はてなキーワード: 権威とは
なぜ「お前がやってみろ」 というフレーズが紋切り型として出てきやすいのかというと
何の権威も技術もないド素人のネガ意見を聞かされるのが不快で時間の無駄だしそこから議論でも吹っ掛けられようもんならたまったもんじゃないからだよ
話の入り方がゴミ過ぎて会話続ける気にならないので黙ってろ、もし続けたいならなんか一芸見せて興味引いて見せろって事
皆自分なりに正しく生きようとする
誰かから見てそれは間違っていても本人はクソ真面目に生きようとしてる
その正しさは世の正しさだったり、世とは無関係にただ生き抜くことが正しかったりして
その差が人から見れば間違いとなったりしてしばしば衝突が生まれている
人権尊重や多様性とはそのような差異も含めて相手の生き方を認める事で、その上で差異の落とし所、お互いの妥協点を探り共存、共生していくことが人の社会と言うものだろうと思う
もちろんこれも、私なりの世の見通し方であって、人によっては不正解なんだろう
卑下しすぎる必要はないけれど、自分が何もかも正しいわけじゃない
その程度の自覚は持たなければいけないと思って生きている
人の世はとても複雑怪奇だ
いっそ自分は何もかも間違ってなくて周りが全て間違ってて悪いんだと言う最もシンプルな生き方を選べたら、確かにそれは一番メンタルには良いし、ある意味正しい選択の一つなのだと思う
この世には自身を善人と信じて疑わない人たちがいる
そんな人たちの世の見方と言うのは自身が先ず善性なので、とても綺麗そうなラベルで身を固める
まるでファッションのように
平和主義、左翼、人権尊重、自由平等、弱者の味方、反戦、反差別、リベラル、ポリティカルコネクトレス、最近ではフェミニズムも
もちろん、この言葉に属する人たち全てがそうと言う話ではない
真正面からその言葉と向き合い、信念を持って取り組んでいる人もいるだろう
そして自身の善性を保つために、自身と意見が異なる人物や嫌と感じた人物には悪性のものとしてレッテルを貼る
戦争、右翼、ネトウヨ、独裁、差別主義、歴史修正主義、デマ、ミソジニー、表現の自由戦士、反フェミ
言葉に対して信念があるかどうかは言動が一致してるかどうかが分かり易い
例えば平和を掲げながら暴力・暴言を振るう人物や、多様性や思想信条の自由を掲げながら右派と見るや犯罪者扱いしたり、フェミニズムを名乗りながら都合の悪い女性の意見は無視するなど、言葉元来の意味に反するような人物はファッションで善人をやってるのだろう
それでも自身は善人である事が大前提なので、本人にとってそこに矛盾はないのだ
善人である自分に文句をつけるから相手は悪い奴、それで完結してしまう
そして悲しいかな今の世は、そんなファッションで善人をやってるような人たちが大手を振るう時代となった
世に打ち出す上では個々人がその言葉に信念があるかないかなんて関係ない、メディアや学術的にも聞こえがいい言葉は使いやすく、そうした言葉を小気味よく振るう人が容易くその言葉の権威に就くようになった
そして、今右傾化と言われる世界は、そんな人たちの綺麗事に対して世界的に反発が起き始めた結果なのだと思う
自身が絶対的に善性で、間違いがないと言う人は問題が起きても自分が悪いと言う思考はないので、相手が悪いと言う他責以外の答えを持たない
自分と無関係な問題の場合、一方が自身が悪性と判断した人物であれば物事の原因分析等もなく、悪性だから悪いで完結してしまう
例えば移民問題では、難民と言うと人道的に保護が必要であり、受け入れてあげるのが人の優しさだろう
善性であれば当然そう動く
しかし問題はその先だ。その受け入れた移民が受け入れ先で問題を起こした場合どうするか?
最初に書いたように人と人の間に差異は当然にあり、問題に対して落とし所、妥協点を探り人の社会として共生、共存の道を探っていくべきだろう
別にこれは移民と言う規模でなくとも、例えば夫婦と言う関係、仕事と言う関係でも人の世の在り方として当然していく事である
しかし実際はどうだろう
問題が起きたと言う現地の声があり、それに対して起きていることは、便乗してデマを流すような悪意ある行為も事実としてあるが、それに対しての自称善人の人の声は個人の問題でありそんな民族間の差異による問題はないと言う問題の全否定である
民族間レベルの問題提起は差別の温床であるから差別者が悪いと言う全く雑な判定だろう
そうしてこれを差別問題とし、差別者が巣食う日本社会が悪いと繋げている
人と人の間で起きた問題に対し一方的な悪を決めつけて何が解決するのか
すべきはデマと事実を切り分けた上で、問題が再発しないよう働きかけ、共存、共生の道を探る事じゃないのか?
問題の全否定などして一方的な悪の決めつけをするからその反発が起こる
欧米では移民問題が拡大し、移民を追い出せと言う声やポリコレ、リベラルへの反発が膨らみ、極右が台頭したと情勢の変化が報じられている
それはまさにこうした問題は全て悪性の人間のせい、右翼のせい、差別主義者のせい、移民には何も問題ないとして自身の善性を語りながら本当の問題そのものに向き合ってこなかった結果じゃないのか?
本邦でも自称善人は差別を批判し、全く問題の事実とは向き合わず民族そのものは何も悪くないとしているが、それは今の欧米への轍を踏んでいるだけではないか
今後もその轍を歩み続け日本でも移民を追い出せと言う勢力が台頭した時、それは果たしてただの右傾化、右翼や差別主義者が悪いと言えるものだろうか
人が正しくあろうとすることは、悪い事ではなくむしろ普遍である
ただ、その正しさに駆られて誰かを悪とする事であらゆる問題を解決しようとしたならそれは反発や分断を産み、決して問題は解決せず、その究極的な行いが戦争と言うものだろうと思う
それを避ける事を主目的とするなら、本当に平和や平等と言った掲げた言葉通りの善性でありたいならそこに右翼も左翼も男も女もない、思想の違いなど些細な事で、地道にでも問題一つ一つに真摯に向き合う事で問題が小さい内にそれぞれの落とし所を探っていき、同時に右翼左翼や男女等、大きな言葉で括って分断化を呼び込まないよう努める事しかないのだと思う
長年インターネットに触れてきて、集合知や炎上やエコーチャンバー、デマ騒動、右翼左翼やら属性に依らず引き起こされる事を実際に見てきてそう思う
上司「そんなに残業したのも、年休とって大学行ったのも、学会で受賞したのも、研究所員から勧誘を受けたのも、全部が私のためだっていうの?!
私はそんなこと一度だってお願いしてない!」
増田「っ!」
増田「お、俺は…!」
上司「私は増田君に、部下と一緒に担当業務やってってお願いしたの。
残業しないでってお願いしたの」
増田「言うことを聞かなかったのは、悪かったと思ってる。
でも違う!違うんだよ!俺は…俺のためになんかじゃなくて…
評価したいのに…
話は早めに私に通してって言ったのに…!
それを全部簡単に破り捨てて
私との約束守ってくれないのに、それでも自分のことは評価して欲しいって
そんなのこと言われたって出来ない!出来ないよ!!」
増田「くっ!」
増田「そうだよ
我が社が俺にしてくれたことが、
増田「わからないのも仕方ない…!でも本当だ!俺は我が社に救われた!
本当の話なんだよ!
俺は我が社に、この世界に来て初めて我が社に―」
増田「くっ」
上司「また、何も言ってくれないよね…」
増田「どうして分かってくれないんだよ…
増田「…俺の…」
増田「これまで全部…俺のおかげで、どうにかなってきただろう?!
クソみたいな機器導入してクソみたいな結果しか得られなかったクソデータから有意義な情報を取り出した!
現場でのことだってそうだ!俺がいたからどうにかなった!言われたことすらやらない奴言ってないことする奴やることなすこと全部間違える奴みんなまとめながら仕事振ってケツ持って育てながら始末書も解決策もルーチンも全部こなした!
俺がいなけりゃもっとひどいことになってた!
全部全部全部!みんな俺が!俺がいたおかげだ!
お前は俺に貸し切れないだけの借りがあるはずだ!!!」【息切れる】
上司「そう…よね…
終わりにしましょう…」
査定-1「…!」
私ね…期待…してたの
他の…普通の優秀な人と同じように、淡々と目の前の業務をこなしてくれるんじゃないかって…」
増田「そんなのムリだ…
そんなことしてりゃ、本当に必要なデータもとれなければ我が社の目標も達成できない、いちいち許可取ろうとしたから一ヶ月も放置されて結局自費で数十万出して諸々やってんだいちいち課長が俺が聞いてないからって本社からの仕事依頼すら弾かないでくれよそうだよそりゃ本社の所掌業務だよでも本社の奴らにこなす能力がないんだよ責任もおいたがらねぇんだよだから仕方ないんだよこの辺境のペーペーに責任なすりつけながらでもそれでもおれはこれが未来に残る遺産として最善だと思ってるんだこれでも我が社は最高だよ科学に向き合うだけ成果が出る最高の職場だよ前職なんて溶液と溶媒の取り違えを指摘しただけでここは研究室じゃないんだと机叩かれたんだほんと我が社には感謝しとるよだから俺はちゃんと本来業務を与えられた職責以上の水準でこなした上でこの仕事を業界の権威がやってくるあのシンポに自費で行って見せつけてコネ作って発信していくのがためになるって思うんだ縦割ってたら永遠に進まず埋もれて没落してくんだそれは世界のためにならないんだ俺は俺に命じられた使命を守ってるんだそれが我が社のしいては国民のしいては上司あんたのためにもなんだってだからこの使命は上司の命よりも重いって倫理教育でも何度もされてんだよ知ってんだろだから目の前のあんたはただサビ残する俺を見逃せばいいんだよ俺らには労基適応されないの知ってんだろだからいいから黙って全部俺に投資し…」
増田「あっ……」
アホのN国信者は「本人訴訟じゃないのに勝ったとか言われても」みたいにホザいているんですが、趣味が裁判の立花孝志が勝手に本人訴訟で戦っているだけであって、なんで素人がアホのフィールドまで降りて行って、尊師の趣味に付き合わなければならないのでしょうか。弁護士にぶっ飛ばしてもらいます。
N国の嫌がらせを真正面から受け止めて闘っているちだい氏の活動は全面的に支持しているけど、立花支持者を「バカ」「アホ」呼ばわりしているのはいつも違和感がある。
それは一つには、「バカ」「アホ」呼ばわりされた側が考えを改めるかというと、明らかに逆効果だからである。すでに「信者」になってしまった人は言うまでもなく、中立派の人たちも、「立花さんは過激な方法だけど問題提起をしているだけなのに」と心情的に立花支持に向かわせてしまう可能性が高い。
もう一つは、陰謀論にハマる人は実際のところ「頭がいい」からである。陰謀論者の特徴は、断片的な事実を首尾一貫したストーリー(「斎藤知事は県議会の既得権益者と闘ったが故にありもないパワハラをでっちあげられた」)に、きれいにまとめあげてしまう能力が高いことである。ストーリーに反するように見える事実があっても、「それはこういうことでしょ」と即座に却下できてしまう。
自分のような「頭が悪い」人間は、ストーリーに反するように見える事実があったら、すぐにわけがわからなくなって混乱してしまう。だから自分のような「頭が悪い」人間は結局のところ権威主義で判断するしかない。つまり、元NHKの事務職員で懲戒処分を受けたという人間よりも、とりあえず弁護士や大学教授など、肩書きがまともで実績のありそうな人の意見や、少なくとも世間の常識から外れていない人を信頼するしかないのである。
事実、高橋洋一やホリエモンなど、立花の肩を持つ連中は、みんな日本における「頭のいい人」の代表である。そもそも、権威のある肩書きや世間の常識をふっとばしてまで立花を支持できるのは、「頭がいい」人間でなければ無理なのである。立花の件に関しては、「頭が悪い」人間で良かったと思う。
そもそも流行語に、IPタイトルを持ち上げるのはナンカチガウ気がしている
それは流行語ではなく「今話題の作品![PR]」みたいなものを感じる
まあ聞いたこともない作品だから調べたら春頃やってたドラマらしいから今話題というより当時話題だったのかもしれないが
https://www.ctv.co.jp/news/article/?a6f2b4d4ce224c4ba6bfb6ca4f2f4d49
一部とはいえ私もマイノリティ側の人間であることを馬鹿にしてきた人が文フリで活動していると知って気持ちが悪くなったことがある。
どこでもそうだけどああいう連中はホモソ的な空間を演出するためなら他人を足蹴にするし既に有名な人や権威にこびりながら弱者をあざ笑うんだよね。
「批評」の本質が内容じゃなく権威にいかにうまく乗っかって人間が発言権を持つかだけになった現在では読み物よりも「広告」を見に来るのと同じでしかないんじゃない。
一部とはいえ私もマイノリティ側の人間であることを馬鹿にしてきた人が文フリで活動していると知って気持ちが悪くなったことがある。
どこでもそうだけどああいう連中はホモソ的な空間を演出するためなら他人を足蹴にするし既に有名な人や権威にこびりながら弱者をあざ笑うんだよね。
「批評」の本質が内容じゃなく権威にいかにうまく乗っかって人間が発言権を持つかだけになった現在では読み物よりも「広告」を見に来るのと同じでしかないんじゃない。
政治的にというか、道徳的な政治的正しさの面で、銃持った人間が撃ち合うような、殺人シーンを直接的に喚起するゲームってすべてナンセンスだと思う。
歴史上の偉人を女体化するゲームと同じくらいにはナンセンスって感覚だな。
ゾンビとかイカが撃ち合うならまあ、と思うし、戦闘機や戦車を扱うのもギリギリ健全な娯楽に入ると思うけど、殺人ゲームは不良のセンスだと思う。女体化がpervertのセンスであるのと同じように。
べつにナンセンスだから禁じたり隠れてするべきとはまったく思わないけど、それらのプレイヤーは、当該作たちが歴史を背景にしてるとかどのへんが忠実みたいな真面目な側面ばかり強調して趣味を権威化することなく、謙虚に自省できるメンタリティを持っていてほしいと俺は思うね。
現代日本のネット上では右翼(体制や権威に従順で反左翼)でも左翼(反右翼)でもリベラル(伝統を軽蔑し科学技術を信奉する)なのがたいていだと思う
自然への畏敬の念を肌感覚として身に着けていないから人間が脆く儚いという知識しか認識しておらず、クマの駆除の妨害を非難する一方で人の死をコントロールしようという企てである安楽死に賛成したりする
とくに権威の無いカー・オブ・ザ・イヤーのはずだった
思えば今年はキングオブコントでも、ロングコートダディさんは盤外の裁定のためにうっすらヘイトを買っていた感がある。私の主観だが、Twitterとかでも同じように見る意見が当時、散見されたのを覚えている。
花屋のモンスターカスタマーのネタは無論、兎さんの卓越した演技力もあってめちゃくちゃ完成度の高いコントだったと思う。ただ、爆発的な笑いがドン、とあるというよりニュアンスの笑いだし、ライブの時とオチが変わって劇的になった(元は事故に遭うくだりがなくて、つくらせた花束を店員さんにプレゼントして「好きな人への贈り物だから完璧にしたかったんです」みたいなことを言って普通にフラれる)代わりに兎さんのあの客の態度の悪さが物語上で回収・解消されなくなってモヤモヤが残る、手放しに「大好き!」とは言えないネタだった。あの点数はちょっと高すぎたと思う。
なぜロコディさんにあんな高得点がついたのかと言えば、私は「令和ロマンと松本人志の呪い」だったと見ている。
今年のキングオブコントは、M-1に先立つ「松本人志が審査員席に居ないお笑いの大会」として、ちょっと観測気球的なポジションにもなっていた。
審査員長枠のプレッシャーを番組中でも口にしていた飯塚さんはじめ、審査員たちは(というか制作陣が)心のどこかで「松本がいなくてもちゃんと公正で権威ある審査ができた」実績をつくらねばという強迫観念を抱えていたと思う。
だから、「トップバッターはとりあえず様子見の基準点」という、例年通りの定石が打てなかった。なぜなら去年のM-1、松本失脚直前のM-1で「トップバッターでウケた令和ロマンがちゃんと高得点を取って3位に入り、そのまま優勝した。それがネットなどの評判としても概ね、納得できる結果と受け止められている」事実があるためだ。
だから彼らはロングコートダディに低い点数をつけることができなかった。「去年のM-1は出順に関係なくちゃんとした評価ができていたのに、今回のKOCは……」と比較されたくないからだ。
(や団さんは、あまりにも出来が良く、そしてそこまでの認知度がなかったところからのインパクトだった「2022年の自分たち」も越えないと飯塚さんが良い点をつけてくれないという、あまりに重い十字架も背負わされてて本当にかわいそう)
想像してみよう
ちょっと推そうと思って「このXXってSFすげえ!神!」と書き込んだとする
そこに「いやXXは間違ってるから」」や「そのXXのアイデアは〇〇って作品の丸パクだから」と横やりが入る
また、なにより、気軽に「XXって神!」と気軽に騒ぐ層が「こういうツッコミをもらいやすいジャンルはビュー数稼ぎづらい」と学習する
読んで欲しいという欲望が抑えきれない作家は、少なくともランキング形式投稿サイトでは”SF”を書くのをやめる
SNS以前、10年前までなら、ネット経由の口コミはありえたと思う
もう編集者や出版社、批評家などのオールドメディア経由でないと露出が難しいのではないか
欧米の連綿たるメインカルチャーの伝統、教会や王権といった権威によって裏付けされたアカデミズムを前提として成立した科学主義を踏まえたインナーサークルに加入するという体裁が曲がりなりにもあって、それ踏まえた上での想像の自由を認めることで成立するジャンルなので
そのあたりを吹っ飛ばすスペースオペラが容認されるのも「こういうのを認めるのが伝統を維持する上で大事」という、カトリックの反宗教改革におけるバロック的演出の活用みたいな算段があるからで、バックに権威が控えてるのは同じ
思うに男は単独でそのへんにあるスピリチュアルは嫌いだけど、権威をまとったスピリチュアルは大好物
「科学的な」という形容詞がつけば内容はスピでもすぐ信じるし、
マスゴミと貶しつつメディアで取り上げられてるか否かで態度変わる(ガイアの夜明けあたりで紹介されるスピ丸出しな商法に飛びつく)し、
ハードカバーの分厚い書籍があるか否かでスピをスピと思わずコロっといくし
逆に女は権威より横からの情報、口コミや友人経由でスピに飛びつく
どっちがマシかといわれると、どっちもそれぞれの生存戦略(男は権力機構に組み込まれることで生きのび、女は個々人の一対一コミュニティ網に組み込まれることで生き残る)に従って、信じたい(信じたほうが楽な)スピに流れるってことかと