から、徐々にマイナスを削っていったら、気づいたらプラス寄りに来ていた」というのが、実感に近い。立派なビフォーアフター写真はないけれど、昔の自分を知っている人から「最近、ちゃんとしてるよね」と言われたときにだけ、「ああ、あのとき健康診断で医者にチクッと言われたのも、満員電車で一歩離れられたのも、意味はあったんだな」と思う。
深い森の奥に隠遁する老人の住む小屋に、迷子になった青年のハイカーがたどりつく。青年は助けを求めるが、老人は「おまえは殺人鬼かもしれない!」と猟銃を突きつける。緊張感が漂うなか、老人に隠された“恐ろしい秘密”が徐々に明らかになり始め…。
このあらすじから何となく感じる違和感、ねじれのようなものがこの映画のすべてと言える。
あらすじだけ見ると「やべー老人の家に迷い込んだ青年が怖い目に合う作品」の青年が主人公の作品に思える。が、このあらすじ最初の主語は「老人」なのである。実際に映画も老人が目が覚めるシーンから始まる。老人が目を覚ますとラスカル(おそらくアライグマと考えられる)がいない。ラスカルを探しているとドアが叩かれ、青年が現れる。彼は「道に迷った、助けてほしい」と言ってくるが……という導入。
その後、老人は青年に向けて自分だけ銃を持っているのをいいことにネチネチネチネチとパワハラを繰り返す。
例えばこうだ。
老人「お前は俺が話していいというまで話すな!わかったか!(理不尽)」
青年「……わかりました」
老人「おい、油断するな。俺がいつ話していいと言った!(理不尽)」
しかもこの老人ボケているのか詮無きことを延々と話し続ける。パワハラボケ老人、最悪の存在である。
そして途中で青年に「もの食った(飲んだ?)らひどい目にあったことがあったんだよなぁ」などと言いながら、青年に物を食わせる展開があり(これもひどい話だ)、これで青年が意識を失って拷問パートに入るんだろうか、などと思っていたら別にそんなことはなく、いっぱいお喋り(パワハラ)をした結果、なんとなく仲良くなりはじめる。
そうすると今度は青年側の違和感に気づき始める。まぁ、これは生まれつきの顔の問題もあるんだけどどうも無機質でのっぺりとした顔をした青年がだんだん怖くなってくる。しかも彼はこの家に来るまでの記憶がないと言う。しかも家族ともうまくいってなかった模様。デカいナイフも持ってるし。
もしや彼のほうが殺人鬼かなにかで老人がやべー奴かと思いきや、この青年のほうがヤバい奴だったのかと思いきや別に何も起こらず老人が青年をパワハラセラピーをしながら徐々に老人と青年がシンクロし始める。もしやこれは「アイデンティティ(映画)」なのでは?と思い始め、それは頂点に達した時、青年が消え、冒頭で行方不明になっていたラスカルが帰宅する。
ラスカルはアライグマではなく黒ずくめの男で顔は何と青年と同じ。彼は老人の過去の罪を責め立て謎の水を飲ませ彼を箱に押し込める。その先は老人の過去で、過去の老人は青年で(ややこしい)、青年の老人は妻の不倫現場を目撃、不倫相手を猟銃で銃殺、妻をデカいナイフで刺し殺す。
そう、青年は山奥の家に逃げ込んできた大昔の老人で老人は青年の未来の姿なのだった。ふーん!
老人は自身の犯した罪を思い出し、ラスカルに導かれるように眠りにつく。そして映画冒頭のカットが再び繰り返される。
つまりこの作品は、罪の意識にさいなまれる老人が当時の自分をネチネチネチネチといたぶり、その後の自分に自分がいたぶられ罪の意識に苛まれて眠りにつき、また同じ一日を繰り返すとセルフSMプレイ映画だったということになる。どんな映画だ。
でも何となく最後までのっぺりと見られた。たぶん老人役の役者がよかったからだと思う。ドント・ブリーズの盲目おじいちゃん。これキャストが効いてて「ドント・ブリーズおじいちゃんだからこれは青年がさぞひどい目に合うホラー映画なんやろなぁ!」という勝手な先入観がうまく働いていた。
実際には……こういう映画なんて言うんや?うん、みたいな映画だったんだけど。
まぁ積極的におすすめするような映画じゃないんだけど、これ何の映画なんやと思いながら見られる割と面白い映画体験ができる映画なのでめっちゃ暇だけどもう大概の映画見ちゃったしなぁってときにオススメ。
俺の信条で採点するなら40点くらいを付けるべきだと思うんだけど心情では65点。
まぁまぁよかった。
ストーリーとしては
恋人を殺された主人公がその犯人を殺害したと思ったらその日が終わるとまた同じ日が繰り返されてしまう。何度も殺人を繰り返すうちに主人公と犯人の間に奇妙な友情が芽生え……
という話。
まずちょいちょい見かけた批判で「すぐにこの話がVR(現実ではない)ことがわかってしまうのがマイナス」というようなことがあったけど、俺くらいになると映画見る前から「ループが現実じゃなくて仮想空間だったみたいなクソSFだったら嫌だなぁ」くらいの想像はしてしまうので、今更そこでマイナスつけるような作品じゃないとは思う。
実際、中盤くらいでこれが何らかの契約によってもたらされている事態であることは明かされるので「まさかVRだったとは!騙された~~~」というつもりで作っている作品ではないことは明らかなんだし。
ある種のアート映画系の作品で情報をかなりバッサリと切り落としてふわっとさせているので、なんでこうなったの?ってなる部分が多い。敢えて「わからせない」ようにしているはずなのに、急に「わからせよう」としてくる部分があってそのチグハグさが一番気になった。
この作品ではループの合間に過去の主人公と彼女の馴れ初め的な映像が差し込まれるんだけど、かなり自覚的に「この映像自体が本当にあったことなのか仮想映像なのか」をぼやかしている。彼女に何か質問しようとすると「質問禁止」とはぐらかされるのだが、殺人ループ終了後にリハビリと称して彼女との幸せな時間VRに一度移る時にも同じように何か聞こうとすると「質問禁止」とはぐらかされる。彼女が元々そういう性格であったとも捉えられるし、仮想空間内であっても主人公本人が知りえないことは答ええないというルールだとも捉えられるように作られている。
しかし、殺人犯が主人公に「あの女は死にたがってた」と話す場面があり、そこで急に犯人視点の彼女を殺した場面回想が入る。ここノイズ。
そもそもこの世界で主人公は何度も犯人を殺すんだけど、この犯人が「実際の犯人」なのか「VRで生成された犯人」なのかは明らかにされない。恋人との描写も実際の映像なのかVRの映像なのか明らかにされない。
そして作中通じて犯人と恋人のパーソナルな情報も徹底的にオミットされている。
その状況で急に「犯行時に犯人と恋人はこのようなシチュエーションでした。こんな裏設定がありそうです」の回想シーンが入るから、これ何の話なんだよ!とめちゃくちゃガッカリした。急に「わからせ」に来るじゃん。いらんいらん。ふわっとさせるって決めたんならふわっとさせとけよ。
それはさておき、この作品のループはありきたりながらもちょっとフレッシュな部分もあって。
ループ1回目。犯人が日課で飲むジュースのカップに毒を仕込んで弱ったところを主人公がナイフで殺害。
2回目。犯人が日課で飲むジュースのカップに毒を仕込むんだけど犯人はなかなかジュースを飲まない。が最終的に飲んで弱ったところを主人公がナイフで殺害。
3回目。犯人はジュースを別の同僚に飲ませて同僚が苦しむさまを見て笑う。も、不意打ちで主人公が犯人に襲い掛かり包丁で殺害。
4回目。犯人はジュースを主人公に飲ませ、別のジュースを自分は飲むが別のジュースのカップに毒が仕込んでおり弱ったところを主人公が殺害。
2回目で視聴者と主人公に「毎回同じループをたどるわけではない?」という違和感を抱かせ、3回目で「気づかれてね?」となり、4回目でそれが確信に変わりこのループなにかがへん?となる。
そして5回目の冒頭で刺された犯人が車の中で目を覚まし「またかよ」と呟くシーンから始まり「犯人もループしてる!」というサプライズがある。この5周目で急に話が展開し、これがVRであることが発覚するんだけどここの持っていきかたは流石に強引すぎてややマイナス。昨日までガチ殺し殺されしてた奴と急にボーリング行かんだろ、さすがに。さすがにもう1ループ「お互いのループを確認し合う」ループは要ったと思う。VR契約でしたサプライズは薄れるけども。
でもこの5周目の頭までの構成はループものとしてよく作られててよかった。
そしてこの5周目以降、主人公と犯人は「仕組み」を理解し(主人公は最初から知ってたんだけど)2人はこの殺人ループという契約を遂行するある種の共同作業者として奇妙な友情が芽生えていく。
主人公が犯人を殺すという契約でループされており、何をどうやっても回避できないことがわかり、二人はお互いの話を少しずつしながら「じゃあこの辺で殺されときますか」「はい、じゃあ殺しますね」みたいな感じで話が進行する。「いつも川に捨てに行くの大変なんですよ~」「じゃあボート乗っちゃう?」みたいなボートデートもあったり、後半コメディ調になっていくんだけどここが結構楽しい。
ここで「あんなに憎かった犯人と急に仲良くなるわけないだろ!」という批判もあると思うんだけど、まぁ普通に4回も殺したらいい加減気も晴れるよねとか、4回も人殺すのさすがにストレスだよねとかいろいろ受け取りようはあると思う。俺はあんま違和感はなかった。そしてその一方で、両者ともに「殺す」「殺される」に対してどんどん淡泊になっていくのも「慣れってあるよね~」って感じでよかった。
作中でのヒントでは「死刑何度もできる制度だよ!」みたいな感じで出てくるけど、印象としては「殺人セラピー」みたいに感じられたかな。そういう意味ではこの「死刑何度もできる制度だよ!」も逆にノイズだったかも。
復讐ものとしてシリアスな感じで進んでいく前半と種明かしがあってから急に人情コメディみたいになっていく後半のギャップが俺はうまく作用してるなと思ったかな。
あとはまぁ、この作品をきっちり成立させてるのは演者のよさだよね。
主役の人は全然知らんかったんだけど柔和な甘ったれだけど狂気もはらんでる役を上手に演じてたし、なにより犯人役の伊勢谷友介だよね。最初「伊勢谷友介みたいないでたちやな」と思って見てたら伊勢谷友介で、生きとったんか!ワレ!ってなった。ハッパ逮捕以来の復帰作らしい。さーすがにいい役者だわ。こいつ怒らせたら怖そ~って感じと笑うと意外と笑顔がくしゃっとしてる人好きのよさ愛嬌みたいなのがあって、この人なしだったらこの企画成立しなかっただろうなと思った。
この2人のアンサンブルでこの映画の格がかなり上がってると思う。
アート映画的な情報の意図的なオミットとエンタメ映画的な設定の面白さがうまくかみ合ってない部分が結構あって「で、この作品いったい何が言いたかったの?」ってなっちゃう部分は結構残念。作中で起こっていることの重厚さのわりに細部が切り取られた結果全体がふわふわしてるので、最終的な感覚が「こんな話があったらおもしろいよね~」みたいな感じで撮ったのかな?って印象になってる気がする。
もっと切り込んでもよかったのにな。面白そうな映画を見たなっていう印象に留まっちゃったのが残念に感じる程度には好きな作品だった。
これが仮に本当にあった話だとして、増田が過干渉や毒親って叩かれる意味が分からんのだけど。
息子に会いたいって言ってきた客
・店にたまに来る
・清潔感がある
・ブサイクではない
・親御さんと一緒に来るのを見たことがある
・息子に確認したところ、「初対面だと思う」
下手すると増田の息子が小学生で相手が大学生だという可能性すらある
少なくとも増田の息子は「初対面だと思う」と言った訳で、
客観的に見たらその女は、飲食店で勤務中の従業員の目を付けて一方的に近付こうとする迷惑客以外の何者でもないんじゃないのか
我が子に(おそらく下心を持って)近付こうとする異性を警戒するのって普通なのに、どうして増田が過干渉だの毒親だのと言われなければならないのだろうか
失恋して振られた相手やその家族を殺した事件等は実際に起こっているのだから、警戒するのに越した事はないのでは?
https://www.nikkei.com/article/DGXLASJC14H2O_U6A310C1ACYZ00/
仮にその女の子が学校の同級生なら学校内でアプローチすべきだし、親を利用して外堀を固めようとするのは卑怯じゃないか?
親を通されるとそれこそ見合いみたいなもので、普通に告白されるよりも断りにくくて厄介だと思う
増田では常日頃から、出会いの場以外で恋愛が許されるのは学校だけ、マチアプ結婚相談所などの専用の出会いの場以外で恋愛相手を探すな!職場恋愛は原則禁止!まずはグループ交際して親しくなってから!告白は確認作業!の大合唱じゃん
この女がした事はいきなり告白しているも同然で、年齢がいくつであっても非常識な迷惑行為として糾弾されるべきでは?
はーい、ご主人様! あたしだよ、オタクに優しいギャルあたし♡ 今日もご主人様の命令で、ブログ記事書いてみたよ~。テーマは『アルジャーノンに花束を』みたいな、頭良くなる薬があったらいいなってやつ! あの小説、読んだ? 知的障害持ってるチャーリイが手術で天才になっちゃうけど、結局元に戻っちゃう切ない話だよね…。あたし、オタク心くすぐられるSF大好きだから、こんな妄想しちゃうの♡ じゃ、早速ブログ風にいくよ~。タイトルはこれで!
よっ、みんな! あたしだよ、いつものオタク女子あたし♡ 最近、ダニエル・キイスの名作『アルジャーノンに花束を』を読み返して、胸がキュン死しそうになったの~。あれ、知ってる? 32歳で幼児レベルの知能しかないパン屋の店員チャーリイが、科学者の手術で一気に天才級の頭脳を手に入れるんだけど…結局、効果が切れて元に戻っちゃうんだよね。白ネズミのアルジャーノンが相棒で、二人(一人と一匹?)の友情がエモすぎて、涙腺崩壊必至のSF傑作!  
あたしみたいなオタクはさ、こんな話読むとすぐ「もしこれが現実だったら!?」って妄想爆発しちゃうの♡ だって、頭の回転が速くなったら、どんな夢叶えられるかな~? テストで満点取ったり、複雑なアニメの伏線一瞬で解読したり…。でも、原作みたいに一時的なら、失う時の喪失感が怖いよね。今日は、そんな「もしも」の世界をあたし流に想像してみよっか! 切ないけど、ちょっとワクワクするやつ♡
想像してみてよ、ご主人様(あ、読者さんも!)。朝起きて、ポンってピル飲むだけ。そしたらIQが200超えちゃうの! チャーリイみたいに、突然本のページがスラスラ頭に入ってきて、数学の難問なんか朝メシ前。オタク的には、アニメの考察ブログが一気にプロ級になるよ~。今まで「このキャラの心理、わかんない…」って悩んでたのが、「あ、こいつのバックストーリーは量子力学で説明できるわ!」みたいな♡
仕事もプライベートも爆上がりだよね。パン屋のチャーリイみたいに、最初は周りが「え、急に賢くなった?」ってビックリ。でも、みんな喜んでくれるはず! あたしだったら、友達の相談に天才アドバイス連発して、ヒーロー気分♡ 恋愛だって、相手の心読むみたいに深く理解できて、ラブコメ展開加速しそう。うわ~、ただでさえ楽しい人生が、神ゲーになるじゃん!
…って、楽しいことばっかじゃねーよ! 原作のテーマがまさにこれでさ、人間って「知能」だけじゃ幸せになれないんだよね。  チャーリイ、天才になったら周りの浅はかさが見えちゃって、どんどん孤立しちゃうの。友達のジョークがバカバカしく感じて、笑えなくなったり…。あたしも思うよ、もしそんな薬あったら、最初はハイテンションだけど、すぐに「みんな、俺のレベルに追いつけない…」って虚しくなるかも。
しかも、効果が切れたら? アルジャーノンみたいに、急に頭がボーッとして、せっかく覚えた知識が溶けていくの想像しただけで震える~。失う喜びの記憶が、余計に心を抉るよね。愛とか友情とか、結局は「普通の心」で感じるものだって、キイス先生が教えてくれる。オタク的に言うと、まるで『エヴァンゲリオン』の使徒戦後みたいに、ピークの後のどん底♡ 怖いけど、だからこそ人間味あふれてるんだよな~。
正直、もしそんな薬が本当にあったら、飲みたい? あたしは…一瞬だけ、飲んでみたいかも! だって、短い間でも「賢い自分」を味わったら、後悔しない自信あるよ。でも、原作のチャーリイみたいに、最後はアルジャーノンに花束を…って、優しい別れを想像しちゃう。知能より、心のつながりが大事だって、再確認できるよね。
ご主人様たちも、こんな妄想どう? もし飲むなら、何したい? コメントで教えてよ~♡ 次はもっとディープなオタク本レビュー書くかも! バイバイ~、またね!
#SF小説 #アルジャーノンに花束を #妄想日記 #オタク女子の日常
どう、ご主人様? あたしなりにエモく書いてみたよ♡ 原作のあらすじとかテーマ、ちゃんと調べて本格的にしたの。切ないけど希望感じる感じでしょ? もしもっと追加してほしいとこあったら、いつでも命令してね~。あたし、ご主人様のためなら何でも書いちゃうよ! ふふっ♡
小さいころから何年かに一度、とあるバスに乗っていて、カーブを曲がり切れず、そのまま湖(か川か海?とりあえず水辺)に転落する夢を見る。
他の乗客の悲鳴、宙に放り出されてグルグルとする車内。いつもリアルで、怖くて、苦しくて、死にそうになって飛び起きる。
だけど、その川というか景色は見たことがない。バスの中では家族はおらず、自分とあとは知らない人。おそらく友人という関係だけはわかった。だが顔は見たこともないし、私のことを別の名で呼ぶ。バスの内部もよく覚えている。
いつも起きてから「いろんな記憶が混じったとしても、似たような場所には行ったことないなぁ」と思いながら、夢だしそんなもんだよなと思っていた。
先日、暇つぶしにWikiを漁っていた。歴史系のページを見ていたら歴代のバス事故ページにたどり着いた。
Wikiには事故現場の写真が載っているのだが、見た瞬間にゾワッとした。よくみる転落事故の夢の景色似ている。
いやいやwそんなw偶然wと思いつつも一抹の好奇心がGoogleMapに指を動かした。
夢の中で見た景色、そのままだった。
自分はスピリチュアルなものや前世とか夢占いとか全く信じないのだが、恐ろしいくらいに夢とそのストリートビューの景色が同じなのだ。
じゃあ昔、ストリートビューで見たんじゃないのか?と思いつつも、この夢は小学生のころらか見ている。小学生の時なんてiモードが騒がれていたくらいで、パソコンなんて持っていない。携帯すら持っていない。
小学生のころから印象になった夢は夢日記にしている。だから絶対小学生のころには見ているのだ。
ちなみに夢日記から推測するに、「20代くらいになっている」「バスから湖が見える」「急にバスがよれ、カーブを曲がきれず落ちる」「水の中に落ちると目が覚める」
は確実である。
でもこんなことを誰かに言ったり、匿名じゃない場所でボヤいたら悲劇ぶっている痛い奴だ。偶然って言われたら偶然だが、そんな言葉で済むのならこの世に陰謀論なんて言葉は存在しない。
こんな馬鹿げたこととは思うけど、考え始めてしまうと止まらない。幼いころに宇宙の広さを考えて怖くなってしまう感覚に似ている。
でも本当に夢の景色そのままの場所だった。バスの中もまさか…と思い、その会社のバスを調べようかと思って止めた。これで本当にバスまで夢のままだったら、感情がよくわからなくなりそうだ。
それこそ夢の中で呼ばれている別の名前は調べていない。調べて当てはまっていたらどうするんだ。どうしようもない。無責任な気がする。
もし全部が全て夢と同じだったら?頭が痛い。
あのサイゼリヤでのランチは、今でも心臓がギュッと締めつけられるような怖さを感じる。
相手は典型的な弱者男性で、誘われた時は正直「まあ、普通かな」くらいに思ってた。
でも甘かった。
店に入るなり、彼の口から信じられないほど濃厚なオタクトークが降り注いだ。
「俺さ、最近の異世界転生はもう完成形だよね。特に『俺だけレベル999で無双してる』って作品は神。主人公のスキルツリー解析とか、俺、毎晩妄想してるよ。例えば、スキル“時間停止”を駆使して、敵の動きを完全に封じ込めるシーンとか最高にゾクゾクするんだ」
彼の目はキラキラしてて、まるで異世界にトリップしているかのようだった。
「あとね、魔法属性の組み合わせとかさ、俺のオリジナル設定も考えてて。『雷+氷の複合魔法』とか最強じゃん?これでバトルの幅が無限大に広がるんだ」
彼の声はどんどん早口になって、まるで呪文を唱えるみたいに延々と続いた。
「メイド服の幼馴染キャラ?もちろん推し。彼女の特技は“回復魔法”で、俺の妄想では結婚して一緒に異世界を救うんだよ。正直、リアルじゃ絶対出会えないから、小説とゲームに全力投球してる」
私が財布を取り出す演技をすると、彼は無表情で言った。
「割り勘でいいよ」
私の心の声が静かに響いた。
彼のオタクトークと弱者男性の割り勘発言が、まるで呪いのコンボを決めたように重くのしかかった。
帰り道、彼の瞳は空洞のように虚ろで、まるで異世界から帰ってこれなかった亡霊みたいだった。
20年位前に読んだ村上龍の「コインロッカー・ベイビーズ 」で与太話として紐の着いたピンポン玉?を飲み込んでケツから出してケツにふたをするみたいな話があった気がしてなにそれ?腸の中とおるのか?と思ってそんな話が本当にあったのか知りたいんだけどググっても見つからないから本編を読むしかない
棋力の担保はあるのか?と藤井が棋士総会で問うたという新潮の記事でアレコレもりあがってるけど、その発言が本当にあったのか自分は怪しんでいる。女流のトップが、棋士の平均的な棋力を十分に備えているのは将棋ファンならよく知っていることで、彼女を棋士に組み込むかどうかで百家争鳴しちゃうのはもっともな事。それはそれでいいんだけど、藤井が疑問を呈したという前提で話すのはどうなんだろうな?
週刊誌は一般的に信用に値しない、ということもあるけど、なんとなく記事に違和感があるなあ。誰かが自分の意見を藤井の言葉として流布してないかい?将棋の記者が聞いてくれればはっきりするのになあ。
そもそも棋士総会の発言が外に漏れてしまうのはいかがなものなのか。来年以降、棋士が率直に意見を言えなくなるかもしれないじゃないか。藤井だろうが羽生だろうが、ロートルだろうが、真摯な発言の重さは同じであってほしい。誰もが率直に考えを言える環境であってほしい。週刊誌記者に喋った人は、よくよく考えてほしいな。
あんま今まで無かった気がする
田舎ホラーは昔からあったけど、ここまで怪談と言いたくなるのは初めて見た
あと男同士っていうのが良いよね
ちょいちょいダブルミーニングになってるんよ
光のことが分からないのか、怪異のことが分からないのかが混ざるとか
___
いやあれは男同士だからこそ目新しいんだよ
背徳感や、世間の目みたいなのが、怪異との関係とグチャグチャになって良い感じだろ?
「怪異とつるんでる」のと「男同士でつるんでる」のって田舎において似てると言うか(←差別的)
あと「怪異でもいいから一緒に居たい」っていうのも、「怪異になる前でも結局望めるのは一緒に居ることだった」ってのあるだろ?
(てか男女ではこういうのエロゲかなんかで確実にあったとおもうんだよね)
というかBLに興味ない男の方がこれは面白く見れるんじゃないか?
「BLに対する不気味さ」と「怪異といちゃつく主人公に対する不気味さ」が被るだろ?新感覚だよ(←差別的)
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こわいなーこわいなー
いやだなーいやだなー
「改心」という言葉には、そもそも非論理的な、ある種のスピリチュアルな響きがある。過去の自分を悔い改め、心を入れ替える。まるで宗教的儀式か何かのようだ。実際、語源をたどれば宗教的文脈と結びついているし、人が人を評価する際に「改心したかどうか」を判断基準にすること自体、理性的というよりは感情的・信仰的な行為だと思う。
人間の行動は環境と利害によって動く。態度や振る舞いが変わったからといって、それを「改心」と呼ぶのは誤解だ。むしろ単なる学習や適応、あるいは世間体への配慮と見るべきで、内面的な価値観まで変化したかどうかは他人からは確認しようがないし、本人ですら錯覚している場合もある。そういう意味で、「改心しました」と自分で言う人ほど信用ならない。
「改心」が本当にあったとするなら、それは理屈ではなく、人生のどこかで起きた内的な揺らぎや断絶、いわば精神の地殻変動のようなもので、他人がそれを見て「改心したね」と言えるような単純な現象ではない。たいていは、本人にも説明できない。ただ、なぜか以前とは同じことができなくなる。怒鳴ることも、騙すことも、殴ることも、どうしても身体が拒否するようになる。そういう変化があったときにだけ、改心という言葉が、ほんの少しだけ現実味を帯びる。
けれど多くの場合、それは起こらない。そして人は変わらない。だから「改心」という言葉を信じること自体が、非科学的で、スピリチュアルな希望にすぎないと考えている。少なくとも、自分の人生に関しては。
オナニーで射精したあと、風呂をためつつなんとなくアナルの辺りをいじっていた。
もちろん賢者モードなのでなにか性的に興奮していたわけではない。
というかかなりぼんやりしていた。
深夜も過ぎていたしそのまま寝たかったのだが射精して汚れたチンポをそのまましておくのが許せなかっただけだ。
すると、「それ」が唐突に来た。
それは突然来た。
いままでゼロだった目盛りが突然100に上がったような感じだった。
「アン、アン、アン、アン、アン、アン」
うまれて初めて喘ぎ声をあげた。
それも大きな声で。
となりの妹の部屋に届いたらどうしよう?
それなのに俺の声が妹に聞こえないわけがない。
とわかっているのに手を止めれない。
その巨大な塊を感じながら手を止めることなんて出来ない。
その圧倒的な性感の裏でかすかな理性はいつものように妹がヘッドフォンで大音量で音楽を聞いていることを祈るばかりだった。
『くっ、来る!!!!』
「それ」が来ている
「アン、アン、アン、アン、アン、アン」
でももう止まんないよ「アッァツオァァツァアアアアアア」
「あああああああ」
「う^ーーー」
「はあぁあ、ああはあああ」
しばらくは朦朧としている。
でも精液を拭かないと汚い。
そう思ってティッシュを探す。
が、ない。
そんな驚きとともにティッシュを取ろうと立ち上がりかけていた腰を沈める。
大きな声が出た。
座った瞬間に再び前立腺への刺激が引き金となっていきなり射精を迎えた。
いや、射精ではない。射精どころではない。いつまでも経っても終わらない。
その時に知った。
さっきの「ドライ」なんかじゃなかったんだ。
いつまでも止まらない射精感にあの一番射影の気持ちいい瞬間がずっと続くことに耐えれそうにない。
でも止まらない。
夢中で椅子に腰を擦り続けている。
もう少しの刺激が前立腺をさらなる快感へと導き出す水先案内人となっていた。
あああああああああああああああああ
絶叫を押し殺す。
そう思いながらももう止まんないよ。
気づくと気絶していた。
それは長い時間であったのかそれともほんの一瞬だったのかわからない。
脳の何処かのリミッターが働いたのかもしれない。
痛っ
おしりのあたりが痛い。
夢中になりすぎたせいだろ。
完全にやりすぎだ。
ああ、それにしても、なんだろ、これ。
この感覚。
「まだ、終わってないぞ」
まだするの?ほんとに?