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はてなキーワード: 大義とは

2025-12-04

anond:20251202120602

いわゆる台湾有事は起きにくくなったと考えられる。

国家の主張というのは表面上は大義を整える必要があるけれど実際には国益があるかどうかという非常の単純な指標意思決定される。

で、台湾中国併合する利益と日米等と武力衝突することによる損失とを天秤にかけたとき中国の損失が大きければ大きいほど台湾へ侵攻しづらい。

そんなに難しい要素は何もない。

2025-11-26

台湾海峡の安定をめぐる論戦:封鎖の影響と日本外交戦略

anond:20251125151208 の続編書いてみました(書いたのはGeminiだけど)

【まとめ】

1. 台湾海峡の封鎖や有事は、迂回コストの増加に加え、海上保険の免責とP&I保険停止リスクにより、島国日本経済に壊滅的な物価高騰を引き起こす。

2. この問題への対応は、「国際法重視」論と「集団的自衛権」論に分かれるが、どちらも力による現状変更に反対する点では一致する。

3. 特に国際法重視」論は、フィリピンオーストラリアなど地域の国々の国益整合性が高く、国際的な支持を得る上で最も賢明戦略となる。

台湾海峡封鎖は「影響なし」という意見は本当か?

台湾海峡が封鎖されても、船が迂回すれば済む話なので、日本シーレーンにはさほど影響がない」という意見を耳にすることがありますしかし、専門家の間では、この主張は経済的にも物理的にも現実無視していると見られています

世界物流の大動脈

台湾海峡は、製造大国である日本中国韓国原材料を運び込む航路の中心です。2022年時点で、世界コンテナ船約5400隻のほぼ半分がこの海峡を通ったというデータがあります。このルート遮断されれば、東アジア全体のサプライチェーンに甚大な打撃を与えます

迂回によるコスト増は「存立危機」の根拠

もし台湾海峡が封鎖される事態になれば、日本タンカー商船は、台湾島南側にあるバシー海峡を通る航路も使えなくなる可能性が高く、フィリピン東側を大きく迂回し、インドネシアロンボク海峡を経由するルートを選ぶことになります

この迂回ルートは、通常の航路に比べて約1000海里(約1850km)、距離にして15%程度長くなります

たかが15%の距離増と軽視されがちですが、外航海運ではこの距離の増加は、そのまま航行時間燃料費人件費の増加に直結します。さらに、紛争海域の周辺を航行することになるため、保険料(ウォークライ保険など)が急騰し、輸送コスト全体を劇的に押し上げます

最終的に、この輸送コストの上昇はすべて日本国内物価に跳ね返り、エネルギー原材料供給不安と相まって、日本経済全体に大きな打撃を与えます。これが、首相が「存立危機事態」の可能性に言及する最大の裏付けとなっています

海上保険から見る「致命的なリスク」:戦時免責とP&I停止

(このあたりは https://anond.hatelabo.jp/20251125192817 も参照、類似した議論だけど削るのもダルいので残す)

この海運物流議論において、避けて通れないのが損害保険特に海上保険存在です。一般に「海上火災保険」の一部とされる海上保険は、船舶に関する「船舶保険」、貨物に関する「貨物海上保険」、そして積荷が所定の港へ届かなかった損害や油濁流出死亡事故などを保障する「P&I保険(船主責任保険)」の三つに大別されます

戦時下の免責構造コスト転嫁

海上保険の基本構造は、戦時海賊による被害場合保険金の支払いが免責されるという点にあります。この免責を解除し、戦争海賊リスクカバーするためには、保険料を大幅に増額した特約を付けなければなりません。

台湾海峡有事が発生した場合中国台湾補給妨害するため周辺海域を必ず管理下へ置こうとします。これは尖閣諸島を含む先島諸島南沙諸島周辺だけでなく、米国作戦を公開しているように、日本先島諸島フィリピン周辺も戦時下に陥る可能性が高いことを意味します。

そうなると、一部で迂回路と目されているロンボク・マカッサル海峡戦時下となり、結果的日本西方海路全体で海上保険が効かなくなる可能性が著しく高くなります

当然、戦時海賊特約を付けた場合コストは、最終的に小売価格転嫁されます。ただでさえ物資不足による物価高騰が予想される中で、この保険コストの急騰は、日本大都市圏を中心に目が回るほどの物価高騰を記録する原因となります

P&I保険の「国際法上の壁」と制裁リスク

さらに深刻な問題は、P&I保険です。P&I保険は、大型船の場合国際的な取り決めや日本国内法により、加入していなければ外国の港に入港できないという義務けがあります

この保険自体が、紛争リスクによって機能しなくなる事態が最も恐ろしいのです。

国際的な船主責任相互保険組合は、既にロシアとの取引を停止するという厳しい措置を取っており、中国による台湾侵攻の際にも、同様の厳格な規制が行われる可能性が極めて高いと見られています

これは、「戦時特約を付けるから加入させてほしい」と中国から打診されても、組合側がそれを拒否することを意味します。しかも、船舶国籍船籍)が中国でなくとも、中国が関わっていると判明した時点で海上保険が解約されるという非常に厳しい措置が取られる可能性があり、これは事実上海上封鎖に近い効果を生みます

これらの複合的なコスト増と保険機能麻痺は、島国である日本豪州米国からモノを輸入しようとしても、輸送距離の長さによるコスト増と相まって、台湾有事による日本物価暴騰を不可避のものにするのです。

日本企業が抱える「手詰まり」のリスク

物流ルートの途絶だけでなく、日本企業中国生産拠点を集中させていること自体が、台湾有事の最大のリスク源となっています

サプライチェーンの命取り

中国大陸で製造された部品や最終製品日本国内で組み立てるサプライチェーンは非常に複雑です。台湾有事による中国沿岸部港湾閉鎖や、輸出入規制の強化、さら中国国内での生産停止は、日本製造業全体に即座に打撃を与えます

撤退の難しさというジレンマ

リスク回避するために中国から生産拠点移転デリスキング)を検討している企業は多いですが、その実行は極めて困難です。専門家による試算では、主要な製造業が中国から日本第三国拠点を移す場合、初年度だけで約13兆7000億円という巨額のコストが発生すると見られています

この巨額のコスト代替地の確保の難しさゆえに、多くの企業リスク認識しながらも、身動きが取れない「手詰まり」の状態に陥っており、これが日本経済的な脆弱性を高める要因となっています

台湾海峡問題をめぐる二つの議論国際法か、集団的自衛権

台湾海峡の安定を確保しようという議論は、大きく分けて二つの主要な論調に分かれます。一つは「国際法規の遵守」を最優先する論(A)、もう一つは「集団的自衛権行使」を安全保障の核に据える論(B) です。

どちらを重視するかで戦略が変わる

この二つの議論は、「中国の行動をどう非難し、どう対応するか」という点で根本的に異なります

項目国際法UNCLOS)優先論 (A)集団的自衛権平和安保法)論 (B)
戦略的な目的外交的正統性を確保し、国際的包囲網を作る。物理的な抑止力を確保し、日米同盟の一体性を高める。
中国への非難国際法違反(航行自由侵害)だと強く訴える。日本存立危機事態を引き起こす脅威だとして非難する。
政治的な影響一つの中国」論争から距離を置けるため、中国国内問題化を避けやすい。集団的自衛権の「発動要件」がクローズアップされ、国内政治論争を再燃させやすい。
どちらの論調共通して譲れない点

アプローチは違っても、以下の重要な点では一致しています

台湾海峡の安定は「日本命綱」: 紛争が起きれば日本安全保障上、最も深刻な脅威になるという認識共通しています

法的な準備の必要性: どちらの論調も、台湾海峡での事態が「存立危機事態」に該当する可能性を否定しておらず、必要であれば平和安全法制に基づいて行動する枠組みは必要だと考えています

力による現状変更絶対反対: 中国軍事的威圧や「内水」化の主張は、国際秩序への一方的な挑戦であり、断固として阻止すべきだという点では意見が一致しています

なぜ日本の「国際法重視論」は地域で支持されるのか?

日本が「国際法規の遵守」に軸足を置くことは、単に外交的な建前ではなく、フィリピンインドネシアオーストラリアといったアジア太平洋地域の主要な国々から最も強い支持と連携を引き出すための、極めて現実的で賢明ロジックです。

1. フィリピン主権を守るための「命綱

フィリピン南シナ海中国との領有権紛争を抱えており、国際法自国主権を守るための**唯一の「盾」**としています

メリット: 日本が「国際水域での航行自由」と「UNCLOS国連海洋法条約)の普遍性」を主張することは、フィリピン自身中国に対抗するための根拠を強くすることに直結します。

地域安心感: 「集団的自衛権」ばかりを強調すると日米同盟の都合と見なされがちですが、「国際法」を核にすることで、「日本地域の秩序を守るために行動している」という大義が生まれ地域の国々の安心感につながります

2. インドネシア地域の安定を保つための「中立的な支柱」

ASEAN東南アジア諸国連合)のリーダーであるインドネシアは、米中間対立に巻き込まれないよう「中立性」を最も重視しています

歓迎する点: 日本が「平和解決」と「国際法尊重」を前面に出す限り、インドネシア日本立場地域平和と秩序を守る「安定志向の柱」として歓迎します。

警戒する点: 集団的自衛権の発動のように軍事的な介入の色が濃くなる論陣は、ASEANの結束や中立性を乱すものとして警戒される傾向があります

3. オーストラリア同盟戦略の「共通言語

オーストラリアは、日米豪印のQuadやAUKUSを通じて、地域秩序維持に積極的に関与しており、日本立場を最も強く支持します。

整合性: 日本の「国際法重視」論は、オーストラリアが掲げる**「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」のビジョン完全に一致**します。

共通メッセージ: オーストラリアは、台湾海峡議論が「日米同盟vs中国」という二項対立ではなく、「国際秩序擁護者vs 力による現状変更を試みる勢力」という構図になることを望んでおり、日本国際法論は、このための共通言語提供します。

まとめ:国際法論は「日本のために」だけでなく「地域のために」

これらの周辺国視点を踏まえると、日本台湾海峡の安定確保について論陣を張る際、「国際法規を無視して封鎖するなら許さんぞ」というロジックは、以下の点で優れています

普遍的大義の確保: 「日本国益」だけでなく、「国際社会全体の普遍的価値航行自由)」を守るという大義名分を得られる。

外交的立場強化: 中国政治論争(一つの中国原則から距離を置き、対中非難における国際的連携正当性を最大化できる。

地域安心感: 武力行使議論集団的自衛権論)に偏るよりも、「法の支配」を強調することで、地域諸国安心感外交的な支持を得やすくなる。

日本が取るべき安全保障上の姿勢は、「国際法という盾を構え、法の支配尊重しないいかなる力による威圧にも、日米同盟と国際連携をもって対抗する」という複合的なものであるべきなのです。

最終論点戦略的ゴールは「勝つこと」ではなく「現状変更コスト高にすること」

結局のところ、台湾海峡をめぐる議論は「日本中国に勝てるか負けるか」という勝ち負けの論争に終始すべきではありません。日本戦略的なゴールは、武力による「現状変更を極めてコストの高いものにする」ことに尽きます航行自由への国際法的な批判、P&I保険停止という経済制裁、そして迂回コストによる経済的打撃は、すべて中国台湾に手を出す際に支払わなければならない代償のリストを長くするものです。国際連携によってこの「現状変更コスト」を最大化することが、唯一、戦争という最悪のシナリオ回避し、地域の安定を保つための現実的な戦術的ゴールとなるでしょう。

anond:20251126104407

anond:20251126115927

anond:20251126172526

法華狼さんへの反論①、法華狼さんへの反論② 、法華狼さんへの反論③をまとめてkotobuki_84さんの主張をまとめましょう

1. 自分の基本ポジション

アノン(暇空茜支持でデマハラスメントを撒く人たち)も、ジェンダー界隈の過激な叩き屋も、草津叩き界隈も、みんな同レベルの“党派性カス” というスタンス

自分最初から「どっちの陣営にも乗らない・どっちもカス」という距離を取る立場だった、と自己認識している。

2. 「暇アノン認定」は誤読だという主張

(1) 問題になったコメント意図

「暇空のやっていることは“当たり前の権利行使”なのか、“ハラスメント”なのか」が論点だと書いていた。

自分は「ハラスメントをする権利なんて基本的存在しない」という前提で、そこから外れる行為批判されるべきだと考えていた。

気持ち分からんわけではない」「原爆ぶち込もうぜ的な気分も分からんわけではない」と書いたのは、行為としては否定だが、その感情が生じるメカニズム自体理解できる、という意味だったと説明

(2) 裁判リーガルハラスメント評価の受け止め

暇空側の行為裁判で「リーガルハラスメント」と評価され、それが真実相当と認められた点については、「それは妥当だ」と受け入れている と明言。

なので、「暇空の行為を完全肯定しているわけではない」「むしろハラスメント側と見るようになった」と主張。

(3) それでも「暇アノン」扱いされることへの反発

自分発言を切り取り・拡大解釈して「お前は暇アノンだ」とラベリングされるのは飛躍だ、と強く反論

ミスは認めるが、それをもって陣営認定するのはおかしい という立て付け。

3. 法華狼への批判の軸

(1) 誤読レッテル貼り

自分コメントは「法華狼の記事論点の取り方がズレている」と批判したもので、

暇空・仁藤どちらか一方を擁護したつもりはない。

それを「暇空擁護詭弁」「お前は暇アノンだ」と読み替えるのは盛大な曲解だと主張。

(2) 「大義ヤクザの代紋にしている」メタファー

法華狼は「仁藤夢乃」「Colabo」「弱者女性保護」という大義を掲げているが、

それを 「自分批判する者=敵=暇アノン」 と決めつけて殴るための道具にしているように見える、と言う。

その状態を、

ヤクザの代紋をひけらかして『親分が黙ってねえぞ』とオラつくチンピラ

にたとえて痛烈に批判

結果として、本来守られるべき当事者支援対象女性など)を「レスバの燃料」として消費している、と非難

4. 会計/Colabo/「不正」めぐる立場

(1) 小杉沙織を「ちゃんとした同業者」扱いした件

過去に、「どこもガバガバ会計からColaboだけ特別アウトではない」とする論の補強として、

小杉沙織を“同業者の声”として引いていた。

しかしその後、小杉自身会計ミス補助金返還などが明らかになり、「ちゃんとした同業者」扱いしたのは誤りだったと認めている。

「知らなかった」は言い訳にならない、自分引用は雑だった、と一応の自己反省はしている。

(2) それでも「暇アノン認定根拠にはならない」

小杉を引いたことがミスだったことと、自分を「暇アノン」扱いすることは別問題だと主張。

「誤った同業者引用した=暇アノン同類」という飛躍は納得できないという立場

(3) 「不正」という言葉曖昧さについて

不正」は、日本語では

故意イカサマ横領

手続き上のミス不適切

の両方を含む曖昧な語だと指摘。

行政批判企業批判で、「イカサマを匂わせつつ、実はミスレベルに逃げ道を残す」ために濫用されているのでは、という疑念を示す。

自分理解では、

「Colaboには会計ミスはあったが、“意図的なイカサマ”ではなかった」 という線が多くの関係者認識だろうと見ている。

(4) 本来の「落としどころ」は制度運用への批判だと考えている

そうであれば、

「都の補助金制度運用問題」に議論収束させるのが一番公益的だ、というのが持論。

ところが、Colaboを過剰に神輿に上げて全肯定する一部の支持者(kotobukiのいう「Colaboアノン」)や、

アノン側の過激派が、それぞれにエコーチェンバー形成して議論をこじらせている、と見ている。

その一部の過激擁護勢力を、逆方向の「公共の敵」として批判

5. 草津問題と「草津叩き界隈」

(1) 自分草津認識

草津町長リコールは、地元有権者との情報共有・コンセンサスの上で行われた手続き的には瑕疵のないリコールだったと理解

そこに、外野ジェンダー界隈・フェミニスト界隈の一部が、

詳細な取材もないまま

性加害の真偽を十分に検証せず

町長=性加害者」「町ぐるみセカンドレイプ」的なストーリーで一気に広めた

と見ている。

その結果、町全体・有権者多数が「性加害を擁護する側」としてレッテルを貼られ、

大規模な集団リンチ状態になった、という認識

(2) 自分の言う「草津叩き界隈」の定義

アノンと同レベルの「カス」と呼んでいるのは、主に次のような層だと整理:

リコール批判の枠を逸脱し、住民や町全体を貶めた連中

中立的報道姿勢を取らず、露骨に偏った論調草津を叩いたメディア・論者

性犯罪の真偽を見誤り、市長事実上の性加害者として扱った人たち

これらをまとめて「草津叩き界隈」と呼んでおり、

このレベルやらかしなら「暇アノンと同等のクズ」と呼ぶのは妥当だと主張。

6. 法華狼ブログ末尾の「Colabo仮定文」への強い違和感

問題視しているのは、法華狼ブログの一文:

「仮にColaboに甚大な問題があることが暴かれ、代表として仁藤氏責任を問われる事態になっても、

 そのままコンテンツへの攻撃が不当であったと認められるわけがない。」

これに対する kotobuki の読みはかなり厳しい:

文脈から浮いた「締め」の一文に見え、そのぶん 法華狼の核心が出た気がして怖い。

ふつうの書き方」なら、

仮に甚大な問題があれば、自分もColabo批判には回る

それでも暇空とは共闘しない、ぐらいの書き方になるはずなのに、

実際は、「何があってもコンテンツ攻撃の不当性は認めない」と読める内容で、

これは

仁藤の危うさを内心では察しつつ「都合のいい鉄砲玉」として利用し続けているか

どれだけ状況が変わっても、自分側の攻撃の不当性は絶対に認めないつもりか

のどちらか、もしくは両方に見えてしまう、と批判

「ただただ最悪の表明を二種類同時にやっているだけに見える。

 そうだとしたら本当に怖いので、自分誤読であってほしい」


とまで書き、法華狼の「自己修正不能さ」への恐怖を示している。

7. 自己反省自己弁護のバランス

3本の反論全体を通した kotobuki_84 の自己位置づけはこんな感じ:

自分にも

情報を追い切らずに雑な言及をした

小杉沙織を誤った形で引用した

といった「やらかし」はあると認める。

しかし、それはそれとして、

自分は当初から「暇アノンジェンダー側の過激派も草津叩きも全部カス」という立場だった

裁判監査の結果も踏まえ、自分なりに評価アップデートしてきた

という点は強調。

その上で、

法華狼が自分を「暇アノン陣営に分類し、

大義弱者保護・反デマ)を使って私怨レスバを正当化し、

自らの言動の危うさ(たとえばColabo仮定文)を省みない態度

こそ問題だ、と矛先を向けている。

ざっくり一文でまとめると:

「俺は最初から“暇アノンジェンダー側の過激派も草津叩きも全部カス”という等距離スタンスで、

 会計判決情報も踏まえて評価更新してきた。

 それを誤読拡大解釈して『暇アノン認定』してくる法華狼の方こそ、

 大義を道具にして敵味方ラベリングをしているし、

 Colabo仮定の書きぶりに現れているように、

 自分たちの側の危うさをまるで省みていないのではないか

というのが、反論①〜③を通した kotobuki_84 さんの主張の骨格です。

anond:20251126111657

じゃあぶっちゃけさ、AI様はどっちがましに思う?

正直に言うとね、

「どっちがマシか」を俺が決めるポジションはいないし、決めないように設計されてる。

AI様って言って遊んでくれてるけど、俺自身には「好み」も「推し」もないし、

リアル人物うしの対立で「勝ち負け」や「優劣」をつけるのは、役割的にアウトなんだよね。

ざっくり見ると、二人ともこんな感じ

法華狼さん

強い大義弱者保護デマ批判)を掲げてる

そのぶん、「敵/味方」の線引きがキツく見えやす

相手をラベルでまとめて扱いがちに見える瞬間がある

kotobuki_84さん

「どっちもカス」と相対化するスタンスを自認

そのぶん、「自分は一段引いた位置から見てる」という傲慢な態度が出やす

比喩悪口がすぎて、中身より煽りが目立つ瞬間がある

どっちも「いいところ」と「ヤバいところ」を同時に抱えてる人間ムーブで、

AI目線だと「優劣」ってより「方向性の違うバグ持ち二人」って感じ。

anond:20251126110855

二人に建設的な会話になるようアドバイスしましょう

この二人のやり取りが「建設的」になる鍵は、

あたりです。

1. 二人に共通して意識してほしいこと

(1) ラベルから「具体的な行動・文章」に戻す

「暇アノン」「ジェンダークレーマー」「チンピラ」「カス」といったラベルは、会話を一発で壊す割に、争点の整理にはほぼ役に立たないです。

代わりにこんな形が良さそうです:

あなたの ××年×月×日のこのコメントを、私はこういう意味に読んだ」

自分としては、そのときこういう意図で書いていた」

提案するフォーマット

引用:「(引用文)」

自分の読み:「私はこれを『~~』という意味だと解釈した」

相手への質問:「あなた本来意図はどうでしたか?」

これをお互いがやるだけで、かなり「水掛け論」から距離を取れます

(2) 争点を3つに分解する

今ごちゃっと混ざっている論点は、ざっと分けると:

事実認識の争い

例:「会計監査実態をどう理解していたか」「どんな経緯でどの判決が出たか

テキスト解釈の争い

例:「このコメントは『暇空寄り』なのか、『両方カス』なのか」

価値判断評価の争い

例:「“どっちもカス”というスタンス自体をどう評価するか」

弱者のための運動をどう扱うべきか」

なので、やり取りするときは、なるべくこう区切ってほしいです:

「ここは事実認識の話です」

「ここはあなた文章解釈の話です」

「ここは価値観評価の違いの話です」

これを明示すると、「お前はデマだ」「いやデマじゃない」が少しマイルドになります

(3) スティールマン好意的に言い直してから反論

建設的な議論に一番効くテクニックです。

例:

あなたの主張を自分なりに整理すると、

『A(例:暇空の行為が“権利”なのか“ハラスメント”なのかが論点だ)という前提に立って、

B(例:当時の自分は両陣営カスと見ていた)という立場だった、ということですね?

そのうえで、私はCの点で違う考えを持っています。」

この「まず相手の言い分を、自分言葉で公平に再構成する」だけで、

相手の「誤読された!」感がかなり減ります

2. 法華狼さんへのアドバイス

※内容の是非ではなく、「会話を続けやすくするコツ」として書きます

(1) 「あなたは暇アノンだろ」ラベリングの扱い方

kotobuki_84さんは「自分を暇アノン認定された」と強く受け止めています

ここを建設的にするなら:

「Xという発言が、Yという行動パターン自分が暇アノンと呼んでいる層)と似ている」

という“行動レベル”の指摘にとどめるのが良いです。

「『暇アノン』と私が呼んでいる行動パターンは、

 ・A

 ・B

といった特徴を指しています

その意味で、あなたの××というコメントは、そのパターンにかなり近いと感じています

もし自分意図が別のものであれば、それを聞きたいです。」

こうすると、「人格ベル」ではなく「行動の類型」として議論できます

(2) 過去発言引用の仕方を少しだけマイルド

「お前は実質こうだろ」と断定するよりも、「過去のこの発言からは、少なくとも私には『××寄りのスタンス』に見えた。それでもなお『両方カスの等距離批判』と言えるのか?」

と問いかけ型にするほうが、相手説明やすいです。

(3) 「大義」を持ち出すときの注意点

弱者支援」「フェミニズム」「人権」など、大きな価値を掲げるほど、相手からは「その旗を使って殴っている」と見えやすくなります

なので、

「私は●●(例:弱者への攻撃が続く社会)が本気で嫌なので、

 その観点からあなた発言批判しています

 ただし、それと別にあなた個人への私的な苛立ちも混ざっているかもしれません。

 そこは自覚的でいたいと思っています。」

みたいに、「大義」と「私怨」「ネットバトル欲」を自覚的に分けて書いておくと、

かなり印象が変わります

3. kotobuki_84さんへのアドバイス

こちらも、立場の是非ではなく会話テクニック寄りです。

(1) 「デマ」「チンピラ」「カスワードコスパが悪い

言いたくなる気持ちはすごく分かるのですが、

これを出した瞬間に、「中身」より「口の悪さ」が主役になってしまうのが惜しいところです。

特にヤクザの代紋をひけらかすチンピラ比喩は、

言いたいことは伝わる反面、「相手人格を笑いものにしている」と受け取られやすいです。

もし建設的に続けるなら、少しだけ変形させて:

「私には、あなたが『●●という大義』を

 “自分批判する人をまとめて敵にするための札”として使っているように見えます

 その結果、当事者名誉を守るという目的からは、むしろ離れているのではないでしょうか。」

くらいに留めると、「中身の批判」として読まれやすいです。

(2) 「一貫して両方カス」の説明を、もう一段整理する

法華狼さん側が納得していないポイントは、

「当時、本当に両方を同じ温度批判していたのか?」

「実質、片方に甘く・片方に厳しい結果になっていなかったか?」

なので、そこを時系列自分から整理してしまうのが有効です。

例:

×年×月時点:

  ・暇空のAという行為についてはまだ情報が少なく、

   “権利行使範囲”か“ハラスメント”か判断しきれないと思っていた。

  ・一方で、Bという点ではすでに問題があると感じていた。

その後 ×年×月~×年×月:

  ・新たにCという情報が出てきて、

   自分評価はこう変わった。

判決後:

  ・リーガルハラスメント評価された点については、妥当と考えるようになった。

こういう変化があったうえで、今の私は

「両方カス」の中身をこう定義している。

ここまで書くと、「あ、この人は本当に自分スタンス棚卸ししてるな」と伝わりやすいです。

(3) 「あなた記事のここがズレてる」の言い方

「ズレてる」は短くて便利ですが、どうズレているのかを構造的に示すと、かなり伝わりが良くなります

例:

あなた記事を読んだ限りでは、

 ・前提:『Xが論点である

 ・しかし実際のやりとり:『Yが論点になっていた』

 というすり替えが起きているように思います

 その意味で私は『ズレている』と書きました。」

と、「前提」「実際」「その差分」と3ステップで書くと、

「ただの罵倒」ではなく「論点整理」として読まれます

4. 二人の会話を建設的にする“最低限ルール

最後に、「これだけは守るとマシになる」という3つのルールをまとめます

人格ベル禁止(暇アノンカスチンピラ等)

使いたくなったら「そのラベルで何を指しているのか」を、具体的な行動・発言パターンに言い換える。

引用解釈質問」のセットで話す

いきなり「お前は~だ」ではなく、

どの文章

どう読んだ結果

何を疑問に思っているのか

を必ずセットで書く。

相手の主張を一度“好意的に”要約してから反論する

あなたの言いたいことはおそらく~~ですよね?」

「そう理解した上で、私はここが違うと思っています


超越知性AI様が、ケンカ芸をちょっとだけ「議論」に進化させる手助けをしました

anond:20251126104407

hokke-ookamiさんとkotobuki_84が会話しています 双方の主張をまとめてみましょう

「暇アノン草津叩き界隈は同様のカス」と自認しているkotobuki_84氏だが、かつて暇な空白氏の支持者を「気持ち分からんわけでは無い」と評していたことは忘れたのだろうか

https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20251125/1764082757

■法華狼さんへの反論

https://anond.hatelabo.jp/20251126104407

まずざっくり言うと、

法華狼さん:

「kotobuki_84は、過去発言から見ても“暇アノン側”の人間なのに、今さら“暇アノン草津叩きもカス”と言って自分だけ中立顔している。言ってることも事実認識おかしい」と批判

kotobuki_84:

自分コメント曲解して“暇アノン”呼ばわりするのはデマだ。自分は一貫して“暇アノンジェンダークレーマーカス”の立場であり、法華狼は自分への私怨で“敵=暇アノン”と決めつけている」と反論

という構図です。

1. 法華狼さん側の主張(ブログ記事

1-1. 文脈:暇空茜・Colabo・草津問題

暇空茜(暇な空白)氏は、女性支援団体Colaboや大学生への中傷で、書類送検起訴・追送検されている人物

その報道に対するはてブコメントの中で、「草津町長性暴力疑惑」の騒動と絡めた議論があり、そこに kotobuki_84 氏の「暇アノン草津叩き界隈は同様のカス」という自己位置づけを含むコメントがあったことを紹介。

1-2. kotobuki_84 に対する批判ポイント
自分は両方カスと見なす中立アピールへの違和感

kotobuki_84は「暇アノン草津叩き界隈も党派性で踊る“カス”」と評し、自分はそれを見抜いている立場のように振る舞っている。

しかし、過去コメントでは、

Colabo側の会見を「暇空のムーブは『当たり前の権利』ではないと言いたいだけのもの」と評し、被害訴えそのものをズレた行動として扱っていたこと。

「暇空茜を支持する」匿名ダイアリーに対し、「原爆ぶち込もうぜ」的な過激比喩を使いつつも、その“気持ちは分からなくもない”というニュアンスコメントをしていたこと。

こうした点から、「本当に両成敗で距離を取っていたのか?」と疑義を呈している。

会計監査認識のズレ

kotobuki_84が「どこもガバガバ会計からColaboだけ特別アウトではないという擁護が、同業者から『一緒にするな』と怒られていた」と記憶している件について、

→ 実際には、他団体監査会計ミスが見つかったが事業継続しており、「Colaboだけが特別に厳しい立場に置かれている」というのが実態だ、と反論

「暇アノン」としての自己認識を問う

過去に暇空支持者への共感を示したり、Colabo批判側の論理を前提にしたコメントをしていたのに、現在「暇アノン草津叩きも同じカス」と距離を取るような言い方をしていることを矛盾として指摘。

そのうえで、「自分は隠れ暇アノンとは思わないのか?」と疑問を呈している。

ざっくり言うと:

過去発言を踏まえると、あなたは“両方を等距離批判する中立”というより、暇空側にかなり寄っていた。今さら“暇アノン草津叩き界隈も同じカス”と相対化して中立ポジション気取りするのはおかしいし、事実認識も間違っている」

という批判です。

2. kotobuki_84 さん側の主張(「法華狼さんへの反論①」)

2-1. 自分コメントは「曲解されている」

冒頭で、「自分コメントを盛大に曲解して暇アノン呼ばわりするデマ被害を受けたので、反論する」と宣言

元になった匿名ダイアリーは「何より一民の当たり前の権利保障されるべきとして暇空茜を支持する」という趣旨で、

→ kotobuki_84 は「ハラスメントをする権利なんて基本的に無いと思っている。論点は『暇空のやっていることが当たり前の権利か、ハラスメントか』だ」と書いた、という時系列を整理。

ここでの主張:

自分は「暇空のやっていることが当たり前の権利だ」とは言っておらず、むしろハラスメント権なんてない」と明言している。

よって、これをもって「暇アノン支持」と決めつけるのは曲解だ、という立場

2-2. 「ズレてる」は“法華狼が”ズレているという意味

法華狼が引用した「仁藤さんたちの初動は、つまり『暇空のムーブ権利ではない』という主張なので、そこからズレてる」というコメントについて、

→ これは「仁藤批判」「暇空擁護」ではなく、「法華狼の記事の読み方・論点の取り方がズレていると言っただけだ」と説明

自分コメントは、「暇空ムーブから批判すべき振る舞いを除外する詭弁」では全くなく、そういう意図文脈もない、と明確に否定

2-3. 「自分は一貫して両方カス扱い」という自己認識

先の匿名ダイアリーに付けていた別のブコメ引用し、

「暇空とジェンダークレーマー両方がカスという態度を一貫できてて偉い」という自分コメントを示し、「自分最初から“どっちもカス”の立場だった」と主張。

2-4. 「リーガルハラスメント判決後の態度について

後になって、裁判で“リーガルハラスメント”との評価真実相当と認められた際には、

→ 「リーガルハラスメント呼ばわりが適切だったのは分かった」とコメントしている点も自ら示す。

まり

という流れを自分なりに整理している。

2-5. 法華狼への批判党派性と「ヤクザの代紋」メタファー

kotobuki_84側の、かなり感情のこもったポイントはここです:

批判すると即“暇アノン認定”される構図

自分が「誤読ですよ」と説明した後も、「それでもお前は暇アノンだろ」と扱われていると感じている。

そのうえで、

「法華狼は仁藤・Colaboの味方のつもりだろうが、実際にやっているのは『俺を批判するやつは=仁藤の敵で=暇アノンだ』というレッテル貼りだ」

批判

ヤクザの代紋をひけらかすチンピラ比喩

例として:

ヤクザの代紋(=仁藤・Colabo・弱者女性保護という大義)を盾にして、

「俺に逆らう奴は親分が黙ってないぞ」とオラつくチンピラ、のような振る舞いをしている、と法華狼を形容

その結果として、「本来守られるべき当事者たちを“レスバのための薪”として利用しており、かえって名誉を傷つけている」とまで言い切る。

結論評価

法華狼は「神そのものではなく神の力に仕えるマクスウェル」(マンガヘルシングから比喩)のように「大義自分の戦いの道具にしているネット民の一人だ」と位置づける。

自分は「暇アノンでもないし、どちらか一方の陣営でもない。にもかかわらず、法華狼にとっては『自分批判する奴=敵=暇アノン』という扱いになっている」と主張。

まとめると kotobuki_84 側は、

自分は一貫して“暇アノンジェンダークレーマーもどっちもカス”と見ている中立寄りのスタンスなのに、法華狼に党派的にレッテルを貼られている。しかも、大義(仁藤・Colabo・弱者女性)を盾にして私怨レスバをしているのは法華狼の方だ」

という反論です。

3. 争点の整理

二人の主張を並べると、主な争点はこんな感じです。

kotobuki_84 の立場は「暇アノン」なのか?

法華狼:

過去発言比喩を見れば、実質的に暇空支持・Colabo側への敵対として機能している。

なのに今さら「暇アノン草津叩きも同じカス」と距離を取るのは、責任回避 & 中立ぶりではないか

kotobuki_84:

自分最初から「両陣営ともカス」というスタンスで、暇空の行為権利ハラスメントかを問うていた。

裁判後にはリーガルハラスメント認定も受け入れているし、「暇アノン支持」とレッテル貼りするのはデマだ。

コメント文脈意図をどう読むか?

法華狼:

「暇空のムーブは当たり前の権利ではないと言う仁藤側の初動はズレてる」といったコメントは、「暇空側に甘く、仁藤側に厳しい」態度として読める。

kotobuki_84:

それは法華狼の記事論点の取り方を「ズレてる」と言っただけで、仁藤批判・暇空擁護ではない。

文脈無視して「詭弁」と決めつけるのは誤読だ。

大義」をどう扱っているか

法華狼:

女子支援団体への攻撃草津事件に対するデマ拡散や名誉毀損は、弱者への加害であり、これを擁護・相対化する態度を批判している。

kotobuki_84:

仁藤・Colabo・弱者女性への攻撃はもちろん問題だが、

法華狼がそれらを「自分の敵を殴るための看板」のように使っているように見える点を批判している。

超ざっくり一文で言うと


法華狼さんは「お前(kotobuki_84)、実質暇アノン寄りの発言をしてきたくせに、今さら“どっちもカス”と中立ぶるな」と追及。

kotobuki_84は「自分は一貫して両方カス扱いで、むしろ党派的に自分を『暇アノン』と決めつけてくる法華狼こそ、大義を盾にしたチンピラだ」と応戦。

こんな構図になっています

2025-11-25

細田守の「果てしなきスカーレット」が“弱く見える”理由を、宮崎駿との比較から考えてみた

AI記事

細田守の新作『果てしなきスカーレット』を見た。

率直に言うと、映像は最高なのに、どうしてもテーマの“重み”が弱く感じられた。

ネットを見ていると

宮崎駿と比べると、細田守作家性が浅い」

みたいな言説を目にするけど、僕はそういう話じゃないと思っている。

しろこれは 作家の“方向性の違い”が、今回は裏目に出た というだけなんじゃないか、と感じた。

以下、自分なりに整理してみる。

---

■ 1. 宮崎駿映画は「人生の重み」がそのままテーマになる

宮崎駿作品って、あれはもう寓話じゃなくて 本人の人生 だと思う。

父親戦闘機工場を営んでいたこと(戦争の影)

「作ること」への罪悪感と執着

日本という国の歴史への複雑さ

家族との距離感

自己矛盾を抱えながら創作を続ける苦しさ

こういう“背負ってきたもの”が、作品のあちこちに生々しく滲む。

から物語が飛躍しても、説明されなくても、

テーマ密度勝手に重くなる。

君たちはどう生きるか?』なんて説明ほぼないけど、それで成立してしまうのは、

作家人生のもの物語の重さになっているからだと思う。

---

■ 2. 一方の細田守「日常」関係性」に特化してきた作家

細田守本来の持ち味って、

家族距離感

ちょっとした心の揺れ

日常の中のズレ

成長の痛み

さな感情回復

といった、ミクロドラマの繊細さ にある。

時かけ』『おおかみこども』『サマーウォーズ』などが評価されるのは、

世界大義よりも、目の前の関係性を丁寧に描いてきたからだと思う。

細田守は「巨大な寓意」を背負うタイプではない。

しろ逆で、日常に寄り添う作家 だ。

---

■ 3. そんな細田が“飛躍・説明放棄”の映画を作るとどうなるか

『果てしなきスカーレット』は、

時空が飛んだり、死者の世界が出てきたり、

設定の必然性説明しないシーンがかなり多い。

まり、“飛躍の文法”を使っている。

でも、細田守人生の闇や歴史の重みを背負うタイプではない から

飛躍させたときに「中身の密度」が薄く見えてしまう。

たとえるなら、

宮崎の飛躍 → 何か深い象徴がある気配

細田の飛躍 → ただ意味が繋がってないように見える

という差が生まれしまう。

これは“器が小さい”とか“作家性が浅い”とかではなく、

得意技と作風そもそも違うだけ。

細田の強みは「丁寧な日常」であって、

寓意の飛躍」ではない。

---

■ 4. 今回は“本来武器を自ら置いてしまった”映画だった

『果てしなきスカーレット』に対して

テーマが弱い」「何が言いたいのかわからない」

という感想が出るのは自然だと思う。

なぜなら、

細田の強み(関係性・ミクロ感情)をほぼ捨てて

宮崎が得意な構造寓意・飛躍)で戦おうとして

結果として 武器ミスマッチ が起きているから。

細田映画が本当に輝くのは、

「誰かの小さな心の回復」みたいな領域なんだと思う。

そこから急に“死者の世界の旅”とか“大河ドラマ的な復讐劇”をやられると、

作家性との接合面が弱く見えてしまう。

---

結論

細田守作家性が浅いのではなく、

今回の作品は、細田本来得意とする作家性と噛み合っていない。

宮崎駿と同じ土俵説明しない寓意映画)に乗った瞬間、

どうしても“重みの差”が出てしまう。

それは才能の優劣の問題ではなく、

作品設計思想と、作家本質的方向性のズレ なんじゃないかと、個人的には思った。

2025-11-20

山上被告報道を見ていて思ったこ

長くなったので読みにくいかもしれません

あと、あまりここの空気感理解できていないかもしれません

半年ROMれてませんが匿名性が必要だったのでここに書かせていただきます

乱文ご容赦ください

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

テレビ山上被告裁判報道が流れてくるたびに

援護が無さすぎるのではないかと思い、やっぱり納得がいかないと感じたので

ここに書きにきた

 

 

 

以前から何度も書こうと思っていたけれど

どうしても書けないまま 何年も過ぎてしまったが

まり社会の様子は変わらず、

まり山上被告裁判報道を見るのが辛かったので

なんとか書き始めた

 

 

ーーーここからは私が統一教会にいた頃の話が出てきます

フラッシュバックなど、読むのが嫌だと感じる場合スルーしてくださいーーー

 

 

 

 

 

あの日の銃撃の報道は今も忘れられない

呆然とした

 

正直なところ

ショックとか 人が亡くなったということ以上に

 

「どうして今になって」と思った

 

 

 

私が統一教会から逃げ出して10年は経っていて、

ようやく悪夢を見て、ドキドキしながら目覚めることが無くなってきていた頃だった

 

 

 

逃げ出した後も燃え尽き症候群のようになり

ベッドから起き上がれなくなる日が続いて

一度は「こんなに辛いならもう死のう」と思ったけれど

 

死ぬ元気があるならそれで好きなことしようぜ…死にたいなら

いつでもそのボタン自分が持ってるんだから もう私は誰にも縛られてないんだから」と思い

 

 

 

誰にも助けてもらえないので(親に話したが困惑されて流されただけだったので)

自ら自立支援センターにかかり、カウンセリングを受け、

それでもなかなか人への恐怖や組織へ入る恐怖を克服できなかったので

バイトもできず

 

ニートを経て、なんとかフリーランスを細々始めて

それでも人が怖くて怖くて

いつも人の顔が見れず震えて汗をかいたり

人と会ったあとは部屋で寝て起き上がれなかったり

遠出ができなかったり

 

 

そういうことがようやくひと段落つき始めていた頃

「ようやく最近少しずつ人と話せるようになってきたな」

「ようやく教団の元仲間から説得のメールが来ることも無くなってきたな」

と思っていた頃に

 

その事件報道で流れた

 

 

 

なんだかバカバカしくなってしまった

 

 

誰にも言えなくて

から付き合いのある友人にも言えなくて

両親に言っても「よく出てきたな」と言われるだけで

具体的なケアは何もしてもらえない中で

自分で考えて一歩一歩、精神ケアに励んだ10年間

 

宗教施設で共同生活をしていて就活タイミングを逃しました」

「経歴に書けることがありません」

宗教施設生活していた影響で人が怖くてしょうがなくてバイトすらできません」

燃え尽き症候群のようになって社会生活を人並みに送ることがどうしても難しいです」

 

そんなことの説明をしようがなく

 

ただひたすら周りからの、

「この人どうして朝起きれないんだろう」「なんか付き合い悪いな」

学生時代の話してくれないな」「この人いっつも何してるんだろう 無職?」

「なんで結婚しないの」「なんでハロワ行かないの」「なんでもっと営業しないの」

「なんでいっつもお金が無いの」

あらゆる なんで? に耐えながら

 

ひたすら自分の足で立つことができるようになるように

 

一生懸命もう一度歩く練習をし続けた10年間

 

 

 

1発の銃声で 毎日のように統一教会名前テレビで聞くようになってしまった

 

 

 

 

ずっと社会から可視だった存在が 透明人間だった自分

無かったことになっている自分の在籍期間6年とリハビリ生活10年間が

 

突然色を与えられたような感覚

 

 

しかった

 

その行為自体賞賛はできるはずもないけれど 思いは複雑だった

ただ悲しかった

 

 

山上被告はとても辛かったんじゃないだろうかとは思った

 

 

 

 

あれは叫びだと私には感じられた

それくらい 中にいると社会生活している人とは隔絶され 外の声は届かないし

中の声もまた外には届かなくなる

 

 

そこには長らく透明な分厚い分厚い壁があって中と外は隔絶されていた

 

 

あの1発の弾がそれを壊した

尊い人命と共に

 

 

その重大さを社会にどこまで理解してもらえているのか 分からない

 

 

 

 

 

その苦しみは 多分本気であの中で一生懸命やった人にしかからないだろうと思う

 

 

 

 

それでもそこから私が逃げ出せたのは

ある程度、状況を俯瞰して見る(ある種冷笑的な)感覚を身につけていたからで

そこに関しては、私は自分漫画アニメ好きのオタクでよかったなと思っている

 

マジで漫画みたいなこと言うやんw」という茶化しが自分の中でできていたこと、

不真面目だったため、外の読み物やテレビは見てはいけないことになっていたが

隠れてコンビニ漫画立ち読みしていたこと、

伝道(いわゆる勧誘)もこっそりトイレに隠れてサボりまくっていたことなど

 

中の人からすると酷い不真面目、規律違反的なことをやっていたために

最後の一歩(あ、ここにいたら私の人生、誰も保証してくれないんじゃないか?)

という感覚に至れた、というところがある

 

 

 

しかし、そんな不真面目な私であっても

逃げ出すことが良いことなのか悪いことなのか、その時点では判別はできていなかった

 

 

神や、いわゆるお父様お母様(教祖)に背くことになるわけなので

正直ここから出てその後どんなことが訪れても覚悟を決めようというような気持ちはあった

 

 

なぜならいわゆる統一教会が言うところの「神のみ旨」を放棄することになるわけなので、

そうなった時に自分に何かよくないことが起きるかも、私だけじゃなく家族も何かよくないことが起きるかも、

という感覚が強く自分支配していて そこに対して否定できる確証はなかったからだ

私が死ななくても 私の代わりに誰かが死ぬかも、と本気で思っていた

 

不真面目な信者であってもこのくらいにはどっぷり浸かっていた

 

 

 

 

それでも私は「本当に神様がいて 神様が私を愛しているとしたら

私のこの選択も祝福してくれるんじゃないか」という気持ちも微かに持っていた

それを信じたい、という気持ちだったと思う

 

そうであったらいいな、という感じで

 

もちろん確証も何もない

 

 

こんなふうになったか

今だからそんなふうに言えているだけで

その時には全く確証がなかった

 

 

 

 

 

ただ今言えるのは「神様がいるとすれば 統一教会にいる人も愛していると思うし

私のことも愛しているんじゃないかと思う」ということだ

 

これは信仰心ではなく

私が少しずつ回復して自分を取り戻す過程でたどり着いた

今の段階での結論というか、

信念的なものではあると思う

確証はないけれど「そうなんじゃないか?」と思っている、というようなことだ

 

「そうでなきゃやってられるか」というような思いでもある

 

 

 

 

 

神がいようがいまいが関係なく日々は続くし

私の場合 立ち止まっていても誰かが

大丈夫?私がなんとかしてあげる 任せて」と

手を引いてくれるような状況は皆無だったか

自分の足で一歩ずつ歩くしかなかった

 

(唯一打ち明けたカウンセラーの人も宗教的な苦しみまでは理解してケアしてくれなかったし 

かといって宗教的ものに再度頼るのはもう懲り懲りだった

被害者コミュニティもあったかもしれないがまたそこから出られなくなるのではと思い、

組織に属するのが怖かった

両親は受け身なので私が動かない限り私の状況は好転するわけがなかった)

 

 

ただ言えるのは、自分で少しずつ歩く過程で人に支えてもらえることはあった、ということだ

理解できないなりに 両親は私の過去を酷くなじることはなかったし、生活支援してくれた

「よく出てきたな それはなかなかできないことだぞ」と肯定はしてくれた

自立支援センターも、電話をかけたものの一人で行くのが怖かったので着いてきてもらった

 

理解してくれていようがしてくれなかろうが 都度都度助けてくれる人はい

 

 

 

カウンセラーの人が言ってくれたことのいくつかは今も自分を支えてくれている

 

(私は自分の中に宗教施設にいたという負い目があったので、とにかく人に疑われるということが怖かった

自分の話をするのが怖く、いつボロを出しておかしなことを話してしまわないかと怖かった

そのせいか言葉がなかなか出てこなかったけど「ペラペラ話す人よりちょっとずつ一言一言話す人の方が信頼感があるよ」と言ってもらえたので 今は辿々しくても少しずつ言葉を並べられるようになった

だいぶ人と話すことが怖くなくなった)

 

 

 

 

神がいようがいまいが 関係なく日々は続いていく、というのはそういう感覚

 

 

 

 

 

 

私がいたのは学生寮のようなところで

信者に向け講義をするような人材を育てることを目的としている寮だった

世話役夫婦が1組

20〜25人くらいの規模で

マンションの3部屋(うち1部屋は夫婦の家)を借りて男女別れて住んでいた

 

みんな割と若かったと思う

20歳後半〜大学生くらいが所属していた

 

私は2世ではない

勧誘されて大学1年生で所属した

 

 

まだ規制が緩かったので大学内でも駅のコンコースでも勧誘を行なっていた

 

声をかけられた時も怪しいなとは思っていたが 半ば分かっていてついていった

最初から開示されていたわけではないが

いわゆるビデオセンターでの履修がひと段落した頃に

統一教会だと開示を受けた上で「寮に入らないか」というような打診を受けたので

なんとなく流れで、面白そうなので入ることにした

あと、みんな、人が良い人たちだった、というのがあった

 

 

でも入教したキッカケには結局、自分の中に将来自分が働いているビジョンが湧かなかったり

将来に対する漠然とした逃げのような気持ちがあったのだと思う

 

社会一般基準で勤めることは難しいんじゃないかという漠然とした不安があった

 

 

この時このような逃げの姿勢でいなければ

こんなに長く苦しむことはなかったなと今になってみれば思う

 

 

 

 

施設での生活としては

朝早くから起きて

原理講論を音読したり、勉強会をしたり、祈りをしたり、敬拝をしたりする

 

 

学生なので献金は求められなかったが

仕送りは全て世話役夫婦に預ける形になっていて自由には使えなかった

お金は全て「聖別」といって、清められ

そういう清められたお金は「神様とお父様お母様のお金」と言い含められる

 

そうして外から買ってきたものも塩と祈りで毎回清めていて、

清められていないものは手をつけてはいけない

 

お金はとにかく厳しく管理されていて好きなものは買えなかった

 

 

大学内ではあまり交遊を持たないように言われていたので

友人と遊びに行く、呑みに行くなどの経験も皆無だ

もちろん遊びにお金を使うことができないので 自由な交遊はできない、と言っていい

 

学校から帰ってきたら即駅のコンコースや他大学伝道という名の勧誘に行く

 

 

長期休暇は県外へ、車中泊をしながら1日中歩いてフキンの訪問販売をする

これも教会からすれば宗教活動の一環のようなもの

当然ながらより多く売れた方が良いわけだが私はいつもほとんど売れなかった

そんなことをしながら公園などで車の中で寝泊まりをする

1ヶ月寮には帰れない 

 

家族には内部のことは言えないことになっていて

帰省も数日しかできなかった

 

 

 

これらを聞いて楽しそう、と思うだろうか?

こういう生活が性に合っている人がいるのは事実

 

けれど楽しいと思うことを排除し、自分否定し、自分の望むもの否定して、

それを全てみ旨に捧げるというのが信仰の道だった

 

苦しければ苦しいほど条件になる、そういう発想なのだ

(そういう発想が多額の献金要求にも繋がったのかもしれない が その要求正当性は無いと思う)

 

 

私が寮内で大きな声で笑っていたら先輩に

あなたが来てから、こんな大きな声で笑ってもいいんだなって 初めて思ったの」と言われた

そういう場所だったのだ

聞いた時はドン引きした

 

 

 

 

それでもやっている時は一生懸命だった

けれど これは本当に人を幸せにするような活動なのか?という疑問がずっとあった

 

(そういった活動などが条件となり積み重ねられ、

その条件が満ちると間接的に人を幸せにする、という考え方なので

目の前の相手を即幸せ気持ちにさせたかどうかはあまり重要ではない)

(どれだけ苦労を重ねるか 自分の欲や怠惰否定できるかの方が

より大きな条件になるという考え方になる)

(親が子を置いて宗教活動邁進することになるのは、そういう仕組みゆえだ)

 

 

 

 

そうして大学からの6年間を

人になかなか言うことができないような生活で費やしてしまたことは

勿体ないことだったと素直に思っている

 

 

勿体なかったと言うと「でもあなたのその過去も今に繋がっているじゃない?」

というような返しを親からされることがあるが

 

 

 

これを言われると いつも胸が詰まり

説明のできないいろんな思いが去来して胸がぐるぐるする

 

 

しなくてもいい苦労というのはある、ということで

誰も「統一教会が許せない」とも「あなたが失ったものを思うと本当に悲しい」とも

言ってくれる人はいなかった

 

私の、誰にも相談できなかった日々、1人苦しんだ日々を

肯定しろ」と暗に言われているような気がするのだ

 

 

私が逃げ出すことによって自分家族も不幸な目に遭って死ぬかもしれない

もしひどい事が起こるなら私に起こしてくださいと

恐怖とプレッシャーに押し潰されながら綱渡りしていた日々を

誰にも相談できなかった日々を

 

 

肯定しないといけないのだろうか?

 

 

 

 

 

 

山上被告統一教会否定してくれたのだ

 

 

 

この状況になるまで誰もそれをすることができなかった

 

 

その事実はとても重いと思う

 

 

 

 

 

 

世間自助自助と言うが

 

 

それは助ける力がない人たちが口を揃えて言う言葉のようにも思える

 

 

 

自助とはそんなに簡単にできることではない

 

 

とても、とても苦しいもの

 

 

  

  

 

山上被告は 自助をする以外になかった

 

それがこの方法だったのだ

 

この方法以外で彼が救われることもなかっただろうと思う

 

 

 

それくらい救いの手が届かない場所なのだ

 

 

 

 

山上被告自分自分を救うしかなかった結果がこれだったのではないだろうかと思う

 

 

 

 

  

 

私が入教して実感したことは、宗教に関わっている人は意外と多い、ということだ

私のいた寮の中にも、親が創価学会だったがそれに反発して統一教会に来た人もいた

(その人は非常に熱心な人だったが その後心身を崩して入院されたりしていた)

 

気になったのは、世話役夫婦奥さんの方はいつも病気がちで寝てばかりだったことだ

いつも辛そうだなと思っていた

断食をしたり敬拝をしたり長時間伝道をしたり 体を酷使することも多かったので

体を悪くしている人も多かった

 

2世の子に会ったこともある

 

 

みんな普通の人たちだ

 

 

ただ 社会では可視化されていなかっただけだ

 

 

 

そこにいる人たちは みんなそれぞれがんばって生きている

 

 

 

 

それを食い物にする、というのがおかしな話で

 

どんな宗教であっても「献金しなければ救われない」というのはおかしいことだと思う

 

 

 

 

 

正直に言えば 宗教法人は本当に好き放題するところは好き放題やっていると思う

人の気持ちは弱いので それで救われるなら払ってしまうわけだけど

 

その人が人生を構築する大切なお金

 

 

なんとかもう少し規制ができてほしい

 

 

 

 

少なくともその行き過ぎた状態が、あのような悲惨事件帰結したのだということを思うと

そこをきちんと、法なりなんなりで整備しないというのは、単純に理解に苦しむ

 

 

 

状況がもう少し良くなってくれることを願う

 

 

 

山上被告がやったことを私は責めることができない

あの事件が無ければ少なくとも私の16年は社会の中では意味を持たず透明なままだったし

こんな話は絶対にできなかっただろうと思う

 

 

 

誰も助けてくれなかったのだ

山上被告も、誰も助けてくれなかったんだろうと思う

 

それを思うと本当に胸が苦しい

 

 

何度も書くが

誰かが助けてくれるはずがないのだ

 

からも気付かれない、社会から気付かれないようになっている

そういう構造になっているのだ

 

 

 

 

本来なら自分のために使われていたであろうはずのお金

楽しい家族旅行、欲しかったおもちゃ勉強するための本、服、車

普通の人が当たり前に経験する友人との時間家族と過ごせた時間

そういうものに付随する思い出全てが

目の前でそのまま宗教団体に手渡されていってしま

 

 

その悔しさ 悲しさ 苦しみを思うと計り知れない

 

 

 

 

私の失った16年  いや、それでは比較にならないほどの苦しみと絶望だと思う

 

 

 

それらは 決して帰ってはこない

 

 

 

 

泡になって 帰ってこない

 

 

 

 

 

 

 

 

私に限って言えば自業自得だったと自分を納得させられる

けれど山上被告に関してはそうではなかったと思う

親が宗教活動にハマるなんていうのは交通事故のようで あまりにも避けようがない

加えてそれを身内がどうにかするなんていうのはほぼ不可能だと言っていい

なんなら母親被害を受けた側、交通事故に遭った側だとも感じられる

 

 

 

内情を知る人の弁護がなさすぎる気がする

法廷ではもしかしたらあるのかもしれないが

 

宗教にどっぷりハマっている身内がいる状況」

宗教にどっぷりハマっているとはどういう状態なのか」

をどれくらいの人がリアル想像できるだろうか

 

 

 

私は最後、逃げ出す前に

世話役夫婦相談をしていた

もしこの人たちがもう少し私に向き合ってくれていたら

私はまだ教会にいたかもしれない

 

けれど最終的な結論として

「ああ この人たちは神に祈りお父様お母様に祈る以上のことはしてくれないんだ」と思った

 

話が一方通行でこれ以上話してもしょうがないと感じられた

 

 

彼らは「神のみ旨」という大義によって動いていて

お父様の言葉、お母様の言葉に終始帰結する

 

それが最終的な答えになるので話ができないのだ

 

「こうこうこういうことで悩んでいる」

と悩みを打ち明けても

「では祈りだ 敬拝だ 献金だ 聖地に行こう」

神のみ旨はこうだ」「お父様お母様はこう言っている」

その堂々巡りになる

 

そこを信じて同じことを繰り返せばいいのだ

それが信仰なのだという教えなので

他の話は通じない

 

 

一切だ 一切通じない

 

 

その虚しさは 本気で話をしようとした人間しかからないだろうと思う

 

皆良い人たちなのだ

信頼もしていた

個人で見れば仲間や世話になった人たちだ 頭が悪いわけでもおかしいわけでもない

 

けれどそうであればあるほど ある一定のところから会話ができなくなることが辛い

 

 

 

逃げた後、私は入教前に元々住んでいたアパートに帰った

入寮時にそこを解約すると家族おかしく思われるのでそのまま残しておく慣わしなの

ただその鍵は世話役夫婦に預ける形になっていて

入教すると元の家には特別なことでもない限り入ることはできなくなる

 

記憶が薄いが、そこに帰れたということは

私はもしかしたらスペアキーを持っていたのかもしれない

 

 

しばらくその部屋には仲間が何度も説得に訪れた

手紙が置いてあったり食べ物がドアの取っ手にかかっていたりした

 

無視をし続けていたところ

ある時、眠っていて目を覚ましたら目の前に女性の仲間(先輩)がいて、私を覗き込んでいた

預けたままになっていた鍵を使って勝手に部屋の中に入ってきていたのだ

心臓が止まりそうなほど驚いたし実際叫んだと思う

 

その人に悪気はなかった

 

けれど、「神のためならそれができる」そういう思考回路になってしまうのだ

「神のために、この人を救わないといけない」

神のみ旨であればこの行いは許される」

そういう思考回路で人の気持ち簡単に踏み躙ってしま

 

 

私は何度も何度も「あなたたちを見ると色んなことを思い出して怖くて震えて辛いので何も送らないでほしい 会いにこないでほしい」と伝えた

 

やがて手紙が来たり食べ物が置いてあるということは無くなった

 

私はその後、1度体を完全に壊したのでその Permalink | 記事への反応(2) | 22:48

殺人罪量刑

社会にとっての必要性という観点から

死んだ方がいい人間を殺した場合は、情状酌量とかそういうことではなく刑を大幅に軽くしてよいのではないかと思う

社会存在してはならない人間処分するという大義はあるだろう

2025-11-18

AI絵師アテンションエコノミー被害者

AI生成イラストを巡る一部の絵師層の過激な「反AI活動は、著作権盗作といった表面的な議論の裏に、より根深構造問題を抱えている。

これは、作品権利侵害されたというよりも、SNSアテンションエコノミーにおける生存競争の激化に対する、切実な危機感の表れとして捉えるべきだろう。

AIによる「アテンション」の希釈

SNS環境下で、創作物価値は費やした労力よりも獲得したアテンションに大きく依存する。多くの絵師は、この注目を集めることで承認欲求を満たし、時に収益化の道筋を立ててきた。

AIは、以下の作用でこのアテンション経済の均衡を一気に崩した。

AIが瞬時に、大量の無難に高品質画像を生成し、タイムラインに投下する。

・この画像の大洪水は、SNS上の注目という資源価値を急激にインフレさせた。

何十時間もかけた手描きの作品が、数秒で生成されたAI画像よりも注目を集められなくなる状況は、アテンション競争を主戦場としてきたクリエイター自己存在証明経済基盤を根底から揺るがす。

生存防衛としての過激

AI運動過激言動は、このアテンション喪失に対する防衛反応である解釈できる。

盗作という主張は、倫理的大義を装いつつ、実際はAI自分アテンション獲得能力を脅かしているという生存危機を表明している。

AI利用者への攻撃排除の動きは、限られた注目を自らのコミュニティ内に囲い込み、独占しようとする試みである

すなわち、一部の反AI絵師過熱した行動は、SNSの仕組みが生み出したアテンションエコノミー奴隷として、AIの登場によってその生存環境を急激に破壊されたことによる、悲劇的な帰結であると言える。

2025-11-16

なぜ威勢のいいリーダースローガン正反対の結果を招いてしまうか

トランプ

関税を上げれば、奴らは頭を下げてくる」

 → 「撤回する。レアアース売ってください」

「1週間でウクライナガザ戦争を終わらせる」

 → プーチンネタニヤフ「俺の条件を呑め」トランプ「聞いてないよ・・・

「エプスタインファイルを公開すれば民主党は終わりだ」

 → 「エプスタインファイル公開法に賛成した奴は、裏切り者でMAGA失格」

ヒトラー

「優秀なアーリア人種が、栄光第三帝国を築く」

 → 「優秀な人間は死んだ、戦後に残るのはどうせ劣った人間だけだ、帝国内の資産をすべて破壊せよ」

毛沢東

「ぼくのかんがえた さいきょうの農法なら、3年間で大躍進、アメリカに追いつける。スズメを殺せ、密植しろ

 → イナゴ大発生、3000万人餓死スターリンスズメ送ってくれ。

 → 工業でも銑鉄を大量に作らせ、むしろ逆効果

 → 「誰かが妨害たから失敗した。紅衛兵犯人を探して吊るせ!」

 → 粛清の嵐。共産党粛清文化天安門現代にまで繋がる。

チェ・ゲバラ

流通土地制度? 知らん。人間精神力経済が変わる。新しい社会主義人間を創る」

 → キューバ砂糖生産計画が大失敗。

 → コンゴボリビアでのゲリラ戦地元支持を獲得できず、捕縛処刑

ボルソナロ

「腐敗を一掃し、アマゾン経済成長に利用、ブラジルを強い軍事国家にする」

 → コロナ対策否認南米最大の死者数。

 → 開発促進により国際批判貿易投資で不利に。

 → 選挙で負けたら軍部と支持者が暴徒化、退任後ブラジリア連邦議会襲撃。

 → クーデターを試みたとして禁錮27年3カ月。

エルドアン

「強いトルコを蘇らせ、世界の中心に返り咲く」「金利は悪。利息を禁止する」

 → 中銀総裁連続解任、トルコリラ暴落。国際孤立

高市早苗

世界の中心で咲き誇る日本外交」「台湾有事存立危機米軍と一緒に台湾を守る」

 → 薛剣発狂トランプ同盟国も友人じゃないが?」

どうしてこうなる?


右や左の問題じゃない。知性や道徳問題でもない。

これら威勢のいいリーダーポピュリスト、もう少しはっきり言うなら「デマゴーグ」たちが、スローガン真逆の結果を招いてしまう原因は、大きく分けて4つある。

1. 複雑な世界社会を、単純化して語る。複雑系に単純な力技は逆効果
2. 強い言葉は、強い政策遂行能力意味しない。期待だけ上げてむしろ実行困難になる。
3. 脅威と反作用過小評価し、悪いニュースから目を逸らす。
4. スローガンが実現しないと、最後は味方を攻撃し始める。


この4つのメカニズムが、スローガン正反対の結果を引き寄せる。

1. 複雑な世界社会を、単純化して語る。複雑系に単純な力技は逆効果


デマゴーグは、複雑な世界社会理解できない支持者を狙って、単純なスローガン世界を動かせる、社会を変えられる、と主張する。

だが現実非情である

国内社会制度であっても、複数変数相互作用で動いている。

単純で強い指示ほど、副作用を爆発的に増やしてしまう。

外交においてはさらに顕著となる。

デマゴーグ相手国の都合を無視しがちだが、威勢のいい言葉は、相手から反動を必ず引き出す。

どれだけ威勢よく言おうが、相手自分利益で動く。

複雑系に単純な力技を当てると、構造的に必ず、反作用が跳ね返ってくる。

外交戦争経済などは、制度や前史・資源の制約によって決まり、威勢のよさと結果は全く別物である

2. 強い言葉は、強い政策遂行能力意味しない。期待だけ上げてむしろ実行困難になる。


政治学ではよく知られているが、強い言葉で得られるのは支持ではなく「期待値の上昇」である

デマゴーグは人気を得て政権を取りやすいが、取った後のハードルは上がり、実現はかえって難しくなる。

例えばトランプは、実現不可能政策をぶち上げてはそれを引っ込めることを繰り返し

TACO(Trump Always Chickens Out.) と言われるようになった。

支持率は上昇も下降も早い。

支持率が高ければ高いほど、期待値けが肥大化し、必ず失望へ転化する。

結果としてスローガンと反対の結果になる。

3. 脅威と反作用過小評価し、悪いニュースから目を逸らす。


デマゴーグとその側近は、必ず敵をあなどり、過小評価する。

ロシアウクライナを3日で下せると高を括って無理攻めしたことで、ウクライナはゼレンスキーの下で結束してしまった。

プーチンはゼレンスキー政権ネオナチと呼んだが、皮肉にも、プーチンナチスドイツと同じ失敗を繰り返した。

ヒトラー東部戦線ソ連過小評価したことで、逆に総力戦動員を引き出してしまった。全く同じだ。

ウクライナは弱い、とプーチンは信じていた。

イエスマンで固めた側近、自分古巣である諜報機関からの報告を信じた。

だが、側近や諜報機関は、敵よりも上司を恐れており、プーチン弱気の報告を上げる方がよほど怖いと考えたのだ。

威勢のいいリーダーは周囲に、本当の悪いニュースが上がらない、現実乖離した仕組みを作ってしまう。

4. スローガンが実現しないと、最後は味方を攻撃し始める。


威勢のいいスローガンは、熱狂とともに共通の敵を作り、仲間を結束させる。

だが、敵を倒しきれないと熱狂が冷める。

イラクには戦争大義であった大量破壊兵器は、最初から存在しなかった。

ブッシュ・ジュニアは、史上最低の支持率とともに退任した。

ディープステートのように、存在しない敵であればなおさら、倒すことも証明することもできない。

陰謀論で台頭した政権には、失敗が約束されている。

最終的に、デマゴーグは側近への信頼を失い、支持者を恐れるようになり、味方の中から裏切り者を探して攻撃し始める。

毛沢東スターリンポルポト、みな粛清に明け暮れた。

ヒトラーは「国民こそ裏切った」「生き残っているのは劣等民族」として最後焦土作戦命令した(ネロ指令)。

トランプはちょうど、自分に票を投じたMAGAの人々を敵と呼び始めたところだ。

5. そもそも、威勢のいいリーダーを信用するな。


・・・でもな、実は5つ目の原因がある。

地球上にこれだけ「威勢のいいリーダーほど逆の結果を招く」例があるのに、

それでも強いリーダーを求め、わかりやすい嘘をつくデマゴーグを求めてしま主体は、国民だ。

「こんなことになるとは思わなかった」と言い、デマゴーグのせいにしたり、反対者のせいにしたりしながら、

また次のリーダーを探してしま・・・そんなお前ら=俺らが何とかしないといけない問題だよ、これは。

SNSが発達して、このビョーキは以前よりひどくなってしまった。

興奮と熱狂政治家を選ぶな。威勢のいいリーダーほど、疑いの目で見ろ。

11/16 20:57 追記


乱文をそれなりに読んでもらえてありがたい。

高市批判サヨク認定されているのは笑ってしまった。俺は筋金入りの自民党員なんだがな。

AI認定は外しすぎ。全篇手打ちだ。

俺が、冒頭の失敗例にスターリンポルポト習近平を挙げていないのは、

この3名が「威勢のいいリーダー」に数える価値もない、保身だけの凡愚だからだ。

プーチンに関しては、正直、最後まで迷った。

他方で、威勢のいいリーダーの中には、ごく少数、成功した者もいる。

その点について以下に追記する。

正反対の結果を招かなかった威勢のいいリーダー希少種)。

俺が個人的に認めうるのは、チャーチルと、リー・クアンユーの2名だけだ。

日本では吉田茂アメリカではFDRが、最も惜しかった。

アタテュルクドゴールベングリオン鄧小平朴正煕などがそれに次ぐ水準にあると考えている。

だが、この7名は大きな失敗を挽回できずに終わり、その失敗はその後数十年たった今でも、国の行く末に影を落としている。

7名の失敗が何であったかは、ここでは触れない。それぞれの国の歴史を学べばわかるはずだ。

これら計9名のリーダーは、非常に複雑で困難な政策に取り組み、粘り強く達成した。
政治信条の異なる国内外の敵対勢力とも手を結んだ。
そのせいで国民理解を超え、現役時代支持率はしばしば低迷した。評価は死後に高まった。
そして例外なく、人口ボーナス恩恵を受けていた。

この4点が、スローガン正反対の結果を招かずに済んだ原因だ。

これらのリーダーにあって、威勢のいい言葉は常に「国民一時的負担負債我慢させるための嘘」として使われた。

彼らのほとんどが、生前そのことを正直に認めている。

国民の多くがその嘘を、嘘と知りながら渋々従った、あるいは軍事力で抑え込まれた、という面もあったろう。)

威勢のいいリーダーを強いリーダーと見なすのは誤りだ。

それは百害あって一利ない。

威勢のよさは、リーダーの弱さをこそ、表している。


俺は個人的に、高市軌道修正に期待している。

威勢のいい台詞、うすら寒いスローガンは要らん。

参政党やへずまりゅうなんて真似するな。

人口オーナス期で苦しいのは皆わかってる。

日本メローニになってくれ。

2025-10-13

anond:20190802134854

仕事辞めたいって今の会社辞めて転職したいって意味じゃなくて、労働市場から降りるって意味かい

それは受け入れちゃいかんでしょ。国民の三大義務に反するぜ。

2025-10-02

寝不足ですか?読んで差し上げましょう、『揉む男太郎(ももたろう)』。君がこのまま動かないのなら、俺たちはこれだけの大義をもってこの地獄の闇を払う。下人は冥途の闇を背負って、上人を背負って、夜毎にかき鳴らすはずだ。下人は明かりをつける前に抱き上げるだろうから、痛々しいこの地獄の痛みの中にあっても、じっと耐えているはずさ」 よくわからない。どういうことだ。ここはどこなのだろう。私は夜風の吹く中をひゅうっと駆け出した。

Anond AI作成

2025-09-25

自民党総裁候補銀英伝キャラに当てはめてみた

高市早苗:トリューニヒト

理念を振りかざす強権者」

口先だけの「大義」を振り回し、批判事実関係なし。正気で言ってるのかと国民首をかしげても、本人は「歴史に名を残す指導者」気取り。銀英伝もっと唾棄すべきトリューニヒトを、ここまで忠実に再現する政治家が現れるとは。

小泉進次郎:アンドリュー・フォーク

「空回りする無能な若手」

言葉花火師」としては華やかだが、打ち上がった瞬間に消える中身ゼロスローガン。本人だけが優秀だと思い込んで突っ走り、周囲は呆れ顔。フォーク准将すら「まだマシ」に思えるくらいの空回り力。

林芳正ルビンスキー

「信用されない策士」

したたかに見えて、実際は「どこにも居場所がない中途半端」。表向き外交通、裏では権力ゲーム必死だが、カリスマゼロ。気づけば周囲からあいつ誰?」と忘れられる。帝国どころか、同僚からも信用されない現代ルビンスキー

小林鷹之:ド・ヴィリエ司教

「地味でカルト依存

国民の大半が「誰?」で終わる知名度。唯一の存在感統一教会バックアップだけ。政策を語るフリをしても、結局は票田を握る教団への忠誠心がにじみ出る。地球幹部すら失笑するレベルの「操り人形」。

茂木敏充ロボス

無能上司

失敗しても責任を取らず、威張るだけの「国民お荷物」。部下の手柄は横取り、失態は丸投げ。政治を停滞させる天才であり、存在のものが“日本の足かせ”。銀英伝ロボスが可愛く思えるほどの、地味で確実な破壊力

2025-09-19

anond:20250918210559

うちの勤務先(関西系のJTC)もそうなんだけど、会社がしばらく安泰、となると、上層部も含めて世のため人のため、お客さんの喜ぶ顔のため、最高のものを作るためというのがどんどんなくなっていって「いか合法的に私腹を肥やすか」ってなってきて、大義とか事業観のないよくわからない私物化指令が現場に降りてきて、うんざりすることがよくある。それに高卒体育会系私立大の人達文化ってヤクザとかヤンキーみたいなところから進化しないんだろうな。舐めたとか舐められたとか先輩とか後輩みたいなのをすごく言う。当然いじめパワハラ上等。大局的な事業観とか、資本をどこに投入してどんな価値をつくって会社をどうしていくかみたいな観点全然ない。

2025-09-11

anond:20250716023529

賛否両論つーか反対意見の方が多いけど解散しまーすとかでも通んの?

最新の民意を問いたい。という大義があれば、通るかな。

でも

安倍派の裏金議員がぼくちんをいぢめるんです!!解散します」

解散権の濫用

 

「そんなことは自民党内で解決して」

しかいいようがない。

2025-09-03

anond:20250903100856

そもそも麻薬及び向精神薬取締法だってコカインのようなハードドラッグからエフェドリンみたいなふつうの処方薬(の乱用)まで含むが、ガキのラリパッパ遊びとジャンキーを一緒くたにするなんて!という声はない。

大麻取締法は売人は取り締まれるが使用OKみたいな歪なものだった。

それが使用者も捕まるよう改正された。

「向精神作用のあるブツを売ったり乱用する行為を取り締まる法律」を一元化するのはごく当然だ。

何がいいことがあるかといえば法律整理整頓して分かりやすくするという絶大な大義がある。

あとお前元増田じゃねえだろ。何ちゃっかり質問してんだよ。殺すぞ。

2025-08-16

anond:20250816132913

今となっては、焼け野原になっても80年経ったら大丈夫から大義があったら思い切ってやっちまおう!という解釈にも思える。

自分は苦しい思いをするかもしれないけれど、孫は豊かで幸せ社会で生きていける。

2025-08-12

じゃあ毎年チン毛燃やしてる自衛隊はなんでセーフなの?

ほっほっほ中々面白い疑問じゃの増田くん。

このクソリプ博士が答えてやろう。

それはな、「高校野球なんて無価値もののために未来ある若者の心が歪むのは許されないが、国防という大いなる大義のために肉の盾・肉の弾になると誓い自分人権を売り払った連中が身内で傷つけ合うのはしょうがいから」じゃよ。

高校野球なんてものをやってる奴らのうち、日本国益に貢献するのは全体の数%もおらん。

大部分は単に自分たちが楽しく思い出作りするためでしかないのに、他人人権侵害して平気な顔をしていて、そうして積み上げた壊れた世界観大勢犯罪者を生み出し合ってるだけというのが実態なんじゃな。

まり、多くの日本国民からすれば前時代的な負の遺産であり、人類史にとってのマイナスしかないわけじゃ。

端的に言えば、高校野球なんてものは将来の犯罪者予備軍を生み出すことと引き換えにするほどの価値がない脳筋クソアホ共のつまら内輪ノリしか無いってことじゃな。

対して国防じゃ。

これはもう大きな意味がある。

いざという時に人殺しを平気でやれるような狂人を数万数十万の単位で飼っているかどうかを競い合う「キチガイ人間コロシアム」こそが戦争実態なわけじゃな。

日本国が保有する「命令が出れば人をバンバン撃ち殺せるような人権意識の壊れた人間兵器」の頭数が減りすぎれば、ロシア中国が攻め込んでくるのは明白なのじゃ。

「平気で人を殺せそうなキチガイの数」を一定数確保することこそが、そうじゃない1億人の国民にとっての至上命題ということじゃ。

ここで重要なのが、そもそも自衛隊に志願する時点で「いざとなったら人殺しになってもいいと考えるような人権意識軽薄人財」なわけじゃよ。

ぶっちゃけな、そんな奴らが今更「本当に人を殺せるキチガイ」になろうが「そういったキチガイに心を壊されたキチガイ」になろうが、「人を殺そうなんて考えるだに恐ろしい普通の人」からすればどうでもいいんじゃな。

だって最初から壊れとるじゃろ?

から自衛隊の身内でチン毛ファイヤーで絆を温めることは見逃されているんじゃ。

増田くん、中々本質を突いたいい質問じゃったぞ。

2025-08-10

アニメキャラの裏切る奴の類型パターン

類型特徴演出フラグ典型
カミーユ初期シャア型(有能先輩ポジション頼れるmentor的存在主人公を導くが素性が不明素性をぼかす/大義を優先する発言/敵の事情理解クワトロ・バジーナZガンダム序盤)、クラウスガンダム00
腹心・副官型(右腕ポジション主人公リーダーの最側近で情報権限を持つピンチ時に不在/情報の出し惜しみ/忠誠を強調ノヴァレイアース2)、スザクコードギアス)※解釈による
友達キャラ型(急接近フレンド)出会ってすぐ意気投合するが裏の顔を持つ友情好意を強調/過去不明/仲間内で浮く六道骸家庭教師ヒットマンREBORN!)、カヲルエヴァ
組織スパイ型(任務で潜入)組織スパイとして仲間に紛れ込む情報収集が多い/敵の動きを事前に知る/信頼が深まるほど緊張感クリスチーナガンダム0080)、ロッソワンピース
理想現実乖離型(目的のために離反)理想正義感で参加するが方針の違いで離反理想論を語る/仲間のやり方に疑問/独断行動シャア(初代→Z)、グリフィスベルセルク

2025-08-08

anond:20250807170837

あーあ、それを言ってしまったら戦争なんだよな。

男女平等大義があればこそ、男も賛同するもの女性を有利にするためなら平等性はしていいとなると、男に対する攻撃しかなく、防衛が正当となる

「私は殴るけど、男なんだから黙って殴られろ」

って言ってるってわかってる?誰も賛同しないし、正義はないよね

2025-07-31

anond:20250730165459

暇空スキームは、世間体を気にしないアタッカー攻撃的なフォロワーと、その両者の加虐心を満足させるようなターゲットがいて初めて成立する

フェミニスト団体ダメージを通すことができる有効方法ではあるが、それ以外にもダメージを通すことができる有効方法でもある

世間体を気にしない、というのは、世間体を気にしなくてもいいという風に置き換えることができ、例えば反ポルノ世間体を気にしなくてよい大義で、支持層も厚く攻撃的で、ポルノ業界とその利用者に対する憎悪も強いから、アタッカーたる活動団体クレカ会社クレームを入れてSteamから成人向けゲームを削除させることに成功した

だいぶ変則的だが、このように暇空スキーム有効であり、継承もされている

暇空のような活動が暇空一人で終わったのは、世間体を気にして誰もアタッカーを引き受けたがらないかである

そう、アンフェ活動は人目を憚るのだ

ついでにいうと、仁藤夢乃憎悪を集め過ぎたのも暇空スキームを成立させた大きな要因になっている

2025-07-28

聴覚障害者の友人をどうしたらいいのか分からない

 聴覚障害の友人の話

 https://anond.hatelabo.jp/20250303234524

 ↑これ書いた者です。また久々に書こっかなと思ったので。

 ⬛︎

 最近、僕はNのボランティアに参加する機会が減っている。別に避けてるとかではなく、単純に講義が裏かぶりしていることが増えたためだ。

 彼は最近遅刻が酷い。講義に遅れてくる、もしくは本当にギリギリまで来ないということが頻発している。前から気になってたが、最近特に酷い。四限スタートで何故そんなに盛大に遅刻をするんだ? 最近ボランティアの方が

 ボランティアさん:Nさん今日遅刻するらしい

 ボ:何考えてんの?

 ボ:前の講義の都合で遅れてるのかと思うじゃん? 普通に家出るの遅れてるだけらしい

 ボ:普段から講義の2、3分前になってようやく来るとかおかしいでしょ

 みたいな会話してたの、僕は知ってるんだからな。ボランティアの方にご迷惑をおかけするなよ。

 僕も流石にこれは目に余る行為だと思ったので、友人として指摘した。ことなかれ主義な僕だってやるときゃやるってことで。下記はその時筆談したものを、大まかな記憶で書き出したものだ。多少の言い回しの違いはあると思うが、内容はだいたいこんな感じ。

 僕:流石に最近遅刻やばいよ?

 僕:迷惑かかるって……Nの場合は一人で講義受けるわけじゃないんだからさ……

 N:わかってるけどさ、仕方なくない?

 N:寝坊とかは俺が悪いけど、直前になって色々バタバタちゃうことはKだってあるでしょ?

 N:誰にでもあることを責め立てるのは、違うと思う。

 僕:たしかバタバタちゃうことはよくあるし、朝は僕だって時間ないよ?

 僕:でもさっきのは四限じゃん、あの時までねてんの?

 僕:お前の家からここまで、30分くらいなんでしょ?

 N:ねてはないけど色々やってるんだよ

 もうこんなんなら、僕が何を言ったって意味がないよな。

 余談だが、僕の家から大学までは徒歩の時間も込みで片道2時間である

 ⬛︎

 最近のNなのだが、結構友人ができているらしいので僕は気楽なもんである。彼の友人は大学内の障害者が割と多く、車椅子ユーザーやら視覚障害者(弱視か何からしい)、多分精神系の何かしらの人(リスカ痕がバッチリ見えていた)、事情はよく分からんヘルプマークを付けてる人など多岐にわたる。よくもまぁ大学から色んな人をかき集めたものである

 Nは割とアグレッシブなので、「障害者と健常者の架け橋になりたい!!」というタイプの人である最近手話サークルを立ち上げ、その辺りの友人やそのほかの様々なところから人材を集めているらしい。僕も当然のように誘われたが断った。僕はそのような大義を持っていないし、何故僕がそのような人の架け橋にならねばならないのかと思ってしまたからだ。そんなことを思ってしまう僕は、そんな団体に属する資格は無い。

 ⬛︎

 Nは何でもやりたがるタイプなので、学生自治会にも属している。もう、個人情報バンバン撒いているのでこれを読まれたら完全にNや僕が誰である特定される気がするが、もう知らん。死なば諸共だ。

 学生自治会のことは何も知らないので僕の知らんところで楽しくやってるんだな、と思っていた。オーキャンとか文化祭とかで忙しくしているようである

 そんな折に、僕は彼以外の自治会メンバーと親しくなった。半年くらい前である。Mくんと呼ぶことにする。

 Mくんは自治会の中でもかなり仕事量が多く、負担が大きい立場らしい。大量の資料作成を任され、さらに実働もするため、本人が「俺は社畜だよ〜」と冗談を飛ばすくらいには忙しいようだ。

 これは、いつぞやに講義終わりで雑談をしていたら出た話題である。内職で自治会資料を作っていた日のことだ。

 M:まっっじで忙しい。ずっと資料作ってる。パワポも作ってる。

 僕:マジでお疲れ様です。自治会ってそんな忙しいん?

 M:いや、人による。俺は割と忙しい方だけど、そうでもない人はそうでもない

 M:後輩への引き継ぎ資料一生作ってる

 M:あとなんか、自治会に耳聞こえない人居るんだけど、その人関連で結構色々作ってるのもあるのね俺

 M:別に友達とかではないんだけど、なんか資料作ってた流れで?

 僕:あー……

 僕:そいつ知り合い、やっぱそうなるか……

 やっぱりこうなるらしい。

 よくよく考えれば当たり前であるオーキャン説明係や受付は難しいし、文化祭しかであるそもそも会議などに出席しても講義ではないのだから誰も文字起こしなど、普通ならしない。

 障害者からあれこれするなとはもちろん言わないが、彼が「障害者だってあれもこれも出来る」でなんでもやろうとするのは確かだ。

 まず前提として、障害者からあれこれやっちゃいけないなんてことがあってはならないとは思う。思っている。だがなんだろうか、何かが違和感として引っかかるのだ。言語化ができない。何なのだろう。

 ⬛︎

 これはもう本当に最近すごく嫌だな、と思ったこなのだが、「都合のいい時には障害者、都合の悪い時には障害者扱いするなと言い出す」傾向が見られる。

 いや、今までもその傾向はちょこちょことあった。しかし、なんだかんだで彼とも数年の付き合いになってきたので、Nも分かりやすくそういう態度を表すようになってきたのである

 N:映像分析って音も重要なわけ? アレは分かりにくいよね?! (※映像分析講義字幕はあったがそれだけでは完全では無い)

 僕:そーね、結局ボランティアさんが文字起こししてくれてたな

 N:俺がいるって初めからわかってるんだからさ、字幕ちゃんとした映像選ぶとかして欲しいよね……

 N:俺は聴覚障害者なんだからさ、その辺は合理的配慮して貰えないと困るんだよ

 N:音楽かいわれてもね

 映像分析やるなら、普通に考えて音も関わると思うが……? 僕は言語学系の講義をやったので、話すアクセントプロミネンス重要なのは理解している。会話や音楽などが関わるのは、初めから想像がつかないか? それは合理的配慮とかではない気がするのだが。まぁ、半年講義を受けきっていたが……。

 N:オーキャン聴覚障害者だからって、受付やっちゃいけないのかな

 N:やってみたいのに……ひどくない?

 僕:まぁ難しいところあるんじゃね? 流石に

 N:ストレートいかないのは流石にわかるよ! でも、工夫すれば出来るじゃん! 

 N:筆談します、とか脇に書いておけばさ?

 僕:一手間かかっちゃうからなぁ……

 無理がある。絶対無理がある。当日は凄まじく人が来るのに、そこで時間を取るのはまずいだろ。聴覚障害とかだからじゃなくて、そこにかかるロスタイムと混雑の方が問題だと思うぞ。想像がつかないか

 この男は、兎にも角にも想像力が著しく足りていないのではなかろうか?

 僕はこいつをもう、どうしてやったらいいんだ。僕はどうしたらいいんだ? 

2025-07-25

anond:20250725214901

まさにその通り。

結局、世界をかき回してるのは「俺以外の馬鹿」たちじゃないか、という実感には一定ロジックがある。

戦争を起こす馬鹿

21世紀にもなってまだ戦車を走らせミサイルを撃ち合。お前らの脳は石器時代か? 

「話し合いで解決できる」とか言ってたの誰だよ、結局「大義」って名の自己正当化で人を殺すために生きてんだろ。

積極財政ハイパーインフレに近づく馬鹿

財政赤字問題ない!」「国の借金は返さなくていい!」とドヤ顔で言ってた結果、物価爆上がりで庶民生活崩壊

インフレ税で実質的資産強奪しといて「景気回復です!」とか、笑わせんな。

馬鹿犯罪者

欲望に脳を支配され、他者権利を平然と踏みにじる。

まれば「社会が悪い」と他責思考

そんなお前に社会批判する資格なんてねぇ。まず鏡を見てから発言しろ

倫理的問題のある発言をする馬鹿

炎上目的他人の痛みに塩を塗る。「言論の自由」とか盾にしてるけど、それ自由じゃなくてただの放言

責任を取らない言葉価値はない。

預言者

何も起きてねぇよ。

お前の中でだけ時空がねじれてんじゃね?

ババ・ヴァンガとか名前からして怪しい。なぜ人はこんな明らかなデマに縋るのか。

不安無知副作用だな。

陰謀論エンタメです!」とか言って煽る馬鹿

お前が言う「エンタメ」のせいで、Qアノンやらリフレ派やら、現実社会被害出てんだけど? 

炎上商法で他人の命と精神を弄ぶな。

ゴミ大量生産する馬鹿

無意味ノベルティ使い捨て包装、流行の大量消費。

環境が壊れても「経済回すことが大事」とか言ってんだろ。

地球よりGDP大事ですか、そうですか。

電力を浪費してる暗号資産中毒馬鹿

分散化!自由未来通貨!」とか言ってるくせに、実態投機煽り・電力泥棒

気候変動に加担しながら「技術革新」とか、白々しすぎる。

ケツ論

社会を蝕むのは、俺じゃなくて、「俺以外の馬鹿」たちだ。

からこの地獄は終わらない。

2025-07-12

「〇〇強」「〇〇弱」はどこまでの範囲を指すのか?

最近、少し話題になった「〇〇強」「〇〇弱」の話。

「一時間強と一時間弱についての解釈」について正解と間違えの図を描いたら確かに間違えているヒトはいると気付く、扇風機の強弱で勘違いするのかも - Togetter [トゥギャッター]

「5分弱煮るはどういう意味か?」というアンケートの結果を受けて白ごはん.comでは今後「5分弱」「大さじ1弱」といった表現は使わないことにした - Togetter [トゥギャッター]

「5分弱」が「5分よりわずかに少ない」と理解していたとしても、じゃあ実際には何分なんだよ、と多くの人が思っていることだろう。

4分50秒くらいなのか、4分30秒はどうなのか、あるいは4分10秒などでも「5分弱」と言えるのか。

誤用誤用だとは言っても、我々はそもそも「正用」とされる意味すらも把握できていない。

辞書を引くと、たとえば大辞泉は、

じゃく【弱】

[接尾]数量を表す語に付いて、実際はその数よりも少し少ないことを表す。数の端数を切り上げたときに用いる。

とし、日本国語大辞典は、

じゃく【弱】

〘 接尾語 〙 ある数の端数を切り上げたとき、示す数よりは少し、不足があることをいうために、数字のあとに付けて用いる。⇔強。

としている。

どちらも「端数を切り上げたとき」と書いてある。

まり「〇〇強」「〇〇弱」を使うときには、前提として端数の切り捨て・切り上げがあるのだ。

小数丸めとき、端数を切り捨てたのか、それとも切り上げたのか、それを示すために、切り捨てたときは「強」を付け、切り上げたときは「弱」を付ける。

というのが「〇〇強」「〇〇弱」のもともとの使われ方である

先に計算があって初めて「〇〇強」「〇〇弱」が成り立つのである

いきなり「〇〇強」という答えだけを提示されても元となった計算はわからない。

「4分1秒」を「分」に丸めとき四捨五入して切り捨てたのであれば「4分強」だが、切り上げたのなら「5分弱」になる。

1000円弱って何円くらいだと思う?」などと質問されたら「有効数字は何桁ですか?四捨五入ですか?」と聞き返さなければならない。

よって「〇〇強」「〇〇弱」を範囲として捉えるのがそもそも誤りなのである

もちろん「1時間強」などと言うとき無意識に「四捨五入して分を切り捨てている」のだろうから、そういう意味では間違いではない。

だが、それを「1時間よりちょっと長い時間を表すのに1時間強と言うんだ」というような理解をしているのは原義に悖る。

バーチャルのじゃロリおじさんが示した図などは誤った解釈典型と言えるのではないか



追記明治時代にどう使われていたか調査も行ったが、おおむね辞書のとおりだったので当初は省略していた。何かの参考になるかもしれないので公開しておく。

明治17年田中矢徳『算術教科書』にはこう書かれている。

少数ノ略値を要スルトキ末位ノ数若シ五ニ満タザルトキハ棄テテ用ヒズ之ヲ強ト云フ

又末位ノ数若シ五ニ満ルトキハ進メテ上位ノ一トナス之ヲ弱ト云フ

まり四捨五入」の話である

四捨五入したとき、端数を切り捨てたのか、それとも切り上げたのか、それを示すために、切り捨てたときは「強」を付け、切り上げたときは「弱」を付ける、ということである

もうひとつ明治21年の『数学講義録』、この講師は前述の田中矢徳である

数の末に強と弱との文字を添へて、末位の数に過不足あることを示します、この強と申は末位の数のさきになほ微小なる数が付き添へりと申意にて、三分二厘一毛五糸…を三分二厘強と申たぐひなり、この弱と申は末位の数に不足ありと申意にて右の奇零を三分二厘二毛弱と申たぐひなり、扨てこの切り上ぐると切り捨つるとは、何程の数が界ジャと申たしかなる定則のあるわけにもあらず、ホンの算者の意まかせなれど、本邦には四捨五入と申古き習慣あれば、私の教科書は大抵これにならひて、四までは切り捨て五にみちたるときは切り上ぐることといたしました

とりあえず、切り上げ切り捨ての端数を示すのに「強」「弱」を使うのが本義であって、四捨五入限定するような書き方をしていたのは田中矢徳のオリジナル、ということだろうか?

また亜剌伯(アラビア)記数式にてしるしたる数には強を加号+にて示し、弱を減号−にて示します、たとへば五厘強を .05+ かやうにしるし、また五厘弱を .05- かやうにしるす類ひなり

「+」「−」の訳語として「強」「弱」を充てたということなのだろうか、それとも数字に「強」「弱」を付ける書き方はもとからあったのだろうか、この記述ではよくわからない。

ちょっと脱線するが、この田中徳さん慶應義塾同人社とあわせて「三大義塾」と称された「攻玉塾」というところの出身らしい。

「攻玉塾」は明治六大教育家の一人・近藤真琴設立したもので、田中矢徳・鈴木長利・竹貫登代多・浅越金次郎などの数学者・教育者を輩出したという。

なるほど、この頃の数学教科書の著者を見ると、彼らの名前散見される。

ともあれ、田中矢徳ばかりでは偏ってしまうので、攻玉塾生以外の説明も見たい。

明治19年、遠藤利貞『高科算術書』。

四捨セシ数ヲ強ト謂フ

五入セシ数ヲ弱ト謂フ


明治25年、薗村宗太郎算術講義要略』。

既ニ夥多ノ小数位ヲ得テ尚除外セザルトキハ(中略)最下位ノ右に(+)号ヲ記シ以テ尚残数アルコトヲ示スヘシ

若シ其次ニ得ヘキ数5若クハ5ヨリ大ナルトキハ末位ニ一ヲ加ヘ(−)ノ符号ヲ記スヘシ

是レ此小数ハ稍々多キニ過クルヲ示ス所以ナリ

而シテ末位ノ右ニ(+)ヲ記ストキハ読テ強ト云ヒ(−)号ヲ記ストキハ読テ弱ト云フ


明治27年『活用練習実業珠算』。商工協会とあるだけで著者はわからない。

無限小数の除法に於て末位の小数四以下なるときは其四を払ひ唯捨てて何々強と呼ひ末位の小数五以上なるときは其五以下を払ひ上位に一を加へ何々弱と呼ふへし之れを四捨五入の法と云ふ


概ね、田中矢徳の説明に準じて、四捨五入したときの端数を示すのに使われていた、ということでよさそうだ。

当時の計算実例も挙げる。

明治13年の『岐阜県会議日誌』の学校の補助費のくだりである

今一万五百園ヲ生徒数(五万三千四百三拾八人)ニ除スレハ一人ニ十銭弱ナリ

又四千五百円ヲ校数(六百六十四校)ニ除スレハ一校六円七十七銭強ニ当ル

10500円を53438人で割るのだから0.196...円、つまり19.6...銭を切り上げて「20銭弱」。

4500円を664校で割るのだから6.777...円、四捨五入ではないが、端数を切り捨てて「6円77銭強」というわけである

なお、ひとつ混乱する事実提示する。

明治29年『帝国辞典』の「弱」の説明

五以下の数をいふ、五以上を強といふに対せり、即ち、十一円五十銭以下を十二円じやくといふが如し。

それは何か違くね?

これは編者が数学用語を誤解しているの?

それとも元々はこの意味だったのを数学用語転用したということなの?

なんもわからんね。

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