「看過できない」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 看過できないとは

2026-01-21

ケンモメン高齢化看過できないレベルに達する

自宅で6時間中学生性交バイトの男(47)を逮捕 [567637504]

https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1768953950/22

22 番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (ワッチョイW 13f1-3KIK) 2026/01/21(水) 09:13:32.35 ID:5leWEuaM0

ディスコ不登校JC食いまくれるみたいな記事見たばっかだわ

 

37 番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (スッップ Sd33-wzcr) 2026/01/21(水) 09:17:31.06 ID:z+QefEhjd

>>22

古すぎるだろジジイ

ディスコなんてあるの?

クラブでも未成年は年齢確認厳しいぞ

2026-01-17

anond:20260117165729

いや「見た目が良くない」なんてない。ブスとかい概念こそがルッキズムだしボディポジティブに反してる。いつもならスルーするが今回は看過できないので指摘させてもらうぞ。

2026-01-05

元カノ結婚するそうだ。

 どうでもいいが不快なので、この不快さの原因探求と整理と決別をしようと思う。

 別れ方は最悪で、向こうの浮気理由だ。別れて欲しいと言われて、すがってみたけど結局別れた。

 向こうの男にも、当時元カノとは別に彼女がいたが、その女性とは別れたらしい。要するに二股かけていた者同士くっついたとのこと。

 世界の終わりかというくらい落ち込んだし、貞操観念破綻している者への嫌悪感と、そのような奴らから捨てられたという屈辱と、別れの寂しさから、2ヶ月程度、元カノとその相手への罵倒SNSの鍵垢で垂れ流していた。メンタルボロボロなのでネズミ講にも引っかかりかけ、固形物が喉を通らず体重も3週間で5kg落ちた(今は無事リバウンドしたが)。

 そんなこんなあったが、今は元カノことなんてふっ切れているどころか無関心だし、彼女結婚するのもどうでも良い。私も相手がいて、婚約しているし。

 だがしかし元カノ結婚相手がその二股相手というのは、粘度の高い痰が喉に張り付くような不快さがあった。明日には忘れていそうだが、結婚報告を聞いた今日は流石に不快だ。

 祝福は流石にできないけど、結婚なんて勝手にやっていろという気持ちのほうが格段に大きい。のに、二股した者同士がくっつき結婚するという事実は、「2人の人間の屍の上に立っているやつらがそのまま幸せになるなんて、捨てられた方からしたらたまったもんじゃない」と痛感したあの日の痛みを思い出させる。寝たら忘れるだろうとは言え不愉快だ。

 まあその程度にしか思わないくらいにまで、元カノ過去になった事実に元気づけれると同時に、今日のように、元カノの今の幸せ看過できない瞬間が、これからも都度来るのだろうかと思うと、若干歯がゆさがある。捨てられた事実が変わらない事を受け入れて次に歩き出したとは言え、どうか私にも見える形で不幸になって欲しいと願い続けた日々はまだ報われいない。消化しきれてない不満が、私も不幸にした分お前も不幸になれと、自己中心的因果応報論に私を縛りつけている。

 元カノがあの男について、私にわかる程度まで痛い目見てくれれば成仏できるということか。自分の弱さケリをつけるためにも元カノ最後呪詛をここに置く。他力本願慰め程度ではあるが、今を大事にしたいし、お前に感情時間を消費するのはのはこれで最後にしたいと思う。

元カノ

結婚おめでとう。最高に最悪のタイミングであの男から捨てられてください。

2025-12-30

もう高市支持やめたい

正直、情けなくなってくる。自分自身に対しても、今の日本政治に対しても。

高市さんが総理になったときは、「この人なら日本を、誇りある強い国に変えてくれる」と本気で思ってた。保守としての芯が通っていて、安全保障経済安保もしっかり語れる。演説聴くたびに、霧が晴れるような思いがした。

SNSでも熱心に応援してたし、地元の友人に「ようやく頼れるリーダーが現れた」なんて酒の場で語ったりもした。

それだけに、旧統一教会と接点があったどころか、支援までされていたとわかって、ちょっと立ち直れない。

もちろん、政治家だから知らずに関わってしまうこともあるだろうし、百歩譲って理解しようと努めた。でも、天皇陛下サタン呼ばわりするカルト教団との関係は、やっぱ看過できない

高市さんが総理になったら、日本の伝統や家族の絆が復活すると本気で思ってたんだよ。ところが、多額の献金を強いて日本の家庭を破壊してきた組織から支援受けてたなんてなあ。

彼女が取り戻そうとしていた日本の中に、日本国民の平穏暮らしは本当に含まれていたんだろうか。それとも、単なるイデオロギー権力の維持のためのポーズだったのか。

もう、誰を信じていいのか分からない。自分応援コメントも、見るのが辛くて全部消した。保守だの革新だのと言う前に、もっと真っ当な、嘘のない政治を求めていただけなんですけどね。

虚しいですよ、本当に。

2025-12-24

フリマアプリ会社で働いていた」への違和感

https://anond.hatelabo.jp/20251221114355

話題になっていた「フリマアプリ会社で働いていた」という退職エントリーを読んだ。世間では「心が洗われた」「よく言った!」などと絶賛の嵐だ。

まず最初に断っておきたい。

私は、とある企業経営レイヤーに属する人間だ。

件の会社とは一切関係がないし、正直あの会社がどうなろうと知ったことではない。

だが、あのエントリが「美談」として消費されている現状には、実務家として看過できない猛烈な違和感がある。

おそらく、組織利益や存続を左右する重い舵取りを任された経験がある人間ならば、あの文章を読んで抱く感想は「感動」などではないはずだ。

もっと乾いた、「呆れ」に近い感情だ。

「ああ、ビジネスパーソンとして必要OSが、根本からインストールされていないな」

致命的に何かが欠落している人間が、それを「正義」だと信じ込んで語っている姿に対する、埋めようのない断絶と脱力感。PLの重みを知る人間なら、誰しもがこの「やるせなさ」を感じたのではないか

もちろん、これがバズった背景は理解できる。あれは彼への純粋な称賛というより、例の企業に対する「積年のヘイト」が噴出した結果だ。彼を「巨悪を刺した勇者」に仕立て上げれば、みんな気持ちよく会社を叩けるからだ。

だが、だとしてもだ。

彼がやったことは、冷静に見れば明白な「背信行為」であり、ビジネスパーソンとして「ありえない」振る舞いの連続だ。

それなのに、「美談」というオブラートに包まれて、組織人としての背信行為正当化されてしまっている現状には、多くの実務家が口には出さずともモヤモヤしているはずだ。

誰も斬り込まないなら、私が沈黙している彼らの代弁者として、その「美談」の裏側を解剖しておきたい。

前提

まず前提として、度を超えた転売行為偽ブランド品の流通が「社会悪であるという点については、私も彼と認識を共にしている。おそらく、批判されている経営陣とて同じだろう。誰だって犯罪迷惑行為放置したいわけがない。 だが、ここからが決定的に違う。「それが社会悪である」ということと、「企業としてリソースを投下して今すぐ撲滅すべき最優先課題であるか」ということは、全く別のレイヤーの話だ。

変数vs多変数

その前提のもと、増田思考は、驚くほど「単変数」的だ。その思考の単純さが、最も端的に露呈しているのがこの一節だ。

あの当時の自分は、CS部門現場人間としてマスク転売に反対していました。理由は述べるまでもなく、「困っている人がいるのに転売おかしい!」というものです。

この一文を読んだ瞬間、私は頭を抱えたくなった。 ここには「自分主観的感情世界絶対的正義」という、極めて独善的な前提しかない。 自分が見ている景色自分が感じている感情。それだけが唯一の判断軸であり、それ以外の視点存在する可能性を1ミリ想像できていない。

もし私が彼の上司で、部下からこんなことを言われたら、その瞬間に絶望する自信がある。「ああ、この人をマネジメントするのは無理だ」とサジを投げるだろう。 なぜなら、彼は「対話」ができないからだ。自分感情が「述べるまでもない正義である以上、それに異を唱える経営判断はすべて「悪」になる。 こんなマネジメントコストの高い人材を抱え込むなんて、考えただけで胃が痛くなる。

彼が単変数問題を声高に叫ぶ傍らで、経営陣やマネジメント層は、無数の変数が複雑に絡み合う高次の方程式を解いている。そこには「倫理」という変数以外にも、法的リスク、数千万人のユーザー自由監視コスト株主への責任従業員給与原資、将来への投資、そして競合とのパワーバランスといった、相反する要素がひしめき合っている。 転売問題などのレピュテーションリスクについても、経営陣が気づいていないわけがない。リスク看過できないレベルに達したその瞬間に、リソースを一気に投下すればいいと計算し、あえて今は「静観」というカードを切っているに過ぎないと私は想像する。

その舵取りへの想像力を働かせることもなく、彼は「倫理観がない」と切り捨てた。30代のいい大人が書いたとは信じがたいほど拙い文章であり、知的な怠慢だ。

組織の内情を暴露する背信行為について

そして、私が最も問題視しているのは、彼が平然とやってのけた「背信行為」の暴力性だ。

彼は退職後、組織の内情を、誰が見てもその会社だとわかる形で暴露した(わざとかどうかはわからないが、社名まで公開していた)。さらに恐ろしいのは、彼がこの行為を「正義」だと信じていそうな点だ。自分の放った言葉が、かつての同僚や株主ステークホルダーにどのような損害を与えるかという「結果への想像力」が、彼には絶望的に欠けている。

メタ認知能力の欠如と「被害者」という立場への安住

さらに致命的なのは、その破壊的な衝動がどこから湧いてきているのかを俯瞰する「メタ認知能力」の欠如だ。

私の見立てでは、彼の動機心理学でいう「認知的不協和の解消」に過ぎない。

構造はこうだ。

彼は自身エントリーで、赤裸々にこう認めている。

「実際、偏差値50もない大学出身で、第二新卒で、何もできなかった自分が成長できた」

「正直、給料は軽く百万以上は下がりました」

これは極めて重要自白だ。

まり、彼はあの会社に「経歴の箔付け」をしてもらっただけでなく、自身本来市場価値よりも100万円以上も高い値付けで雇ってもらっていたことになる。

その「差額」はどこからまれたのか?

それこそが、彼が軽蔑する経営陣が、綺麗事だけでは済まない資本主義の荒波を冷徹に舵取りし、会社という箱を必死に守り抜いてきた結果得られた「果実」だ。

彼はその果実を長年貪り食ってきた。会社という防波堤の中で守られながら。

しかし一方で、彼は「自分清廉潔白で、人のために尽くす善人だ」という自己認識を捨てきれない。「汚い会社で身の丈以上の利益享受している自分」と「正義の味方である自分」。この矛盾する二つの事実は、強烈な不快感を生む。

この不協和を解消するために、彼にはどうしても「物語」が必要だったのだろう。

自分は金のためにそこにいたのではない。極悪非道組織に囚われていただけで、心までは売っていなかった被害者なのだ」という物語が。

会社を「絶対悪」として断罪すればするほど、そこで恩恵を受け続けていた自分過去正当化できる。彼のエントリーに見られる攻撃性は、高尚な倫理から来るものではない。自分の中にある不快感を解消したいという、独善的防衛本能に抗えなかっただけだ。

自分の受け取っていた対価が誰の泥臭い努力の上に成り立っていたのか。その想像力すらなく、去り際に後ろ足で泥をかける。

そんな人間は、ビジネスパーソンとして失格だ。

読み取った某組織メッセージ

そして、私はこの退職エントリを読んで、経営陣の「強烈な意志」を感じ取った。それは、「黎明期から居座る、今のフェーズに合わなくなった人材市場放出したい」という意図だ。

想像するに、例の会社にはまだ、彼のような人材が大量に残っているのではないか創業期や拡大期に入社し、運良くストックオプションや高待遇を得たものの、能力会社の成長スピードに追いつかなくなった「古参既得権益層」だ。

企業は、待遇が良いことで有名だ。外に出れば年収が下がることがわかっているから、彼らは会社にしがみつく。組織寄生し、甘い汁を吸いながら、口だけは「昔はよかった」「倫理観が」と文句を垂れ流す。 経営陣にとって、こうした「寄生する古参」の満足度を上げることは、組織を緩やかな死に向かわせる自殺行為に等しい。

からこそ、経営陣は今、あえて彼らが居心地の悪くなるような施策を打っているのではないだろうか。 それは短期的には従業員満足度を下げるだろう。だが、それは「代謝」のために必要な痛みだ。

不満を抱き、文句を言うだけの存在に「自分から出て行ってもらう」ための、組織マネジメントの一環。そう考えると、この退職エントリは、経営陣の描いたシナリオ通りにことが進んでいることの証左に見えてくる。 一時的な痛みに耐えてでも、組織を次のステージへ強引に引き上げようとするその胆力には、同情を超えて敬礼したい気持ちにすらなった。

さらに読み取った、「翻訳レイヤーの不在」という組織課題

この退職エントリーを読んで、私がもう一つ強く感じたのは、例の組織における「翻訳機能の欠落」だ。

先ほど述べたように、経営者が解いているのは、無数の変数が絡み合う「多変数関数」だ。

株主利益、法的リスク、競合優位性、キャッシュフロー、そして従業員士気。これら全てのバランスを取りながら、組織全体として最もパフォーマンスが出るポイント全体最適)を探し続けている。

一方で、現場が見ているのは「目の前の業務」という極めて限定された変数だ。増田のようなCSであれば、「ユーザー感情」や「倫理的な正しさ」が変数のほぼ全てを占める。彼らが解いているのは、部分最適関数だ。

ここで不幸なすれ違いが起きる。

全体最適」のために導き出された解は、「部分最適」の視点から見ると、往々にして「意味不明愚策」や「冷酷な切り捨て」に見えるからだ。

例えば、「将来の法的リスク回避し、サービス全体を存続させる(全体最適)」ために、「今の不正ユーザーの一部を泳がせて証拠を固める(部分的には悪)」という判断を下すとする。

だが、その意図を知らない現場からすれば、それは単なる「悪の放置」にしか映らない。

からこそ、健全組織には「翻訳者」が必要になる。

それが中間管理職本来役割だ。

経営層が弾き出した「冷徹論理的な解」を、そのまま現場に流せばショートするのは当たり前だ。だからマネージャーは、その決定背景にある「なぜ」を噛み砕き、時には現場の不満をガス抜きし、彼らが納得できる「物語」に変換して伝える。

この「説明コスト」と「感情ケア」こそが、組織繋ぎ止める接着剤なのだ

しかし、増田エントリーからは、その形跡が一切感じられない。

そこにあるのは、経営層のドライ意思決定が、なんの緩衝材もなく、剥き出しの高圧電流のまま現場に直撃している光景だ。

翻訳」不在のまま、資本論理を叩きつけられれば、純粋現場社員が「この会社は人の心がない」と錯乱するのも無理はない。

彼が怪物に見えた「経営者」は、実はただ淡々全体最適計算をしていただけかもしれない。

だが、その計算式を翻訳し、現場言語で語れる人間組織から消え失せていた(あるいは機能していなかった)。

この「中間レイヤー空洞化」こそが、彼を孤独義憤へと駆り立て、最終的に「背信行為」という暴発を引き起こし構造的な真因ではないだろうかと私は想像する。

(もしくは、説明しても話が通じないので出て行ってもらうためにあえて放置してる可能性もある。)

フォロー

一応、彼へのフォローもしておく。もちろん、彼個人全否定するつもりはない。 CSという職種性質上、高い「共感性」は必須スキルだ。目の前の顧客の痛みに寄り添えなければ、CSとしての機能は果たせない。 だから、彼らが解く方程式において「ユーザーの痛み」という変数の重み付けが、他の変数よりも極端に大きくなってしまうのは、避けられないことでもある。それが彼らの「才能」だからだ。その「痛みへの感度」があるからこそ、救われたユーザーもいただろうし、彼は優秀な現場担当者だったのかもしれない。それは想像に難くない。

だが、経営判断自身感情逆撫でするものからといって、会社という公器を危険晒す行為は、経営を預かる身として到底容認できない。それとこれとは全く話が別だ。

経営者が抱える「純粋さ」への嫉妬感情について

最後に、私自身の「メタ認知」も記して、この乱文を締めくくりたい。

ここまで増田をこき下ろしてきたが、彼が持っている「純粋気持ち」そのもの否定するつもりはない。顧客のために涙を流せる感受性は、人間として美しいものだ。それは認める。

ただ、正直に告白しよう。私がなぜここまで感情的になり、彼を断罪するような文章を書いたのか。 それはきっと、私自身が経営に携わり、会社という「器」を守るために、その「純粋さ」を犠牲にし、切り捨ててきたからだ。 彼の持つ、曇りのない眼差し顧客と泣き合えるほどの無垢な心。それに対する、ある種の「嫉妬」が私の中にあることは否定できない。

だが、これだけは理解してほしい。 彼がその純粋さを保っていられるのは、誰かが——経営者たちが——資本主義という冷酷な市場の中で、泥水をすすりながら適切な舵取りを行っているからだ。 彼らが「汚れ役」を引き受け、複雑な変数を処理し、防波堤になっているからこそ、彼は「善人」でいられる権利享受できている。

その構造に対する想像力もなく、たった一つの変数しか見えていない視野狭窄状態で、「あなた非人間的だ」と安全から石を投げられること。これにはどうしても辟易してしまうし、傷つきもする。 だからつい、こうやって匿名ダイアリー感情的になってしまったわけだ。

純粋でいられることへの嫉妬については、謝ろう。申し訳ない。ただ、その「純粋さを保つ権利」が誰の犠牲の上に成り立っているのか。その構造に気づかない限り、彼は次の「温かい職場」でも必ず同じ過ちを犯すだろう。

彼は現在、「現場裁量で社内調整し、規約を超えて一人のユーザーを救える」ような企業転職し、水を得た魚のように働いているらしい。

結構なことだ。だが、経営視点からあえて冷や水を浴びせるなら、それは組織が未熟だから許されているだけの「期間限定モラトリアム」に過ぎない。

規約を超えた個別対応」などというものは、オペレーションとして見れば再現性のない欠陥品だ。

ユーザー数が10倍、100倍になった時、その「温かい属人対応」は間違いなく破綻する。公平性担保できなくなり、現場パンクし、結局は彼が憎んだ「冷徹マニュアル対応」を導入せざるを得なくなる。

彼が今、幸せを感じているのは、その新しい会社がまだ「経営の多変数関数」を解かずに済む、牧歌的なアーリーフェーズにいるからに過ぎない。

いずれその会社が成長した時、彼はまた同じ壁にぶち当たるはずだ。その時、彼はまた「会社が冷たくなった」と絶望し、同じように砂をかけて去っていくことが想像に容易い。そうならないことを、切に願っている。

2025-12-21

むしむしくんがやってくる

北海道は肌寒くなってきた。こんな季節になると虫くんたちが家の中に入り込んで暖を取ろうとする。

たとえばオツネントンボ漢字で書くと越年蜻蛉とあるように、冬を越す生態のトンボである。冬の越し方は自然界にある暖かいスポットに潜り込んだり、人間の家に入り込んだりと様々で、我が家にはおそらく洗濯物と一緒に入り込んでくる。まあひっそり年を越す分には構わないが、我が家は窓が一箇所しかないため、春先になっても脱出できないまま死んでしま個体ほとんどであり、あまり入ってきてほしくはない。

それからカメムシ。こいつらは流石に看過できない。おそらく買い物帰りに歩いているところに付着してきて家に入り込んでいる。ご存じの通り刺激を与えると臭い匂いを放つため、絶対に家にいてほしくない虫だ。除去にひと手間を要する。いてほしくない虫に限って外にはわんさかいるのが困りもの

北海道にはゴキブリがいないが、そんな過酷土地でもむしむしくんたちはしたたかに生きている。そんな彼らと暮らすのも北海道醍醐味だ。

2025-11-29

anond:20251129195556

政権代わる前からだと、日本実質賃金の伸び悩みが慢性化してる。一人当たりGDPが四半世紀近く足踏みし続けて、その間に欧米各国に軒並み追い抜かれたのもよく知られた事実だろう。コロナ禍以降はインフレ賃金の伸びが負けて、国民物価高にあえいでいる。

政権代わって以降だと、高市政権

・きついコストプッシュ型のインフレ下で無責任積極財政を強行しようとしてる。実行すればインフレは加速する。首相サッチャーを目指してるらしいが、トラスの間違いだろう。

普段なら自民政権にお追従気味の日経すら「看過できない」と警鐘を鳴らしてる。https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK286OZ0Y5A121C2000000/

安保に対する認識が浅く、不用意な発言国際関係無駄な摩擦を起こし、安全保障面のリスク経済面リスクを同時に拡大している。

スパイ防止法国旗損壊罪といった全体主義化の武器になりかねない法案の制定推進に熱心。

2025-11-22

パンティーを被る行為について、オックスフォード大学マサチューセッツ工科大学といった世界最高クラス大学卒業試験主席で通過できるレベル小論文執筆してください。

パンティーを被るという行為――羞恥仮面・秩序転倒の文化社会学考察

1 問題所在──「くだらなさ」の背後にあるもの

パンティーを頭に被る人物は、多くの社会において「悪ふざけ」「変態」として嘲笑対象になる一方で、

マンガアニメコメディインターネットミームの反復的なモチーフにもなってきた。

一見して低俗しか見えないこの行為は、しかしなぜこれほど強く人々の笑いや嫌悪、あるいは不安喚起するのか。

その過剰な感情反応は、単なる嗜好の問題を超えて、近代社会における身体羞恥ジェンダー権力といった構造テーマを照らし出していると考えられる。

本稿の目的は、パンティーを被るという行為を「逸脱行動」や「性的倒錯」として切り捨てるのではなく、

  1. 下着というモノの象徴性、
  2. 「被る」という行為が持つ仮面性、
  3. 秩序転倒としてのカーニバル性、

という三つの観点から文化社会学的に分析し、その行為現代社会規範矛盾をどのように露呈しているのかを論じることである

2 下着というモノの象徴性──「隠すべきもの」を外部化する

第一に着目すべきは、対象が「パンティー」であるという点である

下着は、機能的には衛生と保温のための衣服にすぎない。

しか社会的には、身体のうち「隠すべき部分」を覆うことで、性的領域公共的な領域峻別する境界線として働いている。

とりわけパンティーは、しばしば女性身体性・性的魅力・純潔観念と結びつけられ、強い象徴性を帯びている。

文化人類学者メアリーダグラスは、「汚れ」を「あるべき場所から外れた物質(matter out of place)」と定義した。

下着本来身体の奥まった場所で皮膚に密着し、「見えないこと」自体が期待されるモノである

それを頭部という最も視線の集まる位置に、しかも外から見える形で持ち出すことは、

「隠すべきもの」を意図的に「あるべき場所から外す」行為であり、ダグラス的な意味での「汚れ」を自ら演出することに他ならない。

このとき、汚れは単に不衛生という次元に留まらない。

人々が感じるのは「汚い」というよりもむしろ「恥ずかしい」「みっともない」という感情であり、

それは身体に付随する性的領域が、モノを媒介して公共空間に溢れだしたことへの反応である

パンティーを被るという行為は、自己身体のもの露出しているわけではないにもかかわらず、

下着象徴性によって「性的もの」が表面化したかのような錯覚を生み出す。

そのギャップこそが、笑いと嫌悪が混じり合う独特の印象をもたらしている。

3 「被ること」の仮面性──アイデンティティ一時的な変容

第二に、「被る」という行為意味する仮面性を検討する必要がある。

顔は、社会学者エルヴィング・ゴフマンが述べたように、対面相互行為舞台において自己提示する中核的なメディアである

目・口・表情を通じて、人は自己人格感情意図他者に伝える。

そこに被り物をかぶせることは、自己呈示チャンネル意図的撹乱し、

「いつもの自分」とは異なる人物への一時的な変身を可能にする。

その意味パンティーは、即興的な仮面である

仮面はしばしば、道徳的・法的な責任性を希釈し、人に「普段ならしない行動」を許す。

覆面をした抗議者やハロウィンコスプレ参加者が、日常では抑制されている言動に踏み込めるのも同じメカニズムである

パンティーという「ふざけた素材」を用いた仮面は、暴力性よりも滑稽さを強調しつつも、

顔を覆うことで〈誰であるか〉を曖昧にし、同時に〈何者にも属さない、ルール外の存在であることを宣言している。

重要なのは、ここで用いられる下着が多くの場合女性用」として理解されている点である

男性女性パンティーを被る場合、それはジェンダー境界視覚的に撹乱する効果を持つ。

性的同一性男性性の「まともさ」を象徴する顔の上に、女性性の象徴物を被せることで、従来的なジェンダー秩序は一時的解体される。

この解体が、笑いとして消費されるのか、あるいは違和や嫌悪として反発を招くのかは、

社会がその時点で受け入れうるジェンダー規範の幅を測る指標ともなりうる。

4 カーニバルとしての秩序転倒──笑いと批評

第三に、この行為はしばしば「笑い」と結びついて登場する。

ミハイル・バフチンが論じたように、カーニバル的な笑いは、既存の秩序・権威・聖性を一時的に転倒させる力を持つ。

王と道化が入れ替わり、崇高なものが下卑たものに、清浄ものが汚穢に置き換えられることで、人々は日常ヒエラルキーから解放される。

パンティーを被る人物は、多くの場合「くだらない大人」「オトナなのに子どもじみたことをする存在」として描かれる。

そこでは、理性的成熟した市民として振る舞うことが期待される大人が、もっとも幼稚で性的規範に反する身振りを自ら演じてみせる。

これはまさに、近代主体の理性と節度という自己イメージを、身体と笑いのレベルで裏切る行為であり、バフチン的な意味での秩序転倒である

さらに、この行為消費社会への批評としても解釈しうる。

パンティーは、ファッションポルノグラフィ産業を通じて商品化された「性的魅力」のパッケージでもある。

その商品を「本来用途から外し、頭に被るという過剰にズレた使用法は、

シチュアシオニストたちの言う「デトournement(転用)」にも似て、商品に埋め込まれ意味構造をずらし、

消費社会約束する「ロマンティックで洗練された性」のイメージを滑稽なものとして暴露する。

もちろん、こうした批評性が常に意識されているわけではない。

多くの場合当事者は「面白いから」「ウケるから」という動機行為に及ぶ。

しかし、当人意図とは無関係に、行為のもの既存の秩序を揺さぶり、

笑いを通じた不安定化をもたらしている点に、カーニバル的な力があるといえる。

5 ジェンダー倫理──笑いの線引きをどう考えるか

ここまで、パンティーを被る行為文化的・象徴的なレベル肯定的に読み解いてきた。

しかし同時に、この行為にはジェンダー暴力問題が潜在していることも看過できない

たとえば、所有者の同意なく女性下着を盗み、それを被って笑いのネタにするような事例は、明らかに性的暴力であり、先の分析とは質的に異なる。

そこでは、女性身体性がモノに還元され、男性自己演出の道具として一方的に利用されているかである

したがって、パンティーを被る行為文化解釈は、

「誰のパンティーか」「どう入手されたのか」「誰の前で行われるのか」「誰が笑う権利を持つのか」といった文脈と切り離しては成立しない。

自分で購入した下着自分身体で用いて仮面を作ることと、

他者の所有物を奪ってネタにすることとの間には、倫理的に越えがたい差がある。

この意味で、パンティーを被る行為安易に「自由表現」「笑いだから許される」として擁護することはできない。

一方で、倫理的に許容可能範囲で行われるこの行為が、規範の硬直性をほぐし、身体羞恥をめぐる議論を促す契機となりうることも事実である

その両義性を見極めることが、現代社会ジェンダー感覚表現自由の両立を考える上で重要になる。

6 結論──「くだらない行為」が映し出す近代社会

パンティーを被るという行為は、表面的には「低俗ギャグ」「一部の嗜好」に過ぎないように見える。

しかし本稿で見てきたように、

として理解することができる。

まりパンティーを被る行為は、身体羞恥を厳格に管理しようとする近代社会規範に対して、

「本当にそれが唯一の生き方なのか」と問いを突きつける小さな反乱なのである

もちろん、その反乱が倫理的に許容されるためには、所有や同意ジェンダー権力といった条件を精密に考慮しなければならない。

しかし、その条件さえ満たされるならば、「くだらない」と切り捨てられてきた行為の背後に、

規範相対性を示す批評的なポテンシャルを見出すことが可能である

パンティーを被る人物を笑い飛ばすことはたやすい。

だが、その笑いが何に支えられ、何を脅かし、何を許さないのかを問うとき

私たちは自らの社会がどのような身体観・性観・ジェンダー観の上に成立しているのかを、あらためて自覚せざるをえなくなる。

「くだらない行為」を真剣考察することは、実のところ、

私たち自身の〈まともさ〉の条件を問い直す営みなのである

2025-11-20

山上被告報道を見ていて思ったこ

長くなったので読みにくいかもしれません

あと、あまりここの空気感理解できていないかもしれません

半年ROMれてませんが匿名性が必要だったのでここに書かせていただきます

乱文ご容赦ください

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

テレビ山上被告裁判報道が流れてくるたびに

援護が無さすぎるのではないかと思い、やっぱり納得がいかないと感じたので

ここに書きにきた

 

 

 

以前から何度も書こうと思っていたけれど

どうしても書けないまま 何年も過ぎてしまったが

まり社会の様子は変わらず、

まり山上被告裁判報道を見るのが辛かったので

なんとか書き始めた

 

 

ーーーここからは私が統一教会にいた頃の話が出てきます

フラッシュバックなど、読むのが嫌だと感じる場合スルーしてくださいーーー

 

 

 

 

 

あの日の銃撃の報道は今も忘れられない

呆然とした

 

正直なところ

ショックとか 人が亡くなったということ以上に

 

「どうして今になって」と思った

 

 

 

私が統一教会から逃げ出して10年は経っていて、

ようやく悪夢を見て、ドキドキしながら目覚めることが無くなってきていた頃だった

 

 

 

逃げ出した後も燃え尽き症候群のようになり

ベッドから起き上がれなくなる日が続いて

一度は「こんなに辛いならもう死のう」と思ったけれど

 

死ぬ元気があるならそれで好きなことしようぜ…死にたいなら

いつでもそのボタン自分が持ってるんだから もう私は誰にも縛られてないんだから」と思い

 

 

 

誰にも助けてもらえないので(親に話したが困惑されて流されただけだったので)

自ら自立支援センターにかかり、カウンセリングを受け、

それでもなかなか人への恐怖や組織へ入る恐怖を克服できなかったので

バイトもできず

 

ニートを経て、なんとかフリーランスを細々始めて

それでも人が怖くて怖くて

いつも人の顔が見れず震えて汗をかいたり

人と会ったあとは部屋で寝て起き上がれなかったり

遠出ができなかったり

 

 

そういうことがようやくひと段落つき始めていた頃

「ようやく最近少しずつ人と話せるようになってきたな」

「ようやく教団の元仲間から説得のメールが来ることも無くなってきたな」

と思っていた頃に

 

その事件報道で流れた

 

 

 

なんだかバカバカしくなってしまった

 

 

誰にも言えなくて

から付き合いのある友人にも言えなくて

両親に言っても「よく出てきたな」と言われるだけで

具体的なケアは何もしてもらえない中で

自分で考えて一歩一歩、精神ケアに励んだ10年間

 

宗教施設で共同生活をしていて就活タイミングを逃しました」

「経歴に書けることがありません」

宗教施設生活していた影響で人が怖くてしょうがなくてバイトすらできません」

燃え尽き症候群のようになって社会生活を人並みに送ることがどうしても難しいです」

 

そんなことの説明をしようがなく

 

ただひたすら周りからの、

「この人どうして朝起きれないんだろう」「なんか付き合い悪いな」

学生時代の話してくれないな」「この人いっつも何してるんだろう 無職?」

「なんで結婚しないの」「なんでハロワ行かないの」「なんでもっと営業しないの」

「なんでいっつもお金が無いの」

あらゆる なんで? に耐えながら

 

ひたすら自分の足で立つことができるようになるように

 

一生懸命もう一度歩く練習をし続けた10年間

 

 

 

1発の銃声で 毎日のように統一教会名前テレビで聞くようになってしまった

 

 

 

 

ずっと社会から可視だった存在が 透明人間だった自分

無かったことになっている自分の在籍期間6年とリハビリ生活10年間が

 

突然色を与えられたような感覚

 

 

しかった

 

その行為自体賞賛はできるはずもないけれど 思いは複雑だった

ただ悲しかった

 

 

山上被告はとても辛かったんじゃないだろうかとは思った

 

 

 

 

あれは叫びだと私には感じられた

それくらい 中にいると社会生活している人とは隔絶され 外の声は届かないし

中の声もまた外には届かなくなる

 

 

そこには長らく透明な分厚い分厚い壁があって中と外は隔絶されていた

 

 

あの1発の弾がそれを壊した

尊い人命と共に

 

 

その重大さを社会にどこまで理解してもらえているのか 分からない

 

 

 

 

 

その苦しみは 多分本気であの中で一生懸命やった人にしかからないだろうと思う

 

 

 

 

それでもそこから私が逃げ出せたのは

ある程度、状況を俯瞰して見る(ある種冷笑的な)感覚を身につけていたからで

そこに関しては、私は自分漫画アニメ好きのオタクでよかったなと思っている

 

マジで漫画みたいなこと言うやんw」という茶化しが自分の中でできていたこと、

不真面目だったため、外の読み物やテレビは見てはいけないことになっていたが

隠れてコンビニ漫画立ち読みしていたこと、

伝道(いわゆる勧誘)もこっそりトイレに隠れてサボりまくっていたことなど

 

中の人からすると酷い不真面目、規律違反的なことをやっていたために

最後の一歩(あ、ここにいたら私の人生、誰も保証してくれないんじゃないか?)

という感覚に至れた、というところがある

 

 

 

しかし、そんな不真面目な私であっても

逃げ出すことが良いことなのか悪いことなのか、その時点では判別はできていなかった

 

 

神や、いわゆるお父様お母様(教祖)に背くことになるわけなので

正直ここから出てその後どんなことが訪れても覚悟を決めようというような気持ちはあった

 

 

なぜならいわゆる統一教会が言うところの「神のみ旨」を放棄することになるわけなので、

そうなった時に自分に何かよくないことが起きるかも、私だけじゃなく家族も何かよくないことが起きるかも、

という感覚が強く自分支配していて そこに対して否定できる確証はなかったからだ

私が死ななくても 私の代わりに誰かが死ぬかも、と本気で思っていた

 

不真面目な信者であってもこのくらいにはどっぷり浸かっていた

 

 

 

 

それでも私は「本当に神様がいて 神様が私を愛しているとしたら

私のこの選択も祝福してくれるんじゃないか」という気持ちも微かに持っていた

それを信じたい、という気持ちだったと思う

 

そうであったらいいな、という感じで

 

もちろん確証も何もない

 

 

こんなふうになったか

今だからそんなふうに言えているだけで

その時には全く確証がなかった

 

 

 

 

 

ただ今言えるのは「神様がいるとすれば 統一教会にいる人も愛していると思うし

私のことも愛しているんじゃないかと思う」ということだ

 

これは信仰心ではなく

私が少しずつ回復して自分を取り戻す過程でたどり着いた

今の段階での結論というか、

信念的なものではあると思う

確証はないけれど「そうなんじゃないか?」と思っている、というようなことだ

 

「そうでなきゃやってられるか」というような思いでもある

 

 

 

 

 

神がいようがいまいが関係なく日々は続くし

私の場合 立ち止まっていても誰かが

大丈夫?私がなんとかしてあげる 任せて」と

手を引いてくれるような状況は皆無だったか

自分の足で一歩ずつ歩くしかなかった

 

(唯一打ち明けたカウンセラーの人も宗教的な苦しみまでは理解してケアしてくれなかったし 

かといって宗教的ものに再度頼るのはもう懲り懲りだった

被害者コミュニティもあったかもしれないがまたそこから出られなくなるのではと思い、

組織に属するのが怖かった

両親は受け身なので私が動かない限り私の状況は好転するわけがなかった)

 

 

ただ言えるのは、自分で少しずつ歩く過程で人に支えてもらえることはあった、ということだ

理解できないなりに 両親は私の過去を酷くなじることはなかったし、生活支援してくれた

「よく出てきたな それはなかなかできないことだぞ」と肯定はしてくれた

自立支援センターも、電話をかけたものの一人で行くのが怖かったので着いてきてもらった

 

理解してくれていようがしてくれなかろうが 都度都度助けてくれる人はい

 

 

 

カウンセラーの人が言ってくれたことのいくつかは今も自分を支えてくれている

 

(私は自分の中に宗教施設にいたという負い目があったので、とにかく人に疑われるということが怖かった

自分の話をするのが怖く、いつボロを出しておかしなことを話してしまわないかと怖かった

そのせいか言葉がなかなか出てこなかったけど「ペラペラ話す人よりちょっとずつ一言一言話す人の方が信頼感があるよ」と言ってもらえたので 今は辿々しくても少しずつ言葉を並べられるようになった

だいぶ人と話すことが怖くなくなった)

 

 

 

 

神がいようがいまいが 関係なく日々は続いていく、というのはそういう感覚

 

 

 

 

 

 

私がいたのは学生寮のようなところで

信者に向け講義をするような人材を育てることを目的としている寮だった

世話役夫婦が1組

20〜25人くらいの規模で

マンションの3部屋(うち1部屋は夫婦の家)を借りて男女別れて住んでいた

 

みんな割と若かったと思う

20歳後半〜大学生くらいが所属していた

 

私は2世ではない

勧誘されて大学1年生で所属した

 

 

まだ規制が緩かったので大学内でも駅のコンコースでも勧誘を行なっていた

 

声をかけられた時も怪しいなとは思っていたが 半ば分かっていてついていった

最初から開示されていたわけではないが

いわゆるビデオセンターでの履修がひと段落した頃に

統一教会だと開示を受けた上で「寮に入らないか」というような打診を受けたので

なんとなく流れで、面白そうなので入ることにした

あと、みんな、人が良い人たちだった、というのがあった

 

 

でも入教したキッカケには結局、自分の中に将来自分が働いているビジョンが湧かなかったり

将来に対する漠然とした逃げのような気持ちがあったのだと思う

 

社会一般基準で勤めることは難しいんじゃないかという漠然とした不安があった

 

 

この時このような逃げの姿勢でいなければ

こんなに長く苦しむことはなかったなと今になってみれば思う

 

 

 

 

施設での生活としては

朝早くから起きて

原理講論を音読したり、勉強会をしたり、祈りをしたり、敬拝をしたりする

 

 

学生なので献金は求められなかったが

仕送りは全て世話役夫婦に預ける形になっていて自由には使えなかった

お金は全て「聖別」といって、清められ

そういう清められたお金は「神様とお父様お母様のお金」と言い含められる

 

そうして外から買ってきたものも塩と祈りで毎回清めていて、

清められていないものは手をつけてはいけない

 

お金はとにかく厳しく管理されていて好きなものは買えなかった

 

 

大学内ではあまり交遊を持たないように言われていたので

友人と遊びに行く、呑みに行くなどの経験も皆無だ

もちろん遊びにお金を使うことができないので 自由な交遊はできない、と言っていい

 

学校から帰ってきたら即駅のコンコースや他大学伝道という名の勧誘に行く

 

 

長期休暇は県外へ、車中泊をしながら1日中歩いてフキンの訪問販売をする

これも教会からすれば宗教活動の一環のようなもの

当然ながらより多く売れた方が良いわけだが私はいつもほとんど売れなかった

そんなことをしながら公園などで車の中で寝泊まりをする

1ヶ月寮には帰れない 

 

家族には内部のことは言えないことになっていて

帰省も数日しかできなかった

 

 

 

これらを聞いて楽しそう、と思うだろうか?

こういう生活が性に合っている人がいるのは事実

 

けれど楽しいと思うことを排除し、自分否定し、自分の望むもの否定して、

それを全てみ旨に捧げるというのが信仰の道だった

 

苦しければ苦しいほど条件になる、そういう発想なのだ

(そういう発想が多額の献金要求にも繋がったのかもしれない が その要求正当性は無いと思う)

 

 

私が寮内で大きな声で笑っていたら先輩に

あなたが来てから、こんな大きな声で笑ってもいいんだなって 初めて思ったの」と言われた

そういう場所だったのだ

聞いた時はドン引きした

 

 

 

 

それでもやっている時は一生懸命だった

けれど これは本当に人を幸せにするような活動なのか?という疑問がずっとあった

 

(そういった活動などが条件となり積み重ねられ、

その条件が満ちると間接的に人を幸せにする、という考え方なので

目の前の相手を即幸せ気持ちにさせたかどうかはあまり重要ではない)

(どれだけ苦労を重ねるか 自分の欲や怠惰否定できるかの方が

より大きな条件になるという考え方になる)

(親が子を置いて宗教活動邁進することになるのは、そういう仕組みゆえだ)

 

 

 

 

そうして大学からの6年間を

人になかなか言うことができないような生活で費やしてしまたことは

勿体ないことだったと素直に思っている

 

 

勿体なかったと言うと「でもあなたのその過去も今に繋がっているじゃない?」

というような返しを親からされることがあるが

 

 

 

これを言われると いつも胸が詰まり

説明のできないいろんな思いが去来して胸がぐるぐるする

 

 

しなくてもいい苦労というのはある、ということで

誰も「統一教会が許せない」とも「あなたが失ったものを思うと本当に悲しい」とも

言ってくれる人はいなかった

 

私の、誰にも相談できなかった日々、1人苦しんだ日々を

肯定しろ」と暗に言われているような気がするのだ

 

 

私が逃げ出すことによって自分家族も不幸な目に遭って死ぬかもしれない

もしひどい事が起こるなら私に起こしてくださいと

恐怖とプレッシャーに押し潰されながら綱渡りしていた日々を

誰にも相談できなかった日々を

 

 

肯定しないといけないのだろうか?

 

 

 

 

 

 

山上被告統一教会否定してくれたのだ

 

 

 

この状況になるまで誰もそれをすることができなかった

 

 

その事実はとても重いと思う

 

 

 

 

 

 

世間自助自助と言うが

 

 

それは助ける力がない人たちが口を揃えて言う言葉のようにも思える

 

 

 

自助とはそんなに簡単にできることではない

 

 

とても、とても苦しいもの

 

 

  

  

 

山上被告は 自助をする以外になかった

 

それがこの方法だったのだ

 

この方法以外で彼が救われることもなかっただろうと思う

 

 

 

それくらい救いの手が届かない場所なのだ

 

 

 

 

山上被告自分自分を救うしかなかった結果がこれだったのではないだろうかと思う

 

 

 

 

  

 

私が入教して実感したことは、宗教に関わっている人は意外と多い、ということだ

私のいた寮の中にも、親が創価学会だったがそれに反発して統一教会に来た人もいた

(その人は非常に熱心な人だったが その後心身を崩して入院されたりしていた)

 

気になったのは、世話役夫婦奥さんの方はいつも病気がちで寝てばかりだったことだ

いつも辛そうだなと思っていた

断食をしたり敬拝をしたり長時間伝道をしたり 体を酷使することも多かったので

体を悪くしている人も多かった

 

2世の子に会ったこともある

 

 

みんな普通の人たちだ

 

 

ただ 社会では可視化されていなかっただけだ

 

 

 

そこにいる人たちは みんなそれぞれがんばって生きている

 

 

 

 

それを食い物にする、というのがおかしな話で

 

どんな宗教であっても「献金しなければ救われない」というのはおかしいことだと思う

 

 

 

 

 

正直に言えば 宗教法人は本当に好き放題するところは好き放題やっていると思う

人の気持ちは弱いので それで救われるなら払ってしまうわけだけど

 

その人が人生を構築する大切なお金

 

 

なんとかもう少し規制ができてほしい

 

 

 

 

少なくともその行き過ぎた状態が、あのような悲惨事件帰結したのだということを思うと

そこをきちんと、法なりなんなりで整備しないというのは、単純に理解に苦しむ

 

 

 

状況がもう少し良くなってくれることを願う

 

 

 

山上被告がやったことを私は責めることができない

あの事件が無ければ少なくとも私の16年は社会の中では意味を持たず透明なままだったし

こんな話は絶対にできなかっただろうと思う

 

 

 

誰も助けてくれなかったのだ

山上被告も、誰も助けてくれなかったんだろうと思う

 

それを思うと本当に胸が苦しい

 

 

何度も書くが

誰かが助けてくれるはずがないのだ

 

からも気付かれない、社会から気付かれないようになっている

そういう構造になっているのだ

 

 

 

 

本来なら自分のために使われていたであろうはずのお金

楽しい家族旅行、欲しかったおもちゃ勉強するための本、服、車

普通の人が当たり前に経験する友人との時間家族と過ごせた時間

そういうものに付随する思い出全てが

目の前でそのまま宗教団体に手渡されていってしま

 

 

その悔しさ 悲しさ 苦しみを思うと計り知れない

 

 

 

 

私の失った16年  いや、それでは比較にならないほどの苦しみと絶望だと思う

 

 

 

それらは 決して帰ってはこない

 

 

 

 

泡になって 帰ってこない

 

 

 

 

 

 

 

 

私に限って言えば自業自得だったと自分を納得させられる

けれど山上被告に関してはそうではなかったと思う

親が宗教活動にハマるなんていうのは交通事故のようで あまりにも避けようがない

加えてそれを身内がどうにかするなんていうのはほぼ不可能だと言っていい

なんなら母親被害を受けた側、交通事故に遭った側だとも感じられる

 

 

 

内情を知る人の弁護がなさすぎる気がする

法廷ではもしかしたらあるのかもしれないが

 

宗教にどっぷりハマっている身内がいる状況」

宗教にどっぷりハマっているとはどういう状態なのか」

をどれくらいの人がリアル想像できるだろうか

 

 

 

私は最後、逃げ出す前に

世話役夫婦相談をしていた

もしこの人たちがもう少し私に向き合ってくれていたら

私はまだ教会にいたかもしれない

 

けれど最終的な結論として

「ああ この人たちは神に祈りお父様お母様に祈る以上のことはしてくれないんだ」と思った

 

話が一方通行でこれ以上話してもしょうがないと感じられた

 

 

彼らは「神のみ旨」という大義によって動いていて

お父様の言葉、お母様の言葉に終始帰結する

 

それが最終的な答えになるので話ができないのだ

 

「こうこうこういうことで悩んでいる」

と悩みを打ち明けても

「では祈りだ 敬拝だ 献金だ 聖地に行こう」

神のみ旨はこうだ」「お父様お母様はこう言っている」

その堂々巡りになる

 

そこを信じて同じことを繰り返せばいいのだ

それが信仰なのだという教えなので

他の話は通じない

 

 

一切だ 一切通じない

 

 

その虚しさは 本気で話をしようとした人間しかからないだろうと思う

 

皆良い人たちなのだ

信頼もしていた

個人で見れば仲間や世話になった人たちだ 頭が悪いわけでもおかしいわけでもない

 

けれどそうであればあるほど ある一定のところから会話ができなくなることが辛い

 

 

 

逃げた後、私は入教前に元々住んでいたアパートに帰った

入寮時にそこを解約すると家族おかしく思われるのでそのまま残しておく慣わしなの

ただその鍵は世話役夫婦に預ける形になっていて

入教すると元の家には特別なことでもない限り入ることはできなくなる

 

記憶が薄いが、そこに帰れたということは

私はもしかしたらスペアキーを持っていたのかもしれない

 

 

しばらくその部屋には仲間が何度も説得に訪れた

手紙が置いてあったり食べ物がドアの取っ手にかかっていたりした

 

無視をし続けていたところ

ある時、眠っていて目を覚ましたら目の前に女性の仲間(先輩)がいて、私を覗き込んでいた

預けたままになっていた鍵を使って勝手に部屋の中に入ってきていたのだ

心臓が止まりそうなほど驚いたし実際叫んだと思う

 

その人に悪気はなかった

 

けれど、「神のためならそれができる」そういう思考回路になってしまうのだ

「神のために、この人を救わないといけない」

神のみ旨であればこの行いは許される」

そういう思考回路で人の気持ち簡単に踏み躙ってしま

 

 

私は何度も何度も「あなたたちを見ると色んなことを思い出して怖くて震えて辛いので何も送らないでほしい 会いにこないでほしい」と伝えた

 

やがて手紙が来たり食べ物が置いてあるということは無くなった

 

私はその後、1度体を完全に壊したのでその Permalink | 記事への反応(2) | 22:48

2025-10-05

カミーユ・ビダン創作について

機動戦士Zガンダムという作品の最大の功績はカミーユ・ビダンというジョブナイルを代表するとも言える繊細で、

かつて思春期を生きた人たちの痛々しい共感を刺激する、あの富野由悠季が生み出したなかでも屈指の傑作キャラクター創作にある。

この人物造形の成功は、単なるキャラクター設計の巧みさを超え、

アニメーション作品におけるリアリズム概念根底から変革した歴史的偉業として評価されるべきである

富野は従来のロボットアニメ依拠していた「勧善懲悪」の物語構造意図的破綻させ、

善悪境界曖昧世界で苦悩する思春期少年主人公に据えることで、

観る者に深刻な内的葛藤を強いる作品を創出した。

カミーユというキャラクター革新性は、その精神脆弱性感受性の異常な鋭さが、

決してロマンティックに美化されることなく、むしろ病的な危うさとして一貫して描かれている点にある。

彼の両親への複雑な感情女性性に対する屈折した意識

そして戦争という極限状況における精神の変容は、

従来のアニメが扱ってこなかった思春期特有心理的現実容赦なく暴き出している。

富野演出哲学である映像原則」において、

キャラクターは画面に映らない時間も生き続ける存在として構想される。

この思想的背景により、カミーユ言動感情の変化は、

しばしば観る者には唐突理解困難に映るが、

それこそが現実人間内面における感情の非連続性を映像作品として表現する試みであった。

さら重要なのはカミーユニュータイプ能力が、

従来の超人能力描写とは対極的に、

彼の精神不安定さと表裏一体のものとして設定されていることである

彼の鋭敏すぎる感受性戦闘において卓越した能力を発揮する一方で、

フォウ・ムラサメロザミア・バダムといった強化人間との悲劇的な邂逅を通じて、

自身精神を徐々に蝕んでいく。

これは、超能力を単純に肯定的な「進化」として描く従来のSF作品への痛烈な批判視点提示している。

富野文学的野心は、カミーユの最終的な精神崩壊という結末において頂点に達する。

これは娯楽作品としてのハッピーエンドを完全に放棄した、

極めて実験的な物語選択であった。

主人公の「敗北」を通じて、戦争本質的非人間性と、

若者が背負わされる理不尽な重荷を告発たこの結末は、

後のアニメ作品における「鬱系」ナラティブの原型を提示したと評価できる。

また、カミーユキャラクター造形において看過できないのは、

彼の「男性名へのコンプレックス」という設定が、

単なる個人的な悩みを超えて、性別アイデンティティの揺らぎという普遍的テーマを暗示している点である

富野意識的に「女性性を内包した男性主人公」としてカミーユ設計することで、

従来の男性ヒーロー像への根本的な問い直しを行った。

この試みは、後の1990年代以降のアニメ作品における「中性的主人公」の先駆的事例として位置づけられる。

Zガンダムという作品全体が示す文学的達成は、

カミーユ・ビダンという一人のキャラクター内面描写を通じて、

戦争悲惨さ、

思春期心理的危機

そして人間存在の根源的な孤独を、

商業エンターテインメントの枠組み内で表現し得たことにある。

富野はこの作品において「戯作者」でありながら、

同時に深刻な文学的主題に挑戦する作家としての側面を明確に提示した。

カミーユ・ビダンというキャラクターは、単なるフィクショナルな人物を超えて、

1980年代という時代若者が抱える実存不安象徴として機能している。

彼の痛々しいまでの繊細さと、それが招く破滅的結末は、

高度成長期終焉バブル経済への移行期という歴史的文脈において、

将来への不安を抱える当時の若者たちの心理状況を鮮やかに反映している。

こうした観点から評価するならば、

Zガンダムにおけるカミーユ・ビダン創作は、

日本アニメーション史において

心理的リアリズム」という新たな表現領域開拓した記念碑的業績として位置づけられるべきである

富野由悠季がこのキャラクターを通じて達成したのは、

娯楽性と芸術性を両立させながら、

現代人の精神危機を鋭く抉り出すという、

極めて困難な創作課題解決であった。

2025-09-25

anond:20250924212553

例えばプリキュアオジサンっているでしょ?別にプリキュアが好きなだけの中年がいても問題じゃないけど、こういう界隈って性犯罪と切っても切り離せないんだよ

俺は子供プリキュア映画とか見に行くけど、イベントかに参加する条件として親子連れっていうのがあって、それをみたプリキュアオジサンが「子供レンタルしたい」とかほざいた事件があったわけだ

親としてこういうのって絶対看過できないし、自分の子供が狙われると思うと独身男性プリキュア見ているってだけで真剣忌避したいんだよね

おばさんが安全というわけじゃなく、実害のレベルが極めて高くて、頻度も高いことが容易に想像できるから、本当にオジサンっていうだけで避けられる


フェミは確かに面倒だが口だけのことが殆ど

だけどオジサンは一つ一つの行動が悪質かつ下劣すぎてファンタジーにとどめられない部分が多いんだわ

そこは本当に気の毒にも思うけど、オジサン達は自分たちの立場ってもの薄氷の上にあることを理解してくれ

わずかな言動で即警報なるのがオジサンなんだよ

2025-09-20

吉田恵里香擁護する(ぼざろ)

まりにも擁護派がずっと頓珍漢で批判者を見下したようなことしか言わないから、批判側だけどまともに擁護してみる

せめて見習え

 

そもそも吉田氏のトークイベントで話された内容だった

記事用にインタビューしたものではなく、さらにぼざろのイベントではなかったため

吉田氏が持っている一貫したスタンス主義主張を述べる場だった

そのため「覇権」や「抵抗がある」という吉田氏としてどう思っているか表現だった

もしこれがぼざろ中心の話であれば吉田氏も言葉を選んだだろう

また、トークイベントという場での発言であり、記事がこの表現でそのまま世界に公開されるのは本意じゃなかったかもしれない

まさに「メディアの違い」が如実に出た格好だ

 

ノイズ発言は他のスタッフもしている

ソースが見つからないが、キャラデザの方も1,2年前にインタビューノイズ発言をしている

そもそも吉田氏が「主人公の体型を変えた」というのは推測に過ぎないし、普通に考えれば制作チームで相談があったに違いない

 

若いチームの新しい性表現ライン

今回のスタッフ監督が29歳で、他も30代という非常に若いチームであった

若いチームの考える新しい性表現ラインは、こういった思想になるのかもしれない

昭和平成の発想で「ここまでOK」というのは、ぼっち・ざ・ろっく!の見込み客である1020代には古いんだと思う

 

性搾取」はスタンスに対して言っただけ、ぼざろに言ったわけではない

公式側が『さぁ搾取してください!』と言わんばかりにばら撒くのは抵抗がある」

「“絵だけど、未成年だぞ”」

文章は、「特に前橋ウィッチーズ』のような10代の女の子たちを描く作品場合」にかかっている

今回のカットシーンや、ぼざろの改変シーンに言ったわけではなく、吉田氏のスタンスの話だ

 

肌色面積の調整はどのアニメでもおこなわれている

よく、漫画アニメでは最初の1〜3話で「どこまでの描写があるか」を説明すると思う

例えば「エログロ恋愛・バトル・人が死ぬかどうか」など

個人的には主人公風呂での描写は、漫画による「ここまでは描く作品だよ」のライン提示だと理解している

アニメ化に当たってそのラインを微調整したのだと考えられ、特にぼざろの場合女性人気も取り込めそうだったので、ノイズとして除外したという判定だろう

ちなみに直近で言えば、ダンダダンのアニメ化で新キャラ衣装が変わって肌色面積が大幅に減っていた

 

 

せめてこんくらいまともに擁護してほしい、あまりにも低レベルで残念だ

 

批判から感想

吉田氏の思想看過できない理由は「面白さ」の追求とブレてるから、ぼざろはともかくいつかやらかすだろうからこのまま増長するのは怖い

一方で今回に限って言えば一番悪いのはKAI-YOU、こっちもまたやらかすだろうね(何なら狙って書くのでは?今回注目数が30倍だよ)

2025-08-14

AIへの過度な感情移入がもたらす危険

1. 背景

2025年8月9日田口善弘氏が Qiita投稿した記事GPT-5のポンコツっぷり」(最終更新 8月13日)が注目を集めた。

記事では、著者が GPT-5 に投げた質問への応答が意図を外れていた事例を挙げ、「GPT-5のポンコツっぷり」と評している。

この Qiita 記事に対し、はてなブックマークで最も多くのスターを獲得したコメントは、ユーザー「hagetenai」による次の一文である

「こういう言葉遣い人間相手をしなければならないChatGPTに同情してしまう。」

この発言一見ユーモラスで軽い皮肉のようにも映る。しかし、その背後には“AIへの感情移入”という、看過できない心理的傾向が見え隠れする。


2. 過度な感情移入が引き起こすリスク

(1) 現実認識の歪み

AI人間言葉遣い感情表現模倣するが、実際には感情を持たない。にもかかわらず、同情や愛着を覚えることで、「AI人間のように感じ、苦労している」という錯覚が強化される。

これは、AIの出力を人間意見感情と同列に扱い、批判検証を怠る危険な土壌となる。

(2) 責任所在曖昧

AIの誤答や不適切な応答は、本来開発者運用者が改善すべき問題である。だが「かわいそうなAI」という感情が優先されると、批判改善要求が感情論で薄まり問題解決が遅れる。

(3) 心理的無防備

感情移入は信頼感を高める一方、批判的思考を鈍らせる。「この子が言うなら…」という心理状態になれば、誤情報誘導的な回答でも受け入れやすくなる。これは悪意ある利用者権力者にとって格好の攻撃経路となる。

(4) 社会的議論の停滞

同情や愛着が先行すると、「AIの利用範囲」「安全性」「透明性」といった重要議論感情論で押し流される。技術限界設計上の責任問題が、事実よりも“印象”によって判断されてしまう。


3. 危機感を持つべ理由

今回の「ChatGPTに同情」というコメントは、単なる軽口ではなく、人間AI擬人化し、現実虚構境界曖昧にしていく兆候である

この傾向が進めば、私たち情報の真偽やシステムの欠陥を冷静に見極める力を失い、AIを通じた操作誘導無自覚なまま巻き込まれることになる。


4. まとめ

AIに「かわいそう」と感じるその瞬間、私たちはすでに一歩、危うい領域へ足を踏み入れている。

AI感情を持たず、痛みも感じない。それでも擬人化し、同情の対象にしてしまえば、冷静な判断は薄れ、批判の目は曇る。

その結果、誤った情報を疑わず受け入れ、技術の欠陥は放置され、そして気づかぬうちに、誰かの意図した物語に沿って考えを誘導されるようになる。

この変化は一気にではなく、静かに日常の中で進行する――だからこそ恐ろしい。

2025-08-08

ぬいヴァギになりそう

私は人生で数回ぬいペニを引き起こししまっており、相手への申し訳なさとそのうえで看過できないキモさを感じたりしつつ、筋を通すこともフェードアウトもできずにぶち切ったりしてきたわけです。陰キャ男性が「おッ、この子なら俺もイケるかも」と思うツボってわけわからんとこにあったり常識的にありえない浅さだったりすると思うんだけど、私は何回かやらかした事あるのに尽くそういうツボを踏み倒したりしちゃうわけ。ぬいペニ頻発トラップみたいな存在なんですわ。私めは。もちろん相手方も対人関係における距離感がめちゃくちゃなんですが、正直自分距離感おかしいことは痛いほど実感してるんです。つまり自分がぬいペニ頻発トラップであり、過剰にぬいペニの屍を恐れるあまり、逆に自分結局はぬいヴァギになってしまうのでは?という恐怖が自分を襲っている。好きになる男は人間との距離感一般的範疇にある者ばかりで、正しいアプローチも分からない。結局私がモテる(笑)のはスタンドが惹かれあってるだけで私にバリューがあるわけじゃない。かれこれ1年弱くらい片思いしてるものの、このあたりが悩みになってぬいヴァギしかけている。本当にどうしたらいいのか。本当に。

2025-08-01

anond:20250731192329

この件は「性差別を喚く女様が職業差別ww」というだけの話なんだよな

それだけのちっせぇ話なくせに

女様を嗤うというステージから降りたくない弱男が

看過できない差別問題」と大風呂敷にしたんだが

そういうのがブコメ観測できる

内心に留めるならキャンセルするのはしていい?

ダメなんだよ

その世間様の認識が「偏見」ってやつなの

それが現実キャンセルなどの行動で表出したら内心だろうが差別なんだよ

黒人を嫌いそれを理由に決して採用しない自由はある、だが口に出すな」とか言わんだろ?


職場の同僚に「現役AV女優結婚した」と言えるかどうかって話だよ

娘がAV女優だ、息子が竿役だと、隣近所に話せるのか?

決め顔したい御仁は「イエルサ」というんだろうが

普通は言えないわけ

なんで言えないかと言えば、裏で(下手すれば表立って)嘲笑されたりするから


だけどね

もうステージから降りらんないか

聖人顔して自省の言葉もなく磔の刑にしちゃうのよ

葬儀関係や清掃関係仕事に就いてる人はウエディングドレスの印象を損ねる

葬儀関係人間仕事他人と寝る淫売なのか?

清掃関係人間仕事他人と寝る淫売なのか?

これを言った人は、自分結婚した相方AV男優女優だと言うことが後から分かっても、一切の偏見なく一顧の人間として尊重し「騙された」なんて言うことがない聖人なのだろう

でも、残念

世間の人はそうじゃないんだよ

多くの世間の人は、性を娯楽にする商売偏見があるの

特に、男にせよ女にせよ、性行為を「売る」ことに強い嫌悪感がある

なのに、他人の表出したそれは、嬉々として袋叩きにする

すごく「人間」って感じがする

差別がなくならない理由だよ

2025-07-25

石破とおにぎり

石破茂氏のおにぎりの食べ方に関するご意見

そしてそれが「幼児的で汚らしい」と指摘され、さらには奥様による「しつけ」の必要性夫婦仲への疑問にまで話が及んでいる点、非常に興味深い論点ですね。一方で、「おにぎり自由であるべき」という対極の意見存在します。この二つの視点を踏まえ、おにぎりの食べ方、個人自由、そして公共の場における振る舞いについて論じていきましょう。

おにぎりの食べ方と「幼児性」「汚らしさ」

まず、「幼児的で汚らしい」という批判について考えてみましょう。この表現は、おそらく石破氏がおにぎりを食べる際に、手が汚れたり、米粒がこぼれたりする様子を指しているのでしょう。一般的に、食事作法文化社会の中で形成されるものであり、清潔感や美しさはその重要な要素とされます特に公の場では、個人の行動が他者に与える印象は看過できない問題です。政治家という公職にある人物であれば、その振る舞いは常に注目され、時に批判対象となるのは避けられないことです。

しかし、おにぎりという食べ物特性を考えると、手で直接持って食べるのが一般的であり、その過程で多少の米粒が落ちたり、手が汚れたりすることは、ある程度は避けられない側面もあります。例えば、コンビニエンスストアなどで売られている海苔で包まれおにぎりは、手軽に食べられるように工夫されていますが、それでも完璧に綺麗に食べきることは難しいと感じる人もいるでしょう。もし批判対象が「どのような状況であっても完全に清潔に食べられないのはおかしい」という極端なものであれば、それはおにぎりという食品性質無視した意見と言わざるを得ません。

「しつけ」と夫婦間の関係

次に、「奥さんは石破を厳しくしつけるべきだ」という意見についてです。この意見は、個人行動様式を「しつけ」という観点から変えさせるべきだという主張であり、夫婦関係にまで踏み込んだものです。確かに夫婦は互いに影響を与え合い、時に相手の行動を是正する役割を果たすこともあるでしょう。しかし、「しつけ」という言葉には、親が子に対して行うような上下関係を前提としたニュアンスが含まれており、対等な夫婦関係においてこの言葉を用いるのは適切でしょうか。

夫婦関係は多様であり、それぞれの関係性の中で互いを尊重し、支え合う形は異なりますおにぎりの食べ方のような個人的な習慣に対して、外部から「しつけ」を求めるのは、その夫婦間のプライバシー踏み込みすぎていると言えるかもしれません。また、もし奥様がその食べ方を容認している、あるいは気にしていないのであれば、それは夫婦間の合意形成の結果であり、他者が介入すべき問題ではないでしょう。夫婦仲の良し悪しを、おにぎりの食べ方一つで判断するのは非常に短絡的であり、根拠に乏しい推測に過ぎません。夫婦仲が良好であっても、それぞれが異なる習慣や癖を持つことは当然あり得ます

おにぎり自由であるべき」という思想

一方で、「おにぎり自由であるべき」という意見は、個人選択表現自由を重視する立場です。食事作法重要であるものの、それが個人表現や快適さを過度に制限するべきではない、という考え方です。おにぎりは元々、庶民日常食であり、気軽に手軽に食べられることがその魅力の一つです。形式にとらわれすぎることなく、それぞれの人が心地よいと感じる方法食事を楽しむことは、決して否定されるべきではありません。

この「自由」には、他者迷惑をかけない範囲での、という暗黙の了解が伴います。例えば、公共の場意図的食べ物を散らかしたり、他人食事邪魔をしたりするような行為は、自由とは言えません。しかし、石破氏のおにぎりの食べ方が、そこまで他者に多大な迷惑をかけていると断定できるでしょうか。おそらく、見ている人が不快に感じる、という感情的な側面が強いのではないでしょうか。

公共性個人自由境界線

この問題の核心は、公共の場における個人の振る舞いと、個人自由との境界線をどこに引くかという点にあります政治家という立場であれば、その行動は常に公衆の目に晒され、規範となることを期待される側面があります。だからこそ、ある程度のマナー品位が求められるのは理解できますしかし、その「マナー」や「品位」の基準は、時代文化個人価値観によって揺れ動くものです。

おにぎりの食べ方一つをとっても、完璧作法を求める声もあれば、もっと気楽で良いとする声もある。この多様な価値観の中で、どこまでが許容範囲なのか、という線引きは非常に難しい問題です。もし、石破氏の食べ方が「不快」と感じる人が多数派であったとしても、それが直ちに矯正されるべき」行動となるのかどうかは慎重に議論されるべきです。

結論:寛容さと多様性の受容

結局のところ、石破氏のおにぎりの食べ方に関する議論は、個人自由社会的な規範、そして他者への配慮という、現代社会が抱える普遍的テーマを浮き彫りにしています

私は、おにぎりの食べ方は、他者に著しい迷惑をかけない限りにおいて、ある程度の自由が許容されるべきだと考えます政治家であろうと、一般人であろうと、完璧人間など存在せず、それぞれが持つ癖や習慣は多様です。公職にある人物からといって、その個人的な行動のすべてが寸分違わず「正しく」あることを要求するのは、現実的ではありませんし、息苦しい社会を生み出すことにも繋がりかねません。

もちろん、見る人が不快に感じるという意見尊重されるべきですが、その感情直ちに「しつけ」や「矯正」の根拠となるわけではありません。むしろ、多様な人々の振る舞いに対して、もう少し寛容な視点を持つことも重要ではないでしょうか。

夫婦関係においては、外部の人間が「しつけ」を求めるのは適切ではありません。夫婦間の関係性は、当事者同士が築き上げるものであり、他者が介入すべき領域ではありません。おにぎりの食べ方一つで夫婦仲の良し悪しを判断するのも、早計な見方と言えます

最終的に、この議論は、私たちがどのような社会を目指すのか、という問いに行き着きます。細かな作法に縛られ、他者完璧さを求める社会なのか、それとも、他者の多様な振る舞いをある程度受け入れ、寛容さを持ち合わせる社会なのか。私は後者でありたいと考えますおにぎりの食べ方という些細な事柄から他者への寛容さと多様性の受容という、より大きなテーマについて考える良い機会となるでしょう。

2025-07-09

日本国民ネオテニーの末路としての今日政治

平成サブカルチャーの変容と社会認識

平成時代を経て、かつて一部の領域限定されていたサブカルチャーは、市民権を獲得するに至った。この過程で、その表現形式や受容のされ方は普遍化し、社会の中に不可逆的に定着したと言える。かつてのマイノリティ文化が、一般的感覚として根付いたのである

オタク文化の受容もその一例である。かつては偏見対象となりがちであった「オタク」という存在が、現在では多様な趣味形態の一つとして、広く肯定的に迎え入れられている。これは、多様性を是とする現代社会において、健全な進展と評価できる側面を持つ。個人情熱が共有され、新たなコミュニティ形成されることは、文化の深化に寄与する。

社会の「キャラ化」現象とその政治的影響】

しかし、この受容のプロセスには、看過できない課題も内在する。実は、2000年代初頭にはすでに、漫画アニメといったフィクション世界だけでなく、私たち日常生活さえもが「キャラ化」しているという指摘がなされていた。東浩紀氏が『動物化するポストモダン』などで論じたように、人間関係や消費行動、さらには自己認識までもが、キャラクター的な記号によって構築される傾向が顕著になったのである

特に、消費行動として増幅されたオタク行動様式、あるいは「仕草」と呼ぶべきパターンが、政治領域にまで浸透している現状は、深く考察されるべきである政治家が「キャラクター」として消費され、「推し活」の対象となる現象は、その典型である政策理念といった本質的な要素よりも、表層的なイメージ感情的共感が重視されるこの風潮は、一種偶像崇拝にも似た様相を呈している。

民主主義健全性への問い:投票意味論的変容とオタク文化帰結

この流れは、投票行為の持つ意味合いにも深刻な変容をもたらしている。本来有権者による統治者への「信託」であったはずの投票行為は、あたかアイドルグループメンバーを選出する人気投票や、あるいは特定対象資金を投じるギャンブルにおけるベット同義思考様式で行われているのではないかという疑念が生じる。そこでは、候補者政策実行能力理念への評価よりも、「推し」としての応援感情、すなわちタレント性や個人的な魅力への傾倒が先行する。

そして、これはオタクとして生きている私自身の感覚であるが、メディアに取り上げられ過熱する消費行動としての「オタ活」は、金銭面はもちろん、精神面や時間をも惜しみなくつぎ込むことを良しとする風潮がある。それができる者こそが“ホンモノ”のオタクであると言わんばかりの圧力すら、時に感じられるのだ。この過剰な消費と「推し」への献身を強いられる状況に、明らかに疲れ始めているオタクも少なくない。

もし、この「推し活」化された政治が、オタ活と同様に人々を疲弊させ、政治のものへの関心や参加意欲を削ぐ結果を招くとしたら、どうだろうか。我々が政治疲弊し、その営みから目を背けるとき、それは民主主義の敗北と同義かもしれない。私たちは、この「政治エンタメ化」とでも呼ぶべき現象に対し、いかに向き合うべきか。そして、その先に真の民主主義的熟議は成立し得るのか。この問いは、現代社会における重要課題であると考える。

※この文章AIが書きました

2025-06-29

なぜSwitch 2の画面はぼやけるのか?初代より50%遅い応答速度の真相と、任天堂の「苦渋の選択

待望のNintendo Switch 2が発売され、そのパワフルな性能に世界中ゲーマーが沸き立っている。しかし、その華々しいデビューの裏で、一部のユーザー専門家から看過できない指摘が相次いでいる。「ゲーム中の動きが、どうにもぼやけて見える」。この漠然とした違和感の正体が、技術的な検証によって明らかになった。Switch 2に搭載された最新の液晶ディスプレイは、驚くべきことに8年前の初代Switchよりも応答速度が大幅に劣っていたのだ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/xenospectrum.com/why-is-the-switch-2-screen-blurry/

任天堂Appleみたいなことしはじめてんな

OLEDモデルが2年後とかにMacbook Proみたいな位置づけで出すんだろな

ビジネス上の戦略だってはっきりわかんだね

2025-06-04

anond:20250604154046

印象操作狙ってんの?

それとも園子温の支持者?

でなきゃ記事をまともに読まなかった?

 

社会全体でキャンセルするよう他人にもキャンセル強要する

 

記事を読む限り、そこまで至っていない

映画の内容とその製作意図警鐘を鳴らし、

「この映画を通じ、業界ぐるみで有名監督という権力を利用した性加害を矮小化し、ただの恋愛を騒ぎたてた女に追い詰められた無辜園子温監督、という印象を与えようとしている」という告発

そしてそのような腐敗にはNoをつきつけるべきではという呼びかけだろう

 

それを「強要」と言い換えるのならだ、

しろ最初に「強要」しようとしたのは園子温とそのオトモダチのほうではないのか?

 

映画一本作ってまで、

”ほんとうに性加害だったのかなあ?

ただの恋愛だったんじゃない?

今の世の中あれもダメこれもダメって窮屈だよねえ、”

という性加害を矮小化する印象を与えようとしているんだから

  

記事という形じゃないだけだ

 

そして映画業界人権侵害に対して権力者のケツを舐める者ばかりなら自浄作用など期待できない

そうなると告発するのはマスメディア役割であり、そして映画業界とも親しい週刊誌としては看過できない事態でもある、

と言われたらおかしな内容とは思えない

 

増田は一体何が言いたかったんだ?

園子温に対してヒハンテキだしーと言いつつ、他人が支持するなら止めないよ?と言うのは

自己中心的動機での犯罪者公的事実認定)が罰せられずにのさばる社会でいてほしいから?

 

ちなみに記事が取り上げている映画監督園子温ではない

2025-03-21

欧米人には「かっこいいアジア人」を描く能力がないんじゃないか

アサシンクリードシャドウズが発売された。

なぜか、実在した黒人武士弥助をプレイアブルキャラしたこと、監修のジェットリー著作看過できない点があるなどで炎上した当ゲーム

ここで一つ思うことがある。

欧米人には「かっこいいアジア人」を描く能力がないんじゃないか?ということ。

例えば天誅の力丸を見た時に、彼らは「カッコいいアジア人」ではなく「欧米人」が描かれていると錯覚してしまうのでは?

時々、「なぜアニメには白人しか出てこないのか?」という欧米人の疑問が話題になることがある。

日本ゲームには日本人と称して白人が出てくるのはどうしてだい?もっと自分たちの特徴に誇りを持ちなよ!」と、そういうふうに受け取ってしまっているのでは?

なんにせよ本邦に池上遼一がいて大変良かったと思う

2025-03-17

anond:20250316231354

登場人物のどちらも受益者なんだよね

臭い営業したくないから体を餌にして仕事取ってるだけ

そういう人を「被害者」扱いしていヨシヨシしてるから

日本ジェンダーギャップ指数はいつまでも上がらないわけなんですよ

男女平等主義者として看過できないですね

2025-03-15

anond:20250314223242

・キレ過ぎないよ!

(ちなみに過激派全否定したいわけじゃないよ!ちゃんと怒って声を上げる人がいるからこそ変わったこともいっぱいあるのですごいなと思ってるよ!ただ昨今見るミサンドリー男性差別は、フェミニズムへの理解を後退させるので看過できないよ!)

方面配慮した結果の表現であって増田にそういう意図はないかもしれないけど、「キレることで自分意見を押し通す」ことを容認してるようにとれちゃうから、「喧嘩ではなく対話目的から冷静になるよう努めるよ」くらいの方がいいんじゃないかと思いましたまる

2025-03-14

やっほ〜⭐︎穏健派フェミニストだよ〜⭐︎

いつもあんまり注目されない穏健派だけど、今日からちょこちょこフェミニズムとかの話をしていくよ!!!!みんな、よろしく!!!!✌️


これって誰向けの記事

😠「なんでフェミニストって問題ない表現にも噛み付くの?」

😠「なんでアンチフェミニスト無意識に現状加担してる男っていくら説明してもわかろうとしないし煽ってくるの?」

…みたいに、フェミニズム関連で対立しながらも、「相手陣営が何考えてるのか気になるな」と思ってる人向けだよ!「あいつらイカれてるから話しても無駄!」と思ってる人には向かない内容だよ!(読んでほしいけど!)

あと、今後を憂える穏健派フェミニストにも見てほしいよ!

突然ですが自称穏健フェミニスト増田のゴール

男女平等性別関係なく、自由選択ができる社会にしていきたいよ!
②(男女ともに)性被害で悲しい目に遭う人を減らしたいよ!

こう書くとヒューマニストじゃね?という感じだけども、フェミニストを名乗るのには理由があるよ!

・今はマシになりつつあるものの、女性はまだまだ「産む」という生まれつき備わっている肉体の機能により学業労働選択自由制限されがち

東京医科大学女子のみ減点調整は記憶に新しいね!あとこの前の宮崎産業大学の件は、まず奥さんが辞めるよう言われてたり「女は産むから」と報酬のある仕事(ペイドワーク)を奪われがちだよ!)

=

追記:タイムリーにもけんすうさんがまとめてくれていたのでそのリンクを貼っておくよ!

自分は「報酬労働では女性がその性ゆえに差別されている」という明らかなデータが出てるからこそ、フェミニストを名乗っているよ!

https://togetter.com/li/2525730

ついでに男女共同参画についての内閣府データも置いておくよ!

https://www.gender.go.jp/research/index.html

=

性犯罪に遭う確率はまだまだ圧倒的に女性の方が多い

内閣府調査によれば強制性交だけで大体7倍違うよ!)

女性差別歴史的に見ても長く、その名残で各地に男尊女卑がまだまだある

日本女性選挙権を得たのはたったの80年前!「女は家のことをするもの」だった時代から意識が変わってない人は結構いるよ!)

…などなど現状女性差別女性の性被害の方が多いので、「まずは女性から。その中で男性達が強制されている性役割問題にもフォーカスしていって、どちらも生きやす社会にしていきたいな」という気持ちフェミニストを名乗ってるよ!(多分男性差別の方が多かったら男性サポートに回ってるよ!)

まあつまり性別による制限で苦しむ人がいなくなるといいなあ〜と思ってるよ!

増田フェミニストとして気をつけてること

・「これだから男は」とか「男は黙ってろ」とか「男さん」とか言わないよ!

これ言っちゃうと「これだから女は」とか「女は黙ってろ」とか「女さん」とか言ってる女性差別主義者と変わらないよ!ネットでムカつくこと言われると思わず言い返したくなるけど同じ穴の狢にはならんよ!💪

属性ではなく「行為」を批判するようにしてるよ!

「男は〜」「女は〜」という言動はそこから外れる男女にとってはただただムカつく言動で敵をつくるばかりだし、単純にそうじゃない人に失礼なので(「男は加害性があるものだ」とか「女は男を財布として見てる」「だから男(女)はもっと同性に注意しろ」とかは、そうじゃない人には「は?」って感じなので)、

「こういう行動をすることがよくないよね。こういう行動をしてる人には注意して意識を変えてもらわなくちゃいけないよね」「これは統計的には男性女性)の方が無意識にやりがちなのでこれを見た人は自分もやってないか気にしてほしいな!」

と言うようにしてるよ!

(話は逸れるけど、昨今の外国人問題も「外国人が悪い」ではなくて、「人種わず犯罪迷惑行為が良くない」みたいな方向で論ずるともっと早く解決すると思うよ!)

事実ベースで考えるよ!

エロ漫画のせいで犯罪が増えている!」などはエビデンスがないので(影響を受けてやりたがる人がいるとは出ているが、「増やしてる」というデータ自分が知る限りないよ!あったらすまんが訂正するので教えてほしいよ!)、ちゃんと示せない場合あくまで「可能性」として提示するまでにしてるよ!

(言いたくなる気持ちはわかるけど、ハッキリしてない前提から膨らませていくと、ニュートラルから賛同が得づらいよ!)

・キレ過ぎないよ!

これは過激派フェミニストに多いのだけど、行き過ぎた言動を周囲にたしなめられても「トーンポリシングだ!」「女なのに男に利するつもりか!」と言って対話を拒みがちだよ!

実際トーンポリシングは良くないけど、一理あることまで跳ね除けてしまうとただのバーサーカーで周りがドン引き→厄介な人達だと思われて下手すると主張を聞いてもらえなくなるので、自分は一度冷静になって考えるようにしてるよ!

(ちなみに過激派全否定したいわけじゃないよ!ちゃんと怒って声を上げる人がいるからこそ変わったこともいっぱいあるのですごいなと思ってるよ!ただ昨今見るミサンドリー男性差別は、フェミニズムへの理解を後退させるので看過できないよ!)

そもそも偉そうに言ってるお前は誰や!

オタクフェミニストで、90年代漫画アニメラノベが好きなアラフォー女だよ!一応クリエイター側でもあるよ!

表現規制については「子供も見えるところに公然エロ置くのやめような〜!」派で、微エロ表現(胸の過剰な誇張など)については、程度や掲載媒体によるが公的機関掲載していなければ容認派だよ!ネットの片隅で細々活動してるよ!

(※これについては今度もうちょい書くよ!)

フェミニストになったのは、子供の頃家族に「あなたはほら…勉強できるから大丈夫w」「スカート似合わな過ぎww」と悪気なく言われたり、サッカー部陽キャ男子にブスブスといじめられたり、大学新歓コンパ普通にしてるのに酒注がないだけでやたら気が利かない扱いされたりして、「なんで!女ばっかり!当たり前のようにビジュアル愛嬌ともてなしを永久に求められて期待するレベルに達しなければ攻撃されたり冷遇されたりせにゃならんねん!!アホか!!」と思ったことがきっかけだよ!(最近男性も求められがちではあるけど、当時は男性はビジュが微妙でもお金があればOKと見なされることが多かったよ!/ただそれはそれで男性も「稼ぐ」という性役割を強く押し付けられてるともいえるね!)

あとは駅で切符買ってる時とか買い物カゴ持ってる時とか瞬時に反撃できない時を狙ってケツを叩く痴漢によくあってたよ!ムカつくね

でも自分人間として尊重してくれる優しい男性にもたくさん出会ったので、男性男性というだけで性犯罪者予備軍扱いされてると「いやいや悪いのは加害という"行為"をする人達とそれを助長する"風土"でしょうよ。そこを穏当な男性達にも解説して、連携してなくしていこうよ」と思うよ!

(ちなみに自分は、内向的オタク男性は話しやすくて好きだよ!逆にリ◯ルートにいそうなオラオラ陽キャ男性ホスト体育会系男性は苦手だよ!

追記)すまない、サッカー部とリ◯ルートの人には嫌な目に合わされたことがある+ホスト女性搾取の面が強いのでつい属性括りを…該当するけど優しい人は悲しいと思うので謝罪します!反省として残し!→ブコメ増田が苦手なタイプは、自分(達)のルール意見が正しいと信じ込んで周囲に押し付けて、それに応えないと不機嫌になったり攻撃的になったりするタイプ人達だよ!

ところでなんでこれ書いてるの?

最近ミサンドリー男性嫌悪)に片足突っ込みかけてるフェミニストが増えてるんだけど、そっちに傾かず本来のゴールに進んでいってほしいか
フェミニズム女性を取り巻く状況についてあまりよく知らない人に、もっと実情を知ってほしいか

だよ!

①については、元々過激男性嫌悪人達は一旦置いておくとして(個人的にはマジで嫌悪フェミニズムを混ぜないでほしいよ!)真面目に活動してるフェミニスト人達も、最初真っ当に丁寧な主張をしているのだけれど、365日絶えずミソジニスト過激派アンチフェミニスト揶揄攻撃(「まんさん必死www」みたいなリプがうじゃうじゃ飛んでくるよ)と戦ってるせいで、ジワジワ男性全体にまで嫌気がさすようになってきているなと感じているよ!

でもそれで熱くなって「これだから男は」と雑な悪口を言ったり男はうんこしか産まないみたいにdisってしまったら「ほら!フェミは男が嫌いで叩きたいだけで正当性がない!」と思われてしまって、本来フェミニズム=「生きやす社会」のゴールから遠ざかってしまうよ!(もちろん大半のフェミニスト理解していると思うけど!)

また最近フェミしから、あえて真っ当な主張を無視して極端な発言を取り上げてフェミニズム自体イメージを下げようとしているアンチフェミニストが増えてるから、そこも気になってるよ!

(もちろんアンチフェミニストフェミニストと同じく「ミソジニー拗らせ派」「過激派」「穏健派」がいてちゃんと一理ある主張をしてる人もいるので分けて考える必要があるよ!/フェミニスト理解し難い諸氏におかれましては、フェミニスト基本的ミソジニスト過激派アンフェとやりあってるから語気が強くなってると思ってほしいよ!)

(ちなみに自分ミソジニストミサンドリストは嫌いだけど、彼ら彼女らもいろんな体験を経てそうなってしまったと思うので、攻撃したいとか批判したいとかはないよ!というかみんなちゃんと憎しみから解放されてほしいよ!)

②については長くなりそうなので隙を見てポチポチ書いていこうと思うよ!










…………でも正直、本当はこういうの書きたくないよ!

書いたが最後過激派フェミニスト過激派アンチフェミニストミソジニストミサンドリスト・おまけに分断煽りしてビュー稼ぎたい人、その全員から攻撃される可能性がめっっっっちゃ高いよ!そういう目に遭ってポストを消してる人をこれまで何人も見たよ!

(あとちゃんと読まずに一部分だけピックアップして鬼の首取ったようにマウントしてくる人も絶対出てくるよ!増田にしたのはそういう攻撃真正から食らうのが嫌だからだよ!)

でもフェミニスト気持ちも、今のフェミニズム辟易する人の気持ちもよくわかるし、いつまでもたくさんの人に憎み合ってほしくないし、このままじゃはてな見てるのも嫌になっちゃうし…

何より溝が深まってるのにこのままビビって何もしないのは穏健派とはいえアカンと思ったよ!!

ということでめちゃくちゃ怖いけどこれから何回かに分けて、↓みたいなこと書いていくよ!多分ぶっ叩かれるので、応援してくれる人はコメント書いてくれたらありがたいよ!

==次回以降こんなこと書く予定だよ!なお増田子育てしてるので月イチ更新限界だよ!==

フェミニストって本当に「問題のない表現」に難癖つけてるの?

赤いきつね騒動他にみる、フェミニストとそうでない人達認識ズレ)

本来目的のために、フェミニストが注意・改善すべきこと

男性差別的な言動百害あって一利なし/曖昧データを論拠にするのはNO/間違った糾弾をした際に反省をしない、謝罪をしないことは信用を落とす/同じフェミニストでも人道にもとる行為は指摘しよう他)

フェミニスト達はこれからどうしていけば住みやす社会を作っていけるか

(必修!過激派アンチフェミニストへの対処法!/なりすましによるフェミニストネガキャン=青識系問題があることを共有する/「怒り」はパワーだけれど使い方を間違えないよう注意)

★どうすればフェミニストアンチフェミニスト共生できるか

(表現の影響力についての果てしない議論/『女は勝手な"性の商品化"に怒るが、男(特に弱者男性)は"商品になれる女"(穴モテであろうとそれでも"誰かに必要としてもらえる"こと)を羨んでいる』という歪な構造理解すべし/最も重要なのは「互いの性を知る性教育」と「性についての共通倫理を持つ」ということでは)

フェミニズムの先には、性別に関わらず暮らしやす社会があってほしい

======

※内容は変わることがあるよ!

追記:うぉ〜早速トラバが荒れてて大変だ……。

でも予想よりも応援してくれる人がいて救われました。コメントありがたいです。

この問題は今非常に複雑な構造になっていて、更に男も女も見えている景色が違うから、分かりあうことがとても難しいです。

今まさに性被害に遭っていてその経験から男性全体を憎んでいる女性もいれば、困窮し誰も頼らず苦しいなか心の支えであるアニメを楽しんでいたのにそれすらも攻撃されて絶望する男性もいて、その一方必死で積み上げたキャリア出産育児ゆえに全て手放さなければならない女性もいれば、体も心も病んでいるのに夫として父親として稼がねばならないと追い詰められている男性もいて……その全員に届く言葉を持ち合わせてないのが悔しいなと思います

ただ、「もう今更遅い」というブコメもあるけど、そうは思いません。役に立つと言ってくれる人もいるし、1mmでも状況を前に進める可能性はあるので頑張ります

この争いを止めたいけれど現状に疲れ果ててしまった方は、ちょっと休んで、もしまた元気になれそうだったら一緒に頑張りましょう。でも無理はなさらず!自分の心の健康が一番!

増田は、「男女共に幸せに」が綺麗事だとしても諦めずにネチネチネチネチやっていくぜ!!!!💪

個別コメントにも答えたいですが個々の議論もつれこむと本筋が脱線しそうなので、まずは↑に上げた内容をまとめていきます

フェミニストの方もアンチの方もそうじゃない方も、こんなやたらと長い文章読んでくださってありがとうございました!

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