はてなキーワード: 公共の場とは
テロと戦争は、本質的には異なるものです。それぞれの特徴を明確にすることで、その違いを理解できます。
まず、テロは特定の政治的、宗教的、または社会的目標を達成するために行われる暴力行為です。テロリストの主な目的は、恐怖心を利用して人々や政府に影響を与えることです。この行為は、非武装の市民や公共の場所を標的にすることが多く、意図的に無差別に行われることがあります。また、テロは通常、国家や軍隊ではなく、小規模な集団や個人によって実行されます。そのため、戦争のような広範な軍事行動ではなく、ゲリラ戦や自爆攻撃といった限定的かつ突発的な手段が用いられることが一般的です。
一方、戦争は国家間または国家と他の勢力との間で行われる組織的な武力紛争です。戦争は明確なルールや慣習が存在し、交戦国の間で相互に認識された敵対行為として行われます。軍隊が動員され、戦闘は戦場と呼ばれる特定の地域で行われることが多いです。また、戦争の目的は領土の拡大、資源の確保、政治的支配など、国家の利益に関連することが主です。
このように、テロと戦争の大きな違いは、規模、主体、目的、そして対象にあります。テロは恐怖を生み出すことを目的とした非正規の行為であり、戦争は国家間の利益を巡る正規の紛争です。この違いを理解することで、両者に対する適切な対策を考える出発点となるでしょう。
漫画作品の表現の幅が狭まるのは嫌だなと反対したけど、腐女子向けが規制されてると手を叩いて大喜びしてる男オタク達を見てウワーと思った。
その後公共の場に小学校近くだろうとどんどこやべーイラスト貼り出して押しつけてきては、法律で規制されてないですが?でごり押ししてるのみてウワァ…ってなった。
中学生をエロ水着写真撮影会に参加させていたからもう公共のプールを貸さないと言っただけで政治家やオタク達が怒り狂って表現の自由を守れと千人デモしているのを見て子供を性的に食い物にするのを表現の自由で正当化するのかと驚いた。
女性支援活動にデマふっかけて支援活動してる人達モデルに嫌がらせAV作って政治家まで喜んでそのAV見てて、活動の場所に押し掛けて活動妨害して、表現の自由に攻撃した報いだとやって、自分が好きだった漫画やゲームやアニメ作者達までそう言う妨害を応援しているのみて、もういいや…ってオタク系統から心が離れてきてる。
都知事選でM字開脚ポスター貼ってた奴や、トクリュウで逮捕された奴までコロアキとつるんで女性支援活動邪魔していたのを見ても、日本腐らせてるように見える。
それにもう子供も居るしネットに漫画のエロ広告溢れたりが本当に嫌だけど、オタクはエロ広告が出るのはお前がエロいからーとか周回遅れ擁護繰り返してて醜い。
綺麗な腐女子、いる。
綺麗というのは美女というより、社交性があり、一般的常識(公共の場で大声で腐の話をしない等)を備え、年相応の(ガサガサの膝を晒したミニスカとかではない)格好で、爪や歯や顔身体を清潔にしている人のことだと思って欲しい。
そういう人はちゃんといる。しかし、隠れるのもうまいので少しでも腐女子を笑ってやろうという気配を感じるとサッと気配を消す。そもそもいかにも腐女子!といった見た目の子たちとは長時間つるんでない気がする。
悪い意味で年齢不詳、すっぴんどころか眉も産毛もそのままで、スキンケアをしない自分を誇りに思っていて、声がめちゃくちゃデカくて、友達と会う時はいつも通りのゆったりした服だったり一張羅のフリフリの服やパツパツのニーハイ、何故かネイルはしていたり香水はつけたりする。
自分は男女カプや日常ギャグが好きなんだけど、とりあえず女だからか腐女子と関わるというか絡む時がある。
男オタクもそうなのかも知らないけどマジでちゃんとしてる人とそうでない人の幅広過ぎない??そんで、チグハグな格好してる人たちで「〇〇さんマジで美女」「〇〇さんセンスいい」と褒めあってるとムズムズしてくる。
直接迷惑はかかってないけど帰り道の途中でバカ声量で萌え談義に花を咲かせたら参るんだよなあ。あんま大きい声出さないようにしよう?ってこっちが提案するとすごい白けるし。
「ぬい活」というものをご存じだろうか。
公式のグッズ製作会社から販売されている「キャラクターを模したぬいぐるみ」を中心とした、一種のオタク活動である。
主に女性オタク界隈で多くみられ、「キャラクターを模したぬいぐるみ」は「ぬい」と略称される。
彼女らは「ぬい」を愛で、旅行先やテーマパーク、飲食店などに引き連れていく。ただし、鞄の中に仕舞いっぱなしというわけではない。取り出し、写真を撮る。そして、その写真をSNSにアップする。
私はこれら「ぬい活」を異常だと思っている。そんなことをしてはいけないと強く思う。
この文章をお読みくださっている方の中にも、「ぬい活」の現場に居合わせた経験をお持ちの方がいるかもしれない。
どう思われただろうか。
「かわいいな」「楽しそうだな」と思っただろうか。
それとも「恥ずかしいな」「痛いな」と思っただろうか。
予想するに、大半の人は「どうでもいい」と思ったのではないだろうか。
一瞬、「うわっ」となりながらも、さっと視線を逸らし、数秒後には忘れている。立ち止まって眉を顰めるほど暇ではないし、そもそも街の中は「うわっ」となるもので溢れている。
薄汚れた作業着を纏った無精ひげだらけの男性、ミニスカートを履いた中年女性、フリルのついた可愛いワンピースを着ているが骨格がどうみても男性の人、奇声をあげながらフラフラ歩く人。
彼らは他人に迷惑をかけているわけではない。ひどい臭いを発していたり、単純にうるさかったりするが、罪を犯しているわけではない。
しかし、視界に入れた瞬間、「うわっ」となる。慌てて視線を逸らし、「見なかった」ことにする。自分の人生から追い出し、登場しなかったことにするのだ。
そういう「うわっ」となる人たちの中に「ぬい活」をするオタクも含まれている。共通項は一般人とは異なる価値観を持ち、奇抜さを越え、そこはかとない嫌悪、恐怖を感じさせる点だろうか。
これがたとえば、「高校生が某テーマパークで、そのパークの公式キャラクターとなっているキャラのぬいぐるみを持ちながら写真を撮る」ならいいのだ。主体の属性・場所・行為に整合性がある。
「ぬい活」は違う。
その多くは成人しており、中には30歳を超えている人もいる。そういう人たちが、キャラとも作品とも関連性のない公共の場で「ぬい」を取り出しているから、「うわっ」となるのだ。
どうしてなんだ。どうしてそんなことができるんだ。
普通は年齢を重ねるごとに成熟していくはずの客観的視点がどうして退化しているんだ。自分を何歳だと思っている。大丈夫か。マジで。
そしてまた、彼女らは「ぬい」に服や靴などの装飾品を与え、自分好みにカスタマイズする。専用の服が売られているし、自分で作る人もいる。まんま幼少期に楽しんだ「お人形ごっこ」である。
ひとり、あるいは友人同士で、家の中で楽しむなら何も文句はない。何故、外で取り出すのだ。
人によっては「ぬい」を飲食店で取り出し、食事と一緒に写真を撮ったりする。
どうしてだ。衛生観念をドブに捨てたのか。人の手でべたべた触り、頻繁に洗うこともないであろう、ぬいぐるみをどうして食事の場に出す。子供でも親に注意されるぞ。
社会人として働いている人も多いだろうに、どうしてその程度のマナーが守れないのだ。お店の人も困ってるよ。
私は彼女らの行動が理解できない。そもそもの話、彼女らの目的は何なのだ。
『キャラが好きだから、キャラを模した「ぬい」と行動を共にし、写真を撮ったりなどして、思い出に残したい』
ぱっと思いつくのはこんなところだが、私には彼女らが本当の意味でキャラを愛しているとは思えない。
本当にそのキャラを愛しているのなら、「ぬい」を公共の場で取り出すなどという、恥ずべき行為に至るわけがないからだ。
「ぬい」はデフォルメされているとはいえ、知っている人がみたら「あのキャラだ」とわかる。そして、オタクが公共の場で「ぬい活」をすることで、「あのキャラのファンは、ああいうことやっちゃうのか」と思われる。冷えた視線を送られ、非常識のレッテルを貼られる。
「キャラ」と「ファン」は一体なのだ。グッズを手にしている以上、切り離してみられることはない。
一度だけでいい。一度だけでいいから、自分の行為をみつめ直して欲しい。
友人と一緒に好きなキャラの「ぬい」を持ち、画角や背景、光の当たり方などを工夫して写真を撮るのは楽しいだろう。その写真をSNSに上げ、いいねされ、コメントがつくのは嬉しいだろう。キラキラと輝く思い出になるだろう。
ただ、それらの行為をしている最中、周りにはあなた以外の人がいる。あなたの行為をみている人がいる。
もうおばさんと言われる年齢だ。職場で働いている中で悩みがある。将来のことだ。このままずっと、これでいいのか不安でしょうがない。
十年くらい、関西にある地元の市役所で臨時職員(※今は会計年度任用職員)として採用されて、働き続けてきた。
部署の異動は一度だけ。最初は水道の庶務の仕事だった。今の部署はさすがに言えない。ごめん。
会計年度任用職員、略称としては会任なんだけど、それになってからは異動がない。臨時職員がアルバイト・パートだとすると、会任は契約社員の位置づけである。
ずっと同じ部署にいても、民間みたいに正社員転換しないといけないルールはないらしい。長い人だと、地籍調査とか用地取得の部署で、正規じゃないのに15年以上働いてる人もいる。
私の人生の何がつらいのか、書き綴ろうとしたけどまとまらない。何がどう辛いのか、自分でわからないところがある。しいていうと、恋愛とか、結婚だろうか。世の中の一般の女性にとって大事なことだ。
私は女らしくないし、あまり可愛くもないし、なんならハムスターとか、チンチラに生まれたかった。あの子達の世界にもブサイクはいるのかもしれないけど、人間目線だとみんなカワイイ。
不安はたくさんあるけど、ここでは一つだけに絞って話をする。
不安の全体だと、恋愛や結婚もそうだし、生活のこともあるし、やや遠くで暮らしてる親のこととか、相続とか、自分の健康のこともある。
けど、一番は恋愛とか、結婚のことだ。アラフォーになったばかりだけど、正直結婚は難しいと思う。本当にそう思う。
私と同期で、約十年前に入庁した臨時職員の子達は、全員が自分の道を見つけている。適当な男性とくっついて離職した子もいれば、普通に転職した子もいれば、市役所から直接スカウトを受けて、コネ採用みたいな恰好で、公開競争試験じゃなくて個別試験をセッティングしてもらって、裏口のような形で正規職員になった子もいる。みんな、ちゃんとした理由があった。
入庁当時の私は、25才だった。美容の専門学校を卒業したけど、リーマンショックの関係で職が少なくて、フリーターを転々として、生活が貧しくて毎日泣きそうで、そんな私を最後に拾ってくれたのが生まれ故郷の市役所だった。
月給は額面13万円+残業代で、ボーナスは当然ゼロ。病気・傷病休暇もない。有給は年に5日だけ。私も皆も、風邪・インフルエンザでも普通に出勤していた。こんな私が働けるのはここしかなかった。
数年前に会任制度がスタートしてからは、ボーナスが年間二か月分出るようになって、まともに貯金ができるようになった。今でもこの職場に感謝してる。
話がまとまらなくなる前に、恋愛とか結婚の不安のことを話したい。わかりにくいところがあったらコメントとかで教えてほしい。できるだけ答えるので。
20代後半の頃は、結婚できるのかなって勝手に思っていた。男性の人が話しかけてくれるし、アプローチがあったし、同じ職場の人にデートに誘われたこともある。交際経験もあるけど、そんなには続かなかった。
しだいに焦ってはきたけど、私が三十路になる年のことだった。水道の部署から現在の部署に移ったばかりのことだ。この職場に、いいなって思える男の人(A君)がいた。私と同い年で、小学校・中学校が一緒だった。
当時の私は、残業や休日出勤が多い部署で、毎日地道に仕事をがんばっていた。イベントで使う資機材をまとめたり、パンフレットを作ったり、式典会場の準備をしたり、てんてこ舞いの日々だった。
私は当時、その男の人A君と一緒のペアになって仕事をしていた。心の距離が段々近づいていって、仕事帰りにラーメンをおごってもらったり、イベント帰りに家に送ってもらったり、辛い時に慰めてくれたりした。優しい人だった。
以上を一年目とすると、二年目にそれは起こった。
新卒で入庁してきた子がいた。大卒の子だった。おそらく22才のはずだ。この地域にある名門企業の代表者と同じ苗字だった。この子はSさん。年代は違うけど、私やA君と同じ焼酎学校の出身だった。
直属の上司である係長(※蛇足だけど係長も学校が同じ。Sさんとは出身高校も一緒)からは、「Sさんは大学出たばかりで、最初は全然慣れないだろうからフォローしてあげて」と言われていた。そうしてあげるのが先輩としての正しい道だと思ってたけど、後日別の意味で否定された。
Sさんは、仕事ができる子だった。難しい言葉を使うと、利発な子だった。都会じゃなくて、地元にある大学出身の子。別に、京都大学とか大阪大学とか、そういうレベルの大学出じゃない。
けど、頭の回転とか、コミュニケーションとか、気遣いとか、嫌いな相手とも表面上仲良くするとか、そういうのができる子だった。
あれは今でも覚えてる。私とペアになってたA君だけど、Sさんを目で追ってるのがわかった。
関係ある仕事でも、関係ない仕事でも一緒に話をしようとするし、Sさんと話してる最中は、私の時と比べて笑顔だった。
反面、私と一緒にいることは少なくなった。一緒にご飯を食べることはなくなったし、一緒の車に乗せてくれることもなくなった。同じ仕事をして、彼を補助する仕事は変わらなかったけど。
Sさんは人懐っこいとか、そこまでではないけど、皆とよく一緒に話していた記憶がある。若い子らしくて、さわやかな印象だった。よく笑っていた。ブサイクな方ではないと思う。
結局、A君はみんなが見てる時でも、Sさんに対して恋愛的にがっつく……は言い過ぎだけど、熱烈に会話をするようになってた。「あれはひどい、やばい」という次元だった。
上司である係長に「あれはよくないです!」と進言したこともあった。けど、係長も、そんな2人をむしろほほえましい感じで、ノホホンとした眼差しを送っていた。「増田ちゃん。あんなのイチイチ止めてたら、日本の少子化待ったなしだよ~」だって……。
その係長だって、Sさんには甘々だった。この部署の中では、Sさんは新卒とは思えないほどスキルがあったとは思うよ?私なんかとは別格の。係長は、そんなSさんを散々利用していた。
本来はベテラン職員がやる仕事まで、入庁一年目であるSさんに割り振っていた。イベントだって、ほとんど休みなくSさんを休日出勤させていた。
「こんなのおかしい。職場って恋愛する場所じゃないよ」、て言いたかった。なんでそんなに、Sさんばっかり使い倒すの。私だっているじゃん。私の給料、Sさんと同じくらいなの知ってるよね。私に休日出勤の仕事を割り振ってよ、残業代欲しいよと思っていた。そんなもやもやが一年以上、ずっと続いた。
※Sさんのことたくさん書いてるけど、彼女はもう職場にいない。A君も。
在籍中だったら、公共の場所にこんなことは書けないし、書かない。
さらに、その次の年度だった。
季節は春を過ぎたくらい。Sさんが朝礼の時、皆の前に出てきて、「私。今月結婚します。仕事にはもちろん支障ないので、これからもよろしく~」と皆の前で告げた。
A君の顔を見ると、茫然としていた。生気が抜けた表情だった。残念、みたいな表情を通り越した顔( ;∀;)だった。
ざまあみろ、ていう薄汚い感情が自分の中にあった。でも、ここは職場だから。そういう思いを出す場ではないから、と自分に言い聞かせた。
Sさんの結婚相手は、やっぱりというか、地元の名士の苗字だった。京都~和歌山の人なら、聞いたことがあるかもしれない。CLAMPの漫画に出てくるような、鳥系の氏だ。
入庁して二年目で、結婚かぁ……私が入庁して二年目の頃は、そんなこと考える余裕はなかった。恋愛のアプローチがあっても、応えるだけの生活の余裕がなかった。貧しかった。
月給13万円台で、京都市内での一人暮らしは不可能に近かった。実家を頼ろうにも、父母にそんな余力がないのは明らか。私は学生向けのボロアパートに住んでいた。
私が好きな少年漫画で、「ドン詰まり」という表現が出てきたのを思い出した。本当にこのドン詰まり、という状況だった。若い頃の私は。
でも、Sさんは違う。私と違って余裕がある。実家は太いし、皆から人気はあるし、私みたいな隠キャラとはわけが違った。生まれた瞬間からして違う。
それから今に至るまでの私は、ずっと同じような縮小再生産だった。
[仕事]…一般事務と、イベントのお手伝いの仕事。正規職員登用の声がかかる気配なし
[生活]…近所のスーパーで夜に割引食材を買う。奇跡が起こると、6.6割引になってることがある
[趣味]…たまにアニメ漫画・小説を読むくらい。作品イベントに行けるだけの余力なし
最後にSさんと会ったのは、同じ年だった。Sさんが妊娠後、もうすぐ育児休業で職場からいなくなるタイミング。
うちの部署のイベント大成功のお祝いで、みんなで夏にバーベキューをすることになった。係長が、お手頃な値段でたくさん食べられるというお店(というか山の中……畜産農家の圃場内だった)を紹介してくれた。私の少ない給料でも全然参加できる料金だった。そこにSさんも参加していた。
バーベキューだけど、みんなイベントの疲れを癒すというか、ねぎらうというか、和やかな雰囲気だった。広い車庫ガレージの中での立食形式のBBQだった。
私はやっぱり隠キャラで、食べたり飲んだりはしてたけど、会場の設営とか片付けとか、飲み物の氷の準備とか、お肉を焼いたりしていた。誰かが焼酎の水割りとかハイボールで使う氷を取りに来る時、その人の背後に付いて、「氷入れますよ」という案内をしていた。※「増田ちゃん、暗殺者かよ~」とツッコまれた
あとは、ほかの人のところを巡って、コップが空いてたら飲み物を注いだりした。そこまで飲み食いはしなかった。お肉とオニギリは本当においしかった。本物の食肉卸だった。限られたお客さんにだけBBQパーティのサービスをしてるとのこと。
その日も、Sさんはみんなに人気があった。焼肉と野菜を食べてお酒を飲みながら、ガレージ内でおしゃべりをしていた。ずっと。そんな時に私は、Sさん~~職場友達の話に聞き耳を立てることがあった。
こんなことを、話していた。
(早く結婚できてよかったねと言われて)
「えー。運がよかったんです。親の紹介で、京都御所の建物の中まで入れる限定の行事があって、そこで知り合って」
(仕事ができるねと言われて)
(育児休業どれくらいするの、と聞かれて)
「係長からは上限の3年まで取っとけって言われたけど、自分は1年半で十分です」
(Sさんが羨ましいと言われて)
「幸運があったので。ありがたく、この環境はもらっておきたいですけど、でも別に、ここまで恵まれてなくても、私は幸せになれるように頑張ったんじゃないかな」
嫌な感情が湧いた。
彼女は、Sさんは、私にはないもの、絶対に手に入れることができないものを持っていて、それが才能とか、環境とか、そういうのじゃないって、自分の力だって。絶対にそう思っている。
そういうのがムカつくって、あの時の自分は思った。ガレージの中で涙が出そうになった。焼肉の煙が目に入ったのもあるけど。自分はこんなに苦しいのに、Sさんは自分が恵まれた環境にいることに気が付いてるフリをして、実際には気が付いてない。
Sさんと自分との間には埋められない溝がある。でも、この時、こんなに人生で初めて、悔しい思い、誰かを憎んだのは初めてだった。
Sさんとその友達の空いたコップを見つけた時、「Sさん、何飲んでるの?」と聞いてみた。
すると、「あ~、じゃあ。私は焼酎の水割りにします。あそこの奥にあるやつで、焼酎少なめがいいです」とのこと。Sさんの職場友達は、「ありがとう。私はカルピスでいいです。お願いします!」と言った。
あそこの奥にあるやつ……その焼酎は、ガレージの奥のテーブルにあった。卓上の保冷ケースの陰に隠れていた。獺祭の高いやつだ。私も焼酎が好きだけど、こんなに高いのは飲んだことがない。
保冷ケースの裏で、私は焼酎を少し注いでから、テーブルの真下にあった開封済の農薬袋を見つけた。右手で、農薬の粉瘤を二掴み手に取って、Sさんが飲むはずの焼酎のコップにそれを入れた。
水じゃなくて炭酸水を入れて、攪拌用の割りばしでかき混ぜて、ニオイを嗅いでみると、何も感じなかった。味見した感想も焼酎のソーダ割りだった。カルピスは急いで作った。
「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」
何度、心の中で叫んだかわからない。気持ちを止めることができなかった。
あなたはだって、ここまでずっと人生幸せだったじゃん。不幸もないと、おかしいよ。
「人生には不幸があった方が幸せになれるよって、そっちの方がいいよ」って、この時思っていた。
2人のところに飲み物を持って行って、「暑いし氷溶けるし、早く飲んだ方がいいよ」と伝えた。
2人とも会釈だけして、Sさんが獺祭のソーダ割りを飲んでいた。こんな会話が聞こえた。
「え~、これ炭酸割じゃん!」
10分くらい経って、Sさんが別の男性に「獺祭おいしい、おかわりほしいです~」とねだっているのが見えた。
翌週、Sさんが職場にこなくなった。「体調不良です」と係長が上司に報告していた。
産休予定だったので、早めに開始することになった。それからまた日常が戻った。私の仕事内容は、今後もずっと変わることはないと思う。定年までずっと、いやきっとそうなんだと思う。
昇給だって、年に三千円だけ。しかも一定のところまで行ったら頭打ち。「こんなのっておかしい」と思うけど、ルールだから従うしかない。正規職員と違って身分保障がないのに、今までクビになってないだけ「ありがたい」と思わなきゃいけない。
今年に入って、育児休業中のSさんがベビーカーに子どもを乗せて職場に来た。みんな、生まれたばかりの赤ちゃんを間近で見ようと寄っていた。私もそうだった。
後ろの方には係長も来ていた。Sさんがいなくなったせいか、仕事量の負担が大きくて元気がなさそう。
Sさんに、ほかの皆と一緒に「元気に生まれてよかったね!」と伝えると、Sさんは幸せそうだった。でも、なにか違う気がした。
この、赤ちゃんを職場に連れてくるシチュエーションは、私が子どもの時も、学生の時も、社会人になってからも、何度もあった。その時、新しいお母さんは、みんな誇らしげな表情をしていた。安心がまざったような。
でも、Sさんの表情は悲しそうだった。もしかして辛いことがあったのかな。だったら、それでよかったのかもしれない。無事出産できたのはいいことだけど、人生にはつらさも必要だと思うから。
同じ職場の仲間として、Sさんが職場復帰する時が来たら、これまでと同じように一緒に仕事ができたらと思う。私は貧しい生活だけど、それを受け入れることができている。ここまで達観できるようになった。これも成長だ。これから人生どうなるかもわからないし、不安もあるけど。
「自分が少年だったあの日やっていたドラクエ3をいま息子とやっている。幸せだ」といった内容の記事が流れてきた。
何でもパーティメンバーを家族の名前にして楽しんでるらしい。よかったですね
ところで誰もあなたの幸せなんぞ疑ってないが急に公共の場で再確認し始めたけどどした?それもおよそ既婚・子持ちのような「社会的な正しさ」から逃れてきたような人しかいない場で何故わざわざ「正しい幸せの再確認」を?
記事の末尾に「と、いうわけで俺はお前らみたいなもんと違って幸せということでよろしいか?」って問いかけが透明な文字で見えた気がします。勝手に見出した質問に勝手にお答えさせてもらってる物狂いの身で恐縮ですが、再確認を必要としている時点であなたには何かしらの不満があるかおそらく記事のエピソードそのものが虚構だと思います。ではあっしは穴を掘って埋める作業に戻りますので…(ほんのり小便の香りがする薄汚れた作業着に着替える)
ああ、そうやって「極端な意見」を求めてる気持ちも分かるけどさ、それって、結局歴史の中でも何度も繰り返されてきた誤解や偏見のパターンなんだよね。
まず、歴史を見てみろよ。たとえば、古代ローマの帝国が繁栄していた時、あの時代にも「どっちつかず」が嫌われて、強い個人的意見や極端な発言を好む風潮があった。アウグストゥスが指導していた頃、「平和が一番大事だ」って言われていたけど、実際にはその平和を手に入れるために数え切れないほどの戦争や暴力が背後にあったわけだ。それに、アウグストゥス自体も政治的には非常に慎重な態度を取って、公共の場では常に調和を強調していた。
でも、ここで注意したいのは、過度に極端な意見っていうのは、最終的には社会に対する不安定要素を生むことが多いんだよ。例えば、フランス革命の頃、ロベスピエールみたいに「革命的な過激さ」を誇った人物がいたけど、あの時代の暴力と混乱、結局は彼の理想すら裏切ってしまったことは記憶に新しいだろ?
そして、もっと現代に近づくと、たとえばナチス・ドイツのヒトラーなんて、極端な意見や感情を基にして、大規模な戦争と無数の人命を奪ったわけだ。極端な意見が何を引き起こすか、歴史は教えてくれているんだ。
だから、「極端な意見を読みたい」って気持ち、分かるよ。人は時に感情に流されて、過激な意見に共鳴しがちだ。でも、そういうことって、歴史的には一度成功すると、一度暴走を始めたら取り返しがつかないことになることが多い。聖書にも「言葉には力がある」と書かれているように、何を言うか、どう表現するかっていうのは、相当重要なんだよ。
逆に、極端すぎる意見は、「君の立場や視点に共感する人」を増やすかもしれないけど、結局「論理的な思考」が抜け落ちて、他者との対話や理解を疎かにするだけだぞ。共感は大切だが、歴史や哲学が教えてくれているのは、「対話」や「折り合い」が鍵だってこと。君が求めているのは、ただの激情や暴力ではなく、本当はもっと深いところでの理解じゃないのか?
最後に、孔子の言葉を借りるなら「愚者は過激に反応し、賢者は冷静に考える」。極端さを求めて無駄に感情に走る前に、少し立ち止まって自分が何を本当に求めているのかを考えてみることだよ。
どーもー、えー今日は「増田漫才」ということで、早速始めて行きましょうか。
はい、今日は般若さんの迷曲「超たちがわるい feat.J-REXXX & R-指定」を考察していこうかと思います!
ツッコミ「考察ってなんやねん!ラップ考察してどないするちゅーねん!でもまあ、始めていきましょっか」
ボケ「えーまずですね、この曲は2023年にリリースされた般若さんの”シン・おはよう日本”というアルバムに収録された楽曲となりますね」
ボケ「この歌の歌詞には大きく3つのパートがラッパー毎に分かれて描かれている訳ですが、それぞれ謎が多い歌詞になっているんですね、考察班黙っちゃいられませんね」
ツッコミ「んな、謎なんかあるかいな!!大体さっきも言ったけど歌の考察ってなんやねん」
ボケ「いやいやまず歌詞をよく読んでくださいよ、まずね、パート1の般若さんのとこ、これは凄いですよ、シアリス出てきますからね、シアリスですよ」
ツッコミ「いや、お前待て、シアリスシアリスそんなに連呼するなて。ここは公共の場やで」
ボケ「まーそー言わんといてくださいよ、シアリスっすよシアリス。えーウィキペディア、我々が普段お世話になってるウィキペディアによるとですね、シアリスって本名”タダラフィル”ゆうそうなんや。んで、このタダラフィルっちゅー薬は効果のピークが飲んでから3時間後って書かれてるねん。」
ボケ「でな、般若さんが2時間くらい友達んちで寝た後2粒飲んでタクシー乗ったのが平日朝8時やねんな、そっから5分で効果が出とんねんな、これ、飲んでからしばらく友達んちでくつろいでた可能性あるやろ?でもな、歌詞読むと”タクシー飛び乗った”ってあるねんな。ってことは友達んちで3時間もくつろいでる暇なかったとおもうねんな」
ツッコミ「わからんで?シアリス飲んでからだらだらしてたらいつの間にか8時前になってたことに気づいてタクシー飛び乗ったかもしれんで?」
ボケ「それやねん!」
ツッコミ「なにがやねん」
ボケ「それが謎っちゅうてんねん、時系列がわからんようにリリック書かれてんねん、時系列トリックやで?ミステリー小説のトリックやで?」
ツッコミ「お前何リリックとトリックで韻踏もうとしてるんや、素人がラッパーの真似事やめろて、アホが」
ボケ「んでな、次J-REXXXさんのパートやで。ライブ直前に食あたり起こして公園のトイレに駆け込むやつや」
ボケ「なんでライブハウスのトイレ行かんかったってとこやねん」
ツッコミ「そりゃ、一般客と同じトイレに演者が入れんようなってたって事やないん?」
ボケ「ほなそれで仮説たててみるねんな」
ボケ「歌詞にな、出番の前の人が最後の曲歌ってるって描写あるやろ?んで、J-REXXXさん公園までトイレ行ったやろ?でもな、トイレ埋まっててしかも中の人いけない草吸ってるって描写あるやないか、いつまでガンジャを吸っとんじゃ!ってとこや」
ボケ「てかお前”いけない草”ゆーて暈しとってたくせに何急にガンジャガンジャ言っとんねん」
ツッコミ「まあそこは察してちゃんやな、んで本題戻ると、直前の人が最後の曲歌ってる間に公園のトイレからライブハウス戻って来れたかって話やねん。時系列問題やで?アリバイ証明できるかやで?」
ボケ「お前またミステリーに持ってきたいんかよ、ええ加減にせいや、ミステリー小説や無くて歌の歌詞やねん!」
ボケ「で、最後のR-指定さんとこや。Rさんは今33歳やねんな、で、初体験は19歳って書いてて歌詞の内容が実話やとしたら14年前や。男性募集の張り紙見て電話した訳でもないのにどうやってお金持ち35歳の人妻美熟女と知り合ったんか、ってとこや」
ツッコミ「そりゃ、若くて将来性のあるラッパーやねん、女性ファンとかやったんやないか?」
ボケ「せやな。でもな、お金持ち美熟女がラッパーのライブとか行かへんで?旦那怒るで?19歳の少年と35歳の人妻、どうやって出会ったんか、ここが問題やな。考察班の考察燃えるとこやで」
ツッコミ「考察班燃えんやろ!そんな程度で燃えへんて。出会い方なんていくらでもあるやろ、mixiとか当時色々あったやろ?」
ボケ「せやな。でも気にならへんか?自分19やったらどうやってお金持ち美熟女と知り合えるか知りたいねん」
ツッコミ「それお前の勝手な願望やろ!考察やないやろ!勝手に出会っとけよ」
ボケ「まーそもそもこの歌、どこまでが事実でどこからがフィクションかわからんで。トリックやで、トリック満載のリリックやで?」
ツッコミ「お前さっきっからトリックリリック言いたいだけやないんちゃう?おんなじ事何度もやるなて」
ボケ「だってな、歌詞にな、”おんなじ事またやるぞ”って書いてあんねんな、おんなじ事何度もやらなこの歌から得られるもんないで?」
はい、どーもー(ペコリ)
資本主義や民主主義の限界に対する修正や改善を目指す学問や思想は多岐にわたり、特に近年では貧富の格差や社会の分断などの課題に対応するための議論がさまざまな分野で展開されています。以下は、その代表的な取り組みです。
1. ポスト資本主義(Post-Capitalism)
ポスト資本主義は、資本主義に替わる新しい社会経済の枠組みを模索する思想です。経済学者や社会思想家の中には、技術の進展や労働の自動化が進む中で、資本主義に基づく経済システムの持続可能性に疑問を持つ声が増えています。ポール・メイソンやトーマス・ピケティなどは、資本の集中が引き起こす格差の拡大に着目し、持続可能な経済の実現のために富の再分配や共有経済を含む新しい制度の導入を提唱しています。
2. 社会的市場経済(Social Market Economy)
ヨーロッパ、特にドイツを中心に発展した「社会的市場経済」は、自由市場経済と社会的福祉政策を融合させたモデルです。市場競争の効率性を維持しながら、労働者や弱者を保護し、公正な所得分配を目指します。社会的市場経済は、資本主義の自由経済と民主主義的価値観を調和させる試みとされ、欧州の福祉国家の基盤となっています。
分配正義(Distributive Justice)は、財や資源の公平な分配を考える哲学的・倫理的分野で、アマルティア・センやジョン・ロールズが代表的な思想家です。特にロールズは「公正としての正義(Justice as Fairness)」を提唱し、社会制度が公平に機能するための条件を提示しています。この流れから、貧富の差を是正する手段として「ベーシックインカム」が注目されており、すべての国民に一定の所得を無条件に支給することで最低限の生活を保障し、貧困や格差の縮小を図ろうとしています。
4. 修正主義的資本主義とESG(Environmental, Social, and Governance)投資
修正主義的資本主義は、持続可能性と社会的責任を資本主義に組み込むことでその問題を解決しようとするものです。ESG投資は、この理念に基づき、企業の収益性だけでなく環境、社会、ガバナンスに配慮した投資活動を推進することを目指しています。企業活動が長期的な社会的利益に貢献するための枠組みを重視し、企業が利益のみを追求するのではなく、持続可能な成長を図ることが期待されています。
5. デル・メトリオクラシー(Deliberative Democracy)と共同体主義
民主主義において、社会の分断やポピュリズムの台頭に対抗するため、「熟議民主主義」や「共同体主義」といった思想が見直されています。熟議民主主義は、市民が公共の場で意見を交わし合うことで、合意形成を目指すアプローチであり、単なる多数決ではなく深い議論に基づく意思決定を重視します。また、共同体主義は、個人の自由とともに地域や共同体の価値を重視する思想で、アミタイ・エツィオーニなどが提唱しており、社会的な絆や共通善を再評価する動きが見られます。
ブロックチェーン技術や分散型台帳技術(DLT)は、新たな経済システムやガバナンスモデルとして注目されています。これらの技術を活用することで、中央集権的な管理を排し、分散的かつ透明性の高い社会システムが可能になると考えられています。ブロックチェーンを基盤にした分散型自治組織(DAO)や、暗号資産を用いた経済圏が試みられており、伝統的な資本主義や民主主義の枠組みを再考する材料となっています。
これらの思想や学問的検討は、資本主義・民主主義の限界に対して、社会の持続可能性や公平性を向上させるための試みとして重要な役割を果たしています。
この前、とある店で泣き喚きながら歩き回っている子供がいた。その後ろには子供ついて行く父親が。
父親は全く怒らず、「どうしたの」「どこいくの?」と優しく声をかけるだけ。
そこまで広くない店で、声が響いてとてもうるさい。
なぜ怒らずそのまま喚かせるのだろうか、、
自分は約20年前に生まれ、親から厳しめに躾けられた。親が言うことには、私は外では全く泣かなかったらしい。
私は両親が共働きで、幼少期に頻繁に外出して遊ぶことも少なかったからなのかもしれないが、私の覚えている限り家の中でも外でも我儘に泣くと怒られたし、体罰とまでは言わないがしばかれることもあった。しかし、だからといって親を恨むこともなく、かえって親とはとても仲のいい方だ。「人様に迷惑をかけるな」という教育をしてもらったおかげで、主に年配の方に“よくできた子”として可愛がられることも多い。いろいろな人に“しっかりしている子”として頼ってもらえることもあり、とても嬉しい。まだ社会人ではないので、早く社会に出て働きたいと思っている。
反対に、怒られずに育つ子供はどうなるだろうか?
私の結論は、《怒られることに耐えられず、社会の役に立てなくなる》だ。
今までの時代なら、幼少期に怒られてこなかった子供は義務教育の段階で矯正され、社会の荒波に耐えられる子になるよう教育されていただろう。しかし、昨今の義務教育ではそのようなことは起こりそうにない。どのようなことをしても、「それもその子の個性❤︎」と受け入れる姿勢が重視されている現代。聞いた話では、小学校で生徒を指導した先生が親にクレームを入れられるということも起こったそうだ。親が躾けない限り、子供が“良い子”に育つことはない。また、とあるテレビ番組で、「上司が部下に怒る時はまず肯定から入る。可能ならば肯定→注意→肯定の順で指摘をする。」のが正しい教育方法だとされていた。持論だが、飴と鞭を使い分けて正しいことを正しい、ダメなことをダメだと教えることが教育なのではないのだろうか。その教育を受けた部下は、本当に改善されるのだろうか。それに、もちろんほとんどの上司は怒る。怒られることに耐性がない人は、怒られただけで仕事を辞める−そんなことも起こりうるのではないだろうか。
ここまで書いて思い出したが、この前4歳くらいの男の子に「そんなんさっきスーパー行きたい言うて来たのにやっぱり嫌やから帰りたいとか言われたら俺困るやろ!?なんでそんなこと言うん!?お前の言うことでなんで俺が動かなあかんねん!!」と正論で詰めている父親がいた。それはそれで「いやそんなん言うても分からんから余計泣いて逆効果やろ…」と思ったので、子供の躾の正解は「怒る」でもないのかもしれない、、