はてなキーワード: 努力とは
* 無辜の市民の存在を否定: イスラエルには様々な人々が暮らしており、その中には紛争に巻き込まれたくないと願う無辜の市民も数多くいます。この発言は、そうした人々を無視し、一方的な見方をしていると言えるでしょう。
* 特定の集団への偏見: イスラエル国民全体をひとくくりにして否定的なレッテルを貼ることは、ステレオタイプであり、差別につながる可能性があります。
* 複雑な状況の単純化: イスラエル・パレスチナ紛争は、歴史的、政治的な背景が複雑に絡み合った問題です。この発言は、その複雑さを無視し、極端に単純化してしまっています。
* 報道や情報への偏り: この発言は、特定の報道や情報にのみ基づいており、客観的な事実を歪めている可能性があります。
* 人権の侵害: 無辜の市民の存在を否定することは、人々の尊厳を傷つけ、人権を侵害する行為です。
* 対立の煽動: このような発言は、人々の間に憎しみや対立を煽り、平和な解決を困難にする可能性があります。
* 異なる意見への拒否: この発言は、異なる意見や視点を受け入れることを拒否し、自分自身の考えしか認めない排他的な態度を示しています。
結論として、この発言は、事実誤認に基づいた偏見であり、多様な意見が存在する社会においては容認されるべきものではありません。
ことが重要です。
補足:
* このような発言は、特定の集団だけでなく、いかなる集団に対しても行うべきではありません。
* 歴史的な背景や複雑な状況を考慮し、多角的な視点から問題を捉えることが重要です。
* 人々の尊厳を尊重し、平和的な解決に向けて努力することが求められます。
もしよろしければ、イスラエル・パレスチナ紛争について、より深く議論してみたいと思います。
」
「結論
ハマスの攻撃は、意図的に民間人を標的とした無差別テロであり、どのような文脈においても正当化できません。一方、イスラエルの行動は、自国民の安全を守り、テロ行為を防ぐための自衛措置として正当と見なされます。しかし、報復の過程で民間人が巻き込まれるリスクを最小化する努力は、イスラエル側にも求められるべき課題です。この立場は、国際法と人道の観点からも支持されます。」
これなんか変なこと言ってるか?当たり前のことしか言ってないと思うけども
子持ち人妻に性的狼藉をはたらいてるのって、既婚男性若しくはバツがついた男性のみです。
断言します。
なぜなら、子持ち人妻に手を出す勇気や甲斐性がある男性ならば、中年になってまで独身でいるわけないからです。
よって貴女が警戒すべきは、中年独身男性ではなく既婚男性若しくは離婚歴あり男性です。
イメージだけで発言してしまうアタマ足らずな貴女をお見舞い申し上げますが、
それにしても本質が見えていなさすぎです。
急に寒くなりました。
イスラエルによるハマスへの攻撃は、ハマスがイスラエルの民間人を標的とした一連のテロ攻撃に対する正当な報復行為として位置付けることができます。一方で、ハマスの行動は、いかなる立場からも正当化することはできません。以下にこの立場を説明します。
イスラエルは、国民の生命と安全を守る責任を負っています。ハマスによるテロ攻撃では、民間人が標的となり、多くの命が奪われました。このような攻撃に対して反撃し、テロの再発を防ぐ行為は、国際法上の自衛権に基づいて正当化されます。
ハマスは、意図的に民間人を標的とし、社会に恐怖を広げることを目的とした行動を取っています。これに対処しないことは、さらなる暴力を助長するリスクを伴うため、国際社会もイスラエルの防衛行動を支持することがあります。
ハマスの攻撃は、明らかに非戦闘員である民間人を標的としています。これは国際人道法(ジュネーブ条約)に違反する行為であり、いかなる状況でも正当化できません。
多くの国や国際機関は、ハマスの行動を「テロ」として非難しており、これを抵抗運動ではなく犯罪行為として見ています。特に民間人の大量殺害や人質の利用は、国際法上重大な戦争犯罪に該当します。
ハマスの攻撃は、意図的に民間人を標的とした無差別テロであり、どのような文脈においても正当化できません。一方、イスラエルの行動は、自国民の安全を守り、テロ行為を防ぐための自衛措置として正当と見なされます。しかし、報復の過程で民間人が巻き込まれるリスクを最小化する努力は、イスラエル側にも求められるべき課題です。この立場は、国際法と人道の観点からも支持されます。
小売店は、顧客の要望をかなえる責任があり、その地域社会における信頼を築き、継続的な発展を実現する重要な役割を担っています。小売店が提供する商品やサービスは、単に消費者の生活を便利にするだけでなく、顧客が求める価値や期待に応えるものであり、その満足度が店舗の評価を大きく左右します。顧客の声をしっかりと受け止め、迅速かつ適切に対応することは、顧客との信頼関係を構築し、競争が激しい市場環境の中で差別化を図るために欠かせない要素です。
また、小売店が顧客のニーズを理解するためには、商品の販売データやトレンドの分析だけでなく、店舗スタッフが日々顧客と接する中で得た意見やフィードバックを積極的に活用することが重要です。例えば、地域特有のニーズや顧客のライフスタイルの変化を捉え、それに応じた商品ラインアップやサービスを提供することで、より高い満足度を実現することができます。これには、季節や地域性に応じた品揃えの調整や、個別の要望に対応した特注品の取り扱いなど、柔軟で創造的な取り組みも含まれます。
さらに、小売店が顧客の要望をかなえるためには、商品の品質や価格競争力を高めるだけでなく、店舗の環境や接客対応の質を向上させる努力も必要です。快適で清潔な店舗環境の維持、親しみやすく丁寧な接客、さらにはオンライン販売やデリバリーサービスなど、顧客の利便性を向上させる取り組みが求められます。また、近年では、環境意識の高まりを受けて、エコ商品や持続可能な取り組みへの対応も、小売店にとって重要な課題となっています。例えば、地元産の食材やフェアトレード商品を取り入れることで、地域社会や環境への貢献を示し、顧客の共感を得ることができます。
最終的に、小売店が顧客の要望をかなえる責任を全うすることは、店舗のブランド価値や信頼性を高め、顧客が何度も訪れたいと思う「選ばれる店」としての地位を築くことにつながります。この信頼関係は、口コミやリピーターの増加を通じて新たな顧客を引き寄せ、長期的な繁栄を可能にします。そのため、小売店は顧客満足を単なる目標ではなく、日々の運営の中心に据え、店舗全体でその実現に向けた取り組みを続けることが必要です。このようにして、小売店は顧客に愛される存在となり、地域社会や市場全体での重要な役割を果たすことができるのです。
最近流行ってるゲーム史上の重要性とは何も関係ないが何となく思いついたのでやってみることにした。
フランツ・リスト(1811-1886)はハンガリー王国の寒村ドボルヤーン(現オーストリア・ライディング)に生まれた作曲家。リストはハンガリー人としての自意識を持っていたようだが、両親はドイツ系であり、他方でパリで成功を収めた関係上フランス語を使って生活していたと思われる。いわゆるコスモポリタンであり、○○国の音楽家とは言いにくい。音楽史上の重要性ではバッハやベートヴェンには劣ってしまうから義務教育では名前は出てこないだろうが、少なくともピアノ音楽史上は絶対に避けては通れない。無尽蔵の超絶技巧によってピアノの表現可能性を著しく拡張したからだ。膨大なリストのピアノ作品から7選ではきついので、リストの活動時期に区切って7選ずつということにした。
クラシック音楽の紹介をする以上、演奏(録音)の紹介は避けて通れない。まさか自分で弾いて確かめろというわけにもいかないだろう。筆者は、リストの豪華絢爛な超絶技巧音楽が大好きである一方、特に晩年に多い宗教的、内向的な音楽は未だにあまりピンと来ない感がある。努力はしたが、晩年作品を中心にうまく推薦ができていないのは好みの関係で、あまり色々な音源を聞き比べていないことが一つの理由だ。
リストのピアノ作品はあまりに膨大で、しかも抜群の技巧を要求する作品も多い。一曲ごとの規模の違いを無視していうが、大量のピアノ曲を残した作曲家であるショパンの場合作品数は200強。単独ピアニストによる全集も作られているし(ギャリック・オールソン、アシュケナージ、横山幸雄も作ってますね)、レコード会社の企画モノで複数のピアニストを起用して制作されることもある。横山氏みたいにぶっ続けの連続演奏会を開いてしまうことも不可能ではない(https://www.afpbb.com/articles/-/2784123)。
しかしリストの場合は単純な作品数の多さ、別稿・異稿が多く存在すること、難易度の高い曲が非常に多いことから、「全集」の制作は困難を極める。複数のピアニストを起用しているNAXOSのリスト・ピアノ曲集シリーズも未だに全曲をカバーできていない(もし完結していたら教えてください)。その点で単独でリストのピアノ作品全集という前人未踏の大偉業を成し遂げたレスリー・ハワードのCD(Hyperion)は本編と別巻(新たに発見された別稿・異稿)あわせて99枚というとんでもない分量がある(全曲試聴可能/https://www.hyperion-records.co.uk/dc.asp?dc=D_CDS44501/98)。優れたピアニストであるハワードでも、短期間に、といっても10年以上あるが、大量の作品を録音しなければならない計画故、詰めの甘い演奏がかなりあるように感じられ、何も考えずにハワードの全集を推薦するわけにもいかない。とはいえ、ハワードのおかげで取り敢えずリストのピアノ曲のほとんどをまともな「音」として把握できるようになった。ここで敬意を示しておきたい。ハワードのCDを一巻ずつ紹介している古くからのサイトがあり、本当に頭が下がる(https://www.katch.ne.jp/~hasida/liszt/liszt.htm)。良くない演奏もバシバシ指摘している。
リストの生涯について。作曲家の生涯を知ることが楽曲の理解に必ずしも結びつくわけではないが、それでも、どのような作風を意識しているのかとか、どのようなモチーフを描こうとしたのか(特に標題音楽の場合)ということを知ることは有益だろう。作曲家の置かれていた状況を知ることはその理解の助けになり得る。リストの場合、ざっくりいえば大スターとして活躍した1840年代までの時期(前期)、ワイマールの宮廷楽長としての活動が中心になる50年代(中期)、そして50年代末の波乱、特に愛人カロリーヌとの結婚が認められず、子どもの早世などの不幸に連続して見舞われた後、ローマに腰を落ち着けて作曲活動を再開し、亡くなるまでの晩年の時期(後期)に活動を区切ることができる。このあとは単に前期・中期・後期とのみ述べる。ここで紹介するのは、前期、少年時代からピアニスト時代までのもの。父を失って本格的にピアニストとして稼がねばならなくなり、大スターになっていくが、仕事ばかりで事実上の奥さんとは破局する。そして後年の恋人カロリーヌと出会い、ヴァイマールの宮廷楽長に就任するまでだ。
作品番号について。クラシック音楽には、出版社のつけた出版順序を示す作品番号(op. xxみたいなやつ)がついていることが多い。クラシック音楽では、抽象的に「ピアノソナタ」とのみ名乗る曲が多いので、作品番号は楽曲の区別にとって大事になる。しかし、リストの作品番号は出版社ごとに全然違うなど滅茶苦茶で(こういうことはシューベルトにも言える)、作品番号では把握できない。そこでよく使われるのは、イギリスの音楽学者ハンフリー・サールが整理して付番したサール番号(S. xx)である。Wikipediaにもサール番号順のリストの作品一覧があるので参照されたい。
彼の代表作の一つ、「超絶技巧練習曲」の初稿にあたる作品。48とあるが、実際には全12曲。「超絶」を聞いたことがある人なら驚くはず。リスト15歳の頃の作品。リストはハンガリー貴族たちから奨学金をもらってチェルニーの元で学んでいたのだが、本作品は明らかに影響が見て取れ、微笑ましいと思うか、チェルニー××番を思い出して頭が痛くなるかは人次第だろう。録音は多くない。筆者はハワードを一聴したことがあるのみ。ウィリアム・ウォルフラム(NAXOS全集20巻)は未聴。パガニーニの影響を受けたあとの改訂版(24の練習曲 S.137)は異常に難易度が高い割に第三版にあたる「超絶技巧練習曲」ほど演奏効果がないのでやはりほとんど取り上げられない(ハワードは録音している)。
2. 「ある芸術家の生涯の出来事」 S.470(1834年出版)
タイトルでもしやと思った方、あなたは正しい。ベルリオーズの「幻想交響曲」のピアノ編曲だ。実は原曲よりも出版自体はこちらの方が早いようだ。ふられた作曲家がヤクをやって彼女を殺して処刑されて悪魔のサバトに遭遇するという夢、というとしょーもない話だが、この曲は初演当時多数の人々を熱狂に巻き込んだ。リストも熱狂した一人だった。それでピアノ編曲までやってしまったのだが、当時は録音技術がないので、家でちょっと味わおうとCDだのSpotifyなどというわけにはいかない。ピアノで弾くしかないわけだ。とはいえ、よくあるオケ作品のお手軽編曲ではなく、オーケストラの生み出す音響を可能な限りピアノで再現しようとした意欲的な作品だ。演奏難易度は極めて高い。フランソワ=ルネ・デュシャーブル(EMI)とニコライ・ペトロフ(原盤は知らないがVeneziaの再版盤を所持)の演奏が世評高く、特に後者の演奏は凄まじいが、まだまだこの曲のポテンシャルを完全には引き出していないような気がする。ジョヴァンニ・ベルッチ(CD未所持)は公式YouTubeに演奏動画をアップロードしている(https://www.youtube.com/watch?v=bSqunBoj0cY)。これが一番アクセスしやすいだろう(録音は一番良い気がする)。
3. パガニーニによる超絶技巧練習曲S.140(1840年出版)
1828~34年に欧州でコンサート・ツアーを行ったヴァイオリニストのニッコロ・パガニーニは極限まで高められた演奏技巧と表現力によって多くの熱狂的ファンを獲得した。リストもパガニーニに狂った一人(またかよ)。全6曲、すべてパガニーニ作品からの編曲だ。ヴァイオリンの技法をピアノに映すというよりも、パガニーニから霊感をもらってピアノ技巧の拡張を試みたものと言って良い。第3曲が「ラ・カンパネッラ」(ヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章の編曲)だが、有名な「ラ・カンパネッラ」は、実は本曲集の改訂版S.141(1851年出版)の方であり、本曲集を聴くと、違いに驚く(逆にパガニーニの原曲を知っているとそちらに忠実ということに驚く)と思われる。そしてこの曲集は何よりも演奏難易度の高さで悪名高く、特にひたすら重量級かつ幅広い跳躍のある和音アルペッジョが続く第4曲(の第2稿)はピアノマニアの間では語り草になっている。また第6番「主題と変奏」(原曲は24の奇想曲第24番)の第9変奏も地味ながら恐ろしく難しい。
かつては本曲集といえばペトロフ(原盤Melodiya、VeneziaとOlympiaの再版盤で所持)、大井和郎(Deutsche Shallplatten)、そしてハワード全集しかなく、マニアたちがアップロードしているMIDI演奏の非人間的超絶技巧を楽しんでいたのだが、現在ではゴラン・フィリペツ(NAXOS全集42)とヴァレチェク(Capriccio)が挑戦している。現在でもペトロフの演奏が最も高い水準にある思われるが(映像もある https://www.nicovideo.jp/watch/sm12879344)、フィリペツの演奏もそれに並ぶハイレベルな演奏であり(流石に6番の第9変奏は苦しそうだが)、CDの入手可能性もあるので今ならフィリペツを聴くと良い。
困ったことにペトロフの映像は中々手元を写してくれない。ニコニコ動画で「国家機密の指」と揶揄されているが、確かこれはペトロフがカメラに写されることを非常に嫌っていたからだと思う(出典は忘れた)。
4. 旅人のアルバム S.156(1836年~1842年出版)、「巡礼の年 第一年:スイス」(1855年)、「巡礼の年 第二年:イタリア」(1858年)、「第二年補遺:ヴェネツィアとナポリ」(1859年改訂版)
ダグー伯爵夫人マリーは当時のパリ社交界を代表する人物で、たいへんな美貌の持ち主だったという。リストは1834年頃からマリーと逢瀬を重ね、35年にマリーは妊娠している。大胆なスキャンダルは芸能人の特権。
特に社交界でつまはじきにされることもなかったようだが、人目を憚るように二人は(それぞれ一時的なパリ帰国も挟みつつ)スイスやイタリアへの旅行に順次出かけている。鉄道もない時代なので妊婦には大変な重労働だったはずだが、ジュネーヴで36年12月、長女ブランディーヌが誕生した。
旅人のアルバムは、スイス旅行で見聞きした風景や民謡をモチーフにした曲集で、全19曲ある。このうちの数曲が改訂を経て「巡礼の年 第一年:スイス」 S.160(1855年)に結実する。また、37~38年に訪れていたイタリア旅行で見聞きした風景や芸術作品から受けた霊感を表現した「第二年」と「補遺」も出版は後年だが、大部分は39~40年頃に完成していたらしい。
旅人のアルバムはほとんど聴いたことがない。NAXOS全集32のアシュリー・ウォスもハワード全集でも聴いてない。巡礼の年の方は、第三年も含めた全曲盤ならラザール・ベルマン(Deutsche Grammophone)が有名。村上春樹の小説中に登場したせいでクラシック音楽のCDにしては珍しく再版がかかった。個人的にはルイ・ロルティ(CHANDOS)の演奏がとにかく美しく、大好きである。巡礼の年は、大曲もあるが、短めで肩肘張らずに聞ける曲も多いので、リスト入門にはもってこい。第一年の大曲「オーベルマンの谷」単独ならアルカーディ・ヴォロドス(SONY)がホロヴィッツ編曲を織り交ぜながら気合い入りまくっている(https://www.youtube.com/watch?v=4ADtxG-b8ik)。第二年、そして本曲集最大の大曲であり、リストの最高傑作の一つである「ダンテを読んで:ソナタ風幻想曲」は、評判の高いベルント・グレムザー(Koch Schwann)は未入手。ロルティ(CHANDOS)は全集版も第二年だけの旧録音どちらも良い(とにかく超絶技巧を味わいたいなら若い頃の旧録音が良い)。有名曲なので演奏動画をアップしている人はプロアマ問わず色々いる。
5. ベッリーニのオペラ「ノルマ」の回想 S.394(1844年)
幻想交響曲もそうだが、リストの作品の多くを他作品の編曲が占めている。特に多数のオペラ編曲があるが、この曲が最高傑作だと思う。中盤の鍵盤を駆け巡るアルペッジョは明らかにジギスムント・タールベルクの「三本の手」を取り入れたもので、聴いていて気持ちが良い。後半の「戦争だ、戦争だ!」のテーマに基づく部分は極めて難しく、ここを上手く弾けるかどうかがこの作品の見所。しかもいかにも難しいという様子で弾いては興ざめ。
今ならフィリペツの映像(https://www.youtube.com/watch?v=0TMypN1gW5k)が一番良い。CDもあるらしいのだが自主制作盤と思われ、未入手。他は、かつては表現意欲にあふれるベルッチ(assai)、ヴィルトゥオーゾ的な迫力あるトム・ウェイクフィールド(Symposium Records)、そして我らがスーパーヴィルトゥオーゾ、マルク=アンドレ・アムラン旧録音(Music & Arts)が三大録音だったと思う。アムラン新録音(Hyperion)は若干遅くなったが、抜群に録音が良くなり、総合的にこちらの方が好きかも。若手だと韓国のノ・イェジン(NCM)やイギリスのベンジャミン・グロヴナー(Decca/https://www.youtube.com/watch?v=OVKTEoxBIKE)が大変良い。
40年代に作曲されたもの。全3曲。演奏会用練習曲は、チェルニーのような練習のための曲ではなく、コンサートで披露して喝采をさらうための曲であり、いわゆる「性格的小品」の一種。リストはこういう曲をひっさげてコンサートに臨んでいたわけだ。第1曲から「嘆き」、「軽やかさ」、「ため息」と標題がついているが、出版社がつけたものに過ぎない。第2番の標題通り、全体的に軽やかな作風。特に「ため息」は有名でよく弾かれる。
第2、あるいは有名な第3番の録音はよく見るが、全曲録音というと意外とない。福間洸太朗(アクースティカ)のCDに全曲入っている。確かロルティ(CHANDOS)にも全曲録音があったはず。
スイス、イタリアでマリーと過ごしたリストだったが、ピアニストとして忙しく飛び回るためにマリーを放置してしまい、結局二人は破局する。ひどい話で、破局した後もリストは演奏活動をしていたので、リストの母が子どもたちの面倒を見ていた。
41~43年の夏にリストとマリーはライン川の中州にあるノンネンヴェルトの古い修道院で子どもたちと共に過ごしているが、これがマリーとの最後の親密なお付き合いだった。この曲は、当時同地に夫妻を訪ねてきたリヒノフスキー侯爵の詩に音楽をつけたもの。シャルルマーニュの武将ローラン戦死の誤報を受けて絶望した妻がノンネンヴェルト修道院に入ってしまい、ローランは二度と妻と会えなくなったことを知って修道院を見下ろせる土地に住み着き、妻を思う歌を歌った・・・という救いのないストーリーだ(歌詞:https://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S4212.htm)。マリーとの破局に後悔していたのか、リストはこの曲に相当執着していたようで、ピアノ独奏用を含めて複数のヴァージョンを作り、何度も改訂している。晩年のバージョンをアンスネス(EMI)などが録音しているが、重苦しい。当時のバージョンはそこまで重苦しくないと思う。推薦音源はあまり思いつかない。全集を録音しているハワードもライナーで"beloved"と書いていて、気に入っているみたいである。
華麗なオペラものやシューベルトの歌曲の編曲(魔王を含めてかなりの曲を編曲しており、どれも魅力的)など、編曲を中心にまだまだ色々な作品があるが、そろそろ次の時代に進もう。
女なんてほとんどがセックス苦手からはじまり信頼できるパートナーと蜜にコミュニケーションとりながら段々セックスを受け入れてくもんなのに、自分が自己開示が下手だったり信頼できるパートナーに巡り会えて無いだけだと分からずに適当な知識でアセクシャルを名乗る人が多すぎる。そしてそのまま結婚して性生活が破綻してる。性生活が破綻してるのに恋愛っぽい感情はあるから不倫や婚外恋愛は許さないみたいな。
夫も迷惑だろうし(まあこの場合大抵夫側もセックスが下手なのだが…)恋愛できない本当のアセクシャルの人にとってもこのタイプと同一視されたら迷惑だろう。
男性だけがセックスの上手い下手という評価をされがちだが女性も自分が下手なだけかもと認識してまず上手になる努力をしたほうがいい。セックス上手い人はコミュニケーションがめちゃくちゃ上手いから。
俺は煉獄杏寿郎だ!自然体で正々堂々勝負するのが俺たちの道だ!さて、お前の言う「P2W」とは何だろうな。Pay to Win、つまり金で勝利を買うゲームのことを指すな。
【好きだ!】誠実な努力と実力で勝利を掴むゲーム、それは素晴らしい。真心を込めてプレイすることができるRPGならさらに良い!実力が試される戦いは、熱く燃えるものだ!
【嫌いだ!】公平な競争を台無しにするP2Wのような要素、これには俺はどうも賛成できない。ゲームというのは、己の力で挑戦し、勝利を掴み取るものだ!ゲームに限らず、どんな道においても努力なしに手に入れたものに価値はないと俺は思う!
イスラエルのやってることは正直言って微塵も支持できないが、それはそれとしてムスリムはもう少し自由民主主義国家に馴染む努力はしろとは思う
少なくとも現地の法が駄目だと決めたことはたとえコーランに書かれてあろうが我慢しろと
つかそもそもムスリムが増長するのも現地の行政機関や法執行機関の日和見主義が元凶なんだよな
法を犯したらきっちり取り締まれと
でも今も昔もそこまで勝算の低い賭けでもないんだよな
手に入る時は何も頑張らなくても手に入る
たとえば25%の人間がそれなりに満足な恋愛結婚を得られるとしたら
あらゆる掲示板やSNSサービスで不特定多数の人間を不快にするために、暴言や冷笑に不謹慎な書き込みをしている
見た人間が一人でも多く嫌な気持ちになってくれるように努力を欠かさない
あーははは、たーのしっ
しっかり好きなことなら努力できる才能があるみたいだし、博士課程でもなんとかやれると思う
博論は三年でかけるように、しっかり博論の構想を練っておいて、査読論文をそれぞれ博論の1章、2章、3章...としていくように、パーツを作るみたいに書いたらいけると思うよ。
やるべきことをやれば多分道は開けるし、一旦教職に就くっていうのも全然アリ
博士人材が教職に就くっていうのは、非常に意義があることだから(主体的な探究学習が今文科省によって求められているので、博士人材のような研究のノウハウを知っている人材はとても重要)。
いずれにせよこれからも頑張って欲しい
むしろ既婚者が結婚してから何の努力もなしに夫婦の関係性を維持できてると思ってるのか?
当たり前の話だが、付き合い始めて結婚できたらハイ終わりってわけじゃなく、未婚同士以上に要求される水準は高くなるんだよ
それは収入であったり生活力であったり様々だが、男であれ女であれ確実に要求される水準は結婚前よりも高くなる
それは結婚後に専業主婦(主夫)を選択しようがそうで、マッチングアプリで高学歴高収入高身長の相手と運良く付き合えても、結婚後にアナタが要求する水準とアナタ自身が要求される水準は高くなるんだよ
誰かと添い遂げるってそういうことだぞ
ホワイトな職場は一流企業なら学歴と顔と骨格が整ったやつばかり。そこよりも型落ちのベンチャー企業なら少し譲歩してるらしく低学歴の顔整いばかり。
それで「君には価値があるよ!!」ってアニメや漫画やアイドルに言われるのだるいじゃん
「君には価値があるよ!!(だから今悪い状態なのはお前のせいな!!)」
ブサイクっていうのは一生
顔整いを並べたオッサン共に
ってもう骨格レベルでどうしようもないブサイクを馬鹿にされる日々やん?
もう価値があるとか、うるせえんだわ
まだ足りないよなあ
もっと偉くなってあいつら全員2度と心の底から笑えないようにしたろ
しかも片手間でやるねん
美がインフレしたせいか今ってセックスの値段が安くなってる。時代は純愛。
ルッキズムがうんぬん言ってるけど、みんな基本は最低ラインだったり自分のこだわりラインを超えれば終わりで、ルッキズムに極端にこだわる層は一部。男でも女でもセックス!沼らせ!モテモテ!とか言っている精神的童貞や精神的処女が、マウントとりたいがために大きな声をあげている。若いやつに多い。まあしょうがない。そのあたりは顔整いなどと言われてdisられている。
年収なんかも別に一定ラインまでは大事だが、最重要ポイントではない。年収とルッキズムや清潔感や職業や学歴っていうのは基本的にはレベルのこと。とくに生活レベル。ここのレベル感が合わないといろいろと厳しくなる。
あと昔は恋愛は「女が男を評価する」という時代だったけど、今は男も女を "恋愛的に" 評価している。外見だけじゃなくて。やれればいいだけの男と恋愛したい男(やれればいいだけの男も「いい女」を見つけると恋愛したい男カテゴリに入る)は違う。そのへんがわかっていない下品な女性は、男から「ヤること」すら、お断りされる。下品な女性は顔の美醜に関わらず声が大きく、過激なことを言う。おそらく愛着障害である。
女がいい男と「ヤることすらできない」時代が到来してきている。いい男のセフレや二番目や不倫相手でもいいのに「ごめん俺彼女いるから」とか「今仕事忙しくて」とか「ゲームの方が優先」とか断るわけだ。
そういう「いい男」が市場にいない。いい男っていうのは単に浮気しないわけではない。別に浮気や不倫できるけど、めんどくせーし彼女や奥さんのことを愛しているからしないわけだ。いい男の彼女や奥さんがそれぐらい愛せる存在だからだ。
つまりいい男といい女は単独では存在できない。セットである。「いい男がいない」というのは「自分はいい女ではない」という自己紹介だし、「いい女がいない」というのも「自分はいい男ではない」という自己紹介だ。
で、そういう「いい男」「いい女」っていうのは上位層しかいない。あとは準いい男・準いい女などの光る原石と、クズかゴミしかいない。
だから婚活や恋愛はちょっと足突っ込んでみるようなもんではない。
みんなリアルに魂や人生を賭けている。ハードモードだということを理解した上で突撃しなければならない。
自分の全性格やどうしようもない部分も含めた生活習慣から始まり、生き方・考え方・ダメな部分・うまくいってないところ・今後の人生設計、そういうのを提示し合うのが恋愛だし婚活だ。
俺は契約結婚とかそっち側はわからないが、もし恋愛結婚(多少妥協するにしてもだ)したい人は、わりと人生の中で大きく賭けないといけないと思う。生半可な気持ちでやれば生半可な結果が返ってくるだけだ。
超上位層はもう神格化されたような存在が熾烈な争いをしているわけ。もうみんな疲弊している。
外見はもう外見だけじゃなくて生活レベルも所作も語彙も知性も地位も若さも部屋の綺麗さも生活習慣も運動習慣も全部入る。正直ドン引きだわ。
こういうのは、モーニングルーティン!成長成長!なんて言っているちょっと頭おかしいサイボーグみたいな現代に適応したやつらに多いのではないか。わりと自己中(無論全員ではないし学ぶべき点は非常に多い)
モテようとしている奴らはこのへんを必死に学習して「うおおおおお俺モテるぜええええ」などとやっている。クズだがかなり努力家だ。そういう奴が総取りしている。
だがそのあたりの、属性だけは持っている「いい男風」「いい女風」みたいなやつが「女神」や「真実の愛」を求めてずっとさまよって「彼女できない(作ろうと思えばいつでもできる)」「彼氏できない(作ろうと思えばいつでもできる)」みたいなアホなこと言ってんの。こいつらは、顔もいいし外見もきらびやかで金もあって地位もあり親も太かったりするが、キモい。愛を知らないロボットみたいな奴だ。そういう奴らが漁場を食い荒らしていると思ってほしい。
暇つぶしにな。いいか、暇つぶしだ。マッチングアプリなど暇つぶしだ。「なんかいいね来た」「まあ暇だから会うか」「がっついてるなこの人。余裕なさすぎじゃん。あーあー、そういうことする?」そういう感じ。
暇つぶしにセックスするか。暇つぶしに恋愛でもするか。飽きた。なんだこいつ。まあ他にもいるからな。うーん、こいつもか。だめだな。うーん。
こういう感じだ。魅力度はSランクなのに精神的童貞・精神的処女みたいな。心を全部明け渡そうとしない。そこまで相手を信頼しない。自分を渡さない。命を賭けない。賭けるに値する相手と遭遇できない。
あとはまあ、今までの復讐みたいなとこもあるかもしれない。手痛い裏切りからの「いつか見返してやるからな!」の復讐心が、他の人々の地獄を新たに作り出している。魔王みたいな奴らだ。
下層の住民たちはそういう偽神たちの暇つぶしに翻弄されているわけだ。そういうのに耐えられない人々は推しなどを自分の人生にコラボさせて心の安寧をはかる。「彼女+推し」「彼氏+推し」みたいに。悪いわけではない。
婚活地獄に陥っている人はいま挙げた超上位層や上位層のカモにされたり、「カモにもされない」という点で地獄に陥っているのではないか。
「偽神からいい具合にカモにされたいのに、全然餌としても見られないから、もうそんなにカモられなくてもえぇ!神じゃなくてえぇから、生活レベル条件だけ妥協しようとしたら全然相手にされねぇ!それはそうとなんだこのゴミクズたちは。邪魔なんだけど。ウザい!ハッ、まさか、これが自分の実力だとぉーーーーー?!こんなことが現実であるはずがない!!婚活辞めます!!!」みたいなのが婚活地獄の女性だ。たいへんだよ、本当に。
自分の地位!安寧!この世のすべてを手に入れることができるワンピースはないのかと思っている。モブのくせに。しかもタダで。
まあ俺は恋愛とかよくしらんけど、本気で全力で魂削って必死でやっている奴らがしのぎを削っている戦場で、経験も浅いくせにナメてる奴が「こんにちは〜」って呑気に入ったら普通に撃ち殺されるのは当然だと思わないか。
おそらくスマホからだと読みにくい。PCで読みやすいように改行などしたし文が長く複雑だから、スマホからだと怪文書のように見えるかもしれない。
被害者や同様の事案の被害に遭われた方を不安にさせるので犯罪の時期、内容等は伏せます。
ある1事案で逮捕されて、証拠諸々から余罪も見つかり…という感じです。
自分のケースもレアかなとは思いますが思考の変遷について書き留めたいので、ざっくばらんに書いてく。思いつきで書いてるのでわかりにくいかも。
まずは逮捕後、母親は俺を見捨てて勘当するつもりだったらしい(父親はすでに病気で他界していて兄弟もいない)。
ただ、偶然おれが捕まった頃にテレビか雑誌の記事かなにかで性犯罪被害に遭った方の記事を読んだのか番組?ドキュメンタリー?を見たかしたのと、再犯率が高いとか、俺もそうだったけど1人で複数回犯罪を重ねていたりするケースがままあることを知って、このまま勘当して見捨てたらさらに被害者を増やす可能性があると思ったらしく、成人してる子とはいえ親として再犯させないためにも関わり続けることを決めたらしい。(これは後述するカウンセリング等の際に聞いた)
母親が見捨てなかったというのが俺にとってはすごく大きかった。
カウンセリングについては今でも続けている。
被害者に対して申し訳ないとかではなく、どこをどうすればバレなかったか、とかもっとうまくやってればとか、自分が下手こいたという認識しかなかった。
警察に行った被害者に対してめんどくせー女がよ…みたいに考えていた。
カウンセリングを通じて被害を自分事として考える試みがあったが、
例えば当事者意識を持つために自分に近しい人(近所のお姉さんとか、親戚の女の子とか)が被害に遭った場合にどう感じるか、みたいな。
俺にとっては正直ただのオカズだった。
知ってる女の人が性被害に遭ってひどい目にあわされて絶望してるの考えただけで抜けると思ってた。
さすがにそのまま言いはしなかったし、知ってる人が被害に遭ってたら辛いです悲しいですとか言ったかもしれないけど(当時どう答えたか覚えてない)、カウンセラーの先生にはたぶんそこも見透かされてた。
そのため、そもそも俺がどうしてそういう認識を持ってしまったか?を探ることになる。
両親は本や漫画が好きで家にはたくさんあった。そして父親のエロ本が当たり前にその辺に転がってた。
父親は家の中で強権的だった。
酒に酔うと、暴力は振るわないが、テレビに出てる女性タレントやグラドルの見た目を揶揄する発言をよくしてた。
「脳みそに行く栄養がぜんぶおっぱいに回っただけのバカ女」みたいな感じの発言。露出の多い服の女性芸能人は男に媚を売りたがっているアバズレだとか。
俺は小さい頃から男児らしく乗り物好きだったのだが、車が趣味で車に関わる仕事をしていた父親は知識が豊富で乗り物にとても詳しかった。乗り物のことをなんでも教えてくれる父は俺にとって一番すごい人で、乗り物以外でも父親の言うことが正しいのだと思っていた。
また、父親が酒に酔って他人を揶揄したり、自分を大きく見せる発言をしたときも母親は父の機嫌を損ねないように何も言わなかったので、その発言や態度をそのまま俺は学習し、内面化していった。
酔ってる時の父はリビングに転がってるエロ本を俺に渡してこういうの読みてえんだろとか言ってた。
このあたりはカウンセラーの人と話しながら父親や父親との関わりを見直す作業をしたので割といまでは冷静に書ける。
この話を始めた当時はカウンセラーやたまに同席する母親に対しても自分を大きく見せようとしていたと思う。
こうした両親の態度や状況は性的な、または心理的な虐待の一形態であった可能性が高いとわかった。
俺は父親と母親にまともな環境で育ててもらえなかったせいで性犯罪者になってしまった。なのになんで犯罪者としてこんなに責められなきゃいけないんだ、みたいな。
俺が犯した罪と、俺の生育環境の悪さを切り離して考えることができなかった。
俺は記憶にないが、父親は酔うと暴力を振るったこともあったらしく、母親はどうしてもそれだけはやめてくれと言ってやめさせた。だけどまたいつ暴力を振るうか分からなくて事なかれ主義で父親の態度を容認・放置してしまった、申し訳ないことをしたと言っていた。
母が認めて謝ったことは後々受け入れるけど、このときは被害者意識を膨らませる動機にしかなっていなかったと思う。
女性や他人を尊厳ある人として認識してコミュニケーションをとる、関わり方を覚える、みたいな方向に行くんだけど、ほんとに分からなかった。
被害者意識を持て余してうまく行かなかった。すごく時間がかかった。
ツイッターだと思うけど、あるラジオ番組?でモーニング娘。のあるメンバーが水着の写真集は出さない、100億くらいもらわないとやらない、みたいな話をしていたらしい。それに対して明石家さんまが「お前は自分のカラダにそこまでの価値があると思っているのか?」みたいな返しをするとその子は
「私にもさんまさんにも誰にだってそれだけの価値があります」というようなことを言っていたと。
それを称賛する内容のツイートかなにかを目にした。
そのとき、
「ってことは俺にも100億とかの価値があるのか〜」
と、綺麗事でそういう誰の命も大切、みたいな台詞はごまんとあると思うんだけどなぜかこのときはすごく響いた気がする。
100億の具体的な価値はわからないがものすごい希少なダイヤモンドくらいの金額なのかな、とか考えたんだと思う。
この後もカウンセリングは続けていくんだけど、頭の片隅にずっとあの話があって、いつ何がきっかけか覚えてないけど、しばらくしてからすべての人をダイヤモンドだと思うことを始めた。
尊厳が、とか、人を尊重するとか大事にするとか、そういうことを言われると俺だって尊重されたい、大事にしてくれ、そっちが俺を大事にしないのになんで俺が、みたいな被害者意識の暴走があったけど、
人として見ることを諦めて眼の前の人間は100億のダイヤモンドだ、ダイヤモンドにこの態度は良いのか、この言葉は良いのか、勝手に触れてはいけないのではないか、みたいな
相手をダイヤモンドにすることで相手と距離をおいて考えられるようになった。
「尊厳のある1個人として尊重する」ためにはたぶん相手との間に少し心の距離?をとる必要があって、俺の場合は自分の被害者意識に振り回されがちで相手の状況や考えを推し量れなくなってたけど、いっそ相手を無機物(ダイヤモンド)とすることで距離を測れるようになった気がする。
ただこれのお陰で人との関わり方や、女性や子どもや弱い立場の人との関わり方や認識が百発百中うまくいってるわけではないので、カウンセリングを続けて自分の抱いた気持ちや認識を言葉にすることを続けている。
女性がひどい性被害を受けた事実をズリネタと認識してしまうのは環境要因によって刷り込まれてしまったというか、頼んでないのに技マシンで増やされた必殺技かコマンドみたいな感じだと、カウンセラーの人と話してそう客観的な認識をすることにした。そしてそれは使ってはいけないコマンドとしておかなくてはならない(一度でもそのコマンドを使うと使い勝手が良いと判断して優先順位が上がってしまう、再犯のきっかけにもなるかも)ので、抜きたいときもラブラブエッチものに限定。エッチなのを見てはいけないわけではない、ただ他人の尊厳を守るという前提でのコミュニケーションや他人への認識というのがうまくいってない俺にとっては、露悪的な内容はよくない結果しか産まないというのを俺自身も納得したのでそうしている。
主語でかいかもだけどAVやエロ漫画でもいわゆる尊厳を踏みにじる行為としての「ひどいことをする」というのをエロに結びつけすぎなのではないかと思う。ラブラブエッチものは羨ましくなったり妬ましいときはあるけど普通に抜けます。
まだまだ道半ばではあるが、
俺は多くのダイヤモンドを傷つけておきながら、しくったな〜しか考えていなかった。
傷つけたダイヤモンドのことを考えられなかった。
今でも考えようとすることは俺の負のコマンドに触れる可能性がある(やばいスイッチに触れそうだなと言う感覚がくるからやめる)のでうまくできない。
ファイルの中身をメモリーにおいていいなら、そこまで難しくはないな。
スクロールやキャレットの画面外の移動の時だけ、レイアウト行を構築すればそれでおしまい。
http://s170199.ppp.asahi-net.or.jp/vivi/docs/buffer/edit_buffer.php
ViViエディターの人の記事が書いているような複雑怪奇なバッファー管理はいらない。
メモリーを32GBぐらい積んでいれば、ギャップバッファーでも1GB未満の大きさのファイルの読み書きは簡単にできる。
自作のエディタでも900MBを12秒ぐらいで読み込むことができた。
ただ、この機能を実装すると行ジャンプのダイアログを出したときに最大行数がわからなくなる。
まともに使いたいなら、ちょっと考え方を変えないと駄目だ。
1GBを超えると何かしらの制限に引っ掛かる。
EmEditorや鈴川エディタ、巨大ファイル対応ログビュアーなど巨大ファイルを扱えるエディターはマジすごい。
最低賃金のウェブプログラマー兼雑用で、大学受験に落ちた俺にはこれが限界…。
自作のエディターでつかってるgap_vectorもどこかから拾ってきたやつで、スクラッチで書いたわけではない。
こんなことなら、きちんと数学IIICを勉強して情報系の大学に行けるようにするべきだった。
大学に入るためには教科書の基礎問題だけでなく、応用問題みたいな知識の使い方を問う問題まで解けるように努力すべきだったorz