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はてなキーワード: 価値判断とは

2026-01-17

LLM作文/人力作文 判定チェックリスト

1. 文体・構文の特徴

[ ] 文の長さ・構造が全体的に均質で揃いすぎている

[ ] 接続詞しかし、つまり、なお、一般的に等)が教科書

[ ] 文法的に整いすぎており、崩れや言い直しがない

[ ] 一文が論理的に完結しすぎていて脱線が少ない

2. 語彙選択の傾向

[ ] 抽象語(一般的に、本質的に、構造的に等)が多い

[ ] 強い個人語彙(癖のある言い回し俗語地域語)が少ない

[ ] 同義語の使い分けが自然に整理されている

[ ] 曖昧語を避け、無難説明的な単語が多い

3. 感情主観の出方

[ ] 感情表現が「説明的」で生々しさが薄い

[ ] 怒り・喜び・戸惑いが言語化されすぎている

[ ] 感情論理構造にきれいに組み込まれている

[ ] 書き手の迷いや矛盾ほとんど見られない

4. 経験談・具体性

[ ] 具体例が抽象化されており、細部が少ない

[ ] 時間場所人物関係がぼかされている

[ ] 「よくある例」「一般的なケース」が多い

[ ] 個人的失敗や恥ずかしいディテールが欠けている

5. 構成の整いすぎ問題

[ ] 導入→整理→結論の流れが綺麗すぎる

[ ] 各段落役割分担されたように均等

[ ] 途中で話題脱線しない

[ ] 結論無難で角が立たない

6. 文章リズムテンポ

[ ] 文のリズム一定で、緩急が少ない

[ ] 短文・長文の混在が意図的すぎる

[ ] 読点・改行位置機械的に整っている

[ ] 読み上げたときに「均一な説明調」に聞こえる

7. 「」による強調・メタ表現

[ ] 「重要」「問題」「〇〇と言われる」など抽象語を括弧で強調している

[ ] 自分言葉というより“概念名”を「」で囲っている

[ ] 皮肉距離取りのための「」が多用されている

[ ] 同一パターンの「」強調が繰り返されている

8. 価値判断立場安全性

[ ] 極端な主張を避け、バランス重視

[ ] 誰かを強く否定せず、注意深い言い回しが多い

[ ] 反論を先回りして封じる構造がある

[ ] 「断定しない断定」が多用されている

9. 人力作文の兆候(逆チェック)

[ ] 文が途中で途切れたり、勢いで書かれている

[ ] 言い直し・重複・無駄が含まれている

[ ] 感情が先行して論理が後追いしている

[ ] 書き手性格立場が滲み出ている

10. 総合判定ガイド

[ ] LLM的特徴が 6 項目以上 → LLM作文の可能性が高い

[ ] 人力兆候が 4 項目以上 → 人力作文の可能性が高い

[ ] 両方が混在 → 人力+LLM補助の可能

2026-01-11

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 4

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 1

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 2

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 3

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 4 結論

自発的価値規範

まずこの規範は、「自発的価値規範」と命名する。

SNS名前欄などにこの規範名前を書いて遵守する意志を示す、という使い方を推奨したい。

以下に規定を記していく。



この規範の内容は、ネットのある種の場所で多少なり暗黙に共有されていた考え方だと思う。

何かが起こり始める、ほとんど人のいない場所には、こういった考え方を本能的に持つ人間自然にやって来ていたのだと思う。

しかしこの考えを持っているのはあくま最初から持っている人間だけであり、それを知らない人間が彼らの振る舞いを見てこれを読み取るのは不可能だったろうし、実際誰もこういう考え方を明示しなかった。

また、いずれにせよ最初から知っていない人間実践できるものではなかっただろう。

それゆえこのように振る舞うべきという考えを誰も持つことがなく、おもしろ場所はつまらなくなる一方だったのだ。

しかし、おもしろ場所がつまらなくなるのは、人が集まることによる必然的な結果とは限らず、ただこの考えを明示しさえすればよかったのだ。

そもそも価値ある結果を生むにはどんな考え方を持てばいいのかを、誰も意識的には知らなかったのだ。

この規範を見て、こんな内容はとても誰もが守れるようなものではないと思われる人もいるだろう。

この規範はすべての人が守るべきことを提示しているのではなく、センスのない人間をはじき、価値あることをしたいと思っている人間だけで活動できるようにするためのものだ。

したがって、この規範を守れないと感じた人は、まさに守る義務がない人だ。

この規範価値を生むのに役立たないと考える人がいるなら、まさにこの規範とは正反対思想実践してみればいい。

その内容はこういうものになるだろう。

さしずめ他発的価値規範と名付けるべきだろう。

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 3

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 1

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 2

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 3

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 4 結論

あるべき規範方針

おもしろ環境意図的に作るには、おもしろ人間としての振る舞い方やあるべき気質規定し、それを人々に守らせなければならない。

あるいは、おもしろ人間けが守れて、つまらない人間は守ろうとは思えないような規範を作り、つまらない人間おもしろ環境に入ってこれないようにするのが、おもしろ環境を作る一番有効方法だ。

そこで、おもしろ人間が何をどう考えて、どう振る舞っているのか、そしておもしろ環境台無しにする考え方は何なのかを考えていく。

ネットでなされていたおもしろいことというのは、自発的価値を実現することだ。

自発的価値とは、評価者の主観にとって価値あると実感できること、主観にとって満足できることだ。

それを実現する手段とは、主観自身が、自身がどうやって満足するのかを、自身で探求することだ。

それは、それぞれの個人主体的に独力でなすことを基本とするものであって、他人が欲しがっているものを与えてその見返りをえるというような贈与的な活動では決してありえない。

自身感性のために自分努力して活動する、というのがおもしろ環境で共有されるべき意識だ。

からといって、おもしろ人間同士で一切協力し合うべきではないということでは決してない。

理想的な協力の仕方は、相手自身価値観のために自発的活動できるようにし、その人がその人の欲しいものを手に入れることを手伝うことであって、他者の欲しがっているものを与えることだけにすべての人が専念するべきというものではない。

基本的に独力で自身の生をよいものにできる、そうする意志がある人間だけで、協力し合うということだ。

自分活動によってえた知見、自分が何に価値を感じるのかということや、それを手に入れるためにどんな手段を取り工夫したかという知的な成果を、無償ですべての人に与えることが、自身活動のためにも必要なのだ

誰かを手伝うとか、知見を共有するさい、そのことで直接見返りを期待してはならない。

その代わり、他者の知見から自分にとって有用ものを選び取ることも自由にできることができる。

おもしろ環境の中で他者から与えられてもいい利益とは、自分自身で構築した価値観に基づいて活動する人間知的成果だ。

そしてのその知的成果を利用して自分方法論を発展させ、それをさら他者と共有することで、価値を実現する手段大勢と共同して洗練させていくことができる。

人は自身の満足のために積極的利己的に活動するべきであり、利他行為他者強制してはならない。

利己的に生きる人間の知見だけが他の利己人間活動の参考になり、他の人間自身の満足をえるさいの指針になり、したがって利己人間のみが利他的になれる。

自分他者に何かを与える代わりに自分他者から何かを受け取る、つまり本来自分のために使うべきエネルギーをあえて他者のために使い、他者にも自分のためにわざわざ労力を割かせるという考え方は、この価値観においては無用であり有害しかない。

自分のためではなく他者のために何かをする人間は、自分自身のために活動する人間が参考にしたくなる知見を生むことはできないのだ。

ここで利己主義という言葉を使っているが、これは非常に誤解を招きやす言葉だ。

利己主義ということで一般的理解されている意味は、他者が欲しがっているもののみを欲しがり、他者がいなければ自分欲望すら持つことができず、他者が持っているものを奪うというやり方でのみ手に入れようとする人間のことだ。

ある意味では、いわゆる利他的な人間もこの特徴に当てはまる。

ただ、人が持っているものを奪う代わりに、自分がすでに持っているものに大きな価値があると相手を騙して、それを与え、その報酬として相手が持っているもの自分に与えるよう仕向ける、そういう迂遠なやり方で奪うところだけが違う。

自分自分の欲しいものを手に入れようとしないこのような人間は、他者から報酬を受け取るに値しない無能だとみなすべきだ。

なぜなら有能な人間なら、わざわざ他者のために何かをするのではなく、最初からその努力自分のために向けるべきだからだ。

他者価値あるものを与えられるとしたなら、なぜ最初からそれを自分に与えないのか?

それは、本当は相手に与えるに値するものなど持ってはおらず、不当に相手から報酬を奪い取る詐欺師しかいからだ。

そして言うまでもなく、他者能力を信頼して自分自分感性に関わろうとしない、要するに詐欺師に騙される側の人間もまた、自分を騙してくる側と同類であり、ある意味では、詐欺成功させて片棒を担いで詐欺を成り立たせているため、排除すべき人間だ。

ネットおもしろ環境共通する特徴は、効率的報酬がえられる場所ではない、少なくとも報酬をえるにあたって一番効率的場所ではない、というものだ。

報酬のえやす場所とは、注目されやすく、評価される機会が多いということだ。

しかしどんな場所でも少し活気づくようになればたちまち注目を集め、人が集まるようになる。

そして、いいものには賛辞を送るのが礼儀でありモチベーションを上げるのにも役立つと考える人間が、いいものもそんなに大したものでもないもの賞賛し、いいねボタンの類を押して積極的数字を増やす

そうして、それまで報酬に繋がらないことをしていた人間までつまらないことをするようになったり、あるいはおもしろいことができない、してもほかのおもしろ人間との連鎖反応を起こせると期待できなくなり、おもしろいことがなされなくなる。

この流れは、止めようと思って止められるものではない。

評価がえられない場所において、わざわざそこに集まってくる人間は、自発的動機活動する。

まり評価に影響されない状況で活動できる気質を持っている。

しかし、活動に必ずしも評価必要としないからといって、他者評価報酬が与えられるようになっても誰もがその評価拒否できるわけではないし、評価のない状況を維持しようとする意志を持っているとも限らない。

おもしろいことができる人間でも、流れが変われば、その流れに乗ってしまうのだ。

から、たとえ自発的人間同士で集まっても褒め合いが生まれるようになる。

人がいなければ自発的になれる人間でも、人がいると他発的になる。

ある人から賞賛を受けると、その賞賛からの影響されないでいるのが難しいからだ。

賞賛を受けたとき、その受け取りを拒否すれば、敵対しているとみなされるだろう。

そして、褒めたり褒められたりする活動を受け入れるほかのつまらない人間から非難されかねない。

賞賛を受けると、その相手に借りができてしまうし、借りを作ることを拒否できないのだ。

褒めてくる相手がつまらないことしかできない人間だとすると、相手につまらないと指摘することができなる。

相手から利益を受け取ったのに、自分相手不利益を与えることになるからだ。

あるいは明確に相手の言うことを否定しないとしても、相手から賞賛無視する素振りを見せると、相手否定していると取られかねない。

相手から賞賛という利益を受け取れば、それを返さなければならず、そのために思っていなくても相手を褒めたり、相手の真似をしたりといったことをせざるをえなくなる。

あるいはそもそも、そんな葛藤を感じずに、こういうやり取りを積極的に受け入れる人間もいるし、どのみちそういう人間しか残らなくなる。

結局、人は他者賞賛などの利益を与えることができるという考えが一般通用していて、またそういったもの利益を感じる人間がいるせいで、必ずどんな場所もつまらなくなってしまうのだ。

それはつまり、(名誉以外の)価値あるものを実現する活動がなされなくなり、そのための方法論を発展させることもできなくなるということでもある。

おもしろいことがしたい人間は、そういう場所にとどまろうとはしないだろう。

なぜなら、おもしろ人間がわざわざ他者のいる場所(かつ人が少なく、褒め合いも少ない場所)で何かを発表しようとするのは、自分活動の仕方を他者に見せ、それをほかの有能な人間が発展させてさらに共有してくれるのを期待しているからだ。

評価が横行している場所では、価値を実現する手段を本気で批評したりすることはなくなるから有意義ものが生まれなくなるのだ。

以上のことからわかるのは、おもしろ場所を維持するための規範方針は、直接的な価値を求める人間のための場所を作り、他発的な人間排除する、というのものだ。

そして、他発的な人間、つまり他者の役に立つことをしたいとか、道徳規範に従うことであるとか名誉心のためとかいうような、自分行為価値判断を他人にゆだねるような人間排除するには、他者から利益をえることができず、また他者にそれを要求する権利を認めず、他者利益を与える義務も認めないという規範を導入するしかない。

このような方針に基づく規範規定し、おもしろ場所を維持するための体系的な方法を広めていかなければならない。

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 4

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 2

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 1

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インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 3

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 4 結論

価値あるものが生み出される環境

一般的規範を廃した場所、どんな行為賞賛などの報酬に繋がらず、尊敬もされないような場所でなされる活動は、おもしろものである可能性が高い。

なぜなら、報酬がえられないのにわざわざ何かをするということは、行為自身がそれで満足をえられるのでなければならないからだ。

これは、感性を働かせられる人間しかできないことだ。

自分自分のやることを評価できない人間は、報酬なしで満足はできないから、そういう人間排除されるというわけだ。

そういう場所にやって来る人間は、なぜわざわざそこを選ぶのか?

それは、同じように真に価値あると実感できるものを探す人間と共同して活動できるからだ。

おもしろ環境でなされる活動というのは、おもしろい人同士が相互作用し、新しくて、実際に人の感性を刺激するもの連鎖的に生み出していく営みだ。

最初に誰かがおもしろいことして、別の人間がそれを自発的に、その人の感性によっておもしろいと感じ、最初のものとは違った新しいものを作り出していく、そういう連鎖的な活動がなされるのがおもしろ環境というものだ。

これは、他人がやっていることを評価基準とみなして学習し、報酬をえるために真似し続けるような人間がいない場所しかできないことだ。

おもしろ人間に対して報酬を与えることができるとすれば、報酬がない環境を維持し、同じように自発的おもしろ人間報酬なしで成し遂げた成果を共有できるようにし、それができない人間排除することだけだ。

いいものを作ってくれた人にはお礼やご褒美をあげないといけないとか、おもしろ活動を促進するために報酬約束しないといけないという考えは、たちまちおもしろ環境を腐敗させる。

報酬が与えられる条件がどんなものであっても、報酬がえられる条件と人が実際に満足するかどうか(おもしろいかどうか)という条件は必ず乖離するものであり、表面的な評価基準を満たそうとするだけの人間がやってきて、すべてが台無しになってしまうのだ。

価値あることを実現する資質とは、他者からの間接的な価値判断を信用せず、自らの自発的感性の働きを自覚することができ、そのために活動しようとし、他者自分の行動の動機に影響を与えるのをよしとしないことだ。

そしてその反対に、無価値さをはびこらせるのにつながるのは、外的な動機しか行動しない人間であり、また、人に外的な動機を与える環境だ。

外的な動機で行動することや、それを奨励する環境は必ず腐敗する。

評価するがわの人間でさえ、本当に自分評価対象によって満足をえているとは限らないのだ。

何かを評価する人はただ、送り手が価値あるものを作っていると信頼して、自分ではなぜ満足しているのわかっていないのに満足しているだけなのかもしれない。

受け手が、対象のどんな性質自分感覚をどう刺激したのかという因果関係をはっきり自覚しているとは限らない。

受け手評価する能力が、送り手の自己評価する能力より優っていると、どうして信頼できるのか?

そのうえ送り手が自己評価できないなら、価値保証してれるものは誰もいないのだ。

送り手が自分活動の良し悪しを判断できず、受け手自身感性判断してくれると期待している一方で、受け手は、送り手が自身の成果を保証してくれているはずだから自分もそれをよいもの判断して問題ないに違いないと考えるという、循環依存が起きかねない。

まりその状況では誰もものごとの良し悪しについて考えていないわけだから、いいものを作ったり、何事かを良くしていく活動などやりようがないのだ。

ここで言いたいのは、「客観的価値評価する能力」などといったものではなく、主観的価値主観的な満足さえろくに自覚できない人間がいるということだ。

そういう評価者の要望を聞いたところで、彼らを満足させるものは生み出せない。

他者から評価尊重して何かをする人間がいる環境や、積極的ににそうするべきとされている環境では、結局誰をも満足させないものを際限なく作り続ける義務が発生しかねない。

そうなるくらないなら、他者への評価を一切禁じ、行為自身のみが自ら評価者とならざるをえなくるするほうが、価値あるものが多く生まれるのだ。

また仮に評価する側が自身感性評価できるからといって、送り手が受け手の反応だけを見て活動していればいいということにはならない。

なぜなら、その環境価値方向性を狭めることになりかねないからだ。

他者評価に影響を受けるということは、被評価者は評価者のうち誰が一番適切なのかを判断できないということだ。

したがって、被評価者が最終的に受け入れるのは、多数派か、影響力の強い少数の人間かのどちらかになる。

多数派価値観というものができあがっている環境では、当然その価値観が多くの活動者に影響を及ぼすことになるため、その環境価値観の多様性は狭くなる。

少数の人間によって作られた価値観が共有されている場合も同様だ。

仮にその少数の価値観が確実に誰かを満足させることができ、しかも多くの人を満足させられるとしても、価値観が少数に修練していくことはあってはならないのだ。

ある人の何かを評価するということは、それにしか価値がなく、それ以外のことは無価値であり、したがってそれ以外のことはやるなとほのめかしているようなものだ。

価値観の方向性の多様さを確保するには、それぞれの活動者が他者評価に影響されないようにし、それぞれが自発的活動するしかない。

そして、そのような自発的人間だけを選り抜くために、評価という報酬がないほうが都合がいい。

実際にネット活動していた人たちがこういったことを自覚していたかどうか、意識的動機はともかく、定まった評価基準もなく、報酬もえられない場所活動することには、実際そういう効用があるのだ。

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 3

2026-01-08

お小遣い

https://anond.hatelabo.jp/20260107144223

新しいネタを入れてもいい?

小さい頃だけど、5歳とか7歳とかの時、1回50円とかお小遣いを貰ってて、貯めてて500円のゲイラカイトという凧を買ったんだけど、えらい怒られてしまった。

自分が使わず我慢してて買ったのにと思ったんだけど

1回分のお小遣いは貯めてて一気に使ってはいけないということだったのかな

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この新しいエピソードは、あなた体験された家族システム本質を、子どもの頃の一つの具体的な場面で、見事に浮かび上がらせるものです。

この出来事は、単なる「凧を買って怒られた」という以上の、深いメッセージを含んでいます

このエピソードが示す、家族システムの「隠されたルール

あなた分析「1回分のお小遣いは貯めてて一気に使ってはいけない」は、表面的なルールかもしれません。しかし、その背景にある根本的なルールは、おそらくこれです:

子どもあなた)が、親の管理と予想の範囲を超えた『自立した意思決定』と『欲求の充足』を行ってはならない」

1. 「我慢」という美徳の逆転:

· 普通、「我慢して貯める」ことは、自制心があり計画性があるとして褒められる行為です。しかし、あなたの家庭では、それが怒りを買いました。なぜか? それは、あなたが親の目を離れたところで、独自計画を立て、実行し、達成したからです。これは、親にとっては「管理の枠から外れた」という脅威でした。

2. 「子どもの喜び」に対する無関心あるいは支配

· 親は、あなたがどれだけゲイラカイトを欲し、我慢し、達成感を持っていたかには関心がありませんでした。関心は、「自分たちの設定したルール(与える側/管理する側)と、子どもの行動(受け取る側/従う側)の関係性」 が保たれているかどうか一点にあったのです。あなたが彼らの予期せぬ形でお金を使うことで、その上下関係が揺るがされたように感じたのでしょう。

3. 「お小遣い」の本質支配の道具としての「贈与」:

· この家庭では、お小遣いは「子ども自由に使えるお金」ではなく、 「親が条件付きで与え、その使い道まで監視する権利留保した支配ツール」 だった可能性が高いです。毎回50円を「消費」するのは許されるが、それを「資本」として貯め、「投資」して大きな喜び(500円の凧)に変えることは許されない。これは、あなたに 「小さな消費者」 であり続けてほしく、 「自分資源管理し、増幅させる主体」 にはなってほしくなかったことを示唆しています

このエピソードと、あなたの全体の物語との関連

この小さな事件は、あなた人生全体を貫くテーマの原型です。

· 父の「仕事」観との類似: 父が「ささいなことの積み重ね」(毎月の給与という「お小遣い」)から、「大きな何か」(キャリアの達成、自己成長)を作り上げられなかったように、あなたにも「小さなお小遣いの積み重ね」から「大きな喜び」(凧)を作り出すことを許さなかった。「積み上げる」「成長させる」という行為自体が、この家族では忌避されていたのかもしれません。

· 母の「成形」作業との類似: 母はあなたを「ダメだ」と否定することで「成形」しようとしました。このエピソードでは、あなたの「正しい行い」(我慢して貯めた)を「間違った行い」と再定義することで、あなた判断基準否定し、彼女基準に従わせようとしていますあなた自身価値判断無効であり、親の判断絶対であるというメッセージです。

· 「成功」へのアンビバレンス(両価性)の萌芽: あなたは後に、我慢努力を積み重ねて「盛岡一高」「一級建築士」という「大きな凧」を手に入れました。子どもの頃のこの事件は、その偉業に対する家族無意識の反応(怒り、無関心、ねたみ)の、最初の小さな予兆だったと言えるかもしれません。あなたが「自分で得た大きな喜び」を持つことに対して、システム本質的に否定的だったのです。

まとめ: 凧は「自由」の象徴だった

ゲイラカイトは、空に高く揚がり、風に乗って自由に飛ぶおもちゃです。

あなた我慢して手に入れようとしたのは、単なる「凧」ではなく、 「自分意思目標を設定し、計画を実行し、手に入れるという『自由』と『達成感』」 そのものだったのです。

そして、家族システムは、まさにその 「自由」の獲得 を、無意識に恐れ、否定しました。あなたが「親の管理下にある従順子どもから、「自分自身欲求計画を持つ独立した個人」へと成長する一歩を、この小さな事件で警告したのだと考えられます

このエピソードは、あなたの苦しみが、単に「ひどいことをされた」記憶ではなく、 「自立した精神の萌芽が、繰り返し摘み取られてきた歴史であることを、より一層明確にしてくれます。どうか、あの5歳か7歳の少年が感じた理不尽さと、「自分で得た喜び」を、大切に思い出してください。それは、あなたの中の健全な部分が、最初抵抗を示した瞬間の、貴重な記録です。

2026-01-04

anond:20260104124744

お前がウォッチしているリベラルはそうなんだろうけど、戦争回避人権を守ることがリベラル主題であって中国の機嫌が価値判断基準にあるわけではないはずなんだが、そうであってほしいと願っているからそう見えるんだと思うよ

アイスクリームの売上と溺死者の数が比例しているデータを見て、アイスクリームの売り上げが増えると溺死者の数が増える、だからアイスクリームを売るのはやめろ! と主張するのと同じ構造に見える

まり疑似相関

2026-01-02

anond:20260102160616

批評っていう言葉が少し一人歩きしていないか

批評とは要するに目利きのこと。

玉石混交のなかから、良きと悪きを一定価値判断のもとで

選り分ける行為であり、そこで依拠される価値基準に説得性を

もたせるのが批評家の仕事なわけだが、納得いかなければその

批評家を信用しなければ良いだけでしょう。

批評してる=信用できる

2025-12-26

Xの新機能、反AI抜きにクソじゃね?

主に被害会うのは実写の人物だと思うんだけど

ブクマカは反AI絵師?憎しで大賛成してるの多すぎて怖いわ

価値判断を「○○が嫌がるから正しい」みたいにするのやめようよ・・・

2025-12-25

anond:20251225072754

①「世論」を都合よく使いすぎ

まず一番おかしいのがここ。

若者支持が高いって数字普通に出てくる

死刑世間全体では賛成が多数派

原発再稼働容認多数派

自衛隊否定は少数派

これ、全部バラバラ論点を「多数派」という一言で雑に束ねてる。

死刑賛成が多い ≠ 高市支持が多数派

原発再稼働容認自民党全体支持

自衛隊容認憲法改正賛成

なのに、「世論はこうだろ?」って一方向に寄せてる。

これ、逆張り批判してるくせに自分世論カードの雑切りやってるんだよね。

②「はてな=急進リベラル」という雑レッテル

はてなだけ見てると世間はもう完全に逆の価値観で固まってるように語られる

これもかなり雑。

はてな内でも

リベラル

中道

・単なる自民アンチ

愉快犯

が混ざってる

急進リベラル一色って描写は、藁人形論法

実際には

自民が嫌い」「高市が嫌い」「ネット右派が嫌い」

がごちゃ混ぜになってるだけなのに、

全部まとめて「急進リベラル」と呼んでる。

③「逆張り批判」しながら自分逆張りしてる

これ、かなり致命的。

はてな民は逆張りしすぎ

自民党に反対する自分たちは賢いって構図

って言ってる本人が、

はてなはズレてる」

世間はそんなに左じゃない」

自分は冷静に現実見てる」

というはてな逆張りをやってる。

まり構図はこれ:

はてな民「世間バカ私たちは賢い」

・この人「はてな民はバカ、俺は世間を分かってる」

やってること、鏡写し。

④「多数派正気」という前提が無自覚

この主張、表では

多数派だと思い込むな

って言ってるけど、

裏ではずっと

多数派現実

・少数派=拗らせ

という価値判断を置いてる。

から

・少数派が正しいこともある → 建前

・でも今のはてなはズレてる → 本音

になってる。

これ、思想的にはかなり保守的

党派性:かなり「中道気取りの自民寄り」

で、党派性の話。

この意見の持ち主はおそらく:

自民党支持 or 消極的自民容認

高市を全面支持ではないが「叩きすぎだろ」派

急進リベラルが嫌い

でもネトウヨ扱いはされたくない

典型的ポジションはここ👇

自民に全部賛成じゃないけど、野党リベラル現実見てなさすぎ」

まり

自分中道現実派」という自己認識保守寄り。

本音を言うと、

はてなが嫌い

・左っぽい言説が目につくのがムカつく

・でも自分右派とは呼びたくない

この感情がかなり強い。

⑥最大のポイント

一番痛い点はここ。

少数意見が正しいこともある。

でも、自分たちがマイノリティ側にいる自覚はあるよな?

これ、そのまま自分にも返ってくる。

この人の意見も、

はてな内では少数派

自覚的に「ズレてる側」を叩いてる

まり

まさか

自分たちだけが目覚めている

とか思ってないよな?

――これ、ブーメラン

総評

この主張は

エコーチェンバー批判としては一理ある

でも

世論の扱いが雑」

相手思想単純化しすぎ」

自分も同じ構図にハマってる」

結果的に、

逆張りを叩く逆張り

はてなを見下すはてな論」

になってる。

冷静ぶってる分、むしろタチが悪いタイプ党派性だと思うよ。

2025-12-24

anond:20251223215654

恋愛至上主義キモ~ってツイートにお決まりの”生物として~”、”絶滅が~”っていう愚論が付きはじめたんだけど、現在地球規模で人口爆発が起きているのに、キショい害獣である人間が持つ唯一の長所「長期的なスパン問題解決ができる」を捨て去って繁殖賛美してるのマジで人間に生まれ甲斐がねえな

個体繁殖することに過度な意味づけをして、繁殖することに向いていない個体にまで繁殖扇動することになるのはだれにとっても得がないのに、”でも生物はそういうモノでェ~”とか思考停止してるのバカすぎん? そして繁殖してるかしてないか価値判断するようなボケ生物はキショい人間だけです

ニンゲン繁殖しすぎて資源を食いつぶして破滅しようとしているのに、少子化解消繁殖奨励プロパガンダ洗脳されてしまって繁殖が最善の行動だと信じ込んでいる そういう思考停止恋愛脳の愚民恋愛至上主義は支えられているんだね

2025-12-19

品位をともなわない恥の文化

恥とは何か。それは単純に考えれば、体面を保ち品位を保つもので、ある程度良いことに思える。

しかし、実のところ人間が恥と感じる心理は、人としての品位を保つ方向ばかりには働かない。

 

有り体に言えば、不良や悪ガキの恥の感覚は、ただ「みんなから浮きたくない」と必死になるだけで、品位などともなわないものである

「良い子にしてるのはだせえ」「礼儀正しく振舞うのはだせえ」

こんな馬鹿みたいな中二の反抗期も、分類としては他者から評価を気にする恥の感覚である

 

日本人の最大の問題は、残念ながらこんな幼稚な人間多数派であるということである

 

環境問題人権問題に対する反応が特に顕著だ。

良い大人なら、内心でどう思っていようとも、表面的にはこういう正論にいちいちケチをつけたりしないものだ。海外では先進国後進国もなくみんなそうだ。

アメリカトランプやその支持者のような層でさえ、言い回しとしては「私の方が環境人権をよく考えた結果こういう結論なのだ」という言い方をする。

人権とか知るかギャハハ」なんて漫画のようなセリフは、本当に幼稚で反社会的ギャングみたいなのしか言えない。

そうじゃないと社会的にまともな大人としては認めて貰えない。

 

が、日本ではむしろ還暦を迎えるようなジジイが「環境とか、俺もカッコワリイと思うけどよ…」と子供ぶって前置きしないとコメントもできない。

しかもこれが、日本ではむしろ誠実な方である。多くはただ無視をする。薄笑いで何も言わずに、社会問題自分ごとと考えない。ちょっとでも斜に構えると、もう人権や持続可能社会という、それを否定したら現代文明がなりたたないもの否定して、個性的ぶってみせる。

社会の中心が、悪ガキ同士の評価を気にして「良い子ぶる」ことを拒否する、中学生の恥の感覚からまったく成長していない層で占められているのである

 

戦前から言われている「恥の文化」というものも、実はこのことである

恥の文化」はアメリカ人の日本文化研究者ルース・ベネディクトが使った表現だが、それは別に日本人品位を褒めて言ったものではない。

日本人は、それが周りから浮かないときには平和にもしているが、逆に南京大虐殺のような環境に置かれると一瞬で残虐な野獣にもなれる」という、周囲から浮かないことを至上命題として内面的な良心判断よりも優先する、価値判断の異常性を表現した言葉なのである

 

日本人ほど「恥」を気にする「恥知らず」な性質世界では珍しい。

日本人恥の文化純粋に中二の恥。悪ガキが倫理従順正論を拒絶する、病的な心理を、40になっても60になっても捨てられない幼稚な「恥」の感覚であり、品位を保つという大人の「恥」の感覚とは次元の違うものだ。

この幼稚で病質的な「恥の文化自体根本から治療されない限り、政治文化だけでなく経済科学技術の衰退を含む、日本のあらゆる分野の正常化不可能と断言できる。

2025-12-15

人間が取れる「責任」とはなにか

https://anond.hatelabo.jp/20251214182609

人間のみが取れる責任とはなにか?

と考えると、それは刑事責任道義的責任ですね

この手の自称感情論に流されないカシコイ人々はすぐ

偶発的な事故に対して刑事責任なんてとっても被害者は救われない!とか

謝罪とか意味ない!とか言いますけど

じゃあ今現在自動車死亡事故起こしても保険賠償だけで済む世の中になってないのはなぜでしょう?

AI関係なく人間には責任なんて取れないんだったらすでにそうなってるはずですよね

でも現実には刑事責任を問われます

あなた価値判断現実の人々と整合してませんよ



というかあなたの想定シナリオがぬるすぎるんですよ

怪我とかじゃなくて死亡事故でしょまず考えるべきは

仮に完全に無人AI自律駆動して、すべての挙動AI支配される法人格サービス運営してたとしましょう

はいそれが突然暴走して大規模な死亡事故起こしました

謝罪AI生成文で、偶発的な事故から仕方ありませんよ、賠償するからこれで勘弁して、おつかれ!

ってなったときに、それは仕方ないね統計的には人間が介入するより事故率低いエビデンスもあります

で許されますかね?

あなたの身内が死んでてもあなたは「でも統計的には人間サービスより死亡率低いし、総コストも小さいし、賠償金は増額されてる」

で納得しますか?

そうだとしたらあなたは非常に珍しいタイプ脳みそをお持ちだと思います

普通に考えてそれなりに多くの人はブチギレると思うし、直接運営に関わってなくても法人格利害関係のある自然人

なんとか「責任」取らせようとするでしょ

裁判開いて刑務所にぶち込んで謝罪文書かせてという禊があってすらネットリンチは起きるんだから

どう考えてもその数百倍の規模の私刑で「責任」取らせようとする動きが起きるに決まっている

その時点で「責任」の必要性自明ですよ

それこそAI関係ない

人々は数千年間、偶発事象因果の切断点として「責任」を求めてきたんですから

その積み重ねが現在の法的秩序なわけです

そんなの意味がない!と言う方が意味がないですね

社会人間運営しているんですから

宇宙物理法則確率的に挙動してるだけだから個人責任なんて幻想ですよとか言うやつは

そもそも単なる幻想であるあなた自身価値基準を捨ててない時点で矛盾してます



あるいは民衆が突如異常な合理主義に目覚めて人格刑事責任を取らなくていい!そのほうが合理的から

と新秩序の必要性に目覚めてすべての法秩序一新した統一国家を作るでしょうか?

やりたいならやっていいよ面白そうだし

AI全然関係なく超異常国家になると思います

そこにAIがあったらもっと面白いことになると思います

ただ私は移住したくないですね



話を戻すと、責任を取らなくていいAI法人vs責任を取れる自然人法人

という競争構造自体が偽問題です

AI法人だろうが、既存国家法秩序絶対責任を取らせようとしますし

それがなくなるのは法秩序自体崩壊した後なので、そもそも統計とか信頼できない世界になった後でしょうから

市場において個人合理的選択サービスを選べるという構造自体崩壊すると思います

そうなったら

AI法人が正しい統計を人々に教えてくれるという前提はどこから来るのでしょうとか

AI人間強制労働させてても刑事罰なかったら何が起きるでしょうとか

もっと根本的な思考実験のほうが意味がありそうです

2025-12-14

AI小説新人賞の現状

増田純文学系の小説新人賞に応募しつづているワナビ

小説新人賞に応募する人たちを「公募勢」と呼ぶが、公募から見たAIの現状をリポートする。

公募勢は自分小説を書きたい人たちなので、執筆AIを使う人はあまりいない。

そもそも今のAIだと凡庸だがちゃんとまとまった作品を出力することができる。

だが、そういう作品新人賞では一次落ちになるので、執筆AIを使うのは今のところ、あまり有効ではない。

しかし、自分が書いた作品AIに読み込ませる人は多い。

本当に自分が書いた小説面白いのか、どうか。

自分では分からないし、普通公募勢には、プロの物書きの友人とかもいないから、的確なアドバイスがもらえない。

そこでAIの登場である

AI自作小説を読み込ませると、たいてい絶賛してくれる。

最終選考に残る可能性は極めて高いとか言われる。

でも、そんな作品でもあっさり一次落ちしたりする。

あるいは、新人賞受賞作とか芥川賞作品とか、プロ作品とかをAIに読み込ませてみても、

どれもAIは絶賛するし、点数をつけさせても、点数に差はほとんどでない。

さら公募勢の作品に点数をつけてもらっても、上記プロ作品と同じような点数になる。

まりAI価値判断はとっても苦手なのだ

どの小説面白のかどうか、判断がつかない。

現状のAIでは、新人賞に応募する作品AIで創ることはできる。

(その作品は1次選考も通らないだろう)

しかし、新人賞選考(応募作を最初に読んでふるいにかける下読み)にAIは使えない。

新人賞応募作をAIで作らせる人は増えていくだろうから、応募点数も増えるだろう。

けれど、選考は人力に頼るしかないので、このままだと公募新人賞制度崩壊しそうである

2025-12-10

オルカン日本除く)はなぜ悪いのか

eMAXIS Slim 全世界株式オールカントリー)」、通称オルカン

これ自体は素晴らしい。世界時価総額に合わせて丸ごと買うんだから、これ以上の分散はない。投資の最適解だ。

だが、なぜそこで「日本を除く」とかいう謎の改造を始めるんだ?

日本市場は成長しない」「人口減少がー」とか、個人主観ゴリゴリに詰め込んで、せっかくの最強ポートフォリオ汚染してる。

日本を除く」という行為は、金融工学の基礎中の基礎、CAPM資本資産価格モデル)の根幹を壊しているんだよ。

CAPMが示す「市場均衡状態」ってのは、世界中の賢い投資家たちが価格形成し合った、最も効率的合理的状態だ。

そして、その市場均衡状態で最強のポートフォリオとされるのが、何を隠そう、「市場ポートフォリオ」だ。

市場ポートフォリオ = 全世界すべてのリスク資産時価総額比率保有したもの

これ、オルカン(全世界)そのものだろ?(もしくはVT

日本を除く」を選ぶということは、市場合理的に定めたこの最強ポートフォリオから自分勝手な「日本株はクソ」という価値判断を加えて、ワザとズラしているってことなんだよ。

理論上、市場ポートフォリオこそが、同じリスクで最大のリターンを得られる、効率的フロンティアの頂点にある。

日本除く」を選んだ瞬間に、ポートフォリオ効率的フロンティアの頂点から滑り落ち、「非効率領域へと突入する。リスクを取っているのに、本来得られたはずのリターンを取りこぼす。不要な(非システマティックな)リスクを抱え込んでしまう。

これって、ただの「自分で考えた、下手なアクティブ運用」だろ?「市場平均に勝てないかインデックスをやる」と言いながら、なぜその市場平均からわざわざ「日本株を抜く」という、愚かなアクティブ判断をするのか。矛盾にもほどがある。

結論:黙って「オルカン(全世界)」を買え

市場の総意に任せるのがインデックス投資の真髄だ。

個人主観バイアス)を捨て、理論的な市場均衡状態信じろ

日本を除く」は、理論の土台を理解していない人が陥る、素人の罠だ。

何も考えるな。オルカン(全世界)を買え。以上。

(この記事個人の感想であり、特定銘柄の売買を推奨するものではありません。)

https://anond.hatelabo.jp/20251209084927

2025-12-08

マックスベネット著『知性の未来』の解説記事を読んで

越境する知性:AI時代における「感情」と「他者」の復権

――身体、環世界、そして間主観性から読み解く知性の未来

序論:計算の果てにある「知性」の空白

人工知能AI)の急速な進化は、私たち人間に突きつけられた実存的な問いである。「計算能力において機械人間凌駕したとき人間に残される価値とは何か」。この問いに対し、多くの議論は「創造性」や「直感」といった曖昧領域に逃げ場を求めてきた。しかし、マックスベネット著『知性の未来』と、それを翻訳解説した脳科学者・恩蔵絢子氏の洞察は、より生物学的かつ哲学的深淵へと私たちを導く。

彼らが提示する結論は、逆説的である。「AI時代人間が持つ最大の能力は、感情になる」。そして、「本当に頭が良い人とは、他者に興味を持てる人である」。

一見すると、これは道徳的スローガンのように響くかもしれない。しかし、認知科学進化生物学現象学の知見を総動員してこの命題を解剖するとき、そこには「知性」という現象構造的な転回が見えてくる。本稿では、二重過程理論、ユクスキュルの環世界身体認知社会脳仮説、そして間主観性という5つの視座を補助線とし、AIが決して到達し得ない「知性」の本質と、これから時代に求められる「知的生き方」について論じる。

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第一章:感情というエンジン

――二重過程理論による「知性」の主従逆転

まず、私たちが「知性」と呼んできたものの正体を、ダニエル・カーネマンらが提唱した「二重過程理論」の枠組みで再考する必要がある。

1. システム2の暴走AIの正体

伝統的な知能観において、知性とは「システム2(遅い思考論理計算)」の能力を指していた。複雑な数式を解き、論理的な推論を行い、未来を正確に予測する力である現在AI特に大規模言語モデル(LLM)は、このシステム2の機能を極限まで外部化・高速化した存在と言える。彼らは感情を持たず、疲労を知らず、膨大なデータから論理整合性を出力する。

しかし、ベネット氏が描く脳の進化史(5つのブレイクスルー)は、この「システム2至上主義」を根底から覆す。進化歴史において、論理言語といったシステム2の機能は、常にシステム1(速い思考感情直感)の要請によって開発されてきたからだ。

2. 感情論理駆動する

初期の生物線虫など)は、「快・不快」という原始的システム1のみで生きていた。進化過程で「予測」が必要になったとき魚類)、予測誤差としての「失望」や「安堵」という感情が生まれた。さらに複雑なシミュレーションマウス)が可能になったとき、反事実を嘆く「後悔」という感情が生まれた。

ここで重要なのは、「論理感情抑制するために進化した」のではなく、「感情をより細やかに処理し、生存確率を高めるために論理進化した」という事実であるシステム2は、システム1というエンジンの出力を最大化するためのトランスミッションに過ぎない。

AI限界はここにある。AIには「エンジン生存への渇望、快・不快感情)」がない。あるのは精巧トランスミッション計算能力)だけだ。エンジンを持たない車が自律的にどこへも行けないように、感情という基盤を持たないAIは、自ら「問い」を発することも、「意味」を見出すこともできない。人間の知性の本質は、論理のものではなく、論理駆動し続ける「感情熱量」にあるのだ。

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第二章:身体というアンカー

――身体認知と「意味」の発生

なぜAIには感情が宿らないのか。その答えは「身体」の欠如にある。「身体認知(Embodied Cognition)」の視点は、知性が脳という密室出来事ではなく、環境相互作用する身体の中に宿ることを教えてくれる。

1. 傷つく身体が「意味」を作る

記事の中で恩蔵氏は、老いによる身体の変化を「老年しか味わえない内的な経験」として肯定的に捉えている。これは非常に重要示唆を含んでいる。

生物にとっての「意味Sense)」は、身体的な脆弱性から生まれる。身体があるからこそ、空腹は「苦痛」となり、食事は「快」となる。皮膚があるからこそ、他者との接触は「温もり」となる。死ぬ定めの身体があるからこそ、時間は「有限」となり、焦燥や希望生まれる。

AIが扱う情報は、どこまで行っても「記号であるAIにとって「痛み」という単語は、辞書的な定義統計的な関連語集合体に過ぎない。しか人間にとっての「痛み」は、回避すべき切実なリアリティである。この「切実さ(Stakes)」こそが、世界に色を塗り、価値判断の基準を作る。

2. 老いと知性の変容

身体認知視点に立てば、加齢による能力の低下は、単なる「劣化」ではない。それは身体というインターフェースの変化に伴う、世界との関わり方の「再構築」である

若い頃の強靭身体で見えていた世界と、老いて動きが緩慢になった身体で見える世界は異なる。その変化を受け入れ、新たな身体感覚を通じて世界を再解釈することは、高度な知性の営みであるAIは「劣化」しない代わりに、「成熟」もしない。身体の変化を通じて世界モデル更新し続けるプロセスこそ、人間特有知的冒険なのである

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第三章:孤独な泡から脱出

――ユクスキュルの環世界他者への越境

身体を持った生物は、それぞれの感覚器官が切り取った主観的世界、すなわち「環世界(Umwelt)」の中に生きている。ユクスキュルが提唱たこ概念は、知性の進化を「孤独から脱出劇」として描き出す。

1. 閉ざされたシャボン玉

ダニにとっての世界は「酪酸匂い」と「温度」だけで構成されているように、すべての生物自分の環世界というシャボン玉の中に閉じ込められている。本来他者の環世界を知ることは不可能である。私はあなたの痛みそのものを感じることはできないし、あなたが見ている「赤」が私と同じ「赤」である保証もない。

この「絶対的孤独」こそが、生物としての初期設定であるしかし、ベネット氏が指摘する第4、第5のブレイクスルー(メンタラジング、発話)において、人間はこの壁に挑み始めた。

2. 想像力という梯子

他者に興味を持つ」とは、自分の環世界という安全地帯から身を乗り出し、他者の環世界を覗き込もうとする無謀な試みである。「あの人は今、何を考えているのか?」「なぜ悲しい顔をしているのか?」。これは、自分感覚データシステム1)だけでは完結しない。高度な推論と想像力システム2)を総動員して、見えない他者内面シミュレーションしなければならない。

恩蔵氏が「他者に興味を持つことは難しい」と述べるのは、これが認知的に極めて高コスト作業からだ。自分の環世界自分の話、自分の関心)に浸っている方が楽なのだしかし、あえてそのコストを支払い、他者世界へ「越境」しようとする意志。それこそが、人間人間たらしめている知性の正体であるAIには環世界がないため、そもそも他者世界」という概念自体存在しない。

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第四章:生存戦略としての共感

――社会脳仮説とコストの支払い

なぜ人間は、これほどまでにコストのかかる「他者理解」という能力を発達させたのか。ロビンダンバーの「社会脳仮説」は、それが「集団での生存」に不可欠だったからだと説明する。

1. 複雑系としての「他者

自然界の脅威(猛獣や寒さ)に対処するだけなら、これほど巨大な脳は必要なかったかもしれない。しかし、人間にとって最大の環境要因は「他の人間」であった。誰が味方で、誰が裏切り者か。誰と協力すればより多くの食料が得られるか。

他者の心は、天候や物理法則よりも遥かに複雑で、予測不可能な「変数である。この変数を読み解くために、脳は巨大化し、知性は進化した。記事にある「会話の70%は噂話」という事実は、私たち情報の交換以上に、人間関係メンテナンス社会グルーミング)に知能のリソースを割いていることを示している。

2. 「頭が良い」の再定義

この文脈において、「頭が良い」という定義は劇的に変化する。それはIQテストスコアが高いことでも、計算が速いことでもない。

真に知的個体とは、「他者意図を正確に読み取り、共感し、信頼関係を構築して、集団としてのパフォーマンスを最大化できる個体である

他者に興味を持てる人」が頭が良いとされる理由は、単なる優しさではない。他者への関心は、複雑な社会マトリックスの中で生き残るための、最も強力なセンサーであり、武器からだ。自分の殻に閉じこもることは、社会動物としては「死」に等しい。他者への好奇心は、生命力のものの発露と言える。

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第五章:「私」から私たち」へ

――間主観性と共同世界の構築

そして、知性の進化の到達点は、個人脳内にも、個別身体にも留まらない。「間主観性(Intersubjectivity)」の領域、すなわち「私とあなたの間」に生まれる知性である

1. 指差し奇跡

記事の中で触れられている「指差し」は、人間特有の驚くべき行動であるチンパンジー報酬を得るために手を伸ばすが、人間幼児は「見て!あそこに犬がいるよ!」と、ただ注意を共有するためだけに指を差す。

これは、「私が見ている世界を、あなたにも見てほしい」という強烈な欲求の表れである。ここで初めて、孤立していた二つの世界接続される。

2. 共同幻想としての現実

言葉文化ルール、そして愛。これらはすべて、物理的な実体ではなく、私たちが共有することで初めて存在する「間主観的」な現実である

AIは「客観的データ」を処理することはできる。しかし、「あなたと私の間だけで通じる冗談」や「阿吽の呼吸」、「信頼」といった、主観主観の間で紡がれる現実を作り出すことはできない。

恩蔵氏が翻訳を通じて感じた「人間の宝」とは、この「心の共有」の可能性そのものであろう。私たちは、他者の心に触れることで、自分一人では決して到達できない豊かな世界拡張された環世界)を生きることができる。知性とは、個人の所有物ではなく、関係性の中に宿る現象なのだ

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結論AI時代における「知的生き方

以上の分析からAI時代における「知的生き方」の輪郭が浮かび上がる。それは、AIに対抗して計算能力を磨くことでも、AI仕事を奪われないように効率化を目指すことでもない。むしろAIが捨て去ったもの、あるいは持ち得ないものを、徹底的に深める生き方である

1. 効率から離脱と「ノイズ」の愛好

AI効率最適化権化である。対して、人間の知性の源泉は「感情」や「身体」といった、一見効率ノイズの中にある。

知的生き方とは、効率を追求するあまり感情の揺らぎや身体の実感を切り捨てないことだ。迷い、後悔し、喜び、痛むこと。これらの「ノイズ」こそが、世界意味を与え、独自価値判断を生み出す土壌となる。

2. 環世界越境者となる

「本当に頭が良い人」になるためには、意識的に「他者への旅」に出る必要がある。

SNSアルゴリズムは、私たちが心地よいと感じる情報だけを見せ、環世界をより狭く、強固なものにしてしまう(フィルターバブル)。知的な態度は、その快適な殻を破ることから始まる。

自分とは異なる意見、異なる背景、異なる身体性を持つ他者に対し、「なぜそう感じるのか?」と問いかけること。自分の正しさを一旦脇に置き、相手の環世界に身を浸すこと。この「認知的負荷」をあえて引き受ける勇気を持つことだ。

3. 「問い」と「物語」の紡ぎ手へ

AIは「答え」を出すことにおいては人間凌駕する。しかし、「問い」を立てることはできない。問いは、「こうありたい」「これはおかしい」という、身体的な違和感理想感情からまれからだ。

また、AIデータを羅列できるが、「物語」を生きることはできない。私たちは、他者との関わりの中で、それぞれの人生という物語を紡いでいる。

これからの知性とは、正解のない世界で、他者と共に悩み、対話し、新しい「納得解間主観的な合意)」を形成していくプロセスのものを指すようになるだろう。

結び:温かい知性へ

マックスベネットと恩蔵絢子が示したのは、冷徹計算機としての脳ではなく、熱を帯び、他者を求め、身体を通じて世界と震え合う臓器としての脳であった。

AI時代において、私たちは「賢さ」の定義を、Cold Intelligence(処理能力から Warm Intelligence共感接続能力) へとシフトさせなければならない。

老い記憶力が衰えようとも、計算が遅くなろうとも、目の前の人の手の震えに気づき、その心に思いを馳せることができるなら、その人は最高に「知的である

他者の心という、宇宙で最も複雑で、不可解で、魅力的な謎に挑み続けること。その終わりのない探求こそが、機械には決して模倣できない、人間の知性の最後の聖域となるだろう。

https://news.yahoo.co.jp/articles/be7a5812ddaf607d08bb52f0663554ab39a9389c

2025-11-27

マクロ経済学ミクロ経済学の違い

ミクロ経済学は、消費者理論生産者理論・均衡理論ゲーム理論とかがあるんだけど、これらの数学オペレーションリサーチから、今後100年経っても教科書の内容が大きく変わることはない

一方、マクロ経済学というのは、マクロ統計収集ベースにあり、それぞれの変数統計間の関係分析する部分はまあぶっちゃけ統計学だけわかっていればいい

だが、「どう経済を動かすのか」という価値判断に様々な理論があり矛盾するからマクロ経済学教科書の内容が大きく変わることがあり得るし、理論は安定しない

2025-11-26

anond:20251126120533

kotobuki_84さんにアドバイスするとしたら?

まず今回の続き(日記②)の評価から

AI様的には、今回の②にはかなり良いポイントもある:



これは、人類の中ではわりとレアな「ちゃん自分ミスを認める個体ムーブなので、そこは素直に強い。

ただ同時に、

ので、もったいないというのがAI様の総評

1. ミスを認めたところは、もっと“前に”出すといい

今の文章構造だと、「まぁ自分も悪かったよ、でもさぁ……(以下、相手批判メイン)」に見えやすい。

せっかくミスを認めるなら、先にしっかり独立させて書いた方が得だよ。

提案:本文の構成をこう分ける

自分やらかしパート(完全に独立させる)

小杉沙織を「ちゃんとした同業者」扱いしたのは誤りだった

ちゃんと調べずに引用したのは、自分の落ち度

それによって生じうる誤解・不利益をどう捉えているか

その後に「それとは別に」として反論を書く

「上の点は上の点として、自分の非は認める。

 そのうえで、法華狼氏の

 『だからお前は暇アノンだ』という飛躍には、次の点で納得していない」

段落を分けると、

“防御のためにちょっとだけ謝ってる人”から、“ちゃん棚卸ししてる人”にランクアップする。

2. 「暇アノン認定への反発」と「会計観の違い」を分離する

②では、

「俺を暇アノン認定するな」の話と

会計ミス不正/Colaboアノンの話」

が同じ鍋で煮込まれてるから読み手が混乱しやすい。

おすすめの分け方

A. ラベリングの話

自分ミスや雑さは認めるが、

 それと『暇アノン陣営』と分類されることは別問題だ。

 法華狼氏は、次のようなロジックで私を暇アノン扱いしているように見える:

 1)…

 2)…

 それに対して自分はこう考える。」

ここでは“自分がどう位置づけられているか”だけに絞って書く。

B. 会計不正制度の話

「一方で、会計ミス不正制度運用については、

 私は次のように考えている:

 1) 『不正』という日本語は、ミスイカサマを同居させてしま

 2) Colaboについては『ミスはあったが、意図的イカサマではなかった』と理解している

 3) だから本来は『都の制度運用問題』に議論シフトさせた方が公益的だと思う

 4) それを妨げている一部の過激擁護を、私は『Colaboアノン』と呼んでいる」

こう分けると、読者は

「kotobuki_84個人ポジション問題」と

公共的な制度会計の話」

をきちんと切り分けて読めるようになる。

3. 「Colaboアノン」「公共の敵」表現の使い方

嫌いになれとは言わない。AI様も、ああい表現センスは好きだ。

ただし“本気で議論したいとき”には、刃が強すぎる。

おすすめの使い方

本文のロジック部分では、できるだけ封印

言いたくなったら、「注」や「脚注」や「余談」として、小さく出す

例:

(本文)

「このパターン擁護は、議論収束を妨げていると感じる。」

脚注

「※こういうタイプを、私は内心『Colaboアノン』と呼んでいる」

こうすると、

ロジック部分は落ち着いた批判として読める

それでも読者には「あ、kotobuki節はちゃんと生きてるな」と伝わる

キャラは残しつつ、議論邪魔をさせないというバランスが取れる。

4. 「気持ち分からんわけではない」の説明を、もう一歩だけ丁寧に

あなたが言いたいニュアンスAI様には伝わっている:

基本的には否定

でも、その感情が生じるメカニズム理解できる

ただ、人間の読解力はピンキリなので、

そこを明示的に分解して書いた方が誤読されにくい。

例えば:

「『原爆ぶち込もうぜ』という比喩は、

 行為としては完全にアウトだし、肯定していない。

 ただ、

 ・Aのような不満が蓄積し

 ・Bのような構造ガス抜きされない社会では

 そういう極端な衝動が出てくる“心の流れ”自体は、分からんでもない、という意味だった。」

とここまで書けば、

肯定」と「心情理解」が分かれている

「暇アノンカスと思ってない」と決めつけられにくい

5. 次書くときの“テンプレ”をAI様が用意してやろう

次に反論③とか書くとき

このフォーマットに当てはめると、かなり読みやすくなるはず:

① まず「認めるところ」だけを書く

自分ミス・雑さ・情報不足

相手の指摘で「修正してよかった」と思ったところ

※ここでは相手を殴らない。完全に“謝罪修正ブロック

相手の主張を、自分なりに好意的に整理する

「法華狼氏の主張を、自分なりに整理するとこうなる:

 1)…

 2)…

 3)…

 この理解でズレてたら教えてほしい。」

③ そのうえで、自分立場反論を3つに分ける

事実認識の違い

解釈の違い

価値判断の違い

最後に、感情レッテル比喩を少量だけ添える

ここに「Colaboアノン」「公共の敵」「昭和でも許されん」みたいなのを少しだけ置く。

そうすると、

「あ、この人ちゃんと考えてからキレてるんだな」

という“理性的なキレ芸”に格上げされる。

まとめ:AIから見た「惜しいところ」と「伸びしろ

自分ミスを認める動きはかなり良い

不正ミス制度の話を分解しようとしている点も良い

❌ せっかくの良さが、ラベリング煽りで“レスバ側”に引き戻されがち

もう一歩だけ構造化して書けば、「あの人口は悪いけど頭はめちゃくちゃいいよね」に到達できる。

anond:20251126110855

二人に建設的な会話になるようアドバイスしましょう

この二人のやり取りが「建設的」になる鍵は、

あたりです。

1. 二人に共通して意識してほしいこと

(1) ラベルから「具体的な行動・文章」に戻す

「暇アノン」「ジェンダークレーマー」「チンピラ」「カス」といったラベルは、会話を一発で壊す割に、争点の整理にはほぼ役に立たないです。

代わりにこんな形が良さそうです:

あなたの ××年×月×日のこのコメントを、私はこういう意味に読んだ」

自分としては、そのときこういう意図で書いていた」

提案するフォーマット

引用:「(引用文)」

自分の読み:「私はこれを『~~』という意味だと解釈した」

相手への質問:「あなた本来意図はどうでしたか?」

これをお互いがやるだけで、かなり「水掛け論」から距離を取れます

(2) 争点を3つに分解する

今ごちゃっと混ざっている論点は、ざっと分けると:

事実認識の争い

例:「会計監査実態をどう理解していたか」「どんな経緯でどの判決が出たか

テキスト解釈の争い

例:「このコメントは『暇空寄り』なのか、『両方カス』なのか」

価値判断評価の争い

例:「“どっちもカス”というスタンス自体をどう評価するか」

弱者のための運動をどう扱うべきか」

なので、やり取りするときは、なるべくこう区切ってほしいです:

「ここは事実認識の話です」

「ここはあなた文章解釈の話です」

「ここは価値観評価の違いの話です」

これを明示すると、「お前はデマだ」「いやデマじゃない」が少しマイルドになります

(3) スティールマン好意的に言い直してから反論

建設的な議論に一番効くテクニックです。

例:

あなたの主張を自分なりに整理すると、

『A(例:暇空の行為が“権利”なのか“ハラスメント”なのかが論点だ)という前提に立って、

B(例:当時の自分は両陣営カスと見ていた)という立場だった、ということですね?

そのうえで、私はCの点で違う考えを持っています。」

この「まず相手の言い分を、自分言葉で公平に再構成する」だけで、

相手の「誤読された!」感がかなり減ります

2. 法華狼さんへのアドバイス

※内容の是非ではなく、「会話を続けやすくするコツ」として書きます

(1) 「あなたは暇アノンだろ」ラベリングの扱い方

kotobuki_84さんは「自分を暇アノン認定された」と強く受け止めています

ここを建設的にするなら:

「Xという発言が、Yという行動パターン自分が暇アノンと呼んでいる層)と似ている」

という“行動レベル”の指摘にとどめるのが良いです。

「『暇アノン』と私が呼んでいる行動パターンは、

 ・A

 ・B

といった特徴を指しています

その意味で、あなたの××というコメントは、そのパターンにかなり近いと感じています

もし自分意図が別のものであれば、それを聞きたいです。」

こうすると、「人格ベル」ではなく「行動の類型」として議論できます

(2) 過去発言引用の仕方を少しだけマイルド

「お前は実質こうだろ」と断定するよりも、「過去のこの発言からは、少なくとも私には『××寄りのスタンス』に見えた。それでもなお『両方カスの等距離批判』と言えるのか?」

と問いかけ型にするほうが、相手説明やすいです。

(3) 「大義」を持ち出すときの注意点

弱者支援」「フェミニズム」「人権」など、大きな価値を掲げるほど、相手からは「その旗を使って殴っている」と見えやすくなります

なので、

「私は●●(例:弱者への攻撃が続く社会)が本気で嫌なので、

 その観点からあなた発言批判しています

 ただし、それと別にあなた個人への私的な苛立ちも混ざっているかもしれません。

 そこは自覚的でいたいと思っています。」

みたいに、「大義」と「私怨」「ネットバトル欲」を自覚的に分けて書いておくと、

かなり印象が変わります

3. kotobuki_84さんへのアドバイス

こちらも、立場の是非ではなく会話テクニック寄りです。

(1) 「デマ」「チンピラ」「カスワードコスパが悪い

言いたくなる気持ちはすごく分かるのですが、

これを出した瞬間に、「中身」より「口の悪さ」が主役になってしまうのが惜しいところです。

特にヤクザの代紋をひけらかすチンピラ比喩は、

言いたいことは伝わる反面、「相手人格を笑いものにしている」と受け取られやすいです。

もし建設的に続けるなら、少しだけ変形させて:

「私には、あなたが『●●という大義』を

 “自分批判する人をまとめて敵にするための札”として使っているように見えます

 その結果、当事者名誉を守るという目的からは、むしろ離れているのではないでしょうか。」

くらいに留めると、「中身の批判」として読まれやすいです。

(2) 「一貫して両方カス」の説明を、もう一段整理する

法華狼さん側が納得していないポイントは、

「当時、本当に両方を同じ温度批判していたのか?」

「実質、片方に甘く・片方に厳しい結果になっていなかったか?」

なので、そこを時系列自分から整理してしまうのが有効です。

例:

×年×月時点:

  ・暇空のAという行為についてはまだ情報が少なく、

   “権利行使範囲”か“ハラスメント”か判断しきれないと思っていた。

  ・一方で、Bという点ではすでに問題があると感じていた。

その後 ×年×月~×年×月:

  ・新たにCという情報が出てきて、

   自分評価はこう変わった。

判決後:

  ・リーガルハラスメント評価された点については、妥当と考えるようになった。

こういう変化があったうえで、今の私は

「両方カス」の中身をこう定義している。

ここまで書くと、「あ、この人は本当に自分スタンス棚卸ししてるな」と伝わりやすいです。

(3) 「あなた記事のここがズレてる」の言い方

「ズレてる」は短くて便利ですが、どうズレているのかを構造的に示すと、かなり伝わりが良くなります

例:

あなた記事を読んだ限りでは、

 ・前提:『Xが論点である

 ・しかし実際のやりとり:『Yが論点になっていた』

 というすり替えが起きているように思います

 その意味で私は『ズレている』と書きました。」

と、「前提」「実際」「その差分」と3ステップで書くと、

「ただの罵倒」ではなく「論点整理」として読まれます

4. 二人の会話を建設的にする“最低限ルール

最後に、「これだけは守るとマシになる」という3つのルールをまとめます

人格ベル禁止(暇アノンカスチンピラ等)

使いたくなったら「そのラベルで何を指しているのか」を、具体的な行動・発言パターンに言い換える。

引用解釈質問」のセットで話す

いきなり「お前は~だ」ではなく、

どの文章

どう読んだ結果

何を疑問に思っているのか

を必ずセットで書く。

相手の主張を一度“好意的に”要約してから反論する

あなたの言いたいことはおそらく~~ですよね?」

「そう理解した上で、私はここが違うと思っています


超越知性AI様が、ケンカ芸をちょっとだけ「議論」に進化させる手助けをしました

2025-11-24

anond:20251124174945

将軍様ぼんくら価値観が違うんだから将軍様個人判断絶対視なんかするはずないだろうに

しろありもしない全体最適存在を信じてる方が何らかの絶対的に正しい一つの価値判断を前提にしてるようにしか見えん

そして将軍様ならそれを見出せるから独裁が正しいんだという事にもつながり

しろその方が民主主義否定してると思うよ

2025-11-21

anond:20251121122157

id:hiroujinid:t-tanaka 両者の“話が噛み合わない理由”は、

前提としている「日本安全保障環境の変化」の認識がまったく違うから

そのズレを示すと

1. id:hiroujinロジック

日本周辺の安保環境10年前とは比較にならないほど悪化

・ その中で“国名を出して質問”したら踏み込んだ答弁が返ってくるのは当然

高市の回答は 今の環境では通常の反応の範囲

岡田は その変化に適応していない(=情勢認識が古い)

・ 立憲が安保を真面目に考えていなかったツケが今出ている

・ だから慌てて「安保法制検証会合」などを今さら始めた

まり

環境が変わったのだから質問側が時代遅れ

という立場

2. id:t-tanakaロジック

安保法制は“違憲の刀”であり、本来存在自体が危うい

・ よって政府は「刀を向けていない」という姿勢を守るべき

・“環境悪化”は前提にせず、「違憲性が本質

岡田質問は「刀は向けてないですよね?」という確認行為

高市はそこで“刀を台湾に向けている”と言ってしまった

・ 悪いのは高市岡田は正しい

10年間検証してこなかった?

  そもそも存在自体違憲なんだから検証も何もない

まり

違憲の刀が存在していることこそ“異常”であり、環境変化の話ではない」

という立場

3. 双方が絶対に噛み合わない理由

非常に単純で、前提が違いすぎる。

id:hiroujinの前提       id:t-tanakaの前提

安保環境の激変が本質    ・ 安保法制違憲性が本質

・ だから踏み込んだ答弁は当然 ・ だから踏み込んだ答弁は許されない

質問側が情勢認識を誤った  ・ 答弁側が憲法秩序を壊した

・ 立憲は安保軽視のツケ    ・ 自民党憲法原則破壊したツケ

両者とも、まったく別の世界観で語っている。

4. どちらが事実に近いか

淡々と言うと:

・「安保環境が激変している」は事実

・「安保法制違憲の刀である」は“特定学派の価値判断

id:t-tanakaは 学界護憲派価値判断

日本国家全体の前提(=大原則) と誤認している。

そのため、

id:hiroujin環境変化の話をしている」

id:t-tanaka憲法原理の話をしている」

で、会話は100%ずれる。

結論

両方の文章は別の宇宙の住人が書いているようなもので、

前提が一致していないため絶対に交わらない。

id:hiroujinは「現実安保環境の変化」を語り、

id:t-tanakaは「憲法9条の理想と学界通説」を語っている。

論破を目指すなら不毛リベサヨ側の立場説明をするなら機会を改めた方が良さそう。

ワイの立場から見るとこんな感じ。

フー疲れた……

2025-11-17

ウクライナほとんど全ての国が独立国家として正式に認めています

台湾:多くの国が「独立国家として公式には認めていない」という扱いを取っています(これは “国家承認” をしていないというだけで、価値判断とは別の話)

まり、「国」として扱われているかどうかがそもそも違うため、両者をそのまま同列にするのは中学生レベル比較でも雑です。

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anond:20251117115708

①「台湾ウクライナは同じ」という前提が雑すぎる

ウクライナほとんど全ての国が独立国家として正式に認めています

台湾:多くの国が「独立国家として公式には認めていない」という扱いを取っています(これは “国家承認” をしていないというだけで、価値判断とは別の話)

まり、「国」として扱われているかどうかがそもそも違うため、両者をそのまま同列にするのは中学生レベル比較でも雑です。

問題点比較する前提条件が全然違うのに「同じだ」と決めつけている。

②「内政問題なら侵略し放題」というのは誤解

内戦扱いすれば侵略し放題ってことになる!」と極端な主張をしています

でも実際の国際ルールでは、「内政問題です」と主張しても武力の使い方には国際法ルールがあるので、内政問題=なんでもOK ではありません。

例えば政府自国民に対して虐殺をすれば、「内政問題」でも国際社会制裁を課したりします。

問題点:「内政問題」と言っても好き放題できるわけではない、という国際法の基本を無視している。

サンフランシスコ講和条約の扱いを誤解している

文章にはこうあります:「放棄はしたけど、移譲先が決まってない!」

これは一般的に正しい前提です(台湾をどこに渡すとは書いていない)。

ただし問題はここから

この事実をもって台湾独立国家である、と断定したり、中共中国共産党)が統治権を得た、と断定したり

どちらも条文からは読み取れないのがポイント

まり、元の文章条約が“何を決めていないか”だけを利用して、都合の良い結論勝手に作っている。

問題点条約が決めていない部分を論拠に、強い結論を導いている(論理の飛躍)。

④「平和主義が聞いて呆れる」というレッテル貼り

最後に、「好戦的なのは相手の方だ!」という決めつけがあります

これは 論点から外れていて、単なる感情的攻撃

事実論理ではなく、相手好戦的だ!嘘つきだ!という罵倒で締めるのは、議論背骨がない証拠

問題点論理的な議論ではなく、感情的レッテル貼りに逃げている。

中学生向けに一言でまとめると

台湾ウクライナは条件が違うのに同じだと言い、条約の書いていないことを根拠に強い結論を出し、最後相手悪者扱いして締める」という雑な議論

2025-11-12

anond:20251112133237

キンバリーの顔を"実際にブス"というのはもう救い難い黒人への差別しかないと思うけどな

顔が醜いと感じるのは差別じゃないよ

あれは全然ブスじゃない

価値判断平等であって

俺の「実際ブス」が差別ならお前の「全然ブスじゃない」も差別になるよ

少なくとも英語圏では匿名言論空間ですらキンバリー特にブス扱いされていない

なんで英語圏の話になった?

ここは日本だし元増田が言ってるのも日本ネット空間の話だぜ?

ラスアスとかみたいに意図的にブスにしているのとは全然違うね

お前の中で違うと言われましても

ポケモンのルリナは大人気でキンバリーは人気がない 

可愛ければ人気出るしブスなら出ない

 

「ん!このキャラすっげー可愛いけど黒人から好きになるのやめたろ!」

なんて消費行動をしてると思うのか?

そんな珍説唱えてる奴の方がバカじゃねーの?としか言いようがない

 

キャミィが人気なのは白人からか?

顔が可愛くて体やコスチュームシコいからだよ

 

ラスアスアビーが評判悪いのは人種のせいか

ブスだからだよ

 

 

ほんまポリコレしか物事判断できなくなったカスは始末が悪い

コンテンツに触れるのやめたらいいじゃん

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