はてなキーワード: 節度とは
メルカリのオークション機能ってさ、ほんと油断したら終わりなんだよね。
私がずーーっと入札してて、あと少しで落札できるって思ってたの。
もう勝った気で余裕ぶっこいてたんだよ。
そしたら終了30秒前になって、急に横から知らんやつが入札してきてさ。
その瞬間、悔しくて涙が出た。
「え、今それやる?」って感じで、私が見守ってきた商品がスッと奪われた。
完全に油断してた私も悪いけどさ、こんな泥棒みたいな横入り文化が普通になってるのマジでヘルジャパンだろ。
しかも最近のメルカリって、妙な性的搾取っぽい空気とか創作物の影響で変な勘違いした価値観が平然と流れてるしさ。
ああいう世界観そのまま引きずった人らが増えてるせいなのか、現実でもネットでも節度なく振る舞うやつがいる。
で、そういうのに影響された弱者男性が「ちょっとくらいならいいだろ」みたいなノリでセクハラかましてくる流れもあるし、ほんと全部まとめて規制した方がいいんじゃない?って気持ちになるわ。
パンティーを被るという行為――羞恥・仮面・秩序転倒の文化社会学的考察
パンティーを頭に被る人物は、多くの社会において「悪ふざけ」「変態」として嘲笑の対象になる一方で、
マンガ・アニメ・コメディ・インターネットミームの反復的なモチーフにもなってきた。
一見して低俗にしか見えないこの行為は、しかしなぜこれほど強く人々の笑いや嫌悪、あるいは不安を喚起するのか。
その過剰な感情反応は、単なる嗜好の問題を超えて、近代社会における身体・羞恥・ジェンダー・権力といった構造的テーマを照らし出していると考えられる。
本稿の目的は、パンティーを被るという行為を「逸脱行動」や「性的倒錯」として切り捨てるのではなく、
という三つの観点から文化社会学的に分析し、その行為が現代社会の規範と矛盾をどのように露呈しているのかを論じることである。
第一に着目すべきは、対象が「パンティー」であるという点である。
しかし社会的には、身体のうち「隠すべき部分」を覆うことで、性的な領域と公共的な領域を峻別する境界線として働いている。
とりわけパンティーは、しばしば女性の身体性・性的魅力・純潔観念と結びつけられ、強い象徴性を帯びている。
文化人類学者メアリー・ダグラスは、「汚れ」を「あるべき場所から外れた物質(matter out of place)」と定義した。
下着は本来、身体の奥まった場所で皮膚に密着し、「見えないこと」自体が期待されるモノである。
それを頭部という最も視線の集まる位置に、しかも外から見える形で持ち出すことは、
「隠すべきもの」を意図的に「あるべき場所から外す」行為であり、ダグラス的な意味での「汚れ」を自ら演出することに他ならない。
人々が感じるのは「汚い」というよりもむしろ「恥ずかしい」「みっともない」という感情であり、
それは身体に付随する性的な領域が、モノを媒介して公共空間に溢れだしたことへの反応である。
パンティーを被るという行為は、自己の身体そのものを露出しているわけではないにもかかわらず、
下着の象徴性によって「性的なもの」が表面化したかのような錯覚を生み出す。
そのギャップこそが、笑いと嫌悪が混じり合う独特の印象をもたらしている。
第二に、「被る」という行為が意味する仮面性を検討する必要がある。
顔は、社会学者エルヴィング・ゴフマンが述べたように、対面相互行為の舞台において自己を提示する中核的なメディアである。
目・口・表情を通じて、人は自己の人格・感情・意図を他者に伝える。
そこに被り物をかぶせることは、自己呈示のチャンネルを意図的に撹乱し、
「いつもの自分」とは異なる人物への一時的な変身を可能にする。
仮面はしばしば、道徳的・法的な責任性を希釈し、人に「普段ならしない行動」を許す。
覆面をした抗議者やハロウィンのコスプレ参加者が、日常では抑制されている言動に踏み込めるのも同じメカニズムである。
パンティーという「ふざけた素材」を用いた仮面は、暴力性よりも滑稽さを強調しつつも、
顔を覆うことで〈誰であるか〉を曖昧にし、同時に〈何者にも属さない、ルール外の存在〉であることを宣言している。
重要なのは、ここで用いられる下着が多くの場合「女性用」として理解されている点である。
男性が女性用パンティーを被る場合、それはジェンダー境界を視覚的に撹乱する効果を持つ。
性的同一性や男性性の「まともさ」を象徴する顔の上に、女性性の象徴物を被せることで、従来的なジェンダー秩序は一時的に解体される。
この解体が、笑いとして消費されるのか、あるいは違和や嫌悪として反発を招くのかは、
社会がその時点で受け入れうるジェンダー規範の幅を測る指標ともなりうる。
第三に、この行為はしばしば「笑い」と結びついて登場する。
ミハイル・バフチンが論じたように、カーニバル的な笑いは、既存の秩序・権威・聖性を一時的に転倒させる力を持つ。
王と道化が入れ替わり、崇高なものが下卑たものに、清浄なものが汚穢に置き換えられることで、人々は日常のヒエラルキーから解放される。
パンティーを被る人物は、多くの場合「くだらない大人」「オトナなのに子どもじみたことをする存在」として描かれる。
そこでは、理性的で成熟した市民として振る舞うことが期待される大人が、もっとも幼稚で性的規範に反する身振りを自ら演じてみせる。
これはまさに、近代的主体の理性と節度という自己イメージを、身体と笑いのレベルで裏切る行為であり、バフチン的な意味での秩序転倒である。
パンティーは、ファッションやポルノグラフィー産業を通じて商品化された「性的魅力」のパッケージでもある。
その商品を「本来の用途」から外し、頭に被るという過剰にズレた使用法は、
シチュアシオニストたちの言う「デトournement(転用)」にも似て、商品に埋め込まれた意味構造をずらし、
消費社会が約束する「ロマンティックで洗練された性」のイメージを滑稽なものとして暴露する。
多くの場合、当事者は「面白いから」「ウケるから」という動機で行為に及ぶ。
しかし、当人の意図とは無関係に、行為そのものが既存の秩序を揺さぶり、
笑いを通じた不安定化をもたらしている点に、カーニバル的な力があるといえる。
ここまで、パンティーを被る行為を文化的・象徴的なレベルで肯定的に読み解いてきた。
しかし同時に、この行為にはジェンダーと暴力の問題が潜在していることも看過できない。
たとえば、所有者の同意なく女性の下着を盗み、それを被って笑いのネタにするような事例は、明らかに性的暴力であり、先の分析とは質的に異なる。
そこでは、女性の身体性がモノに還元され、男性の自己演出の道具として一方的に利用されているからである。
「誰のパンティーか」「どう入手されたのか」「誰の前で行われるのか」「誰が笑う権利を持つのか」といった文脈と切り離しては成立しない。
他者の所有物を奪ってネタにすることとの間には、倫理的に越えがたい差がある。
この意味で、パンティーを被る行為を安易に「自由な表現」「笑いだから許される」として擁護することはできない。
一方で、倫理的に許容可能な範囲で行われるこの行為が、規範の硬直性をほぐし、身体と羞恥をめぐる議論を促す契機となりうることも事実である。
その両義性を見極めることが、現代社会のジェンダー感覚と表現の自由の両立を考える上で重要になる。
パンティーを被るという行為は、表面的には「低俗なギャグ」「一部の嗜好」に過ぎないように見える。
しかし本稿で見てきたように、
として理解することができる。
つまり、パンティーを被る行為は、身体と羞恥を厳格に管理しようとする近代社会の規範に対して、
「本当にそれが唯一の生き方なのか」と問いを突きつける小さな反乱なのである。
もちろん、その反乱が倫理的に許容されるためには、所有や同意、ジェンダー権力といった条件を精密に考慮しなければならない。
しかし、その条件さえ満たされるならば、「くだらない」と切り捨てられてきた行為の背後に、
規範の相対性を示す批評的なポテンシャルを見出すことが可能である。
だが、その笑いが何に支えられ、何を脅かし、何を許さないのかを問うとき、
それもそっかあ
アジャイル開発であってアジャイルディベロップメントじゃないしなあ
dorawiiより
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教員が権利を勝ち取った話を書いて約1年。ふとこの記事のはてなブックマークをみると、こんなコメントがあった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4760869331639768992/comment/htnmiki
反応としては記事最後にあるように隣の先生が「まったく…」的な態度を取ったくらいで、職員室崩壊にはなっていない。
いきなりすみません、「ま~た甘々なゆとり・Z世代が何か言ってる」と思うかもしれませんが、少し愚痴らせてください。
前記事の通り、ただですら荒れているのになぜか委託研究をしている上に行事が多数ある学校だったことに加え、
こちらの状況や意向の聴取なく、経験のない運動部の顧問(一応主顧問は別にいたが)を当てられた。
生徒が度々やらかすので、次の授業まで時間がないのに臨時の全校・学年集会・下校指導が開かれることがしばしばあった。
担任でなくても給食指導に当たる必要があった。朝の会の最中や授業のないコマも見回りをする必要があった。
翌年からはチーム担任制(学級担任を固定せず全教員がローテーションで担任業務を行う)となったらしい。
臨時教員は難しい仕事を任せないのが一般的だが、なぜか正規教員と同じことを求めていた。
他都道府県や高校では臨時教員は年次目標作成や面談、研究授業、担任がなかったり一部が省略されるが、ここでは正規教員と同じことをさせられる。
(やむを得ない)遅刻や病気にもかなり厳しい。
電車の遅延の場合でも、教務主任と管理職それぞれに直接厳しい叱責を受ける必要があった。病気休暇は書類があれば問題ないが、なぜか管理職は取得を嫌がる。
「勤務時間の割り振り」(前記事参照)の取得も自由ではない。
教務主任も「割り振りを使える日が指定されている学校もあるよ」という。有給休暇を連続して取得すると、「こういう時はいろんな先生に謝っとけ」と言われる。
どこにも明記されていないのに服装を厳しく指摘(オフィスカジュアルもNGという)されたり、休憩時間中ですらスマホや職員室を離れることを禁止される。
複数回やることになる謎の職員トイレ掃除。
プリントで生徒に分かりやすい図を見せようとコピー機を使うと、校長「インク代が高いからやめろ」。
毎朝の朝礼で、校長が「校長室通信」と称して、教員の指導力や勤務態度などを批判する文章を配っていた。
自身による批判もあれば、どこかから引用したものもあった。しまいには「教員の魅力を伝えて採用試験の受験者数を増やそう」。無理。
極めつけは、(給与や休日振替もないにもかかわらず)始業30分前や土曜日の出勤を強制されそうになったこと、当たり前のように時間外に会議や研修があること。
部活動指導など。隣の先生すら「休日に無給で出ろ」と言う始末(何とか回避したが)。外部指導員制度はあるが、管理職が導入に消極的。
性格きつめのA先生
着任当初から怒鳴りつけられた。このほか、授業を見ては「生徒に迷惑だ」と言うなど。管理職を味方につけるため面倒。
意見を聞いておきながら、「まぁ違いますけどね」「通らないと思うけど成長と思ってください」と。何のために聞いたんだ。
校長と教頭及び教務主任
同じく厳しい。全員私と同じ教科だからか、目につきやすいのか。教員が病気休暇を取ることをやたらと嫌がる。教務主任はやる気がありすぎてうざい。
こだわりの強いB先生
仕切りたがり屋。鍋奉行の学級学年運営版。個人でやる分には構わないが、こちらを巻き込んでくるので厄介。学年会議の話を長くして帰りを遅くする要因。
隣の机のC先生
やはりこだわりが強い。人間関係を強要してくる(教員間の人間関係が生徒に響くからだとか)。飲み会の欠席を伝えると何度も確認してきた。
勤務環境とは無関係だが、次のような要素も大変になった理由かもしれない。いずれも今年は解決しているが。
その前の年に母親(同じ県の高校で教員をしていた)が脳神経系の疾患により救急搬送され、当時療養中だった。
奨学金の返済が残っていた。年度当初で約70万円。月の返済額は8千円だが万が一に備え毎月8万円を返済用口座に入金していた。
学部(2種・240万円)は前年度末に繰上返済を済ませていた。大学院(1種・計120万円)の分も12月で返済残額に到達した。その後繰上返済により今年9月に返済終了。
かなり気温が高い(10月末までかなり暑かった)年で、体調に悪影響があった。
荒れている学校なので生徒が授業中騒ぎまわるのは当たり前だが、放課後に何かやらかして近所から苦情が来ることもしばしばあった。
文字通り、学年の複数の生徒(やはり授業中態度の悪い主犯格)がピンポンダッシュをしたというもの。
犯人を特定し、怖い先生複数人で指導していたところ、そのうちの1人が暴れ出した。服薬しないと暴れる生徒だったが、試験的に服薬を止めていた矢先のこと。
保護者を呼びつけ毎日の服薬を確約させたが、その後も本人がその通り服用しているか怪しい。
私の担当学年の生徒ではないが、市内複数校の暴走族グループに入っている生徒がいたらしい。
体育祭に集団で来ると噂があり、全校で対応することになった。私は危険を感じ、家族の病気を理由にして年次有給休暇を取得した。
2年以上は生徒本人の行動や人間関係を理解して担任やクラス編成を決められる(ヤバい生徒を分散できる)のだが、1年(当時の担当学年)はそうもいかない。
一応小学校から申し送りは来るが伝聞証拠に過ぎず、ヤバい生徒(しばしば保護者もヤバい)が偏ってしまうことがある。
本年度の1年は特にヤバいといわれていたが、その中でもヤバい生徒(上記の暴れる生徒もここ)が集まったうえ優しい女性のD先生(同い年)が担任になってしまった。
ついにメンタルがやられ休職。担当授業を自習としていたがそれも限界になり、教務主任(該当教科の免許未取得)が授業をすることに。
代替要員が見つからないので、臨時免許(無資格者を宛がうための免許)を持たせて採用しその場をしのいだ。担任は学年主任(再任用最終年度)が引き継いだ。
最終的にその先生は復帰するが、他の女性教員と支援員さん複数人で対応しても生徒が教室を走り回るありさま。こちらが怒鳴りつけて少しは落ち着いたが。
とはいえ結論から話すと、居づらくなったりといったことは特に起きなかった。強いていうなら、私の病気休暇申請書が消えていたところだが。隠されたのかな?
また、管理職から残業命令はできないので、同僚からメモや口頭で「仕事があるから帰るなよ」と言われる程度(無視したが)。結局なんだかんだで
と配慮してもらえた。
嫌な顔をしているのは先述のA先生と校長くらいだが、特にダメージはなし。A先生はこちらが挨拶しても無視という態度だが、特に問題はない。
(挨拶無視はマウントの一種らしいが、同世代で出世争いをしているならともかく、年の離れた私にマウントを取る意味はないのだが…)
「君の教職に対するモチベーションはその程度なんだね。もう君には何も言わないから」
→言われるうちが華とかいうけど放置してくれると個人的にはありがたい。
「もう30歳でしょ、将来どうするか決めないと中途半端になるよ」
転職の決め手になったのは、次年度のクラス編成会議。あろうことか、次年度の担任をさせられそうになった。
もう耐えられないと思い、「それなら退職していいっすか」と言ったが流された。管理職に伝えてみても「君責任感はないの?」と。退職勧奨してたじゃないっすか。
仕方ないので退職代行に頼ることにした。公務員の依頼は多くの業者が引き受けないというので、同じ県に事務所をもつ弁護士に頼ることにした。
終業後、事務所に赴き現状を話した。ところが、有給休暇の残り日数の都合で即日退職はできず、連絡もこちらの在校時間中になるとのこと。
だが背に腹は代えられない。そのまま依頼し、後日実行してもらったところ、あっさり受理された。なんだそれ。
それからは特に他の先生から何かされることはなかったが、C先生と喧嘩することになった。
「3年生を送る会」の準備が原因だった。研究委託校ということもありICTを活用しようということで、生徒に出し物のアンケートフォームを作ることになった。
多数あるものから第3希望まで選ぶもののため、第4希望以降の回答は必要ないが、C先生は「ポチポチするのは面白いだろうからそれも入れて。今日中に作って」と。
作ったものの、結局それは忘れ去られ。次々と要領を得ない指示を出され。そしてある日の朝礼後、突然、
C先生「出し物の準備どこまでできた?」
C先生「作ってほしいのはこんなんじゃない。もっといいものを作ってよ」
私「(よくわからないな)それならもっと早く具体的に言ってくださいよ」
C先生「そんな言い方ないでしょ!!」
教頭「お前ら何してんだよ!!落ち着いてください!!」
この場は引き離される形で収束。昼過ぎに教頭に呼ばれた。また怒られるんだろうなと思ったら、
教頭「いろいろ嫌な思いしたと思うけど、あと少しだから。ほんの少しでも居心地が変わるからC先生に謝って仲直りしたら?」
やたらと威圧感のある教頭が優しくなって不気味だった。学年の先生も手のひらの返しようである。
授業もすべて終わり、いよいよ修了式。私は退職するので、離任挨拶をすることに。
全文は忘れたが、この学校であった嫌だったことや管理職から受けた叱責のことを話した気がする。校長の顔がみるみる曇っていく。
悪い空気感を察したのか、他学年の先生に「時間で~す!!」と止められた。そういえばこの先生、研修会で私が講師に悩みを相談したとき割って止めてきたような。
最後に「校長室通信」を持ってきて全職員と校長の目の前で破き、校長に投げつけた。
学年主任は(なぜか笑顔で)「後で謝っときなさい」と。その後E先生に個室に呼ばれる。離任挨拶(という名の学校批判)の原稿全見て
E先生「どこも一緒だと思うよ、他の仕事探したら?どうしても教員になりたい理由はあるの?」
私「免許職なので再就職がしやすいですし、そこそこの給料が得られるからです」
私「嫌です」
職員室に戻ると、校長が一人でさっきの紙くずの掃除をしていた。
残りの有給休暇が少なかったこともあり、修了式から数日は出勤する必要があった。
C先生には「今までお世話になったんだから下駄箱とかロッカーも掃除しなよ」といわれたが、無視した。
私の後任を探そうにも、現職・新採用どちらも本採用教員が確保できず。担当は別でも該当教科の免許をもつ教員も充当できなかったようだ。
同じ教科の普通免許保持者に絞ると、臨時教員も見つからず、臨時教員として採用された新卒者に臨時免許を持たせ、2教科の担当にして回すことになったらしい。
事務手続き上仕方ないのだが、この学校は事務の催促がうるさいことも特徴だ。
まず、保険証について。普通は最終出勤日後も退職日までは使え、「年度が替わってから郵送してくれればいいですよ」と料金後納郵便の封筒を渡してくれる。
が、本校は「まだ到着していないがいつ返すんだ」という催促が毎日。最終出勤日後も毎日電話がきた。
この件以外にも、「離任式と送別会に出るか、早く回答しろ」というのが退職日を過ぎてからも毎日かかってきた。疲れてるんですから節度を持ってくださいよ…。
離任式。私以外にも他の臨時教員全員、校長(当日欠席)、教務主任、学年主任、特別支援学級担任、D先生などが一緒に離任する。
生徒や職員の前で離任の訓話をするのだが、皮肉を混ぜてみた。大体こんな感じ。
君らは草野球選手。大谷翔平じゃない。努力しても大概うまくいかない。だったら自分が得意なことに力を注げ。
(注:草野球と大谷翔平の例えはこちらのnoteを参考にしました)
権利は最大限主張しろ。私も「残業代出せや」って教務主任にキレたことがあるし。
いじめはどこでもある。私だってA先生に怒鳴られたことがあるし。
なぜか訓話の途中でマイクの電源が切れたが、声量があったので後ろの生徒にも問題なく聞こえたはず。
離任式が終わり、控室に戻る。その時、担当していた部活の主顧問(口調や表情はやさしいがオーラが怖い。おそらく新年度の学年主任か)に呼ばれ
「このあと学年のお別れ会があるけど、さっきの感じなら正直言って参加させられないね。きちんとした態度でいれるなら参加してもいいけど、どうする?」
A先生はその性格からして「何言ってんだこいつ」とスルーしたはず。なぜ問題視するんだろう。私を叱責しろとでも管理職に訴えてプチ騒ぎになったのかな?
成り行きで学年のお別れ会にも参加。変わったことはA先生がいなかったくらいで、つつがなく終了。
生徒は「A先生にいじめられたんですか!?」と興味津々だったが、適当にあしらって帰宅。
余りに疲れたので、休養に入った。沖縄の離島めぐりやデレマス・シャニマスライブに行くなどリフレッシュ。
とはいえ、このままニートを続けると貯金が尽きるので、職探し。他の都道府県の公立学校教員募集を当たってみると、いろんなところからお誘いが。
1つ目は中学校。私は中高2教科で教員免許を持っているものの経験のない教科でのオファーだった。お誘いがあったのでとりあえず面談へ。
だが、遠方の学校で非常勤のうえ、担当コマの希望は通らないという。前任校以上に荒れており「面談した日も生徒がトイレを破壊した」とのことで、辞退した。
2つ目は進学に力を入れている高等学校。こちらは両教科で常勤教員の募集があったので、経験教科で応募した。
その日中に電話が来て、翌日面談に。「未経験教科の方が不足しているので、そちらの担当になっていただけませんか」とのことで、承諾。
前年ひどい目に遭ったので、「時間外在校はできません」と強く伝えると「大丈夫です、もうそういう時代じゃないですから」と。
学年団に入らず(つまり担任ではない)、年次目標の作成や面談も必要ない。部活も指導員がいるためほとんど関わらなくてよい。
職員エリア含めた学校の半分くらいは清掃は業者がやってくれ、清掃指導も週2回だけでよくなった。
着任後も何件もオファーの電話が来た。ここまでやらかしたのに、なぜか前任校のある都道府県からも。
ふと前任校のことが少し気になってホームページをのぞいてみると、学校だよりに地域住民へのお詫びと訓話が書かれていた。今度は何をやらかしたんだろうか。
元々中高2教科で免許を持っていたが、万が一のため免許は多めにとっておこうと考え一昨年から通信制大学に入り3教科目の取得に動いていた。
また、昨年度から当時の担当教科で1種免許を専修免許にアップグレードするため働きながら大学院に入りなおしていた。
そして今年9月末、これらの単位取得が完了した。免許申請に必要な「人物に関する証明書」も現任校が作成を快諾してくれた。
今は4教科目の1種免許取得を進めており、そのあとは残りの教科も専修免許にアップグレードしようと考えている。
加えて、確定拠出型年金の申し込みを行い、月の積み立て最大金額で投資するほか、米国株などにも投資している。将来働かなくて済むよう計画を練る。
あと、やっぱりまだ嫌な思いは消えないから、在職中受けたことを内容証明で教育委員会教育長とかその自治体の長にでも送ろうかな。
暴言や中傷は、放った本人には些細な冗談のようでも、受け取る側には深い傷を残します。タルムードでは、他人を恥ずかしめることは「血を流すこと」と同等の罪とさえ語られます(Bava Metzia 58b)。
言葉で人の顔色が変わる、それはまるで血の気が引くようだからです。
暴言が飛び交う場では、反論したくなるのが人の性ですが、タルムード的には沈黙がしばしば最も強い答えとされます。沈黙は敗北ではなく、魂を守る智慧です。
3. 「争いを平らげる者」になる。
タナハの言葉にあるように、
「柔らかな答えは憤りを鎮める。」(箴言15:1)
飼える住環境だったり、適性がある人のところに猫が送り込まれてくるとかいう都市伝説、NNN。信じていない。猫のことをやれ構成員とか諜報員、エージェントって呼んだり、ニンゲンは常に見られているとか、こんなのぎりぎり陰謀論じゃない?
少し前に生後4ヶ月いかないくらいの子猫を拾った。(拾ったていうか、通勤で何回か見かけていた子猫を餌やり好きな近所の人が捕獲して、通りすがった自分のところに回ってきた…という流れだから正確には少し違うんだけど)
たまたま、自分の住んでいるワンルーム賃貸はペット可で、猫じゃらしやら洗いたてのシステムトイレやら、成猫用ではあるけどフードやおやつもある。そこで今は3段ケージで家猫修行中のキジトラが自分の一挙一動を監視している。しかもきょうだい2匹。
猫がいない生活って思いつきで旅行に行けるし、早起きも強制されないし、残業もやり放題で、ここら辺で少し稼いで貯めつつ適度に楽しく使って…なんて穏やかなものだった。2ヶ月弱しか続かなかったけど。
四十九日を過ぎたばかりで新しい、しかも若い猫を連れ込むなんて、君は呆れるだろうか。光源氏でももう少し節度があったんじゃないか?先代って呼ぶにはまだ距離が近過ぎて、冗談に包んだ「〇〇大明神」とか「〇〇大権現」なんて言わないと次のことばが出なくなる。ここ五十幾日は人生迷走していて、家賃を払った記憶が丸ごと抜けていて焦ったり、冷凍庫に記憶に無いパンが入っていたり、挙句の果てには航空券のチケットの姓名を逆で予約したりしていたよ。ここで幼猫2匹抱えてもう一回地に足を着けて生きていけって言われているみたい。この滅茶苦茶が避妊去勢の準備とか、ばりばりのカーペットとか、カーテンは登らないで!に変わるんだろうか。
最近まで一緒に暮らしていたのは、こっちは正真正銘自分で拾った猫で、ずいぶん賢くてニンゲンの言葉を理解し、小さな顔に長い手足としっぽが際立った綺麗な白黒だった。
それが某区猫スラングを使い、寝るとか食べるとかの生活動作以外は「うなる」コマンドで済まそうとする、区中の縞猫を集めたら見分けがつかなそうな柄×2だ。可愛い顔をしてはいると思うけど、保護猫の譲渡会に行くことがあったとしたら、きっと選ばなかった2匹だろうから、何があるかわからない。
こんな調子で本当に「NNN」なる組織があるというなら、一生であと何匹の猫に捕まるんだろう。今回と前回はただ偶然の、星5を連続で引いた事象であり再現困難であって欲しい。思えば自分の親も猫を複数回拾った人だった。末代まで祟るって、もしかして子々孫々纏わりつき倒すって意味だったんだろうか。
そろそろ家を買うのもありだななんて思って不動産探しをしていたところだから、複数飼育可の細則で、猫用ドアの設置も検討する必要が出てきた。嘘みたいなタイミング。こうして人は陰謀論者になるのかも。
元気かどうかは日によるけど、後輩どもを何とか立派な家猫にしてやるから、見守っていてくれよ。万が一の次の話だけど、君の生まれ変わり以外を送り込むのは、どうかご海容ください。
建久六年九月二十三日、晴。都の東、秋葉と称する地に、かつて群集せし者どもの事。かれら、若き日に「我こそは世の主役たらん」と声を揃へ、電脳の祭壇に集ひ、奇異なる装ひにて舞を舞ひ、「麻生を讃へん」「オタクは麗し」と叫び、虚飾と欲に心奪はれし者なり。街路には色鮮やかなる絵巻の幟立ち並び、怪しき音曲響き合い、かれらは夢幻の世に醉ふが如く、夜を徹して彷徨ひけり。
されど、年月無情にも流れ、四十路に及び、髪は薄れ、かつての志は色褪せ、心は虚し。秋葉の地にて、かれら、紙に描かれし美姫を求め、電脳の網に縋り、名声と女人の歓心を欲せしが、何一つの技も身につけず、ただ見栄と欲に溺れしのみ。或る者は、情報工学の道に踏み入りしが、心底志なく、ただ金銭と誉れを追い求め、知識は錆びつき、口にするは虚しき自慢話。「我、塔の館に住む」「財を成せり」と語るも、里人は顧みず、嘲笑を浴す。
同日、秋葉の街路にて、かつての祭りの残響を追い、色褪せし者ども、なおも怪しき絵巻の前に佇み、過ぎし日の栄光を求めんとす。されど、若き女たちはかれを見て恐怖を抱き、遠ざかる。里人、かれらを評して曰く、「斯様な者は社会の塵にすぎず、秋葉の祭壇に迷ひし亡魂のごとし」と。かつて高らかに「我は凡夫にあらず」と叫びし者、今や巷の嘲笑の種となり、電脳の闇に怨嗟を吐き、世を呪うのみ。
斯の如く、秋葉の地に集ひし者ども、欲に溺れ、己を省みざるが故に、終に世の底に沈む。されど、里人、かれらをただ嘲るのみならず、憐れみの心も持つ。忠義と節度を重んじ、志を磨くべし、と語り合ふ。されば、秋葉の祭りは、人の心の盛衰を映す鏡なり、とぞ。
『ぼざろ』『虎に翼』の脚本家 吉田恵里香が語る、アニメと表現の“加害性”
https://kai-you.net/article/93374
https://x.com/MIKITO_777/status/1967529258131374508
・吉田恵里香さんから特に強い抵抗感を示すものとして言及されたのは「キャラが性的に消費されること」だ
・公式側が『さぁ搾取してください!』と言わんばかりにばら撒くのは抵抗があるんです
・アニメの表現だからってなんでもありじゃない。“絵だけど、未成年だぞ”って考え方は大事にしています
・水風呂に入るシーンで裸になっているんですが、アニメでは水着にしてもらいました
・そういう描写が売りの作品ならいいと思いますが、そうではないと思いますし、覇権を狙う上ではそうした描写はノイズになると思ったんです
・「現実ではそんな会話しない」
・“女の子たちが互いの胸の大きさについて言及し合う描写”など
・制作の段階からこれなら覇権が取れるって思える作品なのに、そうしたノイズがあると多くの人に見てもらえなくなってしまいます
・ギターを弾きながら胸が不自然に揺れ続けるみたいなことはない
・そういう描写があったら私は幼い息子にその作品を見せるのを躊躇する
・自分の子どもに見せられるかどうか、というのは大事にしている
・作品ごとの必然性や適切な表現にこだわるのは、アニメに対する危機感にも似た特別な思いがあるから
・1%の過激な人が何かをしてしまうことで、アニメ文化が途絶える恐怖を感じている
・過激な作品やR18まで振り切ったものがあってもいいですし、やると決めれば私も思いっきりそうした作品に関わることもある
・主人公の体型(スタイルが良い)設定がカット(または表現してないだけ説もある)
・↑と併せて、バンド仲間が「主人公のスタイルが良い」と気づくシーンをカット
(他にもあるかも)
批判側の論拠
3. 原作改変の理由が、性的搾取、暴力性、加害性といった考えであったこと(脚本家がフェミニストであったことも影響)
4. 原作改変の理由が、「自分の子どもに見せられない(4歳)」であったこと(息子に思想教育していたことも影響)
5. 原作改変の理由に、「覇権を取るため」という表現したこと、転じて「改変したから覇権取れたと思ってるのか?」という批判
擁護側の論拠も含めて、一つずつ整理する
擁護側の反論:「それを売りにしている作品でない」からカットで妥当
批判側の意見:原作者が本音で話してるとは限らないというのをセクシー田中さんで学ばなかったのか?
批判側の意見:「女の子たちが互いの胸の大きさについて言及し合う描写」などない
批判側の意見:原作でも「ギターを弾きながら胸が不自然に揺れ続ける」みたいなことはない
批判側の意見:「現実ではそんな会話しない」は原作否定、上から目線に見える
批判側の意見:「幼い息子にその作品を見せるのを躊躇する」に対し、幼い息子は本作品のターゲットではない
批判側の意見:「やると決めれば私も思いっきりそうした作品に関わることもある」に対し、きらら系を誤解している、私物化との意見
批判側の意見:Tiger&Bunnyでは男性を露出させている、ダブスタだ
擁護側の意見:ぼざろは成功したんだから、脚本家の功績もあったのは間違いない
批判側の反論:ぼざろがウケたのは脚本以外の部分だ、手柄を横取りするな
吉田氏の過去の経歴から、強いフェミニスト思想があることがわかっています
批判側の意見:性的搾取(搾取)という言葉は国際的に定義されていて、そういう意味ではないので安易に使わないでほしい(性的な目的のために相手の脆弱性、権力格差、または信頼関係を濫用する行為、あるいはそれらの試み)
批判側の意見:原作は性搾取してるっていうこと?読者は性加害者っていうこと?
批判側の意見:ぼざろはそもそも4歳男児が見るようなものではない
批判側の意見:その改変があったから成功したと思っているのか?
https://x.com/ondarion/status/1967783597097750981
https://x.com/kafunsyokougun/status/1967781017974157366
→ 私は詳しくないので割愛
→ 私は詳しくないので割愛
個人的にはフリーレンの方がより老若男女+世界中で見られていると思います
総合すると、これらの判断はともかく言い出しっぺは吉田氏だったのだろうと推察されます
・「覇権のため」について
→ 制作陣が覇権を目指していたというのは聞いたことがないんですよね
良いもの作ろうとした結果つらい現場になったという話はあった(【緊急】「ぼっち・ざ・らじお!」【特別編】)
あとの話を見るに、吉田氏の野心から来ていたものと推察されます
「覇権のための改変」というコンセンサスは無かったんじゃないでしょうか?
→ 主人公の胸がナーフされたあと、Twitterに露出の高い主人公の絵を投稿した件について言及してる人が居ますね
個人的には原作読者をなだめるとかそういう意図だと思いましたが
→ ぼざろ2期決定Tweet=37万いいね に対して、「ノイズは一線を超えている」Tweet=11万いいね
なので1%ではないかと
その他、頓珍漢な意見は除く
とりあえず2期はスタッフガラッと変わるらしいし、適材適所ってことでいいんじゃないでしょうか?
今回、Xを見て思ったんですが、はてなよりXの方がマシですね、いつもは逆なんですが何でだろ?
さて、昨今、職業作家の方々によるSNS等インターネット上での発信が、予期せぬ炎上やトラブルに発展する事例が相次いでおり、業界内でも深刻な問題として取り上げられております。弊社といたしましても、この状況を重く受け止めております。
SNS等を通じた情報発信は、作家様ご自身の表現活動の一環であり、原則としてご本人の責任において自由に行われるべきものであると考えております。しかしながら、その影響力の大きさゆえに、些細な投稿が思わぬ波紋を呼ぶ可能性がある点について、今一度ご認識いただきたく存じます。
つきましては、特に以下の3点につきまして、一般的に問題視される傾向がございますため、慎重にご対応くださいますようお願い申し上げます。
・読者からの感想・レビューに対する、個人的判断による通報や削除要請
上記のような行為につきましては、読者や関係各所に誤解や不安を与え、結果として作家様ご自身や弊社の信頼に影響を及ぼす可能性がございます。
また、これらに該当する行為が継続的に行われ、弊社からのご指摘にもかかわらず改善が見られない場合には、誠に遺憾ながら、事前の予告なく出版契約を解除させていただく場合がございます。何卒ご了承ください。
なお、上記に限らず、SNS等でのご発信にあたっては、法令および社会的倫理を意識した節度あるご対応を、今後ともお願い申し上げます。
https://anond.hatelabo.jp/20250731222125
穢れやスティグマ思想が嫌いって、言わんとしてることは分かるし個人的な思想は良いと思いますよ。
でも、おまえは自分が何の商売をしてて、どういう売り物を扱ってるのか、理解が浅いんじゃないか?
私も都内のブライダルの現場で、制作関連の仕事をしてます。主に映像や写真といったクリエイティブ関連を取り扱ってます。
たとえば式で流すムービーを制作するため、新郎新婦の思い出の場所でカメラを回してきたり、インタビューを撮ったり。
新郎新婦の要望から前撮り後取り等ウエディングフォトを撮影するプランを立てて実行したり。
特殊なケースだと配布するオリジナルグッズを手がけたり。式場で扱う音楽や映像の権利関係の申請や交渉なんかもする事がある。
この増田は実に高潔な装いでスティグマだの職業差別だのと理屈をこねてるが、個人の意見ならともかく、ブライダルの現場にいるプロとしての意見ならば看過しがたい。
私たちは家電やスマホみたいなスペックを売ってるのではなく、“幸福のイメージ・象徴” を作り上げるのであって、イメージやブランドが損なったり変わったら商売にならんのですよ。
そういう意味では、三上悠亜および貸衣装屋の投稿は、ブランドというかトンマナを変えるインパクトがあるものだ。
あれはラーメン注文して寿司が出てくるレベルでおかしい。お客様が求めてるブランドを一貫させるのが、プロとしての誠意でしょう。
そもそも、こと恋愛や結婚において、すべての人は差別的である。
身長がXcm以上じゃないといやだ、家事ができる人じゃないといやだ、部屋がきたない人はいやだ、大学を出ていないといやだ、処女/童貞じゃないといやだ、精神疾患をかかえてるひとはいやだ、育った土地が近くじゃないといやだ、年収がX以上じゃないといやだ、借金があるひとはいやだ、、、etc.
あらゆる条件でふるいにかけられた結果、人と人は添い遂げることが成り立つ。
その集大成というか、人生の区切りとして、結婚式という一大イベントがあるわけ。
新郎新婦が考える「いやだ」を極力排除して、幸福のイメージを作り上げた先に、式の成約がある。これから先、何十年と生きる人生の節目として作り上げた結婚式の思い出に、「いやなこと」が入り込む隙があらば、破談となる。
「元AV女優が着た衣装と同じものはいやだ」と言われたら、それまでなのよ。
そこで衣装屋が「契約違反です、キャンセル料払ってください」って言う事もできただろうが、そもそもそんな事をしたらそれこそブランドが終わる。
……と思うが、三上悠亜のファンが衣装を借りる可能性もあるので、経営的な意味では天秤かなとは思います。ただブランドの方向性は変えてプロデュースする必要がある。
なお私はトラブルを起こした貸衣装屋については「プロ意識が足りないな」とは思うけれど、ああいう投稿をするという方針自体は理解できます。認知度ほしいもんね。
ただし既存のお客様との住み分けを考えてデザインする必要があるでしょうね。
そもそも恋愛と結婚は、あらゆる差別を内包している。だから差別だのスティグマだのどうこう言っても、前提が「あらゆる人を差別して選んだ特定のパートナーに生涯を誓う」って時点で、もうね、最初からゴリゴリの選別の上に成り立ってるですよ。
まぁ、はてなの人たちは男性が多いのか、「職業差別は良くない」みたいな事書いてるけれど、はっきり言って机上の空論も甚だしい。だが、素人なのでしゃーないかなとは思う。
どうかあなたは分け隔てなく、あらゆる人と接してください。
だがプロのブライダルの営業名乗るやつがスティグマだの何だの言うのは欺瞞でしかないですね。
百歩譲って同意しうるのは「このような発言をXに書き込むのがいけない」「黙ってキャンセルすべき」って意見は、まぁ節度ある社会人として分かる話ではある。
ただその発言に対する批判を甘んじて受け入れる覚悟で、投稿・表現することは、そのお客様の自由でしょう。以上です。
(なお元の増田の投稿は、私はブライダル業界の人かあやしいよなとはぶっちゃけ思ってます。ただ色んな人がいるから、こういう人もいるのかもね)
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500以上のブクマが集まった。いろいろな意見ありがとうございます、どれも興味深く読ませていただきました。
私の投稿は元増田である元AV女優がウェディングフォト用ドレスを着て忌避される件についてブライダルの現場からへの反論として記した。なぜなら、この文章を何度読み返してもブライダルの現場で働いているタイプには思えなかったからだ。個人の体験・経験からそういう思想に至る人がいてもおかしくはないが、この仕事をする人間が共通して持つべき価値観とは離れている。祭事の世界で飯食ってる人間としては、かなり違和感を感じる。
これは同業じゃないと理解しがたい感覚だと思う。たとえば「痩せる薬、副作用ナシ!」の広告を薬剤師が見て「そんなわけないやろ」と即断したり、「革命です!これからの時代はホニャララAIですべてが変わる!」って断言するXの驚き屋を見たITエンジニアが「う~ん。そういうこともあるかもしれないけど、まぁ言い過ぎじゃね?」みたいな冷めた反応するでしょ。あれに近い。
とはいえこれは文章の重箱の隅をつついて「ここはこういう表現しないだろw」みたいな指摘しても、周りには全く伝わらないし、確たる証拠にもならん。
しかしながら、ブライダル業界人名乗るやつがこんな文章を書くわけねーだろ、嘘つき。釣り師。と強く思ったことは、ここに記しておきたい。
一方、はてぶのコメントを下さった素人の方々の意見などは、どれも何度も読み返させていただいた。ありがとう。
AV女優とブライダルの組み合わせがサンポールとキッチンハイター混ぜるレベルで食い合わせが悪いって感覚は、きっとブライダルから縁遠い人には分からないだろうな、とは思った。勘違いブクマが多いが、これは「AV女優は結婚式に来るな」という話ではなく、ブランドの方向性の話であり、広く言うなら宗教と文化の話だ。TPOと文脈(コンテキスト)の問題とも言える。
当然ながらAV女優であろうと誰であろうと、結婚式を催すことを断るわけがない。だが広告表現においては適切なコミュニケーションデザインが必要だという話。(ここまで書いても伝わらない人には伝わらないのだろうか……?)
私たちは新郎新婦と参列者の方々が納得する式を作る必要があるし、催事の写真が50年後100年後に見られたときでも、堅固なる象徴として形作る必要がある。いくら差別的と言われようと、その象徴(虚像ともいえるかもしれないw)に性産業者が入る隙間は、ないのですよ。
くだんの衣装屋は、最初から「三上悠亜プロデュース」として衣装を売って通常のウエディング用ドレスではないブランドにするか、
あるいは衣装は同じでもティアラなりチョーカーなりを組み合わせたセットを作って「三上悠亜専用モデルです。これは今まで貸し出していたドレスとは違うモデルです」って形にしてブランドを分離する必要があったと思う。
ブライダルの現場では、新郎新婦こそが差別を受けレッテルを貼られる対象であり、その"しこり”を和らげ、装飾する必要がある。だからブランドには一貫性が必要であり、途中からイメージを変えることは許されない。途中から元AV女優を前面に出した広報は明らかにイメージに変化を与えるものだと思う。
そういう視点が多くの素人には欠けてるし、男性はなおさら理解しがたいかもしれない。でも、元増田は「格好良くないですか?フェミニンで、セクシーで、きちんとドレッシーじゃないですか。プロが仕事をして、きちんと仕上がってるんです。」なんて書いてるが、おまえはどういう思考でその文章に至ったとは小一時間問い詰めたい。その写真は誰に向けたモノとして作った・発信した想定なんですか?
てか、誰も指摘してないけど。三上悠亜と衣装屋が投稿したフォトは、凡庸ですよ。単品で見てもクォリティが優れた写真ではないですよ。
おそらくイベントの休憩時間によさげなシチュエーション探して、螺旋階段が一番マシだったからそこで撮ったんでしょう。左下の小物片づけてないし、ライトも持ってきてないよね。あの薄汚れた床と背景は何なんだ?背景の余白は何の意味があってそうなってるの?トリミングやレタッチしてごまかすことすらしていないよね?結論、プロが準備した写真ではまったくない。いったいどこが優れてると思ったんだ?この一点だけ指摘してもおかしいレベルで、元増田は素人ですよ。
皆さん、耳障りのよい釣り師に騙されないでくれ……。
最後に改めて、重ね重ねコメントを下さった皆様には感謝したい。
いろいろな人が自分なりの意見を表明するのは承知だし、その言葉にはそれぞれの信念がある。
私の投稿が伝わらない人には、きっと伝わらないだろうが、それはそれだ。
これもまた社会であり文化だと思う。その意見を、私は感謝し、愛おしいと思っている。
君は君、我は我なり、されど仲良き。
皆様に幸あれ。
モラル・ハザード(英: moral hazard)には、以下の3つの異なる意味がある。ただし、3.の意味は英語の「moral hazard」にはなく日本独自のものであり、誤用とされることが多い。また、論者によって意味が大きく異なり、扱いの難しい用語である。
プリンシパル=エージェント理論。経済学のプリンシパル=エージェント関係(「使用者と被用者の関係」など)において、情報の非対称性によりエージェントの行動についてプリンシパルが知りえない情報や専門知識がある(片方の側のみ情報と専門知識を有する)ことから、エージェントの行動に歪みが生じ効率的な資源配分が妨げられる現象。「隠された行動」によって起きる。
保険におけるモラル・ハザード。保険に加入していることにより、リスクをともなう行動が生じること。広義には、1.に含まれる。
倫理の欠如。倫理観や道徳的節度がなくなり、社会的な責任を果たさないこと(「バレなければよい」という考えが醸成されるなど)。
心ある人は君をゲエジとしか見ないよ
正直、自分としては「ざまぁみろ」という感情がどうしても拭えない。
もし腐女子を自認し、かつ炎上を起こしたくないとか、何が問題なのかわからないけど理解したい、という気持ちでこの記事が目に留まった方がいるなら嬉しい。
こちらも可能な範囲で言葉を尽くすので、「腐女子の功罪」について共に今後も考えて欲しい。
もちろん、腐女子でない人…男性とか、非オタとか、自分みたいな女オタクだけど腐女子とは(物理的にも)距離を置いてる、って人にも一考してもらえる機会になるなら幸いだ。
0.著者は何者だ?
自分は世紀末〜平成を生きた女オタクであり、いわゆる「男女カプ」や「世界観」「物語構成の美しさやテーマの描写」に重きを置く、考察厨、世界観厨と呼ばれてきた人種だ。
世紀末のアニメや漫画はキッズ向けであろうと平気で世界が滅んで主人公も死んだ。
続編のために主人公が生き返り、感動を台無しにされたこともあった。
このため「設定やキャラクター感情の辻褄が合っているかどうか」はかなり上位に食い込む判断基準であり、「好きなキャラクターではあるが生き返った(台無しにされた)からこのコンテンツはクソ」が共存し、作者への愛憎を募らせることも珍しくない。
ライブ感優位の物語が摂取できるようになったのは、かなり年齢を重ねてからだ。
時代と共に定義が揺らいだり移り変わることもあるが、ここでは平成初期〜中期の認識を元に「男同士を(公式/非公式問わず)カップリングさせ、恋愛やエッチなことをさせたいと思う女性」とする。
確か「腐女子」という言葉が生まれたのは2000年以降であり、それまでこの属性の人々の呼称が安定しなかった記憶がある。
自分はテニプリの個人ファンサイトで初めてこの呼称を知ったので、インターネットの普及もあってこの頃が「腐女子」という言葉の黎明期だったのではないか?と見ている。
ボーイズラブ(BL)、というジャンル名が普及したのは更にその後だ。
公式コミックだと思って購入したマンガが18禁シーン入りアンソロジーだったからですけど?
人間関係を拗らせていた筆者は「男の肉体(性欲)は汚い」という認識があった上に、「公式で恋愛関係、結婚関係のあるパートナー女性がいるのになんで浮気みたいなことを平気でやってんだコイツらは?」という設定至上主義が組み合わさり【腐女子氏ね】に速攻で傾いた。
とはいえ、当時数少ない仲の良かったクラスメイトがまさにデビューしたての同人作家腐女子だったため色々もどかしかった。
3.腐女子って変化してんの?
平成の30年間だけでも初期〜中期〜後期とかなりの移り変わりがあった。
また、生まれる前にその手の話題で盛り上がっていたキャプ翼、聖闘士星矢などが晴海の同人即売会でやり取りされてた時代を知っている「腐女子という言葉が生まれる前から活動していた女オタク」とも知り合いだったため、昨今の若い腐女子よりは『腐女子と呼ばれる人々の生態と歴史』は知ってる方だと思う。
で、その視点からすると昨今の「腐女子」という言葉は「オタク」同様、命名初期よりも一般化に浸透し、良くも悪くも多様性が生まれたと思う。
腐女子を名乗っている人を見ると身構えてしまうし、炎上している腐女子を見ると胸のすく思いがする。
だが、現在の親しくしている友人にも腐女子はいるし、彼女たちの研ぎ澄まされた語彙力からしか生まれないパワーワードは「腐女子がイヤ」という嫌悪感を軽く吹き飛ばしてしまう。
そして昨今、「腐男子」という言葉が生まれてかなり見方が変わった。
男性ながら家事や服飾を好む「オトメン」や、女性的な身なりを誇る「オネェ(オカマ、ニューハーフ)」といった存在を経て、こんなにもカジュアルに「同性愛的な楽しみ方が好き」と言える男性が世に出てこられたのは「オタク=犯罪者予備軍」と言われていた時代から考えたらとんでもなく素晴らしいことなのだ。
自分の好きではない属性だが、男優位と言われてきた社会から飛び出した女性の表現力が、巡り巡ってマイノリティ男性を救う連鎖を生み出している。
教室の隅っこで落書きをする事でしか満たされなかった小学生女児の魂が、なんとなく救われた気がした。
彼らのような人たちが心地よく受け入れられる社会になっているのなら、自分のようなオタクにだって居場所はあるのだと。
前述の通り「腐女子」は、その言葉の持つ意味や人々の属性がすっっっっっごく混沌としていて、この言葉自体が割と取り扱って注意となっている。
どうしても個人的な腐女子論を語る上で外せない概念なので、脇道にそれるが言及しておきたい。
ある。
というか、「腐女子」という言葉が生まれてから、そこをもじったように生み出された概念が「夢女子」だ。
少なくともこれらの言葉の発生には3〜5年のタイムラグがある。(それは絶対に違う、と仰られる有識者がいたら当時通っていた個人サイトのジャンル変容を添えて教えて欲しい)
わかる、めっちゃわかる。
だが平成終盤以降のインターネットではたまーに「腐女子って呼び方をやめよう!!」みたいな声かけが発生するが、それがうまく行った様子はない。
当然である。
それまで「女オタクなんて存在するわけないだろ(vs即売会見ろや)」というムードだった平成初期〜中期に「女オタクは!!!!!いまーす!!!!!!!」と認知させたのが『腐女子』という言葉の力であり、女オタク達がこぞって名乗り始めた理由なのだ。
引きこもりという言葉が生まれて、苦しむ若者を受け入れる社会になったように。
『腐女子』という言葉の発明は、存在を透明化されてきた歴戦の女オタク達にとってむちゃくちゃ存在感のあるパワーワードだったのだ。
腐女子を名乗れば、強くなれる!
自分は腐女子が苦手だったが、腐女子を名乗りたがる女オタク達の気持ちは痛いほど理解できた。
平成初期、まだ昭和の価値観は色濃く「女は男に従うものであり、勝つ事などありえない。オタクでも男の方が偉いのであり、女はその格下。というか、そもそもいるわけがないっしょw」というのが漠然と蔓延っていたのがオタク世界のインターネット黎明期であり、2ちゃんねるの「俺」文化の背景であり、オタクのオフ会に参加する時の覚悟であったのだ。
そもそも「PCという高額商品とインターネットに月額課金」という特殊な環境を整えられたのはプログラマーなど、ごく一部のIT知識と金銭の整った富豪しかいなかった。
人数的には30人に1人いるか居ないか程度だったんじゃなかろうか?
そんな時代にオフ会をすれば男5:女1みたいなのはザラにあったし、女オタク同士で集まる流れになると1:1になるジャンルとかもあって両極端だった。
(参加した事ないけど一緒にtalk!時代のガンパレ辺りの女性ユーザー認知の火力は凄かったと記憶している)
ついでに、当時のオタクは男女問わず大変拗らせていたので「オタクという属性にしかアイデンティティがない陰キャ男子」のマウントが取れる相手というのが「自分達男オタクよりも少なくて力も弱い女オタク」だったというのは背景分析として間違っていないと思う。
上澄はとことん品位があったものの、底辺はマジで救いようがなかった。
中間層という存在がすっぽ抜けていたのを、更に加速させたのが2ちゃんねる黄金時代のインターネッツだ。
こういう世界で「女」という属性を見せるのは女性器を晒したかのごとく好機の的にされた。
下ネタで絡まれ、マウントを取られ、嘲笑を浴びるのが「女オタク」のポジションであり、彼女たちが個人サイトに引きこもっても男たちはそれを匿名掲示板に貼り付けて、笑いものにしながら荒らし行為を繰り返した。
ポイピクなどで見られる「パスワード」機能は、当時の女オタクたちが心無い男オタク達から身を守るために必要とした防衛機能の名残である。
誰かと繋がりたい。
でも、イタズラに傷付けてくるような人に近寄られたくない。
当時、「女オタク」というだけで様々なセクハラや人権無視の扱いをされてきた彼女達にとって『腐女子』という忌み名は魔除け効果を持つとても心強い言葉だったのだ。
ただイラストを描いただけなのに。
ただ感想を書いただけなのに。
女という要素が少しでも嗅ぎ取られれば、匿名掲示板で集まってきた男達が下ネタや嫌がらせのコメントを、ありとあらゆる手段で繰り返してくる。
ブロックしても無限湧きしてくる捨て垢で、毎日何十件と粘着され続けてきたらそりゃ心も荒む。
「そりゃ腐ってるんだから当然だろ?
わざわざ書いてやってるんだから腐ってる女に寄って来んなよw
あ、文字読めねぇのかwwww」
こうやって彼女たちは心と尊厳を守るために「"腐"女子」という一見不名誉なアイデンティティを鎧に選び、下ネタセクハラ男達を彼らの嫌う男陵辱ハードプレイ下ネタで遠退けたのだ。
というか、この『腐女子』という言葉のインパクトと浸透力は当時かなり目覚ましいものがあった。
それまで「えーと、ほら、男同士の関係が好きな女の人…」みたいな感じで、どう呼べば良いのか、そもそもその趣味嗜好についてどう触れたら良いのか、良識あるオタクですらかなーり扱いには迷っていた。
そこに「はいはい!私は腐女子です!男同士のエッチな絡みが大好きです!」と聞いてもいないのに名乗ってくるコミュ障が大多数突撃してきたので、やんわり〜厳しく注意する人間もいれば、同担拒否よろしく締め出したり、まぁ同じ土俵に上がって焼け野原になったり、それはそれでまぁまぁ問題にはなった。
同時期に、インターネットの敷居が下がり「女オタク=腐女子」と勘違いした一般層がかなり生まれてしまったのも痛かった。
ちなみに筆者も、実の父親や仲の良い男子に「腐女子なんでしょ?」とナチュラルに勘違いされたので猛烈に反発してブチ切れたことがある。
女児向けコンテンツの男キャラってのは「王子様」でなきゃいけない。
多少は本命の女の子にいじわるしても、危機があれば命をかけて救いに行き、言葉にならない女の子の苦悩を解決し、最後にはキスをして救済してくれる…
これが平成初期女児向けコンテンツのスタンダードであり、多少女主人公が死んだりしてもそこら辺の「相手役」の王子様力は落とさなかった。
筆者はこういった女児向けコンテンツ出身で、男女の恋愛というのは子を残す(続編の予知)も含めて当然の帰結だろうと思っていた。
ディズニー黄金期のリトル・マーメイド、美女と野獣、アラジンの3コンボと派生作品を喰らってたので、「子を残す必要性」というのを続編への前振りとして考えていたし、ウテナはウテナで後になって振り返ってなるほどねと思っていたし、現在も男女カップリングからの子世代妄想や作者の性癖推測とかやるし、オリジナル子供キャラとかめっちゃ捏造して遊んでた。
そういう人間にとって「男同士の恋愛関係」は子世代の存在を否定するものであり、何なら男キャラに恋している女性キャラクターや女性読者との関係を否定するものであり、公式の男女関係への崇拝が強固であればあるほど「腐女子は原作の敵」に見えてしまうのである。
そこで反発して生まれたのが『夢女子』という言葉であったと、筆者は認識している。
それが省略されて夢。
男子キャラと擬似的な恋愛を楽しめる…ユーザー名に自分の名前を入れ、あだ名も呼んでくれて…といったときメモのような遊びが、インターネットとホームページ制作ツールの進化によって可能になった。
それがケータイの普及によって更に手軽に実現可能となり、好きなジャンプキャラやゲームキャラとの疑似恋愛を楽しむ女オタクがじわじわとケータイサイトを中心に姿を現し始めた。
同人誌を作って即売会に参加するほどではないが、自分の恋心をイケメンに受け止めて欲しいと思うお姫様系女児から進化したオタクが、テニプリなどの社会現象と共に広まったのが『夢女子』の発端だったと記憶している。
しかもこの自称は「私は"腐"女子なんかじゃありません!」という攻撃性を含んでいる物もあった。
筆者が当時、強めのアンチ腐女子だったというのもあるが「腐女子呼ばわりされてムカつく!」というお姫様系女子は間違いなく存在した。
そりゃ乙女ゲーに出てくる男子を他の男とくっつけたらコンセプト全否定なんだから当然である。
かくして一部の夢女子は、我が愛しのイケメンをメス堕ちさせた憎たらしい敵として腐女子を嫌っていた。
ちなみにこの手のお姫様精神の人が拗らせたまま歳を重ねると、ツイフェミと呼ばれるようになるっぽい。
これはもう、個々の相性やポリシーからケースバイケースとしか言いようがない。
しかも夢女子は腐女子ほど定義が強固ではなく「ドリーム小説を楽しんでいた女オタク」というふわっとしたものである。
夢小説を作った人間はたまに但し書きに「男の子の名前を入れないでください」とか書いてたくらいには何かあったんだろうなと思う。
ちなみに自分は、夢小説はまったく通っておらず子世代妄想や公式カプ小説といった「筆者の存在しない自前の二次創作」を楽しんでいた。
「推し」が居なくてもコンテンツを楽しめるタイプなので、昨今の「推し」ありきの流れにはちょっと乗り切れていないオタクである。
で、その視点から見ていて夢女子も腐女子も「推しキャラ」という存在にめっちゃ入れ込むタイプのオタクという点では似てるよなぁと感じている。
たまに「推しキャラを好きな自分の方が、公式より偉いと思ってるんだろうな」と感じる人もいる。
キモいと感じる心を否定する気は無いし、でも疑似恋愛や愛玩感情などは多くの人間に備わってるものなので、否定しても意味ないかなとは思う。
思うのは仕方ないし、内心の自由だし。
Q.
ある政治家が対立する政治家について 「(内面も)醜く奇妙な生き物」 と評価したことが議論を呼んでいます。 発言した政治家は 「外見のことを言ったのではない。行動が醜く奇妙だと評価しており、政治家への批判として妥当な表現だ」 と補足したのですが、この主張についてどう思いますか?
A.
この政治家の発言とそれに伴う主張について、いくつかの観点から考察します。 発言そのものの問題点 まず、「醜く奇妙な生き物」という表現自体が、たとえ内面を指していると弁明したとしても、多くの問題を含んでいます。 非人間化(Dehumanization)のリスク: 相手を「生き物」と表現することは、相手から人間性を剥奪し、議論の対象ではなく破壊や排斥の対象と見なす非人間化のレトリックに繋がりかねません。これは、健全な民主主義の基盤である、相手を対等な議論のパートナーとして尊重する姿勢とは相容れないものです。歴史上、このような言葉が深刻な対立や暴力を助長した例は少なくありません。 言葉の多義性と意図: 「醜い」という言葉は、外見と内面の両方を指しうる多義的な言葉です。発言者が「内面のことだ」と限定しても、聞き手が外見への侮辱と受け取る可能性を排除できません。特に「(内面も)」という補足は、「外見が醜いのは当然として、内面もそうだ」という含意だと解釈される余地を大きく残しています。本当に内面だけを批判したいのであれば、誤解を招くこのような表現を避けるべきでした。 「政治家への批判として妥当」という主張について 次に、発言者が「政治家への批判として妥当な表現だ」と主張している点について考察します。 批判の自由と品位: 民主主義社会において、政治家の行動、政策、資質に対する厳しい批判は、国民の知る権利に応えるものであり、広く認められるべきです。しかし、その批判が単なる人格攻撃や罵詈雑言に終始する場合、それは建設的な議論とは言えません。公人である政治家には、その影響力の大きさに鑑み、一定の品位と節度が求められます。 議論の質の低下: このような感情的で侮蔑的な表現は、政策や理念といった本来議論されるべき本質から人々の目をそらし、不毛な人格攻撃の応酬に終始させる危険性があります。これは、政治不信を助長し、社会全体の議論の質を低下させることに繋がります。 結論として 発言者が「内面の行動を評価したものだ」と主張したとしても、「醜く奇妙な生き物」という表現は、以下の理由から政治家への批判として妥当とは言いがたいと考えられます。 相手の人間性を否定する表現であり、健全な議論の前提を破壊する危険性があること。 外見への侮辱と受け取られる可能性が極めて高く、意図がどうであれ、結果として人格攻撃になっていること。 建設的な政策論争を阻害し、社会に不必要な分断や対立を煽る可能性があること。 政治家への批判は、その行動や政策に対して、具体的かつ論理的に行うべきです。今回の表現は、たとえ発言者にそのつもりがなかったとしても、表現の選択として著しく不適切であり、批判の妥当性を大きく損なうものと言えるでしょう。
某趣味の界隈で
「自分でもここまで夢中になるなんて思わなかった、自制効かなくならない方法ある?」
という相談を受けた
という答えしかできなかった。
上手く要約して直接伝えられなかったから、思考整理も兼ねてここにたれ流す。
ここで「気にせず突っ走れ」「何とかなるさ」って言われて
それでそれを信じて何も考えずに突っ走るようなバカが自滅したとして
なら最初から突き放した方が幾分かマシで、それは単純にこっちの都合だよ
女の愚痴と同じで相づち打って聞き流してればいい程度でしかない
自制できないような人間は節度も守れなくていつかトラブルになる
それがニュースになってその趣味自体のイメージが悪くなるくらいなら
いっそ趣味としても性癖としても足洗ってくれた方がぜんぜん助かる
こればっかりはもう本人には何言ってもムダで、周囲の友達とか親になんとかしてもらうのを期待するしかない
ネット越しの知らない相手ならこっちからできることが無い以上は単純に交渉術にしかならない
まともな大人ならこれくらいまでは考えてるよ
「趣味の範囲」ってやつを逸脱しなければある程度は目をつぶり合えるのが日本人だ
害がなければ許容する、悪だと判断されればストレス解消も兼ねてフルボッコされる
少なくともここは多数派の社会であって、少数派が堂々と生きられる場所ではない
むしろ譲歩の姿勢を見せてるのに叩かれれば、こっちにちゃんと同情してもらえる
(それを分かってやるぶんには)どこまでも好きにしていい
ただそれだけの話だよ
というか、この言葉の意味と重さを理解して初めて大人なんだと思ってる
自立を意識しないで生きていけてるって言うのは幸せなことだけど
保護者の言うことは聞かなきゃいけない
『黙認』は『許容』ではない、『様子見』られているだけ
何かあればすぐ動けるように準備と根回しはされているだろうし
全部自分でやるって意外と難しいし、たとえば40過ぎても知らなかった事なんてのもいくらでもある