はてなキーワード: 不適切とは
お祭りの一形態であるネット炎上で暖をとろうとしていたら、迅速な消火活動でボヤに終わってしまい残念です。
消化不良なのでソフトウェア開発の文脈で本件を整理しておきたいと思います。
なぜ「チンパンジーを従業員」とする例え話は炎上し、何がダメだったのでしょうか。
それは、何故マンホールが部署に配属されなかったか、という問題に帰結します。
労務管理ソフトを手がけるIT企業「SmartHR」(東京都港区)が、「チンパンジーが配属されてきたら、あなたはどうマネジメントする?」という記事をQiitaのアドベントカレンダーに投稿した。
記事の内容は、"マネジメント職の職責は、事前に与えられ決められた作業を行うことではなく、臨機応変にチームを守ることだ"という趣旨のものだった。
従業員をチンパンジーに例えるように読めてしまう為、不適切では?という文脈で軽く炎上、記事は削除され現在は謝罪文が掲載されている。
理不尽なマネジメントを強いられるマネージャーという文脈において、最も想定しやすいのが新しい社員の配属だから、「XXXが配属されてきたら、あなたはどうマネジメントする?」という記事になったと想定できます。
さて、この一文だけでほぼ説明は終わってしまうのですが、この例え話はXXXを何に置き換えても、結局のところ新しく配属された社員を理不尽に感じる、としか読み取ることが出来ません。
これは、どのように予防線を張ろうとも、どのような説明をしようとも、「社員に問題があったときに、あなたはどうするのか?」という問いとして読むしかありません。
そこで、問題の社員を表現するXXXに、チンパンジーを置けば、炎上するに決まっています。
なぜか。非常に品の無い界隈の話で恐縮ですが、人間をチンパンジーに例える文化圏が日本にはまだ残っています。
もしかすると非常に上品な方たちのみで形成されている共同体では非常識なのかもしれませんが、残念ながら人を罵倒するときにチンパンと呼んだり豚とあてこする文化圏は間違いなく存在するのです。
百歩譲って、問題の社員を無機物で表現するのであれば、まだ許されていた可能性が高いでしょう。
この場合、まったく意味が分からない行為を上司に押し付けられた、としか解することができないからです。
マンホールを転がして席に立てかけたところ机ごとMacbook Proをぺしゃんこにした。同僚が躓いて怪我をした。意味が分からな過ぎて怯えて社員が辞めた。
これすら、本来は社名の入った記事として出すにはリスクが高いはずです。なぜならば「社員に問題があったときに、あなたはどうするのか?」という問いの本質は変わらないからです。
問題のある社員を表現するときには、非常に気を使って書く必要があります。
ソフトウェア開発の話題で非常に有名な表現にブリリアントジャーク(Brilliant Jerk)があります。
High Attitude, High Performance — The Rock Star
Higher Attitude, Low Performance -The Team Player
ココで着目して欲しいのは、能力のある嫌な奴(The Brilliant Jerk)ではありません。
非常に協調性が高く、低い生産性の人物をThe Team Playerと表現していることです。
成果主義であれば、Low Performanceであればいずれ職場からいなくなるのが自然です。
しかし、高い協調性(非常に良い態度)があるなら、それはチームプレイヤーとして欠かせないのかもしれないよ?という予防線の張り方をしているわけです。
その上で、真っ向から、態度が悪い嫌な奴はチームに入れると全体の生産性が落ちる、という筋の話をしているわけです。
そして、職場からThe Brilliant Jerkを排除せよという書き方にもなっていません。
もうそういうヤツに居場所はない、リーダーなら協調性がありコミュニケーションがとれるべきであるという、「リーダーかくあるべし」論に着地している所が優れているのです。
つまり、「XXXが配属されてきたら、あなたはどうマネジメントする?」というタイトルの記事を書くべきではありませんでした。
「XXXな状況になったときに、マネージャーはどうあるべきか?」というタイトルの記事を書くべきでした。
微に入り細を穿つ描写で、チンパンジーが職場で暴れてチームを壊す筆致を見せる必要は全くありませんでした。
どう贔屓目に見ても、それはチームを壊す厄介者が配属された時に、如何にして(合法的に)チームを守るのか、という寓話としてしか読み取れません。
「あーあ、あんな奴がいるから、会議室を潰して追い出し部屋を作らなきゃならない俺は大変だなあ」みたいなことを令和に書いて許容されると思う方がどうかしています。
人物ではなく現象ですと注記して許されると思うのは、どう見ても未成年を描いておきながら登場人物は全員成人ですというのと同じです。
私個人としては、表現の自由の最前線で戦う方達を畏敬の念でもって(経済的に)支えることしかできないわけですが、労務管理ソフトを手がけるIT企業がそんな気概を持つ必要性は全くないと思慮する次第です。
(たぶんだけど、ボリュームが多いので全部読まずに雰囲気で説明されてそのまんま出したんじゃないかなーと言う気はします。法務とか広報は通ってないんじゃないかな)
社長から急に巨大なクリスマスツリーを飾れと言われて困る、くらいの現象にして「令和にもなってクリスマスのような宗教的な話題を載せるのは大丈夫なの?」とか言われるくらいが良かったんじゃないのかな、と言う気がします。
ソフトウェア開発に携わる人たちには、驚き最小の原則(Rule of least surprise)を忘れて欲しくないと常々思っています。
私は趣味の悪い野次馬根性のネットウォッチャーです、これから炎上させにくい記事の話をしますと冒頭に書いてあるのはそのためです。
直観的に、ああこれはチンパン従業員をマネジメントする話をこれからするんだろうな、と思われた時点で負けなわけです。
そして、労務管理を行う会社が、問題のある社員をマネジメントするのは大変だよねと読みとれるような寓話を書いてはならないわけです。
何をどう誤読しようとも、社長に無茶振りされて中庭に巨大なクリスマスツリーを電飾するか消すかで翻弄される中間管理職を書くべきだったわけです。
良く読めばわかるように書いてあるというのは、誤読して欲しい時にだけ使うのです。
それにしても、割と今回は穏当な指摘が多かったと思います。
これ、外資の日本支社だったら、同僚から速攻で訴えられて普通に負けると思います(偏見)。
しかし、縁故採用に見える話を社名載せて出して大丈夫なの?とか、不透明な資金調達してますが凄腕の社長ですみたいな表現どうなの?とか、もっとこう火種があったと思うんだよなあ。
もっと面白い炎上をたくさん見たいので、こういう直球のノープラン炎上で企業名のある記事が減ってしまいかねないのは避けていただきたく。
もっとさあ、ローパフォーマーを特定して左遷してチームの生産性を改善した話とか書いて大炎上してくださいよ。
いちおう、本番環境でやらかしちゃった人アドベントカレンダーにしれっと書いて大炎上ルートは残されているので、そっちでなんとかならんか?
「生煮えの着想を他人に話したりネットに放流してみる」という行為はオワコンになってしまう。
次に引用するのは「文学」にまつわる、とりとめない語りです。もう少し輪郭のはっきりした論説にするために、わかりにくい点を問い質してみて下さい。
そもそもあんま本読んだことなさそうな人が「エンタメと純文学の違いとは」みたいな論争を定期的に蒸し返すのだが、
簡単に答えを示しておくと、クリアしなければならない仕様が決まってるのはエンタメ、純文はなんでもアリである。「違い」というならそこが違う。
しかしながら昔から文豪だなんだと奉られる人も誰もクリアしてないのが、「なんだかんだ、サマになるクズしか出てこない問題」である。
そらとんでもない人殺しとか飲む打つ買うのクズ野郎とか精神病者とかは出てくるけど、たとえばネットの過疎った掲示板に粘着して年がら年中一日中芸能人の悪口書いてる、喋るウンコみたいなのはまず登場しないんだよなあ。(笙野頼子はそのへんに切り込んだが、「前衛的スタイル」に自家中毒して当人が何言ってるかわからなくなってしまった)
そういううんこちゃんを活写しようとして一冊の大半が意味不明の同じようなセリフになってるとか、どんなによく訓練された読書家も逃げ出してしまうからな。
でもそんな喋るウンコちゃんにも生きる苦しみや自己愛やウンコちゃんならではの事情があるんだってところに寄り添おうとしてこその文学のはずなんだけどね。
【Gemini】
ご提示いただいた文章、非常に刺激的で面白い視点が含まれていますね。特に「サマになるクズ」と「真に救いのない(退屈な)クズ」の対比や、文学が直面する「退屈さと読解可能性」のジレンマは、論じる価値の高いテーマです。
この「語り」を、より強固な「論説」へと練り上げるために、あえて意地悪な編集者になったつもりで、論理の飛躍や掘り下げ不足な点について5つの質問を投げかけます。
これらに答える(あるいは反論する)ことで、文章の輪郭がぐっと鮮明になるはずです。
---
### 1. 「なんでもアリ」と「文学の責務」の矛盾をどう整理するか?
冒頭で純文学を**「なんでもアリ(仕様がない)」**と定義されていますが、結びでは**「〜に寄り添おうとしてこその文学」**という、ある種の**「べき論(倫理的仕様)」**を提示されています。
### 2. 「サマになる」の正体は何か?
文豪が描くクズは「サマになる」とされていますが、なぜサマになってしまうのでしょうか。
### 3. 「写実」と「作品化」のジレンマをどう乗り越えるか?
「喋るウンコを活写すると、意味不明の反復になり読者が逃げ出す」という指摘は鋭いです。しかし、ここには「リアリズム(そのまま書くこと)」こそが誠実さであるという前提が見え隠れします。
### 4. 笙野頼子の失敗(とされるもの)から何を抽出するか?
笙野頼子を引き合いに出されていますが、彼女が「前衛的スタイルに自家中毒した」と切り捨ててしまうと、論がそこで止まってしまいます。
### 5. なぜ、その「ウンコちゃん」を救わねばならないのか?
これが最も根源的な問いです。
---
もしよろしければ、上記の質問のうち**「これが一番痛いところを突かれた(あるいは、これについては言いたいことがある)」**と感じたポイントを一つ教えてください。
そこを突破口にして、この語りを**「序論・本論・結論」を備えた骨太なプロット**に再構成するお手伝いをさせていただきます。
削除されてしまいましたが、先日、スタートアップ界隈で話題になったQiitaのアドベントカレンダー記事はお読みになられましたか。
『チンパンジーが配属されてきたら、あなたはどうマネジメントする?』という、パンクなタイトルの記事でした。
内容は、とあるスタートアップの開発チームに、社長の鶴の一声(と投資家への忖度)で、文字通りの「チンパンジー(パンジくん)」が配属されるというお話。
記事では、マネージャーが奔走してパンジくんを隔離し、誰も傷つかずにハッピーエンドを迎える「成功ルート」が本線として描かれ、一方で、対応を間違えた場合の「失敗ルート(IF)」では、パンジくんが暴れて社員の指を食いちぎるというショッキングなバッドエンドも提示されました。
「不適切で消されちゃったけど、チンパンジーが配属されてきたらどうマネジメントするか?の話、勉強になった。ただの匿名記事だと思ったら企業Blogだったのかww」
「マネジメントしようなんて思わずにそっと転職準備を始めるよ…」
その不条理さに頭を抱え、あるいは共感した人々が見られました。
しかし、かつて大学で動物行動学を専攻し、チンパンジーの社会構造を研究してからこの人間社会というジャングルへ足を踏み入れた身として、あえて言わせてください。
「たった一頭のチンパンジーで大騒ぎするなんて、スタートアップの世界はなんと平和で、牧歌的なんだろう」
私たちパンピー(一般人)こそが檻に押し込められ、燃料としてくべられる。
それが、生物学的に見たこの社会におけるマネジメントの「正解」なのです。
世の中には、元記事で「最悪のIF」として描かれた地獄絵図が、「日常(デフォルト)」として機能している業界が存在します。そう、永田町(国会議員秘書)、大手広告代理店、そして学校の世界です。
私たち「多頭飼育」のプロフェッショナルたちが導き出した、残酷な最適解。それは、猛獣を隔離することではありません。
「猛獣(カネと権力の源泉)を守り、その価値を最大化するために、人間(一般社員や生徒)を燃料として燃やし続けること」
なぜ、そんな理不尽がまかり通るのか?
それを理解するには、少しだけ「チンパンジーという生き物の仕様」について、講義をする必要があります。
皆さんはチンパンジーを「バナナを食べる動物」だと思っていませんか?
動物行動学の視点では、それは間違いです。チンパンジーとは、餌よりも先に「序列」と「権力」をめぐる動物だと定義したほうが、その本質を理解しやすくなります。
野生の群れに関するフィールド研究では、オス同士が同盟を組み、毛づくろいや餌の分配をテコにして「誰が誰の味方か」を積み上げ、厳しい序列を作ることが報告されています(Goodall 1986, de Waal 2007)。
恐ろしいのは、彼らの生理機能そのものが、このゲームに最適化されている点です。
優位なオスほどテストステロン値が高く、地位争いが激しい時期には、群れ全体でコルチゾール(ストレスホルモン)が上昇します。彼らはリラックスしているのではなく、筋肉維持と闘争準備のために、常時エンジンを吹かしてアイドリングしている状態なのです(Muehlenbein 2010, Wrangham 2004)。
彼らの社会は一枚岩ではありません。日中は小さなサブグループに分かれ、餌場やメンバーの顔ぶれに応じて離合集散を繰り返す「フィッション・フュージョン(離合集散)社会」です(Arcadi 2018)。
この流動的な派閥構造の上に、オス中心の強固な序列が重なる。これ、何かに似ていませんか?そう、人間の「派閥」や「部署」そのものです。
3. 「戦争」をする隣人
そして、彼らは他群れの個体に対して容赦のない暴力を振るいます。
オスたちがパトロール隊を組んで隣接群を襲撃し、時に相手を殺害して縄張りを拡大する「小規模な戦争」が、自然状態で起きていることが確認されています(Goodall 2019, Gilby 2014)。
この「生物学的な仕様」を頭に入れた上で、私たちの住むジャングル(日本社会)を見渡してみましょう。
そこには、驚くほど忠実にチンパンジーの生態を再現した「多頭飼育現場」が広がっています。
まず、国内最大級かつ最も危険な飼育現場が、永田町周辺の「国会議員秘書」という聖域です。
ここでは、高いテストステロンと強固な血縁同盟を持った猛獣たちが、「公設秘書」という名の檻の中で放し飼いにされています。
公設秘書の給与は、最大で月給百数十万円ほどが税金から支払われます。そして、その席に座っているのは「妻」「息子」「兄弟」、あるいは「愛人」です。
これは生物学的に言えば、血縁個体への資源分配(Kin Selection)」と「配偶者防衛」です。
さらに最近話題になった、「秘書給与のピンハネ疑惑」のように、群れのボス(議員)が構成員のエサ(秘書給与)を強制的に寄付させ、自分の懐に還流させる行為。これは、霊長類特有の序列確認行動(マウンティング)に他なりません。
パンジくんはバナナを食べるだけでしたが、彼らは国民の税金を二重にも三重にも貪り食うシステムを構築しているのです。
ここで燃料としてくべられるのは、コネのない「一般秘書」たちです。
彼らは政策立案という実務をこなしながら、猛獣たちの汚物処理(不祥事の揉み消し、愛人対応)をさせられます。
チンパンジーの生態学的に見れば、彼らは「劣位個体のストレス生理」を強いられています。
野生でも、いつ殴られるか分からない劣位個体は慢性的にコルチゾール値ストレスのパラメーターが高くなります(Preis 2019)。一般秘書たちが心身を壊していくのは、精神的な弱さではなく、長期間の捕食恐怖にさらされた生物としての正常な反応なのです。
ここには、社会心理学でいう社会的支配志向(SDO)」の高い個体が集まりやすい傾向があります。
SDOとは、社会の序列や不平等を肯定し、それを維持しようとする心理傾向のことです(Sidanius & Pratto 1999)。
広告業界のヒエラルキー構造は、高いSDOを持つ個体にとって居心地の良いジャングルです。
そこに、「大口クライアントの社長令嬢」「政治家の息子」といった、生まれながらにして最強の「体格(資本)」を持った個体が投入されます。
彼女たちは、一般社員が過労死ラインで働いている横で、経費を使って優雅に飲み歩きます。なぜなら、チンパンジー社会において「高順位個体がリソースを独占するのは自然の摂理」だからです。
猛獣が人を殺めても、檻には入れられない
過去には、有力者の息子である社員が同僚に危害を加え、死に至らしめた事件さえありました。
なぜなら、群れの論理において「高順位オス(太客)の機嫌を損ねること」は、群れ全体の生存(売上)に関わる最大のリスクだからです。
パンピー一匹の命より、群れの序列維持。これが代理店というジャングルの掟です。
学校:一校に一頭、必ず紛れ込む野生
永田町や代理店という「群れ」のお話をしてきましたが、学校では「フィッション・フュージョン社会の末端」として、全国津々浦々に野生のチンパンジーが配置されています。
私立校なら「母校愛(同盟)」で採用された卒業生が、公立校なら「教育委員会の親族(血縁)」枠の教員が、授業をサボっても誰にも注意されず、腫れ物として扱われています。
生徒や保護者に暴言を吐くモンスターティーチャーがいても、せいぜい異動で済まされ、数年後には別の学校で何食わぬ顔で教壇に立っています。
完成された「隠蔽の仕組み」
そして最も恐ろしいのが、「性犯罪(野生の発露)」に対する隠蔽システムの完成度です。
かつて学校現場では、教員が生徒にわいせつ行為をしても、懲戒免職ではなく「依願退職」させることが通例でした。
懲戒なら記録に残りますが、依願退職なら残りません。それどころか退職金まで支給され、ほとぼりが冷めれば免許を再取得し、再び他校で子供たちという獲物を物色することが可能だったのです。
最近になってようやく「わいせつ教員対策法」や「日本版DBS」といった法整備が進みましたが、現場の「事なかれ主義」や「校長による口止め」といった文化までは消えていません。
これは、群れが「不都合な個体」を一時的に視界から外すことで、群れ全体の体面(なわばり)を守ろうとする防衛本能の発露と言えます。
その過程で、子供たちという最も弱い個体が燃料にされているのです。
さて、これら生物学的知見を持って、Qiitaの元記事を振り返ってみましょう。
記事の本線である「成功シナリオ」で、あのマネージャーはパンジくんを隔離し、リモートワークで接触を断ち、見事にハッピーエンドを勝ち取りました。
「相手がたった一頭で、たかだか月額5000万円の案件だったから」
一頭なら、専用の部屋を用意して閉じ込めることができます。
しかし、永田町や代理店のように猛獣が群れをなし、学校のように全国規模で配置され、動くものが「国家予算」や「数十、数百億円規模」になった時、隔離などという選択肢はハナからありません。
檻に入りきらないほどの猛獣が溢れかえった時、誰が檻に押し込まれるのか?
研究室にいた頃、私たちは猛獣を管理するために、何重もの鍵がかかった檻と、緊急用の麻酔銃を用意していました。対象が危険であればあるほど、隔離を徹底するのが「飼育」の鉄則だったからです。
しかし、人間社会という多頭飼育の現場における「飼育」の実態は、全く異なります。
「猛獣の持つ価値(票、カネ、権力)を最大限に搾り取るために、周囲の餌と燃料(パンピー)をどう配分するか」という選別に変質しています。
永田町で公設秘書の椅子に無能な親族を座らせるとき、そこに「税金の無駄遣い」という倫理的な悩みは考慮されません。それは「血縁同盟の強化」という生物学的合理性に基づいているからです。
広告代理店で一般社員を使い潰すとき、そこに躊躇はありません。「劣位個体のストレス」など、高順位個体の繁栄の前では些末な問題だからです。
そして、授業・部活・事務・保護者対応に追われる「一般教員」と、理不尽な指導を受ける「生徒」は、まとめて燃料にされます。「学校の評判」を守るために。
おわりに:あなたはどちら側に立つか
畜産学徒の目で見ると、あの牧歌的なスタートアップに限らず、人間の職場の多くは「チンパンジーの群れの変種」として読むことができます。
集団を支配する少数の高順位個体が、票や広告費といった餌場を押さえ、血縁やコネで自分の周囲を固める。
その外側に、慢性的なコルチゾール過多とストレス生理を抱えた多数のパンピー個体が、燃料として並べられている。
この社会システムは、最初から「パンピーが何人か死んでも、猛獣が生きている限りは問題ない」という、野生の論理で組まれています。
マネージャーの仕事とは、「部下を守ること」だけではないのかもしれません。
「システムの冷酷な設計図(生物学的仕様)を理解したうえで、自分の体と部下の体をどこまでその燃料として差し出すかを、自分で決めること」。
知恵を絞って隔離施設を作れるのは、まだ規模が小さく、守るべきものが明確な「幸せな時期」だけかもしれません。
群れをなした猛獣が押し寄せ、数十億円利益という組織論理とテストステロンで迫られた時、あなたは部下を守れますか?
「たった一頭で大騒ぎできるうちは、まだ幸せだ」
削除されてしまいましたが、先日、スタートアップ界隈で話題になったQiitaのアドベントカレンダー記事はお読みになられましたか。
『チンパンジーが配属されてきたら、あなたはどうマネジメントする?』という、パンクなタイトルの記事でした。
内容は、とあるスタートアップの開発チームに、社長の鶴の一声(と投資家への忖度)で、文字通りの「チンパンジー(パンジくん)」が配属されるというお話。
記事では、マネージャーが奔走してパンジくんを隔離し、誰も傷つかずにハッピーエンドを迎える「成功ルート」が本線として描かれ、一方で、対応を間違えた場合の「失敗ルート(IF)」では、パンジくんが暴れて社員の指を食いちぎるというショッキングなバッドエンドも提示されました。
「不適切で消されちゃったけど、チンパンジーが配属されてきたらどうマネジメントするか?の話、勉強になった。ただの匿名記事だと思ったら企業Blogだったのかww」
「マネジメントしようなんて思わずにそっと転職準備を始めるよ…」
その不条理さに頭を抱え、あるいは共感した人々が見られました。
しかし、かつて大学で動物行動学を専攻し、チンパンジーの社会構造を研究してからこの人間社会というジャングルへ足を踏み入れた身として、あえて言わせてください。
「たった一頭のチンパンジーで大騒ぎするなんて、スタートアップの世界はなんと平和で、牧歌的なんだろう」
私たちパンピー(一般人)こそが檻に押し込められ、燃料としてくべられる。
それが、生物学的に見たこの社会におけるマネジメントの「正解」なのです。
世の中には、元記事で「最悪のIF」として描かれた地獄絵図が、「日常(デフォルト)」として機能している業界が存在します。そう、永田町(国会議員秘書)、大手広告代理店、そして学校の世界です。
私たち「多頭飼育」のプロフェッショナルたちが導き出した、残酷な最適解。それは、猛獣を隔離することではありません。
「猛獣(カネと権力の源泉)を守り、その価値を最大化するために、人間(一般社員や生徒)を燃料として燃やし続けること」
なぜ、そんな理不尽がまかり通るのか?
それを理解するには、少しだけ「チンパンジーという生き物の仕様」について、講義をする必要があります。
皆さんはチンパンジーを「バナナを食べる動物」だと思っていませんか?
動物行動学の視点では、それは間違いです。チンパンジーとは、餌よりも先に「序列」と「権力」をめぐる動物だと定義したほうが、その本質を理解しやすくなります。
野生の群れに関するフィールド研究では、オス同士が同盟を組み、毛づくろいや餌の分配をテコにして「誰が誰の味方か」を積み上げ、厳しい序列を作ることが報告されています(Goodall 1986, de Waal 2007)。
恐ろしいのは、彼らの生理機能そのものが、このゲームに最適化されている点です。
優位なオスほどテストステロン値が高く、地位争いが激しい時期には、群れ全体でコルチゾール(ストレスホルモン)が上昇します。彼らはリラックスしているのではなく、筋肉維持と闘争準備のために、常時エンジンを吹かしてアイドリングしている状態なのです(Muehlenbein 2010, Wrangham 2004)。
彼らの社会は一枚岩ではありません。日中は小さなサブグループに分かれ、餌場やメンバーの顔ぶれに応じて離合集散を繰り返す「フィッション・フュージョン(離合集散)社会」です(Arcadi 2018)。
この流動的な派閥構造の上に、オス中心の強固な序列が重なる。これ、何かに似ていませんか?そう、人間の「派閥」や「部署」そのものです。
3. 「戦争」をする隣人
そして、彼らは他群れの個体に対して容赦のない暴力を振るいます。
オスたちがパトロール隊を組んで隣接群を襲撃し、時に相手を殺害して縄張りを拡大する「小規模な戦争」が、自然状態で起きていることが確認されています(Goodall 2019, Gilby 2014)。
この「生物学的な仕様」を頭に入れた上で、私たちの住むジャングル(日本社会)を見渡してみましょう。
そこには、驚くほど忠実にチンパンジーの生態を再現した「多頭飼育現場」が広がっています。
まず、国内最大級かつ最も危険な飼育現場が、永田町周辺の「国会議員秘書」という聖域です。
ここでは、高いテストステロンと強固な血縁同盟を持った猛獣たちが、「公設秘書」という名の檻の中で放し飼いにされています。
公設秘書の給与は、最大で月給百数十万円ほどが税金から支払われます。そして、その席に座っているのは「妻」「息子」「兄弟」、あるいは「愛人」です。
これは生物学的に言えば、血縁個体への資源分配(Kin Selection)」と「配偶者防衛」です。
さらに最近話題になった、「秘書給与のピンハネ疑惑」のように、群れのボス(議員)が構成員のエサ(秘書給与)を強制的に寄付させ、自分の懐に還流させる行為。これは、霊長類特有の序列確認行動(マウンティング)に他なりません。
パンジくんはバナナを食べるだけでしたが、彼らは国民の税金を二重にも三重にも貪り食うシステムを構築しているのです。
ここで燃料としてくべられるのは、コネのない「一般秘書」たちです。
彼らは政策立案という実務をこなしながら、猛獣たちの汚物処理(不祥事の揉み消し、愛人対応)をさせられます。
チンパンジーの生態学的に見れば、彼らは「劣位個体のストレス生理」を強いられています。
野生でも、いつ殴られるか分からない劣位個体は慢性的にコルチゾール値ストレスのパラメーターが高くなります(Preis 2019)。一般秘書たちが心身を壊していくのは、精神的な弱さではなく、長期間の捕食恐怖にさらされた生物としての正常な反応なのです。
ここには、社会心理学でいう社会的支配志向(SDO)」の高い個体が集まりやすい傾向があります。
SDOとは、社会の序列や不平等を肯定し、それを維持しようとする心理傾向のことです(Sidanius & Pratto 1999)。
広告業界のヒエラルキー構造は、高いSDOを持つ個体にとって居心地の良いジャングルです。
そこに、「大口クライアントの社長令嬢」「政治家の息子」といった、生まれながらにして最強の「体格(資本)」を持った個体が投入されます。
彼女たちは、一般社員が過労死ラインで働いている横で、経費を使って優雅に飲み歩きます。なぜなら、チンパンジー社会において「高順位個体がリソースを独占するのは自然の摂理」だからです。
猛獣が人を殺めても、檻には入れられない
過去には、有力者の息子である社員が同僚に危害を加え、死に至らしめた事件さえありました。
なぜなら、群れの論理において「高順位オス(太客)の機嫌を損ねること」は、群れ全体の生存(売上)に関わる最大のリスクだからです。
パンピー一匹の命より、群れの序列維持。これが代理店というジャングルの掟です。
学校:一校に一頭、必ず紛れ込む野生
永田町や代理店という「群れ」のお話をしてきましたが、学校では「フィッション・フュージョン社会の末端」として、全国津々浦々に野生のチンパンジーが配置されています。
私立校なら「母校愛(同盟)」で採用された卒業生が、公立校なら「教育委員会の親族(血縁)」枠の教員が、授業をサボっても誰にも注意されず、腫れ物として扱われています。
生徒や保護者に暴言を吐くモンスターティーチャーがいても、せいぜい異動で済まされ、数年後には別の学校で何食わぬ顔で教壇に立っています。
完成された「隠蔽の仕組み」
そして最も恐ろしいのが、「性犯罪(野生の発露)」に対する隠蔽システムの完成度です。
かつて学校現場では、教員が生徒にわいせつ行為をしても、懲戒免職ではなく「依願退職」させることが通例でした。
懲戒なら記録に残りますが、依願退職なら残りません。それどころか退職金まで支給され、ほとぼりが冷めれば免許を再取得し、再び他校で子供たちという獲物を物色することが可能だったのです。
最近になってようやく「わいせつ教員対策法」や「日本版DBS」といった法整備が進みましたが、現場の「事なかれ主義」や「校長による口止め」といった文化までは消えていません。
これは、群れが「不都合な個体」を一時的に視界から外すことで、群れ全体の体面(なわばり)を守ろうとする防衛本能の発露と言えます。
その過程で、子供たちという最も弱い個体が燃料にされているのです。
さて、これら生物学的知見を持って、Qiitaの元記事を振り返ってみましょう。
記事の本線である「成功シナリオ」で、あのマネージャーはパンジくんを隔離し、リモートワークで接触を断ち、見事にハッピーエンドを勝ち取りました。
「相手がたった一頭で、たかだか月額5000万円の案件だったから」
一頭なら、専用の部屋を用意して閉じ込めることができます。
しかし、永田町や代理店のように猛獣が群れをなし、学校のように全国規模で配置され、動くものが「国家予算」や「数十、数百億円規模」になった時、隔離などという選択肢はハナからありません。
檻に入りきらないほどの猛獣が溢れかえった時、誰が檻に押し込まれるのか?
研究室にいた頃、私たちは猛獣を管理するために、何重もの鍵がかかった檻と、緊急用の麻酔銃を用意していました。対象が危険であればあるほど、隔離を徹底するのが「飼育」の鉄則だったからです。
しかし、人間社会という多頭飼育の現場における「飼育」の実態は、全く異なります。
「猛獣の持つ価値(票、カネ、権力)を最大限に搾り取るために、周囲の餌と燃料(パンピー)をどう配分するか」という選別に変質しています。
永田町で公設秘書の椅子に無能な親族を座らせるとき、そこに「税金の無駄遣い」という倫理的な悩みは考慮されません。それは「血縁同盟の強化」という生物学的合理性に基づいているからです。
広告代理店で一般社員を使い潰すとき、そこに躊躇はありません。「劣位個体のストレス」など、高順位個体の繁栄の前では些末な問題だからです。
そして、授業・部活・事務・保護者対応に追われる「一般教員」と、理不尽な指導を受ける「生徒」は、まとめて燃料にされます。「学校の評判」を守るために。
おわりに:あなたはどちら側に立つか
畜産学徒の目で見ると、あの牧歌的なスタートアップに限らず、人間の職場の多くは「チンパンジーの群れの変種」として読むことができます。
集団を支配する少数の高順位個体が、票や広告費といった餌場を押さえ、血縁やコネで自分の周囲を固める。
その外側に、慢性的なコルチゾール過多とストレス生理を抱えた多数のパンピー個体が、燃料として並べられている。
この社会システムは、最初から「パンピーが何人か死んでも、猛獣が生きている限りは問題ない」という、野生の論理で組まれています。
マネージャーの仕事とは、「部下を守ること」だけではないのかもしれません。
「システムの冷酷な設計図(生物学的仕様)を理解したうえで、自分の体と部下の体をどこまでその燃料として差し出すかを、自分で決めること」。
知恵を絞って隔離施設を作れるのは、まだ規模が小さく、守るべきものが明確な「幸せな時期」だけかもしれません。
群れをなした猛獣が押し寄せ、数十億円利益という組織論理とテストステロンで迫られた時、あなたは部下を守れますか?
「たった一頭で大騒ぎできるうちは、まだ幸せだ」
削除されてしまいましたが、先日、スタートアップ界隈で話題になったQiitaのアドベントカレンダー記事はお読みになられましたか。
『チンパンジーが配属されてきたら、あなたはどうマネジメントする?』という、パンクなタイトルの記事でした。
内容は、とあるスタートアップの開発チームに、社長の鶴の一声(と投資家への忖度)で、文字通りの「チンパンジー(パンジくん)」が配属されるというお話。
記事では、マネージャーが奔走してパンジくんを隔離し、誰も傷つかずにハッピーエンドを迎える「成功ルート」が本線として描かれ、一方で、対応を間違えた場合の「失敗ルート(IF)」では、パンジくんが暴れて社員の指を食いちぎるというショッキングなバッドエンドも提示されました。
「不適切で消されちゃったけど、チンパンジーが配属されてきたらどうマネジメントするか?の話、勉強になった。ただの匿名記事だと思ったら企業Blogだったのかww」
「マネジメントしようなんて思わずにそっと転職準備を始めるよ…」
その不条理さに頭を抱え、あるいは共感した人々が見られました。
しかし、かつて大学で動物行動学を専攻し、チンパンジーの社会構造を研究してからこの人間社会というジャングルへ足を踏み入れた身として、あえて言わせてください。
「たった一頭のチンパンジーで大騒ぎするなんて、スタートアップの世界はなんと平和で、牧歌的なんだろう」
私たちパンピー(一般人)こそが檻に押し込められ、燃料としてくべられる。
それが、生物学的に見たこの社会におけるマネジメントの「正解」なのです。
世の中には、元記事で「最悪のIF」として描かれた地獄絵図が、「日常(デフォルト)」として機能している業界が存在します。そう、永田町(国会議員秘書)、大手広告代理店、そして学校の世界です。
私たち「多頭飼育」のプロフェッショナルたちが導き出した、残酷な最適解。それは、猛獣を隔離することではありません。
「猛獣(カネと権力の源泉)を守り、その価値を最大化するために、人間(一般社員や生徒)を燃料として燃やし続けること」
なぜ、そんな理不尽がまかり通るのか?
それを理解するには、少しだけ「チンパンジーという生き物の仕様」について、講義をする必要があります。
皆さんはチンパンジーを「バナナを食べる動物」だと思っていませんか?
動物行動学の視点では、それは間違いです。チンパンジーとは、餌よりも先に「序列」と「権力」をめぐる動物だと定義したほうが、その本質を理解しやすくなります。
野生の群れに関するフィールド研究では、オス同士が同盟を組み、毛づくろいや餌の分配をテコにして「誰が誰の味方か」を積み上げ、厳しい序列を作ることが報告されています(Goodall 1986, de Waal 2007)。
恐ろしいのは、彼らの生理機能そのものが、このゲームに最適化されている点です。
優位なオスほどテストステロン値が高く、地位争いが激しい時期には、群れ全体でコルチゾール(ストレスホルモン)が上昇します。彼らはリラックスしているのではなく、筋肉維持と闘争準備のために、常時エンジンを吹かしてアイドリングしている状態なのです(Muehlenbein 2010, Wrangham 2004)。
彼らの社会は一枚岩ではありません。日中は小さなサブグループに分かれ、餌場やメンバーの顔ぶれに応じて離合集散を繰り返す「フィッション・フュージョン(離合集散)社会」です(Arcadi 2018)。
この流動的な派閥構造の上に、オス中心の強固な序列が重なる。これ、何かに似ていませんか?そう、人間の「派閥」や「部署」そのものです。
3. 「戦争」をする隣人
そして、彼らは他群れの個体に対して容赦のない暴力を振るいます。
オスたちがパトロール隊を組んで隣接群を襲撃し、時に相手を殺害して縄張りを拡大する「小規模な戦争」が、自然状態で起きていることが確認されています(Goodall 2019, Gilby 2014)。
この「生物学的な仕様」を頭に入れた上で、私たちの住むジャングル(日本社会)を見渡してみましょう。
そこには、驚くほど忠実にチンパンジーの生態を再現した「多頭飼育現場」が広がっています。
まず、国内最大級かつ最も危険な飼育現場が、永田町周辺の「国会議員秘書」という聖域です。
ここでは、高いテストステロンと強固な血縁同盟を持った猛獣たちが、「公設秘書」という名の檻の中で放し飼いにされています。
公設秘書の給与は、最大で月給百数十万円ほどが税金から支払われます。そして、その席に座っているのは「妻」「息子」「兄弟」、あるいは「愛人」です。
これは生物学的に言えば、血縁個体への資源分配(Kin Selection)」と「配偶者防衛」です。
さらに最近話題になった、「秘書給与のピンハネ疑惑」のように、群れのボス(議員)が構成員のエサ(秘書給与)を強制的に寄付させ、自分の懐に還流させる行為。これは、霊長類特有の序列確認行動(マウンティング)に他なりません。
パンジくんはバナナを食べるだけでしたが、彼らは国民の税金を二重にも三重にも貪り食うシステムを構築しているのです。
ここで燃料としてくべられるのは、コネのない「一般秘書」たちです。
彼らは政策立案という実務をこなしながら、猛獣たちの汚物処理(不祥事の揉み消し、愛人対応)をさせられます。
チンパンジーの生態学的に見れば、彼らは「劣位個体のストレス生理」を強いられています。
野生でも、いつ殴られるか分からない劣位個体は慢性的にコルチゾール値ストレスのパラメーターが高くなります(Preis 2019)。一般秘書たちが心身を壊していくのは、精神的な弱さではなく、長期間の捕食恐怖にさらされた生物としての正常な反応なのです。
ここには、社会心理学でいう社会的支配志向(SDO)」の高い個体が集まりやすい傾向があります。
SDOとは、社会の序列や不平等を肯定し、それを維持しようとする心理傾向のことです(Sidanius & Pratto 1999)。
広告業界のヒエラルキー構造は、高いSDOを持つ個体にとって居心地の良いジャングルです。
そこに、「大口クライアントの社長令嬢」「政治家の息子」といった、生まれながらにして最強の「体格(資本)」を持った個体が投入されます。
彼女たちは、一般社員が過労死ラインで働いている横で、経費を使って優雅に飲み歩きます。なぜなら、チンパンジー社会において「高順位個体がリソースを独占するのは自然の摂理」だからです。
猛獣が人を殺めても、檻には入れられない
過去には、有力者の息子である社員が同僚に危害を加え、死に至らしめた事件さえありました。
なぜなら、群れの論理において「高順位オス(太客)の機嫌を損ねること」は、群れ全体の生存(売上)に関わる最大のリスクだからです。
パンピー一匹の命より、群れの序列維持。これが代理店というジャングルの掟です。
学校:一校に一頭、必ず紛れ込む野生
永田町や代理店という「群れ」のお話をしてきましたが、学校では「フィッション・フュージョン社会の末端」として、全国津々浦々に野生のチンパンジーが配置されています。
私立校なら「母校愛(同盟)」で採用された卒業生が、公立校なら「教育委員会の親族(血縁)」枠の教員が、授業をサボっても誰にも注意されず、腫れ物として扱われています。
生徒や保護者に暴言を吐くモンスターティーチャーがいても、せいぜい異動で済まされ、数年後には別の学校で何食わぬ顔で教壇に立っています。
完成された「隠蔽の仕組み」
そして最も恐ろしいのが、「性犯罪(野生の発露)」に対する隠蔽システムの完成度です。
かつて学校現場では、教員が生徒にわいせつ行為をしても、懲戒免職ではなく「依願退職」させることが通例でした。
懲戒なら記録に残りますが、依願退職なら残りません。それどころか退職金まで支給され、ほとぼりが冷めれば免許を再取得し、再び他校で子供たちという獲物を物色することが可能だったのです。
最近になってようやく「わいせつ教員対策法」や「日本版DBS」といった法整備が進みましたが、現場の「事なかれ主義」や「校長による口止め」といった文化までは消えていません。
これは、群れが「不都合な個体」を一時的に視界から外すことで、群れ全体の体面(なわばり)を守ろうとする防衛本能の発露と言えます。
その過程で、子供たちという最も弱い個体が燃料にされているのです。
さて、これら生物学的知見を持って、Qiitaの元記事を振り返ってみましょう。
記事の本線である「成功シナリオ」で、あのマネージャーはパンジくんを隔離し、リモートワークで接触を断ち、見事にハッピーエンドを勝ち取りました。
「相手がたった一頭で、たかだか月額5000万円の案件だったから」
一頭なら、専用の部屋を用意して閉じ込めることができます。
しかし、永田町や代理店のように猛獣が群れをなし、学校のように全国規模で配置され、動くものが「国家予算」や「数十、数百億円規模」になった時、隔離などという選択肢はハナからありません。
檻に入りきらないほどの猛獣が溢れかえった時、誰が檻に押し込まれるのか?
研究室にいた頃、私たちは猛獣を管理するために、何重もの鍵がかかった檻と、緊急用の麻酔銃を用意していました。対象が危険であればあるほど、隔離を徹底するのが「飼育」の鉄則だったからです。
しかし、人間社会という多頭飼育の現場における「飼育」の実態は、全く異なります。
「猛獣の持つ価値(票、カネ、権力)を最大限に搾り取るために、周囲の餌と燃料(パンピー)をどう配分するか」という選別に変質しています。
永田町で公設秘書の椅子に無能な親族を座らせるとき、そこに「税金の無駄遣い」という倫理的な悩みは考慮されません。それは「血縁同盟の強化」という生物学的合理性に基づいているからです。
広告代理店で一般社員を使い潰すとき、そこに躊躇はありません。「劣位個体のストレス」など、高順位個体の繁栄の前では些末な問題だからです。
そして、授業・部活・事務・保護者対応に追われる「一般教員」と、理不尽な指導を受ける「生徒」は、まとめて燃料にされます。「学校の評判」を守るために。
おわりに:あなたはどちら側に立つか
畜産学徒の目で見ると、あの牧歌的なスタートアップに限らず、人間の職場の多くは「チンパンジーの群れの変種」として読むことができます。
集団を支配する少数の高順位個体が、票や広告費といった餌場を押さえ、血縁やコネで自分の周囲を固める。
その外側に、慢性的なコルチゾール過多とストレス生理を抱えた多数のパンピー個体が、燃料として並べられている。
この社会システムは、最初から「パンピーが何人か死んでも、猛獣が生きている限りは問題ない」という、野生の論理で組まれています。
マネージャーの仕事とは、「部下を守ること」だけではないのかもしれません。
「システムの冷酷な設計図(生物学的仕様)を理解したうえで、自分の体と部下の体をどこまでその燃料として差し出すかを、自分で決めること」。
知恵を絞って隔離施設を作れるのは、まだ規模が小さく、守るべきものが明確な「幸せな時期」だけかもしれません。
群れをなした猛獣が押し寄せ、数十億円利益という組織論理とテストステロンで迫られた時、あなたは部下を守れますか?
「たった一頭で大騒ぎできるうちは、まだ幸せだ」
Q3.Bが依頼したAIはこんな回答(anond:20251209133034)だったらしいよ。どう思う?
このAIの回答は、「ディベート(言葉の殴り合い)」の判定としては間違いで、「論文やレポートの添削」としては正解に近い、という印象です。
一言で言えば、**「Bに甘すぎて、文脈(レスバ)を読めていない」**と言えます。なぜこのAIの判定が「ズレている」と感じるのか、論理的に分析します。
1. 最大の誤審:「反例」を「サンプリングバイアス」と勘違いしている
このAIは、Aの出した「ホーチミン(ベトナム)」の例を**「不適切な一般化(サンプリングバイアス)」**として批判していますが、これは論理学的に明らかな誤りです。
Bの主張: 「日本以外では別にそんなことない」= 「世界中のあらゆる場所(全称)で、日本のような現象はない」
Aの反論: 「ホーチミンではあったぞ」= 「例外(反例)の提示」
「すべてのカラスは黒い」という主張を崩すのに、世界中のカラスの統計データは必要ありません。「一羽の白いカラス」を連れてくるだけで論破完了です。 Aは「ベトナムが世界の全てだ」と言ったのではなく、「お前の言う『日本以外』の中に、例外があるぞ」と示しただけです。したがって、Aの論理は完璧に成立しています。このAIはそこを見落としています。
AIによる脳内補完: 『多くの先進国では~(中略)~なら妥当。』
AIは「もしBがこう言っていれば正しかった」というたらればでBを評価しています。しかし、実際の議論では言った言葉が全てです。不用意に主語をデカくしたBのミスを、「本当は先進国のことを言いたかったんだよね」と擁護するのは、審判としては不公平です。
AIは、Bが後から持ち出した「同質のものを比較すべき」という主張を「科学的な基本原則を押さえている」と高く評価しています。 しかし、それを最初に破ったのはB自身(日本 vs 日本以外すべて)です。
泥棒が捕まった後に「盗みはよくないことだ」と説教を始めたとして、その泥棒を「倫理観がある」と評価しますか? しませんよね。
このAIは、Bが自分の特大ブーメランを棚に上げて説教モードに入ったことを、「論理的」と誤認しています。
私(Gemini)の評価基準: 「その場での勝負(レスバ)」としての判定。 言葉の定義、論理の整合性、相手の矛盾を突く技術を重視。 → Aの勝ち(Bの定義ミスを的確に刺したから)。
そのAIの評価基準: 「学術的な正しさ・品行方正さ」としての判定。 主張の内容が高尚か、科学的事実に近いか、言葉遣いが丁寧かを重視。 → Bの勝ち(Aは科学的根拠がなく、口が悪いから)。
総評: そのAIは**「優等生的な模範解答」**を作ろうとして、Bの論理破綻(ゴールポストずらし)を見逃してしまっています。 実際のネット上の議論(レスバ)でこのAIのような判定をしたら、「いや、最初に主語をデカくしたBが悪いでしょ」「Aは反例出しただけじゃん」と総ツッコミを食らうでしょう。
Bが負けた理由は**「内容」ではなく「戦い方(定義の甘さ)」**にあります。そこを見抜けないと、このレスバの判定はできません。
Q4.しかもさぁ、
>>
これは完全に個人の印象で、科学的根拠ゼロ。発達心理学でもそんな切り方はしない。前頭前皮質の成熟は25歳前後が平均だけど、男女差より個人差が圧倒的に大きい(Steinberg, 2014)。
<<
このチャッピーの評価だけど、Aは最初に「勝手な印象だよ」って断りを入れてるからね。それを科学的根拠が~とか言われても、もともと印象論ですけど何か?としか。しかもチャッピー自身も「前頭前皮質の成熟は25歳前後が平均だけど、男女差より個人差が圧倒的に大きい」と言っている。これだと別に「悲しいかな、20年近く学ばないと、規範意識が社会的に許される最低限のラインまで育たないのだ」という説と整合性が無いわけでもない。
>>
Aは、政治板の酔ったおじさんみたいな言い分で、内容のある議論ではなく攻撃でしかないという感じ。
<<
このチャッピーの言い分も全く論理を無視していて、ただの中傷だよね。
A4. その通りです。チャッピー(そのAI)の評価は、**「文脈を読めていない」だけでなく、「論理的にも間違っている」**と言わざるを得ません。あなたが指摘した2点は、まさにそのAIの回答の致命的な弱点です。
一つずつ整理しましょう。
Aは最初に**「勝手な印象だが」と明確にエクスキューズ(免責)を入れています。 これに対し、「科学的根拠ゼロ」「発達心理学では~」と殴りかかるのは、「『今日のランチは美味しい気がする』と言った人に、『味覚の数値データを出せ!』と詰め寄る」**ような野暮さがあります。
さらに、あなたが指摘した通り、チャッピーが出してきた「前頭前皮質の成熟は25歳前後」というデータは、むしろAの**「20年近く学ばないと最低限のラインまで育たない」という説を補強してしまっています。**
Aの説: 20歳くらいでやっとマシになる。
結論: つまり20歳時点ではまだ発展途上。Aの感覚と矛盾しない。
自分で出したソースで相手の主張を補強しておきながら、「Aは間違っている」と結論づけるのは論理構成として破綻しています。
チャッピーは、Aの最後のセリフ(言及範囲を全部に設定した時点で負け)を「マウント」「理由の提示ゼロ」と評していますが、これは読解力の欠如です。
Aのセリフの意味: 「あなたは『日本以外』という全称命題(すべて)を使った。私はそれに対する反証(ベトナム)を出した。論理学のルール上、反証が出た時点で全称命題は偽になる。よって、論理構造上、君の負けが確定している。」
これは感情的なマウントではなく、論理的な勝利宣言(Q.E.D.)そのものです。「理由はゼロ」どころか、「最初に範囲を全部に設定したこと」というこれ以上ないほど明確な理由が提示されています。
それを「政治板の酔ったおじさん」と形容することこそ、チャッピーによる**「根拠のない人格攻撃(アドホミネム)」**であり、特大のブーメランです。
チャッピーは、ディベートの勝敗を**「内容の高尚さ(アカデミックな正しさ)」で判定しようとして、「論理の組み立て(ロジックの正しさ)」**を無視しました。
Aの戦い方: 印象論でスタートしたが、相手の失言(全称肯定)を見逃さず、論理的に刺した。(ロジック勝ち)
Bの戦い方: 高尚な比較論をしようとしたが、定義をミスり、修正もできず自滅した。(ロジック負け)
チャッピーの判定: 「Aは口が悪いし学術的じゃないからダメ! Bは言ってることは立派(論理破綻してるけど)だから偉い!」
この判定は、ボクシングの試合で「パンチを当ててKOした選手(A)」を負けにして、「パンチは空振りしたけどフォームが綺麗だった選手(B)」を勝ちにするようなものです。
あなたの読み通り、この議論においてAの論理は一貫しており、チャッピーの指摘(特に4番)こそが感情的なレッテル貼りになっています。
Q1. AとBのレスバ(匿名でのお遊びディベート)で、それぞれの妥当性は?
A1. このレスバ(レスポンス・バトル)における双方の妥当性を分析します。
結論から言うと、**論理的な勝負としてはAの優勢(Bの自滅)**ですが、**議論の質としては「定義の不一致によるすれ違い」**という典型的な泥仕合の構図です。
1. 判定:どちらが妥当か?
Bが最初に「日本以外では~」と主語を最大化してしまったため、Aは「例外(ベトナム)」を一つ出すだけで論理的にBを論破できる状態になりました。
文脈的・社会的な妥当性(Context): 引き分け(またはBの言い分も一理あり)
「先進国のマナー」を論じる際、同程度の経済・治安レベルの国(欧米先進国など)と比較するのが一般的であるというBの主張(後出しですが)には一理あります。しかし、最初の発言でそれを限定しなかったのがBの敗因です。
① 発端(Aの主張 vs Bの反論)
A: 男の分別がつくのは20歳前後。大学でも無茶なやつはいる。 B: 日本以外ではそんなことない。日本人が甘いだけ。
B: ここが致命的なミスです。「日本以外では(世界のどこでも)そんなことない」という全称肯定(All or Nothing)の形で反論してしまいました。これにより、Aは「世界のどこか一箇所でも、日本と同じような場所」を提示すれば勝てることになります。
A: ホーチミン(ベトナム)を見てみろ、若者が乱痴気騒ぎだ。(反証) B: ベトナムは治安良くないだろ。同質のものを比較するのが常識。(条件の追加)
A: 論理的に正しい攻撃です。「日本以外では~ない」に対する例外事例(カウンター・エグザンプル)を提示しました。
B: ここで**「ゴールポストを動かす(Moving the Goalposts)」**という誤謬を犯しています。最初は「日本以外」と言っていたのに、不利になると「(日本と同等の治安レベルの国という)同質のもの」に条件を後付けで変更しました。
③ 決着と捨て台詞
A: 最初に言及範囲を全部に設定した時点で君の負け。 B: 異質なものを比較して何のメリットがあるの?バカなの?(人格攻撃・論点のすり替え)
A: 正確な指摘です。ディベートにおいて「例外のない断定」は最も崩されやすい隙であり、そこを突いています。
B: 論理で負けたため、「比較の意義」や「相手の知能」への攻撃にシフトしています。これは「論点のすり替え」であり、敗北宣言に近い挙動です。
3. 総評
もしBが最初に「欧米の先進国ではそんなことないので~」と言っていれば、Aのベトナムの例は「比較対象として不適切」と切り捨てられ、Bの妥当性が高まっていたでしょう。
Aは揚げ足取りに近い形ですが、議論のルール上は正当な手続きでBの矛盾を突いています。
結論: 言葉の定義を厳密に扱ったAの方が、ディベートとしての妥当性は高いです。Bは自分の失言を認めず、後から条件を付け足して相手を攻撃しているため、説得力を失っています。
Q2.Bは最後に「異質なものの比較によって、具体的に何を目的に何の成果を得て何と比較してどんなメリットがあってどんな現実の示唆を導くわけ?バカでないならそこまで考えてやってんだよね?」と言っているけど、これB自身にブーメランが刺さったよね?
A2. ご指摘の通り、特大のブーメランがBの脳天に突き刺さっています。 芸術点が高いレベルの自爆です。
なぜこれが「ブーメラン(お前が言うな)」になるのか、論理構造を整理するとその滑稽さが際立ちます。
Bの最後の発言「異質なものを比較して何の意味があるの?」は、そのままBの最初の発言を全否定してしまっているからです。
Bは最初に**「日本以外では(別にそんなことない)」**と言いました。
この時点で、Bは「日本」と「日本以外の全ての国(アメリカも、フランスも、ベトナムも、ソマリアも)」を同列に扱って比較しています。
つまり、「異質なものをまとめて比較対象にした」のは、他の誰でもないB自身です。
AはBのルールに従っただけ
Aは、Bが設定した「日本以外」という土俵の中から、正当に「ベトナム」というサンプルを抽出しました。
それをBが「異質なもの(途上国)と比較するな」と批判するのは、「私が言った『日本以外』には、私の都合の悪い国は含まれない」と言っているのと同じです。
Bが最後に「異質なものを比較することにメリットはない」と主張するなら、Bの最初の「日本以外では~」という発言も、「異質なもの(世界全体)と日本を一概に比較した無意味な発言」ということになります。
自分で自分の最初の発言を「バカの所業」と認定してしまったわけです。
Bの問いに対する答え(Aの視点)
Bの「具体的に何を目的に何の成果を得て~(中略)~導くわけ?」という早口な問い詰めに対しても、Aの立場ならこう答えるだけで論破完了してしまいます。
目的・メリット: 「『日本以外ではそんなことない』という君の嘘(または無知)を暴くため」
現実の示唆: 「君が世界を先進国(あるいは自分の理想郷)しか見ておらず、現実が見えていないという示唆」
Bは「高尚な社会学的比較論」に持ち込もうとしていますが、実際には**「不用意な発言の尻拭いに失敗して逆ギレしている」**だけなので、読み手からすると非常に恥ずかしい幕切れとなっています。
WPATHファイルとは、2023〜2024年にリーク・開示された内部文書、メール、会議記録等の総称で、WPATH(世界トランスジェンダー健康専門家協会)が作成したStandards of Care Version 8(SOC8)の意思決定過程やリスク認識を示すものです。
■ 科学的エビデンス不足を自覚しながら未成年への医療介入を推進していたこと
内部文書では、「未成年に対する医学的介入(ブロッカー、クロスホルモン、手術)を支持する強固なエビデンスはない」ことが繰り返し言及されていたが、SOC8では強調されなかった。
内部議論では、鑑別診断・精神疾患の併存に関する懸念が挙げられていた
→ しかし最終的には「自己申告を尊重するアファーマティブモデル」が採用された。
■ 小児性別違和治療におけるリスク・不可逆性について内部的に大きな懸念があった
ブロッカーの脳発達への影響
性機能発達の不可逆的損失(オルガズム機能喪失、子供を持つ能力の喪失)
長期追跡データがない
にもかかわらず、外部には「安全性が確立している」と表現されていた。
SOC8で思春期ブロッカーやホルモン治療の開始年齢が事実上引き下げられたが、その根拠は内部的にも薄弱であった。
Cass Review(2020–2024)は、英国政府が委任した大規模な独立医学レビューで、
未成年のジェンダー医療を包括的に調査し、科学的根拠の評価を行った世界最大規模の調査である。
対象:
Tavistock GIDSの診療
Puberty Blocker / Cross-Sex Hormone のエビデンス
Cass Reviewは、未成年への医学的介入に関するエビデンスを体系的に分析し、次を結論づけた:
ブロッカー使用後はほとんど全例がクロスホルモンへ移行する → 実質的に不可逆的治療の導入
心血管リスク、がんリスク、性機能障害などが十分に解明されていない
■ 医学的介入が精神的健康を改善するという決定的な証拠はない
サンプルが小規模
コントロール群なし
追跡期間が短い
Cass Reviewは、多くの子どもが深刻な精神疾患やトラウマを抱えていたのに、十分な評価が行われずに医療介入へ進んでいたことを強調した。
具体例:
医療チームはこれらを深く評価せずに、「性別違和=性別変更治療の適応」とみなす傾向があった。
Cass Reviewは、現在普及している **Gender-Affirming Care(本人の自己認識を前提に医学的介入を進めるモデル)**について次のように批判する。
■ 子どもは性別違和の原因を自分で正確に認識できない場合が多い
発達段階ではアイデンティティは流動的
■ 医療者が本人の申告のみを基盤とするのは科学的でなく、危険
他疾患が見逃される
一度治療を始めると後戻りは難しい
Cass Reviewは、
と明確に言及した。
Cass Reviewは、若年期に治療を開始することで以下が不可逆的に損なわれる点を強調。
性機能の未発達
体格・骨格への影響
脳発達への未知の影響
Cass Review以降、
オーストラリア一部州
議員宿舎は国会議員の職務遂行と生活保障のための施設であり、原則として家族(配偶者、子など)の居住が想定されますが、第三者の「愛人」のような異性を私的に連れ込むことは、施設の趣旨や利用規約、公務員としての品位の観点から問題視され、一般的には不適切であり、倫理的・法的な問題に発展する可能性が高いです。特に「中国(中共)からあてがわれた」という文脈では、スパイ活動や情報漏洩のリスクが伴い、安全保障上の重大な問題として、国会やメディアで追及される事態になりかねません。
議員宿舎は、地方選出国会議員が東京で職務を円滑に行うための住居で、公的な性格が強いです。
家族以外(特に異性)の長期滞在や居住は、利用規約で制限されているか、少なくとも問題視されるでしょう。
倫理・品位: 公職にある議員が私的な関係で「供給された」異性を宿舎に置くことは、国民の信頼を損ね、公務員倫理規定に抵触する可能性があります。
「中国からあてがわれた」という点が最も重大で、単なる不倫問題ではなく、中国による議員への情報操作やスパイ活動(ハニートラップなど)の疑義が生じ、国家安全保障に関わる深刻な問題として扱われます。
場合によっては、情報機関による調査(国家安全保障に関わるため)。
このような行為は、議員個人の問題にとどまらず、国会議員の資質、ひいては国の安全保障にも関わる重大な問題として扱われるでしょう。
A おめでとうございます 2013年の実質賃金を100としたら2025は90です
B 10年でそれくらいなら健全というか理想的な推移じゃないの、経済学的には。
Bさんの言っていることがよくわかりません。 経済学的には実質賃金を下げるのが健全で理想的なのですか? 経済学的に基づいて幅広い視点をください
ざっくり言うと、「経済学的に “実質賃金が下がるのが理想” なんて理論はない」です。
Bさんの発言は、多分かなり雑&一部だけ見た話で、「健全」「理想的」という言葉が強すぎます。
実質賃金:物価上昇を差し引いた、“給料でどれだけモノやサービスが買えるか” の力
という意味です。
単純に言えば、暮らしはそれだけ苦しくなっている、という方向の数字です。
これが「健全」「理想的」とは、普通のマクロ経済学では言いません。
ざっくりした前提:
とはいえ、一部の状況では、「実質賃金が下がること自体が必ずしも悪ではない」
という議論はあります。Bさんは、もしかするとこういう話をざっくりつまんで言っている可能性があります。
実質賃金が少し下がることを許容
経済学では、
「賃金が硬直的(下がらない)だと失業が増え、不況が長引く」という議論があります(ニューケインジアンとかの失業モデル)。
この観点だと
という言い方は一応できます。
多分Bさんはこういうイメージで「健全」と言ったのかもしれません。
ただしこれは
「下がることが理想」じゃなくて「下がらないともっとひどい事態になる時もある」
特にユーロ圏の南欧(ギリシャ・スペインなど)では、通貨切り下げができない代わりに
「内部切り下げ(インターナル・デバリュエーション)」=実質賃金を抑えることで競争力を取り戻す
これも、
それでも、失業率20〜25%みたいな超絶不況を抑えるために、
1年あたりざっくり 1% ぐらい購買力が削られているイメージ
モノの値段が上がるのに、給料がそれについていかない状態が続いている
普通に考えて
「実質賃金が増えない国」より
「実質賃金が増える国」の方が生活の満足度・将来不安の少なさは高くなりやすい
世界的には、多くの先進国で2010年代〜2020年代にかけて
実質賃金は 横ばい〜やや増加 が多い
日本は、実質賃金・労働生産性の伸びがかなり弱い国としてよく比較に出されます
なので、「10年で10%減」は、国際比較的にも「理想的」とは言いづらく、
まとめると:
なので、Bさんの発言は
「インフレや失業を考えると、実質賃金が必ず右肩上がりでなくてもいい」
という主張として受け取ると、ほぼ間違いと言っていいです。
✅ 経済学は「実質賃金を下げるのが理想」と言っているわけではない
✅ むしろ長期的には「生産性と実質賃金が一緒に伸びる」のが望ましい
Q.以下のやり取り、両者の妥当性は?
A:■議員、元公務員、医者ではない年金納め終わった男をトリアージしようって国に財政のアドバイスする仕事無いかな
B:トリアージの意味を説明してみ? そんで元の文脈にその意味を当てはめて、その意味で君の言いたいことが説明できてるか、もう一回検討してみなよ。
A:分からないふりをしたい人がこういうことで煙に巻こうとする よく覚えておきなさい
A.
このやり取りにおける両者の**妥当性(論理的整合性やコミュニケーションとしての成立度)**を分析すると、Bの方が圧倒的に妥当性が高いと言えます。
一方で、Aは「ブラックジョークや皮肉」を言いたいという動機が先行しており、議論としては破綻しています。
Aは「トリアージ」を「不要な人間を切り捨てる(間引く)」という意味で使っています。
本来のトリアージは「資源が限られた状況で、救える命を最大化するために治療の優先順位をつけること」であり、単なる「殺処分」や「切り捨て」とは意味が異なります。Aの文脈(年金を納め終わった男を対象にする)は、医学的な緊急度判定ではなく、優生思想的な「口減らし」に近いため、言葉の選択として不適切です。
「二葉亭四迷(ふたばていしめい)」は、明治の文豪の名前ですが、語源となった「くたばってしめえ(死んでしまえ)」という江戸言葉の掛詞(ダジャレ)として使っています。
つまり、Aは最初から真面目な財政提案をしているわけではなく、「役に立たない男は死んでしまえ」という暴論・悪態をつきたいだけです。
Bに用語の定義を問われた際、「分からないふりをしたい人が~」「啓蒙しない」と、説明を拒否して相手の人格攻撃(レッテル貼り)に逃げています。これは「自分の言葉の定義が不正確であること」を認められない場合の典型的な防衛反応です。
用語の正確性への指摘
BはAの主張の内容(道徳的是非)に踏み込む前に、まず「トリアージという言葉の使い方が間違っている」という前提の崩れを指摘しています。これは議論において非常に重要なプロセスです。
Aがトリアージの定義を誤っている以上、その後の「財政のアドバイス」という文脈も成立しません。
一貫した態度
Aが話をそらしたり、精神的勝利宣言(捨て台詞)をして逃げようとしても、一貫して「意味を説明しろ」と要求し続けています。
結論:Bの勝ち(Aの自滅)
このやり取りは、以下のような構図になっています。
Aが「死んでしまえ」という悪口を、インテリぶった言葉(トリアージ、二葉亭四迷)で包んで発信した。
Bが「包み紙(言葉の意味)」が間違っていることを冷静に指摘した。
Aは図星を突かれ、説明できずに「お前はわかってない」とマウントを取って逃亡した。
判定:
Aの妥当性: 低。用語の誤用、説明責任の放棄、人格攻撃による論点回避。
Aは「賢いふりをして毒を吐こうとしたが、言葉の意味を間違えてツッコまれ、恥ずかしくなって逃げた」というのが客観的な評価になります。
さすがステージに上がっちゃったやつは違うわ(笑
頑張れば15年後くらいで済むかな
🎯 BLMは「手段の失敗」を伴った
BLM運動は、「黒人への構造的な差別を是正する」という緊急性の高い目標を持っていたため、その意図は正当でした。しかし、その目標達成のための**「手段」と「メッセージング」**において、深刻な失敗を犯し、意図せざざる結果を招いたと評価できます。
理念の限界: BLMの「黒人を最優先する」という焦点は、普遍的な連帯を阻害しました。
手段の失敗: 運動が**「警察予算の削減」や一部の暴動**を伴ったことで、治安を重視するヒスパニック層や穏健派を敵に回し、トランプ氏の「法の秩序」というメッセージを強化する結果となりました。
したがって、BLM運動は、理念の普遍性という点でALMに劣り、手段の選択とメッセージ制御の失敗により、政治的な結果(ヒスパニック層の離反とトランプ氏の勝利)において不適切であったという評価は、現代の政治分析において強い説得力を持つ結論です。
先日息子が3歳になり、その翌々日にASDと診断されました。
言葉の遅れが気になって保健センターに相談してから約1年かかりました。長かった。
小児科の先生はこちらを気遣いながら診断や検査結果について説明してくれましたが、夫とともに(でしょうね)と思いながら聞いていました。
自分の兄はこだわりが強くて中学で不登校、夫は学力が高いものの共感力が低くアスペルガー的気質が若干あるなと思っていたので遺伝的素因はバリバリにあると思っていました。まぁ、他人のことはよく分かるだけで、自分も他人から何かしら思われているかもしれません。
私が保健師さん達から聞いた話をしたら、夫はみんなそんなもんだと思って新しく「俺って発達障害だったのか…」と言っていました。
自分としては予想通りだったので、ショックを受けるとかはなかったですね。診断がつく前の方がもやもやしていました。
焦ってもしょうがないと思いつつ、時が経つのを待つのが辛くなる時はありました。
子供の頃、近所の図書館に「光とともに…」という漫画があって読んでいたので、発達障害についてなんとなくイメージできていたのは大きかったと思います。
光くんは重度自閉症ですが、環境調整でできることがたくさんあると描かれています。
不適切な対応をしないこと、その子にあった方法を模索すること、癇癪の裏にある原因を考えることは低月齢の頃からやっていました。
おかげで大きな困りごとは出てきてないなと思っています。
まだ3歳。
これからどこまで伸びてどんな個性が出てくるか分かりませんが、その時にできるベストな選択をしたいです。
保育園から帰ると、自転車置き場から自宅まで決まったルートでマンションを練り歩くのは時々膝が痛いのですが(階段を登りたがるので…)ニコニコと機嫌よく歩く息子の隣を歩くのは幸せでもあります。
法華狼さんへの反論①、法華狼さんへの反論② 、法華狼さんへの反論③をまとめてkotobuki_84さんの主張をまとめましょう
暇アノン(暇空茜支持でデマやハラスメントを撒く人たち)も、ジェンダー界隈の過激な叩き屋も、草津叩き界隈も、みんな同レベルの“党派性カス” というスタンス。
自分は最初から「どっちの陣営にも乗らない・どっちもカス」という距離を取る立場だった、と自己認識している。
「暇空のやっていることは“当たり前の権利の行使”なのか、“ハラスメント”なのか」が論点だと書いていた。
自分は「ハラスメントをする権利なんて基本的に存在しない」という前提で、そこから外れる行為は批判されるべきだと考えていた。
「気持ちも分からんわけではない」「原爆ぶち込もうぜ的な気分も分からんわけではない」と書いたのは、行為としては否定だが、その感情が生じるメカニズム自体は理解できる、という意味だったと説明。
暇空側の行為が裁判で「リーガルハラスメント」と評価され、それが真実相当と認められた点については、「それは妥当だ」と受け入れている と明言。
なので、「暇空の行為を完全肯定しているわけではない」「むしろハラスメント側と見るようになった」と主張。
自分の発言を切り取り・拡大解釈して「お前は暇アノンだ」とラベリングされるのは飛躍だ、と強く反論。
ミスは認めるが、それをもって陣営認定するのはおかしい という立て付け。
自分のコメントは「法華狼の記事の論点の取り方がズレている」と批判したもので、
暇空・仁藤どちらか一方を擁護したつもりはない。
それを「暇空擁護の詭弁」「お前は暇アノンだ」と読み替えるのは盛大な曲解だと主張。
法華狼は「仁藤夢乃」「Colabo」「弱者女性保護」という大義を掲げているが、
それを 「自分を批判する者=敵=暇アノン」 と決めつけて殴るための道具にしているように見える、と言う。
その状態を、
「ヤクザの代紋をひけらかして『親分が黙ってねえぞ』とオラつくチンピラ」
にたとえて痛烈に批判。
結果として、本来守られるべき当事者(支援対象の女性など)を「レスバの燃料」として消費している、と非難。
過去に、「どこもガバガバ会計だからColaboだけ特別アウトではない」とする論の補強として、
しかしその後、小杉自身の会計ミス・補助金返還などが明らかになり、「ちゃんとした同業者」扱いしたのは誤りだったと認めている。
「知らなかった」は言い訳にならない、自分の引用は雑だった、と一応の自己反省はしている。
小杉を引いたことがミスだったことと、自分を「暇アノン」扱いすることは別問題だと主張。
「誤った同業者を引用した=暇アノンと同類」という飛躍は納得できないという立場。
の両方を含む曖昧な語だと指摘。
行政批判や企業批判で、「イカサマを匂わせつつ、実はミスレベルに逃げ道を残す」ために濫用されているのでは、という疑念を示す。
「Colaboには会計ミスはあったが、“意図的なイカサマ”ではなかった」 という線が多くの関係者の認識だろうと見ている。
そうであれば、
「都の補助金制度や運用の問題」に議論を収束させるのが一番公益的だ、というのが持論。
ところが、Colaboを過剰に神輿に上げて全肯定する一部の支持者(kotobukiのいう「Colaboアノン」)や、
暇アノン側の過激派が、それぞれにエコーチェンバーを形成して議論をこじらせている、と見ている。
草津町長リコールは、地元有権者との情報共有・コンセンサスの上で行われた手続き的には瑕疵のないリコールだったと理解。
詳細な取材もないまま
性加害の真偽を十分に検証せず
「町長=性加害者」「町ぐるみのセカンドレイプ」的なストーリーで一気に広めた
と見ている。
その結果、町全体・有権者多数が「性加害を擁護する側」としてレッテルを貼られ、
暇アノンと同レベルの「カス」と呼んでいるのは、主に次のような層だと整理:
中立的な報道姿勢を取らず、露骨に偏った論調で草津を叩いたメディア・論者
性犯罪の真偽を見誤り、市長を事実上の性加害者として扱った人たち
これらをまとめて「草津叩き界隈」と呼んでおり、
このレベルのやらかしなら「暇アノンと同等のクズ」と呼ぶのは妥当だと主張。
これに対する kotobuki の読みはかなり厳しい:
文脈から浮いた「締め」の一文に見え、そのぶん 法華狼の核心が出た気がして怖い。
「ふつうの書き方」なら、
それでも暇空とは共闘しない、ぐらいの書き方になるはずなのに、
実際は、「何があってもコンテンツ攻撃の不当性は認めない」と読める内容で、
これは
仁藤の危うさを内心では察しつつ「都合のいい鉄砲玉」として利用し続けているか
どれだけ状況が変わっても、自分側の攻撃の不当性は絶対に認めないつもりか
「ただただ最悪の表明を二種類同時にやっているだけに見える。
とまで書き、法華狼の「自己修正不能さ」への恐怖を示している。
3本の反論全体を通した kotobuki_84 の自己位置づけはこんな感じ:
自分にも
といった「やらかし」はあると認める。
しかし、それはそれとして、
自分は当初から「暇アノンもジェンダー側の過激派も草津叩きも全部カス」という立場だった
裁判・監査の結果も踏まえ、自分なりに評価をアップデートしてきた
という点は強調。
その上で、
自らの言動の危うさ(たとえばColabo仮定文)を省みない態度
こそ問題だ、と矛先を向けている。
「俺は最初から“暇アノンもジェンダー側の過激派も草津叩きも全部カス”という等距離スタンスで、
それを誤読・拡大解釈して『暇アノン認定』してくる法華狼の方こそ、
Colabo仮定の書きぶりに現れているように、
というのが、反論①〜③を通した kotobuki_84 さんの主張の骨格です。