「課題」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 課題とは

2025-01-18

このニュースおもろい

www.businesswire.com/news/home/20241218473305/en/Pray.com-and-Palantir-Partner-on-AI-Applications-for-Faith-based-Nonprofits-Highlighting-Versatility-of-Palantir%E2%80%99s-OSDK-Offering

日々の祈り信仰に基づくコンテンツナンバーワンアプリである Pray.com は最近人工知能システム大手ビルダーであるパランティア・テクノロジーズと提携し、特に言語翻訳の分野で新製品の発売を加速し、コンテンツ提供を大幅に強化し、時間コストを飛躍的に削減することを目指しています

Pray.com は早い段階で、コンテンツ複数言語翻訳すること、特に人件費イディオムコストに関する課題認識していました。Pray.com、規模に合わせて構築およびテストされたシステム使用して、手作業コストのかかるプロセス自動化するソフトウェアを求めていました。PalantirのOntology Software Development Kit(OSDK)を使用して、Pray.com はついに母国語話者品質トランスクリプト翻訳コンテンツを処理できるようになりました。

PalantirのOSDKは、PalantirのAI機能を幅広い業界カバーする既存テクノロジースタックシームレスかつ手頃な価格統合する、建設業者向けの新しい製品です。Pray.com、成長を続けるアプリケーションにAI価値を迅速かつ安全に導入するためにPalantirを選択し、OSDKの機能を取り入れた初期の大手スタートアップの1つになりました。

Pray.com の素晴らしいコンテンツ、最も影響力のある信仰の声、そしてグローバル展開の拡大により、複数言語で高品質プログラミング提供するソリューション必要であることがわかりました」と、Pray.com の創設者CTOであるRyan Beck氏は述べています。「Palantirの評判と、長年にわたるAIアプリケーションの先駆者であることに感銘を受けました。彼らと提携してソリューションを開発することは、正しい選択だと感じました。私たちは、技術スタックAI以前のスタックからAI後のスタックに移行したかったのですが、Palantirは私たちAI後の世界に移行させてくれました。」

祈り」まで最適化だって

そもそも祈りって言葉通りの意味だけじゃないんだよね

地域文化によっても全然違うのに

まぁ結局のところビジネスから仕方ないんすけどね

人の信仰心も所詮マネタイズ対象ってことですわ

数分で翻訳できて、コストも削減できて、素晴らしいね

次は「AIによる祈り自動生成」とかやり出しそう

anond:20250118145450

Mくん: あの、智子先生ちょっと相談したいことがあるんですけど…。

智子先生: …なんだ、M。珍しいな。どうした?悩みでもあるのか?

Mくん: はい最近、なんだか自分が何をやってもダメな気がして…。例えば、自分文章力が足りないとか、人に迷惑ばかりかけてるんじゃないかとか…。あ、これって僕のせいですよね?

智子先生: なるほどな。お前の言う「何をやってもダメ」ってやつ、心理学では「認知の歪み」って言うんだが、Mの場合、それがいくつか混ざってるっぽいな。

Mくん: 認知の歪み…ですか?

智子先生: そうだ。簡単に言うと、「物事事実よりも偏った見方で捉えちゃうこと」だ。Mの話を聞く限り、いくつか典型的パターンが見える。

智子先生: まず一つ目、「個人化」だな。お前、なんでも自分のせいだと思ってないか

Mくん: そうかもしれません…。相手が嫌な気分になったら、それは僕が悪いんじゃないかなって…。

智子先生: バカ言うな。相手がどう感じるかは相手問題だ。もちろん、自分が失礼な態度を取ったんなら反省する必要はあるが、相手勝手に悪く受け取るのまでお前が背負い込む必要はない。

智子先生: 次に、「全か無か思考」。これもやっかいだ。お前、例えば文章力を「大学生以下」とか言ってたけど、実際にテストでもしたのか?

Mくん: いえ、テストはしてないですけど…。なんとなくそう思うんです。

智子先生: それだよ。「なんとなく」で自分全否定するな。文章力が足りないと思うなら、どの部分が具体的に課題なのかを見つける方が大事だ。そもそも他人がすごく見えるのは、お前が自分過小評価してるからだぞ。

智子先生: あと、「被害妄想」な。裏で悪口を言われてるとか、SNSで何か書かれてるとか考えてるみたいだけど、それ、証拠あるのか?

Mくん: …たぶんないです。でも、過去にそういうことをされたから、また起こるんじゃないかって…。

智子先生: うーん、過去経験が影響してるのはわかるけどな、それが現実になるとは限らない。今の時点で証拠がないなら、まずは「そうかもしれないけど、違うかもしれない」くらいに考えとけ。

Mくん: でも…僕、都合のいい人扱いされてる気がして…。

智子先生: それ、「自分へのラベリング」ってやつだな。そう決めつけてるのは、他でもないお前自身だ。他人の行動を自分に対する評価だと思うな。実際、Yさんからは頼られたり感謝されることもあるんだろ?

Mくん: はい、そういう時もあります…。

智子先生: それだよ。それを無視して「都合のいい人だ」と決めつける必要はない。

Mくん: わかってきました。でも、どうやって考え方を変えればいいんでしょうか?

智子先生: よし、じゃあ具体的なアドバイスをしてやる。

事実思い込みを分ける

「こう思う」は「事実」じゃない。何かを信じ込む前に、「本当にそうなのか?」と一度確認してみろ。

客観的に状況を見る

自分に厳しくなる前に、「もし他の人が同じ状況だったら、自分はどうアドバイスするか?」を考えてみるといい。

さな成功体験を積む

文章力不安なら、短い文でいいか練習して、誰かに見てもらえ。「やればできる」って実感が少しずつ自信につながる。

ネガティブ思考を疑う

自分の考えが「いつも」「全て」に当てはまるか、確認してみろ。ほとんどの場合、そんなことはない。

Mくん: ありがとうございます…。なんだか少し気が楽になりました。

智子先生: それでいい。お前のその真面目さ、悪いもんじゃない。ただ、もうちょっと自分に優しくしろよ。お前が自分否定しすぎると、誰も助けられなくなるからな。

Mくん: はい!頑張ってみます

智子先生: よし、じゃあまた何かあれば来い。私はいつでもいるからな。

2025-01-16

日本肥料調達問題 - 東南アジアを中心とした中継国戦略可能

http://blog.tatsuru.com/2025/01/16_0836.html

ブログ記事へのツッコミを書いてみる。

内田樹さんが語る農業基幹産業にという主張、よくわかる。でも、今の日本農業が抱える課題って、もっと具体的で切実なんだよね。特に肥料調達問題

今、日本肥料原料のほぼ全量を輸入に依存している。尿素マレーシア中国カタールリン酸アンモニウム中国ヨルダンモロッコ。塩化カリウムカナダロシア。このサプライチェーン中国の輸出規制ロシアウクライナ侵攻で揺らいでいる。

で、よく言われるのが「原産国の近くで農業やって日本に輸入すればいい」って案。でもこれ、現実的じゃないんだ。

なぜかって?尿素の原料となる天然ガス豊富中東農業に向いてない。リン鉱石が採れるモロッコ水不足インフラ整備のコスト馬鹿にならない。

そこで俺が考えたのは「中継国戦略」。原産国日本の間にある国、特に東南アジア農業拠点にする案だ。

例えばベトナムなら中国から肥料原料の中継地として使える。タイ技術力と農業インフラが整ってる。インドネシアには広大な農地労働力がある。

この戦略のいいところは三つ。

一つ目は地理的な優位性。既存物流ルートが使える上に、気候農業に適してる。

二つ目経済的メリット労働コストが安いし、既存インフラも使える。現地での消費も期待できる。

三つ目はリスク分散地政学リスクを減らせるし、複数供給ルートが確保できる。

もちろん課題もある。品質管理体制の構築や、保管・輸送インフラの整備、人材育成...。でも、これらは段階的なアプローチ解決できる。

内田さんは「食物は商品ではない」って言う。その通りだ。でも、だからこそ、現実的供給戦略必要なんじゃないか理念的な議論大事だけど、今、目の前にある課題解決する具体的な方策必要だと思うんだ。

国内農業価値を再評価するのは賛成。でも、それと同時に、グローバルなサプライチェーンの再構築も考えなきゃいけない。両方やらないと、本当の意味での食料安全保障は実現できないんじゃないかな。

anond:20250115224311

ChatGPTに読ませてみてどこが問題相談してみたよ!対話できるように改められるといいね!

---

以下に、記載内容から見える問題点を箇条書きでまとめます

1. 妻の努力を認めていない

• 「努力を認めてもらえていない」という妻の訴えがあるにもかかわらず、増田はその努力を具体的に評価する行動を取っていない。

• 「できていないので指摘をしていた」というスタンスが、指摘ばかりで感謝承認が欠けている可能性がある。

2. 人格否定的言動

口論時に「わがまま」「幼稚」「未熟」「頭がおかしい」などの言葉使用している。

• これらの言葉は、相手人格否定する表現であり、信頼関係を損なう

3. 思いやりや寄り添いの欠如

• 「正しいか正しくないか判断」し、「改善する点がある側が改善するべき」と考えている。

• 妻が求めているのは、具体的な正しさより感情的共感や寄り添い。

4. 問題の原因を妻にだけ求めている

• 妻が「私も1割悪いところがある」と言っているのに対し、自身責任を一切認めない姿勢

• これにより、妻が孤立感や不公平感を抱いている可能性がある。

5. 妻の行動や感情を過度に評価しがち

• 「生理の症状がひどい」「ヒステリック」といった記述により、妻をネガティブ描写している。

自身の主張を正当化するために妻を「悪い」と見なしている点が顕著。

6. 自己評価が高すぎる

• 「いい夫ランキングがあるとすれば上位10%以内」と自己評価をしており、自分には改善すべき点がないと信じている。

増田あらためるべき点

1. 妻の努力を具体的に認める

洗濯や娘との関わりなど、妻が日々行っていることに対して具体的に感謝承認言葉をかける。

• たとえば、「洗濯や娘ちゃんの面倒を見てくれて本当にありがとう」と日常的に伝える。

2. 人格否定する言動を改める

口論時でも冷静に話し合う姿勢を持ち、感情的言葉を控える。

• 「わがまま」などの表現を「どうしてそう思うの?」という質問に置き換えることで、建設的な対話を目指す。

3. 妻の感情に寄り添う

• 「正しい・正しくない」よりも、「どうしてそう感じたのか」に焦点を当てる。

• たとえば、「それはどうしてそう感じたのか教えてもらえないかな?」と尋ねる。

4. 自己評価を控えめにし、改善点を認める

自分に非がある可能性を冷静に考え、妻に対して「自分のこういうところが悪かったかもしれない」と認める姿勢を示す。

5. 妻を一方的悪者にしない

• 妻の行動や感情否定する前に、自分の態度や行動がそれを引き起こし可能性を考える。

• 妻の「怒り」や「行動」に隠れた理由を探り、それに対して自分がどう行動すべきかを考える。

6. 感情の共有を増やす

• 妻と話し合うとき、「自分気持ち」を伝えるだけでなく、妻の気持ちにも耳を傾ける。

• たとえば、「僕もこう感じたけど、君はどう感じた?」と双方向コミュニケーションを心がける。

全体的なアドバイス

増田課題は、妻とのコミュニケーションの中で感情的な寄り添いと具体的な感謝が不足している点にあります。日々の小さな努力を認め、口論時には冷静に話し合う姿勢を取ることで、信頼関係を再構築できる可能性があります

[]

論文に出ている結果を再現させるという課題与えるか

メリット

なにをやればいいかがわかりやすい。コードが公開してなくても数式をせっせとコパイロットコード化させればいい。

答え合わせできるのでチェックできる!場合によっては参考にした・・・の著者に教えてもらえるかも!

デメリット

たとえ結果が出ても独自性がない!独自性出すためにはシステムを変えておけば おk

2025-01-15

anond:20250115220907

レビュー」のもう一つの焦点は、前節で取り上げたNIRPを含めて、この間に実施した非伝統金融政策波及効果である

 

この点に関して興味深いのは、構造モデル時系列モデルの双方の計量分析の結果として、需給ギャップに対する効果の点では、株価為替レートを通じた政策の波及が半分強を占めていたとする結果である

 

政策金利の変更が資金調達コストを通じて設備投資や消費に影響する波及経路については、理論的な枠組みも頑健で、計量的に安定した推計を導くことができる。これに対し、株価為替レートを通じた波及経路は、関連論文が指摘しているように仮説が併存している上に、状態依存性が高いという問題が残る。

 

厄介なのは為替レートである。この問題対応する上では、為替レートの予測自体は困難としても、為替レートが変化した場合経済物価への影響はある程度推計できるだけに、この点について日銀と金市場理解を共有することが第一であるように思われる。

 

その上で、実際の物価変動のうちで為替レートの影響を除いた「基調」についても理解を共有することが望ましいが、「レビュー」が示唆するように、為替レートは間接的な経路を通じても物価に影響を与えうるだけに単純ではない。そうしたメカニズムは主としてどのようなものか、当面の経済構造を前提にした場合にどのメカニズム重要なのかを明らかにすることも、日銀と金市場にとって共通課題となっている。

anond:20250115220515

マイナス金利政策(NIRP)に残された課題

 

第三に、より難しい課題ではあるが、NIRPが長期にわたって維持されるとの期待を生じないようにする必要がある点である

 

先にみたNIRPの政策効果矛盾するように聞こえるかもしれないが、NIRPの政策効果があまりにも強いと、低金利環境の長期化という思惑を通じて、折角変化し始めた企業家計行動様式が元に戻ってしまう恐れがある。少なくとも、NIRPの解除条件を事前に明確化することが不可欠である

anond:20250115100926

いや誤解されがちだけどフェミニズム女性の権利自由を取り戻すために存在してる。

振り袖を着る自由放棄するのは逆方向のベクトルですよ。

女性けが華美な格好を期待されて出費を強要される理不尽釣り合わせが取れてない。

なのに、むしろ逆に焼肉の半額キャンペーンさえも目くじらを立てられる状況がミソジニー的で。

フェミニズムの優先課題として強く批判されてるかと。

2025-01-14

anond:20250114073650

そもそも知的な分野で女は戦ってないか

おまえの評価軸の持ち出しかたが間違ってる

野生の世界でメスはオスから獲物をもってきてもらって子作りすることが最重要課題

そして下位オスではなく上位オスを見極めなければならない

「品定めする乞食」は野生の本能に忠実なだけだ

デヴィ夫人、メラニ夫人、メーガン王妃彼女らのようなタイプ知的勝負なんて1mmたりともしてないが

女の世界では伝統的な生き方であり

近代化してない地域あるいは有色人種に生まれ教育投資もしてもらえなかったオバサンが

野生のルールに過剰適応し続けるのはオバサンのせいではない

彼女らを図に乗らせてるのは

あわよくばやらせてもらおうとする強者になれないオスのほうだろう

仮想通貨終わった

 「仮想通貨はもう終わった」と、ここ数年で仮想通貨界隈に興味を持っていた人なら誰しも一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。ビットコインをはじめとした仮想通貨価格は、2017年末の爆発的な盛り上がりや2021年の再ブームを経て、乱高下を繰り返してきた。そのたびに高騰を期待して飛びついた投資家が痛手を負い、あるいは莫大な利益を得たという劇的なニュースメディアで取り上げられてきた。しかし、近年では大口投資家撤退規制強化の影響もあって、「仮想通貨バブル崩壊した」「もう仮想通貨で儲かる時代は終わった」といった声が再び強まっている。だが、本当に仮想通貨終焉を迎えたのだろうか。それとも、新たな局面に向けた再編が進んでいるのだろうか。本稿では、仮想通貨価格乱高下の背景や、利用者が幻滅に至った要因、そして今後の可能性について考察してみたい。

 まず、仮想通貨市場が大きく盛り上がった要因として注目されるのが、ビットコイン価格高騰である2017年のいわゆる“ビットコインバブル”は、多くの投資家メディアの関心を引きつけ、一夜にして億万長者を生み出したという話が世間を駆け巡った。当時、ビットコイン価格わずか数年の間に何十倍もの値上がりを見せ、「仮想通貨さえ持っていれば誰でも儲かる」というような“仮想通貨神話”が広まり一種の狂騒状態になったことは記憶に新しい。しかし、その後には一転して価格が大幅に下落し、多くの投資家資金を失った。この極端な値動きが「バブル」という表現裏付け仮想通貨に対する世間の印象は「儲かるかもしれないが危険すぎるもの」へと変化した。さらに、2021年にはテスラCEOであるイーロン・マスク氏の発言や、コロナ禍での金融緩和政策により、ビットコインをはじめとする仮想通貨に再び資金流入。驚異的な価格上昇を見せたものの、その後の金融引き締めや各国の規制強化を受け、またも急落するというシナリオが繰り返された。

 一方で、こうした価格変動だけではなく、詐欺的なICOInitial Coin Offering)やハッキング事件マネーロンダリングへの利用など、仮想通貨が抱えるさまざまな問題投資家の信頼を損ねた要因ともなった。特に知名度の低い仮想通貨プロジェクトが「世界を変える新技術」とうたって資金を集めたものの、開発が停滞したり運営者が失踪したりするケースは後を絶たない。こうした状況を目の当たりにした投資家一般ユーザーにとっては、「仮想通貨は結局、詐欺投機の温床ではないのか」といった疑念が強まるのも無理はない。また、仮想通貨の送金やウォレット管理のための仕組みを理解することが難しいという点も、初心者には大きなハードルとなってきた。その複雑さは一部で「自己責任」という形で美化されがちだが、実際にはセキュリティ知識運用リスクへの意識が低いまま参入した場合ハッキングパスワード紛失などで資産を失う危険性が高い。実際に被害に遭った人々のニュースを見聞きすると、仮想通貨に対して「難しくて危ないもの」というイメージが固まってしまうのも仕方がないだろう。

 さらに、国や金融当局による規制強化の動きも「仮想通貨終わった」と言われる一因として挙げられる。特に中国のようにビットコインマイニング事実上禁止したり、大手取引所に対して厳格な規制を課したりする動きは、マーケットに大きなショックを与えた。また、アメリカでは仮想通貨関連の事業に対して納税義務を徹底する法律が整備され、これまでグレーゾーンだった税務処理をきちんと行わなければならない流れが急速に進んでいる。日本でも、金融庁が仮想通貨交換業者監視登録制とするなど、利用者保護観点から取り締まり検閲が厳しくなった。これらの規制強化は、一見すると仮想通貨ネガティブな影響を与えるように思われるが、実は健全市場を育てるためには避けて通れない過程だという見方もある。詐欺プロジェクトマネーロンダリングなどの不正摘発し、利用者安心して取引できる環境を整えることは、仮想通貨の長期的な発展には欠かせない。しかし、過度な規制によってイノベーションの芽が摘まれリスク否定できず、ここにはバランスの難しさがある。

 次に、仮想通貨が「終わった」と言われる背景には、NFT(非代替トークンブームの盛衰や、メタバース関連銘柄の失速も大きく影響している。2021年前後には、デジタルアートゲームアイテムをNFTとして売買し、天文学的価格がつくケースが相次いだ。多くの企業クリエイターがこぞって参入し、「これからはNFTの時代だ」と大々的に報じられた。しかし、NFTマーケット熱狂は長くは続かず、投資対象としてはリスクが高すぎるうえに、実際の利用用途限定的であることが次第に明らかになった。加えて、メタバースも同様に、2022年頃にはFacebook(現・Meta)の社名変更きっかけに大ブームが起きたものの、実際にビジネスとして収益を上げられる企業はごく一部に限られ、その多くが苦戦を余儀なくされている。こうしたNFTやメタバースの失速が「Web3」や「分散型の未来」といったキーワードに対する期待感を急速にしぼませ、結果的に「仮想通貨なんてもう流行らない」という声が再燃しているのだ。

 また、環境への配慮無視できない課題となっている。ビットコインマイニングには膨大な電力が必要とされ、その電力需要CO2排出量を増加させるとして批判されてきた。近年ではイーサリアムコンセンサスアルゴリズムプルーフ・オブ・ステーク(PoS)に移行するなど、省エネルギー化の取り組みを進めているプロジェクトもあるが、依然として「仮想通貨環境に悪い」というイメージ払拭しきれていない。世界的に脱炭素再生可能エネルギーへのシフトが加速するなかで、この問題クリアにできなければ、仮想通貨社会的評価を高めることが難しいだろう。投資家としても、ESG投資意識するファンド企業が増えるなか、環境負荷の大きなビットコインには投資しにくいという声が高まっている。

 もっとも、これらの要因をもって「仮想通貨は終わった」と結論づけるのは早計かもしれない。なぜなら、価格の乱高下や投機的なブームが落ち着いたあとにこそ、ブロックチェーン分散型台帳技術の“本質的価値”が見極められるからだ。実際、金融サービスデジタル化が進むなかで、国や大手金融機関が中央銀行デジタル通貨(CBDC)の発行を検討する動きは続いている。これは、仮想通貨の根幹にあるブロックチェーン技術が“使えない”わけではなく、むしろ国家レベルでの採用可能性が議論されている証左でもある。また、分散金融DeFi)の領域では、スマートコントラクトを使った新しい金融サービスが着実に開発されており、既存銀行システムでは実現が難しいとされてきたサービス提供し始めている例もある。こうした動きは、仮想通貨投機的な側面とは一線を画し、技術的・社会的価値を追求する流れといえるだろう。

 ここで言えるのは、「仮想通貨が一度ブームになって、その後価格暴落するからといって、その技術やコンセプトが消滅するわけではない」ということだ。インターネットの普及初期にも、“ドットコムバブル”と呼ばれる株式市場の大暴落が起きたが、それを経てネット企業が淘汰され、生き残った者たちがその後のIT産業をけん引してきたという歴史がある。ブロックチェーン技術についても、同様のプロセスを辿る可能性は十分に考えられる。つまり、“仮想通貨バブル”の崩壊を機に詐欺的なプロジェクトが淘汰され、セキュリティ面や実用性が高い技術けが生き残り、社会インフラとしての地位確立していくシナリオがありうるのだ。実際に、世界各地でブロックチェーンを使ったトレーサビリティシステムや、分散型のデータ管理システムなどが実装され始めている。そこでは仮想通貨の“価格”よりも、トラストレス相手を信用しなくても取引できる)で改ざん耐性の強い仕組みによるメリット評価されている。

 では、今後仮想通貨ブロックチェーンはどのように進化していくのだろうか。おそらく、投資対象としてはこれまでほどの激しいブームは起こりにくくなる一方で、緩やかな形で日常生活に浸透していくと考えられる。たとえば、デジタル通貨ウォレットによる支払いが徐々に普及し、銀行口座を持たずともスマートフォン一つで送金や決済ができる社会現実味を帯びてくる。SNSオンラインサービスログインアイデンティティ管理ブロックチェーン技術活用されるケースも出てくるかもしれない。そうなれば、従来の仮想通貨投資対象というイメージが薄れ、あくまで「便利なインフラの一部」として受け入れられていく可能性がある。もちろん、それにはユーザー技術意識せずに使えるようなUI/UX改善や、各国の法整備国際的合意形成必要だ。しかし、より実用的で幅広い人々に恩恵をもたらす技術としてブロックチェーンが発展していけば、仮想通貨が“終わった”と思われた先に、実は新しい常識が形作られているかもしれない。

 結論として、「仮想通貨終わった」という言葉メディア投資家の間でささやかれる背景には、価格の乱高下や詐欺被害規制強化、環境への批判など、さまざまな要因が複雑に絡み合っていることが挙げられる。確かに2017年2021年のような爆発的な“仮想通貨バブル”は終息し、市場全体の熱狂が冷めた印象はあるだろう。しかし、それと同時に、ブロックチェーンの持つ革新的ポテンシャルまでもが失われたわけではない。むしろ、過度な投機マネー市場から抜けることで、本来技術価値実用性に目を向けやすくなるという見方もできる。

 ネット業界歴史を振り返っても、バブル崩壊を経てこそ本質的な利用価値が磨かれるという事例は枚挙に暇がない。ブロックチェーンの普及も同じような道筋を辿る可能性は高いだろう。詐欺まがいのプロジェクトが淘汰され、信頼性と実績を備えたプロダクトが浸透していくプロセスこそが、この先の仮想通貨ブロックチェーン業界の“成熟期”を形作るのではないか。もちろん、その間には法的な課題技術問題社会的理解の不足など、乗り越えるべきハードルがまだまだ存在する。だが、「仮想通貨なんてもう古い」という決めつけだけでは、新しいテクノロジー社会変革の萌芽を見落としてしまうかもしれない。

 結局のところ、「仮想通貨終わった」という声は“単なる終焉”を意味するものではなく、“新たな段階への移行”を予感させるものだ。投資対象としてだけではなく、社会インフラとしての仮想通貨ブロックチェーン活用例が増えれば、私たち日常における“当たり前”が変わっていく可能性は充分にある。これまでのような一攫千金物語が表舞台を賑わすことは減るかもしれないが、同時に詐欺投機目的プロジェクトも萎縮していくことで、技術としての真価を発揮する土壌が生まれるだろう。あくまで冷静に長期的な視点をもって、ブロックチェーン技術とその社会的役割を見極めることこそが、私たちに求められているのではないだろうか。

 今後も仮想通貨が“終わった”と言われる局面は幾度となく訪れるだろうが、そのたびに生き残ったプロジェクトや新たに生まれ技術が、社会にどのようなインパクトを与えるかを見逃してはならない。乱高下やバブル崩壊は、あくまで通過点の一つであり、次の発展を芽吹かせる土壌づくりでもある。もし仮想通貨が本当に終わったのであれば、いまさら各国の中央銀行デジタル通貨検討したり、大企業ブロックチェーン技術研究したりする理由はないはずだ。したがって、「仮想通貨終わった」と言われる今日この頃からこそ、過剰な熱狂に流されることなく、技術本質や長期的なビジョンをしっかりと見据えることが重要である。そして、もし実際にこの領域が再び脚光を浴びる日が来るとすれば、それは表面的な値上がりではなく、実用的な側面や社会インフラとしての定着が評価されるタイミングであるに違いない。私たちはその日を、“仮想通貨の第二幕”として迎えることになるのだろう。

田舎者の半生

西日本のド田舎生まれる。

信号機すらない田舎だ。

電車など当然なく、バスも日に数本だった。

小学校クラス10人程度。

複式学級にはギリギリならなかった。

勉強は楽しかった。

わかるのが楽しかったし、わかる奴には次々と新しい課題を出してくれるのも楽しかった。

算数の授業にはなぜか二人の先生がついており、わかる子は難しい問題を投げ、わからない子には先生がつきっきりで教えていた。

俺の他にも勉強がやたらできる奴がいて、そいつ競争したり、一緒に問題を解いたりもしていた。

事実上、少人数教育と習熟度別の学習が実現できていたわけで、教育環境はド田舎にしてはかなり良い方だったと思われる。

勉強運動もできたが、人間関係は苦手だった。

はいわゆる積極奇異型のASDだった。

距離感や話し掛けるタイミングおかしい。

今思えばそのおかしさを笑われていたこともあったように思うが、当時の俺は自分が笑われていることに気づいていなかった。

それでも概ね楽しく過ごせていたから、クラスメイトたちはとても優しかったのだと思う。

やたら気がよく優秀な奴の多いクラスだった。

マイルドヤンキーな悪友は立派な父親になり、アスペの俺にまで優しくしてくれた子たちは県内の有名進学校に進み、俺と算数の出来を競っていた奴は旧帝大に行った。

中学まで俺は彼らに守られていたために大過なく成長することができたが、高校からはそうはいかない。

地元には高校などなく、進学するには町を出る必要があったからだ。

受験とか面倒くさいなあと思っていた俺は、実家からギリギリ通える普通科高校に通うことにした。

特に対策などする必要がなくて楽だったし、勉強などどの学校でやっても同じだと思っていた。

高校でも勉強はできる方だった。

入学して最初の実力テストでは学年で三位だった。

最初は俺も勉強をがんばっていたが、部活人間関係に悩み、学校サボりがちになった。

落ち込み気味になり、クラスでも孤立していた。

高校小学校中学校のように優しい世界ではなかった。

高校にいい思い出はあまりない。

それでも最低限勉強はこなし、結果的都内の有名私大に進学することになった。

同級生たちは誰も俺がそこに進学することを知らなかっただろうが、担任先生は喜んでくれて、それに救われた気持ちになったことを覚えている。

親も喜んでくれた。

俺の実家はド田舎だが、大学進学には理解のある家庭だった。

後で聞いた話では、父親は昔、大学に行きたかったけど諦めた過去があるらしかった。

さて、電車ほとんど乗ったこともないような田舎者が東京に行くことになったわけだが、世界屈指の巨大ターミナル駅に降り立っても、特に感慨は覚えなかった。

元々引きこもり気質だったことに加え、ド田舎育ちのため、街に対する感性が育っていなかったためだと思う。

ただ電車に乗るのは楽しかった。

揺られながらぼーっと街並みを眺めるのが楽しかったし、それに飽きたら音楽を聞いたり本を読んだりできるのもよかった。

青春18きっぷ存在を知ってからは、電車帰省するのが数少ない楽しみになった。

大学では一年だけ寮に入った。

寮の人たちはとても面倒見がよかった。

先輩は困っている後輩がいないかよく気を配っていたし、同期も俺を友人として認めてくれていた。

寮を挙げてのイベントもいくつかあり、その度に寮生たちは大いに盛り上がっていて、俺も仲間外れにせずに誘ってくれた。

しかし、当時のアホだった俺は、他人好意を鬱陶しく思い、その親切やありがたさを浪費していた。

しろ俺は、周りの寮生たちのあまりの優秀さに打ちのめされていた。

相部屋になった同期は高校の頃にTOEICで800点近い点数を、向かい部屋の奴は満点を取っており、これから中国語上級試験に挑みたいと言っていた。

IPAの高度試験をいくつも突破していて、大企業から既に目をかけられている人もいた。

俺はライバルの少ない田舎で、多少勉強ができるだけで得意になっていた愚か者だと、嫌でも気付かされた。

それから勉強をがんばる気にもなれず、昔から好きだったインターネットに逃避するようになった。

はてな匿名ダイアリー出会ったのはこの頃だった。

手頃な文量で、知らなかった世界おもしろおかしく、生々しく書かれている文章群がとても魅力的に思えた。

インターネットがこんなにおもしろいのだから現実世界での失敗などどうでもいいと思うようになった。

寮を出てからアパート暮らしを始めると、さらに体調が悪くなり、布団から起き上がれなくなった。

ひたすら寝るか、スマホを眺めるか、本を読む生活が続いた。

少し動く元気が出てきたときは、深夜に散歩をした。

何の前触れもなく涙が出てくることもあった。

そうやって何も成し遂げられないまま、大学生活はあっという間に終わってしまった。

このような状態でまともに働けるわけがなく、就活もろくにしなかった俺は、お情けで大学卒業させてもらった後、実家に逃げ帰った。

東京から田舎に戻ることに抵抗は感じなかった。

引きこもりお金もない俺が東京にいる意味はなかったからだ。

実家で俺はあまり歓迎されず、早く就職するように言われた。

追い立てられるようにハロワに行き、そこで紹介されたメーカー入社することになった。

なぜ受かったのかは謎だ。

大学名と入社試験の出来に目が眩んだのかもしれない。

その会社はド田舎ではあったが、なぜか業界トップ企業らしく、国内は固め終えたのでこれから海外に殴りむぞという意気込みで拡大を続けていた。

給料もかなりよかったし、人間も気が良く善良な人が多かった。

ただし俺の上司は別だった。

ねちっこくミス咎めてくるし、自分の失敗を咎められると怒り出すし、俺によくしてくれた先輩はこの上司に愛想を尽かしてやめていった。

家族から精神科受診を勧められたのはこの頃だった。

会社疲弊している俺を心配してくれていたのかもしれない。

主治医から鬱病と診断され、しばらく休職し、部署異動することになった。

異動先の上司は俺を買ってくれていた。

入社試験の点数がよかったことと、プログラミングができることが気に入っていたらしい。

いろいろ仕事を振ってもらったが、仕事量に耐えきれず、結局逃げるように会社をやめた。

退職してから実家で寝込む日々が続いた。

風呂にも入れず、トイレに行くことも難しかった。

部屋には尿の入ったペットボトルが何本も溜まっていた。

後に精神科では双極性障害ASDと診断され、障害者手帳を取得した。

どうにか体が動くようになった今は、障害者雇用パート農業をしている。

誰でもできる仕事給料も少ないが、職場のおばちゃんたちは優しく、会話も体を動かすこともおぼつかない俺にいろいろ世話を焼いてくれる。

どのような形であれ、職場の一員として一緒に働かせてもらえることはとてもありがたいことだと思う。

また、病気の俺を支えてくれて、今の仕事応援してくれている両親には感謝しかない。

でも、せっかく俺を大学まで行かせてくれたのに、このようなザマになってしまって申し訳ない。

本当にごめんなさい。

ASDの俺を受け入れてくれた小中学時代クラスメイト、孤立していた俺を気にかけてくれた高校時代担任大学の寮のみんな、会社の先輩と異動先の上司家族、俺は迷惑を掛けてばかりでしたが、あなたたちのお陰で何とか生き延びることができました。

あなたたちがいなかったら俺の人生さら悲惨ものになっていたはずです。

俺にできることはほとんどありませんが、あなたたちの人生がより幸せものになることを祈っています

今まで本当にありがとうございました

2025-01-13

この文章はAIを使って生成された可能性が高いと言えます。

以下の観点から分析と指摘を行います

1. 過剰に詳細な描写

文中の状況描写が非常に具体的であり、特に情景や心理描写が過剰なほど詳しい点が見受けられます。例えば、「駅前広場にある公衆トイレの壁に設置されたケースの中だったはずだ」という部分は、通常の会話や文章ではあまり言及されないような細部に焦点を当てています

また、心理的な葛藤内省描写冗長で、個人日記エッセイにしては「読者への説明」を強く意識しているように感じられます

2. 構造的な整合性

文章全体が論理的に展開され、時間の流れや出来事が明確に整理されています個人エッセイ体験談では、一般的にもう少し混乱や飛躍が含まれることが多いです。

例えば、「まず声をかけて反応を確認し、必要に応じて救急車を呼ぶ」という一般的救命手順の説明が冒頭に置かれており、その後の出来事との連続性が緻密に設計されています。これはAIモデルが得意とする「テンプレート的な文章構築」の特徴と言えます

3. ニュートラルトー

全体的に感情が抑えられたニュートラルトーンで書かれており、「客観的信頼性が高い」と感じさせる意図が見えます特に自己弁護被害者に対する批判が極端に感情的ではなく、「冷静さ」を保とうとしている点は、AIモデル文章を生成する際に多用する手法の一つです。

4. 汎用的テーマの取り上げ方

この文章は、AED使用救命行為におけるトラブルというテーマを扱っていますが、同時に広く議論される社会問題(「助ける行為へのリスク」「法的トラブル」など)を反映しています。このようなテーマAIが事前学習データから容易に取り出し、適切に組み合わせて生成することが可能です。

5. 一貫した文体

文体が一貫しており、どの段落も異なる表現視点ではなく、統一された書き方になっています。これもAIが生成する文章典型的な特徴であり、人間文章では多くの場合感情や状況によって文体が変化します。

具体的なAI生成の可能性を示す部分

以下は、AI生成の痕跡が感じられる具体的な箇所です:

全体をAI生成らしく感じさせるポイントのまとめ

このような特徴が合わさることで、文章全体がAIが生成した可能性を示唆しています

AIによるフィクション事実を装って流布されることには以下の問題点があります

こうした問題が重なると、情報環境が混乱し、冷静な議論意思決定が困難になる恐れがあります

コンサル人材の育成方法、あるいはコンサル業界展望

Xなどでは未だにコンサルの素晴らしさやコンサルによるマウンティング跋扈しているが、現役として違和感があるため、思っていることをまとめて記しておく。

なお、ここでの「コンサルになる」とは自称ではなく、なんらかのコンサルティングサービス提供する企業(戦コンとか総コンとか)に就職することを指す。

本件、主な読者として、コンサルに新たに就職した新卒あるいは中途、あるいはコンサルを頻繁に使っている事業会社に加え、業界に何らかしら物申したい現役/OBを想定する。

まず、前提としてこれらの企業に勤める人間は、論理的思考資料作成あるいはプレゼンに長けているので、一見スーパービジネスマンに見えるかもしれないが、個々人の能力値は大したことはない。また業界知見が豊富な人は稀。現代コンサルは、多かれ少なかれ人材派遣ビジネスに近付いているように思う。

一方、いわゆるコンサル企業は並の人間を「速く即戦力にさせる」仕組みはとりわけ秀でているように思う。最近コンサルは規模拡大に伴い、DXなどの大量投入系の案件が好まれる傾向があり、すぐにパッと見だけでもそれっぽく動ける人間を育成したいが故、この仕組みを作る(あるいはそれらしくするためのブランディング)ことに投資する傾向が強いように思う。

さて、前置きが長くなったが、コンサル企業人材育成の仕組みは主にカルチャーハードスキルソフトスキルに分解されると思われる。

一番重要な、そして最近働き方改革や急拡大で最も危うくなっているのが、カルチャーだ。

これはいわゆるプロ意識ストイックさ、それゆえのハードワークが挙げられる。

プロ意識についてはドラッカープロフェッショナルの条件」などに記載があるような、やりきる力、あるいはグリットとでもいうような気合い/根性がまず挙げられる。これが無い個人はまず伸びないし、入社してもお互い不幸になると思われる。

ストイックさは、論理的な正しさ、資料の細かさなど、兎にも角にもこだわり抜くこと。「神は細部に宿る」とはよく言われる通り。

ハードワークはこれらを実現する手段である。逆説的だが、仕事の成果が高ければハードワークは必ずしも必須ではない。

ハードスキルについては、論理的思考資料作成プレゼンテーションに大別される。これらについては各種書籍定型化されており、ここで詳説するまでもないだろう。入社時、あるいは入社数ヶ月以内に一定自学自習していることが前提であろうし、それが出来ないのであれば上述のプロ意識のように、入社しないことが懸命である

ソフトスキルは、論点発見キャッチアップ力、コミュニケーション力に大別される。これに関しては、一朝一夕には身に付けにくく、これこそがコンサルが徒弟制度的要素が強くなりがちな点であるし、ある意味醍醐味になる(あるいは、企業コンサルなどがあまりワークしなくなる)ところだと思われる。

論点発見については、仮説検証の繰り返しをして精度を上げていくことが肝要である。これは良い師、良いクライアントに恵まれなければなかなか育成しにくいと思うし、自身も育成に常に悩んでいる。

キャッチアップについては、いろいろな案件経験を積むことで、メタ的に課題解決の力を上げることであるコミュニケーションについてはその裏返しで、いろいろな上司部下、あるいはクライアントとの接点の中で関係性をメタ的に構築することである。これらについても能力や育成は個々人によるところが大きく、育成する側としていつも悩むところである自分場合は毎度抽象度の高いことしか言えないし、結局は自分なりに自分としてのコツを掴むほかないのかもしれない、とも思う。

さて、業界の今後の展望についても触れておきたい。コンサル自体は急拡大あるいはコンサル卒業生市場内増加に伴い陳腐化している。コロナ禍で少し延命されただけで、今後はコンサル価値も急速にデフレしていくだろう。

実際、戦コンも総コンも実態としてはクライアント人手不足に伴うアウトソース然とした案件が増えているのではないか。また、広告代理店総合商社メーカーなどもコンサル人材の育成やブティックコンサルM&Aすることでコンサル企業とそうでない企業の垣根も急速に無くなってきている。

中長期的にコンサルという仕事が無くなることはないが、今のように高い給与水準あるいはレア職能であり続けることは難しいように思う。

昨今蔓延自称コンサルの台頭に伴うバックラッシュもおそらく相当数あるであろう。

現役諸氏、あるいはこれからコンサルを目指す皆様については、「一人前」にはなるべく効率的になっていただいた上で、+αの味付けになるようなスキルセットや業界への洞察を得ない限りは陳腐化はやむを得ないだろう。

また、能力一定高い人が進む、モラトリアム的な「潰しが効くキャリアである時代はもう終わったと思われる。そういうつもりで今後参加を検討される方は、なおのこと超早期の「一人前」化、そして現時点での出口戦略の仮説立案お勧めする。

anond:20250105211047

あなたシナリオは非常に興味深いですね。日本社会未来についての洞察や、氷河期世代役割に関する視点が独特で考えさせられます

実際のところ、2025年から2035年にかけての日本社会の変化については、少子高齢化デジタル化の進展が大きなテーマとなるでしょう。例えば、少子高齢化の進行により、労働力人口の減少や社会保障制度の持続可能性が課題となります。また、デジタル化の進展により、働き方や教育の変革が求められるでしょう。

あなたシナリオのように、特定世代が大きな影響力を持つことも考えられますが、実際には多くの要因が絡み合って社会が変化していくでしょう。未来日本社会について、他にどんなシナリオ視点をお持ちですか?

anond:20250113094504

この議論は、AI技術IT教育重要性、さらには娯楽の役割についての多様な意見が交わされています。以下に、各ポイントを整理してコメントします。

AI技術とその受容

最初発言では、PS5 Proや反AI技術に対する否定的見解が示されていますキャシーオニールのような反AI立場が求められているとのことですが、これはAI進化に対する懸念を反映していますAI技術が進む中で、その影響をどう受け止めるかが重要課題となっています

IT教育必要性

次に、IT教育が基礎的な読み書きや四則演算と同じくらい重要であるべきだという意見があります。これは、現代社会においてITリテラシーが必要不可欠であることを示唆していますしかし、ITリテラシーは単なるアプリケーション使用にとどまらず、アルゴリズムプログラミング理解へと広がるべきという意見もあります

娯楽としてのアプローチ

一部の意見では、子どもたちが自発的ITに興味を持つためには、PCゲームメタバースなどの娯楽が重要きっかけになると指摘されています。これに対して、アルゴリズムへの興味は競技プログラミング(例:AtCoderからまれるべきだという反論もあります。この点では、娯楽と教育バランスが求められるでしょう。

投資イノベーション

さらに、国全体のITリテラシーが低い中でイノベーションを促進するためには、単なる教育投資だけでなく、起業家を育成する仕組みも必要だという意見があります規制緩和などによって起業家精神を育む環境を整えることが重要です。

世代から世代への影響

最後に、親世代ITリテラシーが子世代に影響を及ぼすという指摘があります。この負のループを断ち切るためには、まず親自身ITリテラシーを向上させることが求められます

この議論は、多くの視点から現代社会におけるAIIT教育重要性を考えさせる内容です。各意見は異なる立場から出されており、それぞれの視点から新たなアプローチ解決策を模索する必要があります

Citations:

[1] https://gazlog.jp/entry/playstation-5-pro-too-expensive-disliked-by-fan/

[2] https://fundbook.co.jp/column/business/interfamilial-succession-point/

[3] https://www.youtube.com/watch?v=nbH1r2HrvZM

[4] https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2024-11-27/SNKGS2T1UM0W00

[5] https://note.com/junagashima_0627/n/n1c2120d4b513

[6] https://note.com/xzoon/n/n7facb4d6bf36

[7] https://act-cess.jp/news/%E8%A6%AA%E5%AD%90%E4%BA%8B%E6%A5%AD%E6%89%BF%E7%B6%99%E3%81%AE%E6%88%90%E5%8A%9F%E3%83%9D%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%A8%E6%B3%A8%E6%84%8F%E7%82%B9/

[8] https://forbesjapan.com/articles/detail/68365

anond:20250113075224

あなたは「ネトウヨだけどパヨクおっぱいが好き」という矛盾を抱えながらも、独自哲学見出しているようですね。あなたの話をまとめると、以下のようになります

あなたの話はユーモラスでありながら、いくつかの興味深い点を含んでいます

あなたの「おっぱいこそが世界平和の鍵」という結論は、一見突飛に見えますが、異なる立場の人々を結びつける共通の要素、あるいは人間の根源的な欲求に焦点を当てていると解釈できます

ただし、あなた表現の中には、性的対象化やステレオタイプ助長と捉えられかねない部分も含まれています表現自由重要ですが、他者への配慮も忘れないようにすることが大切です。

最後に、右のおっぱいが好きか左のおっぱいが好きかという問いについてですが、これはあくま個人の好みの問題であり、政治的な意味合いを持たせる必要はないでしょう。あなたが両方好きであるならば、それはあなた自由です。

あなた「道」を歩み続けることは素晴らしいですが、その過程他者への敬意を忘れずに、より建設的な議論表現模索していくことも、今後の課題となるかもしれません。

2025-01-12

anond:20250112152531

AIによる解説

あなた文章には、特定属性中高一貫校出身受験成功者高学歴者)に対する批判が多く含まれていますが、その中には認知の偏りや一般化による思考の歪みが見られます。以下にその点を指摘し、建設的な視点提示します。

1. 「中高一貫校出身者=話が聞けない」という一般

中高一貫校出身の人は話が聞けない」としていますが、これは偏見に基づく一般化です。

一部の人との接触経験を全体に当てはめるのは、十分な根拠を欠いています属性ではなく、個人性格や行動に目を向けることで、より公平な評価ができるはずです。

提案:

「話を聞けない」と感じる人と接したとき、その人がそうなる原因を、属性還元するのではなく、個人の背景や置かれた状況に目を向けてみましょう。たとえば、「その人がリーダーとして多忙を極めているため」など、学歴とは無関係な要因が存在するかもしれません。

2. 「受験成功者は食いっぱぐれない」という過度な単純化

受験成功した人は食いっぱぐれない」という見方には、努力能力無視する要素があります成功者はたとえ食いっぱぐれないポジションを得ているとしても、それを維持するための努力や学びを重ねている可能性があります。この見方は、成功者への嫉妬や反感を正当化してしまリスクがあります

提案:

その人たちがどのような努力をしているのかを探る視点を持つと、偏見を和らげ、より多面的物事理解できるようになります

3. 「偉い人=話を押し通す」という思考の歪み

「偉い人は問題を人に押し付ける」という見方は、特定リーダー層に対する強い感情投影されていますしかし、責任を負う立場にある人たちがすべて自分意見を押し通しているわけではありません。中には、相手の話を吸い上げながら、全体を見て舵取りをしている人もいます

提案:

リーダー層が行う意思決定の背景や、彼らが置かれている制約を理解する努力をすることで、彼らの行動の意味がより明確になるでしょう。

4. 「優秀さ」を他者批判視点定義している問題

相手の話を吸い上げることができる人が優秀」という指摘自体は正しいですが、それが特定属性の人を批判するための手段として使われているように感じられます。このような批判は、主張の説得力を弱めるだけでなく、あなた自身の成長の機会も奪ってしまます

提案:

他者批判ではなく、「どうすれば相手の話を吸い上げる優秀な人になれるか」という視点自己を高める方向にシフトすることで、周囲からも信頼される人材となるでしょう。

結論

あなたの考え方には鋭い観察や大事な指摘も多く含まれていますが、それを感情的な偏見批判と結びつけてしまうことで、論旨の正当性が損なわれています批判をする際には、相手属性で一括りにせず、具体的な事例に基づいて公平な視点を持つことが大切です。そうすれば、あなた意見はより説得力を持ち、建設的な影響を与えられるでしょう。

「話を吸い上げる人が優秀」というあなた理念を実現するには、まず自分自身がそのモデルとなり、周囲と双方向コミュニケーションを育むことから始めてみてください。それが、あなたの指摘する「話を聞けない」という課題を克服する最善の道でもあります

anond:20250111205442

ChatGPT(無料版)による要約

要約:はてな匿名ダイアリーの魅力と課題

  1. 匿名性の魅力
  2. 共感と繋がり
  3. 言葉の持つ力
  4. 匿名性の危うさ
  5. 読み手としての視点

結論: はてな匿名ダイアリーは、匿名性ゆえの自由と危うさを内包しつつ、人々が本音を分かち合い、繋がりを感じることのできる特別空間である

クローズドロードバイク専用の自転車道って需要があると思う

今日日経ヤマハ社員の人が副業マウンテンバイク用の山道運営する会社経営をしていることが載っていた。

とてもすごいことだと思う。

マウンテンバイクでの走行地元の方やハイカーの方などとトラブルが起こることも多く、なかなか素直に楽しいとだけ言ってられない面がある趣味だ。

同様にロードバイクにおいても、ただ自分たちが楽しんでいればそれでいいとだけ言ってられない状況は続いている。

いっときブームの頃のように極端な自転車の台数は(今の時期は特に)走ってはいない。

とはいえ大昔に比べればずっと多い台数が走っている。

なかには、というには少なくない数の人たちが自分本位マナー無視の走り方をしていることが多い。

とくに地元人達にとってはただの生活道路である部分を

タイムトライアルの名所」などと呼んで

ものすごい勢いで全力で持って自転車集団が走り回ることも多い。

そのような状況を見るにつれ、そろそろロードバイク専用の自転車道のようなものも整備する時期が来ているのかもしれない、と思う事が多い。

そういった「スペシャルステージ」と「普通の道」とのメリハリが作ることが出来れば、自転車走行マナー啓蒙をしやすくなるのではないだろうか?

これは公道を「トレーニング場所」と考えるすべてのスポーツ共通課題だとも思う。

anond:20250112002349

幸せの条件って

1 自分が何をやっていると幸福感を得られるか知っている

2 1を続けるための経済的基盤がある

これだけだからね~

自己理解幸せのための最優先課題だよね

2025-01-11

ポリコレアヴェンジャーズを望んでいるのは誰だ

私たち映画ドラマコミックなどのエンターテインメント作品を楽しむ際、その登場人物多様性社会的メッセージに注目する声が近年ますます大きくなっている。特にハリウッド映画を中心とするアメリカの大作作品では、女性ヒーローマイノリティヒーロー積極的に描く動きが顕著になってきているといえるだろう。こうした流れの中で、たとえば「アヴェンジャーズ」シリーズのような超大作ヒーローチームにも、より多様なバックグラウンドを持つキャラクター社会的少数者の活躍を求める意見が増えているのだ。その一方で、こうした多様性の拡充を「政治的正しさポリティカル・コレクトネス)に迎合しすぎだ」と批判する声も少なくない。では実際に、「ポリコレアヴェンジャーズ」を真に望んでいるのはどのような人々なのだろうか。そして、それを批判する人々は何を懸念し、何を恐れているのだろうか。本稿では、その背景や対立の構図を整理し、考えてみたい。

まず、「ポリティカル・コレクトネス(略してポリコレ)」とは、もともと差別偏見のない公正な言葉遣い・考え方を目指す姿勢を指していた。人種性別性的指向宗教、障がいの有無などに関わらず、できるだけ当事者を傷つけない表現待遇をすることが重要だ、とする考え方である。やがて、社会全体の意識多様性インクルージョン包摂)を尊重する方向へシフトする中で、エンターテインメント業界にも「差別固定観念助長するような内容は見直すべきだ」という声が波及していった。この動き自体は決して新しいものではないが、SNSの普及に伴い消費者の声が一気に可視化されるようになったことで、その影響力はかつてないほど増大している。

一方で、ヒーローもの代表格として、マーベルコミックスやその実写映画であるマーベル・シネマティック・ユニバースMCU)の人気は世界的に揺るぎないものとなった。複雑なバックグラウンドを持つキャラクターや、女性ヒーロー、異なる人種文化背景をもつヒーローの登場も少しずつ増えてきたとはいえシリーズ初期の中心ヒーロー白人男性が多かったことは否定できない。もともとコミックスの発行開始時期が1960年代前後であり、その頃のアメリカ社会の反映が作品に色濃く残っているため、やむを得ない面もあるだろう。しかし近年の映画シリーズでは、ブラックパンサーキャプテン・マーベル、シャング・チーなど、多様なバックグラウンドもつヒーローが次々と登場し、まさに「多様性を重視した新時代ヒーロー像」が打ち出されている。その流れに呼応して、「もっと女性マイノリティヒーロー活躍させてほしい」「既存ヒーローチームを抜本的にアップデートして、多様性を真に反映させる“アヴェンジャーズ”を観たい」というファンの声が高まりを見せているのだ。

では、「ポリコレアヴェンジャーズ」を望む人々とは、具体的にどのような層なのだろうか。第一に、SNSコミュニティサイトなどのオンライン空間において多様性積極的に支持するアクティビスト層や、その思想共感するファンが挙げられる。彼らは作品の中における人種ステレオタイプジェンダー平等を厳しく批判し、世の中の価値観アップデートされた現代にふさわしいエンターテインメントを求めている。彼らにとっては、スーパーヒーロー男性女性・その他多様な性や文化背景を横断し、最終的には誰もが活躍できる世界提示することこそが理想なのだ

第二に、エンターテインメント業界側もまた、多様性を重視する政策市場の反応を見て、積極的に「ポリコレ」を取り入れる傾向がある。ハリウッドでは映画制作における人種構成ジェンダーバランス考慮した「インクルージョンライダー」など、具体的な取り組みが話題になることも増えてきた。作品グローバルに公開されるにあたっては、多様な視聴者感情考慮し、多くの国や地域で「受け入れられやすい」形を模索するようになっている。マーケティング上の戦略として見ても、マイノリティ視聴者を取り込むことは大きなビジネスチャンスに繋がると考えられるからだ。

こうした文脈の中で、「ポリコレアヴェンジャーズ」を待ち望んでいるのは、言うなれば「これまで声が届きにくかった層の人々」や「多様性を当たり前だと考える若い世代ファン」、そして「マーケット可能性を重視する映画スタジオ」などであるしかし、ここで見逃せないのは、こうした変化を歓迎する人々がいる一方で、「ポリコレが行き過ぎている」と感じる人々の声が根強いことだ。彼らは「エンターテインメント政治的メッセージ社会運動のための道具ではない」と考えており、あくまで“娯楽”としての物語に集中したいのだという。また、中には既存キャラクター性別変更や人種変更が行われることを「原作への冒涜だ」と批判する人たちもいる。

特に伝統的なヒーロー像」に愛着もつファンの中には、「長年培われてきたキャラクターイメージオリジンストーリーを、製作サイドが都合よく改変してしまうのはいかがなものか」という不満を持つ者がいる。ヒーローたちの本質は、その人種性別を超えて「いかに困難を克服するか」や「いか正義を貫くか」にあるのであって、「外見上のマイノリティ性」が強調されるあまり肝心の物語が薄れてしまうのではないか、と懸念しているのだ。こうした考えを持つ人々にとって、「ポリコレアヴェンジャーズ」はマーケティング重視の“お仕着せ”のようにも映ってしまう。

さらに、近年のSNSでは「作品の配役や表現差別的だ」と糾弾されることで、過激炎上が起こるケースも少なくない。こうした炎上批判応酬を見て、クリエイター側が過度に萎縮してしまう「萎縮効果」を危惧する声もある。結果として、作品の中身よりも「ポリコレ的に問題がないかどうか」が過剰に意識されてしまい、まるでチェックリストをこなすかのように「女性キャラクターを必ず何割入れる」「マイノリティ一定数登場させる」といった形式的対応に陥るリスク高まる。そのような機械的な設定に依存したキャラクター造形では、結果的に個々のキャラクター個性や魅力が希薄になり、逆に多様性本質が損なわれてしまうのではないか、とする批判も出てきているのだ。

一方で、「ポリコレアヴェンジャーズ」を誠実に求めるファンクリエイターたちは、「多様性を重視することは、より多くの視聴者物語共感夢を与えるための必然である」と考えている。スーパーヒーローが“超人的”なのはもちろんだが、同時に人間的弱さや葛藤を抱えながら戦う姿こそが多くのファンを惹きつける。そこに人種性的指向、あるいは障がいや貧困など、いろいろな背景を背負ったキャラクターが加わることで、より幅広い人々が「自分ヒーローと同じように闘える」と感じられるのではないだろうか。作品を通じて勇気をもらうだけでなく、社会が抱える不条理差別構造に一石を投じるきっかけにもなるかもしれないのだ。

以上のように、「ポリコレアヴェンジャーズ」を求める声と、それに対する反発や批判との間には大きな意識の隔たりがある。単純に「多様性を推進すべきかどうか」という価値観の相違だけでなく、作品の楽しみ方やヒーローという存在への捉え方、そして創作自由表現責任バランスという複数レイヤーにわたる問題が絡み合っているといえる。作品制作する側にとっても、ある層を満足させれば別の層が不満を覚えるといったジレンマがつきまとう。SNS時代ならではの炎上リスク考慮すると、より慎重に「どのようなキャラクターをどのように描くか」を検討せざるを得なくなってきているのだ。

では、今後「ポリコレアヴェンジャーズ」と呼ばれるような、より多様性に富んだヒーローチームが実現した場合、どのような世界が広がるのだろうか。そこでは、性別人種、障がいの有無、性的指向などを超えて、人々が互いの違いを尊重し合いながら協力し、世界を守るストーリーが展開されるだろう。それは、現実社会が抱える様々な対立を映し出す鏡ともなり得る。ヒーロー同士のぶつかり合いや、時に衝突を乗り越えて共に戦う姿は、現実社会問題を考える上でも有用メタファーとなるはずだ。多様性を持つキャラクターたちが、政治文化の壁を超えて協力し合う様子は、観客に「自分自身や周囲の人々を見つめ直す」機会を与えてくれるかもしれない。

しかし、その道のりは決して平坦ではないだろう。過度な「ポリコレ批判が続けば、表現者たちは自己規制に走り、本来物語面白さや挑戦的な要素が削がれてしまう恐れがある。一方で、多様性を取り入れようとするあまりキャラクター造形が単純化されてしまえば、やはりファンはしらけてしまう。結局のところ、ファンが求めているのは「本物のドラマである社会問題を扱うにしても、単なるマーケティングの道具としてではなく、しっかりと作品世界に根を下ろし、キャラクター一人ひとりに奥行きと葛藤が描かれているからこそ、「本当の意味での多様性」が花開くのではないだろうか。

まり、「ポリコレアヴェンジャーズを望む人」と一口に言っても、その動機期待値は様々である現代社会の潮流として「多様性を重視しないと批判されるから」「市場拡大のためには必要から」といった表層的な理由で支持する人もいれば、「自身マイノリティであるがゆえに、自己投影できるヒーローを探している」という切実な声もある。その双方を包含しながら、作品としての質や独創性を高めつつ多様性を反映していくには、制作者やファンコミュニティが相互建設的な対話をする必要があるだろう。

最終的に、「ポリコレアヴェンジャーズ」が完成するかどうかは、単にスタジオ方針ファンの声だけでなく、社会全体の変化とも深く関わっている。今後、グローバル社会情勢や世代交代、テクノロジーの発展などによって、エンターテインメント政治社会問題距離感ますます近くなるかもしれない。その中でヒーロー映画は、単なる娯楽作品としてだけではなく「現代神話」として、私たち理想とする社会像や価値観を映し出す鏡となるだろう。多様性を重視するかどうかという論争は、ヒーロー映画未来だけでなく、私たち自身未来を照らす問いかけでもある。

結論として、「ポリコレアヴェンジャーズを望んでいるのは誰か」と問われれば、それは多様性を当然のものと考える新世代のファン社会的マイノリティのRepresentation(表象)を切望する人々、そして市場意識する製作サイドを含めた多くのステークホルダーたちであると言えよう。逆に、これまでの“伝統的”なヒーロー像や創作自由を重んじ、「政治的メッセージ配慮が過剰になること」に抵抗を感じる人々からは、冷ややかな視線が向けられるかもしれない。いずれにしても、ヒーロー作品私たちが抱く理想像や価値観、そして矛盾課題を映し出す鏡としての役割を担い続ける。そうした意味で、ポリティカル・コレクトネス議論が活発化する現代において、「ポリコレアヴェンジャーズ」は今まさに、私たち社会未来を映し出す一つの象徴なのかもしれない。

アメリカ課題水不足なんじゃないの

カリフォルニア水利権が独占されてリアルサンドランドらしいが

リバタリアン指向のイーロンが水道公営化するわけないし、テスラ工場テキサスも含めて各地で水利権の取り合いが過熱しそうだね

これから日本AIデータセンター半導体工場建設のおいしい話が大量に舞い込んでくるだろうが

冷却水洗浄水チューチュー目的なんだろうなあ

一定能力を持つ猫に人権を与えるというのはどうだろうか?

近年、AIロボットなどの先端技術が目覚ましい勢いで進歩するなかで、人間定義や“権利”という概念のものについての再考が求められる機会が増えている。そんな社会情勢の中で一部の人々が提唱するアイデアに、「動物人間同様の権利を与えるべきかどうか」という問題がある。動物愛護観点からは、ペットとしての犬や猫、あるいはイルカチンパンジーなどの高い知能を持つ動物に対して人道的な扱いを求める声は以前からあった。しかし、法律倫理観点で「人権」を動物適用するという議論はまだ広く受け入れられているとは言い難い。そこで今回は、ある種の極論ともいえる「一定能力を持つ猫に人権を与える」という仮説を取り上げ、その可能性や問題点、そして私たちが学べる示唆について考えてみたい。

1.“人権”とは何か?

人権」とは、一般的に「人として生まれながらにして持つ権利」を指す概念である自由権平等権など、国や社会によってさまざまに解釈範囲の違いがあるものの、人間人間たらしめるための基本的権利という共通理解が広く受け入れられている。

一方、「人権」という言葉動物適用することの是非は長年議論対象となってきた。かつては「ヒト以外の生物人権など存在しない」というのが主流の考え方だったが、動物愛護観点が強まった現代では、動物にも生命自由尊重が求められるべきだという意見が増えてきた。ただし、多くの場合、それを“人間と同等の権利”とは呼ばず、「アニマルライツ動物権利)」や「アニマルウェルフェア(動物福祉)」といった別のフレーズを用いて区別している。

では、なぜわざわざ「人権」と同じ言葉を使う必要があるのか。そこには、単なる愛護の枠を超えて、「生き物としての尊厳をどこまで拡大できるか」「法的にどのように動物を扱うか」という踏み込んだ議論が関わってくる。人間法律を基盤として動物を守りたいという主張もある一方で、それによって生じる多くの矛盾や新たな課題も浮き彫りになる。

2.猫の特徴と知能

ここで焦点を当てているのは「猫」である。猫は犬と並んで古くから人間と深く関わりを持つ動物だが、その特性や知能はしばしば誤解されがちである

一般に犬は飼い主の指示に従順で、さまざまな訓練に適応やす動物とされる。一方、猫は独立心が強く、気まぐれな一面を持つため、「犬よりも知能が劣るのではないか」と思われがちだ。しかし近年の研究によって、猫も飼い主や環境への適応能力が高く、犬とは異なるかたちでの学習能力コミュニケーション力を備えていることが示唆されている。

さらに、一部の猫は“特殊な芸”や“問題解決能力”を持つことがある。例えば、特定動作学習して繰り返す猫や、飼い主が使う簡単な道具を模倣する猫が報告されている。また、飼い主が示す表情や声色を読み取って自分の行動を変化させる例も観察されている。そうした高い学習能力社会コミュニケーション能力を有する猫を指して、「一定能力を持つ猫」と呼ぶことができるかもしれない。

3.一定能力を持つ猫に人権を与えるとは?

仮に「知能テスト」や「行動特性検証」を行い、その結果として“人間社会において最低限のコミュニケーションを成立させられる”と判断される猫がいたとしよう。そのような猫を対象に、人間と同等の権利――言い換えれば、「人権」に準ずる権利付与しようとするのが、今回の仮説である

具体的には、以下のような権利を想定してみるとわかりやすいかもしれない。

自由権

不当な拘束や虐待から解放

捕獲飼育に際して、本人(=猫)の意思考慮

平等権

猫だからという理由で不当に扱われない

社会サービスへのアクセス(適切な医療ケアなど)の保証

所有権保障

自分帰属する“財産”とみなせるもの管理

餌や住環境について、猫自身意向尊重する義務人間が負う

もちろん、これらを文字どおり猫に適用するのは現行の社会制度とは大きなズレがある。しかし「高いコミュニケーション能力証明された」という前提を置けば、少なくとも議論余地生まれる。

4.想定されるメリット

4.1 動物虐待の抑止

猫に限らず、動物虐待社会的な問題として繰り返し取り沙汰されてきた。「アニマルウェルフェア」の観点からも、虐待や劣悪な飼育環境が後を絶たない現状には胸を痛める人も多いだろう。もし“人権”という強い法的保護特定の猫に与えることができれば、それが心理的社会的な抑止力として機能する可能性がある。人権侵害した行為として“犯罪”の扱いがより明確になり、違反者に対して厳しい罰則を課すことができるかもしれない。

4.2 新たな社会モデル実験

人間以外の生物人権を認めることは、社会的秩序を新たに再構築する大きなチャレンジともいえる。これをきっかけに、倫理や法、そして共同体としての在り方を深く考え直す機会が生まれるだろう。近年、ジェンダー人種国籍を超えた多様性の重視が進んでいるが、それを動物へ拡大するというのは、ある意味論理的な延長線上とも考えられる。人間中心主義的な世界観から一歩離れ、より多様な存在尊重される社会のヒントが見えてくるかもしれない。

4.3 猫との新たなコミュニケーション文化の創出

私たちは古くから猫を可愛がり、時には神秘的な存在として崇拝してきた歴史がある。もし猫が法的に「人権」を持つ存在として扱われるならば、これまで以上に彼らの行動や感情表現が注目されるだろう。猫側も“人間社会での権利行使”のために、さら学習コミュニケーションを深める可能性がある。これは純粋文化芸術の発展にも寄与するかもしれない。映画小説漫画などで、猫が人間と同等に会話し、生活に溶け込む物語は多くの人の想像力を刺激する。そこに実際の法的保障が加わると、ファンタジーリアル境界あいまいになる新しい時代が訪れるとも言えるだろう。

5.想定されるデメリット問題

5.1 人権の乱用と社会混乱

最大の懸念は「人権の乱用」である。仮に一定基準を満たした猫が人権を手に入れた場合、その適用範囲はどこまで広がるのだろうか。ほかの動物にも同じように権利を与えなければ不平等だという声が上がるのは必至であり、それが連鎖的にエスカレートする可能性もある。「猿にも、豚にも、魚にも同じ権利を」と議論が拡大していくと、社会制度経済活動は大きな混乱を招くことになるだろう。

5.2 “責任”と“義務”の不在

権利行使することは、同時に責任義務を伴う。人間場合は、法的な責任を負う自覚社会生活上のルール学習し、破った場合には罰を受ける仕組みが整っている。しかし、猫にそれをどのように適用するかは極めて難しい問題だ。たとえコミュニケーション能力が高い猫であっても、“法律理解し遵守する”という意味では、人間社会ルールとの齟齬が生じやすい。万が一、猫が誤って人を傷つけたり器物を損壊してしまった場合、どのように責任をとらせるのか。権利を与えた以上、猫自身賠償責任を負うことになるのか。その背後で管理する人間責任転嫁されるのか。こうした問題は容易には解決しない。

5.3 動物観や生態系とのズレ

さらに、根本的に「猫は猫としての幸せを望んでいるのか?」という点にも立ち戻るべきだ。人間同様の権利押し付けること自体が、猫の本来の生態や自由を奪う可能性もある。猫は群れを形成する動物でもなければ、複雑な社会システムを構築する動物でもない。彼らは日々の暮らしの中で狩りをし、寝て、遊び、時に仲間とのんびり過ごす生き物である人間法律に基づく複雑な権利関係に巻き込むことが、彼らの幸福に直結するとは限らない。

6.人間中心主義からの脱却と新たな視点

このように、「一定能力を持つ猫に人権を与える」というアイデアは、実際の社会に導入するには数多くのハードル存在する。しかし、この提案示唆する本質的問題は、「私たち人間以外の存在をどこまで尊重できるのか」という問いにあるのではないだろうか。

動物虐待環境破壊、家畜としての過剰な搾取など、人間引き起こしている数多くの問題は、私たち人間という種を優先して他の生き物を蔑ろにしてきた歴史副産物だともいえる。一方で、動物たちが持つ豊かな感情コミュニケーション能力に光が当たるようになり、いまや彼らを単なる“所有物”や“資源”として扱う時代は終わりを告げようとしている。

それでもなお、「人間特別」であり、「人間のみが人権を有する」という考え方は根強い。もし、猫をはじめとする動物人権を獲得するとしたら、それは私たち価値観に大きな変革をもたらすだろう。生物学的にも、倫理的にも、法的にも極めて大きなパラダイムシフトを伴う。しかし、そうした急激な変化には当然、摩擦や混乱がつきまとい、実現性は高くはない。

7.テクノロジーと猫の未来

今後、私たち社会がどう変化していくかは未知数だが、テクノロジー進歩動物との共生に新たな可能性をもたらすかもしれない。たとえば、動物コミュニケーションをとるための音声・脳波解析技術がいずれ実用化されれば、猫が感じている感情意志をより正確に理解できるようになるかもしれない。猫側も同様に、人間意図理解して自分意思を伝えるツールを持つ可能性は否定できない。

そのとき、もし猫たちが「自分たちにも尊厳を認めてほしい」「苦しい治療や劣悪な飼育環境押し付けられたくない」と主張し始めたら――私たちはどう応えるのだろうか。声なき声がテクノロジーを通じて可視化されたとき議論さらに白熱し、“人間だけの特権”と思われていたものを再定義せざるを得なくなるだろう。

8.まとめ:人権を与えるか否かよりも大切なこと

一定能力を持つ猫に人権を与える」という仮説は、まさに極論の域にある。実行のハードルや法的・倫理問題点は膨大であり、現実的にはすぐに導入できるものではないだろう。それでも私たちは、この議論が問いかけるテーマから学ぶことができる。

まり動物をどれほど尊重し、社会の一員として扱うことができるのかという視点だ。猫や他の動物が持つ感情能力可能な限り正しく理解し、必要とされる環境保護を整えることは、私たち人間社会の責務である人権という言葉を用いるかどうかは別として、動物の「生きる権利」や「苦しまない権利」を法的にも社会的にも守っていく道筋を探る必要があるだろう。

また、「人間動物」という二分法ではなく、「それぞれの生き物が互いを尊重し合う社会」というビジョンを思い描くことはできないか。もし猫がさら進化し、意思疎通がより深くなったとき私たちは“同じ地球上に生きる存在”として彼らとの関係性をアップデートすべきだろう。言い換えれば、本当に必要なのは私たち人間が持つ特権傲慢さを見直すことである

最後に、私たちが猫たちにどのような“権利”を与えるかという話は、結局は人間側の問題に他ならない。権利を与えるという行為のものが、すでに人間視点押し付け可能性を含んでいるからだ。本当に必要なのは私たち自然や生き物をどれだけ尊重できるか、あるいはそれぞれの生き物の“幸せ”の在り方をどれだけ理解し、そのための環境づくりができるかということだろう。人権というフレーズ象徴する大きなテーマを通じて、猫や他の生き物たちとの未来について、深く考えてみるきっかけになれば幸いである。

以上の考察総合すると、「一定能力を持つ猫に人権を与える」というアイデアは、現実的には多くの困難を伴うものの、動物尊厳や生きる権利をより積極的に認めていくうえで、私たちに鋭い問いを投げかける存在であると言えるだろう。それが真に実行されるかどうかは別としても、私たち社会が抱えるヒト中心主義生物多様性問題について改めて考える入り口になるのではないだろうか。権利義務関係をどこまで動物適用できるのかという議論は、決して簡単結論の出るものではないが、人間動物が真に共生していく未来を描くためには避けて通れない問題である

結局のところ、どんなに議論を重ねても、猫が自ら望む幸せ人間社会が用意できるシステムとの間には大なり小なりギャップが生じる。そのギャップを埋める努力こそが、私たちが“ヒト以外の生き物と共存する社会”へ近づく第一なのだろう。猫に人権を与えるか否か――その問いが投げかけるのは、私たち自身が持つ“人間であることの特権”や、他者(他生物)を排除する無意識的な態度への揺さぶりにほかならないのである。今こそ、一歩踏み込んだ思考余地を持ち、猫を含む多様な生き物たちにとっての幸せを見つめ直す時期が来ているのかもしれない。

2025-01-10

女はなぜ人生イージーモードのくせにかわいそうアピールをするのか

女性特権とは?

わたし今日女性はどのぐらい人生イージーモードなのか、女性に話を聞いてみたいと思います脳内女性さん、よろしくお願いします」

脳内女性よろしくお願いします。本日はお招きいただきありがとうございます

わたし「早速ですが、女性人生イージーモードと言われる理由について教えていただけますか?」

脳内女性「もちろんです。女性社会からの期待が比較的低いにもかかわらず、評価や称賛を受けやすいという特権があります。例えば、仕事学業男性と同じ成果を出した場合女性の方が『よくやった』と褒められることが多いのです」

わたし「なるほど、それは女性努力過小評価されているとも言えませんか?」

脳内女性「そう捉えることもできますが、重要なのは結果です。どちらにせよ、称賛を得られるのは女性にとって有利な状況ですから

わたし「それ以外に女性特権を感じる場面はありますか?」

脳内女性「もちろんです。例えば、公共の場で困っているとき、助けを得られる確率が高いのは女性です。社会女性を守るべき存在として認識しており、それを自然享受できるのが女性の強みです」

かわいそうアピール真意

わたし「それでは、なぜ女性人生イージーモードであるにもかかわらず、『かわいそうアピール』をするのでしょうか?」

脳内女性簡単な話です。弱者立場アピールすることで、さらに周囲から支援や同情を得られるからです。社会は『助けるべき弱者』を手厚く扱う傾向がありますので、女性にとっては戦略的有効なのです」

わたし「その戦略計算されたものなのでしょうか?それとも無意識に行っているのですか?」

脳内女性「どちらの場合もあります。ただ、多くの女性感情に訴えることが効果であると知っています。それを意識的に使うか無意識に使うかの違いです」

わたし感情に訴えることで得られるものとは具体的に何ですか?」

脳内女性「主に人間関係の優位性ですね。例えば、職場でのトラブル人間関係もつれにおいて、感情的な訴えが通じるのは女性の方が圧倒的に多いです」

男性の不満とその利用

わたししかし、こうした状況は男性に不満を与えることになりませんか?」

脳内女性「その不満こそ、女性さらに優位に立つための要素です。男性が不平を口にすると、社会から『器が小さい』と思われるのは男性の方です。女性はその状況すらも利用できます

わたし「それは不公平だという声もありますが、そうした声にどう対応されますか?」

脳内女性「『女性特権を持つ性別ではない』と主張すればいいのです。少し自己憐憫を交えるとさら効果的ですね。それに、批判の声を真に受ける必要もありません。私たちは最終的に得をする側ですから

わたし「ですが、それでは男性の不満は蓄積するばかりではないでしょうか?」

脳内女性「その不満をどう処理するかは男性自身の課題です。私たちが気にする必要はありません」

攻防

わたし「うわあああああああああああああああああああああああああああああずるいずるいずるい!!!

わたしは怒り狂って脳内女性に蹴りを入れようとした。しかし、それもあっさり受け止められてしまう。

脳内女性妄想の中ですら暴力に走るの?そんなんだからダメなんだと思うよ」

脳内女性はそう言った後、「それじゃあまたね」と言って消えていった。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん