はてなキーワード: アートとは
Q:
A:
1. 中田ヤスタカによる「唯一無二のテクノサウンド」
プロデューサー・中田ヤスタカが手掛ける楽曲は、アイドルソングの枠を超え、クラブミュージックやエレクトロ・ポップとして国内外で高く評価されています。
・オートチューン(声の加工): 歌声を楽器の一部のように扱うことで、無機質さとポップさが同居する不思議な空間を作り出しています。
・中毒性: ポリリズムやチョコレイト・ディスコなど、一度聞くと耳から離れない精緻に計算されたサウンドが特徴です
2. 「一糸乱れぬダンス」と「MIKIKOの振付」
ダンスは、Perfumeのパフォーマンスにおいて歌と同じくらい重要です。
・超絶的なシンクロ率: かしゆか、のっち、あ〜ちゃんの3人がシンクロした、芸術的で洗練されたダンスを披露します。
・身体表現: MIKIKO氏によるダンスは、ただ踊るだけでなく、曲の物語を3人の身体で表現する「フィジカル(生身)」の魅力があります。
3. 「デジタルとフィジカルの融合」ライブ演出
・最先端テクノロジー: プロジェクションマッピング、レーザー、ドローンなどの技術を駆使し、仮想世界と現実が融合したようなステージを作り出します。
・ライブの生歌: 歌声はオートチューンで処理されていますが、ライブは基本生歌であり、ダンスパフォーマンスと歌が完璧に同期しています。
もし「歌の感情表現が薄い」「機械的すぎる」と感じているのであれば、それはある意味で正しい感覚です。Perfumeは「歌のうまさ」よりも「視覚と聴覚で楽しむアート作品」としての側面が強いため、音楽単体ではなく、「ライブの映像」をセットで見ると、その評価が劇的に変わることが多いです。
そーですか、ありがとうございました。
エーリッヒ・フロム「愛するということ」★★★
フィリッパ・ペリー「身近な人間関係が変わる 大切な人に読んでほしい本」
宇佐和通「AI時代の都市伝説: 世界をザワつかせる最新ネットロア50」
深津貴之、岩元直久「ChatGPTを使い尽くす! 深津式プロンプト読本」
大宮冬洋「人は死ぬまで結婚できる 晩婚時代の幸せのつかみ方」
飯田一史「「若者の読書離れ」というウソ: 中高生はどのくらい、どんな本を読んでいるのか」
セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ「誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性」★★
恋紙屋「夜にバニーは(ベッドで)跳ねる」
「黙然たる反骨 安藤照 ―没後・戦後80年 忠犬ハチ公像をつくった彫刻家―」於・松濤美術館。
「新江ノ島水族館」
やっぱりエーリッヒ・フロムはいい。たぶん自分が特に気に入っている思想家だ。
このあたりからスピリチュアリズム、自己啓発の背景にある思想とその明暗をテーマに本を選び始める(陰謀論まで行っちゃったのも含めて)。
多分最後にSF小説を読んだのはこのあたり。SFっぽい漫画は読むことがあっても小説は読んでいない。新人賞を追うのも去年あたりでやめている。
余談だが、自分が好きなSFは科学や技術、それから人間の未来を選ぶ力を信頼したものだった。もちろん、社会学的なものや悲観的なものも大好きだが、それらはどちらかと言えばaquired tasteである。一番深く心が動くのは前者だ。
ところで、わざわざ買った同人誌をメモしてもしょうがないかもしれないが、書かないにもなんだか居心地が悪い(記録魔)。
岡奈津子「新版〈賄賂〉のある暮らし 市場経済化後のカザフスタン」★
アナ・カタリーナ・シャフナー「自己啓発の教科書 禁欲主義からアドラー、引き寄せの法則まで」
ジェイムズ D.スタイン「不可能、不確定、不完全―「できない」を証明する数学の力」★★
尾崎俊介「アメリカは自己啓発本でできている ベストセラーからひもとく」★★★
荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ」六巻
岩宗治生「ウスズミの果て」一巻~三巻
こるせ「伽藍の姫」一巻~二巻
岩宗治生「ウスズミの果て」 四巻
肋骨凹介「宙に参る」五巻
「NHKスペシャル 堺雅人が巡る古代エジプト!ピラミッド透視とツタンカーメンの謎」
「NHKスペシャル 堺雅人が巡る古代エジプト!謎の王ブラックファラオの実像に迫る」
「ニーア・オートマタ End of Yorha edition」(XYエンド以外回収)
「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」於・アーティゾン美術館。
「コレクション展 第2期 特集:新収蔵作品のご紹介」@岩手県立美術館
小岩井農場まきば園
八月は読んだ本が少ない。普段通勤時間に本を読んでおり、お盆休みがあったためだ。
代わりにというわけではないが、ちょうどゲームをクリアした。普段ゲームをしないので難易度を下げて楽しんだ。別にやり込みたいわけではなく、ストーリーを終えればそれでいいと感じている。だが、自分の人生でゲームは必須の要素ではない気がする。
ところで、数年ぶりに(十年近い?)アニメを見たのだが、これはたまたまコロナから避難するために泊まったホテルで視聴した。一話完結だし、青春時代を思い出すし、あまり疲れない。テレビ番組が記載されているのは、自分がテレビを見る頻度の少なさを示している。
レト・U. シュナイダー「続 狂気の科学: 真面目な科学者たちの奇態な実験」★★
トーマス・トウェイツ「人間をお休みしてヤギになってみた結果」
中村圭志「亜宗教 オカルト、スピリチュアル、疑似科学から陰謀論まで」★★★
ロジャー&チャーリー・モーティマー「定職をもたない息子への手紙」
烏谷昌幸「となりの陰謀論」
今井むつみ「「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策」
岡瑞起、橋本康弘「AI時代の質問力 プロンプトリテラシー 「問い」と「指示」が生成AIの可能性を最大限に引き出す」
山本栄二、中山雅司「国連入門 ――理念と現場からみる平和と安全」
瀬野反人「ヘテロゲニア リンギスティコ 〜異種族言語学入門〜」一巻。
ヤン・シュヴァンクマイエル「蟲」@シアター・イメージフォーラム
「大長編 タローマン 万博大爆発 TAROMAN」@TOHOシネマズ 渋谷
皇室の文章は結構フランクで楽しい。あと、著者略歴に「二〇一九年、即位」と書かれていて、何も間違っていないのにレア過ぎてちょっと笑ってしまった。
僕は超細密画はあまり評価していないのだが、諏訪敦は結構気に入っている。たぶん作品に取り組む姿勢やモデルに対する丁寧な態度が好きなんだろう。それから、母を亡くして、具象表現ができなくなったらしい。残酷な言い方が許されるならば、芸術家が傷ついたり何かを学んだり、逆に精神が安定してして作風が変わってしまう瞬間に、とても興味がある(藤田嗣治が戦後に人工的な人形のような子供たちばかり書くようになった契機が知りたいし、精神が穏やかになった後のムンクの作品にも関心がある・結婚後にシーレの作品が良識的になってしまったのにも)。
今月は久しぶりに映画が見られてうれしい。シュヴァンクマイエルの作品は自分の過去の作品を解体し、評論するような内容だった。
高野秀行「酒を主食とする人々 エチオピアの科学的秘境を旅する」
島本英明「もっと知りたいモディリアーニ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
新見隆「もっと知りたいイサム・ノグチ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
末永幸歩「「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考」★★★
今泉忠明 (監修)「おもしろい! 進化のふしぎ ざんねんないきもの事典」
高野秀行は定期的に読んでいる。アート・ビギナーズ・コレクションも定期的に読みたくなる。次に何を読むか迷ったときに重宝する。ただし、美術館に行く途中で読むと、なんだか美術鑑賞に向けるエネルギーをそこに分けなきゃいけない感じがしてしまう(図書館で借りているので読むタイミング的にそうなることがある)。なお、このシリーズは冊数が多い割には下山観山や英一蝶の巻がない。あと、本によっては作者の思想がすごく偏っている。
松井文恵、安田茂美「写実絵画とは何か? ホキ美術館名作55選で読み解く」
ジョナサン・カラー「文学理論 (〈1冊でわかる〉シリーズ)」
秋月龍珉「無門関を読む」
アンドリュー・スチュワート「情報セキュリティの敗北史: 脆弱性はどこから来たのか」★
尾崎俊介「ホールデンの肖像 ペーパーバックからみるアメリカの読書文化」★★
六畳「××××の結果で×××する××」(苦手な人がいるだろうと思うので伏字)
「カルン・タカール・コレクション インド更紗 世界をめぐる物語」於・東京ステーションギャラリー
「CREVIA マチュピチュ展」於・森アーツセンターギャラリー
30周年記念展「ALL OF EVANGELION」於・東京シティビュー
平等院鳳凰堂、鵬翔館、宇治神社、宇治上神社、源氏物語ミュージアム。
「知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!? ヒトはなぜ音楽を愛するのか」
自分は欲望をコントロールできず、性欲などに負けてしまう人間の話が好きだ。現実の生活では正しくいるよう求められるのだから、せめて虚構の中では人間のダメさを許してほしい。そうでなければ、現実世界で良識を守れない、とまではいわないが、ダメな人をダメなまま表現されていると、それを読むことで、何か許されたような気持ちになれる。
他には禅問答について読んでいる。
あと、尾崎俊介がロマンス小説について述べているあたりが面白かった。なんでジェンダー平等が叫ばれる時代に、一見するとあえて古典的に見えるストーリーが必要とされているか、一つの知見を得た。
J. R. R. Tolkien「The Hobbit」Harper Collins Publishers。和書文庫換算二冊。★★★
尾崎世界観「祐介・字慰」★
丸谷才一「輝く日の宮」★★
「ファーストコンタクト 窓口基作品集 【電子コミック限定特典付き】」
「落下の王国 4Kデジタルリマスター」於・ル・シネマ 渋谷宮下。
丸谷才一が相変わらず面白かったので(僕はメタフィクションが好きだ。時にはわざとらしくなってしまったり作者の自分語りに堕したりするリスクもあるが、うまくいくとこれは気持ちがいい)ブコメで進められた全集を手に取ろうとしたら、地元の図書館にはなかった(正確には、引っ越す前の自治体のにはあった)。さてどうしよう。
洋書を読み始めた。あらすじは覚えているが細部はよほど印象的なシーンでないと覚えていない。
トールキンの場合、樹木の描写が細かく、いろんな種類の木が出てくるのだが、そもそも僕のほうが樹木の知識に乏しく、和訳を読んでも細かくイメージできない(束教授ごめんなさい)。児童文学とは言え、二世代前の英語なので語彙やスペルが違うし、手加減せずに平気で難しい言葉を使う。
「ナルニア」を読んだときも、例えば身近でない船舶の部品などの語彙で苦労した覚えがある。
窓口基は暴走するテクノロジーや世界観の考察を楽しんだ。SFが好きだったもう一つの理由であり、一番ワクワクするところだ。この人はグロやゴアも書けるらしいのだが(なんにでも科学的な興味がありすぎて、人体を破壊可能な一つの素材として見てしまっているのかもしれない)、「苦手な人はこの先読まないで」と警告できるので、自分の狂気をコントロールできるタイプの人であり、そこが好印象。
ケーブルテレビで「その着せ替え人形は恋をする」をやっていたのだが、感傷マゾを発症しなかったのは、僕の精神が変化したからかもしれない。原作の漫画を買おうかとも思ったが、実はそこまでコスプレに興味がないと思い直した。そもそも年末年始に向けて漫画をセールで買い込んだが、トールキンを読み続けており、全然手を付けていない。
漫画は小説と同じで、長編を読むには訓練がいる。ご覧の通り短編集や一話完結ものばかり読んでいる。
来年は「指輪物語」の原書を読み終えたら、国連や政治学、第二次世界大戦の日本軍、それから依存症のあたりの知識の補足がしたい。あとは意識の科学だなあ。
洋書だとどうしてもペースダウンする。開き直って冊数を気にしないようになれそうだ。あとは、トールキンを読み終えたらドイツ語をやりたい(言うだけならタダ)。
実際にドイツ語をやるかどうかはともかく、読書記録を始めたのは大学に入ってから二十年、知的な本を読もうと志してからはもっと経過している。いたずらに、明確なゴールもなく、知識を得続けようとする行動パターンに変化が欲しい。美術館についても、あまり行かない場所や行ったことのないところに行きたい。(ただしドイツ語をやって何かの原書に挑戦したら一年がかりのプロジェクトになりそうで、そうなると知識の習得には多大な遅れが発生する)
カテゴリの[読書]をクリックすれば2020年まで読めます。m(__)m
ただし、全てが自分の物ではありません。
藤井一至「土 地球最後のナゾ 100億人を養う土壌を求めて」
横山祐典「地球46億年 気候大変動 炭素循環で読み解く、地球気候の過去・現在・未来」
藤井一至「ヤマケイ文庫 大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち」
主婦の友インフォス情報社「事故物件サイト・大島てるの絶対に借りてはいけない物件」(再読)
上遠野浩平「恥知らずのパープルヘイズ -ジョジョの奇妙な冒険より-」★
菅沼 悠介「地磁気逆転と「チバニアン」 地球の磁場は、なぜ逆転するのか」
ヴィンチェンツォ・ヴェヌート「生きものたちの「かわいくない」世界 動物行動学で読み解く、進化と性淘汰」
いがらしみきお「ぼのぼの人生相談 「自分をしまっちゃうのをやめないとさ」」
ちょめ「室外機室 ちょめ短編集」
特別展「鳥 ~ゲノム解析が解き明かす新しい鳥類の系統~」於・国立科学博物館。
昨年に引き続いて阿部勤也を読んでいる。歴史系の本は雑学が増えて楽しいし、現代で当然とされていることが全く通用しない世界をイメージできるので、自分の価値観が相対化できる(時折正しいかどうかだけが自分の判断軸になり、どう感じているかをおざなりにしがちなので大事)。他には地学や土壌が気になってたようだ。
なお、昨年までやっていた星印の評価はやめにした。同率二位とか三位とかを考えるのが面倒だったからだ。……とか思ってたけどやっぱり直感でやることにした。
乙一「The Book ~jojo’s bizarre adventure 4th another day~」
志村史夫「古代世界の超技術〈改訂新版〉 あっと驚く「巨石文明」の智慧」
コタニヨーコ「夏が、僕らの世界を見ていた」
熊倉献「春と盆暗」
「フリクリ」
特別展「魂を込めた 円空仏 ―飛騨・千光寺を中心にして―」於・三井記念美術館
久し振りに芥川賞を読んで面白いと感じた。自分の好みは、語り手が男性で、非常に知的であるか(丸谷才一をこの年読んだのはそのため)、怒りや暴力性などを抱えている作品にハマることが多い。もちろん例外も多数ある。というか読書の趣味は例外だらけだ。
あとは、高校生以来で「百年の孤独」を再読したが、当時と比べて複雑なストーリーを理解する能力が向上していたとわかったのは嬉しい。
「ジョジョ」や「フリクリ」など、すでに知っている物を手に取ったのはファン心理かもしれないし、これは外れないだろうというある種の安心(または怠惰さ)かもしれない。面白かったけれどね。
志村史夫「古代日本の超技術〈新装改訂版〉 あっと驚く「古の匠」の智慧」
篠田謙一「新版 日本人になった祖先たち―DNAが解明する多元的構造 (NHKブックス No.1255) 」
アシュリー・ウォード「ウォード博士の驚異の「動物行動学入門」 動物のひみつ 争い・裏切り・協力・繁栄の謎を追う」
「生誕150年記念 モンドリアン展 純粋な絵画をもとめて 公式図録」
「生誕100年 ジャクソン・ポロック展 JACKSON POLLOCK[図録]」
丸谷才一「横しぐれ」★★★
「特別展 慶珊寺と富岡八幡宮の名宝―『大般若経』が語る中世東国史―」於・金沢文庫。
また、この月は数年前に行けなかった美術展の図録を買って楽しんだ。たまたま行けなかったり、コロナ禍で自粛してしまったりしたもので、ずっと喉の小骨のように行けなかった後悔にさいなまれていたのだが、すっきりした。
丸谷才一「樹影譚」
ハンフリー・カーペンター「J. R. R. トールキン 或る伝記」
J. R. R. トールキン「農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集」
A. A. ミルン「クマのプーさん Anniversary Edition」
A. A. ミルン「クマ横丁にたった家 Anniversary Edition」
エーリヒ・ケストナー、池内紀訳「飛ぶ教室」★★★
児童文学が多い。「飛ぶ教室」は男子校を卒業して二十年余りの自分にはとても良く刺さった(小さい頃にもらったのだがパラパラめくっただけだった。たぶん自分の中の男性性を求める心が強く目覚めていなかったんだろう。あるいは、一生付き合っていきたいという友人に出会う前だったからかもしれない)。また、今まで触れてこなかったトールキンの作品に触れて楽しかった。これは十二月の洋書による再読の遠因となる。
スタインベックは障害観が少々古いが、無駄な場面がなく、悲劇としての構成が美しい。
J. R. R. トールキン「終わらざりし物語(上)」★★★
湊一樹「「モディ化」するインド ――大国幻想が生み出した権威主義」★
J. R. R. トールキン著、クリストファー・トールキン編「ベレンとルーシエン」
相国寺承天閣美術館開館40周年記念 相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史。
うろこの家・展望ギャラリー、山手八番館、北野外国人倶楽部、坂の上の異人館。
湊川神社宝物殿
いつもの月と比べて大変に少ない。今月は休みの日に読まなかったのと、「終わらざりし物語」が上下巻それぞれ五百ページ超えと大変に長かったためである。四月までの分を加えれば平均して月十冊は読めているし、味わわずに読み飛ばすよりははるかにましである。というか、三月四月と十五冊読んでるじゃないか。プラスマイナスなし。
年始から神道をはじめとした日本の信仰について読んでいる。記紀に記載のない神々や、民間の信仰、仏教との混交などの知識が増え、日本神話についての解像度が上がった気がする。
なお、「クィンティ」はファミコンゲームで、これをスイッチでプレイした。祖父の家に合ったもので子どもの頃はクリアできないなりに楽しんでいた。スイッチの巻き戻し機能を利用してやっとクリアした。
余談だが昨年はクリアしないなりに「パリア」をプレイしたのだった(結局こういうクエストものや箱庭・スローライフものはそこまで好きじゃないというか飽きるとわかった。スローライフと言いながら結局採取や労働をしており、仕事で疲れて帰ってきてやるモチベーションが湧かない)。「Neo Atlas」は二〇二二~二〇二三にプレイしたが結局飽きている。世界を探検するのが好きなのはcivilizationで分かっているのだが、通知がひっきりなしに来るので、これもリアルな仕事と似ていて疲れた。
飯島吉晴「竈神と厠神 異界と此の世の境」
ダニエル・T・マックス「眠れない一族 食人の痕跡と殺人タンパクの謎」★★★
成澤勝嗣「もっと知りたい狩野永徳と京狩野 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
狩野博幸「もっと知りたい河鍋暁斎 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
稲垣栄洋「生き物の死にざま」
小泉悠、高橋杉雄、太田啓之、マライ・メントライン「ゴジラvs.自衛隊 アニメの「戦争論」」
小塩 真司「「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学」
綾辻行人「どんどん橋、落ちた」
櫻井武「SF脳とリアル脳 どこまで可能か、なぜ不可能なのか」
安田峰俊「民族がわかれば中国がわかる 帝国化する大国の実像」
「ACN ラムセス大王展 ファラオたちの黄金」於・クレヴィアベース東京
軽めの本が多め。
この後読む皇族の本も含め、学問の世界の厳しさに触れる本が多かった。知識を蓄えるのではなく、同じ問題にずっと取り組み続け、微細な差異や違和感に疑問を持つ才能がないと、研究者としてやっていくのは難しい(これはうまくできなかった自分を慰めている側面もある)。
脳科学については、著者の主張や意見のウエイトが大きく、前々から気になっていた意識や心の哲学についてはそこまで突っ込めなかった。ジャンル全体の概観をつかむだけなら、おそらくウィキペディアを拾い読みしたほうが早いか。
録画で今日見たんだけどさー
あの曲名表示のとき画面の端っこに出てくる「レコード回して曲をかけてる」風のアニメ描いたの、どこのヘッポコ野郎なんだよ? 実際に一度もアナログレコード使ったことも、実物が回ってるのを見たことすらもないモノシラズのアホウが、フンイキで適当なアニメ作ったのか??
回転方向が逆なんだよ。あんなんでもし盤面にちょっとしたゴミやキズがあったら、レコード針が引っかかって針もしくはそれを固定していて振動(音)を拾うのに重要な役割を果たしてるカンチレバーって部品がポッキリ折れてしまうんじゃないかって、気になって星野と松重のトーク内容とか全然頭に入ってこないよww
話してた内容で唯一覚えてるのは、松重豊の小学生の頃のあだ名が「げんちゃん」だったってコトだけだw
なんか、アート的にオリジナリティ発揮したい的な意図で「あえて」逆回転するレコードのアニメ描いた? って説も少し考えたけど、やっぱただの無知がヘマこいたって可能性が9割以上ぐらいだよなー。天下のNHKともあろうものがこんなクオリティのモノを放送してしまうなんて... って思いました(小並感
AI使いなのかYotuberの編集上がりなのか知らないけどプロとして活動してない人間の作る映像はまあ違和感あるよねってのが一つの感想
見てすらないXに流れてきたカットだけだが
まず映像って見せたい部分を常にカットの中心に持ってくこなければいけないというルール1960年ぐらいのハリウッドからあって
少なくとも呪術廻戦のカットとして見たものは全て中央付近にすらなかった
観客の視線が常にフラフラ左右に動くことになって疲れるんだよね
あとリズム感が悪い
これCG上がりとかだと良くあるんだけど物理法則を守ろうとしちゃうからそうなるんだよ
少し前のダンスバトルのアニメーションもそうだけど人間の脳が勝手に補完するから
そのままモーション流すんじゃなくて前と後ろにモーションを細かく配置して、中は省略する
モーションブラーなんかはまさにこの脳の錯覚を利用するために出始めを重くしようって考えられたエフェクトなんだけど
物理法則に従って全て等速でおいてしまうからスピード感もないし違和感も出てしまう
結局プロとしてやってこなかった人って独学で好きなことやろうとしてその個性を買われて仕事を得てるわけで
そもそもそういう基本を学ぶ学習意欲みたいなのがあったらプロにもなってないよねという感じで
最近の素人イラストレーターを現場に輸入する文脈で作り上げた作品を既存の枠組みで評価することに違和感を覚えている
🌟 見どころ
主人公・雷音竜の戦いは、ただ強いだけではなく衝撃的な描写や過激な格闘シーンが続き、当時の少年漫画の枠を越えたインパクトを持っています。
🧠 2. 狂気じみた設定と展開
格闘漫画として始まった物語が次第に宗教的・超常的なスケールへ拡大していきます。イエス・キリストや歴史上の偉人たちが戦士として登場するなど、常識を逸脱した展開が魅力です。
単純な力比べではなく、復讐、救済、信仰と暴力の意味といった深いテーマも内包しており、単なるアクション漫画に留まらない読後感があります。
従来の格闘漫画とは一線を画すコマ割りや構図、アート性の強い作画で、視覚的にも強烈な印象を残します。読者によっては「アート漫画」と呼びたくなるような独特さも本作の魅力です。
📌 まとめ
『地上最強の男 竜』は、ただ強い主人公が敵を倒すだけの話ではなく、
圧倒的パワーと激しいバトル描写
一味違う画風と演出
『地上最強の男 竜(ちじょうさいきょうのおとこ りゅう)』は、風忍(かぜ しのぶ)が1970年代に『週刊少年マガジン』で連載したカルト的格闘活劇漫画で、作者の初の長編作品にして代表作ともいえる異色作です。バイオレンス、スピリチュアル、そしてアート性が混ざり合った独特の世界観で、今なお語り草になっています。
主人公は 雷音竜(らいおん りゅう)――どんな相手でも0.2秒で倒すと言われる地上最強の空手家。そのあまりの強さゆえ、空手の試合で相手を死なせてしまい、師匠の道教により力を封じられ、仮面を付けられて人前から姿を消す。
竜は妹・悦子とひっそり暮らしていたが、かつて竜が倒した相手の婚約者・二階堂邦子が復讐に燃え、師・道教と共に竜を追う。戦いの中で妹が殺され、復讐に燃えた竜は邦子を打ち倒す。だが道教は巨大な念力装置の塔を使い、神=イエス・キリストを復活させる。さらにキリストは宮本武蔵やブルース・リーまでも呼び出し、竜に立ちはだかる――という、ぶっ飛んだ展開へと進みます。
主に億る前に買ったもの。つまり資産形成中に買ったものとなる。
順序は適当。
首都圏在住だから要らないっちゃ要らないし、移動だけならカーシェアとか中古の軽で十分。
だけど、金使えない自分が嫌になってどうせなら気に入ったものを買おうと思った。
そしたら利便性はもちろんだが、オトコが上がり人生が豊かになった気がする。
これがモノを買う喜びかあと思った。
それに、自尊心にも大きく影響するので、私的な集まりだとしても、何かしら自分でいいと思える服を着ていくことは重要。
これも良い家具はやはりいい。
資材費が騰っている昨今、素材の良さは価格に直結する。
服と同じだけど、ファストなものはやはりそれなりのQoLとなってしまう。
機能面だけみればほとんど同じなんだけど、佇まいが違うと自分もそれに合わせるために、人生のレベルが一段あがった気がする。
絵や彫刻は簡単に家に入れられないけど、機能性があればそこに居る理由もあるしね。
これは金額もあるが、回数や渡す人数を増やしたいところ。
昔はお中元・お歳暮なんかはいい習慣だったよなと思うけど、サプライズみがないのでちょっとコスパは微妙かも。
誕生日なんか覚えておいてなにか渡すと喜んでもらえる。
人的資産をこれで維持できるなら、いくらコストかけても無駄にはならない
まじで無駄。
特に俺は筋肉がつかないたちなのか、5年間ぐらいいったけど、何も変わらなかった。
モクモクとトレーニングするのもリラックスというか禅を感じていいんだけど、これを週3も時間使ってやる必要あるか?とも思う。
いくら一般的にいいといわれてても、体質的に合わないものはとっとと辞めるべき
これも意味ない。
結構な大病になり入院手術したが、サプリメントではどうにもならん病気だった。病気になるときは病気になる。
有益なことは何も書いてない。
意味無し。
本は自分の興味を広げるために読もう。
https://x.com/i/status/1983745679433269398
このCMへ対して一部のユーザーが「M.U.G.E.Nじゃねぇかw」の様なコメントを付けている。
この「M.U.G.E.N」こそが格ゲー界の公然の秘密である。
M.U.G.E.Nとは、1999年にElecbyte社が公開した、ユーザー拡張型の2D格闘ゲームエンジンだ。「キャラクターやステージを自由に自作して追加できる」という画期的な仕様により、本来なら交わるはずのない別作品のキャラ同士を戦わせる「ドリームマッチ」を実現できるツールとして、2000年代のネットの片隅で熱狂的な支持を集めた。
だが、このエンジンには致命的な「暗部」がある。
全盛期に最も広く利用された「WinMugen」と呼ばれるバージョンは、実は正規にリリースされたソフトウェアではない。
開発元のElecbyte社が一度消息を絶つ直前に、本来は非公開だった次期バージョン(Mugen 1.0)のベータ版が何者かによってリークされ、それがアングラサイト経由で広まったものなのだ。つまり、WinMugenを使っている時点で、それは「流出した未完成の開発データ」を勝手に使っている状態に他ならなかった。
正直に申し上げて、M.U.G.E.Nというコミュニティは、このエンジンの出自も含め、著作権的に見れば限りなく真っ黒に近いグレーだ。
「キャラクターやステージを自由に自作して追加できる」という画期的な仕様は、実質的に「既存の商用格闘ゲームのキャラクターをファンメイドで移植できる」環境を意味していた。
つまり、スプライトのぶっこ抜きである。この事実は否定しようがない。
だからこそ、格闘ゲームのプロプレイヤーや開発者、そして我々のようなコアな格ゲーマーにとって、M.U.G.E.Nは長らく「名前を言ってはいけないあの人」のような存在だった。
みんな知っている。家でこっそり触ったこともある。でも、表立って「M.U.G.E.Nで遊んでいます」とは口が裂けても言えない。そういう「公然の秘密」として、格闘ゲーム史の影に存在し続けてきた。
けれど、あえて今、その「技術的・文化的な功績」についてだけは語らせてほしい。
法的な問題を一旦脇に置いて(肯定するわけではないが)、なぜあそこにあれほどの熱量が生まれたのかを言語化するならば、「あれはプログラムによる同人活動だったから」という結論に行き着く。「絵」ではなく「挙動」を模写するのだ。
同人作家が、好きな漫画のキャラクターを愛ゆえに模写し、自分の手で二次創作漫画、そこから更に発展してBL同人などを描くようにだ。
M.U.G.E.N職人と呼ばれた人たちは、好きな格闘ゲームのキャラクターを愛ゆえに解析し、自分の手で動かそうとしていた。
彼らにとって、リュウの波動拳やテリーのパワーウェイブのドット絵は、単なる画像素材ではない。「完成された美」であり「憧れ」そのものだ。
しかし、画像をM.U.G.E.Nに持ってきただけでは、それは動かない。
憧れのあの技を放つためには、中身のエンジン……つまりプログラムを、自分たちの手で一から組み上げる必要があった。
彼らがやっていたのは、MS-DOS時代から続く古臭い仕様のスクリプト言語を駆使して、最新ゲームの挙動を「コードで模写する」という作業だった。
これは、プログラマーやゲームデザイナーにとっての一種の「写経」であり、エンジニアリングの側面から愛を表現する手段だったのだと思う。
さらに特筆すべきは、単なる模倣に留まらない「実験場」としての側面だ。
M.U.G.E.N界隈には、既存の格闘ゲームの枠組みには収まりきらないアイデアを形にするクリエイターたちもいた。
ドット絵からアニメーションまで全てを一から描き起こした「完全新規オリジナルキャラクター」の制作。あるいは、商業ゲームならバランス崩壊として即座にボツになるような、複雑怪奇かつ斬新なシステムの実装。
「売れるかどうか」を考える必要がない同人活動だからこそ、そこには尖ったアイデアが無数に投入されていた。
プレイヤーが操作することを放棄し、キャラクターに搭載されたAI(人工知能スクリプト)同士を戦わせる。
そこでは「いかに強いAIを書くか」というプログラミング競争が勃発し、時にはゲームのプログラム仕様の隙を突くような「凶悪キャラ」「神キャラ」と呼ばれる人知を超えた存在が生み出された。
そして、それらが公平に戦えるよう、有志によって厳格なレギュレーション(階級分け)が整備され、毎日のように動画サイトで大会が開かれる。
これは、ある種の「レジェンド級プロ格ゲーマーを超えた理論値格ゲープレイのシミュレーション」であり、eスポーツとは全く異なるベクトルでの技術的進化だったと言える。
現在では将棋や囲碁などのAI同士が対戦し、その強さを競うことは珍しくないがM.U.G.E.N界隈ではそれらよりもずっと前に対戦AIを専門的に書く人たちが認知されていたのだ。
漫画界で「同人出身」がある種の実力の証明(例えば高い評価を受けていた同人作家が商業誌での新連載が決まり、同人作品を知る一部界隈で話題)になるように、実はゲーム業界にも「M.U.G.E.N出身」の才能が確実に存在する。
例えば、Steamで世界的な評価を得た2D格闘ゲーム『Skullgirls』や『Indivisible』でリード・アニメーターを務め、『熱血硬派くにおくん外伝 リバーシティガールズ』にも関わったJonathan "Persona" Kim氏は、かつてM.U.G.E.N界隈で伝説的なスプライト改変職人として知られた人物だ。
また、セガ公式の『Sonic Mania』でコンポーザーを務めたTee Lopes氏も、キャリアの初期にはM.U.G.E.N等のファンゲームへの楽曲提供で腕を磨いていた。
最近の例では、ホロライブのファンメイド格闘ゲーム『Idol Showdown』が記憶に新しい。
このゲーム自体はUnity製だが、プロジェクトを牽引したGura_D氏や、美麗なドット絵を統括したアートリードのSodan氏は、海外のハイレベルなM.U.G.E.Nプロジェクト(Hyper Dragon Ball Zなど)出身のベテランだ。
彼らにとってM.U.G.E.Nは、GitHubやUnityが普及する前の時代における、ポートフォリオであり実験場だったのだ。
もっとも、彼らのように自らそれを語り、その出自が明るみに出ることは業界の慣習としては稀なケースなのかもしれない。
プロ格ゲーマーを含めた多くのプロフェッショナルたちが、過去の経歴としてM.U.G.E.Nを語ることはない。そこには、あえて触れないという「暗黙の了解」が、今も静かに横たわっている。
「俺ならもっとこう動かす」「もしもこのキャラとあのキャラが戦ったら」という妄想(IF)を、絵や文章ではなく、実際に動くゲームシステムとして出力する。
それは紛れもなく「挙動の二次創作」と呼べるものだったはずだ。
現在はYoutubeなどのSNSを通して格ゲー界のプロフェッショナルへ気軽に話しかけられるようになったが決してM.U.G.E.Nの話を振ってはいけない。無視されるか立場上、表面上、便宜上M.U.G.E.Nを否定する発言しかしないだろう。
二次創作の経歴がある人へ「盗作ってどう感じますか?」と質問しても多くは「悪いことだと思う」と返すしか無いはずなのだから。
現在は、Ikemen GOのようなMITライセンスのオープンソースエンジンが登場し、エンジンの権利問題はクリアになった。Steamでは『The Black Heart』のように、この系譜から生まれたインディー格闘ゲームが正規に販売され始めている。
かつてのM.U.G.E.Nが抱えていた著作権侵害の罪は消えない。
しかし、「憧れのキャラを自分の手で動かしたい」というあの熱量と、そこで培われた技術的土壌までを「黒歴史」として封印してしまうのは、あまりに惜しい。
あれは無法地帯だったかもしれないが、同時に、間違いなく数多くのクリエイターを育てた、一つの巨大な「同人界隈」でもあったのだ。
圧倒的映像美と圧巻のアクションシーンと散漫な物語が三位一体となった映画だった。67点。
冒頭に「中国武術は中国大陸がそうなように南派と北派に分かれていて、でもいろいろあって中国は統一したから武術も統一する必要があるよね。だもんで南派と北派の代表が戦って統一継承者を決めることになったんよ」みたいなナレーションが入るので、そういう達人たちが戦って最強を決めるハチャメチャアクションなのかと思ったら、実際には武術大河群像劇だった。
・南派の代表、詠春拳の宗師イップ・マンいや、イップ・パーソンもしくはイップ・ファイター(ポリコレ配慮)の興隆。
の3つの流派の戦いを軸に、それぞれの武術流派がどのように時代をサバイブしてきたかを描く。
まぁ、とにかく映像が圧倒的だったね。確か当時は「LOVERS」とか「英雄-HERO-」とか香港のアート的アクション大作ブームだったと思うんだけどその中でも相当金かけてしっかり作られてる。小道具大道具役者全部にしっかり金かけてその上撮り方もしっかりしてる。1秒も気を抜いたショットがない。雨のシーンも雪のシーンも室内も室外も全部きっちりデザインされている。もろちんそれを以てリアリティがないと批判することもできるとは思うけど、映像作品としての映画として非常に正しく誠実なアプローチだと思った。
これは次のアクションのところにもかかってくるんだけど、香港映画人がなぜか大好きな雨の中のカンフーシークエンスが3回くらい出てくるんだけど「俺は雨の中のカンフーシーンを撮るスペシャリストだ」っていう気概が感じられる、KIAIが入った出来でよかった。まぁ香港アクション特有のなんか急にふわっとするワイヤーアクションは俺はあんま好きじゃないけど。スローモーションの多用も「ここが見せ場なんや!」という強い意志を感じる。まぁ、どんだけやるねんとは思うけどさ。
で、アクションだけど今作が武術大河だなぁと思うくらいにはとにかく気合が入ってる。LOVERSや英雄が「武侠ファンタジー」だったのに比べるとこちらはかなり地に足がついた表現になっている。まぁワイヤーアクション使ってるし、スローも多用してるから全然ファンタジーなんだけども、それでもしっかり武術してるのが印象的。
特にめっちゃ気になったのがすげー足のポジションを映すのね。普通のアクション映画でも吹き飛ばされた後の踏ん張りのシーンとかで足を映すとかはあるけど、構えを変える、出す技を思案する、敵が動く、いろんなシーンで足のポジションを変更しているのを映す。もし向こうの観客がこれ見てニヤリとしてるんだとしたら武術リテラシー高すぎるだろ。
また武術を通じて人を映そうとしているのも印象的で、イップは実直な線の動き、チャンは柔らかい円の動き、チャンの仇は激しくパワフル、八極拳は極めて暴力的とそれぞれの使う人間の人格を使う武術に反映させている。
人体破壊描写も実は少なくて特にイップはいろんな人と戦うんだけど蹴ったり突いたりはするけど大怪我をさせるようなシーンはほとんどなく、逆に特攻出の八極拳の一線天はめちゃくちゃ相手を破壊する。そして八卦掌のチャンも女性らしい柔らかな戦い方をするんだけど仇を取る際に始めて相手の関節を決めて腕をへし折るという破壊行為に出る。どういう戦い方をしてどういう結果を得るかということがその人物の情景描写になっているのは、さすが武術ドラマだなと感じた。
ただ、この圧倒的に気合が入った映像パートに比べるとストーリーパートはどうにも厳しい。
ある程度、史実に基づいた大河設定だからしょうがないんだろうと思うんだけど、それぞれの流派のストーリーの接着が弱い。イップとチャンは南派と北派の戦いの際に戦って心を通じ合わせ、その後、次代の激動にもまれ離れ離れになり最後には再会するんだけど、八極拳の一線天に関しては幕間幕間で「一方その頃」みたいな感じで出てくるだけでイップとは一切絡まない。まぁ実際歴史的にも一方その頃八極拳はこんな感じでやってましたって感じだったんだろうけども。
また、イップは南派と北派の継承争いに向けて南派内での指導戦や実際の継承戦、その後のチャンとの戦いを序盤で消化すると後は時代が変わってめちゃくちゃ困窮して辛くて子供は死ぬわ、香港に渡ったらイギリスに併合されたから本国に帰れなくなるわ散々だよ~って感じで武術的な見せ場が急に減り、北派の内部抗争として北派の宗師をうっかり殺した一番弟子VS宗師の娘のチャンの戦いがメインバトルになっていくがそこにイップは一切関わらない。
この一番弟子ってのが最初からイップにも食って掛かるし、日中戦争がはじまると日本軍に取り入ってリッチになっちゃうしでメインヴィランっぽい感じなんだけどイップとは戦わないんだ、そういう感じなんだっていうのは見てるこっちからするとけっこう肩透かし感があったかな。
気合の入った映像部分に比べるとこっちは「そういう話だったんだからしょうがないじゃん」みたいな、エンタメとして過度に盛り上げようとはしてない感じには見えた。もろちんそれが誠実な態度と言えばそうなんだろうけど、なんかもっと楽しませてくれてもいいじゃん。僕は不満です。
あとは、時代的に途中から日中戦争がはじまってそのせいで裕福だったイップはめっちゃ苦労する展開になるんだけど、過度な抗日展開になってなかったのはよかった。ないとは言わんけど、まぁこれくらいなら実際の時代の流れ的にこう言うこともあったんやろなってレベル。抗日戦争が始まってってなったときに、ここからイップ達が力を合わせて日本兵と戦う展開になったら嫌だなぁと思ったけどそんな展開はなかった。
最後に出てくる幼少期ブルース・リーがめっちゃブルース・リーの子供時代クソガキ感があってよかった。こいつが後のブルース・リーですよみたいには紹介はされないけど見ててわかるようになってるのもニクい。
今は亡き香港大作映画の映像面に関しては一種の到達点の一つだと思うしアクションも非常に良い。もろちん、現在主流の実務的なアクションとは程遠いが、アクションを作品内での登場人物同士の対話として成立させる腕は歴史の長さを感じる。
「アイドル嵐の大野智」じゃなかったら個展も作品集も出せてねーーーからぁ!!!
写真集買う人間の9割(体感)は”アイドル大野智”のファンだからぁ!
大野智は”趣味でアートも作るアイドル”なだけで!芸術家ではないからぁ!
フーッ!フーッ!
これ懐かしい
俺はね、Hytaleは大きなビジネスチャンスを無駄にしているように感じるんだ。これを言うとまた君たちに怒られると思うんだけどさ。
HytaleはMinecraftの代わりになりうる可能性を持つゲームです。君たちのいう怠惰なMicrosoftから客を奪えるゲームなのです。
なのにアートスタイルをかけ離れたものにした。それがわからないんだ。それともなに、意外とみんなってアートスタイルの違いとかあんま気にならないの?
Hytale用の低解像度リソースパックを作っている人もいるよ?だけどそれは有料になるから、流行らないと思います。低解像度ベースのコンテンツを作っても、そのリソースパックを買わないとアートスタイルが浮くってなったら、じゃあコンテンツクリエイターは最初からコンテンツ高解像度ベースで作らざるを得ないよね?構造上の理由です。少し考えれば分かることです。
んで俺が「高解像度」って言葉を使うとお前ら必ず「よく見ろ普通にドット絵だぞ、リアルと呼ぶには低解像度すぎる、お前はリアルを知らないから外に出て自然を見ろよひきこもり」みたいなことを言うんだよな?一回言われたからもういいよ。
「Ryuichi Sakamoto: Diaries」という、坂本龍一さんが亡くなる前の数年間を描いたドキュメンタリー映画を見た。
坂本龍一さんの音楽は聞いたことはあるが、そこまでのファンというわけではない。
ただ、他に見たい映画も無かったし、その音楽の才能と功績が、世界中で認められた人の最期というのはどのようなものなんだろうという興味があったので見た。
坂本さんは日記をつける習慣があり、亡くなるまでの間もノートやiPhoneのメモ帳に、短い言葉を残していったようだ。
予期した通りではあったが、検査でステージ4の癌が発覚した後、ずっと「苦しい闘病生活を送り、わずかに延命することに意味はあるのか?」という問いと「まだ死にたくない」「音楽に没頭する間は死を忘れられる」というような心の変化が描かれている。
既に意識を失い、痩せ衰えたピアニストの指は、まるでピアノを弾いているかのように動き続ける。
これはとても悲しくドラマティックであると同時に、見る側に罪悪感のようなものを想起させる。と思う。
他人の、そして映画を見る人にとっては概ね「推し」の死を観測するというのは、どういったことなのか。意味があるのか。
死の瞬間まで、映画というある種のエンターテイメントに変換されることは、本人にとって幸せなことであるのかどうか。
そしてもう一つ、死が映画になり得る人間というのはほとんど存在しない。彼が特別な人間だからこそ、映画になり得たということ。
YMOや個人の音楽活動、アート活動で積み上げた実績、音楽の大きな才能があったからである。
そんな才能を持つ人でさえ、死に直面した際には「たった一年延命することに意味があるのか?」と問い続ける。
第三者から見れば、天才に一年の時間があれば、音楽が残る。インタビューが残る。その言葉から書籍が残る。それらを待ち望む人が世界中にいる。
しかし、ほとんどの人の最期には、そんな期待はあり得ない。客観的には、何も残さずに死ぬしかない。
そんな凡人にとっての延命とは何か。
自分が同じ場面に遭遇してしまったら、果たして闘病を決心することになるんだろうか。
個人的には、「凡人の死」「何も残さないであろう自分の死」を考えさせられる映画であり、心が冷たくなるような時間だった。
見てよかったかといえば良かった。
強くおすすめはしない。
子供の頃から冬が嫌いで、もはや冬が来るのが怖いくらいに感じていた。
中学あたりから家庭環境が滅茶苦茶になったのもあって、冬になると鬱っぽくなるのが続いていた。今思うと冬季うつ病的なものだったんだと思うけど、食欲増進・体重増加・異様に眠い(保健室で寝てたり眠すぎて学校早退したりしていた)・気分の落ち込みなどなどがあった。とにかく全ての悪いことが冬に訪れているような気がしてしまうのだ。ああまたきっと悪いことが起こるんだ、と謎の思い込みがあり先回りして絶望してしまう。(逆に春先から夏は、これから何をしようかとワクワクが止まらないのでめちゃくちゃ元気である)
社会人になっても冬は相変わらず嫌いで、秋口に冬の気配がし始めると、怖くなってベッドの中で丸まってべそをかいていた。関係ないけど私は恐怖を想像して泣けるタイプだ。小学生の頃スポーツ少年団に入っていて、指導者に言われたことをうまくやれなかった罰として、試合後に1人で運動場50周してこいと言い渡されたその瞬間、しんどさを想像して絶望して号泣してしまい周りが引いていた。感受性が豊かすぎる。
そして今思うけど50周って何?その頃平成中期だが?(脱線がえぐい)
育児をしていると、冬だろうが夏だろうが関係なくやることが膨大にある。子どもは可愛いし予想だにしないことをやるのが面白いし、時々イラつくこともあるけどそれが季節によって変わるってこともない。それもあってか気づけば最近冬の到来に怯えていないな、と今日子どもを寝かしつけながらはたと気づいたのでこのエントリを書いてみた。
もうすぐ息子が2歳になる。
2年前の出産前後を思い出して、あっという間だったなあとしみじみする。あのときも初めての出産のホルモンの暴走や睡眠不足と冬が被って、本当に辛かった。子供が生まれて毎日幸せと感じているのになにか訳のわからない不安感に襲われたり、思考が止まらなくてずっと焦っていたりした。そしてそれをコントロールできないというもどかしさを抱えて毎日育児に奮闘していた。先の見えない不安から早く大きくなってくれと毎日思った。一方でこんなに幸せならなんでもっと早く産まなかったんだろうと後悔して涙を流したりもした。毎日頭の中は抱えるタスクとそれをどのようにこなすかで忙しなかった。
3月終わりのある日に夜、たまたま外に出て郵便受けを見に行ったとき、春の夜風を感じて自然と涙が出た。あぁ生き延びた、と思った。冗談じゃなく、生き延びたんだと思う。産後うつといった診断はもらわなかったから大袈裟なのかもしれないが、そう感じた。
最近、息子は舌っ足らずな声で「ママだーいすき!」というようになった。1歳から2歳への成長は、私にとっては0歳から1歳のそれに比べて大きいものだった。なんてったって明確に意思の疎通ができる!2年前に私が早急な成長を願った未知の生き物は、あっという間にしっかり人間の形になった。手先が器用になったし、生まれた時よりずっと大きくなった足で走り回り、こちらが笑わせようとふざけてやることのツボも理解できるようになったのか本当によく笑う。(もちろん床に転がって泣いたりもする)
去年は1歳の誕生日で準備に張り切って忙しかった。一升餅をやったりスタジオに写真を撮りに行ったりファーストアートを作ったりと、やりたいことをてんこ盛りにした。盛り込みすぎて夫が夕方に疲れて気絶していた。
今年は特別なことは多分しないけど、お誕生日プレゼントを何にするかで秋口から夫と夜ソワソワ会議をする日々を送った。数字の2のバルーンは一応100均で買ってきて用意済みだ。朝起きたらバースデーソングを歌って写真を撮ってプレゼントを買いに行って、それからたくさんおめでとうと言おうと思う。
そして冬が怖いという感覚、皆さんもありませんか?
本ドキュメントは、外部の観察者による戦略的視点からの提言案であり、事実認定や人物評価ではなく、「もしこういう前提なら、このような戦略もあり得る」という仮説的な提案です。
2. 大規模言語モデルや生成 AI 技術は、急速にコモディティ化しつつある。
- 単価の下落
- 競合の増加
- API / SDK / オーケストレーション
などを含めた **ソリューション/プラットフォーム** を提供し得る立場にある。
自前で大規模データセンターを保有・拡張する戦略には、以下のリスクが存在する:
- 認定 DC は「OpenAI 対応インフラ」として市場にアピールできる
3. **DC 側は CAPEX・OPEX・運用リスクを負担**
- OpenAI:
- ライセンス料
- 利用料のレベニューシェア
このモデルは、コンビニエンスストアやクラウド基盤ソフトウェア(例:VMware、ARM ライセンスモデル)に類似した **フランチャイズ/プラットフォーム戦略** に近い。
など「差別化要因」に集中投下できる。
を分散できる。
- 未到来のブレイクスルーを前提にした大規模 CAPEX は、
- 価格低下
2. **既存技術+既存インフラをフル活用することで「時間を買う」**
- 既存 DC を活用することで、市場展開までのリードタイムを最短化できる。
を作れる。
3. **「今ある技術でどこまで世界を押さえられるか」を優先的に考える**
- 未来の理想状態より、現在の配備速度・採用件数・開発者エコシステムの拡大を KPI に置く。
1. **ビジョンと所有欲の分離**
- インフラ所有
- 資産規模
を混同しない。
- 自社が全てを所有するモデルではなく、
- 世界中のプレイヤーに役割を与えるプラットフォーム構造の方が実現しやすい。
- DC 事業者・クラウドベンダー・エンタープライズ企業が、
- 「OpenAI と組む方が得だ」と明確に感じる収益構造・責任分担を設計する。
- 握るべきは、
- 安全性と信頼
- ブランドと標準
- 手放してよい(外部に任せる)ものは、
- 建物
- ラック
- 電力インフラ
- 日々の運用
- CAPEX 回収の難しさ
を考えると、必ずしも最適とは限らない。
- OpenAI が「AI プラットフォーム」「AI フランチャイズの本部」として振る舞い、
- スピード
- 支配力
のすべてにおいて合理性が高い。
- 戦略構造と資本効率、時間軸の観点からの一つの選択肢として提示するものである。
以上。
いまさらガンバの冒険を観る。きっかけとしては岡田斗司夫さんが傑作と言っていたからである。
1970年代のアニメを観たことはほとんどない。画風や演出でリタイアしないか少し心配だ。
おしゃれやな~!
なにが洒落てるって、シンプルなキャラデザに対する油彩画のような背景の対比がである。
ほかにも、ノロイにショックをうけるネズミたちの表現が最高だ。
なんか毎カット見ごたえがあって、アートっぽさを感じる。これは私がこの年代のアニメを見慣れていないからかもしれないが。
キャラづけは単純だが、わかりやすくてとっつきやすさがある。これもプラス。
では、第2話「ガンバ、船で大暴れ」でまた会おう。
マジレスすると、家族3〜4人に対して船員70人くらいのスーパーヨットで世界のそこかしこを旅したり
(日本はこれが停泊できる場所が少なかったのでコロナ前、TOKYO 2020に向けて慌てて整備していた)
美術館やら博物館、有名ブランド店舗を夜とか休館日とかに貸し切ってパーティーを開いたり、
世界的に有名なアーティスト達に自分の家に飾るとてつもなく巨大だったり、材料も含めたコストをかけまくった贅沢なアート作品を作らせたりといった趣味の比較的良い人もいれば
オイルタンカーなどの巨大な船を並べて、その上でゴルフを楽しんだりみたいな、ちょっとおバカな遊びに走る人もいれば
お金のために何でもする人達を買って色々なことをやらせてそれを楽しむような悪趣味な人も、
アラスカかニュージーランドか、終末戦争の後、より安全なのはどちらかの検討をして、
そこに作った核シェルターで、今と変わらない生活ができるように核シェルター整備を趣味にしている人とかもいて
結局は人それぞれ
これさ
愚かな人間の都合など完全無視、LLMのための高効率プログラミング言語「Sui」(粋)
https://forest.watch.impress.co.jp/docs/serial/yajiuma/2069573.html
別にいいんだけど、どうにもブクマカ含めて、しっくり来る批判できてないんだよな
それが気になってしょうがない
俺ごときが言ってもアレだから、Gemini3.0先生に頼んだよ(一時チャット、Pro 3.0 思考モード)
ユーザーが提供した情報と、一般的なLLMの技術特性に基づき、プログラミング言語「Sui」についての冷静かつ客観的な評価をまとめます。
感想: 一言で言えば、**「思想実験としては極めて面白いが、実用性とLLMの学習原理を無視した『早すぎた最適化』」**です。
作者の「人間ではなくLLMを主客にする」という視点の転換は、アーティスト的・哲学的な問題提起としては鋭いですが、現在のLLM(Transformerアーキテクチャ)の動作原理を工学的に捉えると、メリットよりもデメリットが上回る可能性が高いです。
メリット:
・トークン効率の改善: Python等と比較して記述が圧倒的に短くなるため、出力速度の向上と課金コストの削減(トークン節約)は確実に達成できます。
・構文エラーの激減: 括弧やインデントの複雑なルールを排除しているため、「閉じ忘れ」などの単純なSyntax Errorは減るでしょう。
・コンテキストウィンドウの節約: 長いプログラムでもコンテキスト(メモリ)を圧迫しにくくなります。
・学習データとの不一致: LLMは「大量の人間用コード(Pythonなど)」を学習して賢くなっています。未知の言語「Sui」を書かせるには、Few-shot(プロンプトでの例示)に頼るしかありませんが、これではLLM本来の推論能力やコーディング能力(事前学習の重み)を活かせません。
・ブラックボックス化: 生成されたコードがバグっていた場合、人間が読んで直すことが不可能です。「LLMに直させる」にしても、LLM自身がSuiのロジックを深く理解していないため、無限ループ(幻覚の連鎖)に陥るリスクが高いです。
・CoT(Chain of Thought)の阻害: 最近の研究では、LLMは「冗長な思考過程」を出力することで論理的整合性を保つことがわかっています。極限まで圧縮された記号列は、LLMの「考える余地」を奪い、論理破綻を招く可能性があります。
正しいと思う所(Agree)
理由: 人間にとっての「読みやすさ(可読性)」は、機械にとって単なるトークンの無駄遣いです。if x > 10: よりも ? x 10 の方が情報密度が高いのは事実です。
理由: TransformerのAttentionメカニズムにとって、遠く離れた ( と ) の対応関係を維持するのは計算コストが高く、ミスの原因になりやすいです。ネストを排除する方向性は機械的処理として正しいです。
正しくないと思う所(Disagree)
・「可読性を排除しても良い」:
理由: ソフトウェア開発においてコーディングは「書く」時間より「読む・直す」時間の方が長いです。AI生成コードであっても、最終責任は人間が負う現状では、人間が検証不可能なコードは「危険なバイナリ」と同義であり、プロダクトには採用できません。
理由: 前述の通り、現在のLLMは「人間語の確率分布」を学習したモデルです。「LLMにとって自然な言語」とは、実は「人間にとって自然な言語(英語やPython)」そのものです。Suiは「計算機にとっては最適」ですが、「現在のLLMにとっては異言語」です。
パース(解析)は容易になりますが、LLMは「前の行の文脈」を読んで次の行を出力するため、行を独立させすぎると文脈の連続性が失われ、複雑なアルゴリズムの構成力が落ちる可能性があります。
LLMが最も苦手とする「深いネスト構造の維持」を回避する策として有効です。アセンブリ言語に近いフラットな構造は生成難易度を下げます。
これが最大の問題点です。LLMは変数名(user_id, total_price など)に含まれる「意味」を使って推論を行っています(Semantic Grounding)。すべてを記号化すると、LLMは変数の役割を見失い、論理的なバグを埋め込みやすくなります。
トークン効率は最強ですが、1文字の違いで意味が激変するため、LLMの確率的な「ゆらぎ」による1文字ミスが致命的なバグになります。冗長さはエラー訂正の役割も果たしています。
goto 文の多用はスパゲッティコードを生みます。LLMにとっても、構造化プログラミング(if/forブロック)の方が、「ここからここまでがループ」というチャンク(塊)として認識しやすいため、一概にジャンプ命令が良いとは言えません。
>現在のLLMは「人間語の確率分布」を学習したモデルです。「LLMにとって自然な言語」とは、実は「人間にとって自然な言語(英語やPython)」そのものです。
ここ!マジで覚えてね
LLMはこれまでの機械よりも人間に近いと思ってほしい、人が苦手なことはAIも苦手
機械は論理的でロジックに強くて〜っていうのはAIには通用しない
ついでに、「LLM用プログラミング言語」の潮流について
「LLMのための言語」という文脈は、大きく2つのトレンドに分かれます。Suiは後者に属しますが、主流は前者です。
・DSPy, Guidance, Microsoft Guidance:
・プロンプトエンジニアリングを構造化し、LLMの出力を型(JSONなど)に強制したり、思考プロセスを制御するためのフレームワーク。
・SGLang:
・これらは「人間がLLMを操るための言語」であり、実用化が進んでいます。
・Gorilla LLMなどの試み: API呼び出しに特化したファインチューニングなどがありますが、独自の「新言語」を作らせるよりも、既存の Python や JSON を正しく出力させる方向(Constrained Decoding)が業界の標準解です。
・擬似コード: 論文レベルでは、Pythonの代わりに中間的な擬似コードを出力させ、それをコンパイラで処理する手法も研究されていますが、Suiほど極端な記号化は稀です。
後者については
現状の最適解: 現在のLLMを使う限り、「LLM用言語」の最適解は Python です。なぜなら、世界中のGitHubのコードを学習しており、LLMが「最も流暢に話せる言葉」だからです。無理にSuiを話させるのは、日本人にエスペラント語で詩を書かせるようなもので、パフォーマンスは落ちます。
総評: Suiは、「既存のLLM(GPT-4など)に書かせる言語」としては失敗する可能性が高いですが、「未来のAIネイティブなコード生成のあり方」を示唆するアート作品としては高く評価できます。作者の「愚かな人間に合わせるな」というパンクな精神は、エンジニアリングの枠を超えた鋭い批評性を持っています。
お前らは安易にオレオレ言語作るんじゃないぞ、作るにしてもAIに聞きなよ?
聞く時は忖度させるんじゃないぞ?
この作者もAIに乗せられたのかもしれんし
______
プロンプト
以下が「LLM用プログラミング言語」としてメリットがありそうか、感想を教えて下さい。
https://forest.watch.impress.co.jp/docs/serial/yajiuma/2069573.html
https://github.com/TakatoHonda/sui-lang
・思想的に正しいと思う所、正しくないと思う所を理由込みでまとめてください
・最近のLLM用プログラミング言語についてもまとめてください
・そもそもLLM用プログラミング言語という目標自体の評価をしてください
(省略)