はてなキーワード: 風呂とは
ワイが住んでいた築四十年のボロアパートは、洗面台などというハイカラなものが無かったので、そもそもキッチン以外に洗顔や歯磨きをする場所が無かったな
洗髪は風呂に入るのが面倒な時に就寝前にやった。面倒臭い何もしたくないという感情が更に高まっていたら、便所よりも近い台所で小便をしようという気になったかもしれない
「風呂キャンセル」風俗の予約をキャンセルする話ではなかった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.itmedia.co.jp/news/articles/2412/14/news034.html
お互い一人暮らしなんだけど、彼氏の家の鍵を私がもらってて半同棲みたいな感じ。
いつものように彼氏の家に帰ったら、キッチンで何か作りながらシンクにおしっこしてた。
最初はめっちゃびっくりして、シコシコしてるのをお母さんに見つかった男子みたいな反応してたんだけど、
私がマジ汚い。あり得ないって責めてたら逆ギレしてきた
シンクでおしっこしたって、その後しばらく水流すからおしっこ成分は残らない
火を使ってるときにおしっこ行きたくなったんだからしょうがない
いつもしているわけじゃない
けど、わざわざトイレに行くより楽
と屁理屈ばかり
絶対やってないって言ってたけど、絶対私の家でもやってるとしか思えない。
てか、男子諸君はみんなキッチンや洗面でおしっこするものなの?
その辺で立ちションするのと同じノリなんだろうか。
もう無理。別れたい。
なんかいっぱい反応あって、ほとんどの男子はそんなことしないと分かってほっとしたものの、
同じような特級呪物もいることがわかって怖すぎる。
「入れ墨(タトゥー)を入れている人は銭湯出禁ですよ」という情報を事前に持っていながら、入れ墨(タトゥー)を入れるような人だからです。
体に墨を入れるかどうかを選択する時、その人は「銭湯に出禁になってもいい」という意思を持って入れているわけです。
つまり、その時点でその人は「僕は一生銭湯には行きません。自分自身にそう誓います」と決めたはずなんですね。
もしもそうでないのならば最初から「銭湯のルールなんて破ればいいだけでしょ?番台のババァごときが俺を止められるかよ」とルールを破る前提で考えているわけです。
自分の中で決めた誓いを破る人、ルールを破る前提で人生設計を考えている人、そういった人達に来てほしくないから銭湯では入れ墨出禁のルールがあるんですよね。
「入れ墨をしていたら銭湯に来てはいけない」という文化が根づいた国に暮らしてきておいて、自分の意思で入れ墨は入れたけど銭湯には入りたいですなんて人を他のお客さんと接触させるわけにはいかないんですよ。
もしもこれが生まれついての身体的特徴に対してのものなら差別でしょうが、入れ墨は自分で入れようとしなければ入れることが出来ません。
ヤクザの子どもとして産まれて親に強制的に入れられた人は可愛そうですが、そういう被害にあった人達であれば「ヤクザのカス共と一緒にお風呂なんて入りたくない」という感覚もご理解いただけるのではないでしょうか?
入れ墨出禁に文句を言う人達の大部分は自分の意志で入れ墨を入れておいて「入れ墨ぐらいであーだこーだ言うな」と言ってる意味不明なちゃらんぽらんです。
そもそも自分が先に「銭湯ぐらいどうでもいいから入れ墨入れちゃおう」とやった結果でしょう。
自分の中で「入れ墨を入れることは銭湯やプールよりも優先順位が高い」と判断したことに対して責任を持てないような人間、未来を読めず過去に無責任な人間だから出禁なんだって話なんですよ。
ビジネスホテルにありがちな洗面化粧台が風呂の中にあるんじゃなくてちゃんと独立してる、
温泉に遅くまで入れる、
アイスやヤクルト、夜食の醤油ラーメンまでもが(きっと宿泊料に盛り込まれてるんだろうけど名目上は)無料で飲み食いできる、
朝食のブュッフェはそこそこおいしい。
一泊1万5千円くらいとられてちょっとお高い気もするけど、
それなりに満足できるホテルだった。
私はうんしょと引っ張って彼を立ちがらせてやり、一歩ずつ足を上げさせて風呂桶から出させてあげる。
そしたら彼は直立不動で待ってるから、タオルを出してぽんぽんと全身の水分を取ってあげる。
前半分が終わったら後ろ向いてもらって後ろも拭いてあげる。
体が拭けたら、化粧水つけるのと服を着るのは自分でやってくれる。
私がソファで待っていると、いそいそと隣に座ってくるので、膝枕をさせてドライヤータイム。
髪が乾いたら歯磨きタイムなので、洗面所から歯磨き粉つけた歯ブラシをもってきて口に突っ込む。これは彼が私の分も持ってきてくれることもある。
あのさあ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2480038
単にやくざは入れ墨をすることが多く、暴力団排除の一環として、入れ墨を入れている人の入浴を断るようになっただけで、罪人がどうこうとか関係ないのに。
→ まとも(だけどちょっと間違ってる、別に暴力団排除の一環ではない)
現状、日本でタトゥーを入れる人は他人を威嚇する目的で入れている人が多い。喧嘩や揉め事でタトゥーを服の袖からチラチラ見せたりする。他人を威嚇しておいて風呂で差別するなと言われても同情はあまりできない。
→ 温泉NGの理由になってない、じゃあ素行悪い人と犯罪者は温泉出禁なのか?
タトゥー入れたら公衆浴場入れなくなること覚悟して墨入れしてるはずなのに、謎ルールとか言って公衆浴場入りたいな〜(チラッ)するの本当にめちゃくちゃダサいよな〜〜って普段から思ってる
→ 回答になってない、ただの悪口
→ 温泉NGの理由になってない、温泉って一流企業や公務員しか入れない特権領域なんですね笑
昔から入れ墨入った職人が大勢来るような下町の銭湯だと牽制と均衡が保たれてるんだけど、特定のプールや温泉が解禁するとそこだけに反社半グレが集まってしまい…的なことはあるかもしれない
私はしないし私はそれをしている人に近づきたくない、それだけ
→ お前は温泉界のなんなん?
ヤクザを排除したくて、それを見分けるための基準として刺青を採用しているだけの話でしょ。神戸の銭湯ではほぼ確実に刺青の人に出会うよ。特に灘温泉水道筋店は山口組総本部がすぐ近くなので、集団で来てるww
→ うん
タトゥーと無縁の人々に対して威圧感を与えるから、だよね。イメージと言えばイメージなので、それがなくなるのなら問題ない。なくならないうちは議論の余地がある。
→ まあ
本件って「何で入場NGなのか」という疑問に対して「アウトローや犯罪者が多いから」みたいな回答してる人居るんだけど
これめちゃくちゃ頭悪くて、じゃあアウトローや犯罪者は入場NGなのか?と言えばそんなことないんだよね
わかるかなあこの頭の悪さ、国語できなそう
普通に調べると「反社会的イメージにより、周りの人に威圧感を与えてしまうから」って出てくるんだけど
重要なのは「周りの人」なわけよ、嫌ってるのは店じゃなくて他の客ってこと
実際にアウトローや犯罪者が多いかどうかすら関係ない、「周りの客が嫌がるから」以上でも以下でもない
ちなみに、店によってはタトゥーの大きさでNGかどうかを決めてるところもある(全身はNGとか)
隠せばOKのところもあるし、変な話だけど外国人のタトゥーはOKのとろこもある
これはわかるよね、「周りの客が嫌がるかどうか」でしかないから
(周りの客にも何種類か居て、本当に怖がってる人と、子供が怖がるって人と、「ルール違反だ、けしからん!」みたいな輩がいるらしい)
タトゥーNGが広まったのは80年代半ばかららしく、思ったより新しい傾向なんだよね
2015年時点でNGな割合は56%、完全許可が31%、隠せばOKが13%で、今はもう少し許可寄りになっているとのこと
一応言うと俺はタトゥー嫌いだけどな
マリーとの破局よりもピアニストとしての活動を選び、欧州中をわかせていたリストだったが(何しろリストの風呂の残り湯を飲もうとして待機しているファンがいるとかいうレベルである)、1847年にポーランドの大地主の娘であり、キエフの軍人ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人カロリーヌに出会う。コンサート・ツアーでリストがキエフに来ることを知ったカロリーヌ(別居中)は、娘の誕生日のためという名目でリストを招待し(誕生日に大スターを招待できるというわけでだからどのくらいのレベルの金持ちかがよく分かる)、急速に二人は深い関係になっていく(意味深)。リストはピアニストとしての活動を打ち切り、カロリーヌと一時の同居生活を経たあと、48年からヴァイマールの宮廷楽長としてカロリーヌと共に腰を落ち着けることになる。カロリーヌは長い訴訟を経て婚姻無効を勝ち取るが、リストとの結婚は認められなかった。ちなみに、カロリーヌは博覧強記で雄弁な人だったらしく(リストの多くの作品にも口を出している)、あのワーグナーが引くほどだったということである。カロリーヌの身分を巡る微妙な問題に加えて、音楽界の動向的にもリストはドイツに居づらくなり、約10年で宮廷楽長を辞任する。つまりリストの「中期」は短い。宮廷楽長になったことで、オーケストラ作品が多く書かれるようになった一方、新規のピアノ曲はこの時期にはあまりない。大スターの座を捨てて半分隠退生活に入ったようにも見える。しかし、この時期こそが作曲家としてのリストが確立する重要な時代である。前期の作品の少なくない曲(巡礼の年やパガニーニ練習曲もそうだ)はこの時期に改訂され、より演奏効果は高まり、内容も充実することになる。
リストの代表作の一つ。この時期に改訂を経て完全版になった。長年の改訂を経て磨きに磨き抜かれた。
この曲集の決定的な録音はウラジーミル・オフチニコフ(EMI)だろう。どの曲も非常に質が高く、穴がない(この練習曲集は多彩な技巧のデパートなので、どこか苦手なものが出るのが常)。が、残念ながら入手性は悪い。世間的に有名なのはラザール・ベルマン(Melodiya)で、新旧二種類あるが、新版(1963年)が気合いが入っている。ただ、キンキンとぶっ叩くような録音で、そこまで好きにはなれない。横山幸雄(SONY)は録音も良く、やはり穴も少ない。特に第5番「鬼火」の演奏が素晴らしい。
2. パガニーニによる大練習曲 S.141(1851年出版)
1840年出版のパガニーニによる超絶技巧練習曲の改訂版。元々の第4曲は単音アルペッジョになり大分おとなしくなったが、それ以外の曲については、難易度を落としつつ、同等以上の演奏効果を発揮できるようになった。第3番「ラ・カンパネッラ」はここで非常に完成度を上げて今の形になった。
40年のパガ超と違い録音は多い。有名なのはアンドレ・ワッツ(EMI)だと思う。昔図書館で借りて聴いたことがあるがどれも安定の演奏。その他だとフィンランドのピアニスト、マッティ・レカリオ(Ondine)の激烈な演奏があるが、残念ながら廃盤で入手困難(Naxos Music Libraryにはあったかな?)。フィリペツのパガ超のCD(NAXOS)にも入っており、これまた大変安定した演奏で、パガ超と合わせてフィリペツを聴くのがいいだろう。あと、「ため息」で紹介した福間洸太朗(アコースティカ)のCDにも入っている。これも大変安定していると思う。
(追記)レカリオはNMLにもiTunesにあった(Raekallio Lisztででてくる)。YouTubeにもあった。https://www.youtube.com/watch?v=SkuWa2HDk58&list=OLAK5uy_kN6U4dNkOzK4Cv1DZfZDWoidTcP7yPxr8
ピアノソナタが量産されていたのはベートーヴェン(32曲)までの時代であり、19世紀半ばにはピアノソナタは落ち目のジャンルであった。一方、気合いの入った大曲を書く時にピアノソナタという古典的様式を敢えて選ぶことはその後もあり、ショパンやリストのソナタはその例だろう。リストのソナタは、単一楽章という異例の様式だが、単一楽章の中で多楽章形式の要素とソナタ形式(提示部・展開部・再現部)の要素を融合させ、しかも一つの動機(冒頭のタッタラ~タ~ララ~タラララ~というつかみ所のないアレ)によって全体が統一されているという極めて斬新で前衛的な曲だった。そのため当時はよく言って賛否両論といったところで、現在ではリストの最高傑作の一つとして評価されている。
リストの最高傑作であるからして録音も非常に多く、推薦音源を挙げるのは難しい。取り敢えずクリスティアン・ツィメルマン(Deutsche Grammophone)の演奏が端正であり、技術的にもハイレベルで良いと思う(難所でタッチが浅くならず、深く充実した響きが聞こえるのが良い!)。ぶっ飛び系なので好みは分かれると思うが、カティア・ブニアティシヴィリ(SONY)の演奏をよく聴いている。
なお、この曲と関連する重要作品としてスケルツォとマーチ S.177がある。面白い曲だが泣く泣く割愛した。デミジェンコ(Hyperion/Helios)が良い演奏している(ソナタや「伝説」とカップリング)ので聴いてほしい。
4. バラード第2番 ロ短調 S.171 (1854年出版)
ショパンは1832年にパリデビューし、特にサロンでの繊細な演奏で女性たちの心をわしづかみにした。リストもショパンの演奏に狂った一人である(またかよ)。リストはショパンのことを友人と思っていたが、ショパンの方は割と適当にあしらっていたという話もあり、リストの片思いだったのかもしれない。ただし、ショパンは練習曲作品10をリストに、作品25をマリーに献呈している。つまりリスト夫妻にショパンの練習曲は捧げられたわけで、結構親しい関係にあったことが分かる。リストはショパン死後にショパンの本を書くくらいにショパンには思い入れがあり(最近新訳が出た)、弟子にもショパンを弾けと言っていたようであるが、作曲面でもポロネーズやバラードなど明らかにショパンの影響と思われる様式の曲を書いている。中でもバラード第2番は大変な傑作で、冒頭の重苦しい主題が終盤にロ長調になって戻ってくるところは本当に感動的である。
これまたあまり推薦音源が思いつかないが、アンスネス(EMI)のCDがかなり良かった覚えがある。前期で出したノンネンヴェルトの僧房も入っている。
(追記)スティーヴン・ハフ(Hyperion)がポロネーズやバラードを全部録音しているのを思い出した。ピアノソナタとカップリング。あとショパン弾きで有名なネルソン・ゲルナー(レーベル覚えてない)の演奏がもの凄く良かったと思うのだが、どこで聴いたか・・・(この曲はショパン弾きにこそ弾いてほしい!)。YouTubeに動画をあげまくってCDデビューしたヴァレンティーナ・リシッツァがベーゼンドルファーを使って弾いている動画がある(収録風景?https://www.youtube.com/watch?v=1Qdr3Uvs09o;コンサート https://www.youtube.com/watch?v=uBs4jtWMBj8)。97鍵もあって低音がアホみたいに響くから重たいが、この曲には合っている。ただCD(持ってない)でそこまで迫力があるかな?
(再追記)ゲルナーあった!(https://www.youtube.com/watch?v=m90vsN3SjvM)配信もあるのかな。
トムとジェリーで有名なハンガリー狂詩曲もこの時期に改訂が終わって現在の形になっている。リストが採録しているのはハンガリー(マジャール)ではなく、ロマの音楽なのだが、リストは、ロマの民謡を素材に使ってハンガリーの民族叙事詩を作り上げようとしていた(それがバルトークのようなマジャール人からはドイツ人が勝手なことやりやがって・・・という風に見えていたわけだが)。どの曲も重々しいラッサンと華やかなフリシュカという二つの舞曲的なパートから成り立っていて、構造的に単純で、しかもピアニスト時代のようにド派手で豪快な曲が多く、リスト入門に良いと思われる。
ミッシャ・ディヒター(Phillipes)が全曲では有名だと思う。ハンガリーでリストの再来とされていたかのシフラ・ジェルジの録音もあったはず。第2番はホロヴィッツ編曲版を弾いているスルタノフの爆演が好き(https://www.youtube.com/watch?v=_BFalOtwUy8)だが、スルタノフを聴くと大概の演奏が物足りなくなるおそれがある。残念ながらスルタノフは若くして亡くなってしまった。ホロヴィッツ編曲版ではない場合、第2番はカデンツァを挿入する部分があるので、独自のカデンツァが見物になる。その点で一番に言及しなければならないのは我らがスーパーヴィルトゥオーゾのアムラン(Hyperion)で、アルカンの大練習曲 op.76の引用が入り3分以上続く頭のおかしいぶっ飛んだカデンツァだ。日本公演の映像もある(https://www.youtube.com/watch?v=pIMzL2-4bjg/8:30あたりから)。あとは自作のジャズ・カデンツァを用いて全体にやる気がみなぎるデニス・マツーエフ(BMG)、ラフマニノフのカデンツァを使用し爆演系のレオニード・クズミン(Russian Disc)がお勧め。ただしクズミンのCDは廃盤・倒産で入手困難であり、今後他社からの再発が望まれる。
第15番「ラコッツィ行進曲」は何よりもホロヴィッツ本人のいかれた演奏を聴くべきだろう(古い音源なので検索すればすぐ出てくる)。音質は悪いが、聴く価値がある。昔ホロヴィッツ編曲版にチャレンジしている勇者を見つけていたく感動したことを思い出した(https://www.nicovideo.jp/watch/sm10176725)。
なお、15番以降19番までハンガリー狂詩曲はあるが、晩年様式なのでこれ以上は紹介しない。
リストはドイツの宮廷音楽家として、新ドイツ派(当時のドイツにおける管弦楽の停滞(と彼らは考えていた)を問題視し、ロマン主義音楽の再生を志す人々)の頭目的な存在だった。そのため、同じような立場にある人々、特に売れっ子とは言い難かったワーグナーの作品を積極的に上演・紹介したのだが、40年代以降ピアノ編曲もいくつも作っている。リストの最も有名なワーグナー編曲は「トリスタントとイゾルデ」の終曲(愛の死 S.447)だが、自分はタンホイザー序曲が単独では最上の作品だと思う。何よりも前期のオペラ編曲もの同様、豪壮無比な超絶技巧を聴かせてくれるのが良い。
ちなみにリストの次女コジマは夫のハンス・フォン・ビューロー(ワーグナーにとっては恩人)を裏切ってワーグナーと不倫し、リストは激怒する(後に和解)のだが、自分もマリーやカロリーヌにやらせていたことだ。
タンホイザー序曲の録音は意外とない。ユーリ・ファヴォリンの気合いが入った演奏(https://www.youtube.com/watch?v=xJYkouNnuwo)が一番良いのだが、CDは手に入りにくい(一応、ヴァン・クライバーンコンクールでの演奏があるらしいのだが・・・)。スタジオ録音が望まれる。前期作品の時に名前を挙げたロルティ(CHANDOS)も美しいが、技巧的には前者が圧倒的。実は、ワーグナー本人もピアノ編曲を作っているが(https://www.youtube.com/watch?v=KdXPFBcP1bQ/カツァリスのCD「ワグネリアーナ」に入っている)、リストの編曲と比べると一目(耳?)瞭然、どちらが音楽的に充実しているかは明らかである。
30~40年代から書かれている曲だが、やはり最終版になったのはこの時期。もっとも早く書かれた「死者の追憶」(第3稿第4曲)を聴くと、非常に調性が曖昧な曲で、30年代から既に晩年の様式が準備されていたことが分かる。第3曲「孤独の中の神の祝福」はリストの敬虔さが音楽に昇華された隠れた傑作。アムランが好んでおり、2回も録音している(ノルマが入っているMusic & Arts盤とソナタや「補遺」がセットになっているHyperion)。
この曲の中で最も有名なのは、第7曲の「葬送――1849年10月」だろう。非常に暗い曲だが、タイトルが指す通り、ハンガリー革命で奮闘し、鎮圧され死んだ人たちのための追悼音楽。
全曲では先のユーリ・ファヴォリンが録音しているが、筆者は未入手。配信で聴けたかと思う。どうでもいいことだが、デミジェンコのライブ録音(Hyperion/7番のみ)を聴くと、明らかに鼻歌で歌っていて面白い(グバイドゥーリナのシャコンヌでも結構はっきり聞こえる)。
宮廷楽長としての生活の中でリストの前期作品の多くが音楽的に充実されたが、音楽界での軋轢や劇場でのトラブル、カロリーヌの身分を巡る問題で長くは続かなかった。そろそろ次の時代に進もう。
追記:
前期のところに、ベートーヴェンの交響曲のピアノ編曲についてのコメントがあった(anond:20241212215414)。
リストはベートーヴェンの交響曲を全曲編曲しているが、初版出版は1865年で、時期的には後期にあたる。ただし、3、5-7番の編曲は1837年には出来ており、個別に出版されていたようだ。リストはピアニスト時代からベートーヴェン作品の布教に熱心に取り組んでおり、その一環として作られた。ボンのベートーヴェン記念碑の建設のために多額の資金を提供したりもしている(ちなみに同様に寄付を呼びかけるためにシューマンが作曲したのが「幻想曲 ハ長調」だ)。
あのね、こないだ、俺のおちんちんを散歩させてたら、野良おちんちんに出くわしてさ。
うん、そりゃびっくりしたよ。
で逃げたんだけど、やっぱり捕まって。
でも、ほら、俺のおちんちん、ふにゃふにゃ系じゃん?
そしたら野良おちんちんの奴、「ごめん、こんなふにゃちん初めてだ」って尊敬の眼差しになってさ
とか言い出して。
でもさ、おちんちん単体で何ができるのか、主人も寂しがってるぞって説得してさ。
そうやって、居酒屋を出て、主人の家に一緒に行ってさ
「ごめんなさい、私が悪かったです」ってそいつ主人に謝ってさ
そしたら主人が「ごめん、もう他のおちんちんがいるんだ」って言い始めて。
うん、悲しいよね。出来心で家出して、帰ってきたら別のおちんちんがいたなんて。
なんか昭和みたいな話だけど、これ令和の今に起こったことなんだよ。
だから主人も「わかったわかった」と言って、とりあえずお野良ちんちんを引き取ることにしたんだ。
2本のおちんちん持ってることバレたら、逮捕だよ?執行猶予もつかない実刑だよ?
でも、なんとか隠れて二本持ちでやっていくらしい。
なんか昭和の人情おちんちんドラマを見てるみたいでこっちももらい泣きしちゃった。
本当はこんな話、ネットに書いちゃダメなんだけど、良い話だから書いちゃった。
まあともかく、俺も自分のおちんちん大事にしようって思ったよ。
みんなもおちんちんとの付き合い方で悩んだり、こんなふうに付き合ってるよ、とかあったら教えて欲しいな。
おちんちんご本人の話も聞きたいな。