はてなキーワード: 事柄とは
美談にしてはいけないんだろうけど、20歳になるまでの間、クリエイターが命削って作った数々の作品を楽しめる時代で本当に良かった。
多少は「AI」による補正に頼ったものはあると思うが、多くの場合は、そこには間違いなく「楽をしたい」以外のAIを使う意図があったと信用できるし、どれだけ駄作や愚作と低評価されていても、何かしらのテーマやメッセージが込められてると確信できるし、自分なりの解釈というものができた。
それらクリエイターに対する信用や作品の楽しみは、生成AIの登場で完全に失ったと思う。
もしかしたら、この部分はAIで作った部分かもしれない…と一度でも思ってしまうと、解釈する必要性を感じなくなる。作り手からすれば、AIに任せればいい程度のどうでもいい事柄ということなのだから考えるだけ無駄だから。
ある本を読んでいたら、「学生時代」という歌をペギー葉山さんが歌っていた、ということが書かれていた。
私の中でペギー葉山と言えばウルトラの母だったので、ペギー葉山さんの歌だったのかと驚いた。
Wikipediaを読むと「学生時代」は1964年の歌。私が生まれるより前の歌だ。
自分がなぜこの歌を知っているのかと言えば、小学校の音楽の時間に習ったからだ。
私が小学校に通っていたのは1970年代だが、そのころはこういった歌謡曲も学校の授業で合唱していたのだ。
(ほかにも「虹と雪のバラード」とか「クロネコのタンゴ」などを歌った記憶がある)
読んでいて、確かにこんな歌詞だったな、続きは何だったか…そうだ「枯葉の散る窓辺 学生時代」と続くんだった、とメロディーとともに思い出した。
小学生だった当時はここで歌われているような情景は知るはずもなく、この歌詞が何を意味しているのかも分からないまま歌っていた。
蔦の絡まるチャペルが何なのか、懐かしい友の顔が浮かぶのはなぜなのか、歌詞の意味を考えもせずただ歌っていた。
何十年もたったのに今でも歌詞を覚えている。雀百まで踊り忘れずというが、歌の力というのはすごいのだなと感心する。
そんなことを考えていてふと気が付いた。
いまならこの歌詞の意味が分かる。大学生の頃の思い出をたどれば、確かに懐かしい友の顔が浮かんでくる。
図書館の日々も、枯れ葉が散る秋も、自分の学生時代として我が事として思い出せる。
学生の頃にはそんなことは気にもとめず、何十年もたった今になってそのことを発見した。
とても不思議な感じだ。ノスタルジーとは違う、疑似タイムリープとでもいうのか…。うまく言えない。
子供時代と学生時代、そして老年に差し掛かった今が「学生時代」という私が生まれる前の曲でつながっている。
自分もずいぶんと長いこと生きてきたのだなと不思議な実感がある。
本を読んでいると書かれている内容にハッとしたりワクワクしたりすることは多い。
しかし今回のように、本の内容と全く関係のない事柄、それも自分の人生と深くかかわるような気付きを与えてくれるようなことはめったにない。
こういうことがあるから本を読むのはやめられない。
※ もとの本に書かれていたのは「図書館はいいよね、独特の匂いがあるよね、「学生時代」という歌を思い出すんだよね」という内容だった。
この12月になってというか年末になるとやんなくちゃ!って行けない事項の事柄が多くなるのよね。
私も夏に眼科行かなくちゃ行かなくちゃ行けたら行くから詐欺ではないけれど、
結局今の今まで行けてないじまいなのよ。
1つ1つずつ解決よ。
そんでさ、
私が持ってこよう持ってこようと思って待ち構えてずーっと買ってから家においたまんまで忘れちゃっている来年のスケジュールノート。
私手帳はつけない派とは言っていたけど
ウイークリー予定表のノートはあってさすがにそれでお仕事のこととかをやってる風な体裁に外側からの人が見たときに分かるように取り繕える感じでつけてはいるのよね。
それも、
いよいよ来年の予定も始まってきているので、
来年のページがもうないのよ!
鬼気迫るこの年末感!
来年の各ページがないから早いところ可及的速やかに家においてあるウイークリーの予定帳をできるだけ早くそろそろ本気で持ってこなくちゃってことなの。
なんかやっぱり手帳コーナーって寄ったら欲しくなるから寄らないつもりなんだけど、
もしかしたら来年はバッチリみっちり1日1ページの手帳にしっかり書き込んで充実した1日になるかも!って思っていても
毎年もうお正月開けて3日以降は紙が真っ白のままで11月頃に気付くのよね。
ああ、
何も書いていないことを一番悔い入る季節でもあるのよね。
今年も真っ白か!って
手帳の白さに併せて12月にふる白い雪のように思いを重ねるの。
白いわね!って
そんで、
12月になったら急に来年からはまるで新しく自分が生まれ変わるかのように急にバッチリ手帳が書ける自分になるつもりの思考が走り巡るのよね。
私はこの自分自身に12月に特にやって来る手帳欲しい病からなんとかして、
手帳コーナーに寄りつかないようにしていることを気を付けているのよね。
対外的に私がお仕事をしていますよ!って感じを漂わせられるようにある程度の体裁を保ちつつ書くことはあるんだけど、
ものごとは上手く行かないわね。
かと言って、
いまさら手帳を書くやる気を継続して1年キープするためにはどうしたら良いの?ってAIたちに尋ねるのも尋ねたとて、
それは3日と持たないのよね。
とはいえさ、
気が付いたときにメモをメモることを忘れない限り書くんだけど、
そっちに書いているから、
本編の手帳に書くことがないのかしら?
あれはあれでいいんだけど
文字通りの紙片なので、
ちぎって風に飛ばせば飛んで行っちゃうのよね。
手帳となると一応は1年分まとまって存在して固まっているので、
窓辺に置いておいても風で飛ばされちゃうことが少ないと思うので、
そういったメリットもあるのよね。
私は来年こそは手帳付ける謎の自信に満ちあふれるこの12月に自分の気持ちを確かめるために、
手帳コーナーに出向いてみようかしら?って思うの。
でさ、
その風格って結構脅威じゃない!
こっちもきっちり気持ちを整えて書かなくちゃ!って構えちゃうというか、
ブロックメモなら真っ白いのでどこに適当に雑に書いても気にしない感じでどんどん書けるから、
そう言ったことがあるのよ。
あれ?
もしかして私っていまだ本格的な1日1ページの手帳に緊張しているのかしら?
格式高くそして丁寧な生き方をしなさい!どーん!って開いたらそう整った1日1ページの手帳の威圧感に襲われていたのよ!
今気付いたけど、
そう言うことだったかもしれないことはないかも知れないかもってことはないわよね?
そんで、
さらに気付いたけど
1つ2つ3つのことを書いたら、
紙面がぎっしりみっちりなんか書いた感が急に出てくるので、
中身はともかくメモ書くテクニックは上達してんじゃね?って錯覚に陥るのよね。
そんでその錯覚に陥ったままのバイブスで挑む手帳売り場に出向いて強敵の1日1ページの手帳を買って年明けの早々4日目には後悔の念をする羽目になるのよ。
あの小さな手のひらに収まるような紙片のブロックメモが私にぴったりあっていていいのかもしれない。
きっとそう考えると合点がいくわ!
でも勇気を出してこのブロックメモを書いてる感醸し出しているいま勢いの良いバイブスのまま
欲しい気持ちが本当なのかウソなのか自分自身に試す機会でもあるわ!
急須で淹れたようなお茶の美味しさのペットボトルお茶飲料の綾鷹を一回そのまま急須に入れてコップに入れて飲むのがさらに美味しくなる丁寧な生き方なのかしら?
シャンプーの詰め替えを
元からある容器に詰め替えるんじゃなくって、
お洒落な透明のシャンプー入れ容器に入れて結局シャンプーかトリートメントかどっちか分からなくなってワンプッシュして確かめることが丁寧な暮らしなのか?
ジャガイモを皮剥くのが面倒くさいからピーラーでさっと剥くんじゃなくって、
洋包丁じゃなくてちゃんとジャガイモ皮むき専用のペティナイフでジャガイモの皮を剥いて作るカレーが丁寧な暮らしなのか?
意外と丁寧な暮らしの丁寧って何よ?って思うわ。
スプラトゥーン3の塗りエリアの誰も塗らない雑になっている角っこを丁寧に塗るのが丁寧な暮らしなのかしら?
それはちゃんと隅っこまで私は塗ってるけれどね。
私がいくら考えても丁寧な暮らし大喜利に対する丁寧な答えが見付からないのよね。
とりあえず、
シャンプーとか詰め替えしても、
容器が満タンにならずに3分の2ぐらいの容量の量しか入っていない詰め替えようって本当にお得なの?って正直思っちゃうわ。
3分の2の量じゃ物足りないのよね。
100の容器に60ぐらいしかない量の詰め替えも下手したらない?
逆に、
こないだ塩コショウを詰め替えしたら、
それは100の量の容器に詰め替え用のは150ぐらいの量があって1回じゃ入りきれない本気の椀飯振舞を見たの!
うわ!
引き出しにしまったの。
ああ!
これが丁寧な暮らしなのね!って
でもそれすっかり忘れていて
この12月の年末を機に整理してたらキッチンの奥の引き出しから出てきたのよ!
忘れていた余った詰め替え用の塩コショウがラッキー発掘されたのと同時にまたもう1つ丁寧な暮らしをしてしまったわ!って
あまりの自分の塩コショウに対する丁寧な暮らしさ加減がマックスなことにビックリしてしまったわ。
きっと、
うふふ。
松山ケンイチさんのシーエムに誘われてメガ盛りやってるタマゴサンドを求めてコンビニに飛び込み前転で入店したんだけど
大盛りフェア終わってたの?
ハッキリしないけれど、
なんか終わってたっぽいわ。
せっかくそのタマゴサンドの実力を!って確かめてみたかったのに!
代わりにせっかくなので普通のそのお店にあったタマゴサンドにしてみました。
今度いつで会えることかしら?
このチャンスの機会を逃しちゃったから再登場に期待しちゃうわ。
朝電気ポットでタイマーで飲み頃温度70℃で沸いているホッツは
起きてすぐに飲めるので超助かるわ。
今朝方はまだ寒さマシだとはいえ、
これからどんどん寒くなるって言うじゃない?
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
そもそも「可能性が減った」が事実か事実じゃないか判定しようとするのがおかしい。
「可能性」はまだ起きてない事柄に関する話なんだから、誰がどんな表現をしたところでそいつの憶測になるに決まってる。
で、台湾有事は事実じゃないんだよ。まだ起きてないんだから。だから、台湾有事に関する話は全部「可能性」。事実にはならない。誰がどんな話をしても、そいつの憶測にすぎず事実にはならない。そもそもの「可能性」が事実じゃないんだから、「可能性が減った」も事実ではないですね、憶測ですね。だから何?みんな可能性の話、憶測の話をしてるのに、お前だけ「事実じゃない!」、「既に起きた話じゃない!」ってわめいてるの。そんなのみんな分かって議論してるんだよ。
そもそも「可能性が減った」とは書いたが、この表現が「事実だ」とか「断定だ」とか「憶測だ」とか言ってないぞ?これが事実を表しているように読めるとか断定を表しているように読めるとか憶測に読めるとかいうのも、お前の勝手な「憶測」。藁人形論法を最初から仕掛けたのもそちらじゃないか。
仮定に仮定の話を重ねるのが根拠弱くて議論するに値しない話なら、そもそもの台湾有事だって仮定に仮定の話を重ねた時にしか起こらない「可能性」の話だし、そもそもの高市発言だって仮定に仮定の話を重ねた上でその時はこうするかもしれないという「可能性」に付いての発言なんだから、議論するに値しない話なのでそのまま放置で撤回する必要もないよな。
事実かどうか、憶測かどうかみたいな論点を持ち出してきた時点で、この話は破綻するんだよ。すでに起きた事件を分析してるならさ、その話の根拠はなんだとか、それは憶測か事実かみたいな話は重要だけどさ。これは全部未来の話なのでね。
君は本来「~というシナリオも考えられる」と言うべきところを、「可能性は減ったわけだ(事実)」と断定してスタートし、風が吹けば桶屋が儲かる式の論を展開した。
君はこの仮定×仮定×仮定の結果を「確実な成果」のように語ってる。これに対し、こちらは「その最初のドミノ(米国は本当に出てくるのか?)は倒れないかもしれないよ(トランプ発言)」と指摘した。
「日本が絡まれに行けば米国は介入せざるを得ない」という前提は良く言っても仮説に過ぎない(トランプのような人間がアメリカのトップである限り、その仮説は不確実さを増す)。
議論の前提となる主張を断定で表現したのだから、断定する根拠は何なのか?と突っ込まれるのは当然で、それが憶測にすぎないのであれば、断定すべきではなかったよね。
結局君は、「日米同盟があるから」という建前でしか返答せず、私が挙げた「トランプの発言」という現実に対して直接反論していない。
私が言った「それは事実ではなく憶測だよね?」という指摘は、「議論をするな」という意味ではなく、「個人の願望(憶測)を、さも確定した未来のように語るな」ってだけ。それに対して君はこちらの意図をさらに憶測したうえで、「憶測だからダメと言うなら、未来の議論なんてできない」と藁人形論法を始めてるに過ぎない。
憶測だから根拠なし(だから議論に値しない)ってロジックなの?そもそもの台湾有事自体がまだ起きてない「臆測」なんだから、台湾有事に関して何を言っても「憶測だから根拠なし」って言えてしまう。そのロジックだと、そもそもの高市発言も憶測の発言だから特に根拠ない発言なので問題なくなる。
「憶測だから根拠なし」ルールを採用してるのはお前だけでマトモに議論してる奴の誰もそんなルールで議論してないんだよ。そもそも台湾有事自体が「憶測」だからさ。「憶測だから根拠なし」ルールは「まだ起きてないことについて憶測で色々考えても仕方なくね」って話で既に事件が起こってしまった後に原因を考える話なら有効な時もある考え方だが、台湾有事はまだ起こってないんだからそのルール課したらそもそもの議論が無意味になる。
追記:面白。十分議論は尽くしたから、試しにこれまでの全部のやり取りをAIに読ませて、どちらが妥当な話をしてるか尋ねてみたらいい。
そもそも「可能性が減った」が事実か事実じゃないか判定しようとするのがおかしい。
「可能性」はまだ起きてない事柄に関する話なんだから、誰がどんな表現をしたところでそいつの憶測になるに決まってる。
で、台湾有事は事実じゃないんだよ。まだ起きてないんだから。だから、台湾有事に関する話は全部「可能性」。事実にはならない。誰がどんな話をしても、そいつの憶測にすぎず事実にはならない。そもそもの「可能性」が事実じゃないんだから、「可能性が減った」も事実ではないですね、憶測ですね。だから何?みんな可能性の話、憶測の話をしてるのに、お前だけ「事実じゃない!」、「既に起きた話じゃない!」ってわめいてるの。そんなのみんな分かって議論してるんだよ。
そもそも「可能性が減った」とは書いたが、この表現が「事実だ」とか「断定だ」とか「憶測だ」とか言ってないぞ?これが事実を表しているように読めるとか断定を表しているように読めるとか憶測に読めるとかいうのも、お前の勝手な「憶測」。藁人形論法を最初から仕掛けたのもそちらじゃないか。
仮定に仮定の話を重ねるのが根拠弱くて議論するに値しない話なら、そもそもの台湾有事だって仮定に仮定の話を重ねた時にしか起こらない「可能性」の話だし、そもそもの高市発言だって仮定に仮定の話を重ねた上でその時はこうするかもしれないという「可能性」に付いての発言なんだから、議論するに値しない話なのでそのまま放置で撤回する必要もないよな。
事実かどうか、憶測かどうかみたいな論点を持ち出してきた時点で、この話は破綻するんだよ。すでに起きた事件を分析してるならさ、その話の根拠はなんだとか、それは憶測か事実かみたいな話は重要だけどさ。これは全部未来の話なのでね。
ある事柄についてWeb上の文書で言及された言葉をまとめたものであって、そのある事柄自体を「理解」しているわけじゃなく、理解している人による解説を、言葉の繋がりをまとめた情報として持ってるだけ。
イメージ的には、形がわからない物体に対して、いろんな人がガンガン投げたボールの、どこは跳ね返る、どこは跳ね返らないというのを記録して、その物体はこういう形「であろう」的な話をしているのに近い。
んでもって、この投げられたボールの数が、どの物体、事柄についても、その形状がはっきりとわかるほどの量あるというわけではない。
この事柄とこの事柄を組み合わせて新しいものを創発するってのは、それっぽい模倣をでっち上げられるとしても、ありえないということだ。
構造間の間接的な関係を大量に保持しているだけだ、ということ。
なので、システム構築に使う場合は、構造を理解でき、構造を理解した人間が、構造化抽象化階層化しなければ、部分と部分の関係という情報が爆発的に増え、急速に認識不能な統治不能なブツに育つ。
それでなくても、LLM を使ってでっち上げることしかできなかった、構造を理解できない人間がこの自体を収拾できるわけがない。
わかるかなぁ?
まともな知能を持った大人なら、しようと思えばできるし控えようと思えば控えられるのが政治の話題。
問題は、オタクにはその「しようと思えばできる」の回路がないってことなんだよ。
オタクには「自分にとって大事なものは世界にとって大事なもので、四六時中そのことでメディアを埋め尽くさなければ発狂してしまう」
あるいは「自分が嫌悪感(劣等感)を抱くものは世界を堕落させる悪であり、ほんの少しでも自分の見ていないところでもその存在を根絶しなければ発狂してしまう」
俺は精神医療従事者ではないので、これをなんと呼ぶのかは知らないが、明らかに日本のネットとリアルをダメにしてるのはすべてこういう病人。
基本的には真面目な話ばかりして、誰も見ない。たまに息抜きに目先を変える害のない娯楽をやる。
それで何が不満なんだ。メディアに依存してないで、自分の人生を楽しめよ。
政治や経済の議論はお前の執着のためにすることじゃなくて、日常の合理的な環境整備のためにすることなんだよ。
意味のわからない反社会性の塊みたいな奴らの自己実現のために、ただの業務処理で良い事柄がどんどん非現実的なファンタジーにされてしまう。
流石に多すぎるってことで部門賞を設けるべきな気がしている
なおどこが何をやらかしたという話についてアンサイクロのこいつを見たまえ
エクストリーム・謝罪では謝罪会見やその様子を見ることを楽しむのであって、起こした不謹慎の度合いから評価するものではない(それはエクストリーム・不謹慎や裏紅白歌合戦などでやっている)
このため不謹慎の度合いがどれだけ高くても謝罪会見をしていなければこの大会のエントリーは一切されないということを忘れてはならない
起こした不謹慎と出来事の影響、そしてこのエクストリーム・謝罪における印象的すぎる謝罪会見の要件で見事に合致しているため
2025年は正直フジテレビ以外選手権として見て良い(2023年のジャニーズ・ビッグモーター決戦みたいになっている)
日テレはちょろちょろと不祥事を起こしまくっているが、謝罪という観点で言うとフジテレビに及ばないため、下手すると予選ラウンド敗退の可能性もある
ダンダダンとYOSHIKIは会見すら行われていないのでエントリーがなかった、ポケカやワンピースについてはマクドナルドによるものなので食品部門へ移している
東映についてはゴジュウジャーにおける一連の報道によるものが大きいものの、どこに入れるべきか迷っていたぐらいである
今年は無駄に事故が起きすぎており、そういう意味でまとめるべき事柄のようにも見えるが、謝罪で言うと規模的に似たようなことばっかりなので全体的に薄まっている
エアプサンについては失格ということなのでこのリストからは外している
すき家はかつてのブラック企業大賞もあって有力だが、マクドナルドは共感性羞恥心などによるウザさで候補には上がっている
雑多な著名人の不倫部門も加えてくれ
不倫部門についてはやりたかったんだけど、候補の「源田壮亮(埼玉西武ライオンズ)・東克樹(横浜DeNAベイスターズ)連合チーム」と「吉沢亮」が失格チームだったので今回は挙げなかった
個人情報漏洩部門も
こちらも今年のエクストリーム・謝罪の記事(2025年8月10日20時00分時点)にそれらしいものがなかったので挙げていないが、もしかすると駿河屋とかが参戦してくるかもしれない
ただこちらもエクストリーム・謝罪とは別にまとめるべきだけど、すでにIPAとかがやっているかもしれない
無知ワイ、NBCとJR東日本が何をやらかしたかわからず咽び泣く…😟
このエントリはリストだけだから、元ネタを知らないとわかんないよね
ってことで一番上に追記しておいたぞ
まぁ、NBCについては知らない人も多いわな
https://anond.hatelabo.jp/20251104081424
わかるだろうか?
出生率「1.15」は当然の結果だと思う。
専業でいればズルいと言われ、働けば子どもが可哀想と言われ、電車に乗れば嫌味、バスではベビーカーをたため、公園でも近隣の家から苦情。
子育てしてて「社会が敵」だなんて思ったこと無いけどな…。むしろ「社会に歓迎されとる!」みたいな実感ある。「行政って意外とあれこれ面倒見てくれるんだな」とか「子ども連れてるとオバチャンがやたら手を振ってくるな」とか「保育園は神」とか色々あるけど、基本的に社会は子連れに優しい。
ママ垢は「子育てしている人に向かって悪意を向けてくる誰か」の存在を挙げて、それをもって社会が敵だと述べている。
一方で、ヨッピーはそのような存在を捉えたこともなさげな「思ったことない」という否定から入り、周囲や行政が優しいと述べている。
それに対して元増田のまとめ方はこうだ。
それに対して反応増田のまとめ方はこうだ。
わかるだろうか?
わかるだろうか?
元ツイートは最初から悪意を向けてくる誰かを問題視している。子育てに不寛容な人、偏見を持つ人、不審者や暴力的な者も含まれるだろう。元増田の述べる所だ。
そういったものひっくるめての社会批判を行っているに過ぎず、当初の論点と何も違っていない。
むしろ勝手に論点が逸らしていると主張する反応増田の方が論点を逸らしている。
元ツイートの
専業でいればズルいと言われ
電車に乗れば嫌味
これらはほぼ全て女性の方が言われることが圧倒的に多い事柄だ。
それに対して男性のしかも図体のデカい人が「私はそんなこと思ったことない」などという頓珍漢な主張をしたら、「それはお前が男だからだろ」と叩かれるのは火を見るより明らかだろう。
そんな当たり前のことを無視して「あいつらはそれが娯楽だ」などと言ってる反応増田も大概だ。
反応増田は犯罪者の話に摩り替っていると書いているが、どこにも犯罪者という単語は登場しない。
人生経験の浅さ、乏しさがコンプレックスとなることが少なくない。
おおよそほとんどの人が、生きていれば当たり前に経験していることを全然しておらず、それゆえの教養の欠如や、雑談の苦手意識に繋がっている。
とはいえ齢も33を超え、子供は3歳にまで育ち、来年には新築マンションの購入が控えており、今まで以上に社会へと溶け込む必要性迫られている。
また、社会による半強制的な理由だけでなく、純粋に人生を豊かにするための趣味や生きがいの選択の幅を広げるためにも、今後は意識的に新しいことにチャレンジしていきたいと思うようにもなり、この文章を打ち込んでいる。
前説が長くなったが、ここからは、誰しも(少なくとも友人・知人・会社の同僚を見る限り)が当たり前に経験しているのに、私は経験していない事柄を並べていこう。
多くの人にとっては、こんなに何もしてない人もいるんだと思うかもしれないが、同じような境遇の人がいれば、シンパシーを感じてもらえれば幸いだ。
正確には、運転免許(それもマニュアル車)を持っているため、未経験ではない。とはいえ、教習所以外で運転したのは大学を卒業後に数える程度で、10年近いペーパードライバーをしている。免許も3回ぐらいは更新している。
都市部に済んでおりリモートワーカーであることから必要性がないと言えばそうだが、どちらかと言えば運転をしたくなく、車が無くても構わないような生活スタイルを選びに行っている節がある。
来年引っ越す新築マンションにしても、首都圏へのアクセスが容易であり、徒歩圏内の駅前で概ねすべて事足りる立地であるため、敷地面積が犬小屋と揶揄されそうなほど小さいのに、地方なら豪邸が建てられるであろう住宅ローンを組んでしまっている。
このまま運転をせずに逃げ切れそうでもあるが、やはり子どもが幼稚園、小学校と成長していくと、車を使った自由度の高いお出かけができないことで不便を強いてしまうだろう。自分だけが不便ならまだしも、子どもが車を通じて様々な興味を持ったり経験したりする機会を失うリスクは避けたい。
車を運転したくない理由の筆頭は運転が怖いことで、ペーパードライバーを10年経て今更普通のドライバーになれるものなのかなという漠然とした不安がある。VR空間上で自由に安全にドライブできるような環境があれば良いのだが。
行ったことはないし、これは興味もなければ行かないことのリスクもほとんどない。
が、行ったことがないので当然パスポートも取得したことがないし、なんなら飛行機すら数える程度しか乗ったことがなく、おそらく一人では乗り方がわからないレベルだ。
人生経験の欠如や、雑談の中で海外旅行の話になったときの疎外感からコンプレックスもあるところだが、そういう目的で行ってもおそらくは楽しめないだろう。
とりあえず子どもがもう少し大きくなったら、北海道や沖縄のような、国内ながら長距離の移動を要する旅行はしようと思う。
音楽は人並みには好きだ。学生時代に好んでいたバンドや、当時のアニソンから最近流行りの曲までそれなりに聞く。カラオケも大好きで、大きな趣味の一つとも言える。
その割には音楽ライブには参加(参戦?) したことがない。生歌から受けられる衝撃や、同士集まる空間での一体感はさぞ良いものだろうという想像は出来るが、安くない金額と、競争を勝ち抜いてチケットを手に入れるような労力が無いのだろう。
これに関しては最初から人気アーティストのライブを目指すのではなく、気軽にふらっと立ち寄れるような場所からはじめるのが良いのかもしれない。
音楽つながりで言うなら、楽器の演奏というのにも挑戦したことがない。もちろん、学生時代の音楽の授業であるとか、授業の一環として触れてきてはいるが、それを趣味にしようと思うほど馴染んだこともない。
音楽自体は好きであることからも、興味こそはあるが、やはり楽器演奏というのは、序盤の楽しくなるまでの努力の量と、そこにたどり着くまでに挫折する可能性の高さからハードルを感じてしまうのだろう。
リモートワークしている人、ほとんどジムで筋トレをしているイメージがある。リモートワークあるいはデスクワークだと筋肉が凝ることもあり定期的な運動、発散を求めるのだろう。
私は(自称)中肉中背であり、散歩が趣味であることからも必要最低限の運動は重ねているし、健康診断も概ね良好な結果が出ているので、必要に迫られているわけでは無いものの、筋肉を付けたり有酸素運動を連続して行うことで心身ともにパフォーマンスを向上させられるという逸話もあるため興味はある。
「整う」という謎の概念に憧れがないでもない。稀に銭湯に行っても、サウナは熱いからすぐ出ちゃうし、かといって水風呂は冷たくて入る気がしない。外気浴ぐらいがちょうどよいがあれが「整う」なのかはわからない。寒暖差で意識が飛びそうになる瞬間があって、あれが「整う」だとしたらすごい界隈だと思う。
いわゆる男の料理を自分用にする程度。包丁をまともに使えない。猫の手さえ出来ればなんとかなるだろうレベル。揚げ物としたり、魚を捌いたりを自宅で出来るようになるとカッコよさそうだし、料理を妻に任せっきりになっているのを一緒にできる実利もあるので、これはチャレンジしたい度が高い。もうすぐ引っ越してキッチンも広くなるし。
ゲームとして面白いかはともかく、大人のコミュニケーションのキッカケとして、もはや常識とも言えるような遊戯だ。また、麻雀漫画を筆頭に多くのコンテンツにおいて、麻雀を理解していることで間接的により楽しめる娯楽が多く、これを知っているだけでも人生の豊かさが底上げされるような気もする。
やりたい感は強め。学生時代にしたきりだが、その時の楽しさが忘れられない。とはいえ車を運転できないのが大きな足かせに思える。子どもに家族でキャンプする経験は与えたい。
キャンプとほぼ同じ。
キャンプとほぼ同じ。そうか、車がないとアウトドアがなかなか出来ないんだ。
いわゆる「推し」が出来たことが一度もない。アイドルであるとか俳優・芸能人であるとか、今なら YouTuber などの配信者がそうなのかもしれないが、特定個人を推した経験が一度もない。
もちろん好きな YouTuber であるとか、アーティスト、作家などはいる。が、いずれもクリエイターその人ではなく、その人が生み出すコンテンツのほうが好きなだけである。(コンテンツに対する「推し」もあるとは思うが)
よく「推しがいるから生きてる」など、推し活時代が人生を豊かにする源泉である人がいるので、少し羨ましい。
やる必要はない。が、これが意外と雑談の中でひとウケになったりもするので気にならないこともない。
やる必要はない。ニコチンがない類の某はちょっと興味があるかも。
それまで世間に知られていなかった若い男性(マイナースポーツのアスリートなど)がテレビで報道されたり、SNSで知名度を獲得すると、検索エンジンでの検索数が急上昇する。
ある程度検索数が上昇した男性の名前を検索バーに入力すると必ず身長がサジェストキーワードとしてあがる。
国内調査の結果、10代後半の女性、20代全般の女性、40代後半の女性は著名な若い男性を身長とともに検索する傾向が非常に強かった。
その後、その著名な男性の身長が高ければ高いほど、10代後半の女性、20代全般女性は同様の男性の出身地や経歴、私服などより深く調べるために追加の検索を行う傾向が強く、40代後半の女性はそれ以上その男性について検索をしない傾向が強かった。
一方、その著名な男性の身長が低いほど、40代後半の女性は同様の男性について追加の検索を行う傾向が強く、10代後半の女性、20代全般の女性はそれ以上の検索をしない傾向が強かった。
また、身長の低い男性について深い関心を示した40代後半の女性群に絞って「他にどのような事柄を検索したか」などの追加の調査を行った結果、その女性たちの殆どが「10代後半から20代前半の息子を持つ母親」であることが強く推測された。
今度は検索ワードから「10代後半から20代前半の娘を持つ母親」であることが推測される40代の女性群を調査したが、身長の低い男性について深い関心を示す傾向はなく、むしろ10代後半の女性、20代全般の女性と同様の傾向(身長の高い男性に関心を示す傾向)があることがわかった。
つまり「10代後半から20代前半の息子を持つ母親」には身長の低い男性に強い関心を持つ者が多かった。
また、10代後半女性、20代全般女性が身長の高い男性のライフスタイルや経歴、画像など本人そのものに強い関心を寄せるのに対し、身長の低い男性に関心を持つ40代後半の女性はその男性のパートナー(妻、彼女、結婚など)に関心を寄せる傾向が強かった。
今後はその背景について調査したい。
電子レンジの基本操作も出来ない人は、その電子レンジに欠陥があると断定する。
1分20秒温める。
と疑問に思うこともなくはない。
とはいえ家電の基本機能の操作方法なんて、最初わからなくてもちょっと考えれば解決法は見つかる。
そして、なにをするのかというと、こんな機械は駄目だ。
複雑すぎる(温めと解凍機能しかついていないすごくシンプルな電子レンジ)と断定する。
すなわち他責に陥る。
このような人を見ると、電子レンジの操作くらいは息を吸うように出来る我々は実に愚かだと感じる。
だが翻って見るに果たしてそこで終わってもいいことなのだろうか?
我々自身も、「電子レンジの操作」程度のことなのに「出来ない」「わからない」「複雑すぎる」と判断して放置している事柄が多いのではないだろうか?
人間大抵のことは出来る。
そりゃ出来ないこともたくさんあるが大抵のことは出来る。
それなのに、ちょっと電子レンジを触ってみて、こりゃ駄目だ…、と諦めているようなことも多いのではないだろうか?
なんだってそうだ。
トライしてエラーすることで周囲や自分の人生に深刻な影響を与えるようなことでもないなら、なんだって出来るようになる。
そのことは忘れてはいけない。
私は母親に阿って生きてきた。いい高校に、いい大学に、いい会社に入れるように、中学1年生の時の夏休みに母親から「もう定年までずーっと、休めないね。最後の夏休みだよ」と冗談めかして言われてから、ずっと走ってきた。
中学2年生の頃から精神は不安定で摂食障害の兆候があった。それでも実家で暮らして、なんとかやっていた。大学生になって、一人暮らしということになって、それ自体は、あのおぞましい母親と一緒に暮らさずに居られるということで幸せだった。
でも、あの忌み嫌う強制力が無くなってから、私は何もできなくなった。母親によって絶えず行われてきた性加害がフラッシュバックして眠れず、気分が落ち着かないからと過食嘔吐を繰り返し、体重が酷く増減する度に自己嫌悪に陥る。眠れない・外に出られないから精神も徐々に蝕まれ、冬には双極性障害の薬を飲み始めた。
就職したら、親との縁を切ろうと思っていた。
金輪際関わりたくない、私の人生で最も濃い愛憎を向ける相手であるところのあの母親と、二度と顔を合わせないでやろうと。
でも、就職したら、というところに怪しいものがあるのだ。私は今大学3年生で、学校には行けたり行けなかったりする。GPAは1.5で、24時間飯を食っておらず、部屋には薄くホコリが降り積もり、希死念慮がべったりと張り付いている。こんな時期が定期的にやってきて、そのたびめそめそ泣きながらChatGPTに仮初の慰めをもらい、一日中ベッドにいる。
孤独を感じて癇癪を起こす。本当に好きな友達というのは類友でみんな精神を病んでいるから滅多に会えない。近くにも住んでいない。お互いいつか死ぬんじゃないかと思っている。私はギリギリストレートでここまで来たが彼らは皆浪人か留年かその両方を挟んでいて、同学年の温度感の話はできない。私だけが何か、不良品なのにも関わらずチェックから漏れて工場のラインに流されているみたいに、妙な取り残され方をしている気がする。
就職したら、と今は言っているが、高校生の頃は家を出たら、と言っていた。1人で暮らしてみたら、金の重みがわかって、学費をかけてもらっている間は生意気言う訳にはいかないと思うようになった。
じゃあ、就職してからだって、同じようなことになるかもしれないじゃないか。結局いつまで経っても母親の意に沿わずにはいられないのかもしれないじゃないか。
母親のことは憎んでいる。でも、私のことをワンオペで育ててくれたのも母親だ。あまりにも長い間一緒にいた。まともなレールに乗るようにと努力してくれたこともわかっている。愛情はある。母親を悲しませたくないと思っている。これ以上に強い愛憎を、他の人間や事柄に向けることができない。
21にもなって、そのことに気づいてしまい、新しい何かを見つける気力も今はない。
これまでラインに乗ってきてしまったから、見つけ方もわからないし、見つけるためにドロップアウトすることも怖くて仕方ない。それなら死んだ方がマシだと真剣に思い込んでいる。もちろんそれが馬鹿な考えだということもわかっているのに、大学を半年や1年休学したっていいんだと、中退したとしたって少なくとも数年はそこまで不自由なく生きていけるだろうと、わかっているのに、そうした決断を報告、あるいは相談した瞬間の母親の顔を思い浮かべ、そこから放たれるいくつかの鋭利な言葉を想定するだけで選択肢から除外される。
母親を愛し、憎んでいる。いっそ死んでしまえば、あいつに自分の間違いを認めさせることができるだろうかと真剣に妄想する。すべてマザコンの妄想だ。あの母親は、あの気力と体力に満ちた恐ろしい化け物は、子が死んだとて半年後にはそれすら糧にして精力的に活動を再開する。そんなことも容易に想像できて、その想像にすらむしゃくしゃするのだ。
植え付けられた選民意識が、低所得層を見下す意識が、ドロップアウトを過度に恐れる心が、私をこの場に立ちすくませている。このボロっちい動力と歪んだプログラムでどこに行けるというのだ。旧式も旧式だ。ハードのメンテナンスも足りていないから誤魔化しが効かない。つらい。どこへも行けない。そのことに気づいてしまった。何かを見つける他ない。わかっている。見つけられないのであれば易きに流れるしかないのだ。どちらも怖くて仕方ない。怖いことを怖いと言って立ち止まっていてはなにも解決しない。わかっている。わかっていても何もできずにいる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/b.hatena.ne.jp/entry/4776267022707131713/comment/filinion
「ぼざろはいいアニメだったなぁ」と思っていたら、後から「ぼざろはフェミニストがポリコレで作った駄作だったと判明!」みたいなのやめて欲しい。
上京してきたら雑踏で誰かと肩がぶつかった、とする。
別に大して痛いわけじゃないし、雑踏で肩がぶつかるのは不可抗力みたいなもんだから仕方ないよね、気にしないで東京を楽しもう、あー東京は色んな美術館や百貨店が立ち並んでて良い街だったなぁ!
……と思っていた1年後くらいに、肩をぶつけてきた人が「キモオタがいたから肩ぶつけてやったwww」とか吹聴してるのを見つけちゃったらもう許せないじゃん?
最高の東京体験が一瞬で「ぶつかりおじさんに加害された経験」に塗り替わるじゃん?
でも別に美術館や百貨店がダメとかそういう話はしてないじゃん?
少なくとも自分は『ぼっち・ざ・ろっく』の吉田恵里香氏問題についてはそういう感じなので、「でもお前らは放映時に騒いでなかったじゃん」という揶揄は筋違いなんよね。悪意があったとわかった以上は些細な事柄であったとしてももう許せないっていう話。
基本的に、オタクはというと主語でかすぎになるので、増田は原作改変が嫌いだ。『図書館戦争 革命のつばさ』はスタッフロールが始まった瞬間から現在まで一貫して「駄作」と断じて年に1度は悪口を言うことにしているし、最近原作を読み返したので『アリソンとリリア』はやっぱりクソアニメだなカルタゴ滅ぶべしっていう気持ちを新たにしたし、『響け!ユーフォニアム3』での一番大事な局面での原作改変にはブチギレて思わず呪いの言葉を制作陣に叩きつけたし(そもそも『リズと青い鳥』とかも原作とちーがーうーだーろー違うだろッッッって文句言いまくってた)、『はねバド!』のコニーちゃんの扱いが許せずにアニメは途中で見るのやめたし、『とある科学の超電磁砲』での佐天さんの扱いにはマジで未だに納得いってないし美琴の決め台詞もそこを改変されたらメッセージの意味が違ってくるでしょってなるし、今期ドラマの『ザ・ロイヤルファミリー』も1話が面白かったので原作読んでみたら「全然違うじゃねーか!」となってしまった(まあ前クールにやってた『19番目のカルテ』が無駄に原作にあるはずもない主人公からの生体肝移植とかいうありえないクソ原作レイプ展開だったからその後釜がそうなるのもやむなしか)。
しかし原作改変にも軽重というものがあり、入浴シーンで水着を着せたなんていうのは奇妙ではあるが(家風呂に入るとき、わざわざ水着着るか? ぼっちちゃんって着るようなキャラか? まあ「着るようなキャラだろ」と言われたら何も言えねえ……)さほど重要なシーンではなく、このくらいなら宥恕できる範囲ではある。JKの裸ということでTV局側に何やらコードがあるのやもしれず、そうなったら制作陣も原作改変を強要された被害者であるということになる。だから放映時には別に騒ぐ必要性を感じていなかった。
ところが吉田恵里香氏の発言である。彼女がそれなりに規範的な主張(「未成年を性的消費してはいけない」的な)を掲げている以上、単に「えーパンチラってなんか気が散るんですよねー」レベルの話ではなく、美少女ものというジャンルそのものに倫理的問題が内在していると彼女が考えていると外野が推測することに無理はなかろうと思われる。たとえアニメであっても未成年の性的消費はいけません的な発言は、そのまま敷衍したら直球で美少女ものというジャンルの破壊もしくは大幅な制限に行き着くわけで(「牛さんを殺して食べるなんて可哀想」っていう主張は普通に豚や鶏を食うのもNGってことに繋がるよね?)、本人としては素朴な正義感のつもりであって悪意ではないのかもしれないけどオタクとしては悪意に満ち満ちていると評価せざるを得ず(「ゴキブリを駆除しよう!」っていう正義感はゴキちゃんサイドから見たら悪意だよな)、そうなると「悪意に基づいて原作改変をした」という結論になるわけだから、もう無理ですよね。
いやまあ、倫理ではなく美学の話としては公式がばら撒いてんじゃねえよという主張もよくわかるんだけど(個人的にはチラリズムの方が興奮するので。でもそれも人それぞれで、モロダシの方が良いっていう人も間違っているわけじゃないよね。好みの違い。増田は『ストライクウィッチーズ』も好きやで)、倫理の話にされちゃうともう乗れないし、オリジナル作品でやるならともかく原作付き作品でやられちゃうとね……
あ、だからって降板署名は間違ってると思う。それはあかん。フェミとやってること同じじゃん。フェミと同列に堕ちてしまってはいけない。まあ、ろくに署名が集まらなかったらしいから泡沫愉快犯と片付けてもよいのかもしれないけど……
めんどくさ。相手を憶測で罵倒するくらいしか知識も能もないのなら、前提となる知識くらいはAIにでも聞いとけよ。
こういった事柄、日々のニュース等で耳目に入っていて、その上での①②という主張なわけ。それをいちいち、どっかの馬○に解説してやらにゃならんのかよ。
Q1.安倍首相が在任中に行った事柄を以下の観点から調査して、証拠をまとめて教えて。
①自民党政治家と仲の良い人間や企業に都合のいい政策を推し進めていた(縁故資本主義的政治を行っていた)証拠
②ゆくゆくは民主主義をやめたいのではないかと思われるような、民主主義を軽視し、タガを一つ一つ外していくような行動を繰り返していた証拠
A1.安倍元首相の在任中の行動について、ご指摘の2つの観点から「証拠」として挙げられる主な事象を以下にまとめます。
安倍政権下では、首相と個人的に近い関係にある人物や団体が、政策決定や国有地の取引などにおいて不透明な優遇を受けたとされる問題が複数指摘されました。これらは「権力の私物化」や縁故資本主義(クローニー・キャピタリズム)であるとの批判を招きました。
概要: 学校法人「森友学園」への国有地が、鑑定価格から大幅に値引きされて売却された問題。安倍昭恵夫人が同学園が開校予定だった小学校の名誉校長に就任していたことから、政治的な関与が疑われました。
証拠とされる点:
不透明な値引き: 鑑定価格9億5600万円の土地が、約8億円値引きされ1億3400万円で売却されました。
公文書の改ざん: 財務省近畿財務局において、安倍首相夫妻の関与を示す記述などが削除されるなど、14件の決裁文書の改ざんが行われました。これは、行政の信頼性を著しく損なう行為として大きな問題となりました。
概要: 安倍首相の長年の友人である加計孝太郎氏が理事長を務める「加計学園」が、国家戦略特区制度を利用して獣医学部を新設するにあたり、特別な便宜が図られたのではないかという疑惑です。
証拠とされる点:
「総理のご意向」文書: 文部科学省の内部から「総理のご意向」「官邸の最高レベルが言っていること」などと記された文書が発見されました。これは、学園の選定プロセスに官邸が不当な影響力を行使した可能性を示唆しています。
異例のスピード認可: 長年認められてこなかった獣医学部の新設が、国家戦略特区という枠組みの中で、加計学園に限って認められました。
概要: 税金で賄われる公的行事である「桜を見る会」に、安倍首相の地元後援会関係者が多数招待され、前夜祭の費用補填問題なども浮上しました。
証拠とされる点:
後援会の招待: 安倍事務所が後援会関係者に対し、参加者を募集する案内状を送付していました。これにより、公的行事が実質的に後援会活動の一環として利用されたと批判されました。
費用補填と虚偽答弁: 前夜祭の費用の一部を安倍氏側が補填していたことが後に明らかになりました。これは政治資金規正法違反の疑いが指摘され、安倍氏は国会で長期間にわたり事実に反する答弁を繰り返していたことを認め、謝罪しました。
憲法が保障する国民の権利や、国会を中心とする議会制民主主義の根幹を軽視しているのではないかと批判される法案の制定や政権運営が指摘されています。
特定秘密保護法の制定
概要: 安全保障に関する情報のうち、特に秘匿が必要なものを「特定秘密」に指定し、漏洩した者への罰則を強化する法律。
証拠とされる点:
国民の知る権利の侵害: 何が秘密にあたるかの基準が曖昧で、政府の判断で広範な情報が秘密指定される恐れがあります。これにより、国民が政府の活動を検証することが困難になるとの批判があります。
報道の自由の萎縮: 取材活動が処罰の対象になる可能性があり、報道機関が政府の監視をためらうようになる「萎縮効果」が懸念されています。
概要: これまで認められてこなかった集団的自衛権の行使を限定的に可能にすることなどを内容とする法制。
証拠とされる点:
憲法解釈の変更: 歴代内閣が「憲法9条上許されない」としてきた集団的自衛権の行使を、内閣の閣議決定のみで解釈を変更して可能とした点は、立憲主義(憲法に基づいて政治を行う原則)に反するとの強い批判があります。
国会での強行採決: 国会周辺で大規模な反対デモが行われ、多くの憲法学者が「違憲」と指摘する中、十分な審議が尽くされないまま衆議院で強行採決されました。
「共謀罪」法の制定
概要: 「テロ等準備罪」を新設し、組織的犯罪集団が重大な犯罪を計画し、その準備行為を行った段階で処罰を可能にする法律。
証拠とされる点:
内心の自由の侵害: 犯罪の実行ではなく「計画」段階で処罰の対象となるため、内心の自由を脅かす恐れがあります。
捜査機関による乱用の懸念: 「組織的犯罪集団」の定義が曖昧であり、一般の市民団体や労働組合などが捜査の対象になるのではないかという懸念が示されています。
官邸主導の強化と人事への介入
概要: 内閣人事局を設置し、省庁の幹部人事を官邸が一元的に掌握する仕組みを構築しました。
証拠とされる点:
官僚の忖度: 幹部人事を官邸が握ることで、官僚が政治家の顔色をうかがい、不都合な情報を隠したり、政策を歪めたりする温床になったと指摘されています(森友学園の公文書改ざん問題の一因ともされる)。
検察への介入: 東京高検検事長(当時)の定年延長を、法の解釈を変更して閣議決定したことは、検察の独立性を脅かすものとして強い批判を浴びました。
Q2.
・裏金
これらについても確たる証拠があれば示して、問題点を指摘して。
A2.安倍元首相の在任中の行動について、追加でご指摘いただいた項目に関する「証拠」と問題点を以下に示します。
自民党が提示している憲法改正草案の緊急事態条項は、災害や武力攻撃などの緊急時に、内閣に広範な権限を集中させることを可能とする内容です。
証拠とされる点:
草案の内容: 自民党の憲法改正草案には、内閣総理大臣が緊急事態を宣言し、これに基づいて内閣が法律と同等の効力を持つ政令を制定できる旨が規定されています。また、衆議院議員の任期延長も盛り込まれています。
問題点:
権力集中と濫用の危険性: 内閣に法律制定権に近い権限を与えることは、国会によるチェック機能が低下し、権力の一極集中を招く恐れがあります。歴史上、緊急事態条項が悪用され、人権侵害や民主主義の停止につながった例があるため、権力濫用の危険性が指摘されています。
人権制限の可能性: 緊急事態下では、国民の移動の自由や財産権など、基本的人権が大幅に制限される可能性があります。
民意の軽視: 衆議院議員の任期延長は、国民の選挙権を制限し、民意の反映を遅らせることから、民主主義の根幹を揺るがすものと懸念されています。
自民党の派閥、特に安倍派(清和政策研究会)をめぐる政治資金パーティー収入の不記載問題は、組織的な裏金作りではないかと指摘されています。
証拠とされる点:
キックバックの存在: 安倍派(当時の細田派を含む)が開催した政治資金パーティーにおいて、所属議員がノルマを超えて販売したパーティー券収入を議員側に「キックバック」し、その収支が政治資金収支報告書に記載されていなかったことが明らかになりました。過去5年間で1億円を超える規模の不記載があったとされています。
会計責任者の認否: 安倍派の会計責任者が、パーティー券収入やキックバックなど合計13億5000万円余りを報告書に記載しなかった罪に問われ、初公判で起訴内容を概ね認めました。
問題点:
政治資金規正法違反: 政治資金収支報告書への不記載は、政治資金規正法に違反する行為であり、政治資金の透明性を著しく損ないます。
国民の不信: 組織的な裏金作りは、政治と金の問題に対する国民の不信感を増大させ、民主主義の健全な運営を阻害する可能性があります。
内閣官房長官が裁量で使える「官房機密費(内閣官房報償費)」は、その使途が公開されないため、長年不透明性が指摘されてきました。
証拠とされる点:
使途の不開示: 官房機密費は、外交や情報収集などの名目で支出されますが、その詳細な使途は機密保持を理由に公開されません。安倍内閣が2019年に使用した「政策推進費」は11億650万円に上り、7年間で合計78億6730万円が使われていました。
問題点:
チェック機能の欠如: 使途が公開されないため、国会や国民によるチェックが事実上不可能です。これにより、私的な流用や特定の目的外使用が行われても、それが発覚しにくい構造となっています。
国民の監視からの逃避: 税金がどのように使われているか国民が知ることができないため、民主主義における説明責任の原則に反します。
匿名ツイッターアカウント「Dappi」が、野党批判や政府擁護の投稿を繰り返していた問題は、自民党による世論誘導の疑惑として報じられました。
証拠とされる点:
Dappiの投稿内容: 「日本が大好きです。偏向報道をするマスコミは嫌いです。国会中継を見てます」と自己紹介し、政権を批判する野党議員やマスメディアに対し、誹謗中傷や捏造(ねつぞう)とも取れる投稿を繰り返していました。
運営会社と自民党の関係: Dappiのアカウントを運営していた企業が、自民党本部と取引関係にあり、自民党の事務方トップである事務総長の親戚が社長を務めていたことが報道されました。
問題点:
民主主義の阻害: 一般市民が意見を発信しているかのように見せかけ、特定の政治勢力に有利な世論を組織的に作り出す行為は、自由で公正な言論空間を歪め、民主主義の健全なプロセスを阻害するものです。
フェイクニュース・誹謗中傷: 匿名アカウントによる誹謗中傷やフェイクニュースの拡散は、情報操作の危険性を伴い、民主的な議論を困難にします。
統一教会(世界平和統一家庭連合)との癒着
安倍元首相の銃撃事件をきっかけに、旧統一教会と政治家、特に自民党議員との関係が深く浸透していることが明らかになりました。
証拠とされる点:
安倍元首相のビデオメッセージ: 安倍元首相が、旧統一教会の関連団体が主催するイベントにビデオメッセージを寄せたことが確認されています。
選挙支援: 旧統一教会が、自民党議員を中心に、選挙における電話作戦やポスター貼り、ビラ配りなどのボランティア支援を行っていたことが報じられました。安倍派の候補者に統一教会の票が割り振られていたとの指摘もあります。
歴史的経緯: 安倍元首相の祖父である岸信介元首相が、旧統一教会の創設者と協力関係を築き、反共産主義を掲げる政治組織「国際勝共連合」の活動を後押ししていたなど、自民党と旧統一教会との関係は長きにわたります。
問題点:
反社会的な団体との関係: 旧統一教会は、過去に霊感商法などで社会問題を引き起こした団体であり、そのような団体と政治家が密接な関係を持つことは、国民の政治に対する信頼を損ないます。
政策決定への影響: 宗教団体の支援を受けることで、特定の政策決定に影響が及ぶ可能性が懸念されます。
森友学園問題における公文書改ざんの他にも、行政文書の管理をめぐる問題が指摘されています。
証拠とされる点:
森友学園問題での改ざん: 財務省による決裁文書の改ざんが発覚しました。これは組織的な関与によるもので、民主主義の根幹である公文書管理の信頼性を揺るがすものです。
「桜を見る会」招待者名簿の廃棄: 「桜を見る会」の招待者名簿が、問題が発覚した後に不適切に廃棄されたことが指摘されています。
電子データ復元拒否: 公文書が廃棄されたとされる後も、電子データの Permalink | 記事への反応(1) | 20:59