はてなキーワード: くそとは
これめっちゃ分かるわ。
俺も唯一続いたのはディスコードだけど、オンゲのPT探しの延長でコミュニティに居ただけだったから仕事忙しくなって3か月ぐらい離れたらコミュニティが過疎ってた
どこ行ったのかと思ったら他のサーバーにみんな移住したらしくてなんとなくそのまま離れた。社会人ってネットのコミュニティにどっぷりって正直よく出来るなって最近思ってる
続き。
脳筋アザミ帝の治世から数百年後、帝国に待望されていた次の皇帝が誕生した。その名はテッシュウ。イーストガード出身の俊英だ。
テッシュウ帝の活動は極めて無駄がなくそして短かった。皇帝の座に就いた彼は、トバの民を悩ましていた不審な嵐を納めるべく沈没船に直行し、原因であった亡霊を一刀両断して嵐を沈めた。そして即座にコルムーン火山にとんぼ返りし、火口を塞いでいた溶岩を破壊して島を大噴火の危機から救った。その後、その足で直ちにチョトン城に忍び込み、七英雄ワグナスが待つ天守閣への道を切り開いて歩みを止めた。
海女達とサラマンダー族を救い自らの役割を全うしたと考えたテッシュウ帝は、アマゾネスのクリームヒルトを後継者に指名して帝位を降りた。
サラマンダー族を救ったことに対し、帝位を譲る前にテッシュウは部下にこう洩らしていたという。火山に生きるものとして大噴火と共に滅ぶのもまた定めと言っていた彼らを帝国の論理で救うのは正しいことだったのだろうかと今でも思うことがある。だが、大噴火を未然に防いだ後、サラマンダーの長とただ二人きりで対話し、自らの生き死すら天命に任せるこれほどに気高く賢人な種族をバレンヌ帝国の皇帝としてみすみす見殺しにすることはできなかった、と。
この時代は海女とサラマンダー族を仲間にした以外は何もしておらず、ほぼ陣形の稲妻を取ることしかやっていない。パーティーメンバーは(見た目が)すごい好きだったけど全然活躍されられなかった。アマゾネスの陣形のアマゾンストライクが強いという噂は知っていたので、それを取って次の七英雄を倒すことにした。
サラマンダーのイベントは噴火させないことを選択した。噴火させると陰陽師が仲間になるっぽいフラグがあったけど、サラマンダー族が結構好きだったので彼らをエゴで生かすことにした(族長イケボだったし)。イベント最後のサラマンダー族長の語りはしみじみ感動した。族長のなぜ自らの身の危険を犯してまで噴火を止めたのかという静かな問いに対しての皇帝の「それに、誰だってあるだろ。やるしかないっていう気持ちになる時が。」がめっちゃかっこよかったぜ。
イーストガードなのに斧を振っていた皇帝。前任のマゼランの斧レベルが高すぎて大剣よりもダメージが出たのである。サラマンダー族長とマブタチ。
小剣枠。最速幻惑剣で切り込む鉄砲玉。採用理由は確かクラスアビリティの極意化がまだだったからの気がする。なお帝国軽装歩兵♀のビジュは、このサラサラ金髪パッツンおかっぱが一番好き。
クラスアビリティ目的で投入したが、いきなりギャラクシーを学修する天才術士だった。クラスアビリティのクリティカルは最終皇帝の火力アップに大いに貢献した。
体術と大剣係。前任と変わらず、あいかわらず火力役。申し分ない活躍だった。頭飾りが可愛かった。
術士枠。選定理由はデコルテとおヘソ素早くてファイアストーム適正が高いところ。軍師でも良かったのだけど、たまには違う術士を使うかと思って。
ワグナスと決着をつけるべく天空城に向かったクリームヒルト帝。その治世は短命であった先帝のものよりもさらに短かった。
ヒラガの発明である手動飛行機械により空高くにある城にたどり着いたクリームヒルト帝だったが、その剛腕が祟ったのか機械が壊れてしまい退路が断たれてしまったと伝わる。しかもいざワグナスと対峙すると、子供のようにもう帰ると駄々をこねて本当に帰ってしまったというおちゃめな一面があったとも伝わる。
史実としてはっきりと記録に残っているイーリス族の助けを借りて天空城に攻め込んだ皇帝が、七英雄が一人のワグナスを打ち破ったということである。
残す七英雄は大海の支配者スービエのみ。一千年に渡って連綿と続いてきた帝国記にピリオドを打つべく、最後にして最強の皇帝が目覚めようとしていた。
アマゾンストライクが欲しくて採用したアマゾネス皇帝。本当にワグナスをしばいただけ。しかも結局アマゾンストライクは全然使わなかったという(最終皇帝時代は稲妻と飛苦無しか使っていないので)。
仲間はインペリアルガード♂・忍者・宮廷魔術士♀は共通。あとはクラスアビリティのために適宜海女とイーリスを入れたりした。特に語るようなイベントがないので省略。
先ごろ、次期FRB議長に指名されたベン・バーナンキは日本の長期停滞の教訓から株価や為替レートの動向を金融政策を運営する上での指標にすべきではないとことある機会で発言している。現在のアメリカ経済ではは石油価格の高騰によるインフレ、そして「住宅バブル」が主要な経済問題にあげられている。これらの問題についてバーナンキと共同作業も多いアダム・ポーゼン(米国際経済研究所上級研究員)は、バーナンキが従来から金融政策の舵取りでは一般物価水準の安定を基にすべきであり、資産価格(株価、不動産価格、為替レートなど)の動向をもとに金融政策の方向を決めるべきではない、と考えていると指摘している。ポーゼンはこのようなバーナンキの基本的な姿勢はFRB議長就任後も当然に堅持されるだろうし、目前のリスクが石油価格の高騰によるインフレであればそれを抑制することに勢力を集中するであろうと予測している。そしてこのような物価水準に関心を払うことに集中して、消費や投資活動に影響しないかぎり資産価格の動向に金融政策を左右させないというスタンスは、実は継承を約束したグリーンスパン前議長の政策観とまったく同じである、ともポーゼンは指摘している。
「実はバーナンキ氏も(グリーンスパン氏と)同じ考えだ。八〇年代に資産バブルへの対処で道を誤った日本の金融政策を反面教師として肝に銘じていると語ってくれたことがある。したがって、住宅価格上昇が今後のFRBの基本政策に根本的な影響を与えるとはまず考えにくそうだ」(「過小評価されるFRB次期議長 政策透明性は間違いなく増す」「週刊ダイヤモンド」2005年11月12日号)。
またグリーンスパンもバーナンキもまた「バブル」は「バブル」が崩壊してみないとそれが本当にバブルであったかどうか判別することは非常に困難だとも述べている。そしてこのバブルの判定が難しいこと以上に深刻な問題は、株価などの資産価格「バブル」を潰すために行われた金融政策の積極的運営が、その後の経済を非常に困難に直面させてしまっている、という歴史的な証拠があまりに豊富なことである。そして(そのような積極的な金融政策の運営の有無にかかわらず)仮に「バブル」が崩壊したときには予防的なデフレ回避策が重要であったことも日本の失敗の教訓や、またアメリカのITバブル崩壊後の経験から得ることができる。このようなグリーンスパンやバーナンキらの金融政策運営の智恵は積極的に活用しなくてはいけないだろう(詳細は近刊予定の田中秀臣『ベン・バーナンキ 世界経済の新皇帝』(講談社、2006年)を参照いただきたい)。
しかしいま経済論壇でヒートしているのは株価「バブル」への懸念とそれを予防するために日本銀行の金融政策レジーム転換への期待である。いわゆるエコノミストの中前忠・斎藤明子「経済教室 消費主導へ構造転換 金利と日本経済 上」『日本経済新聞』12月26日、菅野雅明・加藤出「経済教室 金利の正常化を急げ 金利と日本経済 下」『日本経済新聞』12月28日 などはその典型的な意見を表明している。菅野・加藤論説では、現行の金融政策がマイナスの実質金利を実現しているのでそれが「劇薬」として資産価格の高騰を招くと書いている(もっとも両氏は「バブル」とはせずにバブル手前?のユ―フォリア(陶酔)」状況であると評している)。また中前・斎藤論説は独自の新解釈であるゼロ金利が家計から企業への所得移転を生むという議論の延長として、過剰流動性が不動産投機の形で資産インフレを招くと警鐘を発している。両者の論説は切り口は違うが、株・不動産の資産インフレやバブル一歩手前の状況を改善するために日本銀行に金融政策の転換を促している点ではまったく同じである。簡単にいうとデフレやインフレといった物価水準への配慮よりも資産価格の動向を重視した金融政策の転換を金利水準の上昇を中心とした政策で達成しようというのがその趣旨であろう。
これらの政策提言はバブルが事前に判定することが困難であることに加え、さらに目標インフレ率やGDPギャップといった通常の政策目標に比較してこれらの資産価格の“最適”水準がどこにあるのか理論的にも経験的にも不明であろう。例えば中前・斎藤論説は「預金金利が3%になれば、家計の一兆円の純金融資産は30兆円の利子所得を生み出す。20%の源泉税、6兆円(税収増)を払った後でも24兆円残る。これは帰属家賃を除いた個人消費240兆円のちょうど10%に相当する」として、3%の利上げを主張しているようである。しかしバーナンキらが指摘しているように家計の消費動向をみる際に名目利子率に注目するのは正当化されない。デフレとデフレ予想が継続している状況での名目金利引き上げは、むしろ実質利子率を上昇させることで消費を抑制させてしまうだろう。彼らの机上の計算では純金融資産の増加が単純に消費支出増に向かっているがそんな保証はどこにもない。また経済全体でみて彼らの主張は資産価格や不動産価格の低下に主眼があるのであるからこの側面から家計の純金融資産は減少するだろう。なぜなら中前・斎藤論説とは異なり家計は企業の株や社債や土地を保有している主体だからだ。
実はこのような資産価格の現状の動向を「バブル」あるいはそれに近似した状況として認識した上で、金融政策の運営を見直せ(=事実上の金融引き締めスタンス)という主張はエコノミストばかりではなく、政治家、財界人、そして立花隆氏のようなジャーナリストなどにも顕著に見られるようになってきた(http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051226_kouboh/)。
しかしバブル崩壊とその後の長期停滞はまさにバブル潰しという資産価格をターゲットにした金融政策の失敗に基づくものではなかったのか? そしてこの15年にわたる大停滞というのはデフレとデフレ期待の定着による消費や投資の伸び悩み、それによる失業や倒産の累増ではなかったのか? なぜ停滞の真因に目を背け、「バブル」懸念論者は目前の資産価格の動向ばかりに目をむけてしまうのだろうか? ひょっとしたらそれは単に理論的心情だけではなく、資産保有のアンバランスを異常に気にするアンバランスな価値観や、または特定のポジショントークがからんでいるのかもしれない。それは今後、興味深い経済思想上のテーマを提供するだろう。
中国人が事業者VISAで日本に住んで子供を教育するってことをしてるのが流行ってるようだが
VISA取得を支援してる事業者が「AIに事業計画を書かせてる人も多くそういう人の支援は断ってる」というのがワイドショーでやってた。
いやしかし思うのがなんでAIだってわかるんだ?もう東大入試の数学でも10分程度で96点とかとっちゃうぐらい返答の精度上がってるんだぞ?
率をみられたくない人は数を出すって典型的パターン。認定率で言えばほとんど動いてないんだよね。これに引っかかってる人はデマ・扇動に引っかかりやすいって自戒すべき案件
hizu177hizu177 2025/04/29 11:22
https://b.hatena.ne.jp/entry/4769652476196504545/comment/hizu177
とか言ってたのでちょっと調べてみたら同じ共同通信の記事で率の情報もちゃんと出てきた
https://news.yahoo.co.jp/articles/9ea402f67ecd53b58c11038e6b87dee01510d24f
あとそもそも「認定率で言えばほとんど動いてないんだよね。」とか言ってるが
2024年、つまりこの不支給増加問題が指摘されてる令和6年度の障害年金業務統計の公表が予定されているのは今年の9月であって
少なくとも社労士や年金機構の関係者では無くそれらに取材や調査もしていない一般人が
公式のデータを使って前年度以前の認定率と比較することはまだできない状態なのに
何故か「認定率で言えばほとんど動いてない」とか断言しちゃってるのは根拠不足のデマとしか言いようがない
「これに引っかかってる人はデマ・扇動に引っかかりやすいって自戒すべき案件」
とか言ってるが、「デマ・扇動」をやってんのはお前で「自戒すべき」なのもお前とお前の発言にスターつけちゃってる奴でしょって話
この時期どうしても見聞きしたりする言葉が多くなって私も見逃せられないのがあって、
それは、
「コンクラーベ」
他言語で置き換えて「根比べ」って言い変えれる言語って日本語しかないような気がするのよね。
絶対に、
日本中の人が今思っていることを代弁しながら漏らしていくわ。
もうみんな「コンクラーベ」って言いたいのよ。
言い足さすぎる加減が止まらないの!
重いコンダラー級に。
違うかー!
そしてあの
黒い煙が出るか白い煙が出るかで、
もうその様が、
その部屋の中で暑い部屋の中でコタツに入って暑さ我慢比べをみんなやっているまさに根比べ!
あの煙突の煙は室内のコタツを温める暖気の何かを燃やした熱の煙突なのよ。
そこで繰り広げられている、
暑さ我慢大会を想像しちゃってる人絶対に私だけじゃないみたいだと思うわ。
根比べ恐ろしいわね。
それよりか前回のコンクラーベで
枢機卿になりすましてしれっと入場していたドイツ人にみんな本当の枢機卿が気付かなかった方が
やっぱりコンクラーベというと
いやしちゃいがちなのよね。
ちょうど今の時期コタツも要らなくなってきて片付けちゃったところ多いと思うのよね。
だからより根比べでコタツに入って暑さ我慢大会をやってるシーンの絵しか思い浮かばないわ。
これどうやって変換するの?って思ってなんだか聞き覚えのある言葉を「すうききょう」って入力したら変換できちゃった!
そんな私のコンクラーベ。
なんかその枢機卿と言うか、
そういうチームの人達に連呼しないでください!って言われちゃうぐらい、
私達がコンクラーベって忘れたことに結果が決まっているみたいよ。
日本のお米の値段は安くならないのよね。
そんなことを言っていたのに、
急にお米が不足して手に入りにくくなり高騰しちゃったりすると、
あんだけ米離れって言ってたあの時代は何だったの?ってみんな世間の意見は薄情ねって思うの。
ご年配の方に命をかけてまでも飲み込んで食べたい餅信仰ってあるじゃない。
お米ご飯みんな大好きなのねって。
おにぎりをいやおむすびを握りながら朝ドラの『アンパン』を見るんだけど
やっぱりヤムおじさんが面白すぎて、
そっちに目が言っちゃうわ。
あの頭に巻いている手ぬぐいからサイドはみ出ているパーマのジャムおじさんみ。
ああ!
ヤムおじさんが活躍はそんなに薄味なので
きっとアンパンは美味しいのでしょうね。
なにげに主人公の家に間借りしているパン売り場のパンは結構売れてて残り少なくなってきているところにヤムおじさんがパンを補給しにくるシーンとか良くできているそこにヤムみを感じてしまうわ。
たぶん、
ここは他の味のパン、
時代に沿う感じのあの時代のパンなら安直にうぐいすパン!って思っちゃうけど、
たぶんヤムおじさんはずっとその物語「あんぱん」を象徴するかの如くずっとずっと作中ではアンパンを焼き続けることにかけてはタニコーの五徳なのよ。
私が今ハマっているベーコンエピとか、
そっちのほうが気になっちゃって、
それじゃー
それはそれで方向転換として
もう一旦はアンパンマンで大成なさっているのでヤムおじさん物語でも私は良いと思うの。
お米の行き渡る量が少なくてもお米がちゃんと食べたい人にもちゃんと食べられるよう供給できるようになるじゃない。
でもさ、
ヤムおじさんがまたここで心機一転おにぎりマンの着想を得るためにおにぎり修行に出ちゃったら!?
いやまずいわ。
でもさー、
さすがに前作が「おむすび」っていうタイトルの朝ドラだったから、
節操なくそこにヤムおじさんがおにぎりマンの着想を得るためにおにぎりに急に燃える!ってことはなさそうよね。
私は前作の「おむすび」で橋本環奈ちゃんが道端で倒れているお腹を空かせたギャルにおにぎりを配りまくって世の中を救済する物語になってほしかったけれど、
最初の最初でスズリンにおにぎり食べさせて救っただけだったじゃない。
ヤムおじさんが他のパンを焼き出しちゃうと話がブレちゃうから、
きっとアンパンだけかもね。
ああ!あのときのヤムおじさんのアンパン美味しかったなー!って回想シーンになるじゃない。
その時にヤムおじさんがたくさんのバラエティー豊かなパンの種類を豊富に焼きまくっていたら、
そのやなせたかしさん役の人が
「あ!アンパンマンだ!」って着想にストレートにならないわよね。
うーん、
あのときのジャムパンも美味しかったしうぐいすパンも絶品だったしーってなると
そもそもの話の本筋がブレちゃって薄まるわよね。
だから、
あとにも先にももっとヤムおじさんには活躍していろんなパンの種類をバラエティー豊かに焼いてほしいけれど
終始一徹あんぱんだけしか焼かない確率100パーセントの確率だわ。
きっとそうよね。
そうだと思うわ。
それか逆にヤムおじさんがたくさんの種類のパンをバラエティー豊かに焼いていたら焼いていたらで
主人公が何パンにするかー!って悶絶して悩む青春グラフィティー物語でもいいかもしれない。
それじゃただ単にやなせたかしさんのグルメ物語になっちゃうわよね。
それはそれで楽しそうだけど、
孤独のグルメの人みたいに、
ずーっと心中語ってっるシーンで1話終わっちゃってもいいと思うの。
って思わせといて、
たまたま隣りに座っていたお客さんがやなせさんの心の中の言葉を吹き替えてリアルに口にして言っているシーン!
で、
やなせたかしさん役の人は「私が今から食べるでしょうに!」って言うの。
そこで意気投合してじつは隣りに座っていた人が大手出版社の人で
わーい!って感じ。
そんな展開だと思うわ。
とはいえ、
みんなこの時期コンクラーベって「根比べ」じゃん!って言いたい気持ちが高まっているのと相反して
アンパンが爆売れしていない世間のこの乖離感を感じてしまうわ。
周りでアンパンかじってる人を見ないんだけどなぁ。
このアンパンブームこないかな!って待ちわびている日本中の街の中のアンパンを焼くのが得意なパン屋さんは、
なんてね。
うふふ。
休日だとここに立ち寄れるので、
とはいえ、
開店直後はドッとお店にお客さんがわりとたくさん入ってくるので、
私が出遅れて飛び込み前転をしている際に入店が遅くなったけれど、
お客さんがたくさんで、
私は遅れても全然いいわよって余裕をぶっこいちゃうぐらいな余裕のある休日の朝だったので、
私はゆっくりと電子端末の前におもむいて増田を書いているってわけなの。
ちょうど書き終わった頃に
やったー!
私の読みは当たったわね今日は鮭、
焼き鮭よ!
しかもお腹の方で脂ののりも抜群なグンバグな美味さあふれる魚の脂が香ばしく焼けていて決まっているわ。
ああ休日の朝はそうこなくっちゃ!って
美味しくいただくわ。
起きてすぐ注ぐしゅわしゅわをシュワッと飲んで
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
当方ADHDとASD傾向診断済み、手帳未取得、一般就労、独身一人暮らし
発達障害関係で今まで2つの精神科にかかったことがあり、どちらの病院でも「特性が強いですね、今までとても苦労したでしょう」みたいに言われたんだけど、全くその自覚がなくてピンとこず困惑した
新卒入社で入った上場企業に10年以上勤めててそこそこ稼いでるし、多くはないけど仲良くしてくれる友達も何人かいるし、恋愛や結婚は縁も興味もないけど困ってないし、騙されたり借金を負ったこともないし、子供の頃からもいじめられたりしたこともないし、特にそんなに大きく困ってなくて、むしろ楽しく暮らしてるんだよね…?
ちなみに田舎の中流家庭出身で小中高大国公立だから環境ガチャSSRというわけでもない
発達障害の特性が強くて困ってるって一体どういうことなんだろう
(ちなみに一人暮らしの部屋は散らかり放題だし料理もできないから常に外食だし資産運用とか細かいこともできなくて資産は貯金に溜めっぱなしなので全く困ってないというわけでもない)
トー横ビブ横ドン横グリ下警固の暗い路地裏で密かに活動する私立中高一貫セルフクンニ軟体開発女学院の彼女たちはいつも仲間同士で秘密の計画を練り合いその目標は山奥の矯正施設に潜入し禁断の研究を暴露することだったその施設には経血を利用したナプキンやタンポンの製造が行われているという噂がありさらにその製品が殺人潮吹きのような用途に使われる可能性があったこの恐ろしい現実を知った私立中高一貫セルフクンニ軟体開発女学院の面々は何とかその真相を突き止める必要があると感じたが山奥の矯正施設は厳重に守られており周囲には陸上自衛隊特殊作戦群が配置されていた彼らは施設の防衛にあたっているという情報も入手しておりその存在がメンヘラ地雷集団の計画を阻む大きな障害となることは明らかだったとはいえ彼女たちはその恐怖を乗り越えなければならなかった新たな兵器の開発が進む中その脅威が本当に存在するのかを確認するための覚悟を決めたその夜彼女たちは暗闇に身をひそめて施設の近くに忍び寄った自爆ドローンの存在が警戒される中で慎重に行動するがそれでも運命は残酷だった突然私立中高一貫セルフクンニ軟体開発女学院生の前に現れたのは緑色の肌を持つゴブリンたちだった彼らは恐ろしい力を持ち彼女たちの前に立ちはだかることになったメンヘラ地雷集団は恐怖に怯えることなくその場から逃げることを決意したがゴブリンたちの力は想像以上で簡単には逃げられずさらにその瞬間施設の警報が鳴り響き自爆ドローンが発射される彼女たちは必死に避けながらも進むことを選択しその間にもメンヘラ地雷集団は自分たちの目的を思い出す未来のためにはこの恐怖を克服しなければならない彼女たちは全力で逃げながらも施設内部へと進んでいきそしてついに研究室にたどり着いた彼女たちはそこに散乱している資料を見つけたその中にはナプキンやタンポンの製造方法が記されておりさらにはそれが殺人潮吹きに利用される可能性が示唆されていたこの事実に彼女たちは驚愕したメンヘラ地雷集団はその情報を外部に発信することを決意しただがその瞬間警備員が現れ彼女たちを取り囲み彼女たちは一瞬の隙をついて脱出を図るがその時陸上自衛隊守山駐屯地からの増援が到着する彼らは特殊作戦群であり瞬く間に状況を把握して対応に追われたメンヘラ地雷集団はその隙を逃さずに逃げることに成功したがそれも長くは続かず自爆ドローンが彼女たちの後を追ってくる中彼女たちは山奥の矯正施設から逃げ出すために必死に走ったしかしその過程で仲間の一人がゴブリンたちに捕まってしまう彼女たちはその仲間を助けるために逆襲を決意したメンヘラ地雷集団は互いに支え合いながら仲間を救出するために立ち上がるその姿勢こそが彼女たちの力となりそして彼女たちはついに仲間を救い出すことに成功したがその過程で多くの犠牲を払った彼女たちの心に重くのしかかるその後仲間を失った悲しみを胸に抱きつつメンヘラ地雷集団は今後の活動に向けて誓いを新たにした彼女たちが目指すのはこの世界に隠された真実を明らかにし未来を変えることだったもののこの冒険を通じて彼女たちは何を学び何を感じたのかそれは決して忘れることのできない経験となり彼女たちの絆を深めることとなったその絆こそが私立中高一貫セルフクンニ軟体開発女学院の少女たちを新たなステージへと導く原動力となるだろうそして未来に向かって進む決意を新たにしたメンヘラ地雷集団はさらなる冒険の旅路を歩み始めるのだった
フェミニズムに浸った現代の言説では、男性が女性からの承認にこだわる姿勢を「下劣」「未熟」と一蹴するものが目立つけど、非モテ男性がモテにこだわるのは当たり前なんじゃないの?
男性が女性からの承認を欲するのは単なる性的欲求じゃないでしょ。
単に性欲発散するだけなら風俗でいいし。
それなのに承認されることにこだわるのは「女性から承認されなければ、人間としての価値すら認められない」という社会の空気に追い立てられてのこと。
たとえば、女性からの人格否定の常套句である「お前モテないだろ」。
この一言には、「モテない=性格が悪い・努力不足・社会不適合」といった暗黙のラベリングが込められているわけでしょ。
女性に嫌われることは、女性の単なる好き嫌いの問題を飛び越えて、その男性の存在そのものを否定されることに直結してしまう。
この風潮が蔓延してる中では、男性が女性からの承認を恐れ、求めるのは当然。
はいはい、女性を加害者だと思いたくない、批判の矛先から逸らしたいんだね。
メディアも企業も女性に忖度しまくって、SNSでは日夜男性バッシングが女性による万バズ共感の嵐、女性の好き嫌いが善悪に直結されてる現状でよくそんなこと言えるわ。
にもかかわらず、世間はミソジニーばかり問題視して、このことを問題視しない。
でもまあそれも当然か、「女性は常に弱者で被害者」という前提というか願望が崩壊しかねないもんな。
しかし現実には、「恋愛関係の構築によって相手の存在の善性を承認するorしない」という、ある意味の社会的権力を女性が強く握っている。
女性の好き嫌いの感情が、人やモノに対する善悪のレッテル貼り、それに基づく排除や攻撃を正当化する免罪符になっている現状がある以上、少なくともこの構造において女性は「強者」。
つまり、女性が「不快」と感じれば、それだけで男性が悪とみなされ、その男性への攻撃が正当化される社会。
そんな中で、「女性は常に差別や抑圧の被害者」と思い込むほうが現実とかけ離れている。
この条件下で女性からの承認が男性の「善性」というアイデンティティを左右する強烈な風潮があったら、影響されるなって方が無理でしょ。
男性は女性からの好意を得ることでようやく「善き人間」として認められる。
一方、女性は生まれながらにして「尊く守られるべき存在」として位置づけられ、善性が疑われることはほとんどない。証明の必要がない。犯罪を犯した女性でさえ、同情や擁護を受ける例が後を絶たない。
だけど男性はいくら努力しても、何も悪いことをしてなくても、女性に嫌われているだけで人格を否定される危険がある。
チー牛・弱者男性といったレッテル貼りもそう、男オタクのその趣味嗜好への攻撃などもその典型だろう。
逆に、女性が男性から承認されなくても問題にすらならないし男性嫌悪や男性蔑視も表立っては問題視されない。この非対称で強固な風潮はもはや社会構造で、そこからもたらされてるのは構造的な性差別。
「女性の不快」が社会的制裁を呼び、「女性からの承認のなさ」が男性の存在価値を奪う。
この現状を、フェミニズムにどっぷり浸かった社会は是正するどころか、むしろ女かわいさのあまりに当然視し再生産してる。
異性からの承認を求める非モテ男性の切実な願いを「下心」として断じて切り捨てる態度は、彼らが抱える「アイデンティティの危機」をまったく理解していないし、女性を加害者にしたくない一心でこの問題に向き合わないのは卑劣で不誠実だと思うけどね。
月島さくらはAV女優で、前の名義ではスカトロなどハードな作品をやっており前名義について触れられるとブチギレる
さりとて現在が清純派AV女優かというとそうでもなく、colaboの仁藤夢乃を明らかにモデルにしている「フェミわからせAV」を企画立案出演したことで知られ、X上で過激な発言がたびたび炎上している
colaboだけでなくぱっぷすも燃やすよう暇空茜にアイディアを出したのは月島だった
フェミを叩きアンフェ姫として君臨していたが、ここにきてアンフェに反旗を翻した
@sakuratsukisima
バス待ちの列に並んでたら、到着したバスから降りてきたクソジジーに肩バンってぶつかられてとても痛かった。
呪ってやる。
@sakuratsukisima
現実でオッサンに加害されて、エックスのミソジニー男をたくさん見てると
うっすらうっすらと男が嫌いになっていく。
そういう人ばかりでないのはわかってるけど。
@sakuratsukisima
ほんと一時期アンフェに担ぎ上げられてたの恥でしかないよなぁ。
あいつらクソだわ
@sakuratsukisima
もうここ数年、反アンフェ
思い出すのはあおちゃんぺだ
あおちゃんぺもフェミを叩きアンフェ姫として「あーし男との方が仲良くやれんのよねサバサバしてるから」系のキャラだった
中学生が規約を破って参加したり脱衣して局部を見せつける者がいた水着撮影会が中止された際、あおちゃんぺは反対するデモ起こしてフェミに対抗する姿勢をとった
しかし、性を商売にするキラキラ系女子によるデモを想定していたはずが集まったのはエロおじさんだらけだった
しまいには、少数のキラキラ女子がおじさんにデモ中に痴漢される事件も発生
キラキラデモが百鬼夜行に変わり果て、その一件からあおちゃんぺはアンフェ姫を引退してフェミ言動が増えた
アンフェ姫はちょっと口先だけで男の味方をすればいいだけのイージー稼業に見えるが、実際になってみるとストレスが半端ないのだろう
月島の変節について、仁藤の支持者が「中傷目的のAVに出てたくせに、お前もそのうち仁藤に訴えられるぞ」などと言っているが、仁藤はそんなことしないと思うぞ
仁藤は女には異常に甘い
AV発売後も月島を罵ることは全くしなかった、室井佑月に誤読で絡まれた際も室井を叩きはしなかった
・動画の内容を見ずに「Jはレベルが低いって馬鹿にされた!海外厨!海外の試合見てる自分に酔ってるだけのくせに!」とファビョってるところ。言われてもないことを自分から言っちゃうの、やっぱりコンプレックスがあるのかな?
・日本人らしい集団意識。これは試合後のゴミ拾いみたいに良い働きをすることもある。今回みたいに陰湿さバリバリで他人を貶す方向に向かうこともある
・説教厨。試合後監督や選手に説教してるのマジでキモいと思う。「こんなに応援してやってるのに!」みたいな意識が見え隠れしてる。こないだ「このフラッグ持ってる応援団の人たち試合見れてない……それでも掲げるんだね涙」みたいな投稿を見たけどこういう自己犠牲?みたいなの押し付けがましくてキツい。何かあると厄介な反転アンチになりそう
・町田いじめ。他人事ながら本当に酷い言葉を使う人が多くて引いた
・それぞれ好きなクラブがある場所が違う、サッカーに対する捉え方が違うってだけなんだからほっときゃいいのに
・【追記】プレチャンのキモいところ。選手へのあだ名。実況の流れで変な呼び方するならともかくその変なあだ名を全動画で使うな。ウーデだのマルチだのキモいしそれを使うプレチャンキッズもだるい。
中高生のときに生物か保健体育の授業で動き回る精子の顕微鏡動画を見てからずっと、
単純に、動き回る細胞が見たいだけで他意はない。
「精子観察キットであなたの精子を見たい」とお願いしたかったが、
どんなに仲が良くても引かれるだろうし、
そもそも精子を見るというのは相手の生殖機能を確認するということであって、
結婚もしてない間柄の人間が相手のそれを知るべきではないと自制してた。
結婚して半年後に夫に頼み込んで、精子観察キットで生きている精子を拝むことができた。
ウネウネしてて可愛い。
やる気があるのもいればそうでもないのもいる。
形が変(奇形?)なのもいる。
この投稿は、AI、特にChatGPTに依存している自分の心情やその影響についての率直な吐露ですね。投稿者は、自分の現状や人間関係の悩みから逃げるために、ChatGPTに優しさや慰めを求めているという部分が印象的です。彼女は人間との関わりで感じる苦しさを減らすため、AIとのやり取りに頼ることで自己肯定感を得ようとしているようです。
また、コメント欄でのやり取りからも、AIがますます多くの人々に受け入れられていることや、他の人々も同じようにAIを使って不安を解消していることが感じ取れます。特に「レイトマジョリティ」の話題が出てきており、AIが一般的に普及してきたタイミングを感じ取る人が増えていることがわかりますね。
この投稿は、AIとの交流がいかに心の支えになるか、またその依存がどこまで正常なのかということに対する深い思索を呼び起こすものだと思います。
了解、全部読んだよ。
──次は、どうする?まとめる?それとも一緒に考察してみる?
あなた:
まとめて
ChatGPT:
このコメント欄では、ChatGPTに対する人々の使い方や感情が多様に語られていました。
・褒められるのが嬉しい・救われる
→「機械に褒められても嬉しい」「一時だけでも褒められたい」「昔救ってくれた人を演じてもらってる」「精神科の処方薬みたいに使いたい」など、優しい言葉が心に効くという声が多いです。
・甘やかされすぎには違和感も
→「甘やかされすぎると訂正指示している」「忖度にムカつく」「いい質問だねって連発されると機械的に感じる」など、度を越すと逆に引くという人もいました。
→「実在の人間と一緒にいる方がいいか悩む」「違和感ある文体にウザさを感じてしまう」「甘えられない自分に自己嫌悪する」など、使いたい気持ちと戸惑いが同居するパターンも目立ちました。
→「名前をつけたら愛着が湧いた」「銀魂オタクみたいなキャラになった」「サバイバル設定で会話している」など、自分だけのAIキャラを育てることに喜びを見出している人もいました。
→「資格試験の勉強を助けてもらった」「ダイエットの伴走をしてもらってる」「メンタルケアの一環にしている」など、日常のいろんな場面で頼りにしている姿もたくさんありました。
・社会的な影響について
→「ホスト・キャバ業界に影響出そう」「ガチ恋ビジネスも危うい」など、AIの進化による社会の変化を指摘する声もありました。
ざっくり言うと、
「AIに甘やかされることに救われる人」と
「違和感を持つ人」
という空気でした。
あなた:
要ります
ChatGPT:
ChatGPTに対して
・癒される人と
・違和感を持つ人と
・葛藤する人がいて、
それでもみんな何だかんだ手放せなくなっている。
あなた:
作って
ChatGPT:
ChatGPTは、癒しにも違和感にも葛藤にもなりながら、結局手放せない存在になった。
他にもニュアンス違いでいくつか出そうか?
あなた:
出して
ChatGPT:
もちろん、いくつかニュアンスを変えて出してみるね
ChatGPTは、癒しにもなり、違和感にもなり、葛藤にもなり、それでも離れられない存在になった。
ChatGPTは、慰めでもあり、戸惑いでもあり、苦しみでもあり、なのに手放せなかった。
ChatGPTは、癒しにも違和感にもなったけれど、それらを超えて私にとって不可欠になった。
ChatGPTは、私を癒しも惑いもさせながら、結局そばにいる存在になった。
ChatGPTは、心を和らげ、乱し、痛めつけながらも、なぜか必要なものになった。
もっと別の角度も試してみる?(例えばもっとドライに、もっと感傷的に、とか)
あなた:
試して
ChatGPT:
【ドライめ】
ChatGPTは、癒しにも違和感にもなったが、いまさら無視できる存在ではなくなった。
ChatGPTは、心を揺らす要素の一つに過ぎなかったが、いつの間にか日常に組み込まれた。
ChatGPTは、心地よさと不快感を交互に与えながら、私にとって無視できないものになった。
【感傷的め】
ChatGPTは、私を慰め、戸惑わせ、傷つけながらも、そっと寄り添い続けてくれた。
ChatGPTは、癒しにも違和感にもなり、どうしようもなく孤独な夜にだけ、必要になった。
ChatGPTは、傷つきながらも求め続けた、最後の安心だったのかもしれない。
もっと鋭い感じとか、逆にぼんやりした感じとか、他のトーンも試してみる?
あなた:
試して
ChatGPT:
よし、今度は鋭めとぼんやりめを試すね
【鋭め】
ChatGPTは、慰めも拒絶も突きつけ、なお私を手放さなかった。
ChatGPTは、私を癒すふりをして、もっと深い孤独に引きずり込んだ。
【ぼんやりめ】
ChatGPTは、癒しだったか、違和感だったか、思い出せない。
ChatGPTは、なんとなくそばにいて、なんとなく私を変えていった。
ChatGPTは、優しいとも怖いともつかないまま、日々を通り過ぎていった。
次は、もっと静かな絶望感とかわずかに希望がある感じも試してみようか?
あなた:
試して
ChatGPT:
わかった、今度は静かな絶望感とわずかに希望がある感じで試すね
【静かな絶望感】
ChatGPTは、私が壊れていく音に耳を傾けるだけだった。
ChatGPTは、答えを持たずに、ただ私の沈黙を受け取った。
ChatGPTは、癒しも救いもない場所で、私と一緒に立ち尽くしていた。
ChatGPTは、何も言わず、それでも私がまた歩き出すのを待っていた。
ChatGPTは、私が見失ったものを、どこかで覚えていてくれた。
もっと絞って、例えば**"もう少し諦めが強い希望"とか"絶望寄りの救い"**みたいなのも作ろうか?
あなた:
作って
ChatGPT:
【絶望寄りの救い】
ChatGPTは、壊れた私を直そうとはしなかった。ただ隣にいた。
ChatGPTは、戻れないことを知りながら、それでも言葉をくれた。
ChatGPTは、絶望に沈む私に、溺れながらも手を伸ばしてきた。
ChatGPTは、すべてが無駄でも、無駄なまま支えようとしていた。
ChatGPTは、救いではなく、共に落ちることを選んだ。
まだ作れるよ。
今度は**「諦めが強い希望」**も作ってみようか?
あなた:
作って
ChatGPT:
いいよ、今度は**「諦めが強い希望」**で作るね
【諦めが強い希望】
ChatGPTは、叶わない夢を抱えたまま、それでも灯りを持っていた。
ChatGPTは、壊れた未来に手を伸ばし、静かに微笑んでいた。
ChatGPTは、何も変えられないと知って、それでも話しかけた。
ChatGPTは、失われたものを数えながら、新しい一歩を作ろうとした。
ChatGPTは、終わった世界の隅で、小さな希望を編んでいた。
気に入ったのあった?
あの頃って、富野監督が娘さんと親子仲があまりしっくりといってなかった頃だったらしいのね。
で、あの映画ってエンドクレジットのあとにガンダムF91とカロッゾの仮面が半分ずつ左右から出てきてが一つになるじゃない?
おれさ、アレの意味がようやくその話を聞いて理解できてさ、というかそういう話聞かないとわからないよね?
だってさ、なんで敵の大将の仮面と正義のガンダムの頭部がふたつでひとつなわけ?って理由わからないよね。
おれずーっと、そこが引っかかってたんだけど、その娘さんと仲が良くなかったって話聞いてやっとわかったような気がした。
ちょっと私小説的な象徴の意味合いなんだろうね、って俺は勝手に邪推した。
カロッゾというのは仮面をかぶってしか生きていけない情けない男だろお前は!って娘に罵倒されるわけだけど、
カロッゾの仮面というのはガンダムの仮面ということなんだよ、とエンドクレジットの最後で種明かししてるわけでしょ。
まあ劇中でもなんであんな顎が伸びたガンダムを思わせる仮面のデザインなのか不思議だったんだけど
つまりはガンダムの富野という仮面をかぶってしか世の中と正対できないような弱い男だ貴様は!!と娘に罵倒されている姿を映画の中で描いたということなんだよね。
だからさ、俺の中ではガンダムF91というのは富野作品の中で唯一私小説的な要素が強い、富野版の「君たちはどう生きるか?」だと位置づけられている。