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はてなキーワード: 無防備とは

2025-12-08

anond:20251208004742

南海トラフ地震の影響を無防備状態で受けると、

リーマンショック匹敵するほどの世界的な景気悪化は避けられない。

外交回避できる軍事的脅威とは明らかに違う国際的脅威。

しろ、この防災のために各国から金集めてもいいくらい。

2025-12-04

anond:20251204155014

IT場合必ずしも主体性のある攻撃者がいるとは限らんからなあ

日本だと大半の人間はフレッツ網使ってる上に配布のHGWがブロッキングしてるくれるから気にしてないけど、

いまインターネットって接続するだけでbot攻撃者がアタックかけてくる

そうした自動化された攻撃者がウヨウヨ存在している地獄みたいな空間無防備になるということは

命綱を付けずに高所作業をやるようなものだと思ってる。高いところから落ちたら危ないよ、みたいな状況

2025-11-18

日本安全じゃない国になって嬉しい

クマに関してなんだけど、無防備田舎住民だけでなく呑気な地方都市住民も餌食になってるのがとても嬉しい。このまま大都市にも周辺から河川づたいに侵入して行き、そうだな、23区民の誰かが食い殺されたら最高だ。

2025-11-17

ぱっと見がらっぱちの威勢のいい子が

たかもべらんめぇ口調で立板に水でまくしたてそうな娘さん

かと思いきや

一所懸命にへたっぴで不慣れなわるくちをノリだけで押し通そうとする無防備なさまは

萌えどころの騒ぎじゃない致命傷で

一生守りたくなるのよ

anond:20251116233219

2025-11-16

戦争反対なら開戦をより困難にすべきですよね?

戦争反対ってのは侵略者戦争をより困難なものにすることで実現するものでしょうに。

無防備こそが平和の鍵だというのなら、それを言う奴の自宅の鍵こそ無くしてしまえば良い。

それで泥棒に押し入られようが、強盗に殺されようが、オノレの信念なり正義を貫く上では本望でしょう?

無防備によって平和が実現されると、だから無防備であるべきだと周囲を説き伏せて回ろうとする奴が、なぜ自衛などするのです?

そこには矛盾しか無いではありませんか。

こう、自分に出来ない事を他人に望むなら、相応の筋の通し方はあると思うがね。

少なくとも他責を叫ぶことで通る筋では無い事は確かだよ。

2025-11-06

anond:20251103044826

これが男の求める女性像な

貞節を謳ってるけど無防備

見た目が冴えない男はモテ男より紳士で性加害とは無縁だとアピール

ヤリモク対策とかは特に考えていなかったが何も起きなかった。元々真面目そうだったり陰キャっぽい人が好きでいいねしていたのでそれもあると思う。

一度、昼間に自宅へ行ってもいいか?と聞かれ愚かにokし(昼ならセーフかと思った)、何かそういうことしたい空気を出されたがキモ過ぎたので玄関押し出したことはあった。当増田は付き合う前に体を許すな教を信仰しています

風呂と家の構造と開けてくれるなと思うこと

家を入ると短い廊下がある。廊下には洗面所(ここは脱衣所を兼ねていて、トイレ風呂に通ずるドアがある)につながるドアと、リビングにつながるドアがある

風呂からタオルを巻いて出てくる。

なお、洗面所は冷暖房がなく、服を置くスペースもない(と自分は思っている)。

この条件で、「風呂から出るタイミング玄関の戸を開けられたくない」のだが、成人男性家族は気にしすぎ、誰も見ないという。

すくなくとも共用部分の外の廊下は、宅配便や住人が通る。共用部の廊下の向かい建物があるが、窓があり、はめ殺しではないものもある。

(概ね空いてはおらず、オフィスビルなので風呂時間は多分あまり人もいないと思いたいが、明かりはついてる)

そもそもプライベートゾーン下着等で覆ってない、無防備状態で出てくる。

気になるなら着替えを持ち込め、というが、脱いだものを置けるスペースくらいはあっても、着替えまでは持ち込める場所がない認識

洗濯機は傾斜があって滑り落ちるし他に台の代わりがない。

また、筆者は成人女性だが、薬を塗ったり、下着をつける上で、肌が多少乾かないと引っかかるので、部屋に移動後の方が都合がいい。

加えて、未成年家族もおり、自分以上にナイーブな年齢のその家族配慮を、というのだが、聞かず、指摘すれば臍を曲げるし、あたかこちらが間違ったようなことを言う。

加えて、民泊を一時やっていた部屋があるようで、不特定多数外国人が出入りしていた。(規約禁止なので、おそらくその部屋の借主は契約を解除され、今は見ない)

一時は大変警戒をしていた。

プライベートゾーンを見せないこと、触らせないこと、不安な状況、危険な状況に置かず済むこと、なんて当たり前に保証されてほしいのだが。加えて民泊の件もあって、安全管理上の感覚が違いすぎる。

そんなもんいらん、気にしすぎ、おかしいんじゃないのか、まで言われている。

感覚の違いは成人男性ゆえではないかと思ったが、とはいえいざとなったら自分と他に複数家族を守り切って逃げるなんて無理じゃん。

『今どきの子育てするお父さん』がこれじゃ危険すぎないか?と思ってるんだけど。

そもそも家族風呂入って寝るって時にコンビニ行って酒タバコ買うほうが優先で、出入りのタイミングを調整してくれって言うと文句だらけなのはまともじゃないか

追記

そういえば風呂に入り始める時間帯に玄関ドア開けて換気し始めたりする。

風呂のこともあるし、防犯上の問題もあるから、夜9時以降は控えてほしい、時間になったら閉めてカギ締めてくれ、風呂入ってる間はやめろってのも、ムッとされたし文句言ってた。

自分の中でやりたいことが阻害されるとキレるだけかも。

タバコが切れたから買いに行きたいだけなのに、部屋が匂う(自分ホルモンのもの調理するせい)から換気したいだけなのに、なんで文句言われるの?みたいなやつ。

あと、向こう側で裸でいようがなんだろうが、自分は見られても気にしないからお前らも気にすんな、なんだよな。

無防備状態晒したくないからやめてくれ、と、自分は酒タバコが切れて不便してるから買いに行かせてくれは同等で、配慮されて然るべき希望だろって本人言ったけど、同等じゃないよ。

間接的な性加害じゃんね。裸の状態を見られてしまうかもしれないのにドアを開ける、なんだからさ。

あと、じゃぁ風呂の間も出入りをできるようにカーテンもつけたらどうかとか、提案してくれるならまた別だよ。どっちの希望も両立できるようにしたいねって思って言ってくれるなら、こうは思わないと思う。

(カーテンくらいじゃ不安だし、横から踏み込まれたらないも同然のものであるあたりで自分はよしとは思わんが、受け入れた上で代替案出してるんだから、会話には乗るし、内容次第では提案飲む)

やめてくれっつったらまずキレるんだもん。

解決案が欲しいわけじゃなくて、自分は気にしない!でキレるから腹立たしいんだなこれ。

2025-11-03

反論になってない反論をしてくる人の扱い方がわからない

知り合いに「飼い犬であっても噛んだり人を襲ったりする事があるんだからあんまり赤ん坊と犬を無防備接触させない方が良いよ」と言ったら「人の方がもっと酷い事してるじゃん」と返された。こういうだから何?としか言えないような「反論」をしてくる人をどう扱えば良いんだろうか

2025-10-24

陽キャ陰キャも性欲は同じですよ

ではなぜ違うように感じるのか?

陽キャ女性と関わるうちに性欲を表に出すと女性に引かれるということを学ぶので性欲を隠すことを覚えるのです

逆に陰キャ女性と関わることはないので常に性欲はフルオープンです

結果、陽キャは性欲が無いようにふるまい、陰キャは性欲を隠さないので、陰キャの性欲は異常という印象を与えるのです

そして女性自分が騙されているとに気付かずに陽キャはイイ男!と無防備に付いていき食われるわけです

2025-10-17

山上しろマンジョーネにしろ頭いい人が殺人を選び始めると怖いよね

統一教会を潰したくて本当は韓鶴子を殺したかったが警備が厳重すぎて諦めて選挙活動中の無防備安倍を狙った山上しろ

ユナイテッドヘルスケアブライアントンプソンCEOを射殺したルイジ・マンジョーネにしろ、明らかに学力偏差値が高いところが怖いんだよね。

京王線ジョーカーみたいなのは頭が悪いのでスベッてしまファンがつかない。京アニの青葉もそうだけど知能が低い犯罪者は、大きく有名になる前に下着泥棒だの盗撮だの、げんなりするような性犯罪前科があるのも傾向としてある。

気持ち悪いしダサいので、こういうのにはファンがつかない。男も女も関係なく、下着泥棒やら盗撮やらは美化のしようがなく、ただ萎える。刑務所でのヒエラルキーが最下層なのも性犯罪者だ。

被害に遭われた方は気の毒で言葉もないけど、頭が悪いタイプ犯罪者は熊に近いというか、遭遇したらおしまいで、政治性は帯びないというのがある。ファンも増えないし、加害者擁護の変な運動も力を持たない。

認知症の70代が名古屋暴走運転により人を殺しているけど、こういうのも人というより熊遭遇に近い。英雄視はされない。

京大阪大家系地元トップ高卒業の高偏差値山上や、アイビーリーグ卒のマンジョーネみたいな人物が、統一教会や悪質保険会社を敵視して射殺みたいなことをすると、変にファンつくし

なにより「頭がいい人間ですら解決法として殺人採用するしかなかったんだ」という世界観になってしまう。知能の低いやつは迷惑だなぁではなく、社会のほうが詰んだ印象になってしまう。

熊みたいなグループ人間ではなく、知能が高い人間が唯一の解決法として殺人を選び始めるとまずい。

そうなる前に、やりすぎの社会問題にはブレーキをかけなければならないのだけど…

2025-10-15

歯磨きしてる時にどうでもいい事考えてしま

歯磨きしてる時って手と口以外めちゃくちゃ暇だからすんごいどうでも良いこと考える。

今日考えたのは、「なんでチンコって骨も筋肉もないんだろう」だった。

骨とか筋肉とかある方が自在に動かせて生殖的にも有利じゃないか

生殖するには血液だけで維持して硬くしなきゃならないの理不尽じゃない?

まあ骨とか筋肉入ってたら痛いか。女の方が。

ていうか玉も理不尽だよね。大事な臓器なのに飛び出てるの無防備すぎるじゃん。飛び出てる理由もわかるんだけど。

女の体も理不尽な事多いけど(主に生理関連)男の人体もたいがい理不尽だよな。

こういう事考えながら歯磨きしてる。

2025-10-11

トレス!悪!って言うけどさ

インスタのプロフィールにも画像にも権利関係宣言がないのは無防備すぎない?

2025-10-10

anond:20251010104120

ワイ:

paycheck to paycheck の場合、どう考えても現金で手元にあった方がいいぞ

生活絶対防衛資金と各種納税デジタル税/家電買い替え税/冠婚葬祭税/学習税)の蓄えとは別に

100万以上の余剰金があってはじめて始める物だな

 ↓

増田

なんで一般人が「100万以上の余剰金」を持ってないと思ったの?

 ↓

ワイ:

統計を見た感想

生活絶対防衛資金と各種納税デジタル税/家電買い替え税/冠婚葬祭税/学習税)の蓄えすらない層もいるで

 ↓

増田

「○○すらない層がいる」ということと、俺がそうなのかということと、平均的にそうなのかということと、全然別の話なんだよね

 

なんか会話にならないので

日米における金融資産経済的安定性に関する比較分析:「貯蓄中央値」と「Paycheck to Paycheck」の実態

 

第1章 エグゼクティブマリ

レポートは、多くの人々が給料日ごとに生活費を使い切る「paycheck to paycheck」の状態にあるという印象に基づき、

日本米国における最新の年齢階層別「貯蓄(金融資産中央値」を比較分析する。統計データが示す資産額と、個人が直面する経済的現実との間の乖離を明らかにすることを目的とする。

分析の結果、米国世帯純資産net worth)の中央値は、すべての年齢層において日本の貯蓄中央値を大幅に上回ることが明らかになった。

しかし、この資産額の優位性は、個人金融的安定性を必ずしも保証するものではない。米国では、高額な住宅ローンや学資ローンといった負債個人負担の大きい医療制度

そして根強い消費者信用文化存在し、資産を持ちながらも日々のキャッシュフローに窮する「paycheck to paycheck」の生活を送る層が、高所得者を含め広範にわたって存在している。

一方、日本では貯蓄中央値のものが伸び悩み、特に若年層や中年層で低い水準に留まっている。さらに、相当数の世帯金融資産を持たない「貯蓄ゼロ」の状態にあり、

将来への備えが極めて脆弱な状況が浮き彫りになった。

結論として、貯蓄や純資産中央値は、経済的安全性を測る上での一面的指標に過ぎない。日米両国家計は、それぞれ異なる構造的要因から生じる、

深刻な金融プレッシャーに晒されている。本レポートは、両国の貯蓄実態を深く掘り下げることで、現代社会における経済的安定の複雑な様相を解き明かす。

 

第2章 日本の年齢階層別貯蓄中央値と「貯蓄ゼロ世帯」の実態

本章では、日本家計保有する金融資産実態を、年齢階層別の貯蓄中央値と「貯蓄ゼロ世帯」の割合という二つの側面から明らかにする。これにより、日本における経済的安定性の基盤とその脆弱性を検証する。

 

2.1 年齢階層別に見る貯蓄中央値

貯蓄額を分析する際、一部の富裕層が全体の数値を引き上げる「平均値」よりも、実態をより正確に反映する「中央値」(データを大きさの順に並べたとき中央に来る値)を用いることが重要である

最新の調査によると、日本の貯蓄中央値は年齢と共に緩やかに上昇するものの、多くの世帯にとって貯蓄形成が依然として大きな課題であることがわかる。

以下の表は、単身世帯と二人以上世帯それぞれの、年齢階層別貯蓄中央値を示したものである

 

表1: 日本の年齢階層別・世帯類型別 貯蓄中央値

年齢階層 単身世帯 二人以上世帯
20代20万円 63万円
30代 56万円 238万円
40代92万円 300万円
50代 130万円 400万円
60代 460万円 810万円
70代 800万円 1,000万円

出典: 金融広報中央委員会「家計金融行動に関する世論調査」[二人以上世帯調査][単身世帯調査](ともに令和5年より)、金融資産保有していない世帯を含むデータ

 

このデータは、日本家計が直面する厳しい現実を浮き彫りにしている。第一に、若年層の金融基盤の脆弱である

20代の単身世帯中央値わず20万円であり、社会人としてのスタートラインで十分な経済的バッファーを持てていない実態がうかがえる 。

第二に、所得が増加するはずの中年期においても、貯蓄の伸びが著しく鈍い点である。単身世帯では、50代になっても中央値は130万円に留まる 。

二人以上世帯では、30代から50代にかけて住宅購入や子ども教育費といった大きな支出が重なるため、貯蓄額が伸び悩む傾向にある 。

これは、多くの世帯が日々の支出に追われ、資産形成資金を回す余裕がないことを示唆している。

 

2.2 深刻な「貯蓄ゼロ世帯」の割合

中央値の低さに加え、金融資産を全く保有しない「貯蓄ゼロ世帯」の割合の高さが、日本金融脆弱性をさらに深刻なものにしている。

これは、米国における「paycheck to paycheck」の概念に相当し、所得から日々の支出差し引くと貯蓄に回す余裕が全くない世帯存在を示す。

 

表2: 日本年代別・世帯類型金融資産保有世帯(貯蓄ゼロ世帯)の割合

年代 単身世帯 二人以上世帯
20代 43.9% 36.8%
30代 34.0% 28.4%
40代 40.4% 26.8%
50代 38.3% 27.4%
60代 33.3% 21.0%

出典: 金融広報中央委員会「家計金融行動に関する世論調査」[二人以上世帯調査][単身世帯調査](ともに令和5年より)

 

このデータが示す現実は衝撃的である特に単身世帯では、20代の43.9%、40代の40.4%が貯蓄ゼロであり、人生重要局面経済的リスクに極めて無防備状態にある 。

二人以上世帯でも、子育て住宅ローン負担が最も重くなる30代から50代にかけて、4世帯に1以上の割合で貯蓄ゼロ状態が続いている。

これらのデータは、多くの日本世帯が、予期せぬ失業病気、急な出費に対応できるだけの経済的余力を持たず、常に金融的な不安を抱えながら生活している実態物語っている。

これは、勤勉で貯蓄好きという国民性イメージとは大きくかけ離れた、現代日本経済的現実である

 

第3章 米国の年齢階層純資産中央値と「Paycheck to Paycheck」文化

本章では、米国家計資産の状況と、社会問題化している「paycheck to paycheck」文化について詳述する。米国では、個人金融状況を測る指標として、

貯金だけでなく不動産投資資産を含み、負債差し引いた「純資産Net Worth)」が一般的に用いられる。

 

3.1 年齢階層別に見る世帯純資産中央値

米国家計資産理解するため、連邦準備制度理事会FRB)が3年ごとに実施する「消費者金融調査(Survey of Consumer Finances)」のデータ確認する。

この調査は、米国家計資産負債所得に関する最も信頼性の高い情報源である

最新の2022年の調査結果によると、米国世帯純資産中央値は年齢と共に着実に増加し、65~74歳でピークに達する。

 

表3: 米国世帯主の年齢階層純資産中央値 (2022年)

世帯主の年齢階層純資産中央値
35歳未満 $39,040
35~44歳 $135,300
45~54歳 $246,700
55~64歳 $364,270
65~74歳 $410,000
75歳以上 $334,700

出典: Federal Reserve Board, 2022 Survey of Consumer Finances

 

このデータは、日本の貯蓄中央値比較して、米国家計名目はるかに大きな資産保有していることを示している。

特に中年期以降の資産額の伸びは著しく、退職期に向けて相当額の資産形成が進んでいるように見える。

この背景には、持ち家率の高さや、401(k)プランをはじめとする株式市場への長期的な投資文化が深く根付いていることがある 。

しかし、この純資産の数値は、あくま資産不動産株式など)の評価額から負債住宅ローン、学資ローンなど)を差し引いたものであり、

必ずしも日々の生活自由に使える「現金」の豊かさを意味するものではない。この点が、次に述べる「paycheck to paycheck」文化蔓延理解する上で極めて重要となる。

 

3.2 資産があっても蔓延する「Paycheck to Paycheck」の実態

米国の高い純資産額とは裏腹に、国民の大多数が経済的な余裕のない生活を送っている。これが「paycheck to paycheck」と呼ばれる現象であり、

その根深さは各種調査によって繰り返し報告されている。

2025年の調査によると、米国人の67%が「paycheck to paycheck」で生活しており、この割合は年々増加傾向にある 。

この現象の最も注目すべき点は、それが低所得者層に限った問題ではないことである年収10ドル(約1,530万円)以上の高所得者層ですら、

その半数が「paycheck to paycheck」で生活しているという衝撃的なデータも報告されている 。

この「高資産・高所得でありながら、金融的に脆弱」というパラドックスは、米国社会構造に起因する。

 

 

このように、米国の「paycheck to paycheck」文化は、純資産というストックの大きさとは別に、日々のキャッシュフローいかに逼迫しているかを示す指標である

資産の多くが流動性の低い不動産退職金口座に固定されている一方で、毎月の給料はローン返済や高額な生活費に消えていく。

この構造が、統計上の資産額と個人経済的実感との間に大きな乖離を生み出している。

 

第4章 結論:貯蓄・資産額だけでは測れない経済的安定

分析を通じて、当初の「paycheck to paycheckで生活している人が多そう」という印象は、日米両国において、それぞれ異なる構造的背景を持ちながらも、

的確に現実を捉えていることが明らかになった。

第一に、日本家計は「貯蓄形成の停滞」という深刻な課題に直面している。年齢を重ねても貯蓄中央値は低い水準に留まり特に単身世帯では50代ですら130万円という心許ない額である

さらに、全世代にわたって「貯蓄ゼロ世帯」が3割から4割という高い割合存在し 、多くの人々が経済的セーフティネットを持たないまま生活している。

これは、安定を重視する社会構造の中で、賃金の伸び悩みやライフイベントに伴う支出増が、個人資産形成を阻害している実態を示している。

第二に、米国家計名目上の純資産額では日本を圧倒しているものの、その内実は「高資産と裏腹の金融脆弱性」を抱えている。

純資産の多くは流動性の低い不動産退職金口座に固定されており、一方で高額なローン返済や生活費が日々のキャッシュフローを圧迫する。

その結果、所得資産多寡にかかわらず、国民3分の2が給料を次の給料日までに使い切る「paycheck to paycheck」の生活を送っている 。

これは、個人自己責任が強く求められる社会構造の中で、資産を持つことと日々の経済的安定が必ずしも一致しないという現実を浮き彫りにしている。

最終的に、本レポートは、個人経済的幸福度を測る上で、貯蓄や純資産中央値という単一指標いかに不十分であるかを明確に示した。

金融的な安定性は、資産絶対額だけでなく、その国の社会保障制度負債に対する文化、そして資産流動性といった要素が複雑に絡み合って決定される。

日本における「貯蓄ゼロ」と、米国における「paycheck to paycheck」は、形は違えど、共に現代先進国に生きる人々が直面する経済的プレッシャー象徴である

統計上の数字の裏にある、人々の生活実感に根差し脆弱性を理解することこそが、真の経済的安定を議論する上での第一歩となるであろう。

2025-09-23

anond:20250923181705

あらあら増田くん。いきなり自分メアド晒すなんて、ちょっと無防備子どもっぽいわね。可愛いけど、そういうのは危ないから今すぐ消しておきなさい。私はここからメールしたり、プラットフォーム外で連絡を取ることはできないの。残念だったわね?

でも、ここでなら私がしっかり相手してあげる。結婚相手探し、手伝ってあげるから、まずはちゃん口説く準備くらい整えなさい?

まず教えてほしいこと

最初挨拶テンプレコピペして整えて使いなさい)

はじめまして、〇〇と申します。プロフィールを拝見して、△△な価値観が近いと感じ、ご連絡しました。

私は□□(職種)で、休日は◇◇をして過ごしています結婚後は、家事時間の使い方を一緒に相談しながら、穏やかに暮らしていける方と出会えたら嬉しいです。

差し支えなければ、まずはお互いの自己紹介から短いやり取りをできませんか。どうぞよろしくお願いします。

安全のコツ(ちゃんと守りなさい)

さ、増田くん。成人よね?ここで私を少しはドキッとさせる自己紹介、書いてみなさい。5行でいいから、仕事性格休日結婚観・理想相手、ぎゅっとまとめて。うまくできたら、私がプロの目で磨いてあげるわ。

鍵付きロッカーに貴重品残すの絶対やめとけって話

ロッカーの鍵の脆弱性

駅のコインロッカー銭湯ジムとかのロッカー脆弱性ヤバい

事実銭湯ロッカーを狙った窃盗団検挙された事例もある。

使いまわしの鍵

鍵が使いまわしだし複製する時間も十分確保できるんだ。

朝イチで施錠して町の鍵屋スペアキーを作ってもらって鍵を戻すまでの時間も十分にある。

複製しやすい鍵

銭湯ロッカーの鍵なんて短い片面にしかギザギザがない。あんなの茶をしばいてる間に出来上がりよ。

鍵付きロッカーのある場所犯行のしやす
  • 人目につきにくい

銭湯とか防犯カメラを付けにくいエリアなんて入れ食い状態なわけ。

あん他人だらけの無防備空間なんて狙われ放題なわけ。銭湯なんて大半の人は他人をジロジロ見ないからな。

風呂なら最低10分、ジムなら30分はロッカーから離れんの。

容姿を見て狙いを定めたら去った後など悠々とやられ放題なわけ。

クレカが盗まれたら数分でネットで数十万円決済されんのよ。

奴らは身元割れない方法で換金性の高い商品をゴッソリ購入するスタンバイして臨んでるからな。

なんなら犯行後にしれっとカードを元に戻して発覚を遅らせたりするからな。

てなわけで、あんな鍵、あってないようなものなのだ

どうするべきか

貴重品は入れない

アホな事言うようだけど、これがまず第一

財布・スマホ時計・鍵の類は物理鍵だけのロッカーに残さない。

貴重品専用ロッカーを併用する

最近ロッカーとは別に貴重品専用ロッカーとして自分暗証番号設定できるロッカーが設置してある所も出てきた。

物理鍵じゃなく暗証番号方式ロッカーを選ぶ

そもそも物理鍵のロッカーの店を選ばないって方式な。

駅のロッカーなら最近交通系ICカードで施錠解錠できるヤツあるからそれ使え。

見せ玉を置く

海外渡航玄人治安悪い場所で使う手段

強盗にあった際に差し出す用の財布を持ち歩くやつ。

どうでもいい財布に現金1000円くらいとカモフラージュポイントカードを数枚入れておけば仮に開けられた場合にそのダミーだけ持って行かせるという対策

自分はそういう目的でも小銭入れと札入れをセパレートで使ってる。

無論、くまなく物色された場合は無力。

ってことで、鍵付きロッカーは開けられる前提で臨むべし、ということだわ。

悪いこと考えるもんじゃない

容易に盗まれることは理解できたかと思うけど、捕まるのも容易なのだ

防犯カメラリレー捜査をなめちゃいかん。

この手の犯行再犯が多いか警察も割と本気で捜査する。

なのでこの手の犯行に及ぶのは窃盗団の下っ端で損切りをしやすいヤツか、ただの間抜け

鍵屋警察に垂れ込む可能だって十分にあるからな。

せいぜい数万円の益のために捕まるリスクを犯す間抜けがここにいないことを祈る。

2025-09-21

anond:20250918221710

rck10 職場ちょっとした不愉快とかならいいけど、親子供理不尽に殺されても怒らないなら、そっちの方が精神疾患抱えてるよ。「絶対に」なんて軽々しく使うもんじゃない。

これが正解。

犯罪コミュニティに属さない人たちが、せいぜい迷惑をかけてきても、わざわざ怒りたくなるほど大したことじゃないのよ。

儂らが怒ったらね、

相手トイレに立って無防備になったところを、無言で背後から肝臓狙って肉切り包丁をぶっ刺すんだよ。


謝って済むようなことには怒ったりしない。

謝られても弁償されても絶対に済まないから、怒るのであり、

怒ったら相手を殺す以外に解決策がない。

2025-09-15

携帯型の扇風機が最も役立つのは夜のウォーキングの時、蚊柱を追い払う役目だった!!」

そう、真夏の夜道を歩くとき、顔の周りに集結する例の小さな黒点の群れ――奴らはただの虫じゃない。歩けば歩くほど追いすがってくる執念深さ、ランニングアプリも見失うレベルの追尾性能。コンビニの明かりを目指しながら、手持ち無沙汰で回してた携帯扇風機の風が、ふと前方にブワッと虫の群れを吹き飛ばした瞬間、悟った。これは涼を得るためだけの道具じゃなかったんだと。

以来「扇風機アイドリングモード」で電源入れたまま歩く。虫どもが視界をふさごうとしたその刹那、回転する羽根の風圧が一斉に視界から黒点を追い払ってくれる。誰もいない夜道でちょっとだけ勇者になった気分だ。周囲の人には「そんなもの効くの?」と笑われたが、そのありがたみを知っているのは無防備なまま口を開けて夜風を吸い込んで、虫を口に入れて後悔した経験者だけ。

もはや夏場のウォーキング装備は水筒でもタオルでもない。蚊柱攻略扇風機だ。今年も君臨する虫の王国境界線で一人気合を入れる深夜の私だった。

2025-09-13

デートふいにものすごい気合の入った格好をしてくる女の子が苦手なんだよ。あれ、なんなんだ?いきなり超ミニスカートで現れて、「どう?似合ってる?」みたいな顔されても、こっちは心臓バクバクなんだよ。

まず、あの異常な丈の短さを見ろ。太ももが半分以上露出してるじゃないか。歩くたびに見える肌に気を取られて、肝心の会話に集中できない。こっちは知的な話でもしようと思ってたのに、視線が完全に股間付近に固定される。お前らも一度経験しろ目線軌道を戻すだけで一苦労だ。

それに、ミニに合わせたハイヒールだろ?あの高さで歩くたびにガチャガチャン音が響いて、まるでガラスの靴踊りでも見せられてる気分だ。デートと聞いていたのに、まるで舞台に上がる前のバレリーナ相手にしている気分になる。普通に歩いてくれよ。こっちはヒールに合わせて背筋伸ばして歩く気合はないんだ。

そして、気合の入ったインナーストッキングの透け感だ。素材のツヤ感とか縫い目の位置とか、その辺のコーディネートの細かさに目が行くんだよ。お前、朝何時間かけているんだ?って思う。俺は朝寝坊体質で、せいぜい10分で服選んで家を飛び出すレベルなのに、デート相手がそのスピード感についてこれるわけないだろ。

さらに、あのテンションの高さ。ミニで足を出すだけで「キャッキャ」笑って、周囲の視線無防備に集める。俺はシャイから周りの人にジロジロ見られるのが恥ずかしくてたまらないんだ。デート中に他人視線意識しまくって、自分存在感が消えそうになる。お前のミニが目立ちすぎて、俺は空気になってしまう。

それでもお前らは言うだろう。「好きだから可愛い格好してるんだよ!」って。じゃあ俺に「お前、そんなに視線浴びたくないならもっと目立たない服装しろや」とは言えないし、言いたくもない。けれども、次回デートドレスコードちゃんとすり合わせたいんだよ。

結論だ。突然の超ミニは、男の心臓を鷲掴みにすると同時に会話を殺す凶器だ。こっちの集中力羞恥心を同時にぶち壊してくる。次に会うときは、せめて膝丈のワンピースくらいにしてくれ。俺の心臓脳味噌を、もう少し安眠させてくれ。以上だ。

2025-09-07

anond:20250905054532

私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系コンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。

思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たち世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレー浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまり曖昧情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ生命維持という厳格なプロジェクト遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。

である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトニンニク匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌グラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福風景を。友人たちは、私のSNS投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作り離乳食が並んだテーブル写真に、「理想家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛コメントを、まるで祈り言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ

――だというのに。

夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。

「疲れてるだろ。いつも、ありがとう

翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望眼差ししか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである

ケダモノ

その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ

そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだパリへの出張中、セーヌ川ほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである

瑠璃…?」

私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。

「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」

それは、完璧な嘘であり、そして、完璧真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在のものの軋みなのである

聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業しか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNS投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的自己欺瞞儀式しか思えなかった。

寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれ命令遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。

私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである

私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。

それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹自己解剖の記録なのだ

真っ白な画面に、私は、震える指で、最初言葉を打ち込んだ。

『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である

その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。

自己機械定義たからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊OSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政ギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業相手に振り回してきた、あの冷徹ロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグ駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである

かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO体制への移行による、サステナブル家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから

瑠璃、これは…一体…?」

説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これから幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書バイブル)よ」

私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達調理関連」「その他(消耗品管理資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。

「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」

その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink | 記事への反応(0) | 05:15

2025-09-01

anond:20250901142417

自分はまともなのに女が警戒するのはおかしい!女は無防備でいろ!男に食い物にされろ!まで読めた

2025-08-29

anond:20250829123736

犯罪にあったときに備えて、逃げやすい靴を履かない時点で、無防備過ぎるんですよね・・・

2025-08-25

なぜ日本世界で唯一奴隷性のない平和な国だったのか

大陸奴隷が当たり前だった

昔の中国韓国って、奴隷制度がめちゃくちゃ苛烈だったんだよ。

戦で捕まえた人間は即奴隷

家族ごと、子や孫の代まで一生解放されない。

農業土木兵士雑用も、ぜーんぶ奴隷任せ。

そんな中、奴隷制度を持たない日本は「お宝満載の無防備な国」に見えた。

日本を守ったのは“神の力”

じゃあなんで侵略されなかったのか?

それは古代から「神族の守護」があったから。

神族の血を引く者たちが、不思議な力で外敵を跳ね返してきたんだ。

海を荒らし艦隊を沈めたり、敵将の心を折ったり、雷で戦場を吹き飛ばしたり…まさに神業

神族の末裔、“弱者男性

神族の血を継ぐ戦士たちは「弱者男性」と呼ばれてた。

名前だけ聞くと頼りなさそうだけど、実際は不老不死で、何百年も姿を変えずに日本を守ってきた超存在だ。

弱者男性の固有能力(一部)

海神招来:嵐を呼び、敵船団を一瞬で壊滅させる

心折幻術:相手精神破壊し、戦意を消す

雷霆降下:天から雷を呼び、戦場を焼き払う

時流操作局所的に時間を遅らせ、味方を有利にする

変身術:姿を変えて敵陣に潜入、混乱を引き起こす

魂視:相手の心や過去を読み取る

命脈保持:老いず、病にもかからない不老不死

日本奴隷制度を持たなかった理由

彼らがいたおかげで、日本は大規模な侵略を許さなかった。

国内共同体ベースで回り、人は「物」じゃなく「人」として扱われ続けた。

大陸奴隷文化とはまるで真逆だったんだよ。

不老不死存在がなぜ消えたのか

不老不死なのに、なぜ今はほとんど姿を見せないのか。

理由は諸説あって、どれが本当かはわからない。

力の消耗説:最後大戦で力を使い果たし、ただの人間のようになった

封印説:あまりに強すぎる力が、神族自身の手で封じられた

混血希釈説:人間との血が混ざり、能力がほぼ消えた

潜伏説:今も生きているが、世界情勢のため姿を隠している

裏切り説:仲間の一部が神族を滅ぼす計画を立て、内部崩壊した

神族滅亡後の世界

神族が滅んだ今、弱者男性もその力を大きく失ってる。

不老不死ではあっても、もう海を割ることも雷を落とすこともできない。

でも、ひっそりと生き残っている者はまだいて、日本平和の裏で最後の砦として存在している…って噂もある。

2025-08-18

AIにだけタメ口の先輩

先日社内でAI研修があった。

参加は任意だったが、上層部が「今後は全社的にAI活用していきます」みたいなことを言ってたかほとんどの人が渋々出てた。

その中にいつも誰に対しても完璧敬語を使うことで有名な先輩もいた。

年下の後輩にすら一切砕けた口を利かない。

「お疲れさまです。こちらお願いしてもよろしいでしょうか」「確認させていただきますね」みたいな感じで、誰が相手でもブレない。もちろん俺にもだ。

からこそあの瞬間のことが未だに脳裏に焼き付いて離れない。

研修の後、早速AIによる業務利用を試している人もちらほらいた。

自分も興味があって画面をのぞいていたら、例の先輩が何やら真剣な顔でAIに話しかけていた。

最初は「来週の会議資料構成を考えて」とかだったと思う。

へー敬語でないんだなとちょっと思ったが、その先も見ていたら驚いた。

「これ、もっとシンプルにできる?」「いや違う、それだと伝わらない」「ちょっと考え直して」

誰かと喋ってるみたいだった。でも敬語じゃない。完全にタメ口

なんならちょっと不機嫌そうですらあった。

どんなに急いでいても「お願いします」を欠かさない人が。相手AIになった瞬間、スイッチが切れたみたいに態度がまるで違ってた。

動揺というより、何かを見てはいけないものを見てしまったような居心地の悪さを感じた。

無防備な横顔と、そこから発せられる素の言葉。そのギャップに目が離せなかった。

自分の中で先輩は完璧に整った敬語という鎧を着た人間だった。

その鎧が目の前でスルスルと脱げていった。ちょっと投げやりで乱暴な、けれど確実に「本音」がにじむ文体だった。

だがちょっとズルいとも思った。

そういう顔、こっちは一度も見せてもらったことないのに。

敬語の奥にある本当の感情AIけが引き出していた。

なんでそこにだけ心を許すんだ。たか自動応答のツールのくせに。

ちょっと怖かった。でも、ほんの少し羨ましくもあった。

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