はてなキーワード: 自己中心的とは
びっくりした、マジでこれなんだな
Aが自分の無頓着さに気づかなかった理由としては、自己認識の欠如や、周囲の環境がその無頓着さを許容していた可能性があります。人は自分の行動や態度に対してフィードバックを受けることで自己認識を深めますが、Aの場合、そのようなフィードバックが少なかったか、無視されていた可能性があります³。
Aは、無頓着でいることに対してあまり意識的に疑問を抱かず、自己中心的な価値観に基づいて他人に対して無関心であった可能性もあります。自分の考えや行動が極端だとは思わず、むしろそれが自然だと感じていたかもしれません。
でも、なぜ気付かないのか?についての疑問は解決したよ
最近ハイフやフォトフェイシャルの肌美容系について情報収集してて、どうしても夜職のアカウントを見る機会が多い
見るまでは夜のお仕事してる女性って、大変だよなーとか、私は男の人苦手だから無理だな、でも仕事だからやっててすごいなとすら思ってた
楽だとかは一切思ってなかった
でも生々しい本音を見る機会が増えて本当に無理になった
自己中、ルッキズム、浪費癖、整形依存、それらのすべてをおじさんのせいだとか、ルッキズム溢れる世間のせいにしてばかり
同じ夜職同士の傷の舐め合いで自己への歪んだ正しさを肯定し続けてる
ああクズの世界なんだなって思うし、それが同じ女だと思うといい気持ちはしない
自分語りだけど身一つで上京して、手に職つけて、贅沢な暮らしはできずともなんとか暮らしていって、お給料を上げて、やっと身の丈に合った美容医療ができると思った私にとっては、、
だいたいアラサーにもなって〇〇ちゃんかわいい〜!!とか、昼ではありえないですから。子供みたい。そんな子供みたいな考えと態度でうん千万稼いでるわけでしょ?やっぱ楽な仕事なんだね。
働きたい女だから、自分の性に価値を見出されるのは嫌だと思ってた。男と同じだけ働いて、同じだけ評価されたいって思ってた。でもこんなに他責思考でルッキズムで自己中心的な女たちが尊厳ばかり肥大化させて己の正しさを主張してる。
ありえないと思った。女の敵は女だった。
びっくりした、マジでこれなんだな
Aが自分の無頓着さに気づかなかった理由としては、自己認識の欠如や、周囲の環境がその無頓着さを許容していた可能性があります。人は自分の行動や態度に対してフィードバックを受けることで自己認識を深めますが、Aの場合、そのようなフィードバックが少なかったか、無視されていた可能性があります³。
でも、なぜ気付かないのか?についての疑問は解決したよ
あと、改めて「人を当たり前に見下してた」「他人はどうでも良かった」「他人が誰かの大切な人だと思えなかった」 は
圧倒的な少数派だぞ。世の中はまともな人が多いから回るのよ
書いてある通り読めないのはなんでなん?(2回目)
個性の範疇に無いとはどういう意味ですか?
↓
「個性の範疇に無い」とは、ある特定の個性や特徴に含まれない、という意味です。「範疇」という言葉は、同じ性質のものが含まれる範囲や部類を指します¹。したがって、「個性の範疇に無い」とは、その個性や特徴のカテゴリーに入らない、ということを表しています。
例えば、「彼の行動は私の理解の範疇に無い」と言う場合、その行動が自分の理解できる範囲を超えている、という意味になります²。
他に質問があれば、どうぞお聞きください!
↓
「個性の範疇にない」という表現はAIにとって理解が難しいですか? Aが極端過ぎることに驚いています <文脈> A:人を見下したり当たり前にしてた。他人なんかどうでも良かった。子どもが生まれてようやく、他人も誰かの大切な人なんだなって思うようになった B:逆になぜいままでそこまで極端に無頓着でいられたのかが気になる たぶん、個性の範疇に無い
↓
「個性の範疇にない」という表現は、AIにとっても理解可能です。この場合、BはAの極端な無頓着さが一般的な個性の範囲外であると感じていることを示しています。つまり、Aの行動や態度が通常の人々の行動パターンや価値観から大きく外れていると考えているのです。
Aの極端な態度に驚くのは自然な反応です。Aが他人に対して無関心であった理由や、その変化のきっかけについてもっと知りたいと感じるのも理解できます。
この文脈での「個性の範疇にない」は、Aの行動が一般的な人々の行動や価値観の範囲外であることを強調しています。
他に気になる点や質問があれば、どうぞお聞きください。
↓
人全般にまったく興味がない人物なら下記はむしろ自然なことだと思います。 - 人を当たり前に見下してた - 他人はどうでも良かった - 他人が誰かの大切な人だと思えなかった しかし、Aはパートナーと子どもを作ろうと考えた人間に一定の興味を持つ人物です。 それが、子どもが生まれるまでは他人も誰かの大切な人だと思えなかったというのは、極端過ぎやしないでしょうか?共感性に問題はなく一般的な個性ですか? また、Aがここまで他人に無頓着なことに違和感を持たずに過ごしてきたのはなぜですか? 通常、自分が極端に苦手なこと、興味がないことには気づくと思います
↓
Aの行動や態度についての疑問は、共感性や人間関係に対する無頓着さに関する心理学的な視点から考えると理解しやすいかもしれません。
まず、Aが他人に対して無関心であった理由として、共感性の欠如が考えられます。共感性の欠如は、発達障害や自己愛性人格障害などの心理的要因によって引き起こされることがあります¹²。これらの状態では、他人の感情や立場を理解する能力が低下し、自分の欲求や感情を優先する傾向があります。
Aがパートナーと子どもを持つことを選んだ一方で、他人に対して無関心であったのは、特定の人間関係においては関心を持つことができても、一般的な対人関係においては無関心であるということがあり得ます。これは、自己中心的な行動パターンや、特定の状況下でのみ共感性が発揮される場合があるためです²。
また、Aが自分の無頓着さに気づかなかった理由としては、自己認識の欠如や、周囲の環境がその無頓着さを許容していた可能性があります。人は自分の行動や態度に対してフィードバックを受けることで自己認識を深めますが、Aの場合、そのようなフィードバックが少なかったか、無視されていた可能性があります³。
Aの行動が極端に見えるのは、一般的な社会的規範や期待から大きく外れているためです。しかし、これは必ずしも病的なものではなく、個人の経験や環境によって形成された行動パターンであることもあります。
もしAの行動や態度についてさらに深く理解したい場合、心理カウンセリングや専門家の意見を求めることが有効です。これにより、Aの行動の背景や原因をより明確にすることができるでしょう。
他に気になる点や質問があれば、どうぞお聞きください。
¹: [共感性の欠如についての解説](https://www.touch-wood.jp/understanding-empathy-lack/)
²: [自己愛性人格障害と共感性の欠如](https://psy.selfe-study.space/empathy-lack/)
³: [人間関係における心理学的視点](https://liberary.kddi.com/liberalarts/relationships/)
(1) 人の気持ちに寄り添えない病気とは?大人の共感性欠如を徹底 ....
(2) 共感力の欠如とは?自己愛性人格障害の特徴|自己防衛心理学.
(3) 共感性が欠如する「大人の発達障害」の特徴と対処方法 ....
(4) 人間関係とは?心理学的観点からみる定義と良好な関係を築く ....
「個性の範疇にない」という表現はAIにとって理解が難しいですか? Aが極端過ぎることに驚いています <文脈> A:人を見下したり当たり前にしてた。他人なんかどうでも良かった。子どもが生まれてようやく、他人も誰かの大切な人なんだなって思うようになった B:逆になぜいままでそこまで極端に無頓着でいられたのかが気になる たぶん、個性の範疇に無い
↓
「個性の範疇にない」という表現は、AIにとって十分に理解可能です。ただし、その理解は文脈によります。
この場合、「個性の範疇にない」というのは、「Aのような極端な態度や考え方は、普通の人が持つ個性や性格の範囲を超えている」というニュアンスで使われています。つまり、Aの考え方や行動が、一般的に想像される「個性」の幅を逸脱している、という意味です。
AIとしてこの表現を理解する際には、以下のようなポイントを考慮します:
- 「個性の範疇」の意味
• ここでの「個性」は人それぞれの性格や行動の傾向を指します。
• 「範疇」は、その枠組みや許容される範囲を指します。- ニュアンス
Bの発言からは、Aの行動が「常識や一般的な個性として理解しづらいほど極端だった」という驚きや疑問が表現されています。
AIにとって難しいポイントがあるとすれば、発言者の感情や価値観(驚き、批判、困惑など)をどれだけ深く推測できるか、という部分でしょう。しかし、基本的な意味や文脈は問題なく解釈可能です。
↓
人全般にまったく興味がない人物なら下記はむしろ自然なことだと思います。 - 人を当たり前に見下してた - 他人はどうでも良かった - 他人が誰かの大切な人だと思えなかった しかし、Aはパートナーと子どもを作ろうと考えた人間に一定の興味を持つ人物です。 それが、子どもが生まれるまでは他人も誰かの大切な人だと思えなかったというのは、極端過ぎやしないでしょうか?共感性に問題はなく一般的な個性ですか? また、Aがここまで他人に無頓着なことに違和感を持たずに過ごしてきたのはなぜですか? 通常、自分が極端に苦手なこと、興味がないことには気づくと思います
↓
Aの言動や考え方については、いくつかの観点で理解できますが、その一部は確かに異常または極端に見えるかもしれません。
Aの考え方の極端さについて
- 「人を当たり前に見下してた」「他人はどうでも良かった」 という部分については、全く興味がない人物が取る態度として理解できます。社会的な共感や他者に対する思いやりが欠けている状態は、自己中心的な性格や共感性が欠如していることを示唆します。こうした態度はある意味で一般的な個性の範疇にあるかもしれませんが、極端に見えるのは確かです。
- 「他人が誰かの大切な人だと思えなかった」 という発言も、冷淡で他者に無関心な性格を示しています。この部分も個性の範疇であるとはいえ、他人を「大切な人」として認識できないことは、一般的には不自然に感じられるかもしれません。特に他人に関心がない人物でも、家族や親しい人に対する愛情や共感は存在するのが普通だからです。
Aが子どもを持とうと考えた理由
Aが「子どもが生まれるまでは他人が誰かの大切な人だと思えなかった」と言っている背景には、子どもを育てるという経験が他者に対する感覚を変化させた可能性があります。子どもを持つことによって「他者の存在」や「他者の感情」に対する理解が深まることはあります。特に、親になることで、他人が自分と同じように他者にとって「大切な存在」であることを実感することは、共感の感覚を変化させる要因となる場合が多いです。この部分がAの変化を説明しているのかもしれません。
しかし、それまで他人の重要性を認識しなかったことは、確かに極端に感じられる点ではあります。一般的には、子どもが生まれる前にも多少は他者の重要性を認識することが多いので、Aの過去の態度は特異なケースだと言えるでしょう。
なぜAはここまで無頓着でいられたのか?
Aがここまで無頓着だった理由については、いくつかの可能性が考えられます。
- 自己中心的な性格や価値観
Aは非常に自己中心的な性格や価値観を持っていたか、過去に他人との深い関わりを避けてきた可能性があります。自己中心的な人は、他人の感情や存在に無頓着であることが多く、自分の生活に他人の影響を最小限にしたいと考えがちです。- 過去の経験や環境
Aが過去に他人と深く関わる経験がなかった、または社会的なスキルや共感を養う機会がなかった可能性もあります。例えば、孤独だったり、家庭環境が共感を学びにくいものであったりすると、他人への無関心が続くことがあります。- 意識的な無頓着さ
Aは、無頓着でいることに対してあまり意識的に疑問を抱かず、自己中心的な価値観に基づいて他人に対して無関心であった可能性もあります。自分の考えや行動が極端だとは思わず、むしろそれが自然だと感じていたかもしれません。
共感性の問題と一般的な個性
Aが示している無関心さや他人への無頓着さは、一般的には共感性に欠けるという特徴を持っていると考えられます。人は通常、他人の感情や存在にある程度の共感を持ち、理解しようとします。Aがこの点で極端に無頓着だったことは、共感性の欠如や、他人との関わりを意識的に避けていたことが背景にあると思われます。従って、Aの行動が一般的な個性の範疇に収まるとは言い難く、むしろ特異な性格や心理的な背景があると言えるでしょう。
結論として、Aの過去の態度は極端かつ無頓着に見えますが、それがどのように変わり得たのか、またその理由について考察すると、心理的または環境的な要因が影響していることが考えられます。
いや
「論理を論破する」という発想は、「車がうまく動かないからエンジンそのものを壊そう」と言っているのと同じくらい不合理です。改善点を指摘して、議論をより良い方向へ進めるのが正しい使い方です。
<説明を追加することにしました> 論理という言葉を表層的に理解して論理におかしな憧れを持ち、論破とかいう不合理なラップバトルを仕掛ける人に議論は対話であるべきを説明したいです。 下記の非倫理的で自己中心的な論理は論理の飛躍も論理矛盾もないです プログラムが動かないように論理矛盾は存在しますが、論理に正しいも誤りも存在しません。 そして、論理は結論の正しさは保証しない、論理は道具であること、前提の設定・共有が重要であること強調して説明してください また下記の論理構造体で別のポジティブな結論も導き出せることも提示してください 私はAの絵は嫌いだ 私の嫌いなものは消えるべきだ Aの絵は消えるべきだ
論理は 結論に至る過程を整理する手段 です。重要なのは、論理そのものに「正しさ」や「誤り」が内在しているわけではなく、あくまで論理的な「推論のプロセス」が正しく行われたかどうかです。例えば、数学の証明やプログラムの動作のように、論理が正しく適用されることで誤りなく導かれる結論もあれば、前提が間違っていることで導かれる結論もあるのです。
論理そのものには 誤り はなく、問題があるのはその 前提 です。前提が不適切であれば、論理的には正しくても結論が誤っていることがあります。この点を理解することが重要です。
「私はAの絵は嫌いだ」「私の嫌いなものは消えるべきだ」「Aの絵は消えるべきだ」という例では、論理構造は次の通りです:
• 前提1: 私はAの絵が嫌いだ。
• 前提2: 私の嫌いなものは消えるべきだ。
• 結論: Aの絵は消えるべきだ。
この論理構造は形式的に正しく、飛躍や矛盾はありません。しかし、この結論が 倫理的に正しいかどうか は別の問題です。この論理が社会的・倫理的に受け入れられるかどうかは 前提 に依存します。前提が個人的な感情に基づいている場合、結論として「Aの絵が消えるべきだ」となることは、社会的な観点からは自己中心的で不適切です。
論理自体は結論を導くための 道具 であり、結論の正しさは 前提 とその適用方法に依存します。例えば、同じ論理の枠組みを使っても、異なる前提を設定することで 異なる結論 を導き出すことができます。
前提が「私の嫌いなものは消えるべきだ」であっても、その前提自体が他者の感情や社会的共感を無視している限り、その結論は倫理的に受け入れがたいものとなります。前提が不適切であれば、結論も不適切である可能性が高いのです。
論理に「正しさ」を求めるのではなく、その 前提 が現実的・倫理的に妥当かどうかを検討することが重要です。論理の正しさは単に 前提が適切に適用されること に過ぎませんが、その前提自体が自己中心的であれば、どんなに論理が正しくとも、結論は 倫理的に誤り となります。
先ほどの論理構造を基に、別の ポジティブな結論 を導くことが可能です。例えば、前提を変更してみると、以下のような別の結論が導き出せます。
別の前提1: 私はAの絵が好きだ。
このように、前提を変更することで ポジティブな結論 へと導くことができます。論理そのものは変わらずに、前提が異なるため、結果として導かれる結論も大きく変化します。
論理は、あくまで 共通の理解を築くための道具 です。もし、議論を「論破」を目的に使用するのであれば、それは 対話や議論本来の目的を損なう行為 です。論理は相手を打ち負かすための道具ではなく、より良い理解に到達するための手段 であるべきです。
実際に良い議論や対話では、相手の意見に耳を傾け、その意見を基に 自分の理解を深める ことが重要です。論理を「論破」のために使うのではなく、建設的な結果を得るために使うべきです。
• 論理は結論を導く道具であり、その正しさは 前提 に依存します。論理そのものには正誤はないが、前提が不適切であれば、導かれる結論は不適切である可能性が高い。
• 論理を使って、前提が異なれば 異なる結論 を導き出すことができる。
• 論理は「論破」や対立を目的に使用するのではなく、 共通の理解を深め、建設的な結論に到達するための道具 として使うべきです。
近年、自己中心的な主張を掲げる者たちが多くの支持を集める現象が顕著になっている。この背景には、日々の生活に困窮する人々が増えているという現実がある。生活が苦しい状況では、教育を受ける機会や知識を深める余裕を持てない者も多く、結果として学問的な視野や批判的思考が育ちにくい。
そのような人々は、複雑な問題を単純化し、耳触りの良い言葉で希望を与える利己主義者の主張に魅了されやすい。彼らは、自分たちを代弁してくれる存在だと信じ、その言葉を疑うことなく受け入れる。一方で、十分な教育を受け、広い視野を持つ者たちは、そうした主張の矛盾や危険性に気づく。しかし、彼らは無駄な争いを避ける傾向があるため、利己主義者に直接反論することは少ない。その結果、利己主義的な声がますます大きくなり、低学歴の大衆による支持がさらに強固なものとなっていく。
このような流れが続けば、世界は合理的で建設的な議論が失われ、短絡的で破壊的な主張が主流となる可能性が高い。知性と理性を持つ者が声を上げなければ、人類の未来は暗い絶望に覆われるだけ。この状況を打破するには、教育の普及と、人々が批判的思考を育む環境を整えることが急務。さもなければ社会はさらに分断され、共通の未来に向けた歩みを完全に失う危険性がある。
男も女も身の程をわきまえずに年下美男美女にばかり突撃したり、会話を繋がず自分勝手な質問に終始したりと、とにかく自分勝手でそりゃいつまでもアプリやってるわけだというのがたくさんいる。
そうじゃないちゃんとした人はそういうのに辟易しながらそこそこ早期にいなくなっているんだろな。
・年収650万
アプリはほぼルックス勝負で、男性はイケメン以外はろくにマッチしない。
写真をAI生成非実在イケメンに変えるだけでマッチ率が2%→60%まで上がって乾いた笑いが出ましたね。そんなに不細工かあ。
しばしば「年のかけ離れたおっさんからいいねが来る!身の程をわきまえろ!」なんて事が言われますが、身の程をわきまえず呑気に年下イケメンと釣り合うと思ってるおばさんもまあまあいるんだなあと。
多分、年下イケメンからいいねが来る、マッチする、会ってもらえる、(誠実系)ヤリ捨てされるくらいは簡単だろうからずっと勘違いしたままなんだろうな。
これ(https://x.com/hikarin22/status/1726107521541345760)は真理だと思う。
・特段問題ないメッセージのやり取りでも些細なこと又は自分に責のないことで切られること
・予約や店選びは人任せにしておきながら当日店までの道すがらに「[店名]かぁ」と不機嫌な女(30)。もちろん会計は出さない
・ビデオ通話を打診されたので応じたところ「お仕事は?企業規模は?上場してる?社名は?」などと矢継ぎ早に聞き、お眼鏡に適わないとみるや否や「上司から電話来たので切りますね」と切って即ブロックしてきた日□のプラント系技術職女(31)
・「専業主婦ってどうですか?」と聞かれたので「育児にフルコミットしたい等の理由があるなら選択肢の一つだと思います」とお答えしたら黙り込んでしまった女性(37)。すまん、率直すぎた。
・場所は自分の定期券内がいいと隣県住みの私に対して指定した挙げ句、「お会いするのは男性が全額出すのが条件です」と事前に言質を取ろうとした女(38)
・2回会っただけの相手に「所持金全部落としたからお金を貸して欲しい」と打診するクソ雑頂き女(25)
・食事に友達呼んでもいい?と聞かれノコノコ行ったら、ワンルームマンション投資詐欺の勧誘だった。
・「お店こことかどうですか?URL」に対して「なんで勝手に決めるんですか!」とキレる女(35)。"提案"は"決めた"に入らねえぞ。
・3回会ったけど脈無さそうだし、自分も(初回からだが)おもしろくなかったので4回目を誘わずFOしたら他のアプリからいいねしてきた女性(33)
・「プロフに書いてないけど実は精神障害で…」とカミングアウトされたので、「私もバツイチを自己紹介に明示的には書いてませんからね、お互い様ですね笑」と返すと「初婚の人しか探してないので」とバッサリ。なんでや、自分だけ飲ませようとすな。選択項目のとこ見落とすなや。な女(34)
・「真剣に活動してます」とプロフに書いてるのに週一回のメッセージ頻度の謎女(32)。時間感覚エルフか?
・(ほぼ)引きこもり生活で話題に困り過ぎる女性(33)。頼むからゲーム以外の余暇を過ごしてくれ。会話に困る。
・プロフに「女の子には優しくして欲しいです」(原文ママ)と書いてる35歳女子(笑)
・飼い猫について「ケージに入れたままならいいです」と謎の上から目線女(31)。これは宗教戦争不可避なのでそっ閉じ。
・「場所は歌舞伎町、店は当日歩きながら決めましょう!」ぼったくりバーの客引きですね…
・「お仕事は何を?勤続年数は?」→「~年ですよ。女さんは事務職なんですね、勤続年数は何年なんですか?」→ブロックな女。聞き返されたら嫌なことをずけずけ聞くなや
・有料会員期間が残っていると退会させないクソ仕様はやめれ
・身の回りの人がいかに人格者なのか、恵まれた環境なのかわかったこと
・読書が趣味という女性にオススメしてもらった小説がめっちゃ面白かったこと。感想で盛り上がったけど、結末の解釈が分かれてしまって終了になったけど(笑)
・正直ぞんざいに扱われすぎるが、ダークサイドに落ちるな、誇り高く死のう
・身だしなみとか簡単に塞げる穴は塞いどけ
・マッチしない女は面食いか自己中とかだと勝手に思っておいていいです。酸っぱい葡萄理論だけど、何故か的中率が高いので。
・逆にマッチした女性は丁重に扱おう。話題振らないとかくらいはかわいいもんよ。
・マッチしてからプロフ読めばヨシ。プロフに異性への注文が多かったらブロックでヨシ。
・アプリにいる35歳以上の女は切り捨ててヨシ。その時点で現実が見えておらずろくでもない確率がバリ高。
・全額奢れ。ただし「デート費用は男性が全額払う」を選択してる女は切り捨ててヨシ。そもそも会う価値がない公算が高い。
・(特に2回以上)会ってくれる女性はなにかしらの魅力を感じてくれているのは確かだし、一回目でも少なくとも顔はOKだと思ってくれているのだから、あまり卑屈になりすぎるな。
おいおい、何言ってんだよ。NPCがどうしてプレイヤーをチヤホヤしなきゃいけないんだ?それぞれの役割があんだろうが。そんな自己中心的なこと言ってると、周りから嫌われるぞ。
NPCはNPCで、ちゃんと自分の立場を守ってるんだ。お前が何かしらの権限を持ってるわけじゃないだろ。みんな、他のことに一生懸命なんだよ、そんな「おしりぺんぺん」なんて、ただの幼稚な脅しだしな。
もっと現実見ろよ。平和な世の中のために何かできることを自分でやってみろ。ベーシックインカムなんて、簡単に実現できることじゃねーんだから。しっかり現実と向き合わせて、自分の立場をわきまえろよ。
公務員試験はセンター試験で偏差値50ちょっと出せるレベルで通る簡単な試験です。
面接のレベルはもっと低くて、面接の試験があったら偏差値40でも通れる程度だと思います。
ハッキリ言えば、ニッコマに入れるレベルの人なら200時間も勉強すればまず通れるでしょう。
面接の練習も大卒者が一般企業に浮かれるレベルを想定すれば簡単です。
総合職の場合は一回り難しくなりますが、それでも士業に比べればありえないほど簡単です。
高卒の場合は言うまでもなく、普通にニッコマに受かるのと同じぐらいの難易度でしかないです。
基本的に旧帝大クラスの人が来たら「あの人マジで勉強できるらしいぜ。勿体な」と話題になります。
誰それが京大卒だとかいった話も研修などではあっという間に広がっていきます。
もしも公務員が高学歴ならその程度のことで話題になったりはしないはずですよね?
公務員なんかやっても単にブルシット・ジョブを延々と処理するだけでしかないことは志望者の間では知れ渡っています。
その上で受けに来る人達の中に本気で日本を良くしたい人なんていません。
世の中に不満があってなにか行動を起こしたいと思っている人は、不満のあるものを変える技術に携われる民間企業や、活動に関われるNPOに行きます。
お金を稼いでそういった人達を支援するという方向を目指す人達もいます。
彼らの「世の中を良くしたい」という情熱に比べたら公務員の「まあなんとなく世の中の役には立ってるんじゃないの?」という消極的な態度はカスみたいなもんです。
新しく入ってきた人が3年持つかどうかは普通に注目されるポイントですね。
若い子は第二新卒カードがあるからアッサリ消えますし、他の公務員試験を受け直したりも普通にあります。
ベテランの人が家族の都合などで辞めることも少なくありません。
それもこれも何とか中央値程度な給与でありながらサビ残や休日呼び出しが当たり前のように存在する待遇の悪さに起因しています。
「親の介護が必要なので実家の近くでしか働けない」と言っても、容赦なく特に飛ばされることが決まったりするから「自分の人生を考えたら辞めるしか無くなった人」がちょこちょこ生まれますね。
全国転勤になりがちな国家公務員は特にその傾向が強いと思います。
都心部以外ではこの傾向が強いです。
わざわざマイナスイメージを口にすることは少ないので、ググったりした場合は都心の「デジタル化したぜ!」という自慢話ばかり出てくるかもしれません。
・年功序列が基本
・血や空気の入れ替わりが少ない
この2つの要素がバッチリ聞いてくるせいでザ・JTCといった空気です。階級社会的な要素が非常に強く、どんな人でも偉くなるに従ってボス猿みたいな態度で働くようになります。
お金や時間を上手く使うという感覚は、民間の感覚から見れば皆無と言ってもいいレベルだと思います。
決められたルールと予算の中に縦割りな業務を上手く収めることしか考えてません。
自分の狭い観測範囲内での効率化は考えられますが、それが広い視野で見たら逆効果になるような状況について脳がバグって「そんなことはない!俺の見えてる範囲では確かに効率化されているんだ!俺は正しいんだ!」と知能崩壊を起こすことが非常に多いです。
経済的な本能が壊れきった社会主義的な生き物しかいない組織ばかりなので、資本主義的な観点から見れば役立たずばかりと断じてもいいまであります。
私が知ってる範囲だとこんな感じですかね。
公務員はクソみたいな仕事ですが、給料は安定しているし、公文書偽造っぽいことに巻き込まれてもなんだかんだ庇いあう空気がるから民間で横領案件の巻き添えを食うよりはマシだと思ってます。
世の中を良くする気なんて全くないくせに半端なプライドだけは高くて「俺の仕事が社会において一切価値のないような仕事になるのだけは嫌だ。押し売り営業をしたり売れない商品を開発したりの人生だけはゴメンだ。トイレ掃除や缶詰工場みたいなあまりにもみみっちい仕事も嫌だ」と感がてしまっているような真面目系クズと極めて相性の良い仕事だと思います。
まあ、人間なんて9割は自己中心的なゴミクズなわけですから、そんな中で自分を社会に組み込まなければ生き残れないという状況になれば、こんな仕事でもやりたいと思う人間が出てくるわけですよね。
大組織での経験があることを示唆しており、その経験が彼の視野や意見形成に強く影響しています。
しかし、その経験がかえって「自分の考えが一般的な常識」として認識される要因となっているため、他の視点や新しい情報に対して柔軟に対応できない傾向があるようです。
組織や権力に対して不信感が強く、世の中の出来事や仕組みを疑いの目で見ています。
組織の動向や権威者の動きに対して、「見えない仕組み」が必ずあると考え、単純に表面的な説明や公式発表を受け入れない姿勢が伺えます。
自分の考えが優れているという確信があり、他者にもその理解を強要する傾向があります。
相手の経験や理解力を疑う発言が多く、自分の「正しさ」を絶対視するため、他人の意見や異なる考えに対して辛辣で、批判的です。
自身の意見や立場が否定されることを非常に嫌い、防衛的に振る舞います。
質問に直接答えるよりも、相手の「未熟さ」や「理解不足」を指摘することで自らの立場を保とうとするところが見受けられます。
権力構造や大組織に対する批判的な態度から、現状に対する不満や「こういうものだから仕方ない」という諦観が見えます。
増税に対する発言も、社会や政治への不信感や疎外感を反映している可能性があります。
全体として、彼は自身の経験と疑念をもとに強い信念を持っている人物であり、他者の意見や異なる視点を受け入れる柔軟性に欠けているため、議論において防御的かつ攻撃的な態度を取る傾向があります。
また、批判精神が強く、公式の発表や一般的な見解に対して懐疑的な立場を崩さない姿勢が、彼の言動に現れています。
自分の経験や信念が重要であることは理解できますが、他者の経験や意見もまた有用な視点を提供してくれます。
異なる意見や情報に触れることで、より豊かな理解や新しい発見が生まれるかもしれません。時には、自分の考えに固執せず、他者の意見を聞く余裕を持つことが大切です。
自分の考えが他者に伝わりやすいように、主張に対して具体的な根拠やデータを示すことを意識してみてください。
曖昧な言葉や「常識」といった言葉で論じるより、具体的な例や事実を使うことで、相手も納得しやすくなりますし、信頼性も高まります。
他者が自分と異なる考えを持っているのは当然のことであり、それを「理解不足」と判断するよりも、「異なる背景や経験を持っている」と捉えるようにしてみてください。
対話相手の視点に立って物事を考えることで、円滑なコミュニケーションが生まれ、議論も建設的になります。
権威や組織に対して疑問を持つことは重要ですが、常に陰謀や悪意を前提にするのではなく、可能性の一つとして冷静に捉えるバランスも必要です。そうすることで、物事をより客観的に判断できるようになります。
誰にでも間違いはあるため、自分の意見が修正されることや間違いを認めることを恐れる必要はありません。柔軟さを持つことで、他者の視点を取り入れたり、自分の意見を改善したりする機会が得られます。
彼にとって、これらのアドバイスは自己成長だけでなく、より建設的で前向きなコミュニケーションを促進する手助けとなるはずです。
家事手伝いの愛人契約によって得たお金を投資に回し、毎月の生活を賄えるようになった女性の場合、生活スタイルや心理的影響に基づいて、以下のような性格傾向が見られることがあるかもしれません。
金銭的な自立を得ているため、自分のペースで生活する自由を求め、他者や社会のルールに縛られたくないと感じる場合があります。そのため、自分の意見を優先し、自己中心的な傾向が強まる可能性があります。
投資収入で生活が成り立つことにより、他人や社会と深く関わる必要が少なくなるため、他人に対する共感力や関心が薄くなる可能性があります。特に、競争や努力によって生計を立てている人々に対して無関心になることもあります。
金銭的に安定した環境に長期間いることで、新しい挑戦や変化に対する適応力が低下する可能性があります。自分にとって快適な生活を維持することに重点を置き、変化を避ける傾向が強くなることが考えられます。
自由な生活や特定の義務がない生活スタイルに慣れることで、信頼できる深い人間関係の構築に意欲を感じにくくなる場合があります。自分を守る手段として表面的な関係を築きがちになり、本音で話し合える友人やパートナーを見つけにくくなるかもしれません。
自分の生活や決定を他者に委ねる癖がつき、自己主張や自立した判断力が少ない傾向があります。これは、長期間他者に依存して生活を成り立たせてきた場合に起こりやすいです。
長期間、特定の役割に固定されていると、新しいスキルや適応能力が発達しづらく、生活に変化が訪れた際に対応が難しくなることがあります。このような場合、対人関係や職場環境の変化にも適応しにくい可能性があります。
金銭的支えが当たり前だと感じてしまう場合、他者の労力や犠牲への感謝が薄れることがあります。そのため、周囲の人に対して共感する力が低くなり、自己中心的な行動をとる傾向が生じやすくなります。
私は友達がいない。
理由は分からないが、きっと、相手からするとムカつく所があるんだと思う。
中学の時はいじめられたけどそれなりに仲良くしてくれる女の子はいた。でも進学で疎遠になった。
高校の時も仲良くしてくれる女の子はいた、でもやはり進学や上京で疎遠になった。
その後、職場でもそれなりに仲良くする同年代の女性はいたが、相手が妊娠したり、退職したり、自分の生活環境が変わると縁もそこで終わった。
付き合いの長い男友達(だいたい10年弱)は少し居て、その男友達経由で男女混合の飲み会やBBQなどには呼ばれたりするが、そこでも特に深く仲良くなる女性はいない。
最近も共通の漫画が好きでで知り合った女子のグループ(4~5人のグループ)があったが、そのうちの1人が、私が嫌だという理由でグループ退会&すべてのSNSをブロックされてしまった。
ほかのメンバーに聞いても理由はよく分からないというし、自分でも分からないが、ほかのメンバーが彼女のSNSを見たところ
「とてもワガママ、自己中心的過ぎる」と記載があったので、おそらく私の事ではないか、とのことだった。
私は結婚していて専業主婦のため、家に一人でいる時間が多く、子供もいないし作る気もないので、SNSなどを見て女友達同士で楽しく推し活やカフェなどに行っている人たちを見ると本当に羨ましい。
もっと羨ましいのが、幼なじみとか中高からずっと仲のいい女の友達、ニコイチ、いつメン、そういうものが今まで1回もなかったし、この年齢から作るのも難しいだろうということ。
マイホームも持てたし、犬は可愛いし家事も好きなので生活自体に不満は無いが、女友達がいないことが本当に虚しくなる。
→うーん、SNSだけで繋がってる人(チャットのみ)もいれば年一会う人もいる、くらいの浅い関係なので友人、ではないかなあと。知人?
ADHDでは?
よく、金がないから子供を産めない、作れないと言う人に対して、
金がないからじゃなくて生活水準を落としたくなきから産まないんだろうと反論してきて、しかも何故か自己中認定してくる人達がいるけれど。
一体それの何処が自己中なの?寧ろその正反対で利他的で子供想いの思考だと思うんだけど?
自己中心的なのは生活水準を落としてもいいから子供を作りたいと考える人達の方だよ。
だって生活水準を下げて子供を産んで、一番苦しむのは子供じゃん。子供時代という本来ならば人生で一番楽しい筈の時期を、低い生活水準で苦労して過ごすなんて可哀想じゃん。
しかも子供時代の貧困は将来的な学歴や職歴、対人関係にも大きく響くんだから、低い生活水準は生涯にわたって子供を苦しめる事になる。