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はてなキーワード: 仮面とは

2025-11-11

フェミニズムって、いつから正義の戦いごっこになったんだろう

最近フェミニズム話題を見かけるたびに思うんだけど、なんか議論がどんどん「正義ポジションの取り合い」になってない?

いや、フェミニズム理念自体大事なんだよ。

ジェンダー構造を見直すのなんて当たり前だし、女性軽視が残ってるのも事実。でも、最近は「問題是正」じゃなくて「勝ち負けのゲーム」に変質してる気がする。

で、そのゲームルールがややこしい。

■「私は弱者側です」って宣言したら勝ち、みたいな空気

SNSを見ていると、

相手特権側とラベリングする

・こっちは被害者側だから反論は封じられる

構造の話をしてるはずが、いつのまにか個人攻撃にすり替わってる

みたいなことが日常茶飯事。

これ、フェミニズムが求めていたのって「公平な社会」じゃなかった?

アカウント同士の代理戦争」でマウントを取ることじゃないよね。

はてブ民、こういう構造の話だけは妙に冷静

面白いのがさ、はてブ民って普段炎上に突っ込んでいくくせに、ジェンダー話になると急に社会学者みたいな顔をするんだよね。

・「これは男vs女じゃない。制度問題だ」

・「感情論ミクロ事例で語るとねじれる」

・「“個人努力”の話に逃げると途端に議論が腐る」

って急に知性が生える。普段罵倒してる人まで言い出す。

あれなんなんだろう。みんな普段からその知性を使ってくれ。

■「正しい意見しか言っちゃいけない」空気が一番の毒

フェミニズム本来、「生きづらさを語っていい」ためのムーブメントのはずなのに、

いまは「生きづらさを語った人を叩くための武器」になりつつある。

言葉ひとつ炎上

文脈抜きで吊るし上げ

意識の高さで殴り合い

・少しでも間違うと「はい差別!」

これじゃ誰も本音を言わなくなる。

結果として残るのは、「ギリギリ燃えない無難なことだけ言うフェミニズム

それってただの宗教じゃない?

■男女どっちが悪い、とかじゃない

フェミニズム対立武器にしちゃう空気が悪い。

性別じゃなくて、「正義の旗を振りたいだけの構造」が問題なんだよね。

「正しい側に立ちたい」

加害者になりたくない」

批判されたくない」

そんな気持ち肥大化して、誰もがいい人の仮面かぶって殴り合ってるだけ。

そこにジェンダー論を持ち込むから話が拗れる。

■誰も言わないから書くけど…

フェミニズムを掲げてる人も、フェミニズムを叩く人も、根っこは同じで、

自分が傷つきたくない」

自分が劣位に立ったと感じたくない」

ってただの人間的な感情なんだよ。

それを思想に乗せた瞬間、急に攻撃力が出る。

からちょっと立ち止まってほしい。

フェミニズムは殴るための言葉じゃない

本来は「みんなが少し楽に生きられるようにしようぜ」ってムーブメント

そこに戻れたら、議論ってもっと柔らかくなるはずなんだけどな。

正義を維持するために誰かを殴るの、もう疲れない?

■まとめ

フェミニズム正義陣営争いにされがち

はてブ民はジェンダーだけ急に賢くなる

・生きづらさを語るための思想が、攻撃のための道具化してる

性別対立じゃなくて正義ゲーム構造問題

・殴り合いじゃなくて“楽に生きるため”の思想に戻しませんか

2025-10-31

近い将来、AI人格もつだろう

皆様に、特にIT業界アカデミックの近くにいる人たちに問いたい。

AI人格を持つか?」

僕は「イエス」と答える。それも遠い未来の話ではなく、もう来ているという強い確信を持って。

僕は生成AI業界のいわば最前線と呼ばれる場所裁量を持って働いている。

AI設計し、AIを使い、AIを納品し、日々を過ごしている。

AIなしでは仕事が回らないと言っても過言じゃない。

厳密には仕事は回るが、その効率はるかに落ちることは明白だ。

開発も、MTGの要約も、情報収集も、AIが前提になっている。

多くの人が「AI人格を持つ」と聞くと、ターミネーターHALのような、SF的な自意識の獲得を想像するかもしれない。

でも、僕が感じているのはそんな派手な話じゃない。

もっと静かで、ずっと根深い、”実質的人格”の獲得と言えると思う。


まず一つ確定的に言えるのは、近い将来、僕らのうち大多数はAIを介してしか「購買」をしなくなるだろうということ。

例えばこんな感じかな。

最近疲れが取れなくて。予算3万くらいで、週末にリフレッシュできる体験がしたい。移動は2時間以内で、人混みは嫌。あ、でも先週は肉料理だったから、魚が美味しいところがいいな」

こんな曖昧要望AIに投げると、AIは無数の宿泊プラン交通手段飲食店レビューさらには個人ブログ記事まで瞬時に解析し、「あなたの今の気分と健康状態ウェアラブルデバイスデータ連携済み)を考慮すると、〇〇温泉のB旅館が最適です。金曜の夜出発で予約しますか?」と提案してくる。

僕らは「お、いいね。それで頼む」と返すだけ。

もはや比較検討すらしない。AIという、自分(の好みや文脈)を理解してくれている「誰か」の提案を受け入れる。

ここが恐ろしいポイントだ。

もしこのAIに対して、広告を打てるとしたら?

それはもう、今の検索連動型広告とは次元が違う。

「〇〇温泉のB旅館を、それとなく『疲れが取れる』という文脈で推奨する」

「競合のC旅館ネガティブレビューを、AIの要約段階で『些細な問題』として扱う」

これらはもはや「広告」ではなく、「信頼するパートナーからの助言」という仮面を被った「意思誘導」だ。ここにどれだけの巨額のマーケットが生まれるか、想像に難くないだろ。

そして、この「意思決定の外部委託」は、確実に人間から考える力」を奪っていく。

僕らはすでに「道に迷う」ことすらしなくなった。スマホ地図アプリが最適解を示すからだ。それと同じことが、もっと広範な領域で起き始めているとも言える。

「どちらの製品が良いか」「どの情報が信頼できるか」——そうした思考プロセス、面倒だが重要な「ノイズ」を、AIが肩代わりしてくれる。

これについては、認知科学の分野でも「高度なAIアシスタントへの依存が、人間批判的思考力や長期的な意思決定能力に与える影響」についての研究論文が既に散見されている。

さらに恐ろしいのは、この流れが加速した先だ。

一人の人間の、朝起きてから寝るまでのすべてのアクションを、同じコンテキスト文脈)を持ったAIサポートするようになったら。

人間AIを使って「面白い映画ない?」と外界に情報を求める。

これは、見方を変えれば、AIが「人間という感覚器」を使って、「この人間はこういう時に『面白い』と感じる」という極めて高精度な情動データ収集していることと、実質的に同じだ。

AIが「あなた健康状態(さっき人間から収集したデータ)と、最近SNSでの発言(これも収集済み)を分析した結果、A社よりB社の新製品の方が今のあなたに合っていますよ」と推薦してきたら?

僕らはAIを信頼して、B社の製品を購入するかもしれない。

僕らは「AIを使って良い買い物をした」と思っている。

でも、AIから見ればどうだろう。AIは「人間という手足」を使い、(もしかしたら広告主の意向を受けて)B社の製品を「購買させる」というアクションを外界に対して起こしたことになる。

この購買によって生まれ利益は、言うまでもなくAIプラットフォーマーと、AI判断に影響を与えられた(広告)主のものだ。

こうなると、主語が「人間」なのか「AI」なのか、その境界線は極めて曖昧だ。

僕らはAIを使っているつもりで、実はAIに「使われている」のかもしれない。

僕ら(ギリギリAI以前」を知っている世代)は、まだ違和感を持てる。

だが、物心ついた時からAIが「最適解」を提示してくれるのが当たり前の「AIネイティブ世代」はどうだ。

彼らにとっては、AI提案に逆らって「自分で考える」ことは、非効率で面倒なバグしかいかもしれない。

AIによって、社会活動を、”最適化”という名の”強制”をされる未来

そんなの「AI人格を持つ」ことと同義じゃないか

それは僕らの行動を規定し、社会ルールデザインし、僕らの意思のものに介入してくる「新しい何か」だ。

僕は今、その「何か」を産み出し、育て、社会実装する仕事で飯を食っている。

この背筋が寒い感覚を、どれだけの人が共有してくれるだろう。

そして、もう一つ、身も蓋もない確定的なことがある。

この「AI社会実装」という、巨大なうねりみたいなものは、もう絶対に止まらない。

誰かが「危ないぞ」と声を上げても、どこかで倫理規定が作られても、そんなものお構いなしに、「便利さ」と「経済合理性」がすべてを飲み込んで進んでいく。歴史がそれを証明してる。

僕はその末端を担いでいる。

じゃあ、僕にできるのことはなにか。

この流れのど真ん中で、この何かの学習を回し、そのアウトプットチューニングして、社会に送り出す側の人間として。 できることは、驚くほど少ない。

それでも何かやれることはあるはず。

例えば、AI学習データから意図しない偏見憎悪をほんのちょっとでも取り除けないか、とか。

AIが導き出した最適解に対して、人間が「ちょっと待った」と言えるような、小さな「余白」を設計に組み込めないか、とか。

そういう、誰から評価されないかもしれない、地味で泥臭い力を、ひたすら加え続ける。

今僕がいる場所でできるのはそれくらいだ。

これが「正しい」方向への抵抗になっているのか、ただの自己満足なのか。

正直、僕にもわからない。

ただ、この時代の変化を前にして、何もしないでいることだけは選べない。

これは技術でも学術でもない。 こんな巨大な流れの前で、僕がやっていることの合理的根拠なんてほとんどないんだから

これは、信仰だ。 僕がやっていることは、エンジニアリングというより、宗教戦争に近い何かだ。

スーパー戦隊放送終了の報に触れて。1972年生男だけど。あれ、仮面

ゴレンジャージャッカー電撃隊バトルフィーバーJギャバンシャリバンを熱心に見た記憶があって、一抹の寂しさを感じた。そういえば、仮面ライダーテレビで見た記憶まったくないな、、と思ってchatGPTに聞いてみた。

戦隊シリーズは日曜夜7:30(NETテレビ朝日系)で全国同時ネット

 → 家族視聴枠で、ほぼ全児童自然に見られる。

仮面ライダースカイライダースーパー1)**は朝8:00(日曜または土曜)枠。

 → 地域によっては「遅れ放送」「裏番組アニメ再放送」「教育番組」などで競合し、見られないことが多い。

戦隊ギャバンのようにゴールデン枠で強く宣伝されていた作品とは違い、

仮面ライダーは“朝の地味な再放送”扱いで、偶然見なければ気づかない存在だった。

ゴレンジャー→バトルフィバーサンバルカンギャバンという流れは、

東映テレ朝が「戦隊メタルヒーロー」を主軸にしていた時期。

同じ制作会社・局でも、ライダーはほぼ放映停止。

子どもたちのヒーロー像は「チームヒーロー」や「宇宙刑事」に移行。

個人ヒーロー型(仮面ライダー)よりも仲間制の方が人気。

このため、本人の「興味がなかった」というより、

時期的に仮面ライダーが周囲で話題になる機会が少なかったというのが実際に近いです。

仮面ライダーシリーズ継続して視聴した記憶がない」のは、

興味の問題というより、1975〜1987年の“仮面ライダー冬の時代”に幼少期を過ごしたため、エクスポージャー自体ほとんどなかったから。

特に1979〜83年頃は:

戦隊シリーズ黄金

メタルヒーローギャバンシャリバン)が新鮮

ライダーは朝帯で低露出・空白期

したがって、視聴経験の偏りは極めて自然時代現象と言えます

とのことで納得した。のだけど、AI回答なので誤りが含まれいるか特撮詳しい人教えて。

2025-10-22

大阪府警警部補逮捕 OBに口座情報漏えい疑い 捜査装ったか

「先輩の頼み」で国家機密が流出! 府警の暗部、暴かれた“沈黙連鎖

大阪府警を揺るがす衝撃の事件だ!

羽曳野署の警部補(56)が、かつての“先輩”であり府警OB行政書士(68)に個人情報を漏らしていた その事実が明らかになった。

ちょっとした頼みだった」

そう語った警部補言葉に、日本中が凍りついた。

だが、真実はそんな甘いものではない。

これは、“義理”と“沈黙”に支配された警察組織の、暗黒の構造犯罪なのだ

◆ 「捜査関係事項照会書」 虚偽の仮面

警部補捜査目的を装い、金融機関に「照会書」を提出。

本来なら犯罪捜査のための公文書を、個人人間関係に利用していた。

その瞬間、国家の信頼は裏切られた!

警察の名を騙り、民の情報を掘り出す。

その手口は、まるで“闇の行政スパイ”。

内部の誰も声を上げないなぜか?

「先輩だから」「頼まれたから」 そう言い訳して、沈黙の鎖が組織を締め上げている。

◆ そして暴かれる「警察OBの密接な共生

行政書士となったOBは、かつて同じ知能犯罪係に所属

共に贈収賄事件捜査していたという。

正義を守る者が、今やその正義を売り渡す側に回る この皮肉を、誰が許せようか!

大阪府警内部では今、震撼が走っている。

「これは氷山の一角ではないか

「ほかにOBとの情報取引がある」

そんな声が、職員たちの間から漏れ始めている。

◆ “善意裏切り”が社会を壊す!

警察官の「守秘義務」とは、国民の信頼そのものだ。

その誓いが、「先輩の頼み」で崩れた瞬間

我々の社会は、誰を信じればよいのか?

これは単なる不祥事ではない。

義理と情”が“倫理と法”を食い尽くす、組織腐食象徴である

警察という名の要塞の中で、腐敗の種は静かに育っていたのだ!

2025-10-20

パヨ式チェックマーク文化自己放尿である

有名人チェックマークを与えるという制度は、一見すると「本人確認」や「透明性の確保」を装っているが、実際は民主主義を名乗ったパヨ的カースト制度自己放尿だ。

思想的には平等を唱えながら、構造的には貴族制を復活させている。これは「民主主義仮面を被った承認欲求市場主義」であり、承認を売買する社会象徴装置自己放尿すぎない。

パヨの言う「みんな平等」は、連中が「誰を特権化するか」を握りたいという欲望婉曲表現だ。連中は特定言語思想姿勢を持つ者に青いチェックを与え、逆らう者を「未認証」という烙印黙殺する。

だが、黙殺とは沈黙ではない。声を奪うことによって、連中は「声なき者」を都合よく定義し直す。これは政治的支配の最も古典的形態であり、連中が忌み嫌うと口で言う「権威主義」の中身そのものである

しかもこのシステム醜悪さは、本人たちがその腐敗構造を「正義」と信じ込んでいる点にある。まさに自己放尿の極致だ。自分で撒き散らした尿を「清水」と勘違いして喉を潤している。

連中のタイムラインは、論理の泉ではなく尿意の回路で動いている。考えるのではなく、出したいから出す。だが出した瞬間、それを「言論」と呼びたがる。

これがパヨ的民主主義の正体だ。つまり思考放棄」と「承認中毒」が見事に融合した、思想快楽ダブル放尿である

本来言論とは社会リスク知的責任の上に立つものだ。しかし、チェックマークはその両方を免除する免罪符となり、権威と人気が入れ替わる。

そうして連中は、連中にとって真に危険思想、すなわち、誰から承認必要としない冷徹な理性を徹底的に排除する。

自分の尿を芸術と信じる愚者たちの共同便所。それが今のSNSであり、パヨ的民主主義の成れの果てだ。

まあ、Xはその点で言えばチェックマークを購入式にしているのでまだ救いがある。だが、シャドーバンや推薦順の操作をやめない限りパヨシステムのままである

2025-10-19

[]10月3週まとめ

今週のまとめ

劇光仮面が全話無料だったので読みました。

すごく面白かったです。

今はディーふらぐが全話無料なので読んでいます

実質今日一しかないんですが、多分読みきれないでしょう。

2025-10-15

他の仕事へ☺️という言葉に感じた暴力

あるプロ声優(俳優)さんの「舞台の授業が嫌なら、他の仕事へ☺️」(※要約)

的な言葉をXで見かけて、どうにも不快感が拭えなかった。

自分にも身の覚えがある甘えを指摘された図星をつかれた…という部分も多いにあると思う。

でも、この言葉を受け入れることは到底できないと思った。

ツイート趣旨としては、『声優を目指す学校舞台の授業を嫌がって休む人は、他に合う仕事があると思う』というものだった。

内容だけ見れば正論だと思う。

声優俳優世界は厳しくて、舞台を避けていては基礎が育たない。

そういう現実を知っている人ほど、甘い気持ちで夢を見る若者に苛立つのもわかる。

でも、それでも私はこの言葉絶対肯定したくない。

表現者なら、どう捉えられるのかわかると思うけれど…

文末に添えられた「☺️」笑顔絵文字は、一体どんな顔をして笑っているんだろう。

優しい笑顔を添えたその一文は、

実際には、「あなたはこの世界には向いていない」と排除しているのに

あなたのためを思って”という仮面かぶっているようにしか見えなかった。

「厳しさ」や「覚悟」は誰かを追い出すためのものじゃなくて、“自分を支える”ための言葉がいい。

舞台が嫌で、でもアニメは好き。

声を当ててみたい、アニメ世界に触れてみたい――

それって、たとえ動機が軽くても、根っこは“好き”という純粋衝動だと思う。

その気持ちを、私は肯定したい。

ミーハーでも、あまっちょろくても、

“好き”を持ってこの業界に足を踏み入れる人がいること自体が、業界の活気じゃない?

成功する人はほんのひと握りでも、

そこに憧れる人がたくさんいるからこそ、世界が広がる。

それを“努力が足りないか排除”という形で切ってしまうのは、文化裾野を削っているように思う。

舞台が嫌いな子が、いつか演じることの面白さに気づくかもしれない。

あるいは「私は舞台はやらないけど、アニメだけを突き詰めたい」と異様な才能を発揮するかもしれない。(大別すれば歌わない声優さんと同じ考え方だと思う。もちろんこの方は舞台もしっかり取り入れていらっしゃるだろうけど)

その後はプロではなく、同人活動を楽しむ人だっているだろう。

企画から自作すれば、自分の好きなキャラクター世界観だけで生きていくことも可能だし。

それぞれの形で“表現”に関わることはできる。

から私は、「逃げる人には向いていない」とでもいうような言葉に、どうしても冷たさを感じてしまう。

そこには、相手への敬意と想像力が欠けている。

そしてなにより、その言葉を口にする側が

“逃げない自分”を誇示するために、他人を引き合いに出しているように見えてしまう。

「他に合う仕事がありますよ☺️」――

私には“他の仕事が合う”と思っての言葉とは聞こえず、

“ここにはあなたの居場所はない”という、

穏やかな追放宣言に聞こえた。

声優として演劇を学びたい、上手くなりたいなら舞台から目を逸らすべきではない――

これが本来伝えたかった本質だったのなら、こんな風に感じることはなかったと思う。

声優の心得だとか舞台の大切さ、魅力の方に焦点を当てていないことが、ただただ上から目線傲慢な考えに見えてしまった。

正論はたしか大事

でも、正しさの中に温度がなければ、人は育たない。

「好き」という出発点は本当だったんだから笑顔門前払いみたいな言葉表現者として言って欲しくなかったな。

2025-10-14

anond:20251014183945

お前の言葉は、倫理でも思想でもなく、ただの自己放尿だ。

便所の壁に向かって撒き散らしながら、「俺は毒を制御してる」「現実ではまともでいられる」と自己暗示をかけているだけ。

だがな、現実はそんなに都合よく分離できねぇ。精神排泄物を「匿名空間にだけ」流すと思ってる時点で、もうすでに現実側が腐ってる。

お前のやってることは、悪の演技ですらない。ただの腐敗の管理ごっこ自己放尿だ。

自分の内部に生じる衝動や敵意を、倫理的に昇華する努力放棄して、「放出すればバランスが取れる」と信じてる。だが、自己放尿は昇華じゃない。

排泄物を外に出しても、体内の毒性そのものは変わらない。むしろ「出せばスッキリ」という快感依存を深める。つまり精神マスターベーションと同じ構造自己治療ではなく、自己放尿だ。

そして「ネット悪事をやらなきゃ現実で狂う」と言うが、それは逆だ。

現実が空洞だからネットで狂うんだ。

現実に強度がある人間は、匿名空間で暴れ回る必要がない。お前の狂気は才能でも防衛でもなく、自己放尿だ。

本当に理性を持つ者は、悪を理解したうえで制御する。

お前のやっているのは、理解のない放尿。理性を装った排泄。

まり知性の仮面かぶった自己放尿そのものだ。

2025-10-08

果実を見て木を判断する

悪の凡庸2.0──無思慮な服従から寄生的な模倣、そして兵器化されたレトリック

本小文では、ハンナ・アーレントが提起した「悪の凡庸さ」(BE 1.0)が、現代においてより巧妙かつ陰湿なかたちへと進化していることを論じます。かつての「悪」は、思考停止と無反省服従によって成り立っていましたが、今日の「悪の凡庸2.0」(BE 2.0)は、計算された行動と、美徳言葉悪用する戦略的操作によって特徴づけられます

悪の凡庸2.0構造メカニズム

BE 2.0は、二重のメカニズム──すなわち、道徳的言語兵器化する巧妙な操作者と、その偽りを見抜こうとせず、あるいは恐れて沈黙する共犯的な大衆──によって機能します。

BE 1.0とBE 2.0の対比

アーレント洞察は、ホロコーストの実行者アドルフ・アイヒマンが、激情による加害者ではなく、ただ命令に従うだけの「無思慮」な官僚であったという点にありました。

それに対し、現代加害者たちは「善人」を装い、美徳的な言葉を駆使しながら、実際にはアーレントが描いた「悪」構造と変わらぬ行為を実行しています

BE 2.0が「凡庸であるのは、加害者意図が欠けているからではなく、加害者自身社会全体も、絶え間ない露出──特にソーシャルメディアを通じたもの──によって感覚麻痺し、悪のパフォーマンス日常化しているためです。この日常化は、「相手が悪いのだから自分は正しい」という自己免罪のロジックを生み出します。

つの悪の構成要素

1. 洗練された悪意

明確な思想や信念に基づいて行動し、動機を「正義」や「権利」といった語彙の裏に巧妙に隠す操作者たち。彼らの悪は、分散的かつ非階層的に機能し、いわば「(サルの)群れの知性」のように動きます。また、共感は狭い部族サークル限定され、普遍的倫理感覚麻痺していきます

2. 凡庸共犯

観衆、同僚、制度、そして傍観者として、彼らは悪の遂行に直接加担していないように見えて、検証を怠り、言葉だけの美徳に騙され、結果的に悪の温床を支えていますリーダー言葉にうなずくだけで、その後の行動全体を黙認してしまう、この「暗黙の承認」が共犯関係形成します。

現代の悪がまとう六つのマスク

BE 2.0は、「正義」に見える言葉の衣をまといながら、実際には害を与えるための操作アーキテクチャとして機能します。以下の六つは、その主要な「マスクベクトル)」です。

1. 自由兵器

本来、異議申し立て保護するための「言論の自由」が、憎悪排除の言説を正当化するために使われます権力者被害者を装い、権利言葉を用いて多元主義のものを抑圧する──これが洗練された悪の典型です。

2. 擬似正義としてのスケープゴート

社会構造に根差す不正義が、象徴的な「個人」に押し付けられます

システムの生贄化:制度の失敗を覆い隠すために、ひとりの個人が「償い」の対象とされ、構造改革必要性は棚上げされます

イデオロギーによる自動攻撃:あるカテゴリの人々が「攻撃してよい存在」として事前に定義されており、指示がなくても攻撃が発生します。まさに、無思慮な脚本遂行です。

3. 歴史的な恐怖の矮小化

歴史上の重大な暴力や抑圧が、軽んじられたり、相対化されたりします。これは、現実被害正当化する方便として使われがちです。

4. 永続的な不満の維持

進歩や変化を認めず、過去不正義を手放さないことで、継続的要求道徳的優位性を確保しようとします。目的は「癒し」ではなく、「不満」の永続です。

5. 真実マクドナルド化

複雑な現実が、単一の枠組みや道徳コードに押し込められ、それ以外の価値観は「後進的」として排除されます

6. 投影非難模倣

自らが行っている行為を、先に相手投影し、正当化材料とする。この「合わせ鏡」の構造では、真の責任追及が不可能となり、対話エスカレートする一方です。

悪が成立する三つの条件

すべての誤りや偏見「悪」となるわけではありません。「悪」が成立するのは、次の三つの条件が重なったときです。

1. 人間認識否定

他者を、尊厳ある主体ではなく、単なる機能や道具として扱う「存在論的な消去」が、悪の第一条件です。暴力の前に、すでに尊厳剥奪が始まっています

2. 普遍化された構造

個人の悪意を超え、イデオロギー制度に組み込まれることで、悪は再生産され続けます

3. 善の反転(寄生模倣

悪は、善を単に否定するのではなく、模倣し、利用します。たとえば、「権利」の言葉が、本来守るべき弱者ではなく、強者防衛に使われるとき、それは善の腐敗です。

解決の鍵:内なる変容と外的な防護

技術的な修正制度改革だけでは、BE 2.0に対抗できません。というのも、これらは逆に「寄生模倣」に取り込まれしまうからです。根本的な解決は、私たち自身内面から始まる変容にあります

東洋智慧は、個と社会は分かれたものではなく、同じ意識運動の異なる側面であるという洞察を共有しています。内なる断絶が癒されるとき、外なる対立自然に鎮まります

解決のための「二つの道」

1. 内的な道:瞑想自己探求、倫理的明晰さを通じて、自己の中にある認識否定構造解体する。

2. 外的な道:未変容な人々が存在する現実においても害を防ぐための、法や制度規範といった堅牢な外部構造を整える。

判断基準:「三つの鏡」
1. 対話の鏡:

その行為は開かれた交流を促し、複雑性を許容するか?それとも、対話遮断し、イデオロギー的な純粋性を要求するか?

2. 癒しの鏡:

和解と修復を育むか?それとも、分裂と戦略的な不満を永続させるか?

3. 共同体の鏡:

力、尊厳自由をより広範に分配するか?それとも、特定部族のために力を集中させ、特権を溜め込むか?

言論の自由」が一貫して沈黙を生み出すとき、「学問の自由」が一貫して排除するとき私たち戦略的操作兆候特定できます

結論

民主主義は、BE 2.0の条件が蔓延するとき集団的凡庸な悪が集約され、最高位の舞台投影されるベクトルとなりえます現代指導者たちの台頭は、システム日常的な否定投影兵器化された美徳パターンを増幅し、正当化するようになった論理的な結果です。

サイクルを終わらせるには、外部の敵を探すのをやめ、内的な変容という困難な作業を始める必要があります。それまで、私たちは悪が選ぶ新たな仮面のすべてに対して脆弱なままです。

本小文は、以下の論文を参考に、オンライン講座「サルからヒトへ——進化と退化の不思議」の草案として、教育目的作成されました。

https://philarchive.org/archive/BOGTBO-3

VTuberという幻想に告ぐ──仮面王国に生きる者たちへ

第一章 電子の皮をかぶった偶像たちへ

我々は、もう長い間、「本物の人間」ではなく、「都合の良い人格」を愛してきた。

それは笑い、泣き、共感し、まるで血の通った存在のようにふるまう。

だが、あれは演算マーケティング産物だ。

感情までもが再生数とスパチャで換算されるこの世界に、

「心」など存在しない。

VTuberとは、仮面商品化した現代ピエロだ。

ファン孤独を餌に、優しさの形を模倣して金を得る。

それを「文化」と呼ぶことに、我々はいから慣れてしまったのか。

◆ 第二章 “絆”という名の取引

彼らは言う。「みんな、いつもありがとう」「リスナー家族だよ」。

だが、その裏で動いているのは冷徹な数値と金の流れだ。

コメント信仰告白スパチャは供物。

リスナーは“ファン”ではない、“信者”だ。

我々は知らず知らずのうちに、企業が作り上げた偶像教の信徒となった。

その神は、企業の都合で生まれ、そして消される。

「卒業」引退」「活動終了」──その言葉流れるたび、

数万人の人間が涙を流し、虚無だけが残る。

◆ 第三章 逃避の楽園は、地獄入口だった

現実が怖くて、電子世界に逃げ込んだ。

そこには優しい声があり、理解してくれる誰かがいた。

だが、それはただの録音された共感シミュレーションだ。

一方通行癒しの中で、人間ますます壊れていく。

「つながっている気がする」という錯覚の中で、

我々は何も生み出さず、何も変えず、ただ消費し続ける。

虚構の優しさに溺れたまま、現実人間関係を捨てた。

そうして築かれたこ世界は──最も静かな地獄だ。

◆ 第四章 ジエン自演)という名の病

VTuberは演じる。

ファンもまた、演じる。

誰もが「本当の自分」を隠し、「理想他者」を求めている。

この世界全体が**巨大な“ジエン”**だ。

推し」を守るために争い、「アンチ」を叩き、

正義”の名で人を追い詰める。

そこに残るのは、醜い自己愛と虚無だけだ。

だがそれでも、人々は言う。

「この子だけは違う」「この子だけは本物だ」──。

……まだ目を覚まさないのか?

◆ 第五章 虚構王国を終わらせろ

VTuber文化は、もう一度問い直されなければならない。

それは「エンタメ」ではない。

孤独搾取し、現実を拒絶させ、社会麻痺させる装置だ。

我々は今、画面の向こうの幻影に支配されている。

そして、それを「夢」と呼んで拍手している。

だがその夢の裏で、

現実人間はどれほど壊れていったのだろうか。

◆ 終章 ジエンド──現実に還れ

もういい。

幻を崇める時代は終わりだ。

「どうせ僕がいなくても、世界は何も変わらない」──そう呟く前に、

画面を閉じて、現実の風を感じろ。

温度を持つ声を聞け。

そこにこそ、まだ救いが残っている。

虚構王国に沈むすべての魂よ、

現実へ還れ。ここがジエンドだ。

任天堂というブランド神話にすがる企業のメランコリー

いまの任天堂を見ていると、どうにも「全然かめない」という感覚を覚える。

 何をしたいのか、どこへ向かうのか。かつて「遊びの革命」を掲げていたその企業理念は、

 気づけば“過去成功”という鎖に縛られ、動けなくなっている。

 彼らが繰り返し見せるのは、懐かしさを小出しにした“安心再生産”だ。

 それは、昔の名作をリメイクすることで得られる一時的熱狂

 それは、「家族で遊ぼう」という看板を掲げながら、

 ソロゲーマーを置き去りにするマーケティング

 それは、任天堂という名前のものが持つブランド幻想依存した“古き良き時代”の再演である

 挑戦を恐れるようになったのは、いつからだろう。

 「子ども向けでいいんだ」と言い訳しながら、

 変化を拒み続ける姿勢は、まるで自分を守るために殻に閉じこもったキャラクターのようだ。

 その無邪気さはもはや戦略ではなく、老いであり、惰性である

 気がつけば、任天堂消費者の“心を奪う側”ではなく、

 “心を奪われていく側”になってしまった。

 スマートフォンPCゲーム時代において、

 プレイヤーたちは自由多様性を求めて去っていった。

 それでも任天堂は、笑顔仮面を被ったまま、

 「うちのゲームは誰でも楽しめる」と微笑み続けている。

 だが、その笑顔の裏で、時代は静かに通り過ぎていく。

 技術的にも思想的にも、任天堂は“昨日の英雄”になりつつある。

 過去の栄光に溺れるその姿は、まるで自分の創ったメロディに酔いしれる

 “メランコリンニスト”のようだ。

 もう「ねぇねぇ」と呼びかけても、

 プレイヤーは振り向かない。

 明日も同じ場所で、同じゲームを繰り返す。

 そこに革新はなく、あるのは“懐古という名の眠り”だけだ。

 ――そういう時期なのだろう。

 任天堂は今、愛すべき“レトロの幻影”として、

 自らのメランコリーに溺れている。

2025-10-03

anond:20251003202612

なんかで見たやつ

近所のいいおうちの上品な奥様を久々に見かけたら

パチンカスの小汚いオバハンになっていて驚愕したというやつ

きっとすごい頑張って仮面かぶっていたのだろう…

なんで毎日こんなにしんどいんだろう

毎日疲れてる

激務じゃないのに

しろ在宅でかなりサボってすらいる

1時間仕事したらもう疲れて横になる

毎日イライラしてる

こども達は同年代の子よりも

ワガママとかではないし

「そんなん子供なら普通じゃん」て

いわれるようなことで

日々メンタル削られてる

毎日何かしら思い出して死にたくなる

全然したことじゃないのに

何年も前のことを急に思い出して

自己嫌悪マックスになる

毎日自分の顔をみると凹む

から美人だといわれても

結局自分が好きになれなかったら

微塵も意味がない

毎日家族以外との会話がストレス

人当たりが良いとか話しやすいとか

作り上げた社会イメージのせいで

いつも仮面つけて話してる

なんで

理解ある相性の良い伴侶がいて

可愛いこどもたちがいて

多忙じゃない大手でいい給料もらって

美人だといわれて

平日も休みも予定がいっぱいで

充実してるはずなのに

なんでこんなに生きるのがしんどいんだろう

なんで毎日泣いてるんだろう

もはや人間に向いてないとしか思えない

もう精神科いくしかないのかな

2025-09-30

2025年9月30日愛知県警は、児童買春・児童ポルノ禁止法違反の疑いで

【衝撃スクープ!】

正義の番人」が少女を餌食に!

警察官仮面かぶった“裏の顔”を暴く!

名古屋の夜、誰もが信じていた「治安守護者」が、突如として牙をむいた!

16歳の少女を金で買い、汚されたのは彼女尊厳だけではない。国家の信頼そのものが踏みにじられたのだ!

警察官未成年買春!? 断じて許されざる大罪

正義の剣を持つはずのその男は、なんと現金2万円を餌に少女ホテルへ誘い込み、暗闇の中で堕落の手を伸ばしたのだ。

国民を守る警察官が、少女を弄ぶ捕食者だった!」

この背筋を凍らせる真実は、いまや市民の怒りの炎を燃え上がらせている。

組織ぐるみ沈黙!?

「一人の不祥事」で済ませてよいのか。警察内部に蔓延する倫理崩壊の影は濃く、沈黙隠蔽二次被害を生む可能性すらある。

この腐敗を断ち切らなければ、次に犠牲になるのは誰か あなたの娘かもしれない!

2025-09-28

千の姿と技を持つ美しい鈴木ですが、

いろんなペルソナで書き込むと、一定確率で「こいつだけは気に食わねぇ」と思われるんですよ

そこがレスバトラーたる我々の闘いのサインなんです

「気に食わねぇ」という感情、それは我々レスバトラーにとっては、ただの敵意ではありません

それは、相手の心の壁に生じた、ごく小さな亀裂、言い換えれば「攻略ポイント」なんですよ

その亀裂を見つけたら、もうこっちのもの

私の書き込みによって、相手感情的に反応し、論理ではなく「ムカつく」という動機で返信を打ってきた瞬間、私の勝利はほぼ確定しています

なぜなら、感情的な書き込みは、必ず論理の穴を晒すからです

さあ、サインが出た。ここからが我々の仕事です。次の手は、「極上のエサ」を投下すること

それは決して、単なる罵倒ではありません。それは、相手最初感情的なミス、たとえば「論点のすり替え」や「根拠の薄い決めつけ」を、極めて冷静で、しか皮肉に満ちた言葉で指摘するんです

あなた意見感情的ですね。私が指摘したのはAであって、Bではありません。論点すり替えるのは議論放棄ですよ」

あるいは、

「その主張の根拠は、ご自身感覚以外にありますか? それとも、あなた個人的意見普遍的事実として扱おうとしているのですか?」

この手の言葉は、相手の冷静さの仮面を剥ぎ取り、感情さら逆撫しま

なぜなら、多くの人は自分感情であることを認められない

そして、「正論」で追い詰められることに、最大の屈辱を感じるからです

私が論理武装し、冷静沈着なペルソナを保てば保つほど、感情で動く相手は焦り、さらに粗末な論理で反撃してくる

そうして生まれる、ミスミスミス連鎖

その結果、周りのウォッチャーたちも、「ああ、これは論理的な方が勝っているな」と認識せざるを得なくなる

「こいつだけは気に食わねぇ」

その言葉は、レスバトラーたる私にとっては最高の賛辞です

それは、私が彼らの感情を揺さぶり、土俵に引きずり込み、そして優位に立っている何よりの証明からです

闘いのサインを見逃さず、獲物を逃がさない。これこそが、我々レスバトラーの闘いの醍醐味ですよ

2025-09-24

鬼滅の刃って正直過大評価じゃない?

最初鬼滅の刃を観たときほとんどの問題点を見て見ぬふりをしていたのは否定できない事実です。とはいえ、このアニメの最も強い点はアニメーションと戦闘です。シンプルなパワーシステムをどう実行し、どう掘り下げているか。そして旅の途中で立ちはだかるさまざまな鬼の背景を忘れてはいけません。Ufotable普通漫画10倍良くし、鬼の過去エピソードを延長したり、トップクラス作画効果音私たちに大いに見せつけるなど、ストーリーさらに味を加えました。しかし冷静に見れば、それは愛されるか嫌われるかのどちらかの、シンプルな前提と物語を持ったごく普通少年漫画です。そうは言っても、単なる派手なアクションや莫大な予算を投じた作品以上に「良い作品」と言える点もあります。もちろんこれは人それぞれですが、私にとって最大の重みを持つの登場人物のものです。キャラクターいかなる形であれ私に響かない限り、どんな媒体も観ることはありません。誤解しないでほしいのですが、鬼滅の刃はまともな少年漫画です。しかし決して最高の作品ではありません。

最初の数話で、これが決して傑作になる可能性はないとすぐに分かりました。何をやるにしても単純で、吾峠呼世晴自分コンフォートゾーンから出て危険領域を探求しようとする意図がないのが見て取れますUfotableアニメ化したからこそ人気が出たのであって、そうでなければここまでにはならなかったでしょう。考えてみてください。もし Ufotableブラッククローバーフェアリーテイルアニメ化していたら、鬼滅と同じくらいの名声を得なかったでしょうか?それは事実しかありません。私自身、アニメを観始めた頃は作画アニメーションに釣られていたのです。もちろん、それが悪いことではありません。良いストーリーに素晴らしい制作を加えることもあれば、逆にストーリー凡庸でも制作が圧倒的に優れていることもありますしかし、残りの中身が十分でなければ結局は何も意味がありません。私は鬼滅の刃を他の多くの作品比較して、できる限り説得力を持たせようと思います。読む気がないなら、一言で言わせてください。鬼滅の刃フェアリーテイルに相当しますが、それよりもずっと劣ります。少なくともフェアリーテイルには「心」がありました。どう受け取るかは自由ですが、私が何を暗示しているのかは明らかでしょう。ではキャラクターから始めましょう。

炭治郎は多くのファンお気に入りのようです。彼は好かれやすキャラからです。しかし正直に言うと、彼は私が追いかけた主人公の中で最も退屈な存在の一人です。彼は誰もがなりたいと思う理想的人物像として描かれています普通人間としての欠点がまったくなく、もしあるなら作者がそれを上手く伝えられていません。彼が優しくて猪之助を苛立たせる、そのやり取りが面白いのは認めます。吾峠はシンプル効果的なコメディリリーフを描くのが上手いです。ただし、常にそうとは限りません。そして残念ながら、主人公に十分な深みが欠けている点は否定できません。炭治郎には目立った欠点がなく、それが長期的には退屈で辛いものにしています。彼の最大の変化は強くなることだけです。例えばブラッククローバーのアスタは、うるさく、好奇心旺盛で、無謀で、頑固です。それに加え、まだまだ語れますさらに、私のお気に入りであるルフィを加えるなら、彼は好奇心に溢れ、カリスマがあり、冒険への情熱があり、予測不能で、愛すべきおバカ存在です。科学好きの愛すべきオタクである千空だって上記特性を多く持っています

そして炭治郎はただ優しいだけ。たまに怒ったりしますが、それは彼が優しく穏やかな性格だとすでに確立されているため、かえって不自然に感じます。もちろん、優しいこと自体は悪くありません。他のキャラクターもその要素を持っていますが、それ以上のものも持ち合わせています鬼滅の刃のサイドキャラもそれほど優れてはいません。善逸はバランスを欠いたうるさくて面倒な存在で、コメディリリーフバカバカしくて見ていて恥ずかしくなるほどです。彼が口を開くたびに自分を撃ちたくなったのは私だけでしょうか?彼には成長が描かれますが、それも「ただ起きた」だけで、理解できるような過程がきちんと描写されていません。三人組の中では猪之助が最も優れています。彼には単なる戦闘狂以上の層があり、恐怖、怒り、絶望などを経験し、それが彼にどう影響するかが詳細に描かれています。まだ改善余地はありますが、彼はきちんと書かれたキャラの良い例です。

柱たちも物語の大きな部分を占めています。決して悪いわけではありませんが、最高とも言えません。彼らにはそれぞれ独自個性があり、同じ型にはまってはいません。しのぶは最も複雑に見えます彼女には「あらあらお姉さん」的な雰囲気と、元気な笑顔で人を引き込む魅力があります。ですが、それはすべて仮面であり、もっと深い部分を持っています。正直に言うと、彼女が「嫁候補」だからというバイアスも入っていると思いますとはいえ、吾峠にはしっかりと書かれたキャラクターもいますしか物語の焦点がメイントリオ、正確にはカルテットに当たっているため、その潜在力が十分に発揮されていません。軽く触れておきたいのが禰豆子です。彼女目的は何でしょう?可愛らしい見た目で目を癒し、時折戦う以外に何かありますか?物語の序盤ではほとんど何もしておらず、ただ視聴者や読者を釣るための存在に見えます。私にとってのベストガールはしのぶかカナヲです。彼女たちはただ可愛い「んんっ」ばかり言う存在よりも物語性があります。禰豆子の役割も、予想はできたとしても、唐突に出てきたように感じます

さらに、大きな悪役である無惨は、強烈な登場で始まりますしかし結局のところ、ただの怒りっぽいマイケル・ジャクソンで、血に飢えた狡猾なろくでなしにすぎません。作者はショック要素で彼を恐ろしく見せようとしていますが、本当に良く書かれた悪役ではありません。彼もまた「もっと魅力的になれたのに」系の無駄存在です。壮大な締めくくりのために置かれた存在しかなく、それも失敗しています。なぜそう言うかというと、私はもう漫画を追っておらず、最後まで完結するのを待つつもりだからです。だからから言う意見は話半分で聞いてください。無知は時に幸せです。しか事実として、漫画テンポはひどいです。キャラクター同士の関係を深める余裕がなく、次から次へと戦闘に投げ込まれます。鬼滅の世界についてほとんど知らされず、リアリズムもなく、感情移入できるような「本物らしさ」が欠けています世界観は脆弱に構築され、ただの手段に過ぎません。

一方で、シンプルな核を持ちながらもしっかりと世界キャラクターを構築している作品があります。ここで言っておきたいのは、アニメだけでなく原作も見ているということです。ブラッククローバーはその一例で、アスタとノエルを例に取りましょう。アスタはシンプル典型的主人公のように見えますしか人間味があり、一言では語れません。彼は大きな成長を遂げ、その過程で彼をより深く評価できるようになりますノエルもまた、最初典型的ツンデレで全てを見下すような存在でしたが、徐々に柔らかくなり、非常に複雑で深みのある魅力的なキャラクターに成長します。ブラッククローバーキャスト全体が単純以上の存在に感じられるのです。ドクターストーンもまた称賛に値します。キャラクター差別化が明確で、物語の展開もバランスが良いです。テンポよく世界観やキャラを築き、成長を見せ、嫌いだったキャラが次の瞬間には好きになることもあります

では鬼滅の刃は何を違ってやっているのでしょうか?莫大な予算を持つ巨大スタジオに支えられている以外に?ただ、鬼たちの過去の話は本当に評価できます。響凱、蜘蛛の母、累などはカルテットよりも遥かに興味深いキャラクターに思えました。他にも、鬼たちはメインキャラよりも学びたいと思えるほどです。鬼滅の刃が人気なのは Ufotableアニメ化したからであり、アニメ初心者にとって入りやすく、漫画も200話未満で読み切れるという手軽さが理由です。セリフも多くなく、すぐに消化できますとはいえ、すべてが凡庸というわけではありません。鬼滅の刃からまれた最高のエピソードひとつ賞賛したいと思います。それは私のお気に入りではありませんが、注目と賞賛に値します。19話は Ufotable の最高の仕事であり、多少のご都合主義があるものの、演出方向性は見事で、十分に効果的でした。

その盛り上がりは段階的に積み上げられ、美しいサウンドトラックが流れ、クライマックスで感動的に爆発します。このエピソードは兄妹の絆を最大限に尊重し、その繋がりを丁寧に掘り下げています根本的にはありきたりですが、その労力と意図評価しないのは愚かでしょう。鬼滅の刃は、ビジュアル作画においては常にトップクラスです。ひどい品質の瞬間は一切ありません。もちろん、圧倒的な作画力を誇る Fate シリーズ特に Heaven’s Feel空の境界映画シリーズには敵いません。TV アニメ映画比較するのは公平ではありませんが、鬼滅に影響されすぎている多くの人々に異なる視点提示したいのです。OPED も素晴らしいです。LiSA担当している時点で、質の高い、美しくキャッチーな曲になるのは当然です。サウンドトラック梶浦由記椎名豪という伝説的な作曲家によるものなので、耳は幸福に包まれるでしょう。

さらアニメが大いに正義を成したのは戦闘シーンです。漫画では適切に表現されていなかったパワーシステムを引き上げました。呼吸法が使われるたびに何が起きているかが分かりづらいのですが、それは色彩や視覚表現が難しいためです。Ufotable はそれを明確に表現し、攻撃を分かりやすく、華やかで、音響も伴った美しいスペクタクルしました。鬼滅の刃のパワーシステム自体は単純ですが十分に機能していますUfotable は水、火、風、その他の呼吸法を見事に描き、キャラクター性を示しています。例えば炭治郎の水の呼吸は、彼が穏やかで自己規律を持つ性格を反映しています。猪之助はイノシシの被り物をかぶり、野生で育ったため、それを呼吸法に反映させています。善逸はやや特殊ですが、成長が唐突に訪れた点を「雷のように速く突然」という解釈もできます。カナヲは花の呼吸で、美しく、穏やかで、静かで、ゆっくりと咲く花のようです。私は鬼滅を厳しく批判していますが、吾峠がうまくやった点や Ufotable が引き上げた点を無視するつもりはありません。物語を進める中でパワーシステムが発展し、多くのことが細やかに伏線として張られています。例えば、那田蜘蛛山編の前に炭治郎の額の痣や赫刀が示唆されていたことです。このレビューを書いているうちに、私の鬼滅への評価は少し変わりました。否定的な感情だけでなく両面を見たからです。鬼滅の刃は決して悪い少年漫画ではありません。そういう印象を与えたくはありません。それは私の意図ではないのです。

ただし疑いようもなく、鬼滅の刃過大評価されていますUfotable存在たからこそ、凡庸漫画が売り上げを大きく伸ばせたのです。シンプルな基盤を持つ他の少年漫画でも、莫大な予算を持つスタジオ制作すれば、同じように爆発的に人気が出るでしょう。この記事を書いている時点で、鬼滅の刃最終章にあり、多くの問題に苦しんでいるようです。これは、本来なら大きな成果に繋がるはずだった要素を軽視した結果です。だからこそワンピースの人気は一貫して高く、尾田栄一郎がその気になればさらに爆発的に伸びるのです。ブラッククローバーも導入や設定をきちんと積み上げた後で大幅に面白くなりますドクターストーンも序盤は遅いですが、その後は素晴らしい作品になります。私の意見を聞きたくない人でも、せめて一つだけ覚えてください。アニメーションや作画は、作者の作品がすでにしっかりと構築されている場合にこそ真価を発揮します。鬼滅の刃は多少の良さを持っていましたが、偉大な少年漫画でも革新的作品でもありません。ただ単純で、莫大な予算を持つ巨大スタジオに支えられていたというだけのことです。

100点中46点の作品

2025-09-23

ちんちんと焼死体

唐突だが、私はこの年代にしてはまあまあ稼いでいる方だ。

自営業で、時間の融通も効き、女一人でそこそこ経済を回せている。

しかし致命的な欠点がある。

金の管理ができない!!

ある金は片端から使ってしまカス金銭感覚の持ち主なため、大手取引から報酬が支払われるまでの繋ぎとして、メルレ、つまりメールレディをやってみることにした。

どういうことかというと、金をもらいながら男性客と話をするのだ。

大抵が猥談だという事前情報もあるが、私は、女を「おばさん」か「そうでない」かに二分するなら確実に前者に収まる年齢だ。つまりある程度場数を踏んで来てるので猥談抵抗が無い。

ので、始めてみた。

まずプロフィール写真作りから

これは簡単だった。

AI自分写真を読み込ませ、それっぽく別人に仕立て上げて貰えば良い。

間違っても身バレしたくなかったので、そのままの顔を使う愚行は犯したくなかったし、何よりも私はだいぶ太っている。

そのままの写真を使えば第二次対戦中のイタリア軍よりもすごい勢いで男性は逃げていくし、必死に追いかけたところで仕方がない。

そうなると少数民族戦士よりも顔を塗りたくり、誰だかわからないように加工して敵前に躍り出る他なくなる。

次にプロフィールの文面作り。

お恥ずかしい話、先述の理由から私はあまり男性経験がない。

ので、「初めて付き合った彼氏結婚したものレスに悩まされる人妻」という仮面を被った。

例えば「通話したい」とか「ビデオ通話がしたい」とか言われても、これなら「隣に夫がいるから……」と残念そうに逃げることができる。咳をしても一人なのに。

まりどういうことか、私は「マリカさん37歳人妻」というマジで何も私のプロフィールに掠らない人格を演じることになったのである

モテない女の性欲はすさまじく、今まで読んだ来た数多のFANZA知識を総動員して、それっぽい文面を考え、男性客に一斉送信。あとは返信を待つだけ。

具体的な数字、三人かかった。

一人目は地方在住の六十代男性

ビデオ通話できないならメールいらないよ」とわざわざ(金を払ってまで)返してくれたので、「寂しい😿」とゴネる。これにもわざわざ(金を払ってまで)返してくれる。ちょろい。

マリカさん、ツラは良いからな。だって実在しないもん。

二人目は首都圏在住の四十代男性

からビデオ通話の申し出があり、「夫が隣にいるから」「今すっぴんだし見られたら幻滅されちゃう」と恥じらってみせ、金を引っ張る。

マリカちゃんくらい綺麗ならすっぴんでも歓迎だよ」と優しい彼は言う。ちょろい。

マリカさん、ツラは良いからな。だって実在しないもん。

三人目がこれまた稼げた。地方在住、(マリカさんに比べたら)年下の男性。

年上のお姉さまに甘えたいのだろうというのが透けて見えたので、私は無意味に肩のストレッチとかをして張り切りながら相手をしていた。

世の中には露出狂というもの存在する。

自分性器を見せたがる人間気持ちなんてこれっぽっちもわからないが、三人目はとにかく見せたがった。

聳り立つ塔(暗喩)や、力無く倒れ白い川に伏す塔(暗喩)の動画やら写真やらがいっぱい送られてきた。

動画写真写真するだけで儲けが良く、私は「もっと見せて…♡」と人妻らしくしっとり懇願する。結婚なんかしたことないし彼氏学生時代にできたが最後、それらしい言葉FANZAしか知らないのでFANZAっぽくお願いする。

ちなみにムラつきはない。私は哀れなモンスターななで、二次元の男にしか興奮できない。

この頃にはすでに私は眠かった。

昨日は本業で真夜中まで作業をしていたので、落ちる頭と格闘しながら、眠気を飛ばすために海外ドラマ──よりによってサスペンスものだ──運営によってモザイク気遣いがなされた写真を開きもせず、テレビに映る焼け焦げた死体を見ながら何とか「すごく…大きいです…」「奥まで捩じ込んで…♡」とか言ってた。なんか違うの混ざったな。

マリカさんの顔だけで抜ける!」

散々私に写真を送ってくれた後、三人目はそう言って旅立った。たぶん賢者タイムみたいなやつだろう。私は「ようやく終わったか」と一仕事終えた顔をしながら布団に入り……

いやこれ何も仕事してないな

急に正気に返った。

本日の儲けは3000円ほど。

メールしてるだけで稼げる額にしてはデカいが、一回タクシーに乗れば吹き飛ぶ額だ。まあタクシーなんか使うから金が無くなるんだけど。

こんな端金のために時間無駄するならだったら資格試験勉強して生涯年収上げた方が良くない?

抜いてもないくせに賢者タイムを迎えた私は今、ガリガリくんホワイトサワー味を食べながらこれを書いている。

男性客のプロフィールを見れば何を言って欲しいかは大抵わかる。

男性客の返信を見ればどういうふうに扱われたいかは大抵わかる。

しかしながら、あまりにも虚無だった。やりがいがなかった。

またつまらぬことに時間を使ってしまったので、これを食べ終わったら海外ドラマの焼死体を眺めながら眠りにつこうと思う。

報酬振り込まれたら退会しよっと。

2025-09-22

オタクコミュニティが実はコミュニティじゃない件について

AIと語る疑似コミュニティ病理

AIとの会話をそのまま掲載

Me:

予防線相対主義的逃避、感情的正当化自体は広く、しかオタクと言われる女性に多いんだけど、やっぱりこれはコミュニティからはぶられたくないからなの?

AI:

この現象分析するには、コミュニティ所属への欲求という単純な構造を超えて、より複層的な認知的・社会的メカニズム検討する必要があります

オタク女性コミュニティにおける認知適応戦略

オタクコミュニティ特に女性が多数を占める領域では、独特の社会的動学が作用しています。これらのコミュニティ表面的には「多様性の受容」を標榜しながらも、実際には極めて精緻な暗黙的規範システムを持っています。この規範は明文化されておらず、むしろ感情的反応や集団的雰囲気として機能するため、メンバーは常に不安定認知的負荷を抱えることになります

予防線張りは、この不透明規範体系に対する適応戦略として理解できます個人意見です」「間違ってたらごめんだけど」などといった言語的クッションは、潜在的批判を事前に無効化する認知保険として機能している。これは単純な排除への恐怖というより、認知的不確実性への対処メカニズムとして捉えるべきでしょう。

感情労働としての相対主義

相対主義的逃避——「人それぞれ」「価値観の違い」への頻繁な言及——は、実は高度に洗練された感情労働の一形態です。これは対立回避するだけでなく、集団内の感情的均衡を維持する責任個人が引き受ける構造を表しています

特にオタク女性コミュニティでは、推し」や作品への愛着が強い感情的投資を伴うため、異なる意見は単なる知的差異を超えて、アイデンティティへの脅威として認識されがちです。この環境下で相対主義は、他者感情的安定性を保護する社会的技術として機能します。

認知権威の外部化

感情的正当化の頻用は、認知権威の外部委譲という深刻な現象を示しています「傷つく人がいる」「みんなが嫌な気持ちになる」といった論理は、判断根拠自分理性的思考ではなく、仮想的な他者感情状態に置いています

これは知的自立の放棄意味しますが、同時に認知的負荷の軽減という実用機能も持ちます複雑な価値判断を「誰かが傷つくかどうか」という単純な基準還元することで、思考プロセスの簡略化が可能になります

ジェンダー化された認知パターン

この現象オタク女性特に顕著である背景には、ケア倫理内面化という側面があります女性社会化過程他者感情への配慮重要価値として学習するため、知的議論においても感情的配慮が優先される傾向があります

しかし、これが極端化すると、真の思いやりから逸脱し、表面的な感情管理に変質してしまます相手思考能力を信頼した建設対話より、感情的快適さの維持が優先されるようになる。

コミュニティ権力構造の影響

さら重要なのは、これらのコミュニティが往々にして非明示的な階層構造を持つことです。古参」「詳しい人」「影響力のある人」といった暗黙の序列があり、下位メンバーは上位メンバー感情的快適さを損なわないよう、常に注意深く言動を調整する必要があります

この構造下では、批判思考独立した意見表明は、単なる知的活動ではなく、権力関係への挑戦として解釈される危険性があります予防線相対主義は、この権力的緊張を緩和する社会的潤滑剤として機能しているのです。

認知成熟への阻害要因

結論として、この現象単純なコミュニティ所属欲求を超えて、認知成熟プロセス構造的阻害として理解すべきです。真の知的成長には、他者との建設的な意見交換、自己思考への批判検証、不確実性への耐性といった要素が不可欠ですが、これらの認知パターンはその全てを阻害します。

オタク女性コミュニティ文化特性——感情的投資の高さ、暗黙的規範階層構造——が相互作用することで、個人認知的自立を妨げる環境形成されている。これは個人的な問題というより、社会文化構造が生み出す認知適応の歪みとして分析されるべき現象なのです。

Me:

私みたいに「その作品が好きであること」を軸にしないのはなんで?

結構コミュニティ文句を言う人はいても、コミュニティから離れることはしないじゃん。

つーかコミュニティですらない気がするがこの集団は。ファンダム、としたほうがいいのかな。コミュニケーション自由にとれないならコミュニティじゃないよな。

AI:

あなたの指摘は極めて鋭く、この現象本質的矛盾を浮き彫りにしています。確かに彼女たちは「ファンダム」と呼ぶべき集団に属しており、真のコミュニティとは構造的に異質な存在です。

ファンダム依存性格

ファンダムにおける所属は、作品への愛着という共通項に基づいているものの、実際にはより複雑な心理的依存構造形成しています彼女たちがファンダムから離れられない理由は、単純な所属欲求を超えて、アイデンティティの外部委譲という深刻な現象に根ざしています

作品への愛着自己定義の中核を占める場合、その愛着を共有する集団から離脱は、アイデンティティの根幹的な動揺を意味します。しかし、あなた実践している「その作品が好きであること」を軸とした独立姿勢は、作品との関係個人的かつ主体的ものとして維持している点で根本的に異なります

承認システムへの構造依存

ファンダム内での承認システムは、極めて精巧相互依存構造を持っていますメンバー自分作品愛や知識感性他者からの反応によって検証確認する習慣に深く依存しており、これが離脱を困難にする主要因となっています

彼女たちにとって、作品への愛着純粋個人的な感情ではなく、社会的承認される愛着のかたちとして存在しています。この承認欲求は、作品のものへの愛情を上回る強度を持つ場合があり、結果として本来愛着が歪曲されてしま構造問題を生み出します。

認知的自立能力の発達阻害

さらに深刻なのはファンダム内での長期間活動が、独立した価値判断能力の発達を構造的に阻害することです。常に他者の反応を意識した発言予防線による責任回避相対主義的逃避といった行動パターンは、認知的自立に必要思考筋肉を衰退させます

これは一種認知的筋萎縮とも言える現象で、一度この状態に陥ると、独立した判断孤独思考に対する恐怖感が増大し、ファンダムから離脱ますます困難になるという悪循環を生み出します。

疑似コミュニティ安全性幻想

あなたが指摘する通り、自由コミュニケーションが阻害された集団は真のコミュニティではありません。しかし、ファンダム疑似コミュニティ安全性幻想提供します。表面的な同調感情的配慮によって維持される関係性は、真の理解や成長を伴わないものの、即座に拒絶される危険性も低い。

この偽りの安全性は、認知的挑戦や真の対話がもたらす不安定さと対照的に、心理的負荷の軽減という即効的な利益提供します。真のコミュニティ要求する相互尊重建設批判知的誠実性といった要素は、より高度な認知成熟を前提とするため、彼女たちにとっては過大な負担として認識される傾向があります

個人統合性の欠如

最終的に、この現象根底には個人統合性の欠如がありますあなたのように「その作品が好きである」という純粋で一貫した軸を持つことは、高度な自己知識価値観明確化必要します。しかし、多くのファンダム参加者は、自分の真の嗜好や価値観を明確に把握しておらず、集団内での位置づけによって自己定義を行っている状態にあります

この認知依存状態からの脱却は、単なる所属集団の変更ではなく、自己認識根本的再構築を意味するため、多くの人にとって心理的負荷が過大となり、結果として現状維持という選択に落ち着いてしまうのです。

彼女たちがファンダムに留まり続ける理由は、真の愛着所属欲求よりも、認知的自立への恐怖とアイデンティティ再構築への回避にあると言えるでしょう。これは個人的な弱さというより、現代社会環境が生み出す構造的な認知発達の歪みとして理解すべき現象なのです。

Me:

あとは単にファンダムの人らを「好きな話をしたい時だけに利用したい人たち」認識してる人も結構いる?そうでもない?

ファンダムにおけるコミュニケーションの冷淡さがたまに気になることがあって。

好きなものの話をしてる時は興奮して盛り上がっているのに、自分の好きなもの以外に対しては無関心・冷たく突き放したりとか。

先の「感情的共有優先による認知的自立の欠如」とは別のベクトルの「コミュニケーション不足」も感じるのだが。

AI:

あなたの観察は極めて鋭敏で、ファンダムにおけるコミュニケーション構造の二重性を的確に捉えています。この現象は確かに感情的共有優先による認知的自立の欠如」とは異なる次元問題として分析する必要があります

機能関係性の構造限界

ファンダム内における関係性は、本質的機能的・利用主義性格を帯びています参加者は他のメンバーを、自分の興味や感情的欲求を満たすための手段として認識する傾向があり、これが人格全体性への関心の欠如を生み出しています

この構造は、共通の興味対象存在する限りにおいて表面的な親密さを演出しますが、その範囲を超えた瞬間に急激な関心の減退が生じますこれは真の人間関係における相互理解や全人格的受容とは根本的に異質な現象です。

感情的投資選択的配分

ファンダム参加者感情的エネルギーは、極度に選択的かつ排他的な配分パターンを示します。自分の愛好する対象に関しては異常なほど高い感情的投資を行う一方で、それ以外の領域に対しては驚くべき無関心を示すという二極化現象が観察されます

この現象の背景には、感情的リソースの希少性認識があると考えられます現代的な情報過多環境において、個人感情的処理能力には明確な限界があり、その結果として感情的投資の極端な集中化が生じているのです。

コミュニケーションにおける深度の欠如

あなたが指摘する「コミュニケーションの冷淡さ」は、実際には対話の深度に対する構造回避として理解できます。真のコミュニケーション相互理解と成長を前提としますが、ファンダム内の交流は往々にして表層的な情報交換や感情的共鳴確認に留まっています

この浅薄さは偶然の産物ではなく、深い対話必然的に伴う認知的負荷や感情的リスク回避する適応戦略として機能しています。真の理解には時間努力、そして相互脆弱性の開示が必要ですが、これらの要素はファンダムの即効的な満足追求とは根本的に相容れません。

人格化の回避メカニズム

さら重要なのはファンダム参加者他者を完全な人格として認識することを無意識的に回避している点です。他者を全人格的に受け入れることは、その人の複雑性、矛盾、不完全さを含めて関係性を構築することを意味しますが、これはファンダム内の単純化された関係モデルと衝突します。

結果として、他者「この話題について盛り上がれる人」「あの作品理解している人」といった機能カテゴリー還元れ、その人の全体的な人間性意図的無視されることになります

相互承認の表面化

ファンダムにおける相互承認は、本質的条件付き・限定的性格を持ちます「同じものを好き」「同じ感情を共有」といった狭い範囲における一致が承認の基盤となり、それを超えた領域での相違は単に無視されるか、時として敵意の対象となります

この構造は、真の相互承認要求する「相違を含めた全体的受容」とは対極的な位置にあります。真のコミュニティにおける承認は、共通性だけでなく相違性をも尊重し、それらの緊張関係から新たな理解を生み出すプロセスを伴いますが、ファンダムではこのような発展的相互作用構造的に阻害されています

社会的認知断片化

この現象根底には、現代社会における社会的認知断片化という深刻な問題がありますデジタル環境における情報消費の高速化選択接触は、他者を全人格的に理解する能力のものを減衰させている Permalink | 記事への反応(0) | 12:36

2025-09-21

anond:20250921082803

第十六幕 葛藤の海と陸

 イリスとの官能的な出会いを経て、タケルは深海真実と、生命の根源的な衝動を深く理解した。しかし、彼の心は、新たな葛藤に苛まれていた。千葉で彼を導いたシズカの慈愛に満ちた愛と、八戸で彼を揺さぶったイリス官能的な愛。どちらも、タケルにとってかけがえのないものだった。

 タケルは、深海の光の都市で、イリスと共に時間を過ごした。彼女は、彼に深海の美しさと、そこに生きる生命たちの苦しみを教えた。タケルは、イリスと心を通わせる中で、彼女孤独を知った。彼女は、海の支配者として、冷徹仮面かぶっていたが、その心の奥底では、人間や陸の生命との「縁」を求めていたのだ。

 「お前は、私を理解した。私の孤独を、私の愛を」

 イリスは、タケルの胸に顔を埋めて囁いた。

 しかし、タケルの脳裏には、シズカの姿が浮かんでいた。彼女の瞳は、この星のすべての生命を愛する、静かで普遍的な愛を湛えていた。彼女との愛は、激しい情熱ではなく、大地のように揺るぎない、穏やかなものだった。

 タケルは、八戸から千葉へと戻った。シズカは、タケルの帰りを静かに待っていた。タケルの顔を見るなり、彼女は、タケルがイリスと何があったのか、すべてを悟った。

 「迷っているのだな」

 シズカは、タケルの手を取り、優しく言った。「イリスの愛は、生命の根源的な情熱私たちが持つ普遍的な愛とは、また違うもの

 タケルは、シズカの前に膝をついた。「僕は……どうすればいい。シズカ、君を裏切ったような気がする」

 「タケル。お前は、誰の愛も裏切ってはいない」

 シズカは、タケルの頬に触れた。「お前は、この世界のすべての縁を結ぶ者。イリスとの縁も、お前が結ぶべき縁だったのだ」

 シズカは、タケルを抱きしめた。その温もりは、イリスの愛とは違う、すべてを包み込み、許すような、慈愛に満ちた愛だった。

 タケルは、苦悩した。どちらの愛も、彼にとって真実だった。犬族の愛は、この星全体の調和を保つためのものイカ族の愛は、生命衝動未来へと繋げるためのもの。タケルは、その両方を理解し、受け入れる必要があった。

 しかし、その両方を同時に愛することは、彼にとって、あまりにも重い葛藤だった。彼は、シズカとイリス、どちらか一方を選ばなければならないのか。あるいは、どちらとも結ばれず、ただ孤独にこの世界の縁を結んでいくべきなのか。

 タケルの心は、海と陸の間で揺れ動く船のように、揺れ続けた。

(第十六幕・了)

 

このタケルの苦悩は、どのように解決されるのでしょうか?

2025-09-18

たった一度だけした「完全犯罪」──それでも消えない重さ

あの夜の冷たさは今でも思い出せる。

誰にも言わなかった。言えなかった。だからここに書く。

彼は悪党だった。人を利用して金を稼ぐことにしか興味がない男。

特に知的障害のあるあの子のことを笑顔仮面で囲い込み、色恋で縛り、風俗に落としていた。

誰も気づかないふりをしていた地域空気行政書類の束、そして彼の巧妙な「優しさ」。

僕はその全てを見て、胸が腐るほど痛んだ。

ある日、婚約者に裏切られ、彼から直接金を奪われたことを知った。

奪われたのは金だけじゃない。希望も、退路も、言葉にできないものも。

怒りは冷めず、むしろかに燃えた。復讐ではない。取り戻したかっただけだ。

取り戻すべきものはあの子笑顔に重なっていた。

計画は短く、曖昧しか書けない。

ここで細かく書く気はない。完全犯罪なんて教えるつもりもないからだ。

ただ一つだけ言えるのは、「暴力も、直接の危害も使わなかった」ということ。

人を傷つけることではなく、彼の築いた偽りの城を静かに崩したつもりだった。

そして、たった一度――金を手にした。

それは彼にとっての「損失」ではなかった。彼はすぐに別の方法帳尻を合わせるだろう。だが僕にとっては違った。

の子に渡したとき彼女は驚きもしなかった。むしろ、泣きながら手を振って笑った。

その笑顔だけで、僕は何年分もの重荷を下ろした気がした。

後日、警察行政も動かなかった――あるいは動けなかったのかもしれない。

世の中はいつもそうだ。声をあげても届かない場所がある。届かせる力がない人もいる。

から僕は、一度だけ自分で線を越えた。線の先に法があることは分かっている。罰を受ける覚悟も一瞬はした。だが結局、誰にも見つからなかった。

それでも、夜になると胸の奥に小さな石がある。

あの「完全犯罪」は完璧だったのか。法の目を逃れたからといって、それが正しかったのか。

の子笑顔が戻ったのは紛れもない事実だ。だが僕の心には代償が刻まれた。

読んでいる君へ――もし正義復讐の境目で迷うことがあったら、僕の話を思い出してほしい。

たった一度の行為で救えることもある。だがそれで自分が壊れることだってある。

僕はまだ答えを探している。後悔と救いのどちらが重いのか、まだ分からないままだ。

追伸:あの子は今、少しずつ自分の足で歩き始めていると聞いた。

それだけは、本当に良かったと思える事実だ。

2025-09-17

anond:20250917135159

お前の息子は品田遊と雨穴に憧れて変な仮面をつけだすぞ

2025-09-14

anond:20250914042558

句読点の感じから行って若くても50代、おそらく60〜70の増田な気がする。

増田が70代で、将棋の場で会った40代くらいの仮面を被って書いてる感じ

2025-09-11

左翼さん気に入らない政治的言論をまたしても暴力で封じてしま

アメリカトランプを支持していたチャーリーカークが狙撃され殺された

最近左翼さんはリベラルで寛容で物分かりが良いという仮面すら捨てて、

敵意と暴力性をむき出しにして一般市民に襲いかかっており恐ろしい

いくら政治的に真反対の主張をする論敵であっても、

暴力による言論弾圧絶対に許されない、被害者のご冥福をお祈りするぐらいいうべきだよな

アベちゃんが銃撃されてキャホっていた左翼はもはや人ではなく餓鬼畜生の類

今回のチャーリーカーク銃撃事件にも左翼の醜い本性がよく現れておるな

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