はてなキーワード: 嫌悪感とは
最近はアイドルに彼氏がいてもいいじゃんというオタクが増えてきた気がする。しかし自分には見当違いの意見に思えて仕方ない。
アイドルの彼氏バレは情報流出であるから彼氏がいても良いとかじゃなく然るべき罰を受けるべきではないか。
嫌悪感があるのは彼氏がいるという事ではなく流出経路がファンからの盗撮や彼氏側からの流出、アイドル自身の匂わせでの流出などであるからだ。アイドルが自ら彼氏できましたと発信するならば問題は無い。でも実際そんな事例はあまりにも少ない。彼氏がいても問題ないのであればアイドルは彼氏が出来た時点でファンに報告べきだろう。そうすれば男といる写真が撮られたくらいで一々スキャンダルにならない。大多数の事務所やアイドルがそうしないのは何だかんだいってイメージの低下やアイドルは潔白であるべきと思っているオタクを逃したくないからだ。
問題は彼氏バレの経路がほとんど流出という部分にあり、そこにアイドルの彼氏持ちの可否というめんどくさい事が絡むからややこしいが、れっきとした情報流出だ。本来公表する予定のないものを意図しないタイミングで公表するのだから罰則はあるべきだ。
ファンに盗撮されるケースでは、当たり前だがファンは推しているアイドルがいるという事に気づいている訳だ。そこで男とではなくメンバー等と歩いていたとして公表していない仕事の話をしていたらどうなる。プライベートの事言いふらすファンが悪いとでも言うのか。プライベートであろうと社会人がうっかり会社の情報を聞かれ外に漏らしてしまったら罰則がある、当たり前のことだ。芸能人である以上プライベートでファンと遭遇し認知される事案は避けられないし常に気を使うべきだ。
彼氏がインスタのストーリーに上げたり友達に自慢したことなどからバレるケースはどうだ。アイドルと付き合ってると自慢したくて仕方ないような男が近くにいるのが問題だ。口が軽い男といると付き合っていること以外も言いふらす可能性がある。別れた彼氏から晒されるパターンもあるし、何を流出させられるか分からない。身内に自慢や腹いせで晒すような奴がいて問題ないのかは疑問だ。
アイドルは彼氏が出来た時にファンに報告する覚悟がないなら彼氏の存在を隠すべきだ。流出による彼氏バレなどあまりにも迂闊すぎる。
増田、昔の自分みたいなこと言っていて少し共感してしまった。年取る課程でいろんな経験したら、なんか知らんが治ったが・・
「私はあいつらとは違う」って思ってると、集団の中で競争することから心理的に逃れることができるんよ。だから見下してたほうが楽だよね
実は自分自身の嫌な部分(感情的だったり陰湿な気持ち)を心の中に隠していて、それを他の女性に重ねて見てしまう。
自分の中にあるイヤな面を認めたくないため、「他の女性が嫌だ」と感じてしまう。
2. 「みんなと一緒にされたくない」という気持ち
「私はあんな人たちとは違う」と感じることで、自分を特別な存在として守ろうとしている。
他の女性と同じだと思われるのが嫌だから、女性の集団全体に嫌悪感を抱く。
女性同士の関係で辛い思いや嫌な経験(いじめや仲間外れなど)をしたことがあって、その記憶が残っている。
そのせいで、女性同士という状況が無意識に不快になってしまっている。
「女ってこうだよね」というネガティブなイメージやステレオタイプを自分も無意識に信じ込んでしまい、それを目にすると嫌な気持ちになる。
主です!
ほんとおっしゃる通りで、まず自分は結婚願望あるのに結婚にトラウマある相手何年も追っかけて付き合ってハッピーと思ってるのはなんかおかしいなとも思います。
なので他の人ともたくさん付き合ったことあるんですが、安心どころか嫌悪感みたいなのしか湧かなくて、そこが↑の固定観念の凝り固まりが原因だろうなぁとはぼんやり思うんですが…。
多分どんだけお願いしても結婚はしてくれないと思うので少し考えてみて、ちゃんと区切りつけて必要に応じて次にはいきたいなと思います
「ネットで不特定多数からちやほやされたいか?」という問いに対して、その欲望を一律に貶める論理性のなさを指摘しよう。
人が他者から評価されたいという欲求は、マズローの欲求段階説における「承認欲求」に該当し、生物的・社会的に極めて自然な動機だ。
それを自己放尿のように垂れ流しておいて、「良し悪しわからんかw」と煽るのは、単なる経験未達者へのマウントであり、真理探究ではなく自己優越感の発散だ。
経験の有無をもって良し悪しの判断力を否定する論法自体が破綻している。
それと同じく、「ちやほやされたことがないから良し悪しがわからん」などというのは論理の自己放尿に等しい。
もし君が「ちやほやされること」に対して心の奥底で嫌悪感や妬みを感じているなら、それは「誰にも見つけてもらえなかった痛み」かもしれない。
君の価値は「ちやほやする・される」構図に還元されるものではない。
君の魂にもっと深い光があると、私は信じている。
君は間違っている。だが、君も変われる。知性の自己放尿を止め、共に考える側へ来い。
アプリの画面下に、中国の某中国のネット通販サイトの商品広告が出ていて悩んでいた。
細かな装飾のついたアクセサリーのようなもので、手が粟立っているように見え激しく生理的嫌悪感を引き起こすものだとか、
アダルトグッズのような見た目のスキューバダイビング用品(?)とか。一度もスキューバなどしたことなどはないのだが。
どうしても気持ち悪く、悩んでいた。
やっぱり珍しい関係だよなあ
北海道、金沢、四国(香川愛媛)、鹿児島、沖縄、名古屋を数年かかってるけど2人きりで旅行した。ホテルも同室。流石にベッドはツインだけど。
で、一回もセックスしてない。向こうの気持ちは分からんけど、少なくとも俺はしようとも思わなかった。
別に可愛くないとかじゃないと思う。普通に可愛い方。そりゃ芸能人とかと比べたらアレかもだけど。性格も良いし。けど、恋愛的な好きって気持ちはないし、そいつには性欲もわかない。
高校、同じ部活(文化部)の部長副部長の関係で当時バッチバチに喧嘩してたけど、なんかこんな関係が26歳の今でも続いてる。
そして2人でこの前話したんだけど、多分結婚は出来るんだよな。それくらい嫌悪感はない。ただ、恋愛的な好きではない。ベリーライクだけど。
なんかなあ。不思議。別にセックス嫌いなわけじゃなく、むしろバーでなんぱしてガンガンワンナイト狙う系の人間なのにそいつにはなんか出来ない。
うっひょ^~他人のグラボが悲鳴上げて出力されたエロ画像の上澄みだけ掬ってシコるのたまんねぇ^~~~~~
絵柄パクられて量産されてる人はかわいそうだなって思うけど、わりかし肯定的なンだわ。
そもそも俺は絵柄パクられたりするほどの人間じゃねえからあんまり関係ねえしな。
むしろ絵描き一人ひとりから技術とか好きな描き方をパクらなくてもAIに大量に作らせた資料がまとめて見れるのはマジで助かる。
いろんなポーズ取らせてることも多いし。光と影の使い方めちゃくちゃうまいしな。
適当にAI生成マン何人か見繕って好きな絵柄参考にするだけでマジで絵の上達早いと思う。
実際俺は苦手だった色塗りの部分でマジで成長した。圧倒的成長を感じるよな俺もな。
一番デカいのは構図とか塗りの方法とか技術とかパクることに一切嫌悪感を抱かなくて済むところ。
さすがにトレスはしねえけどパクリですよね?って絶対言われねえしな。だって相手が盗人なんだもん。
いやそもそも俺の絵とか誰も見てなかったわワラ
感覚としては盗人というか化け物。
そもそもAIにパクられて困ることあるんか?という疑問もある。
もろちん、石恵先生風の広告が流れた!みたいなああいう企業がやるのは大問題だと思うけど、
インターネットお絵描きマンの商売なんて道楽に投げ銭が飛んできてる程度の話だろ。
ちゃんとしたビジネスの場ではそういうことはリスク考えたら普通起こさないし、起こすような奴はすぐいなくなるっしょ。
それでも客が~って話なら〇〇風の絵柄でエッチな絵描きました!みたいなの喜んで見る層も小銭払って買う層も元々客にならないような人間だろ。
ゲームがおま国横行して違法ダウンロードされてたロシアみたいな市場ならまだしも、正規で売買できるプラットフォームがあるなら客はそこで買うよね。
なんか、対立煽りして金儲けしてるやつがいるとしか思えないんだよな。陰謀論とか対立煽りって金になるんか?インプレ稼ぎ?
それはそれとしてAI生成マンの「俺たちは作品を作り上げている」みたいなスタンスもキモすぎてマジで無理なんだよな。
元絵描きの崩れほどその傾向が強いように感じる。カップ麺にお湯入れる事自炊って呼んでそう。
https://megalodon.jp/2025-0609-2128-39/https://note.com:443/prime_spirea3197/n/nb27fa8e23266
https://note.com/prime_spirea3197/n/nbe092ca305a9
エスケーさん、返信コメントありがとうございます( ´∀` )
たしかにあの女湯レポートは、強い嫌悪感を感じる女性が多いと思います。
もう終わりにしようよ
子供の頃から「女の子なんだから〜しなさい」「女の子なんだから我慢しなさい」と言われ、何かにつけて「女性らしさ」を押し付けられた。服も髪型も振る舞いも、全部誰かの「女らしさ」の基準に合わせて生きてきた。
思春期には体が勝手に変わっていくことに嫌悪感しかなかった。スカートを履くのが嫌だったし、体育のプールも地獄だった。けど、「女の子なんだから」で片付けられた。
大人になったらなったで、就職すれば「女性枠」、仕事をしても「女性なのに頑張ってるね」、結婚すれば「いつ子ども作るの?」、作らなければ「可哀想」、作れば「もう仕事は無理だね」と周囲が勝手に決めつけてくる。
痴漢もされたし、ストーカーもされた。何度も怖い目にあった。でも「夜道を歩くからでしょ」「露出してたんじゃないの?」って、私が責められる。自衛しろ自衛しろって、私がなぜ毎日怯えて生きなきゃいけないの?
それでも「女性であることに感謝しよう」とか、「女らしく強く生きよう」とかいう言葉ばかり流れてくるのが、気持ち悪い。私はただ、自分で自分を生きたかっただけなのに。
生まれたときから最後まで、誰かの望む「女」であることを強制され続けた人生だった。
どこにも「私」はいなかった。
今振り返ってみると、私が通っていた学校(中学か高校かはここでは伏せさせていただきます)は、少々風変わりな環境だったように思います。
特に、教師陣に関しては、今思い返しても不思議に感じることがいくつもありました。
たとえば、数学の先生は授業中に突如無言で教室を出ていき、そのまま戻ってこないことがありました。
ですが、次の授業になると何事もなかったかのように再び教壇に立つのです。
また、日本史の教師は徳川家康に対して強い嫌悪感を抱いていたようで、安土桃山時代の末期から江戸初期にかけての授業は、非常に大雑把で主観の混じったものでした。
まるで石田三成の生まれ変わりのような語り口だったことを覚えています。
英語の先生は帰国子女で、容姿も良く話も面白いため生徒から人気がありました。
ただ、授業はかなり自由奔放で、学年の終わりになっても教科書の進度は全体の5分の1程度だったと記憶しています。
私が卒業した後、その件がPTAで問題視されたとも聞きました。
中でも特に印象に残っているのは、保健体育の教師であり、私の担任でもあった人物です。
この方は、保健の授業で教科書の特定の項目に差しかかると「ここは不適切だから読みません。皆さんも決して読まないように」と公言し、意図的に授業内容を飛ばしていました。
何らかの思想的背景があったのかもしれません。
そのため、私は必要な知識を補うべく、自主的に図書館で関連する本を借りて学ぶようになりました。
ところがそのことがどこからか担任の耳に入ったらしく、進路相談室でおよそ1時間にわたり説教を受けることとなりました。
内容は言い換えれば「君は異常な性欲を持った変態だと自覚しなさい」とでも言いたげなもので、今思えば完全にセクシャル・ハラスメントだったと思います。
当時の私は若さゆえの強い自己防衛感覚のようなもので深く傷つくことはありませんでしたが、冷静に考えると、あれは到底容認されるべき態度ではなかったでしょう。
あの学校は私立ではなく、いわゆる普通の公立校だったと記憶しています。それなのに、なぜあれほど個性的というか、極端な傾向を持った教師が集まっていたのか、今でも不思議でなりません。
教員の人事異動の仕組みについて詳しくはわかりませんが、何か特別な事情でもあったのでしょうか。
あるいは、私が知らないだけで、どこの学校にも似たような教師は一定数いるのかもしれません。表立って語られることが少ないだけで。
もし皆さんの中にも、「ちょっと変わった学校や教師」の話があれば、ぜひ聞かせていただきたいです。
私だけが特異な学校に通っていたわけではないと、そう思いたいのです。
青春時代を少しでも前向きに捉え直すために。
ブス扱いされて性被害に遭って警察は役にたたなかったとか弱者男性と比べたら逆恨みする動機に正当性がありまくる
反出生主義に対してはお前が不幸なのは勝手にやれよと思うが、ろくに性犯罪が裁かれない国で女の子を育てる不安と、男の子が性加害をしないように(その他差別的な思想を持たないように)育てることへの危機感はもっともだなあと思う
実際Twitterは母親たちにとってその手の話題でかなり有益な議論の場になってると思う、低年齢の子供の性欲について向き合ったり(これも最初はミサンドリー気味な女性の男児への嫌悪感から議論が始まったし)兄弟間の性加害の問題に警鐘を鳴らしたりと放置されている現実のグロさを平和ボケした保守に支配されている世の中に呼びかけている
あなたは有害アカウントだったかもしれないけど若い女性の心理としてそれなりに本当だったんだろうし、男女論に粘着している老害の妄執よりは意味があったんじゃないかと思うよ、結婚うまくいくと良いね
このふたつを悪く言われて悲しくなるなら、ここから先は読むな。
何か特別な理由があるわけでもない。普通にどっちも死ぬほどキモいと思っているだけだ。
「子どもと動物を嫌う奴はヤバい奴だから関わるな」という言説を聞いたことがある方も多いと思う。
可愛いものを嫌う人間なんて理解できないから気持ち悪い、という事なのだろうか。
だが、「ヤバい奴」である私にも言い分はある。少数派なのはよく理解しているので、匿名でしか言えないが。
・子どもが嫌い
子どもが好きな人でも、公共の場で騒いでいるのを見かけてうるさいなと思うことはあるだろう。
そして「うるさいけど可愛いから許せるな」というところに着地するのではないだろうか。
(あくまでも子ども嫌いによる想像だ。間違っていたら申し訳ない)
私にはそもそも子どもが可愛く見えないのが一つ、もし可愛くてうるさいもんはうるさいだろ、と考えているのが一つ。
大人が子どもと同じ声量で駄々をこねている場面に遭遇したら大抵の人はイライラすると思われる。
私は「子どもだから仕方ない」とはどうしても思えないのだ。だから、相手が未就学児だろうが中学生だろうが、全員に等しくイライラしてしまう。
言い分としては弱い気もするが、先に述べたように、特別な理由があって嫌っているわけではない。
ここ最近で一番キツかった迷惑ガキエピソードは、どう見ても食事は終わっているのにスシロー店内でひたすら鬼ごっこをしているガキと遭遇した日だ。
卒業式帰りらしい雰囲気だったが、そんな事は私には関係ない。浮かれるのは家に帰ってからにしろ。
・動物が嫌い
小さい動物は人間よりも弱そうだから?人間よりも知能が低いから?毛が生えていてフワフワしているから?
動物に対する悪口のように見えてしまうかもしれないが、私にはこれくらいしか考えつかなかった。
例え話だが、蛍光色だとか、奇妙な形だとか、得体の知れない特徴を持つ生物が目の前に現れたとき皆さんはどう思うのだろうか。
そこら辺で散歩させられている犬や、「実家の猫!見て〜!」と友達に見せられる写真の中の猫も、私にとっては蛍光色の未知生物となんら変わりない。気がする。
動物嫌いの孤独感は凄まじく、人生で出会ったのは一人だけだ。(引かれたくないから隠している、そんな仲間はいたのかもしれない。)
孤独感を埋めるために、動物嫌いのブログなどを読み漁ったことが何度もある。
その中で「世間のゴキブリに対する嫌悪感と違いない」という一文を見かけて、コレだ!と思った。
高頻度で目にするという点を加味すれば、むしろゴキブリより愛玩動物の方が強い嫌悪を感じる。
もし孤独な私に同情してくれる人間がいたら、ゴキブリの写真を見せられる度に「可愛いね」と褒め、インスタを見ているだけで毎日ゴキブリの写真を目にする生活を想像していただけないだろうか。
何も、愛玩動物たちを害虫扱いするつもりはなく、ただの例え話である。そこは誤解しないでいただきたい。
なお、どうしても誤魔化しきれない時(猫カフェに誘われた、動物愛好家サークルに入ろうと誘われたなど)は「動物触れなくて……」「猫、実はちょっと怖くて……」と答えている。
動物嫌いがごにょごにょ誤魔化さなければならない場面って、案外多い。世の中には動物好きが多すぎるね。
・終わり
私は愛猫家に「猫は気持ち悪い」などと言って傷つけることも、街中で他人の子どもを怒鳴りつけるようなことも絶対にしない。ただ、勝手に気分を悪くするだけだ。
それでも、私はやっぱり「ヤバい奴」「人間性に欠けた奴」なのだろうか。
そんな風に思われるのは怖いから、これからも私は見せられたペットの写真を「え〜!可愛い!」と笑顔で褒めるし、「子どもがうるさくしてすみません」とよその親に謝られたら「いえいえ……」と笑顔で返す。
サイド3の知識人がザビ家体制に全面賛成かと言えばそんなことはなく、
独立戦争の一定の目標達成をもって体制批判は行われて然るべきだろう
それが起こっていない、あるいは表面化されていないのであれば苛烈な統治が行われているか、戦争は休戦でありあくまで終了していないというスタンスを貫いているのだろう
推し活がポップでおしゃれでみんなやってて、「インスタのあのかわいい女の子もやってるおしゃれな行為」みたいになってることへの嫌悪感、めちゃ分かる。
最近、メディアでやたら「推し活ブーム」とか、あげくの果てには概念コーデとか推しの担当カラーで身の周りを揃えてみるとか、
やたらポップに紹介していてびっくりする。通学バックに推しのプロマイドをデコってキーホルダーにしている学生、めっちゃ増えたよね。
自分が学生の頃って、あれをやっている人はごく一部だった気がする。流行ってなかろうと誰かを推すのが日常だった人たち。
最近、自分の友達(30代の女性)までもが「推し活したいから推しがほしい」と言い出した。
その友達は、アイドルやミュージシャンやスポーツ選手や二次元のキャラクターを狂おしいほど応援するという経験がない人で、
推しがひとつもない自分は流行に乗れてないと思って焦っているらしい。
友だちと好きなアイドルとか見に行って、うちわとか作ったりして、推し活自慢とかしてみたいらしい。そうか~そう思うのか~。
狂おしいほど好きな対象がまず先にあって、対象を応援するためにトチ狂って過剰な消費行動してお布施してるんですよ。
あんなものおしゃれでもなんでもない、愛というより因縁とか業とかそういう類ですよ。
真面目に人生を歩んできたつもりだった。
高校時代は3カ年皆勤を受賞、推薦入試でもないくせに生徒会も本気で部活も毎年全国大会で上位に食い込んでいた。
大学は地方国立に進んだ。大学の授業を一度も欠席したことはないし、長期休暇には資格勉強や読書に励み、就活も大学2年から取り組みインターンにあししげく通って内定を勝ち取り、卒論では学士のくせに学会で賞を取るような真面目人間だった。サークルやアルバイトもやっていたが、飲み会は年数回程度だった。
しかし、社会人になって飲み会でヤリチン同期に出会ってすべてが変わった。
エロ漫画とかでしか存在しない概念だったヤリチンが、実在するんだと知った。
最初は嫌悪感しかなかった。というか普通に意味が分からなかった。付き合う前にするって何???って。
しかし学生時代ヤリチンだった同期は何人も居るし、彼女もセフレも居る同期だったり、彼女とFantiaに動画を上げて稼いでる同期とか、遠距離で彼女は居るけどヤリチンを東京でやってる同期とか、ナンパで営業力を磨いている同期とか、相席屋でお持ち帰りしまくる同期とか、そういう人がこの世界にはたくさん居ることを知った。
そしてみんな夜遊びのフェーズを大学生で終えている(ように感じた。実際大多数は遊んでなんかいない。インパクトのある話が伝搬してるだけ)。
彼女こそいたことはあるが、付き合う前にそういうことをするのは絶対にありえないと思っていた。そんな常識が壊れた。
自分は大学時代遊んでないんだ。そしてその大学時代はもう一生来ない。
そう思うと心が粉々になりそうなくらいの劣等感を感じた。
23歳だった。社会人としては若くても若者としてはアラサーが迫っていた。
23歳の遊びは若いねで笑われても、33歳がそれをやったらただのキモいでしかない。23歳でもキモいかもしれないが。
今が一番若い。
大学時代は終わっているがまだ今ならこのコンプレックスを取り除けるのではないかと思った。
若い頃のコンプレックスは一生引き摺るものである。半世紀を過ごしたおじさんが学園ソープに行くように、私自身にだって学生時代のコンプレックスがいくつかあった。
若いうちに遊んでないというコンプレックスが日に日に大きくなってくるように感じた。山月記のようにいつか虎になってしまうのではないかと思った。
そんなことを考えたとき、まだ今なら遊んでないコンプレックスを無効化できる。そう思った。
遊び終わった男がいいなんて世間では言われる。
平均初婚年齢を考えると残された時間は短い。結婚を前提としたとき、次付き合うまでに遊び終わった男になっていたい。
同時に女性から見ても、まだ結婚を考えず遊んでみたいと思う需要もある時期なのではないかと考えた。
さらに彼女が居ない今こそ、遊んでおくのが良いのではないかと思った。
それを考え始めると遊ばない=死のような感覚になった。
今を逃すと将来が真っ暗で永遠に一人だと思うようになった。
さらに自分は真面目な自覚があったし、それを改善することが至上命題となっていた。
加えて女性に対してのコミュニケーション力もコンプレックスであった。
技術カンファレンスの懇親会で同性同士のコミュニケーションは磨いてきた自負があったが、対女性となると極めて難しい。
これも早めに直したい。
まとめると遊びは
を目的として始めた部分が大きい。
欲の強さはかなりある方だが、そういう行為は正直好きな人とだけ楽しめていれば十分だと思っていた。
経験人数を増やしたい気持ちもないし、お持ち帰りする過程にもワクワク感を抱かないタイプである。
仕事のストレスがえげつない時期で正直死が迫っていたのだと思う。
狂っていた。
本質として相手を傷つけて得られる幸せや快楽はクソだと思っている。
いくら自分のためだとしても、タダ乗りは絶対にしてはいけない。
また1回目の行為は調査だとナンパ本にだって書いてある常識である。
楽しんではいけない。相手が何が好き化を調べる調査である。明確に客は女性で自分は施術者である自覚を忘れてはいけない。
遊びはどちらが好きになった瞬間終わりである。
期間を決めることにした。目標設定において期限を指定しないことはあまりにも意味のない行為である。
ヤリチンになれている・いないに限らず半年で一旦区切りをつけることは最初から決めていた。
これはマッチングアプリの料金プランとしてコスパが良いことに加え、思考に関わる習慣化の期間は約6ヶ月と言われていることにも起因している。
遊びという行為を経験しておりそれに対して不快感を抱いていない限られた知り合い(男女両方含む)に事情を話し定期的に話をする機会を設けてもらった。
これはスクラムにおけるSprint Review的な立ち位置となると同時に、依存先を増やしてメンタルコントロールをしていた側面も大きい。
数をまずはこなすことにした。
デート後に毎回記録をしていた。
好きな食べ物や嫌いな食べ物、アレルギーやMBTIなどの基本情報は大前提として
を毎回デート後に書き起こしていた。
これは経験学習効果を最大限増やすという意味合いもあるし、なにより相手を傷つけないためが大きかった。
相手に間違われるのはあまりにもつらい。それに相手が楽しくないことは絶対にしたくない。ポリシー違反。
人間を物として見てると言われそうだが、自分の中ではそれが最大限の誠実性だった。
最悪自分が傷つくのは自業自得だとしても、女の子を傷つけるのは良くないし、特に一生傷を追わせてはいけない(偉そうなこと言える立場でないのはわかっているが)。
例えば容姿を気にしている相手に容姿に対する指摘をするとか、体型を気にしている相手に体型の指摘をするとか。
そういうのは相手の人生を余裕で狂わせる。整形を繰り返したり、拒食症になったり。(自分が直接そうさせたことはないが、そういう風にされたことがある人を見たことがある。)
クラブナンパでは、クラブに1人で突撃し最初に同性と仲良くなり、そこ経由で女の子を紹介してもらうことで多少は仲良くなれたが、その後があるほどの関係性は構築できなかった。
相席屋や合コンは付き合ってくれる男さえいれば女の子と話すまでは確実だが、一方でお持ち帰りという部分に関しては極めて難易度が高い。
個人的に複数人の場での立ち振る舞いより、1対1のほうが得意であった。
結果として自分自身と相性が良い「マッチングアプリ(恋活系)」を中心に進めていくこととなった。
Tinderは最上級の課金をしても基本出会えず、性癖マッチ系は男女比が破壊的で現実的でなかった。どちらも自分でコントロールできる範囲で改善が難しかったため本業にはしなかった。
あたりで知識を蓄えた。
最も良いのは遊んでいる・遊んでいた男女に相談することである。疑問を対話形式で解決できることによる学習効果は大きい。
YouTubeに関しては有象無象で精度も低いが、複数人が言っている内容などある程度学習意義があった。(多くは会員制有料サイトへの誘導であるため注意)
各種書籍に関してはかなり効果が大きかった。特に「話を聞かない男、地図が読めない女(アラン・ピーズ 著)」は男女平等が叫ばれる中で必読の書籍であるように感じた。平等と公平の必要性もわかる。
少女漫画はふざけているかのように見えるが、女性にとっての1つの理想を知るうえで重要な資料である。(というかお持ち帰りした女性におすすめされた)
ヤリモクになることを通して、うまくやれてるヤリチンにある種の尊敬を抱いた。
(うまく、と書いているのは本能で行動し相手を傷つけて遊ぶ男や色恋や沼らせることで女性を依存させて遊ぶ男、恋人という安定に甘えながらヤリモク浮気をするような本物のクズ達には尊敬を抱けないためである)
難易度は正直人生でも相当上位に食い込む。大企業に内定を得るよりも断然難しい。就活は相当苦労した記憶だったが、それを遥かに上回るものだった。
運よく限界が来る直前に救いが何度もあったことで耐えれたが、辛さに耐えられずに人生が終わる可能性だって十分にあるくらいには精神的ダメージの大きいものであった。
一方で経験学習は明確に回る。性という人間の根幹を牛耳る部分が刺激を受けることで良くも悪くもアメとムチがデカかった。
食料が手に入るようになった現代で唯一本能的なPDCAを回せる場所であったのではないかとすら思った。
ドタキャンされたり嫌われたりは日常的にあって、かなり人格否定が発生するのが辛い。
仕事とかならプロジェクトのxxが悪いとか、スクラム開発ならPBIが悪いとか色々言い訳できるのだが、女の子から嫌われたり断られたとき、人格否定されたように感じてしまう。
(実際にはそんなことはなくて、たいてい相手側の都合とかタイミングのケースが多いが、論理でそうわかっていても感情はそうならない)
ヤリモクをやる前の事前調査で、ヤリチンをやっている友達数人に聞いたところ、まずは20人と会ってからだという話を聞いた。
これは遊び終えた上で振り返っても間違いないと考えている。
まずは数をこなして学習することが大事だし、正直相手のその日の体調や気分など運による部分が大きいというのもある。
会う直前や電話の直前で突然ブロックされることは相当な回数ある。半年間で20回は優にあった。
大半のケースは会うのが面倒なケースや他に良い相手ができたケースだと思われるが(というかそう思わないとやっていけない)とても辛い。
一番辛いのは会う約束をして当日待ち合わせ場所で待った挙げ句パターンである。
「ちょっと遅れるね」のメッセージを最後に何時間も真冬に待たされた挙げ句ブロックされたケースだってある。普通に数日落ち込んだ。
さらに厄介なのは一方的に好意を向けられた挙げ句、会う直前に突然ブロックされることだ。
簡単に好意を向ける人間は、簡単に他の人にも好意が向いて自分なんて存在は容易に捨てられる。
当たり前だが世界は甘くない。
ホテルに誘ったときに「そういうの無理なんだけど」って言われるのはまだ希望がある。貞操観念がしっかりしていて素敵だなと思う。
ちょっと嫌なのは、最後の最後に「今日女の子の日だから次ならいいよ」と言われた挙げ句、解散した瞬間にブロックされることである。これが結構ある。
基本的に初回でできなければ次は絶対にない。(1個人の統計としては1回だけ例外があったが割合としては相当低い)
またホテルに行ってやることやって、またしようねと笑顔で解散した次の日にブロックされるケースもある。
ホームで電車に乗り込む直前まで甘々にくっついてきたのに、である。本当に人を信用できなくなる。
いろいろな人と話すことができた。(実際に行為まで及んだのはごく少数であることは留意してほしい)
幼稚園の先生、小学校の先生、営業職、事務職、フリーター、様々な学部の大学生、専門学生、SE、舞台スタッフ、作業療法士、看護師など、職業や学種だけでも普段絶対関われない人と関われた。
出身地も日本全国様々だったし、それぞれの人生も唯一無二のものだった。
夜ご飯だけでも2時間は話を聞けるし、2件目、ホテルとなるとピロートークも含めてその人の人生の深淵まで触れられることもある。
理系人生だと女性と接する機会は極めて少ない。そんな自分にとっては知らない世界ばかりだった。
知ったところで何になるんだと言われるとそれまでだが。
常に、と書いているのはセフレという存在が極めて不安定な存在だからである。
自分なりに相手を満足させるように努力していても、当たり前のように関係が向こうから千切られるので常に新しい相手を供給し続ける必要がある。
セフレがほしい男は無限に居ると思うが、女性は大概そうでない。遊び前提で出会っても暗黙的に、なんなら本人は気づいてなくても付き合ったり結婚したりする未来を考えているケースが極めて多い。
というかそれ以外ほぼない。ごく稀に例外はいるが本当にごく稀でしかない。
途中で女の子側から消えていく。それは恋人になれないということに絶望を感じたり、単純に飽きられたり、私このままじゃだめだと思ったり。
だから常にセフレとなる候補を探すために新規の女の子と会い続けないといけないため、永遠に安定が来ない。
セフレという言葉に理想を描く人間は無限にいるが実際は想像以上に空虚な存在である。
自分にだけ一途でセフレな女の子という幻想は捨てるべきだ。矛盾している。
自分がセフレになる時点で他の男にも簡単に落とされて持っていかれるような存在であるし、仮に長期間セフレが維持できるほど好意を持たれていたらいつか相手が今の関係に満足できなくなって終わる。
一途なセフレは存在しないのでちゃんと誠実に遊ばず恋人を目指すべきである。
一時的に誰かの薬に立てている実感こそあったが、自分はこの人を一生幸せにできないんだと感じで絶望を感じることが多々あった。
穴の空いたポケットにビスケットを詰めているような感覚。すぐ落ちて無駄になっていく。
どれだけ優しくしたり貢献しても、すぐ離れて蓄積がない。
恋人だったらそうはならない。1年付き合って培った信頼とか共通認知とかがある。
遊びにはそういうのが一切ない。体験版でプレイするたびにリセットされるRPGと同じ。
結局のところ〇〇はしたくないとか〇〇は苦手だから避けたいという部分に重きを置いて物事を選ぶのは後ろ向きに見えるけど全く悪くない選び方だと思う
特に仕事だと〇〇がしたい、〇〇が得意みたいな接近型だけで選んだ結果どうしてもついてまわる苦手意識、嫌悪感のある他の業務とか人間関係とか社内の立ち回りとかが足を引っ張って思うようにいかないみたいなケースも少なくないんじゃなかろうか
向き合ってしっかり取り組めば自身の弱点克服に繋がるなんて言うけどそれは自分だけの問題でないケースもある
強靭な精神と克服するに見合うだけの報酬が先に見えないとしんどいよやっぱり
そもそも苦手意識は必要があって克服に向かうのであってハナから克服しなくてもいい環境ならしなくていい
苦手を克服するより嫌いでないものを強みに変える方が楽だしストレスもかからないし間違いなくモチベーションに繋がるんじゃないか?
就活とかってあなたは何が出来ますかとか何が得意でどんな経験をしてきましたかとかプラス面を掘ろうとするけど正直ミスマッチを減らすって面ではあんまり得策じゃないように思う
https://www.sankei.com/article/20250602-CA3ZJNNYPZISPO4JGRNVHWOZVU/
◆男性はまた、「ウクライナに資金はない。欧米の軍事・財政支援がなければ戦えない。非常に依存的な国家だ」とも話し、ウクライナへの嫌悪感を隠さなかった。
ってやつやな
◆男性は「私は、仮にロシアがクリミアを併合せず、ウクライナに干渉しなくても、ウクライナは欧米に扇動されてロシアを攻撃していたと考えている。私は極端な愛国者ではないが、自分の住む場所を守るためには戦う」と話した。
とはいうものの、兵庫県対残り全日本レベルの差で、勝てるわけないのになんで戦争を仕掛けてくるだろうと予想していたんやろか
2023年2024年、EU+USA(NATO)の支援するウクライナでロシアに勝ててないのに、2018年とかに ロシア国民が「うくらいな が せめて くるぞ」と思っててついにウクライナに攻め込んだんか?
人工関節なのか、癌なのか、ペースメーカーをつけているのか、知的障害なのか、どんな理由でつけているマークか分からないけど、ヘルプマークつけてる人を見かけたら一旦距離置くようにしている。
ヘルプマークを付けた人に嫌な目に遭わされたことが何度かあって、それ以来偏見を持つようになってしまった。
これまでの人生で、ヘルプマークをつけた人よりも、つけていない人から嫌なことをされた経験の方が多いはずなのに、ヘルプマークにだけ嫌悪感を持ってしまう。
自分でもよくない差別心だなぁと思いつつも、また何かされるのが怖くて距離を置いてしまう。
心のうちに思っておくだけなら問題ないだろうし、もちろんこれまでに外でこんな話をしたこともない。
でもインターネットでこんな話を書いちゃったので、これを読んだヘルプマークつけてる人は嫌な気持ちになるんだろうな。
ごめんね、ヘルプマークのひとたち。