はてなキーワード: 告白とは
27歳DT、この歳になってようやくというかいまさらというか、とにかく失恋をした。
知り合ったのは俺が19で相手が15のころ、7年の友人だった。
もっとも、「友人」だったかどうかは今となってははっきりと言えない。
それでも恋をしていたんだ。
許してほしい。
諦めるために書いている。
どうか最後まで読んで「お前キモいからさっさと死んだほうがいいよ」とコメントを残してほしい。
「彼氏ができた」報告をされた。
本当につらい。
いろいろなコンテンツを紹介してもらったから日常のありとあらゆる事象で思い出してしまう。
「黒髪のキャラクターが好き」と言っていたから黒髪を見るだけで辛くなる。
果てはお金の使い方を一緒に考えてた時期もあるからお金を見るだけで吐きそうになる。
それくらい世界のすべてだった。
他人から見たらまさしく「よくあること」なんだけど、俺にとってはすべてだったんだ。
Twitterを眺めていると二次創作でいろいろなキャラクターが性行為をしている。
それを見るだけで「彼氏とこういったプレイしているんだろうな」なんて思ってしまう。
本当に情けなくて、気持ち悪い。
知り合ったのは当時はまっていたゲームのDiscordサーバ。
当時にしてはかなり活気あふれたサーバだった。
接点を増やそうとメンションや個人DMを増やしてしまい、結果返信が帰ってこなくなった。
俺と2,3人が残っているだけのような、ほぼ個人サーバのような状況。
そんな時、不意に帰ってきたのである。
「俺さん元気だった?」なんて言われたときはうれしくて泣いてしまった。
俺は社会人になり、相手は浪人をして再受験のために努力をしているらしい。
会話を続けるうちに恋心を思い出した。やっぱりこの人しかいないと思った。
ふとメンションしようと思ったら一覧に表示されなくて気が付いた。
本当は少しずつ頻度を下げていたのかもしれない、「最近来ないね~」なんて他のメンバーと会話していたりもした。
どうして脱退したのかはいまでもわかっていないが、大方なにか気に障ることをしてしまったのだろう。
わかっていないあたり、気持ちが悪いと思う。
あまりに悲しくてずっと泣いていた。
でも当然なにも解決しなかった。
サーバが過疎ったまま、1人また1人と来る人が減っていった。
俺もどこかで「サーバにいればいつかまた会えるかもしれない」と思っていたのかもしれない。
それから数年、今年の春。
当時遊んでいたゲームの続編が発売された。
とても面白く、その感動を誰かと分かち合いたいと思ってしまった。
Discordのサーバ一覧には当時加入しただけのサーバが多数残っている。
迷った。
一ヶ月くらい迷った。
どうしても諦めきれなくてDMを送った。
当時のことを謝りつつ、続編について語り合いたいことを話した。
帰ってこないだろうと思っていたのだが、返事があった。
本当にうれしかった。
それから数カ月ほど、その続編以外にもいろいろなことを話すことができた。
生活が変わったことだったり、新しいゲームにはまっていることだったり。
俺に彼女がいないことを煽られたり、彼氏がいないことを自虐していたりもした。
このやり取りで調子に乗ってしまったと後悔している、またアタックをしてしまったのだ。
それから返事の頻度が下がっていってしまい、とうとう帰ってこなくなってしまった。
3度目の過ちである。
するとひとことだけ。
最初に書いたとおり、世界のすべてだったから何をするにも思い出してしまう。
そして「今は彼氏とも同じ話をしているんだろうな」なんて考えてしまい余計辛くなる。
28歳のDTが年下の少女に恋をして、告白もできないままに振られて、勝手に鬱になっている。
それだけのはなし。
どこかのタイミングで意を決して自分の想いを伝えていたら違う結末もあったのだろうかとも考えてしまう。
初めて恋心に気が付いたタイミング、もう一度再開できたタイミング、互いにパートナーがいないことを煽りあったタイミング。
いくつかタイミングはあったかもしれないが、それらをすべて投げ捨ててしまった。
言わなかった現在が正解なのかもしれないが、今となっては言って玉砕したほうがよかったと感じている。
でも、2度見限ったのに2度とも再開を認めてくれたからもう一度を期待してしまっている。
もちろん、相手自身が幸せになってほしい。別れろとは言わない。
でも、もう一度友達になってはくれないだろうか。
毎晩とは言わないから、月に一回は会話させてくれないだろうか。
なんて言いつつも、やっぱりワンチャン付き合いたいななんて思ってしまう自分もいる。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
俺はどうすればよかったのか、どうすればいいのか、
もう一度やり直せるのか、それとも忘れる方法はあるのか。
考えたくもないけれど。
これを見たうえで許させれるとは思わないから、見られないことを祈っている。
それでももし見てしまったら、あなたが好きだったポケモンの名前をコメントに残してくれないでしょうか。
どうか、見つかっていませんように。
まず女は売れっ子ホストとか地元でブイブイ言わせてる不良の一員とか狭い範囲での人気者や権力者を選んでそこから殴る蹴るが始まるわけだ
男はたぬかなとか当時無名や初対面の知らない女に飴と鞭を突きつけられて言いなりになる
まず無名時代に「身長170cmは人権ない」という先制パンチでホビットの心を折りつつ注目を集める
クソみたいな女の本音をちょいちょい差し込みつつ、「お前らの為に鍛えてやってるんやで❤」と言ってやるという飴と鞭を交互に出すだけで巨額の投げ銭や高級ブランドが集まるからね
職場のいい年してFate/stay nightとかいう20年前のレトロゲームが好きそうな弱者男性とランチした時の話。
別に仲良くもなんともないのに、いきなりそいつに告白されたのよ。
あまりのショックで頭真っ白になって、悔しさと気持ち悪さが一気に押し寄せて、その場で泣いちゃったんだよね。
そしたら一緒にいた同僚が「お前今なにした?」って言いながら、弱者男性を5mくらい吹っ飛ばしてくれた。
で、後日。
なんか妙にキラキラした目をした弱者男性がこっちに来てさ、「この前は本当にすみませんでした!」って謝ってきたわけ。
いやいやいや、なんでお前が浄化されたみたいな顔してんの?
こっちはまだ全然傷が癒えてないんだけど?
謝ったら自分がスッキリできると思ってんだろうなって気づいた瞬間、また悔しくて泣けてきてさ。
で、反射的にビンタしたら、また5mほど吹っ飛んでいった。
てかさ、謝罪って本人が気持ちよくなるための儀式みたいに使われがちなのマジでムカつくんだよね。
同級生の話を聞いていると、特別目立った美人とかではない、普通の女の子でも、中学校〜大学生くらいまでの間に数回は男子から告白されて、付き合うのはもちろん、振った経験もあるらしい。複数人みんなそんなかんじなので、普通の女の子にとってはそのくらいが当たり前なんだろうと思う。
私はゼロ。見事にゼロ。行動してないとかではない。小学校、中学校は振られたことは数回ある。それ以降は特に行動していないし、告白されることもないまま大学を卒業した。若い女はモテに困らないなんて絶対嘘やんという気持ちしかない。
女から告白しても振られるくらいなので、容姿が悪いのだろう。でも、結構かわいいと思うんだけどな。でも振られてるという事実からするとブスなのか。いやでもかわいいと思うんだけどな。それはまあ到底乃木坂には入れないけど、一般人の中ではかわいく整った部類だと思うんだけどなあ。昔から容姿は褒められる方だったし…。
毎年クリスマスや正月のような宗教色の強い時期になると思い出すので備忘録として書いておこうと思う。
とても長くなるので読んでも読まなくても構わない。
粗はいくらでもあるが、当時小学生のお子ちゃまが頭を振り絞って考えたことだったので生暖かく見ていただければ幸いだ。
当時通っていた小学校はお受験が盛んで、クラスの半分以上が中学受験するような学校だった。中には体育や道徳など勉強に関係ない授業が多い日は学校を休み塾へ通うように親に指導される子供がいるような学校である。
そんな雰囲気の学校だったため増田も塾に通わされていたが、増田の親は仕事が忙しく放任主義だったため、どちらかというと自由に延長できる学童のような使い方をしていた。親が帰るまで子供1人は心配だから大人がいる塾で勉強して暇を潰しなさい、という発想かと思う。
朝から晩まで勉強で楽しくないし、学校の教師は子供達に学校で勉強させようと胡麻擂りに必死だし、塾ではライバルたちと比較される。お子様なりにフラストレーションが溜まっていた。
小賢しく、自尊心が高く、承認欲求が強く、何よりも勉強以外で暇を潰したかった増田はそこで考えた。
当時の増田の立ち位置は「1軍グループにいるけどちょっと浮いてる変なやつ」だった。友人Aと友人Bの親友というだけで残酷な子供達のカーストの中で辛うじてバラモンの仲間に入れてもらっていた。友人Aと友人Bの存在がなければきっとダリットだったと思う。
とにかく、増田には2人の親友がいた。勉強もスポーツもできて誰からも一目置かれる友人A、とにかく話がうまく誰とでも仲良くなれる才能がある友人B。
入学した時にたまたま席が横並びになったというだけの出会いだったが、それからこの2人はこちらが申し訳なるくらい良くしてくれ、そのおかげで陰キャで性格がドブカスだった増田も「みんな仲良し♪」の仲間に入れてもらうことができたのである。
表向き友人Aも友人Bもみんなの前では「気のいいやつ」だったが、実は2人とも性格にはかなり難があった。いや、だからこそ増田と仲良くなれたのかもしれないが。
友人Aはなんでもできるからこそ傲慢で、支配欲がある。少し早い厨二病であり、大きな声では言えないがナチに憧れていた。大きな声で言わないところが実に打算的であり、増田はそこが気に入っていた。
友人Bはとにかく人からの評判を気にしていて、いつも自分の悪口を言われていないか怯えていた。それと同時に人の内緒にしておきたい部分を暴くのが大好きで、いつか何かあった時に脅せるように、仲良くなって秘密を握ることで快感を感じる癖があった。
増田はといえば親友2人を自慢に思うとともに、増田の言うことを疑いもしない人気者2人を操る優越感に浸るクズだった。
そんな悪友2人に、こんな面白いことを共有しないわけにはいかないと増田は思った。
「いいね、やろう」と友人Aは言った。
増田は「こいつら話が早すぎるな」と思った。
そうして、宗教を作ることになった。
増田はキリスト教圏で育ったので神の存在に関しては割と思うところがあった。
思想と宗教の違いは難しいが、神の存在を論じられるほど増田の信仰は深くなかった。ただ、人間の熱狂は宗教になりうる、と子供心に感じていた。
小学生だった増田の狭い狭い世界の中で、唐突に宗教を作ろうと思ったわけではない。「これはいける」と思った出来事があった。
どの小学校でも道徳の授業があったと思う。お受験組の気を引こうと躍起になっていた当時の担任は、その道徳の授業で「いいこと投票」というものをしていた。
その名の通り単純で、「いいことをした人を匿名で投票して、得票数が高かった人を表彰する」という仕組みである。
これは単純だが、小学生の承認欲求をかなりくすぐった。なにしろ、いいことをするだけで教壇の上で褒められ、その上シール(子供にとってのシール!史上の喜び)を授与されるのである。名札の裏にいいこと投票のシールを貼るのがステータスになるのにそう時間はかからなかった。
増田はヒネた子供ではあったが、それでも投票されたら悪い気はしないし、いいこと投票が頭をよぎって人助けをすることもあった。
それと同時に、「これは使えるな」と思った。
増田が育ったキリスト教の教えでは、善行は死後の世界のために積むものとされていた(諸説ある)。だが、小学生にとって死後の世界など遠い存在である。「善行を積めば人々から尊敬されるという承認欲求」の方が何より魅力的なのではと思った。
3人の意見はまとまった。
その週末、3人で図書館に行った。親は大喜びでお駄賃までくれたが、目的は宗教について調べることであった。当時インターネットはかなり普及してきていたが、学校のコンピューター室で宗教のことを検索するのはかなり気が引けた。そこで図書館へ行くことにした。
一日中調べて回って、以下のことを決めた。
小学生なりに考え、実行に移せる最大限を考えた。
結成時に十数人を集めて行った友人Aの演説は素晴らしいものだった。増田が授業中書いた原稿と同じ文言とは思えないほど力に満ち溢れ、説得力があり、心に訴えかけるものがあった。その場にいた全員が信者になると誓い、お札を下駄箱に貼り付けた。
友人Bの勧誘も実に巧みだった。誰に話せば一番噂が広まりやすいかを友人Bは知り尽くしていた。すぐに手元にあったお札はなくなり、増刷をすることになった。学年のほとんどが入信し、シールは飛ぶようになくなった。匿名投票のための空き下駄箱は常に紙が入っている状態で、ランドセルの蓋にシールを貼るのが大流行した。
3人はそれで満足し、たかを括っていた。小学生の拡散力を舐めていたのである。
夏が来て塾の夏期講習が始まってから、他校の生徒に声をかけられることが多くなった。もちろん入信の申し出で、最初は喜んで案内をしていた。
だが、20人を超えたところで不安になり始めた。なにしろ、塾でしか会わない人間である。匿名投票の匿名性は失われ、よく知らない人間の善悪を判断しなければならない。
3人は作戦会議をし、組織化をしなければならない、と結論を出した。信者たちを支部に分け、各支部ごとに信者たちをよく知る支部長を置くことにしたのである。
それと同時に、今まで全て3人で行っていた運営にテコ入れをすることにした。
まず、専門のデザイナーを雇った。非受験組の絵が得意な信者にシールとお札のデザインを一新させた。毎月シールの図柄を変え、飽きの防止とインフレの防止を図った。
また、情報屋も雇った。告解で得た情報でさらに価値のある情報を交換するためである。これは画期的で、「この秘密を話すので誰々の好きな人を教えてください」とかが大変多くなった。
支部長の下に秘密で内部監査官も置いた。これは支部長の不正や信者との癒着を告発させるためである。
組織化したことにより、3人の地位は確固たるものになった。カリスマ的教祖の友人A、人に響く教えを説く友人B、善悪を裁き組織をまとめる増田。
夏休み中もムーブメントは衰えを知らず、信者は増え続けた。3人は有頂天になっていた。
そして学校が始まり、始業式の後、3人は応接室に呼び出されたのである。
〇〇〇〇教は教師陣の間にも知れ渡っていた。
一つの学校ではなく塾や習い事によりその地区の他校にも伝播した〇〇〇〇教の信者は把握できるだけで数百人を超えていた。
夏休み中、先生方は連携をとり、学校再開とともに終わらせようと話し合いがされていたらしい。
説教は3時間に及んだ。これは、先生方の話が長かったこともあるが、こまっしゃくれたクソガキだった我ら3人がいちいち反論を仕掛けたからである。
そもそも、我々は何も悪いことをしていなかった。ただ「いい人になろう」「いい行いをしよう」「いい人たちを尊敬しよう」と言って回っただけである。「ご利益がある」とお札を売りつけたり、告解で得た弱みを握って脅したりもしていない。ただ、善行を行わせて噂を流通させただけなのだ。
教師陣もそれがわかっていたのであまり強くは追及してこなかったのだが、我々があまりに舐め腐った態度をしていたのでだんだんヒートアップし、複数の教師が入れ替わり立ち替わり講釈を垂れ、最終的に「解散宣言をしなさい」と一方的に要求を押し付けてお開きになった。
応接室を出て、下駄箱に向かい、校門をくぐった瞬間、3人は爆笑しながらハイタッチをした。
「馬鹿め、もうそんな段階にないのだ!」と知っていたからだった。
子供と接しているのに大人である先生の皆皆様方は全くわかっていらっしゃらない。子供は禁止されたらもっともっとやりたくなるんだよ!
受験用に詰め込まれた知識であるキリシタンの気持ちがその時はよくわかった。抑圧された宗教は熱を増すのである。
隠語で呼ばれ、ミサと称した会合が秘密裏に行われ、塾に通うために学校を休んでいた層もせっせと体育館裏に足を運び秘密を囁くようになった。
教師陣は躍起になっていたが当時流行り始めた学校裏掲示板やmixiの日記などで〇〇〇〇教は着実に広まり、信者は増え、もはや我々3人の手に及ばないものになっていた。
知らないデザインのシールが増え、知らない告解が増え、知らない宗派ができていた。
秋が来て、塾で勉強している間に冬になった。
冬季講習の最終日、いつもの公園のジャングルジムの上に集まり、80円の缶ジュースで乾杯をした。
「そろそろやめよっか」と増田は言った。
「卒業、さみしいなぁ」と友人Bは言った。
正直、もうその段階ではないことはわかっていた。これはただの勝手な「一抜〜けた!」である。
教祖も司祭も裁判官も全てを誰かに押し付けて、こそこそと逃走するのだ。信者からすれば大きな裏切りであり、大罪だろう。
でもぶっちゃけ、飽きちゃったのだ。自分たちを置いて勝手に物事は進んでいくし、勝手に教祖を名乗るものも出てくるし、勝手に布教されているし、勝手に人が人を裁き始めるし。
だって子供だし、受験もあるし、そもそも進学したら続けられないし。
色んな言い訳をして、色んな人と話して、時にやり合って、押し付け合って、そうしている間に受験で学校に行かなくなって、ようやく卒業のために帰ってきたらどうやら全てが終わっていた。
あれだけ熱狂的だった信者たちは激減しており、卒業とともに誰かに譲られるためランドセルの蓋はシールなんてなかったように綺麗になり、空き下駄箱は使用禁止になっていた。
教室の後ろの「いいこと投票」の模造紙は取り払われ、「卒業おめでとう!」の垂れ幕に変わっていた。
友人Aは卒業と共に他県へ引っ越した。6年生になった時から決まっていて、増田たちと最後に何かしたい、と言っていたので「何か」は間違いなくできたと思う。
友人Bは志望校に落ちたので増田とは違う中学に進学した。あれだけ熱心に活動に勤しんでいたというのに引っかかったのは幸運だと自ら笑っていた。
増田は中学で若干いじめられそうになっていたが、入学した時に席が前後になった友人に助けられなんとかグループの輪に入れてもらい事なきを得た。教訓としては、コミュニティに入って一番初めにできた友人はなんとしてでも大事にした方がいいということだ。
それぞれ無事進学して、就職して、結婚して、最近はオンライン飲み会なるものを開催している。
この間、家族で親元へとUターン引っ越しをした友人Bが酔っ払いながら教えてくれた。
「最近、子供がランドセルの裏に変なシールをくっつけて帰ってきてさぁ」
友人Aはしばらく黙った後爆笑したが、増田は少し泣きそうになった。
この歳になると涙腺が緩くなって困る。
キリシタン、まだいるのかぁ。
記念したい被写体を取り入れたいために時には真逆の方向(カメラが太陽に向ふ)に向ふ場合もあるでせうが、このときは直射日光のレンズに当らないやうに注意をして頂きます。
フリガナがないので「まぎゃく」と読むかはわからないが、意味的には「正反対」の意味で使われていそうだ。
いまのところ「正反対」の意味で使われている最古の用例である。
只逆光線で太陽を前景のカメラをもつている人でシエードした事が、レンズに太陽の直射を避けて雲海にあたつた真逆の光線をうまく捉へる事が出来ました。
写真用語では太陽光の当たり方を「順光線(順光)」「斜光線(斜光)」「逆光線(逆光)」などと分類するが。
逆光をさらに「半逆光線(半逆光)」と「真逆光線(真逆光)」に分けることもあるというわけか。
検索してみるかぎり、用例としては「真逆光」が圧倒的に多いが、「真逆の光線」「光を真逆に受ける」のような例もわずかに見られる。
一気に時代が飛ぶが、こちらは「まぎゃく」とフリガナがあるので間違いない。
ネットで検索できるかぎりでは、いまのところ最も古い「真逆(まぎゃく)」であろう。
ここまでは用例が少ないので、もちろん「真逆(まぎゃく)」が広まっていたとは言えないだろう。
もしかすると、文章にならないような口語・俗語として使われていた可能性はあるが、それはわからない。
さて、1970年代に入ると一人の男が颯爽と登場する。映画評論家の松田政男である。
この人物が「正反対」の意味の「真逆」を広めたと言っても過言ではないのではないか。
コスタ・ガブラスが『Z』にひきつづいてつくった第三作『告白』は、いわば、日本の喪名の永久革命家の理念とは真逆の視点から、革命と反革命の弁証法をとらえようとした政治的茶番劇である。
往年の安部公房のテーゼ"猛獣の心に計算器の手を"とまさに真逆に、ポール・ニューマンは"ハトの心にタカの爪を"と、後行する世代を叱咤しているのである。
自動車から飛行機への発明のベクトルがひたすら上昇の方角にのみ向けられているのとまさに真逆に、グーテンベルグ以降におけるエレクトロニクス・メディアの発達は、ひたすら私たちの<内部世界>の深部に向って下降するベクトルをもっているのではないか。
エンツェンスベルガーは、エレンブルグの「作家ならば、ドゥルティの生涯のものがたりを書いてみようとは、けっして思うまい。それはあまりにも冒険小説そっくりだった」というしたり顔とはまさに真逆に、そういった意味合いでの「物語作者は、自己を否定しなければならない」が故に「集団的フィクションとしての歴史」――正確には「反歴史」を書くべく試みたのだ。
チャップリンが、常に、可哀想なヒロインのために献身するのに対し、キートンはまさに真逆、禁欲的にまで非情に、アクションの共同体を映画のなかへ制度化すべきことを他者に向って要求するのである。
そしてエイゼンシュタインは「人に秀でた人間」として、しかしトロツキーとは真逆に、スターリニスト・レジームへの自己批判を倦むことなくつづけることによって生き延びて行ったのだ。
この点いかに苦悩の色を露わにしつつ純文学を志そうと、できあがった作品が常に一つの社会現象として、つまりはエンターテインメントとして消費されてしまう石原慎太郎と、篠田正浩はまさに真逆であると言っていい。
私たちは「スティング」のあの不愉快なだまされ方とまさに真逆に、龍村らが「キャロル」に仕掛けたさわやかな詐術を愉しんでおけばいいのだから······
レーニン以前に、もとよりレーニン以上に楽観的に「生産者たちの自由で平等な協力関係の基礎のうえに新たに組織する社会は、全国家機関を、そのばあいにしかるべき場所へ移しかえる、すなわち、紡ぎ車や青銅の斧とならべて、考古博物館へ」と断定したエンゲルスの理想とはまさに真逆に、いま紡ぎ車や青銅の斧と共に博物館へ並べられているのは、彼らエンゲルスやレーニンや、その他もろもろの革命の理想である。
この密林の猟師は年齢不詳だがむろん年老いており、したがって初めキャステイングされていた三船敏郎のような精悍さとは真逆の、むしろ志村喬だとか千秋実だとか黒沢一家の長老ふうな中央アジア出身の老優が起用されていて、これがかえって野生の賢者という風格をかもし出してなかなかにいい。
そこへ行くと、日活ポルノ裁判の被告として四年間の沈黙を余儀なくされていた山口清一郎が、初めてATGと提携=製作した新作『北村透谷・わが冬の歌』は、『原子力戦争』とまさに真逆に、開かれた映像空間の造型に、一定程度の成功を収めえている。
高橋明や庄司三郎ら日活独特のポルノ男優たちが、画面のなかでいかにタフに振舞おうとも、私たち観客に対しては常に控え目な存在であるのとまさに真逆に、ここにおけるホストどもは、私たちの目の保養を邪魔立てする文字通りに目ざわりな夾雑物なのだ。
しかし、『25時の舞踏派』『貘をぶっ殺せ』『造花の枯れる季節』と一九七五年に三連作された8ミリ長編劇映画とは真逆に、このうまさは、なぜか上すべりするうまさなのである。
亀和田武は、そこで、私とはまさに真逆に、自らの石井隆論を全面展開しながら辛辣きわまりない反撃を重ねて行くのだが、先述したように、私がヨリ関心を惹かれるのは、個別作家論というよりも、その大前提たるべき情勢論なのだ。
そして、面白いのは、西欧的な父性原理に依拠する『くるみ割り人形』とはまさに真逆に、信州のフォークロアに原型をもつ物語の真相には、東洋的な阿闍世コンプレックスに由来する母性原理が、不十分ながら貫徹していることだろう。
いずれもフリガナは振られていないので、本人は「まさか」の読みで使っていた可能性もあるが、少なくとも意味的には「正反対」で間違いなかろう。
1970年代から1980年代にかけて、この「正反対」の意味の「真逆」用法は、特に映画系のライターのあいだで広まっていったようである。
もっとも地獄絵は、その猥褻さ、はなはだ幽玄的でない表現に寄って、裸や性器の露出がいやらしいこと、不自然なこと、いわば忌み嫌うべきこと、非人間的なことであることを強調しているわけで、これは、古代ギリシャをはじめヨーロッパの絵画や彫像が裸の美を強調し、裸こそ人間の自然の姿だといわんばかりに表現しているのとはちょうど真逆である。
「当然でしょ。”緑の革命“とは、発展途上国にとっては、自立とは真逆の、アメリカへの依存度をより高めさせ、アメリカ政府と、多国籍企業の世界支配システムにより深く組み込まれることでしかなかったのですからね」
松陰は、この狂を愛し、みずから狂夫たろうとしていた。だが、岸信介には、狂はない。むしろ、吉田松陰とは、真逆のように思える。
仮に、このあたりの記述が「まさか」という読みを意図していたとしても、フリガナがないので「まぎゃく」と読む人は多かっただろう。
いきなり告白されても困るよな実際
村の嫌われ者の葬式で毒入りマッコリによる殺人事件が発生。認知症の妻が犯行を自供するも証拠は薄く何かおかしい。ソウルで弁護士をする娘が緊急帰国し弁護を開始するも閉鎖的な村民や市長、警察、輩の妨害に合い、事件の裏の巨大カジノ建設に関わる陰謀に近づいていく。
最初は何となく日本でいうところの「刑法第39条」的な認知症の人間の罪をどう裁くべきなのかとか、無実の認知症の人に自供させた場合その真実をどうやって確かめることができるのか的な社会的な作品かと思って見てたけど実際にはそんなことは別になく、韓国特有の文化である「恨(ハン)」の映画だった。
主人公は死んだ父親(母親が再婚した継父)から虐待を受けておりそれが原因で自殺未遂→村を捨ててソウルへというバックボーンがあり、ソウルでは正義感の強い敏腕弁護士として鳴らしている。村を捨てた人間として村の人間からはうっすらと疎まれており、また村八分にされていた人間の残った一分の葬式に行ったらその嫁に毒殺されるという悲劇からほとんど協力が得られないという村ホラー的な展開が良い。
その被害者の中で一命をとりとめた市長は何やらこの事件を早々にクローズドしたいらしく、無能な弁護士をよこしたり警察に圧力をかけたり部長検事を引っ張り出してきたり地元のチンピラを雇ったりとあらゆる手段を講じてくる。そして死亡した人たちは彼が推進していたカジノ計画に何らかのかかわりがあることが分かり、こいつがやったのでは?という疑念が立ち上る。だったらしょうもないなぁとちょっとこの辺で不安になってくる。
しかしその後、証人喚問に呼ばれた自閉症の弟が検事に「お前以外は誰もマッコリが入ったヤカンに触ってないんだな」と詰問され弟は「はい」と答え、それを見た母親が半狂乱になり「私がやりました!!!」と絶叫しだす。弟は常々検事のことを悪い人だ!と言っていたので、エッ、悪人を罰するために自閉症の弟がやったのを認知症ながら母の愛で庇ってたっていう一番おもんないパターン!?となるもそのまま話は進む。
巨大カジノ建設の闇がこの事件に関わっているのではと追う中で、知事、父親、被害者たちを含めた仲良しチンピラーズが大昔に仲間割れを起こしてうち1人を事故に見せかけて殺害したことが発覚する。そしてそれは主人公の母親の元夫だった。悲しみに暮れて自殺を図った母親を死んだ父親が救い、妊娠していた子供のためもあって彼と結婚した母。
しかしその後、仲違いした知事と父親の会話から真実を知ってしまう。
ブチ切れた母親は父親の食事に農薬散布を開始、父親を殺害。そして父親の葬式にのこのこやってきたチンピラーズに毒を盛ったマッコリを飲ませて復讐を果たしたのであった。いや、このストーリーで実際に母親が犯人なことありえる!?
真実を知った主人公は「知事を恨んでいた父親が自分の死を悟って死後強まる念を使った、もとい葬式で使われるであろうマッコリに農薬を仕込んでいた。実際に死亡時に来ていた服に農薬が付着していた(農薬は母親が父親に食わせていた者の残滓)」と陳述し自閉症の弟、認知症の母親を操り法廷を支配し無罪を勝ち取る。
ロジックがしっかりしているのが良い。
冒頭、水に沈んでいく謎の男が映し出され、これが死亡する父親なのかなと思ったら違って誰やねんと思っていたら公判で元夫(やっぱり死亡した父親ではあった)であることがわかると、あぁ冒頭のあのシーンはこういう意味だったのかというのがわかるし、同じく冒頭にある父親による虐待シーンも「自分が殺した元夫の子だったからか」と判明するのも「母親の元夫を殺したところからすべてが始まっていた」と理解できる構成が美しい。
また母親?→知事?→弟?→母親!→父親へという犯人が二転三転する法廷サスペンスを頼ませてくれたうえで、市長がガッツリ警察に影響力があって汚職まみれで暴力も辞さないというイヤ村展開も見せてくれるのも、あと幼馴染のデブは善き警官として登場しコメディリーフとして主人公に手を貸してくれる展開もエンタメとして強度が高い。
当初正義感が強く「悪の弁護はしたくない」と当初述べていた主人公が、弟が撮影していた母が父を殺害した状況証拠を握りつぶし、敏腕弁護士ぶりを発揮し「冤罪をでっち上げて」自身と母親と本当の父親の復讐を果たし無罪を勝ち取るという展開はこの作品のタイトルが「결백(潔白)」ということを顧みても趣があってよい。
主人公は冤罪に手を染め、母親は元夫の仇である父親含めたチンピラーズを殺害し、自閉症の弟は父殺しを黙認し、父親も市長も被害者たちも元夫殺しの犯人で、無能弁護士も警察も検事も汚職にまみれている。潔白などないという作品なのかなと思った。
個人的に好きだったシーンは主人公が集めた証拠から母親に真実を追求にしに行く接見シーン。
互いに向かい合って話すんだけどカメラを互いを一人一人しか移さないのだが、ガラス越しに反射した相手の顔を同じ向きに重なり合うように映す。そして主人公が最後の真実を明らかにするシーンで「主人公」と「反射する母親」のそれぞれの顔が輪郭レベルで完全に一致する。
最初、象徴的な絵面だなと思ったけどその告白は母親によるマッコリ混入だったのでこの母親と主人公を同一化する意味って何だろうと思って見続けていたらその後、主人公は死んだ父親の犯行だったことにするという戦略をとり「夫・父親の復讐を遂げる人間」になったんだなということが分かり、いい演出だなーって思った。
母親は父親とチンピラーズの多くを物理的に殺害し、主人公は彼らを法的に再度殺害した。
役者さんもよかったし何よりプロットがしっかりしていて法廷劇映画に必要な要素はたぶん全部入ってた。
まぁ後の知事も含めたチンピラーズの犯行がずさんすぎる問題はあるんだけど、でもこれってトリックが重要な本格ミステリ(Howdunit)じゃなくて人情ミステリ(Whydunit )なのでこんなもんじゃない?少なくとも明確に矛盾してるなぁって部分はなかった。
しっかり作られた良作。オススメ。
この映画が酷評されていたのでせっかくだし観に行ってみた。途中笑うくらいおもしろくなかったので感想を書く。良いところと悪いところをまとめてみた。
多少ネタバレもあるので嫌な方は読まないでください。
>悪かったところ。
・ストーリーが飛びすぎ。
ついていけない。新幹線なら大阪飛ばして京都着くらい飛ばしてる。
観ていてすごい疑問が出てくる。急に大人数の戦闘してて主人公たちはなんで加わってるの?母親と血が繋がってないのかな?あの龍はなんなの?手下たちなんでこの世界にいるの?そして最後まで答えが出ない。
スカーレットは身分も性別違うし昔の人だからまだ共感できないのはしょうがないとしても、相方の日本人男性と全く共感できない。あれは共感要員じゃないの?
明らかに異世界なのに俺は帰る!とか言った時点でなんだそれってなった。あと殺されそうになっても殺すなとか言う。とりあえず恋愛しとけ感がすごい。
急に歌って踊らないでほしい。逆にディズニーって最初から歌って踊る雰囲気作ってくるし自然に入れてくるの上手い。
関係ないけどフラッシュモブで告白されて喜ぶ人は日本だと少数派だと思う。
雷とか。急に敵だった人が助けに来たり。なんで馬乗り状態でスカーレット刺せるのに刺さないのって思う。
・見せ場的なシーンがない。
進撃ならリヴァイvs獣の巨人。SWならダースベイダーとの戦いみたいな記憶に残るシーンがない。結局復讐相手とも戦わなかったし。
サマーウォーズとか時をかける少女は今でも思い出せるシーンあるけど、この映画ではない。さらさらと流れていく。
>良かったところ。
ロシア、アメリカ(+イスラエル)が示している「力こそが全て」という今の情勢で愛と平和を訴えたいのはわかるけど、デンマークはその後植民地獲得したり、ナポレオン戦争とか第二次大戦とか結局殺し合いだったなーって思ってしまった。この映画は逆に観に行った方がいい。
以上
大学の時に好きだった男性が結婚することを知った。前に告白して振られたけど、今も好きな気持ちは変わらない。名古屋で主婦が刺され、最近になって犯人が捕まった事件を思い出した。結婚相手の人を殺すのは絶対間違ってると思うし、そんなことをしたら彼を悲しませることにもなる。それなら、彼を何としてもこっちに振り向かせるように違う方法で動いた方がいいと思った。
犯人がしたことには全く共感できないけど、犯人の気持ちには同情できるところがある。やっぱり取られちゃったって思うし、自分の方に振り向かないことにもやもやしちゃう。
昔からよくあるタイプではあるけど特に半沢直樹以降に顕在化した「いい演技=オーバーリアクションの顔芸」系作品。このハゲー!! ちーがーうだーろーっ! 違うだろーォッ!! 違うだろっ!!!(唐突な豊田)。元々は蜷川あたりの演劇界隈からの輸入だと思うんだけど、演劇であれがバエるのは空間が広いからだろ。画角的に小さく切り取られた画面内でやられても、こんな奴おらへんやろ~としかならんやろ。
なので僕はこの映画が嫌いです。
千葉雄大って口に顔乗っ取られてるんか?感情的になって話すと口の動きにあわせて顔の位置が動くから「一生懸命頑丈込めて台詞読んでます」感がすごくて毎回ズコーってなる。顔はかわいいけど主役張る器とは思えなかった。まぁ主役なんかジャニでええんですってのが邦画だから別に千葉雄大でええか。
話としては前回(見たはずなんだけど何一つ覚えてない)逃亡した天才ハッカー成田凌を追う刑事千葉雄大はハッカー対策室に異動。一方その頃成田は日韓首脳会談の中止を目論む韓国の反政府組織に就職。そこで監視役についた韓国美女といろいろあって、最終的に公安の井浦新に撃ち殺されて韓国美女にはく製にされておしまい。
これ別にいいっちゃいいんだけど、韓国の反政府組織の韓国人上司が大谷亮平で、韓国で知り合う韓国人剥製師が佐野史郎なんだよ。ちなみに韓国美女は元アイドルの韓国人。なんでみんな韓国人にしなかったの?予算なかったの?
俺はハリウッド映画とか見てて日本人役が韓国人だったり中国人だったりするの毎回イラッとするタイプだからすげー気になっちゃった。もしくは韓国美女も日本人で揃えてこれはジャパニーズファンタジーコリアですよっていう空気感の統一をするとかさ。
実は韓国美女も心理操作に長けた超悪女だった可能性もある(最終的に成田を剥製にしてる)から意図的な演出なのかもしれないけど、韓国美女がストーカーに追い詰められたところを成田が助ける展開があって、その後、距離が急接近して哀しき過去を告白するってシーンがあるんだけど、そこがカタコトの日本語なんだよ。2人はほとんどのシーンで韓国語で話してるのに。
韓国生まれ韓国育ちの韓国美女が最もエモーショナルになってる場面で敢えて(カタコトの)日本語話すか?毒親に虐待されて施設で育ったって設定なんだけど、その施設が実は日本にあって私は韓国の毒親に捨てられて日本で育ちました、なら、本当に辛いときに日本語が出るのはわかるけど、別にそんな設定ないし。なんでこいつ日本語しか話さんようになったんや。こういう感情が繋がらない感じ苦手なんだよな。
途中で急にミサイルが日本に撃ち込まれる展開があって、Jアラートが作動。防衛庁もミサイルの存在を確認。2分後に着弾。実際に着弾しモニターには濛々と煙をあげるビルが。しかし千葉雄大はモニタを凝視し、旗のはためきと煙の向きが違うことから「ハッキングを受けてフェイク映像を流されている」ことを見破る。
って展開なんだけど、いや防衛庁のレーダーもハッキングしたん?だったらもう何でも好き放題やれるだろ。フェイク映像なんか流して遊んでる場合か?とも思うしさ。何より今の時代にサイバーハッキング対策室ならまずやるべきことはSNSのモニタリングだろ。
実際に着弾してるなら映像なり写真なりが一瞬でバズりまくってるはず。フェイク映像凝視してる場合か?「あれれ~おかしいぞ~。SNSに何の反応もないよおじさん(CV:高山みなみ)」がリアルじゃね?つーか情報収集のために24時間監視しとけよ。
日韓首脳会談の会場にドローンが雲霞の如く押し寄せる展開もあるんだけど、それだって急に近所からドローンが湧いてくるわけもなし周囲何キロかは当然ある程度の警戒態勢が敷かれる以上、ある程度の距離を飛んできているはずなんけど巡視してる連中は何も気づかんかったんかって感じだし、何より首脳会談のときは普通に広域監視でドローンの警戒は現代では当然にやっとるわい。ドローン出てきたての時に脚本書いたんか?
あとこれはもう本当に全然どうでもいいことなんだけど、反政府組織の大谷の恐ろしさを表現するために裏切者を処刑するシーンがあるんだけど、そいつは警察に組織の情報を売ってたのね。で、問い詰めると「娘を学校に行かせるのに金が必要で!」って言うの。反政府組織より警察のほうが金払いいいことありえる?めちゃくちゃ潤ってそうな組織だったけど。別に「喋らないと一家ともどもぶち込むって脅されて」とかでよくね?
あと反政府組織をずっと警戒してるのに「背中のやけどを見せる」ためだけに上半身裸で寝てる成田ね。こいつそのシーン以外ではずっとパジャマでもない普段着で寝てるから。こういうの嫌い。
基本的に謎演劇演技が「すご~いこわ~い」って思える人にはポップコーンムービーとして普通に楽しめる程度の映画ではあると思う。でも俺には「演技合戦(笑)」が映るたびに逆に集中力を削がれてしまって、気にしなくていいことばっかり気になってしまった。
でもこれはたぶん1,2が好きだった人に対するご褒美映画な部分はあると思う。なんかマジで必然性なく出てきて足を引っ張るしかしない田中圭もたぶん1か2の主要人物でしょ。で、成田が韓国美女に心開く描写も1と2を見て着てたら感動するんでしょ。成田が千葉を友達だと思ってて最後に助ける展開もずっと見てると激エモなんでしょ。いや。
俺も見てんだよ!!!!!何も覚えてないだけで!!!!!!じゃあ俺が悪いか!!!ごめんね!!!!!!
でも邦画の基準の中ではまぁまぁ頑張ってる方なんじゃないの。知らんけど。
アマプラで無料で見られるので千葉雄大、成田凌のファンにはオススメ。
ホイ卒には難しい映画であった。42点。
イェール大学とかいう名前だけはやたら聞いたことがあるおそらくおハイソな大学で巻き起こるレイプ疑惑を軸とした「正しさ」の物語。
ジュリア・ロバーツは哲学科の教授でテニュア目前、同じく教授のハンクとは良きライバルであり同僚であり友人であり不倫相手。しかしある日、自分の生徒である黒人女のマギーがハンクを不同意性交で告発!しかし、ハンクもマギーも信用に足る相手ではなく、また自分自身もそうであることを思い出し苦悩するジュリア。いろいろあって過去の罪と向き合ったジュリアは幸せになったらしいよ……カット!という映画。
とにかくさぁ、出てくる会話がハイソサエティすぎて保育園卒の俺には全く理解できんのよ。
ジュリアが哲学科の講義で語る哲学的議論が明らかに展開に作用しているのは理解できるんだけどどういう意味かはまったく分からん。あなたは悪としての第三者を仮定しているけどその仮定自体が一方的なお前の思い込みに過ぎないではないか!的なことをアジア系の学生に詰めた後に、同じくマギーに対して一方的な思い込みで詰問(ほぼ誹謗中傷)し殴られるシーンとか象徴的だったけどさ。
これに限らず作中では「いやお前が言うんかい」みたいなところがいっぱい出てきてクラクラする。
例えば冒頭でテニュアを目指すジュリアに対してKYDKが「でも時流的にイケるでしょ。今は危ないのは白人シス男性だし」とか言い出してジュリアは冷静にブチ切れて「被害者意識だけ達者」「実力で選ばれたと思えないのはかわいそう」だの散々詰問したりする。
しかしのちにジュリアは学校の処方箋をパクって薬を調達していたことがバレてそれを口実にテニュアの承認を無期限延期されてしまう。特権階級を使ってズルしたのを咎められるわけ。
男女同権的に先進的でイケてる男を演出していたハンクもいざ訴えられたらなんかこうセコセコセコセコ余裕なさげにオーバーリアクションで「相手から誘ってきたからさぁ!」とか言い出して情けないし、後にジュリアを押し倒そうとして拒否される。お前もさぁ。お高く留まった学者センセイがチンポに脳を乗っ取られるの悔しくないわけ?
レイプ被害者を自認するマギーはマギーで無駄に挑発的で論文もパクりだし親は金持ちで寄付金ランカー。そしておそらくマギーがハンクを誘ったのは事実なんだよね。マギーはジュリアに強いあこがれを持っており、さらにおそらくヘテロ。事件の直前にジュリアが過去に合意の関係だった相手にレイプをでっち上げた記事を発見し自身に取り込んでいる。そしてジュリアが自分の味方にならず、敵になったと確信した瞬間にその罪をマス・コミに告発してしまう。
しかし本当には何があったかわからないまま、つまりマギーから誘ったのか、ハンクが押し倒したのかはわからないまま、時は5年後に進みジュリアは学部長に、ハンクはコンサルにマギーは婚約者と幸せにしていることが分かり「力になれなくてスマンゴ」「一緒に破滅して同一化したかったが間違っていたゴメンゴ」と謝罪し合ってエンド。と同時にカットがかかって映画は終わる。
「こんな幸せな結末、物語の中だけですよ」という強い警鐘なんだろうけどとはいえ、何が起こったのかようわからんからなぁって感じ。ハンクの側に立てばカラードでジェンダーマイノリティの女性という圧倒的社会強者に踏みつぶされた身体的強者の物語だし、マギーの側に立てばジュリアへの恋慕を邪魔されたジェンダーマイノリティの復讐譚だし、ジュリアの側に立てば友人(不倫相手)と生徒(社会的弱者)の間に挟まれた上に過去に襲われるトラウマストーリーだし。もう頭おかしくなっちゃう!!!
ジュリアが15歳の時にパパの友人に恋してエッチしちゃうも、そのうち捨てられてブチ切れてレイプをでっちあげ彼は破滅。その後罪を告白するも社会的立場を失った彼は自殺する。というトラウマを抱えているのだけれど、これも仮に両思いだったとしても今の基準で言えば十分にレイプだよね。夫である医師も「だとしても彼は絶対に拒絶すべきだった」って言ってたけど、ワイトもそう思います。
旧人類として性的暴行を性的暴行と捉えられずに、しかし嘘として性的暴行を武器に使った女ジュリアと、新人類として(おそらく)合意の上であっても立場が圧倒的に上の男性との性行為を、しかし嘘として性的暴行として武器として使った女マギーの対比は何となく感じたかな。
証拠として有名なのは、やはり1934年に外科医ロバートケネスウィルソンが撮影した、通称「外科医の写真」であろう
この写真にはオタクに優しいギャルがシルエットとして写っている
しかし、この写真は意図的にトリミングされたものではないか?これはギャルではなくサルの見間違いではないのか?
のように、オタクに優しいギャル肯定派からも疑問を持たれる、常に論争の的の一枚でもあった
1993年、この写真を本当に撮った人物の関係者が、トリックであったことを告白、
本当に撮影したのは外科医ではなかったが、医師が撮影したことにすることで信ぴょう性を高めようとした、というのだ
また、1977年、日本のトロール船がニュージーランド沖で奇妙な生物の腐乱死体を引き揚げた
腐乱死体は強烈な異臭を放っていたが、もしやこれはオタクに優しいギャルではないのか?と思った船員が写真を撮影、
死体は腐臭が酷いため廃棄されてしまったが、船員は骨格のスケッチも残している
しかし、残念なことに、この死体はオタクに優しいギャルではなく、単なる「腐女子」ではないか、という説が今は有力である
腐女子の顎には骨がないので、死んだ後に腐って失ってしまい、オタクに優しいギャルのような形状になってしまったのであろう
そもそも、強烈な腐臭がすることが腐女子であることを物語っている
なんて、
ふざけるな!
いいか?
オタクに優しいギャルの心を受け継いで、これからは君たちがオタクに優しいギャルになるんだよ
なんてことを、
まるで自分は知識人?常識人である風に言うやつには、正面から向かって、目をみて言ってやれ!
たまたま複数の女性と仲良くなったことにより、昔の自分がどうしてキモ行動に走ってばかりだったのか理解したので論理的に説明します。
一人も仲のいい女性がいない非モテ男は余裕がないので狙ってる一人の女性に執着してしまい、相手にされてなかったり微妙にキモがられてもしつこくアタックして更にキモがられて最悪周りにも評判が広まり更に女性恐怖症になり女性に話かけることが怖くなる。これが非モテの典型的な悪循環ね。
これが一人でも仲のいい女性がいる男性だと”一人の女性に執着する必要が無いので”「あ、反応悪いしやめとこ」とすぐ引き下がれる。その心の余裕で複数の女性に次から次へと声をかけれるので更に仲のいい女性が増える。
これが普通に女友達が作れて彼女作れる男性の好循環システムなのよ。モテる男はモテるんじゃなくて非モテと同様に反応悪かったり拒否もされてるけど”数撃ちゃ当たる理論”で彼女を作れたり女友だち作れてるだけなんだよ。その友達の中で特に仲の良い女性といい感じになり自然と彼氏彼女になるので青春告白タイムなんてものは存在しない。
30歳まで一切恋愛を経験したことがなく、そんな自分についてもある程度納得していた。
モテたいとすら思っていなかったので、毎日ジャンクフードを食べて、ブクブクと太っていた。
細々と貯金をしつつ、趣味に没頭して、それなりに楽しく生きていた。
独りで生きて独りで死ぬ事を前提としてさえいれば、収入の低さもさほど問題にはならなかった。
気がついたら距離を詰められていて、告白されてそのまま付き合う事となった。
奥手なりに精一杯楽しませようと努力したし、これまで適当に生きていた自分を変えたくなった。
数ヶ月後、別れ話を切り出された。
色々言われたが、要約すると『思っていたような人では無かった』みたいな内容で、それについてはまったくもってその通りだった。
あれからしばらく経ったが、俺は未だに立ち直れずにいる。
今更元の自分に戻りたいとは思えない。
独りで死ぬのが怖い。
とはいえ、容姿も収入も人並み以下な俺がここからどうすれば巻き返せるんだ?
ひとまず痩せるところから始めようと思って、体重を15kg落とした。