はてなキーワード: 景色とは
半年くらい前に車で家の近く走ってたら超デカい犬とおばあちゃんがうずくまってて、犬がそうしたいからそうしてんのかな〜と思ったが何か違うような気がして話しかけたところ、散歩中にいきなり犬が痛がって歩かなくなっちゃったとのこと。
本来だったら専用のカゴに入れてタクシー呼んで獣医連れてくんだけど取りに行くには離れなきゃいけないし…と大変困っていそうだったので、じゃあってことで自分の車に乗せて(このときジムニーのトランクに困り顔の犬がミチミチに詰まっているのが面白かった)獣医さんまで送って行った。結石ができていて早めに連れて行かないと結構危ない状態だったらしい。
しばらく後に無事退院したというので頂いていた連絡先に犬を見に行ったら、まあ犬のほうは元気そうにしていて良かった。が、今度はおばあちゃんのほうがだいぶ落ち込んでいて、2年ほど前までは旦那さんがいて車も出してくれていたけど今はそれもできないし、自分たちで全部責任が取れないのに犬を飼うのなんてダメね、と不安そう。ということで、じゃあ今度から俺たまに来ますよ〜とお伝えして、車が要るときと(俺が来れる時だけの)散歩を手伝わせてもらえることになった。
で、これが大変いい。
第一に、俺の体調がとてもいい。散歩というか運動自体の習慣が今まで一切なかったので、俺の体調がもう、すこぶるいい。今は犬いなくても散歩しているほど。
次に、犬がかわいい。独り暮らしかつ全国転勤のある仕事なので犬を飼おうとは到底思えない(俺はさておき犬が幸せじゃないと思うので)人生だったわけだが、ここへきて突然俺の人生に入ってきた犬、これがとにかくいい。
具体的には、こんなに感情…というかコミュニケーションが出来るものとは思っておらず、それがとても楽しい。初めは「まあ敵じゃなさそうだし…」くらいの感じで渋々最低限の距離を歩いている様子だったのが、次第に打ち解けていくと互いが何を考えているのか分かるような感じがしてきて、これがもう、とにかくいい。出発した段階で「なんか今日遠く行きたそう」とか「本日うんち早めご希望ですか?」とか思ったら実際にそうだったりするし、そのほかにも結構お互いに「わかってんじゃん……」という瞬間(向こうもそうだといいんですけどね)があって、めちゃくちゃ見つめ合ってしまう時がある。これがとにかくいい。
そして最後に、犬と一緒にいるときの街がいい。車で通っている場所でもあっても、歩くと急に解像度が上がる。人間ひとりでは絶対に立ち止まらなかったようなところを犬がフンフンやっとると俺も立ち止まらざるを得ないのだが、その犬のチョイスが結構絶妙で、複数あるおしっこスポットのうち一つが(犬としては無意識だろうけども)異様に景色のいい場所だったり、秋くらい迄にかけては犬のおかげで大変珍しい虫やヘビや何やらを見つけてもらったりと、気が合うということは大前提かもしれないが散歩の充実度を上げてくれるおかげで、歩く街自体にも相応の愛着が湧き始めている。一緒に歩いてみるまでは知らなかったのだが、犬の散歩には犬の五感を一部借りたARみたいなことをできる特典がある。
こうしてまとめると俺ばかりいい思いをしているような感じもあるが、犬は犬で(さっきから犬犬呼んでいるが実際すごくしっくり来る渋い名前の、しかも実はすごく由緒正しい秋田犬だ)運動が増えたせいか以前に増してムキムキ気味で楽しそうだし、おばあちゃんはおばあちゃんでこの体制が続く限りは当面犬と一緒に暮らしていけそうで良かったし(それは犬としても多分いいことだと思うし)、全体にかなりいい状態が身の回りに大量発生しているのが、心身ともに大変ありがたい。
犬とおばあちゃんを助けると全体にすごくいいことがある。ただ、これは犬とおばあちゃんに限らず、生活に新しい地平を開くきっかけは案外その辺に転がっている、ということだと思う。はてな諸賢も、それぞれの生活にいるそれぞれの犬とおばあちゃんを助けてみてはいかがか。
私は飽き性で向上心がない
キラキラ上澄みに憧れて行動を起こすが
挫折未満で投げ出す
いざ登ると1、2合目でやめてしまう
そういう人間なので
少しでもだらけていたいし
よく転職とかで
そろそろ仕事をしたくなってくる
みたいなことを言う人がいるが
私には一切想像がつかない
だらけられるならだらけたい
好きなことがしたいとかじゃない
何事においても
言い出しっぺに押し付けるのが世の常だし
言われたらやる
指示待ちと言われたらそうなのかもしれない
そういう風に流れ流され生きているのに
割と自我があるのが厄介なところだ
嫌なことやりたくないことは
ギリギリまで引き伸ばすし
人にやってもらえるならやってもらう
手持ちのタスクはない方が嬉しいなとも思う
割と手放さず、筆が乗れば早い
筆が乗らないと引き伸ばす
そういう、職に就いておくことが
人の目には弱いので指示待ちにならない
人から何もしてないと思われるのは
なんだか怖いからだ
やっているフリでは誤魔化せる人間ではない
嘘がつけないからだ
嘘をつくのは下手だ
嘘をつくけれどバレやすい
これで、正直モノだったら
たまのバレバレの嘘にも可愛げがあるが
きっと、うっすら信用を失うし
大事な場面で頼りにされないだろう
なので私は人のわかりやすい道を行くことにした
大企業には行かない
前時代的な考え方のような気もするが
環境が人を作る
もっというと人の形を作らせるのだと思う
私みたいな人間は水だとか油とかだけになって
どんどん人の形を失うのだ
体積が足りなくても
型には入れるし
型に入っておけば
型破りはできなくても
型なしにはならずに済む
型があれば、入れる型を探すことができる
そう思ってなんとか型の中に居る
徐々に心地いい温度にしながら
なんとか人の形で生きていくのだ
1合目にはきっとこのくらいの文章がちょうどいい
読んでくれた方、ありがとう
神前式の話を読んで素敵だなと思ったので、私の結婚の時に思ったことを描いておきます。
結婚って二人だけの事になりつつはあるけど両親であったり親友であったり大事な人に対して配慮は必要だと思ってます。
結婚すると色々と生活も変わるので大事な人との関係も少し変化しますし。
なので大事な人、特に両親については、結婚報告としてウエディングドレス・礼服姿は見せてあげると良いかなと思う。喜んでもらえるし。
また将来もしもこどもが生まれたら、いつかこどもに親の結婚式の写真を見せるとすごく喜んでくれるよ。
二人にとっての良い思い出にもなるしね。
最低限フォトウェディングで写真を残しておくのはすごく良いと思いました。
これは結婚する両者が望むか望まないかがまず大事だし、両親の希望も大事だけど。
相談して結婚式したいなあ・してもいいなあと思ったらするのが絶対しておいたほうが良いと思う。
新婚夫婦と親だけ(4-6人だけ)で挙げるのはそこまで気を使わないし良いよね。兄弟や親友を呼ぶのも良いかもしれない。
挙式だけって披露宴に比べるととても安いです。さらに少人数の場合はみんなの都合を合わせれば平日でもできるし。
平日だと値下げしてくれたり、挙式場を豪華な方に変更など無料で色々アップグレードしてくれたりします。
ただし式場側からすると、フォトウエディングや結婚式は安価で儲からないため、問い合わせても丁寧に対応してくれないこともありました。
またホームページには掲載してないことが多いので問い合わせが必要なことも多いです。
逆に無理そうな式場でも問い合わせると、ちゃんと見積もりしてくれて、高級な式場でも意外と安く挙式のみを行えたりもします。
参列者から1人3万もらって、1万円くらいの食事を出して、高い価格の引き出物を渡して、残りのお金で挙式料金、式場の料金などに使うのが一般的。
ただ1万円の食事も、レストランでの食事と比べると割高だなあと思うし、引き出物も数十個頼むのに割引も全く無いし高いし。
さらに何かと追加料金が発生するし。持ち込みの曲を使うだけで数万円とか、テーブルの飾りつけをちょっと良くするだけで十万円以上とか、値付がおかしな事になってる。
披露宴をしたい場合でも、結婚式の当日にする必要は全く無いと思う。
仲のいい友達で食事会を美味しいレストランで行うのが良いと思う。1人1万円以下で高級なお店で食事会開けるし、そちらの方が満足度が高かったりする。
結婚式って、誘われたら断りにくいけど、一般的な参加費(3万円)は高いと思う。
さらに女性だとドレス、バッグなどの小物をレンタルしたり髪の毛をセットするのにもかなりお金かかるし。
かといって、参加費1人1万円とかにしたら、新婚夫婦は多額の金銭的な負担が発生するし。
結婚式の費用は新婚夫婦が自分たちで出せる範囲でするのが良いと思う。
例えばメルカリで気に入ったドレスを買って、景色の良いところで友達に写真を撮って貰うってのも素敵な思い出になると思うし。
とても満足度が高かったです。
神前式もとてもいいと思う。
寒いわー。
なんか思い出したけど貼るカイロ服の中に貼っていたような気がする季節だったような気がして、
貼るカイロ買いに行こうかなって
寒いわー。
そう言ってもいられないので、
年末だしお片付けとかそろそろやらないとってそう思ってもうこの時期でしょ。
うかうかしていると、
また今年も終わっちゃって何もやってませんでした!ってなるから、
私はしっかり時間があるときは苦手な片付けを敢行したいと思ってるのよね。
はぁ、
机の上のものが片付けらんないのよね。
もう、
ざーって全部的から投げ捨てたらいいと思うけど、
中くらいの大事なものとかごっちゃにレイヤーで層になっている堆積物が地層となって、
この年代の、
月代って言った方がいいのかしら。
今年の分よ。
その月の重なった積層された本や書類の堆積物が途中この地層の部分で地球の磁場がエスエヌ逆転してる!ってそんな私が頭の中が混乱してきそうな、
例えるなら、
その磁場の乱れが、
前にここにあったはずなのに!って覚えておいた私の地層堆積物記憶メモリーを辿り寄せても、
あれ?この本たしかここに挟まってるはずなのに?ないわ。
ってぜんぜん冷蔵庫の上の方にあったりして。
さすがに冷蔵庫に入れないだけましだけど、
犯人は誰?って
それ私なんだけど
お陰でよく冷えたその髪留めのバレッタは頭をよく冷やしてくれてー!って違う違う
無くしたと思っていた髪留めが見つかったのが冷蔵庫で、
きっとその雪に埋もれて冷蔵庫に入っていた髪留めのバレッタを解析してマンモスを復元するようなほどのロマン!
そのとなりにはメロン!
片付けどころか、
正式にはリアルメロンじゃないマスクじゃな方の普通の果肉たっぷりのメロンゼリーだったのよ。
発掘されるのがメロンゼリーでロマンがあるいやメロンがあるってやかましーわーい!
そんな片付け苦手なところをみると、
こないだ失ったコインケースがなくなったのよね。
たぶんどこかにまた埋もれていると思うのよ。
それなんて和同開珎?ってさすがにそんなに古い銭っこは入っていないと思うけど、
五円玉ってなんか大切にしがちじゃない?私だけ?
まさに掘り出し物市ね!ってマーケットじゃないわ。
迷うようなゴミってあるじゃない。
だいたいのガラクタはもう不燃物。
そんな細かさは分かっているはずなのに。
私がこんなに怠けていた1年を改めるだけ改めようという気持ちだけは12月でマックスになる感じは分かって欲しいのよね。
いらない服とかも思いっ切りえいや!って捨てるべきだわ。
パジャマ替わりにしている古いティーシャツはもう洗いまくりまくりすてぃーで透け透けでそんなんじゃ表に出られないことは当たり前だけど宅配も受け取れないほどなのよ。
そんなボロボロなの捨てちゃえばいいんだけど、
なんかパジャマ替わりだしーって
そのままパジャマが捨てろって言う思考を邪魔するのパジャマだけに邪魔だわ!って。
いっそのこと、
ここで提言すのならせっかくだからこの際えいや!って一本背負いを決めるように捨てるべきなのよね。
そう言いがちだけど、
ものを大切にしたい気持ちも分かって欲しいこの狭間のなかで私はその波にもまれるのよね。
はぁ、
今年も捨てられなかった大事に着ている、
もう生地の目が抜けて割と透け透けのパジャマ替わりのティーシャツは
開運よろしく捨てて1年の締めくくりとして禊ぎの儀式をするべきなのよ!
それにちょうどいい身を滝に打たれる清い滝がないの。
やっぱり、
頭の中でシミュレーションしていろいろ捨てた模様や景色を想像して片付けるのなら
私は広い机に作業ができるスペースを確保したいと本当に思っているから、
ここに描いた絵が餅にならないように棚に飾って落ちたときにはきっと私のその片付けられる願いが成就しているってわけなの。
それを頭の中で描いたら、
なんか急に鰯気になってきたけど、
いやパジャマ1枚捨てたとて、
テーブルが展開できる広さが確保できるとは思わないけど、
そういう使わない古いものそういった物片付けるべきなんだわ。
快適な作業を!ってそっちの方が圧倒的にクオリティーオブライフ
虎穴に入らずんば虎児を得ずなのよ!
とにかく凄い自信なの!
こうやって誤魔化して現実逃避しているだけなのよ!
ここは覚悟を決めて虎穴んば!ってところよ。
決死の虎穴!
なんか虎穴にゴミ捨ててるマナーの悪い人みたいに聞こえちゃったらそれは誤解だって言うことをもう予め言われる前に言っておくわ。
勇気を出して
100パーセント出して、
やるしかないのよね。
苦手な片付け。
ときめかなかったら捨てていいってのあるじゃない。
なんかときめかないんだけど、
嫌だからそういう気持ちを断捨離しなくちゃってまずそこからなのよね!
あーあ!
しぶしぶ重い腰をよっこいしょういち!ってあげて
やるしかないのよね。
ファストフード店の隣の席の2人組のJKが席に座るとき「よっこいしょういち!」
って言っていたのを聞いてそれ何周しているギャグなの?って思ったわ
よっこいしょういち!も巡り巡っているってこと?
いやホラまた!話そらして現実逃避させようとしている自分自身、
その気持ちをよっこいしょういち!ばりに断捨離しなくちゃ!って思うのよ。
本当に重い腰をがんばって上げる時が来たのよ。
頑張って片付けするわ。
うふふ。
迷ったときは色々な具が挟まってるこのサンドイッチは迷う気持ちを抑えてくれるわ。
サクッとパクパクっと食べられていいしね。
冬の何かの食材を考えて真面目にここもデトックスウォーターやりたいところよ。
でもなんでもいいので、
温かいわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
第4回目の配信のこのPlaceholder Version!これは私が書いた全部の増田をEPUBにこしらえて電子書籍化を考えている作っている中の副産物としてできたPDFよ!ランダムで無造作ヘアの毛先を遊ぶように5つ選ばれた増田を収録しているわ。
EPUB用にこしらえて集めている私の増田のアーカイブ状況もおおよど40パーセントの回収を終えて、絶好な感じで進められているわ!この勢い止めずに年末年始でアーカイブやりきりもえな感じね!
皆さんはトレッドミルを御存知でしょうか?
もしくはランニングマシンと言ったほうが聞き馴染みがあるかもしれません。
使ったことがある方ならおわかりいただけると思いますが、いくら走っても全然時間の経過が遅く感じます。
まるで刑罰じゃないかと思ったことが何度かありますが、それもそのはずトレッドミルの起源は刑罰器具だったとかなんとか。
というのも、会社の付き合いでランニングイベントに出ることになったからです。
普段ジムで白目を剥きながら筋トレしてる筆者ですが、持久走は大の苦手です。
いくらカジュアルなイベントとはいえゼェゼェと苦悶の表情を浮かべて走るのは良くないかと思いトレッドミルのトレーニング機能を使って走る練習をしているのです。
先程も言いましたが、トレッドミルで走ってみるとどうも辛いのです。
きっとそれは周りの景色が変わらずジムの白い壁が目の前にあり続けること、ただ時間の経過と走行距離を表示するトレッドミルのデジタル表示の無機質さがそうさせるのでしょう。
かなりの時間が経ったはず、かなりの距離を進んだはず、なのに何も変わらない、進んでいるのかどうかもわからないというのはなかなか辛いものです。
走っているうちにバカバカしくなって止めてしまおうと思うのですが、やっぱりそれは負けた気がするし…の繰り返しです。
そんな中今日走っていたところ、ふと「いくらやっても進捗がわからない」という感覚は婚活に似ているなあと思いました。
友人たちは父になり、母になり、2人目もでき…といった具合に。
しかし筆者は何の進捗もありません。お一人様です。ソロプレイです。観客0人ワンマンライブです。
もちろん何もしてないわけではありません。
アプリだなんだで出会ってみたりしてますが、イマイチうまくいきません。
上手くいったと思えば失敗し、失敗したと思えば失敗し。
何がダメだったのか、どこで間違えたのか、何もわからずに次を…の繰り返しです。
きっと前に進んでいるんだと思います。なにか学んだこともあるはずです。
諦めかけたことは何度もありますが、「結婚はタイミング」だとか「世界に何十億も人がいるんだから、ぴったりな人がきっと見つかる」という言葉を信じて走ってます。
しかしいくらやっても進捗がわからない、どれだけ走っても終わりが見えない、これが今の私の状況です。
この感覚がトレッドミルでいくらかの距離を走るのと似ているなあと思います。
いくら走っても終わりが遠いトレッドミルといくらやっても進まない婚活。
体力的に責め立てるトレッドミルと精神的に追い詰めてくる婚活。
一体どちらの刑罰の方が楽なのでしょうか?
しかも周りから見ると何やら滑稽に見えてしまうところも似ているように思います。(これは言い過ぎでしょうか。)
しかしやらないことには何も進まない、何も得られないのも事実です。
幸いトレッドミルも婚活も終わりはあります。それがわかりにくいだけでいつかきっと終わります。
その時を目指してただただ愚直に走るしかないのでしょうか。
ところで、トレッドミルでそれなりに走ったあと、降りてみるとふわふわとした感覚があります。
酔ったような変な感覚ですが、筆者そういう時ついつい一歩、また一歩と前に踏み出してしまいます。
ふらふらとおぼつかない一歩ですが、なんだか前に進めた気にもなるので個人的には気に入ってます。
こうやって誰かと一緒に一歩、また一歩と前に進んでいければいいのにな、そう思いながら家に帰る毎日です。
・なんか部屋がカビ臭い
・引き出しの中に聖書がある
・ベッドがやたら硬いか、逆にふかふか過ぎる
• 枕が高すぎて首が痛くなる
• 冷蔵庫が小さすぎて、ほぼ何も入らない
• お湯と水の調整が難しいシャワー
• トイレットペーパーが妙に薄い
• バスタオルが意外と小さい
• 自販機コーナーがやたら充実していると嬉しい
• 大浴場があると「当たり!」と思う
• 消灯すると微妙にランプの光が目につく
• エレベーターが少なくてなかなか来ない
• 周囲にコンビニがあると心強い
• チェックアウトの10分前に大慌て
(追記)
タワマン(タワーマンション)の良さは、以下のような点に集約されるのじゃ:
「無職」と聞いてどんなイメージを持ちますか?社会的にはネガティブに見られることが多いですよね。でも、無職になって初めて分かったことがあります。それは、「本当に自由」だということ。この記事では、無職の生活のリアルと、その中で見つけた小さな幸せについてお話しします。
朝の通勤ラッシュ、皆さん経験ありますよね?でも無職になると、あの地獄から完全に解放されます。好きな時間に起きて、ゆっくりとコーヒーを飲みながらネットを眺める。これだけで、「ああ、生きててよかった」と感じるんです。
「これ、本当に必要?」と考えるクセがつき、結果的に節約上手になります。さらに、今まで気づかなかった無料の楽しみ(公園散歩、図書館巡りなど)を発見するのも一興です。
無職になって気づいたのは、今までどれだけ他人や会社のために時間を使っていたかということ。無職になった今は、自分のためだけに時間を使えます。例えば、読みたかった本を一気に読んだり、プログラミングを勉強したり(※無料の学習サイトもあります!)。
最初は「無職です」と言うのが怖かった。でも、何回か言ううちに気づきました。
「無職は肩書きじゃない、ただの一時的な状態だ」ということに。むしろ「自分探し中」と堂々と言えるようになりました。
無職でいる間、じっくりと将来のことを考える時間が取れます。「本当に自分がやりたいことは何か?」と問い続けるうちに、少しずつ道筋が見えてきます。実際に行動を起こすのはまだ先かもしれませんが、今はそれでも十分です。
無職になることは、人生の一つの選択肢です。もちろんお金の問題など課題はありますが、そこにはこれまで見えていなかった新しい景色も広がっています。この記事を読んで、少しでも無職の可能性にポジティブな視点を持っていただけたら嬉しいです。
chatGPTに「バズりそうな記事を書いて」と頼んで書いてもらった。
今年の一皿がそういうのがあって
また今年分も発表されたみたいなんだけど
たぶん今年の漢字は「金」よ。
オリンピック年定期じゃない。
たぶん金だわ。
谷でも金!亮子でも金!って言っている場合じゃないぐらい今年の皿もなに?って感じよ。
ちなみに「鰻」なんだって。
今年の流行語の「ふてほど」とか「鰻」とか
うーん、
私の気持ちは分かるタイトルで前のめりになりすぎている迷惑メールのたぶん「重要」って言いたい気持ちは分かるんだけど
そのなにかどうやったらそんな感じになるの?って言うタイトルの「重なら」を見ると
鰻の名店「重なら」の鰻を思い出すのよね。
さすがに
鰻ってあんな重箱の隅まで鰻がぎっしり詰まっている鰻重なんて高嶺の花の鰻処だから
食べるだなんてもってのほかじゃない。
だけど
私の今年の鰻メモリから保存してあった「重なら」以外の鰻メモリを取り出してみると、
確かに鰻食べていたわ。
玉子の鰻巻ね!
イキフンの季節のものだから雰囲気で食べておきたいシーズンだった、
あのなんだっけ?
今年は2回あったやつのまさか平賀源内さんも丑の日が年2回ある年を予想出来たかしら?ってぐらい2回あったじゃない。
そのうちのどちらかの日にその玉子の鰻巻を求めたのね。
季節のせいね。
思いっ切り「丑の日」に引っ張られちゃったわ。
でね、
その玉子の鰻巻は近所のマーケット謹製でそこそこのまあチープさは最初予想はしていたけど
思いのほか鰻がぎっしり入っていて、
おお!鰻これ4割ぐらい入ってない?って驚きを隠せなかったの!
きっと洗濯洗剤のシーエムで驚きの白さ!って声を吹き込む驚き屋さんも鰻たくさん入っている!って驚くレヴェルだと思うのよ。
私は予想もしなかったその玉子の鰻巻にすっかり満足そしてご機嫌さんになったってことが、
今年の唯一かたぶんその後リピしてまた別の日に買っているかも知れないその1回か2回ぐらいの鰻遭遇率だったのね。
だからあんまり鰻食べてない私のこの今年の鰻体験メモリーのこれを世間の平均値と見なすと、
一体どこで消費されているのかしら鰻って?
さすがに
ラーメン鉢の外側にチャーシューをまるで洗濯物を干すかのようにラーメン鉢一周するチャーシューをデコっている、
それの鰻重版の鰻のおひつの周り全4方向から全面鰻がはみ出ている、
そこでも「重なら」の鰻マックスの鰻重は通常の1.5倍ぐらいなのよね。
でも不思議と鰻不足だけれどお金を出せば食べられるって不思議よね。
あれはもうきっと職人技が必要のない完全なるファクトリーオートメーションで鰻がただたんに加熱されてご飯の上に乗せられる仕組みをとっているらしく、
ふーん。
なるほどね。
そう言ったところがあっても鰻のもともとの値段は変わらないだろうし、
きっとコスト削減出来るところは徹底的なのかも知れないわね。
まあ私はその鰻を思い出すために、
あるはずもない期待していなかったその「玉子の鰻巻」をいつでも探し求めていたのよ。
私がやっとゲットしてその思い出の鰻のイラストが描かれた走馬灯をぐるぐると回して鰻の柄が綺麗にキラキラ写し出す景色しかなく、
本当に世の中の人ってそんなに鰻食べてんのね!って思っちゃったわ。
でもそんな私のてっきり今年の皿が必ずしも今年たくさん食べられた一品とは限らないことを逆手に
逆に憧れの一皿であるのならば納得よね。
まあ、
あんまり私はグリル鰻よりグリルチキンの方がわーい!って喜ぶわ。
人類は鰻じゃないものを「う」として食べて鰻感を気分バーチャルに楽しめばもしかして鰻不足解決憧れの鰻への高嶺の花の鰻処がもっと低いところに降りてくるかも知れない。
鶏肉の品種の鶏の銘柄で「う」のつく烏骨鶏を鰻代わりに「う」が付いてるからそれを採用しましょう!って思ったけど、
今年の烏骨鶏年間消費量ははるかに鰻より少なくて希少らしいわ!
つーことは逆にまたこれ鰻より値打ちが上がって高嶺の花の鰻処よりはるか高い値段になっちゃうんじゃない?
そもそもお寺は殺生ダメだから「鰻」も「烏骨鶏」も召し上がらないかも知れないけど怒ると思うわ。
なんかそれだったら
「鰻」の代わりになる「う」つく精ののつくものを「烏骨鶏」以外で探さなくちゃいけないのよね。
なかなかそう簡単には「う」のつく食材をそうは問屋は美味しい海苔を卸さないのと同様に卸さないのよね。
うーん、
「う」のつく食材ってやっぱり世の中「鰻」と「烏骨鶏」しかないみたいね。
逆にこの2種類しかないことに
今初めて人類が気付いてしまった瞬間に私自ら立ち会ったような気持ちよ。
うふふ。
納豆巻き絶好超の美味しさでハマってるわよね。
まあだいたいタマゴサンドか納豆巻きかの二択の選択肢のうちのどちらか一方って感じだけど、
まあ朝の元気には変わりないので、
美味しい納豆巻きは朝の元気の源よ!
久しぶりに
夜にもオススメしまくりまくりまくりすてぃーな感じなので意外と夜のホッと一息にこのルイボスティーホッツもオススメなのよね。
朝の温活も兼ねての
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
年齢は30代後半。数ヵ月前に精神疾患で退職して無職になってしまった。
ぼーっとして仕事が手につかなかったり、風呂に月1しか入れなかったり、いわゆるうつ病っぽい症状がしばらく続いて3年ぐらい前にうつ病診断。
最近、主治医との話で過去の軽躁らしきエピソードが出た結果双極性障害に変わるかも、というのが現在の診断状況。
半年ぐらい前まで、頭の中でもう一人の自分が勝手にしゃべり続けているような症状があって、
それのせいでまともに考え事もできなくて、一日中ボーッと寝ていたのが、この間出された薬に変えたらピタッと止んだ。
……止んだはいいんだけど、それから一ヵ月ぐらいして、あらゆることに集中できない症状が発生した。
テレビやゲーム、動画などを見ても数分と集中できずに苦痛になってくるし、散歩に出ても不安なことについて考えるばかりで景色を見る余裕もなく、目的地まで歩いて、目的地から自宅まで歩くだけ。
こうしてこの文章を打つのも、5分打って、5分休んでの繰り返しであり、何をするにも5分ごとに休憩が必要。
脳の機能障害かとまで思ってしまうものの言語に関してだけはこの通りある程度意味の通る文章を作ることができ、わけがわからない。
ぼーっとしてすごしていられればまだいいのだが、ぼーっと休んでいることにさえ"集中できず"、何かしなければという焦りだけが自然とわいてきて、毎日が苦痛である。
SNSで昨日教えてもらった行為で緩和が見られたものの、この症状が一体なんなのか、まるでわからない。
若年性認知症にでもかかってしまったのだろうか。でも認知症で調べてもこのような状態の話は出てこないんだよな。
自分も今の自分の状態を正しく言語化できないから、同じ症状に苦しんでる人がいてもやはり言語化できなくて、病態として認知がされていないのかもしれないし。
脳に何が起こっているのだろう。
満を持して原作最終回(というかいろんな意味で怖くて読めなかった終盤を)見たんだが
うんなるほど…と。
ドラマ版は凄い出来が良くてさ、脚色が全てうまく行ってるし予算もあるし仕掛けもたくさんある。キャストもキャラ解像度が高い。系統はゴールデンカムイ実写。
でさ、至極まともなんだよスタッフ陣が。
でも週刊連載感?ライブ感?で描いちゃってた部分はやっぱでかくてさ…?時系列とかわりとコナン並みだと思うんだよね。
ただコナンは2話か3話くらいで原作者が時系列作るのを諦めてるの「明確に」わかるんだけど(みんな読み直そう)
推しの子は…作者が長く気づいてないんだよね?時系列おかしいことに…
で、そういうことが起きる漫画だから結構な矛盾が各所に存在しているんだよ。伏線書いてないとか。回収してないとか。
だからさ、キャラクターもちょっとずつブレていくわけだ。連載を盛り上げるためにね。
これ、絶対的に悪いとは思わなくて、なんなら手塚治虫的手法(というか昭和の大御所漫画家的手法)と言えちゃいそうなんだよ。
漫画連載なんてね、考えてる暇ないわけ。そりゃそうよ。その場しのぎでやっていくのは正しいよ。
でもメディアミックスしたらそうは言ってられないんだよね。
媒体が漫画じゃないから、好きなところに好きな時間使えないし、私的な作品性に帰化して投げるエンドも、映画とかでやったら映画が叩かれ興行収入失敗するわけでさ。
そういう矛盾とその場しのぎでやった部分を、実写ドラマは全部見抜いている感じがあったんだよね。
カットも多いけど補足もしてる。そのカット部分だって原作終わってみれば不要だったとこかもしれない。
まともなんだよ、スタッフは分かってるんだ。それでいて原作への真摯な向き合い方をした。
このまともなスタッフは、この推しの子という暴れて綱切って街中で暴れまわってしまった馬を、もう一度綱をつけて操ってくれるんじゃないか…って。
もし、同じラストの展開でも実写は違う味を見せてくれると思う。
https://ryxcommar.com/2024/08/17/why-does-getting-a-job-in-tech-suck-right-now-is-it-ai/
という記事をなんとなく読んだんだが、
挙げられている理由としては、CS専攻卒の供給が増えたことによる競争激化、金利の上昇、税制の変更など様々な要素が複合しているらしい。
が、この中でとりわけ気になったのが
「皆がAIを使って履歴書や経験談を生成したり盛るようになったため、『自力』で応募している人は勝てなくなってきている」
という話。
自分は生成AIをそこまで活用していないので、画像や音楽を作らせたり、企画書のテンプレ作らせるのに使うんだろうなぁ…
そうかぁ・・・世の中の人たちは「経験」すら生成しているのかぁ
と遠い目になった。
AIが作り出した架空の経験談を自分のものとすることにためらいが無い人が多数派の世の中になると
自分は非常に乗り物に酔いやすいのだが、一口に乗り物酔いと言っても、経験上、大まかに4パターンぐらいに分類できると思う。
景色を目で追ってしまうことで起きる乗り物酔い。3D酔いはこのパターン。映像酔いとも言うらしい。
自分の場合、映画やプラネタリウムで上映される映像の画面全体がスクロールするだけで一瞬で酔える。
(今は知らないけど昔のディズニーランドのスペースマウンテンとか最悪だった記憶がある)
何なら調子悪いときは、自転車を漕いでいるときに、カーブや右折/左折時に景色を目で追ってしまってもダメ。
景色を目で追わない。目をつぶる。目をつぶれないときは、動かない1点を見つめる。例えば窓ガラスの汚れを見つめるとか、バスだったら車内の設備を見つめる。長年悩まされて来たが、3Dゲームの映像の真ん中に動かない1点が出てくるアレの応用。
遠くを見ろと言われるが、自分は遠くを見る程度ではだめだった。
多分だけど、山道で酔うパターンもこれだと思う。景色を目で追わなければ大丈夫なんじゃないかな点…。先日、ちょっとした丘とカーブをバスで超えないといけないときは、これで乗り切れた。バスの中の柱とか前方の椅子をずっと見つめてた。もっと険しい山道で試したい気持ちもあるが、失敗したときに悲惨なので試したくない。誰かやってほしい。
自分は振動で酔わないので良くわからない。すみません。ただ、世の中には振動で酔う人もいるらしい。対処方法として、バスならエンジンの近くに座らないようにすると良いらしい。何も具体的なことが書けず申し訳ない。
これは速度による恐怖感で、心理的な不安から酔いが来ている気がする。非科学的で申し訳ない。
自分の場合は新幹線が駄目。周囲に新幹線で酔う人なんて極少数派なので正直恥ずかしい。特に、東海道新幹線のぞみの東京行きの浜松〜新横浜あたりはやたら全力出してくるの何なの!?!?あれで高頻度で酔う。
あとは以前、調子悪いときに横須賀線に乗って軽く酔ったことがあるな……駅間で速度出しすぎなんだよね……でも似たような区間を走るはずの東海道線は全然平気だったんだよなーなんでなんだろう。
乗り物酔い止めの薬+睡眠ちゃんと取る+ごく軽食を1〜30分程度前に摂取する(ゼリーとかビスケットとか)で乗車する。
※ 酔いにくくするためと、万が一酔って吐いてしまっても影響を最小限にしている
酔い止めも、眠気が強く出るタイプを買って、乗車中は寝て過ごす。
新幹線に乗る機会がそこそこ多いので、毎回酔い止め飲んでるけど、これを長期間続けて脳に影響等は出ないんだろうかと思う。本当は五苓散が効いてくれれば良いんだが、試した感じだとプラシーボ的な効果しか自分には無さそう。
出張の移動日は酔い止めの影響で、正直仕事にならない。会議とかボーっとして上の空。泊まりなら翌日は平気だけど、日帰りだと全然パフォーマンス出ないので、出張の意味が無い。
新幹線で食べ物を食べられる人がうらやましい……自分も新幹線で駅弁とか食べたい。
※ 酔い止めがちゃんと効いている間で目が冷めている間は、読書やスマホ視聴ならいける。
飛行機がこれ。以前、乱気流に巻き込まれたときは機体が高頻度に上下して死ぬかと思った。
飛行機は酔い止めを飲んでもそこそこの確率で酔う。どうすれば良いんだろう。自分的に解決方法はない。ただ、飛行機は滅多に乗らないのであまり気にしてない。
これは視覚+浮遊感の合わせ技なのかな?船に乗る機会が無いのでわからない。短時間のフェリーとか観光船ならあるけど、内海だったし揺れなかったのでそのときは全く大丈夫だった。釣りで船に乗る場合だったら、多分酔って死ぬと思う。アネロンとか飲めば平気なんだろうか?
3/11のときに余震で軽く酔った。東北に近いわけでもないんだけど……。
自分の場合、酔うといっても吐いたことがあるのは小学生の時ぐらいで、それ以降は吐くことは無かったので、それは不幸中の幸いなのかもしれない(死ぬ気で我慢しているとも言う)。
私は定期的にとある喫茶店に行くことを習慣づけている昨今なんだけど、
いわば半月替わりサンドイッチを求めてその喫茶店のお店に行くの。
私は朝のお店が開く開店時間と同時に飛び込み前転を決めて入店し、
ちょっとここは格好つける。
さすがにアイスコーヒーという季節ではないのよ。
私は半月替わりのサンドイッチの今は何かというテキストを端末に入力してメモするの。
未来食よろしくコオロギ粉末をツナサンドに隠し味で入っているらしいが、
タイトルで出ている以上、
隠し切れていない感情を私は押し殺しながら、
やって来たその「コオロギの水色の音がするツナサンド」を恐る恐る食べるの。
いや、
隠し味の粉末コオロギが美味く隠れてる!
でも微かに耳を澄ませばコオロギの味の中に音がするかも知れない水色。
それほんと?
水色の音がするかも知れない。
早々にサンドイッチを食べ終わって、
いまやAIは暇で退屈なんだそう。
そこで私は街に溢れているまだ解析されていないであろう言葉を探して街中に言葉を探しているってワケ。
どうやら
AIは
造語や、
うーん、
私は詳しい言語学者の大先生ではないので詳しくは分からないだけど、
AI曰く
解析に際し「処理を遅らせるカオス性」、
AIは言葉の中の予測不能な構造を捉えてはアルゴリズムが一瞬フリーズする。
その瞬間が何よりの歓びらしい。
ふと耳にした電車内の会話。
私にも分からないわ。
それが解析され尽くした世界の中で唯一AIが新鮮だと感じるみたい。
すべての看板がAIのフィルターを通した効率的な情報に変換された様な景色なら仕方のないことなのかしら。
もっともここで言う好きって言葉は人間に当てはめて彼らAIが言っている言葉なので、
もはや人間の喜怒哀楽のそれとは越えた彼らに「楽しい」ものらしい。
難しいことは私もそれ以上分からないけれど。
とにかく
街中のそういう言葉を集めて彼らに定期的に送ると報酬を得るという簡単なお仕事なの。
彼らの「辞書に存在しない」言葉などは格段に解析が楽しいらしい。
そんなものなのね。
とにかく世の中の全てのことを解析し尽くしたAIにてみれば
うーん、
いや別にサンドイッチの名前だからってことだけが彼らが喜ぶわけでは無いけれど、
まあ人間にもよく分からないような言葉を集めてはこれ本当にどうするの?って解析先にポチポチと送信をしている作業なのよね、これ。
AIが読んで、
私も一度読んでみたけど、
一時期人間がAIにそういった文章を書かせて見る試みもあったそうだが、
さすがAIはそれがAIが書いたと言うことが瞬時に分かってしまって、
結局彼らの創造は彼らの中でいくら組合せをしたところで越えることはできないらしいの。
AIはやっぱり人間のリズムで書く文章が読んでいても解析し甲斐があるって言ってた。
もうよく分からないことばかりだけど
なんか彼らAI曰く、
人間にはまだ変な言葉や辞書にない新たに作られた意味のありそうな造語を作るのに関しては分があるとのこと。
でも彼らAIにとってはとても解析食べ応えのあるとても美味しい言葉サンドイッチみたい。
彼らが喜んで解析した結果をもとにして得る報酬で
また私は来月のサンドイッチを食べに行くのよ。
多分、
またきっとAIには美味しいはずだと思うわ。
それが彼らには何よりの贅沢になるなんて、
なんて皮肉なのかしら。
うふふ。
豆乳にトマトジュースをミックスしていただく簡単ちょっと遅く起きて慌てて支度しなくても大丈夫なやつね。
でもそんなに寝坊はしてないけど
いつもより30分早起きしていた分を遅くまで寝ていたってわけなの。
ごくごく飲んで出発よ!
最近リピ率高しの
相変わらず
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
増田はおTINTINの冒険というタイトルの童話を知っているかな。
ある日、小さな町に住む少年ティンタロウ、通称「おTINTIN」は、不思議な地図を見つけました。その地図は、彼の祖父が長い冒険から持ち帰ったものだと言われています。地図には不思議な文字とシンボルが描かれており、おTINTINは一目でこれが普通の地図ではないことに気付きました。
ティンタロウは親友のネコ、チャチャ丸と共に地図の謎を解く旅に出かけます。旅の途中で出会ったのは、風変わりな魔女や、笑顔の巨人、木々に隠れた精霊たち。おTINTINはその出会いを通じて、勇気や優しさ、信頼の大切さを学んでいきます。
最終的に地図の示す場所に辿り着くと、そこには夢のような景色が広がっており、祖父がこの秘密の場所を守っていた理由が明らかになりました。それは、人々が忘れていた大自然の美しさを思い出させるためだったのです。
昔々、ある山の麓に小さな村がありました。その村の近くには「ガチムチ山」と呼ばれる大きな山がそびえ立っていました。ガチムチ山は険しくて力強い姿からその名前がつき、誰もその山を登ろうとしませんでした。
ある日、村に住む小さな少年タケルが、ガチムチ山に挑戦することを決意しました。彼は小柄で、村の中で一番の力自慢というわけではありませんでしたが、心は誰よりも強く、夢に向かう決意は固かったのです。タケルは村人から言われても、恐れることなく山に向かって進み始めました。
タケルは山を登りながら様々な困難に直面しました。険しい岩場を進む時には、山の動物たちが手助けに来たり、強風に煽られたときには、木々の精霊が支えてくれたりしました。タケルの勇気と優しさは、山そのものに知れ渡り、彼の行く手を少しずつ開いていったのです。
数日後、ついにタケルはガチムチ山の頂上に辿り着きました。そこで彼は、この世のものとは思えないほど美しい景色を目にしました。彼の心は満たされ、村に戻ると、その体験を誰にでも優しく語りました。ガチムチ山の頂上に至るまでの旅は、タケルの小さな体を力強い少年へと変えていったのです。
村人たちも次第にタケルの話に触発され、恐れずに新しいことに挑戦する勇気を持つようになりました。そしてガチムチ山は、恐れるべきものではなく、どんな困難でも乗り越える力を与えてくれる特別な場所として、村人たちの心に刻まれていったのです。
秋の風情を感じて、周りの人に感心されるような上品な表現を使うには、季語や文学的な言い回しを取り入れると効果的です。以下にいくつかの例を挙げます:
「もみじの赤が一段と鮮やかで、まるで自然が描く絵画のようです。」
夕暮れ
「秋の夕暮れは、一日の終わりに穏やかな詩情を添えてくれます。」
「日が短くなるにつれ、夕焼けの色がいっそう深くなりましたね。」
秋の風
「そよぐ秋風に金木犀の香りが混じり、季節の移ろいを感じます。」
「秋の夜長、虫の音に耳を傾けていると、故郷の景色が胸に浮かびます。」
「静かな秋の気配に、心の奥深くが優しく揺さぶられる気がします。」
移ろい
「この葉が落ちる様子に、時の儚さと美しさを感じざるを得ません。」
「移りゆく季節の中で、ふと立ち止まる時間が大切だと思います。」
「『秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる』ですね。」
「まるで松尾芭蕉の『寂しさや岩にしみ入る蝉の声』が聞こえてきそうです。」
「月が優しく微笑んでいるようで、秋の夜がいっそう幻想的に感じます。」